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農家の私が、乳がんをきっかけにブログを始め、本を出版することになった話

 ホマレ姉さん
農作物イメージ

たっぷりの野菜を使ったレシピと、美しい料理写真で人気のはてなブログ「今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~」。著者のホマレ姉さんに、有機野菜農家として働く中でブログを始め、レシピ本を出版することになったきっかけについて寄稿いただきました。

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私の仕事は有機野菜農家

私たち夫婦が有機農業を始めようと、岡山県の北部に引っ越してきたのは、今から21年前(1997年)のことだ。

以前の私はデパートなどでディスプレイを専門に行うデコレーターという仕事をしていたが、夫は学生時代から農業に魅力を感じていたようだ。

当時はバブルが崩壊した直後ということもあり、デパートの仕事は減り始めていたし、子供は田舎で育てた方が良いんじゃないかとの思いもあって、私たちは本格的に農業という職業を検討し始めた。

農業の本を読んだり、近隣で有機農業を営んでいる農家さんを実際に訪ねたりして、自分たちがやりたい農業のイメージを膨らませてから就農を決めた。それまで庭の草取りすらしたことがなかったが、鍬(くわ)の使い方から鎌の研ぎ方まで農家さんに教わり、何とか農業のまね事をしているといったスタートだった。

最初は夫が外で勤め、私が家庭菜園とさほど変わらない程度の畑仕事をする兼業農家だった。しかし次第に一人では管理できないほど農地が増え、5年目には夫も完全に農業に従事するようになり、専業農家となった。

この頃の収益は、主に産直市での販売などで得ていた。しかし2001年の有機JAS法施行に伴い、販売先の転換を余儀なくされた。

当時の有機農業は、有機表示に対する法的な規制がなく、有機肥料を少し使っただけで「有機○○」と銘打っているような、質の悪いものが多数販売されている状況だった。そんな状況を改善すべく、消費者保護の観点から作られたのが有機JAS法だ。しかしその認証のために農家に課せられる義務は半端なく、とてもお手軽な価格での販売はできなくなってしまった。

それからしばらくは、産直市よりも高く販売できるスーパーや宅配に活路を見いだそうとしていた。そんな中、レストランのシェフと知り合ったことをきっかけに取り引きが始まり、いつの間にかレストランが主力の販売先になっていた。

シェフ相手の仕事はとても面白く、勉強になった。作る野菜も今までのものに加え、海外の珍しい品種にも積極的にチャレンジしていった。

わが家の食卓にも珍しい野菜が多く登場するようになり、それらの栽培技術を高め、生産量を増やしていきたい!という思いが、仕事の目標にもなった。

夫婦ともども、今まで以上に農業が楽しくなり、軌道に乗ってきたと感じていたところだった。

ある日、左胸の異変に気が付いた

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今から6年前の2012年、私は左胸の異変に気が付いた。「乳がんかもしれない……」と思ったが、すぐに病院へは行かなかった。それは乳がんの「しこり」の例えとしてよくいわれる「梅干しの種のようなコリコリしたもの」とは違っていたし、何よりもハッキリさせるのが怖かった。

かといって、そのままにしておくわけにはいかない。「いつかは白黒つけなきゃ……」と、その時が来ても慌てないようにこっそり図書館で調べたり、体験談を読んだりした。

3カ月後、意を決して一人で病院へ行った。さっき撮ったばかりの胸の画像を見ながら、医師の「がんですね」の一言で、それは確実なものとなった。「ヘぇー、こういうのはいきなり伝えるものなんだ……」と他人事のように思う自分がいた。多分、必死に冷静になろうとしていたんだと思う。

家に帰り、初めて夫に乳がんである旨を伝えた。この日から夫も本を読んだり、インターネットで調べたりして、乳がんについての知識を深めてくれた。

2週間後、詳しい検査を受けるため、夫と一緒に県南のクリニックを訪れた。MRI画像を撮ったり、がん細胞の組織を調べるための針生検(はりせいけん)を受けたりした。医師の説明では、がんは6cm程度の大きさで、日本人には少し珍しい、乳汁を作る部分にできる「小葉がん」とのことだった。

医師からは乳房全摘出手術を勧められ、手術の日取りを決めることになっていたが、正直なところ私は納得できなかった。心の中では他の医師によるセカンドオピニオンを望んでいたが、言い出せずにいた。

そんな私の表情を読み取ったのか、夫が「先生の診断を疑っているわけではありませんが、他の先生の診断も聞いた上で納得したいので、誰かご紹介願えますか?」と医師に頼んでくれた。

医師は嫌な顔一つせず、大学病院の医師を紹介してくれた。その医師が現在の主治医となっている。

セカンドオピニオンを経て、手術へ

セカンドオピニオンでの見立ても同様であった。組織検査の結果がまだ出ていなかったため、その場で治療方針は決まらなかったが、県内最大規模で設備も充実しているこの病院以外に選択肢はないと思い、今後の治療をお願いすることにした。

後日、組織検査の結果を聞きに病院を訪れたが、私の乳がんはホルモン剤や分子標的薬での治療が難しい「トリプル・ネガティブ」というタイプで、ステージはⅡbと判明した。

乳がん 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]
(※乳がんのステージについての参考ページ)

乳がんとしては有効な治療法が少ない中で、主治医の選んだ治療方針は、術前化学療法(手術前に抗がん剤でできるだけがんを小さくする療法)だった。

術前化学療法は乳房内のがん細胞を抗がん剤で小さくすると同時に、全身に散らばった可能性のある小さながん細胞も、見落とさずに叩く効果が期待できる治療法だ。がん細胞はできるだけ速やかに叩く必要があることから、抗がん剤は強いものから順に投与する。術前化学療法は約7カ月間にわたることになった。

先に投与した抗がん剤は特にキツいものだった。投与した日は一晩中苦しむ。吐き気がひどく、それを抑える薬を一晩で3本打ち、明け方の最後の薬でやっと軽い眠りにつける。もちろん食事なんて受け付けるはずもなかった。

治療開始から数週間後には、髪の毛が抜け始める。さらには眉もまつげも抜け、どこを基準に化粧をすればいいのか分からないような顔になる。しかし、それでも我慢して続けることができたのは、何度か撮ったMRI画像で、がんが小さくなっていくのがハッキリと分かったからだ。

次の抗がん剤は前回ほどキツくはなかったので通院で投与したが、それでも2日間は動くことができなかった。副作用に悩まされ続けたが、術前化学療法により確実にがんは小さくなり、画像で確認する限り、完全に消滅したように見えた。

苦しかった術前化学療法も終わり、いよいよ手術の日となった。実際にメスを入れ、病巣を取り出して、がん細胞の有無を顕微鏡レベルで確認するのだ。

前々から主治医には乳房温存の希望を伝えていたが「もしダメだったら全摘するけど許してね……」と言われ、手術に臨んだ。実際に手術してみると、完全に消えたと思ったがん細胞がわずかに残っていたが、ギリギリのところで乳房は温存できた。

今まで通り農業がしたかったので、後遺症で腕の動きが制限されることのないよう、リンパ節は切除しなかった。がんの転移を調べるセンチネルリンパ節生検も行っていない。抗がん剤がとても効いていたので、おそらく大丈夫だろうと、主治医も許してくれた。

手術の後、26回の放射線治療を行い、2カ月間に及んだ入院生活は終わりを告げた。ちょうど農作業が忙しくなる、ゴールデンウィーク明けのことだった。

以前のように仕事ができない、不安と焦り

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やっと帰ってこられたんだから、少しは仕事でも……と思ったが、とんでもなかった。

入院前と変わらないだろうと思っていた体力は落ちに落ち、家事と2匹の犬の散歩をこなすので精一杯だった。

夕飯で使う野菜を採りに行こうとしても、体がフワフワとして、全く地面を踏みしめている感覚が無かった。再発防止のため、手術後も抗がん剤を服用していた影響が大きかったのかもしれない。

私の住む地域は寒く、遅くまで霜の可能性があるので、畑の準備、種まき、苗の植え付け……と、やらなくてはならない作業が一気にやってくる。今まではそれらを夫と二人でやっていたが、とても同じようにはできない。

夫は「暑い、暑い」と言いながら、既に日焼けした顔で動き回っている。草取りが主な仕事のパートさんも、不慣れな手つきで鍬を握っている。私はといえば、お昼に戻ってくる二人に冷たいお茶を出すぐらいしかできなかった。

夏が過ぎても、家の中でなすや甘唐辛子の出荷作業を手伝うくらいで、まだ畑には出られなかった。「仕事復帰はいつになるんだろうか……?」「もう農業は無理なんじゃないだろうか……?」と、いろんな不安と焦りが襲ってくる。

私は決して働き者ではないし、どちらかといえば怠け者の方だ。だけど野菜が好きだし、仕事の役にだって立ちたい……。

ある日、ふと「レシピと一緒に珍しい野菜を紹介したら良いんじゃないかなぁ……」と思い付いた。私たちの農園は、少量多品目栽培なのでいろいろな野菜がある。それらの中には、あまり知られていない珍しい野菜も多い。

「そうだ、料理ブログを始めよう!」と思い立ち、パソコンは苦手でインターネットもしたことがないけれど、とにかくやってみることに決めた。

早速、夫に伝えて、少し早いクリスマスプレゼントはiPadにしてもらった。

ブログ開設3年目の出版オファーと、レシピ本に込めた思い

レシピ本制作過程

ブログを始めた頃の記事は、今見てみるとメチャメチャ恥ずかしい。写真もデジカメではなく、iPadで直接撮ったものだ。

そんな素人丸出しのブログでも訪ねてくれる人がいて、アクセス数が300を超えた時は外出先の夫に電話するほど喜んだ。最初にはてなスターやはてなブックマークを付けてブログにリアクションしてくれた人が誰だったか、今でもハッキリ覚えている。

同じカテゴリーの中でブログ友達もでき、読者数も増えていった。それと反比例するように、不安と焦りも少なくなっていった。料理が好きというのもあるが、家にいながら自分のできる仕事をしている気持ちになれたのが、何よりうれしかった。

ブログを始めてから3年目に、出版社から書籍化の依頼があった。編集者の方が私のブログの読者だったそうだ。

本の内容についてはこちらの自由で良いということだったのだが、かえって悩むことになった。なぜならブログを始めた当初は、珍しい野菜のレシピを主な題材として書こうと思っていたのだが、よく読まれる記事は、身近な野菜を使った手軽なレシピが大半だったからだ。

忙しい中で、料理にはできるだけ時間もお金もかけたくないというのが、今の世相なのかもしれない。

でも、これまで曲がりなりにも農業を続けてきて気付いたことがある。それは、おいしいだけでなく、日本の食卓をより豊かにしてくれる可能性がありながら、あまり知られていない野菜が世界にはたくさんあるということだ。

節約レシピや時短レシピなら他にいくらでも書ける料理研究家の方々がいる。しかし、まだ出回っていない野菜のレシピは、農家の私にしか書くことができないはずだし、それは義務のようにも思われた。

いろいろと考えた末、これから10年先、20年先にはきっと日本の食卓に並んでいるだろうと期待する新顔野菜をいくつか加え、季節の野菜をシンプルに楽しめるレシピを書くことにした。

野菜は自分たちが栽培したものを使いたかったので、執筆は1年半にも及び、ようやく2017年の秋に出版することができた。

将来、子供や孫たちが大人になり、偶然この本を手にしてもワクワクするような、そんなレシピ本に仕上がったのではないかと自負している。

www.homarecipe.com

病気を経て考える、これからの働き方

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人間、誰しも歳を重ねるにつれ、体力は衰えていく。そんな当たり前のことに、この闘病生活を通して私たち夫婦はやっと気付いた。

農業は体が資本だ。農業に限ったことではないかもしれないが、やはりその側面が強い職業であるのは間違いない。いつまでも体力勝負の農業を営めるはずがないと分かった今、どのように農業を手じまっていくか、考え始めている。

生産量はこれ以上増やさず、取引先は現在関係のあるところだけに限らせてもらうつもりだ。その一方で、今後も珍しい野菜の栽培にはチャレンジし、それらを紹介したり、レシピを考案したりしようと思っている。

生産農家としてはもう終盤に差し掛かっている私たちだが、情報を発信することで成り立つ農業も、また一つの農業スタイルとしてありなのではないかと前向きに捉えている。

この7月で乳がんが発覚してから丸6年になるが、幸いなことにまだ再発はしていない。

あの時の乳がんは「できないと嘆くよりも、できることをしなさい!」と、私たち夫婦に教えてくれたのではないか。そう思いながら今後の生き方を模索している最中である。

著者:ホマレ姉さんid:homare-temujin

著者イメージ

1997年に岡山県で新規就農、有機野菜農家のホマレ姉さんです。オシャレなレシピから初心者でも簡単なレシピまで、野菜を中心とした料理ブログを書いています。「作りたくなる料理ブログNo.1」を目指して奮闘中です。
ブログ:今日、なに食べよう?〜有機野菜の畑から~

次回の更新は、2018年7月27日(金)の予定です。

編集/はてな編集部