時間を有効に使うには? 会社員と作家業を両立する三宅香帆さんのタスク管理術

 三宅 香帆

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予定していたタスクが終わらなかった……。一日を振り返るとき、そのように感じて気分が落ち込む人は少なくないのではないでしょうか。

副業や趣味を含む課外活動を行うことも珍しくなくなってきた昨今。どのように日々のスケジュールを管理し、マルチタスクをこなしていくかは重要性を増しているように思います。

学生時代から文筆家・書評家として活動している三宅香帆さんは、社会人3年目となる現在も、著書の出版や雑誌・Webメディアへの寄稿を多数行うなど、精力的に活動されています。

どのように日々のスケジュール・タスク管理を行っているのか。三宅さんに執筆いただきました。

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会社員兼作家業。二足の草鞋を履いてもう三年目になる。

本を読んだり書いたりするのが好きで、大学院生のときに一冊目の本を出版した。就活では副業可能な会社を探し、新卒でいまの会社に就職した。今年は六冊目の本が出るし、連載は毎月5本以上ある。「会社と執筆、どっちが本業なんだか分からない」と周囲に笑われながら、毎日働いている。

私自身、日々、時間の使い方やタスク管理について悩むことは多い。本業・副業ともに仕事をする時間はもちろん大切だけど、趣味に使う時間や人と過ごす時間も、同じくらい大切だ。やりたいこと、やるべきことは日々増える。でも、できるだけ楽しく明るく働きたい。

今回は、自分なりに気をつけている、タスクやスケジュールの管理方法について書いてみたい。もしかしたらこの記事を読んでいる人のなかに、私と同じように「本業とは別に副業をしている人」「趣味に使う時間も重視したい人」や、特に兼業はしてないけど「最近、だらだら仕事をしてしまっているな」という人もいるかもしれない。参考になったらとてもうれしい。

先に言っておくと、私が会社員と副業を両立する上で、一番気をつけているのは、自分にとってストレスのない方法を見つけることだ。

私の場合、社会人一年目の頃に(まだコロナのコの字もなかった頃だ)人生で一番ストレスフルな日々を送っていた。「せっかく就職で東京に来たし、誘われた飲み会はとりあえず行った方がいいかな」「原稿ができてないのに、趣味の本や漫画を読むなんてダメかな」などと思い込み、自分の好きなものを遠ざけ、とにかく「原稿」「会社」「人とのごはん」を優先した。結果、ぶっ倒れた。

そして悟った。「私は趣味より仕事を優先するなんて無理だ」と。

その後、「できるだけ好きなものに触れる時間は削らない」ことをモットーに、自分にとってとにかくストレスを溜めないスケジュール管理法を試行錯誤している。

ストレスはよくない。他人に合う方法と、自分に合う方法は違う。あくまで自分にとって、できるだけストレスのない方法を探すことが大切だと思う。なので、この記事で紹介しているものも「三宅にとってはこういうやり方がストレスがないんだな……」と思うくらいに留めてみてほしい。

方法1:月単位と週単位で手帳を使い分けたら作業効率が上がった

まず前提として、私は会社の予定は全て、会社で指定されたOutlookで管理している。多少の変動はあるにせよ、会社の勤務時間はある程度決まっているため、それ以外の空いた時間でいかにやりくりするかを考えた。

そこで私がたどり着いたのは、「スケジュール管理」のためのマンスリー手帳アプリと、「タスク管理」のための紙のウィークリー手帳を使い分ける方法だ。「スケジュール」と「タスク」はちょっと違う。前者は主に予定やタスクのダブルブッキングを避けるため……つまり月単位の稼働量を把握して、キャパオーバーにならないように予定の調整をする目的で使っている。一方、後者はやるべきタスクを処理していくために、週単位の動き方を決めるためにある。

スケジュールは、副業の締め切りもプライベートの予定も全て手帳アプリ「Life bear」に記入している。予定は、副業の原稿〆切はえんじ色、病院やお店の予約は赤色、友達との遊びの予定などはオレンジなどと、スケジュールの内容によって色を変える。

このアプリのいいところは、マンスリーの予定が見やすいところ。連載などは基本的に月単位で〆切があるので、私は月ごとの稼働量をすぐに確認できるようにしたいのだ。いろんなカレンダーアプリを試してみたが、月単位で予定を確認・編集できて、カテゴリごとに色を変えられるものが一番便利だなあと感じた。

一カ月ごとの予定を表示させることで、副業の執筆の締め切りなどが重なっている日が見やすくなる。あんまり重なっていて「これは間に合わないかも、やばいなあ」と思うときは、できるだけ各媒体の編集者さんに「この締め切りって、ずらしてもらえますか……」と事前に相談するようにしている(それでも間に合わない時も多々ありますが、ごめんなさい)。

また、できるだけ重い原稿の締め切りの前日あたりは予定を入れないようにするなど、余裕を持ったスケジュールになるように心がけている。

三宅香帆さんの手帳アプリの様子
この月は26日の締め切りが、本の原稿の締め切りでかなり重かったので、それをできるだけ締め切りのない1、2週目にやっておこう……そのあたりにはごはんの予定を入れないようにしよう……などの調整を自分で考えたりしていた

ちなみに、多くの人が使っているであろうGoogleカレンダーアプリもインストールしたことがあるのだが……Googleカレンダーは週単位で使うことを前提としているように思える(私が確認した環境では)。

例えば、「Life bear」では、7月の予定を見ているとき、画面に表示されてしまう8月や9月の日付はマス目自体の色を変えてくれている。しかし、Googleカレンダーの場合はわずかに日付の数字だけがグレーになっているだけ。あるいはGoogleカレンダーでマンスリーページから日付をタップして予定を編集しようとすると、一回デイリーのページに飛ぶのも地味にいらっとする。それゆえ、私にとってはLife bearの方が圧倒的に使いやすい。Life bear推しである。

一方で、タスク管理に使っているのは紙の手帳。私は、まず月曜日にアプリで今後のスケジュールを把握し、締め切りごとにタスクに落とすようにしている。例えば、「本の書評の締め切り」が新たにスケジュールにあったら、「本を読む」「何を書くか決める」「実際に書く」などのタスクに落とす。そして、そのタスクをそれぞれウィークリーの手帳に書き、いつやるかを決める。タスクに落とし込むときは、できるだけ細かいタスクに落とし込むのが大切だなあ、とよく思う。

昔はこの「ウィークリー手帳にタスクを落とす」行為を省いて、Life bearのスケジュールしか見てなかった。しかし、実際にタスクに落とし込んでみないと、それがどれくらい重い締め切りなのか、自分でもよく分からないのだ

例えば、スケジュール帳で見れば同じ「書評の締め切り」であっても、「今まで読んだことのある本の書評(1200字)」なのか、「よんだことのない本一冊の書評(3000字)」なのか、「その作家に対する論考(8000字)」なのかにより、かかる労力は全く違う。私の場合、ウィークリーの手帳にタスクを落とすときに、「ぎゃっ、この本読むのに時間がかかりそうだから、二日とっとかなきゃだめだぞ」とはじめて気づいたりする

忙しくなると、ついスケジュールに予定を入れるだけになってしまいがちの人もいるかもしれないが、スケジュールとタスクの管理を別々にするようになってから私は効率が一気に上がったので、この方法を続けている。

方法2:リマインダーとメモでタスクに取り掛かる負荷が軽くなった

しかし、性格の問題だと思うのだが、手帳にタスクを記入しても、私は「タスクにとりかかるまで」が異常に遅い。

タスクの処理は、始めるときが一番つらい。取り掛かるまでとにかく時間がかかる。……基本的に怠け者なのである。

なので、とにかく自分に「まずはこれに取り掛かろう」と思わせる工夫をする必要がある

そこで、自分があんまりやる気のないときは、スマホに入っているリマインダー機能にタスクを入れるようにしている

リマインダー機能は、消すまで永遠にスマホの通知欄に存在する。するとスマホを見るたび「ああ、通知消したい……」と思うので、リマインダーを消すためにそのタスクにとりかかることができる。さすがにまだ取り掛かってないのに通知を消すのは罪悪感があるので、「まずは取り掛かる」という最初の一歩を踏み出すことができるのだ。

このとき、先ほどよりもさらに小さいタスクとしてメモすることを心掛けている。例えば「●●の原稿を書く」よりは、「●●の原稿の字数を確認」の方がいい。自分にとってできるだけ楽にできるタスクから始めることで、一番気が重い、最初の一歩をなんとか自分に始めさせるようにしている。

ちなみに私は買い物や録画、Twitterでの告知など、仕事には関係ないタスクも同じようにリマインダーに記入するようにしている。リマインダーにメモする癖を日頃から忘れないため、という理由もあるが、単純に忘れっぽいからメモしておきたい性分なのだ……。

ただ、ここまでやっても、大変な原稿に取り掛かるのはしんどい。

そこで、「次回の連載で書きたいこと」や「次の原稿の書き出し」、「修正したい点」など、実際に原稿に書く前に、日頃の生活のなかでぼやっと考えていることをスマホにとりあえずメモしておくようにしている。スマホだと、あとで検索できるので便利だし、何よりタスクに取り掛かるときの取っ掛かりになってくれるのだ。

SNSの更新なんかも、基本的に下書きでメモしておいて、時間のあるときにちゃんと書いて公開したりしている。例えば、私はTwitterで読んだ本や漫画の感想を書くことが多いのだが、とりあえず読んだ本だけ下書きに書いておいて、後でちゃんと感想を書くようにすることも多い。「これあとで書こう~」と気軽に下書きにほいほい入れるようにしているのだ(まあ、下書きに入れる間もなく、その場で書いて更新することも多々あるけれど!)。

方法3:「意識的」に落ち込むことをやめたら無駄がなくなった

最後に、実は私がいちばん心がけているのは、できるだけ落ち込まないことだ。

基本的に、仕事は最初に立てていたスケジュール通りにならない。でも予定通りできなかったとき、落ち込み過ぎたり焦ったりして、自己嫌悪している時間がいちばんもったいない。スケジュール通りにできないことも、いつかはできるようになるでしょう、どうにかなるでしょう、と私は「意識」して楽観的に受け止めるように心がけている

昔は「なんでできないんだろ!?」とよく自問自答していたのだが……とくに答えはでなかった。今はもう、その時間が無駄だなあと感じるようになったので、スケジュール通りできないことを受け入れることも必要だと私は思う。というか過度に落ち込むときは、そもそも寝てなかったり水を飲んでなかったり、体が疲れていることが多い。落ち込む前に体を休めた方がはやいことに私は気づいた。落ち込むときは寝よう。それが無理なら好きなものに触れよう。

自分に甘いっちゃ甘いのだが、まあ、落ち込んでても何も変えられないし。普通の人間が楽しく兼業仕事を続けていくためには、時にサボることも必要だと思う。ただでさえ、兼業はスケジュールが逼迫しやすい。でも、休まないのはよくない。サボって休息を作ることも、ある意味、働き続ける上で大切なポイントではないだろうか……!

適度にサボって、こまめにストレス解消をして、できるだけ楽しく兼業生活を続けたい。というわけでスケジュール通りにいかなくても、私は落ち込まないようにしている。

***

仕事はいつだってそこにある。それらとどう向き合い、有効に時間を使うかは、自分の心持ちや工夫次第で変わってくるものだと私は思う。

私も試行錯誤している途中なので、明日にはやり方も変わっているかもしれない。たぶん大切なのは、冒頭にも書いたけれど、今の自分の性格や環境に合った方法を見つけることだ。

副業や趣味の活動などをしているみなさん、健康に気をつけて、自分を追い込み過ぎず、ストレスなく働けるように頑張りましょう。私も頑張ります!

編集/はてな編集部

著者:三宅香帆(みやけ・かほ)

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1994(平成6)年生まれ。会社員の傍ら、文筆家・書評家として活動中。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)などがある。

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誕生日にこだわることをやめた|大木亜希子

 大木 亜希子

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライターの大木亜希子さんに寄稿いただきました。

大木さんがやめたのは「誕生日にこだわること」

もともと「誕生日は誰かに祝ってもらえなければ価値がない」とさえ思っていたという大木さん。しかし、ふとしたことから今年は母親と過ごすことを思いつき、実行したところ気持ちが楽になったといいます。

呪縛から逃れるきっかけになった大木さんの誕生日体験について、つづっていただきました。

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少し前までの私は、誕生日に誰かにお祝いしてもらえなければ、自分には価値がないと思っていた。

自分一人では泊まれないような高級ホテルで過ごしたり、高級レストランでバースデープレート片手に祝ってもらったり。それこそが「理想の誕生日である」と思い込んでいた。そして、みんなが憧れるような異性に盛大にお祝いしてもらうことで、自分はこんなにもすごい人に祝ってもらえる人間なのである、という勲章が欲しかったのだ。

しかし、ひょんなことから今年の誕生日を母親と過ごすことになり、考え方が変化した。誕生日に誰と一緒にいるかは、自分の価値を測る指標ではないと気付いたのだ。

「理想の誕生日」を追い求めた日々

20代前半の頃、私は周囲の仲間たちが幸福そうな誕生日をSNSにアップしているのを目撃するたび、嫉妬にかられ気が狂いそうになった。素敵な彼と一緒にいることを、なんだか“匂わせて”いるように思えてしまうからだ。

同時に、いつか私の前にも素敵な人が現れて、自然な成り行きで「理想の誕生日」が過ごせると信じて疑わなかった。

ところが、20代半ばを過ぎた頃からだろうか。「私の誕生日を満足に祝ってくれる異性が現れない」という驚愕の事実に、薄々気付き始めた。

そんなはずは、ない。私だっていつか華やかな誕生日を迎えられる日がきっとくる。そのためには今、異性からモテる努力をしなければ。いつからか追い詰められ、鬼の形相で躍起になった。

そして、ある年の誕生日、私は祝ってもらうためだけに彼氏を作った。いま冷静に考えれば、相手に対して無礼千万である。しかし、当時の私は真剣だった。

その「誕生日彼氏」は、悪い人ではなかったが、彼が私へのプレゼントに用意してくれたのは、デパ地下で売られる茄子の惣菜だった。夕食の席で「一緒にこれを食べよう」と言われた瞬間、あまりにも理想とかけ離れた現実に、くらりと眩暈がした。別に惣菜が悪いわけではない。

しかし、成人した男女が誕生日を過ごす空間で、何も茄子を囲んで食べなくても良いではないか。ましてや、女性にネックレスや指輪のひとつでも買えない経済状況の男性ではなかった。とはいえ、どうしたって私の方が絶対的に悪い。自分の理想を乱暴に相手に押し付けてしまっていたのだから。

私は貼り付けたような笑みで「美味しい、美味しい」と念仏を唱えながら惣菜を食べた。心は虚無のまま。ほどなくして、当然のように「誕生日彼氏」とは疎遠になり、再び私は独りになった。

30代を目前に控えても、誕生日に対する恐怖心は消えなかった。依然として、自分を満足に祝ってくれる異性を探し続ける日々。時には、スノッブな食事に連れて行ってくれる男性もいたが、楽しい会話が続かない。

今思えば、「私を満足させてほしい」という傲慢さに満ち溢れ、偽りの自分を演じていたのだから、ある意味では当然だろう。相手のことを何も考えることができていなかったのだ。

誕生日は「母に感謝する」一日に

ところが、こうした葛藤と戦っていくうちに、私はほとほと疲れるようになった。人として成長したわけではない。単純に年齡を重ねたことで体力が衰え、自らの強烈なエゴに耐え切れない身体になっていたのだ。

これを機に、ようやく煩悩を鎮められそうな気がする。もう、誕生日という日に執着することはやめたい。ひいては「他人に幸せにしてもらいたい」という、激しく惨めで他者に依存した感情とおさらばしたい。

そこで私は「今度の誕生日は独りきりで過ごそう」と思い立つ。

強迫観念が薄れた今だからこそ1人で誕生日を過ごし、自分の心の内側と向き合ってみたい。なんだかそう考えると不思議と気持ちが前向きになって、次の誕生日を迎えるのが楽しみになった。

ただ、現実は不思議な方向に転がった。

今年も例年通り、誕生日の時期が迫ってきた。32歳、いよいよ独りで過ごす誕生日を決行するのだ。そう考えるとわずかに興奮し、鼻息が荒くなる。

ところが、誕生日の1週間前の夜の出来事であった。いつも通り、就寝するため布団に潜ると、不思議な出来事が起こった。ふと「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」と、誰かから耳打ちされた気がしたのである。

まるで、何かの天啓みたいだった。隅々まで部屋中を見渡すが、何も変化は見られない。気のせいだと思い込み、さっさと横になる。

しかし、「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」という先ほどの言葉が脳裏にこびりついて離れない。

幾度となく寝返りを打ってみるが、私はとうとう起き上がった。そして冷静に考えた。確かに、両親がいなければ私という人間は存在しない。それは事実である。

とくに我が家は父が早くに他界し、母は女手一つで私たち4人娘を育ててくれた。精神的にも経済的にも相当つらかったことは容易に想像できるし、苦労をかけた母を心底労いたい気持ちもある。

一方で、そんな崇高な考えは偽善にも思えた。自分のことさえ満足に愛せない人間が、親に感謝するなど綺麗事甚だしいのではないか。

あらゆる思考が逡巡するが、最終的に「母が生きている間、あとどれくらいの親孝行ができるだろうか」という思いにかられる。私の母はいつも年齢を聞くと「永遠の48歳」と自称するため、私は彼女の本当の歳を知らない。しかし、おそらく60歳は越えている。できる時に親孝行をしておかなければ、後悔する気がする。

そこで、いよいよ私は重い腰を上げることにした。

今度の誕生日は、母に感謝する日にしようと決めたのである。

これまでになく気持ちが軽かった誕生日の朝

2021年8月18日。32歳の誕生日当日の朝。起床後すぐ、「よし、今日くらい自分磨きに散財してみるか」と思い立つ。

母と待ち合わせをする前に、私は駆け込みでひとり美容院に行くことにした。今日だけは男性ウケを狙うのではなく、自分のために綺麗になりたいと思ったからである。真新しいワンピースに袖を通し、初めて行く美容院でカットとカラー、それにトリートメントをお願いする。

担当してくれた美容師さんにそれとなく「私、今日が誕生日なんですよね」と告げると、彼は「イイっすね。じゃあ、今日は誕生日デートかぁ。夜まで髪が崩れないようにヘアスプレー多めにかけておきますね」と言ってくれた。

違う、そうじゃない。これから会う相手は恋人ではなく、母だ。説明しようと思ったが諦め、私は愛想笑いをした。

その後、帝国ホテルまで向かった。今回は、1人約9千円するランチバイキングに行くと事前に母と決めていたのである。本来、私にとっては誰かに祝ってもらうはずの日なのに、何が哀しくて高額な自腹を切るのか。ふと、そんなケチくさい考えも脳裏をよぎる。

しかし、今の私には、この行動が何かとてつもなく意味のあることに思えた。ホテルに向かう途中、今までの誕生日のなかで最も気持ちが軽いことに気づく。心は静寂に包まれていた。

ホテル正面に向かうと、入ってすぐのベンチに母は小さく座っていた。

声をかける直前、彼女の佇まいを盗み見る。昔に比べ、随分とその背中は小さくなっていた。それでもイッセイ・ミヤケの赤いワンピースがよく似合い、赤い口紅も華やかに映えている。我が母ながら美しい人だな、と思った。

「ママ、お待たせ」

声をかけると、母はすぐ立ち上がって私に腕を絡ませてくる。

「今日はありがとう! いっぱい食べられるように朝食は抜いてきました!」

ニコニコと宣言してくるその顔が、まるで少女のようだった。

「理想の誕生日」を過ごしていた母親の告白

我々は本館17階の「ブッフェレストラン インペリアルバイキング サール」に向かう。会場の中央のテーブルには、ローストビーフや果物、彩り豊かな野菜が並べられていた。

窓際のテーブルに通されて座ると、さっそく食事のオーダー方法に関する説明を受ける。コロナ対策のため1テーブルにつき1台のタブレットが置かれており、そこから注文する仕組みになっていた。当初は不慣れなオーダー方法に困惑したが、次第にタブレットの扱いにも慣れ、我々は食べたい物を好きなだけガシガシと注文するようになった。

サーモン、エビ、焼き立てのパン、エスカルゴのオーブン焼きにローストビーフ、そして名物のカレー。何を食べても、卒倒するほどうまい。そこからは一流の接客を味わう暇もなく、無言で胃袋に食べ物を詰めまくった。

6割ほど腹が満ちたタイミングで、ようやく私の方から口を開く。

「あ〜あ。一度で良いから、このホテルに泊まってみたい人生だったな。素敵な彼氏と」

半ばジョークのつもりだった。すると母は、口元のフォークの動きをわずかに止める。

「そうね。ウフフ」

その声にわずかに含みがあると気づき、私は冗談で言葉を返す。

「ちょっと今の含みは何? まさかママは、このホテルに泊まったことがあるの?」

彼女の顔に、わずかに“女”を感じとった。

「どうでしょう?」
「え〜。良いなぁ。パパと泊まったの?」
「もう忘れちゃった。これ以上は言わないでおく」

まさかの、“相手が父ではない説”が浮上する。どういうことなのか。私は急いで問い詰めた。

「一緒に泊まった相手はパパじゃないって言うの? じゃあ、相手は誰?」

すると、彼女はとうとうフォークを手元に置き語り始めた。

「結婚前に一度だけ、このホテルの部屋に入ったことがあるの。でも、泊まってない。もう何十年も前の、若い頃の話よ。確か私の誕生日だった」
「そんな話、これまで聞いたことない」

母は口元を拭うと、伏し目がちに言った。

「相手は経営者の男性だった。それまでにも何度かデートしたことがあって」

そこから簡単に当時の状況を教えてくれた。

その男性は、何歳も年上の優しい人だったそうだ。ある時、母が音楽会にひとりで行った際、偶然にも隣の席に座ったことで知り合った人物らしい。その後、向こうからアプローチを受け、押し切られる形で交際直前まで関係が進んだそうだ。

「良いなぁ。その人と付き合って、結婚すれば良かったじゃん。そうしたら玉の輿だったわけでしょ」
「でも、その人と一緒になる道を選んでいたら、かわいい四人の娘たちも生まれてこなかったわけだし」

母は無邪気に笑う。私は内心、胸がバクバクしていた。この話を聞いたからには、核心をつかなければならない。ゴクリと唾を飲み込む。

「…それで、その人とは、『そういう関係』になったの?」

すると母は、大きく目を見開いた。まさか娘から直球な質問を受けるとは思わなかったのだろう。彼女は、ひとつ咳ばらいをすると真剣な表情をしながら言った。

「何もなかったのよ。その人とは」
「……え?」

まさかの返答であった。

「ちょっと、ここまで焦らしておいてその答えはないよ。嘘つかないで!」

猛烈にクレームを入れる。しかし、彼女は動じなかった。

「嘘ついたって仕方ないじゃない」
「でも、部屋まで入ったんでしょ? 素敵な人だったんでしょ? なんで何もなかったの?」
「素敵な人だったし、食事やシャンパン、花やアクセサリーも用意してくれてうれしかった」

まさに私が求めていた「理想の誕生日」そのものである。

「超いいじゃん! 私も人生でそんな人が現れてほしかったよ」

思わず本音をぶつける。しかし、母は首を横に振った。

「私も、最初は少し舞い上がった。でも……」
「でも?」
「私はその彼に見合った自分でいたくて……。いつも無理して背伸びしたり、良い子ぶったりしていたことに気づいてしまって」
「少しくらい背伸びしたって、いいじゃん。私も男の人に好かれたくてブリッ子することあるよ」

私は語気を強めて反論する。しかし、母はこれを否定し、潔く言い切った。

「華やかな経験も沢山させてもらったし、刺激的だった。だけど、彼の隣にいるべきなのは私じゃないって分かった。私ね、その時、欲しい物は自分で買わなきゃ意味がないし、彼の社会的な立場に憧れていたんだなと思って自分を恥じたの」

数十年前の母の姿が、今の自分に重なる。母が若かりし頃も、私と同じような“呪縛”があったのだろうか。

しかし相手の男性は、どのような気持ちだったのか。 ある意味、不憫である。

「でもね、お別れしてからも年賀状のやり取りは続いたよ。時々、我が家に葡萄が送られてくるでしょう?」
「あぁ。あの、『葡萄の人』!?」

近頃はめっきり減ったが、葡萄の季節になると、我が家に立派な葡萄が送られてくることが時々あった。あの、葡萄の送り主がその人物だったのか。

「もう何年か前に、その方は亡くなったそうよ。私も新聞で知ったんだけど」
「新聞に出るような人だったんだね」

その後、母は父と出会って結婚したという。

我が家の父は、私が十五歳の時に病で亡くなった。母は働きながら四姉妹を育ててくれたが、その道は茨の道であったことは想像に容易い。しかし、我が家の経済状況がいかに厳しい時でも、母は笑顔を絶やさずに育ててくれた。

ここで、ひとつの疑問がよぎる。

「もしも、パパを選ばないで『葡萄の人』を選んでいたら、人生変わっていたなって後悔することはある?」

私は、つい母の本心を聞きたくて愚問を聞いてしまった。しかし、母は即答する。

「後悔したことは一度もない」

誕生日に執着することをやめた

しばらく食事を楽しんだ後、私たちは食後のコーヒーを飲んでいた。母は、過去の恋愛について私に話したことを少し気恥ずかしく感じているようだった。

「さっきの話、忘れてね。もう大昔のことだから」
「なんかママの話を聞いて、今も昔も『女の子の呪い』は変わらないなって思った」

その時、ふと気づいた。

そもそも私が「誕生日を素敵な異性と過ごし、祝福されないといけない」と思っていたのは、「他者からの見られ方」を気にしていたからである。一緒にいる”誰か”によって自分の価値を証明しようとしていたのだ。あの頃の母と同じように。

しかし、実際には虚栄心にまみれた醜い心は私を苦しめるだけで、大事なことを日々見失っていた。忘れていたのは、他者に自分の価値を託すのではなく、自分の力で「自分が自分らしく輝くことを諦めてはいけない」という当たり前の事実だった。

これまでの怨念がスーッと成仏していくことを感じる。もう誕生日の呪縛に縛られることはやめよう。自分の機嫌は自分で取る。他人に依存しない。それが当然なのだ。心からそう思った。

「誕生日は産んでくれた人に感謝する日でもある」。

あの夜の、不思議なひらめきは何だったのか。もしかしたら天国にいる父から、私へのギフトだったのかもしれない。

わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • 「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ
  • 「休まない」をやめた|土門蘭
  • 何かを頑張るために「コーヒーを飲む」のを(ほぼ)やめた|近藤佑子
  • 著者:大木亜希子(おおき・あきこ)

    大木亜希子さんプロフィール画像

    作家・女優。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で女優デビュー。2010年、秋元康氏プロデュースSDN48のメンバーとして活動開始。その後、会社員に転身しライター業を開始。2015年、「しらべぇ」に入社。2018年、フリーライターとして独立。現在は作家・ライターとして活動中。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)。原作の執筆を担当した漫画『詰んドル!~人生に詰んだ元アイドルの事情~』がコミックシーモアで好評連載中。

    Twitter:@akiko_twins

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    編集/はてな編集部

    在宅ワーク時のお昼ごはんに悩んだら「冷凍うどん」がおすすめ。 レンジだけで簡単にできる3つのレシピ

     梅津有希子

    冷凍うどんレシピ

    ライターの梅津有希子です。日頃から、包丁やまな板などを極力使わず、短時間で作れる手軽な料理について研究・発信しています。

    在宅ワークの普及で、お昼ごはんを家で食べるようになった人も多いのではないでしょうか。テイクアウトやお惣菜なども便利ですが、毎日買ってくるのはお金もかかるしなかなか難しいですよね。

    わたしはもともと自宅が仕事場のフリーランスなのですが、このコロナ禍で打ち合わせや取材もオンラインが格段に増えたこともあり、お昼ごはんも自炊が増えました。仕事の合間に食べるお昼ごはんは、パパッと済ませたいもの。洗い物もなるべく最小限にしたいし、何なら鍋やフライパンすら使いたくありませんよね。

    そんな面倒くさがりのわたしが重宝しているのが「冷凍うどん」。電子レンジでチンすれば調理できる、ありがたい存在です。スーパーの冷凍コーナーで、安いお店なら5個入り200円〜300円前後で買えるので、冷凍庫にストックしている人もいるのではないでしょうか?

    一方で「冷凍うどんって便利だけど、いつも同じ食べ方になってしまう……」と感じている人も少なくないはず。でも実は、和風も洋風も何でもいけるので、バリエーションが出しやすい存在なんです!

    そこで今回は、鍋を使わず電子レンジだけで作れる冷凍うどんのおすすめレシピをご紹介します。定番の組み合わせに一工夫加えたうどんや、レンチンだけで作れる、おつゆでいただく温かいうどんなど、3つのレシピを用意しました。

    (※電子レンジは全て600wで調理しています)

    約5分で完成「しらすとネギのわさびバター醤油うどん」

    しらすとネギのわさびバター醤油うどん

    釜玉うどんのような調味料と食材を和えるだけのうどんレシピは、洗い物が最小限になる点でも作りやすく、人気がありますよね。そんな中でも少しアレンジを加えたこちらのレシピ。みんな大好きバター醤油にわさびを忍ばせて、ちょい辛に仕上げます。チンして混ぜるだけなので、約5分で完成しますよ!

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • しらす 大さじ3
    • 小ネギ(小口切り) 適量
    • ごま 適量
    • 刻み海苔 適量
    • バター 10g
    • わさび 適量
    • 醤油 小さじ1

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.うどんにバターとわさび、醤油をからめ、しらすとねぎをあえる。ごまをふり、刻み海苔をのせて出来上がり
    👉しらす以外に、ひき肉や納豆、ちくわ、えびなど、何を入れてもおいしく作れるので、お好みの具で作ってみてくださいね。ネギは冷凍の刻みネギをストックしておくと、切る手間も省けて、好きな時に欲しい量だけ使えるのでおすすめです。

    カット済み食材で手軽に「きのことベーコンのチーズクリームうどん」

    きのことベーコンのチーズクリームうどん

    牛乳とクリームシチューのルウで作る、カルボナーラのような洋風うどん。とろけるチーズを加えれば、さらにこっくり濃厚に。

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • 厚切りベーコン(カット済みのものを使用) 80g
    • きのこ(カット済みのものを使用) 50g
    • 牛乳 150ml
    • 市販のクリームシチュー用ルウ(顆粒タイプ) 大さじ2
    • とろけるチーズ 1枚
    • 粗挽き黒こしょう お好みで

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.耐熱容器に牛乳、きのこ(今回はしめじとエリンギを使用)、ベーコンを入れ、電子レンジで約4分加熱する
    • 3.2にシチューのルウを入れ、よく混ぜて溶かす
    • 4.うどんを3ととろけるチーズであえ、粗挽き黒こしょうをふって出来上がり
    👉顆粒タイプのルウは、今回のような1人分のうどんやクリーム煮、ミルクスープなどにもちょこっと使える上に、すぐ溶けるのでとても便利です。きのこは、今回はしめじとエリンギを使いましたが、しいたけやえのき、マッシュルームなど何でもOK。複数のきのこをミックスすると、歯ごたえやうまみもアップするのでおすすめです。

    つゆもレンチンでOK「豚バラと白菜の生姜うどん」

    豚バラと白菜の生姜うどん

    豚のうまみが溶け込んだつゆでくったりと煮込まれた白菜を生姜と一緒に食べると、あっという間に体もポカポカに。寒くなるこれからの季節にぴったりです。

    材料

    • 冷凍うどん 1玉
    • しゃぶしゃぶ用豚バラ肉 120g
    • 白菜(緑の部分) 3〜4枚
    • 生姜(すりおろし) 適量
    • めんつゆ(3倍濃縮) 100ml
    • 水 300ml

    作り方

    • 1.冷凍うどんをパッケージの表示通りに電子レンジで解凍する
    • 2.耐熱容器にめんつゆ、水、白菜を入れ、電子レンジで約5分加熱する
    • 3.豚バラ肉を加え、さらに1分加熱する
    • 4.丼にうどんを入れて3をかけ、すりおろし生姜をのせて出来上がり
    👉めんつゆを活用すれば、あったかいつゆでいただくうどんが電子レンジ調理で完成します。すりおろし生姜は、チューブでもOK。生姜の代わりに柚子胡椒をのせると、ピリッとさわやかな味わいに。

    便利食材を活用して、おうちごはんをもっとラクに!

    長引く自粛生活でおうちごはんが増えたこともあり、わが家では、少しでもラクできる食材を積極的に使うようになりました。最後に、冷凍うどんのアレンジだけでなくいろんなレシピに活用できる便利食材をご紹介します。

    まずは、あらかじめカットされている野菜や肉。今回の「きのことベーコンのチーズクリームうどん」のしめじやベーコンも、カット済みのものを使いました。他にも鶏もも肉は、この数年一口大に切ってある唐揚げ用しか買っていません。チキンソテーもカレーも鍋も、全部これです。

    ストックしておくと何かと使えるのが、冷凍のひき肉。パラパラとほぐれて好きな量だけ使えますし、火もすぐに通ります。野菜たっぷりのみそ汁にひき肉を加えれば、食べ応えもアップ。豆腐と煮込んだり、スクランブルエッグに加えたり、応用自在。スーパーにお肉を買いに行かなくても、冷凍庫にひき肉が入っていれば安心です。

    調味料は、砂糖、塩、酢、醤油、みそといういわゆる基本調味料の「さしすせそ」を常備していますが、他にあるのはみりん、こしょう、ごま油くらい。自炊を始めたばかりの頃は、よく分からないままナンプラーや、XO醬や豆板醤などの“醬(ジャン)系”調味料を買ったりしていましたが、結局使い切れずに気がつけば3年たち、賞味期限が切れてしまうことがほとんどでした。このようなことを繰り返し、現在は基本調味料に落ち着いた感じです。

    おすすめの調味料の組み合わせは、ごま油と塩。何か一品足りないなと思ったら、ごま油と塩であえれば、何でもおいしくなるなあと思います。ささみとアボカドや、ホタテのお刺身、ゆでたキャベツにオクラなどなど。冷奴にごま油をかけて塩を振り、ちぎった海苔をのせるのもいいですね。サラダもごま油と塩であえるだけで十分満足なので、すっかりドレッシングを買わなくなりました。あっという間に1瓶使い切ってしまうので、5本常備しています(多過ぎ!)。

    ▼△▼


    長引くおうち時間の中、お昼ごはんを用意するのが面倒に感じたり、飽きてしまったりすることも多いですよね。そんなとき、安くて簡単、メニューのマンネリ化も解消できる冷凍うどんは、強い味方になってくれるはず。今回ご紹介したレシピも、在宅中のお昼ごはんにぜひ取り入れてみてくださいね。


    編集/はてな編集部

    在宅ワーク中や仕事終わり、ひと息つきたくなったら

    著者:梅津有希子

    梅津有希子

    編集者・ライター、だし愛好家。書籍『終電ごはん』(幻冬舎)では、「仕事で疲れて帰ってきても、これなら作れる」という「10分で作れて、洗い物少なめ」の1皿完結簡単レシピを、『世界一簡単なだし生活。』(祥伝社黄金文庫)では、「だしむすび」「あごだし湯豆腐」「だし巻き卵風フレンチトースト」など、旨味たっぷりの簡単だしレシピを紹介する。

    公式サイト:http://umetsuyukiko.com/ Twitter:@y_umetsu Instagram:@y_umetsu

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    保育園送迎、雨の日やイヤイヤ期でもスムーズにするコツは? 4人の子供を持つ夫婦が工夫してきたこと

     ベリー

    登園の様子

    4人の子供を育てるフルタイムワーキングマザーのベリーです。子供たちは、上から中1、小4、保育園児2人(2021年10月現在)。実家が遠いこともあり、4人の子供たちはどの子も0歳児クラスから保育園に預け、保育園の先生方に助けていただきながら子育てしています。

    上の子2人はすでに卒園しましたが、4人とも同じ保育園にお世話になっています。地下鉄で一駅離れたところにあるのですが、園の方針や園長先生をはじめとする先生方など全てが大好きで、送迎の負荷を何とも思わないくらい、良い園に巡り合えたと思っています。

    一方で、保育園の送迎といえば、仕事の行き帰りのただでさえ慌ただしい中、当日の天気や子供たちの機嫌などによって、スムーズにいかないことも多々あるものです。

    わが家では現在、主に夫が朝の送りと夕方の迎えを毎日担当しています。登園方法は基本的に自転車。前座席に2歳の次女、後部座席に4歳の次男を乗せて走ります。雨の日は、公共交通機関(バス)で登園します。夫に送迎を任せる分、私は家事などの違った面で家族をサポートしています。

    4人の子供を保育園に通わせてきた中で、送迎の分担、やり方などは、その時々の状況に応じて少しずつ変化してきました。そこで今回は、送迎をスムーズにするために日頃どんな工夫をしているのか、わが家の例をご紹介します。

    INDEX

    スムーズに送迎するために、事前にできること

    送迎を少しでもスムーズに進めるため、特に子供が小さければ小さいほど、前日と当日の段取りは欠かせません。当日の子供の体調や機嫌ひとつで吹っ飛ぶことも多々ありますが、毎日めげずに準備しています。

    荷物の準備は前日のうちに

    当日の送迎を夫がしてくれている分、前日の荷物の準備は私がしています。当日の朝は慌ただしいので、すでに実践している方も多いかもしれませんが、まずは前日のうちに可能な限り翌日の準備をしておくのがポイントです。

    保育園はクラス(年次)によって持ち物が異なります。お手拭きタオルや食事用エプロン、着替え、保育園の引き出しにストックするための服など、それぞれの持ち物を子供別のリュックにセットします。

    お手拭きタオルと食事用エプロンは、保育園へ持参する枚数×2セットを使い回しています。帰宅したら、まず洗濯機にその日使ったものをポンと入れて、翌日持っていく用として前の晩に洗濯してピンチハンガーに干してあるものを外し、畳んでそのままリュックへポン。2組をぐるぐる回して「迷わない」仕組みにしています(この2組とは別途、ストックは引き出しに入れてあります)。

    保育園への持ち物

    当日朝は、子供の対応と連絡ノートの記入を分担

    当日の朝に、保育園へ持参するノートと体調管理表を記入しています。保育園へ特に伝えておきたいことがある日は私が記入しますが(月に1~2度くらい)、そうでない日がほとんどなので、基本的に夫が毎朝記入しています。

    以前は主に私が記入していましたが、末っ子の2歳次女が「おきがえは、おかあさん!」「てをあらうのも、おかあさん!!」と朝のお世話で私を指名することが多いので(涙)、いつの間にか夫がノートを書いてくれるようになりました。

    こんな時どうしてる? シチュエーション別、送迎をスムーズにするコツ

    雨の日や、子供がぐずりやすいイヤイヤ期など、普段よりもさらに保育園送迎のハードルが高まる場面があります。そんなとき、わが家では少しでもスムーズに対応できるよう、こんな工夫をしてきました。

    雨の前日は早めに寝かせる&子供に楽しく声掛けを

    前の晩、夫が必ず天気予報をチェックしています。翌日に雨が降る可能性が高いと分かったら、前日に可能な限り子供たちを早めに寝かせます。雨の日は公共バスで登園するので、いつもより早く家を出たいためです(と言っても、早く寝かせられない日もかなり多いですが……)。

    当日、子供たちにはお気に入りの傘を持たせます。2歳次女が自分で傘を差したがり仇(あだ)になるときもありますが、まずは何はともあれ、第一関門は「玄関を出る」こと。そのために、子供たちの外に出るモチベーションを上げるようにしています。

    平日朝の雨の日のバスは、通勤客も含めて多くの人で混み合います。バスに乗っている時間は15分くらいですが、小さな子供連れにとってはかなり気力も体力も使うものです。「さすが〇〇組のお兄さん、いい子にできるね!」など声掛けして、少しでも大人しくしていられる時間を長くします。

    そして最寄りのバス停に着いたら着いたで、保育園までの道のりがあります。なので道中は「今日は〇〇先生いるかなー」「お友達の〇〇ちゃんと遊べるかなー」など子供に声を掛け、励ましながら、安全に気を付けての登園です。

    帰りにも雨が降っている場合は、自分で傘を差したい2歳児、水たまりに豪快に入りたい4歳児と、帰るのに普段の倍の時間がかかるのもしょっちゅうです。少しでも早く家に着けるように、「帰ったら、おやつを食べながら〇〇を見ようか!」と、おやつや子供たちが楽しみにしているアニメなどで気を引きます……。また、雨で濡れて風邪を引かないよう、夫が一足先に家に着いている上の子たちに「お風呂沸かしておいて!」と連絡し、家に着いたらすぐお風呂に入れるように段取りしています。

    イヤイヤ期の子供には「気分の切り替え」を

    「イヤイヤ期」と呼ばれる2〜3歳ごろは、自分の意の通りにならないと泣いたりぐずったり怒ったり……。準備にも送り迎えにも何かと時間がかかります。

    この時期は、とにかく気分を切り替えられるものを用意します。「おかあさんがいい」「おとうさんがいい」と気分次第で朝の身支度をしてくれる人を指名することもあるので、夫でだめなら私、私でだめなら上の子たち、と対応する家族を替えてお世話しています。

    玄関で大泣きして動かない日もあります。そんなときは登園途中で食べ切れるよう、小さなお菓子を食べさせることもありました。こんなワガママを聞いていると子供にとってよくないのでは……!? という考えが頭をよぎることがあります。けれど不思議と、イヤイヤ「期」と名前が付いているだけあって、いつの間にか「あれ? 最近そういえばあまり泣いていないな」と突然気が付く日が。その日になるまで、ひたすらやり過ごしています。

    登園前の玄関

    予定変更にも役立つ、事前のカレンダー共有

    実はわが家ではこの12年間、幸運にも夫婦間の「急な予定変更」はほとんどありませんでした。ただ、日頃から夫と私それぞれの仕事の予定は事前に相手に伝え、カレンダーで共有するようにし、何かあったときのために備えています。

    朝夕とも夫が送迎してくれている今は、夫が仕事で送迎できないことが分かっている日は、「この日はお迎えお願い」と早めに知らせてくれます。もし当日にどうしても! というときがあれば、分かった時点で昼過ぎにはLINEなどで連絡してくれるので、私が終業数時間前からその日の仕事の予定を立て直し、定時に仕事を上がって保育園に迎えに行きます。

    私と夫の体調不良については、多くの場合、前日には「明日は行けなさそうだ……」と分かるので、前日のうちに調整し、朝起きてからしなくてはならないことを少しでも減らせるように準備を済ませます。あとは、上の子たちにも「協力お願い!」と声を掛け、助けてもらって乗り切っています。

    なかなか帰りたがらないときは、子供の気持ちにも寄り添って柔軟に

    頑張って仕事を段取りし、いざ保育園に迎えに行ったら……「もっと遊びたかったのに!」と保育園を出たがらないことがありますね。そんなときには、せっかくがんばって間に合うよう迎えに来たのに! と思いながらも、子供の「まだ帰りたくない」の気持ちにほんのちょっぴり寄り添っています。

    夫の場合は、「いつもと違う道から帰ろうか!」「東京タワーがよく見える橋を通って帰ろうか!」など声掛けして、子供が自転車に乗る気を後押ししているようです。私の場合は、小さなお菓子。「あの信号を上手に渡ったら一緒にこのラムネを食べようね」など、ポイントごとにお菓子を一緒に食べて帰ります。

    送迎をスムーズにする小さなヒント

    他にも、送迎の前日や当日、また普段から意識しておける、ちょっとした工夫があります。

    朝ごはんは簡単にする

    送迎当日の朝は、子供の用意だけではなく、自分の身支度もあります。出勤までに自分も朝食を食べなくてはなりません(私の場合はキッチンで立ってスキマ時間に食べています)。出発前には子供たちの検温もあります。

    そんな中、朝ごはんはとにかく簡単に準備できるものにしています。基本は「何か1品と牛乳」。パンと牛乳、肉まんと牛乳、シリアルと牛乳、焼き芋と牛乳、というような感じです。

    肉まんと牛乳の朝ごはん

    寝かしつけを少しでもラクにする、絵本読み聞かせアプリ

    わが家の場合、朝に子供がぐずるのは、寝不足の時が多いです。かと言って、4人の子育てをしながら常に早寝させるのは難しい。うちの下の子たちは、私が寝室に入らないと寝ないという事情もあります……。

    寝かしつけしようと思うと数十分、長い時には1時間以上はかかるので、第二子の長女が生まれて早々に、わが家では寝かしつけを諦めました。子供を寝かしつけてから家事や自分のことをしようと思うと、早く寝てよ〜とかなりイライラしてしまうし、自分が寝落ちしてしまうと「寝ちゃった……やることが終わっていない……」と朝から罪悪感いっぱいになってしまうのが嫌だったのです。

    「子供は早く寝かせるべき」そんな声が周りから聞こえてきそうですが、「何時までに寝かさなくちゃ」と思うと焦るし、子供が寝なければ怒りさえ感じてしまう。これはよくないと思い、寝かしつけではなく一緒に寝落ちすることにしたのです。

    そこで役立ったのが、「Audible(オーディブル)」(Amazonが提供する、プロのナレーターによる朗読アプリ)の絵本でした。夜に家事などを済ませた後、私が寝る前の歯磨きをしている間に、寝室を暗くして聞かせたい絵本をセット。私が寝室に入るまでの間、5分から10分程度の短いお話が100個入っている中から子供たちに1〜2つ聞かせています。そうしておくと、うとうとして寝入りが早いというわけです。これはとてもいい買い物だったと思っています。

    保育園からの手紙は定位置を決め、夫婦で共有する

    保育園からのお知らせは、紙のプリントで配られる場合も多いです。コロナ禍で保育園の行事は減っているものの、小さなイベント時などにはいつもと違う準備物が必要な時もあり、それらはプリントに書かれているので、チェックが欠かせません。

    なので、夫婦がお互い手が空いたタイミングでお知らせをすぐ確認できるよう、プリントはリビングの定位置に。分かりやすい場所に置いておくと、お互いプリントを探さず済んでストレスがありません。

    リビングのプリント置き場

    その時の家族にとっての「最適」を考えて分担する

    私たち夫婦は、家事も育児も、家族全体の「最適」を考え、それぞれの「得意」を生かして分担することを心がけています。そして、その時々で家族にとっての最適は変わります。わが家の場合、保育園の送迎については次のような感じで分担してきました。

    • 1.第一子、長男の送迎
      • 朝の送りを夫が、夕方の迎えを時短勤務の私が担当していました。第二子の長女を妊娠後は、つわりの症状が厳しかった私に代わり、夫が朝晩と迎えに行ってくれるようになりました
    • 2.第二子、長女が生まれてから。長男&長女の送迎
      • この頃も朝は夫、夕方は時短勤務の私が分担。長女が少し大きくなって私がフルタイムに戻ってからは、夫がまた朝夕とも担当してくれました
    • 3.第三子、次男が生まれてから。長女&次男の送迎
      • 次男は、長男が保育園を卒業した後に生まれました。この時期も私が時短勤務の間は朝夕で分担。長女が年長の時に私が次女を妊娠してつわりが再開したので、夫が朝夕の送迎を担当してくれました
    • 4.第四子、次女が生まれてから。次男&次女の送迎
      • 私の育休期間は私が夕方の迎えを担当。職場復帰後は現在まで、朝夕とも夫が毎日送迎してくれています

    夫が保育園の送迎をしてくれる分、私は、朝みんなを送り出した後は簡単な家事、仕事が終わって帰ってきたら夕飯作りに集中します。

    夕飯を作っている間、仕事と送迎で疲れた夫にはしばし休憩してもらい、夕飯作りに目途がついたらキッチンで小さく「今日もお疲れ様!」の乾杯。そんなふうに、相手が何かをしてくれている代わりに自分ができることをするよう、夫婦で心がけながら毎日を過ごしています。


    ***

    以上、子供が4人いるわが家の保育園の送迎状況をお伝えしてきました。

    家族の構成、子供の年齢や性格などは家庭の数だけ異なりますが、どの家庭であっても毎日ギリギリのタイムスケジュールの中、子供の体調や機嫌を見ながら精一杯対応している毎日だと思います。わが家の12年間の取り組みや、その中で生まれてきた工夫が、小さなヒントになればうれしいです。

    著者:ベリー

    ベリー

    子供4人、フルタイム共働き、都内の60平米賃貸マンション暮らし。家事やごはん作りをラクにしたい。青天井の教育費をかけ過ぎないよう、塾なし家庭学習7年目です。著書に『子供4人共働き・賃貸60㎡で シンプル丁寧に暮らす』(すばる舎)。

    ブログ:ベリーの暮らし Twitter:@berry_kurashi Instagram:@berry.kurashi

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    編集/はてな編集部

    お酒に頼るのはもうやめた。息切れせず働き続けるために必要だった“平熱”の日常

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    日々の生活や仕事を継続するなかで、ときにお酒を飲んだり、友人とパーッと遊んだり、外部の刺激を取り入れることは重要です。しかし、それらに過度に頼り過ぎてしまえば、知らず知らずのうちに心身に不調をきたすことも考えられます。

    フリーライターの宮崎智之さんは、数年前まで事あるごとにアルコールに頼り、不安を打ち消すようにテンション高く仕事に取り組んできたといいます。ただ、そんな生活を続けるうち、いつしか身体はボロボロに。以来、断酒を始め、息切れしない「平熱」の働き方を模索するようになったそうです。

    今回は、作家・吉田健一の言葉をヒントに、断酒してからの5年間を振り返っていただきながら、息切れしないための働き方について執筆いただきました。

    破綻を迎えたアルコールに頼った生活

    息切れせずに働くのは難しい。特に根が真面目な人は、息切れするまで働かなければ、働いた気がしないのではないか。少なくとも僕はそうだった。

    現在のように世の中が不安定だとなおさら、「一生懸命働いて他人と差をつけなければ」「休日も勉強をしてスキルアップを」と焦る気持ちを抱く人が周囲にも増えているように思う。だんだんと無理がたたって、最後は疲れ切ってしまいそうである。

    ちょっと変な言い方になるが、ハードワークをしなくてもハードな仕事はできる。熱狂しなくても、「平熱」のまま創造的な仕事はできると、僕はこれまでの経験から思うようになった。

    僕は離婚を経験し、30代前半でアルコール依存症となり、二度の急性膵炎で入院した。今は5年4か月、断酒を続けている。

    振り返れば、新卒の会社を1年で辞め、夢だったメディア企業に転職して23歳で記者職についた。いずれはフリーランスの物書きになるという目標を持っていた。小さな会社だったけど硬派な編集方針のもと基本を叩き込まれ、追われるように20代を駆け抜けた。仕事は充実していた。しかし、全国区の雑誌や新聞に書くような物書きになって、自分の本を出版しながら暮らしていくという夢が諦めきれず、6年間勤めて転職した。

    転職先である編集プロダクションの仕事も同じく充実していた。ただ、転職する少し前のあたりから、すでにお酒の飲み方は常軌を逸するようになった。勤務中に酒に手を出してしまう頻度も増えてきた。31歳のときにはフリーランスになり、傍から見れば順調なように思えるかもしれないが、その間もお酒の量はどんどん増えていった。

    なぜ、当時の僕はそこまでお酒を欲していたのだろうか

    それは、不安だったからだと思う。いくら働いても働いた気がしない。もっとたくさん働き、もっとたくさん勉強している人はたくさんいる。自分のような凡人が、この程度しか努力しないで大丈夫なのだろうか。成長できない自分に焦燥感を覚えていた。

    そんなとき、お酒を飲むと不安が忘れられた。気持ちが大きくなり、全能感に包まれた。

    だから、その後も酒量は増え続け、次第にお酒を飲みながら原稿を書くようになった。お酒を飲んでいるといい原稿が書ける気がした。だいたいは酔いが覚めたら読み直して修正することになるのだが、とにもかくにもお酒を飲めばテンションが上がり、原稿は進んだ。仕事が終わったら酒をさらに飲んで、気絶するように眠った。枕元にあるお酒を一気飲みして、少し眠ってからシャワーで臭いを誤魔化し、取材に向かったこともある。

    そしてあるとき、明確な破綻が訪れた。二度目の急性膵炎で入院した際に、「今後一切、お酒を飲まないでください」と宣告されたのだ。長く生きたければ、そうしなければいけない。離婚もして、心も身体もぼろぼろだった。そのとき、まだ34歳になったばかりだった。

    平熱のまま生きるという挑戦

    今思えば、「物書きは酒を飲んでなんぼ」という価値観が無意識にしみついていたようにも思う。確かに、そういう「熱狂型」の作家の人生から、たくさんの名作が生まれたのも事実である。しかし、僕にはそれを徹底することができなかった。徹底するには、心も身体も弱過ぎたのだ。

    僕は働き方を変更しなければいけない必要性に迫られた。もしくは、物書きという仕事を辞めるかのどちらかだった。僕は前者を選んだ。

    最初は、素面のまま面白い原稿が書けるのか不安だった。しかし、お酒を飲んでいたときに、「やめたら◯◯できなくなる」(例えば「やめたら華のない人生になってしまう」)と考えたことのほとんどは、思い込みにすぎなかった。ただかつてあったお酒のない人生に戻るだけだ。

    お酒は、適度に嗜むことができれば「人間関係が円滑になる」などのメリットもあるので、その存在自体は悪ではない。僕に手に負える相手ではなかっただけである。一度目の急性膵炎で入院した後、「節酒」に挑戦したが、見事にリバウンドしてしまった。僕には、お酒をコントロールすることができない。しかし、正直、お酒にまったく未練がないかと言ったら嘘になろう。もう一度、あの全能感を味わいたい。フレンドリーになって、もっとたくさんの人と話したい。

    でも、僕にはもう駄目なのである。再びお酒に手を出したら、元の酒飲みの生活に戻るに決まっている。そんな僕がお酒に再び手が出そうになったとき、寸前に止めてくれるのは「弱さ」である。どんなに節酒をしようとしてもコントロールできない。僕にはもう駄目なのだという「諦め」、「弱さ」を認める勇気、そういったものが、僕のストッパーになっている。

    お酒をやめてから、少しずつ世の中の見え方が変わってきた。より詳細に見えるようになったと言った方がいいだろうか。考えてみればお酒を飲んでいるときは生活をしていなかった。少なくとも生活に向き合っていなかった。酔いに身を任せることで、自分の弱さを認めていなかった。

    しかし、素面のまま、平熱のままで過ごしてみると、さまざまなものが目に入るようになってくる。文筆家の吉田健一は、「食べものの話、又」という随筆の中で、「何を食べても同じ味がする人間は、その人間の仕事に掛けても信用出来ない」*1と記している。「少なくとも、その人間がものを食べている時は頭が遊んでいることになり、そういうものが自分の仕事のことになると急に注意深くなるというのは、ありそうなことではあっても、俄かに信じ難い」*2とも。

    これは本当にその通りだ。ほとんどの仕事は、生活に関わるなにかしらを提供している。生活をしていなければ、仕事ができないのは当たり前ではないか。日々の生活の中にも、じっと目を凝らせば未知のもの、不思議な現象がたくさんある。もちろん、生活は楽しいことばかりではない。試練も度々訪れる。しかし、それに向き合って生きていくこと自体が生活である。

    そもそも人間は生活するために仕事をしているのだ。その生活が疎かになっていれば、いい原稿が書けるはずがない。試練や葛藤を乗り越えながら、または寄り添いながら生きていくこと。その態度こそが大切なのに、僕は階段の初めの一段で躓き、ずっと足踏みしていたのである。

    まずは目の前にあるものをじっと見つめる。じっと見つめ続けて、小さな変化を感じとる。熱狂せず「平熱型」で生きることは退屈な行為でもなんでもない。むしろ挑戦的な生き方である。コロナ禍の今は、そうした「平熱」の息切れしない働き方に切り替えるチャンスでもある。

    その証拠となるかわからないが、僕は昨年12月から、晶文社スクラップブックというサイトで「モヤモヤの日々」というコラム連載をしている。なんと平日毎日、17時公開だ。毎日ネタを探さなければいけない上に、書かなければいけない。毎日午前にその日の原稿を書いている。

    コロナ禍で外出自粛をしているなか、ネタを探すのが難しいのではないかと思いきやそうでもない。じっくり生活に腰を据えてみると、いろいろなモヤモヤの種が次から次へと現れる。あと、この手の連載は「熱狂型」では続かない。熱狂するような刺激的なネタが毎日あるはずはないからだ。もしある人がいるのだとすればうらやましい限りだが、体を壊さず頑張ってほしい。

    僕はそうでないので、周囲にあるものに執着する。外出自粛が続いたことにより気付くこともある。例えば、道端に咲く草花を綺麗だと思うようなった人は多いのではないか。実際に花の名前を画像で検索できるアプリがはやっているそうだ。コロナ禍になってから、草木が芽吹く日本の5月の美しさにあらためて気づいた。そんなことでも、コラムのネタになるのだ。

    刺激的なことがなくても、日常生活に目を凝らせばクリエイティブの原資をたくさん見つけられると思っている。そもそも自分の親のことだって、大して知りはしないのだ。僕はその原資を、まだ3分の1も使いこなすことができていないような気がしている。

    息切れしないために自らの欲望と向き合う

    リモートワークが浸透し、一度起こった「オフィス離れ」は仮に新型コロナウイルスの感染拡大がおさまった後も、必ず出社や現場への移動が必要な仕事以外は、不可避に進むものと思われる。そんな状況では、各々が自らのモチベーションとうまく付き合い、意識的に生活と仕事(在宅ワーク)のバランスを整えることが、息切れせずに働き続けるために大切になる。

    職場に行かなくなれば、対面での会議や朝礼などの集会、歓送迎会などが激減するだろう。そうなると、モチベーションの維持の仕方に変化が生じてくる。今までの企業はスタッフを一か所(職場)に集めて密をつくり、目標や課題を共有することで、社内の士気を保っていた部分がある。そこでは、情報だけではなく、熱が共有されていた。よくも悪くもそうした熱を共有することで一体感やモチベーションを高めることができた。

    しかし、在宅勤務の流れが進めばそうはいかなくなる。当然、企業側は対策を迫られるが、スタッフ側も各々が各々でモチベーションを保たなければいけない時代になるのではないかと、僕は予想している。

    ここで前述した吉田健一の文章を再び引用したい。「わが人生処方」という随筆のなかで吉田は、「どうも人間が生きて行く上では、各種の肉体的な欲望が強いことが大切だという気がしてならない。食う為に仕事をすると言うが、実際に食いたくて仕事をするのと、ただ食う為と思っているだけでは随分話が違う*3と記述している。

    つまりこういうことだ。人間は「食うため」に働くというが、「食うため」とはどういうことなのか。月給をもらうことなのか。原稿料をもらうことなのか。そうではなく、吉田は「どこそこの生牡蠣を五人前食ってやろうと思って仕事をしている」*4と言い切っている。

    確かに「食う」とは抽象的なものではない。人間の具体的な欲望だ。「食う」というからには、なにかを「食う」のである。その「なにか」をまったく想像もせず「食うため」に働いているのだとしたら、それほど滑稽なことはない。吉田は「つまり、魂を失わずに生きて行く為に、肉体的な楽しみに執着することが必要なのであり、人間が出世するのは珍しいことではないのだから、そうなると益々食欲その他を旺盛にして、魂を繋ぎ留めて置くことが大切になる」*5と続けている。

    吉田健一がふたつの「食べもの」のたとえで伝えたかったのは、抽象的、観念的な思考や生き方に陥り過ぎることの危険性であろう。先行きが見えない今だからこそ、目の前にすでにあるものをもう一度じっくり見つめ、点検し、そこから想像力を膨らませていくことが大切になる。

    階段の初めの一段で躓き、足踏みしていないか。きちんと欲望を具体的なイメージで描けているか。そうした基本的なことを確認しながら前に進むのが、僕の思う息切れしない「平熱」の働き方だ。


    編集/はてな編集部

    ゆるやかに働くためのヒント

    著者:宮崎智之

    宮崎智之

    1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。Webメディア「晶文社スクラップブック」で平日、毎日17時公開の夕刊コラム「モヤモヤの日々」を連載中。犬が大好き。

    Twitter:@miyazakid

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    *1:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

    *2:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

    *3:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

    *4:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

    *5:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p20

    コーヒーをやめたら変わったこと。カフェインに頼らず、自分が安定する「習慣」を心がける|近藤佑子

     近藤佑子

    やめる直前に喫茶店で飲んだコーヒー

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、編集者の近藤佑子さんに寄稿いただきました。

    近藤さんがやめたのは「コーヒーを飲むこと」

    学生時代から、何かを頑張るためにコーヒーを飲む習慣があったそうですが、あるとき「コーヒーを飲まないと頭痛がする」ということに気付いた近藤さん。いつのまにかカフェインの力に依存し、コーヒーを飲んでブーストをかけないと頑張れない状態になってしまっていたようです。

    コロナ禍もあり、仕事でもプライベートでもさまざまな変化を余儀なくされる中、コーヒーに頼って無理に頑張るのではない「別の道」を模索した経験についてつづっていただきました。

    ***

    2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、私は多くのことをやめた。いや、やめざるを得なかった。

    2019年以前は、仕事のあとに勉強会に出かけたり、飲みに行ったり、趣味の活動をしたり。2019年には、初めて1人で同人誌を作ってイベントに出展したり、キャバレーの世界観を模した誕生日イベントを主催したり、IT系の資格に挑戦して合格したり、新しいことに挑戦した年だった。自分のやってきたことを書き出しては「あぁ、私って回遊魚みたいだなぁ」と一人で悦に浸っていた。

    仕事で培ったスキルをプライベートで発揮して、そこから得た気付き、つながり、学びを、仕事にも生かしていくという好循環が生まれていた。仕事と、仕事以外の活動。その両方があって初めて自分がいきいきと成長している実感が得られた。阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というフレーズから、自らを「踊る編集者」と名乗り始めたのもその頃からだ。

    でも、そうした活動が、コロナ禍ですっかりできなくなった。さらには仕事でも大きな転機があり、思い通りにいかなくて戸惑ったり悩んだりすることが増えた。そんな新しい日常を受け入れようとする上で、これまでの自分の考え方・やり方を変えていかざるを得ない場面がいくつもあった。

    そんな中で、私が積極的にやめたのが「コーヒーを飲む」ということだ。

    何かを頑張るために飲んでいたコーヒー

    私にとってコーヒーなどのカフェインが入った飲み物は、長らく「何かを頑張るため」に飲むものだった。

    建築を専攻していた学生時代は、課題やレポート、論文制作に追われ、コーヒーやカフェイン飲料を飲み、何度も徹夜をした。コーヒーの苦い味が当時あまり好きではなかったので、甘くして飲むことが多かった。

    会社員になってからは、さすがに学生時代のように無茶はしなくなったものの、仕事中にコーヒーは欠かせなかった。すっかりブラックで飲めるようになったので、お茶のような感覚で気分転換に飲んでいた。

    プライベートの活動で、文章を書いたりPCで作業をしたりするとき、私は家ではどうしても集中できないので、カフェやスーパー銭湯に行ってよく作業をしていた。そこでもコーヒーは欠かせない。よく行っていたスーパー銭湯は、100円で挽きたてのコーヒーが飲めるというのもお気に入りポイントの一つだった。

    昔からの悪い癖で、良く言えば短期集中、悪く言えば締め切りギリギリで何かを仕上げることが多く、そういった作業スタイルともコーヒーによるブーストとの相性が良かったように思う。

    コーヒーが本当の意味で好きになった

    何かを頑張るために仕方なく、もしくはなんとなくの習慣で飲んでいたコーヒーだったが、あるきっかけでとても好きになった。

    2019年の秋ごろに参加した、とあるカジュアルな勉強会で、私はコーヒーについてのプレゼンを聞いた。そのプレゼンは、コーヒー好きなエンジニアによるコーヒーの入門的な解説で、浅煎りや深煎り、豆の産地、挽き方、淹(い)れ方など、初心者がコーヒーを楽しむための知識として充実した内容だった。

    以前は専門知識が乏しく、ひたすらブレンドコーヒーを頼んでいた私。ただ、それまでのコーヒー体験の中で「紅茶のようにフルーティーでおいしいなぁ」と思えるものもあった。

    プレゼンをしてくれたエンジニアさんに、私がおいしいと感じたコーヒーについて話し、どんな豆を選べばいいのかを聞くと、いろいろとヒントを教えてくれた。それ以降、街中のコーヒーショップで良さそうなところがないかを調べては、出かけた先でコーヒーを飲むというのが、新たな趣味に加わった。

    2020年に入ってからは、新型コロナウイルス感染症の不安がだんだんと大きくなり、春の訪れとともに、仕事は完全にリモートワークに移行した。

    コーヒーショップ巡りはしにくくなったが、コーヒーを淹れるための機材を一通りそろえ、豆を買って、自分で淹れるようにもなった。コーヒーをゆっくり淹れている時間は、心が落ち着く瞬間でもあったし、「おいしいコーヒーが飲めるならリモートワークも悪くないかな」なんて思っていた。

    家で淹れるコーヒー

    友人がやっているコーヒー豆のサブスクリプションを利用するようにもなった。毎月、彼女がセレクトしたコーヒー豆とコーヒーに関するコラムが載った小冊子が送られてきて、自分が知らなかった世界や、そこで起きている問題を知り、思いを馳(は)せることができた。私はコーヒーのことがますます好きになった。

    無理して頑張らないために「コーヒーをやめる」ことにした

    リモートワーク生活の中で、コーヒーをはじめ小さな楽しみを見出そうとしたものの、ポジティブな気持ちはそう長くは続かなかった。

    自分の活力の源泉とも言えた、仕事以外のプライベート活動はやりにくくなった。さらには会社での立場が、長らく編集を担当してきたWebメディアの編集長になったことも戸惑いが大きかった。自分の至らなさを実感することが増え、慣れないリモートワークと相まって、苦しい時期が続いた。そんな自分にブーストをかけるために、相変わらずコーヒーを飲んでいた。

    一方、仕事での新しいチャレンジやリモートワークに向き合うにあたって、何か今後のヒントにならないかと、ビジネス書や自己啓発書などをたくさん読んだ。

    いくつか自分に刺さった本があり、その中で共通して言っていたのは「自分が心から達成したい、世の中の役に立つような目標を持とう」ということだった。そして、周りに振り回されるのではなく「私は自分の意志でこうしている」と思うこと。私自身「楽しく仕事がしたい」と考えていたので、その願いにも通じると思った。

    そんな中でたどり着いたひとつが、勝間和代さんのブログだった。生活最適化のためのマニアックな情報提供が興味を引き、さらに部屋の片付けや減量など、私がこれまで取り組んできたことについても勝間さんはすでに書籍で情報発信されていて、恐れ多くも、なんだか他人とは思えなかった。

    勝間さんの発信からとりわけ具体的な行動として興味を引いたのは「お酒やカフェインに依存しないよう、飲むことを控える」ということだった。

    最初は「大好きになったコーヒーをやめるなんてとんでもない」と思っていた。しかしあるとき、休日に頭痛に悩まされた。頭痛の原因として思い当たったのは「その日コーヒーを飲んでいない」ということだ。案の定、コーヒーを飲むと頭痛が治まった。私はいつのまにか、コーヒーを飲まない日があると頭痛がしてしまうほどにカフェインに頼り切ってしまっていたようだった。

    コーヒーの楽しさをせっかく分かってきたところだったのでショックを受けたけれど、私は自分の意志で行動したいし、自分で自分をコントロールできるようになりたいと思った。そこで、カフェインに頼って無理をしてしまっている現状から抜け出そうと、コーヒーをやめることを決断した。

    それまでマグカップで1日数杯飲んでいたコーヒーを、1カ月かけて1日1杯に慣らしていき、年末年始の休暇で完全に絶ち、私はすっかりコーヒーをやめた。

    自分の生活をコントロールするのが、自分にとって一番の戦略

    2021年になってからは、私はほぼコーヒーを飲まずに過ごしている。朝一番には白湯を飲み、そのほかには、どくだみ茶やフレーバードのルイボスティーを好んで飲む。夏は麦茶。たまにカフェインの入った紅茶や緑茶も飲むけれど、飲まない日に頭痛に悩まされたりはしていない。

    そうするうち、以前は「なんだか捗らない、気持ちが乗らない」と思ったらまずコーヒーを飲んで気合いを入れていたけれど、最近は「もっと他にやることがないだろうか」と、自分がコントロールできることを探すようになった。

    そんなとき、コロナ禍以前から取り組んでいた習慣には助けられた。ちょっとでもいいから英語の勉強をすること、日々の感情を日記として記録すること、ダイエット……とまではいかなくとも、少なくとも体重を記録すること。

    そうするうち、自分がごきげんでいられるような「いい習慣」を心がけていれば、自然と自分の状態が安定し、無理をすることなく前向きに物事に取り組めることに気付いた。

    もともと、健康を維持するなどの目的で生活習慣を気にかけるようにしていた。しかしコロナ禍で生活と仕事が密接になったこともあり、日頃の生活習慣が仕事に影響しやすいことに気付き、以前よりも意識するようになった。

    私が意識している習慣は、例えば以下のようなことだ。

    • バランスの良い食事(最近は野菜たっぷりのご飯が作れているので◎)
    • 適度な運動(サボりがちだけど筋トレを新しく始めたので○)
    • 十分な睡眠(6~7時間寝るように努めているが、遅くまで起きてしまうことがあるので△)
    • 間食を控える(ついついお菓子を食べ過ぎてしまうので△)

    上記の通りまだ道半ばだけれども、それでも徹夜をして無理をしていたころから振り返ると、自分を大切にできていると思う。前向きな気持ちでいられるのは、きっと「自分の意思で始めた」習慣だからなのだろう。

    仕事や世の中の状況は、なかなか自分のコントロール下に置くのは難しい。けれど自分の生活は、自分が一番コントロールしやすいものだと思う。今の私にとってはこのやり方が、仕事や活動をしていく上で一番有利な戦略だと考えている。

    コロナ禍によってやめざるを得ないことばかりで、自分らしい生活が送れていないのではないかと不安になった。さらには仕事が生活の時間の大部分を占める中で、自分の至らなさを実感する日々。だけど「楽しく働きたい」と思ったら、人生を主体的にコントロールしていきたいと思うようになった。

    私がコーヒーをやめたのは、そのための前向きな行動のひとつだったんじゃないかと思う。

    今でも街でコーヒーのお店を見かけると、「飲むとおいしいだろうなぁ」と思う。コーヒーを淹れるためのグッズだって家に取ってある。自分のことがコントロールできるようになったら、自分の世界を広げてくれたコーヒーと、また新たな付き合い方ができるといいなと思っている。


    わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • 「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ
  • 「休まない」をやめた|土門蘭
  • 著者:近藤佑子id:kondoyuko

    近藤佑子

    会社員としてIT関連のWebメディアやイベントの企画編集を行いながら、個人としても文章を書いたりイベントを作ったりしています。キャッチコピーは「踊る編集者」。
    Twitter:@kondoyuko ブログ:踊る編集室

    編集/はてな編集部

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    「やりたい」じゃなく「できる」ことを見極める。“超元気”ではない私が働き続けるためにした工夫

     佐藤はるか

    仕事場の様子

    仕事をする中で、自分のやりたいことをしていたり、将来の夢・野望を叶えるべく邁進したりしている人を見ると、焦りを感じることはありませんか。

    自分も何かしなきゃ、とその瞬間は駆り立てられるかもしれませんが、全員が全員やりたいことがあったり、「こうなりたい」という野望を持っていたりする……わけではないのも事実。そんな人が日々はたらく上で必要なのは、無理にやりたいことを見つけようとするのではなく、今の自分の状況を冷静に見極めることなのかもしれません。

    フリーランスで主に編集アシスタント業務をしている佐藤はるかさんは、「これがやりたい」という大きな目標はなかったものの、大学を卒業したら「普通に就職」すると考えていたそう。しかし、体調面などの事情から、思いがけず新卒フリーランスという道を歩むこととなります。

    佐藤さんが働く上で気付いたのは、やりたいことに向かって一直線になる、いわば熱量を持った働き方ではなく「できること」の積み重ねをしていく選択もある、というものでした。

    ***

    初めましての方と話すとき、仕事について尋ねられると、それが単なる世間話だと分かっていても、いつも少し緊張しながら次に言う文章を準備する。「フリーランスで、主にWebメディアの文章に関わる仕事をしていて」……。

    大学を2018年に卒業し、どこにも就職せず、そのままフリーランスとして仕事を始めた。いわゆる「新卒フリーランス」というやつだ。

    当時、私のSNSのタイムラインでは、学生時代の経験をもとに、志を持って新卒でフリーランスとして働き始める人をちらほら見かけた。肩書きや経歴だけ見れば、私もその一員に見えるかもしれない。

    しかし実際は、「他に働く方法を見つけられなかったから、消極的選択としてフリーランスになった。なんやかんやあり、気づいたら4年目に突入していた」といったところだ。

    「やりたい」ことが分からない焦りと、休学期間で始めた「できる」こと

    大学進学を機に、生まれ育った静岡県を出て東京に出た。もともと地元への愛着はあまりなかったこともあり、就職も関東かなあと漠然と考えていた。

    とはいえ、「これをやりたい」という夢や目標はとくになかったし、地元で自分が「よくできる」と評価されてきたことは東京でも通用するのか? という疑問もあったので、2年次までにいくつかのアルバイトや短期・長期インターン等を経験し、自分に向いていそうなこと、面白いと感じることを探していた。やりたいことや興味関心のある業界への就職を近づけるためにインターンをする人もいた印象だが、私の場合はやりたいことが分からないから見つけなきゃ、といった焦りのようなものもあったように思う。

    そろそろこの先のことを本格的に考えなきゃなあと思っていた3年次のことだ。不規則な生活やストレスの積み重ねが主要因だろうが、私の心身は急激にバランスを崩し、ただ生活するのも大変なほどになった。得意だと思っていた何かを読み書きすることもほとんどできなくなり、ショックと不安の中、休学を余儀なくされ、伊豆の実家に戻った。

    その後、実家から通院するようになり体調が回復してくると、今度は何もせず家でじっとしていることが苦痛になってきた。SNSでそんな話をしていたところ、相互フォローだった知人ライターが、インタビューの文字起こしを依頼してくれた。

    文字起こしという作業は、すごくちょうどいい負荷になった。人と直接やりとりする元気や、どこかに移動する体力がなくても、誰かが楽しそうに話している雰囲気を感じられて、内容も勉強になる。声を聞いてタイピングする間は他のことを考えて不安にならずにすむし、きちんとやればお金ももらえる。当時の私にとって、ささやかだけど「できる」ことで、「するのが楽しい」ことだった。

    「これぐらいの量で、これぐらいのペースならできそうだ」と見極められるようになってからは、偶然見かけた文字起こしや校正のアシスタントの募集にも応募してみた。自分をよく見せて採用されても不幸なミスマッチを生むだけだと思ったので、できないこと・できそうなことを整理して面談に臨んだところ、丁寧に話を聞いた上で採用してもらえた。

    かかりつけ医に最近の状態を伝えるため、毎日のできごとやその日の調子・気分を日記につけるようにしていたことが、自分の体調の波やできる・できないを把握するのに役立った。

    就活は断念。他の働き方もマッチせず、そのままフリーランスに

    かろうじて1年で復学したが、先をあゆむ同期を見ているとどうしても気になったのが就活のこと。医師に相談すると、「就活は、まだちょっと早いんじゃないかな?」とやんわりと止められた。

    「普通」で「順調」なルートへの憧れが強かった私は、体調不良で休学を決めたときと同様に、「この先どうなるんだろう?」と途方にくれた。だが、1年半後に週5日フルタイムで働く自分は、確かに到底想像できなかった。ためしに説明会に行ってみても、それだけでぐったり疲れてしまったので、そのルートは諦めた。

    それでも、地元に比べ、自分の好きなタイミングで好きなことをしやすい東京の魅力は捨てがたい。なんとかここに残ってお金を稼ぐ方法はないかと、卒論の提出を終えてからは往生際悪く働き口を探し続けた。東京の住まいの近くでできて、座れて、1日あたりそれほど長時間でなく、週3〜4日ぐらいのアルバイトはないだろうか。SNSでも探している旨を書き、知人づてに会社の紹介や、働き方の相談を受けてもらったこともあった。

    結果としては、残念ながら、条件の合う仕事は見つからないまま卒業を迎えた。4月以降もしばらく粘るも「これは無理だな!」と思い、実家に帰ることを決めた。文字起こしなどの手伝いは変わらず引き受けていたので、実質的に「新卒フリーランス」になった、というわけだ。

    たいそうな肩書きだが、当時の自分が思う「普通」に働くという望みが叶わない中、なんとかできる範囲のことをやった結果であって、積極的に選択したわけではなかった。

    「できる」ことをやっていたら、次の仕事につながった

    実家に帰ってからは、いずれ地元のどこかで働くことも視野に入れて、移動に必須な自動車の運転免許を取りに通った。それと並行して、文字起こしや簡単に文章をまとめる仕事を続けていると、新たな仕事の話につながるようになってきた。

    例えば、文字起こしをお手伝いしていた会社の方からの紹介。東京で仕事を探していたときに、「事務系の仕事やってみたいんですけど、なかなか働き口がないんですよね〜」と雑談していた方に、その知人デザイナーさんのアシスタント業のお話をいただいた。

    経験のない業務だったが双方の希望条件が合い、ごく短い時間から、制作進行スケジュール管理のアシストや、議事録作りに入らせてもらうことになった。議事録作成はなんとなくできそうだと思えたが、スケジュール管理が得意だと思ったことはこれまでなかったので、何度もカレンダーや組んだ式を指差し確認しながら、予定を立てた。

    実際にやってみると、自分がすごく得意だと感じるわけでない仕事でも、ある場において相対的に「スムーズにやれる」というケースはあると分かった。ものすごいスキルがなくとも、それで十分力になれる場合もあって、仕事になりうるんだと知った。他にも、また別の方に、「数カ月前に仕事を探していたのを思い出して、条件が合うかもしれないと思ったから」と、Webメディアに関連する仕事のお誘いをいただいたこともあった。

    基本的には今の自分にできそうだなと思える仕事を中心に引き受けているから、慣れれば多少余裕が出てくる。その分、少し丁寧に一つひとつのやりとりをしたり、参加自由な他の業務にオンラインで顔を出させてもらったりしているうちに、「こんな仕事も合いそうだと思うんだけど、やってみない?」と声をかけていただくこともあった。

    経験を参考に、「できそうなこと」を自分1人で想像するのにも限界がある。未経験の分野の適性を仕事相手が見出し、やってみる機会をくれたのは、本当にありがたいことだった。

    もちろん、自分のできる範囲を見誤ってしまったこともあった。その度に「ここまではできるけど、これ以上はまだちょっとキツいんだな」「かかる日数の見積もりが甘かった、もう少し長くとればできるかも」と自分のできる範囲を見直し、業務内容や働く時間を相談して、調整させてもらった。

    そうやって、すでに「できる」と自信を持てていることを仕事の基盤にしつつ、チャンスがあれば少し挑戦もしてみて、「できる」と「できない」を行き来しながら、自分にできることを更新する日々が続いた。

    仕事のスケジュールを徐々に埋めていっている様子

    先のことは分からないけど、できることを着実に

    そうこうするうちに、フリーランス4年目に突入した。事務まわりや採用、記事の制作進行、執筆・編集などを経験し、大小はあれど「できる」と思える業務の幅は広がり、だんだんと働ける時間が増え、それと同時に収入も増えた(最初は、本当にお小遣い程度だった)。

    もちろん努力や工夫はしたけれども、正直この今があるのはさまざまな場面で運が良かったからだと思っているし、「全てが自分の実力だ」とはまったく思っていない、というのははっきり書いておきたい。新卒フリーランスという働き方を、人に自分から勧めようと思ったこともない。

    また、かつてより働ける時間やできることが増えた今だからこそ、今後のキャリアに関する悩みもそれなりにある。この先のことを考慮しても、もっと力をつけたいという欲が出てきたのだ。

    そのためには業務内容を絞り、集中して取り組むのが近道では? と思うが、ではどれに絞るかと考えると、それぞれ異なる良さがあって捨てがたい。それに、自分のコンディション次第でやりやすい仕事・楽しい仕事は変動するから、どこかに一本化してしまうと、不調時に何もできなくなってしまうかもしれないという怖さもある。

    そもそも、フリーランスという働き方さえ、それしかできなかったからした選択だ。仕事でうれしいことがあっても契約の都合上話せる人がおらず、分かち合えないときは少し寂しい。体調に波があるときは、支え合える同僚がいる環境や有給を思い、経費や保険料を払っては福利厚生に憧れる……こともある。

    さすがに自分でさまざまな決定をすることにも慣れてきたが、もともとはある程度決められた枠の中で動くのを好む気質。「自由大好き!絶対に今後もフリーランスでいく!」と決めているわけではない。

    野望が見当たらなくても、やりたいことがなくても、働き続けるために

    それでも、「やりたいこと」なんて考える余裕もなかった時期に、「できること」としてフリーランスで仕事を始めたことに後悔はないし、当時の自分にとって最善策だったと思っている。

    幸運にも、内容を「どうしてもこれ!」と絞らずに「できること」からいろいろと仕事をして、まあまあ得意だなと思えることや、比較的好きなことも分かってきた。これはきっと、いつか「やりたいこと」が生まれたときにも何かの形で役立ち、判断材料になるだろう。

    それに、ずっとやりたいことがないままだったり、やりたいことがなんらかの理由で叶わなかったりしても、「できること」をベースに働いていくことはできる。実際に、私は今そうしているわけだし。

    ……ただ、今そう思えるのも、いろいろと諦めがついてきたからかもしれない。かつて当然のように想像していた姿――元気にバリバリ週5フルタイム、またはそれ以上に働く自分――は、少なくとも今は実現していない。そのことを、数年かけて受け入れた。正確には、すっかり受け入れたわけではないが、そこに憧れが今もあり、諦めきれないことも含めて、一旦受け入れる姿勢をとることにした。

    全てが理想通りとはいかない状況下で、たまに「〇〇だったかもしれない自分」に思いを馳せてしまうのは仕方のないことのように思う。それはそれとして、今の自分ができることをなんとかやるという形であがくことが、自分自身との、そして仕事との、私なりの向き合い方だった。

    「これからどうしよう」「これでいいのかな」と思う日もあるが、すぐには行動できないことや解決しないことだって多い。仕事を探しているという発信への連絡を数カ月後にもらったときのように、自分が変わらなくとも周囲が変化することもあるから、「まずは一旦決めずに待つ」というのだって、選択の一つなんだと思う。

    何か変えたいと思ったら、そのときに変えるための行動をとればいいし、そこまでではないなら今は変えなくてもいい。何かやってみて失敗したなと思ったら、元に戻すことも場合によってはできる。周りを見て焦ったとしても、この「自分」であるのは私だけなのだから、結局自分のペースでやるしかない。これは、超元気とは言えない心身と付き合っていくことになり、その後フリーランスとして活動する中で、少しずつ納得できるようになってきたことだ。

    とりあえず私は、すぐには叶わないことを「一旦」諦めたり、しつこく密かに諦めずにいたりしながら、これからも「今できること」を更新し続けていくつもりだ。どんな気持ちを抱えていたとしても、自分がしたことに応じて何かが積み重なっていく場合もあると、この数年間で信じられるようになったから。


    編集/はてな編集部

    やりたいことが見つからない、と焦ったら

    著者:佐藤はるか

    佐藤はるか

    主にwebメディアのまわりで、原稿の制作進行や執筆・編集などをしているもろもろアシスタント。文字起こしをするのも読むのも好き。静岡県在住。
    Twitter:@sharuka_work

    りっすん by イーアイデム Twitterも更新中!
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    「休まない」をやめた|土門蘭

     土門 蘭

    コーヒーとケーキ

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、文筆家の土門蘭さんに寄稿いただきました。

    土門さんがやめたのは「休まないこと」

    もともと「休む」ことが苦手で、産後、仕事と育児の忙しさに無理を重ね、ついには心身のバランスを崩してしまった土門さん。その後、ある先輩ママから掛けられた言葉をきっかけに、積極的に休むことを意識するようになりました。

    そうして自分のために時間を使うようになったことで、自分の内面はもちろん、周囲との関わり方にも思わぬ変化があったそう。休み下手だったという土門さんが、どのようにして休めるようになり、休むことでどんな変化があったのか、つづっていただきました。

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    「休む」ということが苦手だ。

    というよりも、どうすれば「休む」ことができるのか、「休む」とはどういうことなのか、あまりよくわかっていない。

    昔からそうだ。空いた時間ができたら、「何かやるべきことはないだろうか」と探してしまう。やっておいた方がいい仕事はないか? 返しておくべきメールはないか? 片付けるべき場所は、読むべき本は、行くべき場所は……。

    いつもそんなふうに予定を詰め込むので、「休む」という選択肢が選ばれることはない。というか、そもそも選択肢にない。だってのんびりゆっくり休んでいたら、「やるべきこと」で頭の中がいっぱいになり、そわそわして落ち着かなくなってしまう。そして、のんびりゆっくりしてる場合ではない! という気分になってしまう。要するに休むのが下手なのだ。

    そんなだから私は、一日中ずっと家事やら仕事やらで働いている。平日でも土日でもお構いなしに。それでいつも夜になると「疲れた」と文句を言っている。誰もそんなに「働け」なんて言っていないのに、一人できりきり舞っている。

    休むのが上手になりたいな。ずっとそう思っていた。

    そんなことを友人に話すと、「蘭ちゃんの中には、『鬼コーチ』がいるんだね」と言われた。「休んでいると叱り飛ばしてくる『鬼コーチ』が心の中にいるんだよ」と。

    それを聞いて「確かに」と思った。竹刀を持った鬼コーチが、確かに私の中にいる。その鬼コーチにビシバシしごかれ続けている。もっと頑張れ、もっと努力しろ、時間を無駄にするな、と。

    でもその「鬼コーチ」は、その頑張りや努力の先に、一体何を目指しているんだろう?

    それは、私にもわからない。

    出産を経て、休むのがどんどん苦手になってしまった

    もともとそういう性格なのか、幼い頃から休むのが苦手だったのだけど、20代半ばで出産してからは、ますますひどくなった。

    子育てというのは膨大な時間とエネルギーのいる作業だ。つきっきりで世話をしていないといけないし、子供が動くたびにするべきことが湯水のように湧いてくる。育休後も会社員として仕事を続けていたので、仕事と育児の両立が本当に大変だった。

    子供たちと一緒に

    毎日、とにかく時間がない。やるべきことが多過ぎて追いつかない。慣れない両立で疲れはピークに達していたけど、「頑張らなきゃ」と思い込んでいた。私の中の鬼コーチが、休むなんて絶対に許してくれなかったのだ。

    すると、ある日から眠れなくなった。子供の夜泣き、仕事のプレッシャー、日々の疲労。いろんなものが積み重なった上での不眠だったのだと思う。私はすぐにダウンした。病院に行くと「鬱(うつ)です」と言われ、強制ストップがかかった。私は長期休みをもらい、そのまま辞職した。

    職場の人や家族に迷惑をかけたと思って、ものすごく落ち込んだ。みんな優しく労ってくれたけど、毎日罪悪感と情けなさで泣き暮らした。

    それでも心のどこかでは、ホッとしていたように思う。やっと休む理由ができた、これでやっと眠れる。そんなふうに思って。それくらいしないと、当時の私は休むことなんてできなかった。

    そのあと鬱が寛解し、再び仕事を始めた時、私は「睡眠時間だけは確保する」と自分に約束した。仕事にも育児にも“定時”を決めて、必要以上のことはやらない。時間が来たら仕事を止め、時間が来たらベッドに入る。

    そのために、家事や育児のやり方を見直して負担を減らしたり、仕事はできるだけ自分がやる意味があると思えるものや、自分にしかできないと思うものに絞るようにした。取り掛かることのできる仕事量は減ったけれど、それでも自分が倒れるよりマシだ。鬼コーチも強制ストップ以来、その件に関しては認めてくれている。

    「休む」のも仕事のうちだと考えるようにした

    仕事道具のパソコンや手帳

    あれから8年。

    転職や第二子の出産などを経て、現在はふたりの子供を育てながらフリーランスで執筆業をしている。「仕事も育児も定時上がり」というルールは、今もちゃんと守っているので、あれ以来体調は崩していない。

    だけどふと自分の生活を俯瞰してみると、やっぱり「休む」時間が全然ない。

    相変わらず「鬼コーチ」は竹刀を持って私を監視していて、休むことを許してくれない。むしろ、「睡眠時間は確保しているんだから、起きている時間は今まで以上に働け」と言わんばかりのプレッシャーだ。

    「本当は休みたいのに、全然休めないんですよね……」と、例の「鬼コーチ」発言をした友人に話す。彼女は年上で、私よりもワーキングマザー歴が長い先輩だ。

    すると彼女は、「『休む』ことを仕事にしてしまえばいいんだよ」と言った。

    「だって、休まないといい仕事できないでしょう? だから仕事の一環として『休む』予定を先に入れてしまうの。もう強制的に休む。そこまでしないと、蘭ちゃんは性格的に休めないよ」

    なるほど、と目から鱗(うろこ)が落ちた。確かにただ「休む」ことはできないけど「仕事として休む」ことならできるかもしれない。鬼コーチだって、それなら納得してくれるだろう。さすが先輩だ。

    「ありがとうございます。それ、やってみます!」

    そう答え、私は早速手帳に「休む」予定を書き込んだ。この時間は絶対仕事しないぞ。「休む」ということをしてやるぞ。そう息まきながら、赤いボールペンでぐるりと丸をつける。仕事はそれ以外の時間に組み込み、ちゃんと終わらせられるようにいつもより細かくスケジュールを立てた。「休む」予定があるとメリハリがついていいものだなと思いながら、頑張って時間を作った。

    最初は「休み方」がわからなかった

    しかし。「休む」って言っても、何をすればいいんだろう? すぐに私は振り出しに戻ってしまった。

    ブーケ

    仕事をしないとなると、私は何をすればいいんだろう? 本を読む、お茶をする、ゴロゴロする、友達と遊ぶ……いろいろ候補は思い浮かぶけれど、自分がどれをしたいのかわからない。長年「すべき」ことばかりしてきたので、今更「したい」ことが思いつかないのだ。これには参った。せっかく時間を作ったのに、やりたいことが思いつかないなんて。

    気を抜くと、すぐに「将来役に立ちそうなこと」をしてしまう自分がいる。例えば、「健康でいられるために運動をした方がいいかな」とか「教養を深めるために勉強でもしようかな」とか。いや、大事なことだけどね、と相変わらずの自分に苦笑する。「休む」ってそういうことじゃないんだよ。将来のために今を犠牲にするのは、私はもう嫌なんだよ。

    そう考えて、「あっ」と思った。

    「休む」ってもしかして、「今の自分」のために動いてあげることなんじゃない?

    鬼コーチはいつも、「頑張れ、努力しろ」と言う。その先に私の目指しているものがあるからだ。いい仕事がしたい、お金が欲しい、子供たちに健やかに育ってほしい……そんな「将来の自分」のために鬼コーチはビシバシ竹刀を振っている。鬼コーチがいなければ手に入らないものはたくさんあったから、それはきっと間違いではない。

    問題は、「今の自分」のために動いてくれる人がいないってことだ。今気持ちいい、今うれしい、今楽しいことをしなさい、と言ってくれる人。

    その時間は、何をしてもいい。何の役に立たなくても、誰に褒められなくてもいい。ただ、「今の自分」が満たされることをする。もしかして、それが「休む」ってことなんじゃないだろうか。

    そう思いつくと、緊張していた心が自然と柔らかくなってくるようだった。

    「今の自分」に耳を傾け、何をしたいかをあらためて聞いてみる。すると、漫画読みたい、ケーキ食べたい、マッサージ行きたい……柔らかくなった心の奥から、ぽつぽつとしたいことが湧き出てきた。

    よし、全部やろう!

    さっそく手帳を開いて、スケジュールを組む。休みの予定を入れながら、浮き立つ心を感じながら、なんて贅沢なんだろう、と思った。

    「今の自分」を満たすための時間を作るって、贅沢で幸せなことだったんだ。「休む」って、素敵なことだったんだ。そしてそんな時間を自分に与えてやれるのは、私しかいなかったんだ。

    近所の喫茶店のレモンケーキ

    最初の「休み」時間には、近所の喫茶店に行ってみた。

    ずっと気になっていた、その店の名物のレモンケーキを食べたいと思ったのだ。バッグの中には、読みたかった小説が一冊。コーヒーを飲みながら、ケーキをフォークでつまみながら、真新しい小説の表紙を開く。

    仕事や家事とは一切関係のない、自分だけの時間。コーヒーは苦く、ケーキは甘酸っぱく、小説の一文は美しい。そういったあれこれを全身で享受していると、みるみる自分が元の形に戻っていくのがわかった。これまでずっと、将来とか、他人とか、世間とか、そういうものにぎゅうぎゅうに押し込められていた本来の自分が、むくむくとまた立ち上がり、思い切り伸びをするような。

    1時間後、私はコーヒーとレモンケーキをきれいにたいらげ、席を立った。たった1時間の「休み」でも、自分がずいぶんリフレッシュしているのがわかる。リフレッシュするって、本来の自分に戻ることだったんだなぁ、と思いながら店を出ると、見上げた空がいつもよりもはっきり見えた。

    前よりも、他の人に優しくできるようになった

    ワーカホリックで休み下手な私だったけれど、それ以来少しずつ「休む」ことができるようになってきている気がする。

    今では、土日のどちらかは「休む」予定を入れ、平日も余裕のある日は「休む」時間をとるようになった。ゴロゴロすることに罪悪感を覚えたり、何かしないとと気が急くことも少なくなってきて、要するに自分を許せるようになってきたようだ。

    それとともに少しずつ、自分が優しくなってきたように思う。「今の自分」を自分で満たせるようになったから、他人に必要以上に期待せず、思いやりを持てるようになったのだろう。

    また、自然と子供たちと一緒に過ごす時間も増えた。これまではせかせかと次にすることばかり考えていたけれど、彼らが今どんなことを考えているのか、前よりもきちんと向き合えるようになった。「休む」って自分のためだと思っていたけれど、他の誰かのためになることもあるんだと気付いた。

    さて、次の休みは何をしよう?

    将来とか、他人とか、世間とか、そういうものは置いておいて、「今の自分」に耳を傾ける。そういうとき、自然と呼吸が深くなって、自分が満足しているのがわかる。

    著者:土門 蘭

    土門蘭

    1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説・エッセイ・短歌等の文芸作品やインタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(寺田マユミとの共著)、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

    Twitter:@yorusube

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    編集/はてな編集部