周囲が求める“らしさ”に囚われない。『ケムリが目にしみる』著者と考える、「正しさ」と「自分」の向き合い方

飯田さんトップ画像

周囲の発言や行動に違和感を抱きつつも、その場の“空気”に合わせてしまうことはありませんか。その時はやり過ごせたとしても、徐々に自身の心をすり減らし、しんどさを覚えてしまうことも少なくないはずです。

飯田ヨネさんの漫画『ケムリが目にしみる』は、周囲の反応に流され、つい合わせてしまう主人公・葉山かすみを中心に、「正しさ」について自問自答していく作品。かすみは「女の子が入れたお茶の方がおいしい」という上司の発言や、同僚との調和を求められたとき、違和感を抱いても飲み込んでしまう毎日を過ごしています。

そんな息苦しさは、彼女にとって「正しくない」ことである煙草を吸うわずかな時間にだけ忘れられます。しかし一方で、喫煙マナーを守っていたとしても「煙草なんて体に悪い」「お金もかかるし臭いもつく」という世間からの目も重々承知しており、喫煙者であることを会社の同僚にはひた隠しにしています。

喫煙に限らず、社会的な「正しさ」に順応できない自分にコンプレックスを感じたり、さまざまな「らしさ」の狭間で悩んでしまう人は多いはず。『ケムリが目にしみる』の著者・飯田ヨネさんに、そんな「正しさ」や「らしさ」との向き合い方をテーマに伺いました。

求められる「らしさ」に応えてしまっていた会社員時代

『ケムリが目にしみる』の主人公・事務員の葉山かすみは、周囲に意見を合わせてしまいがちでいつも息苦しさを感じている人物。その場の空気に従うことが「正しい」と捉えるかすみにとって、唯一、煙草を吸うときにだけそんなストレスから解放されるという描写が印象的ですが、こういったキャラクターを主役にした作品を描こうと思われたのはどうしてだったんでしょうか。

飯田ヨネさん(以下、飯田) 実はこの漫画の原型となった読み切り作品があるんですが、その作品では主人公が男性のエンジニアで、女性の事務員が陰でこっそり煙草を吸っているのを知って交流を深めていくというストーリーでした。その読み切りを読んでくれた編集さんが「これを連載にしましょう」と提案してくださって。

連載化の際に「女性の生きづらさを描いてほしい」とも言っていただき、それなら女性同士の連帯を描く漫画にストーリーを変更しよう、と思ったんです。そこで相手役の女性キャラクターだったかすみを主人公に据え、『ケムリ〜』が生まれました。

ケムリが目にしみる作中カットケムリが目にしみる作中カット

男性社員から女性としての役割を求められたり、同僚女性が話す噂話やデリケートな話題への同調圧力にモヤモヤしつつも、それに合わせることで「正しく」あろうとするかすみ。それ故に感じる息苦しさは、煙草を吸うという彼女にとって「正しくない」ことをしているときだけ解放される。喫煙者であることを職場には内緒にしている。(C)飯田ヨネ /芳文社

お試し読み | 「ケムリが目にしみる」飯田ヨネ

もともとは男性が主人公だったんですね。ちょっと意外でした。

飯田 漫画家になる前に3年半ほど開発会社でエンジニアをしていて、男性が多い環境だったので、男性を主人公にした方が描きやすかった、というのもあるかもしれません。

あと私は煙草を吸わないのですが、当時の職場に喫煙者の方が多く、喫煙者同士のコミュニティになかなか入っていけないことに悔しさや、ずるさのようなものを感じてしまうことなどもあって。『ケムリ~』には、そういう当時の経験や実感を反映させています。

作中で描かれるかすみの会社や、同僚の牧村が過去働いていた会社は、女性社員がお茶出しをさせられたり意味もなく打ち合わせに呼ばれたり、飲み会などもかなり多そうだったりと、わりと古い体質の職場に見えました。このあたりにも実体験が反映されていたりするんでしょうか……?

女性だから、という役割を求められることに違和感を抱く
(C)飯田ヨネ /芳文社


飯田 読者の方からも「いまどきこんな会社なかなかない」って言われるんですが(笑)、勤めていた職場は、わりとこういう空気でした。終電帰りや休日出勤も常態化していたし、チーム内で女性は基本私ひとりだったので、「女の子がいた方がいいから」という理由だけで打ち合わせに呼ばれることも多かったですし。

ただ、その頃は社会人として忙しく働く自分に酔っていたようなところもあって……『地獄のミサワ』っぽい感じでしたね。「いやー参ったわ、明日も休日出勤だわ」みたいな。だからそういう状況には、当時はさほど悩んでいませんでした。

では、そういった状況に違和感を覚えるようになったのは、職場を辞められてからですか?

飯田 そうですね。会社で働いていた頃は……男性と同じように忙しく働けていたり、打ち合わせの場にも多く参加できていたりすることで、正直に言えば「私はうまくやってる」みたいな優越感さえ抱いていた気がします。いまはそんなことはない、と分かるのですが。

会社を辞め、漫画家になって環境が大きく変わったことで、当時は女性として抑圧を受けていたという感覚がようやく芽生えたんだと思います。『ケムリ~』もそういう抑圧を意識しつつ描いた作品なのですが、振り返ると、私自身も人に対して抑圧する側に立っていたところがあったな、と反省しています。

飯田さん自身も、というと?

飯田 それこそ同期に対して優越感を抱いていたというのも態度に出ていたかもしれないし、自分がお酒にわりと強かったので、飲み会が苦手な同僚に対して無神経な振る舞いをしたこともありましたし……。『ケムリ~』の連載を終えてから時間がたったことで心境の変化もあって、当時は私も男性社会を内面化していた部分があったな、とようやく自覚できるようになりました。

今読み返すと、自分の理想とする面やいい面を女性キャラクターに、悪い面を男性キャラクターに振り分けているようなところもちょっとあるように感じますね……。そこは本当に、フェアじゃない描き方だったなと思っています。

確かに作品を描き終えてから時間がたつと、テーマへの向き合い方も変わってきそうですよね。読者の方からは、これまでにどんな反響がありましたか?

飯田 『ケムリ~』は『まんがタイムオリジナル』という男性読者の方が多い漫画雑誌に掲載されていたんですが、連載中は読者の方からの反応がほぼなくて……(笑)。それはそれでしんどかったのですが、人の目を気にせず描けたという点ではよかったかもしれないですね。

それに、男性誌で描いたからこそ、女性の生きづらさやフェミニズムといったテーマに普段あまり関心を持たない層にも読んでいただけたのかもしれないな、と今となっては思っています。プロモーションも全然しなかったので、これはたぶん単行本になってもあんまり反響ないだろうなと思ってたんですけど(笑)、単行本化してからはありがたいことに思いのほかたくさんの感想をいただけていて。「共感した」という女性からの声が多いですが、ときどき男性からもポジティブな意見をいただけて、どちらもとてもうれしく思っています。

「現代的な正しさ」は、描こうと思えば手癖で描けてしまうけれど

ケムリが目にしみる作中カット
牧村(画像左)との出会いで、かすみは徐々に自分の本心と向き合うように。そして、声を上げるようにもなっていく
(C)飯田ヨネ /芳文社

作中で、主人公のかすみは「自分」を見つめていくことで世間が押しつけてくる「正しさ」や「らしさ」から徐々に解放され、「正しくない」自分のことも認めることができるようになっていきます。飯田さん自身は、世間から求められる「正しさ」や「らしさ」について、どのようにお考えですか?

飯田 少し極端な例かもしれませんが、例えば、今は煙草を吸うことに対して「体にも悪いし副流煙もあるし、吸わない方がいい」という価値観が多数派だと感じますし、それは正しいことだと思うんです。ただ、昔はもっと喫煙率が高く、わりとどこでも吸う方も多かったですよね。そういうふうに「正しさ」って時代や環境によって変化していくので、そこに無理やり自分を合わせようとすると息苦しさを感じてしまうこともあると思います。

ただもちろん、社会のなかで生きていくためにはある程度、今の価値観に順応していく必要もありますから、自分と社会の「正しさ」の落としどころをどうにかして見つけていくのが現実的だと思っています。その落としどころを見つけるためには、自分が心から望んでいることや、自分にとって「これは譲れない」ということにまずは目を向ける必要があるのかなって。

「こうした方がいい」「正しい」とされる事象は色んな要素が組み合わさっていることも少なくないと思います。その価値観に対し全てを受け入れないといけない、というよりはそれに対し自分はどう感じるか、この部分は分かるけど、この部分はちょっと自分と違うな、といったことを考えるのが大切なのかもしれません。

忙しい毎日の中にいると、自分がなにをしたいのか、なにが自分にとって譲れないことなのかが分からなくなってしまう人もいそうだなと思うのですが、飯田さんの場合はどうやってそれに目を向けていますか?

飯田 私の場合は、漫画を描く作業が自分の感じていることを振り返るいいきっかけになっているかもしれません。それ以外だと、どうするといいんだろう……。

『ケムリ~』の作中だと、かすみは、自分の思ったことをはっきり言うことができる牧村というキャラクターに出会ったことで徐々に変わっていきますよね。自分とは違う価値観の人や、声を上げようとしてくれる人に出会うこともそのきっかけになりうるのかな、とふと思いました。

飯田 確かにそうですね。……今思い出したんですが、会社員時代に、会社の社長が飲み会で「女性を雇うのはコストだ」って言ったことがあるんです。私は当時それを聞き流して、まあ社会ってそういうもんかって思ってしまってたんですが、その社長の発言にすごく怒っていた同期の女の子がいて。

彼女は結局その後会社を辞めてしまったんですけど、当時、どうして連帯して状況を変えていこうと思えなかったんだろうと後悔しています。『ケムリ~』の終盤でかすみが職場の改革に乗り出しテレワークの導入を提案するという展開は、当時の自分が本当はしたかったことを描いているんだろうなって。あれほど怒っていた彼女の記憶がなかったら、その展開もなかったかもしれないです。

ケムリが目にしみる作中カット
育休復帰後、思うように働けず悩んでいた同僚と声を上げるかすみ。作中では自分を認めていくことで、既存の正しさを自らの手で変えていく様子が描かれる
(C)飯田ヨネ /芳文社

そういう経験って、確かにあとから思い出して後悔することが多い気がします。飯田さん自身は、かすみのように周囲から期待される「正しさ」や「らしさ」で悩まれた経験はありますか?

飯田 読者の方からときどき、私の漫画に対して「価値観が現代的」とか「きっと作者もやさしい人なんだろう」と言っていただくことがあるんです。とてもありがたいなと感じる反面、そういった感想と自分自身との乖離にはいまだに悩んでしまいますね。

私は実際に、女性差別のような社会の理不尽に対してはすごく怒りを感じるタイプではあるんですが、一方で、保守的で古臭い面も自分のなかにはいまでもあるのを自覚しているので……。

かすみが煙草を吸い続けることがまさにそのひとつだと思いますが、なかなか変われない部分や譲れない部分は誰にでもありますよね。

飯田 そうですね、一から十まで現代的な価値観に順応することってできないと思うので、誰しもそうやって、自分の変われない面にも折り合いをつけながら生きていくものなんじゃないかなって思います。……言ってしまえばたぶん、いまの価値観で「現代的」とか「ちゃんとアップデートされてる」って褒めてもらえるようなことって、描こうと思えば手癖で描けると思うんです。

実際に自分のなかで納得はしていなくても、表面的に合わせることはできるということですか?

飯田 そうですそうです。でもそうやって「今の価値観」や「現代的な正しさ」に表面だけ合わせた作品って、出したそのときは褒めていただけるかもしれないけど、自分のなかで本当に納得できていない限り、世間の評価と実際の自分との乖離に悩んでしまうだけじゃないですか。

だから私の場合は漫画を描いていくなかで、「今度はこうしてみよう」「やっぱりこっちじゃなかったな」というように、トライ&エラーを重ねながら自分の意思を探っていっているような感覚があります。そういうふうに自分の本心に誠実でいることでしか、自信ってついていかないと思うので。

なるほど。自分が納得いくまでトライ&エラーを重ねること、本当に大事ですね。

飯田 そうやって見えてきた自分の本心って、「今の価値観」とは合わなかったり、ぜんぜん正しくなかったり、カッコ悪いものかもしれません。でも、そういう自分を認めることで初めて、自分自身と今の社会とをすり合わせた行動や表現ができるようになっていくんじゃないかと思います。

ケムリが目にしみる作中カットケムリが目にしみる作中カット
「正しさ」に縛られなくなったことで、息苦しい現実が変化していったかすみ
(C)飯田ヨネ /芳文社

「うらやましい」「悔しい」と感じている自分をまずは認める

『ケムリ~』を拝読していて特にリアルだなと感じたのが、かすみの同僚の女性が、先輩の結婚の知らせを受けた際に「私に何も変化がないうちに前に進んでいる人を見ると不安になる」とかすみに語るシーンでした。自分自身は「今のままでいい」と思っていても、周囲のライフステージがどんどん変化していく様子を見るとなぜか焦りを覚えてしまう人は多そうだな、と思って。

飯田 そうですよね。私自身、結婚願望が強いタイプではないんですが、友達が結婚してしまって前のように遊べなくなったりすると、「このままでいいのかな」ってふと思うこともありますし。

そういうふうに感じたときって、飯田さんはどうしていますか?

飯田 うーん、難しい……。例えば、私は「いつか結婚したいとは思ってるんでしょ?」って言われると「そんなことない」と反論したくなるんですが、一方で、自分のなかには確かに「ひとりは寂しい」という思いもちょっとはあるなってこの頃気づいたんです。

そういうふうに感じている自分がカッコ悪いと長年思っていたんですが、最近はもう、自分にはそういう面もあるというのをまず認めようと思っていて。自分のダサい部分や目を背けたくなるような部分も受け入れよう、とは言わないまでも、そういう部分の存在を自覚する必要はあるのかなって思うようになりました。

結婚・出産といった周囲の変化に限らず、仕事面でも同じように、「あの人の漫画はあんなにヒットしてるのに……!」って思っちゃうこともありますし。

仕事の場合、「あの人はあんなに評価されているのに、どうして自分はされないんだろう」という嫉妬心も芽生えがちですよね。

飯田 すごくありますね、そういう気持ちは……。「人は人、自分は自分」って思うのも大事なことだけど、実際にはそう思えるときばかりじゃないですよね。本当はすごく気にしているのに、無理に「気にしてない」と思い込もうとすると、抑圧された感情が攻撃的な形で出てきてしまうこともあると思うんです。

それならいっそ、人と比べてしまって悔しがっている自分、落ち込んでいる自分の存在を認めて、そう言ってしまった方が健全じゃないかって思います。「こんなにいいもの作ってるのに、なんで評価されないんだ!」って(笑)。

『ケムリが目にしみる』(2)
(C)飯田ヨネ/芳文社

確かに。「悔しがっている自分」を認められずにいると、その感情が他人への攻撃性につながってしまうことがある、というのもその通りですね。

飯田 『ケムリ~』のなかに楠というキャラクターが出てくるんですが、彼は最初、自分の恋人である女性が自分より優秀であることが許せないんです。でも、それでプライドが傷ついてしまう自分はダサいという自覚もあるので、「女性は男性よりも楽して生きているんだ」と考えることで自分を正当化して「正しい」と捉えようとする。

彼は物語の後半でそういう自分のコンプレックスを認められるようになったことで、ようやく自分を変えていくために動けるようになるんです。だから、そういうふうに「悔しい」とか「許せない」という気持ちに正面から向き合うことって大事ですよね。

作品の終盤では、楠は「僕は彼女を尊敬している」とはっきり言うことができるキャラクターに変わりますよね。自分のそれまでの価値観や振る舞いを問い直し、自分を変えていきたいと思ったとき、その一歩を踏み出すのってなかなか難しいなと思います。楠を見習いたいなと……。

飯田 なかなかできないですよね。私は最近、自分の描いた漫画の最新回が公開されたとき、SNSで「読んでください!」ってちゃんと言っていこう、と思うようになったんです(笑)。いままでは、自分の作品を「面白いのでぜひ読んでください!」って言う方に対して、よっぽど自信があるんだな、私にはできないなって思ってたんですよ。

でもよくよく考えてみたら、そういうふうに言える人のことが、ただ私はうらやましいんだって気づいて。だったら恥ずかしがってないで、「読んでぜひご感想ください! ファンレターの宛先はこちらです!」ってどんどん言っていった方がいいなって思うようになりました。YouTuberの方って「高評価お願いします!」って動画の最後に毎回言うじゃないですか、あの精神すごく大事だな、見習わなきゃって。

……そういうふうに、できそうなことからちょっとずつやっていこうかな、って私も思っています。

取材・文:生湯葉シホ(@chiffon_06
編集:はてな編集部

自分の本心と少しずつ向き合うために

お話を伺った方:飯田ヨネ

飯田ヨネ

漫画家。2016年デビュー。過去作に『給食の時間です。』(小学館)、『ケムリが目にしみる』(芳文社)、『今度会ったら××しようか』(KADOKAWA)。現在『つんドル! ~人生に詰んだ元アイドルの事情~』(原作・大木亜希子さん/祥伝社)連載中。最新2巻が2022年1月に刊行予定。

やりたいことへの道筋は柔軟でいい。カフェから寿司職人へと夢を切り替えた、週末北欧部のchikaさん

週末北欧部

「いつかはこんなふうになりたい」という目標や、やりたいことを持っていても、それをかなえるための具体的な行動に踏み出すのは、なかなか難しいものです。自分なりにやっているつもりでも「これでいいのかな?」と不安になっている人もいるでしょう。

そんなとき大事なのは「やりたいことの本質」をまず見極めることなのかもしれません。

人気ブログ「週末北欧部」のchikaさんは、学生時代の旅行がきっかけで「将来はフィンランドでカフェを開きたい!」という夢を持つように。しかし夢の実現に向かって行動する中で、フィンランドでの寿司職人を目指すことにしました。

カフェと寿司、というと一見かけ離れているように思えますが、chikaさんの中では「自分らしい生き方と働き方を両立できる」という、一貫してブレない軸があります。chikaさんがそのことに気付いたのは「自分が本当にやりたいこと」を探すために、たくさんの寄り道をした経験からでした。

やりたいことを探したり目指したりするための道筋は、何通りあってもいいはず。面白い寄り道をしたことで、想像以上のキャリアにつながったというchikaさんのお話を伺ってみましょう。(※取材はリモートで実施しました)

就職2年目での転職で、自分には「本当にやりたいこと」がなかったと気付いた

chikaさんは、会社員として働きながら、「週末北欧部」としてブログや漫画の執筆、北欧イベントの開催をされています。現在は、いずれフィンランドで暮らすために寿司職人の修業をされているそうですね。そもそも、なぜ「フィンランドで暮らしたい」と思うようになったのでしょうか。

chikaさん(以下、chika)  フィンランドは、小学生のころからサンタクロースのいる国ということで興味があったんです。就活前に旅行してみることにして、クリスマスの時期に1カ月ほど滞在したらすごくハマりました。初めて日本以上に住みたいと思えた国だったんです。

フィンランドの人には、お互いに「好きなことをしていることを尊重し合う」みたいな文化があって。親友と過ごしているときのように、沈黙が続いても心地よく過ごせるんですね。私自身田舎育ちで、みんなと違うと浮いてしまう経験もしていたからこそ、尊重と無関心の間くらいの距離感でいられるフィンランドを好きになったのだと思います。

chikaさん
chikaさん

就職活動が始まったときも「フィンランドで働きたい」と考えられたそうですね。

chika そうなんです。就職サイトで「フィンランド」と検索してもまったくヒットしなくて(笑)。最終的には、日本を拠点にしつつ北欧に関われそうということで、ネットで見つけた小さな北欧系の音楽会社に入社しました。その会社のスタッフは、私を含めて数名だけ。私は、北欧系のアーティストのイベントを全国のコンサート会場に売り込みにいく営業を担当しました。ただ、この会社は私が就職して2年目でこのままだとなくなってしまうという状況になり、転職活動をすることになりました。

就職2年目で会社がなくなるというのは大事件ですよね……。転職するときは、どんな仕事をしようと思っていたのですか?

chika そのときは北欧以外に関わりたいことが本当にありませんでした。すると、登録した人材会社との面談の中で「うちの会社を受けませんか?」と誘われたんです。

その面接で「好きな北欧に携わりたかっただけで、自分が何をしたいかは考えていなかったでしょう」と厳しいことを言われて「その通りだな」と思いました。好きな北欧に関われる会社に入社することがゴールだったので、その先で「自分は本当は何がやりたいの?」という部分がなかったんだと気付いたんです。

なので、次は本当にやりたいことや夢を持っていない自分を変えたいと思って。当初は3年半の期限付き契約社員で入社したのですが、「この期間をやり切ったら絶対に次にやりたいことが見えるから」という面接官の方の言葉を信じて入社しました。ここでやらなかったら変われない気がしたんです。つらいときは前職でやり切れなかったことを思い出したりして、自分を奮い立たせました。

やりたいことを見つけたいなら「選択肢」を増やせばいい

入社してから、「本当にやりたいこと」を見つけるまでにはどんなプロセスがあったんですか?

chika 当時の上司から「いろいろやってみて選択肢を増やしてみたら?」と言ってもらい、思いついたことを片っ端からチャレンジしました。最初は「将来、1年のうち3カ月くらいフィンランドで暮らせたらいいな」と思い、「だったら働き方を自分で選べる自営業がいいな」とライフスタイルから発想してみました。

まずは、「ブロガーとして収入を得られるのでは?」とブログを始めてみたり、ヴィンテージ雑貨のWebショップを始めてみたりしましたが、いずれも自分らしさを出すことがなかなか難しかったり、相手の反応が見えにくいことが自分に合わないと感じて、長くは続きませんでした。

このふたつの経験を通して、私にとって仕事とは「誰かのまねではなく自分らしさが生きること」「目の前の人が喜ぶ顔が見られること」が大事なんだと気付きました。その後に始めたカフェ修業ではどちらもぴったりハマり、「日本で北欧カフェを開きたい」と思うようになりました。

なぜ、そこでカフェで修業しようと思われたのでしょう。

chika フィンランドはコーヒーの国民ひとり当たりの消費量が世界一になることもあるほど、コーヒー文化が盛んな国なんです。それに音楽会社のときから、日本にいながらも北欧文化を発信する仕事には魅力を感じていました。

また、修業をしたカフェのオーナーさんが季節ごとのメニューをどんどん変えていく人で、ひとつとして同じ仕事がないんだなと思えたし、自分が作ったものを目の前のお客さんが喜んでくださるのもすごくうれしくて。

カフェなら、自分らしさを生かすことも、目の前の人が喜ぶ顔を見ることもできる。自分らしい生き方と働き方が両立できると思えました。

「同じ苦労をするなら」と、カフェから寿司へ大転換

その後、「日本で北欧カフェを開こう」から「北欧でカフェを開こう」へと考えを変えられましたね。

chika カフェ修業も3カ月ほどたつと、オーナーさんの苦労も見えてきて。そこで「どうせ苦労するなら好きなフィンランドで思いっきり苦労しよう」とひらめいたんです。どうせなら“苦労対効果”が高い方がいいんじゃないかと。「もっと大変な道になるけど、絶対にその価値がある!」とワクワクしたのを覚えています。

そこでフィンランドでの開業について調べてみると、就労ビザの壁が高かったんです。でも「寿司職人」は現地での求人もあるし、日本人であることも生かせるし、ビザも比較的取りやすいということを知りました。



同じ飲食業でもカフェと寿司はかなりかけ離れていますよね。目指すところを変えることに葛藤はありませんでしたか?

chika 葛藤はあまりなかったですね。もともとカフェを選んだのも、コーヒーやカフェが好きだからというよりは、自分らしい働き方と生き方を両立できるからでした。

私にとって自分らしさとは、自分なりの経験や思いを踏まえて好きな場所で生きていくことだと考えています。そんな自分らしさが価値になり、目の前の人が喜んでくれる仕事ができるなら、手段については強いこだわりはなかったのだと思います。

早速、寿司学校を見つけて平日夜に開講する3カ月のコースに入学することにしたんですが、学校側の都合で申し込んだコースが中止になってしまったんです。

思い切って寄り道したことで、迷いがなくなった

寿司学校に申し込んで、やっと夢へ一歩を踏み出そうとしたのに、出鼻をくじかれてショックだったと思います。

chika はい。最初はビザ突破が主な理由でしたが、そのときは寿司職人はとても素敵な職業だと思うようになっていたので、さすがに落ち込みました。そんなとき会社の先輩から「海外勤務の選抜試験があるから受けてみたら?」と電話がかかってきたんです。締め切り15分前だったのですが、5分で申し込みをしました。その後、無事に社内試験を合格して、中国・広州に約1年間赴任することになりました。

即断だったんですね! 北欧でも寿司でもない、中国勤務を選べたのはどうしてですか?

chika ひとことで言えば「面白そう」と思えたからですね。また、寿司学校に入れず次のステップに進めないまま、今まで通りの仕事や生活をただ過ごすことへのもどかしさもありました。

道は見えているのに先に進めないジレンマの中、今という時間をどう過ごすかを決めるのはすごく勇気が必要だったと思います。結果的に、中国勤務という“寄り道”はどんな経験になりましたか。

chika 中国勤務が決まったとき、この1年を夢のモラトリアム期間にしようと決めました。すでに5年間夢を追い続けて「まだできていないのか」と自分を責めてしまうこともあったので、一度白紙にして「何でも選べるよ」と自分に自由を与えてみる期間にしようと思ったんですね。あのとき、一度夢を手放して距離を置いたからこそ、やっぱり自分の夢が好きだと思えたし迷いがなくなったのかもしれません。

中国では言葉が通じず、自分のキャリアの主軸である営業は言葉が変われば太刀打ちできないという儚(はかな)さを知りました。でも同時に「何でも楽しんで生きていける」という自分のたくましさも知りました。

「若いからこそできる」と言われる仕事もある中で、年齢を重ねることを価値にしたい、世界中どこにいても自分の経験によって目の前にいる人を幸せにしたいという自分のキャリア観が、より明確になったんですね。寿司職人はその全てがかなうし、フィンランドに行ってもなんとかなるだろうと、自分への信頼度が高まる1年にもなりました。

これからも、自分だったら絶対に選べない選択肢が不意に与えられたとき、それを面白いと思えるなら思い切って選びたいと思います。




寄り道や予想外の経験も、掛け合わせれば価値につながる

帰国された今、今後の働き方についてはどのように考えておられますか?

chika 最近は、新しく「書く仕事」という道も考えるようになりました。中国勤務をしたことで、海外系のキャリア経験者として『COSMOPOLITAN』のWebサイトでのコミックエッセイ連載のお話をいただいたんです。

2020年には2カ月間入院することになり、会社の仕事も寿司学校も休んだんですが、入院中はベッドの上で過ごす時間が多かったため、この連載だけは執筆できました。



また、入院中の時間を使って、以前から書こうと思っていた「マイフィンランドルーティン100」をブログで書き始めたら、出版社から書籍化のお話をいただきました。結果的に、入院したことによって、新しく作家活動という軸を見つけることにつながったんですね。自分が望む望まないにかかわらず、起きた出来事は何かしらプラスになることもあると感じています。


入院中に執筆も

以前、ブロガーとして収入を得られないかと考えてブログを始めたときは、自分にしか書けないものをうまく見つけることができずに挫折してしまいました。でも今は、中国や北欧での体験を含め、自分の経験を生かして書きたいことが増えました。

今は、ゆくゆくはお寿司半分、作家半分というライフスタイルが自分に合いそうだなと思っています。それは、先ほどお話しした「年齢が価値になり、世界中どこにいても自分の経験で人を幸せにできる」というスタイルのひとつになりそうです。

今は新型コロナウイルスのことがあるので状況を見つつ、近い将来フィンランドに移住したいと考えています。

長年にわたって夢を追いかける中で、焦ったり不安になったりすることもあったのではないかと思います。そういうとき、chikaさんはどう対処していたのですか?

chika ひとつは、まず始めてみること。目指している仕事に就いていなくても、バイトをしてみたり何かを学び始めたりして、「いつかやります」ではなく「今やっています」という状態で人に会えるようにしたいと常々思っていました。もうひとつは、不安や焦りがあるときはその原因をじっくり考えて、先回りして不安要素をなくすことです。

私は夢見がちなリアリストなところがあるんです。例えば、フィンランドで失敗しても大丈夫なくらい貯金してみようとか、帰国することになっても転職できるように今の仕事をがんばろうとか。漠然とした不安を抱え続けるのではなく、「準備しているから大丈夫だよ」と自分を安心させられるようにしています。だから、今もまだ「時間がかかっても、失敗しても大丈夫」と思えているのだと思います。

すごく先のゴールは設定しているけれど、その道筋は綿密に決めすぎないという柔軟さが、大きな夢を実現することにつながっているのかなと思います。

chika キャリアの道筋は、ひとつのことに向かって突き進む「山登り型」、流れに沿ってやりたいことを見つけていく「川下り型」などさまざまなパターンがあると言われています。私の場合は、ゴールは決まっているけれど、登ったり降りたり、斜めに動いたり自由な道筋を選ぶ「ジャングルジム型」なのだと思います。


ジャングルジム型のキャリア

今となっては、寄り道に思えたことも、むしろ唯一無二の近道だったんだと確信をもって思えています。



最後に「なんとなくやりたいことはあるけれど、今やっていることがそれにつながっているかどうか分からない」と不安な人に向けて、chikaさんからアドバイスをお願いします。

chika どんな経験も、必ずその人ならではの価値になります。「今、本当にやりたいことと関係ないことをしているな」と思っていても、実はその経験が他の人にはない価値になり、思わぬ形で「やりたいこと」につながる可能性があります。自分が望む最終的なゴールさえイメージできていれば、そこに向かうまでの行動は柔軟に考えていいんだと、これまでの経験で感じてきました。

それに、ひとつのことを極めるのも大事ですが、いろんな経験を掛け合わせることで「自分にしかないキャリアができる」という考え方もあると思っておけば、すごく面白い人生になるんじゃないかと思います。

取材・文:杉本恭子 編集/はてな編集部

これまでと違う環境で「働く」上で大事なこととは?

お話を伺った方:chikaさん

chika

北欧好きをこじらせてしまった会社員。フィンランドが好き過ぎて12年以上通い続け、ディープな楽しみ方を味わいつくした自他ともに認めるフィンランドオタク。現在はいつかフィンランドで寿司店を開くことを目標に、平日は会社員をしながら、週末は寿司職人の学校に通っている。2021年9月24日に初の著書『マイフィンランドルーティン100』(ワニブックス)を刊行。

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仕事のモヤモヤは、お酒と漫画で消化する。漫画家・コナリミサトさんの“気持ちのゆるめ方”

コナリミサトさんアイキャッチ画像

日々の仕事を通じて感じた疲れやモヤモヤ、うまく解消できていますか? 中には、そういったマイナスの感情をどうやってリセットすればいいか分からず、毎日溜め込んでしまっている──という人もいるかもしれません。

『凪のお暇』や『珈琲いかがでしょう』などで知られる漫画家・コナリミサトさんの作品であり、2021年にドラマ化もされた『ひとりで飲めるもん!』は、「ひとり飲み」を通じて日々の仕事の疲れをリセットしたり、仕事の悩みや不安を整理したりする主人公・紅河メイの姿が描かれています。作者のコナミさん自身も、ひとりで「飲むこと・食べること」などを通じて日々のモヤモヤを解消しているそう。

今回は『ひとりで飲めるもん!』の制作背景とともに、コナリさん自身の「仕事で感じたモヤモヤ・イライラの解消法」について、オンラインでお話をお聞きしました。

作中の主人公のように、食を通じて仕事の疲れを癒やす

コナリさんの漫画『ひとりで飲めるもん!』は、周囲からバリバリのキャリアウーマンに見られている主人公・メイが、ひとり飲みの時間を通じて仕事の疲れやモヤモヤを吐き出す様子を描いています。本作は、どのようなきっかけで生まれたのでしょうか?

コナリミサトさん(以下、コナリ) チェーン店のような大衆的な場所でひとり飲みをする女の子の話が描きたい、というのがまずあったんです。私自身、もともとチェーン店でひとりでのんびり飲むのが好きで、こういうことをネタにできたら面白いかもしれないと思って。

作中カット

「ひとりで飲めるもん!」1軒目より
(C)コナリミサト /芳文社

コナリさんはチェーン店でいうと、どんなお店に行かれるんですか?

コナリ 例えば「すき家」とか「松屋」みたいな牛丼や定食のお店で飲むのも好きですね。すき家は、実はうなぎが毎年進化していてすごいんです。松屋は、以前話題になった「シュクメルリ」が本当に好きで……期間限定だったんですが、レギュラー化してほしいって思いました。

飲み屋さんでいうと、高円寺にある「大将」っていう焼き鳥居酒屋がすごく好きですね。

大将、いいですよね、私も好きです!

コナリ 大将はマカロニサラダが最高なんですよね……あと、個人的におすすめなのがフードコート飲みなんです。

フードコートって学生さんや家族連れの方が多いイメージで、あんまり「飲む」イメージがなかったです。

コナリ フードコート飲みのよさ、あんまり知られていないと思うんですよ! いまはコロナの影響でちょっと難しいんですが、フードコートって本当に老若男女がおしゃべりをしている場なので、他人の存在を感じられるんですよね。近くのテーブルのお客さんたちの気配を感じながらごはんを食べたりするのが好きなんです。

確かに、楽しそう……!

コナリ 私、そういうスポットを探しながら常に街を歩いているというか、新しい飲みスポットを開拓するのがすごく好きで。風が気持ちよくて、そんなに混んでいない場所だと特にいいですね。デパートの屋上とかも好きですし。

ひとり飲みをするタイミングは『ひとりで飲めるもん!』のメイと同じく、ひと仕事終えた後が多いんですか?

コナリ そうですね。ただ、お酒は大好きなんですが「ネーム作業をしている期間は飲まない」って決めているんです。だから、ネームが上がったり原稿作業が一段落した日にする「雑な晩酌」がすごく幸せで……。もちろん外食も好きなんですけど、疲れている日の夜は、雑なごはんくらいがちょうどいいんですよね。

「雑な晩酌」というと、パパっとできるおつまみのようなイメージですか?

コナリ そうですそうです。お豆腐に塩をかけただけのものとか。最近はまってるのは、マキタスポーツさんがラジオで紹介されていた「10分どん兵衛」。それをさらにアレンジしたのが雑誌に載っていて。カップうどんのどん兵衛の縁ギリギリまでお湯を入れて、10分寝かせて麺をゆるゆるにしてから食べるっていう。小さいサイズのカップうどんって、おつまみにちょうどいいんですよ。

そういう、冷蔵庫と部屋を行ったり来たりするだけで済んで、お腹いっぱいになったらそのままお布団にダイブできるくらいの雑さがお気に入りなんです(笑)。その瞬間のお酒を目指して、毎日仕事を頑張ってます。

(写真左)最近は豆腐にごま油と味の素をかけたものにハマっているそう。
(写真右)10分どん兵衛には七味をどばっとかけて食べるとのこと
(画像提供:コナリミサトさん)

外ではバリバリ仕事をしつつ、飲むと「ほぐれる」人を描きたかった

『ひとりで飲めるもん!』はお酒好きなコナリさんの実感が反映された作品だったんですね……! 主人公・メイのキャラクターはどのように考案されていったのでしょうか?

コナリ メイは、いろいろな友人の合体系、という感じかもしれません。私の周囲には仕事をバリバリ頑張っている友人が多いのですが、外ではしっかりやっているんだろうけど、一緒にお酒を飲んだりごはんを食べているときは緊張がほぐれてフニャフニャな感じになってくれる子が結構いて、それがすごくいいなあと思うんです。みんな世代的にもどんどん出世したり責任のある立場になっていったりしているんですが、飲むと昔のままというか。

作中では、メイはチェーン店で食べたり飲んだりしてリラックスしたときに頭身が縮むキャラクターとして描かれていますよね。まさにあんなイメージですか?

コナリ そうですね! 1990年代のアニメって、コミカルなシーンになったときに突然汗の粒が大きくなったり、走っているときに足がぐるぐると渦巻きになったりするじゃないですか。子どもの頃ああいった表現が好きだったので、自分の漫画のキャラクターにもさせたいなあと思って。メイの場合は食事とお酒で分かりやすく「ほぐれている」のが表現できそうだと思い、ここぞとばかりにああいう描き方にしてみました。

作中カット

周囲が思わず見とれてしまうような雰囲気を持つメイが、チェーン店でのひとり飲みのときにだけ「ほぐれる」様子(「ひとりで飲めるもん!」5軒目より)
(C)コナリミサト /芳文社

なるほど。作中のエピソードに関しても、周囲のご友人のお話を参考にされたりすることもあるんでしょうか?

コナリ 会社員あるあるみたいなエピソードの場合、友人の話を参考にさせてもらうことはわりとありますね。例えばメイの同期が転職してしまうエピソードなどは、同期の転職が決まって寂しいけれど引き止めるわけにはいかないし……という話を友人から聞いて、そこから着想しました。

自分の本心をさらけ出せる瞬間があることの大切さ

コナリさんご自身が特に気に入っているエピソードってありますか?

コナリ 会社を辞めようか悩んでいるメイが、劇場に映画を観に行くお話が気に入っています。女戦士が登場する映画を観て、「じゃあ、私はこれからどうしよう?」と自問自答するエピソードです。

映画を観た後、メイは「冒険」として普段ならあまり行かない高級ディナーにも挑戦していましたよね。そして、その後すぐにチェーンの回転寿司店に入り直し、食べ&飲みながら自分の進む道を再確認するという。ここでもメイ自身が本心をさらけ出せるような「ひとり飲み」の時間が大切なものであることが伺えます。

作中カット

高級寿司を食べた直後に入ったチェーン店での気軽さに癒やされながら、自分の今後について見つめ直すメイの様子(「ひとりで飲めるもん!」18軒目より)
(C)コナリミサト /芳文社

コナリ そうですね。メイは結局「このままこの会社に残って働くことがいまの私にとっての冒険だ」という結論にたどり着くんですが、あれ、我ながらいいせりふだったなと思っています。

「冒険」ってどうしても新しいところに飛び出していく際に使われがちだと思うんですが、必ずしもそれだけじゃないよなあという思いがあって。『凪のお暇』が会社を辞めるお話だったので、「でも、残るのも冒険だよな」と心のどこかでずっと思っていたのかもしれないです。

作中カット

「ひとりで飲めるもん!」最終軒より
(C)コナリミサト /芳文社

確かに新天地に向かうことばかりが「冒険」と呼ばれがちだけれど、残って、その地で挑戦を続けることも「冒険」ですよね。コナリさんは、漫画家になる前に会社員をされていたことがあると伺っているのですが、会社を辞めようか迷ったご経験ってあったりしますか?

コナリ 雑貨屋さんの店員をしていたことはあるんですけど、自分にはちょっと合わないなと感じて、わりとすぐに辞めてしまったんですよね。それ以降はいろんなバイトをかけもちしながら漫画を描いていたのですが、実は28歳くらいのときに漫画家を辞めようかすごく悩んだことがあって。つらい時期だったのでもはや記憶から抹消されかけているんですが……。

えっ、そうだったんですね。そのときはどうして悩まれていたんですか?

コナリ 私、デビューからずっと、全っ然売れてなかったんです。同じくらいの時期にデビューした周囲の漫画家さんたちがどんどん売れていっているのを目の当たりにして、もう私にはこのまま続けるのは無理かもしれないなと思ってしまって。

それでも続けようと思えたのはなぜだったんでしょう。

コナリ どうしてだろう……身もふたもないですが、他にできることがなさそうだったからというのが大きいかもしれないです。いろんなバイトを経験する中で、自分のミスが全員の連帯責任になってしまったりするような環境を経験して、これは自分には向かないなと。

漫画の仕事って、うまくいってもそうじゃなくても、全部自分のせいにできるのがいいところだと思っていて。だから、すごく迷ったけど結局描き続ける道を選んでしまいました。確か、その直後に描いた作品が『珈琲いかがでしょう』だったんじゃないかな。

モヤモヤは、作中の「面白いエピソード」にして消化する

話題を戻しますが、お聞きしていると、コナリさんにとって「飲むこと・食べること」は日々の疲れやモヤモヤをゆるめるための大事な日課なんだなと感じます。もし、それ以外にも大切にされている「気持ちをゆるめる」ための方法や習慣があれば、教えてください。

コナリ 仕事でいま行き詰まっているなあと感じるときは、サウナとジョギングでリフレッシュするようにしています。サウナは、タナカカツキさんの漫画『サ道』を読んだのがきっかけではまりました。水風呂の存在を知れたのがデカイです。モヤモヤしているものを手放せる感じがするというか、スカッとできるので好きですね。

ジョギングは1年くらい前から運動不足が気になってやり始めたんですが、筋肉もつくし、半強制的に脳が休まるような感じがいいなって。ネームがどうしても思いつかないとき、なにか別のことを考えよう……と思って走ってみたら、たまにいいアイデアが浮かんだりもするので、最近はわりとよく走っています。もちろん、どうしても浮かばないときもあるんですけど……。

作品のアイデアがどうしても浮かばないときって、どうされているんですか?

コナリ とにかく散歩をしますね。ただ、最近は暑くて外を歩くのもなかなかつらいので、家や仕事場の中を歩き回ったりしています。

漫画家さんの中には、担当編集さんと相談を重ねることで作品を作り込んでいくタイプの方もいらっしゃいますよね。コナリさんはあまりそういったことはされないのでしょうか?

コナリ 私はあまり編集さんとじっくり相談しつつ作っていくというタイプではないかもしれません。むしろさっきお話ししたように、お酒を飲みながら友人の話を聞いたりしているときに作品の原型ができていく方だと思います。

お酒の場で自分の悩みをようやく言語化できたり、「いまのせりふは〇〇のキャラに言わせよう」と考えたりしているので、コロナ禍になって気軽に飲みに行けない現状が本当につらいんですよ……。現実世界で言えなかったことやモヤモヤしていることをお酒の場を通してエピソードにし、それを漫画という形で消化しているようなイメージなんです。

なるほど。お酒の場と漫画を通じて日々のモヤモヤを消化していらっしゃるんですね。

コナリ そうですね……穏やかな言い方じゃないかもしれないですが、モヤモヤ・イライラしたことは漫画の中でできるだけ面白い話にすることで復讐している、というか(笑)。私は愚痴を人に聞いてもらうときは「面白おかしくすること」がせめてものエチケットだと思う方なので、漫画に描く際にもあまり生々しいエピソードにならないよう、一旦時間を置いて、激情に流されないようになった頃に少しつまんで出す、というのを心がけています。……あっ、それから、ひとりで飲みながら落書きする時間も日々の癒やしのひとつかもしれないですね。

落書き! お仕事以外の時間にも絵を描かれるんですか?

コナリ ひとり晩酌しながら落書きするの、大好きなんです。さすがに仕事中は絶対にお酒は飲まないようにしてるんですが、そうじゃない時間はいくらでも飲みながら描けるので楽しいですよ! ほろ酔いで、自分の漫画のキャラのエロい絵とかを描くこともあります(笑)。本当にあっという間に時間が過ぎるので、やっぱり描くのが何より好きだなあと思いますね。


取材・文:生湯葉シホ 編集:はてな編集部

『ひとりで飲めるもん!』 発売中

『ひとりで飲めるもん!』書影

芳文社刊

紅河メイはコスメ会社の広報部に勤務する28歳。仕事もできて、スタイル抜群。 憧れる人も多いが、やっかみも多い。そんな彼女の密かな楽しみは、チェーン店。 それも居酒屋ではなく、チェーンの丼店、ラーメン店、カフェで食事をとりながらさくっと飲むこと。 働く女性に贈るちょいグルメストーリー。

▶ひとりで飲めるもん!

お話を伺った方:コナリミサトさん

コナリミサト

漫画家。2004年デビュー。『凪のお暇』(秋田書店)、『黄昏てマイルーム』(KADOKAWA)、『燃えよあぐり』(小学館)連載中。2019年に『凪のお暇』、2021年に『珈琲いかがでしょう』『ひとりで飲めるもん!』がドラマ化したことでも話題に。

Twitter:@konarikinoko

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「じぶん」の感情を尊重したら、相手に本音を伝えられるようになった|マンガ家・ペス山ポピー

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

上司や同僚から理不尽な言動を受けたとき、「嫌だな」と感じても、笑って受け流してしまい相手に本音を伝えられなかった経験はありませんか。

自分の本音を他者に隠してしまう背景には、自己肯定感の低さから自身の考えや感情を尊重できず、空気を読みほかの人の要求に応えることばかりを優先してしまう、という側面がありそうです。

マンガ家のペス山ポピーさんも、子どもの頃から自己肯定感が低く、本音を隠してしまう自分に悩んできた一人。しかしエッセイマンガ「女(じぶん)の体をゆるすまで」の執筆を通じて、トランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)である自身の性自認への悩みや、過去に体験したアシスタント現場でのセクハラ・パワハラに向き合うことで、ようやく自分の感情を認めることができ、少しずつ本音が口に出せるようになってきたそうです。

そんなペス山さんに「自分の感情を尊重し、本音を相手に伝えるためのヒント」を伺いました。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

本心を隠す自分は、自分に対して“不誠実”だった

「女(じぶん)の体をゆるすまで」の連載が終わり、上下巻で単行本化されるということで、まずは、連載本当にお疲れさまでした。

ペス山ポピーさん(以下、ペス山) ありがとうございます。

本作ではご自身のセクハラ・パワハラの体験や性自認についてなど、ペス山さんの「からだ」そして「こころ」について描かれていますが、そもそも、どうしてこういったテーマで作品を描こうと思われたんでしょうか?

ペス山 ここに向き合わないと、次に進めない」と思ったからです。アシスタント現場でセクハラ・パワハラを受けたのは2013年ごろとかなり前の出来事なんですが、ずっと向きあう気になれなくて。

きっかけは、前作(『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』/新潮社)でも描いた交際相手の存在でした。かなりモラハラ気質というか、差別的な言動をぶつけてくる人だったんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

私はトランスジェンダーということもあり、極力自分が傷つかないようマイノリティーな側面がある人としか付き合いをしてこなかったんですが、初めて付き合った“ノンケ”の男性がそういう人で、衝撃を受けて。

そこで初めて「性差別」というものに目が向くようになって、ようやく過去のセクハラ・パワハラにも向き合おう、と思えるようになりました。どちらの出来事も「自分という存在がぞんざいに扱われている」という点において、差別の仕組みは同じじゃないですか。

元交際相手から受けた差別的な言動がきっかけとなり、自分の中で「封」をしていた過去の理不尽な出来事に触れることができたと。向き合うことを避けていた記憶と対峙するのは、つらくありませんでしたか。

ペス山 実は、描いているときは過去に起きたことを整理しているような感覚で、わりと平気だったんです。むしろ描くことでちょっと楽になる感じでした。

それを聞いて、少しホッとしました……。「女(じぶん)〜」の執筆を開始するまでは、自分の感情や本心をどう扱っていましたか。

ペス山 不誠実だったな、と思います。私は小学生6年生のころ、男の子のような格好をしていて、周囲からは「女なんだから……」と言われていました。そのたびに傷ついて。

傷つかないためにはイカれた格好をするしかない、と思い高校生の頃からずっとゴシックファッションに身を包んでいました。前髪は鬼太郎みたいに斜めで。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 高校入学からしばらくゴス時代は続いた
(C)ペス山ポピー/小学館

したい格好じゃないのに、あえてゴシックファッションを選んでいたと。

ペス山 そうなんです。本当は男の子のようなファッションを選びたかったけれど、それは自分の「核心」なので、否定されたら傷つく。だったら「なんで黒づくめなの?」と聞かれる方がマシで……。

学校には毎日遅刻するし、先生にはキレるし、本当にやばい生徒で(笑)。周りからは自由な人間に見えていたかもしれませんが、自分が好きな格好はできていないし、自分を否定してくる相手には暴言を吐いてしまうし、外面にも内面にも不誠実だったと今は思います。

「暴言」は自分の本心をさらけ出す、とはまた違うのでしょうか。

ペス山 相手に嫌なことを言われて、私も相手の悪いところを言って、それってただ相手を傷つけているだけで、本心を出してはいないじゃないですか。

自分に自信がないから“イキって”たんですよ。イキることで自己肯定感の低さをマヒさせているというか、ずっと“演技”をしているというか。聡い友達にはバレてたと思います。

自信がない、自己肯定感が低いという自覚はその頃からあったんですね。

ペス山 客観視できたのは、大人になってからなんです。

20歳くらいの頃、母親に「あなたは子どものときから『勉強くらいできないと生きてる価値ないから』と言ってたよ」と教えてもらったことがあって、そのときにようやく「私って子どものころから自己肯定感が低かったんだ」と初めて客観視できました。

セクハラを受けたときにも、本質的なこと、自分の核心に関わることであればあるほど向き合えなくなって、なにも言い返せなくなってしまう自分の性格を痛感しました。

マンガとカウンセリングを通じて自分の「本心」に向き合えるようになった

「女(じぶん)の体~」の最終回には「最近喋るとき、本音にたどり着くまでに一拍待つようになった」とありましたが、この変化にはなにかきっかけがあったんですか?

ペス山 「一拍待つ」というコミュニケーションができるようになったのは、カウンセリングに通ったことが大きかったかもしれないですね。自分が受けたセクハラの被害については全て描ききった、じゃあ描いたことを自分の口で話せるだろうかと試してみたくて、カウンセリングに行ったんです。

カウンセラーさんにワーッと一方的にしゃべってみて気付いたんですが、私の場合はただ心の動きの表面をなぞってるだけで、話した内容の3割くらいは“いらない話”をしていたんです。だから、自分の本音にたどり着くまで「待つ」方がいいんじゃないかなと。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 最終回で描かれた自身の変化
(C)ペス山ポピー/小学館

カウンセリング、行ったことがないとハードルが高い場所のように感じてしまう人も多そうです。自分に合った場所を探すのも難しそうな印象があるのですが、ペス山さんはどうやって探したんですか?

ペス山 私の場合は、信頼している知人がおすすめしていたカウンセリングルームに行きました。性被害をテーマにしたオンライン講座なども開催していたところだったので、それにも参加した上でよさそうだなと思って実際に足を運んで。

やっぱりプロの聞き手は圧倒的に「待ってくれる」ので、自分の気持ちをなかなか話せない方は、カウンセラーさんに頼ってみるという選択肢もおすすめしたいです。

カウンセリングはある程度お金がかかってしまう一方で、お金を払っているからこそなにを話しても聞いてもらえる、という安心感はありそうですよね。

ペス山 そうですね、知り合いや家族に対して同じように話してしまうと、場合によっては一方的な言葉の暴力のようにもなってしまうので。聞く技術を持ったプロは安心できますよね。

カウンセラーさんと話をしたことで、ふだん自分がいかに本音に目を向けず、目くらましみたいな会話をしているかに気づかされました。だから、日常会話でも場を和ませるためにサービスしようとか、笑ってもらおうとか、そういうの一旦やめてみようと思ったんですよね。

人に笑ってもらえると、やっぱりうれしいじゃないですか。でもそれってスナック菓子みたいなうれしさで、続けているとやめられなくなっちゃうんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

過剰にサービスしないこと、大事ですよね。一方で会社や学校のようにいろいろな人たちが集まる場だと、空気を淀ませずに会話をすることが求められがちです。「一拍待つ」ことで生まれる間が怖くなってしまう方もいそうだなと。

ペス山 その怖さは、会社で働いている方には絶対ありますよね……。私の場合は正直、編集さんや親しい人たちとしか話さないから「一拍待つ」というコミュニケーションができている、という側面はあると思います。だからまずは、親しい人に対してだけ「本音にたどり着くまで待つ」をやってみてもいいかもしれません。

……あと最近思ったんですけど、大御所女優ってすっごく間を空けてゆっくりしゃべる方が多いじゃないですか。でも誰も怒らないし、そんなに気にもしてませんよね、たぶん。だから同じように、ちょっとくらい間があってもよくない? と思って(笑)。

確かに……!

ペス山 会話の間もそうですけど、不当な扱いを受けたり嫌な気分になったりすることがあったときも「自分が岩下志麻さんだったら、こんな扱いを受けて受け流すはずないだろう」と考えるといいのかもしれない(笑)。

まずは「〇〇さんだったらどう返すだろう」と理想の姿を考えてみることから始めてみて、いずれ「◯◯さん」の部分が自分自身になれば、最高ですよね。もちろん、訓練は必要だと思うんですけど。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

そうして自分の本心を尊重できるようになったら理想的ですよね。「マンガ」や「カウンセリング」を通じて、ペス山さんが尊重した「本心」は何だったのでしょう。

ペス山 私の場合はやっぱり「性自認」だったと思います。今まで自分を抑圧してきた性自認という大きな本心を解き放てたことで、ほかの本心に対する「鍵」も芋づる式にゆるんできた、という感覚があります。

なるほど。では、自分の本心を尊重するのが苦手な人にアドバイスをするとしたら、何と声をかけますか。

ペス山 そうですね……他者に対してと同じくらい、自分に対して誠実になろうとしてみてほしいです。私も最近知人に言われてハッとしたんですが、自分のことは二の次なのに、他者に対しては誠実でいようとする人がすごく多いと思うんです。

それが「善きこと」とされているけれど、そうではないと思うから。

“じぶん”を尊重できたことで、大幅な描き直しにも踏み切れた

「女(じぶん)〜」の執筆を通じて自分の本音に向き合えたとのことですが、作品では自分の本心を全て悩みなく描けたのでしょうか。

ペス山 どんな描き方をしたらいちばん読者に伝わるか、には悩みましたが、描くこと自体に悩んだことは……うーん、あったかな……。

編集担当チル林さん(以降チル林) 近くにいた私から見ると、悩んでるなあと思うことはたまにありました。

連載時は毎回、ネームを見て2人で相談しながら細部を詰めていたんですが、描きたいことがネームに表れてるときと、ベールに隠されて核心が見えないときがあって。「ペス山さん、いちばん描きたいことって本当にこれ?」と確認したことは何回かあったよね。

ペス山 確かに、なかなかネームが通らないときはありましたね。そういうときってだいたい自分で通らないだろうなって分かってて、チル林さんとしゃべってなんとかしてもらおうって思ってる(笑)。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

そういうときは「ペス山さんが本当に描きたいこと」が見つかるまで2人で粘るんですか?

ペス山 そうですね。なんなら、描き終わったあとにようやく本音にたどり着けて、単行本化に合わせて大きく描き直した回もあります。例えば性自認をテーマにした6話は、連載時と単行本とでタイトル、話の構成、内容などが大きく変わっています

連載当初、コメント欄が荒れてしまい、私の性自認に対して口を出してくる人のことが怖くなってしまって。私の性自認はずっと揺らぐことなくトランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)なんですが、それに対して何か言われるのが怖くて、6話ではまるで性自認に迷いがある人のように自分のことを描いてしまったんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 左はWeb掲載時版、右は描き直した単行本版の一部
(C)ペス山ポピー/小学館

あとから、他者の納得を得るために描いてしまった話だと気づいて、連載の最終回執筆と並行する形で、単行本分を描き直させてもらいました。単行本の内容は「自身の性別に違和感を感じている自分」がしっかり描かれていると思います。

コメント欄が差別的・暴力的なことを書く人たちによって荒らされ、編集部がコメントを承認制に変更したのは、ネットでも話題になりました。すごく毅然とした対応だったと感じます。

ペス山 そうですね、チル林さんはじめ、編集部の対応は本当にありがたかったです。

承認制にしてもらってからはいろいろな意見をいただけるすごくいい場になったし、読者の方からの声をきっかけに自分の本心に気づかされることも増えたと思います。

『女(じぶん)の体をゆるすまで』のコメント欄について | やわらかスピリッツ

執筆を通じて、ペス山さん自身にたくさんの変化があった作品かと思いますが、周りの人から変化を指摘されたことはありますか?

ペス山 ずっとお世話になっているマンガ家さんに「本当に変わったよな」と言われました。あまりにもいろいろ変わったみたいで、どこがどう変わったかは言ってくれなかったんですが(笑)。

チル林 でもペス山さん、本当に変わったよ。出会った頃はもっとお笑い芸人みたいで、自分のエピソードをおもしろおかしくしゃべってくれる感じだったもん。話すスピードもすごくゆっくりになったと思う。

ペス山 ああ、やっぱりそうだったんだ……! 身近な人たちがそう言うってことは、本当に変わったんだと思います。

痛みを感じやすい人もそうでない人にも、最低限の「靴」がほしい

作中にゼラチンさんというお友達が出てきますが、彼女は理不尽な出来事やハラスメントを受け流すことが得意な人物として描かれています。自分の気持ちに向き合わず受け流そうとする人のことを、今のペス山さんはどう感じていますか。

ペス山 作中でも描きましたが、彼女がこれまで受けた被害について「特になにも感じてない」と言われたときは、正直驚きました。

でも、そうだよな、こういう人もいるよな、と今は思います。私はたまたま自分の内面と向き合うことが得意だったからエッセイマンガを描けたし、カウンセリングのなかでも結構ハードとされている心理療法を選んだりもできたんですが、誰にでも当てはまるわけではないとも思うので。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 学生時代からの友人、ゼラチン
(C)ペス山ポピー/小学館

エッセイマンガは確かに、特にハードなアウトプット方法だと感じます。

ペス山 私からは逆に、ゼラチンのように受け流すのが上手な人の方がハードに見えてるんですよね。

でも、彼女は「A面」を見せるのが得意な人だと思うから、急に「B面」を見せろ、苦手なことをしろなんて言えない。私たちは陸生植物と水生生物くらい違うのかもしれないなと思います。でもこの前も2人でシン・エヴァを観に行きましたよ。

考え方が違っても、長く付き合える関係っていいですね。作中では、痛みをなかったことにしている人も、そもそも痛みをあまり感じない人も確かにいると認めた上で、歩き続けるために「全員分の靴が欲しい」「だから描くのだと思う」とも描かれていました。

ペス山 うん、痛みをあまり感じない人がいるにしたって、そもそも最低限(の靴)がそろってないじゃんって思うんです。

理不尽な言動を許す世間の空気をなくしたり、社会的な制度を整備することは、最低限必要ですよね。最後に、ペス山さんはエッセイマンガを通じて自身に向き合ってきましたが、今後はどういう作品を描いていきたいと考えていますか。

ペス山 将来のことはまだなにも分からないけれど、たぶん、描きたいものが出てきたらまた描くんだろうなと思います。エッセイマンガは、ネタが切れるからああしようこうしようと、作品に合わせて生きると本当に滅ぶので……。

だから、これからも自分がやりたいことをやれる形でやっていきたいですね。人生を徐々に凪にしていこうと思ってます、描くことで

取材・文/生湯葉シホ
写真/関口佳代
編集/はてな編集部

『女(じぶん)の体をゆるすまで』 著:ペス山ポピー

『女(じぶん)の体をゆるすまで』書影

小学館刊

自身が生まれもった体を恨み、漫画も描けなくなったペス山さんが己の過去、友人、親と対峙しつつ、「女(じぶん)の体をゆるすまで」を描いた、話題のジェンダー・エッセイコミックが上下巻同時発売。

▼ 詳細:女の体をゆるすまで 上 | 小学館

お話を伺った方:ペス山ポピーさん

ペス山ポピーさん

マンガ家。2017年に自身の性的嗜好を描いたエッセイ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(新潮社)でデビュー。2020年から約1年をかけて、Webサイト「やわらかスピリッツ」で「女(じぶん)の体をゆるすまで」を連載した。

自分の気持ちと向き合うためのヒント

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計画は「決め過ぎない」でもいい。自分の"好き"と向き合い続けたキリン研究者の仕事観

郡司芽久さん記事トップ写真

日々の仕事のなかで具体的な目標や計画を立てることは大切です。しかし、一度立てた計画にこだわり過ぎると、ときに息苦しさを感じることもあります。例えば、目標を意識するあまり、もともと楽しかったことがつらいものに変わってしまったり、思わぬ発見に気付かなくなってしまったり。

動物の解剖を専門にする郡司芽久さんは、世界でも珍しいキリン研究者。もともと「キリンが好き」という気持ちが高じて研究者の道を選び、10年近い年月をかけて数十頭のキリンの解剖を経験したのち、キリンの首にまつわる研究で博士号を取得したという異色の経歴の持ち主です。

研究を重ねるほどにキリンへの気持ちが高まっているという郡司さんは、これまで計画や目標とどのように付き合ってきたのでしょうか。計画を決め過ぎないことの大切さ、目先のトレンドに惑わされないための考え方など伺いました。

※取材はリモートで実施しました

キリンを愛する学生が解剖学に出会うまで

郡司さんは子どもの頃からキリンが大好きだったそうですね。実際にキリンの研究者の道を志すようになったのは、大学生のときに聴講されたシンポジウムがきっかけだったとお聞きしています。

郡司芽久さん(以下、郡司) 大学1年生のときに出席した大学の生命科学シンポジウムがきっかけです。「生き物の右と左はどう決まるか」「南極のアザラシはどうやって生きているか」など、幅広い分野の先生たちがそれぞれの視点からすごく楽しそうに研究の魅力を話されていました。そのあと、シンポジウムの懇親会で先生方とお話ししていたら、最終的には研究室にも連れて行ってくださり、マウスを使った遺伝子研究の様子を見せていただいたりして。そのとき初めて研究者って楽しそうだなと思いました。

研究の道に進むとしたら対象はキリンにしたい、というのは当時から思われていたんですか?

郡司 そうですね。ずっと好きでいられるものってなんだろうと考えたときに、大好きな生き物のなかでも特に好きなキリンかもしれないと思ったんです。ただ、研究の潮流で言えば、当時はもう生物学の本流は分子生物学*1で、生き物を一個体や群れの単位で扱うような研究は下火になってきていたんです。しかも鹿や猿のような身近な動物ならまだしも、キリンの研究をしている方というのは本当にいなかった。だから先生方に「キリンの研究ってどうやったらできますか」と相談しながら、道を模索しているような状態でした。

郡司芽久さん記事インタビュー写真1

結果的に「解剖学」という分野をご専門にされたのはなぜだったんでしょう?

郡司 解剖学であればキリンの研究ができそうだったから、というのがほとんど全てです。大学1年生の秋に、さまざまな動物の遺体を動物園から引き取って解剖されている遠藤秀紀先生という解剖学を専門とする教授に出会いました。この研究室ならばキリンの研究ができそうだ、とその先生のゼミに入ったのが始まりですね。「キリンが好きでたまらないのによく解剖できたね」ってよく言われるんですが……。

それはちょっと気になりました。ゼミに入って最初に体験したコアラの解剖の時点で楽しかったと本に書かれていましたが、怖さはなかったのかなと。

郡司 あまり怖さはなかったですね。私の本を読んでくださった方から「キリンをもっとじっくり見てみたくなった」とうれしい感想をいただくこともあるんですが、私自身が解剖に魅力を感じたのも近い欲求だと思っていて。

コアラの解剖をしたときも、「そうか、こんな体の構造をしているからあんなふうにずっと木にしがみついていられるんだ」というのが分かり、コアラについてより深く知ることができたという感覚があったんです。だから私個人の考えで言うと、動物って解剖するとより好きになるんですよ。

なるほど……そう言われてみると、動物の体の構造は図鑑や動物園の看板などの説明を通してしか知らないなと感じます。

郡司 そうですよね、みなさんそうだと思います(笑)。生きている動物を対象にした研究って、人間がさわればさわるほどその生き物にストレスがかかってしまうし、人間にとって危険な場合もあるので、基本的には触れるのはNGなんです。でも解剖の場合は、もう亡くなっているのでさわりたいだけさわれる。頭はどのくらいの重さか、足はどのくらいの長さか……といったことを、知識としてだけでなく五感を使って体感することができるのは、解剖のいちばんの面白さだと思いますね。

目的や計画を「一から十まで決め過ぎない」ことの意味

郡司さんはこれまで数十頭のキリンの解剖に携わってきて、その多くは博物館に標本として収められています。たくさんの標本を作る理由として、博物館に根付く「3つの無(無目的・無制限・無計画)」という理念を紹介されていましたが、ビジネスの場面では計画や目的を強く求められることもあるだけに新鮮でした。

郡司 博物館のコレクションを作る主な目的って、言ってしまえば博物館をいつか利用する「未来の人」のためなんです。実際にいま私も、100年前に集められた骨格標本を使って研究をさせてもらったりすることもあります。同じように、100年後の人が使う可能性を踏まえてコレクションを収蔵しようと思ったら、できるだけたくさんのものを集めておくしかないんですよ。いま当たり前にいる生き物も、100年後には絶滅危惧種になっている可能性だってあるわけですから。

確かに、いまは身近な動物でもいつか絶滅危惧種になったりしたら、「どうしてあんなにたくさんいたときに遺体を残しておかなかったんだ」と未来の人に思われてしまいそうですね。

郡司 実際にそういうケースってよくあるんです。例えば奄美大島には、いまは天然記念物になっているアマミノクロウサギという日本固有のウサギがいます。100年前には島全域にすごくたくさん生息していたことが分かっているのに、その時代の標本って日本全体で数えるくらいしか存在しない。

そうなると、できない研究や検証できない仮説が出てきてしまうんですが、当時の人たちからしたら、「こんなにたくさんいるウサギより、もっと珍しい動物を集めた方が役に立ちそう」ってことだったと思うんです。だからいまの私たちの価値基準では動かずに、博物館はあらゆるものを集め、あらゆる可能性に備えておく必要がある

たぶんそれって、自然史博物館などの標本に限らず、身近な本などでも同じですよね。いつでも手に入るかなと思って処分してしまった本が絶版になってしまってもう二度と手に入らない、というような話はどこにでもあって、いまの私たちの価値観や目的意識だけで遠い未来のことを判断してはいけない、という。

郡司芽久さん解剖風景写真 骨格標本の計測風景。並んでいる骨を一つずつ中央の銀色の計測器(ノギス)で測り、紙に記録していきます

研究についてもそれに近い部分があるのでは、と想像しているのですがいかがでしょうか。

郡司 研究の場合は、博物館の理念とは少し違う部分もあります。私たちは公費を使って研究をしているので、当然ですが「無目的・無制限・無計画」ではさすがに通用しなくて、何年か先を想定して提出する研究計画書というものが存在します。そこでおそらく研究者の多くは、ある程度のヒントというか、複数の弱い証拠のようなものを手がかりにして、「こういうことをしていけば、いずれ大きな証拠が掴めるのではないか」という仮説から研究計画を立てている気がします。

ただ、明らかにしたい大きな目的は当然あるんですが、その目的を達成するための要素だけに縛られないようには気をつけています。つまり、「このデータが得られさえすればこの研究は終了」というふうには思わず、「この実験のついでにここも観察してみようかな」と考えるようにはしているかもしれません。

だから、一から十まで目的や計画を決め過ぎない、ということは確かに意識していますね。実際、研究を進めるなかで、まったく予想もしていなかったことが起き、それが別の研究に発展していくこともあります。

あえて目先のトレンドは追いかけない

郡司さんは、キリンの研究という国内でも専門家がほとんどいなかった分野に飛び込まれたわけですよね。「この研究が本当にうまくいくのか」「いつ成果が出るのか」という不安を感じることもあったのではないかと思うのですが、いかがですか。

郡司 性根が楽観的だからかもしれないんですが、実はそういうことはあまりなかったんですよね……。私は大学院に5年いたので、院生時代に同い年の友達はすでに社会人3年目くらいになっていて。周りの人たちを見ていて、いわゆる3年離職率って本当に高いというのを実感したんです。転職したりワーホリを利用して海外に行ったり、なかには病気になって療養したりしている人もいて、友人たちがそういう人生の節目に立っているのを見たら、「安定した生き方」なんてないんじゃないかと思いました。

だから、どんな道を選んだとしても不安定な要素は消せないのだとしたら、これさえやっていれば自分は幸せだということを仕事に選んだ方がハッピーなんじゃないか、というのが研究者を目指していたときの正直な気持ちだったと思います。

『キリン解剖記』書影 『キリン解剖記』ナツメ社
キリン博士に至るまでの道のりがまとめられている著書

例えば研究者として評価されるということを考えると、冒頭に述べられていた分子生物学など、いわゆる「トレンド」の研究を行ったり、成果の見込みやすい分野で教授にテーマをもらったりといった道もあったのではないかと思います。郡司さんは、そういった選択が頭をよぎったことはありませんでしたか?

郡司 そうですね。当たり前ですけど、トレンドって変わるんですよね。特に研究の世界だと、実際に研究を始めてから世の中に報告されるまでにタイムラグがありますし、今のトレンドを追っても自分が研究者として独り立ちするときにはトレンドが変わっている可能性も高い。だから博物館的な考え方かもしれませんが、トレンドはなるべく意識せず、自分の関心から研究を進めようというのはありました。

あとは、身近にたまたまトレンドに近い領域で研究をしている友人もいたのですが、絶対にかないそうにないな、ということもありました(笑)。トレンドになっているということは、研究人口も多く競争が激しいわけですよね。逆に、キリンなどのニッチな分野では競争というよりも、一緒にこの分野を盛り上げていこうという意識が強かったりする。このあたりも、あまり流されなかった理由の一つかもしれません。

確かに人気のある分野だと競合が多いのはビジネスの世界でも同じかもしれません。自分の関心から研究を進められていたとのことですが、これまで研究が嫌になったことはありませんか。解剖はなかなかハードだと拝読しました。

郡司 大きな動物の解剖が立て続くことがたまにあって、そういうときは確かに大変ではあります。動物がいつ亡くなるかは誰にも分からないので、偶然同じタイミングで遺体が届くこともまれにあるんです。キリンの解剖を10日間やったあとにサイの解剖を1週間やる、とか……。そういうときはもうただただ体力が消耗するんですが、それでもなおキリンの解剖だけは、どんなタイミングで入ってきても嫌だなあと思ったことがないですね。

いつきても嫌じゃないんですか。すごい……!

郡司 すごく疲れているときに「これからワニが5頭きます」という連絡が入ったりすると、「ワニ5頭かあ……」みたいな気持ちになっちゃうこともあるんですよ。もちろんちゃんとやりますし、いざ解剖を始めるといろいろな発見があって楽しくなってくるんですが。ただ、キリンに関してはエンジンがかかるまでの時間が他の動物と明らかに違うんですよね。

(笑)。

郡司 日常生活のなかで、「私は本当にキリンだけが特別に好きなんだろうか?」「なんでこんなにキリンにこだわるんだろう?」って思うことはよくあるんです、ほかにも好きな生き物はたくさんいるので。でもキリンの解剖が入ると、やっぱり自分にとってキリンは特別なんだなって実感します。

「すぐに役立つ研究」だと思われなくても

お話をお聞きしていると、郡司さんは本当に純粋な「好き」を突き詰めていまの研究にたどり着かれたんだろうなと感じます。著書のなかにも、宇宙物理学者の先生に「郡司さんも私も、子どもの心のままで大人になれて幸せですね」と言葉をかけてもらったというエピソードがありましたね。

郡司 その先生はブラックホールの研究をされている方で、私の何を見てそういうふうに言ってくださったかは分からないんですが……なんとなく「好き」という気持ちをそのまま感じられている人が、先生のおっしゃる「子どもの心のままで大人になれた」人なのかな、と思っています。

自分の気持ちを軸にして物事を判断するのって、大人になればなるほど難しくなるじゃないですか。子どもの頃の「好き」って周りの視線をまったく意識していなかったと思うんです、石が好きとか虫が好きとか。でも、大人になってくると「こういうのが好きだと格好いいと思われそう」みたいな余計なことを考えてしまったり、周囲の声を左右されたりすることも増えてくると思うんです。

郡司さんの場合は、指導教員の先生が当時を振り返って、「郡司は止めても聞かなかった」とあとからお話しされていたそうですね。

郡司 私にはキリンの研究を止められた記憶がないので、先生か私のどちらかの記憶が間違っていることになるんですけど(笑)、周りの声を気にしないっていうのも時には大事かもしれないなとは思います。

それに、人に言われて選んだことって、うまくいかなかった場合その人のせいにしてしまいがちじゃないですか。でも、自分で決めたことであればうまくいかなくても、ある程度自分で折り合いをつけられるんじゃないかなと思うんです。

ただ、そうして自身の「好き」が高じて選んだ研究テーマにもかかわらず、著書の最後には類似の着眼点を持った研究が立て続けに発表されてきていると書かれていました。今後、郡司さんの研究が他分野で応用されることも増えると思いますが、現時点では将来的にどんな分野に生かされることがありそうだとお考えですか。

郡司 例えばいまも医療分野の方と一緒にキリンも人間もかかる病気の研究をしたり、新しいロボットを作ろうとしている方と共同研究をしたりしていて、いろいろな可能性は感じているんですが……実はつい最近気づいて、個人的にちょっとショックを受けたことがあって。

おそらく「基礎研究は、すぐに何の役に立つのかは分からなくても、いろいろな可能性をもつ大事なものだ」と言う研究者の方って多いと思うんですね。遠い未来に、なんだかよく分からなかった基礎研究の成果が、ある病気を治すことにつながるとか、人間の生活が劇的に楽になることにつながるかもしれない。それに、もっと広い意味で人間の生活が豊かになることも「役に立つ」ことに含まれる、とも思います。日常生活をほんのすこしだけ楽しくしてくれるような「トリビア」的な研究だって、「役に立つ」の一つの形なんじゃないかなあと、私自身はずっとそう思ってきました。

でも、いざこういう例がありますと言おうとしたときに、「役に立ちそう」とすぐに思ってもらえそうな医学とか工学への応用例ばかり毎回挙げてるな自分、と……。

なるほど……。ビジネスの分野でも、分かりやすい成果ばかり強調してしまうことは少なくないかもしれません。

郡司 もちろん、医学とか工学とかで役に立てるとしたらうれしいんですよ。でもそれって、「結局なんの役に立つの?」という目に何度も晒されて傷ついてきた研究者の防御反応でもある気がするんです。

分からないことを分かることに変えたい、という好奇心がどんな研究の根本にもあると思うんですが、公費を使って研究するとなったら、やっぱり「私たちの生活がこんなふうに変わります」ということが求められます。そこで自分の研究が「役に立たなそう」と思われると傷つくんです。だから、医学や工学への貢献といった分かりやすい例を挙げて納得してもらいたいという気持ちが出てくるし、それはすごく分かります。

でも一方でそれが、「役に立つ研究」ってこういうものですよ、という先入観を増進させてしまっている気もするんです。「医学や工学への応用だけが、『役に立つ』の形ではない」と思っているのに、「役に立つ研究」の例にはそういったものばかり挙げてしまうって、矛盾してるかもしれない。最近、そんなふうに思うようになったんです。

ありがたいことに、私の研究を知って「キリンを見る目が変わった」って言ってくださる方はたくさんいます。いままで目には入っていたけれど特に注目したことがなかったようなものに意識を向ける瞬間が増えたり、生き物ってこんな面白いんだなと思ったりする人がすこし増えることが役に立たないことかって言われたら、決してそうではないと私は思うんですね。

キリンの写真

本当にそうですね、大きな意味のあることだと思います。

郡司 だから、医学や工学はもちろんなんですが、それ以外にもいろんな可能性があるということを最近は言うようにしています。「私はキリンという不可思議な動物の進化について知りたくて研究をしているけど、あなたはキリンの研究にどんな価値を感じますか?」というふうに、相手に尋ねてみるような感じです。

もちろん「役に立たなそう」と言う方もいますけど、そもそもキリンを対象にして研究ができるということ自体に価値や驚きを感じてくださる方もたくさんいて、「キリンの遺体って手に入るんですね、そんな研究はできないと思っていました」と言ってくれる方もいたりします。

いま地球上には何万種もの動物がいるのに、研究で扱えている動物ってまだまだ少ないんです。だから、私個人の思いとしては、もっといろんな生き物を対象にいろんな研究が進んでほしいし、私の研究がいろいろな生き物を研究する人が増えることにすこしでも貢献できたなら、すごくうれしいなと思いますね。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:郡司芽久さん

郡司芽久さんのプロフィール写真

東洋大学生命科学部生命科学科助教。2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。 同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務、2020年4月から筑波大学システム情報系研究員を経て、2021年4月より現職。幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。

Twitter:@AnatomyGiraffe  HP:郡司芽久

気になるあの人の仕事観

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*1:生物を構成する分子のレベルで生命現象を研究する学問分野

自分の強みに気付けば、組織での“役割”が見える。ハロプロOG・宮崎由加&ハラミちゃんの「居場所の作り方」

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

「周囲の同僚がみんな優秀に見える」「私の強みって、なんだろう」……。しっかり働いているはずなのに自分に自信をなくし、何をすべきか分からなくなってしまうことはないでしょうか。

そこで今回は「優秀な集団の中で自分にできること(=強み)」を見つけて伸ばした結果、自分なりの“居場所”や“役割”を見つけられた経験を持つおふたりに対談いただきました。

お話を伺ったのは、ハロー!プロジェクト(ハロプロ)所属のアイドルグループ「Juice=Juice」の元メンバーで初代リーダーの宮崎由加さん。そして“ポップスピアニスト”としてYouTubeなどの動画配信を中心に活躍するハラミちゃんさんです。

もがきながら前に進み、揺るぎない居場所を得たおふたりは、どうやって「自分の長所」を見つけたのでしょうか。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

おふたりは今日が初対面ということで。まずはお互いの印象や、抱いているイメージなどを教えてください。

宮崎由加さん(以下、宮崎) コロナ禍での自粛期間中にハラミちゃんのYouTubeを知ってからよく見ているんですが、ずっと「こんなすごい人いるんだ!」って思っていました。

耳コピしてから弾き始めるまであっと言う間で、才能がすごいなって。私も小さな頃にピアノを習っていたけれど、全然だったので(笑)。

宮崎由加

宮崎由加……スマイレージやモーニング娘。などのオーディション落選を経て、2013年にJuice=Juiceの初期メンバーとしてデビュー。スキルが高い他のメンバーと比較されがちな環境の中で、初代リーダーとしてグループをまとめ、周囲やファンからの信頼を集めた。2019年6月をもってJuice=Juiceおよびハロプロを卒業し、現在はアパレルブランドのプロデューサーやラジオMCを中心に活動中。

Twitter:@yuka_miyazaki42 Instagram:@yuka_miyazaki.official


ハラミちゃんさん(以下、ハラミちゃん) わあ、うれしいです! 私は昔からハロプロが大好きで、Juice=Juiceもデビューのときから見ています……!

ハラミちゃん

ハラミちゃん……4歳からピアノをはじめ音楽大学に進学するも、ピアニストの夢を諦めIT企業に就職。「ついついやり過ぎてしまう」性格から体調を崩し、休職していた期間にストリートピアノに出会う。YouTubeに投稿したRADWIMPS「前前前世」の演奏動画が2週間で30万回を超えたことをきっかけの一つに、ポップスピアニストとしての活動を決意。知らない曲でも“耳コピ”して即興で演奏できる。大のハロプロファン。

Twitter:@harami_piano YouTube:@ハラミちゃん〈harami_piano〉


宮崎 ありがとうございます!

ハラミちゃん 最初はエースの宮本佳林ちゃんに注目していたんですけど、ゆかにゃ(宮崎さんの愛称)さんがリーダーに抜擢されて、気になって……。

ゆかにゃさんはアイドルの中でも特に「アイドルらしいアイドル」というか……。ファンを心から大事にしているイメージがあります。裏では大変な努力をしているはずなのに、それを表には出さないようにしていて。すごく、人として尊敬できるアイドルです。

宮崎 わあ……涙出ちゃいそうです、今。本当に、ありがとうございます。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

自分が人より「得意」なことで、誰かの「不得意」をカバーすればいい

宮崎さんは「おっとりしつつもしっかりまとめる」タイプのリーダーでしたよね。最初、選ばれたときはどう思いましたか?

宮崎 リーダーって「先頭に立ってグループを引っ張る人」というイメージが強かったので、私が任命されたことに、自分自身、戸惑いしかありませんでした

Juice=Juiceは宮本佳林ちゃんや高木紗友希ちゃんなど、ハロプロ研修生(ハロプロでのデビューを目指してレッスンを積む組織)としてレッスンを受けていた子ばかりで、みんな歌もダンスもスキルが高い“精鋭”だったので余計に……。

ハラミちゃん やっぱり、プレッシャーも大きかったんですか?

宮崎 はい。最初はできないことが多過ぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。「自分のことで精一杯なのに、リーダーなんて私には無理だ」って。

抱いていたリーダー像と自分がかけ離れていたので、いろんな人に「どうしたらいいですか」と相談したんです。そしたら、みなさん「そのままでいいんじゃない?」って。そこで初めて「“私”のままでいいんだ!」と思えて、肩の荷がすっと下りたんです。

私がリーダーだから」と、しっかり自分自身で意識するようになったら、周りのことも冷静に見えるようになりました。「役職が人を育てる」って、本当にそうだなと。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

ありのままの宮崎さんの姿を見ている人たちが「リーダーという役割に向いている」と判断して、抜擢しているわけですもんね。では「リーダーとしての自分の長所」にはどうやって気付きましたか。

宮崎 Juice=Juiceは、1年4カ月をかけて全国で225公演を実施するというハードなライブツアーを実施したことがあって、それだけ長くメンバーと一緒にいると、それぞれの良いところも悪いところも、得意なことも不得意なことも、全部見えてくるんです。

そこで「人はそれぞれなんだから、不得意なことは得意なメンバーがカバーすればいい」ということを強く感じて。私の場合は「人の話をきちんと聞く」ことが、他のメンバーと比べてできているなと気付いたんです。みんな、マネージャーさんの話、全然聞いてないんですよ(笑)。

伝達事項をメンバーに共有したり、提出物をリマインドしたりと、マネージャーさんとメンバーの間をつなぐ役割を意識していました。あとは、楽屋を出るときの忘れ物チェック。

ハラミちゃん 地味だけど大事なやつですね(笑)。私がハロプロを好きな一番の理由は、メンバーがそれぞれ切磋琢磨しているところなんです。みんな仲が良いけれど、それ以上に、ひとりひとりが自分のキャラクター、パフォーマンスにしっかりと向き合っているんですよね。

宮崎 (頷く)

ハラミちゃん 私は仕事にモヤモヤ悩んだとき、ハロプロをはじめとするアイドルのみなさんを思い出すことにしてるんです。社会に出ると、色んな人と一緒に働くことになるじゃないですか。そういう意味では、社会人もアイドルグループも、変わらないと思うんです。いろんなメンバーがいる中で、自分の立ち位置を把握して、自分にしかない「強み」を見つけて、目標を叶えて、ステップアップしていく

そういう姿に「この子、覚醒したな」とか「すごく良くなったし、なにかふっきれたのかな?」とか思いながら自分を重ねると、私も頑張ろう!って思えるんです。

長所を生かして見つけた、自分の居場所

ハラミちゃんさんは音大卒業後、一度会社員を経て今は「ポップスピアニスト」として活動されています。やはり自分の元々の長所だった「ピアノ」を生かしたいという気持ちがあったのでしょうか。

ハラミちゃん 私は小さい頃からピアノだけが得意で「ピアノを弾ける子」というのがアイデンティティで。だからこそ「自分より技術に優れた人がたくさんいる」という理由でプロのピアニストになることを挫折しました。けれど、今の活動を始めてから必ずしも「技術が高ければ高いほど、求められる」ではないかもしれない、と思うようになりました。

もちろん「技術力」はピアニストにとって、必ず必要な要素です。ただ、それよりも一人ひとりにあるその人にしか出せない音やパフォーマンスにちゃんと自分で気付いて、自己表現できる人の演奏が求められるんじゃないかなと。

なぜ、そこに気がつけたんでしょうか。

ハラミちゃん 休職時代に弾いた「前前前世」の動画がきっかけです。

私、会社員時代はぜんぜんピアノを弾いていなくて。あの動画のときも指がなまった状態だったので何度もミスタッチしていて、音大時代だったら絶対に投稿していなかったと思うんです。でも、ノリでUPしたら予想外にバズって。

コメントがいっぱい寄せられて、その中には「ハラミちゃんの音がすごく暖かくて、元気になりました」なんて感想もあって……。自分が想像していた反応とは180度違ったんです。

そこがブレイクスルーポイントだったんですね。

ハラミちゃん はい。自分が奏でる音を楽しんでくれる人に向けてパフォーマンスすることで、ピアノの魅力を大衆的に伝えたいと思えるようになりました。

私、身近なピアノのお姉ちゃんというか、みなさんの親戚のような存在になりたくて。姪っ子がテレビに出たら、うれしいじゃないですか? そういう気持ちで私を見てもらいたいんです。なので、綺麗めのドレスじゃなくて、あえてサロペットやキャスケットなどを着て演奏していたり。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

宮崎  私もアイドルをやって実感したんですが、ファンのみなさんって“好き”がバラバラなんです。ダンスをバキバキに踊る子が好きな方がいれば、優雅に心で踊っているような子が好きな方もいて。私も、ダンスが危ういですけど、応援してくださる方がいますし。

ハラミちゃん いやいやいや! ゆかにゃさん、素敵ですから(首を高速で左右に振る)!

宮崎 ふふふ、ありがとうございます(笑)。私は決して完璧ではないけれど、私が頑張る姿を求めてくださる方に向けて、一公演一公演、心を込めて歌って踊っていました。

そうやってめげずに「頑張れることを頑張ろう」と活動する中で、自分が「何度も繰り返し、地道な作業をコツコツ続けること」が得意だと気付いたんです。その中の一つが「ブログの更新」でした。

毎日休まず、常にグループの情報を発信しようと決めて、ブログの最後には「インフォメーションコーナー」を作り、メディアへの出演情報やコンサートの情報など、活動告知は欠かさず入れていました。

確かに、今でこそそういった告知コーナーを設けているメンバーは多いですが、当時は珍しかったですね。

<当時のブログ>
ameblo.jp

宮崎 そうですね。後輩メンバーがしっかりとブログで告知している姿を見ると、私がやり始めたことが、ちょっとでもいい方向に転がったのかな、無駄じゃなかったんだなと思えます。

挫折から学んだ「仕事」への向き合い方

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

では、おふたりのこれまでの人生の中で「一番の挫折体験」はなんですか?

宮崎 Juice=Juiceが結成されてすぐ「私って、こんなにできないんだ!」と実感したときです。メンバーみんな歌もダンスも上手で。加入前は運動も勉強も比較的なんでもできちゃうタイプだったので、結構衝撃で……。

逆境を、どう乗り越えたんでしょうか。

宮崎 まず、できない自分を認めてあげることから始めました。何も出来ない自分だけで悩みを抱えるよりも、マネージャーさんにすぐ相談したり、メンバーに素直に聞いたり、もっと人を頼ることにしました。ハラミちゃんはどうでした?

ハラミちゃん やっぱり、新卒で入社したIT企業を休職して、おうちに引きこもっていた時期ですね。過去の挫折が全部「つながった」経験でした。

どういうことでしょう。

ハラミちゃん 私、音大受験のときにストレスで難聴になって、第一志望に受からなかったんです。で、音大に入ったけどピアニストになる夢は諦めて……。そうしてパソコンに触ったこともないのにIT企業に入社したら、周りは「自分でアプリを作りました!」とか「起業経験があります!」といった同期ばかりで……。

でも、ハラミちゃんさんにも光るものがあったからこそ、採用されたのでは?

ハラミちゃん 多分、人事的には「ピアノを極めたなら、なにかやれるだろう」みたいなポテンシャル枠だったと思うんです(笑)。WordもExcelも何もできない状態だったので、周囲は「なんでこの子入ったんだ?」と思っていたはずなんですけど、本当にいい人たちばかりで……。マイナスのスタートなんだから頑張らなくちゃ! と必死になっていたら、頑張り過ぎて、休職しちゃって。

ピアノでもダメで、会社勤めもダメで。さあ、私は何をしようか? 何ができるんだろうか? と考え込んだ結果、心がポキッと折れてしまったんですよ。

宮崎 一生懸命だったからこそ、つらいですね……。

ハラミちゃん とても贅沢な悩みですが、まだ二十代で「どんな選択のカードでも選びやすい」環境の中で、自分が何を選択してどの方向に向かって走ればいいのか、社会から何を必要とされているかが分からなくなってしまいました。

でも同世代はみんな働き盛りでキラキラしていて、進路に悩んでいるように見える人もいなくて……。

パッと道が拓けたきっかけが、ストリートピアノだったんですね。

ハラミちゃん はい。落ち込んでいた私を見かねて、仲良しだった会社の先輩が「気分転換に、都庁でピアノを弾こう」と連れ出してくれて(東京都庁では2019年から誰でも自由に演奏できる「都庁おもいでピアノ」を設置)

久々に鍵盤を弾いた瞬間、すっっっごいアドレナリンが出たんです。こんなにも身体が熱くなるのか!と驚いて。日常にない、新たなよろこびを知りました。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

宮崎 分かります、私がライブで歌って踊ってるときも、まさにそうでした!

ハラミちゃん それまで弾いてきた王道のピアノも、就職した会社も、楽しかったんです。でも、ポップスというみんなが楽しく聴きやすい曲を弾くということが、すごく好きになってしまって。

でも、せっかく就職したのに辞めてYouTuberになると言うと、やっぱり周囲からは「え! 大丈夫……?」という目で見られちゃって。他人の目線が気になって悩んでいたときに、都庁に連れて行ってくれた先輩が「人生、笑った回数が多い人が勝ちだと思う!」と背中を押してくれました。

それで一旦、世間体やお金の心配は置いておいて「好きなこと」に真正面から向き合って自分が笑っていられることを優先しよう、この「ハラミちゃん」という活動を続けてみよう、と思えたんです。……その先輩が今のマネージャーです。

宮崎 えええー! すごい!! 一緒に会社を辞めたんですか?

ハラミちゃん そうなんです。「ハラミちゃん」は、先輩とのユニットだと思っているくらい存在が大きいんです。“気にしい”の私と真逆で楽観的でマイペースなので、救われることが多いですね。

宮崎さんも、大学進学を控えた頃にJuice=Juiceのメンバーに選ばれ、芸能活動を優先するために約1年で退学した経験がありますよね。アイドル活動一本に集中することに、迷いはありませんでしたか。

宮崎 性格的に、全方向に頑張るのが難しいんです。大好きだったハロプロでデビューできて、周囲はすごい人だらけの中で、「今」の私は勉強をするより真剣にJuice=Juiceをやりたい、という思いが強くなって。

なにより、大学は本気で学ぼうと思えば何歳からでも行ける。お金を出してくれた両親には申し訳ないという気持ちでいっぱいでしたが、父も母も「やりたいことをやった方がいいよ」と応援してくれて、退学を決断しました。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

ハラミちゃん 私も不器用だから、いろんなことが同時並行だと頑張れないな……。

宮崎 全部頑張ると、訳が分かんなくなりますよね(笑)。

「できないこと」も諦めるのではなく、「どうやったらできそうか」を考える

おふたりとも「できない」ことに対して、自分の「できること」を見つけて、それぞれの居場所や役割を見つけられたんですね。「できない」ことは、どう克服してきましたか?

宮崎 とにかく、練習しかないです。練習しても結局できないこともあるんですけど、それでも「自分は、絶対できる!」と暗示をかけていました。

あとは「周囲に頼る」こと。分からないことがあれば、積極的にメンバーに助けてもらいました。私はメンバーの中で一番年上だったので、最初は抵抗もあったんですが「できないことをできるようにするためには、自分のプライドなんて必要ないな」と割り切るようにしたんです。一度割り切ったら、素直に「分からない」と伝えられるようになりました。

ハラミちゃん すごい……! ピアノも、一小節を何日もかけて練習するくらい、1音1音のレベルの高さが求められる緻密な世界なんですよ。「こんな細かいところこまで誰も聴いていないんじゃないか……」と思っちゃうような音を極めることこそが、全体のレベルアップにつながるんです。

宮崎 大変な世界ですね……。

ハラミちゃん いえいえ、ハロプロのみなさんも大変かと……。

でも、練習って、実は「量」より「質」だと思うんです。同じように努力を重ねて、同じ量の練習をしても、本番で100%発揮できる人もいれば、50%しか発揮できない人もいる。

私は長年ピアノを弾く中で「人並みの量しか努力できない」と気付いたんです。だから「本番に向けた練習の量」ではなく「本番で自分の100%を引き出す練習方法」を考えて、できるだけ本番に近い環境で練習するようにしました。コンサート本番と同様に、家族に2時間ぴっちり演奏を聞いてもらって、お客さんとしてどう感じたかを全部書き出してもらったり。

自分も本番と同様に弾くと「後半はスタミナ不足で集中力が切れるな」といった、やらないと分からないことに気づけて、本番に向けてさらに対策できるんです。「練習は本番のように、本番は練習のように」がモットーですね。

大事なのは「自分を分析して、自分にあった“手段”を見つける」ことですね。そろそろ対談も終わりなのですが、今日初めて話してみて、いかがでしたか?

ハラミちゃん  私にとって「アイドル」って一番尊敬している職業で、崇拝している存在で……。でもゆかにゃさんのお話を聞いて、物事の捉え方や考え方が似ている……というとおこがましいですが、すごく共感できました。今日の対談、財産になりました。

宮崎 わ〜! 私もハラミちゃんのお話を聞いて、すごく考えが近いな、と思いました。仕事をしていると正解がないことも多くていろんなことに悩みますが、こういうふうに「真面目に頑張ってる人がいる」というだけで、自分も頑張ろうと思えるなって、今日改めて感じました。ありがとうございました!

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

取材・文/小沢あや
写真/曽我美芽
編集/はてな編集部

宮崎由加さん出演情報


▼ TBS「ふるさとの未来」毎週水曜日 24:58〜25:28
▼ FM石川「宮崎由加のPinky Friday」 毎週金曜日 18:00〜18:30
▼ TBSラジオ「Music Palette♪」毎週土曜日 28:00〜30:00

ハラミちゃんさんリリース情報

ハラミちゃん デジタルシングル『雨』

ピアノ1台でさまざまな雨模様を表現した、オリジナル楽曲第2弾『雨』をデジタルシングルとして配信中。

YouTube
各配信サイト

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ガチガチの働き方を“ゆるめる”鍵は弱さにある? 世界ゆるスポーツ協会理事に聞いてみた

澤田智洋さん記事トップ写真

何年も同じ環境で仕事をしていると、次第に自分なりのやり方やルールが生まれてきます。それは効率的である一方で、いつの間にか新しい方法を試すことに億劫になっていたり、仕事の本質を見失い、ただ「こなす」だけになっていたりすることも少なくないと思います。

世界ゆるスポーツ協会の理事を務める澤田智洋さんも、かつては広告業界のなかでガチガチだったと語ります。スケジュールをびっしり埋め、目の前の仕事をこなす毎日。ただ、働き始めて10年がたつ頃、ふと「なんのために仕事をしているのか」と疑問に思うように。そこへ障害を持ったお子さんの誕生も重なり、道草を大切にする働き方へとシフトされました。

現在は、スポーツや福祉の領域を中心に”社会全体をゆるめる”ために活動中。凝り固まった仕事観や働き方から抜け出すためにはどうすればいいのか。これまでの歩みとともに語っていただきました。

※取材はリモートで実施しました

息子の誕生で気付いた自分のガチガチ思考

澤田さんは「社会全体をゆるめる」をテーマに、凝り固まった考え方やルールを解きほぐす活動をされています。まず、理事を務められている「世界ゆるスポーツ協会」について教えてください。

澤田智洋さん(以下、澤田) 「世界からスポーツ弱者をなくす」をミッションに掲げ、障害の有無や運動経験を問わず、誰もが楽しめる”ゆるスポーツ”を創ることを目的に2015年4月に設立しました。“スポーツ弱者”とは、日常的にスポーツをやっていない人、あるいは学校の体育の授業で傷ついた経験がある人のことで、“スポーツマイノリティ”とも呼んでいます。「ベビーバスケ」や「イモムシラグビー」など、これまで90種類以上のゆるスポーツを開発してきました。

澤田さん自身も、「スポーツ弱者」だったのでしょうか?

澤田 はい。僕はもともと運動が不得意で、体育の授業も大嫌い。学生時代から、スポーツを敬遠して生きてきました。ただ、顕在化されてないだけで、実はスポーツ弱者はたくさんいるんです。スポーツ庁の調査によれば、日本人の約半分は日常的にスポーツをしていません*1

これまでに考案されたゆるスポーツについて教えていただけますか?

澤田 例えば、「ベビーバスケ」は特殊なボールを使った球技です。ボールにセンサーがついていて、激しく扱うと赤ちゃんの泣き声のような音が出ます。泣かせたら相手ボールになるので、そおっとパスを回さないといけない。球技が苦手な人ってボールのスピードについていけないことが多いんですけど、これならスローにならざるを得ないから、みんな対等ですよね。

ベビーバスケ写真 ベビーバスケを楽しんでいる風景

確かに(笑)。これなら運動能力やバスケ経験の有無は関係なく楽しめそうです。

澤田 以前、Bリーグのチームのファン交流イベントでベビーバスケをやったことがあるんですけど、ファンとプロ選手が互角に渡り合っていましたね。プロ選手がいつものクセでフェイントをかけてしまうと、その瞬間に「オギャー」ですから(笑)。バスケ経験の浅い人でも、運動神経に自信がない人も、ベビーバスケならプロにだって勝ててしまう。

こう説明すると、「そんなのはスポーツじゃない」と思われる方もいると思うんですが、そもそも歴史に立ち戻ると、本来スポーツって労働者や農民の息抜きだったんですよね。日々の労働は辛く苦しいものだけれども、スポーツをやっているときだけはそのことを忘れられると。それが、いつの間にか限られた人たちだけが楽しめるものになってしまっていた。だからゆるスポーツでは本質に立ち戻り、楽しい下克上をつくることを目指しています

最高峰のアスリートが凌ぎを削る競技も魅力的ですが、万人にスポーツの門戸を開くのはとても意義がありますね。澤田さんはスポーツのほかに、福祉の領域でも活動されていますが、そちらではどんなことを“ゆるめて”いますか?

澤田 例えば、義足の女性が主役のファッションショー「切断ヴィーナスショー」を年に何度か開催しています。義足であることを隠したいと思う当事者がいる一方で、むしろ積極的に見せたい人もいる。義足は自分にとって体の一部だから、もっとナチュラルに見てもらいたいと。また、最近は義足のデザイン性が上がっていて、ファッションアイテムとして魅力を感じている人もいます。彼女たちは義足を特別なものではなく、健常者にとっての洋服と同じように捉えているんです。

なるほど。このショーでは義足や障害は隠すもの、という固定観念をゆるめているということですね。

澤田 そうです。「切断ヴィーナスショー」にも「ゆるスポーツ」にも共通しているのは、必ず根源的な問いを入れるようにしていることです。そもそもスポーツとは何か、義足とは何か、あるいは何をもってマイノリティとするのか。実際、体験した人からは「スポーツの概念が変わりそうです」「障害者への見方が変わりました」という声が多いですね。

切断ヴィーナスショー写真

そのように本質的な問いに立ち戻り、既存の固定観念に疑いを持つことが、ゆるめるための第一歩ということでしょうか。

澤田 その通りです。これは僕が今の活動を始めたきっかけでもあるのですが、8年前に生まれた息子には先天的な視覚障害、知的障害がありました。それが分かった時、真っ先に「なぜ自分の息子が……」と思い、ひどくショックを受けたんです。

でも、今にして思えばそれって息子や障害を持つ人に対して、めちゃくちゃ失礼な考え方じゃないですか。“障害がある=不幸なこと”であると、浅く狭い解釈をしていたんです。アンコンシャス・バイアス*2と言ったりもしますが、すごく大きい主語で考えてしまっていた。

澤田さん自身が、ガチガチの思考に捉われていたと。

澤田 はい。自分でも気づかないうちに、「障害者はかわいそうな人」というファンタジーに捉われていた。

僕がそのことに気づいたのは、息子が生まれたあと、さまざまな障害を持つ200人の方々に会いに行った時のことです。当然ながらそこには200人200通りの生き方があって、それぞれが楽しみや生きがいを持ち、健常者と同じように仕事や恋愛の悩みを抱えていました。障害があるのは不便だけど、不幸ではないという当たり前のことに気づいた時に、僕のなかのガチガチの福祉像がゆるめられました。そして、気持ちがスッと軽くなったんです。

社会に“べき論”を生むショートカット思考

スポーツや福祉の領域に限らず、社会のいたるところにガチガチの固定観念は存在します。コロナ禍では、その弊害が可視化されているようにも思います。

澤田 コロナに対する政府の迷走ぶりや、出社の必然性がないのに未だにテレワークにシフトできない企業が多いところにも、この国のガチガチぶりが現れているように思います。こうあるべき、という“常識”、あるいはこれまでこうしてきたという慣習に縛られ過ぎていて、本質的な行動をとれていませんよね。

業務内容や設備の関係で難しいケースもありますが、テレワークを「仕事は会社でやるべき」というぼんやりした理由で導入を先延ばしにしている企業も少なくないと感じます。

澤田 今まさに企業の「ガチガチ格差」が可視化されていると思います。コロナに対して、しなやかに対応できている企業はサバイブしていくし、成長が期待できると思います。逆に柔軟さがない企業は「会社とはこうあるべき」という“べき論”に囚われてしまっているのではないでしょうか。

国の政策もそうですが、脳内を支配しているさまざまな“べき”を、本質に立ち戻り“問い”に置き換えるだけで解決する問題はたくさんあると思います。少なくとも手段を誤ることはない。ほとんど使われないマスクを配布したり、うちわ会食をしましょう、みたいな発想にはならないはずです。

なぜ、社会にはこうまで“べき論”が蔓延しているのでしょうか?

澤田 やはり社会を運営していく際には、物事をある程度は決めつけてしまった方がラクなんですよね。脳に負荷をかけずに済みますから。でも、本当はそれってすごく危険なことです。僕は“ショートカット思考”と呼んでいますが、人や物事への態度を最短距離で結論づけてしまうと、多くのことを見誤ってしまう。

そもそも人生100年と言われる時代に、ショートカット思考で結論を急いでどうするんだろうとも最近は思うんです。だから僕は、一旦いろんなことを保留することにしました。スポーツにしても福祉にしても、あくまでリサーチ中なんです。

リサーチ中だけれども“正解”を探しているわけではないということですかね? 正解を定義すると、新たな“べき”を生んでしまうような気がします。

澤田 そう、安易に「定義しない」ことが大事なんだと思います。僕らは何でも定義したがるし、人が営みを続ける以上、定義が厳密になっていくのはある意味で仕方のないことです。でも、ガチガチにするあまり、排除の力が強く働いてしまうこともある。

広辞苑には毎年のように新しい言葉が書き加えられますが、僕は定義された瞬間にある意味でその言葉は死ぬと思っているんです。便利なんだけど、言葉がショートカットされて「死語」になる。一方で、定義されていない言葉の解釈は人それぞれだし、違う考え方の人を排除しなくて済むわけです。それって、すごく可能性がある。

例えば、部活動だって「スポーツは歯を食いしばってやるものだ。練習中に笑うべきじゃない」なんて言われてしまうと、ニコニコしながら楽しくやりたい人が排除されてしまいますよね。

イモムシラグビー写真 イモムシラグビーの試合風景

確かに。逆に“ゆるスポーツ”のような、ただ楽しいだけのものも「スポーツ」として認めることで、定義はどんどん広がっていきますね。

澤田 つまり、ゆるめるというのは解釈を広げ、現在の定義から外れた文脈を増やしていくことなんですよね。それもアリ、これもアリだよねと、いろんな人の考え方やアイデアを取り入れていく。そうやって凝り固まった定義をストレッチして、流動性を生むための考え方なんです。

その考え方は、あらゆる分野に展開できそうです。

澤田 そう思います。「子育てはこうあるべき」「男性の育休はこうあるべき」など、社会のあらゆるところに“べき”は潜んでいますから。普通を定義すると深く考えずに済むから一見ラクなんだけど、やがてその普通の呪縛に苦しめられてしまうこともある。今、いろんなところでそれが起きていますよね。

”道草”することで世界が立体的になる

なかには仕事や働き方がガチガチになっている人もいると思います。特に会社に入って数年たつと、自分なりのやり方やルールが固まっていく。もちろん良い面もありますが、それに縛られて不自由になったり、新しいものを受け付けなくなる人もいます。澤田さんご自身も、そうした経験はありますか?

澤田 ありましたね。僕の場合は新卒で広告代理店に入り、最初の3〜4年はとにかくがむしゃらに働きました。5〜6年目くらいから徐々に自分の裁量で回せる仕事も増えてきて、充実感を得られるようにもなってきた。

でも、30歳を過ぎてから、自分の仕事の仕方に疑問を感じるようになっていったんです。当時は先輩たちがやってきたガチガチの広告マンの働き方をコピペしていたんですけど、大量に降ってくる仕事をただ順番にこなしていくことに、果たしてどんな意味があるんだろうと考えるようになりました。

澤田さんは著書の中で当時のことを「納品思考に陥っていた」と書いています。とにかく期限までに納品することに追われるばかりで、何のためにそれをしているのか、広告人としての自分はどうあるべきかを考える余裕を失っていたと。

澤田 はい。とにかく目の前のゴールに向けてシュートを決めることしか考えていなくて、自分がなんのゲームをプレイしているのか、そのゲームの目的は何なのか、という長期的な視点を持てていなかった。ただ、それでも仕事はなんとなく楽しいし、なんとなく充実している気もする。打ち上げで飲むお酒も美味しい。でも、モヤモヤは消えない。そのモヤモヤがピークに達したのが32歳の時です。

ちょうど息子が生まれたこともあって、ここらで少し働き方をゆるめてみようと思いました。それまではスケジュールをとにかく埋めがちで、結果的に視野が狭くなっていたので、意識的に余白を作るようにしたんです。ちょうど10年働いた節目でもあったので、いったん「。」を打つみたいな感じですね。いったんここで区切りを作って、次のキャリアについてゆっくり考えてみようと思ったんです。

確かにあと30年くらい働くとしたら、どこかで句読点を打たないとしんどいですよね。

澤田 しんどいし、このままだとモヤモヤを抱えたままダラダラ働き続けることになっちゃうなと思いました。それはイヤだなと。立ち止まる、とまではいかないけど、ちょっとくらい道草してもいいのかなって。それが僕の場合は、たくさんの障害者に会いにいくことだった。広告人のキャリアからすれば、相当な遠回りでしょうね。そんな時間があったら、営業をガンガンかけて仕事をとってくるか、コピーの勉強でもしろというのが常識の世界ですから。

それでも道草をしてよかったと。

澤田 よかったです。道草をすると、そこにしか落ちていないものに気づきます。広告業界の中心にいたら、絶対に見えなかった景色が見えてくるんです。僕の場合はそれが、ゆるめることの大切さだったり、障害者福祉のおもしろさでした。

例えば、広告はクライアントが自動車メーカーなら自動車の話、飲料メーカーならビールやジュースの話をしますが、福祉の世界はずっと“人間”の話をしているんです。物ではなく、常に人間が中心にある。それが僕にとっては新鮮だったし、すごく居心地がいいなと思いました。

ブラインドサッカーキャンペーンビジュアル 澤田さんが手掛けたブラインドサッカーのキャンペーンビジュアル

仕事の仕方が凝り固まっている人は、一度ショートカット思考を捨てて、あえて迷子になることも大事なのかもしれませんね。

澤田 僕がおすすめしているのは、片目で迷子になってみること。例えば、僕の場合であれば、片目は広告、片目はスポーツや福祉を見ています。そうすると、両目の視差があるからモノが立体視されるように、双方が相対化されるので、物事を多面的に捉えられるようになると思うんです。

とはいえ、今はこういう状況で、なかなか人に会いに行くことは難しい部分もあるかと思います。ただ、それでも迷子になる方法はいくらでもあります。例えば、ツイッターで無作為に、全然知らない人を100人フォローしてみるとか。それだけで、いろんな人の思いもよらない考え方が入ってきて、自分がもともといた世界のガチガチぶりも見えてくると思います。

社会をゆるめることは”弱さ”から始まる

お話をお伺いしてみると、ゆるめることの起点には常に自分の抱えている弱点やモヤモヤがあるように思いました。

澤田 そうです。自分が排除されていたり、息苦しさを感じていたりすることを探すのが、ゆるめるために最初のステップになると思います。

だから、普段は気づかないフリをしているから見つけづらいんですけど、まずはどんな些細なことでもいいから嫌なことや苦手なことを10個挙げてみてください。例えば、そこで仮に「プレゼン」というものが抽出されたら、次にプレゼンの本質について探ってみる。正解はないので、自分なりの解釈で大丈夫です。

なんでしょう……「自分の考えやアイデアを相手に伝え、仕事を円滑に進めること」ですかね。

澤田 それが本質だとすれば、相手にきちんと伝わりさえすればアプローチは問題ではないということになりますよね。プレゼンってテクニック論に陥りがちで、正解とされる方法で話せない、ということに悩んでいる人も少なくないと思うんです。例えば、どもっちゃダメとか、「あ〜」や「えっと〜」と言っちゃダメとか、最近だと「させていただきます」はNGとか(笑)。でも、それってガチガチですよね。

ゆるスポーツランド2019集合写真 「ゆるスポーツランド2019」の集合写真

確かに、「させていただきます」論争は特にしんどいと感じていました。お作法に意識がいき過ぎることの弊害もあるように感じます。

澤田 それもやはり、“べき論”に陥ってしまっているということだと思います。例えば、僕には吃音の友人がいるのですが、そこで「どもっちゃダメ」というルールを押し付けることには何も意味がありません。むしろ、最初にどもってしまうことを明かして、「僕は歌う時だけ吃音が出ないので、今日のプレゼン資料を4分半の歌にしてきました。聞いてください」とかだって全然アリだと思うんです。

斬新なプレゼンだ……。奇策だけど、興味はそそられますね。

澤田 今のはちょっと極端かもしれませんが、吃音というマイノリティの視点があるからこそ、他の人には見えない課題が見つかり、斬新な方法でゆるめることが可能になる。僕はよく「強さは一律、弱さは多様」という表現を使うのですが、僕の考える強さって、今の社会のスタンダードとして明確に定められているものなんです。「英語ができる」「スポーツが得意」「こんな資格を持っている」。これらはいずれも強みといえますが、オリジナリティがなく人とかぶってしまうことも多い。

確かに。逆に、弱さは多様であるからこそ、既存のルールをゆるめる可能性を秘めていると。

澤田 そう思います。弱さはものすごくバラエティ豊かで、そこに着眼することで社会をゆるめるための新たなアイディアが見えてくる。だから、「私はこれができます!」ばかりじゃなくて、「私はこれができません!」と、堂々と言える世の中になればいいなと思いますね。実際、僕もスポーツが得意だったら、ゆるスポーツなんて思いつきもしなかったですからね。自分のコンプレックスと向き合うことで、既存の価値観にはない新しい道が開けました。


取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:澤田智洋さん

澤田智洋さんのプロフィール写真

世界ゆるスポーツ協会代表理事/コピーライター。1981年生まれ。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごした後、17歳の時に帰国。2004年、広告代理店入社。映画「ダークナイト・ライジング」の『伝説が、壮絶に、終わる。』等のコピーを手掛ける。 2015年に誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立したほか、一般社団法人 障害攻略課理事として、ひとりを起点に服を開発する「041 FASHION」、視覚障害者アテンドロボット「NIN_NIN」など、福祉領域におけるビジネスも多数プロデュースしている。著書に『ガチガチの世界をゆるめる』『マイノリティデザイン』がある。

Twitter:@sawadayuru

りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
<Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

*1:スポーツの実施状況等に関する世論調査を参照

*2:無意識のうちに生まれるものの見方やとらえ方の歪みや偏り

自分の強みってどこ? 枠に囚われず「アナウンサーによる映像制作会社」を立ち上げた高橋絵理さんに聞く

高橋絵理さん記事トップ写真

自分の強みがどこにあるのか分からない。社会や会社に求められるスキルを身に付けるために頑張っているものの、なかなか結果が出ない。そんなふうに悩んでいる人は少なくないかもしれません。

フリーアナウンサーの高橋絵理さんは、アナウンサーの強みである「伝える力」を改めて整理し、2015年にアナウンサーが企画から出演まで一貫しておこなう異色の映像制作会社「カタルチア」を立ち上げました。

一見すると、アナウンサーの仕事とは近いようで遠くも思える映像制作。高橋さんは、どのように独自の立ち位置を見つけられたのでしょうか。これまでの歩みと、高橋さんの思う「自らの強み」を見つけるためのヒントを伺いました。

※取材はリモートで実施しました

その後の受け皿がないアナウンサーの現状

高橋さんは、10代の頃からアナウンサーを目指されていたそうですね。ただ就職活動ではテレビ局の試験になかなか通らず、大学卒業後は事務所に所属してフリーアナウンサーになる道を選ばれたとお聞きしています。

高橋絵理さん(以下、高橋) 当時は本当に仕事がなくて、生活が厳しかったのでアルバイトもしながらアナウンサーの仕事をやっていました。10代の頃から喋る仕事は細々としていたんですが、元局アナの方々と比べるとできないことも多くて。私にはスキルもキャリアも足りないから仕事がないんだ、と思っていました。仕事で結果が出ないときって、どうしても自分にばかりベクトルが向いちゃうじゃないですか。

自分に足りないところがあるからだ、と考えてしまいますよね。

高橋 当時の私もそうだったんです。だから、どうして仕事がないんだろう? と自己分析を始めて、喋りのスキルを磨くための勉強をしたのはもちろん、歯並びを矯正してみたりダイエットをしてみたりと、自分なりにいろいろ努力をしてみました。けど、それを数年続けても、そんなに仕事が増えなかったんですよ。

それで、あるときふと我に返って周りを見てみたら、地方局の元アナウンサーで、その土地の顔として活躍していたような先輩たちも、みんなアルバイトをしながら生活してるなと。それに気づいたときに、自分に向いていたベクトルが外に向いて、「もしかしてこれって自分の問題ではなく、フリーアナウンサーを取り巻く業界の問題じゃないか」と思ったんです。

高橋絵理さんがイベントの司会を務めている写真1

なるほど。地方のテレビ局のアナウンサー採用は、女性の場合、非正規雇用がほとんどだと聞いたことがあります。

高橋 地方局の場合、男性は正社員採用でも女性は契約社員採用で、1年ごとに契約が更新され、最大でも3年というケースがほとんどです。だから地方局のアナウンサーは、契約を切られる前にこっそりと他の地方局を受けて、縁もゆかりもない局を転々とする人が多いんですよ。

住んだこともない、知り合いもいない土地を転々とするってやっぱりしんどいものがありますし、年齢が上がってくると中途採用もどんどん厳しくなってくる。そこで、じゃあいっそ東京に出て、フリーのアナウンサー事務所に入ろう、という思考になるわけです。決してみんな、辞めたくて辞めてるわけじゃないんですよ。

突き詰めていくと、仕事がない状況は女性の非正規雇用問題が根底にあるという……。

高橋 もちろん、契約社員とわかっていながら、それでもアナウンサーという仕事を選んだのはその人自身じゃないか、という見方もあるかと思います。ただ、アナウンサーの仕事だけで生活できないくらい困窮したり、辞めたあとの受け皿が一切用意されていないというのはやっぱり問題じゃないですか

しかも、アナウンサーたちには素晴らしいスキルがある。そこで社会的に苦しい状況に置かれているフリーアナウンサーがどうやったら経済的な基盤を整えられるんだろう、彼女たちのスキルを生かしながらみんなでお金を稼げる策はないだろうか、と考えた末にたどり着いたのが、制作会社を立ち上げるという道だったんです。

アナウンサーと映像制作の意外な親和性

問題を認識してから、「自分で会社を立ち上げよう」という発想になるのはすごいエネルギーだなと感じます。決断するのに勇気はいりませんでしたか?

高橋 フリーアナウンサーって個人事業主なので、実は起業すること自体にはそんなに抵抗はなかったです。むしろ自分の中で勇気が必要だったのは、喋る仕事を一旦手放す、という決断をすることでした。

起業の準備を始めたとき、中途半端な気持ちじゃ絶対にできない、あれもこれもは欲張りだなと思って、所属していたアナウンサー事務所を辞め、会社のことだけに専念できる環境を自分で作ったんです。今まではアナウンサーとして生きるということをいちばん大事にしてきたので、それは本当に大きな決断でした。

高橋さんの会社「カタルチア」は、アナウンサーの方が企画から出演まで一貫して手掛ける、という点がとてもユニークだと感じます。アナウンサー事務所やキャスティング会社ではなく、制作会社という形にはどのようにたどり着いたのでしょうか。

高橋 会社を立ち上げる直前、どんな仕組みであればアナウンサーたちが自分のスキルを生かしてきちんと稼げるのか、試行錯誤していたんです。そうしたら、あるとき違う業界の友人と喋っていると、「高橋さん、アナウンサーをしてるってことはナレーションとかもできるの?」と聞かれたことがあって(笑)。

まさにそういう仕事なのに……!

高橋 そう、だからもちろんできるよ!と。詳しく話を聞いてみると、会社の研修用の映像にナレーションを入れられる人を探している、ということでした。それで私が、「ナレーションも入れられるし、なんなら映像に合わせたテロップを入れて編集することもできるよ」と言ったら、すごく驚かれて。

簡易的なものですが、私の場合は自宅で録音・編集できる環境を整えていましたし、周りのアナウンサーたちも、もともといた地方局で映像や音声編集をしていた人が結構多かった。このとき、業界のなかでは半ば当たり前のことでも、外にいる人たちは意外と知らないことってあるんだなと気付いたんですよね。

株式会社カタルチアの制作風景1
カタルチアではアナウンサーの方が企画から出演まで手掛けている

確かに、アナウンサーの方々が映像・音声編集までしているケースがあるというのは知りませんでした。

高橋 地方局って人手が足りないので、アナウンサー自身がカメラを担いで現場に行くこともありますし、取材自体の企画を自分で考えることもあるんです。だから、いちばん仕事が多いときは、自分で考えた企画を自分でリポートして、その素材を持って帰ってきて編集し、着替えて夕方のニュースに出演しながら自分でそれを読む、ということもあるんですよ。

本当にすごいお仕事ですね……。映像編集のスキルをもともとみなさん持っているわけですね。

高橋 そうなんです。だからよくよく考えると、映像制作をやるうえでの下地はあるなと。ただもちろん、テレビ局の編集機と映像制作業界で使われている一般的な機材は全然違いますから、すぐにバリバリと編集ができるというわけではありません。

でも、そんなことは正直どうとでもなる、というか。いまはYouTubeにも映像制作のノウハウ動画がたくさんある時代なので、アナウンサー同士で教え合っていけば、基本的な編集のスキル自体は1~2年あれば身に付きます。むしろ、教えずともアナウンサーの人たちがもともと持っている「どうすればより伝わるか」ということを考える力の方が貴重ですよね。

常に最前線で情報を伝え続けてきたわけですもんね。

高橋 そうですね。ナレーション原稿を読むときに「この単語は書き言葉であれば伝わるけれど、耳で聞く場合は分かりにくいから別の言葉に変えよう」と咄嗟に判断をしたりとか、現場で培ってきたものは大きいと思います。

仕事相手とうまくコミュニケーションをとりつつ、相手が伝えたいことを聞き、それを踏まえて本当に伝えるべきことを分析して言語化する。それがアナウンサーの仕事の基本だと思うのですが、そう考えると映像制作に活かせる部分は少なくないですよね。

確かに整理してみると、アナウンサーの方と映像制作の親和性は高いのが納得です。

高橋 その結果、カタルチアでは映像制作の企画から出演までアナウンサー自身がおこなう、というのをいちばんの強みとして打ち出すことにしたわけです。打ち合わせからアナウンサーが担当し、伝えることを綿密に決めた上で映像をつくる。実際に出演者自身が商品やサービスのことを根本的なところから理解し、クライアントさんの思いを知った上で原稿を読んでいるので、映像や音が持つ「熱量」は他の企業さんにも負けないんじゃないかと思います。

株式会社カタルチアの制作風景2

なるほど。ちなみにカタルチアでは、どういったアナウンサーの方がお仕事されているんですか。

高橋 あくまで制作会社ではあるので、デザイナーなども仕事をしていますが、アナウンサーの場合は局アナ出身で、これからもフリーアナウンサーとして生活していきたいという人が多いですね。

先ほどの話の通り、女性アナウンサーは年齢を重ねていくとどうしても出演者としての仕事が減ってしまう傾向にあるのですが、当然稼がないと暮らしていけません。

その中で、カタルチアは喋り以外のスキルを活かしたり、身に付けられる場でありたいと考えています。そうすれば、たとえ出演者としての仕事が減ったり、ライフスタイルに変化があったりしても、アナウンサーとしての仕事の延長線上で働き続けることができるじゃないですか。実際に、結婚・出産後に働いているメンバーはすごく多いです。

弱さを発信することで強みに変えた

映像業界で独特の立ち位置を獲得された高橋さんの視点は、仕事の幅を広げていく上でも非常に参考になると感じました。改めて、自分にとっての強みや意外な可能性に気付き、それを生かしていくためのヒントをぜひお聞きしたいです。

高橋 私はアナウンサー業界以外に身を置いたことがないので、正直ほかの業界については詳しくはないのですが……いま思いつくのは、「枠組み」に囚われ過ぎないことかな、と。

「枠組み」というと?

高橋 ひとつは、自分たちがいる業界そのものの構造です。私の場合は「そもそも、アナウンサーに仕事を発注するのって誰なんだっけ?」という疑問を起点に仕事の川上まで遡り、制作会社というところにたどり着きました。そこで改めて既存の業界の構造を知り、違うピラミッドをつくってみようと考えたんです。

ただ、闇雲に既存の構造をどんどん壊していけ、と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、自分のなかにある「自分はこうあるべき」「こうありたい」という枠組みに囚われ過ぎないことじゃないかなと思います。

もともとは高橋さんにも、「自分はこうあるべき」という意識があったんですか。

高橋 私の場合は、「アナウンサーは華やかで、いつもニコニコしている仕事だ」という考えがずっとありました。だから最初は正直、「フリーアナウンサーには貧乏な人が多いんです。私も生活できてません」と世の中に対して言うの、すごく嫌だったんですよ。貧乏でもそれを見せず、常にキラキラしているべきだと考えていました。

でもあるとき、先輩の経営者に「できることじゃなく、むしろないものをアピールしたほうがいい。弱さは強さだよ」と言われたんです。

その言葉を聞いたときに、お金も仕事もない自分の弱さがむしろ武器になるのかもしれないのかと思って、アピールの仕方を切り替えました。それで、アナウンサーを取り巻く社会的な状況についても発信するようにしたら、その理念に共感してくださるお客さんがすごく増えた。本当にありがたいアドバイスだったなといま振り返っても思います。

高橋絵理さん取材風景1

弱さを発信することがむしろ強みになったんですね。

高橋 もちろん、プライドも大事なときはあると思います。けど、「この仕事に就いた以上はこうあるべきだ」「自分はこういなきゃいけない」という考えに囚われ過ぎると凝り固まっていってしまう危険性がありますよね。だから、その枠組を一度取り払って自分の強みや弱みを考えてみることは、もしかしたらどの業界でも有効かもしれないですね。

アナウンサーたちのスキルが生かせるなら、どんな形だっていい

いま高橋さんが、経営者としてご自身の会社や業界に対し、課題だと感じられていることはありますか。

高橋 業界自体には、まだまだたくさん課題があると思っています。ですから、そこに対して声を上げていくことはもちろん大事ですが、私はその課題をどうにかビジネスの力で解決していきたいと考えています。

もともと、生活ができないアナウンサーをひとりでも減らしたいと思って会社を立ち上げたわけですが、カタルチアのなかには仕事が多い人もいれば、少ない人もいる。だから、いま仕事が少ない人たちをどうやってサポートしていくか、それがいまの自分にとっての大きな課題になっています。

カタルチアでは出演料や制作のギャラに加えて、案件を自分でとってきた人に対して営業のインセンティブをお支払いしているので、そういうチャンスもあるよ、というのは一生懸命伝えるようにしていますね。ひとつの仕事から、できるだけ収入の幅が広がる方がいいと思うので。

業務の得意不得意は人によって異なると思いますが、高橋さんはどのように仕事の割り振りをされているんですか?

高橋 メンバーのスキルは、私が直接その人と会って話をした上で、「この人はこの仕事が得意そうだな」というふうに把握しています。でも基本的に、その人自身の意思を尊重するようにしていますね。なかには映像制作のスキルは高いけれどできればあまりやりたくない、という人もいますし、逆に編集はあまりできないけれど、これから覚えたいのでどんどん仕事を振ってほしいという人もいますし。本人のスキルと意向のバランスを考えつつお願いしています。

それは仕事をする方もありがたい限りですね……。ちなみに高橋さんご自身は、やっぱり喋りの仕事をしたい、と思われたりはしないんでしょうか?

高橋 実は、経営者として仕事を始めて数年たったら、ナレーションの仕事や司会の仕事で声をかけていただく機会がぽつぽつと増えてきたんです。いまは喋りの仕事もしつつ会社をやれているので、一度手放したものがようやく手元に帰ってきたという感覚はあります。会社経営をしていることによってアナウンサーとしての仕事も続けられていると感じるので、私自身がこの会社に助けられているという側面は大きいですね。「やりたい仕事だけやって生活できていて幸せだね」ってよく言われますし、自分でもそのとおりだなと。

高橋絵理さんがイベントの司会を務めている写真2
会社経営の傍ら、ご自身もアナウンサーとしてイベントの司会やナレーションなどを務めている

素晴らしいです。

高橋 もちろん、どんな仕事でもそうだと思うんですが、日々の業務に目を向けると、自分の不得意な仕事や苦手な仕事ってたくさんありますよ。例えば私の場合、自分が話せない言語のテロップを映像に入れたりしているときがそうなんですけど(笑)。でも仕事ってそんなものなのかな、とも思っていて、ふとした瞬間に「やっぱりこの仕事好きだな」と思えるならいいのかなと。

本当にそうですね。

高橋 だから、私自身は映像制作というもの自体に大きなこだわりがあるわけではなく、アナウンサーの人たちのスキルが生かせるのであればどんな形だっていい、と思っています。自分のスキルやキャリアを生かしきれず稼げていない人ってきっとどの業界にもたくさんいると思うのですが、私は少なくとも自分の業界で、そういう人たちの受け皿になりたい。だからこれからも、時代の変化に合わせつつ、私たちが世の中にどうしたら求めてもらえるかを考えて、進化しながらカタルチアを続けていけたらと思います。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
写真提供:株式会社カタルチア
編集:はてな編集部

お話を伺った方:高橋絵理さん

高橋絵理さんのプロフィール写真

株式会社カタルチア代表取締役。立命館大学産業社会学部卒業後、フリーアナウンサーとして活動。その後、フリーランスのアナウンサーの仕事事情に問題意識を持ち、2015年アナウンサーによる映像制作会社を設立。

会社HP:株式会社カタルチア
Twitter:@erieri1110  Instagram:@erieri1110

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