計画は「決め過ぎない」でもいい。自分の"好き"と向き合い続けたキリン研究者の仕事観

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日々の仕事のなかで具体的な目標や計画を立てることは大切です。しかし、一度立てた計画にこだわり過ぎると、ときに息苦しさを感じることもあります。例えば、目標を意識するあまり、もともと楽しかったことがつらいものに変わってしまったり、思わぬ発見に気付かなくなってしまったり。

動物の解剖を専門にする郡司芽久さんは、世界でも珍しいキリン研究者。もともと「キリンが好き」という気持ちが高じて研究者の道を選び、10年近い年月をかけて数十頭のキリンの解剖を経験したのち、キリンの首にまつわる研究で博士号を取得したという異色の経歴の持ち主です。

研究を重ねるほどにキリンへの気持ちが高まっているという郡司さんは、これまで計画や目標とどのように付き合ってきたのでしょうか。計画を決め過ぎないことの大切さ、目先のトレンドに惑わされないための考え方など伺いました。

※取材はリモートで実施しました

キリンを愛する学生が解剖学に出会うまで

郡司さんは子どもの頃からキリンが大好きだったそうですね。実際にキリンの研究者の道を志すようになったのは、大学生のときに聴講されたシンポジウムがきっかけだったとお聞きしています。

郡司芽久さん(以下、郡司) 大学1年生のときに出席した大学の生命科学シンポジウムがきっかけです。「生き物の右と左はどう決まるか」「南極のアザラシはどうやって生きているか」など、幅広い分野の先生たちがそれぞれの視点からすごく楽しそうに研究の魅力を話されていました。そのあと、シンポジウムの懇親会で先生方とお話ししていたら、最終的には研究室にも連れて行ってくださり、マウスを使った遺伝子研究の様子を見せていただいたりして。そのとき初めて研究者って楽しそうだなと思いました。

研究の道に進むとしたら対象はキリンにしたい、というのは当時から思われていたんですか?

郡司 そうですね。ずっと好きでいられるものってなんだろうと考えたときに、大好きな生き物のなかでも特に好きなキリンかもしれないと思ったんです。ただ、研究の潮流で言えば、当時はもう生物学の本流は分子生物学*1で、生き物を一個体や群れの単位で扱うような研究は下火になってきていたんです。しかも鹿や猿のような身近な動物ならまだしも、キリンの研究をしている方というのは本当にいなかった。だから先生方に「キリンの研究ってどうやったらできますか」と相談しながら、道を模索しているような状態でした。

郡司芽久さん記事インタビュー写真1

結果的に「解剖学」という分野をご専門にされたのはなぜだったんでしょう?

郡司 解剖学であればキリンの研究ができそうだったから、というのがほとんど全てです。大学1年生の秋に、さまざまな動物の遺体を動物園から引き取って解剖されている遠藤秀紀先生という解剖学を専門とする教授に出会いました。この研究室ならばキリンの研究ができそうだ、とその先生のゼミに入ったのが始まりですね。「キリンが好きでたまらないのによく解剖できたね」ってよく言われるんですが……。

それはちょっと気になりました。ゼミに入って最初に体験したコアラの解剖の時点で楽しかったと本に書かれていましたが、怖さはなかったのかなと。

郡司 あまり怖さはなかったですね。私の本を読んでくださった方から「キリンをもっとじっくり見てみたくなった」とうれしい感想をいただくこともあるんですが、私自身が解剖に魅力を感じたのも近い欲求だと思っていて。

コアラの解剖をしたときも、「そうか、こんな体の構造をしているからあんなふうにずっと木にしがみついていられるんだ」というのが分かり、コアラについてより深く知ることができたという感覚があったんです。だから私個人の考えで言うと、動物って解剖するとより好きになるんですよ。

なるほど……そう言われてみると、動物の体の構造は図鑑や動物園の看板などの説明を通してしか知らないなと感じます。

郡司 そうですよね、みなさんそうだと思います(笑)。生きている動物を対象にした研究って、人間がさわればさわるほどその生き物にストレスがかかってしまうし、人間にとって危険な場合もあるので、基本的には触れるのはNGなんです。でも解剖の場合は、もう亡くなっているのでさわりたいだけさわれる。頭はどのくらいの重さか、足はどのくらいの長さか……といったことを、知識としてだけでなく五感を使って体感することができるのは、解剖のいちばんの面白さだと思いますね。

目的や計画を「一から十まで決め過ぎない」ことの意味

郡司さんはこれまで数十頭のキリンの解剖に携わってきて、その多くは博物館に標本として収められています。たくさんの標本を作る理由として、博物館に根付く「3つの無(無目的・無制限・無計画)」という理念を紹介されていましたが、ビジネスの場面では計画や目的を強く求められることもあるだけに新鮮でした。

郡司 博物館のコレクションを作る主な目的って、言ってしまえば博物館をいつか利用する「未来の人」のためなんです。実際にいま私も、100年前に集められた骨格標本を使って研究をさせてもらったりすることもあります。同じように、100年後の人が使う可能性を踏まえてコレクションを収蔵しようと思ったら、できるだけたくさんのものを集めておくしかないんですよ。いま当たり前にいる生き物も、100年後には絶滅危惧種になっている可能性だってあるわけですから。

確かに、いまは身近な動物でもいつか絶滅危惧種になったりしたら、「どうしてあんなにたくさんいたときに遺体を残しておかなかったんだ」と未来の人に思われてしまいそうですね。

郡司 実際にそういうケースってよくあるんです。例えば奄美大島には、いまは天然記念物になっているアマミノクロウサギという日本固有のウサギがいます。100年前には島全域にすごくたくさん生息していたことが分かっているのに、その時代の標本って日本全体で数えるくらいしか存在しない。

そうなると、できない研究や検証できない仮説が出てきてしまうんですが、当時の人たちからしたら、「こんなにたくさんいるウサギより、もっと珍しい動物を集めた方が役に立ちそう」ってことだったと思うんです。だからいまの私たちの価値基準では動かずに、博物館はあらゆるものを集め、あらゆる可能性に備えておく必要がある

たぶんそれって、自然史博物館などの標本に限らず、身近な本などでも同じですよね。いつでも手に入るかなと思って処分してしまった本が絶版になってしまってもう二度と手に入らない、というような話はどこにでもあって、いまの私たちの価値観や目的意識だけで遠い未来のことを判断してはいけない、という。

郡司芽久さん解剖風景写真 骨格標本の計測風景。並んでいる骨を一つずつ中央の銀色の計測器(ノギス)で測り、紙に記録していきます

研究についてもそれに近い部分があるのでは、と想像しているのですがいかがでしょうか。

郡司 研究の場合は、博物館の理念とは少し違う部分もあります。私たちは公費を使って研究をしているので、当然ですが「無目的・無制限・無計画」ではさすがに通用しなくて、何年か先を想定して提出する研究計画書というものが存在します。そこでおそらく研究者の多くは、ある程度のヒントというか、複数の弱い証拠のようなものを手がかりにして、「こういうことをしていけば、いずれ大きな証拠が掴めるのではないか」という仮説から研究計画を立てている気がします。

ただ、明らかにしたい大きな目的は当然あるんですが、その目的を達成するための要素だけに縛られないようには気をつけています。つまり、「このデータが得られさえすればこの研究は終了」というふうには思わず、「この実験のついでにここも観察してみようかな」と考えるようにはしているかもしれません。

だから、一から十まで目的や計画を決め過ぎない、ということは確かに意識していますね。実際、研究を進めるなかで、まったく予想もしていなかったことが起き、それが別の研究に発展していくこともあります。

あえて目先のトレンドは追いかけない

郡司さんは、キリンの研究という国内でも専門家がほとんどいなかった分野に飛び込まれたわけですよね。「この研究が本当にうまくいくのか」「いつ成果が出るのか」という不安を感じることもあったのではないかと思うのですが、いかがですか。

郡司 性根が楽観的だからかもしれないんですが、実はそういうことはあまりなかったんですよね……。私は大学院に5年いたので、院生時代に同い年の友達はすでに社会人3年目くらいになっていて。周りの人たちを見ていて、いわゆる3年離職率って本当に高いというのを実感したんです。転職したりワーホリを利用して海外に行ったり、なかには病気になって療養したりしている人もいて、友人たちがそういう人生の節目に立っているのを見たら、「安定した生き方」なんてないんじゃないかと思いました。

だから、どんな道を選んだとしても不安定な要素は消せないのだとしたら、これさえやっていれば自分は幸せだということを仕事に選んだ方がハッピーなんじゃないか、というのが研究者を目指していたときの正直な気持ちだったと思います。

『キリン解剖記』書影 『キリン解剖記』ナツメ社
キリン博士に至るまでの道のりがまとめられている著書

例えば研究者として評価されるということを考えると、冒頭に述べられていた分子生物学など、いわゆる「トレンド」の研究を行ったり、成果の見込みやすい分野で教授にテーマをもらったりといった道もあったのではないかと思います。郡司さんは、そういった選択が頭をよぎったことはありませんでしたか?

郡司 そうですね。当たり前ですけど、トレンドって変わるんですよね。特に研究の世界だと、実際に研究を始めてから世の中に報告されるまでにタイムラグがありますし、今のトレンドを追っても自分が研究者として独り立ちするときにはトレンドが変わっている可能性も高い。だから博物館的な考え方かもしれませんが、トレンドはなるべく意識せず、自分の関心から研究を進めようというのはありました。

あとは、身近にたまたまトレンドに近い領域で研究をしている友人もいたのですが、絶対にかないそうにないな、ということもありました(笑)。トレンドになっているということは、研究人口も多く競争が激しいわけですよね。逆に、キリンなどのニッチな分野では競争というよりも、一緒にこの分野を盛り上げていこうという意識が強かったりする。このあたりも、あまり流されなかった理由の一つかもしれません。

確かに人気のある分野だと競合が多いのはビジネスの世界でも同じかもしれません。自分の関心から研究を進められていたとのことですが、これまで研究が嫌になったことはありませんか。解剖はなかなかハードだと拝読しました。

郡司 大きな動物の解剖が立て続くことがたまにあって、そういうときは確かに大変ではあります。動物がいつ亡くなるかは誰にも分からないので、偶然同じタイミングで遺体が届くこともまれにあるんです。キリンの解剖を10日間やったあとにサイの解剖を1週間やる、とか……。そういうときはもうただただ体力が消耗するんですが、それでもなおキリンの解剖だけは、どんなタイミングで入ってきても嫌だなあと思ったことがないですね。

いつきても嫌じゃないんですか。すごい……!

郡司 すごく疲れているときに「これからワニが5頭きます」という連絡が入ったりすると、「ワニ5頭かあ……」みたいな気持ちになっちゃうこともあるんですよ。もちろんちゃんとやりますし、いざ解剖を始めるといろいろな発見があって楽しくなってくるんですが。ただ、キリンに関してはエンジンがかかるまでの時間が他の動物と明らかに違うんですよね。

(笑)。

郡司 日常生活のなかで、「私は本当にキリンだけが特別に好きなんだろうか?」「なんでこんなにキリンにこだわるんだろう?」って思うことはよくあるんです、ほかにも好きな生き物はたくさんいるので。でもキリンの解剖が入ると、やっぱり自分にとってキリンは特別なんだなって実感します。

「すぐに役立つ研究」だと思われなくても

お話をお聞きしていると、郡司さんは本当に純粋な「好き」を突き詰めていまの研究にたどり着かれたんだろうなと感じます。著書のなかにも、宇宙物理学者の先生に「郡司さんも私も、子どもの心のままで大人になれて幸せですね」と言葉をかけてもらったというエピソードがありましたね。

郡司 その先生はブラックホールの研究をされている方で、私の何を見てそういうふうに言ってくださったかは分からないんですが……なんとなく「好き」という気持ちをそのまま感じられている人が、先生のおっしゃる「子どもの心のままで大人になれた」人なのかな、と思っています。

自分の気持ちを軸にして物事を判断するのって、大人になればなるほど難しくなるじゃないですか。子どもの頃の「好き」って周りの視線をまったく意識していなかったと思うんです、石が好きとか虫が好きとか。でも、大人になってくると「こういうのが好きだと格好いいと思われそう」みたいな余計なことを考えてしまったり、周囲の声を左右されたりすることも増えてくると思うんです。

郡司さんの場合は、指導教員の先生が当時を振り返って、「郡司は止めても聞かなかった」とあとからお話しされていたそうですね。

郡司 私にはキリンの研究を止められた記憶がないので、先生か私のどちらかの記憶が間違っていることになるんですけど(笑)、周りの声を気にしないっていうのも時には大事かもしれないなとは思います。

それに、人に言われて選んだことって、うまくいかなかった場合その人のせいにしてしまいがちじゃないですか。でも、自分で決めたことであればうまくいかなくても、ある程度自分で折り合いをつけられるんじゃないかなと思うんです。

ただ、そうして自身の「好き」が高じて選んだ研究テーマにもかかわらず、著書の最後には類似の着眼点を持った研究が立て続けに発表されてきていると書かれていました。今後、郡司さんの研究が他分野で応用されることも増えると思いますが、現時点では将来的にどんな分野に生かされることがありそうだとお考えですか。

郡司 例えばいまも医療分野の方と一緒にキリンも人間もかかる病気の研究をしたり、新しいロボットを作ろうとしている方と共同研究をしたりしていて、いろいろな可能性は感じているんですが……実はつい最近気づいて、個人的にちょっとショックを受けたことがあって。

おそらく「基礎研究は、すぐに何の役に立つのかは分からなくても、いろいろな可能性をもつ大事なものだ」と言う研究者の方って多いと思うんですね。遠い未来に、なんだかよく分からなかった基礎研究の成果が、ある病気を治すことにつながるとか、人間の生活が劇的に楽になることにつながるかもしれない。それに、もっと広い意味で人間の生活が豊かになることも「役に立つ」ことに含まれる、とも思います。日常生活をほんのすこしだけ楽しくしてくれるような「トリビア」的な研究だって、「役に立つ」の一つの形なんじゃないかなあと、私自身はずっとそう思ってきました。

でも、いざこういう例がありますと言おうとしたときに、「役に立ちそう」とすぐに思ってもらえそうな医学とか工学への応用例ばかり毎回挙げてるな自分、と……。

なるほど……。ビジネスの分野でも、分かりやすい成果ばかり強調してしまうことは少なくないかもしれません。

郡司 もちろん、医学とか工学とかで役に立てるとしたらうれしいんですよ。でもそれって、「結局なんの役に立つの?」という目に何度も晒されて傷ついてきた研究者の防御反応でもある気がするんです。

分からないことを分かることに変えたい、という好奇心がどんな研究の根本にもあると思うんですが、公費を使って研究するとなったら、やっぱり「私たちの生活がこんなふうに変わります」ということが求められます。そこで自分の研究が「役に立たなそう」と思われると傷つくんです。だから、医学や工学への貢献といった分かりやすい例を挙げて納得してもらいたいという気持ちが出てくるし、それはすごく分かります。

でも一方でそれが、「役に立つ研究」ってこういうものですよ、という先入観を増進させてしまっている気もするんです。「医学や工学への応用だけが、『役に立つ』の形ではない」と思っているのに、「役に立つ研究」の例にはそういったものばかり挙げてしまうって、矛盾してるかもしれない。最近、そんなふうに思うようになったんです。

ありがたいことに、私の研究を知って「キリンを見る目が変わった」って言ってくださる方はたくさんいます。いままで目には入っていたけれど特に注目したことがなかったようなものに意識を向ける瞬間が増えたり、生き物ってこんな面白いんだなと思ったりする人がすこし増えることが役に立たないことかって言われたら、決してそうではないと私は思うんですね。

キリンの写真

本当にそうですね、大きな意味のあることだと思います。

郡司 だから、医学や工学はもちろんなんですが、それ以外にもいろんな可能性があるということを最近は言うようにしています。「私はキリンという不可思議な動物の進化について知りたくて研究をしているけど、あなたはキリンの研究にどんな価値を感じますか?」というふうに、相手に尋ねてみるような感じです。

もちろん「役に立たなそう」と言う方もいますけど、そもそもキリンを対象にして研究ができるということ自体に価値や驚きを感じてくださる方もたくさんいて、「キリンの遺体って手に入るんですね、そんな研究はできないと思っていました」と言ってくれる方もいたりします。

いま地球上には何万種もの動物がいるのに、研究で扱えている動物ってまだまだ少ないんです。だから、私個人の思いとしては、もっといろんな生き物を対象にいろんな研究が進んでほしいし、私の研究がいろいろな生き物を研究する人が増えることにすこしでも貢献できたなら、すごくうれしいなと思いますね。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:郡司芽久さん

郡司芽久さんのプロフィール写真

東洋大学生命科学部生命科学科助教。2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。 同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務、2020年4月から筑波大学システム情報系研究員を経て、2021年4月より現職。幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。

Twitter:@AnatomyGiraffe  HP:郡司芽久

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*1:生物を構成する分子のレベルで生命現象を研究する学問分野