ほとんど家から出ずに黙々と一人で生活していると、さまざまな雑念が頭に浮かんでは消えてゆくもの。

 

この日記では、家から出ないことに定評のあるライター・上田啓太が、日々の雑念や妄想を文章の形にして、みなさんにお届けします。

 

今回は、

・スターバックスは観光名所なのか?

・私は金属ではないので溶けたことがない

・モスバーガーとは真剣に向き合いたい

の三本です。

 

上田啓太

文筆業。ブログ「真顔日記」を中心に、ネットのあちこちで活動中。
ブログ:真顔日記 Twitter:@ueda_keita

 

スターバックスは観光名所なのか?

スタバで写真を撮る人々がいる。ドリンクを撮る、あるいはドリンクとともに自分たちを撮る。こうして、ネット上にフラペチーノの写真があふれていくことになるのか。

 

これはやはり、スターバックスという場の力のようで、私は餃子の王将にもよく行くが、チャーハンやギョウザを撮影しているおっさんは見たことがない。吉野家で牛丼を食べることもあるが、牛丼を撮影しているおっさんも見たことがない。

 

もしも二人組の中年サラリーマンが牛丼もちゃんと映るように角度を調整したうえで自撮りしていたりすれば、私はホクホク顔で良いもん見たと友人知人に報告することになるのだが、残念ながら見たことはない。

 

しかし、スタバに二時間もいると、当然のようにカメラのシャッター音が聞こえてくる。いちいち気にすることもない。たんなる日常の一風景になっている。

 

たまに、近くの女たちが本格的な記念撮影をはじめて、自分がうしろに写り込んだ男Aになっていることもある。あれは何なのか。風景の一部にさせられている。やめろと言うほどでもないが、落ち着かない。うしろでさりげなく白目でもむいておけばいいのか。そうやって集合写真をだいなしにする。

 

私は原稿を書くためにスタバを利用する。同じようにパソコンを開いて仕事している人間もたくさんいるようだ。その意味において、スタバはワークスペースである。しかし一方で、観光名所のような雰囲気もある。純粋なワークスペースでは、あちこちでシャッター音がしたりしないだろう。あの空間が奇妙なのは、スタバというのがワークスペースとしても使える観光名所になっているからか。

 

私は日常で写真を撮る習慣がない。写真を撮りたいという衝動がめったに生まれないということだ。きれいな景色を見ても、きれいだなあ、と感じて終わる。撮影に至るまでのハードルが非常に高い。そんな自分がどのような時に写真を撮るかと想像すると、宇宙空間に行った時は撮るかもしれない。

 

たとえば、仮に私がはじめて月面に降り立ったとして、そこに旗を立てたとき、連れの宇宙飛行士がそのまま帰ろうとすれば、「いやいや写真撮らないの!?」と言ってしまいそうだ。連れの宇宙服のすそをつまんでしまう。「淡白すぎるでしょ!」くらいの文句はつける。

 

「だって月面だよ?」

 

ということは、私が写真を撮るとすれば、スターバックス月面支店ということか。人類が月を旅先の一つとしたとき、当然、そこにはスタバができるだろう。これは絶対に撮ってしまうし、撮った写真を人にも見せたくなる。「そういや、こないだ月のスタバ行ったんだけどさ」くらいのことは言う。さらりと切り出すことで逆に相手の関心を刺激するという、こざかしいテクニックまで使ってしまいそうだ。絶対に食い付いてほしい。スルーだけはされたくない。インスタもはじめる。

 

私は金属ではないので溶けたことがない

学生時代、理科の授業で「融点」というものを習った。さまざまな金属が何℃で溶けはじめるかということだったが、いまだに納得がいっていない。というのは、数字の大きさに納得がいかないのである。

 

私は体温が37℃になればもう不調で、38℃になれば完全に寝込む。40℃をこえれば生死の境をさまようことになる。しかし鉄というのは、1538℃で、ちょっと溶けるのである。このタフさはすごくないか。

 

鉄以外の金属でも話は同じである。ウィキペディアによれば、金の融点は1064℃、プラチナの融点は1768℃なのだが、これは人間の身体とは違いすぎる。鉄、金、プラチナ、上田の四人でサウナに行けば、私はまっさきに脱落することになるだろう。その後、一週間や二週間が過ぎても、鉄も金もプラチナも脱落せず、私は自分が戦おうとした者たちとのレベルの差にあぜんとする。

 

科学の知識に登場する巨大な数字は、それだけでギャグになるところがある。たとえば、太陽の温度は6000℃だとか言われると、知的な部分ではそうなのかと思っても、腹のあたりでは「冗談で言ってますよね?」と感じる。

 

しつこく言うが、人は体温が38℃になると仕事を休む。しかし太陽は6000℃で元気に燃えさかっている。太陽が上司だった場合、社員は大変である。すみません、39℃の熱が出ちゃいまして、と電話しても、相手は6000℃の熱で元気に燃えさかっている。「おまえのそれは甘え」で切り捨てられてしまう。たしかに日々6000℃で燃えさかる上司にとって、体温が3℃上がるだけで苦しむ人間は軟弱にすぎる。

 

飲み会でも太陽の説教は続く。おまえに仕事への熱意を感じない、もっと熱い気持ちをもって仕事に取り組むべきだ。しかし、太陽のいう熱い気持ちは具体的には6000℃なのである。

 

太陽は「俺の内側には熱いものがある」と言う。「表向きは冷たく見えるかもしれないが」とすら言う。そして実際、太陽の内部温度は1500万℃なのである。たしかに、内側にそれだけの熱を抱える太陽にとって、6000℃という表面温度は冷たすぎるのかもしれない。

 

しかし、人間としては、高温で燃えさかる異常な上司のもとでは仕事などやっていられない。飲みの席でこんこんと続く太陽の説教にぶちぎれて、部下はとうとう冷たいビールをジョッキごと太陽にぶっかける。ジュッ、という音がして、ビールが蒸発する。怒りに任せて辞表を叩きつける。ジュッ、という音がして辞表が燃える。ついに太陽をパワハラで訴える。ジュッ、という音がして裁判所ごと消滅する。無敵。

 

モスバーガーとは真剣に向き合いたい

モスバーガーによく行くようになった。近所にあるからだ。具体的には徒歩二分。異常な近さに心の距離まで縮まった。部屋着のまま朝めしを食べたりする。

 

よく言われることだが、モスバーガーを食べることは大変である。それは食事というよりも競技に近い。油断するとおいしいソースがこぼれ落ち、紙ぶくろの底に溜まってしまう。あの量が多いほど減点だろう。

 

そのため、食べながら集中状態を維持する必要がある。神経を研ぎ澄まし、一切のこぼれがないように口元に運ぶ。これまでの自分は年に数回のモスバーガーだった。それじゃあ改善は望めない。しかし週三度のモスバーガーとなれば話はべつだ。徐々に食べかたは改善されている。

 

たとえば、バーガーを食べる際は上下のバンズを強めにつかんで固定するとよいと発見した。これまではバンズをつかむ指の強さが足りていなかった。あまりに優しく持ちすぎていた。その結果、ソースが大量にこぼれ落ちていた。優しさは時としてアダになる。優しいだけの男は、モスバーガーひとつまともに食べられない。

 

モスバーガーにおける満点クリアは、指にソースがつかず、テーブルにもソースがこぼれず、すべてを美味しくいただいたあと、抜け殻のようにまっさらな包み紙が残ることであり、私はモスバーガーを食べる以上、満点クリアを目指したい。

 

不思議なもので、マクドナルドでは気にならない。ビッグマックの包み紙にケチャップが大量に付着していようが、私の心は涼しいままだ。モスバーガーにおいてのみ、極限まで神経を張り詰めている。モスバーガーに対しては、真剣に向き合いたいのか。

 

だいたい私は、モスと略すことすらできていない。いいかげん略そう略そうと思いながら、とうとうここまで来てしまった。モスバーガーが女だったら、大恋愛に発展しそうな気がする。別れる別れないから、すぐ死ぬ死なないまで発展しそうだ。最後はふたりで無理心中。

 

 


 

ということで、今回は三本の日記でした。

それでは、また次回。