すぐには役に立たない本が、だめな自分を肯定してくれた。phaさんの「ゆっくり効く読書」のすすめ

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社会人として働くなか、悩みを解消する糸口を探したり、スキルアップを目指したりするためにハウツー本やビジネス書、自己啓発書などを手に取る方は少なくないのではないでしょうか。ただ、それらは自分が変化していくための指針を与えてくれることもありますが、常にそこでなされる提案を受け入れようとがんばると、ときに疲れてしまうことも。

読書家として知られるブロガーのphaさんは、読書を「すぐに効く読書」と「ゆっくり効く読書」の2種類に分類してるのだそう。前者が読者に行動を訴えかけることによって悩みや課題を解消しようとするのに対し、後者は現状を肯定し、読者の人生にじわじわと影響を与えるといいます。

ゆっくり効く読書により、人生の土台を形作ってきたというphaさん。自分を変えるのではなく肯定してくれる読書のあり方について伺いました。

「読書」が社会でうまくいかない自分を守ってくれた

phaさんは著書『人生の土台となる読書』(ダイヤモンド社)のなかで、読書を「すぐに効く読書」と「ゆっくり効く読書」の2種類に分類されています。その上で「ゆっくり効く読書」を勧められていますが、これはどうしてでしょう?

phaさん(以下、pha) その分類は編集者からの提案を受けて考えたものなんですが、僕自身ずっと、すぐには効かない、なかなか役に立たない本ばっかり読んできたという自覚があるんです。読み手にすぐ行動や変化を促すようなビジネス書や実用書が「すぐに効く」ものだとしたら、自分がおもしろいと感じる本は、作家のエッセイやノンフィクション、学術書などすぐに何かが劇的に変わるわけではないけど、思考の枠組み自体が変わってしまうようなもの。振り返ってみると、そうした「ゆっくり」効く本が自分の人生や生き方の土台になっているなと思って本を書きました。

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読者の習慣を変えることを勧めたり、ビジネスの場における即効性の高い方法論を教えてくれたりするのがphaさんのおっしゃる「すぐに効く読書」だと思うのですが、phaさんはこれまでに、そういったビジネス書や実用書を手に取られたこともありますか?

pha 例えば「ドラムがもっと上手になりたい」と思ってドラムの本を読むみたいなことはしますけど、普段はあんまり実用書って読まないですね。そういう本って、「これになりたい」という目標がはっきり決まっていて、それに向かってがんばろうという気持ちのときに手に取るものだと思うんですけど、がんばろうという気持ち自体が薄いからかもしれない。僕は自分が何になりたいか、何をしたいかというのもよく分かっていないときが多いので、何の役に立つかは分からないけど、なんとなく興味がある本ばかりを自ずと手に取ってきたのかもしれないですね。

phaさんは過去に会社員として働かれていたご経験もありますよね。当時は周囲とのコミュニケーションや働き方について悩んだこともあるのではないかと思いますが、その頃もあまり実用書は手に取らなかったんでしょうか?

pha 読んだかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね……。覚えていないってことは、なんかよく分かんないな、自分が求めてるのはちょっと違うんだよなって感じたんだろうと思います。例えばコミュニケーション術についての本だったら、「こういうふうにすればコミュニケーションがうまくいきますよ」「こうすれば会社でうまくいきますよ」という情報は書いてあるけれど、僕はそもそもコミュニケーションがうまくなりたいんじゃないかもしれないとか、会社でうまくいってどうするんだろう、みたいなことを考えてしまう方なので。

目の前の問題への対処法よりも、自分が感じているモヤモヤの根本的な原因や仕組みが気になるということでしょうか。

pha うん、どちらかと言えばそういうタイプなんだと思います。「そもそもこれ、別にやらなくていいんじゃないか?」ってことばっかり普段から考えているので。

すぐに何かの役に立つ読書って、社会にあらかじめ存在している「こういうふうになった方がいい」という枠に、自分を合わせていくための読書だと思うんです。でも僕はどちらかと言うと、自分を何かに合わせて変えていくみたいなことをあんまりやりたくなくて、いまの自分のままでできることをやりたいって思っちゃうんですよ。

だから、自分には変でうまく社会にはまらない部分もあるけれど、そのままでもいいんだ、と思わせてくれる本をおもしろいと感じて読んできた気がします。人間にはいろんなタイプがいて、絶対的に正しいものなんてないということを実感させてくれる本や、世間の常識を相対化してくれる本がそれにあたるのかなと。そういう「ゆっくり効く」本が、ずっと自分自身を守ってくれているという実感があります。

枡野浩一、西村賢太、橋本治――phaさんのゆっくり効いた本

phaさんは著書の中で、中島らもの『頭の中がカユいんだ』を「自分のだめな部分を肯定してくれる本」として挙げられていましたよね。これまで読まれてきた中でほかにも、自分のだめな部分を肯定したり、自分が感じている生きづらさを軽減させたりしてくれた本があれば、教えてください。

pha 歌人の枡野浩一さんの『愛のことはもう仕方ない』という本は、読むと自分のダメさを肯定できるような気分になれる本で、好きでした。内容としては離婚して息子にずっと会えないとか、芸人をやってみたけれどうまくいかなかったとか、枡野さんが過去をひたすら正直に振り返っているだけなんですけど。

僕も、考えても仕方がないことでいつまでもくよくよしてしまうことってあるし、人間ってそんなもんだよなと思わせてくれるというか……ほかの人に同じことを言ったら「もっと前向きに行こうぜ」とか言われてしまいそうなんだけど、そう言われても簡単に前を向けないことってあるじゃないですか。そういうときに枡野さんの本を読むと、仕方ないよなあと思えてちょっと楽になれるんです。

『愛のことはもう仕方ない』、本当にずっと後ろ向きだけれど、不思議と元気になれる本ですよね。

pha 世界でいちばんくよくよしてるんじゃないか、と思うくらいくよくよしてますよね(笑)。ほかにも、同じく歌人の穂村弘さんのエッセイや、小谷野敦さんの私小説も、同じように人間のだめさや社会へのなじめなさを肯定してくれる感じがして好きです。

あとは、僕が持っているだめさとはまたちょっと違う感じがするんですが、西村賢太さんの私小説や日記も好きでよく読んでいました。西村さんの日記には酒を飲みまくって不健康なものばかり食べて、という獣の生態のような生活がそのまま書かれているんですが、最近亡くなってしまってとてもショックでした。ダメ人間のひとつのロールモデルだったというか……令和にはもう、あんな人は出てこないだろうなとさみしくなります。

それらの「ゆっくり効く」本は、折に触れて読み返したりもするのでしょうか? 例えば、「この悩みやモヤモヤを感じているときは、必ずこの1冊を読み返す」などあれば教えて下さい。

pha 僕はわりと、1冊を何度も読み返すよりも新しい本をどんどん掘っていくのが好きな方なんですよね。ただ、橋本治さんの『青空人生相談所』という人生相談の本は昔からすごく好きで、いまもときどき読み返します。ちょっとした言葉遣いを手がかりに、相談者が気づかないことまで暴き出すようなすごい人生相談なんですよ。

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特に印象に残っているのが、「何をするにも時間がかかる」という悩みに対する回答です。「私は主婦なのですが、掃除や洗濯など、何をするにしても時間がかかってしまいます。どうすればよいでしょう」という質問に対して、橋本さんは「なぜ『どうしてでしょう』ではなく『どうすればよいでしょう』と聞くんですか」と返すんです。

えっ。一見すごく小さな違いに思えますが……。

pha 橋本さんいわく、「どうしてでしょう」という質問には、理由を解明して自分でなんとか解決しようという気がある。けれど、「どうすればよいでしょう」というのは、みんながどうにかした方がいいと言うからなんとなく解決したいような素振りを見せているけど、本当はどうでもいいと思っているのが透けて見える、と(笑)。

そのふたつっておっしゃるとおり本当にちょっとした言葉の違いなんですが、そこに気づいて切り込む解像度の高さがすごいなと思って。橋本さんの悩みへのそういうアプローチのしかたは、自分自身の悩みを考えるときにも役に立っているのを感じます。

なるほど。悩みそのものへの答えをダイレクトに教えてくれるというより、悩みをどう分解すればいいかのヒントを与えてくれる、ということですよね。

pha そうですね。「何をするにも時間がかかる」というのは僕自身の切実な悩みではないのだけれど、橋本さんの回答を読んでいると、自分の悩みも同じように高い解像度で眺められる気がしてくるんです。そういうところがすごく勉強になりますね。

本は悩みの輪郭をクリアにしてくれる

本を読みたいという気持ちが強い人でも、仕事で忙しい日が続いたり体力がなかったりすると、活字を追うのが億劫になってしまうこともあるように思います。phaさんは、きょうは本を読みたくない、と感じるときってありますか?

pha ありますね。僕はちょっとご飯を食べに出かけるときも本を持っていくし、旅行も本を読むためにしているようなところがあるので、基本的にはいつも何か読んでいたいタイプなんですが……それでも、疲れて何も読みたくないし、読んでもおもしろいと感じないときはたまにあります。

そういうときは無理に本を手に取らず、ほかのことをする方ですか?

pha そうですね。あ、でも活字の本を読む気がしないときも、漫画はわりと読み返したりしてるかもしれないな。活字の本に関しては、いろいろ新しいものを読んでいきたい気持ちがあるのであんまり同じものは読み返さないんですが、漫画を読むのはそれと比べると、もっと軽い気持ちでできる娯楽というか。自分の感情を安定させるためみたいなところもあるので、お菓子を食べるような感じで同じ作品を「おもしろいなあ」と思いながら読んでますね

確かに、活字の本は読めないけれど漫画なら読める日ってありますよね。

pha ありますよね。最近は『らーめん再遊記』が好きでよく読み返してるんです。中年のラーメン職人が若い人には負けないぞと思いつつラーメンを作ったりフラフラしたりする話なんですけど、キャラもいいしラーメンのうんちくもおもしろいし、漫画としての安心感があって。40代とか50代の人がこれからどう生きていくか、というのを描いているので、自分にも身に沁みるところがあってついつい何度も読んじゃいます。

お話をお聞きしていると、phaさんは小説からエッセイ、ノンフィクション、漫画まで、さまざまなジャンルの本を読まれている印象です。気になる人も多いかと思うのですが、普段はどのように新しい本と出会われているんでしょうか?

pha 人が紹介しているのを見たり聞いたりして、おもしろそうだと感じた本を買うことが多いです。たくさん本を読んでいて、この人のおすすめなら信頼できるという人や、自分と趣味や価値観が合う人が薦めている本だと、まず間違いないだろうなと。やっぱり本を探す上では、信頼できる人をまず見つけて、その人のおすすめを読んでいくという方法がいちばん早いと思うので。

ただ、あまり周りに参考になる人がいないという場合は、まず読んでみたいジャンルの初心者向けブックガイドやアンソロジー本を探してみたり、本屋さんや電子書籍上で、いろんな本の「はじめに」の部分をちょっと読んでみて、ぐっとくるものを探すのがいいんじゃないかと思います。多くの著者は、その本を通していちばん言いたいことを序文に書いてくれているので、そこを読んで合わない本は、別に無理して読まなくてもいいと思いますし。

確かにそうですよね。先ほど橋本治さんの話も出ましたけど、ご自身の悩みを起点に本を探すことはありますか? 「今はこんなことに悩んでるから、こんな本が読みたい」というふうに。

pha うーん、どちらかと言えば、悩みを解決したいというよりも、むしろ本を読んでいくうちに共感できるものが見つかって、「私の悩みはこれだったんだ」って気づくことの方が多い気がしますね。本って、自分の悩みをクリアにしてくれるツールとしての側面も持っていると思うので。

解決にばかり目がいきがちですけど、言われてみると読書を通じて悩みの輪郭がクリアになることって確かにありますね。

pha そうなんですよ。解決自体はしないかもしれないけれど、なんとなくはっきりしてくる。

でも、僕は正直に言えば、本に「ゆっくり効く」ことさえ求めなくてもいいんじゃないか、と思っているふしもあります。本を読んで何かを得たりその知識を日常生活に役立てるというのはもちろんいいことだと思うんですが、本を読むその時間自体が楽しければそれでいいというか。なんとなくおもしろいとかだめさに共感できるとか、強く気持ちが揺さぶられるというだけで十分、本を気軽に読む理由にはなるんじゃないかな、と思いますね。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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『凪のお暇』がうつす「家族」と「コミュニティ」。私たちがもっと“生きやすく”なるには?
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お話を伺った方:phaさん

phaさんのプロフィール写真

1978年大阪府生まれ。京都大学総合人間学部を卒業後、大学職員に。数年後に退職してからは「ニート」を自称。2008年にギークハウスプロジェクトを開始後、定職に就かずシェアハウスで長年暮らす。2019年にシェアハウスを出て、1人暮らしに。現在は文筆業が収入源。著書に『持たない幸福論』『がんばらない練習』(共に幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 ーーダメな人間でも、生き延びるための「本の効用」ベスト30』(ダイヤモンド社)などがある。

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『凪のお暇』がうつす「家族」と「コミュニティ」。私たちがもっと“生きやすく”なるには?

コナリさん

2019年にはテレビドラマ化もされた大人気コミック、『凪のお暇』。職場や家庭、恋人との関係においても「空気」を読みすぎてしまう癖のある主人公・大島凪が、退職をきっかけに自由な時間(=お暇)を持ったことで、周囲の人々と関係しながらすこしずつ変化していく物語です。

『凪のお暇』では7巻以降、東京から一時的に地元の北海道に帰ることになった凪の生活が描かれます。地元での人間関係や親子関係をめぐるエピソードはどれも、「家族」や「コミュニティ」の生々しい姿をリアルに映しています。

家族や職場、ご近所さんといったさまざまなコミュニティとの距離感に悩んだ経験のある人は、きっと多いのではないでしょうか。今回は『凪のお暇』の作者・コナリミサトさんに、作品のお話を通じて、いまよりも生きやすくなるための「家族」や「コミュニティ」との付き合い方のヒントについてお聞きしました。

凪がこれからどうなっていくのかは、まだ私にもわからないんです

実家のある北海道に一時帰省した凪
(C)コナリミサト(秋田書店)

【凪のお暇 これまでのあらすじ】場の空気を読みすぎて、他人に合わせて無理した結果、職場で過呼吸になり倒れてしまった大島凪、28歳。会社を辞め、家財を処分し都心から郊外へ転居、全ての人間関係を断ち切った凪は、ゼロから新しい生活を始めることに。引越し先やハローワーク、アルバイト先での新たな人間関係に積極的に関わるようになり、すこしずつ空気を読み過ぎてしまう今までの自分からの変化が見られます。

一方、凪の母・夕に対しては相変わらず空気を読み本音を吐き出せず「今まで母が望む通りやってきました」と語る凪でしたが、夕が北海道から東京に来たタイミングで実家に連れ戻されないために実施した元恋人の慎二との偽デートのやりとりを機に、本音を打ち明けることができるように。ここからすこしずつ関係が変わっていくのかも、と思った矢先、夕の怪我をきっかけに実家に一時帰省することになってしまい……。▶コナリミサト「凪のお暇」特設サイト

『凪のお暇』、毎回楽しみに拝読しています。コミックスの7巻からは、主人公・大島凪が母・夕の怪我のサポートのために地元の北海道に帰り、そこで家族や地元の同級生、ご近所さんといった身近なコミュニティとの関わり方に悩む様子が描かれていますよね。この北海道でのエピソードは、執筆当初から考えられていたんでしょうか?

コナリミサトさん(以下、コナリ) いえ、最初は全然決めてなかったですね。正直、最近は私が動かしているというよりもキャラクターたちが勝手に動いていっているような感覚が強くて……。ただ、凪が自分の問題に向き合うためには物語上、もう地元に触れずにはいられないな、とはうっすら考えていた記憶があります。

描きながら徐々に話が膨らんでいったんですね。7巻以降では、凪以外の登場人物たちのバックボーンもすこしずつ見え始めて、どのキャラクターも幸せになってほしいと祈るような気持ちで読んでいます。

コナリ 私もいま、思った以上にキャラクターたちに愛着が湧いていて、全員幸せになってほしいと願いながら描いています。上辺だけじゃなく、本当にこの人たちが幸せになるにはどうしたらいいんだろうと考えたときに、やっぱりそれぞれの家族のことも掘っていく必要があるよなと思ったんです。

このキャラクターはどうしてこういう人になったんだろう、というのを考えているうちに、たとえば凪の元恋人・慎二は子ども時代、日曜の夕方に放映されるような家族団らんのアニメをお兄ちゃんと一緒に見たりしていたんだろうなというエピソードを思いついたり。

コナリミサト

慎二の実家時代の回想シーン
(C)コナリミサト(秋田書店)


これまでの私の作品は長くても3巻程度だったので、ある程度ふんわりとした骨組みで進めていっても、全員不幸にはならないところにお話を落ち着かせることができたんです。でも『凪~』はこれからどうなっていくのかが、本当にまだ私にもわからないんですよ(笑)。

じゃあ、凪が東京に戻るのか、あるいは違った選択をするのかというのも……。

コナリ 私が教えてほしいくらいです……! でもどんな選択をするにしても、登場人物たちも私も、なんとか納得できる形でまとめたいとは思っています。

関係を“散らす”ほうがいい──「コミュニティ」との付き合い方

作中で印象的なのが、コミュニティの閉鎖的なあり方に悩まされる登場人物たちの姿です。凪の地元では、誰もが顔見知りだからこそ一度できた関係性が崩せなかったり、自分の行動を逐一言いふらされるのではないかという怖さに怯えたりといった描写はどれもとても生々しいですが……コナリさんは、どういったところからエピソードの着想を得ているんでしょうか?

コナリミサト

(C)コナリミサト(秋田書店)

コナリ エグいですよね(笑)。凪が生まれた場所はいわゆる田舎なのかなと思うのですが、田舎の関係が全部エグい、というわけではないですし、「田舎」だからじゃなく「地元」だからああなのかな、と。もちろん、地元のコミュニティが好きだったり、心地よかったりする人もいるかと思います。

「生まれ育った場所」だからということでしょうか?

コナリ そうですね、子どもの頃から生きてきた場所だから感じてしまうことも多いんじゃないかなと思います。北海道のエピソードはどれも凪や夕の視点から見たお話なので、なおさらしんどく思えてしまうのかもしれない。

私自身が地元に対してずっと感じていたことを増長させて描いている部分もあるんですが、地方出身の友人にいろいろ話を聞いたりもしていると、やっぱり生まれ育った場所のコミュニティに対してはいろいろ思うところがあるみたいで……。

作中でも描かれていましたが、地元に残っている人と地元を出た人との間で対立構造が生まれてしまうこともありますよね。その選択に優劣はないのに、お互いがお互いのことをどこか下に見てしまうという。

コナリ それは本当によくありますよね。当然ですが、『凪~』の地元の人も全員邪悪なわけじゃなく、中にはすごくいい人だっているんです。だから、これからはもうすこしそこを補完して描いていかないと、と思っています。私は自分の親戚がわりと北海道に固まっているんですが、なんでこんなにめちゃくちゃ善人なの!? みたいな人もいるんですよ。そういういいところも描いていきたいとは思っていますね。

北海道編には、凪の同級生でパン屋を営んでいるフセというキャラクターが出てきますよね。地元というコミュニティには所属しつつも、ときどき離れた駅で移動販売を行い売上を伸ばすなど、地元に軸足は置きつつ、そこから足を外に伸ばす手段を持っているキャラクターのように感じました。

コナリミサト

小学校時代の同級生・フセは実家のパン屋を継いでいる。凪とフセは当時「遠足の班決めで余る」2人だった
(C)コナリミサト(秋田書店)

コナリ そうですね。私自身も、依存先を複数持つというのは大事にしています。どこか一箇所にべったりと居着くのではなく、ポンポンポン、と軽く遊びに行けるコミュニティをたくさんつくったほうが、自分は生きやすいタイプだなと思うので。

ご自分でそう気づかれたのって、どうしてだったんですか?

コナリ たとえばひとりの人とずっと一緒にいると、たとえその人がすごく好きな人であっても、だんだんと嫌なところが見えてきてしまうことってありませんか? その嫌だな、という感覚が、ほかの人とも話しているとすこし分散する気がするんです。

たとえば、Aちゃんという友達ひとりとずっと一緒にいると、Aちゃんの嫌なところが見えてきてしまったり、反対に自分の嫌なところもAちゃんに見せてしまいがちになってしまう。でも、そういうときにBちゃんというほかの友達とも交流を持てると、「Aちゃんの嫌いだと思ったところ、そんなに気にならないかも」と思えたりしますよね。そういうふうに、散らしていくのがいいのかなと思います。

たしかに拠りどころがひとつだと、想定外のことが起きたときに、必要以上に相手を嫌いになってしまいがちな気がします。

コナリ 自分の中で勝手に、相手のことをどんどん強大な敵に変えていってしまうんですよね……。

凪が地元から離れている間に、母親の夕のことを「仮想敵」として一方的に大きな存在にしてしまっていたのも、夕との関係がもともと依存的だったことに関係しているのかな、と感じました。

コナリ そうですね。そして、ひとつに集中しすぎないほうがいい、というのは関係性に限らないと感じています。本でも漫画でもなんでもいいので、依存できる場所はいくつか持っていたほうがいいと思います。

たしかに、凪と夕、夕と凪の祖母(夕の母)のお互いを縛るような関係は、「家族」というコミュニティに閉じてしまったゆえのしんどさもあったのかもしれませんね……。

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夕は凪と同様「お暇」をいただき、家族と地元から一度「離れる」ことに
(C)コナリミサト(秋田書店)

当人が納得している「家族」のあり方に周りは口をはさまない

『凪のお暇』の9巻からは、慎二と会社の後輩・円の関係の変化にもスポットが当てられていきます。円は「理想の家庭」像を持っているものの、慎二のイメージとはズレがあってすれ違ってしまう。

コナリ あのふたり、全然話せてないんですよね。『凪~』の登場人物たちってみんな人となかなか話し合わないんですが、慎二は特にそうで。思ってることをもっと言っちゃえればいいんですけどね。

慎二と交際中の円。彼女は自分の両親のように出世の鬼(妻)と家庭の仏(夫)のような家族に憧れている
(C)コナリミサト(秋田書店)

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実家の家族関係が良好でなかったことから「日曜の夕方アニメ」に登場するような家族に憧れを持つ慎二
(C)コナリミサト(秋田書店)


慎二はこれまでに、空気を読んで自分の意見を言わないことで場が丸く収まった、という経験をしすぎているんでしょうか。

コナリ それもあると思いますし、あと、自分の感じていることが、別に言うには値しないことだと思っているのかもしれないですね。

これから夫婦や家族になりたいと思っている人たちの「理想の家族」像にズレがある場合、そのズレをどう解消していけばいいとコナリさんは思いますか。

コナリ なぜそういう家庭を作りたいかをとにかく話し合って、それぞれが許せる範囲の妥協をする、ということに尽きるんじゃないかと思います。ここまでだったら折れられる、というすり合わせをするしかないですよね。

コナリさんが個人的に、ご自分にとって「理想」と感じる家族のあり方って、どのような形ですか?

コナリ 私は、それでうまく回るなら、家族の中で個人がそれぞれ得意なことをやりさえすればいいと思っています。

たとえば、健康で自分が働けるうちは自分がバリバリと働けばいいのかなとも思いますし、いつか自分が働けなくなるタイミングがきたら、そのときは臨機応変に役割を分担できるといいのかなと。「あのとき助けてもらったから」とか「あのとき支えてもらったから」と、思いやりで回る家族が作れたら理想ではありますよね。

作中で、凪のお隣さん・みすずが「家族ってちょっと部活に似てるなって思う」という台詞を言うシーンがありましたよね。それぞれのコミュニティによって、関係性も歴史もしきたりも違うと。その理想像は、家庭によってさまざまですよね。

コナリ そうですね。家族って本当に、その家によって秩序もあり方も、目指しているところもバラバラだと思うので。

最近は、人のうちのことにガタガタ言わない、というのが大事だなとよく思います。共働き家庭も増えてきていますが、その家族がきちんと話し合えて納得しているんだったら、たとえば女性だけがバリバリ働いている家であろうと、『サザエさん』のような専業主婦の人がいる家であろうと、当人が苦しそうにしているんじゃないのだったら、憶測で周りが口をはさまない。それがいわゆる多様性なのではないだろうかと。

「家族」を巡る価値観は、年々多様化していっているように感じます。『凪のお暇』は2016年から続く長期連載ですが、コナリさんのなかで、作品を描きながら自分の価値観や考え方が変化してきたのを感じたりすることもありますか?

コナリ やっぱり、連載当初からは考え方もどんどん変わってきていると思いますね。前はこうやって考えてたけど、こうじゃない? と思ったり。

……私、シラフだとなかなか自分の作品を恥ずかしくて読み返せないんですが、お酒で酔っぱらうとようやく通しで読み返せるんです(笑)。そういうときに、過去の台詞や展開にツッコミを入れたりはしていますね。

たとえばお話の序盤のほうで、凪が同僚に「お姫様かよ」と言われるシーンがあるんですが、あとからお酒を飲みながら読み返したときに「お姫様みたいな人がいても別によくない?」と思って。仮にお姫様みたいな人がいたとして、その人を大切にしたいと思っている人がいて、ふたりの関係がそれで成り立っているんだったらよくない? と思えたんです。そこから円のようなキャラクターが生まれたりして。

円、お酒の力で生まれたキャラクターだったんですね……!

コナリ もちろんネームはシラフで描くんですけどね。酔っ払って自分の作品を読み返していると、それを描いたときの生々しい感覚が忘れられて、ほかの人の作品のように読めるんですよ。だから酔うと初めて、「なかなかおもしろいじゃないか! 誰が描いたんだろう、この漫画!」って思えます(笑)。


【INFORMATION】『凪のお暇』1〜9巻 発売中

『凪のお暇』書影

秋田書店刊

いつも場の空気を読むのに必死で、「わかるー」が口癖の大島凪28歳。 ある日、こっそり付き合っていた職場の同僚・慎二の一言がきっかけでついに過呼吸をおこして倒れてしまい……?

空気読みすぎるの、もうやめたい。人生リセットコメディ『凪のお暇』は、月刊エレガンスイブ(秋田書店)で好評連載中。

▶コナリミサト「凪のお暇」特設サイト

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女らしさ、社会人らしさ……って何さ?『ケムリが目にしみる』著者と考える「正しさ」と「自分」の向き合い方

お話を伺った方:コナリミサトさん

コナリミサト

漫画家。2004年デビュー。『凪のお暇』(秋田書店)、『黄昏てマイルーム』(KADOKAWA)、『燃えよあぐり』(小学館)連載中。2019年に『凪のお暇』、2021年に『珈琲いかがでしょう』『ひとりで飲めるもん!』がドラマ化したことでも話題に。

Twitter:@konarikinoko

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編集:はてな編集部

セルフケアでメンズ美容を始めたら、価値観が変化した|「僕メイク」原案・鎌塚亮さん

自己肯定感が低い場合、どうセルフケアすればよいのか? 鎌塚亮さんに聞くセルフケアのヒント

日々生活や仕事に追われていると、ついつい後回しにしてしまいがちな自分のこと。体調が優れなかったり、ストレスやモヤモヤが溜まっていることに気づき「なんとかしたい」と思っても、どうすればいいのか自分でも分からない……という人は少なくないのではないでしょうか。

そんな「なんとかしなきゃ」という思いから、運動、日記、スキンケア・メイクなど、自分に合うものを求めてさまざまな「セルフケア」を実践してきたのが、会社員の鎌塚亮さんです。

30代に入ってからの体の変化をきっかけに、セルフケアを意識するようになったという鎌塚さん。今回はセルフケアを続ける中で感じたその重要性、変化したことに加えて、セルフケアのハードルにもなりがちな「自身との向き合い方」への考えなどについてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

自分の手が届く範囲で状況をちょっとだけ“マシ”にできればいい

鎌塚さんはさまざまなセルフケアを実践し、その様子を「週末セルフケア入門」と題して発信されています。「セルフケア」を意識するようになったきっかけは何だったのでしょう。

鎌塚 亮さん(以下、鎌塚) 30歳を過ぎてから自分の体調が変わってきたことに気づいて、体調管理の必要性を実感したのが最初のきっかけです。具体的に言うと、20代のときはスッと抜けていたお酒がなかなか抜けなくなってきたという、ちょっと情けない理由で……。

(同席していた30代半ばの「りっすん」編集部員)分かります……。

鎌塚 ずっと自分はお酒に強いタイプだと思い込んでいたんですが、よくよく思い返してみると昔からわりと二日酔いをしていて、「あれ? もしかして弱い?」と気づいて。お酒が弱いという前提で飲み方を変えたら、体調が上向いてきたんです。

でも、お酒はすこし調整できるようになっても、それ以外に何をすれば自分にとっていいかがまったく思い浮かばなかった。そのときに、僕って自分自身のことを全然知らないな、そろそろモードチェンジしようと思い、いろいろなセルフケアを実践してみるという趣旨のnoteを書き始めました。

鎌塚亮さんの「週末セルフケア入門」(note) 整理する、花を飾る、パジャマで寝るなどさまざまな方法を試した

どれもすごく興味深かったです。ただ……実は「セルフケア」ってとても難しいと思うんです。「まずはありのままの自分を愛して」というメッセージが掲げられがちで、その言葉自体はすばらしいものだけど、中には「自分を肯定する」ことそのものが難しい、という人もいるのかなと。

鎌塚 そうですね。僕は、自分ひとりだけで自分を肯定するということはとても難しいと考えています。

でも、部屋が散らかっているよりはほんの少しでもきれいな方が落ち着くとか、肌がガサガサな状態よりはしっとりしている方がテンションが上がるとか、自分の手が届く範囲内で状況をちょっとだけマシにできる方法がセルフケアなのだと思っていて。

なるほど、そう考えると少しハードルが下がる気がします。それでも抵抗を感じてしまう人は、例えばどのようなセルフケアを始めるのがいいと思いますか。

鎌塚 何かを新しく始めるんじゃなく、何かを「しないでおく」と考えてみるのはどうでしょうか。

例えばスマホを夜は見ないでおくとか、メールの即レスをやめてみるとか。本当はしたくないのにさせられてしまっていることがないかを、考え直してみるというのはありなんじゃないかと思います。

セルフケアを続けると「自分のキャパシティ」が見えてくる

「しないでおく」という考え方、確かに大切ですね。一方で、それを「している」状態に慣れ過ぎていると、やめることにもなかなか勇気がいりそうです。

鎌塚 そうですね……。やめよう、と高らかに宣言することは簡単かもしれないけど、自分だけを基準にしていては生活が回らないという現実もありますから、そう単純にはいかないこともありますよね。そこはうまく折り合いをつけていくしかない、とは思います。

ただ、僕自身は「しないでおく」ことに対してあまり罪悪感を覚える必要はないと思っているんです。

というと?

鎌塚 セルフケアを続けていると「自分にできるのはだいたいここまでだな」というのがだんだん分かってくるんですよ。「自分が気持ちよく飲めるお酒の量は◯◯くらい」だとか「自分は1日◯時間以上働くと、次の日ボーッとしてしまう」みたいなことが徐々にはっきりしてくる。

自分はすでに精いっぱいやっている、これ以上はできない、というのが分かってくると、例えばそこから先は私たちの生活を保証する義務がある政治や社会、あるいは会社のほうで改善すべきことなんじゃないか、とも考えられるようになる。

自分のキャパシティが見えることで、必要以上に抱え込んでしまっていたものに気づいたり、気持ちが楽になることもありそうです。

鎌塚 セルフケアをしてみて分かったのは「人間、ひとりでそんなにいろいろなことはできない」ということでした。僕がさっき「やめる」ではなく「しないでおく」という言い方をしたのも同じで、きっぱりやめる、一切しないみたいなことってやっぱり難しいと思うんです。

セルフケアって「今日のところはお酒を飲まないでおこう」みたいなことがちょっとずつ続いて積み重なっていく、ということでしかないと思っています。一発逆転で新しい自分になるぜ、なんて思うと必ず失敗する。少なくとも、僕自身はそんなことできたためしがないです。

セルフケアの様子を発信する中で、どんな反響がありましたか?

鎌塚 ありがたいことにネガティブな反応はまったくなく、特に同じ問題に突き当たっているであろう同年代からは「わかる~!」「超それ~!」という反応が多かったですね(笑)。

参考にしたいからどんどんやってほしいとも言ってもらえたし、セルフケアにまつわるさまざまな情報や、アイデアももらえました。

他者からアドバイスを受けて気づいたことはありましたか。

鎌塚 いろんな人の話を聞いてみて、僕はたまたま「セルフケア」という言葉でそれを表現したけど、自分をいたわるために何かをする、ということ自体は意外とみんなやってるんだなと気づかされました。

あとは自炊、散髪、靴磨きなどいろいろなアイデアを勧めてもらい、それをひとつひとつ試していく中で、どんなやり方が自分にあっているかも少しずつ分かっていったんです。

僕にとっては、日記や文章を書くことを通じて自分との関係を見直す、ということそのものがセルフケアにつながっている感覚を強く感じるようになりました。

鎌塚亮さんの「週末セルフケア入門」(note)

身の丈にあった、自分の体にとって心地いいと思える美容をやればいい

実践されたセルフケアの一つに、スキンケアやメイクなど「美容」がありますよね。その様子は「メンズメイク入門」としてWebメディアでも発信されていました。「美容」に興味を持ったのはなぜなんでしょうか。

鎌塚 実は薄々、いわゆる「男らしくないこと」の中にセルフケアのヒントがあるんじゃないか、と感じていて。

どういうことでしょうか?

鎌塚 いわゆる「男性文化」の中には、自分で自分をケアするという発想があまりないんじゃないか、と。もちろん男性が全員そうというわけではなく、少なくとも僕自身は「自分はお酒が強い」という思い込みのように、無自覚のうちにマッチョな思考や価値観に自分の選択肢を寄せていた面があったかもしれない、と思ったんです。

中には毎食の食事を家族に作ってもらうとか、職場で部下にちょっかいをかけるなど「他人にケアを投げる」ことで自分のケアをしてもらおうとする人もいますよね。

他人を頼ること自体はもちろん悪くないのだけど、ケアを丸投げするのは違う。そういう文化を反省するためにも、男性である僕自身が、それまで自分にはまったく関係ないと思っていたことを試してみるといいんじゃないか、という意識がありました。

鎌塚さんにとってその最たるものが「美容」だったんですね。実際に美容を始めてみて、どんな変化がありましたか?

鎌塚 「とりあえず、化粧水と乳液つければ保湿できるっしょ」と思いまずはスキンケアから始めたんですが、そんなことはまったくなくて(笑)。ベタつきが苦手だった乳液も、いろいろ試してみるうちに「自分の場合は乾燥を防ぐためにすこしこっくりした乳液を選んだ方がいい」というのが分かってきました。

次に「メイク」を試してみたんですが、はじめはファンデーションやリップ、それ以上のカラーメイクに関して少し抵抗を感じて。自分の中に「メイクは女性のもの」という固定観念があった、ということに気づかされました。

そういう試行錯誤を通じて、自分の先入観とはすこし違う場所にたどり着けたんじゃないかなと思います。

自己肯定感が低い場合、どうセルフケアすればよいのか? 鎌塚亮さんに聞くセルフケアのヒント 最近の愛用アイテム。画像左からアンブリオリス モイスチャークリーム(保湿・下地クリーム)/ボッチャン スキンパーフェクター マット(肌補正クリーム)/ラッシュ ティーツリーウォーター(化粧水)

価値観を見直すきっかけになったんですね。固定観念による抵抗感がある中でも、前向きにさまざまな美容を試されているのがすごい……!

鎌塚 もちろん、初めてのことですし戸惑いや葛藤もありましたよ。でもYouTubeや本など、いろんなものに教えを請いながら続けることができました。

あとは、妻のアドバイスや反応にすごく助けられました。スキンケアやメイクに対して知識のある妻が、いろいろアドバイスをくれた上で「いいね」と言ってくれるのが、戸惑いを打ち消してくれた側面は大きかったです。

家族や友人、同僚など、身近な人にアドバイスや「褒め」をもらえるとモチベーションにもなりそうです。一方で、男性が美容に興味を持つことを揶揄したり、「自己愛の強い人」というラベリングをしてくる人もはいるのではないか、と思うのですが……。

鎌塚 美容の実践を公の場で発信することで揶揄する人がいるかもしれない、というのは覚悟していました。なので、もしそういうことが起きたら、その相手とはもう付き合わないでおこうと先に決めていて。

でも実際には、からかってくる人はほとんどいなかったです。むしろ、同僚からこっそりと「スキンケアのことを教えてほしい」と言われたり、もともと美容感度が高かった人から「フェイスマッサージがいいよ」と教えてもらったりで。

そういう反応はうれしいですね。

鎌塚 これまでは、男性がそういう話をできる場自体がほとんどなかったんだと思うんです。美容のことをうっすら気にしたり、試行錯誤したりしているのに、それを話すと男らしくないとか、誰かに後ろ指をさされるんじゃないか、と感じてしまう。

だからこそ、実はここにいろいろ試している人がいるぞ、と僕が公にしたことで「実は自分も気になっていた」という声が集まってきたのかな、と感じています。やっぱり人って、知識や実体験が目の前にあるとすこしずつ変わっていくことも多いですし、周りのそういった反応にはホッとしましたね。

個人的に、美容って「肌がしっとりしていると落ち着く」「好きなメイクだとテンションが上がる」という感覚からスタートしたはずなのに、いつの間にか他者の目を気にしがちな気がしていて……。

鎌塚 その感覚は、とてもよく分かります。セルフケアの美容、とは言いつつも消費を煽られているような側面は確かにあって、「自己肯定」という言葉もいつの間にか、自分の容姿や身だしなみの責任は全て自分にある、という自己責任論に引っ張られつつあるのを感じています。

メンズ美容も「できるビジネスマンは肌にも手を抜かない」とか「美容は仕事の生産性アップにもつながる」というような側面ばかりがフォーカスされてしまうのはあまり歓迎できないと僕は思いますし、意識して距離をとらなきゃいけないのかなと思いますね。

なるほど。

鎌塚 でも、美容も含めファッションというものは全て個人的であると同時に社会的なものでもあるんです。ふたつをパキッと切り離すのは難しいからこそ、その中でバランスをとっていくしかない。

僕自身も「人によく見られたい」という気持ちはもちろんあります。だけどそれよりも、自分の身の丈にあった、自分の体にとって心地いいと思える美容をやればいいのかな、と思っています。セルフケアとしての美容であれば、それで十分なのかなと。

自己肯定感が低い場合、どうセルフケアすればよいのか? 鎌塚亮さんに聞くセルフケアのヒント

セルフケアに飽きたときはやめればいい

鎌塚さんの美容にまつわるエピソードは、「僕はメイクしてみることにした」というタイトルでマンガ化されました。試し読みのツイートが約3万RTされ、単行本も重版がかかるなど大きな反響を集めており、これからより多くの人に届いていくことになるかと思いますが、今のお気持ちは?

鎌塚 率直に言って、すごくドキドキしています。作画は糸井のぞさんが担当してくださったんですが、僕は糸井さんの描く「一朗」が大好きで……。彼はこれまで一切スキンケアやメイクをしてこなかったにもかかわらず、いろんな人のアドバイスを素直に受け入れるし、どんな人にもフラットに接する。そこは自分も見習わなきゃなって感じます。

「僕はメイクしてみることにした」(著:糸井のぞ、原案:鎌塚亮) 『僕はメイクしてみることにした』
(C)糸井のぞ・鎌塚亮/講談社

【あらすじ】前田一朗、38歳、独身。平凡なサラリーマン。ある日、自分の疲れ切った顔とたるんだ体を見てショックを受けた一朗は一念発起、スキンケアやメイクを始めてみることに! コスメ大好き女子の“師匠”タマとの出会いや、ノーメイクを選択する同僚の真栄田さんとの交流を通して、一朗は自分を労ることの大切さやメイクの楽しさに目覚めていく。そして、男らしさの呪縛にとらわれる親友の長谷部と衝突するのだが……。

▷1話試し読み/▷単行本

作中で一朗が「ちょっと飽きちゃったかなって思う時とかあるんですけど」とこぼしながらスキンケアやメイクを続けている、というシーンがありますが、あれがすごくリアルで。美容って力を入れると“負担”にもなりますよね。

鎌塚 あの台詞、僕もすごくいいなと思っているんです。

やっぱりセルフケアって、なんであれひと回りやると飽きるんですよ。飽きたらやめればいいし、またやりたくなったらやればいい。そういうふうに、身軽に付き合っていければいいんじゃないかと思います。

自己肯定感が低い場合、どうセルフケアすればよいのか? 鎌塚亮さんに聞くセルフケアのヒント 『僕はメイクしてみることにした』
(C)糸井のぞ・鎌塚亮/講談社

バランスが大事ですね。ほかに鎌塚さんのお気に入りシーンを教えてください。

鎌塚 作中、男性の美容に対して最初は否定的だった長谷部というキャラクターが、一朗のあり方に感化されて、彼の真似をしてみるとすこし楽になれるんじゃないかと思い始めるエピソードがあるんですが、それもいいなと。

やっぱり人って自分ひとりで自分を変えるのは難しいし、そんなにいろいろなことはできないと思うのだけれど「あれをやったら楽になるのでは?」ということが見つかると、試してみようかなと思える。

それは決して義務ではないんですが、自分を楽にできるのはすごくいいことだと思うので、そういうふうに感じる人がこの作品を通してすこしでも増えるといいな、と思いますね。

取材・文:生湯葉シホ(@chiffon_06
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:鎌塚 亮さん

鎌塚 亮

会社員。30代になってから、飲酒量を減らす・日記をつける・ボクシングジムに通うといった「セルフケア」を始め、その実践の様子を「週末セルフケア入門」と題したnoteで発信。セルフケアの一環として始めた「スキンケア」や「メイク」についてのWeb連載が人気を集め『僕はメイクしてみることにした』(マンガ・糸井のぞ)としてマンガ化される。同作は2022年2月に単行本化された。

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「しあわせは食べて寝て待て」作者・水凪トリさんに聞く。もっと働きたい気持ちにどう向き合う?

「しあわせは食べて寝て待て」作者・水凪トリさんに聞く。もっと働きたい気持ちにどう向き合う?

年齢を重ねてくることで直面する体調やライフステージの変化。かつてはフルタイムでバリバリと働いていた人でも、働き方や生活を見直さざるをえなくなるタイミングがどこかでやってきます。そんなとき、「元気だったらもっと働けたのかな」「あと少しだけでも働けたら稼げるのに……」とモヤモヤとした気持ちを抱いてしまうこともあるかもしれません。

漫画『しあわせは食べて寝て待て』は、病気を経てこれまでのような働き方や生活ができなくなり、パートタイムで働きながら、薬膳や軽いストレッチなどを取り入れた無理のない暮らしをするようになっていく主人公・さとこを描いています。作者の水凪トリさんは、さとこと同じ病気を実際に経験されたことをきっかけに、本作のアイデアを思いついたと言います。ご自身も体調を顧みず働いていた時期が長かったという水凪さんに、体と仕事のバランスについて、お話をお聞きしました。

漫画を描く楽しさを、療養中に取り戻した

『しあわせは食べて寝て待て』コマより

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

【STORY】主人公は免疫系の病気を持つ麦巻さとこ(38歳)。かつてはフルタイムでバリバリと働いていましたが、体調を崩しやすく現在は週4日のパートが限界に。「毎日働けなくて困っている」という悩みも、医者からは「婚活でも」と心ないことを言われてしまうさとこ。収入が下がり「マンションを買う」計画も絶たれ、家賃を抑えるために団地へ引っ越すことに。隣に住む大家の鈴さん(92歳)、その息子だという司に薬膳の知識を教わり、団地での穏やかな暮らしを始めてから、徐々に鬱々としていた毎日に変化が……?

『しあわせは食べて寝て待て』は、病気になられてからの自分の様子を漫画にした、と伺いました。本作の主人公・麦巻さとこには、水凪さんご自身が投影されている部分も多いのでしょうか?

水凪 そうですね。さとこは半分自分みたいな感じで、物語を動かしてもらうキャラクターとして描いています。

実は私自身、さとこと同じ膠原病なんです。病気が発覚してからいろいろと試すうち、薬膳を実践してみたら調子がぐっとよくなりまして。いまのこんな自分の様子を漫画にしたらいいんじゃないかと思い立ち、描き始めたのが『しあわせは食べて寝て待て』でした。

スルスルと3話分くらいネームができて、じゃあこれをどこに持ち込もうかと考えていたら、偶然にも『エレガンスイブ』の編集部の方が「これから薬膳を食べにいきます」とInstagramに投稿しているのが目に入って。ここならいいかもと思い、すぐに原稿を郵送しました。あとから聞いたら、実はその投稿をされていたのが、いまの担当編集の菅原さんだったらしいんです。

連載は、すぐに決定したそうですね。

担当編集 菅原さん 久しぶりにこんなにいい雰囲気の漫画を読んだなと思って、一目惚れのような感じで……。すぐに水凪さんにご連絡し、女性の生活や体についての作品が多い『フォアミセス』での連載を提案させていただきました。

ワーカホリックだけれどどこか憎めないパート先の上司・唐(から)や世話焼きな大家の鈴など、本作にはほかにも魅力的なキャラクターがたくさん登場しますが、水凪さんが特にお気に入りのキャラクターはいますか?

水凪 唐は変わっているけれどそれをまったく気にしないキャラとして描いていて、私も気に入っています。鈴と居候の司もいいですよね。実家の母と兄がまさに鈴と司のような関係なので、身近で描きやすかったです。持ち込みをしていたときも男子がおばあさんのところに家事修行に行くという漫画を描いていて、鈴と司のようなキャラクターはその頃から好きでした。

『しあわせは食べて寝て待て』コマより

作中に登場するキャラクターたち
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

水凪さんは、これまでもほかの名義で漫画家として長らく作品を描かれてきたそうですね。『しあわせは食べて寝て待て』は、ペンネームも絵柄も変えた上で臨んだ作品だとお聞きしています。

水凪 ちょうど何年か前は、お金に関するシリーズものの漫画を描いていました。お仕事をいただけること自体はありがたかったのですが、実は数年にわたって具合が悪い状態が続いていて。資料をたくさん読む必要がある仕事だったのと、同時期に病気になってしまった両親のサポートが始まったこともあって、当時は本当に大変でした。

ある日新聞を読んでいたら、突然、いくら目で字を追っても頭に内容が入ってこなくなっちゃって。調べてみたらうつ病の症状の可能性があると出てきて、そういえばこのところずっと鬱々としてたな、と思ったんです。

それでようやくシリーズ企画ものの仕事をやめさせてもらえたのですが、しんどい状態が長く続いていたので、漫画もあまり好きじゃなくなっていて、他の作品を描いてみても自分で面白いと思えなかったんですね。これじゃまずいと思い、2016年頃から心機一転、絵柄も変えて持ち込みを始めたんですが、それと同時に膠原病が発覚してしまって。

具合が悪い状態が何年も続いていたとのことでしたが、ご病気にはどうやって気づいたのでしょうか。

水凪 ひどい関節痛が続いていたんですが、レントゲンを撮ってみても特に異常は見つからず、「歳のせいだ」と言われるばかりで……。当時はこのまま寝たきりになって死ぬんじゃないかと思っていたので、安楽死が法律で許可されている国に移住できるように貯金しようと本気で考えていたくらいでした。ただそのとき、通っていた整体で「もしかするとリウマチかもしれないから、病院で血液検査をしてもらってください」と言われて、その検査をきっかけに病名が発覚したんです。難病だと言われたときは正直、原因がわかってホッとしました。

たしかに、原因がわからない体調不良がいちばん怖いですよね。

水凪 そうなんですよ。療養を続けるうちに耐えられないほどの痛みはしだいに治まってきました。それに、持ち込み作品を自由にゆっくりと描けるようになったおかげで、漫画を描く楽しさが戻ってきました。ただ最初の数年は、持ち込んでも毎回ボツになっていましたが(笑)。でも、持ち込みをしていたうちの一社の出版社が薬膳の本を紹介していたのが、薬膳を意識するようになったきっかけでもあるんですよ。

体調を大事にするために。余裕があっても作業を切り上げる

水凪さんご自身は、ご病気を経て生活や働き方に変化はありましたか?

水凪 やっぱり無理はしないようになりましたね。私の場合は描きすぎると手や体が痛くなるのがわかっているので、1日のうちこのページ数以上は描かない、というのを決めていて、朝から仕事を始めてもだいたい17時くらいには切り上げるようにしています。ときどき忙しいと夜まで描くこともありますが、それもだいぶ減りました。

これまでは「まだ余裕はあるけど、このあたりで作業を切り上げておこう」とは微塵も思わず、倒れるくらいまで仕事していたので、振り返るとそりゃ病気にもなるだろうなと思います。

……ただ生々しい話、私はコミックスを出していただいていたりするので少しは余裕があるものの、これがもしもっと若いときだったり、まさに金銭的に困っているような状況だったりしたら、「あと3ページだけ余分に描けたらもうちょっと稼げるのに」と悩むんじゃないかと思うんですよ。それこそ、主人公のさとこが「もう1日多く働けたらいまよりも稼げるのに」と思うように。私もときどき焦ることはありますけど、やっぱり物理的にいま以上に働くのは難しいですからね。

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

作中では、思うように働けないもどかしさや、金銭的な余裕が少なくなったさとこの様子も非常にリアルに描かれていますよね。フルタイムの正社員だったときには買えていたデパートのコスメがいまは買えない、というような……。

水凪 実際に、デパートで買っていた基礎化粧品が気づけばドラッグストアのコスメになっている、というのは経験していて。私はある程度歳をとってから病気になったこともあってか「別にいいか」とも思えたんですが、これがもっと若いときだったらいま以上に悩んだろうなと思います。

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

作中では、病気をきっかけに休職・転職したさとこが、同僚や医師、親などから心ない言葉をぶつけられ、落ち込んだり肩身の狭い思いをしてしまう様子も描かれています。こういったエピソードにも、水凪さんご自身の経験が反映されていたりする部分はありますか?

水凪 体調のせいで毎日バイトに行けなくて困っている、というさとこの言葉に医師が「まあ婚活でもして……」と返すシーンがあるんですが、あれに近いことは私も実際に言われたんです、「まあボーイフレンドでも作って……」と。こんなに具合が悪いのにどうやって作るんですか、とそのときは笑ってしまったんだけど、あとからすごくモヤモヤしましたね。

『しあわせは食べて寝て待て』コマより『しあわせは食べて寝て待て』コマより

作中では、単身者であることによる心ない言葉をかけられることも
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

いや、それはモヤモヤして当然だと思います!

水凪 あと、病名が判明したときにはまだ他の雑誌でも漫画を描いていたんですが、はじめは担当編集さんに病気のことを言っていなかったんです。でも、作業量の多さが徐々に厳しくなってきたので「実はこういう病気で……」と軽く伝えたら、「では、これからは締切までに描いてもらうのではなく、漫画を仕上げていただいてから掲載する日程を決めますね」と言われて。

心配してくれているからこその対応とも捉えられるのですが、漫画家の場合、新人以外はあまりそういう仕事の進め方をしないんです。病気になっていちばんショックだったのはそのときかもしれないですね。サラリーマンが早期退職を促されるときってきっとこういう気分なんだろうな、と思いました。

「働けていたとき」のことを思い返すさとこ。
大変ではあったものの、やりがいを感じていたことが伺える
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

なるほど……。病気のことを職場の人に伝えるかどうか、伝えるとしたらどの人にまで言うかというのは悩みどころですよね。さとこも最初、上司の唐以外にはオープンにしていなかったですもんね。

水凪 そうなんですよ。特に会社勤めの方だとチームで動く仕事も多いでしょうし、いつ言おうかとか誰に言おうかですごく悩んでしまうんだろうな、と思います。

水凪さんの場合、いまは編集部の方に対してもご病気のことをある程度オープンにされていますよね。これまでと比べて、働きやすさはいかがですか?

水凪 いまはありがたいことに、なんの不自由もなく描かせていただいています。打ち合わせでも少し先の展開まで相談させてもらえているので、ネームが最小限で済んで、手にあまり負担がかからないのがありがたいですね。おかげさまで体調も落ち着いているので、いまは日々の生活に気をつけるという基本的なことを大切にしています。

悩みや不安の「波」を受け入れ、できるだけ気を紛らせる

作中で登場するお粥
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

いま「生活に気をつける」というお話がありましたが、具体的にはどんなことを意識されているんでしょうか?

水凪 まずは体の循環をよくすることかなと思っているので、ごはんのあとはなるべく少し動いたり、体がだるいときはいつもより多めにウォーキングをするといったことを意識しています。精神的な不調も体の循環をよくすると上向くことが少なくないので、作中でも、さとこが落ち込んだときはよくストレッチさせたりしてますね。

作品にたびたび登場する薬膳も、日常的に取り入れられていますか?

水凪 最近は朝ごはんにお粥を食べるのを習慣にしています。舞茸とかれんこん、きくらげといった自分に合う食材をばんばん入れるだけの簡単な料理なのですが、鼻に蒸気が入ってすっきりするんですよ。朝あたたかいものを食べるのは、喉の悪い人にはいいんじゃないかな。朝は体を冷やしたくないので、私の場合はヨーグルトなども朝には食べないようにしています。とはいえ季節が変わるごとに手に入りやすい食材も気分も変わるので、わりといい加減な感じではあるんですが……。

水凪さんのInstagramより。お粥には、体調にあった食材を一つ入れるようにしているとのこと。

あまり厳密なルーティーンにすると、忙しいときや飽きてしまったときにつらくなりそうですもんね。

水凪 そうなんですよ。忙しいときほど体をいたわったほうがいいとわかっていても、作中で出てくるような大根をかじって頭痛を和らげる、みたいな余裕はどうしてもなくなってしまうんですよね。

実はこんな漫画を描いている身で恥ずかしいんですが、少し前まで頭痛薬を飲みすぎてしまっていて、医師に「このままだと薬の飲みすぎで頭痛がひどくなるよ」と注意されまして……。それ以来、目の前の症状に闇雲に対処しようとするんじゃなく、できるだけ根本的な原因がどこにあるのかを考えるようにしています。私の場合は鼻の奥が腫れることが頭痛につながっていたようだったので、アレルギー薬をときどき飲むという対処法に変えたらだいぶよくなりました。

なるほど。あくまで自分にとって続けやすい習慣や対処法を見つける、ということが大切ですよね。

水凪 やっぱり簡単じゃないと、なかなか続けられないと思うので。先日美容室に行ったら、美容師さんが「朝は忙しいから肉まんを食べてます」っておっしゃってたんですが、それはたしかにすぐに食べられるし体もあたたまるし、いいアイデアだなあと思いましたね。

病気を経て生活や働き方を変えざるを得なかったことや、同年代の知り合いと比較し「気が重い」と吐露するさとこに、大家の鈴が「新しい自分になったのだって考えてみる」と伝えるシーンがありました。水凪さんご自身はいま、病気を経て生活が大きく変わったことをどのように捉えられていますか?

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

水凪 病気は嫌だし、できたらなりたくなかったというのが本音です。ただ、病気に関する悩みや不安が襲ってくるときには波がある気もしていて。「どうして自分は思うように働けないんだろう」とか「自分以外の人たちは楽しそうにしているのに」みたいな気持ちしか沸き上がってこないタイミングというのは、どうしてもあるんですよ。

……でも、ちょっと話がそれるかもしれないんですが、この前テレビのドキュメンタリー番組で、フルーツ農園を経営しているご家族が紹介されていたんです。そのご家族のひとりが果物を箱に詰めているときに、おそらくリウマチかなにかで手が変形しているのが映ったんですが、そんなにつらそうに作業されているようには私には見えなくて。その方の様子を見たときに、「あ、病気でも働けるんだ」とふと思えたんです。

自然な様子を見て、励まされるような感覚だったのでしょうか。

水凪 そうかもしれません。だから、そういう小さなことの積み重ねで「少しだけ頑張ってみよう」と感じることもあるんじゃないかと思うんです。悪い波がくることもあるけれど、そうやって前向きになれるちょっとしたヒントに出会うこともあるので、あんまり絶望的にならずにいたいですね。

病気だけでなく、さまざまな事情で「がんばりたくてもがんばれない」状態になる可能性は誰もがあると思います。そうした場合でも、必要な考え方かもしれないですね。

水凪 そうですね。どうしてもネガティブな気持ちになってしまうときはあるけれど、そういう気持ちになること自体は仕方がない。その上で、できるだけ気を紛らわせるように工夫することが大事なのかなと思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

思うように働けない、と悩んだら

もし病気になったら、働き方はどう変わる? クローン病と診断されたカメダさんに聞く「治療と仕事の両立」
「みんな頑張っているから休めない」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで
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仕事でベストを尽くせない産後の私を支えてくれたのは、誰かが記した「弱さ」だった
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フルパワーで頑張れない「のんびり働く」派の私が、仕事で意識しているたった一つのこと
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「働く」のは基本しんどいし、世の中「輝いている」人ばかりではない 肯定する部分を見つけてみる
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お話を伺った方:水凪トリさん

水凪トリ

2019年、思い立って持ち込みした原稿が即連載決定し、現在、月刊フォアミセスで『しあわせは食べて寝て待て』を、ウェブコミックサイトsouffleで番外編「休日はおウチぐらし」を連載中。
Instagram:@mizunabe46 Twitter:@mizunagitori

“休み方迷子”を抜け出すためには日常の「深呼吸」が必要だった――HAA代表・池田佳乃子

池田さん

日々の忙しさに追われていると「休む」のが難しいと感じることはありませんか? 「職場から帰宅してもつい仕事のことばかり考えてしまう」「テレワークしていると休むタイミングがつかめない」など、オンオフの切り替えができず、休息をとれないままでいる……なんて人も少なくなさそうです。

休む必要性は感じつつも「何をすればいいのか分からない」「寝るだけで休日が終わってしまう」という人は、まずは自分にとって「一息つける方法」を知ることが大事なのかもしれません。

生まれ育った大分県別府市で、日本古来の湯治文化を取り入れた商品やサービスを開発するブランド「HAA」を立ち上げた池田佳乃子さんも、かつては「休み方が分からない」一人でした。現在は「日常に、深呼吸を届ける」をミッションに活動する池田さんですが、以前は広告代理店で毎日夜中まで働く多忙な生活を送っていたといいます。

深呼吸とはほど遠い毎日の中で、「休む」ことの大切さにどう気付いたのでしょうか。ご自身の経験とともに、忙しい日常で一息つくための方法を語っていただきました。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

「休みが必要だ」という実感すらなかった代理店時代

「HAA」を立ち上げる前は東京の広告代理店で働かれていたと伺いました。一般的にはいわゆる“激務”なイメージがありますが、当時の働き方はどんな感じだったのでしょうか。

池田佳乃子さん(以下、池田) 連日深夜まで働いてタクシーで帰るような生活でした。振り返ると明らかに働き過ぎでしたが、当時はまったく自覚がなくて……。先のことを考える暇もなく、ただ目の前のことに一生懸命取り組もうとがむしゃらに突き進んでいた感じでしたね。

毎日夜中まで……。それは心身共にかなりキツそうです。

池田 今思うと「体にキてたな」と感じることはいろいろあります。よく覚えているのは、常に携帯が鳴っている気がしていたこと。「あ、電話だ」と焦って携帯の画面を見ても、実際には着信がない……鳴っていないのに鳴っているように聞こえていたんですよね。ずっと交感神経がオンで、仕事への意識を張り詰めた状態だったんだと思います。

ただ、もともと広告の仕事に憧れがあったので、当時はいわば「理想が叶った」状態。「今私は広告業界で働けてるぞ」という気持ちが原動力になっていた部分はありました。夢を持って地方から東京に出ていたので、そういう気持ちは強いほうだったと思います。

池田さん

そのような環境でもやってこられたのは、当時から休むことが得意だったからなのでしょうか?

池田 いえ、自分に休みが必要だという実感すらなかったですし、そもそも休み方もまったく分かっていなかったです。いつ身体を壊してもおかしくなかったと思います。「休む」といえば、どうしていたっけな……。せいぜいコタツでみかんを食べるとか、あとは美術館に行くくらいでしたね。

確かに、忙しくもなんとかやれてしまっていると、なかなか「休む」ことの必要性には気づきにくいのかなと思います。

池田 当時はまったく気付けなかったですね。夫と結婚する前の話ですが、あまりにも忙し過ぎて、「もう無理!」と彼の前でパニック状態になってしまったことがあったんです。彼はそんな私をなんとかなだめようと「分かった! もう分かったから、結婚しよう!」って突然プロポーズしてくれて(笑)。そこで「あ、はい」と冷静になれたんですが……。そういう予想外の球が飛んでこないと落ち着けないほど、当時は仕事一辺倒になっていました。

自然に深呼吸ができたとき「休む」大事さを知った

多忙な生活から「休み方」を意識し始めたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

池田 「休み方」を考えるようになった大きな転機は、2018年に東京と別府の二拠点生活を始めたときだと思います。

別府と東京との二拠点生活は、どのような成り行きでスタートしたんですか?

池田 当時結婚したばかりの夫は建築家で、周りにもクリエイティブな仕事に就いている人が多くて。彼らが自分の名前で仕事をする一方、会社員の私には、自分で成し遂げたことを聞かれても答えられるものがない。それがずっとコンプレックスでした。そんな私を見た夫が「(故郷の)別府に行って自分で仕事を作ってみたら?」と。

元々代理店時代に地域創生の仕事をしていたこともありましたし、ちょうど30歳になる年だったので「新しいことをやるぞ!」と前向きな気持ちで挑戦を決意しました。そこから別府と東京を行き来する生活がスタートして、もう4年目になります。

この4年の間に、別府の湯治文化を盛り上げるための場づくりや発信を続け、2021年には湯治を軸にしたライフスタイルブランド「HAA」を立ち上げました。

別府で過ごす時間を持ったことで、少しゆったりと毎日を送れるようになったのでしょうか。

池田 それが、実は別府1年目は人生で一番メンタルをやられた時期でもあったんです。相変わらず忙しくしていたし、環境にも慣れず、仕事をご一緒する方から厳しいお言葉をいただくことも多くて。当時は「東京に帰りたい」とばかり思っていました。

ただ、そうして悩んでいたあるとき、外を歩いていてぱっと顔を上げたら、目の前に海が見えたんですよね。その景色を見たとたんに自然に深呼吸ができて、いっぱいいっぱいの頭が解放された感じがして。自分に必要なのはこの時間だったんだ、と気付けた瞬間でした。

力の抜き方が分かった、ということでしょうか。

池田 そうですね……。思い返すと、東京にいたときは、気持ちを切り替えられるような「休む」時間をあまりとれていなかったんだなと。「池田さんって呼吸浅いよね」と言われたこともありました。ただ、別府にいると自然に深呼吸ができて。私の場合は東京と別府を行き来することで、自分のリズムを調節できるようになったというか。身体を調整する、いわゆる「休む」ためのバランス感覚がだんだん分かってきましたし、深呼吸する時間が大切だと思うようになりました。

大切なのは「いかに楽に休むか」

ゆったりと過ごせる場所でほっと一息つくのは理想的である一方、仕事や家庭の事情で環境を変えることが難しい人も多いと思います。そういった方が、今の生活の中で少しでもうまく「休む」ためにはどうしたらいいのでしょうか。

池田 過去の自分に置き換えて考えると、仕事に追われているときに「休みなよ」なんて言われても、たぶん「無理だよ」としか思えないですよね。「定時に仕事を終えて寝る」ができればもちろんそれがいいですが、現実的ではない人も多いと思います。

なので私の場合は、日常の動作の中にちょっとした「休む」を組み込んでいく方法をとっています。日常に、五感を少し鋭くさせる時間を作るといいのかなと思っていて。

「日常の動作に『休む』を組み込む」「五感を少し鋭くさせる」とは、具体的にどういうことですか?

池田 例えば、ランチの時間だけはスマホの通知をオフにして、よく噛んでじっくり味わって食べるとか。外にいるとき目をつぶってみて、どこからどんな音がするかをじっと聞いてみるとか。打ち合わせが続いて忙しい日は、移動中に信号待ちのちょっとした時間で深呼吸をするとか。私は今朝ハーブティーを入れるとき、お湯に色がついていく様子をぼーっと眺めてみました。

なるほど。日常の「休む」と聞くと「ひたすら寝る」「ストレッチをする」などを連想しますが、本当にちょっとしたことなんですね。

池田 大事なのは「いかに楽に休むか」。ちょっと変な言い方ですが、「休む」を無理しても続かないですよね。例えば私は、「早起きして散歩する」や「朝にゆっくりコーヒーを豆から淹れる」は絶対無理なんです。そもそも朝早く起きられないし、「洗い物が増える!」って思っちゃう(笑)。

なので、自分に無理のない方法で、食事、お風呂、睡眠など毎日必ずすることに、ひと息つける時間を組み込むのが現実的かなと思います。

「HAA」のプロダクトも、まさにお風呂の時間に深呼吸をするためのものですよね。

HAA

「HAA」の第一弾プロダクト、限りなく天然温泉に近い入浴剤「HAA for bath」。別府温泉で350年ほど前から作られている「湯の花」を原料とし、約3カ月かけて製造される

池田 そうですね。そして、細切れにでも力を抜く時間を作ると、自分を客観視しやすくなるんじゃないかと考えています。

それはどういうことですか?

池田 ブランドを立ち上げるとき、過去の自分のように心身ともに疲れている女性たちにヒアリングをしたのですが、一人の方が「いつも未来や過去のことばかり考えていて、『今の自分が何を感じているか』を考える時間を作ってこなかった」とおっしゃっていて。忙しいときって、まさにそうですよね。だから、今の自分の状態に気付くきっかけというか、「今私はこうなんだな」と、“今”にフォーカスする時間を作るのが必要なんだろうなって思います。

いかに自分の状態に気付いて、一歩引く瞬間を作れるか。「休む」にあたって、まずはそれが大切なのかなと思います。

瞑想にも近い気がしますね。ごはんを味わって食べる、目を閉じて周りの音を聞いてみるなど、意識的に深呼吸の時間をとることで「一歩引く瞬間」を作れる。

池田 それは仕事においても大切なことだと思っていて。目の前の仕事に対して「こうやらなきゃ」としか思えないとき、一歩引いて自分を客観的に見ることで「他のやり方があるかも」と視点が切り替わる瞬間がこれまでに何度もありました。

でも、休むことの必要性は頭では分かっている一方で、スケジュールがパツパツだと「休むのが怖い」「ここまではやりきりたい」と感じてしまうことがあります。

池田 「怖い」と感じる気持ちも本当によく分かります……。ですが、少しでも深呼吸の時間をとり、一度気持ちを切り替えたほうが意外に仕事もうまくいくというのは、自分の経験からも伝えていきたいなとは思うんですよね。

ただ、過去の私を振り返っても、忙しさの渦中にいる人にうまくそれを伝えるのは本当に難しいことも理解しているんです。だからせめて忙しい人には、「休みなよ」と伝えるより「スマホの通知を30分だけオフにして温かいお茶を飲んだら?」って伝えてみるとか……。

ギフト向けの「HAA for bath 日々」を作ったのも、そういった理由からです。パツパツになっている本人は自分の状態に気付けないので、周りの人が「これでゆっくりお風呂に入りなよ」と渡せるものがあったらいいなと。

HAA for bath 日々

大切な人へのギフトに最適な「HAA for bath 日々」。入浴剤の包み紙の裏に、さまざまな人の“日々”が日記のような短い文章で書かれている

心に余白を設けるためにも「深呼吸の時間」を大切に

ちなみに、ここまで忙しい毎日の中でもできる「休む」を教えていただきましたが、池田さんはがっつり休みたいときはどうしていますか?

池田 頭をすっきり切り替えたいときは湯治宿(とうじやど)に行きますね。やることが多くて頭が働かないとき、気持ちをうまく切り替えられないときは、数日間使って徹底的に休みます。

この前行ったのは、新潟県栃尾又温泉の「自在館」という湯治宿。まさに「休むための宿」で、36度くらいのぬるい温泉に一日4時間くらい浸かり、体にやさしい食事をとって、ひたすらごろごろして過ごすんです。

わあ、それは……理想的な休み方です。

池田 日常で細切れに休むのももちろん大切ですが、ときにはとことん休めたらいいですよね。私はお気に入りの湯治宿がいくつかあって、自然を感じたいときはここ、気軽に行きたいときはあそこ、と使い分けています。

ブランドを立ち上げたばかりでまだ忙しい日々が続くと思いますが、今後「日常に、深呼吸を」というコンセプトをどのように体現していきたいですか?

池田 私は“深呼吸マスター”と呼んでいるんですが(笑)、自分の整え方を知っている人って、実はすごくたくさんいるんです。私はまだ完全な“深呼吸マスター”ではなく、ちょっと分かってきた初心者レベル。マスターがいて、私がいて、深呼吸を日常に取り入れたい人がいて。HAAを通してみんなで一緒に、どうしたら日常に「休む」時間ができるのかを考えていきたいですね。

一人暮らしの方は、自分の状態を客観視しづらい分、「休む」ために仲間がいると良さそうだなと思いました。

池田 そうなんですよ。会社を立ち上げるときにブランドを紹介するブログを書いたら、同世代の方から「私にも深呼吸が必要だなって思いました」といったメッセージをたくさんいただいたんです。ひとりが声を上げたら同じ経験をした人たちが集まれるし、自分の状態を共有して、アドバイスしあったりできますよね。深呼吸マスターと一緒に「休む」を体感できるような「湯治リトリート」なんかもいいな、と妄想しています。

深呼吸ができると自分を客観視できて、心に少し余白ができる。そうすると人にやさしくなれる。だから、深呼吸を上手にできる人が増えたら、今よりやさしい世界になると思うんですよ。これから、そういう世界を実現できたらいいなと思います。


池田さん

取材・文:鼈宮谷千尋
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

忙しい毎日で“ほっ”としたくなったら

"疲れている自分"に慣れていませんか? 『何もしない習慣』著者に聞く「正しい休み方」
長引くテレワークで肩・腰・お尻の疲労が溜まっている方へ。指圧師が教える手軽な「座りながらストレッチ」
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「みんな頑張っているから休めない」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで

お話を伺った方:池田佳乃子さん

池田さん

株式会社HAA代表。生まれ育った大分県別府市で、日本古来の湯治文化を取り入れた商品やサービスを開発するブランド「HAA」を立ち上げる。2021年秋、同ブランド初のプロダクトとなる入浴剤「HAA for bath」をクラウドファンディングで先行発売。2022年1月より自社ECサイトにて正式発売をはじめる。
TwitterHAA公式サイト

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凝り固まったチームの関係性を良くするには? チームワーク研究者に聞く、「心理的安全性」のつくり方

村瀬俊朗さんトップ写真

働く中で、徐々に部下や後輩、外部パートナーを含む「チーム」をまとめるポジションに変化していく人も少なくありません。ただ、「はじめて部下ができたけど、接し方が分からない」「良い雰囲気をつくりたいけど、どうすれば……?」と迷うことはありませんか。コミュニケーションを円滑にしたいと思っても、どこかぎくしゃくしていたり、メンバーが意見を出してくれない状況が続いたりして、悩む人も多いのではないでしょうか。

そんなとき一つの鍵となるのが、近年耳にする機会が増えた「心理的安全性」です。エイミー・C・エドモンドソン教授によれば、心理的安全性とは「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のことで、成長をもたらす組織にとって重要な要素であると注目を集めています。

では「心理的安全性」をつくっていく上で、リーダーやマネージャーポジションの人はどんなことを意識し、凝り固まってしまったチームの関係性や仕事のしかたを変えていくことができるのでしょうか。チームワークやリーダーシップについて詳しい早稲田大学商学部准教授の村瀬俊朗さんにお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「弱さ」を見せることが職場内の信頼醸成につながる

近年、「心理的安全性」という言葉をよく聞くようになりました。村瀬さんは、解説を務められた『恐れのない組織』のなかで、「『心理的安全性』とは集団の大多数が共有すると生まれる職場に対する態度」であり、「周りと違う意見を言っても嫌な顔をされない」ことが心理的安全性の存在する状態であると説明されていました。そもそも、なぜこのような概念が注目を集めているのでしょうか。

村瀬俊朗さん(以下、村瀬) 僕の解釈ですが、2つの理由があると思っています。まず、変化の激しい時代に組織やチームが成長していくためには、働き方も社会の変化に応じて柔軟に変えていく必要が出てきたということです。

例えば、以前まで「男性は残業もいとわずに夜遅くまで働く」というあり方が一般的だったとすれば、夜遅くに会議を入れるのも当たり前だったかもしれない。でも、今は共働き世帯が増えていたり、時短で働きたい人がいたり、多様なニーズが存在するので、それでは困る人もいますよね。

じゃあそこに合わせて、どのように働き方や価値観などのパターンを変えていけるかと考えると、「ここを変えたい」「ここが気になる」という意見を誰でも言いやすい雰囲気が必要なんだと思います。声があがらない限り組織は変わらないので、そういった気づきをシェアするために心理的安全性が必要になってくる、というのが1つ目の理由です。

変化の激しい時代には、組織もその変化に適応していくことが必要になると。

村瀬 それからもうひとつの理由として、いろんな人たちからいろんな意見が出てくることは、イノベーションを起こすためにも重要なんです。アイデアというのはさまざまな要素の組み合わせによって生まれるものですが、その組み合わせのパターンが見慣れないものであるときに私たちは「新しいアイデアだ」と感じるんですよね。

ただ、私たちの脳は似た情報をまとめて同じ引き出しにしまっているので、ひとりの人間から出てきやすい情報の組み合わせには限度がある。だから、ひとりでいたり、いつも同じような人たちとばかり一緒にいると、似たようなアイデアしか出てこないんです。まったく違う立場からの多様な意見を組み合わせた方が、創造性のあるアイデアが生まれる可能性が高いですよね。そのためにも心理的安全性は重要と言えます。

村瀬俊朗さんインタビュー写真

なるほど。チーム内に心理的安全性を醸成したいと思ったら、チームメンバーからの信頼を得ることが必要になりそうですよね。リーダーやマネージャーポジションの人は、どんなことを意識すればいいのでしょうか?

村瀬 信頼には「感情面の信頼」と「認知面の信頼」のふたつがある、と分類されています。「認知面の信頼」は「この人には仕事を遂行する能力がある」と信じてもらえることなのですが、これは業務を通じて得ることができますよね。一方で「感情面の信頼」は、「この人は自分のことを裏切らないから、安心して意見が言える」と思われることです。後者の信頼を獲得することが、心理的安全性には重要なんですが、そのためには「弱さ」を見せることがひとつのポイントになってきます。

「弱さ」を部下や後輩に見せることにはためらいがある、という人も多そうですが……。

村瀬 ここで言う弱さというのは、例えば親友にしか打ち明けないようなプライベートの話という意味ではなく、「東京出身です」というような表面的な話からすこしだけ踏み込んだ話と考えていただければいいと思います。例えば、僕には2歳の子どもがいて、毎朝早朝に起きて仕事をしてるんですが、6時くらいになったら朝ごはんをつくって子どもに食べさせるんですね。でも全然食べてくれないことも多いから、すごく大変で……といった話であったり。

確かにそれをお聞きすると、大学教授としての村瀬さんの少し違う一面を知れた感じがして親近感がわきます。

村瀬 もちろん、仕事に関する話でも大丈夫です。例えば、「今まで言ってなかったけど、実は将来的にこんな仕事がしてみたい」「こういうお客さんとなかなか意思疎通が図れなくて困っている」といった話をしていくことが、感情面の信頼を高める上では大切なのかなと思います。そのためには会議や朝礼といったオフィシャルな場ではなく、インフォーマルな雑談の時間があると効果的なので、例えば2~3人ぐらいでランチをする、といった機会がときどきあるといいですよね。

「出社だけ」「リモートだけ」にこだわらず交流の機会を持つ

いま、出社ではなくリモート勤務が中心になっている企業も少なくないと思います。リモートの環境だと、雑談の場や時間をつくるのが難しくなりそうですよね。

村瀬 そうですね……仮にコロナの流行が落ち着いても、フルリモートのケースもあると思うのですが、出社というオプションがあるのであれば、定期的に対面の時間を設けてるのはいいと思います。やっぱり、同じ空間を共有した上で、チーム全体やメンバー一人ひとりの動きが見えた方が、関係性を築きやすいという側面はあります。

先日、ある企業の1年分の勤怠表を比較する機会があったんです。その企業ではリモート勤務か出社かを選べるのですが、出社の重複時間率、つまり社員の誰と誰が同じ時間に出社しているかのデータを見てみたところ、出社時間の重複が多くなるにつれ、チームとしてのゴールをしっかり認識したり、他のチームの情報を入手したり、振り返りにきちんと時間をとったりできている、ということも分かったんです。

同じ時間に出社している人たちが多いと、チームの関係性も築きやすくなるというのは確かにありそうです。

村瀬 ここで重要なのは、みんな好きなときにバラバラに出社するのではなく、仕事の関わり合いが深いメンバー数名ずつで出社のタイミングを決める、ということです。例えば、個々の事情にも十分配慮し、コロナ禍においては感染リスクにも留意する必要はありますが、「週に1度、この時間からこの時間はチームで集まる」と決めるとか。「出社」にこだわる必要がないように、「リモート」にこだわる必要もないと思うので、柔軟性を持ってそれぞれのいいとこ取りができるといいですよね。

それでも、「フルリモートでそもそも対面で集まる場所がない」という企業の場合は、よりこまめにコミュニケーションの場を持つことが重要になってくると思います。その場合は、業務内容だけでなく「働き方」に関しても定期的に時間を取った上で、改善の余地のある部分をひとつひとつ直していく地道な作業が必要になってくるのではないでしょうか。

なるほど。お話をお聞きしていると、チームの関係をよくしていこうと思ったら、リーダーポジションの人はもちろん、チームメンバー一人ひとりもそれを意識する必要がありそうですね。

村瀬 組織ってやっぱり上司ひとりががんばって変わるものでもなければ、メンバーだけで変わるものでもないんですよね。両方が歩み寄らないと難しい。

ただ、集団で行動するとき、最初の数名が動けば、あとのメンバーもオセロのようにすこしずつ変わっていくことも考えられます。根回しというと言い方は悪いかもしれませんが、なにかのイニシアチブをとるときに、まずは影響力のある人やムードメーカー的な人など、数名のメンバーをターゲットにして意思疎通をはかったり、信頼づくりをしておくというのは大事かもしれません。

はじめからチーム全体の関係をよくしようと思うのではなく、まずは数名に絞って声をかけるのが有効なんですね。

村瀬 それが現実的でしょうね。個別に時間をとって感情面の信頼をひとりずつ得ていくことで、個々の点が線でつながっていき、完全な面にはならないにせよ、ある程度全体をカバーできるような信頼が醸成されていくのではないかと思います。

心理的安全性を支えるための「仕組みづくり」

ここまで心理的安全性をつくるための信頼の醸成方法について伺ってきました。ただ、部下の立場からすれば、いざ上司とコミュニケーションを取るときに、ついなにも言えなくなってしまう人は多そうです。例えば、「いまの説明で分かった?」と聞かれたときに、分かっていなくても「はい」とつい言ってしまう……とか。

村瀬 そうですよね。だから、ある種のコミュニケーションにおける技術をトレーニングすることも重要だと思います。例えば、「分かった?」と聞くと、分かるかどうかが聞かれている側の責任になってしまうけれど、「うまく説明できた?」と聞けば、聞いている側にも責任の一端が生まれるので、比較的答えやすくなると思うんですよね。

確かに、聞き方1つで印象に大きな変化が生まれますね。

村瀬 それと、チームから意見を活発に募ることのできる心理的安全性の土台をつくるためには、仕組みづくりも重要だと思います。例えば、「こういう提案をしたいけれど、誰にどう言っていいのか分からない」ことってあるじゃないですか。メールで言った方がいいのか、上司に直接伝えた方がいいのか、どのタイミングで言えばいいのか。そんなときに、意見を出したり声をあげる際のルールをあらかじめある程度つくっておいた方が、言う側にとっても言われる側にとってもスムーズだと思います。

『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』表紙写真
『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』(C)英治出版

事前に意見のあげ方が決まっていれば、意見を言う障壁も低くなりそうですね。逆に、チームのなかには、「チームの雰囲気がよくなくても、自分が設定したゴールを達成さえできればいい」という考え方の人もいると思います。そういったメンバーにチーム全体のことを考えてもらうには、上司からどう働きかけるといいんでしょうか?

村瀬 それこそ仕組みづくりが大切になる場面です。例えば、ボーナスが完全に個人のみの成績によって決まるのであれば、チームメンバーと連携する意志ってなかなか働かないと思うんです。だから、チームメンバー同士に本当に協力してほしいのであれば、チーム全体の成績が賞与に関係するインセンティブ設計をきちんとしていくなど、根本的な部分での改革も必要になってくると思います。

なるほど、大元の制度的な部分で規定される部分も大きそうです。ただ、あくまで一人のリーダー・マネージャーポジションの人がそれを変えていくのは難しい……。それでも、直属の部下に対して「チームメンバーと協力し合えているかどうかも業務評価の際のひとつのポイントにします」と伝えることならできそうです。

村瀬 そうですね。そのことをメッセージとして明確に伝えた上で、それに対するフィードバックもきちんとおこなうという一連の流れをつくれると、次第にチーム間の意見交換が活発になっていくように思います。

新しいアイデアを拒否しないチームになるためには

冒頭のお話にもありましたが、チームが創造性を発揮するためには、新しいアイデアや意見をどんどん取り入れていくことが大切です。けれど、チームや個人が徐々に新しいことを受け入れられなくなり、自分たちの考えだけで凝り固まってしまうケースはとても多いように思います。村瀬さんは、そういった状態をNIH症候群という概念で説明されています。

村瀬 外部から持ち込まれる情報、外部で生まれたサービスや製品に対する反射的な拒絶反応のことですね。私たちって基本的に、新しいことやなじみのないことが好きじゃないんですよ。例えば、スーパーでなにかの商品を買うときに、「知っているブランドだから買う」という要素がいちばん大きくて、その商品に本当に買うべき価値があるかというのはそこまで重要ではなかったりします。これは商品に限った話ではなく、例えば僕はいま専門家っぽく偉そうにいろいろ喋ってますが、みなさんは「早稲田の教員の人が言ってるってことは、たぶん正しい可能性が高いな」と思ってるわけです(笑)。

そんな(笑)。

村瀬 でも実際に、価値判断ってそれくらい難しいことなんですよ。全てのものの価値判断を瞬時にすることができないからこそ、「なんとなく知っている」とか「見ていて心地いい」ということが判断に影響してくる。組織の偉い人たちもこの呪縛からは基本的に逃れられないので、社内においても、真新しくてよく分からない、創造性が高いアイデアになればなるほど拒否反応を示されてしまう傾向は強いです。

では、創造性の高いアイデアが受け入れられやすくなるためには、どうしたらいいんでしょうか?

村瀬 新しいものを新しいままで見せる、というのがいちばんよくないので、その逆のことをすればいいんです。例えば、社内で重視されている文化やみんなが知っていることに紐づけてアイデアを説明するというのもひとつの方法ですし、価値そのものに正当性を与えること……率直に言えば、「影響力や妥当性のある人の口からアイデアを伝えてもらう」というのも手ですね。そういうふうに、新しいこととなじみのあることをうまく重ね合わせて伝えていくことが大切です。

なるほど……。自分自身で新しいアイデアや意見に対して拒否感を覚えることに問題意識を持っているリーダー層も多いと思います。そうした傾向から脱するために、意識できることはありますか。

村瀬 日常から情報収集の幅を広げていくことが重要でしょうね。物事を理解するのって、いろいろなところに打った点同士を線でつなげていき、それを最終的に面にする作業だと思うんです。いろいろな領域に点が打てるようになると、より広い範囲で線がつながるようになり、物事の深いつながりがだんだん見えやすくなっていく。だから、さまざまな場所に点を打っていき、その点同士に関連性を見出していくという地道な作業が必要なのかなと思います。

カバーできている領域が広ければ広いほど、新しいアイデアや意見も違和感なく取り入れられるということですね。

村瀬 そうですね。だからリーダーポジションの人の場合は特に、チームの内部だけでなく、他のチームや他の業界の人たちとも広く関係を結んでおくことが大切になってきます。そうすればリーダーのもとに多様な情報が入ってきて、発想の幅も広がっていくので。

ただ一方で、リーダーはそもそも忙しいから外部との交流にまで手が回らない、というジレンマもあると思います。だから業務に優先順位をつけて、チームに必要のないことは勇気を持ってリーダー自身がどんどんカットしていく、ということも同時にできると、その負担がすこし減るのではないかと思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:村瀬俊朗さん

村瀬俊朗さんのプロフィール写真

早稲田大学商学部准教授。1997年の高校卒業後、渡米。2011年にUniversity of Central Floridaから産業組織心理学の博士号を取得。Northwestern UniversityおよびGeorgia Institute of Technologyで博士研究員(ポスドク)として就労後、シカゴにあるRoosevelt Universityで教鞭を執る。2017年9月から現職。専門はリーダーシップとチームワーク研究。2019年から英治出版オンラインで「チームで新しい発想は生まれるか」を連載中。『恐れのない組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、野津智子訳、2021年、英治出版)の解説者。

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クローン病だけど「人生終わった」なんてことはなかった。「治療と仕事の両立」のために必要なこと

クローン病と診断されたカメダさんと仕事と治療の向き合い方

歳を重ねていくと、健康への不安も徐々に積み重なってくるもの。持病でいままさに通院をしながら仕事をしている方はもちろん、現在は基礎疾患がなくても、いつか何かの病気になっていままで通り働くのが困難になるかもしれない……と考えたことのある方は多いと思います。

映像制作会社で働くカメダさんは、2017年に難病の「クローン病」に罹患していることが判明し、現在も治療を続けながら会社勤務をしています。病気の判明後にエッセイ漫画の投稿を始め、現在は8万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーでもありますが、病気にかかる前とあとでは生活や働き方が大きく変わったと言います。そんなカメダさんに、「仕事と治療」を両立させるために大切にしていることについてお聞きしました。

***

病気が判明して、ようやく「自分のせい」じゃないと思えた

カメダさんは現在、クローン病(小腸や大腸などの消化管に炎症または潰瘍を引き起こす難病)と付き合いながら、会社員として働かれているんですよね。病気のことが分かったのはいつ頃だったんでしょうか?

カメダさん(以下、カメダ) もともとお腹が弱くて、高校生ぐらいからすごく頻繁にトイレに行っていたんです。大学のときには痔も発症していて、常にお腹が痛いし自転車も腰を浮かして乗る……という状態だったんですけど、痛みのレベルがほんとにすこしずつ上がっていくものだから(笑)、これが私の普通なんだと思い込んでしまっていて。

その後社会人になって働いていたある日、お尻が強烈に痛くて丸1日眠れなかったことがあったんです。そのときようやく、さすがに眠れないのはダメだ、病院に行こうと思って。単なる痔だと思っていたので肛門科に行ったら、「カメダさん、これたぶん痔じゃないよ」と医師に言われて。

それまでは、痔以外の疾患かも……という可能性は考えたことがなかったんですか。

カメダ そうなんですよ、不思議ですよね……。自覚症状で検索してみると「癌の可能性あり」みたいなページが出てきてしまうので、いやさすがに癌はないっしょ、と思ってしまって。結局病院に行けなかったんです。いま振り返ると、現実逃避もあったんだと思います。結局、詳しい検査を経て2017年の夏にクローン病だと判明しました。

当時すでに社会人だったということですが、意を決して病院に行かれるまでの間は、特に問題なくお仕事を続けられていたんでしょうか?

カメダ そうですね。勤め先では家でも会社でも好きな場所で作業をしていい環境だったこともあって、トイレも好きなときに行けていたので、働く上でそこまで苦痛は感じてなかったですね。むしろ、当時は社会人2年目で、ようやく自分の裁量で仕事ができるようになってきたタイミングだったんです。なので、がんばらなきゃと思って土日も稼働する前提で仕事を詰めちゃってたんですよ。

では、病名が分かったときは、お仕事のことも頭によぎりましたか?

カメダ それでいうと、大きい感情がふたつあったんですよね。ひとつは「わ~、なんかやばい病気そ~、終わった……」というショックで、もうひとつはホッとするような気持ちでした。

ホッとした、ですか?

カメダ そうです。それまでは「何者かになりたい」みたいな謎の突き動かしによって、ほんとにずっとがむしゃらに働いてたんですよ。だから病名を聞いたとき、こう言うと変ですけど、ちょっと解放感もあって。

学生時代に部活の先輩から言われ続けてきた「なんでそんなにトイレばっかり行くの? サボってんの?」という言葉をいままでずっと自分のせいにしてきたので、それを克服するためにも必死だったといいますか。でも、「な~んだ、私の体調が他の人と違うのは病気のせいじゃん」ってようやく他責にできたというのはありましたね。

仕事を両立させるためにも、自分の体質は周囲に伝える

その後、手術をして大腸を切り取られたそうですね。クローン病は、食生活に気を配らないといけない病気ということですが……。

カメダ そうなんです。病気が分かってから入院・手術までのあいだ、通院しながら仕事を続けていた時期が数カ月あるんですが、そのときに食事制限のことを医師から聞いて。症状を安定させるためには、動物性脂肪を避け、脂質は1日30g以内に抑えるという食生活が推奨されているとのことでした。

でも当時はまだ自分のことを健康な人間だと思い込んでいたので、ガンガン好きなもの食べてて……。一度、たこ焼きを食べて腸閉塞を起こして、医師に怒られたりもしましたね。

それまで食べられていたものが急に食べられなくなるのは、本当につらいですよね……。

カメダ 串カツとかチーズたっぷりのピザとかも食べられないし、マクドナルドの看板見て泣くこともありましたね。もう食べられないんだ……って。入院中も長い絶食期間があったので毎日お腹が空いていて、ナースステーションの前に貼ってある入院患者向けの献立表をずっと見てました。「あ、きょう南蛮漬けなんだ……」とか思いながら。

以前は気にせず食べていたピザや揚げ物、ファストフードが思い切り食べられなくなったときの心境

手術後、ようやく食事を出してもらえると聞いたときは本当にうれしくて、すぐに献立表を見に行きました。でも当日、出していただいた食事の蓋を開けたらぜんぶミキサーにかかってたんです。えっ!? って思ったけど、ひと口食べてみたらめちゃくちゃおいしくて……。形って味に関係ないんだって思いましたし、強烈な記憶として残ってますね……(笑)。

入院の際、お仕事に穴を空けることへの不安や、金銭面での不安を感じたりってしましたか?

カメダ 仕事はたまたまひとつの案件が終わる区切りのいいタイミングだったので、わりと安心して休めていた記憶があります。金銭面に関しても、入院・手術自体はそこまでの大きな負担はなかったですね。20代で体力があったことも影響したのか回復がとても早かったので、入院期間自体は2週間くらいでした。

そのあとは、しばらく自宅療養をされていたんでしょうか。

カメダ はい、自宅療養で栄養剤を飲んだり食事制限の練習をする期間があって、退院後1~2週間はプラスで休みました。私の場合は注射での投薬でかなり調子がよくなったので、その期間にいろんな食事を試してみようと思って、どんな食材ならどのくらい食べられるのかというのを実験してみていました。

そのあとは、また仕事に復帰して。3カ月に1度通院しつつ、日常生活では食事制限を続けるという形でいまも会社員をしています。

復職の際、会社の人とはどんなコミュニケーションをとっていたのでしょうか?

カメダ 退院後、「こんな体調なんですが大丈夫ですかね?」って会社の人に聞いたら、「もちろん」とみなさんすごくあたたかく迎え入れてくれて。復帰直後に撮影で現場に行く日が続いたんですが、食事の際も、同僚みんながファストフードのなかでも脂質が低いものを調べて注文してくれたりして。

協力的ですね……! 会社の同僚にはカメダさんの体調や症状のことについて、どの程度まで説明されているんですか。

カメダ 案件によってチームメンバーがガラッと変わるタイプの仕事なので、基本的には毎回、自分の体質と食べられないものについては周りに伝えるようにしています。ロケハンがある仕事なので、遠方までの移動の際にお腹の調子が悪くなってしまうことがあるというのはきちんと伝えておかないと、と思って。

あと、食べられないもののことを伝えておくことによって、現場で「バターどらやき食べたい人~?」とか聞かれたときに「はい!!」って手を上げると「カメダさんはだめだよね」って言ってもらえるんですよ(笑)。

我慢して言わないでいるとのちのちしんどくなっちゃうんじゃないかと思うので、そういうことは抱え込まずに同僚にも伝えるようにしています。周りが知ってくれた上で、体調のことを考えてくれるのはやっぱりうれしいなと思いますね。

病気と付き合いながらお仕事をされているなかで、例えば現場で突然体調が悪くなってしまうこともあると思うのですが、そういったときはどうされていますか?

カメダ 個人的な心構えとしては、「やれることはやって、万全の状態で仕事に臨む」というのは意識しています。現場を離れられない撮影の前日は、食事にすごく気を使って、薬も用意した上でたっぷり寝るようにしてますね。

例えば前日に暴飲暴食した、だと「体調が悪い」と少し言いにくい。でも、やれることはやった、という自信があると、「がんばって調節したんだけど調子悪いかも……」って自分の気持ち的にも言いやすいと思うんです。そうした「言える状態」にしておくのは大事かなと。そして、ちゃんと伝えると、ありがたいことに会社の人たちはみなさん「じゃあこうしていきましょう」と代替案を考え、フォローしてくださいます。

自分の気持ちを整理できるような「場所」を持っておく

病気が発覚する前は働き詰めだったというお話が先程ありましたが、退院してお仕事に復帰されてからは、業務量や時間に変化はありましたか?

カメダ 病気が分かってから、あんまりめちゃくちゃに仕事は入れなくなりました。いま、業務量は入院前の8割くらいだと思います。睡眠時間も確保するし、食事制限があるので基本的に毎日自炊しているし……正直、生活自体はいままでよりも豊かになったなと感じています。もちろん仕事をたくさんするのが豊かっていう人もいると思うんですけど、私は症状をできるだけ抑える生活をした上で、残った時間で仕事をするというスタンスが合っていたんだなと思って。

稼働時間が減るとなると、収入面にも影響が出てくるのかな……と思うのですが。

カメダ やっぱり激務だったときと比べると収入は下がりましたね。ただ、私の場合はそこから徐々に副業の漫画の収入が入り出したのでありがたかったです。

カメダさんは現在、コスメ紹介の漫画連載もされていますもんね。漫画を描くようになったのはどうしてだったんでしょう?

カメダ 美大出身で絵を描くのは大好きだったし、昔は漫画家になりたいとも思っていたのですが、仕事が忙しいときはやっぱりなかなか描けなくて。でも入院中、時間だけはあったので時間があるいまのうちに漫画を描いてみよう……と。コスメが好きだったので、コスメに関する漫画を備忘録的にインスタにアップするようになったら、たくさんリアクションをいただけて。当時は、まさかそこから連載などでお金をもらえるようになるとは思っていませんでした。

最近では、クローン病関連のことを漫画で発信されたりもしていますよね。

カメダ 難病になるってなかなかないことなので、ひとつの珍しい体験談として書き記しておこうと思って描いてみたら、クローン病の方やそのご家族の方、クローン病の方を担当されてる看護師さんなどからすごくたくさんDMが来るようになって驚きました。

「クローン病の家族にどんなご飯をつくればいいか分からなかったけど、絵で説明してくれて参考になりました」みたいなメッセージもいただいたりするので、発信してみてよかったなって思いましたね。病気になったときに、自分の経験をまとめてエッセイや日記という形で公開するのは価値のあることだと感じました。

それと、病気になるとどうしても落ち込んでしまうと思うんですが、そのつらさの原因がどこにあるのか……例えば食事ができないことなのか、仕事ができないことなのかっていうのを一つひとつ紐解いて整理してあげないと、もっとつらくなっちゃうと思うんですよ。だから、自分の気持ちを整理するのに、文章や絵にしてみるというのはひとつのいい方法だと思います。

自分の気持ちを整理できるような場所を持っておく、ということですよね。

カメダ そうですね。私自身、自分の体調のせいで仕事や生活が思うようにいかないときも、漫画があるから! と思うことでメンタルのバランスを保てているような気がします。

仕事と生活のバランスがまわっている様子

病気ありきの生活となると思い通りにいかないこともあるように思います。今年の10月には、しばらく寛解状態にあった病気が再燃*1されたそうですね。

カメダ クローン病って寛解と再燃を繰り返す病気なんですが、私の場合はしばらく体調が維持できていたので、再燃が発覚したときは急に成績が落ちたみたいな気持ちになって、めちゃくちゃ落ち込みました。それに、また投薬が始まってしまって。投薬って続けると免疫力が落ちるので、そのケアが大変なんです……。

でも、3カ月に1回きちんとさぼらずに検査をしてるっていう自負もあるので、いまはもう、流れに身を任せようかなと思っています。

体調に不安があるからこそ、収入源は複数あるといい

「もしもいま長期的な治療が必要な病気になったら、仕事と治療をどう両立しよう」というのは、誰しも一度は考えることではないかと思います。カメダさんご自身の経験から、病気と付き合いながら仕事をする上で大切なのは、どのようなことだと思いますか。

カメダ やっぱり働ける体力に限界がある人間にとっては、収入源をできるだけばらしたり、体に負荷がかかりにくい収入源をつくっておくということが大事なんじゃないかと思います。私の場合はたまたま漫画があったので、そんな簡単に言うなよって思われるかもしれないんですが……。でも、文章や絵に限らず、自分のできることを小さくても収入にしてみようとするのは心の支えになると思います。

金銭面で具体的なことを言うなら、私の病気の場合は難病なので助成金が出たりもするんですが、区に申請するともらえる助成金などは、面倒でも調べて絶対に申請するようにしてます。3カ月に1回の検査で必ず2万円かかるんですけど、積み重なると大きいじゃないですか。だから、書類をまとめたりするのが大変でも、もらえるものはきちんともらっておこうと思っています。投資も始めましたし……。

高額な医療費は申請すると返ってくるものも多いですもんね。そこを把握しておくのは確かに大切ですね。

カメダ 本当に……。あとは、社会的地位のことはできるだけ気にしないというのも大切かなと思います。会社においてもちろん売上が高い人は優秀だし、バリバリ働けていないことに劣等感を覚えることもあるんですけど、私はどうやったって、健康な体の人と比べたらパフォーマンスが落ちるんだということを病気になって自覚できたので。だったら好きなことをやりたい、と気持ちを切り替えられるようになりました。

いまは、仕事は最低限の生活を守るための手段だと思っています。「そんな働き方でいいの?」って外野に言われることもあるかもしれないんですが、そういう人には「あなたが私の人生の責任をとってくれるわけじゃないんで、ちょっと黙っててもらっていいですか?」みたいな感じでいかないと……って思ってます。

自分の体は自分にしか守れないから、本当にそうですね。

カメダ 私はいまはもう、生活において大腸を守ることが最優先なので……。

ただ、仕事量を減らしても適当にするというわけではないですし、できるだけ「爆速」「先回り」で対応するようにはしていますね。早め早めで対処するようにしていると、いざというときの体調不良に対応する時間も生まれますし、周囲への影響も最小限になると思うので。

その上で、優先順位を間違えないようにしないと死ぬ可能性があるなって、たこ焼きを食べちゃって腸閉塞になったときに本気で思ったんです。だから、他人からの言葉を気にしないというのもそうですけど、自分の欲を優先しすぎないで、まずは体を優先するということも忘れないようにしていたいと思いますね。

自分の大腸を第一に考えたいたわる生活を実践するカメダさん


記事内イラスト:カメダ
取材・文:生湯葉シホ(@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:カメダ

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武蔵野美術大学視覚デザイン伝達学科卒。本業会社員の掛け持ちイラストレーター/インフルエンサー。Instagramフォロワー数は8万超え。難病クローン病の大手術を乗り越え、2017年より発信を開始。コスメレビューや日常エッセイを幅広く更新中。
TwitterInstagram

*1:病気の進行が止まっていた、または、軽快していたものが、再び進行し始めること

"疲れている自分"に慣れていませんか? 『何もしない習慣』著者に聞く「正しい休み方」

笠井奈津子さんトップ写真

「テレワークになってからなかなかオフモードになれず気が張っている感じがする」「休日はゆっくり過ごしたけど、あまり回復した感じがしない……」。最近、そう感じることはありませんか。もしかすると、知らず知らずのうちに疲れを溜め過ぎてしまっているにもかかわらず、うまく休めていないのかもしれません。

そもそも「疲れを感じてから休む」ではなく、疲れる前にあらかじめ「休む」習慣を持つことが重要だと語るのは、栄養士の資格を持ち、食生活に関するカウンセリングなどを行う笠井奈津子さん。最新刊の『何もしない習慣』では、自分に合った「充電」の方法を知ることや、そのために「自分のトリセツ」をつくることを具体的な方法とともに提案されています。

日々の仕事に追われるなか、どのように休む時間を取ればいいのか。話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

疲れを溜め込む前にあらかじめ「休む」予定を入れる

著書『何もしない習慣』にて、現代人の疲れの要因として、いろんなことを「し過ぎ」ていることを挙げていました。普段、笠井さんは栄養士として企業で働く人たちから相談を受ける機会も多いと思いますが、やはり疲れを溜め込んでいる人は多いですか。

笠井奈津子さん(以下、笠井) そうですね。仕事を「し過ぎ」るあまり、自分のコンディションを考えることがどんどん後回しになって体調を崩してしまうケースは多いと思います。例えば、少しでも時間が空けば、「何かしなければ」とインプットなどの予定を詰め込んだり。もちろん、それはポジティブなことでもあると思うんですけど、一方で心身の健康という土台が脆くなってしまうことにもつながるように感じます。

特にコロナ禍になってからは、仕事とプライベートが混ざり合うワークライフブレンドのような状態になっている人も少なくないので、つい仕事ばかりしてしまいがち。真面目で上昇志向の強い人ほど、カウンセリングのときに肉体的にも精神的にも疲れが溜まっている人は多い印象ですね。

確かに、コロナ禍になってからは特に「うまく休めなくなった」という声を聞くことが多いように感じます。笠井さんは、そのような相談を受けるときには、どんなアドバイスされるのですか。

笠井 おそらく、多くの人はいきなり「何もしないでいい」「休みを取りましょう」と言われても、難しいと思うんです。ずっと仕事漬けの生活をしていた方は特に、休みの日に何もしないでいることに罪悪感を覚えて、耐えられないですよね。

そんなとき、私はまず考え方として、休むことを「充電」、働くことを「消費」と捉えてみてください、とお伝えするようにしています。スマートフォンだって充電しないと動きませんよね。だから、より良く働くためにも、「充電」と「消費」はセットであると考えて、仕事などの消費の予定を入れるなら、そのぶん休んで回復するための充電の予定も入れましょうと。

笠井奈津子さんインタビュー写真

著書のなかでも、疲れが限界に達してから休むのではなく、あらかじめ「休み」の予定を入れておくことが重要だと書かれていました。

笠井 そうです。疲れを感じてから休むのではなく、あらかじめ「休みの予定」をスケジュールに組み込んでしまうのがいいと思います。そうすると、自然とそこまでに仕事を終えようという意識が働きますよね。それに、「疲れてから休もう」「時間ができたら休もう」となると、時間がないぶん選択肢が限られるので、結果的にさらに疲れを溜めることにもなりかねないと思うんです。

例えば、疲れが溜まりに溜まり、「もう今すぐ休みを取らないと動けない」という状態になったとして、そこで浮かんでくる選択肢って一人でお酒を飲むことだったり、ひたすらスマホをいじることだったり、あまり幅がないように思います。もちろん、それが回復につながるのであれば良いと思うのですが、仕事の疲れを取り戻そうと深酒して睡眠時間が削られたり、スマホに触れ過ぎて首肩の凝りが強くなったり、結果的にリフレッシュしているつもりが、どんどん疲れを溜めてしまうこともあり得ます。

思い当たる節があります。ただ逆に、あらかじめ休みの時間を確保し「回復につながる予定」を入れておけば、うまく充電ができる。

笠井 行き当たりばったりではなく、能動的に休むことが重要だと思います。例えば、オンラインゲームであれば、「仕事が終わったらログインしよう」ではなく、あらかじめ友達と「金曜の20時に集合ね」と決めておくこと。そうすれば、そこに向けて仕事を終わらせようとするでしょうし、開始時間を決めておくことで、どれだけ時間を使っているかも把握できて、ダラダラ夜更かしすることも少なくなるはずです。

また、休みの日の予定を決めておかないと、つい仕事をしてしまうという人もいると思います。もちろん、時間がある時に前倒しで仕事を終わらせておくのは悪いことではありませんが、他に何もすることがないからと消去法的に仕事をしてしまうと、疲れが溜まっていく一方になってしまいます。そういう意味でも、あらかじめ「休み」の予定を入れることは大切だと思います。

自分的エビデンスを集めるために生活を「見える化」する

とはいえ、そもそも「休み方が分からない」と悩んでいる人も多いかもしれません。

笠井 そうですよね。だからまずは、ファーストステップとして自分の24時間の行動を記録し、生活を「見える化」することが大切だと思います。会社員の方であれば、平日と休日1日ずつだけでも、それぞれの起床から就寝までの行動を書き出してみて、そのなかで自分にとっての「充電」につながった行動、「消費」につながった行動に印を付けていくんです。

そうすると、科学的エビデンスならぬ「自分的エビデンス」がたまり、少しずつ自分にとって心地の良い生活を送るための「自分のトリセツ」のようなものができると思います。

『何もしない習慣』ページカット
『何もしない習慣』より(C)KADOKAWA

自分のトリセツ、ですか。テレビや雑誌などでよく「おすすめのリラックス方法」「安眠のための習慣」などが紹介されていますが、そうしたメソッド的なものを気にし過ぎるよりも「自分にとっての充電につながる行動」を探した方がいいのでしょうか?

笠井 はい。そうした方法を試してみるのは良いと思うんですけど、けっきょく重要なのは実際に自分に合うかどうかですよね。自分の生活を「見える化」し、充電と消費の観点から見直していくと、世間で良いとされている方法で自分がむしろ疲れてしまっていたり、逆に意外な方法で自分がリフレッシュしたりしていることが分かってくると思います。

例えば、私は整理整頓が好きで、片付けをしているときは「充電」できている実感があります。でも、片付けが嫌いな人にとっては逆にストレスですよね。それくらい人によって全く違うものだから、自分的エビデンスに基づいて充電方法をリスト化していくのが大事だと思うんです。そのリストが多ければ多いほど、仕事の合間の気分転換が上手になるし、休日も能動的に充電できるようになるはずですよ。

確かに、人それぞれに自分だけの充電方法がある気がしますね。ちなみに自分の行動を振り返るときに、それが「充電」なのか「消費」なのか、見極める方法はありますか?

笠井 すぐに判断できない場合には、私は「睡眠」を一つのバロメーターにしています。それなりの睡眠時間をとれているのに翌朝まで疲れが残っていたとしたら、前日の行動に原因がないか考えるんです。もしかしたら、就寝直前までお酒を飲んでいたり、テレビ画面を眺めたりしたことで睡眠の質が下がっていたのかもしれない。だとすれば、それは自分にとって充電ではなく「消費」になっているということです。逆に、スッキリと目覚められた場合は、前日の行動が自分にとっての充電なんだと気付けることもあると思います。

『何もしない習慣』表紙写真
最新作『何もしない習慣』(C)KADOKAWA

一方で、しっかりと休む時間を確保するためにも、仕事など「消費」の時間を減らすことも大切ですよね。

笠井 そう思います。ただ、家事や仕事など、どうしてもやらなければいけないこともあるでしょう。そうしたものは、いまの行動からまず「マイナス1」をしてみるだけでもかなり負担は減るはずです。例えば、料理をつくるのに疲れていたり、時間をかけ過ぎていると感じたら、品数を1つ減らしてみるだけでもいいと思います。

実は私自身も産休明けに仕事に復帰したとき、家事もこれまでと同じレベル感でやっていきたい、やらなければいけないと思い込み、自分を追い詰めていました。特に負担に感じていたのが、保育園まで子どもを迎えにいき、そのままスーパーへ買い物に行くこと。そこで、最初はなんとなく抵抗感があったのですが、試しにスーパーの宅配サービスを利用して家事の負担を「マイナス1」したら、とても楽になりました。

誰しも、「自分がしなければならない」と思い込んでいる行動がありそうです。

笠井 結局のところ、自分の荷物を軽くすることを自分で許可してあげるしかないのだと思います。自分のエネルギーを使ってしまう余分な行動を引き算してみる。今はどうしてもそこにこだわりがあって手放せなかったとしても、「いざとなれば、この行動はカットできる」と認識しておくだけで、疲れをギリギリまで溜め込んで心が突然折れてしまうような事態は防げるのではないかと思います。

「充電」の時間は生活のなかに隠れている

ここまで生活を見える化することの大切さについて伺ってきました。ただ、それでもいざ休みを取ろうとしたり、仕事の時間を減らそうとしたときに、罪悪感から腰が重いという人もいるかと思います。何かアドバイスはありますか。

笠井 忙しく働いている方にとっては、特にそうですよね。だから、まず最初は実験のような感覚で、様々な充電方法を試してみるのがおすすめです。例えば、この1週間は午後に5分でも10分でもおいしいコーヒーを入れて一息つける時間をつくる、と決めてやってみて、その1週間の調子はどうだったのかなとか。そこで、もし自分にプラスの効果が発生したら、もっと探してみよう、生活を振り返ってみようとモチベーションになると思います。

ちなみに、私の充電リストはこんな感じです。

  • 夜遅くまで仕事をして疲れた日は、朝起きるのが楽しみになる朝食を仕込む
  • 夜にスパイスを使った料理をつくるとすごく気分転換になる
  • インテリア系、住まい系の動画を観るとテンションが上がる
  • 朝にひとりの静かな時間をつくれると心にゆとりを持てる
  • エクササイズはトレーナーよりもヨガウェアでした方がモチベーションが上がる

なるほど。今のお話に加えて、笠井さんの充電リストを拝見すると、充電といっても必ずしもまとまった時間が必要なわけではないんですね。むしろ、日常生活の隙間時間で実践することができそうです。

笠井 そうなんですよ。こんなふうに小さな充電方法を知ることで、休みの日にまとまった時間がなくても、日常生活のなかでうまく自分自身を回復させてあげることができる。例えば、クローゼットに並ぶ洋服を見ているとテンションが上がるという人は、前日の夜に明日着ていく服を選ぶように予定を立て、習慣化していくだけでも小さな充電になるはずです。

だからちょっと面倒かもしれませんが、慣れてきたら少しずつ細かく記録することも大切だと思います。例えば、自分のなかではざっくり「休憩時間」と捉えていても、そこで好きなサッカーの映像を観たのか、スマホでゲームをしていたのかにより、リフレッシュ具合に違いが生まれると思うんです。そういう細かい部分を意識することが、疲れを溜め込まない生活を送ることにつながると思います。

笠井さんは、今でも毎日の記録は続けられているんですか?

笠井 続けています。ただ、今はそこまで細かくは記録していなくて、寝る前に今日の予定を振り返りながら、「印象に残ったこと」を3つ書くようにしています。自分がどんな行動をして消費したのか、あるいは充電することができたのか。とりわけ、消費の場合は消費のまま書かずに、次はこうしようまで書くようにしていて、それがゆくゆくは自分の充電リストやトリセツに加わっていくようなイメージです。

一方で、どうも調子が良くないなというサイクルが続くときは、やっぱり1週間ほど時系列に細かく振り返っていきます。そうすると、「犯人はお前か!」みたいに原因が分かったり、充電の時間が少なかったりすることに気付けます。続けていくと、ちょっとした宝探しのような感覚になり楽しくなってくるので、少しずつでもぜひ実践してみてもらえるとうれしいです。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部

お話を伺った方:笠井奈津子さん

荒井裕樹さんのプロフィール写真

カラダプラスマネジメント株式会社代表取締役。健康経営アドバイザー、栄養士。1979年、東京都に生まれる。聖心女子大学文学部哲学科卒業後、香川栄養専門学校(現・香川調理製菓専門学校)を経て栄養士になったのち、都内心療内科クリニック併設の研究所で食事カウンセリングに携わる。現在は、食の大切さを伝えるための様々な活動を行う。企業研修では、数百人単位の参加者でも事前に食事記録をチェックし、労働環境にも配慮した上で、アドバイス等を行っている。主な著書に『10年後も見た目が変わらない食べ方のルール』『子どもの「できない」を「できる」にかえる子育て食事セラピー』『何もしない習慣』など。

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