
ナイチャー、という言葉がある。内地の人。沖縄で、県外の人を指していう言葉だ。
そこに込められたニュアンスはもちろん一つではないだろう。親しみを含むこともあれば、沖縄が歴史的に置かれてきた立場を背景に、ときには距離や反発をにじませることもあるはずだ。
「そりゃあ、いろいろ言われてきましたよ。『ナイチャーがやってる店でしょ』とか、『こんなの沖縄そば屋じゃない』とか。でも、そりゃそうなんですよ。沖縄そばは地元の人にとってのソウルフード。みんな、そば愛を語り出したら止まらないんで」
そう言って笑うのは、沖縄そばの人気店「EIBUN」の店主・中村栄文さんだ。

岩手県の海辺の町の出身で、この仕事を始めるまで沖縄に来たことは一度もなかった。暑さは苦手で、「移住してから15年のあいだに海に入ったのは3回だけ」。つまり、筋金入りの沖縄好きが高じて移住したというわけでもない。
それでも中村さんは、沖縄そばの可能性を信じ、追求してきた。2026年4月末にオープンする4号店は、その先の海外展開も見据えた挑戦だ。
「ゆくゆくは沖縄そばを、うどん、ラーメン、日本そばと並ぶ日本の4大麺料理と呼ばれる存在にしたい。本気でそう思っているんです」
そう言って憚らない北国出身の46歳。縁もゆかりもなかった南国のソウルフードに、彼はなぜこれほどまでに人生を賭けるのか。
やりたいことは全部やってきた20代

━━まだお昼時というわけでもないのに、お店の前には行列ができていました。
ありがたいことにね。でも、今でこそ結構お客さんに来てもらっていますけど、最初からこうだったわけではないんですよ。3年目までは本当にギリギリのラインで営業していましたから。
━━そうなんですか。てっきり最初から話題のお店だったのかと。
いえいえ。ようやく軌道に乗ったのは4年目くらいからです。メディアに取り上げてもらえることが増えて、だんだんと認知度が上がっていって。県外出身者が沖縄そばをやるって、それだけハードルが高いんです。納得させるのが大変なんですよ。
━━今日お聞きしたいのはまさにそこで。県外出身の中村さんがなぜ沖縄そばに情熱を注ぐのか。
それを語ると長くなりますけど。そもそもまで遡ると、まだ学生だった19歳のころに料理をやりたいと思ったのが始まりで。盛岡の専門学校で学んで、修業先を求めて上京しました。そのときに関心があったのはフランス料理。『料理の鉄人』にハマっていて、一皿に込めるアーティスティックな感じがかっこいいなと思って。神楽坂のめちゃくちゃ美味しいビストロで修業を始めました。
━━最初はフレンチだったんですね。
でも3年で挫折しちゃいまして。給料は手取りで6、7万円くらい。飯田橋駅前の風呂なしアパートで頑張ったんですけど、さすがに続かなかったですね。それでアパレルに転職しました。
━━料理からアパレルへ。
そのころに考えていたのは「好きなことは20代のうちに全部やってしまおう」ということで。料理の次に好きなのが洋服でした。仕事は楽しかったし、6年くらい頑張ったんですけど、ここも給料が理由で辞めました。業界自体が厳しい時期で、ボーナスが現物支給になり、やがてゼロになって。
━━やりたいことはやれていたけど、現実は甘くなかった。
それで次は「街で見かけるスーツのサラリーマンってどんな仕事をしてるんだろう」という純粋な好奇心で、人材派遣会社に入りました。「飲みすぎて終電を逃す」なんて経験も、一度はしてみたいなって。給料はこのときが一番良かったと思います。
震災、そして沖縄そばとの出会い

━━どんどん食の現場から離れていってる気がしますけど。そこからどう沖縄につながるんですか?
その後、知り合いに誘われて、今度はインドネシアで新規事業開発の仕事をすることになって。もともと暑いのは嫌いだし、海外で働きたいと思ってたわけではないんですけど。誘われた瞬間になぜだか「ちょっとやってみたい」と思っちゃったんですよね。
━━思っちゃったんですね。
インドネシアには2年いたんですが、そこで改めて「食」の大切さを実感しました。現地の日本料理店に行ってみると、懐かしい味ではあっても、美味しいと言えるものではなく。「本物の日本食って違うよな」「このまま海外に残って、また食の道に戻るのもありかもな」と考え始めました。
━━海外で暮らすとなると、やはり食の問題は大きいですよね。
そうなんですよ。それでちょうどよくシンガポールの飲食企業の求人を見つけて面接を受けたら、無事内定をもらうことができて。ビザ申請のために一時帰国して、岩手の実家に戻った、まさにそのタイミングで、東日本大震災が起きました。
━━ご実家のある岩手の沿岸部と言えば、まさに被災地の中心ですよね。
そう、町の大半が津波でなくなりました。その光景を目の当たりにしたら、3週間後に海外へ行くなんていう気持ちにはとてもなれなかった。結局、シンガポール行きはキャンセルして、半年間は復興ボランティアをやりました。でも、状況が少しずつ落ち着いてくると、またしても「海外で勝負したい」という思いが湧いてくる。そこで頭によぎったのが、やっぱり「食」だったんです。何かしら日本の食を極めて、自分の店を持って海外へ出よう。そう考え始めたのはここからですね。

━━でもどうして、それが「沖縄そば」だったんですか。ラーメンやうどんといった選択肢もあったと思うんですが。
最初は僕もラーメンで、と思ったんですよ。当時は「蔦」(※)がミシュランの星を取った直後だったし、海外で成功している日本食の多くが、ラーメンやうどんのような麺料理だったから。でも、ちょうどそのころ、よく一緒に飲んでいた友達の奥さんが沖縄出身で。彼女がことあるごとに、沖縄そばについて熱く語るんです。「沖縄には専門店があって、それも地域ごとに色が全然違う」「誰もが推しの店を持っていて、語り出したら止まらないんだ」って。
※蔦:2012年にオープンした東京のラーメン店。2016年にラーメン店としては世界で初めてミシュラン一つ星を獲得。以降、4年連続で星に輝いている。
━━地元愛に当てられたんですね。
まさに。それまでは「飲んだあとの締めに出てくるもの」くらいの認識しかなかったんですけど、彼女の話を聞いているうちに「それって、日本全体におけるラーメンのようなものなのかも」「ひょっとしてものすごい可能性があるのでは」みたいに、ブワーッとイメージが広がってきて。それでとりあえず一度、沖縄に行ってみることにしたわけです。
━━ちなみに、それまでに沖縄との接点は……
いえ、まったく。興味もなかったですし。でも、自分のイメージが正しいか確かめたくて、とりあえず。着いて早々に食べ歩きを始めて、初日に5軒くらい回ったのかな。そしたら、本当に彼女の言う通りだったんです。店ごとに全然違うし、めちゃくちゃ奥が深い。それでいて世界にはもちろん、都内でも専門店を見かけたことがなかった。「これはまだまだ開拓の余地があるんじゃないか」「本当に海外へ行けるかも」と思いました。それでその日のうちにコンビニの無料求人誌を手に取って、翌日には面接を受けて仕事を決めて。一度岩手に帰って準備をして、翌週にはもう沖縄で働き始めていました。
2年間で200軒、通算500軒の食べ歩き

━━ものすごいスピード感ですね。行動力がすごい。
そこから2年間、自分に課したのは「ひたすら食べ歩く」ことでした。「2年は徹底的に食べ歩いてリサーチして、そのあと修業して、5年目に独立する」という自分なりのロードマップを描いていたんです。職場のリゾートホテルは国頭村という、陸の孤島みたいな場所にあったので、持っていった自転車じゃどこにも行けない。すぐに中古車を買って、それで島中を北から南まで。2年間で200軒は回ったと思います。
━━2年間で200軒!
飲み屋で飲んでいると、すぐにそば屋談義が始まるんですよ。僕は当時から「将来、沖縄そばでニューヨークに行くためにリサーチしてるんだ」って公言していたから。そうすると近くの席の知らない人が寄ってきて「だったらあそこの店に行け!」「あっちの店も食え!」って。
━━地元の人のそば愛はやはり本物なんですね。
そういう店を片っ端からめぐって、働きたいと思える店をリストアップしました。でも「働かせてください」と連絡しても、ことごとく断られて。唯一「週4日、短時間のアルバイトだったら」と言ってくれたのが、恩納村の「なかむらそば」だったんです。夜は別のバイトをしながら2年間、みっちりと修業させてもらいました。
━━そこでそば作りのひと通りのことを学んで。
その間も食べ歩きは続けて、最終的に500軒を超えて「もう沖縄のどこを探しても行ったことのない店はない」となったところで、独立を考え始めました。性格的に常に忙しいほうが向いていると思ったので、那覇市内に絞って物件を探し続けて、ようやく巡り会えたのが今の1号店がある場所です。

2016年に那覇市壺屋にオープンした「OKINAWA SOBA EIBUN」。今年2026年4月で10周年を迎える
━━ほぼ最初のロードマップ通りじゃないですか。
でもここからが大変でしたね。最初の1年はまったく人が来なくって。10時間店を開けて客が9人、つまり1時間に一人に満たない日もありました。
━━さすがに心が折れそうですけど。
不思議とそうでもなかったですね。「この味ならいけるはず」という謎の自信だけはあったんで。毎日新しいスープを作ってお客さんを待つというのを3年くらい続けました。当然、スープは余るんですけど、それを使っていろいろと実験をして。失敗もたくさんしましたが、その中から生まれたものの一つが、看板商品の「ジュレそば」です。まさに「余ったスープをどうするか」と考えたところから、ジュレにして保存するという発想に辿り着いたんです。
ナイチャーがやってるそば屋

2号店であるSTAND EIBUNのレギュラーメニュー「STANDそば」
━━実際のところ、内地の人がそば屋をやることへのネガティブな反応ってあるんですか?
ありましたよ。最初は、むしろ批判のほうが多かったと思います。見ての通り、うちの店っていわゆる昔ながらの沖縄そば屋っぽい見た目じゃないんですよ。むしろそうしないことにこだわった。「沖縄そばはカウンター越しに厨房を見ながら黙々と食べるもの」みたいな固定観念を崩したかったから。
━━固定観念を。
念頭にあったのはカフェみたいな場所です。カフェに行く人って、必ずしもコーヒーの味だけを求めているわけじゃないですよね。かっこいい空間で、ちょっとくつろぐ時間も含めて、その場に価値を感じている。沖縄そばでも、そういう入り口があっていいと思ったんです。でも「こんなのは沖縄そばじゃない」という声は多かったですし、「ナイチャーがやってるそば屋でしょ」みたいな言い方もたくさんされました。
━━そういう声って、直接言われることもあるんですか。
最初のころは店に来たお客さんに直接言われることもありましたよ。価格設定に対する反発もあったと思います。今でもそうですけど、沖縄そばって安くて手軽に食べられるものというイメージが強い。でも、実際に店をやってみると、原価は思っている以上にかかっているんです。500円や600円で出すなんて、本来なら無理な話で。でも、値上げすることで客が減る怖さがあるから、みんな我慢してやっている。僕としてはその当たり前を覆したかった。これからそばをやりたいと考える若い人に、それでもやれるところを見せたい思いもありました。

━━きついことを言われてやり方を変えようとはならなかった?
ならなかったですね。文句を言いながらも、ちゃんと食べてくれていたので。お金をいただいている以上、こちらからしたら「ありがとうございます」でしかなくて。興味すら持たれないより、よっぽどいいなと思ってました。それに、うちが一番苦しかった時期に救ってくれたのも、実はそういう地元の人たちだったんです。
━━どういうことですか。
3年目くらいから観光の文脈で注目されて行列ができるようになると、地元の人が来なくなって。でも、2020年からのコロナ禍で観光客がゼロになったとき、また戻ってきてくれたんですよ。店がずっと右肩上がりで来られたのはそのおかげで。
━━行列には並びたくないけど、気にはなっていた、という人がいたんですね。
そうだと思います。今はまだ見えなくても、食べたいと思ってくれる人は必ずどこかにいるんだなって。自分の中でもう一段階自信が持てた出来事でした。1号店の近くに新しい物件が見つかったとき、迷わず2号店をやろうと思えたのは、間違いなくこの経験があったからです。
うどんとラーメンのあいだで

アーサーという沖縄特産の海藻をたっぷりと使用した「EIBUNのアーサーそば」
━━今は沖縄そばの新規出店も増えていて、「進化系」と呼ばれるジャンルも生まれています。そういう流れの先駆けと言われることについてはどう感じていますか。
ありがたいことではあるんですけど、正直、あんまりうれしくはないです。というのも、最近の新規店ってラーメンに近いものを作っているところも多いんですよね。僕はあくまで「沖縄そば」を作っているつもりなので。
━━「ラーメンに近い」というのは、どういうことなんでしょう。
日本には、うどん、日本そば、ラーメンという3つの大きな麺文化があるじゃないですか。僕もよく「沖縄そばって、どれに分類されるの?」って聞かれるんですけど、そんなときは一番わかりやすく、「うどんとラーメンのあいだです」と答えるようにしているんです。
━━うどんとラーメンのあいだ。
うどんは、鰹や昆布の一番出汁だけでスープを作るから、あっさりしていて繊細な味になる。一方、旨みを抽出するためにとにかくいろんなものを入れるのがラーメンです。沖縄そばは、ちょうどその中間。鰹節の一番出汁と豚骨をミックスして作る。
だからアレンジメニューの開発というのは、この範囲の中でいかに遊ぶかという勝負です。あっさりしすぎるとうどんのようになってしまうし、逆に旨みばかり投下すると、飲んだ瞬間に「うまい!」と思っても、最終的には「でもこれってラーメンだよな」となってしまう。その匙加減が本当に難しいんですよ。
━━なるほど、その整理は面白いです。

ジュレ状スープの食感が独特な、EIBUNの看板メニュー「特製冷やしジュレダレぶっかけまぜそば」
ジュレそばは、見た目だけで言えば、沖縄そばの原型をとどめていないかもしれない。けど、ジュレはそば出汁を固めたものだし、肉も三枚肉を細切れにしたもの。伝統的な作り方に則って、食べ終わったときに「これはたしかに沖縄そばだ」と思えるように作っているつもりです。
━━ラーメンとうどんという強力な先達に挟まれて、沖縄そばの難しさが伝わってくるお話ですね。
あいまいと言えば、あいまいですよね。最初は僕も「なんでこんなに中途半端なんだろう」と思ってました。でも、食べ続けているうちに、これこそが沖縄そばなんだ、と思うようになるんです。これは余談ですけど、「何かと何かのあいだにある」っていうこの感じ、もしかしたら沖縄という土地のあり方とつながっているのかもしれないですよね。
逆輸入で「3大麺」に並ぶ青写真

━━新しいことに挑戦しつつも伝統を大切にしているというお話でしたけど、中村さんの中には、沖縄そばというカルチャーの未来を守りたい、みたいな気持ちもあるんですか。
ちょっとはあるかもしれないです。最近は僕のやってることに共感してくれたのか、地元の若い人が「修業したい」と言って来てくれることが増えていて。以前はそうやって来る人のほとんどが県外の人だったんですけど。今はスタッフの8割が地元の人です。
━━なるほど、それは大きな変化ですね。
さらに、今年の4月27日にオープンする4号店は、海外進出に向けた試金石というコンセプトを明確に打ち出しています。店のロゴもリニューアルして、海外展開のハードルの一つになるヴィーガンメニューも開発中。「これ、本当に豚も鰹も使ってないの?」って驚かれるくらいのスープができそうです。インバウンド客を相手に結果を出せれば、それを持っていよいよ海外へ。そういう青写真を描いているんですけど、これもある意味、文化を守ることに貢献しているんじゃないかなって。
━━「自分の店で海外に出る」というのは、中村さんがずっと持っていた夢でしたけど、それが結果的に文化を守ることにもつながっている?
受け継ぐべきものを受け継ぐのは大前提。でも、その上で外に向けてアウトプットしていかないと、文化って衰退していくと思うんです。僕が同業者とあまり付き合わないようにしているのも、そのためで。内輪でばかり絡んでいると、どうしても馴れ合いになってしまう。沖縄って、そういう「なあなあ」で回る部分もあると感じるから。「ゆいまーる」(※)と言えば聞こえはいいですけど、こと飲食経営に関しては、そこから少し距離を取ったほうがいい場面もあるんじゃないかなと思ってます。
※「ゆいまーる」:ユイは「結い、協働」、マールは「順番」の意味。助け合い、相互扶助の精神を表す沖縄の言葉。

━━現状維持ではダメで、守るためには外に出て挑戦をする必要もあるということですよね。ただ、いきなり海外を目指すよりも、まず東京へと考えるのが普通じゃないですか。
もちろん、それも一つの考え方だと思います。でも、今東京に持っていっても、来てくれるのは、もともと沖縄が好きな人たちがほとんどだと思うんで。僕は最終的に、沖縄そばを、うどん、日本そば、ラーメンと並ぶ4大麺料理にしたいと本気で思っているから。そのためには、パリとかバルセロナとかニューヨークとか、そういう場所でフィーチャーされたうえで、逆輸入するほうがいい。日本人ってそういうストーリーに弱いじゃないですか。それくらいやらなければ、爆発的な成功には至らない。僕はそこを狙ってるんで。

中村さんが言うことはどれも理にかなっていて、納得感がある。もちろん言うだけではなく、行動力もすごい。徹底もしている。沖縄そばの将来を本気で考えている。だからこそ「EIBUN」の今日の成功があるのだろうし、この先にも明るい未来が待っているに違いない。
だが、一つだけ気になることがあった。それは「沖縄の文化や人と、水が合うのだろうか?」ということだ。県外からわざわざ沖縄に移住してきた人の口から、まさか「ゆいまーる」に対する批判的な言葉まで飛び出すとは。取材の最後に、恐る恐る聞いてみた。
「正直に言って、感覚的に合わないと感じる部分はたくさんありますよ。内向きだし、突き詰めることが足りないと感じるところもある。でも不思議なことに、那覇空港に着陸する飛行機から青い海を見ると、『帰ってきたな』と思うようにはなりました。沖縄愛の強い人と比べればまだまだですけど。ここがホームという感覚は出てきている気がします」
すごく誠実な態度だと感じた。好きなところもあれば、そうでないところもある。好きだと感じるときもあれば、そうでないときだってある。「その土地を愛する」というのは、そういうことかもしれない。少なくとも、何でもかんでも礼賛することではないだろう。
「地域への愛を持って活動している人のことはもちろんリスペクトしてます。そういう人がいないと、やっぱり地域は衰退する。でも、僕自身は沖縄そのものをどうこうしたいとは思わないです。そんなの烏滸がましいと思うし、僕がここに来たのは、やっぱりそばをやるためだから」

OKINAWA SOBA EIBUN
沖縄県那覇市壺屋1丁目5-14
https://www.instagram.com/soba_eibun/
STAND EIBUN
沖縄県那覇市壺屋1丁目1-18
https://www.instagram.com/stand_eibun/
EIBUN Tsuboya
沖縄県那覇市壺屋1丁目5-14 1階左
https://www.instagram.com/eibun_tsuboya/
EIBUN palette(2026年4月27日オープン)
沖縄県那覇市久茂地1丁目1−1 デパートリウボウ1階
EIBUNのHP:https://sobaeibun.okinawa/
編集:荒田もも
撮影:吉山日向









































