「しあわせは食べて寝て待て」作者・水凪トリさんに聞く。もっと働きたい気持ちにどう向き合う?

「しあわせは食べて寝て待て」作者・水凪トリさんに聞く。もっと働きたい気持ちにどう向き合う?

年齢を重ねてくることで直面する体調やライフステージの変化。かつてはフルタイムでバリバリと働いていた人でも、働き方や生活を見直さざるをえなくなるタイミングがどこかでやってきます。そんなとき、「元気だったらもっと働けたのかな」「あと少しだけでも働けたら稼げるのに……」とモヤモヤとした気持ちを抱いてしまうこともあるかもしれません。

漫画『しあわせは食べて寝て待て』は、病気を経てこれまでのような働き方や生活ができなくなり、パートタイムで働きながら、薬膳や軽いストレッチなどを取り入れた無理のない暮らしをするようになっていく主人公・さとこを描いています。作者の水凪トリさんは、さとこと同じ病気を実際に経験されたことをきっかけに、本作のアイデアを思いついたと言います。ご自身も体調を顧みず働いていた時期が長かったという水凪さんに、体と仕事のバランスについて、お話をお聞きしました。

漫画を描く楽しさを、療養中に取り戻した

『しあわせは食べて寝て待て』コマより

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

【STORY】主人公は免疫系の病気を持つ麦巻さとこ(38歳)。かつてはフルタイムでバリバリと働いていましたが、体調を崩しやすく現在は週4日のパートが限界に。「毎日働けなくて困っている」という悩みも、医者からは「婚活でも」と心ないことを言われてしまうさとこ。収入が下がり「マンションを買う」計画も絶たれ、家賃を抑えるために団地へ引っ越すことに。隣に住む大家の鈴さん(92歳)、その息子だという司に薬膳の知識を教わり、団地での穏やかな暮らしを始めてから、徐々に鬱々としていた毎日に変化が……?

『しあわせは食べて寝て待て』は、病気になられてからの自分の様子を漫画にした、と伺いました。本作の主人公・麦巻さとこには、水凪さんご自身が投影されている部分も多いのでしょうか?

水凪 そうですね。さとこは半分自分みたいな感じで、物語を動かしてもらうキャラクターとして描いています。

実は私自身、さとこと同じ膠原病なんです。病気が発覚してからいろいろと試すうち、薬膳を実践してみたら調子がぐっとよくなりまして。いまのこんな自分の様子を漫画にしたらいいんじゃないかと思い立ち、描き始めたのが『しあわせは食べて寝て待て』でした。

スルスルと3話分くらいネームができて、じゃあこれをどこに持ち込もうかと考えていたら、偶然にも『エレガンスイブ』の編集部の方が「これから薬膳を食べにいきます」とInstagramに投稿しているのが目に入って。ここならいいかもと思い、すぐに原稿を郵送しました。あとから聞いたら、実はその投稿をされていたのが、いまの担当編集の菅原さんだったらしいんです。

連載は、すぐに決定したそうですね。

担当編集 菅原さん 久しぶりにこんなにいい雰囲気の漫画を読んだなと思って、一目惚れのような感じで……。すぐに水凪さんにご連絡し、女性の生活や体についての作品が多い『フォアミセス』での連載を提案させていただきました。

ワーカホリックだけれどどこか憎めないパート先の上司・唐(から)や世話焼きな大家の鈴など、本作にはほかにも魅力的なキャラクターがたくさん登場しますが、水凪さんが特にお気に入りのキャラクターはいますか?

水凪 唐は変わっているけれどそれをまったく気にしないキャラとして描いていて、私も気に入っています。鈴と居候の司もいいですよね。実家の母と兄がまさに鈴と司のような関係なので、身近で描きやすかったです。持ち込みをしていたときも男子がおばあさんのところに家事修行に行くという漫画を描いていて、鈴と司のようなキャラクターはその頃から好きでした。

『しあわせは食べて寝て待て』コマより

作中に登場するキャラクターたち
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

水凪さんは、これまでもほかの名義で漫画家として長らく作品を描かれてきたそうですね。『しあわせは食べて寝て待て』は、ペンネームも絵柄も変えた上で臨んだ作品だとお聞きしています。

水凪 ちょうど何年か前は、お金に関するシリーズものの漫画を描いていました。お仕事をいただけること自体はありがたかったのですが、実は数年にわたって具合が悪い状態が続いていて。資料をたくさん読む必要がある仕事だったのと、同時期に病気になってしまった両親のサポートが始まったこともあって、当時は本当に大変でした。

ある日新聞を読んでいたら、突然、いくら目で字を追っても頭に内容が入ってこなくなっちゃって。調べてみたらうつ病の症状の可能性があると出てきて、そういえばこのところずっと鬱々としてたな、と思ったんです。

それでようやくシリーズ企画ものの仕事をやめさせてもらえたのですが、しんどい状態が長く続いていたので、漫画もあまり好きじゃなくなっていて、他の作品を描いてみても自分で面白いと思えなかったんですね。これじゃまずいと思い、2016年頃から心機一転、絵柄も変えて持ち込みを始めたんですが、それと同時に膠原病が発覚してしまって。

具合が悪い状態が何年も続いていたとのことでしたが、ご病気にはどうやって気づいたのでしょうか。

水凪 ひどい関節痛が続いていたんですが、レントゲンを撮ってみても特に異常は見つからず、「歳のせいだ」と言われるばかりで……。当時はこのまま寝たきりになって死ぬんじゃないかと思っていたので、安楽死が法律で許可されている国に移住できるように貯金しようと本気で考えていたくらいでした。ただそのとき、通っていた整体で「もしかするとリウマチかもしれないから、病院で血液検査をしてもらってください」と言われて、その検査をきっかけに病名が発覚したんです。難病だと言われたときは正直、原因がわかってホッとしました。

たしかに、原因がわからない体調不良がいちばん怖いですよね。

水凪 そうなんですよ。療養を続けるうちに耐えられないほどの痛みはしだいに治まってきました。それに、持ち込み作品を自由にゆっくりと描けるようになったおかげで、漫画を描く楽しさが戻ってきました。ただ最初の数年は、持ち込んでも毎回ボツになっていましたが(笑)。でも、持ち込みをしていたうちの一社の出版社が薬膳の本を紹介していたのが、薬膳を意識するようになったきっかけでもあるんですよ。

体調を大事にするために。余裕があっても作業を切り上げる

水凪さんご自身は、ご病気を経て生活や働き方に変化はありましたか?

水凪 やっぱり無理はしないようになりましたね。私の場合は描きすぎると手や体が痛くなるのがわかっているので、1日のうちこのページ数以上は描かない、というのを決めていて、朝から仕事を始めてもだいたい17時くらいには切り上げるようにしています。ときどき忙しいと夜まで描くこともありますが、それもだいぶ減りました。

これまでは「まだ余裕はあるけど、このあたりで作業を切り上げておこう」とは微塵も思わず、倒れるくらいまで仕事していたので、振り返るとそりゃ病気にもなるだろうなと思います。

……ただ生々しい話、私はコミックスを出していただいていたりするので少しは余裕があるものの、これがもしもっと若いときだったり、まさに金銭的に困っているような状況だったりしたら、「あと3ページだけ余分に描けたらもうちょっと稼げるのに」と悩むんじゃないかと思うんですよ。それこそ、主人公のさとこが「もう1日多く働けたらいまよりも稼げるのに」と思うように。私もときどき焦ることはありますけど、やっぱり物理的にいま以上に働くのは難しいですからね。

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

作中では、思うように働けないもどかしさや、金銭的な余裕が少なくなったさとこの様子も非常にリアルに描かれていますよね。フルタイムの正社員だったときには買えていたデパートのコスメがいまは買えない、というような……。

水凪 実際に、デパートで買っていた基礎化粧品が気づけばドラッグストアのコスメになっている、というのは経験していて。私はある程度歳をとってから病気になったこともあってか「別にいいか」とも思えたんですが、これがもっと若いときだったらいま以上に悩んだろうなと思います。

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

作中では、病気をきっかけに休職・転職したさとこが、同僚や医師、親などから心ない言葉をぶつけられ、落ち込んだり肩身の狭い思いをしてしまう様子も描かれています。こういったエピソードにも、水凪さんご自身の経験が反映されていたりする部分はありますか?

水凪 体調のせいで毎日バイトに行けなくて困っている、というさとこの言葉に医師が「まあ婚活でもして……」と返すシーンがあるんですが、あれに近いことは私も実際に言われたんです、「まあボーイフレンドでも作って……」と。こんなに具合が悪いのにどうやって作るんですか、とそのときは笑ってしまったんだけど、あとからすごくモヤモヤしましたね。

『しあわせは食べて寝て待て』コマより『しあわせは食べて寝て待て』コマより

作中では、単身者であることによる心ない言葉をかけられることも
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

いや、それはモヤモヤして当然だと思います!

水凪 あと、病名が判明したときにはまだ他の雑誌でも漫画を描いていたんですが、はじめは担当編集さんに病気のことを言っていなかったんです。でも、作業量の多さが徐々に厳しくなってきたので「実はこういう病気で……」と軽く伝えたら、「では、これからは締切までに描いてもらうのではなく、漫画を仕上げていただいてから掲載する日程を決めますね」と言われて。

心配してくれているからこその対応とも捉えられるのですが、漫画家の場合、新人以外はあまりそういう仕事の進め方をしないんです。病気になっていちばんショックだったのはそのときかもしれないですね。サラリーマンが早期退職を促されるときってきっとこういう気分なんだろうな、と思いました。

「働けていたとき」のことを思い返すさとこ。
大変ではあったものの、やりがいを感じていたことが伺える
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

なるほど……。病気のことを職場の人に伝えるかどうか、伝えるとしたらどの人にまで言うかというのは悩みどころですよね。さとこも最初、上司の唐以外にはオープンにしていなかったですもんね。

水凪 そうなんですよ。特に会社勤めの方だとチームで動く仕事も多いでしょうし、いつ言おうかとか誰に言おうかですごく悩んでしまうんだろうな、と思います。

水凪さんの場合、いまは編集部の方に対してもご病気のことをある程度オープンにされていますよね。これまでと比べて、働きやすさはいかがですか?

水凪 いまはありがたいことに、なんの不自由もなく描かせていただいています。打ち合わせでも少し先の展開まで相談させてもらえているので、ネームが最小限で済んで、手にあまり負担がかからないのがありがたいですね。おかげさまで体調も落ち着いているので、いまは日々の生活に気をつけるという基本的なことを大切にしています。

悩みや不安の「波」を受け入れ、できるだけ気を紛らせる

作中で登場するお粥
(C)水凪トリ(秋田書店)2021

いま「生活に気をつける」というお話がありましたが、具体的にはどんなことを意識されているんでしょうか?

水凪 まずは体の循環をよくすることかなと思っているので、ごはんのあとはなるべく少し動いたり、体がだるいときはいつもより多めにウォーキングをするといったことを意識しています。精神的な不調も体の循環をよくすると上向くことが少なくないので、作中でも、さとこが落ち込んだときはよくストレッチさせたりしてますね。

作品にたびたび登場する薬膳も、日常的に取り入れられていますか?

水凪 最近は朝ごはんにお粥を食べるのを習慣にしています。舞茸とかれんこん、きくらげといった自分に合う食材をばんばん入れるだけの簡単な料理なのですが、鼻に蒸気が入ってすっきりするんですよ。朝あたたかいものを食べるのは、喉の悪い人にはいいんじゃないかな。朝は体を冷やしたくないので、私の場合はヨーグルトなども朝には食べないようにしています。とはいえ季節が変わるごとに手に入りやすい食材も気分も変わるので、わりといい加減な感じではあるんですが……。

水凪さんのInstagramより。お粥には、体調にあった食材を一つ入れるようにしているとのこと。

あまり厳密なルーティーンにすると、忙しいときや飽きてしまったときにつらくなりそうですもんね。

水凪 そうなんですよ。忙しいときほど体をいたわったほうがいいとわかっていても、作中で出てくるような大根をかじって頭痛を和らげる、みたいな余裕はどうしてもなくなってしまうんですよね。

実はこんな漫画を描いている身で恥ずかしいんですが、少し前まで頭痛薬を飲みすぎてしまっていて、医師に「このままだと薬の飲みすぎで頭痛がひどくなるよ」と注意されまして……。それ以来、目の前の症状に闇雲に対処しようとするんじゃなく、できるだけ根本的な原因がどこにあるのかを考えるようにしています。私の場合は鼻の奥が腫れることが頭痛につながっていたようだったので、アレルギー薬をときどき飲むという対処法に変えたらだいぶよくなりました。

なるほど。あくまで自分にとって続けやすい習慣や対処法を見つける、ということが大切ですよね。

水凪 やっぱり簡単じゃないと、なかなか続けられないと思うので。先日美容室に行ったら、美容師さんが「朝は忙しいから肉まんを食べてます」っておっしゃってたんですが、それはたしかにすぐに食べられるし体もあたたまるし、いいアイデアだなあと思いましたね。

病気を経て生活や働き方を変えざるを得なかったことや、同年代の知り合いと比較し「気が重い」と吐露するさとこに、大家の鈴が「新しい自分になったのだって考えてみる」と伝えるシーンがありました。水凪さんご自身はいま、病気を経て生活が大きく変わったことをどのように捉えられていますか?

(C)水凪トリ(秋田書店)2021

水凪 病気は嫌だし、できたらなりたくなかったというのが本音です。ただ、病気に関する悩みや不安が襲ってくるときには波がある気もしていて。「どうして自分は思うように働けないんだろう」とか「自分以外の人たちは楽しそうにしているのに」みたいな気持ちしか沸き上がってこないタイミングというのは、どうしてもあるんですよ。

……でも、ちょっと話がそれるかもしれないんですが、この前テレビのドキュメンタリー番組で、フルーツ農園を経営しているご家族が紹介されていたんです。そのご家族のひとりが果物を箱に詰めているときに、おそらくリウマチかなにかで手が変形しているのが映ったんですが、そんなにつらそうに作業されているようには私には見えなくて。その方の様子を見たときに、「あ、病気でも働けるんだ」とふと思えたんです。

自然な様子を見て、励まされるような感覚だったのでしょうか。

水凪 そうかもしれません。だから、そういう小さなことの積み重ねで「少しだけ頑張ってみよう」と感じることもあるんじゃないかと思うんです。悪い波がくることもあるけれど、そうやって前向きになれるちょっとしたヒントに出会うこともあるので、あんまり絶望的にならずにいたいですね。

病気だけでなく、さまざまな事情で「がんばりたくてもがんばれない」状態になる可能性は誰もがあると思います。そうした場合でも、必要な考え方かもしれないですね。

水凪 そうですね。どうしてもネガティブな気持ちになってしまうときはあるけれど、そういう気持ちになること自体は仕方がない。その上で、できるだけ気を紛らわせるように工夫することが大事なのかなと思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:水凪トリさん

水凪トリ

2019年、思い立って持ち込みした原稿が即連載決定し、現在、月刊フォアミセスで『しあわせは食べて寝て待て』を、ウェブコミックサイトsouffleで番外編「休日はおウチぐらし」を連載中。
Instagram:@mizunabe46 Twitter:@mizunagitori

“休み方迷子”を抜け出すためには日常の「深呼吸」が必要だった――HAA代表・池田佳乃子

池田さん

日々の忙しさに追われていると「休む」のが難しいと感じることはありませんか? 「職場から帰宅してもつい仕事のことばかり考えてしまう」「テレワークしていると休むタイミングがつかめない」など、オンオフの切り替えができず、休息をとれないままでいる……なんて人も少なくなさそうです。

休む必要性は感じつつも「何をすればいいのか分からない」「寝るだけで休日が終わってしまう」という人は、まずは自分にとって「一息つける方法」を知ることが大事なのかもしれません。

生まれ育った大分県別府市で、日本古来の湯治文化を取り入れた商品やサービスを開発するブランド「HAA」を立ち上げた池田佳乃子さんも、かつては「休み方が分からない」一人でした。現在は「日常に、深呼吸を届ける」をミッションに活動する池田さんですが、以前は広告代理店で毎日夜中まで働く多忙な生活を送っていたといいます。

深呼吸とはほど遠い毎日の中で、「休む」ことの大切さにどう気付いたのでしょうか。ご自身の経験とともに、忙しい日常で一息つくための方法を語っていただきました。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

「休みが必要だ」という実感すらなかった代理店時代

「HAA」を立ち上げる前は東京の広告代理店で働かれていたと伺いました。一般的にはいわゆる“激務”なイメージがありますが、当時の働き方はどんな感じだったのでしょうか。

池田佳乃子さん(以下、池田) 連日深夜まで働いてタクシーで帰るような生活でした。振り返ると明らかに働き過ぎでしたが、当時はまったく自覚がなくて……。先のことを考える暇もなく、ただ目の前のことに一生懸命取り組もうとがむしゃらに突き進んでいた感じでしたね。

毎日夜中まで……。それは心身共にかなりキツそうです。

池田 今思うと「体にキてたな」と感じることはいろいろあります。よく覚えているのは、常に携帯が鳴っている気がしていたこと。「あ、電話だ」と焦って携帯の画面を見ても、実際には着信がない……鳴っていないのに鳴っているように聞こえていたんですよね。ずっと交感神経がオンで、仕事への意識を張り詰めた状態だったんだと思います。

ただ、もともと広告の仕事に憧れがあったので、当時はいわば「理想が叶った」状態。「今私は広告業界で働けてるぞ」という気持ちが原動力になっていた部分はありました。夢を持って地方から東京に出ていたので、そういう気持ちは強いほうだったと思います。

池田さん

そのような環境でもやってこられたのは、当時から休むことが得意だったからなのでしょうか?

池田 いえ、自分に休みが必要だという実感すらなかったですし、そもそも休み方もまったく分かっていなかったです。いつ身体を壊してもおかしくなかったと思います。「休む」といえば、どうしていたっけな……。せいぜいコタツでみかんを食べるとか、あとは美術館に行くくらいでしたね。

確かに、忙しくもなんとかやれてしまっていると、なかなか「休む」ことの必要性には気づきにくいのかなと思います。

池田 当時はまったく気付けなかったですね。夫と結婚する前の話ですが、あまりにも忙し過ぎて、「もう無理!」と彼の前でパニック状態になってしまったことがあったんです。彼はそんな私をなんとかなだめようと「分かった! もう分かったから、結婚しよう!」って突然プロポーズしてくれて(笑)。そこで「あ、はい」と冷静になれたんですが……。そういう予想外の球が飛んでこないと落ち着けないほど、当時は仕事一辺倒になっていました。

自然に深呼吸ができたとき「休む」大事さを知った

多忙な生活から「休み方」を意識し始めたのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

池田 「休み方」を考えるようになった大きな転機は、2018年に東京と別府の二拠点生活を始めたときだと思います。

別府と東京との二拠点生活は、どのような成り行きでスタートしたんですか?

池田 当時結婚したばかりの夫は建築家で、周りにもクリエイティブな仕事に就いている人が多くて。彼らが自分の名前で仕事をする一方、会社員の私には、自分で成し遂げたことを聞かれても答えられるものがない。それがずっとコンプレックスでした。そんな私を見た夫が「(故郷の)別府に行って自分で仕事を作ってみたら?」と。

元々代理店時代に地域創生の仕事をしていたこともありましたし、ちょうど30歳になる年だったので「新しいことをやるぞ!」と前向きな気持ちで挑戦を決意しました。そこから別府と東京を行き来する生活がスタートして、もう4年目になります。

この4年の間に、別府の湯治文化を盛り上げるための場づくりや発信を続け、2021年には湯治を軸にしたライフスタイルブランド「HAA」を立ち上げました。

別府で過ごす時間を持ったことで、少しゆったりと毎日を送れるようになったのでしょうか。

池田 それが、実は別府1年目は人生で一番メンタルをやられた時期でもあったんです。相変わらず忙しくしていたし、環境にも慣れず、仕事をご一緒する方から厳しいお言葉をいただくことも多くて。当時は「東京に帰りたい」とばかり思っていました。

ただ、そうして悩んでいたあるとき、外を歩いていてぱっと顔を上げたら、目の前に海が見えたんですよね。その景色を見たとたんに自然に深呼吸ができて、いっぱいいっぱいの頭が解放された感じがして。自分に必要なのはこの時間だったんだ、と気付けた瞬間でした。

力の抜き方が分かった、ということでしょうか。

池田 そうですね……。思い返すと、東京にいたときは、気持ちを切り替えられるような「休む」時間をあまりとれていなかったんだなと。「池田さんって呼吸浅いよね」と言われたこともありました。ただ、別府にいると自然に深呼吸ができて。私の場合は東京と別府を行き来することで、自分のリズムを調節できるようになったというか。身体を調整する、いわゆる「休む」ためのバランス感覚がだんだん分かってきましたし、深呼吸する時間が大切だと思うようになりました。

大切なのは「いかに楽に休むか」

ゆったりと過ごせる場所でほっと一息つくのは理想的である一方、仕事や家庭の事情で環境を変えることが難しい人も多いと思います。そういった方が、今の生活の中で少しでもうまく「休む」ためにはどうしたらいいのでしょうか。

池田 過去の自分に置き換えて考えると、仕事に追われているときに「休みなよ」なんて言われても、たぶん「無理だよ」としか思えないですよね。「定時に仕事を終えて寝る」ができればもちろんそれがいいですが、現実的ではない人も多いと思います。

なので私の場合は、日常の動作の中にちょっとした「休む」を組み込んでいく方法をとっています。日常に、五感を少し鋭くさせる時間を作るといいのかなと思っていて。

「日常の動作に『休む』を組み込む」「五感を少し鋭くさせる」とは、具体的にどういうことですか?

池田 例えば、ランチの時間だけはスマホの通知をオフにして、よく噛んでじっくり味わって食べるとか。外にいるとき目をつぶってみて、どこからどんな音がするかをじっと聞いてみるとか。打ち合わせが続いて忙しい日は、移動中に信号待ちのちょっとした時間で深呼吸をするとか。私は今朝ハーブティーを入れるとき、お湯に色がついていく様子をぼーっと眺めてみました。

なるほど。日常の「休む」と聞くと「ひたすら寝る」「ストレッチをする」などを連想しますが、本当にちょっとしたことなんですね。

池田 大事なのは「いかに楽に休むか」。ちょっと変な言い方ですが、「休む」を無理しても続かないですよね。例えば私は、「早起きして散歩する」や「朝にゆっくりコーヒーを豆から淹れる」は絶対無理なんです。そもそも朝早く起きられないし、「洗い物が増える!」って思っちゃう(笑)。

なので、自分に無理のない方法で、食事、お風呂、睡眠など毎日必ずすることに、ひと息つける時間を組み込むのが現実的かなと思います。

「HAA」のプロダクトも、まさにお風呂の時間に深呼吸をするためのものですよね。

HAA

「HAA」の第一弾プロダクト、限りなく天然温泉に近い入浴剤「HAA for bath」。別府温泉で350年ほど前から作られている「湯の花」を原料とし、約3カ月かけて製造される

池田 そうですね。そして、細切れにでも力を抜く時間を作ると、自分を客観視しやすくなるんじゃないかと考えています。

それはどういうことですか?

池田 ブランドを立ち上げるとき、過去の自分のように心身ともに疲れている女性たちにヒアリングをしたのですが、一人の方が「いつも未来や過去のことばかり考えていて、『今の自分が何を感じているか』を考える時間を作ってこなかった」とおっしゃっていて。忙しいときって、まさにそうですよね。だから、今の自分の状態に気付くきっかけというか、「今私はこうなんだな」と、“今”にフォーカスする時間を作るのが必要なんだろうなって思います。

いかに自分の状態に気付いて、一歩引く瞬間を作れるか。「休む」にあたって、まずはそれが大切なのかなと思います。

瞑想にも近い気がしますね。ごはんを味わって食べる、目を閉じて周りの音を聞いてみるなど、意識的に深呼吸の時間をとることで「一歩引く瞬間」を作れる。

池田 それは仕事においても大切なことだと思っていて。目の前の仕事に対して「こうやらなきゃ」としか思えないとき、一歩引いて自分を客観的に見ることで「他のやり方があるかも」と視点が切り替わる瞬間がこれまでに何度もありました。

でも、休むことの必要性は頭では分かっている一方で、スケジュールがパツパツだと「休むのが怖い」「ここまではやりきりたい」と感じてしまうことがあります。

池田 「怖い」と感じる気持ちも本当によく分かります……。ですが、少しでも深呼吸の時間をとり、一度気持ちを切り替えたほうが意外に仕事もうまくいくというのは、自分の経験からも伝えていきたいなとは思うんですよね。

ただ、過去の私を振り返っても、忙しさの渦中にいる人にうまくそれを伝えるのは本当に難しいことも理解しているんです。だからせめて忙しい人には、「休みなよ」と伝えるより「スマホの通知を30分だけオフにして温かいお茶を飲んだら?」って伝えてみるとか……。

ギフト向けの「HAA for bath 日々」を作ったのも、そういった理由からです。パツパツになっている本人は自分の状態に気付けないので、周りの人が「これでゆっくりお風呂に入りなよ」と渡せるものがあったらいいなと。

HAA for bath 日々

大切な人へのギフトに最適な「HAA for bath 日々」。入浴剤の包み紙の裏に、さまざまな人の“日々”が日記のような短い文章で書かれている

心に余白を設けるためにも「深呼吸の時間」を大切に

ちなみに、ここまで忙しい毎日の中でもできる「休む」を教えていただきましたが、池田さんはがっつり休みたいときはどうしていますか?

池田 頭をすっきり切り替えたいときは湯治宿(とうじやど)に行きますね。やることが多くて頭が働かないとき、気持ちをうまく切り替えられないときは、数日間使って徹底的に休みます。

この前行ったのは、新潟県栃尾又温泉の「自在館」という湯治宿。まさに「休むための宿」で、36度くらいのぬるい温泉に一日4時間くらい浸かり、体にやさしい食事をとって、ひたすらごろごろして過ごすんです。

わあ、それは……理想的な休み方です。

池田 日常で細切れに休むのももちろん大切ですが、ときにはとことん休めたらいいですよね。私はお気に入りの湯治宿がいくつかあって、自然を感じたいときはここ、気軽に行きたいときはあそこ、と使い分けています。

ブランドを立ち上げたばかりでまだ忙しい日々が続くと思いますが、今後「日常に、深呼吸を」というコンセプトをどのように体現していきたいですか?

池田 私は“深呼吸マスター”と呼んでいるんですが(笑)、自分の整え方を知っている人って、実はすごくたくさんいるんです。私はまだ完全な“深呼吸マスター”ではなく、ちょっと分かってきた初心者レベル。マスターがいて、私がいて、深呼吸を日常に取り入れたい人がいて。HAAを通してみんなで一緒に、どうしたら日常に「休む」時間ができるのかを考えていきたいですね。

一人暮らしの方は、自分の状態を客観視しづらい分、「休む」ために仲間がいると良さそうだなと思いました。

池田 そうなんですよ。会社を立ち上げるときにブランドを紹介するブログを書いたら、同世代の方から「私にも深呼吸が必要だなって思いました」といったメッセージをたくさんいただいたんです。ひとりが声を上げたら同じ経験をした人たちが集まれるし、自分の状態を共有して、アドバイスしあったりできますよね。深呼吸マスターと一緒に「休む」を体感できるような「湯治リトリート」なんかもいいな、と妄想しています。

深呼吸ができると自分を客観視できて、心に少し余白ができる。そうすると人にやさしくなれる。だから、深呼吸を上手にできる人が増えたら、今よりやさしい世界になると思うんですよ。これから、そういう世界を実現できたらいいなと思います。


池田さん

取材・文:鼈宮谷千尋
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

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「みんな頑張っているから休めない」と無理を重ねた私が、自分を大事にするようになるまで

お話を伺った方:池田佳乃子さん

池田さん

株式会社HAA代表。生まれ育った大分県別府市で、日本古来の湯治文化を取り入れた商品やサービスを開発するブランド「HAA」を立ち上げる。2021年秋、同ブランド初のプロダクトとなる入浴剤「HAA for bath」をクラウドファンディングで先行発売。2022年1月より自社ECサイトにて正式発売をはじめる。
TwitterHAA公式サイト

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凝り固まったチームの関係性を良くするには? チームワーク研究者に聞く、「心理的安全性」のつくり方

村瀬俊朗さんトップ写真

働く中で、徐々に部下や後輩、外部パートナーを含む「チーム」をまとめるポジションに変化していく人も少なくありません。ただ、「はじめて部下ができたけど、接し方が分からない」「良い雰囲気をつくりたいけど、どうすれば……?」と迷うことはありませんか。コミュニケーションを円滑にしたいと思っても、どこかぎくしゃくしていたり、メンバーが意見を出してくれない状況が続いたりして、悩む人も多いのではないでしょうか。

そんなとき一つの鍵となるのが、近年耳にする機会が増えた「心理的安全性」です。エイミー・C・エドモンドソン教授によれば、心理的安全性とは「みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられる文化」のことで、成長をもたらす組織にとって重要な要素であると注目を集めています。

では「心理的安全性」をつくっていく上で、リーダーやマネージャーポジションの人はどんなことを意識し、凝り固まってしまったチームの関係性や仕事のしかたを変えていくことができるのでしょうか。チームワークやリーダーシップについて詳しい早稲田大学商学部准教授の村瀬俊朗さんにお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「弱さ」を見せることが職場内の信頼醸成につながる

近年、「心理的安全性」という言葉をよく聞くようになりました。村瀬さんは、解説を務められた『恐れのない組織』のなかで、「『心理的安全性』とは集団の大多数が共有すると生まれる職場に対する態度」であり、「周りと違う意見を言っても嫌な顔をされない」ことが心理的安全性の存在する状態であると説明されていました。そもそも、なぜこのような概念が注目を集めているのでしょうか。

村瀬俊朗さん(以下、村瀬) 僕の解釈ですが、2つの理由があると思っています。まず、変化の激しい時代に組織やチームが成長していくためには、働き方も社会の変化に応じて柔軟に変えていく必要が出てきたということです。

例えば、以前まで「男性は残業もいとわずに夜遅くまで働く」というあり方が一般的だったとすれば、夜遅くに会議を入れるのも当たり前だったかもしれない。でも、今は共働き世帯が増えていたり、時短で働きたい人がいたり、多様なニーズが存在するので、それでは困る人もいますよね。

じゃあそこに合わせて、どのように働き方や価値観などのパターンを変えていけるかと考えると、「ここを変えたい」「ここが気になる」という意見を誰でも言いやすい雰囲気が必要なんだと思います。声があがらない限り組織は変わらないので、そういった気づきをシェアするために心理的安全性が必要になってくる、というのが1つ目の理由です。

変化の激しい時代には、組織もその変化に適応していくことが必要になると。

村瀬 それからもうひとつの理由として、いろんな人たちからいろんな意見が出てくることは、イノベーションを起こすためにも重要なんです。アイデアというのはさまざまな要素の組み合わせによって生まれるものですが、その組み合わせのパターンが見慣れないものであるときに私たちは「新しいアイデアだ」と感じるんですよね。

ただ、私たちの脳は似た情報をまとめて同じ引き出しにしまっているので、ひとりの人間から出てきやすい情報の組み合わせには限度がある。だから、ひとりでいたり、いつも同じような人たちとばかり一緒にいると、似たようなアイデアしか出てこないんです。まったく違う立場からの多様な意見を組み合わせた方が、創造性のあるアイデアが生まれる可能性が高いですよね。そのためにも心理的安全性は重要と言えます。

村瀬俊朗さんインタビュー写真

なるほど。チーム内に心理的安全性を醸成したいと思ったら、チームメンバーからの信頼を得ることが必要になりそうですよね。リーダーやマネージャーポジションの人は、どんなことを意識すればいいのでしょうか?

村瀬 信頼には「感情面の信頼」と「認知面の信頼」のふたつがある、と分類されています。「認知面の信頼」は「この人には仕事を遂行する能力がある」と信じてもらえることなのですが、これは業務を通じて得ることができますよね。一方で「感情面の信頼」は、「この人は自分のことを裏切らないから、安心して意見が言える」と思われることです。後者の信頼を獲得することが、心理的安全性には重要なんですが、そのためには「弱さ」を見せることがひとつのポイントになってきます。

「弱さ」を部下や後輩に見せることにはためらいがある、という人も多そうですが……。

村瀬 ここで言う弱さというのは、例えば親友にしか打ち明けないようなプライベートの話という意味ではなく、「東京出身です」というような表面的な話からすこしだけ踏み込んだ話と考えていただければいいと思います。例えば、僕には2歳の子どもがいて、毎朝早朝に起きて仕事をしてるんですが、6時くらいになったら朝ごはんをつくって子どもに食べさせるんですね。でも全然食べてくれないことも多いから、すごく大変で……といった話であったり。

確かにそれをお聞きすると、大学教授としての村瀬さんの少し違う一面を知れた感じがして親近感がわきます。

村瀬 もちろん、仕事に関する話でも大丈夫です。例えば、「今まで言ってなかったけど、実は将来的にこんな仕事がしてみたい」「こういうお客さんとなかなか意思疎通が図れなくて困っている」といった話をしていくことが、感情面の信頼を高める上では大切なのかなと思います。そのためには会議や朝礼といったオフィシャルな場ではなく、インフォーマルな雑談の時間があると効果的なので、例えば2~3人ぐらいでランチをする、といった機会がときどきあるといいですよね。

「出社だけ」「リモートだけ」にこだわらず交流の機会を持つ

いま、出社ではなくリモート勤務が中心になっている企業も少なくないと思います。リモートの環境だと、雑談の場や時間をつくるのが難しくなりそうですよね。

村瀬 そうですね……仮にコロナの流行が落ち着いても、フルリモートのケースもあると思うのですが、出社というオプションがあるのであれば、定期的に対面の時間を設けてるのはいいと思います。やっぱり、同じ空間を共有した上で、チーム全体やメンバー一人ひとりの動きが見えた方が、関係性を築きやすいという側面はあります。

先日、ある企業の1年分の勤怠表を比較する機会があったんです。その企業ではリモート勤務か出社かを選べるのですが、出社の重複時間率、つまり社員の誰と誰が同じ時間に出社しているかのデータを見てみたところ、出社時間の重複が多くなるにつれ、チームとしてのゴールをしっかり認識したり、他のチームの情報を入手したり、振り返りにきちんと時間をとったりできている、ということも分かったんです。

同じ時間に出社している人たちが多いと、チームの関係性も築きやすくなるというのは確かにありそうです。

村瀬 ここで重要なのは、みんな好きなときにバラバラに出社するのではなく、仕事の関わり合いが深いメンバー数名ずつで出社のタイミングを決める、ということです。例えば、個々の事情にも十分配慮し、コロナ禍においては感染リスクにも留意する必要はありますが、「週に1度、この時間からこの時間はチームで集まる」と決めるとか。「出社」にこだわる必要がないように、「リモート」にこだわる必要もないと思うので、柔軟性を持ってそれぞれのいいとこ取りができるといいですよね。

それでも、「フルリモートでそもそも対面で集まる場所がない」という企業の場合は、よりこまめにコミュニケーションの場を持つことが重要になってくると思います。その場合は、業務内容だけでなく「働き方」に関しても定期的に時間を取った上で、改善の余地のある部分をひとつひとつ直していく地道な作業が必要になってくるのではないでしょうか。

なるほど。お話をお聞きしていると、チームの関係をよくしていこうと思ったら、リーダーポジションの人はもちろん、チームメンバー一人ひとりもそれを意識する必要がありそうですね。

村瀬 組織ってやっぱり上司ひとりががんばって変わるものでもなければ、メンバーだけで変わるものでもないんですよね。両方が歩み寄らないと難しい。

ただ、集団で行動するとき、最初の数名が動けば、あとのメンバーもオセロのようにすこしずつ変わっていくことも考えられます。根回しというと言い方は悪いかもしれませんが、なにかのイニシアチブをとるときに、まずは影響力のある人やムードメーカー的な人など、数名のメンバーをターゲットにして意思疎通をはかったり、信頼づくりをしておくというのは大事かもしれません。

はじめからチーム全体の関係をよくしようと思うのではなく、まずは数名に絞って声をかけるのが有効なんですね。

村瀬 それが現実的でしょうね。個別に時間をとって感情面の信頼をひとりずつ得ていくことで、個々の点が線でつながっていき、完全な面にはならないにせよ、ある程度全体をカバーできるような信頼が醸成されていくのではないかと思います。

心理的安全性を支えるための「仕組みづくり」

ここまで心理的安全性をつくるための信頼の醸成方法について伺ってきました。ただ、部下の立場からすれば、いざ上司とコミュニケーションを取るときに、ついなにも言えなくなってしまう人は多そうです。例えば、「いまの説明で分かった?」と聞かれたときに、分かっていなくても「はい」とつい言ってしまう……とか。

村瀬 そうですよね。だから、ある種のコミュニケーションにおける技術をトレーニングすることも重要だと思います。例えば、「分かった?」と聞くと、分かるかどうかが聞かれている側の責任になってしまうけれど、「うまく説明できた?」と聞けば、聞いている側にも責任の一端が生まれるので、比較的答えやすくなると思うんですよね。

確かに、聞き方1つで印象に大きな変化が生まれますね。

村瀬 それと、チームから意見を活発に募ることのできる心理的安全性の土台をつくるためには、仕組みづくりも重要だと思います。例えば、「こういう提案をしたいけれど、誰にどう言っていいのか分からない」ことってあるじゃないですか。メールで言った方がいいのか、上司に直接伝えた方がいいのか、どのタイミングで言えばいいのか。そんなときに、意見を出したり声をあげる際のルールをあらかじめある程度つくっておいた方が、言う側にとっても言われる側にとってもスムーズだと思います。

『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』表紙写真
『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』(C)英治出版

事前に意見のあげ方が決まっていれば、意見を言う障壁も低くなりそうですね。逆に、チームのなかには、「チームの雰囲気がよくなくても、自分が設定したゴールを達成さえできればいい」という考え方の人もいると思います。そういったメンバーにチーム全体のことを考えてもらうには、上司からどう働きかけるといいんでしょうか?

村瀬 それこそ仕組みづくりが大切になる場面です。例えば、ボーナスが完全に個人のみの成績によって決まるのであれば、チームメンバーと連携する意志ってなかなか働かないと思うんです。だから、チームメンバー同士に本当に協力してほしいのであれば、チーム全体の成績が賞与に関係するインセンティブ設計をきちんとしていくなど、根本的な部分での改革も必要になってくると思います。

なるほど、大元の制度的な部分で規定される部分も大きそうです。ただ、あくまで一人のリーダー・マネージャーポジションの人がそれを変えていくのは難しい……。それでも、直属の部下に対して「チームメンバーと協力し合えているかどうかも業務評価の際のひとつのポイントにします」と伝えることならできそうです。

村瀬 そうですね。そのことをメッセージとして明確に伝えた上で、それに対するフィードバックもきちんとおこなうという一連の流れをつくれると、次第にチーム間の意見交換が活発になっていくように思います。

新しいアイデアを拒否しないチームになるためには

冒頭のお話にもありましたが、チームが創造性を発揮するためには、新しいアイデアや意見をどんどん取り入れていくことが大切です。けれど、チームや個人が徐々に新しいことを受け入れられなくなり、自分たちの考えだけで凝り固まってしまうケースはとても多いように思います。村瀬さんは、そういった状態をNIH症候群という概念で説明されています。

村瀬 外部から持ち込まれる情報、外部で生まれたサービスや製品に対する反射的な拒絶反応のことですね。私たちって基本的に、新しいことやなじみのないことが好きじゃないんですよ。例えば、スーパーでなにかの商品を買うときに、「知っているブランドだから買う」という要素がいちばん大きくて、その商品に本当に買うべき価値があるかというのはそこまで重要ではなかったりします。これは商品に限った話ではなく、例えば僕はいま専門家っぽく偉そうにいろいろ喋ってますが、みなさんは「早稲田の教員の人が言ってるってことは、たぶん正しい可能性が高いな」と思ってるわけです(笑)。

そんな(笑)。

村瀬 でも実際に、価値判断ってそれくらい難しいことなんですよ。全てのものの価値判断を瞬時にすることができないからこそ、「なんとなく知っている」とか「見ていて心地いい」ということが判断に影響してくる。組織の偉い人たちもこの呪縛からは基本的に逃れられないので、社内においても、真新しくてよく分からない、創造性が高いアイデアになればなるほど拒否反応を示されてしまう傾向は強いです。

では、創造性の高いアイデアが受け入れられやすくなるためには、どうしたらいいんでしょうか?

村瀬 新しいものを新しいままで見せる、というのがいちばんよくないので、その逆のことをすればいいんです。例えば、社内で重視されている文化やみんなが知っていることに紐づけてアイデアを説明するというのもひとつの方法ですし、価値そのものに正当性を与えること……率直に言えば、「影響力や妥当性のある人の口からアイデアを伝えてもらう」というのも手ですね。そういうふうに、新しいこととなじみのあることをうまく重ね合わせて伝えていくことが大切です。

なるほど……。自分自身で新しいアイデアや意見に対して拒否感を覚えることに問題意識を持っているリーダー層も多いと思います。そうした傾向から脱するために、意識できることはありますか。

村瀬 日常から情報収集の幅を広げていくことが重要でしょうね。物事を理解するのって、いろいろなところに打った点同士を線でつなげていき、それを最終的に面にする作業だと思うんです。いろいろな領域に点が打てるようになると、より広い範囲で線がつながるようになり、物事の深いつながりがだんだん見えやすくなっていく。だから、さまざまな場所に点を打っていき、その点同士に関連性を見出していくという地道な作業が必要なのかなと思います。

カバーできている領域が広ければ広いほど、新しいアイデアや意見も違和感なく取り入れられるということですね。

村瀬 そうですね。だからリーダーポジションの人の場合は特に、チームの内部だけでなく、他のチームや他の業界の人たちとも広く関係を結んでおくことが大切になってきます。そうすればリーダーのもとに多様な情報が入ってきて、発想の幅も広がっていくので。

ただ一方で、リーダーはそもそも忙しいから外部との交流にまで手が回らない、というジレンマもあると思います。だから業務に優先順位をつけて、チームに必要のないことは勇気を持ってリーダー自身がどんどんカットしていく、ということも同時にできると、その負担がすこし減るのではないかと思います。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:村瀬俊朗さん

村瀬俊朗さんのプロフィール写真

早稲田大学商学部准教授。1997年の高校卒業後、渡米。2011年にUniversity of Central Floridaから産業組織心理学の博士号を取得。Northwestern UniversityおよびGeorgia Institute of Technologyで博士研究員(ポスドク)として就労後、シカゴにあるRoosevelt Universityで教鞭を執る。2017年9月から現職。専門はリーダーシップとチームワーク研究。2019年から英治出版オンラインで「チームで新しい発想は生まれるか」を連載中。『恐れのない組織』(エイミー・C・エドモンドソン著、野津智子訳、2021年、英治出版)の解説者。

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クローン病だけど「人生終わった」なんてことはなかった。「治療と仕事の両立」のために必要なこと

クローン病と診断されたカメダさんと仕事と治療の向き合い方

歳を重ねていくと、健康への不安も徐々に積み重なってくるもの。持病でいままさに通院をしながら仕事をしている方はもちろん、現在は基礎疾患がなくても、いつか何かの病気になっていままで通り働くのが困難になるかもしれない……と考えたことのある方は多いと思います。

映像制作会社で働くカメダさんは、2017年に難病の「クローン病」に罹患していることが判明し、現在も治療を続けながら会社勤務をしています。病気の判明後にエッセイ漫画の投稿を始め、現在は8万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーでもありますが、病気にかかる前とあとでは生活や働き方が大きく変わったと言います。そんなカメダさんに、「仕事と治療」を両立させるために大切にしていることについてお聞きしました。

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病気が判明して、ようやく「自分のせい」じゃないと思えた

カメダさんは現在、クローン病(小腸や大腸などの消化管に炎症または潰瘍を引き起こす難病)と付き合いながら、会社員として働かれているんですよね。病気のことが分かったのはいつ頃だったんでしょうか?

カメダさん(以下、カメダ) もともとお腹が弱くて、高校生ぐらいからすごく頻繁にトイレに行っていたんです。大学のときには痔も発症していて、常にお腹が痛いし自転車も腰を浮かして乗る……という状態だったんですけど、痛みのレベルがほんとにすこしずつ上がっていくものだから(笑)、これが私の普通なんだと思い込んでしまっていて。

その後社会人になって働いていたある日、お尻が強烈に痛くて丸1日眠れなかったことがあったんです。そのときようやく、さすがに眠れないのはダメだ、病院に行こうと思って。単なる痔だと思っていたので肛門科に行ったら、「カメダさん、これたぶん痔じゃないよ」と医師に言われて。

それまでは、痔以外の疾患かも……という可能性は考えたことがなかったんですか。

カメダ そうなんですよ、不思議ですよね……。自覚症状で検索してみると「癌の可能性あり」みたいなページが出てきてしまうので、いやさすがに癌はないっしょ、と思ってしまって。結局病院に行けなかったんです。いま振り返ると、現実逃避もあったんだと思います。結局、詳しい検査を経て2017年の夏にクローン病だと判明しました。

当時すでに社会人だったということですが、意を決して病院に行かれるまでの間は、特に問題なくお仕事を続けられていたんでしょうか?

カメダ そうですね。勤め先では家でも会社でも好きな場所で作業をしていい環境だったこともあって、トイレも好きなときに行けていたので、働く上でそこまで苦痛は感じてなかったですね。むしろ、当時は社会人2年目で、ようやく自分の裁量で仕事ができるようになってきたタイミングだったんです。なので、がんばらなきゃと思って土日も稼働する前提で仕事を詰めちゃってたんですよ。

では、病名が分かったときは、お仕事のことも頭によぎりましたか?

カメダ それでいうと、大きい感情がふたつあったんですよね。ひとつは「わ~、なんかやばい病気そ~、終わった……」というショックで、もうひとつはホッとするような気持ちでした。

ホッとした、ですか?

カメダ そうです。それまでは「何者かになりたい」みたいな謎の突き動かしによって、ほんとにずっとがむしゃらに働いてたんですよ。だから病名を聞いたとき、こう言うと変ですけど、ちょっと解放感もあって。

学生時代に部活の先輩から言われ続けてきた「なんでそんなにトイレばっかり行くの? サボってんの?」という言葉をいままでずっと自分のせいにしてきたので、それを克服するためにも必死だったといいますか。でも、「な~んだ、私の体調が他の人と違うのは病気のせいじゃん」ってようやく他責にできたというのはありましたね。

仕事を両立させるためにも、自分の体質は周囲に伝える

その後、手術をして大腸を切り取られたそうですね。クローン病は、食生活に気を配らないといけない病気ということですが……。

カメダ そうなんです。病気が分かってから入院・手術までのあいだ、通院しながら仕事を続けていた時期が数カ月あるんですが、そのときに食事制限のことを医師から聞いて。症状を安定させるためには、動物性脂肪を避け、脂質は1日30g以内に抑えるという食生活が推奨されているとのことでした。

でも当時はまだ自分のことを健康な人間だと思い込んでいたので、ガンガン好きなもの食べてて……。一度、たこ焼きを食べて腸閉塞を起こして、医師に怒られたりもしましたね。

それまで食べられていたものが急に食べられなくなるのは、本当につらいですよね……。

カメダ 串カツとかチーズたっぷりのピザとかも食べられないし、マクドナルドの看板見て泣くこともありましたね。もう食べられないんだ……って。入院中も長い絶食期間があったので毎日お腹が空いていて、ナースステーションの前に貼ってある入院患者向けの献立表をずっと見てました。「あ、きょう南蛮漬けなんだ……」とか思いながら。

以前は気にせず食べていたピザや揚げ物、ファストフードが思い切り食べられなくなったときの心境

手術後、ようやく食事を出してもらえると聞いたときは本当にうれしくて、すぐに献立表を見に行きました。でも当日、出していただいた食事の蓋を開けたらぜんぶミキサーにかかってたんです。えっ!? って思ったけど、ひと口食べてみたらめちゃくちゃおいしくて……。形って味に関係ないんだって思いましたし、強烈な記憶として残ってますね……(笑)。

入院の際、お仕事に穴を空けることへの不安や、金銭面での不安を感じたりってしましたか?

カメダ 仕事はたまたまひとつの案件が終わる区切りのいいタイミングだったので、わりと安心して休めていた記憶があります。金銭面に関しても、入院・手術自体はそこまでの大きな負担はなかったですね。20代で体力があったことも影響したのか回復がとても早かったので、入院期間自体は2週間くらいでした。

そのあとは、しばらく自宅療養をされていたんでしょうか。

カメダ はい、自宅療養で栄養剤を飲んだり食事制限の練習をする期間があって、退院後1~2週間はプラスで休みました。私の場合は注射での投薬でかなり調子がよくなったので、その期間にいろんな食事を試してみようと思って、どんな食材ならどのくらい食べられるのかというのを実験してみていました。

そのあとは、また仕事に復帰して。3カ月に1度通院しつつ、日常生活では食事制限を続けるという形でいまも会社員をしています。

復職の際、会社の人とはどんなコミュニケーションをとっていたのでしょうか?

カメダ 退院後、「こんな体調なんですが大丈夫ですかね?」って会社の人に聞いたら、「もちろん」とみなさんすごくあたたかく迎え入れてくれて。復帰直後に撮影で現場に行く日が続いたんですが、食事の際も、同僚みんながファストフードのなかでも脂質が低いものを調べて注文してくれたりして。

協力的ですね……! 会社の同僚にはカメダさんの体調や症状のことについて、どの程度まで説明されているんですか。

カメダ 案件によってチームメンバーがガラッと変わるタイプの仕事なので、基本的には毎回、自分の体質と食べられないものについては周りに伝えるようにしています。ロケハンがある仕事なので、遠方までの移動の際にお腹の調子が悪くなってしまうことがあるというのはきちんと伝えておかないと、と思って。

あと、食べられないもののことを伝えておくことによって、現場で「バターどらやき食べたい人~?」とか聞かれたときに「はい!!」って手を上げると「カメダさんはだめだよね」って言ってもらえるんですよ(笑)。

我慢して言わないでいるとのちのちしんどくなっちゃうんじゃないかと思うので、そういうことは抱え込まずに同僚にも伝えるようにしています。周りが知ってくれた上で、体調のことを考えてくれるのはやっぱりうれしいなと思いますね。

病気と付き合いながらお仕事をされているなかで、例えば現場で突然体調が悪くなってしまうこともあると思うのですが、そういったときはどうされていますか?

カメダ 個人的な心構えとしては、「やれることはやって、万全の状態で仕事に臨む」というのは意識しています。現場を離れられない撮影の前日は、食事にすごく気を使って、薬も用意した上でたっぷり寝るようにしてますね。

例えば前日に暴飲暴食した、だと「体調が悪い」と少し言いにくい。でも、やれることはやった、という自信があると、「がんばって調節したんだけど調子悪いかも……」って自分の気持ち的にも言いやすいと思うんです。そうした「言える状態」にしておくのは大事かなと。そして、ちゃんと伝えると、ありがたいことに会社の人たちはみなさん「じゃあこうしていきましょう」と代替案を考え、フォローしてくださいます。

自分の気持ちを整理できるような「場所」を持っておく

病気が発覚する前は働き詰めだったというお話が先程ありましたが、退院してお仕事に復帰されてからは、業務量や時間に変化はありましたか?

カメダ 病気が分かってから、あんまりめちゃくちゃに仕事は入れなくなりました。いま、業務量は入院前の8割くらいだと思います。睡眠時間も確保するし、食事制限があるので基本的に毎日自炊しているし……正直、生活自体はいままでよりも豊かになったなと感じています。もちろん仕事をたくさんするのが豊かっていう人もいると思うんですけど、私は症状をできるだけ抑える生活をした上で、残った時間で仕事をするというスタンスが合っていたんだなと思って。

稼働時間が減るとなると、収入面にも影響が出てくるのかな……と思うのですが。

カメダ やっぱり激務だったときと比べると収入は下がりましたね。ただ、私の場合はそこから徐々に副業の漫画の収入が入り出したのでありがたかったです。

カメダさんは現在、コスメ紹介の漫画連載もされていますもんね。漫画を描くようになったのはどうしてだったんでしょう?

カメダ 美大出身で絵を描くのは大好きだったし、昔は漫画家になりたいとも思っていたのですが、仕事が忙しいときはやっぱりなかなか描けなくて。でも入院中、時間だけはあったので時間があるいまのうちに漫画を描いてみよう……と。コスメが好きだったので、コスメに関する漫画を備忘録的にインスタにアップするようになったら、たくさんリアクションをいただけて。当時は、まさかそこから連載などでお金をもらえるようになるとは思っていませんでした。

最近では、クローン病関連のことを漫画で発信されたりもしていますよね。

カメダ 難病になるってなかなかないことなので、ひとつの珍しい体験談として書き記しておこうと思って描いてみたら、クローン病の方やそのご家族の方、クローン病の方を担当されてる看護師さんなどからすごくたくさんDMが来るようになって驚きました。

「クローン病の家族にどんなご飯をつくればいいか分からなかったけど、絵で説明してくれて参考になりました」みたいなメッセージもいただいたりするので、発信してみてよかったなって思いましたね。病気になったときに、自分の経験をまとめてエッセイや日記という形で公開するのは価値のあることだと感じました。

それと、病気になるとどうしても落ち込んでしまうと思うんですが、そのつらさの原因がどこにあるのか……例えば食事ができないことなのか、仕事ができないことなのかっていうのを一つひとつ紐解いて整理してあげないと、もっとつらくなっちゃうと思うんですよ。だから、自分の気持ちを整理するのに、文章や絵にしてみるというのはひとつのいい方法だと思います。

自分の気持ちを整理できるような場所を持っておく、ということですよね。

カメダ そうですね。私自身、自分の体調のせいで仕事や生活が思うようにいかないときも、漫画があるから! と思うことでメンタルのバランスを保てているような気がします。

仕事と生活のバランスがまわっている様子

病気ありきの生活となると思い通りにいかないこともあるように思います。今年の10月には、しばらく寛解状態にあった病気が再燃*1されたそうですね。

カメダ クローン病って寛解と再燃を繰り返す病気なんですが、私の場合はしばらく体調が維持できていたので、再燃が発覚したときは急に成績が落ちたみたいな気持ちになって、めちゃくちゃ落ち込みました。それに、また投薬が始まってしまって。投薬って続けると免疫力が落ちるので、そのケアが大変なんです……。

でも、3カ月に1回きちんとさぼらずに検査をしてるっていう自負もあるので、いまはもう、流れに身を任せようかなと思っています。

体調に不安があるからこそ、収入源は複数あるといい

「もしもいま長期的な治療が必要な病気になったら、仕事と治療をどう両立しよう」というのは、誰しも一度は考えることではないかと思います。カメダさんご自身の経験から、病気と付き合いながら仕事をする上で大切なのは、どのようなことだと思いますか。

カメダ やっぱり働ける体力に限界がある人間にとっては、収入源をできるだけばらしたり、体に負荷がかかりにくい収入源をつくっておくということが大事なんじゃないかと思います。私の場合はたまたま漫画があったので、そんな簡単に言うなよって思われるかもしれないんですが……。でも、文章や絵に限らず、自分のできることを小さくても収入にしてみようとするのは心の支えになると思います。

金銭面で具体的なことを言うなら、私の病気の場合は難病なので助成金が出たりもするんですが、区に申請するともらえる助成金などは、面倒でも調べて絶対に申請するようにしてます。3カ月に1回の検査で必ず2万円かかるんですけど、積み重なると大きいじゃないですか。だから、書類をまとめたりするのが大変でも、もらえるものはきちんともらっておこうと思っています。投資も始めましたし……。

高額な医療費は申請すると返ってくるものも多いですもんね。そこを把握しておくのは確かに大切ですね。

カメダ 本当に……。あとは、社会的地位のことはできるだけ気にしないというのも大切かなと思います。会社においてもちろん売上が高い人は優秀だし、バリバリ働けていないことに劣等感を覚えることもあるんですけど、私はどうやったって、健康な体の人と比べたらパフォーマンスが落ちるんだということを病気になって自覚できたので。だったら好きなことをやりたい、と気持ちを切り替えられるようになりました。

いまは、仕事は最低限の生活を守るための手段だと思っています。「そんな働き方でいいの?」って外野に言われることもあるかもしれないんですが、そういう人には「あなたが私の人生の責任をとってくれるわけじゃないんで、ちょっと黙っててもらっていいですか?」みたいな感じでいかないと……って思ってます。

自分の体は自分にしか守れないから、本当にそうですね。

カメダ 私はいまはもう、生活において大腸を守ることが最優先なので……。

ただ、仕事量を減らしても適当にするというわけではないですし、できるだけ「爆速」「先回り」で対応するようにはしていますね。早め早めで対処するようにしていると、いざというときの体調不良に対応する時間も生まれますし、周囲への影響も最小限になると思うので。

その上で、優先順位を間違えないようにしないと死ぬ可能性があるなって、たこ焼きを食べちゃって腸閉塞になったときに本気で思ったんです。だから、他人からの言葉を気にしないというのもそうですけど、自分の欲を優先しすぎないで、まずは体を優先するということも忘れないようにしていたいと思いますね。

自分の大腸を第一に考えたいたわる生活を実践するカメダさん


記事内イラスト:カメダ
取材・文:生湯葉シホ(@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:カメダ

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武蔵野美術大学視覚デザイン伝達学科卒。本業会社員の掛け持ちイラストレーター/インフルエンサー。Instagramフォロワー数は8万超え。難病クローン病の大手術を乗り越え、2017年より発信を開始。コスメレビューや日常エッセイを幅広く更新中。
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*1:病気の進行が止まっていた、または、軽快していたものが、再び進行し始めること

"疲れている自分"に慣れていませんか? 『何もしない習慣』著者に聞く「正しい休み方」

笠井奈津子さんトップ写真

「テレワークになってからなかなかオフモードになれず気が張っている感じがする」「休日はゆっくり過ごしたけど、あまり回復した感じがしない……」。最近、そう感じることはありませんか。もしかすると、知らず知らずのうちに疲れを溜め過ぎてしまっているにもかかわらず、うまく休めていないのかもしれません。

そもそも「疲れを感じてから休む」ではなく、疲れる前にあらかじめ「休む」習慣を持つことが重要だと語るのは、栄養士の資格を持ち、食生活に関するカウンセリングなどを行う笠井奈津子さん。最新刊の『何もしない習慣』では、自分に合った「充電」の方法を知ることや、そのために「自分のトリセツ」をつくることを具体的な方法とともに提案されています。

日々の仕事に追われるなか、どのように休む時間を取ればいいのか。話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

疲れを溜め込む前にあらかじめ「休む」予定を入れる

著書『何もしない習慣』にて、現代人の疲れの要因として、いろんなことを「し過ぎ」ていることを挙げていました。普段、笠井さんは栄養士として企業で働く人たちから相談を受ける機会も多いと思いますが、やはり疲れを溜め込んでいる人は多いですか。

笠井奈津子さん(以下、笠井) そうですね。仕事を「し過ぎ」るあまり、自分のコンディションを考えることがどんどん後回しになって体調を崩してしまうケースは多いと思います。例えば、少しでも時間が空けば、「何かしなければ」とインプットなどの予定を詰め込んだり。もちろん、それはポジティブなことでもあると思うんですけど、一方で心身の健康という土台が脆くなってしまうことにもつながるように感じます。

特にコロナ禍になってからは、仕事とプライベートが混ざり合うワークライフブレンドのような状態になっている人も少なくないので、つい仕事ばかりしてしまいがち。真面目で上昇志向の強い人ほど、カウンセリングのときに肉体的にも精神的にも疲れが溜まっている人は多い印象ですね。

確かに、コロナ禍になってからは特に「うまく休めなくなった」という声を聞くことが多いように感じます。笠井さんは、そのような相談を受けるときには、どんなアドバイスされるのですか。

笠井 おそらく、多くの人はいきなり「何もしないでいい」「休みを取りましょう」と言われても、難しいと思うんです。ずっと仕事漬けの生活をしていた方は特に、休みの日に何もしないでいることに罪悪感を覚えて、耐えられないですよね。

そんなとき、私はまず考え方として、休むことを「充電」、働くことを「消費」と捉えてみてください、とお伝えするようにしています。スマートフォンだって充電しないと動きませんよね。だから、より良く働くためにも、「充電」と「消費」はセットであると考えて、仕事などの消費の予定を入れるなら、そのぶん休んで回復するための充電の予定も入れましょうと。

笠井奈津子さんインタビュー写真

著書のなかでも、疲れが限界に達してから休むのではなく、あらかじめ「休み」の予定を入れておくことが重要だと書かれていました。

笠井 そうです。疲れを感じてから休むのではなく、あらかじめ「休みの予定」をスケジュールに組み込んでしまうのがいいと思います。そうすると、自然とそこまでに仕事を終えようという意識が働きますよね。それに、「疲れてから休もう」「時間ができたら休もう」となると、時間がないぶん選択肢が限られるので、結果的にさらに疲れを溜めることにもなりかねないと思うんです。

例えば、疲れが溜まりに溜まり、「もう今すぐ休みを取らないと動けない」という状態になったとして、そこで浮かんでくる選択肢って一人でお酒を飲むことだったり、ひたすらスマホをいじることだったり、あまり幅がないように思います。もちろん、それが回復につながるのであれば良いと思うのですが、仕事の疲れを取り戻そうと深酒して睡眠時間が削られたり、スマホに触れ過ぎて首肩の凝りが強くなったり、結果的にリフレッシュしているつもりが、どんどん疲れを溜めてしまうこともあり得ます。

思い当たる節があります。ただ逆に、あらかじめ休みの時間を確保し「回復につながる予定」を入れておけば、うまく充電ができる。

笠井 行き当たりばったりではなく、能動的に休むことが重要だと思います。例えば、オンラインゲームであれば、「仕事が終わったらログインしよう」ではなく、あらかじめ友達と「金曜の20時に集合ね」と決めておくこと。そうすれば、そこに向けて仕事を終わらせようとするでしょうし、開始時間を決めておくことで、どれだけ時間を使っているかも把握できて、ダラダラ夜更かしすることも少なくなるはずです。

また、休みの日の予定を決めておかないと、つい仕事をしてしまうという人もいると思います。もちろん、時間がある時に前倒しで仕事を終わらせておくのは悪いことではありませんが、他に何もすることがないからと消去法的に仕事をしてしまうと、疲れが溜まっていく一方になってしまいます。そういう意味でも、あらかじめ「休み」の予定を入れることは大切だと思います。

自分的エビデンスを集めるために生活を「見える化」する

とはいえ、そもそも「休み方が分からない」と悩んでいる人も多いかもしれません。

笠井 そうですよね。だからまずは、ファーストステップとして自分の24時間の行動を記録し、生活を「見える化」することが大切だと思います。会社員の方であれば、平日と休日1日ずつだけでも、それぞれの起床から就寝までの行動を書き出してみて、そのなかで自分にとっての「充電」につながった行動、「消費」につながった行動に印を付けていくんです。

そうすると、科学的エビデンスならぬ「自分的エビデンス」がたまり、少しずつ自分にとって心地の良い生活を送るための「自分のトリセツ」のようなものができると思います。

『何もしない習慣』ページカット
『何もしない習慣』より(C)KADOKAWA

自分のトリセツ、ですか。テレビや雑誌などでよく「おすすめのリラックス方法」「安眠のための習慣」などが紹介されていますが、そうしたメソッド的なものを気にし過ぎるよりも「自分にとっての充電につながる行動」を探した方がいいのでしょうか?

笠井 はい。そうした方法を試してみるのは良いと思うんですけど、けっきょく重要なのは実際に自分に合うかどうかですよね。自分の生活を「見える化」し、充電と消費の観点から見直していくと、世間で良いとされている方法で自分がむしろ疲れてしまっていたり、逆に意外な方法で自分がリフレッシュしたりしていることが分かってくると思います。

例えば、私は整理整頓が好きで、片付けをしているときは「充電」できている実感があります。でも、片付けが嫌いな人にとっては逆にストレスですよね。それくらい人によって全く違うものだから、自分的エビデンスに基づいて充電方法をリスト化していくのが大事だと思うんです。そのリストが多ければ多いほど、仕事の合間の気分転換が上手になるし、休日も能動的に充電できるようになるはずですよ。

確かに、人それぞれに自分だけの充電方法がある気がしますね。ちなみに自分の行動を振り返るときに、それが「充電」なのか「消費」なのか、見極める方法はありますか?

笠井 すぐに判断できない場合には、私は「睡眠」を一つのバロメーターにしています。それなりの睡眠時間をとれているのに翌朝まで疲れが残っていたとしたら、前日の行動に原因がないか考えるんです。もしかしたら、就寝直前までお酒を飲んでいたり、テレビ画面を眺めたりしたことで睡眠の質が下がっていたのかもしれない。だとすれば、それは自分にとって充電ではなく「消費」になっているということです。逆に、スッキリと目覚められた場合は、前日の行動が自分にとっての充電なんだと気付けることもあると思います。

『何もしない習慣』表紙写真
最新作『何もしない習慣』(C)KADOKAWA

一方で、しっかりと休む時間を確保するためにも、仕事など「消費」の時間を減らすことも大切ですよね。

笠井 そう思います。ただ、家事や仕事など、どうしてもやらなければいけないこともあるでしょう。そうしたものは、いまの行動からまず「マイナス1」をしてみるだけでもかなり負担は減るはずです。例えば、料理をつくるのに疲れていたり、時間をかけ過ぎていると感じたら、品数を1つ減らしてみるだけでもいいと思います。

実は私自身も産休明けに仕事に復帰したとき、家事もこれまでと同じレベル感でやっていきたい、やらなければいけないと思い込み、自分を追い詰めていました。特に負担に感じていたのが、保育園まで子どもを迎えにいき、そのままスーパーへ買い物に行くこと。そこで、最初はなんとなく抵抗感があったのですが、試しにスーパーの宅配サービスを利用して家事の負担を「マイナス1」したら、とても楽になりました。

誰しも、「自分がしなければならない」と思い込んでいる行動がありそうです。

笠井 結局のところ、自分の荷物を軽くすることを自分で許可してあげるしかないのだと思います。自分のエネルギーを使ってしまう余分な行動を引き算してみる。今はどうしてもそこにこだわりがあって手放せなかったとしても、「いざとなれば、この行動はカットできる」と認識しておくだけで、疲れをギリギリまで溜め込んで心が突然折れてしまうような事態は防げるのではないかと思います。

「充電」の時間は生活のなかに隠れている

ここまで生活を見える化することの大切さについて伺ってきました。ただ、それでもいざ休みを取ろうとしたり、仕事の時間を減らそうとしたときに、罪悪感から腰が重いという人もいるかと思います。何かアドバイスはありますか。

笠井 忙しく働いている方にとっては、特にそうですよね。だから、まず最初は実験のような感覚で、様々な充電方法を試してみるのがおすすめです。例えば、この1週間は午後に5分でも10分でもおいしいコーヒーを入れて一息つける時間をつくる、と決めてやってみて、その1週間の調子はどうだったのかなとか。そこで、もし自分にプラスの効果が発生したら、もっと探してみよう、生活を振り返ってみようとモチベーションになると思います。

ちなみに、私の充電リストはこんな感じです。

  • 夜遅くまで仕事をして疲れた日は、朝起きるのが楽しみになる朝食を仕込む
  • 夜にスパイスを使った料理をつくるとすごく気分転換になる
  • インテリア系、住まい系の動画を観るとテンションが上がる
  • 朝にひとりの静かな時間をつくれると心にゆとりを持てる
  • エクササイズはトレーナーよりもヨガウェアでした方がモチベーションが上がる

なるほど。今のお話に加えて、笠井さんの充電リストを拝見すると、充電といっても必ずしもまとまった時間が必要なわけではないんですね。むしろ、日常生活の隙間時間で実践することができそうです。

笠井 そうなんですよ。こんなふうに小さな充電方法を知ることで、休みの日にまとまった時間がなくても、日常生活のなかでうまく自分自身を回復させてあげることができる。例えば、クローゼットに並ぶ洋服を見ているとテンションが上がるという人は、前日の夜に明日着ていく服を選ぶように予定を立て、習慣化していくだけでも小さな充電になるはずです。

だからちょっと面倒かもしれませんが、慣れてきたら少しずつ細かく記録することも大切だと思います。例えば、自分のなかではざっくり「休憩時間」と捉えていても、そこで好きなサッカーの映像を観たのか、スマホでゲームをしていたのかにより、リフレッシュ具合に違いが生まれると思うんです。そういう細かい部分を意識することが、疲れを溜め込まない生活を送ることにつながると思います。

笠井さんは、今でも毎日の記録は続けられているんですか?

笠井 続けています。ただ、今はそこまで細かくは記録していなくて、寝る前に今日の予定を振り返りながら、「印象に残ったこと」を3つ書くようにしています。自分がどんな行動をして消費したのか、あるいは充電することができたのか。とりわけ、消費の場合は消費のまま書かずに、次はこうしようまで書くようにしていて、それがゆくゆくは自分の充電リストやトリセツに加わっていくようなイメージです。

一方で、どうも調子が良くないなというサイクルが続くときは、やっぱり1週間ほど時系列に細かく振り返っていきます。そうすると、「犯人はお前か!」みたいに原因が分かったり、充電の時間が少なかったりすることに気付けます。続けていくと、ちょっとした宝探しのような感覚になり楽しくなってくるので、少しずつでもぜひ実践してみてもらえるとうれしいです。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部

お話を伺った方:笠井奈津子さん

荒井裕樹さんのプロフィール写真

カラダプラスマネジメント株式会社代表取締役。健康経営アドバイザー、栄養士。1979年、東京都に生まれる。聖心女子大学文学部哲学科卒業後、香川栄養専門学校(現・香川調理製菓専門学校)を経て栄養士になったのち、都内心療内科クリニック併設の研究所で食事カウンセリングに携わる。現在は、食の大切さを伝えるための様々な活動を行う。企業研修では、数百人単位の参加者でも事前に食事記録をチェックし、労働環境にも配慮した上で、アドバイス等を行っている。主な著書に『10年後も見た目が変わらない食べ方のルール』『子どもの「できない」を「できる」にかえる子育て食事セラピー』『何もしない習慣』など。

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「自意識の強さ」は30代でも変わらない。けど経験が“回避策”を教えてくれる|マンガ家・冬野梅子

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方

ときに生きづらさの原因にもなる「自意識」とどう向き合うべきか。読み切り作品『普通の人でいいのに!』などで“自意識強め”の主人公を描くマンガ家・冬野梅子さんにインタビューしました。

恋愛、結婚、出産、キャリア形成などさまざまなトピックで、ついつい周囲の視線を気にしてしまいがちな30代。自意識を“こじらせて”しまい、周りの人を意識した言動を取ってしまう……そんな自意識過剰ぎみな自分が嫌になって……と負のループに陥ってしまっている方も少なくないのではないでしょうか。

そういった方々を中心に、性別を問わず“刺さる”と注目と共感を集めているのが冬野さんの作品。

配信サイトで過去最高PVを記録した『普通の人でいいのに!』や、単行本化も決まった最新作『まじめな会社員』などの執筆エピソードを交えつつ、冬野さんが「自意識をどう捉えているか」を伺います。

「いじけている人」に寄り添うようなマンガを描きたい

2020年7月、コミックDAYSに掲載された『普通の人でいいのに!』がTwitterやはてなブックマークで大きな話題となりました。自意識をえぐるかのような内容に「これ、私だ……」と自身を投影する感想も多かったですが、冬野さん自身は読者の反応をどう感じていましたか。

冬野梅子さん(以下、冬野) インターネットではみなさん、年齢を公開しているわけではないので実際のところは分かりませんが、30代以上の方は「昔の自分を見ているようだ」、20代や学生は「未来の自分を見るようだ」という、2つの「これは私だ」に分かれていた印象です。

『普通の人でいいのに!』の主人公は33歳の設定なので、リアルであれだけ“つらい人”はどうやらほとんどいないらしいという結論になりました(苦笑)。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 『普通の人でいいのに!』
(C)冬野梅子/講談社

【あらすじ】マッチングアプリでの経験を経て、「リアルな場所」で「普通に出会いたい」と考えていた主人公・田中未日子(33歳)。しかし、いざ「普通」の人との「普通」の出会いに遭遇すると、自身が身を置きたい世界、繋がりたいと思っている人とは違っていて……。常に「他者から見た自分」と「自分から見える他者」を分析してしまう主人公の姿が、多くの人に“刺さった”話題作。

普通の人でいいのに!

つらさの真っ只中にいる人は、つら過ぎてコメントできていないのかもしれませんね……。『普通の人でいいのに!』が注目を集めたことで、デビュー作の『マッチングアプリで会った人だろ!』を読んだ方も多いと思います。こちらは実体験なんですよね。

冬野 そうです。マッチングアプリをやってみたものの「なんか……そんなに楽しくない」というのが正直な感想で。でも、せっかくだから「マッチングアプリを頑張ったけど、振り出しに戻って徒労で終わりました」という出来事をマンガにしたいなと思ったんです。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 『マッチングアプリで会った人だろ!』
(C)冬野梅子/講談社

【あらすじ】冬野さん自身が「マッチングアプリ」を通じて出会った男性とのエピソードをベースに、男女の「出会い」に関する情報や冷静な考察・分析をマンガにまとめた斬新なエッセイコミック。「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞。

マッチングアプリで会った人だろ!

最終選考に携わった清野とおるさんからは「感情を言葉に変換するセンスがすごかった。この作者にしか書けない面白いセリフもたくさんありました」と講評されていますが、確かに本作に限らず、冬野さんの作品はエピソードのディテールが鮮明ですよね。ネタ帳や日記帳があるんでしょうか。

冬野 一般公開していない、自分用の日記ブログがあります。だいたい「昨日はこんな嫌なことがあった」というのを3,000字くらいで書いていて。マンガ内のエピソードは自分の記憶だけじゃなく、日記を読み返して言われた言葉を使ったりしています。

『マッチングアプリ―』は清野さんから「ありそうでなさそう」とも評されていましたが、フィクションである『普通の人でいいのに!』にも同様の感想を抱きました。作風で影響を受けた作品や作家さんはいますか?

冬野 よく読んでいたのは少女マンガです。でも私にはキラキラした話は描けないので……。どちらかというと、映画に影響を受けているかもしれません。

特に好きなのが、スパイク・ジョーンズ監督の「アダプテーション」。一度映画が“当たった”脚本家が主人公なんですが、基本的に卑屈なんです。新作に困っていてセミナーに行くけど、アドバイスが全部気に入らなくて、やるなと言われたことを作中作で全部やったり(笑)。

「フィクションでは人が大きなトラブルを乗り越えて成長するのが王道だけど、現実では人は乗り越えないし成長しない」というふうに言い切る。でも映画自体はコメディで「大きなトラブルに巻き込まれて乗り越える」という話になっているんですよ。

おお、自己言及的ですね! 『普通の人でいいのに!』の展開を思い浮かべると、つながるものを感じます。

冬野 はい、「大きなトラブルを乗り越えて成長する」という話だけにはしないようにしようと(笑)。主人公が地味な生活をしていて、脳内では卑屈な事ばかり言っているという話が好きなので、それを女性主人公で描いてみました。

ちなみに冬野さんは主人公を描く時、どんなことを考えていますか?作者である冬野さんからの視線が、どこか冷静と言えばいいのか、自意識が強い主人公を突き放しているような印象を感じていました。

冬野 自分ではそういうつもりはなくて。世の中のフィクションを見ていると「いい人しか出てこないな」とつらくなるんです。みんなこんなに心がきれいなんだと思うと、孤独感が深まっていく

だから自分のマンガでは、素直で前向きないい人はあまり描かなくていいかなと。性格が悪いと言うか、いじけているような人を描いて、そういう人に寄り添いたいと思っています。

いじけているような人……。

冬野 いじけている姿勢が一般的にいいか悪いかというと、本人のためにはきっとよくないんですよ。だから肯定はしない。いじけている人は今の自分に不服があるからそうなっているわけで「でも私たち幸せだよね」「あるがままで軽やかに生きていこう」と描かれたら腹が立つだけじゃないかなと思っています。

でもその人たちは世の中に存在しているし「別に幸せじゃないけど、それがなんだ?」ということを描きたいなと。そこが「突き放している」ように見える理由なのかもしれません。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 『普通の人でいいのに!』
(C)冬野梅子/講談社

なるほど……!主人公が不満に思っている「今の自分」を肯定的には描かないけど、存在しているからあるがままに描くという、そういうスタンスと距離感なんですね。主人公たちと冬野さん自身に重なるところはありますか?

冬野 『マッチングアプリ―』はコミックエッセイなので自分の経験を描いていますが、『普通の人でいいのに!』と今連載している『まじめな会社員』はフィクションなので「いまの自分は選ばない選択肢」を主人公に選ばせています

きっと乗り越えられるであろうことを「こんなの乗り越えられない」としたり、まわりを鵜呑みにして深みに落ちたりと、あえてつらくなる道に行かせているところもあります。

でも、例えば『普通の人でいいのに!』のラストは、自分としてはバッドエンドだとは思っていないんです。どちらかというと物語としては王道じゃないかなと。

無条件のハッピーエンドではないけれど。

冬野 さっき挙げた「アダプテーション」以外にも、ノア・バームバック監督の「フランシス・ハ」や、倉橋由美子さんの小説など「なんとも言えない終わり」を描いている作品が好きなんです。頑張ったことや望んだことは報われなくて、ある意味徒労に終わるけれど……というのも、「乗り越えて成長する」と同じくらい王道なのかもと思っています。

「自意識」は苦しくてしんどい。でも、私は自意識過剰な人が好き

『普通の人でいいのに!』も『まじめな会社員』も、サブカルチャーに親しむ女性が、こうでありたい自分と現実の自分とのギャップや自意識に苦しむというお話です。冬野さんの作品ではよく「自意識」が描かれていますよね。

冬野 私はいわゆる「自意識過剰な人」が好きなんです。でも自意識が強いと本人は苦しくて生きづらいだろうから「自意識そのもの」には愛憎入り混じる気持ちを抱いています。

愛憎……詳しく伺いたいです。

冬野 いまって「何も気にしない」ことが「いいこと」とされていて、逆にいろいろなことを気にする人は「過剰」と言われがちだと思うんです。

私自身、人から「気にし過ぎだよ」と言われることがあります。でもそういうことを言う人って「私の意識は適正値・平常値である」という前提なんですよね。そう言い切れるのはすごいな、生きやすいだろうなと思います。

なるほど。「気にし過ぎ、自意識過剰だよ」と言ってくる人の方が、実は「気にしな過ぎ、自意識が弱過ぎる」だけかもしれないと。

冬野 「気にしない人」と「気にしている人」なら、私は後者との方がしゃべっていて楽しいんです。

でも自意識は面白さでもあり、自分を苦しめるものでもあって。人生でいろいろなことがうまくいかないとか、自分が思うように生きられないとか、自意識がなければもっと自由に生きられるのにという面も確かにあるので、自意識に対する距離感は難しいなと思います。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 『まじめな会社員』より
他者を気にし過ぎる主人公の「脳内裁判」
(C)冬野梅子/講談社

冬野さんの作品の主人公は、心の声の多さが特徴的です。いろいろなことが気になる、それを気にする自分のことも俯瞰してモニタリングしている描写が、今の自意識の話とつながっているように感じました。

冬野 心の声の多さは、読者のみなさんに指摘されて初めて気づいたんです。自分ではそこが特徴だと思ったことはなかったので、意外で……。てっきり、みんなこれくらい心の声が聞こえているものだろうと……。

(笑)。さきほど「自分も周囲から気にし過ぎと言われる」とおっしゃっていましたが、冬野さんはご自身の自意識とどう付き合っていますか?

冬野 大学生くらいまでは「気にし過ぎ」と言われると「みんな気にしてないんだ、気にし過ぎちゃいけないんだ」と自分を責めていました。気にしちゃう、自分を責める、気にしないようにしなきゃ、でも気にしちゃう……のループでしたね。

社会人になっても上司から同じように言われたことがあったんですが、ふと「でもこの上司としゃべっててもあんまり面白くないしな……」と気づいたときから、何も思わなくなりました。

むしろ余裕が出てきたというか、ははー、あなたは自分のことをとても平均的でまともな人間であって、対して私は逸脱して気にし過ぎであるとおっしゃっているんですね……という、反抗心的な気持ちが芽生えてきたり。

わかります。特に仕事だと「気にし過ぎ? あなたが雑すぎるだけでは!?」と思うことってありますよね。

冬野 だんだん「バッサリと人を切る人の方が気にしなさ過ぎ」と言われる世の中になってきているような気もするので、「気にする人」にとっては心強い流れになってきているなと感じています!

とはいえ、ある程度の“余裕”がでてきても、まだまだ自分の自意識とどう向き合うかに悩んでいて、中には“こじらせて”しまっている人も多い印象です。

冬野 私の自意識自体はたぶん、10代から何も変わっていないんです。自分だけ中学生から変わってない感覚があるので、周りのみんなは大人になっているな、優しくて懐が深くてつらいな……と思うこともあります。

ただ、変われてはいないけれど、一方で付き合い方や回避策はうまくなってきているかなと。「今ちょっと普通より考え過ぎているな」「たぶん、これ周りは気にしてないパターンだな」と、落とし穴をよけていく方法が経験を積む中で分かってきました

なるほど。きっと今、30代になっても自意識過剰でしんどい……と思っている人も、ここに至るまでの「経験」がきっとあるはずだから、それを生かしてなんとか楽になれるといいですよね。

初投稿作の入賞で「まだマンガを描いてもいい」と思えた

20代後半でデビューした冬野さんですが、いつ頃からマンガ家を目指していたのでしょうか。

冬野 もともと小学生のころから「マンガ家になりたいな」と思っていて、趣味で絵を描いたり、学生時代は美術部に入ったりもしていました。

ただ上京後は創作からは離れてしまい、金融関係など絵とは全然関係ない仕事に就いていました。そんな中、7年くらい前にふとしたきっかけで大学時代の友だちと再びよく会うようになり、小規模なグループ展をやってみることになったんです。私はイラストと文章だったり、絵本だったりを展示しました。それが学園祭みたいで楽しくて、何回か開催していました。

そこからどうやって「マンガ家になろう!」につながったのですか。

冬野 私の中で「絵本は優しい話やちょっといい話を描かなきゃいけない」という気持ちがあり、もう少し毒のある内容が描きたくなってきたんです。だったら一人で勝手にマンガを描こう、誰も困らないしと思って。それが2015年くらいだったかな。

そのあと、コミティアなどに参加しつつ、2019年に投稿した『マッチングアプリ―』をきっかけにプロのマンガの世界に入っていくわけですね。インディーズではなく、プロを目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

冬野 もともとInstagramに投稿されているエッセイ系のマンガをよく読んでいたんですが、あれも結構「いい話」が多いんですよ。

『マッチングアプリ―』を描こうと思ったとき、この作品をInstagramに投稿してもあまり読まれないだろう、でも清野とおるさんの名前を冠したこの賞であれば“みんなでシェアハピ”な内容じゃなくても門前払いされないんじゃないかなと思って投稿しました。もともと清野さんのマンガもとても好きでしたし。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 『マッチングアプリで会った人だろ!』
(C)冬野梅子/講談社

そんな作品が受賞したのは、ある意味“思い”が通じたということでしょうか。

冬野 そうですね、「最終選考に残りました」というメールが来た時はすごくうれしかったです!

当時の私はマンガについて「趣味で楽しくやっていこう」と「賞に積極的に出してチャレンジしていこう」の2つの方向を考えていたんです。なので入賞は「まだチャレンジしてもいい、まだマンガを描いてもいい」と猶予期間をもらえたような気持ちになりました

投稿作の入賞から次作の『普通の人でいいのに!』までは、1年以上間が合いていますよね。作品自体も「コミックエッセイ」から「フィクション」に変わっています。

冬野 『マッチングアプリ―』をきっかけに現在の担当さんがついて「フィクションも描いてみましょう」とアドバイスを受けたんです。

でも私は「プロの世界でマンガを描く」ための知識がぜんぜんなくて……。担当さんにネームを送って見てもらう仕組みすら知らなかったんです。そもそも『マッチングアプリ―』の頃はネーム自体、描いていなかったので……。「マンガ家はこうやってマンガを作るんだ」という驚きの連続でした。

そうやって担当さんについてもらったはいいものの……ネームを送ってはボツになるうち、3カ月ほどまったくネームが送れなくなってしまって。

ネームが思いつかない上に「出さなくて怒っているかな」「見切りをつけられたらどうしよう」という不安がふくらんできて。でもそういうときも、描くしかないんですよ。そこで「エッセイマンガを描いていなくて、賞も取っていない自分」から見たら、今の苦しみは全然苦しくない――と思うようにしたんです。

ど、どういうことでしょう?

冬野 「ネームが描けない」という悩みは超いいことなんですよ。なんというか、“作家”として苦悩しているわけですよね。

私、こういう悩みが欲しかったはずじゃん! と自分で自分を盛り上げて「何かやりたいことがあるけど、何をやったらいいか分からなくて、グループ展もやっていなくて、マンガも描かずに今日を迎えた自分」を描いてみよう! と思い生まれたのが『普通の人でいいのに!』だったんです。

他者からの「よかったね」「かわいそう」が介在しない作品にできたら

そうして完成した作品がヒットして、初めての連載につながって……ということですね。では最後に、現在コミックDAYSで連載している『まじめな会社員』についても聞かせてください。本作でも「他者から見た自分」を意識する主人公を中心に人間関係が描かれています。

冬野 ありがたいことに『普通の人でいいのに』が、コミックDAYSの中で歴代トップのPVを記録したそう(※掲載当時)で、担当さんから「地続きの世界観で連載にしませんか」と話をもらったのが執筆のきっかけでした。

最初は描きたい内容に悩んでいましたが、連載の検討タイミングの頃に実社会では新型コロナウイルスの感染者増加と、その状況下での生活が始まって、描きたい人間関係ができていきました。

漫画家・冬野梅子さんが考える「自意識」との向き合い方 (C)冬野梅子/講談社

【あらすじ】菊池あみ子、30歳。契約社員。彼氏は5年いない。いろんな生き方が提示される時代とはいえ、結婚せずにいる自分へ向けられる世間の厳しい目を、勝手に意識せずにはいられない。それでもコツコツと自分なりに築いてきた人間関係が、コロナで急に失われたら……!?

まじめな会社員

『まじめな会社員』は、最初は新型コロナ前の人間関係を描いて、6話で「コロナがやってきた」と展開が変わるんですよね。今後はコロナ禍の恋愛についてのお話になっていくのでしょうか。

冬野 コロナ禍での恋愛を描きたいというよりは、いまの人間関係を描くにあたって、コロナ禍で環境ががらっと変わったことを入れざるをえなくなったという感じです。

今後は恋愛に限らず、環境や生活の変化によって、人間関係が変わって自分の気持ちも変わっていく話になる予定です。単行本も12月と1月に2カ月連続で刊行されます。1巻収録の6話では恥ずかしさに向き合いながら作詞もしました……!

あの歌、冬野さん作詞だったんですか! 6話は主人公の「あみ子」が憧れの女の子「綾」と話しているシーンがとても切なかったです。そしてあみ子が憧れていた男「今村」の鬱屈が描かれたり、綾の行く先もコロナの影響で不穏だったりと、「どこに向かうんだろう」とドキドキしながら読んでいます。

冬野 現実の世界をちゃんと自分で生きていけることがゴールになるような、他人からの「よかったね」「かわいそうだよ」も全然介在しないところにたどり着けるのが、登場人物にとってのいい終わり方だと思っていて。『まじめな会社員』も、そういう方向に向かっていけたらいいと今は考えています。

取材・文:青柳美帆子(@ao8l22
編集:はてな編集部

『まじめな会社員』 著:冬野梅子

『まじめな会社員』書影

講談社刊

まじめに働く! それでも報われない日々の孤独。いつまでこれ続きますか?

「令和の生き地獄コメディ」としてコミックDAYSで好評連載中。単行本1巻は12月8日(水)、2巻は2022年1月12日(水)と2カ月連続で発売。

まじめな会社員 - 冬野梅子 / 第1話 | コミックDAYS

周囲の雑音が気になってしまうあなたへ

お話を伺った方:冬野梅子

冬野梅子

2019年『マッチングアプリで会った人だろ!』で 「清野とおるエッセイ漫画大賞」期待賞を受賞。その後『普通の人でいいのに!』(モーニング月例賞2020年5月期奨励賞受賞作)が公開されるやいなや、あまりにもリアルな自意識描写がTwitterを中心に話題となり、一大論争を巻き起こした。

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ペアで円滑にコミュニケーションするには? 二人だけの会社でバズを生み出す「企画デザイン 2時」に聞く

2時のお二人

特定の人とペアを組んだり、数人規模のチームで仕事をすることは、多くの職種であるのではないでしょうか。少人数チームでは意思決定がスピーディに行える良さがある一方で、場合によっては思ったことを直接相手に言いづらいなど、距離感に悩んでしまうこともありますよね。

今回インタビューをしたのは、代表の楢﨑友里さんと、プランナーの田中桃子さんの二人だけで運営する商品企画会社「企画デザイン 2時」。「うれしそうに判決を取ってきてくれる犬用のおもちゃ」や「物理RT、物理いいねができるライト」といった斬新な企画でバズを生み出し続けています。

前職からの同僚であるお二人は、ペアだからこそ「親しき仲にも礼儀あり」という絶妙な距離感を大切にしているそう。相手との接し方、アイデアが閉鎖的にならないための工夫など、少人数で仕事をする上で、円滑にコミュニケーションするためのヒントを伺いました。(※取材はリモートで実施しました)

二人だけの会社だから、全部自分たちで判断する

Twitterでバズっていた「勝訴」を掲げた犬用おもちゃなど、ユニークなアイデアがいつも話題になっています。あらためて「2時」という会社についてと、お二人の役割分担について教えてください。



楢﨑友里さん(以下、楢﨑) 2時は、いろんな企業さまの依頼を受けて、面白くて話題になる商品の企画立案からデザインまでを一貫して行う会社です。商品の企画・デザインは、プランナー兼デザイナーとして二人で担当しています。社内の役割としては、私がいちおう代表で、田中さんはいちおう会計。私、領収書を全部なくしちゃうくらい経理が苦手なんです……。

田中桃子さん(以下、田中) 税理士さんに「今回はこれがまだ提出できていませんよ」と注意されながら、名ばかりの会計をしています。

お二人で新しい会社をやろうと思った理由は?

楢﨑 私たちはもともと前職の株式会社フェリシモに入社して一年目に配属された雑貨ブランド「YOU+MORE!」で、バディとして7年間一緒に仕事をしました。そこでいろんな商品企画をしていたんです。

田中 企画に特化した仕事で「自分たちの力だけでどのくらい世の中を楽しくできるか」にチャレンジしてみたくて、修行のつもりで裸一貫飛び込んだという感じです。

楢﨑 フェリシモ時代からプランニングに関わる業務を手広く任せてもらえていたので、自分たちでもきっとできるという自信につながりました。ちなみに社名の「2時」には「時計の2時の方角『ななめ上』の発想を大切にする」という思いを込めました。

プランナーとしては、お二人それぞれどんな得意分野があるのでしょう?

楢﨑 私は派手なアイデアを考えるのが好きで、大きなコンセプトを立てるのが得意です。一方田中さんは、それを形に落とし込んでいくときのデザイン、柄を作ったり色合わせをしたり、仕上げのところがすごく上手ですね。

楢﨑友里さん
楢﨑友里さん
田中桃子さん
田中桃子さん

会社の規模が変わって、お仕事の内容も変わったのではないでしょうか。大変だなと思うことはありますか?

田中 あったと思うんですけど、なぜかすぐには浮かんでこないですね……。

楢﨑 会社設立1年目だから絶対にあるはずなんですが、二人ともだいぶ楽天的な性格なせいか、あらためて考えると「大変なこと? あったかなぁ?」って感じです。

会計も総務も法務も、全部自分たちで調べたり、詳しい方に聞いたりしてやらないといけなくなったのですが、「税金ってこうなっていたんだ!」とか、一つひとつ知るのが楽しいなとお互いに思っているところです。

大きい会社で働いていたときとは仕事内容や進め方なども変わったと思うのですが、一番変わったと感じることは何ですか?

楢﨑 やっぱり、自分たちで全部判断できるのが一番面白いですね。思い切ったこともしやすいですし、「スベっても全然いいや」みたいな感じで、作るものが変わったような気がします。

フェリシモでは作れなかったものが作れる、ということもあるのでしょうか。

楢﨑 フェリシモでNGだったというわけではないんですが、そもそも技術的に発想できなかったものを作れるようになったなと思います。

例えば、フェリシモで変わったアイデアにチャレンジする場合は、小ロットでOKな“縫製もの”を作る大前提があったので、ロットが大きい “型もの”と呼ばれるプラスチック製品を作る発想がなかったんですね。

2時を設立してから、新しいスキルを身に付けたいと思って3Dプリンタの勉強を始めて、「物理RT、物理いいねができるライト」や「cookieを有効にできるクッキー型」のような企画が生まれました。






親しき仲にも礼儀あり。相手への思いは「声に出す」

二人で会社を始めてから、あらためてお互いのコミュニケーションについて意識するようになったことはありますか?

楢﨑 前提として相性がいいのでコミュニケーションのエラーが起きたことがほとんどないのですが、それが当たり前だとは思わずに「親しき仲にも礼儀あり」というか、思い合っているのが分かるように声に出すのは大事だなと思います。長く一緒に仕事をしていると、だんだん言葉にしなくなることもあると思うんです。

私たちは一緒に仕事をするようになって8年目ですが、田中さんはちゃんと「ありがとう」と言ってくれたり、作業していたら「何か手伝えることはある?」と頻繁に声をかけてくれたり。「すごいね!」「いいね!このアイデア!」と、ちゃんと言葉にしてくれるんです。

田中 楢﨑さんとは一緒にいて自然体でいられる感じがあって、無理せずにいられるのが心地いいので、ずっとこのままでいられるのかなという気がしています。けんかとかも、全くしたことがないですね。「水、空気、楢﨑」みたいな感じで、もうなじみきっています。

楢﨑さんは面白いものを見つけるのが得意な人です。例えば、一緒にごはんを食べに行っても、おしぼり一つで1時間くらい遊べるような(笑)日常にあるもので妄想して楽しんじゃうので、それが自然とコミュニケーションになっていくんです。毎日二人きりでいても、「何を話そう?」と気まずくなることはありません。

おしぼり一つで1時間遊んじゃう楢﨑さんもすごいし、それを一緒に楽しんじゃう田中さんもすごいなと思います。

楢﨑 私はおしぼり一つで1時間遊んでいるんですけど、多分、一緒に笑ってくれる人がいるとそのモチベーションも全然変わってくると思います。

そうですね。ただ、業務上では笑ってばかりはいられないこともあると思います。円滑に仕事を進めるためのルールなどはありますか?

田中 出社したらラジオ体操をしながら、だいたい昨日あった出来事をお互いに話すのが毎朝のルーティンになっていて、仕事を始めるアイスブレイクみたいになっていますね。

楢﨑 業務上の役割分担では、相手が苦手そうなことは率先してやるようにしています。お互いに「これは苦手で嫌いな作業だろうな」と察し合って、仕事を取り合っています。

田中 楢﨑さんは私が苦手な作業を振らないので、いつもありがたいなと思っています。でも、結果的にその方が業務スピードもよくなるんです。

長年のペアではあっても、なかなか察するのが難しいこともあるのかなと思うのですが。

楢﨑 分からないときは単純に、「こういう業務は好きですか? やりたいですか?」と聞くようにしています。また、自分がどうしても苦手なときは「私よりは田中さんの方が向いていると思うのでお願いします」と自己申告して頼むこともあります。

どうしても二人とも苦手なことだったら「いやだー!」ってわーわー言いながら一緒にやっていますね(笑)。

2時のお二人
取材中も笑顔が絶えないお二人

お互いの発想を面白がりながらアイデアを膨らませる

2時では、バズる企画であることも大事にされていますね。どんなふうに商品を企画されているのですか?

楢﨑 「ツイ廃か?」というほどTwitterは見ていますね。Twitterは「誰が何に共感しているのか」を数値化している無料のツールなので、仕事柄使わない手はありません。

ただ、自分のタイムラインだけを見ているとどうしてもバイアスがかかってしまうので、関係ないワードで検索をしたり、知らない人の「いいね」欄を見たりして、多様な情報を得るようにしています。

バズるアイデアを生むために、日頃から意識していることはありますか?

楢﨑 アイデアには2種類あると思っています。一つは「犬用のおもちゃ」や「Cookieを有効にします」のクッキー型など、1秒でシナプスがつながってひらめくタイプのアイデア。もう一つは、テーマが決まっていて、例えば「うさぎ」だったら「はねるよね。ふわふわだよね、ふわふわのものってなんだろう?」と転がしてこねるタイプのアイデアです。

ひらめくタイプのアイデアの方が、すごく爆発力があってバズりやすいんです。それを出しやすくするのは、結局のところ「考える時間の量」なのかなと思います。クリエイティブに携わる人の中には、オンとオフを切り替えるのが大事だという人もいると思いますが、私の場合はずっとスイッチをオンにしていて、焼き切れてどこかが勝手に光るようになっている感じなのかなと。さっき挙げた犬用のおもちゃやクッキー型も、土曜日の昼下がりなどオフの時間にひらめくことが多いです。

思いついたアイデアは、どこかにメモして溜めているのでしょうか。

楢﨑 スマホのメモ欄に何スクロールもできるくらい溜まっていますね。見返すと「何このメモ?」っていうものがけっこうあります。えっと……(メモを見る)「ぎょうざのペガサス」とか書いてあります。たぶん、羽根つきぎょうざのことだと思うんですよ。馬に翼が生えていたらペガサスになってかっこいい。羽根が生えたぎょうざにも何か名前をつけたらどうか、と思ったのかな……?

田中 私は「動き回るものにマッサージチェアをつけろ」って書いてあります。ちょっと何のことか分からないですね……あとは「シルバー楽団、入れ歯のカスタネット」とか「チャンピオンベルトの待ち合わせ場所」とか?

楢﨑 えっ、どういうこと??(笑) ベルトたちの待ち合わせ場所!?

田中 なんか集まってきたみたい、チャンピオンベルトたちが(笑)私は楢﨑さんのように奇想天外なアイデアはあまりないので……。

いやあの、今のアイデアはけっこう奇想天外でした! ファンタジーがありますね。

楢﨑 田中さんのアイデアってめちゃくちゃ変なんですよ! 私のアイデアは奇想天外に見えて、一応自分の中ではロジックがあって成立しているのですが、田中さんのアイデアは予定調和を壊してくるんです。そんな「どういうことですか?」ってまずツッコミたくなるシュールなアイデアも絶対に必要だと思っています。

田中 面白いなと思っても、何の商品にしたらいいか分からないものも多いので、最近は口に出して楢﨑さんに言うようにしています。

楢﨑 田中さんも、私が意味の分からないアイデアを出すと「面白い!」と言って笑ってくれるんです。だから、何か思いついたら田中さんに見せたくなっちゃうんですよね。

面白いと感じることが一致していて、アイデアを一緒に膨らませたり、仕上げをちゃんとしてもらえたりする。これは、ペアでお仕事をする上ではめちゃくちゃ大事な感覚なんじゃないかと思っています。

二人だけでアイデアを出し合っていると「これでいいのかな?」と迷ったりすることはありませんか? 例えば、第三者の意見を聞きたくなることはないのでしょうか。

楢﨑 仕事柄、商品のリリースまで情報を出せないこともありますし、たくさんの人に意見を聞いたらそれだけ答えが返ってくるので迷ってしまいます。今のところは、自分たちの感覚だけでやる方が、私たちの場合はうまくいく可能性が高いかなと思っています。

田中 でも、Twitterで投稿した後に、いただくリプライに書かれているお客さまの意見は勉強になりますね。自分たちでは気づかないところを言ってもらえることがあるので、参考にすることがあります。

相手と「合わない」と感じたら、自分を変えてみる

自由に面白さを追求できる一方で、世の中のニーズとずれたり「これは売れるのか?」という企画になってしまったりすることはありませんか?

田中 私たちはあきんど(商人)な部分も持ち合わせているので、「面白いけど売れないだろうな」ということはわりとシビアに見ちゃっていますね。

楢﨑 そうですね。二人とも芸大・美大出身なんですけども、自分が表現したいことと世の中のニーズのギャップに苦しむアーティストタイプではないんです。売れるということは、それだけ多くの人が喜んでくれた証だと思うので、「反響があってなんぼ」と思っているところはあります。

社訓は「絶対に調子に乗らない!」だそうですね。

楢﨑 そもそもあまり調子に乗るタイプではないのですが、一瞬でも調子に乗った発言をしたかなと思ったときにはお互いに、「今、調子に乗ってないかな?」って確認しています。調子に乗った者の末路は悲惨だと思うので。別な言葉で言い換えれば「うまくいったときも基本は忘れない」ということでしょうか。

2時の社訓
2時の社訓

お二人の相性の良さも2時の強みなのだなと思います。ただ働く人の中には、相性がよくないと感じる人と組まなければならず悩んでいる人もいるのではないかなと。お二人の場合、仮にもしそういう場面になったら、どうやって対処されますか?

楢﨑 正しいと思うことは人それぞれだなと思うんです。私はそのやり方は正しくないと思ったとしても、相手のやり方を変えるための説得にパワーを使うのはもったいない。それなら、「こうしたらうまくいくかも?」と考えて、自分を変えるようにすると思います。うまくいかないときは、相手を変えようとするのではなく自分が変わる、ということを信条にしています。

田中 そういう機会はこれまで少なかったのですが、もしあったとしても私は聞き流す能力が高い方なので、ふわふわふわ〜っと受け入れるタイプですかね。何でもかんでも受け止めるのではなく、よける。「万が一、相性が悪い人に出会ったら逃げてもいいよ」と自分に言ってあげています。

確かに、自分を変える方が楽かもしれません。でも、クリエイティブに関わる部分では譲れないところもありませんか?

楢﨑 確かに、クリエイティブ、特にアイデアに関しては譲れないこともあるので、できる限り、話し合いたいなとは思いますね。

最後に、これから2時としてしてみたいチャレンジ、作ってみたい商品について聞かせてください。

楢﨑 会社としての目標は、「面白い商品企画会社といえば2時だよね」と、日本中で誰もがぱっと一番に思い浮かべるような会社になることです。今後やりたい分野としては、アイデアの力で地域を活性化すること。「魅力はあるけれどどうやって話題を作ればいいか分からない」と困っている地方自治体の方たちに、アイデアを提供できればと思っています。企画の力で話題を作って地域の魅力を伝え、人が集まって商品が売れるから魅力的なお土産になる、という一気通貫の事業をやってみたいです。

田中 フェリシモ時代に、私たちが大好きな三幸製菓さんのお菓子「雪の宿」のパジャマを作らせてもらったことがあります。ほかにもたくさんある、二人が好きな食べ物のメーカーさんとのコラボもしてみたいです。

取材・文:杉本恭子
編集/はてな編集部

悩みの尽きない「人間関係」問題。解消のヒント

お話を伺った方:「企画デザイン 2時」楢﨑友里さん/田中桃子さん

2時

楢﨑 友里さんと田中桃子さんによる、商品企画を専門に行う、京都の企画デザイン会社。株式会社フェリシモで7年間ユーモア雑貨の商品企画に携わった企画とデザインのスキルを生かし、バズる商品企画を生み出し続けている。

時計の2時の方角「ななめ上」の発想を大切に、世の中を楽しくするモノやコトを生み出すことをコンセプトにしている。

公式サイト:企画デザイン2時 Twitter:@niji_2oclock

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価値観の違う人は「敵」じゃない。文学者・荒井裕樹さんと「言葉」から他人との向き合い方を考える

荒井裕樹さん記事トップ写真

最近、ちょっとしたSNSの言葉や同僚の発言にギョッとしたことはありませんか。

ここ数年、大きく社会や政治状況が変化するなか、自分と異なる価値観に出会うことも増えたように思います。コロナ禍、そうした状況に疲れや息苦しさを覚えた経験のある人も少なくないのではないでしょうか。

昨今の言葉を巡る社会状況を「非常事態」だと語るのは、障害者文化論を専門とする日本文学者・荒井裕樹さん。「分かりやすい言葉」に溢れる現状に警鐘を鳴らします。

荒井さんのお話を通じて、私たちの身の回りに溢れる「言葉」から他者との向き合い方について考えました。

※取材はリモートで実施しました

SNSの言葉に脊髄反射しない

荒井さんは著書『まとまらない言葉を生きる』のなかで「言葉が壊れてきた」と綴り、「分かりやすさ」ばかり重視されるようになっている風潮に警鐘を鳴らされていました。改めて、近年の言葉をめぐる社会の変化をどのように見られていますか。

荒井裕樹さん(以下、荒井) ここ10年近く、政治自体が「イベント化」していると感じています。そのときどきで話題になりやすい政策が、一貫性や事後の検証もなしに次から次へと乱発され、消費されて忘れられていく。そういった政治の影響もあって、私たちの考え方そのものも「イベント思考」になってきていると思うんです。大局的なビジョンや理念より、そのときどきの話題性や瞬間的なインパクトが重視されてしまう。私たちが日々の暮らしで使う言葉もそういった風潮に影響を受けていると感じていて、とても危惧しているところです。

そのときどきの話題性やインパクトばかりが重視されてしまうという空気は、特にSNS上の言葉を見ていて強く感じます。荒井さんは、SNSを中心とするインターネット上の言葉についてはどうご覧になっていますか?

荒井 やっぱり、サイクルが早いですよね。情報収集がしやすいことは大きなメリットだけれど、ネットで集められる情報量って、ひとりの人間が処理できる情報量をゆうに超えている。だから、なにかネット上で炎上や大きな事件が起きたときも、そのできごとに傷つけられた人がそれにずっと囚われ続ける一方で、そうでない人はインターネットの早いサイクルに取り込まれて次から次へと忘れていきますよね。そのギャップに戸惑います。

荒井さんご自身が、普段、SNSとの付き合い方や距離の置き方でなにか意識していることってありますか?

荒井 私はSNSをやっていないんですが、たぶん自分の仕事の広報という意味では、本当はやった方がいいんですよね。だから担当編集さんにいつもごめんなさいって思ってるんですけど(笑)。

ちょっと変な言い方ですが、「自分にとっていちばん責任の持てる言葉の発し方」というのが、私にとっては「本を書くこと」なんです。私は自分の師匠にかつて言われた「学者の言葉に時効はない」という言葉を大事にしているんですが、本は5年、10年たっても残るものなのでいちばん責任がとりやすいというか。時間はかかるけれど、本もSNSのように人と人をつないでくれるものなので、一冊ずつ大事に書いていきたいな、と思っています。

ただ、どのような事件が起きているのかとか、情報収集のためにSNSも見ることは見ますよ。でも、なるべく瞬時になにかを言おうとはせず、ひと晩は置いて考えるというのを意識しています。

ひと晩は置く……。どうしてでしょう?

荒井 そうしないと、脊髄反射の言葉しか出てこなくなってしまうと思うので。日々暮らしていると「いまはそれについて語れない」とか、「言葉がまとまらない」と思うことってたくさんあるじゃないですか。私の場合は、なにかについて自分の考えがまとまるまでに、長いもので年単位の時間がかかることもあります。1冊の本を書くのに、自分のサイクルとしてはだいたい5年くらいかかる。自分が発していて苦しくない言葉のサイクルってあると思うので、それをなるべく自分では守るようにしています。

『まとまらない言葉を生きる』表紙写真
最新作『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)

そのサイクルは人によって違いそうですよね。必要があってSNSはやっているけれど、SNSの速さに合わないという人も実際には多いような気がします。

荒井 私が接している学生からも「SNSがしんどい」という話はよく聞きます。ただ、SNSってすでにある種のインフラと化しているので、それなしに生活するのも現実的には難しいですよね。

自分にとってしんどくない言葉のサイクルは人によって違うのに、自分がその話題について語りたいかどうかもよく分からないまま、SNSの速いサイクルのなかでなにかを発してしまっているような状況なんでしょうね。いま、SNSにないものは存在しないかのように扱われてしまうとも感じます。

作家の方など、個人として活動している方にとっては、特にそのサイクルに置いていかれる怖さもあるのかなと思うのですが……。荒井さんはいかがですか?

荒井 30代の前半くらいまでは、話題にならないと自分の文章を読んでもらえないんじゃないかとか、本が売れないと次のチャンスがないんじゃないかみたいなことを強く思ってましたね。ただ、ここ3~4年で「もういいや」って腹が据わりました(笑)。

なにかきっかけがあったんでしょうか?

荒井 特になにがあったというわけではなく、徐々にですね。1日のなかで、学校で働いて、子育てをして、自分なりに納得のいく原稿も書いて……となると、それ以上のことにはあんまり手が回らない。だとしたらどこかでなにかを諦めなくちゃいけないから、得意じゃないことの優先順位は下げようと思うようになったのかもしれないです。

もちろん、社会のことを考えるのが仕事なのでSNSを無視するわけにはいかないんですが、自分にとってバランスを保てる付き合い方やサイクルが、なんとなく分かってきたかなという感じです。それまでに時間はかかりましたけど。

考え方の違う人は必ずしも「敵」ではない

ここ数年、コロナ禍やそれに伴う政治状況などをきっかけに、職場や家庭など、ふだん同じコミュニティにいる人たちとも考え方の違いが明らかになる機会が増えたように感じています。ちょっとした雑談のなかで「この人とは分かり合えないかもしれない」と感じてしまうようなことが増えたのかなと。

荒井 「分断」「断絶」という言葉が現代社会を表すキーワードとしてよく使われますよね。分断という言葉には敵と味方のふたつに分かれるようなイメージがあると思うんですが、実際は分断というよりも、小さな切れ目がいろいろなところに入っている亀裂型社会なんだと思うんです。これまでもこうした亀裂はあったんでしょうけど、何となく見ないようにして取り繕ってきたものが、コロナ禍をきっかけに露わになってしまったのかなと思います。

特にコロナに関するトピックは他者の行動が自分にも影響を与えるからか、これまでは目を向けなくても付き合っていられたような家族や友達との考え方の違いに気づいてショックを受けた、という話も周りからよく聞くのですが。

荒井 自分と似ているような気がしていた周りの人たちとの感性や考え方の違いに、コロナをきっかけに気づいた人ってたくさんいると思います。ただ、自分と違う人ってたくさんいるんだけれど、自分と違う人が全員「敵」なわけではないですよね。いま、相手を「敵認定」するハードルって、かなり低くなっていませんか?

分かります……。ちょっとした一言だけですぐに敵認定して、距離を置いてしまうというか。

荒井 例えば、私はマンションに住んでいるんですけど、住人の方とすれ違ったときの挨拶の仕方って人それぞれなんですよね。すごく丁寧な方もいれば、軽く頭を下げるだけの方もいる。でも、それぞれの背景の違いを考慮せず、「挨拶とはこうすべきものだ」という他者への期待みたいなものを強く持ち過ぎると、それに合わない人を敵認定しがちなのかもしれませんね。もちろん、自分の生活や尊厳を危うくするような価値観とは闘うことも必要なんですが、基本的には人それぞれ背景や価値観ってバラバラなのが当たり前なので。

確かに、他者の置かれている状況や身体状況が自分基準になってしまっていて、他の人にも同じ振る舞いを期待してしまう部分はあると感じます。「自分だったらもっとこうするのに」という。どうやって向き合えばいいんでしょうか。

荒井 うーん、どうすればいいんでしょうね……。私にも明確な答えがあるわけじゃないんですが。ただ、自分で自分にムチを打ってがんばろうとするメンタリティって、「自分はこんなにがんばってるんだから、周りもこのくらいして当たり前だ」と他者に矛先を向けてしまうことにつながりやすいですよね。

私自身がもともとそういう人間だった自覚があるので分かるんですが、こういう性格ってやめようと思ってもすぐにやめられるわけじゃない。でも、少なくとも、自罰感情と他罰感情ってわりとリンクしているということを知っておくだけでも、少し楽になれるのかなと思います。他者に対する態度が自分にも返ってきてしまうというサイクルにいま自分がいるんじゃないか、と気づくだけでも逃げ道ができるような気はします。

荒井裕樹さんインタビュー写真

荒井さんの場合は、そういうご自分の性格をどうやって変えてこられたんだと思いますか?

荒井 障害者運動家の方々が典型ですが、「自分とぜんぜんちがう人たち」と付き合ってきたことで変わってきたんじゃないかと思います。あとは子育てを経験したことも大きかったかもしれない。子どもってどうしたってこちらの思い通りにならないですし、絶対的な他者ですよね。だから自分のものさしで相手のことを測れないときもあるというのが徐々に分かってきたというか。ある程度時間をかけて、着込んでいたものを1枚ずついろんな人たちに脱がしてもらってきたような気がしています。

自分の中に降り積もる言葉から社会を考える

荒井 あと、私からひとつ提案したいというか、こういうのは試してみてもいいのかな、と感じていることがあるんです。これまでの話は、SNSの言葉や他者の言葉、つまり自分の外側にある言葉のことが中心だったと思うんですが、言葉って実は自分の内側にも溜まっていくものなんですね。人ってそれぞれの境遇や環境に応じて、全然違った言葉を使っているものです。

……あの、「夕方」って聞いて何時くらいを思い浮かべますか?

私は17時くらいですかね。

荒井 夕方が何時くらいかって、わりとばらつきがある気がするんです。例えば「夕方までに原稿送ります」と私が言っていて18時に原稿を送ったら、Aさん(担当編集さん)は怒りますか?

取材に同席していた編集Aさん いや、翌日の1時くらいまでは大丈夫ですね。そういう締切を設定しているはずなので。

やさしい(笑)。

荒井 (笑)。夕方ってそれぞれの人の生活スタイルや、季節によっても違うんですよね。15時くらいから夕方の雰囲気を感じている人もいれば、19時でも「まだ夕方だ」と思う人もいる。その言葉ひとつとってもこんなにずれがあるのに、私たちはなんとなく言葉が通じているかのようにやりとりして生活している。だから、自分のなかにはどういう言葉が降り積もっていて、自分はどういうふうに言葉を使いやすい人間なのかというのを考えて生きていくのはいいことなんじゃないかと思います。

私は、障害者運動家の方に「荒井は社会がこうだとか経済がこうだとか、大きい主語で喋り過ぎだ」「なんで自分がつらいなら自分がつらいって言わないんだ」と随分言われてきました。自分に降り積もった言葉の使い方を指摘していただいた経験は大きかったと思います。この時代、一歩立ち止まってそういうことに目を向けてみてもいいんじゃないかと思うんです。

なるほど、確かにそういう自分の言葉遣いって、人と関わるなかで気づくことが多いように思います。荒井さんがいま日常的に意識されている、自分の言葉の使い方ってあったりしますか?

荒井 ふだん意識しているのは、家でパートナーになにか頼むときは「きちんとお願いする言葉」を使うようにしていることですかね。男性が女性にものを頼むときに、ぞんざいな言葉を使っていいと自分の息子に感じてほしくないんです。職業柄、いろんな世代の子どもたちと接するんですが、ある年頃になると「女性には気軽にものを頼んでいい」「女性は手伝ってくれるのが当たり前」と思っている男の子が一定数出てくるような気がしています。でも、それはまったく「当たり前」じゃないんです。誰かにものを頼むときは、性別年齢関係なく「お願いする言葉」が必要なんです。大人の日常的な言葉の使い方が次の世代にも影響を与えてしまうと感じているので、そこは心がけています。

確かに、子どもって本当に大人の言葉遣いをよく見ていますよね。

荒井 やっぱり、大人の言葉のあり方が社会に降り積もって、次の世代を作っていくことになると思うんです。教育現場に立っていて、教員の言葉遣いが荒かったり人への態度が横暴だったりすると、そういうあり方がクラスのなかで許容されてしまう空気ができていくのを感じるんですね。世の中に荒っぽい言葉が増えたのも同じようなもので、その一因は政治家の言葉が荒っぽくなっているからだと思うんです。

いま、言葉をめぐる状況がかなり緊急事態というか、非常事態のなかで私たちは生きています。そこはひとりの学者として、強く警鐘を鳴らしたいところです。政治家の言葉の横暴さと空虚さを私たちがきちんと噛みしめれば、じゃあ本当はどんな言葉が望ましいのかという問いが生まれてくると思います。

どんな言葉を求めているのかというのはそのまま、どのような暮らしや社会を求めているのか、ということにつながりそうですね。

荒井 そうですね。自分の本のなかで、社会が「安易な要約主義」に陥っているという言葉を使ったのですが、日常生活のなかでもそういったキャッチフレーズ化された言葉を押しつけられやすい社会になってきているので、自分なりの言葉に噛み砕けない限りはその言葉を信用しない、という姿勢も大切なのではないかと思います。

要約って「ここが大事ですよ」とまとめるような行為ですが、なにを大事と思うかって本来は人によってバラバラなはず。それを勝手に決めつけられるような空気って、私は息苦しいししんどいと思います。だから、なにか大きな言葉を前にしたとき、その言葉が自分にとってしっくりくる意味で使われているかどうかを疑ってみることが必要なのかなと。「言葉の画素数を上げていく」という表現を私はよく使うんですが。

画素数を上げる、というのは?

荒井 例えば、「怒り」という言葉は最近「怒っているだけじゃなにも変わらない」というようなネガティブな意味で使われることも多いと思うのですが、それには個人的にモヤモヤしているんです。「怒り」と「憎悪」って違うもので、怒りというのは相手と一緒に生きていくことを前提とした感情のように思うんですね。私も自分の子どもや学生には怒ることもありますし。でもいま特にネットの世界で飛び交っている「憎悪」は、相手の存在自体を拒絶する態度で、それは社会を壊すものだから許容できない。

だから「怒り」は本当に使わない方がいい言葉なのかとか、「ダイバーシティ」って最近すごく使われるけれど本当にその言葉でいいのか、とか。そういうふうにいちいち立ち止まって考えることを、私自身これからも意識していきたいと思っています。


取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

周囲との関係性にモヤモヤしたら

お話を伺った方:荒井裕樹さん

荒井裕樹さんのプロフィール写真

1980年東京都生まれ。二松學舍大学文学部准教授。専門は障害者文化論、日本近現代文学。東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。著書に『隔離の文学――ハンセン病療養所の自己表現史』(書肆アルス)、『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(現代書館)、『車椅子の横に立つ人――障害から見つめる「生きにくさ」』(青土社)、『まとまらない言葉を生きる』(柏書房)などがある。

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