盛岡発のミニコミ誌を手掛ける木村さんに聞く。盛岡の「これまでとこれから」

NYタイムズ「2023年に行くべき52か所」への選定を機に、街を歩けば、外国人だけでなく、観光客と思われる日本人の姿も。

実際、2023年度には外国人客数が6万人以上、経済波及効果も18億円以上増えたことが産経新聞で取り上げられていました(2024年7月現在)。

盛岡発のミニコミ誌「てくり」で約20年盛岡の日常を綴ってきた、まちの編集室の木村敦子さんに、NYタイムズに取り上げられたその後の盛岡の様子や、盛岡という街の特徴を伺ってきました。

 

NYタイムズに2番目に取り上げられた「盛岡」の今

「盛岡の街って、最近すごい注目されてると思うんです。木村さんはどう感じていますか?」

「やっと気づいてくれましたねって(笑)。でも、あまり一斉に人が来すぎても困るな、みたいな気持ちもありますね。盛岡は元々、すごく観光客が多かった街ではないし、注目されることに慣れてないから。いらっしゃる方たちも、優しい気持ちで来てくださいねって思います」

「盛岡の『ちょうどいい日本の地方都市』としての魅力も言われていますよね」

「NYタイムズで盛岡を推薦してくださったライターのクレイグ・モドさんが、『見過ごされてきた宝石的スポット』と仰っていて。盛岡は個人店が多くて、会話がゆっくり楽しめる街なんですよね。今までは、アジア系の方が多いイメージでしたが、最近では世界各地からの観光客の方を見かけるようになりました」

「『てくり』は来年で創刊20周年ですよね。『普段の盛岡の風景』を20年も紹介してきて、これだけ雑誌が続くのって、やっぱり盛岡には掘りがいがありますか?」

「ありますよ〜」

「江戸時代の藩政の頃から街が栄えていたこともそうですし、大学があるのも大きいと思います。特に医大。そういう街って、文化が残ってると思うんですよ。まず、お殿様たちが作った文化。お茶とか、お酒、庭とか南部鉄器もそうですよね」

「なるほど……。言われてみれば、古き良き庭園なども、中心街を囲んで点在している気がします。でも、医大のおかげで文化がある、というのは?」

「医大があると、そこを卒業した開業医の人たちが街に増えますよね。お医者さんは経済的にゆとりのある方が多いから、例えば楽器をやられたり、いいワインをお店で楽しんだり……。そういう層の方たちがどれくらいいるかで、街の文化度にも影響すると思うんです」

「地元の八戸と比べて、その違いはちょっとわかるかもしれません。大学があると若者も街に増えるし、さらに医大があると街の文化度も上がる……面白いですね」

「あくまで私の仮説ですけどね。でも医大があると、本屋さんも潤うと思うんです。医学書ってお値段もするものが多いですけど、そういう本が地元の本屋さんでちゃんと売れるわけですよね。それも、盛岡の街の文化度の土台になっている気がします」

 

なぜ盛岡には個人店が多いのか

「盛岡には、個人店も多いですよね。古い建物が残っていて、家賃もそんな高くなかったりすると、若い人たちが面白いことを始める余地みたいなものもあるんでしょうか」

「そうですね。駅前よりも、橋を渡って岩手公園を超えたあたりが家賃も安いので、個人店も多いように思いますね」

「盛岡に移住して、古き良き建物が残されているイメージが強かったんです」

「私も東北のいろんな街に住みましたけど、仙台や青森って、空襲や火事で焼けちゃった街なので、古い建物があまり残ってないんですよ。青森のなかでも弘前って城下町だし、大学も多いから、盛岡になんとなく似ているでしょう」

「弘前に行ったとき、なんか雰囲気が盛岡に似てるなと思ってました」

「青森の道路には広いものが多いんですけど、火事の予防のためと言われています。盛岡はそうではなくて、藩政時代の小さな道路が残っていますね

「袋小路になっていたり、一方通行の道が多くて、今でも運転でドキドキします(笑)。そういえば、盛岡を『ス⚪︎バが潰れる街』って書いてあるのを見かけたことがあるんですが……」

「それ、私が最初に言い始めたんです(笑)。そのあと、いろんなメディアで見かけるようになって」

「そうなんですね!(笑)」

「前は盛岡の中心部に3軒あったんですけど、今は1軒だけ。個人経営の素敵な喫茶店も多いし、チェーンだと『ドトール』が人気な印象ですね」

「なんでみなさん、ドトールが好きなんでしょう?」

「長居できるし、メニューが簡単だからかもしれませんね。『コーヒー』で伝わる。あとはSかMか、アイスかホットかですし」

「メニューも昔の喫茶店に近いのかもしれませんね。年配の方でも行きやすいのかも」

「私がドトールにいて、たまたまおばあちゃんたちの会話から『ドト友(=ドトール友達)』って言葉が聞こえたんです。すごいな、これが大衆文化だなって思いましたね」

「それくらい、盛岡の人たちは喫茶店を愛しているんですね(笑)」

「今って、全国各地で再開発が進んでいますよね。風情ある街並みが残っている盛岡ですが、その点はどうなんでしょうか?」

「前にね、街のことをよく知っている方に『なんで盛岡って古い建物が残っているんですか?』って聞いたことがあって。そうしたら、『壊すお金がないんだよ』って、ただ一言。買いたいって人もなかなかいないですし」

「大都市と比べたら資本が少ない分、外部からの開発も少ないのかもしれませんね。でも最近、そんな盛岡でもマンションがとてつもない勢いで建っている印象で、ちょっと複雑です」

「NYタイムズ効果で、土地の価値が上がったのもあると思います。今までそんな注目を浴びるようなことがなかったから、景観条例みたいなものもそんなに厳しくなかったんですよね。岩手山が見えるように守ろうね、気をつけようね、くらいの。今が変わり目なのかもしれませんね」

 

てくりが残してきた「盛岡の価値」

「雑誌って、時代の流れを意識する作り方もあると思うんです。てくりの特集では、時流って意識するんですか?」

「うーん。今、目の前にあるものを記録するような作り方だから、50年後にそういう時流が見えてくるのかな、みたいな気持ちでいますね。目の前の風景を残していって、それが将来的に時流の1つになっていくんだと思います」

「私の持っている号は、かなり前に発行されたものばかりで。まさに今読んでいて、10年前の盛岡ってこんな風だったんだなと思うんです。知り合いの昔の姿が載っていたりもして、あのときこんな感じだったんだって、ものすごく琴線に触れる感覚があります」

「20年も続けると、いろんな変化もありますよね。親子3代で誌面に登場いただいている方もいらっしゃいますし」

「子育てやキャリアの変化もある中で、20年も続けられるって、本当に尊敬します」

やめないだけですから。仕事じゃなくて、好きなことだからというのもあると思います」

「『お休みしようか』みたいな瞬間はなかったんですか?」

「3.11の震災のときくらいかな。当時は本当に全部、止まっちゃいましたから。盛岡は直接の被害はなかったんですけど、沿岸部で被災された方たちが、たくさん避難されてきて。そんな中で本を作ろうって気持ちには、なかなかなれませんでした」

「その後、再始動するきっかけが何かあったんですか?」

「2011年の5月に、『モリブロ』っていうブックイベントを元々企画していたんです。新幹線が動いたから、なんとかゲストも呼べてイベントができて。そのゲストで来ていただいたブックディレクターの幅允孝さんが『本ってあとから効いてくるメディアだよね』と仰ってくれて」

「じーんとくる言葉ですね!」

「それで、やんなきゃねとなって、この『伝える仕事』って号を出しました」

元々準備していたテーマを見直し、予定より2ヶ月遅れで発行した13号。本、フリーペーパー、ワークショップ、チラシや店頭POPなど、独自の方法で発信し続ける方々に焦点を当てた。「伝えること」や「編集すること」を見つめた一冊

盛岡の今を残しておくことが、『てくり』の役割ということですよね。3.11直後の空気も含めてパッケージすることが、いつか振り返ったときに大事なものになる」

「そうかもしれませんね」

「20年、やってることは変わらないんです」

 

おわりに


木村さんを筆頭に「伝えたい、残したい、盛岡のふだんを綴る本」のキャッチコピーで、盛岡の日常を20年間残してきた、まちの編集室の皆さん。

目まぐるしいスピードで様変わりしている、盛岡。個人所有の建物の場合だと、様々な観点でその姿を維持していくのがなおさら難しいことも。

建物としての寿命だけでなく、いろんな事情があって役割を終えて、バトンを次に繋いでいくのは必然だと理解できる一方で、思い入れのある場所や、心象風景の形が失われていくことに心が追いつかない自分もいます。

 

てくりをめくれば、知らない盛岡、好きだった盛岡、新しい盛岡がそこにある。

手に残る形で、優しくそこに綴られている盛岡の普段の姿。

「目の前の風景を残していって、それが将来的に時流の1つになっていくんだと思います」

書店に行けば、『てくり』のバックナンバーが並んでいて、個人店に行けば、もう手にできない昔の『てくり』が大事そうに置かれてある。

私はそんなこの街が、ずっとずっと大好きなのです。

 

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