
多治見に必要なピースが揃い始めたコロナ禍の動き「新しく来た人たちがまちを面白がってくれた」
「多治見で何かしたい時は玉木さんへ」とみんなが口をそろえるほど、まちの案内人的存在である「玉木酒店」。多治見の歴史ややきものにも精通していて、器の展示やジャズライブも行う、酒屋という枠にとどまらない存在感。
多治見が面白くなってきたのは、いつからなのか? コロナ禍で大きく変わったまちの雰囲気や、観光に来た人にオススメの楽しみ方についても聞いてみました。

<話を聞いた人>
玉木秀典さん(写真中央)、陽子さん(写真右)、鼓太郎さん(写真左)ながせ商店街にある、大正時代創業の老舗酒屋「玉木酒店」の4代目・秀典さん。妻・陽子さん。5代目の長男・鼓太郎さん。酒販店という枠にとどまらず、器の展示やライブを行うなど幅広く活動しています。
玉木酒店
〒507-0033 岐阜県多治見市本町4-46
https://www.instagram.com/tamahide/
「最近の多治見はやきものに限らず、新しいことを始めたい人が集まって盛り上がっている印象があります。私自身もそうですが“よそ者”がたくさんいて、まちの人に受け入れてもらえているのもありがたい状況だなと。
皆さんは長くまちを見ていますが、いつ頃からまちに新しい人がどんどん入ってくる雰囲気が生まれたと感じますか?」
「まず、多治見にまちづくり会社(現たじみDMO)ができて、いろんなイベントを仕掛けるようにはなったり、陶芸作家さんとの付き合いは生まれるようになったりしていたけど、一番のきっかけは『新町ビルができたこと』」
「2019年ですね」

「そこからグッと歯車が回り始めた気がしますね。それまで僕らは、陶磁器産業があまりにも身近で何も感じていなかった。本当はまちにとってキラーコンテンツのはずなのにね。新しい人が多治見に来たことで価値に気付かせてもらえた」
「自分たちが見向きもしないものを、外から来た人が価値を感じていたんですね」
「あとは、コロナ禍で元々多治見にいた人が東京から帰ってきたり、海外向けの仕事をしていた人が改めて地元を見つめ直すようになったり。その頃からいろんなピースが一挙につながっていった気がしました」

「コロナ禍に突入した頃、鼓太郎さんはどんなタイミングでしたか?」
「僕はちょうど名古屋で就職する時期でした。玉木酒店、大丈夫か? って心配していたけれど、逆に秀典さんと陽子さんがめちゃくちゃ楽しそうに新しいことを始めていたのが印象的で。コロナ禍に2階のギャラリーを作って、ギャラリーでワークショップや靴の販売などを始めて本当にすごかった」
「元々、家業を継ぐことを考えていたんですか?」
「全然考えてなかったですね。社会人3年目で今後を考えた時、秀典さんと陽子さんがコロナ禍でも動いていた姿が本当にかっこいいなと思いました。それがずっと頭の中にあって、やっぱり僕が継がないといけないと思って」
「なるほど。コロナ禍で、まちの結束が強まった印象はありますか?」
「コロナ禍でみんなが地盤沈下している時に、少しでも頑張っている人たちだけでも沈まないように保っていれば、その人たちの姿は見えるようになる。だから、みんなが手をつないで頑張ろうぜ、みたいな空気があったかな」
いまは「やりたいことを言えるまち」になっている

「いまは、まちで新しい動きが生まれるたびに応援してもらえる雰囲気がありますが、多治見は昔からそういう気質だったんですか?」
「昔は、マンパワーがないことに打ちのめされていました。口を開ければ『地場産業が衰退するから多治見はダメだ』『景気が悪いでどこ行っても売れんわ』みたいなネガティブな意見ばかりが飛び交う時期もあって」
「そんな時期があったんですね……!」
「昔、商店街の視察で地方都市に行った時に『多治見をどんなまちにしたいですか?』って聞かれて何のイメージも持てなかったもん」
「外からの人が増えて関わってくれたり、アイデアを出したりする流れが自然と生まれて、気付いたら楽しくやれるようになった。昔は、ネガティブな話をたくさん聞いていたけど、いまはやりたいことを言えるまちになっている。前向きな思考や会話が増えてきている気がします」
「たしかに『やりたいことを言えるまち』だと思います!」
「自分の暮らすまちを好きじゃないと、まちなんて光るわけがない」
「鼓太郎さんは、生まれ育った多治見のことをどう見ていましたか?」
「正直、『何もないまちだなぁ』って。あと、20代の人たちが名古屋に就職していて、僕の同世代が多治見に全然いない!ってずっと思っていたんです。でも、全国から30歳までの作り手が学びに来る『多治見市陶磁器意匠研究所』に通う同世代がたくさんいると気付きました。20代の人たちが多治見に定住して、ずっとまちを面白がっていってくれたらいいな」

陶芸家やクラフトマンを志す人の育成や業界支援を行う「多治見市陶磁器意匠研究所」
まちを「伝言ゲーム」のように、歩いて楽しんでみてほしい

「みんな『多治見で何かを始めたい時は、とりあえず玉木さんに行った方がいいよ』と言いがちですよね」
「それ、間違ってる(笑)。 『家を探してほしいんですけど』とか来るもん。他にも、この前は陶芸作家の子が『クルマが欲しいんですけど』って」
「それはクルマ屋さんへ行きなさい(笑)」
「何の仲介業なんだろう(笑)」
「なぜか分からないけど、玉木さんのところへ行けば何か見つかるって聞いたらしいよ」
「観光客の方々もよく玉木酒店を訪れていますよね。多治見に来たら、どんな風に楽しんでほしいですか?」

玉木家の皆さんが営む「玉木酒店」
「土岐川を中心とした歩けるエリアに面白い店が集まっているから、とにかく歩いてほしい」
「私も土岐川の景色が大好き。嫁いだばかりの頃、死ぬ時に見たい景色はこれだと思った。山と川、橋から空が広がる風景。まちの中に川があるシチュエーションって本当にいいと思う」
「店に行ったら、そこの店主が次にどこを紹介するのか?みたいに伝言ゲーム的な要素で歩くと面白いはず」
「みんな、まちのオススメを紹介してくれますよね!」
「僕は、来てくれた人には『どこに行きました?』って聞いて『そこに行ったんだったら、ここはどうですか?』という紹介をする。それだけいっぱい紹介したいところがあるからね」

「昔、どんなまちにしたいのかというイメージが全く出てこなかったとおっしゃっていましたが、これからの多治見はどうなってほしいですか?」
「まず住んでいる人がまちを誇れるように、なぜ多治見に魅力があるのか? を再度掘り起こして棚卸をしないといけない気がする。
そのためにも、僕たちがやっている『かまわ庵』というお茶を学ぶ活動や、2024年に開催したアートプロジェクト『土から生える』など、文化的なイベントをこれからもどんどんやってほしい。それを鼓太郎たちの若い世代につなげていけたらいいよね」
「この地域はすぐ名古屋に行ける距離だし、名古屋に行けば“何でもある”のに、最近は地産地消というか、多治見で何かを起こす風潮がある気がします。みんながここで手を動かしているような」
「みんな、地域の中で運営や企画を回してるよね。イベントをやると一緒の人が関わってる(笑)」
「そうなんです。好奇心が強いし、他人事ではいられない人が多いかも(笑)」
「でも、みんなそれを楽しんでる。その雰囲気をキャッチした人が遊びに来れば、さらに広がるはず。大の大人が馬鹿げたことを本気でやることが一番。いまの多治見は、そんな要素はいっぱいあると思う」
「堂々と自分の暮らす地域を『いいまち』と言えるのは気持ちいいですよね。身近な人が多治見を愛でていると、私もうれしくなります」
「最近、ほんと楽しいですよ」
「うん、僕も多治見が好きです」
「1年前、5年前、10年前よりも、いまが楽しい。年々そんな風に感じられたらいいですよね。今回の記事が、まちのムードを味わいに来てもらうきっかけの一つになればうれしいです!」

おわりに

お酒だけでなく、人をつないで、文化を伝える。
まちを引っ張り、応援して面白がってくれる数寄者。
玉木酒店は、つい足を運びたくなる“実家”のような存在でもあります。やきものを学びに来る学生や移住者など、生まれ育った故郷から離れて暮らす人も多いからこそ、玉木家からたくさんの安心感を与えてもらっています。
インタビューから伝わったと思いますが、みんな多治見が好きで、それを公言しがち。私もこの記事を書きながら愛がこぼれすぎてしまう……と少し恥ずかしくなっています(笑)
とはいえ「好き」の理由を突き詰めると、まちの人が魅力的だからだと思います。とにかく、ちょっと変わった面白い人が多い。歩いていれば知り合いに会うほど狭いまちだけど、つかず離れずの程よい関係も心地いい。
地域全体で見れば、移住者、新しく何かを始める人、作家活動をする人たちはマイノリティの規模感かもしれないけれど、その人たちが暮らしやすいなら、誰にとっても大らかで包容力のあるまちになり得るのではと個人的には思っています。そんな雰囲気が少しは伝わったでしょうか?
今回の記事に載せきれなかった紹介したい人・店は、まだまだたくさん! 多治見に興味を持ったら、気軽に遊びにきてほしいです。その際はぜひ「まちのオススメは?」と聞いてみてくださいね。
撮影:加藤美岬
編集:吉野舞



















































