はたらく気分を転換させる深呼吸マガジン

イーアイデム

育児が自分ごと化できなかった私。3カ月の育休を「とるだけ育休」にしないため、夫婦で決めたこと

 下村光輝

子供と一緒に撮影した様子

こんにちは、下村光輝(しもむらみつき)と申します。関西のとある製造業で会社員をしています。

私たち夫婦の間には、2020年2月に第一子となる娘が出生しました。それを機に、3カ月間の育児休業(育休)を取得しました。

男性の育休取得は、世間一般にはまだまだ浸透していません。取得したとしても育児・家事にうまくコミットできず、「とるだけ育休」になってしまうことも多いと聞きます。

かく言う私も、とある出来事があるまで育休を「自分ごと化」できていませんでした。

今回は、そんな私が育休を取ろうと思ったきっかけと、私自身が「とるだけ育休」にならないために、夫婦で何を考え、実行していったかということ、また実際に育休を取得して何を感じたかということを振り返ります。

最初は「育児」にも「育休」にも当事者意識を持てていなかった

私は今の会社に大学新卒で入社し、ちょうど5年目を迎えた日から育休を取得しました。

勤務先はファミリーフレンドリーな企業で、子どもが親の職場を見学する「こども参観日」というイベントにも力を入れています。

しかし、そんな会社であっても男性の育休取得率はさほど高くなく、全国平均をやや下回る程度。私自身、共働きの妻が妊娠した直後は「育休」を自分ごととして考えることはほぼありませんでした。

そんな私が「育休」を意識したきっかけは、出産予定日の半年ほど前、久しぶりに会った同期との会話でした。彼も配偶者が妊娠しており「俺、育休を半年取得する予定やねん」とのこと。

育休って半年も取れるんだ!」と率直に驚いたのを覚えています。


同僚との会話をきっかけに、育休にまつわる会社の制度や法律を調べ始めました。そのうち、産後うつや産後クライシス、とるだけ育休など、育児にまつわるさまざまな問題を認識し、ようやく「育児」や「育休」が現実味を帯びて、自分ごと化できるようになったのです。

同時に「軽い気持ちで育休を取得しても、こういった問題は解決できない。育休中にどう過ごすか、しっかり考えなくては」と使命感も生まれました。

「育休を取ろうと思う」と伝えると、妻はとても喜んでくれました。

子どもが生まれることで「生活」がどう変わるかを考える

家族3人の手元

共働き世帯が増え、夫婦で家事を分担する考え方は少しずつ浸透してきています。しかし、積極的に家事分担をしている夫婦であっても、育児となると「主に母がやるもの」と考えがちではないでしょうか。

私たち夫婦も、それぞれのワークライフバランスを保ちたいという思いで普段から家事を分担していたものの、私は「出産」や「育児」には当事者意識を持てずにいました

また妻自身も、初めての妊娠・育児で不安な気持ちが大きいにもかかわらず、無意識のうちに「育児は女性が担うもの」という性役割にとらわれていたそうです。

「共働き」に「共家事」、そして「共育児」をどのように実現するか。私の解は「男性である私も育休を取得し、早期から育児にコミットすること」でした。


私の場合は、偶然ともいえる同僚の育休取得をきっかけに育児や育休を自分ごと化できるようになりました。が、そんな機会がなく、妊娠が分かり出産が近づいても「男性の育休取得」に当事者意識を持てないままの方は、男女ともにいると思います。

まだまだ身近でない男性の育休取得を自分ごと化するのは、正直なところとても難しいと思います。男性の育休について、会社や国がもっと具体的にアピールしてくれれば認識が変わるかもしれませんが、そう簡単にはいかないのが現実です。

なのでそういう方はまず「乳幼児が1名増えること」で毎日の生活にどう影響があり、どんな変化がありそうか、夫婦で考えて話し合うことから始めてみてほしいです。

乳幼児は、1人では何もできません。朝起きてから夜眠りに就くまで……いえ、夜中も泣いて起きるので、24時間ずっと誰かのサポートが必要になります。夫婦2人だけであれば、それぞれが最低限自分の世話さえしていれば何とか家庭は回りますが、乳幼児が1人増えると「お世話」のタスクが山のように積み上がり、自身のことすら十分にできなくなります。

夫婦のうち、どちらか一方だけにその負担が偏るとどうなってしまうのか。「生活」という身近なものがどう変わるのか。パートナーはその影響をどう捉えているのか。まずは話し合ってお互いの認識を共有しあってみてください。

「とるだけ育休」にならないために必要なのは“話し合い”

我が家の場合は妻が里帰り出産し、1カ月ほど実家で過ごしたあと、私の育休スタートにあわせて3人での生活を始めることにしました。せっかく取得を決めた育休が「とるだけ育休」にならないために、まずは育休中をどのように過ごすか事前に決めておくことにしました。

そうして妻と相談して決めたのが「あえて家事・育児の役割分担を細かく決定しない」でした。

「早期から育児にコミットする」という思いから取得を決めた育休でしたが、「コミットする(=責任を持って関わる)こと」だけではなく、「育児の全てを私もできるようにしておくこと」が重要と考えたからです。


理由は、例えば片方が入院したときや出張に行くときなどの「対応力」を高めるため。いまのところそのようなケースは起きていませんが、妻の指揮がなくても私は全部の育児や家事ができるようになりました。

またそれぞれのタスクの「重み」を知っているからこそ、「◯◯やってくれたんだね、ありがとう」とお互いを気遣うことができるようになったのも、とても良かったと感じています。

以下は育休中のとある1日のスケジュールです。

育休取得中の1日のスケジュール

役割分担を決めていないため、育児、家事の担当は日によって変わります。この日は娘の寝かしつけや部屋の掃除機掛けは妻にお願いして、入浴や食事の準備片付け、洗濯は私が担当しました。

「母にしかできない育児」といえば授乳ですが、我が家では直母(乳房から直接母乳を与えること)ではなく搾授乳(搾乳器などを使い母乳を搾り、哺乳瓶で与えること)を選び、序盤からミルクも積極的に利用していたので、私もかなり担うことができました。

それぞれのタスクについては「気付いた方がやる」というものも多かったです。

「気付いた方がやる」は、「気付く人」にタスクが偏ってしまうデメリットがありますが、一方で「気付くポイントやレベル」がそれぞれ違うというメリットもあります。

我が家はどちらかというと私の方がきれい好きで、部屋を整理整頓して保っていたいという思いから、掃除や後片付けはすぐ着手します。しかし娘のことは、妻の方がアンテナを鋭く張っていました。

「見えない家事(育児)」とよく言いますが、当初私が見えなかったのは「朝起きたときに顔を拭いてあげる」「気温に合わせて服装を調整してあげる」などの娘の細かいケアでした。

気付くポイントが違うからこそ、2人で「やった方がいいこと」を再確認しながら、両者の育児・家事能力を高めていけたことも、このスタンスならではと感じました。

また、2人で育児や家事を分担するにあたりいくつかコツがあります。まずは相手ができてなくても許す寛容さがとても重要。そして疲れなどで「できない」と思ったときは、早い段階で相手にヘルプを出す心構えも大切でした。

もちろん、そのためにはお互いを信頼し、何でも話し合える関係になっておくことが前提。我が家がこの方法でうまく行ったのは、育休期間にどのようなことをやるか、夫婦で事前にしっかりと話し合ったからこそだと思います。

子供と一緒に海を見ている様子

職場への影響を最小限にするため、すり合わせは丁寧に

「育休」の取得に必要なのは、家庭での話し合いだけではありません。もちろん、職場への申請や仕事の調整も必要になります。

そもそも育休は、育児・介護休業法という法律がもとになっている制度です。

育児・介護休業制度ガイドブック(厚生労働省)(PDF)

労働者の権利なので、対象者が申し出れば必ず取得できますが、そうは言っても男性の育休取得率は7.48%(2019年度時点)とまだまだ低い現状にあり、上司や同僚の驚きも少なからず生じます。

人がひとり抜けるため、職場の労働力も必ず低下します。私は、職場へ与える影響がゼロではない以上、丁寧な擦り合わせが望ましいと考え、育休を取得したい意思を出生予定日の半年前に上司に報告しました。

先にも述べた通り、私の勤務先は比較的ファミリーフレンドリー。上司や同僚からの反対はほぼなく、特に育児を経験した女性社員からは「奥さん絶対助かるよ!!」と言われ、言葉の重みと説得力を感じました。

一方で男性社員は、時代的な背景もあり「男性も育休を取得できるなんて、良い時代だね」「俺のときもあったら取ってたわ」など、子どもがいる人でも好意的ではありながらも育児を他人事だと考えているようなコメントが印象的でした。

また少数ではありますが、他部署の人に「落ち着くまで休まないでよ」と言われたこともあります。

というのも、ちょうど育休開始時期に組織変更の予定があり、引き継ぎの担当者がなかなか見つからなかったのです。少しショックでしたが、そういった感情を持つ方がいらっしゃるのも仕方ないのかなと思いました。

育休取得による影響を最小限に抑えるべく、引継ぎを徹底的にやるつもりで担当者をなるべく早く決定してもらうようにお願いしていましたが、最終的には最後の1カ月強で引き継ぐことに。

引継ぎ用の資料を作成し、それを元に担当者と毎日30分のミーティングで共有しながら引き継いでいくというスタイルでなんとか乗り切りました。

花を撮影

育休取得のためにこのような調整をする中で感じたのは、働く人みんなの負荷が恒常的に高いこと。

育児だけでなく、介護や病気など、さまざまな理由で「休まざるを得ない」ことは誰にでもあることです。しかし、今持っている業務に加えて、休業を取得する人のタスクを担う余裕がない。これでは「休む人」も「休む人をカバーする人」も大変。

また、私が育休を取得したのは入社5年目という、まだ「若手」とも言えるころ。キャリアを積めば積むほど、育休取得時の業務分配の労力、周囲の抵抗感が大きくなっていくはずです。

男性の育休取得がもっと広がるためには、本人の意識のほか、労働環境の改善も大切だと実感しました。

さらに、私がそうだったように、育休が法律により労働者に与えられている権利であるということを知らない人も多いと思います。または、存在としては知っていても、その内容までは詳しく知らない、という方もいるでしょう。

もちろん、会社が法律を遵守しないつもりはないはずですが、「知らぬが仏」といった具合に、積極的に従業員へ示すことは多くありません。「制度」の存在や内容自体を伝えていくことも必要だと思います。

育休取得は育児・仕事の両方にメリットがあった

3カ月間の育児休業を取得して良かったことをまとめてみます。

【1】余裕があったからこそ育児・家事に全力を注げた。

娘は特に生後3カ月ごろまで「夜泣き」が強烈で、夫婦2人で交代して起き、おむつやミルクをチェックし、それでも泣くときは寝付くまで抱っこし続けました。長いときには深夜なのに2時間も寝ない、ということも。翌日は寝不足で日中ほぼ動けず。

育休を取っていなかったら、このころの日々はさらに過酷だったと思います。

また、保活に参加できたのもとても良かったです。近所の保育園を見繕い、平日にどのような保育を行っているか見学しに行きました。

保育園への送迎を担当している男性は多いと思いますが、保活にも積極的に関わったことで、自分の子の進む先を見られたのはとても良かったと思っています。

【2】私ひとりでも娘の面倒が見られるノウハウと自信を得られた。

おむつの在庫はどこに入れてあるだとか、離乳食はどのように作るだとかも含めて、育児の全てを私もできるようになりました。これにより妻に日常的にかかる負担・使命感を大きく減らせました。

また、ある程度長い期間娘に向き合ったことで、育児に対する自信がついたことも大きいです。

【3】育児・家事含む日常の全てを妻と共有できた。

育休中はずっと妻と一緒にいるので、あらゆる話をします。育児方針を考えたり、時事問題についての意見交換をすることも多くありました。

長期間を夫婦で共に過ごすということは、それだけパートナーシップが育まれるということ。私たちは以前から仲が良かったですが「共育児」を経て、さらに強い絆で結ばれたと感じています。

【4】同僚が私の業務を担えるようになった。

育休を取得した立場から「メリット」に挙げるのは、少々筋違いかも知れませんが……。しかし、組織のためには、従業員が1人減ることを「厳しい」と捉えるのではなく、他の従業員の能力開発のチャンスと捉えられるかどうかが大切だと思います。

もちろん、私が不在にした3カ月間、業務を引き継いでくれた同僚へは足を向けては寝られません。その方は当時培ったスキルを存分に生かし、いまも活躍しています。育休取得も積極的に考えられているそうなので、そのときは私が業務を引き受けたいと思っています。

育休を経て、家族がもっと愛おしくなった

子供と一緒にベンチで

3カ月の育休。始まる前は長いかもと思っていましたが、いざ始まってみると充実した日々が続き、終わる頃には3カ月では物足りないという気持ちに。

6カ月までなら育児休業給付金の額も変わりませんので、もっと長くても良かったと思います。


私はもともと仕事人間ではなく、どちらかというと“家庭人間”。仕事に対する情熱も特別高くないので「仕事を忘れそう」という不安や「昇進が遅れる」といった焦りはありませんでした。

しかしそんな私でも、同僚に迷惑をかけてしまうことに対するうしろめたさや、残してきたプロジェクトに後ろ髪を引かれる感覚は少なからずありました。

また、新型コロナで孤立しがちな環境下での育児ということもあり、妻は「社会に置いていかれる」という不安が強かったようです。そんな不安にいち早く気付けてケアできたのも、夫婦ともに育休を取得していたからこそだと思います。


育休を経て、私はもっと家族のことを愛し大切にしていきたいと思うようになりました。育休が終わった今も、妻と考えを擦り合わせながら、育児と家事に取り組んでいます。

家族のこれからのために、3カ月間の育休は欠かせない時間だったと改めて感じています。

著者:下村光輝 (id:sheldonia)

下村光輝

関西の製造業に勤める。2020年2月に第一子が誕生、3カ月の育児休業を取得する。そのときの体験から、男性育休推進派としてブログやSNSでの発信活動中。

ブログ:育休しましょう Twitter:@split_kicker

関連記事

www.e-aidem.com
www.e-aidem.com

編集/はてな編集部


一度は食べたい! スイーツ好き3人がおすすめする、絶品お取り寄せ「クッキー缶」5つ

スイーツ好きの3人が選ぶおすすめクッキー缶

家で過ごす時間が増える中、家にいながら楽しめるお取り寄せグルメが人気を集めています。SNSやブログでおいしいお取り寄せ情報を目にする機会も増え「自分でも何か取り寄せてみたい!」と気になっている人もいるでしょう。

そんな初心者の人に特におすすめなのが、届いてすぐに食べられる、手軽なスイーツのお取り寄せ。今回はお取り寄せスイーツに詳しい3人の著者が、何度でもリピート買いしたくなるほどハマっているという「推しクッキー缶」をご紹介します。

1缶にたくさんの種類が詰まったクッキー缶は、味はもちろん、缶を開けたときのワクワク感も楽しめて、ご褒美にもぴったり。手軽につまみやすいので、毎日のテレワークの息抜きにも活躍してくれます。

有名ショコラティエやビーントゥーバーチョコレート専門店ならではの、素材にこだわったチョコレートのクッキー缶から、バターが香る王道のクッキー缶、甘くなくお酒に合うクッキー缶、Instagramで人気を集めるレアなクッキー缶まで、個性豊かな計5つのクッキー缶をピックアップしてもらいました。「お取り寄せっていろいろあるけど、何を頼もう?」と迷ったら、ぜひ参考にしてみてください。

チョコレート好きが厳選した、専門店ならではの技が光るチョコレートのクッキー缶

選んだ人:桜花

桜花

世界のミュージカルと旅とチョコレートを愛する会社員。すぐ遠征するおたく。

Twitter:@oukakreuz ブログ:欲しがります負けたってchocologue

こんにちは。旅行や舞台観劇、コスメや漫画など多趣味なオタクOL、桜花です。普段は「欲しがります負けたって」というブログで旅やオタ活の様子を記録しています。甘いもの、特にチョコレートが大好きで、チョコレート専門のブログ「chocologue」も運営中。2020年には明治が主催する「チョコレート検定」も取得しました。

おいしくて入れ物がかわいいクッキー缶は、昔から大好き。2020年は外出自粛で生菓子を買いに行けなかったため、日持ちがするクッキー缶を定期的に購入しました。クッキー缶が家にあると毎日数枚ずつ食べて長く楽しめるし、缶が目に入るだけでうきうきするし、おこもり期間のQOLが爆上がりしました。

今回はそんな中でも、チョコレート好きの私が選ぶ、チョコレート専門店ならではのクッキー缶をご紹介します。

レトロな見た目もかわいい、フレデリック・カッセル「ボワット・ア・ビスキュイ」

フレデリック・カッセル「ボワット・ア・ビスキュイ」のパッケージ

まずご紹介するのは、フレデリック・カッセルの「ボワット・ア・ビスキュイ」。カッセル氏は世界最高レベルのパティシエたちによる協会「ルレ・デセール」の名誉会長でもあり、フランス洋菓子・ショコラティエ界の重鎮です。そんな彼が手がけるクッキーとチョコレート両方を楽しめるのがこちらの商品。バターたっぷりでさくさくのビスケットの上に大きなチョコレートが乗ったビジュアルがとってもかわいい!

フレデリック・カッセル「ボワット・ア・ビスキュイ」の中身

味は酸味と苦味のバランスが良いダークチョコレートが乗った「Louis(ルイ・写真左下)」、甘過ぎないミルクチョコレートが乗った「Jules(ジュール・写真右上)」の2種類。実はカッセル氏の2人の息子さんの名前なんだとか。この商品への思い入れがうかがえますよね。分厚いチョコレートは、それだけをゆっくり舌の上で溶かして味わいたいくらい絶品です。(でもクッキーと一緒に食べるときのバランスが計算し尽くされていて最高なんですよ〜!)

フレデリック・カッセル「ボワット・ア・ビスキュイ」の個包装パッケージ

昔のおもちゃ箱のような缶の柄もおしゃれ。またクッキー缶にはめずらしく個包装で配りやすいので、ビジネスシーンでの手土産にも重宝しています。

素材へのこだわりを楽しめる、ダンデライオン・チョコレート「クッキーアソートメント」

ダンデライオン・チョコレート「クッキーアソートメント」のパッケージ

最近、Bean to Bar(ビーントゥバー)という言葉を目にしたことがある方もいらっしゃるのでは? Bean to Barとはカカオ豆(Bean)の仕入れからチョコレート(Bar)ができるまでの全工程を自社工房で一貫して行うチョコレートの製造スタイルのこと。ダンデライオン・チョコレートは、アメリカのBean to Barのパイオニアとも呼ばれているチョコレート屋さんです。

ダンデライオン・チョコレート「クッキーアソートメント」の中身

「クッキーアソートメント」はオンラインショップ限定販売のクッキー缶。かわいいカカオ柄の缶の中に、チョコレートに強いこだわりを持つ同社らしいクッキーが3種類入っています。クッキーには全てドミニカ共和国産のカカオを使用。ドミニカ共和国のカカオはフルーティーな中にナッティな味があるのが特徴だそう。

チョコレートチップクッキー(写真上段)はバターたっぷりの生地にチョコレートチップが。チョコレートクッキー(写真中段)はシンプルながらチョコレートの濃厚な味をがっつり楽しめます。珍しいのはカカオニブカフェというクッキー(写真下段)。カカオニブとはカカオ豆の実をローストし、粗く砕いたもののこと。見た目はチョコチップに似ていますが、ナッツのような食感で、より本来のカカオに近い苦味や香りがあるのが特徴です。このクッキーでは香ばしいコーヒー豆で香りづけした生地にカカオニブを混ぜていて、ビターな大人の味とザクザクとした食感が楽しめます。

3種類とも同じ産地のカカオを使っているので、加工方法や素材の組み合わせによる味の違いをより感じることができる楽しいクッキー缶です。


▶︎▶︎オンラインショップONLINE STORE – Dandelion Chocolate 公式サイト

▶︎▶︎紹介した商品クッキーアソートメント

ステイホーム期間を経て、通販対応のお菓子屋さんが増えましたよね。最近は情報を集めるために、Instagramで「#クッキー缶」などのハッシュタグをチェックするようになりました。そこで見つけた気になる商品をググったり、お店の公式アカウントをフォローしたりして、オンラインで購入できるチャンスをうかがっています。

チョコレート屋さんのこだわりが詰まったこれらのクッキー缶も、そんなふうに出会った私のお気に入りです。ぜひ食べてみてください!

人に贈りたくなるほど惚れ込んだ、有名店の定番&変わり種クッキー缶

選んだ人:

華

旅行や手芸や文房具が好きなEIGHTER(関ジャニ∞のファン)。チョコレートやクッキーなどの、かわいい洋菓子が大好き。ブログでは、現場の思い出や日常についてなど、好きなものを雑多に書き留めています

Twitter:@8210pink ブログ:これは厄介だっていう説もあるけど

こんにちは。ブログ「これは厄介だっていう説もあるけど」の華といいます。

新型コロナウイルスの流行に伴って在宅ワークが始まり、せっかくなのでおうち時間を楽しもうと、いろいろなお取り寄せをして楽しんでいます。その中でも、少しずついろんな味を楽しめるクッキー缶は、量もほどよく日持ちもするので、一人暮らしの私にぴったりでした。

クッキーをつまみながらのティータイムが在宅ワーク中の良い息抜きになったので、気に入ったクッキー缶を友人にも贈ってみたところ、喜んでもらえてうれしかったです。

そこで私がご紹介するのは、思わず人に贈りたくなるほど惚れ込んだ、自分用にはもちろん、ギフトにもぴったりのクッキー缶。知人や友人にも好評だったものを2つご紹介します。

バターが香る、ビスキュイテリエ ブルトンヌ「ブルターニュ クッキーアソルティ」

ビスキュイテリエ ブルトンヌ「ブルターニュ クッキーアソルティ」のパッケージ

私がクッキー缶にハマったのは、この「ビスキュイテリエ ブルトンヌ」のクッキー缶を、親戚から結婚の内祝いでもらったことがきっかけでした。それまではあまりクッキーの違いが分からなくて、何を食べても「ふつうにおいしい」と思っていたのですが、ブルトンヌのクッキーを食べて「これは特別においしい!」と“一口惚れ”。

ビスキュイテリエ ブルトンヌ「ブルターニュ クッキーアソルティ」の中身

缶を開ける前から幸せなバターの香りがただよってきます。中でも絶品なのが、ザクザクした「ガレット・ブルトンヌ ドゥミ(写真右上)」。単品で購入するほど大好きです。次にお気に入りなのが、コンフィチュールの渦が美しくガリッとした食感が楽しい「フランボワーズ(写真左上)」。歯ごたえのあるクッキーが好きなのでたまりません。

親戚からいただいたのをきっかけに私も妹もすっかり気に入り、姉妹でギフト用に自分用にと何度もリピートしています。贈った相手からも「前から気になってた」「初めて知ったけどおいしい!」「妻が喜んでいます」と毎度好評で、人にクッキーを贈るならコレ! とわが家の定番になっています。

今のところネット通販でも店頭でも、完売していて困った! という経験がなく、買いたいときに買えるのがうれしい。急に手土産が必要になったときには、ネット通販で「お急ぎギフト(営業日の午前10時までに注文すれば即日出荷されるサービス)」が利用できるのも助かります。

甘くない、お酒にも合うクッキー缶。アトリエうかい「フールセック・サレ缶」

アトリエうかい「フールセック・サレ缶」のパッケージと中身

続いてはアトリエうかいの「フールセック・サレ缶」。チーズやハーブ、トマト、ベーコン、オニオンなど、塩気のある小ぶりなクッキーがみっちり入っていて、無限につまんでしまいます。

アトリエうかい「フールセック・サレ缶」の中身

職場でも出したことがあり、最初は「甘くないクッキーってどんな味?」とみんな不安そうにしていましたが、「ピザポテトが好きならたぶん好きと思う」と伝えると、特に男性たちが「これめっちゃおいしい!」と気に入ってパクパク食べていました。実家の父も「これは酒のアテにええわ」とペロリ。私も食べましたが、ワインにぴったりでとてもおいしかったです。

甘いものがあまり得意でない方、お酒好きな方へのギフトにおすすめです。アトリエうかいといえば甘くてかわいい「フールセック」が特に有名で私も好きですが、一番のお気に入りはサレ缶。通販サイトではたまに完売していますが、在庫ありの状態に出会えたら、ぜひ迷わず購入をおすすめします!


▶︎▶︎オンラインショップアトリエうかいオンラインショップ-クッキーギフトの通販

▶︎▶︎紹介した商品フールセック・サレ缶

私なりのお取り寄せクッキーを探すコツは、センスが好きなブログや、Twitterアカウントを見つけてフォローしておくこと。特に、桜花さん(@oukakreuz)のブログやスイーツ芸人 スイーツなかのさん(@buuuuuton)のツイートをいつも楽しく拝見しています。

あとはデパ地下を歩くときに目的のお店以外にもどんなものが売っているのか見るのも楽しいし、雑誌のお取り寄せ特集を見るのも好き。「いいな」と思ったものはすぐに買わなくてもとりあえずメモやブックマークなどしておくと、あとで「何かおいしいものを食べたい・贈りたい」と思ったときに、思い出しやすくてオススメです!

自分のお気に入りのクッキー缶を見つけたら、コロナ禍でストレスを抱えているお友達に向けてや、バレンタインやホワイトデーなどさまざまなギフトとしても、ぜひ贈ってみませんか?

パティシエが選ぶ、一度ぜひ食べてみてほしいレアなクッキー缶

選んだ人:yuki

yuki

クッキーを愛してやまないパティシエ。焼き菓子のお店「tsumiki」店主。
オリジナルのクッキー缶を不定期でネット販売中。主にInstagram、Twitterで販売のお知らせをしています。

Twitter:@ametogumiii Instagram: @ametogumii

高校を卒業してからパティシエとして働き始めて8年目になる、yukiといいます。2020年11月から現在勤めているお店の厨房を借り、焼き菓子のお店「tsumiki」として、休日にオリジナルのクッキー缶を不定期で通信販売しています。

私は焼き菓子を作るのはもちろん、食べるのも好きで、特にクッキーが大好き。同じような材料でも味や食感、見た目の変化があり、食べるのも見るのも楽しいです。

そのクッキーたちがぎゅっと詰まった幸せの宝箱が、クッキー缶です。一度お取り寄せしてみるとワクワクが止められず、あそこのお店のはどんな味がするんだろう? ここのもかわいいなと、オンラインショップを見ているだけでも幸せな気持ちになりました。家族や友達とシェアするのも楽しいですが、独り占めしたときの最高のご褒美感も好きです。

今回はクッキーを愛してやまない私が中でも気に入った、入手難易度はやや高いものの一度ぜひ食べてほしい、とっておきのクッキー缶をご紹介します。

最後までわくわくが止まらない! THE bake shop Noelのクッキー缶

THE bake shop Noelのクッキー缶

「THE bake shop Noel」は、店舗を持たずネットと委託のみで販売している焼き菓子店。こちらは2020年7月に購入した、14種類のクッキーが隙間なくみっちり詰まった、さまざまな味と食感のバリエーションが楽しめる魅力的なクッキー缶です。

THE bake shop Noelのクッキー缶の中身

デザインから「かわいいクッキーがたっぷり入ってます!」と伝わってくる缶を開けると、想像以上にかわいいクッキーが。種類が多いので、どれから食べよう? 次はどの子にしよう? と最後までわくわく楽しめます。

「ワイルドブルーベリーのエンガディナー」など、名前だけでも心がくすぐられます。ヌガーとサクッとしたクッキーがたまりません。特に気に入ったのが、写真左上にあるローストピーカンナッツのショートブレッド。ナッツの香りがたまらないサクサクのクッキーです。

同封されているお品書きもとても丁寧で素材への愛を感じます。ケーキセットなども販売されていますが、どれもとてもおいしくリピートしています。


▶︎▶︎オンラインショップTHE bake shop Noel

▶︎▶︎Instagram
THE bake shop Noel (@the_bake_shop_noel) - Instagram

※クッキー缶の販売についてはInstagramで随時告知し、オンラインショップで販売しています。

私がお取り寄せのクッキー缶を探すときは、桜花さんと同じくInstagramのハッシュタグ検索などをよく利用します。今回ご紹介したクッキー缶も、「#クッキー缶」のハッシュタグで検索して気になってお取り寄せしてみました。

なかなか行けないお店の気になるクッキーも、お取り寄せなら家にいながら楽しめるのがいいですよね。素敵なおうち時間のティータイムのお供に、ぜひどうぞ。

***

素材へのこだわりやビジュアルに至るまで、3人のスイーツ好きそれぞれの視点で、お気に入りのクッキー缶を選んでもらいました。おうち時間のティータイムのお供に、ぜひあなたの「推しクッキー缶」も探してみてください。


気分をリフレッシュするために

おうちでの飲み物に“紅茶”という選択を。プロが教える、簡単で美味しい紅茶のいれ方
おうちでの飲み物に“紅茶”という選択を。プロが教える、簡単で美味しい紅茶のいれ方
お皿を変えるだけで食事がもっと楽しくなる。はじめての「うつわ選び」
お皿を変えるだけで食事がもっと楽しくなる。はじめての「うつわ選び」
疲れている人に観てほしい「心が前向きになれるドラマ」5作品
疲れている人に観てほしい「心が前向きになれるドラマ」5作品
最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

※本記事に記載の情報は、2021年2月時点の情報です。商品内容などは購入時期によって異なる場合があります。

編集/はてな編集部

大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き

 チェコ好き(和田真里奈)

チェコ好きさんTOPイメージ

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ブロガーのチェコ好きさんに寄稿いただきました。

チェコ好きさんがやめたことは、大人数が参加する飲み会の場に行くこと。

飲み会で「場を盛り上げられない」ことから、自身のことを「コミュニケーション能力が低い」と考えていたというチェコ好きさん。コミュニケーション能力がある人は、飲み会の場で大勢と一緒に盛り上がれる(さらにいえば、その盛り上がりを先導できたり、空気を読んで気を利かせ、サラダなどを取り分けたりすることができる)と感じていたのだそう。

しかし、仕事のシチュエーションを通して、そういったことができないことが必ずしも「コミュニケーション能力の低さ」に直結するというわけではないのでは、と考えるように。思い切って、大人数が参加する飲み会に行くことをやめてみそうです。

飲み会の場で盛り上げられる人こそがコミュニケーション能力のある人だ、と思っていたチェコ好きさんが、あえてその「場」に行くことをやめたことで、「コミュニケーション」に対する捉え方にも変化があらわれたようです。

***

コミュニケーション能力が低いと思っていた

ノリが悪い、愛想がない、空気が読めない、気が利かない、おまけに体質的な問題でお酒がまったく飲めない。この地味で内向的な性格のおかげで、ノリが良くて空気が読めて気も利く社交的な人たちと比べて、いったいどれだけたくさんのチャンスを失ってきたのだろう? 20代の頃の私は、ずっと悩んでいた。

大勢が集まる飲み会でまわりの人と一緒に盛り上がれないから、他人と交流が深められず、仕事や恋愛のチャンスがめぐってこない。コミュニケーションが下手だから、人の心の機微が分からず、文章を書いてもいまいち洗練されたものにならない。自分の思うように物事が進まない原因の全てはこのコミュニケーション能力の低さにあるのだと考えた私は、20代で克服できなかったこの弱点を、30代前半のうちになんとかしなければならないと考えた。

そのために始めたのが水商売のバイトで、一時期はIT企業の非正規社員と文筆業にこれを加えて、三足のわらじを履きながら生活していた。

もちろん、お客さん相手にお酒とおしゃべりを提供するいわゆる「水商売」の仕事が、自分にぜんぜん向いていないことは最初から分かっていたーーというか、向いていないからこそ、挑戦してみようと思ったのである。

ただ、そんな三足のわらじ生活も、結局は一年を過ぎたくらいで精神的に限界が来てしまう。これは今回の本題ではないので手短に言うけれど、水商売の世界は、旧来の男女観や性役割の考え方がとても濃く残っている場所である。一年の間で「30歳なのにどうして結婚しないの」「もっと隙を見せないと」「女は仕事なんか頑張っちゃダメ」などを言われたことで私にとって思った以上にストレスが溜まり、危機感を覚えた。そのため、当初の目的であったコミュニケーション能力の向上にはさして変化が訪れないまま、私の挑戦は幕を閉じざるを得なかったのである。

(ちなみに、お酒がまったく飲めないのにどうやって水商売をやっていたんだとたまに聞かれるが、私が勤めていたお店では従業員にお酒と称したソフトドリンクを飲むことを許してくれていた。)

コンプレックスを解消してくれたのは、仕事だった

水商売のバイトを辞めてから半年と少しが過ぎた頃、諸事情によって、所属している会社のチームメンバーが一気に増えた。当然、メンバーが増えた分コミュニケーションの量も増え、また文筆業の方でも、編集の方と会話を重ねながら打ち合わせをする機会が以前と比べて増えていった。

振り返ると20代のうちになぜそのことに思い至らなかったのかと不思議なのだが、たくさんの人と綿密なやりとりを続けるなかで、気づいたことがあった。私が自分の弱点だと思っていた性格は、仕事を進める上では、必ずしもマイナスに作用するわけではないということだ。

私の所属している会社はSlackによるテキストでのやりとりが中心なため、テキストコミュニケーション上では「ノリが悪い、愛想がない(目が笑ってない)」などの欠点はあまり目立つことがない。むしろコミュニケーションの量が増え続けるなかで、「大量のテキストを読むことがまったく苦にならない、自分の考えを適切に言語化できる、相手の書いた文章の意味を汲める」などの私のもともとの強みが生きる機会の方が、ずっと多いと感じた。

空気が読めない、気が利かないなどはいまだに性格としてどうなのかとは思っているけれど、それも「言いづらい反対意見を述べることができる」「相手の機嫌に振り回されずに、マイペースにタスクを進められる」などプラスの要素に転じたことがないではない。

もちろんゼロとはいわないが、振り返ってみると、仕事においては私のコミュニケーション能力の低さが原因で相手からの信頼を失ってしまった、という経験はあまりないように思う。

プライベートも同様で、交友関係そのものはびっくりするくらい狭いけれど、その狭い範囲のなかでは友人とも恋人とも、息の長い付き合いを続けているほうだと思う。仕事での綿密なやりとりを通して、遅まきながら「私のコミュニケーション能力、まあ高くはないけど、実はそんなに気にするほど低くもなかったのでは?」と考えが変わっていったのである。

5人以上が集まる飲み会に参加するのを(極力)やめてみた

考えが変わっていくなかで判明していったことは、私にとってネックになってしまうのは、ひとつはお酒が入る場であること。そしてもうひとつは、人数である。

まずお酒。私は「飲み会」は大の苦手だが、実は「ランチ会」はそれほど苦手ではない。お酒がまったく飲めないという私自身の体質がどうにも変えられないなか、素面でお酒が入った人のテンションについていくのがとにかく難しいのである。夜に集まってガヤガヤやるのはいまだに気が進まないが、昼間にみんなで集まってコーヒーや紅茶を飲むのはそれほど気が重いわけではない。

加えて、人数。私はどうも、場の人数が自分を含めて5人以上になると、いろいろな人の話が頭のなかで混線し、「ま、私がしゃべらなくてもいいか……」という感じになって心のなかでギブアップしてしまう。4人だとギリギリで、私にとってもっとも会話がしやすいのは2〜3人だ。

この二つが自分のなかではっきりしたある時期から、思い切って、5人以上が集まる飲み会に誘われたときは、それが忘年会や歓送迎会などの年に数回の特別な機会である場合をのぞいて、お断りする方向に舵を切ってみた。

舵を切った当初は「このまま誰からも誘われなくなってしまうのではないか……」と不安もあったけど、期間を経てみると意外とそんなこともなく、今は3〜4人の小さな集まりに誘ってもらったときのみ、「お酒を飲まない(飲めない)」ことをあらかじめ伝えつつストレスなく参加している。

もっとも、新型コロナウイルスが猛威を振るう現在においては、「5人以上が集まる飲み会」が、実質開催できない状況になってしまっている。お酒を飲む飲まないや昼夜に関係なく、数人でマスクを付けずに長時間おしゃべりをするのは避けた方がいいという状況だ。

「5人以上が集まる飲み会に参加するのをやめよう」と決めたあの時期には、まさか今のような「そもそも開催できない」なんて日が来ることは、まったく想定していなかった。もちろん、新型コロナによる影響が終息しても「5人以上が集まる飲み会には参加しない」という私の基本方針は変えないつもりだが、このような事態になってしまうと、気が重かったあの22時や23時のガヤガヤした居酒屋の空気を、懐かしく、また少し恋しく思う(自分勝手な、ないものねだりだけど……)。

なお、このような状況のなかで2020年に「Zoom飲み会」にも何度か参加してみたが、お酒が入る場であること、また5人以上が参加する場であると心のなかでギブアップしてしまいあまり楽しめないという点は、リアルな飲み会とほとんど変わらなかった。

お酒を飲む様子のイメージ画像

コンプレックスを感じる場への参加を控えたことで、自分に自信が持てた

オフライン・オンラインにかかわらず、5人以上が集まる飲み会への参加をやめてしまうことは、人との出会いやチャンスを減らしてしまうことにつながる。大勢が集まる場を特に苦手と思わない人まで、これを実践すべきだとは思わない。まだ自分の得意不得意が固まっていない若い人であればなおさら、である。

ただ私の場合、根本的な性格や能力は何ひとつ変わっていないのに、コンプレックスを感じてしまう場への参加を控えたことで、ストレスは確実に減った。それどころか、仕事を通して自分の弱みよりも強みに目を向ける機会が増えたことで、以前よりも自分のコミュニケーションに自信を持てるようになった。

繰り返すが、根本的な性格や能力は何ひとつ変わっていないのだ。「コミュニケーション能力がないと、人の心の機微が分からないから、洗練された文章が書けないのではないか」という以前の思い込みも、「心の機微」「洗練された文章」がそもそも抽象的でよく分からないし、私は私のやりかたでやっていくしかないな、と今は思っている。30代を数年過ごしてみて、吹っ切れたところも少なからずあるのだろう。

大勢と一緒に盛り上がれることも、ひとつの立派な能力には変わりないし、それがとてもプラスに働く場面や仕事だってある。でもその能力は、社会人として、どこで働くにしても必ず持っていなければならない類のスキルってわけではない。水商売の経験も今となっては「一度挑戦してみてよかった、おかげで諦めがついた」と思っているし、弱点を克服する努力が無駄だとは私も決して考えないけど、人間にはどうしても向き不向きがあるし、適材適所だ。

今も「ノリが良い」わけではないけれど

5人以上が集まる飲み会に参加するのを極力やめてみてから1年半以上経った。今思うことは、以前の私が考えていた「コミュニケーション能力」とは、「飲み会で大勢と一緒に盛り上がることができる能力」とほぼイコールだったような気がする(ノリが良いとか、タイミングよくサラダを取り分けることができる、とかも)。これらはいわゆる対面コミュニケーションをする上での能力なのかもしれない。

だが、コミュニケーションを取る場はお酒が入る席だけではないし、1対1というシチュエーションだって往々にしてある。なんならテキスト上でのやりとりだってそうだ。要するに、他者と意思疎通を図ることができるか、ということだ。なのに、コンプレックスゆえに自分を過小評価する癖がなかなか抜けなかったのか、「コミュニケーション能力」の定義そのものがすごく幼く、大学生くらいの価値観を引きずっていた。

文章が読める、自分の考えを言語化できる、相手との距離感を間違えない、同じことをいうにも言葉の使い方で受け取られ方が変わることを理解しているなどなど、とてもここに書ききれないほど、定義は多岐にわたるように感じる。そのうちどれかが弱いと感じても、別の何かが強ければ、おそらく仕事でもプライベートでも、以前の私のようにそこまで気に病む必要はないんじゃないだろうか。

20代の私に、そして今も自身のコミュニケーション能力について悩んでいる人に、このことが伝わったらいいなと思う。

著者:チェコ好き(和田真里奈)

チェコ好き

旅と文学について書くコラムニスト・ブロガー。1987年生まれ、神奈川県出身。HNは大学院時代にチェコのシュルレアリスム映画を研究していたことから。文筆業を行いつつ、都内のIT企業に勤務もする。著書に『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか 女の人生をナナメ上から見つめるブックガイド』(大和出版)。

ブログ:チェコ好きの日記 Twitter:@aniram_czech

編集/はてな編集部

趣味と仕事は切り離さなくてもいい。「マンガ飯」を13年続けてこられた“ゆるくつなげる“生き方

 梅本ゆうこ

梅本ゆうこさん記事トップ画像

「ワーク・ライフ・バランスを保って仕事も趣味も充実させよう!」なんて、口に出すのは簡単でも、実行するのは難しいもの。仕事が多忙になると、なかなか自分の時間を捻出しづらくなり、それにより仕事へのやる気や生活のメリハリがなくなり……といった悪循環に悩まされている方は決して少なくないのではないでしょうか。

今回はそんな「仕事」と「生活」のバランスについて、「仕事」「日常」「趣味」を“ゆるいトライアングル”でつなげて維持しているという、梅本ゆうこさんに寄稿いただきました。梅本さんはフルタイム勤務の会社員として働きながら主婦として日々の料理をこなしつつ、“マンガ飯”を再現して紹介するブログ「マンガ食堂」を13年続けており、書籍の出版や寄稿、メディア出演なども行っています。

“ゆるいトライアングル”のおかげで人生が楽しくなったという、梅本さんのこれまでを振り返っていただきました。

***

「仕事」と「趣味」は切り離した方がうまくいくと思っていた

多くの人にとって「趣味」は、毎日の仕事や生活を続けていく上での活性剤になっているのではないでしょうか。

兼業主婦の私にも、13年続けている趣味があります。それはマンガの中に登場する料理、いわゆる「マンガ飯」を再現し、ブログなどで発信すること。

好きな作品に登場する料理を四苦八苦しながら作っては家族と囲む日々の食卓に並べ、その過程をつづった文章を2008年に開設した「マンガ食堂」というブログで公開しています。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 『極主夫道』(おおのこうすけ/新潮社)のハンバーグプレート。原作のコマの絵とのシンクロ率高く再現でき満足した一品

しかし13年続けてきたといっても、仕事や家のことで忙しかったり、単に「気がのらない」という理由だったりで、数カ月ブログを放置したことは何度もありました

きっとみなさんにも、仕事が忙しくて趣味の時間が思うようにとれなかったり、それがもとで生活のバランスを崩したりした経験があると思います。

そういうふうに「趣味や仕事のバランスがうまく保てなくて」と悩まれている方はおそらく、趣味と仕事は切り離して、それぞれが干渉しないようにした方が「うまくいく」というイメージを持っているのではないかなと思います。

フィクションの世界でも「表の顔は真面目な会社員、でもプライベートでは誰も知らない別の顔を持つ」“静かなるドン”的な主人公が定番だったりしますし。

私も以前は、趣味と仕事のモードはきちんと切り分けることが、誰にとってもベストなんだと思っていました。

が、続けていくうちに自分の場合は「仕事・日常・趣味」の点を線で結び、たまに形を崩しながらも“ゆるいトライアングル”を維持していくことこそが楽しく生きるコツだと気付いたのです。

日常である「家事」に「趣味」をゆるくつなげた

そもそもマンガ飯を始めたきっかけは、料理にマンネリを感じていたからでした。

実家を出て上京したてのころは自炊が楽しくてたまらず、いろいろなレシピに挑戦する意欲があったのに、結婚して、家族の分も食事を用意することになって、ルーティンとしての家事になると「日々こなすこと」に精一杯

楽しかった料理が義務のように感じ、いつしかレパートリーも固定化していきました。

そんなある日、夕食に安倍夜郎先生のマンガ『深夜食堂』(小学館)に登場する、「牛すじ大根玉子入り」を作ってみようと思い立ちました。主人公のマスターが好きな具材だけで作ったおでんなのですが、たまたま自分の好物と一致していたので、なんとなく真似をしてみたくなったのです。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 13年前に初めて作ったマンガ飯、『深夜食堂』のおでん(ガラケーで撮影)


マンガを片手にキッチンに立って料理を作り、マンガの世界に浸って食べてみる。

たったそれだけで、言いようのないワクワク感と楽しさが久しぶりにこみあげてきました。

好きな作品に登場したものを、自分の手で現実化できるという興奮。マンガ飯という趣味は、ルーティンに感じていた家事をエンタメに引き上げてくれたのです(ちなみに作中では、「まゆみちゃん」というキャラがこのおでんを最高においしそうに食べるシーンがあります)。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 12年後に再び再現した『深夜食堂』のおでん(ミラーレス一眼で撮影)

ブログを始めたのは「仕事」もきっかけだった

……という話は、「マンガ飯を作るようになったきっかけは?」と聞かれた際によく答えているエピソードです。が、実はもうひとつ、これまでほとんど話してこなかったきっかけがあります。

それは「勤めている会社の仕事で、ブログについて勉強する必要があったから」。学生時代にホームページを作って遊んでいたWeb1.0世代ではありますが、2008年当時すでに普及しきっていた「ブログ」は未経験だったのです。

どうせ勉強がてらブログをやるなら、自分が今興味のあることを書いてみよう。『深夜食堂』のメニューを再現したのは、ちょうどそのタイミングでした。

そんな経緯で始めたブログでしたが、次第に仕事を忘れてのめりこむようになります。

昔読んだマンガの、記憶に残っている美味しそうな料理の数々。それを思い出しながら再現したり、最近読んで面白かったマンガを紹介したりするうちに、ブログの読者から「私もこのシーン、覚えてます!」「ブログで興味を持ってマンガを読んでみました」といった反応をもらえるようになりました。

自己満足で発信していた情報が、海に流したボトルメールのようにいつか誰かの岸辺に流れ着く。仕事で軽くリサーチしただけでは決して分からなかった「ブログ」という媒体の魅力がつかめたような気がしました。

数年後、今度は動画に関わる仕事をすることになりました。YouTubeなどの動画について調べるうちに、またも「自分でもやってみよう」という気持ちが沸き、マンガ飯を作る過程を動画に撮って公開するようになりました。

また、寄稿やメディア出演の依頼を受けるという経験から、自分も仕事で企業や個人の方に発注する際に「条件は明確に提示した方が分かりやすい」「◯日までにお返事しますと今後の大まかな進行を伝えておいた方が安心する」など、相手の立場に立って「やってほしいこと」が考えられるようになりました。

逆もまた然り。請求書を期限内に送ってもらえるだけでこんなにありがたいなんて……。


「家事」のモチベーションアップのために始めたマンガ飯。そして「仕事」のために始めたブログを通じての発信。それぞれが「マンガ飯を再現してブログや動画にまとめて発信する」という「趣味」とゆるくつながるようになったのです。

「好きなことを仕事に!」しない楽しみ方もある

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 『九龍ジェネリックロマンス』(眉月じゅん/集英社)の香港レモンチキン。女子会の雰囲気を表現するためコーディネートにもこだわりました

「仕事・日常・趣味」の“ゆるいトライアングル”を維持してきた私ですが、こういう趣味を続けていると、必ず聞かれることがあります。それは「趣味(好きなこと)を仕事にしないの?」という言葉です。

素人ながら、ねちっこい情熱で13年続けていると、さまざまなことが起こりました。

出版社からお声がけいただき、2012年にブログが書籍化。大好きなマンガ家・渡辺ペコ先生に書籍の表紙を描いていただいたり、テレビ番組でビッグ錠先生とマツコ・デラックスさんの前で『スーパーくいしん坊』(原作・原案:牛次郎/講談社)の鉄球チャーハンを再現したり、いちマンガファンとしては寿命の縮まるような、貴重な体験の連続でした。

そんな中、書籍化した際に周囲から「“マンガ料理研究家”みたいな肩書きで独立して、仕事は辞めるの?」とからかいまじりに言われたことがありました。

いや、そんなニッチな肩書き怪し過ぎるやろ……というツッコミは別にして、そういうふうに趣味に圧倒的な情熱を注いで「仕事」にする道を選ぶ方もたくさんいます。

しかし私の場合は、相変わらず会社勤めの傍らの趣味として「マンガ飯を再現」しており、肩書きも自ら名乗るときは単なる「ブロガー」としてマイペースに活動を続けています。

「趣味」が「仕事」になると、マンガを読むことも、マンガ飯の再現も、ブログを書くことも、全て「必ず実行しなければいけないタスク」になってしまうからです。

独立するほどのスキルも度胸もなかった(そして肩書きがニッチすぎる)のも理由ですが、“ゆるいトライアングル”を維持するために、あえて「趣味」の分量を増やしすぎず、あくまで「趣味」にとどめたからこそ、束縛なく自由に、そして長く続けられてこられたのだと感じています。

「仕事」と「プライベート」の越境は大なり小なり誰にでもある

趣味と仕事、日常をゆるくつなげるというスタンスを続ける中で、私が気にしていたのが「趣味を周囲にオープンにするかどうか」でした。

もともと職場で自分の趣味について話すことはあまりなく、聞かれても「読書」とか「映画鑑賞」のように当たり障りのない回答をするのみでした。

飽き性ということもあり「マンガ飯の趣味も短期間ですぐやめちゃうかもしれない」と、同僚だけでなく家族にもしばらくは内緒にしていました。たまに理由もなくよく分からないメニューが食卓に並ぶので、夫は怪訝に思っていたことでしょう……。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 食卓にしれっと出していた『美味しんぼ』(原作 雁屋哲・作画 花咲アキラ/小学館)の黒砂糖の水餃子


しかしさすがに13年も同じ趣味を続けていると、隠しきれるものではありません。

そこで、ふと家族にも職場にもオープンにしてみたところ、意外にいい影響が出てきたのです。

夫は過度に干渉はしないものの協力的で、撮影用にお古のカメラをくれたり、食材の買い出しにもつきあってくれたりするようになりました。

職場では同僚とおすすめのマンガについて情報を交換し合ったり、マンガに関する知識が必要な仕事を頼まれたりすることもありました。

もちろんこれはケース・バイ・ケース。自分の場合はたまたま周囲に濃い趣味を持つ人が多く、理解の得られる環境だった、というだけです。環境が違えば公にせず、クローズドな趣味として楽しんでいたでしょう。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 『スーパーくいしん坊』のアイス弁当。氷の容器を再現するのに苦労しました

私の場合はたまたま趣味と仕事が繋がりやすかったのですが、直接的な関連性がなくても、例えば「仕事で覚えたExcelを使って家計簿をつける」「会議のファシリテーション技術を人間関係に生かす」など、仕事とプライベートの越境は大なり小なり誰でもやっていることだと思います。

仕事をする自分もプライベートの自分とつながっていて、双方向に影響している。そう考えるだけで、義務に感じるような作業もちょっとだけ主体的に楽しむ余裕が生まれてくるのではないでしょうか。

ちなみに私は最近、よりマンガの世界観に近づきたい、それを残したいという思いから、テーブルフォトの趣味を併発してずぶずぶとハマっています。二次創作に熱中して写真に行きつくのは、コスプレやフィギュアと同じですね。台所に料理道具だけでなく、撮影用の機材や小道具が増えていく……。

「マンガ食堂」梅本ゆうこさんの「仕事」「日常」「趣味」の“ゆるいトライアングル”論 テーブルフォトの撮影風景。「食卓のコスプレ」と呼んでいます

しかしこの経験も「なにか」につながる日がやってくるかもしれません。

***

ネットではマンガの料理を作る梅本ゆうこという人格を持っているけれど、会社では中堅社員だし、美味しいものとマンガが好きでだらだら暮らしている40代でもある。

それぞれの場面の自分をそれなりに気に入っているからこそ、ゆるいトライアングルをキープする生活を選んだのかもしれません。


トライアングルはきれいな正三角形を描いていることもあれば、「日常」や「仕事」に追われていびつな二等辺三角形になる時期もあります。形にはこだわらず、時にはバランスを崩しながらも、ただゆるやかに維持することが自分らしい生き方なんだ、と13年を振り返って感じています。

著者:梅本ゆうこ

梅本ゆうこさんアイコン

1979年大阪府生まれ、関東在住。 会社勤めのかたわら、2008年よりブログで漫画に登場する料理(マンガ飯)の再現に取り組む。2012年にリトルモアより書籍「マンガ食堂」を刊行。

ブログ:マンガ食堂 Twitter:@pootan

りっすん by イーアイデム 公式Twitterも更新中!

<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

編集/はてな編集部

人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短

 長井短

長井短さんトップ画像

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、モデル・俳優として活躍する長井短さんに寄稿いただきました。

長井さんがやめたのは、人に好かれるために「雑魚」になること

初対面の相手に「なんか気取っている」と警戒されることの多かった長井さんは、あるときから外見と内面のギャップを解消するため、自ら率先して「雑魚キャラ」を演じ始めます。しかし、次第に演じることに「痛み」を感じるようになり、思い切ってやめてみると途端に視界が開けたそう。

今では「思いたいように思ってください」とまで思えるようになったという長井さんに、これまでの「スーパー雑魚キャラ劇場」を振り返っていただきました。

***

生まれてから27年がたって、片時も離れずに一緒にいるものはかなり少なくなってきた。一緒に寝ていたぬいぐるみとも、暮らしていた実家とも、育ててくれた両親とも離れて過ごすようになった。それでも離れずに一緒にいるものの中に、私のビジュアルがある。そりゃそうだ。私と私のビジュアルが離れることは多分生きている限りない。ずっと一緒に生きていくのだ。

だけど、私のビジュアルとの向き合い方は、ずいぶんと変化があったように思う。一時は私のビジュアルが与える周囲の先入観に勝ちた過ぎて、自ら「雑魚キャラ」を演じ自分を卑下してきたけど、最近はそんな自分と綺麗さっぱりお別れできた。「普通の私」でその場にいられるようになったのだ。

「イメージの私」に苦しめられた

27年もこのビジュアルをやっていると、「初めまして」で言われることはほとんど予想できるようになってきた。「ハーフ?」「背が高いね」「変わった目だね」。この3つは大抵言われる。物心ついてからずっとだ。

最近は言われ過ぎて、相手に言われるよりも先に言いたいっていう意味分かんないフェーズにすら入ってきた。でも、多分こういうのって大事な最初の世間話なんだろうなと思って、グッと我慢している。

ただ、これらはシンプルに見た目の感想とそこから生まれる疑問だから言われても何も思わないんだけど、そこから派生して生まれた「イメージの私」には大変苦しめられております! 小学生の頃から頭がおかしくなるほど持たれ続けた私への先入観。まずはそのトップ3を大発表〜!

  • 1位:なんか落ち着いてて大人っぽい
  • 2位:気取ってる
  • 3位:クール

小学生の持つ大人っぽさってなんだよって話だけど、実際私はその先入観のおかげで、小学生の時履いていたDC*1のスニーカーをシャネルのスニーカーだと思われていたことがあります……。「長井さんそれシャネル? さすが!」って声をかけてくれたあの子とは、その後第一印象のちゃぶ台返しが成功してマブダチになれたからよかったけど、ちゃぶ台を返せず敬遠されたまま終わってしまった人もたくさんいる。当時の自分にとって「大人っぽい」「クール」と見られることは、仲良くなれるはずの人たちを遠ざけてしまうものだった。

実際の私は、大きな声でふざけるのが大好きな子供で、大人になってもそれは変わっていない。静かにしているよりも騒ぐ方が好きで、六本木よりも赤羽が好き。落ち着きも大人っぽさもなくて、卑屈で黙っているのが苦手。要するにすごくありきたりで平凡な人間なのだ。

でも、どうやらビジュアルと性格にギャップがあり過ぎるらしい

私がただ静かにそこに立っていると、本当の私の姿がまるで見えてこないことに気づいたのは、お笑い芸人になりたいのにモデルになれと言われた8歳の時。今でもよく覚えている。

幼いながらに、これは良くないと焦った。隣のクラスのあの子がいつも私を睨んでくるのは、私がお喋りでお調子者の年相応なクソガキだってことを知らないからで、本当の私を知ってくれればきっと、睨むのをやめてくれるだろうと考えた。

思い立ったら即実行。そこからざっと18年間、私による私のためのスーパー雑魚キャラ劇場が上演され続けるのです……。

「ゴミクズニート」と自分を卑下した日々

誤解を解くのは大変だから、ならば誤解される前に、自分の望む第一印象をもたらそうと考えた私は、とにかく声がデカい人間になりました。だってほら、大人っぽくてクールな人ってあまり声を張り上げなそうでしょ? まずはその逆をいく声量。

それからとにかくめちゃくちゃなことを言うこと。ビジュアルの印象を凌駕するトンチキなことを言えば、注目が外見から内面に移ると思ったのだ。「キウイの真ん中ってバナナなんだよ」が私の4番。自分でも意味は分かっていません。

大人になるにつれて、今まで「友達」しかなかった関係性コマンドに「気になる人」「好きな人」など恋の欄が加わってきたときには、もう大混乱。どんなキャラを演じればいいのかが分からない。結果、やっぱり気になる人が相手でも、静かにしてるとお高く止まっていると思われてしまうから、できるだけ安く安く、相手が緊張しないような人間でいることを心がけた。できないことばかりの、情けない人間。警戒する必要のない存在。

その後、歳をとっても変わらないビジュアルの印象に加えて、肩書きにモデルが乗ってしまった私は、もう誰がどう見ても「なんか雰囲気出してる女」で、それがとても居心地悪かった。

少しおしゃれをするだけで「めっちゃ気合入ってる」と言われ、芝居を見に行くと「なんかモデルらしいよ、つまんなそう」と囁かれる。その全てが嫌で、私はとにかく「ガバガバであること」を目指した。隙があるなんてレベルじゃなくてズロズロ。プライベートで化粧は絶対にしなかったし、二言目には「いや、クズなんで」と自分を卑下する。「ゴミクズニートですよ」と笑顔で言うと、面白いくらいに相手の態度は柔らかくなった。

長井短さん写真1 ズロズロすぎてクソダサポーズを取る私

次第に飲み会に誘われることとか仕事を振ってくれることも増えてきて、「あぁやっぱりこの振る舞いで正解だったんだ」と自信がついてくる。「どうせ暇でしょ?」と言われるのがうれしくて、みんなにもっと舐めた態度で私に接してほしかった。伝染したタイツをはいて出かけると「ねぇ〜やば過ぎ〜!」と笑ってもらえるし、できないダンスをすればみんなが私を馬鹿にしてくれる。終電なんて逃すものだと思いこんでいた。もう飲みたくないと思っても、モデルだから身体に気を使ってると思われるのが嫌で飲み続けた。

大きな声で馬鹿なことを言ってお腹を見せ続ければ、私は自分のビジュアルに勝てるんだって実感が押し寄せてくる。みんなの私への印象と実際の私の性格にほとんど齟齬がなくなってきたように思えて、この調子だこの調子。こうやってもっと、ビジュアルなんて吹き飛ばしてしまえ。上演時間が延びるにつれて、当初は本当の自分を知ってもらうためだったその振る舞いはどんどん大袈裟なものになっていった。

そんなあるとき、飲み会で私のことを「長井は女として見れない」と笑う男性がいた。私はそれが本当に、心の底からうれしかった。私にはその言葉が「友達だよ」って言葉に聞こえたの。だけどその後の女性の一言で喜びが揺れる。

「わかる〜、私の彼氏も長井とは付き合えないって言ってた」。

この人は、私のいないところで、私のことをどんなふうに話しているんだろう。会ったことのない貴方の恋人に、無理と言われる私って。一度考え始めると気になって仕方がない。「暇でしょ?」って連絡してくるあの人は、「化粧しないとかヤバ過ぎ」と笑うあの人は、「こんな人だったんだ〜」って驚く貴方は、私をどんな人だと思っていますか?

みんなが笑っても「私だけ」笑えなくなった

私はどうしてもビジュアルに勝ちたくて、手を尽くした。その結果、ほとんど自分の理想的状況に持ち込めた。誰も私を睨んだりしないし、気取ってると思われることもない。私は実際の私通り、やかましい普通の人間だと思われている。

でも、目的を果たしたのに自分がどこにいるのかわからないのは何故だろう。気を使わないでほしいとずっと思っていた。怖がらないでほしかった。それが叶ったことの証明が、みんなの私への態度だ。馬鹿にしてくれるのも、邪険にするのも、みんなが私をお高く止まったモデルだと思っていないからで、それはうれしいはずなのに、大きな声で象の勃起の話をしている自分を好きだと思えない。ひどい目にあった話をしてみんなが笑ってくれていても、私だけはうまく笑えない

完成前のかさぶたを剥がして見せればみんなが笑ってくれるけど、私は痛いのだ。痛さに気づくと、理想の私が何か分からなくなってくる。めちゃくちゃ血が出てるけど、その状態って本当に理想だろうか。「普通の人」だと思われたかった発端は、人に好かれたいっていう気持ちだったはずだけど、その「人」の中に、私は含まれてないの?

私は、私に嫌われても私以外に好かれればオッケーなのだろうか

それは嫌だ。だけど、それを認めたら今までの自分を全部否定することになりそうで怖かった。じゃあ、これからも血を出したまま生きる? どうするの? 簡単に答えは出ないし、突然居方を変えることもできない。培っちゃった関係性があって、クソ雑魚ナメクジ人間から大ジャンプでシリアスな存在にはなれないのだ。

けっきょく、これでいいのかなって気持ちのまま2年も過ごしてしまった。今までなら無邪気に笑えた「バカじゃないの」って言葉にうまく笑えなくて、かさぶたも剥がせなくて、だけど誰も私の変化を知らない。「どうせ暇でしょ」って言葉に「その日は無理です」って返すと、光の速さで目配せが起きたのを見た。

ちょっと自我を見せるとすぐこれだ。やっぱり、頭のおかしい巨人でいないと睨まれる。でも、みんなは悪くないのだ。みんなは、ただ私が手渡した取扱説明書に乗っ取って、私を馬鹿にしているだけ。自分で書いた説明書の責任は自分で取らなきゃいけないと思ったし、だから2年も踏ん張ったけど、ごめんやっぱ無理。だって、私は雑魚じゃない。

相手のために血を流すことのないモデルの現場

雑魚として関係性を作ってしまったがんじがらめのコミュニティに身を置く一方で、モデルの現場は淡白な関係性の上に成り立っている。ショーの当日に集合して、終わったら帰る。フルネームも知らないし、分かるのはインスタのアカウントだけ。あまりにもシンプルな関係だからか、そこで出会う人たちはみんな屈託がなかった。

ショーの最中、舞台裏で着替えながら「さっきの衣装すっごく似合ってたね」って褒めあったり、「ねぇ、それ羽出てない?」って股間を指差しあったり、「オーディション全然受かんねーな」って笑いあったり。

私はただそこにいるだけで、誰かを笑わせなきゃとか、安心させなきゃなんて気持ちには全然ならなかった。相手のために血を流すことのない場所はとても穏やかで、「ここと、あそこは、何が違うんだろう」と考えるようになった。私はどうして、あっちではそのままの私でいられないんだろう。

いつだったか珍しく、仕事終わりに飲みに行ったことがあった。その日初めて会ったモデルの女の子とノリで居酒屋に行ったのだ。さっきまでは楽しくおしゃべりできてたけど、ここからはどうしよう。せっかく一緒に飲んでくれるんだから何か楽しい話題を提供しなきゃってかさぶたに手をかける。だけど、ここでかさぶたを剥がしたらいつもと同じだ。この、目の前にいる女の子は、いつものクソ雑魚ナメクジの私のことなんて知らない。それなら、さっきまでと同じようにただ普通に喋ってみてもいいんじゃない?

「なんかさ、私子供の頃からずっと背高いんだけど」
「あたしも〜」
「だからかさ、すごい怖いやつだって思われること多くて」
「めっちゃ分かる〜」
「どうしてる?」

私よりずっと、堂々と飾り気のない立ち姿の彼女なら、何か答えを持ってるんじゃないかと思って、思い切って相談してみた。

「ん〜嫌だなって思ってる時期もあったけど、最近は無視してるよ」
「え、すご」
「だってさ、結局本当はどんな人かって分かんないじゃん。どうせ分かんないんだから、もう好きにすれば〜って思って。いろいろ考えるのもダルいし」

気怠げにタバコを吸いながらそう言った彼女はこの話題に大して興味がないみたいで、「てか事務所どう? いい?」と仕事の話に切り替わる。私は、確かに今自分に雷が落ちた感覚があったけど、とりあえずそれは置いといて、ただ目の前の彼女と喋った。思ったことを、思ったように。連絡先も交換せずにバイバイした彼女は、今頃どうしているだろう。

全ての場所から同じように見えるものなんてない

今思えば、「どうせ分からないんだから、好きにすれば」ってのは全くその通りで、どうしたって私は貴方のことを、貴方は私のことを分からない。

それだけは分かっているはずなのに、貴方が私に抱く第一印象を操作しようとするのはちょっとやり過ぎだったかもなと思った。分かり合えているつもりの友達が抱く私のイメージだって、本当の私とぴたりと一致しているとは限らないのだ。

私が「こう思われたい」と考えるのと同じように、相手だって「こう思いたい」って意思がある。「冷たそう」とか「スカしてる」とか思う人は、はなから私を嫌いなのかもしれなくて、それならそれで仕方ないじゃんね。私を嫌いな人に好かれようとしても意味ないもんね。「どうぞ、好きなように私を見てください」って気持ちで毎日を過ごしてみると、途端に視界が開けてくる。

私は、第一印象を操作しようとするのをやめた。人に好かれるために雑魚になることもやめた。もちろんやめたことでギスギスもしたし、雑魚として付き合ってた人たちからは「なんか調子乗ってない?」って目で見られたり敬遠されたりもしたけど、これでいいのだ。

思いたいように思ってください。調子に乗ってると貴方が感じるなら、きっと貴方の中の私は調子に乗っている。でも私の中の私は調子に乗ってなくて、ただ普通にそこにいるだけ。座席によって劇の見え方が変わるのは当たり前で、全ての場所から同じように見えるものなんてない

長井短さん写真2 楽しいから「普通に」笑うようになった現在の私

スーパー雑魚キャラ劇場を終演して友達が減ったし、自分を大切にしたいからフットワークも重くなった。でも、そこからゆっくりだけど、私はまた新しい人間関係を築けている。

過剰に面白かったり、過剰に近しくなるんじゃなくて、目を凝らさないと分からないグラデーションの中に生まれる少しの面白さとか柔らかい平凡さ。そういう、ありきたりとも取れる時間を楽しむ私を見て「結婚して落ち着いたんだね」って言う人もいるけれど、どうでしょうね。やっぱり、思いたいように思ってください。



※2021年1月13日17:15ごろ、記事の一部を修正しました。ご指摘ありがとうございました。

著者:長井短

長井短さんアイコン

1993年生まれ。東京都出身。「演劇モデル」と称し、雑誌、舞台、バラエティ番組、テレビドラマ、映画など幅広く活躍中。読者と同じ目線で感情を丁寧につづりながらもパンチが効いた文章も人気があり、様々な媒体に寄稿。恋愛メディアAMにて「内緒にしといて」、yom yomにて「友達なんて100人もいらない」、幻冬舎プラスにて「キリ番踏んだら私のターン」を連載中。ドラマ「真夏の少年」、FOD「時をかけるバンド」に出演中。
Twitter:@popbelop

関連記事



編集/はてな編集部

*1:DCシューズ。アメリカのスポーツ用品メーカー

家飲みを充実させたい方へ。 “山高こんもり”レシピの著者が教える、簡単&華やかな「おつまみ」3品

 しにゃ

年末年始のイベントシーズンがやってきました。今年は新型コロナウイルスの影響で外出しづらいこともあり、お家でゆっくりと過ごす予定の方も多いでしょう。

豪華なディナーや宴会にはなかなか出かけづらい今、1年頑張った自分へのご褒美に、お家でイベント気分が味わえるメニューを作ってみるのはいかがですか?

仕事で疲れた1日の終わりに楽しみたい、ちょっと贅沢な晩酌のおつまみとしてはもちろん、またパーティーシーンにも相性がいいレシピを、『しにゃの“山高こんもり”レシピ』(宝島社)の著者であり、お皿の上に山高に盛られた料理投稿が人気のブロガー・しにゃさんに教えていただきました。

***

こんにちは、「しにゃごはん blog」のしにゃといいます。普段からブログやInstagramで、お酒に合うおつまみを中心に、オリジナルの簡単レシピをご紹介しています。

今回ご紹介するのは、イベントシーズンの食卓にもぴったりな、見た目もおしゃれな3つの「おつまみレシピ」です。いずれもめちゃくちゃ簡単なので、平日夜、仕事終わりの晩酌タイムにもおすすめ。ワインとバゲットを用意すれば、ちょっと贅沢なパーティー気分で楽しめますよ!

ワインとの相性ばっちり! 「ゴロゴロシーフードの贅沢アヒージョ」

ゴロゴロシーフードの贅沢アヒージョ

海老、タコ、マッシュルームにブロッコリーをたっぷりと入れた、贅沢なアヒージョです。

イタリアンやスペイン料理のお店で食べるイメージが強いアヒージョですが、実は作り方はめちゃくちゃシンプル。好きな具材を詰め込んで、にんにくを効かせたオリーブオイルで煮込むだけで簡単にできる、絶品おつまみです。

海老とタコの旨味がたっぷりのオイルにバゲットを浸しながらのお家飲み、想像するだけで楽しくなりませんか?

材料(2人分)

  • 海老……6尾
  • タコ……100g
  • マッシュルーム……6個
  • にんにく……2片
  • 鷹の爪……適量
  • オリーブオイル……100ml
  • 塩……小さじ2/3
  • ミニトマト……4個

作り方

バゲットをお好みの厚さに

1. バゲットを好みの厚さに切る

にんにくをスライス

2. にんにくをスライスする

タコを一口大にぶつ切り

3. タコを一口大にぶつ切りにする

海老の殻をむく

4. 海老の殻をむき、背ワタを取り除く

マッシュルームを裂く

5. マッシュルームはキッチンペーパーで汚れを取り除き、一口大に手で裂く

オリーブオイルに香りを移す

6. スキレット(または直火OKの耐熱皿)にオリーブオイル、塩、にんにくスライス、鷹の爪を入れてひと煮立ちさせる。オイルに香りを移したら、にんにくと鷹の爪は焦げる前に一度別の器に移しておく

老、タコ、マッシュルームを煮込む

7. 海老、タコ、マッシュルームをスキレットに入れて、火が通るまで煮込む

ミニトマトを加えもうひと煮立ち

8.食材に火が通ったら、先ほどのにんにくと鷹の爪を戻し、ミニトマトを加えもうひと煮立ちさせる

切ったバゲットと一緒に盛り付け

9. 切ったバゲットと一緒に盛り付け、完成! ワインと一緒にいただきましょう


プリプリの海老とタコ、そしてその旨味たっぷりのオイルを吸ったマッシュルームが最高です。さらにバゲットにもたっぷりオイルを浸したら、ワインが進むこと間違いなしですよ。お家にいながらバル気分を味わってみてください!

***

続いては、過去に私のブログで紹介したレシピの中から、イベントシーズンに特におすすめしたい2品をご紹介します。

包丁いらずで完成!「リボンにんじんマリネと生ハムのサラダ」

リボンにんじんマリネと生ハムのサラダ

メイン食材はにんじんと生ハムだけ! にんじんは包丁を使わずピーラーでスライスしていくだけ。そして味付けも簡単! なのに、普段の食卓にはもちろん、家飲みでも大活躍してくれる1品です。


材料(2人分)

  • にんじん……1本
  • 生ハム……5枚程度
  • マリネ液
    • 塩……小さじ1/2
    • 酢……大さじ1と1/2
    • めんつゆ(2倍濃縮)……大さじ1
    • オリーブオイル……大さじ2
  • (お好みで)
    • ブラックペッパー……適量
    • パセリ……適宜

作り方

にんじんの皮をむくにんじんと調味料と合わせる

1. にんじんの皮をむき、そのままピーラーでひたすらスライスしていく(※柔らかく食べたい方は細めにスライスしましょう)

2. にんじんの入ったボウルに塩、酢、めんつゆを加えて一度揉みこみ、さらにオリーブオイルを加えてよく混ぜる

ビニール袋に入れて寝かせる生ハムと一緒にお皿に盛り付ける

3. 最低半日を目安に、冷蔵庫で寝かせる(※ビニール袋に入れて揉みこんで置いておくのもおすすめ)。ちなみに筆者はこのまま一晩寝かせました

4. (3)と生ハムを一緒にお皿に盛り付け、お好みでパセリとブラックペッパーを散らしたら完成

POINT
にんじんはシャキシャキした歯ごたえを残すために生のまま使っていますが、固めの触感が苦手な方はレンジ(500W)で1~2分程度加熱してから調味料と合わせるとやわらかくなります

バゲットに乗せてブルスケッタスタイルで

味をなじませるために冷蔵庫で寝かせる工程がありますが、調理自体はとてもシンプル。前日夜に準備しておけば、翌日すぐに食べられます。

酢とめんつゆを効かせたにんじんに生ハムの塩気がよく合って、個人的に白ワインと相性抜群な1品です。

バゲットに乗せていただく際は、クリームチーズなんかを足すとさらにめちゃウマです。

***

メインにもなる! サーモンとアボカドの柚子胡椒めんつゆ漬け

サーモンとアボカドの柚子胡椒めんつゆ漬け

サーモンとアボカドといえばどんな味付けにしてもおいしい組み合わせですが、その中でもやみつきになる一品。めんつゆと柚子胡椒に大葉のアクセントがたまりません。モッツァレラチーズはなくてもOKですが、あればワンランク上の味わいになります。

そのまま食べても良し、ご飯にぶっかけても良し、オンザバゲットでも良し! 作り方もめちゃくちゃ簡単です。

材料(2〜3人分)

  • サーモン(生食用)……200g
  • アボカド……1個
  • モッツァレラチーズ……50g
  • 大葉……5、6枚
  • (調味料)
    • めんつゆ(2倍濃縮)……大さじ4
    • しょうゆ……小さじ2
    • 柚子胡椒……小さじ1
    • ブラックペッパー……適量

作り方

調味料を混ぜ合わせるサーモンを一口大に切る

1. めんつゆ(2倍濃縮)、しょうゆ、柚子胡椒、ブラックペッパーをよく混ぜ合わせておく(調味料)

2. サーモンの水分をキッチンペーパーで拭き取り、一口大に切る

アボカドを一口大に切る大葉を刻む

3. アボカドの皮と種を取り除き、一口大に切る

4. 大葉を刻む

サーモン、アボカド、大葉、モッツァレラチーズをボウルに入れる調味料と混ぜ合わせる

5. サーモン、アボカド、大葉、モッツァレラチーズと、あらかじめ混ぜ合わせておいた(調味料)をボウルに入れて混ぜ合わせる

ラップをして寝かせる冷蔵庫で15〜30分程度寝かせて完成

6. ピタッとラップをし、冷蔵庫で15〜30分程度寝かせたら完成

バゲットに乗せて

柚子胡椒と大葉という和風の調味料・薬味を使っていますが、モッツァレラチーズやバゲットにも合うんです! モッツァレラチーズ抜きにして、ご飯に乗せて漬け丼にしても最高です。切って漬けるだけの簡単レシピなので、ぜひ試してみて欲しい1品です。

POINT
盛り付けは、リム(ふち)付きのパスタ皿や立ち上がりのある深めのお皿を使って立体感を出しやすくするのがポイント。また、食材を選ぶときに緑、赤、黄色など、彩りにアクセントがつくようなものを入れるよう意識すると華やかな印象になります

***

調味料も普段使うものばかりなので、今すぐにでも作れちゃいそうなしにゃさんのレシピ。イベントシーンだけでなく、日常の家飲みのお供にもぜひ試してみては?

著者:しにゃ

しにゃごはん

和歌山県在住、2児の父。帰宅後でもパパッと作れる簡単料理が得意で、ブログはもちろんInstagram(フォロワー数26万人超え)でも人気を集めている。夫婦共通の趣味である晩酌用のおつまみを夕飯の後にちゃちゃっと作るのが日課。お皿の上に山高に盛られた料理に“おいしそう!”と魅了される人が続出。著書『しにゃの“山高こんもり”レシピ』(宝島社)も好評発売中。」 InstagramBlog

関連記事


最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

編集/はてな編集部

誰かに頼ることは「逃げ」じゃない。自己責任論が導く「孤独」の恐ろしさを考える

 吉川ばんび

吉川ばんびさん記事トップ写真

忙しく働いているはずなのに満足な給料が得られない、急病により思うように働けなくなった……。こうしたとき、環境や社会という大きな構造に目を向けず、全て「自分のせい」と自分を責めてしまう人は少なくないように思います。

フリーライターの吉川ばんびさんは、自身の体験やこれまでの取材経験を踏まえて、過度に「自己責任」を内面化することに警鐘を鳴らします。著書『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』では、いかに貧困が構造的につくられているものかを指摘しました。

今回、吉川さんには自身の体験を振り返っていただきながら、自己責任論が導く「孤独」の問題と、誰かに頼ることの重要性について、ご執筆いただきました。

***

20代半ばくらいまで、私は本当に「ひとり」だったのだと思う。

職場と自宅を往復するだけの毎日を送っていた当時、私はただただ「日常」を崩さないことに精一杯で、プライベートで誰かに会う心の余裕は少しもなかった。

あのころの自分は、とにかく何に関しても「人様に迷惑はかけられない、頼れるのは自分だけだ」と、どこか強迫的に思い込んでしまっていた。そのせいで、会社以外ではほとんど人に会わず、限界を感じても「助けて」と声に出すことはおろか、愚痴をこぼせるような関係性すら誰とも築けていなかったように思う。

それが、どれだけ危機的状況で恐ろしいことであるかも知らずに。

仕事のあまりの忙しさから「ひとり」になった

25歳の冬まで働いていた法律系事務所は慢性的な人手不足で、朝から晩まで取っても取っても鳴り止まない電話に社員のほとんどが半狂乱に陥っていた。一人一人の業務量はかなり膨大で、電話応対のわずかな合間にちまちまとタスクをこなすだけではまったく終わりが見えない。本腰を入れて作業に取りかかることができるのは、いつも定時を過ぎてからだった。

たまに新しく人が採用されても、教育する立場の人間がもれなく半狂乱になっているから、新人に八つ当たりをしたり無茶ぶりをしたりで、結局採用したうちの95%くらいは1カ月と続かず辞めていってしまう。だからといってすぐに人が増えることはないので、残された人間たちの負担はどんどん重くなる。典型的な負のループだ。

当時の私は、日常的に22時までの残業をこなし、土日や祝日、お盆や年末年始も必ず交代で出社していた。だから、休日は泥のように眠ることしかできず、誰かと連絡を取ることも、気分転換をする気にもなれなかったのだ。

異常な状態に置かれた人は「正常」の判断が付かなくなる

毎朝、強烈な胃の痛みとともに起床し、吐き気と腹痛に耐えながら電車に乗る。2日に1回は会社に到着するまで我慢できず、途中下車して駅のトイレに駆け込んだ。

今になって考えれば明らかに異常な状態だと分かるけれど、こうした生活を長く続けていた当時の私の「普通」の基準はその輪郭がかなりぼやけていて、自分が正常なのかどうかさえ判断が付かなくなっていた

自分が会社を休めば、みんなに迷惑がかかってしまう。抱えている仕事が後回しにされ、結局自分の首を絞める結果にもなる。

脳全体がそういった思考に支配されていて、脳から全身へ送られる「何があっても逃げるな」という電気信号に従い、ただただ心身を摩耗するだけの日々が数年間続いた。

「もう限界かもしれない」と気付いたころには時すでに遅く、心と体はとっくに壊れてしまっていた。ストレスや疲労、さまざまな不調を抱えて臨界点に達した人間の皮膚が真っ黄色になる(こともある)のは、このときに初めて知った。

家から徒歩10分のスーパーに行くだけでも目眩がして、店内でしゃがみこんでしまうから、外出は怖くてほとんどできなくなった。そんな状態で働き続けられるわけもなく、25歳の冬、私はあてもなく会社を退職した。

もともと実家で受けていた暴力から逃れるようにひとりで暮らしをしていたので、頼れる家族もいない。再び働けるようになる目処も立たない。しばらくは貯金と失業手当で食いつなぐとして、そのあとのプランは何ひとつ持っていなかった。

心療内科で処方される抗うつ剤や抗不安薬、睡眠薬の量ばかりどんどん増えていく。それでも心と体が回復する兆しは少しもない。毎日、何もできずにベッドに横たわり、天井を見つめることくらいしかできない。唯一の外部との関わりは心療内科への通院だけで、それ以外、私は惨めなほどひとりぼっちだった。

どれだけつらくても「助けて」が言えない若者たち

私の場合、この「何もできない状態」は半年間続いた。自分がそうなって初めて知ったことだけれど、社会には、どれだけつらくてもSOSを出せない人たちが多くいるようだ。

特に2000年代以降に台頭しはじめた「自己責任論」の影響は強く、日本の人々はとにかく「他人に迷惑をかけてはならない」「世間にとっての”厄介者”になってはいけない」という風に、常に「手がかからなくてお利口」であることを善とする価値観を義務教育の頃から刷り込まれているように思える。

もともと日本で「自己責任論」が大きく取り上げられるようになったのは、小泉政権下での労働法改正により非正規雇用の拡大、ワーキングプアなどの問題が多発し、「貧乏なのは努力が足りないせい」といったような言論があたかも「正論」であるかのように扱われたためだ。いわゆる「成功者」の自伝や自己啓発本がベストセラーとなり、多くのメディアが「勝ち組」「負け組」といった言葉をやたらと多用して競争を扇動していた時代の名残は、今もなお世間に根強く残っているように思う。

また、「身近な人に心配をかけたくない」「重たい話をすれば嫌われるのではないか」といった思いから、深刻な悩みほど誰にも言えない人も非常に多い。そういった真面目で、優しくて、空気を読み過ぎてしまう人ほど、ひとりで何もかもを背負いこみ、頑張り過ぎた結果、最終的に潰れてしまう傾向にあるようにも思う。

「食べるものがない」それでも支援を拒む背後にある風潮

先述の法律事務所で債務整理の仕事をしていたとき、おそらく数百件以上にものぼる数の生活困窮者の相談に乗った。彼ら彼女らのほとんどは真面目に人生を送ってきたが、失職や親の介護、病気など予期せぬ事態から安定収入を失ったり働けなくなったりして、周りの誰にも相談できず、最終的に私たちの元へ「どうすればいいか」と相談に訪れていた。

収入が途絶えた時期にやむをえずこさえた借金が多額になり、月々の返済のためにまた借金をするという負のループから脱出できなくなった相談者に対して私たちが提案する方法は、主に3つ。

まずは「任意整理」という方法で、借入業者に利息を0にしてもらい、元金のみを分割で返済していき完済を目指すものだ。任意整理は家族や第三者に借金を知られることもないため、私たちの事務所に依頼する人は、ほとんどがこの方法を希望していた。

それでも解決が難しい場合は「個人再生」「破産」を考慮することもあるが、これら2つの方法は借金をしたという事実が公になるため選ぶ人はごく少数だ。

ただ、いずれの場合も、「利息が0になる」というメリットを知ってもなお、本人が「どうしても債務整理*1はしたくない」と抵抗感をあらわにすることは決して少なくなかった。

彼ら彼女らの言い分は「自分で作った借金ですから、利息も含めてちゃんと自力で返したいんです」というもので、「困っているときに助けてくれた借入先に迷惑をかけたくない、申し訳ない」という気持ちから、どうしても債務整理を避けたがっていた。

とはいっても本人は働ける状態になく、もはや「努力次第」でどうにかできる段階でもなければ、「迷惑をかけたくない」などと言っている場合でもないことは明白だ。中には「今日明日、食べるものがない」という人も、家賃が払えずアパートを追い出されてしまった人もいた。

そこまで困窮して追い詰められている人には、こちらから「生活保護を申請する気はないか」と提案するのだが、それでも本人たちは「まだがんばれます」と言うばかり。「自分は支援が必要な状態である」だなんて微塵も思っていないようだった。

このような経験をくりかえす中で、私は「自己責任論」に端を発した「人に迷惑をかけてはいけない」「助けを求めるな、自分の面倒は自分で見ろ」といった風潮が招いたものの恐ろしさを、改めて感じた。

SOSが出せない人々は異端な存在じゃない

働けなくなってから半年後、私は治療を続けながら在宅でできる仕事を探し、今は「貧困」や「弱者」にまつわる社会問題を提起するため、文章を書くことを生業にしている。取材を通して、路上生活者や経済的に困窮している人の生活も多く見てきた。

今では、働けなくなっても、食べるものがなくても、家を失っても、それでも「誰の力も頼らずに生きていかねばならない」と信じて疑わない彼ら彼女らが、決して別世界の異端な存在ではないことが分かる。私自身もそうであったように、誰にも「助けて」と言えない人々は、今この瞬間も、日本中におびただしい数存在している。

日本に暮らす人々は、本人たちですら気付かないあいだに「自己責任論」を刷り込まれ、ほんの少しのSOSを出すだけでも「バッシング」の対象になることを知っているのではないか。

だから誰にも弱音を吐けないまま、心身を壊すまで誰にも気付かれず、最悪のケースでは孤独死する者すらあとを絶たない。これは、支援が必要であるにもかかわらず届いていない人に対し、行政や支援機関などが積極的に働きかけて情報・支援を届ける「アウトリーチ」が十分に機能していればある程度は防げた事態だ。

「自己責任」の名の下に、困窮した人たちが「公助」を受けられない状態のなかで、何が「自助」だ「共助」だ、何が「一億総活躍社会」だろうと思う。個人が「自分で生きていく力」を身に付けるため、「公的な支援」を行き届けられるようになってはじめて、「自助」や「共助」が実現するのではないか。

社会で「孤立」しないために「依存先」を確保する

こうした自分自身の体験や、数百人以上の生活困窮者と関わるなかで身にしみて分かったことは、社会で「孤立しないこと」の重要性だ。

前述したとおり、心身が疲弊した状態では、人間は自分を守るための「まともな判断」をすることはできない。もちろん、自分が異常な状態であることも自覚できないため、第三者の介入がなくてはそこから脱出することすらほぼ不可能だ。依存先は多ければ多いほどいい。たった一人に依存してしまうのではなく、「頼れる先」をいくつか作って自分自身のセーフティネットを確保しておくことは、孤立を防ぐために非常に有効な手段だと言える。

私自身、誰にも苦しさを話せずに長年苦しんだ経験がある。初めて「つらい」と口に出すことができたのは、心療内科の初診でのことだった。つらさを打ち明けるのは決して楽なことではない。「自分がどうして困っているか」を医師に説明するとき、堰を切ったように涙が溢れ出た。

しかし結果的に、この経験は私にとって大きな前進となった。何度かこうした試みをくりかえしたことで「つらさを人に共有する」ことへの抵抗感が薄まり、自分の思考が整理され、これまでは弱い部分を見せたくなかった大切な友人たちにも、比較的気楽に「今ちょっとしんどいんだよね」と話せるようになった。

友人たちと「最近どう?」と気軽に連絡を取り合うことで、生活の中での困りごとやトラブルを共有しあい、互いのセーフティネット的な関係性を築いておくことの重要性は、今となっては痛いほどよく分かる。

とはいえ、たとえ「SOS」を出すことが必要だと分かっていても、周囲に頼ることができない人は決して少なくないと思う。もしも苦しさを誰にも打ち明けられないのなら、そのときはとにかく「福祉」を頼ってほしい。働けなくなったとき、限界を感じてしまったとき、あなたの生活を一緒に建て直す手助けをするための行政であって、公的支援のはずだ。相談することで人間関係が悪化することもないし、国民が有する当然の権利であるから、決して「迷惑」などではない。

住んでいる自治体の生活福祉課に「困りごと」を相談すれば、自分が受けられる支援に繋いでもらうことができる。「休息できない理由」が金銭的な事情なのであれば、一時的に生活保護を受給し、必要なケアを受けながら仕事を探すことも可能だ。

もし現時点で生活に困りごとがある人や心のケアが必要な人、暴力被害を受けている人は、すぐに専門家に相談してほしい。カウンセリングによって「一時保護が必要」だと判断された場合、シェルターや施設での安全確保や、新たな居住を探すための支援を受けられたりする。

心身ともに疲弊しているとき、自分が今できること、できないことを整理して、安定して働ける環境基盤を築いていく

これは決して、自分一人ではできないことだ。

「助けて」と言うことは「逃げ」ではない

自分の体が一度壊れてしまってから、「誰にも頼れない、自分ががんばるしかない」という考えは、本当に恐ろしいものだと思うようになった。「私が仕事を辞めて半年間何もできなかったとき、もしも心療内科との唯一の繋がりを絶ってしまっていたら」と考えると、ぞっとすることがある。

今年になって急増した若者の自死のニュースを見るたび、「自己責任論とは、一体誰が何のために生み出したものなのか。必要なときに助けを求められず、みんなでゆるやかに死に向かっていく社会なんて何の意味があるのか」と、自問自答を繰り返している。

あなたが今つらいのは、決してあなたのせいではない。

あなたが勇気を出して「助けて」ということは、決して「逃げ」でも「悪いこと」でもない。誰かに後ろめたさを感じる必要も、まったくない。

心身が壊れてしまってから、もう4年ほどたつ。通院治療はまだ続いているが、自立支援医療制度*2の恩恵も受けながら、心と体の微妙なバランスを崩さないように注意をはらって働き、生活できるまで回復した。

壊れてしまったものが元に戻ることはないかもしれないけれど、以前より自分の気分や体調のコントロールがしやすくなった今は、心から「生きていてよかった」と思えるようになった。数年前の自分からは、想像もつかなかった未来だ。

誰のことも頼れない。迷惑をかけられない。

そんなふうに追い詰められている人たちが、少しでも救われる世の中であってほしいと思う。この記事が一人でも多くの人に届いて、たった一人だけでも、誰かがSOSを出すことができるきっかけになれば、これ以上幸せなことはない。

著者:吉川ばんび

吉川ばんびさんアイコン

1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。フリージャーナリスト、ライター、コラムニストとして活動。大学卒業後、商社、司法書士事務所を経てライターとして独立。貧困や機能不全家族の問題について自らの生い立ち、貧困体験をもとに執筆や問題提起を行う。関心領域は主に格差問題、児童福祉、ブラック企業などの社会問題。ウェブ媒体や雑誌への寄稿のほか、メディアへの出演も多数。現在「文春オンライン」、「東洋経済オンライン」、「日刊SPA! 」などで連載を持つ。
Twitter:@bambi_yoshikawa

関連記事


最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

編集/はてな編集部

*1:借金の減額や、支払い猶予の調整などを行う手続きのこと。「任意整理」「個人再生」「自己破産」はすべて債務整理のなかの一つ

*2:心療内科や精神科へ継続して通院する場合は、通常3割負担の医療費が1割負担まで軽減される「自立支援医療制度」を利用することができる。病院の窓口で申し出ることで、役所へ行かずとも代理で申請手続きしてもらうことが可能

「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお

 吉野なお(Nao)

吉野なおさん

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ファッション誌『ラ・ファーファ』専属モデルとして活動するほか、自身の摂食障害の経験についてメディアなどで発信する吉野なおさんに寄稿いただきました。

吉野さんがやめたことは、自分以外の「誰か」になろうとすること。

痩せることで「人生が良くなる」と信じ無理をした結果、摂食障害に陥ってしまった吉野さん。摂食障害に悩む中、あるできごとをきっかけにこれまで「自分」を否定し続け「誰か」になろうとしていたことに気付いたようです。「誰か」になることをやめたことで、吉野さんにはどんな変化があったのでしょうか。


***


東京で電車内広告をぼんやり見ていると、英会話、ダイエット、脱毛、整形、婚活、転職など、向上心を刺激するような、状況改善を促すようなメッセージが多くあることに気付く。

多かれ少なかれ誰もが不安や悩み事を抱え、忙しく過ぎる生活の中で「何かを変えて向上を試みること」は往々にしてある。静かな満員電車の中で、そういった車内広告が語りかけてくるメッセージから新たな閃きを得たり行動への後押しをされたりした経験がある人もいるのではないだろうか。

人生をより良くするために目標を作ったり努力することはとても良いことだと私も思う。でも、そのベストな方法は、人によってそれぞれ異なるはずだ。

人生をより良くするためには努力は必要...…だけど

幼少期からぽっちゃりした体がコンプレックスだった。いつから太ったのかは覚えていないし、私としては普通に生きていたつもりが、気付いた時には誰かにからかわれたり蔑まれる対象であることが当たり前になっていた。

からかわれても言い返せず我慢するような性格で、小学生の時点で私は私のことが嫌いだった。遠足や運動会の写真が学校の廊下に貼り出されると、同級生の女の子たちよりも明らかに大きい体格の自分を自覚させられることがつらかった。

思春期を迎えても積極的になれない物事が多く、恋愛もうまくいかない、お洒落をしたくても気に入った服が入らない。悩みの元をたどるといつも、自分のふくよかな容姿に対する嫌悪感や自信のなさが関係していた。

世の中の全てが私の敵だった訳ではない。慰めや励ましの言葉をかけてくれる家族や友達はいたけれど、傷口は薄いカサブタになるぐらいだった。例えばテレビのダイエット企画で参加者がネガティブな演出で貶され、その後ダイエットが成功して讃えられるシーンを見るたびにコンプレックスの傷口が開いてヒリヒリと痛んだ。

痩せて「変わった」はずなのに、常に張り詰めていた

「やっぱり痩せなきゃ」「私もいつか痩せて人生を変えたい」という気持ちが膨れ上がっていた頃、好きな人ができた。その彼に「痩せてほしい」と言われたことで一念発起した私は、必死にダイエットをするようになった。

ダイエット、というと聞こえはいいが、異常で極端な食事制限だった。痩せたことで彼や周囲の人から褒められてうれしい反面、それを維持するために僅かなカロリーの食事で耐えしのいだり、食事を抜いたり、毎日体重計に乗り一喜一憂するような日々。生理不順が当たり前になったが、それよりも私にとっては痩せることが重要だった。

当時付き合っていた恋人は、私の体重が少しでも増えると人格否定をしてくるようなタイプで、彼の影響で太っている体に対するボディ・イメージがかなり歪んだ。体重が増えると悪いことをしているような気分になり、体重が減ると自分に自信がついた。体重の数字が私の幸せを左右するバロメーターのようだった。最終的に30キロほど痩せた私は、やっと自分の人生が変わったような気がしていた。

恋人は痩せたことを褒めてくれたものの、それでも「あともう3キロ痩せよう」と言って、手放しで愛してはくれなかった。そう言われた私は「何とかして彼に認めてもらいたい」と思い、さらに頑張った。

このときは、「ダイエットだけが自分の人生を変えるものだ」と信じていたのだ。

30キロ痩せた頃
当時の写真。この頃は「痩せること」が何より重要だった

しかし痩せることが生活の中心になり、常に緊張し張り詰めた日々を送っていたある時、私は過食症に陥った。いくら食べても満足できず、常に食べ物を口に入れていなくては気が済まないような感覚だった。

自分に厳しかった日々から一転、食べることをコントロールできなくなった異常さを感じ、太っていく自分の体を見るのも苦しかった。自信はどんどんなくなり、激しい気分の落ち込みから人に会うことを避けたり、物事に集中したりすることが難しくなってしまった。

「全く食べない」か「過食する」かという極端な状態で、ダイエット以前にはできていたはずの「ふつうに食べる」ができなくなり、私は「これは摂食障害かもしれない」と自覚するようになった。

意を決してクリニックへ行ってみたが、医師に対して信頼感を感じることができず、1度行ったきりで通院を諦めてしまった。仕方なく解決方法をネットで調べたり本を読んだり探してみても、しっくりくるものが見当たらなかった。

彼は過食症を理解してくれず「過食症なんてただの言い訳。食べることを我慢できないお前が悪い」と罵られたこともつらかった。交際を終えてからも、彼に刷り込まれた「太っている私はダメな人間」という思い込みはそれから何年もずっと続き、私の体形や過食症を受け入れてくれる恋人ができても自己否定する癖は治らず、過食症に悩まされたままだった。

仕事のストレスで、負のループに陥る

20代前半は、過食症の悩みを抱えて気持ちの浮き沈みをしながら、なんとか仕事をしたり、できなくなったりを繰り返しながら生きていた。体重の変動も大きく、服のサイズがよく変わった。

カスタマーサービスの部署で働いていた時は、電話口でお客様からクレームを受けたりネガティブにまくし立てられることでストレスを感じることが多かった。私に向けられたクレームではなく、商品やサービスに対するクレームだったのだが、人間のネガティブな声を耳から聞くと、そのネガティブに引っ張られてしまうし、そこで私が対応を誤るとさらに事態が悪化してしまうプレッシャーもあった。

どんなにクレームを受けても鋼の心で対応できるタイプの人もいたので、私もそんな人になりたいと思って頑張っていたが、うまく切り替えられない。毎日が憂鬱だった。

仕事で抱えたストレスを発散するかのように、あるときは会社帰りに駅のトイレで菓子パンなどを口に詰め込んで食べ、帰宅してから寝るまでの間でも尋常ではない量の食べ物を食べていた。そんな自分がもっと嫌いになって、過食を繰り返すことが止められなかった。過食は自分を傷つけていることでもあったのだが、出口の見えない負のループからどうやったら抜け出せるのかが分からなかった。

『誰か』になろうとしていたことに気づいた

それでも生活がある以上、働かなくてはいけない。自分の適職が何なのかも、ずっと悩んでいた。

転職を繰り返すうち、強いストレスやプレッシャーを感じる仕事がよくないと感じた私は、とりあえず無理せずできる業務内容で負担の少ないアルバイトをすることにした。

そのとき25歳。過食症がつらく、人生2度目のクリニックに行こうか、でもどこの病院へ行ったら良いのだろう、高いカウンセリング料を払い続けられるのだろうか……と考えている頃だった。

新しく始めたアルバイトは、何万人もの人たちのプロフィールデータを、見やすくまとまったデータにするために調整・処理していくという業務だった。人の顔写真や全身写真を規定のサイズにトリミングして行く単純な作業があり、同じフレームに均等に合わせようとするために、写真を縮小したり拡大したり微調整が必要だった。

そんな作業を毎日延々とするうちに、人の顔・体の大きさや造形は、一人ひとり全く異なるのだという当たり前のことに気が付いた。背が高い人・低い人、目が大きい人・細い人、立派な眉毛の人、鼻の高い人、愛嬌のある表情の人..….たとえ双子だったとしてもよく見ると微妙に雰囲気が違う。一人として同じ人間がいなかったのだ。

そしてプロフィール写真では、みんな笑顔だったり、かっこよくキメていたり、ポジティブなイメージで写真に写っていた。私がそれまでずっと目にしてきたダイエット広告のイメージでは、ふくよかな女性は暗くネガティブに表現されていたのに、そんな人もニッコリと明るい笑顔で写っていた。

すると突然「あれ? 私はずっと自分の体重を気にしたまま、おばあちゃんになるまでずっと過食症に悩むの? こんなに笑顔で暮らしている人もがいるのに? もしかして私はすごく人生を無駄にしてるんじゃない?」とハッとした。

「太っていることは不幸せ」「痩せないと自信が持てない」と思い込んできたけれど、ダイエット広告で表現されるような、太っている人に対するネガティブなイメージをずっと自分で内面化してきたことに気付いたのだ。

他人に思わされるがままずっと自分の容姿を否定して生きてきたけれど、小さい頃からぽっちゃりしていたなら、それが本来の私なのかもしれない

自分ではない「誰か」になろうとしていたから、私はつらかったのかもしれない。

私が私の体を受け入れたら、悩む必要なんてあるだろうか? そう思った。

「誰か」になろうとせず「私」になる

二十数年間、常に自己向上のためにダイエットを試みてきたけれど、「ぽっちゃりした自分を受け入れて生きること」は、今までの人生にない試みだった。

カロリーなどの情報を考えて心配になりながら食事をするよりも、そのとき食べたいものを食べて、自分が心地良く感じる食事を心がけるようになった。「制限を手放したら、どんどん太るのではないか」と思っていたのに、心が満たされる食事ができたことで満足し、過食する必要がなくなった。

だんだんと「ふつうの食事」ができるようになり「お腹いっぱいだからもう要らない」という感覚も分かるようになっていった。

夢中で調べていたダイエット情報からも距離を置くようにした。痩せていた時の服も全て捨てて、その時の自分の体形に向き合うために服を買いなおした。

食べることや痩せ体形に対する執着心が低くなると、ストレスや焦燥感が減り、不思議なことに自然と体重が落ちて心身ともに安定するようになった。それでもなおぽっちゃり体形だったが、私は自分の体を肯定的に捉えられるようになっていた。

誰かのような人生に憧れて現状の自分を否定するような生き方ではなく、26歳にして私はやっと自分の人生を歩めるようになったのだ。

そんな経験を経てから、かつての自分のように体形に悩んでいる女性のために何かやりたいと考えるようになった。ちょうどそのとき、日本で初めてプラスサイズ女性向けのファッション誌『ラ・ファーファ』が創刊されることになった。2013年、私が27歳の時のことだ。

ラ・ファーファは創刊号に向けて、一般の中からモデルを募集していた。友達に勧められてモデル応募しようとした矢先、私は偶然編集部の方に出会ってスカウトされ、創刊号からプラスサイズモデルとしての仕事を始めることになった。

プラスサイズモデルを始めてからの私
プラスサイズモデルを始めてからの写真

「誰かになろうとしなかった」から、今がある

昔のように自分の体を否定的に捉えていたら、モデルの仕事をする勇気はなかったと思うし、自分のことを肯定的に受け入れたことで、運命的に状況がどんどん好転していくのを身を持って感じて驚いた。

おかげさまで、それから今までずっとプラスサイズモデルの仕事をしたり、こうしてコラム執筆の仕事をするようになった。私がファッションモデルをすることで「サイズ感が参考になる」「お洒落を諦めていたけどチャレンジする気になった」「自分の体を肯定的に受け入れられるようになってきた」などと言ってくれる女性も多い。

ダイエットに成功して人生が変わったという人も、もちろんいる。

しかし、私がかつて30キロのダイエットに成功した経験は、今思うと偽りの成功経験だった。

私にとって人生を変える1番いい方法は、心身を壊すほど無理をして誰かのように生きることではなく、「わたし自身の人生」を選ぶことだったのだと思う。

著者:吉野なお(Nao)

吉野なお


1986年生まれ。日本初プラスサイズ女性向けファッション誌『ラ・ファーファ』専属モデルとしても活躍中。摂食障害の経験についてメディア取材に応えるほか、イベント・学校などで講演やワークショップなども行う。自身の経験を元に、生き方の多様性を訴えることや、体に対する心のあり方、私たちをとりまく社会の価値観について考え、自己否定に悩む女性のための啓発活動をライフワークとしている。公式サイトTwitter

関連記事


最新記事のお知らせやキャンペーン情報を配信中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

編集/はてな編集部