仕事のモヤモヤは、お酒と漫画で消化する。漫画家・コナリミサトさんの“気持ちのゆるめ方”

コナリミサトさんアイキャッチ画像

日々の仕事を通じて感じた疲れやモヤモヤ、うまく解消できていますか? 中には、そういったマイナスの感情をどうやってリセットすればいいか分からず、毎日溜め込んでしまっている──という人もいるかもしれません。

『凪のお暇』や『珈琲いかがでしょう』などで知られる漫画家・コナリミサトさんの作品であり、2021年にドラマ化もされた『ひとりで飲めるもん!』は、「ひとり飲み」を通じて日々の仕事の疲れをリセットしたり、仕事の悩みや不安を整理したりする主人公・紅河メイの姿が描かれています。作者のコナミさん自身も、ひとりで「飲むこと・食べること」などを通じて日々のモヤモヤを解消しているそう。

今回は『ひとりで飲めるもん!』の制作背景とともに、コナリさん自身の「仕事で感じたモヤモヤ・イライラの解消法」について、オンラインでお話をお聞きしました。

作中の主人公のように、食を通じて仕事の疲れを癒やす

コナリさんの漫画『ひとりで飲めるもん!』は、周囲からバリバリのキャリアウーマンに見られている主人公・メイが、ひとり飲みの時間を通じて仕事の疲れやモヤモヤを吐き出す様子を描いています。本作は、どのようなきっかけで生まれたのでしょうか?

コナリミサトさん(以下、コナリ) チェーン店のような大衆的な場所でひとり飲みをする女の子の話が描きたい、というのがまずあったんです。私自身、もともとチェーン店でひとりでのんびり飲むのが好きで、こういうことをネタにできたら面白いかもしれないと思って。

作中カット

「ひとりで飲めるもん!」1軒目より
(C)コナリミサト /芳文社

コナリさんはチェーン店でいうと、どんなお店に行かれるんですか?

コナリ 例えば「すき家」とか「松屋」みたいな牛丼や定食のお店で飲むのも好きですね。すき家は、実はうなぎが毎年進化していてすごいんです。松屋は、以前話題になった「シュクメルリ」が本当に好きで……期間限定だったんですが、レギュラー化してほしいって思いました。

飲み屋さんでいうと、高円寺にある「大将」っていう焼き鳥居酒屋がすごく好きですね。

大将、いいですよね、私も好きです!

コナリ 大将はマカロニサラダが最高なんですよね……あと、個人的におすすめなのがフードコート飲みなんです。

フードコートって学生さんや家族連れの方が多いイメージで、あんまり「飲む」イメージがなかったです。

コナリ フードコート飲みのよさ、あんまり知られていないと思うんですよ! いまはコロナの影響でちょっと難しいんですが、フードコートって本当に老若男女がおしゃべりをしている場なので、他人の存在を感じられるんですよね。近くのテーブルのお客さんたちの気配を感じながらごはんを食べたりするのが好きなんです。

確かに、楽しそう……!

コナリ 私、そういうスポットを探しながら常に街を歩いているというか、新しい飲みスポットを開拓するのがすごく好きで。風が気持ちよくて、そんなに混んでいない場所だと特にいいですね。デパートの屋上とかも好きですし。

ひとり飲みをするタイミングは『ひとりで飲めるもん!』のメイと同じく、ひと仕事終えた後が多いんですか?

コナリ そうですね。ただ、お酒は大好きなんですが「ネーム作業をしている期間は飲まない」って決めているんです。だから、ネームが上がったり原稿作業が一段落した日にする「雑な晩酌」がすごく幸せで……。もちろん外食も好きなんですけど、疲れている日の夜は、雑なごはんくらいがちょうどいいんですよね。

「雑な晩酌」というと、パパっとできるおつまみのようなイメージですか?

コナリ そうですそうです。お豆腐に塩をかけただけのものとか。最近はまってるのは、マキタスポーツさんがラジオで紹介されていた「10分どん兵衛」。それをさらにアレンジしたのが雑誌に載っていて。カップうどんのどん兵衛の縁ギリギリまでお湯を入れて、10分寝かせて麺をゆるゆるにしてから食べるっていう。小さいサイズのカップうどんって、おつまみにちょうどいいんですよ。

そういう、冷蔵庫と部屋を行ったり来たりするだけで済んで、お腹いっぱいになったらそのままお布団にダイブできるくらいの雑さがお気に入りなんです(笑)。その瞬間のお酒を目指して、毎日仕事を頑張ってます。

(写真左)最近は豆腐にごま油と味の素をかけたものにハマっているそう。
(写真右)10分どん兵衛には七味をどばっとかけて食べるとのこと
(画像提供:コナリミサトさん)

外ではバリバリ仕事をしつつ、飲むと「ほぐれる」人を描きたかった

『ひとりで飲めるもん!』はお酒好きなコナリさんの実感が反映された作品だったんですね……! 主人公・メイのキャラクターはどのように考案されていったのでしょうか?

コナリ メイは、いろいろな友人の合体系、という感じかもしれません。私の周囲には仕事をバリバリ頑張っている友人が多いのですが、外ではしっかりやっているんだろうけど、一緒にお酒を飲んだりごはんを食べているときは緊張がほぐれてフニャフニャな感じになってくれる子が結構いて、それがすごくいいなあと思うんです。みんな世代的にもどんどん出世したり責任のある立場になっていったりしているんですが、飲むと昔のままというか。

作中では、メイはチェーン店で食べたり飲んだりしてリラックスしたときに頭身が縮むキャラクターとして描かれていますよね。まさにあんなイメージですか?

コナリ そうですね! 1990年代のアニメって、コミカルなシーンになったときに突然汗の粒が大きくなったり、走っているときに足がぐるぐると渦巻きになったりするじゃないですか。子どもの頃ああいった表現が好きだったので、自分の漫画のキャラクターにもさせたいなあと思って。メイの場合は食事とお酒で分かりやすく「ほぐれている」のが表現できそうだと思い、ここぞとばかりにああいう描き方にしてみました。

作中カット

周囲が思わず見とれてしまうような雰囲気を持つメイが、チェーン店でのひとり飲みのときにだけ「ほぐれる」様子(「ひとりで飲めるもん!」5軒目より)
(C)コナリミサト /芳文社

なるほど。作中のエピソードに関しても、周囲のご友人のお話を参考にされたりすることもあるんでしょうか?

コナリ 会社員あるあるみたいなエピソードの場合、友人の話を参考にさせてもらうことはわりとありますね。例えばメイの同期が転職してしまうエピソードなどは、同期の転職が決まって寂しいけれど引き止めるわけにはいかないし……という話を友人から聞いて、そこから着想しました。

自分の本心をさらけ出せる瞬間があることの大切さ

コナリさんご自身が特に気に入っているエピソードってありますか?

コナリ 会社を辞めようか悩んでいるメイが、劇場に映画を観に行くお話が気に入っています。女戦士が登場する映画を観て、「じゃあ、私はこれからどうしよう?」と自問自答するエピソードです。

映画を観た後、メイは「冒険」として普段ならあまり行かない高級ディナーにも挑戦していましたよね。そして、その後すぐにチェーンの回転寿司店に入り直し、食べ&飲みながら自分の進む道を再確認するという。ここでもメイ自身が本心をさらけ出せるような「ひとり飲み」の時間が大切なものであることが伺えます。

作中カット

高級寿司を食べた直後に入ったチェーン店での気軽さに癒やされながら、自分の今後について見つめ直すメイの様子(「ひとりで飲めるもん!」18軒目より)
(C)コナリミサト /芳文社

コナリ そうですね。メイは結局「このままこの会社に残って働くことがいまの私にとっての冒険だ」という結論にたどり着くんですが、あれ、我ながらいいせりふだったなと思っています。

「冒険」ってどうしても新しいところに飛び出していく際に使われがちだと思うんですが、必ずしもそれだけじゃないよなあという思いがあって。『凪のお暇』が会社を辞めるお話だったので、「でも、残るのも冒険だよな」と心のどこかでずっと思っていたのかもしれないです。

作中カット

「ひとりで飲めるもん!」最終軒より
(C)コナリミサト /芳文社

確かに新天地に向かうことばかりが「冒険」と呼ばれがちだけれど、残って、その地で挑戦を続けることも「冒険」ですよね。コナリさんは、漫画家になる前に会社員をされていたことがあると伺っているのですが、会社を辞めようか迷ったご経験ってあったりしますか?

コナリ 雑貨屋さんの店員をしていたことはあるんですけど、自分にはちょっと合わないなと感じて、わりとすぐに辞めてしまったんですよね。それ以降はいろんなバイトをかけもちしながら漫画を描いていたのですが、実は28歳くらいのときに漫画家を辞めようかすごく悩んだことがあって。つらい時期だったのでもはや記憶から抹消されかけているんですが……。

えっ、そうだったんですね。そのときはどうして悩まれていたんですか?

コナリ 私、デビューからずっと、全っ然売れてなかったんです。同じくらいの時期にデビューした周囲の漫画家さんたちがどんどん売れていっているのを目の当たりにして、もう私にはこのまま続けるのは無理かもしれないなと思ってしまって。

それでも続けようと思えたのはなぜだったんでしょう。

コナリ どうしてだろう……身もふたもないですが、他にできることがなさそうだったからというのが大きいかもしれないです。いろんなバイトを経験する中で、自分のミスが全員の連帯責任になってしまったりするような環境を経験して、これは自分には向かないなと。

漫画の仕事って、うまくいってもそうじゃなくても、全部自分のせいにできるのがいいところだと思っていて。だから、すごく迷ったけど結局描き続ける道を選んでしまいました。確か、その直後に描いた作品が『珈琲いかがでしょう』だったんじゃないかな。

モヤモヤは、作中の「面白いエピソード」にして消化する

話題を戻しますが、お聞きしていると、コナリさんにとって「飲むこと・食べること」は日々の疲れやモヤモヤをゆるめるための大事な日課なんだなと感じます。もし、それ以外にも大切にされている「気持ちをゆるめる」ための方法や習慣があれば、教えてください。

コナリ 仕事でいま行き詰まっているなあと感じるときは、サウナとジョギングでリフレッシュするようにしています。サウナは、タナカカツキさんの漫画『サ道』を読んだのがきっかけではまりました。水風呂の存在を知れたのがデカイです。モヤモヤしているものを手放せる感じがするというか、スカッとできるので好きですね。

ジョギングは1年くらい前から運動不足が気になってやり始めたんですが、筋肉もつくし、半強制的に脳が休まるような感じがいいなって。ネームがどうしても思いつかないとき、なにか別のことを考えよう……と思って走ってみたら、たまにいいアイデアが浮かんだりもするので、最近はわりとよく走っています。もちろん、どうしても浮かばないときもあるんですけど……。

作品のアイデアがどうしても浮かばないときって、どうされているんですか?

コナリ とにかく散歩をしますね。ただ、最近は暑くて外を歩くのもなかなかつらいので、家や仕事場の中を歩き回ったりしています。

漫画家さんの中には、担当編集さんと相談を重ねることで作品を作り込んでいくタイプの方もいらっしゃいますよね。コナリさんはあまりそういったことはされないのでしょうか?

コナリ 私はあまり編集さんとじっくり相談しつつ作っていくというタイプではないかもしれません。むしろさっきお話ししたように、お酒を飲みながら友人の話を聞いたりしているときに作品の原型ができていく方だと思います。

お酒の場で自分の悩みをようやく言語化できたり、「いまのせりふは〇〇のキャラに言わせよう」と考えたりしているので、コロナ禍になって気軽に飲みに行けない現状が本当につらいんですよ……。現実世界で言えなかったことやモヤモヤしていることをお酒の場を通してエピソードにし、それを漫画という形で消化しているようなイメージなんです。

なるほど。お酒の場と漫画を通じて日々のモヤモヤを消化していらっしゃるんですね。

コナリ そうですね……穏やかな言い方じゃないかもしれないですが、モヤモヤ・イライラしたことは漫画の中でできるだけ面白い話にすることで復讐している、というか(笑)。私は愚痴を人に聞いてもらうときは「面白おかしくすること」がせめてものエチケットだと思う方なので、漫画に描く際にもあまり生々しいエピソードにならないよう、一旦時間を置いて、激情に流されないようになった頃に少しつまんで出す、というのを心がけています。……あっ、それから、ひとりで飲みながら落書きする時間も日々の癒やしのひとつかもしれないですね。

落書き! お仕事以外の時間にも絵を描かれるんですか?

コナリ ひとり晩酌しながら落書きするの、大好きなんです。さすがに仕事中は絶対にお酒は飲まないようにしてるんですが、そうじゃない時間はいくらでも飲みながら描けるので楽しいですよ! ほろ酔いで、自分の漫画のキャラのエロい絵とかを描くこともあります(笑)。本当にあっという間に時間が過ぎるので、やっぱり描くのが何より好きだなあと思いますね。


取材・文:生湯葉シホ 編集:はてな編集部

『ひとりで飲めるもん!』 発売中

『ひとりで飲めるもん!』書影

芳文社刊

紅河メイはコスメ会社の広報部に勤務する28歳。仕事もできて、スタイル抜群。 憧れる人も多いが、やっかみも多い。そんな彼女の密かな楽しみは、チェーン店。 それも居酒屋ではなく、チェーンの丼店、ラーメン店、カフェで食事をとりながらさくっと飲むこと。 働く女性に贈るちょいグルメストーリー。

▶ひとりで飲めるもん!

お話を伺った方:コナリミサトさん

コナリミサト

漫画家。2004年デビュー。『凪のお暇』(秋田書店)、『黄昏てマイルーム』(KADOKAWA)、『燃えよあぐり』(小学館)連載中。2019年に『凪のお暇』、2021年に『珈琲いかがでしょう』『ひとりで飲めるもん!』がドラマ化したことでも話題に。

Twitter:@konarikinoko

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「じぶん」の感情を尊重したら、相手に本音を伝えられるようになった|マンガ家・ペス山ポピー

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

上司や同僚から理不尽な言動を受けたとき、「嫌だな」と感じても、笑って受け流してしまい相手に本音を伝えられなかった経験はありませんか。

自分の本音を他者に隠してしまう背景には、自己肯定感の低さから自身の考えや感情を尊重できず、空気を読みほかの人の要求に応えることばかりを優先してしまう、という側面がありそうです。

マンガ家のペス山ポピーさんも、子どもの頃から自己肯定感が低く、本音を隠してしまう自分に悩んできた一人。しかしエッセイマンガ「女(じぶん)の体をゆるすまで」の執筆を通じて、トランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)である自身の性自認への悩みや、過去に体験したアシスタント現場でのセクハラ・パワハラに向き合うことで、ようやく自分の感情を認めることができ、少しずつ本音が口に出せるようになってきたそうです。

そんなペス山さんに「自分の感情を尊重し、本音を相手に伝えるためのヒント」を伺いました。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

本心を隠す自分は、自分に対して“不誠実”だった

「女(じぶん)の体をゆるすまで」の連載が終わり、上下巻で単行本化されるということで、まずは、連載本当にお疲れさまでした。

ペス山ポピーさん(以下、ペス山) ありがとうございます。

本作ではご自身のセクハラ・パワハラの体験や性自認についてなど、ペス山さんの「からだ」そして「こころ」について描かれていますが、そもそも、どうしてこういったテーマで作品を描こうと思われたんでしょうか?

ペス山 ここに向き合わないと、次に進めない」と思ったからです。アシスタント現場でセクハラ・パワハラを受けたのは2013年ごろとかなり前の出来事なんですが、ずっと向きあう気になれなくて。

きっかけは、前作(『実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。』/新潮社)でも描いた交際相手の存在でした。かなりモラハラ気質というか、差別的な言動をぶつけてくる人だったんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

私はトランスジェンダーということもあり、極力自分が傷つかないようマイノリティーな側面がある人としか付き合いをしてこなかったんですが、初めて付き合った“ノンケ”の男性がそういう人で、衝撃を受けて。

そこで初めて「性差別」というものに目が向くようになって、ようやく過去のセクハラ・パワハラにも向き合おう、と思えるようになりました。どちらの出来事も「自分という存在がぞんざいに扱われている」という点において、差別の仕組みは同じじゃないですか。

元交際相手から受けた差別的な言動がきっかけとなり、自分の中で「封」をしていた過去の理不尽な出来事に触れることができたと。向き合うことを避けていた記憶と対峙するのは、つらくありませんでしたか。

ペス山 実は、描いているときは過去に起きたことを整理しているような感覚で、わりと平気だったんです。むしろ描くことでちょっと楽になる感じでした。

それを聞いて、少しホッとしました……。「女(じぶん)〜」の執筆を開始するまでは、自分の感情や本心をどう扱っていましたか。

ペス山 不誠実だったな、と思います。私は小学生6年生のころ、男の子のような格好をしていて、周囲からは「女なんだから……」と言われていました。そのたびに傷ついて。

傷つかないためにはイカれた格好をするしかない、と思い高校生の頃からずっとゴシックファッションに身を包んでいました。前髪は鬼太郎みたいに斜めで。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 高校入学からしばらくゴス時代は続いた
(C)ペス山ポピー/小学館

したい格好じゃないのに、あえてゴシックファッションを選んでいたと。

ペス山 そうなんです。本当は男の子のようなファッションを選びたかったけれど、それは自分の「核心」なので、否定されたら傷つく。だったら「なんで黒づくめなの?」と聞かれる方がマシで……。

学校には毎日遅刻するし、先生にはキレるし、本当にやばい生徒で(笑)。周りからは自由な人間に見えていたかもしれませんが、自分が好きな格好はできていないし、自分を否定してくる相手には暴言を吐いてしまうし、外面にも内面にも不誠実だったと今は思います。

「暴言」は自分の本心をさらけ出す、とはまた違うのでしょうか。

ペス山 相手に嫌なことを言われて、私も相手の悪いところを言って、それってただ相手を傷つけているだけで、本心を出してはいないじゃないですか。

自分に自信がないから“イキって”たんですよ。イキることで自己肯定感の低さをマヒさせているというか、ずっと“演技”をしているというか。聡い友達にはバレてたと思います。

自信がない、自己肯定感が低いという自覚はその頃からあったんですね。

ペス山 客観視できたのは、大人になってからなんです。

20歳くらいの頃、母親に「あなたは子どものときから『勉強くらいできないと生きてる価値ないから』と言ってたよ」と教えてもらったことがあって、そのときにようやく「私って子どものころから自己肯定感が低かったんだ」と初めて客観視できました。

セクハラを受けたときにも、本質的なこと、自分の核心に関わることであればあるほど向き合えなくなって、なにも言い返せなくなってしまう自分の性格を痛感しました。

マンガとカウンセリングを通じて自分の「本心」に向き合えるようになった

「女(じぶん)の体~」の最終回には「最近喋るとき、本音にたどり着くまでに一拍待つようになった」とありましたが、この変化にはなにかきっかけがあったんですか?

ペス山 「一拍待つ」というコミュニケーションができるようになったのは、カウンセリングに通ったことが大きかったかもしれないですね。自分が受けたセクハラの被害については全て描ききった、じゃあ描いたことを自分の口で話せるだろうかと試してみたくて、カウンセリングに行ったんです。

カウンセラーさんにワーッと一方的にしゃべってみて気付いたんですが、私の場合はただ心の動きの表面をなぞってるだけで、話した内容の3割くらいは“いらない話”をしていたんです。だから、自分の本音にたどり着くまで「待つ」方がいいんじゃないかなと。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 最終回で描かれた自身の変化
(C)ペス山ポピー/小学館

カウンセリング、行ったことがないとハードルが高い場所のように感じてしまう人も多そうです。自分に合った場所を探すのも難しそうな印象があるのですが、ペス山さんはどうやって探したんですか?

ペス山 私の場合は、信頼している知人がおすすめしていたカウンセリングルームに行きました。性被害をテーマにしたオンライン講座なども開催していたところだったので、それにも参加した上でよさそうだなと思って実際に足を運んで。

やっぱりプロの聞き手は圧倒的に「待ってくれる」ので、自分の気持ちをなかなか話せない方は、カウンセラーさんに頼ってみるという選択肢もおすすめしたいです。

カウンセリングはある程度お金がかかってしまう一方で、お金を払っているからこそなにを話しても聞いてもらえる、という安心感はありそうですよね。

ペス山 そうですね、知り合いや家族に対して同じように話してしまうと、場合によっては一方的な言葉の暴力のようにもなってしまうので。聞く技術を持ったプロは安心できますよね。

カウンセラーさんと話をしたことで、ふだん自分がいかに本音に目を向けず、目くらましみたいな会話をしているかに気づかされました。だから、日常会話でも場を和ませるためにサービスしようとか、笑ってもらおうとか、そういうの一旦やめてみようと思ったんですよね。

人に笑ってもらえると、やっぱりうれしいじゃないですか。でもそれってスナック菓子みたいなうれしさで、続けているとやめられなくなっちゃうんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

過剰にサービスしないこと、大事ですよね。一方で会社や学校のようにいろいろな人たちが集まる場だと、空気を淀ませずに会話をすることが求められがちです。「一拍待つ」ことで生まれる間が怖くなってしまう方もいそうだなと。

ペス山 その怖さは、会社で働いている方には絶対ありますよね……。私の場合は正直、編集さんや親しい人たちとしか話さないから「一拍待つ」というコミュニケーションができている、という側面はあると思います。だからまずは、親しい人に対してだけ「本音にたどり着くまで待つ」をやってみてもいいかもしれません。

……あと最近思ったんですけど、大御所女優ってすっごく間を空けてゆっくりしゃべる方が多いじゃないですか。でも誰も怒らないし、そんなに気にもしてませんよね、たぶん。だから同じように、ちょっとくらい間があってもよくない? と思って(笑)。

確かに……!

ペス山 会話の間もそうですけど、不当な扱いを受けたり嫌な気分になったりすることがあったときも「自分が岩下志麻さんだったら、こんな扱いを受けて受け流すはずないだろう」と考えるといいのかもしれない(笑)。

まずは「〇〇さんだったらどう返すだろう」と理想の姿を考えてみることから始めてみて、いずれ「◯◯さん」の部分が自分自身になれば、最高ですよね。もちろん、訓練は必要だと思うんですけど。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

そうして自分の本心を尊重できるようになったら理想的ですよね。「マンガ」や「カウンセリング」を通じて、ペス山さんが尊重した「本心」は何だったのでしょう。

ペス山 私の場合はやっぱり「性自認」だったと思います。今まで自分を抑圧してきた性自認という大きな本心を解き放てたことで、ほかの本心に対する「鍵」も芋づる式にゆるんできた、という感覚があります。

なるほど。では、自分の本心を尊重するのが苦手な人にアドバイスをするとしたら、何と声をかけますか。

ペス山 そうですね……他者に対してと同じくらい、自分に対して誠実になろうとしてみてほしいです。私も最近知人に言われてハッとしたんですが、自分のことは二の次なのに、他者に対しては誠実でいようとする人がすごく多いと思うんです。

それが「善きこと」とされているけれど、そうではないと思うから。

“じぶん”を尊重できたことで、大幅な描き直しにも踏み切れた

「女(じぶん)〜」の執筆を通じて自分の本音に向き合えたとのことですが、作品では自分の本心を全て悩みなく描けたのでしょうか。

ペス山 どんな描き方をしたらいちばん読者に伝わるか、には悩みましたが、描くこと自体に悩んだことは……うーん、あったかな……。

編集担当チル林さん(以降チル林) 近くにいた私から見ると、悩んでるなあと思うことはたまにありました。

連載時は毎回、ネームを見て2人で相談しながら細部を詰めていたんですが、描きたいことがネームに表れてるときと、ベールに隠されて核心が見えないときがあって。「ペス山さん、いちばん描きたいことって本当にこれ?」と確認したことは何回かあったよね。

ペス山 確かに、なかなかネームが通らないときはありましたね。そういうときってだいたい自分で通らないだろうなって分かってて、チル林さんとしゃべってなんとかしてもらおうって思ってる(笑)。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで

そういうときは「ペス山さんが本当に描きたいこと」が見つかるまで2人で粘るんですか?

ペス山 そうですね。なんなら、描き終わったあとにようやく本音にたどり着けて、単行本化に合わせて大きく描き直した回もあります。例えば性自認をテーマにした6話は、連載時と単行本とでタイトル、話の構成、内容などが大きく変わっています

連載当初、コメント欄が荒れてしまい、私の性自認に対して口を出してくる人のことが怖くなってしまって。私の性自認はずっと揺らぐことなくトランスジェンダー(Xジェンダー/ノンバイナリー)なんですが、それに対して何か言われるのが怖くて、6話ではまるで性自認に迷いがある人のように自分のことを描いてしまったんです。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 左はWeb掲載時版、右は描き直した単行本版の一部
(C)ペス山ポピー/小学館

あとから、他者の納得を得るために描いてしまった話だと気づいて、連載の最終回執筆と並行する形で、単行本分を描き直させてもらいました。単行本の内容は「自身の性別に違和感を感じている自分」がしっかり描かれていると思います。

コメント欄が差別的・暴力的なことを書く人たちによって荒らされ、編集部がコメントを承認制に変更したのは、ネットでも話題になりました。すごく毅然とした対応だったと感じます。

ペス山 そうですね、チル林さんはじめ、編集部の対応は本当にありがたかったです。

承認制にしてもらってからはいろいろな意見をいただけるすごくいい場になったし、読者の方からの声をきっかけに自分の本心に気づかされることも増えたと思います。

『女(じぶん)の体をゆるすまで』のコメント欄について | やわらかスピリッツ

執筆を通じて、ペス山さん自身にたくさんの変化があった作品かと思いますが、周りの人から変化を指摘されたことはありますか?

ペス山 ずっとお世話になっているマンガ家さんに「本当に変わったよな」と言われました。あまりにもいろいろ変わったみたいで、どこがどう変わったかは言ってくれなかったんですが(笑)。

チル林 でもペス山さん、本当に変わったよ。出会った頃はもっとお笑い芸人みたいで、自分のエピソードをおもしろおかしくしゃべってくれる感じだったもん。話すスピードもすごくゆっくりになったと思う。

ペス山 ああ、やっぱりそうだったんだ……! 身近な人たちがそう言うってことは、本当に変わったんだと思います。

痛みを感じやすい人もそうでない人にも、最低限の「靴」がほしい

作中にゼラチンさんというお友達が出てきますが、彼女は理不尽な出来事やハラスメントを受け流すことが得意な人物として描かれています。自分の気持ちに向き合わず受け流そうとする人のことを、今のペス山さんはどう感じていますか。

ペス山 作中でも描きましたが、彼女がこれまで受けた被害について「特になにも感じてない」と言われたときは、正直驚きました。

でも、そうだよな、こういう人もいるよな、と今は思います。私はたまたま自分の内面と向き合うことが得意だったからエッセイマンガを描けたし、カウンセリングのなかでも結構ハードとされている心理療法を選んだりもできたんですが、誰にでも当てはまるわけではないとも思うので。

マンガ家・ペス山ポピーに聞く、自分の感情や本音を認めて、向き合えるようになるまで 学生時代からの友人、ゼラチン
(C)ペス山ポピー/小学館

エッセイマンガは確かに、特にハードなアウトプット方法だと感じます。

ペス山 私からは逆に、ゼラチンのように受け流すのが上手な人の方がハードに見えてるんですよね。

でも、彼女は「A面」を見せるのが得意な人だと思うから、急に「B面」を見せろ、苦手なことをしろなんて言えない。私たちは陸生植物と水生生物くらい違うのかもしれないなと思います。でもこの前も2人でシン・エヴァを観に行きましたよ。

考え方が違っても、長く付き合える関係っていいですね。作中では、痛みをなかったことにしている人も、そもそも痛みをあまり感じない人も確かにいると認めた上で、歩き続けるために「全員分の靴が欲しい」「だから描くのだと思う」とも描かれていました。

ペス山 うん、痛みをあまり感じない人がいるにしたって、そもそも最低限(の靴)がそろってないじゃんって思うんです。

理不尽な言動を許す世間の空気をなくしたり、社会的な制度を整備することは、最低限必要ですよね。最後に、ペス山さんはエッセイマンガを通じて自身に向き合ってきましたが、今後はどういう作品を描いていきたいと考えていますか。

ペス山 将来のことはまだなにも分からないけれど、たぶん、描きたいものが出てきたらまた描くんだろうなと思います。エッセイマンガは、ネタが切れるからああしようこうしようと、作品に合わせて生きると本当に滅ぶので……。

だから、これからも自分がやりたいことをやれる形でやっていきたいですね。人生を徐々に凪にしていこうと思ってます、描くことで

取材・文/生湯葉シホ
写真/関口佳代
編集/はてな編集部

『女(じぶん)の体をゆるすまで』 著:ペス山ポピー

『女(じぶん)の体をゆるすまで』書影

小学館刊

自身が生まれもった体を恨み、漫画も描けなくなったペス山さんが己の過去、友人、親と対峙しつつ、「女(じぶん)の体をゆるすまで」を描いた、話題のジェンダー・エッセイコミックが上下巻同時発売。

▼ 詳細:女の体をゆるすまで 上 | 小学館

お話を伺った方:ペス山ポピーさん

ペス山ポピーさん

マンガ家。2017年に自身の性的嗜好を描いたエッセイ「実録 泣くまでボコられてはじめて恋に落ちました。」(新潮社)でデビュー。2020年から約1年をかけて、Webサイト「やわらかスピリッツ」で「女(じぶん)の体をゆるすまで」を連載した。

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計画は「決め過ぎない」でもいい。自分の"好き"と向き合い続けたキリン研究者の仕事観

郡司芽久さん記事トップ写真

日々の仕事のなかで具体的な目標や計画を立てることは大切です。しかし、一度立てた計画にこだわり過ぎると、ときに息苦しさを感じることもあります。例えば、目標を意識するあまり、もともと楽しかったことがつらいものに変わってしまったり、思わぬ発見に気付かなくなってしまったり。

動物の解剖を専門にする郡司芽久さんは、世界でも珍しいキリン研究者。もともと「キリンが好き」という気持ちが高じて研究者の道を選び、10年近い年月をかけて数十頭のキリンの解剖を経験したのち、キリンの首にまつわる研究で博士号を取得したという異色の経歴の持ち主です。

研究を重ねるほどにキリンへの気持ちが高まっているという郡司さんは、これまで計画や目標とどのように付き合ってきたのでしょうか。計画を決め過ぎないことの大切さ、目先のトレンドに惑わされないための考え方など伺いました。

※取材はリモートで実施しました

キリンを愛する学生が解剖学に出会うまで

郡司さんは子どもの頃からキリンが大好きだったそうですね。実際にキリンの研究者の道を志すようになったのは、大学生のときに聴講されたシンポジウムがきっかけだったとお聞きしています。

郡司芽久さん(以下、郡司) 大学1年生のときに出席した大学の生命科学シンポジウムがきっかけです。「生き物の右と左はどう決まるか」「南極のアザラシはどうやって生きているか」など、幅広い分野の先生たちがそれぞれの視点からすごく楽しそうに研究の魅力を話されていました。そのあと、シンポジウムの懇親会で先生方とお話ししていたら、最終的には研究室にも連れて行ってくださり、マウスを使った遺伝子研究の様子を見せていただいたりして。そのとき初めて研究者って楽しそうだなと思いました。

研究の道に進むとしたら対象はキリンにしたい、というのは当時から思われていたんですか?

郡司 そうですね。ずっと好きでいられるものってなんだろうと考えたときに、大好きな生き物のなかでも特に好きなキリンかもしれないと思ったんです。ただ、研究の潮流で言えば、当時はもう生物学の本流は分子生物学*1で、生き物を一個体や群れの単位で扱うような研究は下火になってきていたんです。しかも鹿や猿のような身近な動物ならまだしも、キリンの研究をしている方というのは本当にいなかった。だから先生方に「キリンの研究ってどうやったらできますか」と相談しながら、道を模索しているような状態でした。

郡司芽久さん記事インタビュー写真1

結果的に「解剖学」という分野をご専門にされたのはなぜだったんでしょう?

郡司 解剖学であればキリンの研究ができそうだったから、というのがほとんど全てです。大学1年生の秋に、さまざまな動物の遺体を動物園から引き取って解剖されている遠藤秀紀先生という解剖学を専門とする教授に出会いました。この研究室ならばキリンの研究ができそうだ、とその先生のゼミに入ったのが始まりですね。「キリンが好きでたまらないのによく解剖できたね」ってよく言われるんですが……。

それはちょっと気になりました。ゼミに入って最初に体験したコアラの解剖の時点で楽しかったと本に書かれていましたが、怖さはなかったのかなと。

郡司 あまり怖さはなかったですね。私の本を読んでくださった方から「キリンをもっとじっくり見てみたくなった」とうれしい感想をいただくこともあるんですが、私自身が解剖に魅力を感じたのも近い欲求だと思っていて。

コアラの解剖をしたときも、「そうか、こんな体の構造をしているからあんなふうにずっと木にしがみついていられるんだ」というのが分かり、コアラについてより深く知ることができたという感覚があったんです。だから私個人の考えで言うと、動物って解剖するとより好きになるんですよ。

なるほど……そう言われてみると、動物の体の構造は図鑑や動物園の看板などの説明を通してしか知らないなと感じます。

郡司 そうですよね、みなさんそうだと思います(笑)。生きている動物を対象にした研究って、人間がさわればさわるほどその生き物にストレスがかかってしまうし、人間にとって危険な場合もあるので、基本的には触れるのはNGなんです。でも解剖の場合は、もう亡くなっているのでさわりたいだけさわれる。頭はどのくらいの重さか、足はどのくらいの長さか……といったことを、知識としてだけでなく五感を使って体感することができるのは、解剖のいちばんの面白さだと思いますね。

目的や計画を「一から十まで決め過ぎない」ことの意味

郡司さんはこれまで数十頭のキリンの解剖に携わってきて、その多くは博物館に標本として収められています。たくさんの標本を作る理由として、博物館に根付く「3つの無(無目的・無制限・無計画)」という理念を紹介されていましたが、ビジネスの場面では計画や目的を強く求められることもあるだけに新鮮でした。

郡司 博物館のコレクションを作る主な目的って、言ってしまえば博物館をいつか利用する「未来の人」のためなんです。実際にいま私も、100年前に集められた骨格標本を使って研究をさせてもらったりすることもあります。同じように、100年後の人が使う可能性を踏まえてコレクションを収蔵しようと思ったら、できるだけたくさんのものを集めておくしかないんですよ。いま当たり前にいる生き物も、100年後には絶滅危惧種になっている可能性だってあるわけですから。

確かに、いまは身近な動物でもいつか絶滅危惧種になったりしたら、「どうしてあんなにたくさんいたときに遺体を残しておかなかったんだ」と未来の人に思われてしまいそうですね。

郡司 実際にそういうケースってよくあるんです。例えば奄美大島には、いまは天然記念物になっているアマミノクロウサギという日本固有のウサギがいます。100年前には島全域にすごくたくさん生息していたことが分かっているのに、その時代の標本って日本全体で数えるくらいしか存在しない。

そうなると、できない研究や検証できない仮説が出てきてしまうんですが、当時の人たちからしたら、「こんなにたくさんいるウサギより、もっと珍しい動物を集めた方が役に立ちそう」ってことだったと思うんです。だからいまの私たちの価値基準では動かずに、博物館はあらゆるものを集め、あらゆる可能性に備えておく必要がある

たぶんそれって、自然史博物館などの標本に限らず、身近な本などでも同じですよね。いつでも手に入るかなと思って処分してしまった本が絶版になってしまってもう二度と手に入らない、というような話はどこにでもあって、いまの私たちの価値観や目的意識だけで遠い未来のことを判断してはいけない、という。

郡司芽久さん解剖風景写真 骨格標本の計測風景。並んでいる骨を一つずつ中央の銀色の計測器(ノギス)で測り、紙に記録していきます

研究についてもそれに近い部分があるのでは、と想像しているのですがいかがでしょうか。

郡司 研究の場合は、博物館の理念とは少し違う部分もあります。私たちは公費を使って研究をしているので、当然ですが「無目的・無制限・無計画」ではさすがに通用しなくて、何年か先を想定して提出する研究計画書というものが存在します。そこでおそらく研究者の多くは、ある程度のヒントというか、複数の弱い証拠のようなものを手がかりにして、「こういうことをしていけば、いずれ大きな証拠が掴めるのではないか」という仮説から研究計画を立てている気がします。

ただ、明らかにしたい大きな目的は当然あるんですが、その目的を達成するための要素だけに縛られないようには気をつけています。つまり、「このデータが得られさえすればこの研究は終了」というふうには思わず、「この実験のついでにここも観察してみようかな」と考えるようにはしているかもしれません。

だから、一から十まで目的や計画を決め過ぎない、ということは確かに意識していますね。実際、研究を進めるなかで、まったく予想もしていなかったことが起き、それが別の研究に発展していくこともあります。

あえて目先のトレンドは追いかけない

郡司さんは、キリンの研究という国内でも専門家がほとんどいなかった分野に飛び込まれたわけですよね。「この研究が本当にうまくいくのか」「いつ成果が出るのか」という不安を感じることもあったのではないかと思うのですが、いかがですか。

郡司 性根が楽観的だからかもしれないんですが、実はそういうことはあまりなかったんですよね……。私は大学院に5年いたので、院生時代に同い年の友達はすでに社会人3年目くらいになっていて。周りの人たちを見ていて、いわゆる3年離職率って本当に高いというのを実感したんです。転職したりワーホリを利用して海外に行ったり、なかには病気になって療養したりしている人もいて、友人たちがそういう人生の節目に立っているのを見たら、「安定した生き方」なんてないんじゃないかと思いました。

だから、どんな道を選んだとしても不安定な要素は消せないのだとしたら、これさえやっていれば自分は幸せだということを仕事に選んだ方がハッピーなんじゃないか、というのが研究者を目指していたときの正直な気持ちだったと思います。

『キリン解剖記』書影 『キリン解剖記』ナツメ社
キリン博士に至るまでの道のりがまとめられている著書

例えば研究者として評価されるということを考えると、冒頭に述べられていた分子生物学など、いわゆる「トレンド」の研究を行ったり、成果の見込みやすい分野で教授にテーマをもらったりといった道もあったのではないかと思います。郡司さんは、そういった選択が頭をよぎったことはありませんでしたか?

郡司 そうですね。当たり前ですけど、トレンドって変わるんですよね。特に研究の世界だと、実際に研究を始めてから世の中に報告されるまでにタイムラグがありますし、今のトレンドを追っても自分が研究者として独り立ちするときにはトレンドが変わっている可能性も高い。だから博物館的な考え方かもしれませんが、トレンドはなるべく意識せず、自分の関心から研究を進めようというのはありました。

あとは、身近にたまたまトレンドに近い領域で研究をしている友人もいたのですが、絶対にかないそうにないな、ということもありました(笑)。トレンドになっているということは、研究人口も多く競争が激しいわけですよね。逆に、キリンなどのニッチな分野では競争というよりも、一緒にこの分野を盛り上げていこうという意識が強かったりする。このあたりも、あまり流されなかった理由の一つかもしれません。

確かに人気のある分野だと競合が多いのはビジネスの世界でも同じかもしれません。自分の関心から研究を進められていたとのことですが、これまで研究が嫌になったことはありませんか。解剖はなかなかハードだと拝読しました。

郡司 大きな動物の解剖が立て続くことがたまにあって、そういうときは確かに大変ではあります。動物がいつ亡くなるかは誰にも分からないので、偶然同じタイミングで遺体が届くこともまれにあるんです。キリンの解剖を10日間やったあとにサイの解剖を1週間やる、とか……。そういうときはもうただただ体力が消耗するんですが、それでもなおキリンの解剖だけは、どんなタイミングで入ってきても嫌だなあと思ったことがないですね。

いつきても嫌じゃないんですか。すごい……!

郡司 すごく疲れているときに「これからワニが5頭きます」という連絡が入ったりすると、「ワニ5頭かあ……」みたいな気持ちになっちゃうこともあるんですよ。もちろんちゃんとやりますし、いざ解剖を始めるといろいろな発見があって楽しくなってくるんですが。ただ、キリンに関してはエンジンがかかるまでの時間が他の動物と明らかに違うんですよね。

(笑)。

郡司 日常生活のなかで、「私は本当にキリンだけが特別に好きなんだろうか?」「なんでこんなにキリンにこだわるんだろう?」って思うことはよくあるんです、ほかにも好きな生き物はたくさんいるので。でもキリンの解剖が入ると、やっぱり自分にとってキリンは特別なんだなって実感します。

「すぐに役立つ研究」だと思われなくても

お話をお聞きしていると、郡司さんは本当に純粋な「好き」を突き詰めていまの研究にたどり着かれたんだろうなと感じます。著書のなかにも、宇宙物理学者の先生に「郡司さんも私も、子どもの心のままで大人になれて幸せですね」と言葉をかけてもらったというエピソードがありましたね。

郡司 その先生はブラックホールの研究をされている方で、私の何を見てそういうふうに言ってくださったかは分からないんですが……なんとなく「好き」という気持ちをそのまま感じられている人が、先生のおっしゃる「子どもの心のままで大人になれた」人なのかな、と思っています。

自分の気持ちを軸にして物事を判断するのって、大人になればなるほど難しくなるじゃないですか。子どもの頃の「好き」って周りの視線をまったく意識していなかったと思うんです、石が好きとか虫が好きとか。でも、大人になってくると「こういうのが好きだと格好いいと思われそう」みたいな余計なことを考えてしまったり、周囲の声を左右されたりすることも増えてくると思うんです。

郡司さんの場合は、指導教員の先生が当時を振り返って、「郡司は止めても聞かなかった」とあとからお話しされていたそうですね。

郡司 私にはキリンの研究を止められた記憶がないので、先生か私のどちらかの記憶が間違っていることになるんですけど(笑)、周りの声を気にしないっていうのも時には大事かもしれないなとは思います。

それに、人に言われて選んだことって、うまくいかなかった場合その人のせいにしてしまいがちじゃないですか。でも、自分で決めたことであればうまくいかなくても、ある程度自分で折り合いをつけられるんじゃないかなと思うんです。

ただ、そうして自身の「好き」が高じて選んだ研究テーマにもかかわらず、著書の最後には類似の着眼点を持った研究が立て続けに発表されてきていると書かれていました。今後、郡司さんの研究が他分野で応用されることも増えると思いますが、現時点では将来的にどんな分野に生かされることがありそうだとお考えですか。

郡司 例えばいまも医療分野の方と一緒にキリンも人間もかかる病気の研究をしたり、新しいロボットを作ろうとしている方と共同研究をしたりしていて、いろいろな可能性は感じているんですが……実はつい最近気づいて、個人的にちょっとショックを受けたことがあって。

おそらく「基礎研究は、すぐに何の役に立つのかは分からなくても、いろいろな可能性をもつ大事なものだ」と言う研究者の方って多いと思うんですね。遠い未来に、なんだかよく分からなかった基礎研究の成果が、ある病気を治すことにつながるとか、人間の生活が劇的に楽になることにつながるかもしれない。それに、もっと広い意味で人間の生活が豊かになることも「役に立つ」ことに含まれる、とも思います。日常生活をほんのすこしだけ楽しくしてくれるような「トリビア」的な研究だって、「役に立つ」の一つの形なんじゃないかなあと、私自身はずっとそう思ってきました。

でも、いざこういう例がありますと言おうとしたときに、「役に立ちそう」とすぐに思ってもらえそうな医学とか工学への応用例ばかり毎回挙げてるな自分、と……。

なるほど……。ビジネスの分野でも、分かりやすい成果ばかり強調してしまうことは少なくないかもしれません。

郡司 もちろん、医学とか工学とかで役に立てるとしたらうれしいんですよ。でもそれって、「結局なんの役に立つの?」という目に何度も晒されて傷ついてきた研究者の防御反応でもある気がするんです。

分からないことを分かることに変えたい、という好奇心がどんな研究の根本にもあると思うんですが、公費を使って研究するとなったら、やっぱり「私たちの生活がこんなふうに変わります」ということが求められます。そこで自分の研究が「役に立たなそう」と思われると傷つくんです。だから、医学や工学への貢献といった分かりやすい例を挙げて納得してもらいたいという気持ちが出てくるし、それはすごく分かります。

でも一方でそれが、「役に立つ研究」ってこういうものですよ、という先入観を増進させてしまっている気もするんです。「医学や工学への応用だけが、『役に立つ』の形ではない」と思っているのに、「役に立つ研究」の例にはそういったものばかり挙げてしまうって、矛盾してるかもしれない。最近、そんなふうに思うようになったんです。

ありがたいことに、私の研究を知って「キリンを見る目が変わった」って言ってくださる方はたくさんいます。いままで目には入っていたけれど特に注目したことがなかったようなものに意識を向ける瞬間が増えたり、生き物ってこんな面白いんだなと思ったりする人がすこし増えることが役に立たないことかって言われたら、決してそうではないと私は思うんですね。

キリンの写真

本当にそうですね、大きな意味のあることだと思います。

郡司 だから、医学や工学はもちろんなんですが、それ以外にもいろんな可能性があるということを最近は言うようにしています。「私はキリンという不可思議な動物の進化について知りたくて研究をしているけど、あなたはキリンの研究にどんな価値を感じますか?」というふうに、相手に尋ねてみるような感じです。

もちろん「役に立たなそう」と言う方もいますけど、そもそもキリンを対象にして研究ができるということ自体に価値や驚きを感じてくださる方もたくさんいて、「キリンの遺体って手に入るんですね、そんな研究はできないと思っていました」と言ってくれる方もいたりします。

いま地球上には何万種もの動物がいるのに、研究で扱えている動物ってまだまだ少ないんです。だから、私個人の思いとしては、もっといろんな生き物を対象にいろんな研究が進んでほしいし、私の研究がいろいろな生き物を研究する人が増えることにすこしでも貢献できたなら、すごくうれしいなと思いますね。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:郡司芽久さん

郡司芽久さんのプロフィール写真

東洋大学生命科学部生命科学科助教。2017年3月に東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程を修了(農学博士)。 同年4月より、日本学術振興会特別研究員PDとして国立科学博物館に勤務、2020年4月から筑波大学システム情報系研究員を経て、2021年4月より現職。幼少期からキリンが好きで、大学院修士課程・博士課程にてキリンの研究を行い、27歳で念願のキリン博士となる。

Twitter:@AnatomyGiraffe  HP:郡司芽久

気になるあの人の仕事観

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*1:生物を構成する分子のレベルで生命現象を研究する学問分野

自分の強みに気付けば、組織での“役割”が見える。ハロプロOG・宮崎由加&ハラミちゃんの「居場所の作り方」

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

「周囲の同僚がみんな優秀に見える」「私の強みって、なんだろう」……。しっかり働いているはずなのに自分に自信をなくし、何をすべきか分からなくなってしまうことはないでしょうか。

そこで今回は「優秀な集団の中で自分にできること(=強み)」を見つけて伸ばした結果、自分なりの“居場所”や“役割”を見つけられた経験を持つおふたりに対談いただきました。

お話を伺ったのは、ハロー!プロジェクト(ハロプロ)所属のアイドルグループ「Juice=Juice」の元メンバーで初代リーダーの宮崎由加さん。そして“ポップスピアニスト”としてYouTubeなどの動画配信を中心に活躍するハラミちゃんさんです。

もがきながら前に進み、揺るぎない居場所を得たおふたりは、どうやって「自分の長所」を見つけたのでしょうか。

※取材は新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

おふたりは今日が初対面ということで。まずはお互いの印象や、抱いているイメージなどを教えてください。

宮崎由加さん(以下、宮崎) コロナ禍での自粛期間中にハラミちゃんのYouTubeを知ってからよく見ているんですが、ずっと「こんなすごい人いるんだ!」って思っていました。

耳コピしてから弾き始めるまであっと言う間で、才能がすごいなって。私も小さな頃にピアノを習っていたけれど、全然だったので(笑)。

宮崎由加

宮崎由加……スマイレージやモーニング娘。などのオーディション落選を経て、2013年にJuice=Juiceの初期メンバーとしてデビュー。スキルが高い他のメンバーと比較されがちな環境の中で、初代リーダーとしてグループをまとめ、周囲やファンからの信頼を集めた。2019年6月をもってJuice=Juiceおよびハロプロを卒業し、現在はアパレルブランドのプロデューサーやラジオMCを中心に活動中。

Twitter:@yuka_miyazaki42 Instagram:@yuka_miyazaki.official


ハラミちゃんさん(以下、ハラミちゃん) わあ、うれしいです! 私は昔からハロプロが大好きで、Juice=Juiceもデビューのときから見ています……!

ハラミちゃん

ハラミちゃん……4歳からピアノをはじめ音楽大学に進学するも、ピアニストの夢を諦めIT企業に就職。「ついついやり過ぎてしまう」性格から体調を崩し、休職していた期間にストリートピアノに出会う。YouTubeに投稿したRADWIMPS「前前前世」の演奏動画が2週間で30万回を超えたことをきっかけの一つに、ポップスピアニストとしての活動を決意。知らない曲でも“耳コピ”して即興で演奏できる。大のハロプロファン。

Twitter:@harami_piano YouTube:@ハラミちゃん〈harami_piano〉


宮崎 ありがとうございます!

ハラミちゃん 最初はエースの宮本佳林ちゃんに注目していたんですけど、ゆかにゃ(宮崎さんの愛称)さんがリーダーに抜擢されて、気になって……。

ゆかにゃさんはアイドルの中でも特に「アイドルらしいアイドル」というか……。ファンを心から大事にしているイメージがあります。裏では大変な努力をしているはずなのに、それを表には出さないようにしていて。すごく、人として尊敬できるアイドルです。

宮崎 わあ……涙出ちゃいそうです、今。本当に、ありがとうございます。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

自分が人より「得意」なことで、誰かの「不得意」をカバーすればいい

宮崎さんは「おっとりしつつもしっかりまとめる」タイプのリーダーでしたよね。最初、選ばれたときはどう思いましたか?

宮崎 リーダーって「先頭に立ってグループを引っ張る人」というイメージが強かったので、私が任命されたことに、自分自身、戸惑いしかありませんでした

Juice=Juiceは宮本佳林ちゃんや高木紗友希ちゃんなど、ハロプロ研修生(ハロプロでのデビューを目指してレッスンを積む組織)としてレッスンを受けていた子ばかりで、みんな歌もダンスもスキルが高い“精鋭”だったので余計に……。

ハラミちゃん やっぱり、プレッシャーも大きかったんですか?

宮崎 はい。最初はできないことが多過ぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。「自分のことで精一杯なのに、リーダーなんて私には無理だ」って。

抱いていたリーダー像と自分がかけ離れていたので、いろんな人に「どうしたらいいですか」と相談したんです。そしたら、みなさん「そのままでいいんじゃない?」って。そこで初めて「“私”のままでいいんだ!」と思えて、肩の荷がすっと下りたんです。

私がリーダーだから」と、しっかり自分自身で意識するようになったら、周りのことも冷静に見えるようになりました。「役職が人を育てる」って、本当にそうだなと。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

ありのままの宮崎さんの姿を見ている人たちが「リーダーという役割に向いている」と判断して、抜擢しているわけですもんね。では「リーダーとしての自分の長所」にはどうやって気付きましたか。

宮崎 Juice=Juiceは、1年4カ月をかけて全国で225公演を実施するというハードなライブツアーを実施したことがあって、それだけ長くメンバーと一緒にいると、それぞれの良いところも悪いところも、得意なことも不得意なことも、全部見えてくるんです。

そこで「人はそれぞれなんだから、不得意なことは得意なメンバーがカバーすればいい」ということを強く感じて。私の場合は「人の話をきちんと聞く」ことが、他のメンバーと比べてできているなと気付いたんです。みんな、マネージャーさんの話、全然聞いてないんですよ(笑)。

伝達事項をメンバーに共有したり、提出物をリマインドしたりと、マネージャーさんとメンバーの間をつなぐ役割を意識していました。あとは、楽屋を出るときの忘れ物チェック。

ハラミちゃん 地味だけど大事なやつですね(笑)。私がハロプロを好きな一番の理由は、メンバーがそれぞれ切磋琢磨しているところなんです。みんな仲が良いけれど、それ以上に、ひとりひとりが自分のキャラクター、パフォーマンスにしっかりと向き合っているんですよね。

宮崎 (頷く)

ハラミちゃん 私は仕事にモヤモヤ悩んだとき、ハロプロをはじめとするアイドルのみなさんを思い出すことにしてるんです。社会に出ると、色んな人と一緒に働くことになるじゃないですか。そういう意味では、社会人もアイドルグループも、変わらないと思うんです。いろんなメンバーがいる中で、自分の立ち位置を把握して、自分にしかない「強み」を見つけて、目標を叶えて、ステップアップしていく

そういう姿に「この子、覚醒したな」とか「すごく良くなったし、なにかふっきれたのかな?」とか思いながら自分を重ねると、私も頑張ろう!って思えるんです。

長所を生かして見つけた、自分の居場所

ハラミちゃんさんは音大卒業後、一度会社員を経て今は「ポップスピアニスト」として活動されています。やはり自分の元々の長所だった「ピアノ」を生かしたいという気持ちがあったのでしょうか。

ハラミちゃん 私は小さい頃からピアノだけが得意で「ピアノを弾ける子」というのがアイデンティティで。だからこそ「自分より技術に優れた人がたくさんいる」という理由でプロのピアニストになることを挫折しました。けれど、今の活動を始めてから必ずしも「技術が高ければ高いほど、求められる」ではないかもしれない、と思うようになりました。

もちろん「技術力」はピアニストにとって、必ず必要な要素です。ただ、それよりも一人ひとりにあるその人にしか出せない音やパフォーマンスにちゃんと自分で気付いて、自己表現できる人の演奏が求められるんじゃないかなと。

なぜ、そこに気がつけたんでしょうか。

ハラミちゃん 休職時代に弾いた「前前前世」の動画がきっかけです。

私、会社員時代はぜんぜんピアノを弾いていなくて。あの動画のときも指がなまった状態だったので何度もミスタッチしていて、音大時代だったら絶対に投稿していなかったと思うんです。でも、ノリでUPしたら予想外にバズって。

コメントがいっぱい寄せられて、その中には「ハラミちゃんの音がすごく暖かくて、元気になりました」なんて感想もあって……。自分が想像していた反応とは180度違ったんです。

そこがブレイクスルーポイントだったんですね。

ハラミちゃん はい。自分が奏でる音を楽しんでくれる人に向けてパフォーマンスすることで、ピアノの魅力を大衆的に伝えたいと思えるようになりました。

私、身近なピアノのお姉ちゃんというか、みなさんの親戚のような存在になりたくて。姪っ子がテレビに出たら、うれしいじゃないですか? そういう気持ちで私を見てもらいたいんです。なので、綺麗めのドレスじゃなくて、あえてサロペットやキャスケットなどを着て演奏していたり。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

宮崎  私もアイドルをやって実感したんですが、ファンのみなさんって“好き”がバラバラなんです。ダンスをバキバキに踊る子が好きな方がいれば、優雅に心で踊っているような子が好きな方もいて。私も、ダンスが危ういですけど、応援してくださる方がいますし。

ハラミちゃん いやいやいや! ゆかにゃさん、素敵ですから(首を高速で左右に振る)!

宮崎 ふふふ、ありがとうございます(笑)。私は決して完璧ではないけれど、私が頑張る姿を求めてくださる方に向けて、一公演一公演、心を込めて歌って踊っていました。

そうやってめげずに「頑張れることを頑張ろう」と活動する中で、自分が「何度も繰り返し、地道な作業をコツコツ続けること」が得意だと気付いたんです。その中の一つが「ブログの更新」でした。

毎日休まず、常にグループの情報を発信しようと決めて、ブログの最後には「インフォメーションコーナー」を作り、メディアへの出演情報やコンサートの情報など、活動告知は欠かさず入れていました。

確かに、今でこそそういった告知コーナーを設けているメンバーは多いですが、当時は珍しかったですね。

<当時のブログ>
ameblo.jp

宮崎 そうですね。後輩メンバーがしっかりとブログで告知している姿を見ると、私がやり始めたことが、ちょっとでもいい方向に転がったのかな、無駄じゃなかったんだなと思えます。

挫折から学んだ「仕事」への向き合い方

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

では、おふたりのこれまでの人生の中で「一番の挫折体験」はなんですか?

宮崎 Juice=Juiceが結成されてすぐ「私って、こんなにできないんだ!」と実感したときです。メンバーみんな歌もダンスも上手で。加入前は運動も勉強も比較的なんでもできちゃうタイプだったので、結構衝撃で……。

逆境を、どう乗り越えたんでしょうか。

宮崎 まず、できない自分を認めてあげることから始めました。何も出来ない自分だけで悩みを抱えるよりも、マネージャーさんにすぐ相談したり、メンバーに素直に聞いたり、もっと人を頼ることにしました。ハラミちゃんはどうでした?

ハラミちゃん やっぱり、新卒で入社したIT企業を休職して、おうちに引きこもっていた時期ですね。過去の挫折が全部「つながった」経験でした。

どういうことでしょう。

ハラミちゃん 私、音大受験のときにストレスで難聴になって、第一志望に受からなかったんです。で、音大に入ったけどピアニストになる夢は諦めて……。そうしてパソコンに触ったこともないのにIT企業に入社したら、周りは「自分でアプリを作りました!」とか「起業経験があります!」といった同期ばかりで……。

でも、ハラミちゃんさんにも光るものがあったからこそ、採用されたのでは?

ハラミちゃん 多分、人事的には「ピアノを極めたなら、なにかやれるだろう」みたいなポテンシャル枠だったと思うんです(笑)。WordもExcelも何もできない状態だったので、周囲は「なんでこの子入ったんだ?」と思っていたはずなんですけど、本当にいい人たちばかりで……。マイナスのスタートなんだから頑張らなくちゃ! と必死になっていたら、頑張り過ぎて、休職しちゃって。

ピアノでもダメで、会社勤めもダメで。さあ、私は何をしようか? 何ができるんだろうか? と考え込んだ結果、心がポキッと折れてしまったんですよ。

宮崎 一生懸命だったからこそ、つらいですね……。

ハラミちゃん とても贅沢な悩みですが、まだ二十代で「どんな選択のカードでも選びやすい」環境の中で、自分が何を選択してどの方向に向かって走ればいいのか、社会から何を必要とされているかが分からなくなってしまいました。

でも同世代はみんな働き盛りでキラキラしていて、進路に悩んでいるように見える人もいなくて……。

パッと道が拓けたきっかけが、ストリートピアノだったんですね。

ハラミちゃん はい。落ち込んでいた私を見かねて、仲良しだった会社の先輩が「気分転換に、都庁でピアノを弾こう」と連れ出してくれて(東京都庁では2019年から誰でも自由に演奏できる「都庁おもいでピアノ」を設置)

久々に鍵盤を弾いた瞬間、すっっっごいアドレナリンが出たんです。こんなにも身体が熱くなるのか!と驚いて。日常にない、新たなよろこびを知りました。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

宮崎 分かります、私がライブで歌って踊ってるときも、まさにそうでした!

ハラミちゃん それまで弾いてきた王道のピアノも、就職した会社も、楽しかったんです。でも、ポップスというみんなが楽しく聴きやすい曲を弾くということが、すごく好きになってしまって。

でも、せっかく就職したのに辞めてYouTuberになると言うと、やっぱり周囲からは「え! 大丈夫……?」という目で見られちゃって。他人の目線が気になって悩んでいたときに、都庁に連れて行ってくれた先輩が「人生、笑った回数が多い人が勝ちだと思う!」と背中を押してくれました。

それで一旦、世間体やお金の心配は置いておいて「好きなこと」に真正面から向き合って自分が笑っていられることを優先しよう、この「ハラミちゃん」という活動を続けてみよう、と思えたんです。……その先輩が今のマネージャーです。

宮崎 えええー! すごい!! 一緒に会社を辞めたんですか?

ハラミちゃん そうなんです。「ハラミちゃん」は、先輩とのユニットだと思っているくらい存在が大きいんです。“気にしい”の私と真逆で楽観的でマイペースなので、救われることが多いですね。

宮崎さんも、大学進学を控えた頃にJuice=Juiceのメンバーに選ばれ、芸能活動を優先するために約1年で退学した経験がありますよね。アイドル活動一本に集中することに、迷いはありませんでしたか。

宮崎 性格的に、全方向に頑張るのが難しいんです。大好きだったハロプロでデビューできて、周囲はすごい人だらけの中で、「今」の私は勉強をするより真剣にJuice=Juiceをやりたい、という思いが強くなって。

なにより、大学は本気で学ぼうと思えば何歳からでも行ける。お金を出してくれた両親には申し訳ないという気持ちでいっぱいでしたが、父も母も「やりたいことをやった方がいいよ」と応援してくれて、退学を決断しました。

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

ハラミちゃん 私も不器用だから、いろんなことが同時並行だと頑張れないな……。

宮崎 全部頑張ると、訳が分かんなくなりますよね(笑)。

「できないこと」も諦めるのではなく、「どうやったらできそうか」を考える

おふたりとも「できない」ことに対して、自分の「できること」を見つけて、それぞれの居場所や役割を見つけられたんですね。「できない」ことは、どう克服してきましたか?

宮崎 とにかく、練習しかないです。練習しても結局できないこともあるんですけど、それでも「自分は、絶対できる!」と暗示をかけていました。

あとは「周囲に頼る」こと。分からないことがあれば、積極的にメンバーに助けてもらいました。私はメンバーの中で一番年上だったので、最初は抵抗もあったんですが「できないことをできるようにするためには、自分のプライドなんて必要ないな」と割り切るようにしたんです。一度割り切ったら、素直に「分からない」と伝えられるようになりました。

ハラミちゃん すごい……! ピアノも、一小節を何日もかけて練習するくらい、1音1音のレベルの高さが求められる緻密な世界なんですよ。「こんな細かいところこまで誰も聴いていないんじゃないか……」と思っちゃうような音を極めることこそが、全体のレベルアップにつながるんです。

宮崎 大変な世界ですね……。

ハラミちゃん いえいえ、ハロプロのみなさんも大変かと……。

でも、練習って、実は「量」より「質」だと思うんです。同じように努力を重ねて、同じ量の練習をしても、本番で100%発揮できる人もいれば、50%しか発揮できない人もいる。

私は長年ピアノを弾く中で「人並みの量しか努力できない」と気付いたんです。だから「本番に向けた練習の量」ではなく「本番で自分の100%を引き出す練習方法」を考えて、できるだけ本番に近い環境で練習するようにしました。コンサート本番と同様に、家族に2時間ぴっちり演奏を聞いてもらって、お客さんとしてどう感じたかを全部書き出してもらったり。

自分も本番と同様に弾くと「後半はスタミナ不足で集中力が切れるな」といった、やらないと分からないことに気づけて、本番に向けてさらに対策できるんです。「練習は本番のように、本番は練習のように」がモットーですね。

大事なのは「自分を分析して、自分にあった“手段”を見つける」ことですね。そろそろ対談も終わりなのですが、今日初めて話してみて、いかがでしたか?

ハラミちゃん  私にとって「アイドル」って一番尊敬している職業で、崇拝している存在で……。でもゆかにゃさんのお話を聞いて、物事の捉え方や考え方が似ている……というとおこがましいですが、すごく共感できました。今日の対談、財産になりました。

宮崎 わ〜! 私もハラミちゃんのお話を聞いて、すごく考えが近いな、と思いました。仕事をしていると正解がないことも多くていろんなことに悩みますが、こういうふうに「真面目に頑張ってる人がいる」というだけで、自分も頑張ろうと思えるなって、今日改めて感じました。ありがとうございました!

宮崎由加(元Juice=Juice)とハラミちゃんに聞く、自分の強みを見つけ、居場所を作る方法

取材・文/小沢あや
写真/曽我美芽
編集/はてな編集部

宮崎由加さん出演情報


▼ TBS「ふるさとの未来」毎週水曜日 24:58〜25:28
▼ FM石川「宮崎由加のPinky Friday」 毎週金曜日 18:00〜18:30
▼ TBSラジオ「Music Palette♪」毎週土曜日 28:00〜30:00

ハラミちゃんさんリリース情報

ハラミちゃん デジタルシングル『雨』

ピアノ1台でさまざまな雨模様を表現した、オリジナル楽曲第2弾『雨』をデジタルシングルとして配信中。

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各配信サイト

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ガチガチの働き方を“ゆるめる”鍵は弱さにある? 世界ゆるスポーツ協会理事に聞いてみた

澤田智洋さん記事トップ写真

何年も同じ環境で仕事をしていると、次第に自分なりのやり方やルールが生まれてきます。それは効率的である一方で、いつの間にか新しい方法を試すことに億劫になっていたり、仕事の本質を見失い、ただ「こなす」だけになっていたりすることも少なくないと思います。

世界ゆるスポーツ協会の理事を務める澤田智洋さんも、かつては広告業界のなかでガチガチだったと語ります。スケジュールをびっしり埋め、目の前の仕事をこなす毎日。ただ、働き始めて10年がたつ頃、ふと「なんのために仕事をしているのか」と疑問に思うように。そこへ障害を持ったお子さんの誕生も重なり、道草を大切にする働き方へとシフトされました。

現在は、スポーツや福祉の領域を中心に”社会全体をゆるめる”ために活動中。凝り固まった仕事観や働き方から抜け出すためにはどうすればいいのか。これまでの歩みとともに語っていただきました。

※取材はリモートで実施しました

息子の誕生で気付いた自分のガチガチ思考

澤田さんは「社会全体をゆるめる」をテーマに、凝り固まった考え方やルールを解きほぐす活動をされています。まず、理事を務められている「世界ゆるスポーツ協会」について教えてください。

澤田智洋さん(以下、澤田) 「世界からスポーツ弱者をなくす」をミッションに掲げ、障害の有無や運動経験を問わず、誰もが楽しめる”ゆるスポーツ”を創ることを目的に2015年4月に設立しました。“スポーツ弱者”とは、日常的にスポーツをやっていない人、あるいは学校の体育の授業で傷ついた経験がある人のことで、“スポーツマイノリティ”とも呼んでいます。「ベビーバスケ」や「イモムシラグビー」など、これまで90種類以上のゆるスポーツを開発してきました。

澤田さん自身も、「スポーツ弱者」だったのでしょうか?

澤田 はい。僕はもともと運動が不得意で、体育の授業も大嫌い。学生時代から、スポーツを敬遠して生きてきました。ただ、顕在化されてないだけで、実はスポーツ弱者はたくさんいるんです。スポーツ庁の調査によれば、日本人の約半分は日常的にスポーツをしていません*1

これまでに考案されたゆるスポーツについて教えていただけますか?

澤田 例えば、「ベビーバスケ」は特殊なボールを使った球技です。ボールにセンサーがついていて、激しく扱うと赤ちゃんの泣き声のような音が出ます。泣かせたら相手ボールになるので、そおっとパスを回さないといけない。球技が苦手な人ってボールのスピードについていけないことが多いんですけど、これならスローにならざるを得ないから、みんな対等ですよね。

ベビーバスケ写真 ベビーバスケを楽しんでいる風景

確かに(笑)。これなら運動能力やバスケ経験の有無は関係なく楽しめそうです。

澤田 以前、Bリーグのチームのファン交流イベントでベビーバスケをやったことがあるんですけど、ファンとプロ選手が互角に渡り合っていましたね。プロ選手がいつものクセでフェイントをかけてしまうと、その瞬間に「オギャー」ですから(笑)。バスケ経験の浅い人でも、運動神経に自信がない人も、ベビーバスケならプロにだって勝ててしまう。

こう説明すると、「そんなのはスポーツじゃない」と思われる方もいると思うんですが、そもそも歴史に立ち戻ると、本来スポーツって労働者や農民の息抜きだったんですよね。日々の労働は辛く苦しいものだけれども、スポーツをやっているときだけはそのことを忘れられると。それが、いつの間にか限られた人たちだけが楽しめるものになってしまっていた。だからゆるスポーツでは本質に立ち戻り、楽しい下克上をつくることを目指しています

最高峰のアスリートが凌ぎを削る競技も魅力的ですが、万人にスポーツの門戸を開くのはとても意義がありますね。澤田さんはスポーツのほかに、福祉の領域でも活動されていますが、そちらではどんなことを“ゆるめて”いますか?

澤田 例えば、義足の女性が主役のファッションショー「切断ヴィーナスショー」を年に何度か開催しています。義足であることを隠したいと思う当事者がいる一方で、むしろ積極的に見せたい人もいる。義足は自分にとって体の一部だから、もっとナチュラルに見てもらいたいと。また、最近は義足のデザイン性が上がっていて、ファッションアイテムとして魅力を感じている人もいます。彼女たちは義足を特別なものではなく、健常者にとっての洋服と同じように捉えているんです。

なるほど。このショーでは義足や障害は隠すもの、という固定観念をゆるめているということですね。

澤田 そうです。「切断ヴィーナスショー」にも「ゆるスポーツ」にも共通しているのは、必ず根源的な問いを入れるようにしていることです。そもそもスポーツとは何か、義足とは何か、あるいは何をもってマイノリティとするのか。実際、体験した人からは「スポーツの概念が変わりそうです」「障害者への見方が変わりました」という声が多いですね。

切断ヴィーナスショー写真

そのように本質的な問いに立ち戻り、既存の固定観念に疑いを持つことが、ゆるめるための第一歩ということでしょうか。

澤田 その通りです。これは僕が今の活動を始めたきっかけでもあるのですが、8年前に生まれた息子には先天的な視覚障害、知的障害がありました。それが分かった時、真っ先に「なぜ自分の息子が……」と思い、ひどくショックを受けたんです。

でも、今にして思えばそれって息子や障害を持つ人に対して、めちゃくちゃ失礼な考え方じゃないですか。“障害がある=不幸なこと”であると、浅く狭い解釈をしていたんです。アンコンシャス・バイアス*2と言ったりもしますが、すごく大きい主語で考えてしまっていた。

澤田さん自身が、ガチガチの思考に捉われていたと。

澤田 はい。自分でも気づかないうちに、「障害者はかわいそうな人」というファンタジーに捉われていた。

僕がそのことに気づいたのは、息子が生まれたあと、さまざまな障害を持つ200人の方々に会いに行った時のことです。当然ながらそこには200人200通りの生き方があって、それぞれが楽しみや生きがいを持ち、健常者と同じように仕事や恋愛の悩みを抱えていました。障害があるのは不便だけど、不幸ではないという当たり前のことに気づいた時に、僕のなかのガチガチの福祉像がゆるめられました。そして、気持ちがスッと軽くなったんです。

社会に“べき論”を生むショートカット思考

スポーツや福祉の領域に限らず、社会のいたるところにガチガチの固定観念は存在します。コロナ禍では、その弊害が可視化されているようにも思います。

澤田 コロナに対する政府の迷走ぶりや、出社の必然性がないのに未だにテレワークにシフトできない企業が多いところにも、この国のガチガチぶりが現れているように思います。こうあるべき、という“常識”、あるいはこれまでこうしてきたという慣習に縛られ過ぎていて、本質的な行動をとれていませんよね。

業務内容や設備の関係で難しいケースもありますが、テレワークを「仕事は会社でやるべき」というぼんやりした理由で導入を先延ばしにしている企業も少なくないと感じます。

澤田 今まさに企業の「ガチガチ格差」が可視化されていると思います。コロナに対して、しなやかに対応できている企業はサバイブしていくし、成長が期待できると思います。逆に柔軟さがない企業は「会社とはこうあるべき」という“べき論”に囚われてしまっているのではないでしょうか。

国の政策もそうですが、脳内を支配しているさまざまな“べき”を、本質に立ち戻り“問い”に置き換えるだけで解決する問題はたくさんあると思います。少なくとも手段を誤ることはない。ほとんど使われないマスクを配布したり、うちわ会食をしましょう、みたいな発想にはならないはずです。

なぜ、社会にはこうまで“べき論”が蔓延しているのでしょうか?

澤田 やはり社会を運営していく際には、物事をある程度は決めつけてしまった方がラクなんですよね。脳に負荷をかけずに済みますから。でも、本当はそれってすごく危険なことです。僕は“ショートカット思考”と呼んでいますが、人や物事への態度を最短距離で結論づけてしまうと、多くのことを見誤ってしまう。

そもそも人生100年と言われる時代に、ショートカット思考で結論を急いでどうするんだろうとも最近は思うんです。だから僕は、一旦いろんなことを保留することにしました。スポーツにしても福祉にしても、あくまでリサーチ中なんです。

リサーチ中だけれども“正解”を探しているわけではないということですかね? 正解を定義すると、新たな“べき”を生んでしまうような気がします。

澤田 そう、安易に「定義しない」ことが大事なんだと思います。僕らは何でも定義したがるし、人が営みを続ける以上、定義が厳密になっていくのはある意味で仕方のないことです。でも、ガチガチにするあまり、排除の力が強く働いてしまうこともある。

広辞苑には毎年のように新しい言葉が書き加えられますが、僕は定義された瞬間にある意味でその言葉は死ぬと思っているんです。便利なんだけど、言葉がショートカットされて「死語」になる。一方で、定義されていない言葉の解釈は人それぞれだし、違う考え方の人を排除しなくて済むわけです。それって、すごく可能性がある。

例えば、部活動だって「スポーツは歯を食いしばってやるものだ。練習中に笑うべきじゃない」なんて言われてしまうと、ニコニコしながら楽しくやりたい人が排除されてしまいますよね。

イモムシラグビー写真 イモムシラグビーの試合風景

確かに。逆に“ゆるスポーツ”のような、ただ楽しいだけのものも「スポーツ」として認めることで、定義はどんどん広がっていきますね。

澤田 つまり、ゆるめるというのは解釈を広げ、現在の定義から外れた文脈を増やしていくことなんですよね。それもアリ、これもアリだよねと、いろんな人の考え方やアイデアを取り入れていく。そうやって凝り固まった定義をストレッチして、流動性を生むための考え方なんです。

その考え方は、あらゆる分野に展開できそうです。

澤田 そう思います。「子育てはこうあるべき」「男性の育休はこうあるべき」など、社会のあらゆるところに“べき”は潜んでいますから。普通を定義すると深く考えずに済むから一見ラクなんだけど、やがてその普通の呪縛に苦しめられてしまうこともある。今、いろんなところでそれが起きていますよね。

”道草”することで世界が立体的になる

なかには仕事や働き方がガチガチになっている人もいると思います。特に会社に入って数年たつと、自分なりのやり方やルールが固まっていく。もちろん良い面もありますが、それに縛られて不自由になったり、新しいものを受け付けなくなる人もいます。澤田さんご自身も、そうした経験はありますか?

澤田 ありましたね。僕の場合は新卒で広告代理店に入り、最初の3〜4年はとにかくがむしゃらに働きました。5〜6年目くらいから徐々に自分の裁量で回せる仕事も増えてきて、充実感を得られるようにもなってきた。

でも、30歳を過ぎてから、自分の仕事の仕方に疑問を感じるようになっていったんです。当時は先輩たちがやってきたガチガチの広告マンの働き方をコピペしていたんですけど、大量に降ってくる仕事をただ順番にこなしていくことに、果たしてどんな意味があるんだろうと考えるようになりました。

澤田さんは著書の中で当時のことを「納品思考に陥っていた」と書いています。とにかく期限までに納品することに追われるばかりで、何のためにそれをしているのか、広告人としての自分はどうあるべきかを考える余裕を失っていたと。

澤田 はい。とにかく目の前のゴールに向けてシュートを決めることしか考えていなくて、自分がなんのゲームをプレイしているのか、そのゲームの目的は何なのか、という長期的な視点を持てていなかった。ただ、それでも仕事はなんとなく楽しいし、なんとなく充実している気もする。打ち上げで飲むお酒も美味しい。でも、モヤモヤは消えない。そのモヤモヤがピークに達したのが32歳の時です。

ちょうど息子が生まれたこともあって、ここらで少し働き方をゆるめてみようと思いました。それまではスケジュールをとにかく埋めがちで、結果的に視野が狭くなっていたので、意識的に余白を作るようにしたんです。ちょうど10年働いた節目でもあったので、いったん「。」を打つみたいな感じですね。いったんここで区切りを作って、次のキャリアについてゆっくり考えてみようと思ったんです。

確かにあと30年くらい働くとしたら、どこかで句読点を打たないとしんどいですよね。

澤田 しんどいし、このままだとモヤモヤを抱えたままダラダラ働き続けることになっちゃうなと思いました。それはイヤだなと。立ち止まる、とまではいかないけど、ちょっとくらい道草してもいいのかなって。それが僕の場合は、たくさんの障害者に会いにいくことだった。広告人のキャリアからすれば、相当な遠回りでしょうね。そんな時間があったら、営業をガンガンかけて仕事をとってくるか、コピーの勉強でもしろというのが常識の世界ですから。

それでも道草をしてよかったと。

澤田 よかったです。道草をすると、そこにしか落ちていないものに気づきます。広告業界の中心にいたら、絶対に見えなかった景色が見えてくるんです。僕の場合はそれが、ゆるめることの大切さだったり、障害者福祉のおもしろさでした。

例えば、広告はクライアントが自動車メーカーなら自動車の話、飲料メーカーならビールやジュースの話をしますが、福祉の世界はずっと“人間”の話をしているんです。物ではなく、常に人間が中心にある。それが僕にとっては新鮮だったし、すごく居心地がいいなと思いました。

ブラインドサッカーキャンペーンビジュアル 澤田さんが手掛けたブラインドサッカーのキャンペーンビジュアル

仕事の仕方が凝り固まっている人は、一度ショートカット思考を捨てて、あえて迷子になることも大事なのかもしれませんね。

澤田 僕がおすすめしているのは、片目で迷子になってみること。例えば、僕の場合であれば、片目は広告、片目はスポーツや福祉を見ています。そうすると、両目の視差があるからモノが立体視されるように、双方が相対化されるので、物事を多面的に捉えられるようになると思うんです。

とはいえ、今はこういう状況で、なかなか人に会いに行くことは難しい部分もあるかと思います。ただ、それでも迷子になる方法はいくらでもあります。例えば、ツイッターで無作為に、全然知らない人を100人フォローしてみるとか。それだけで、いろんな人の思いもよらない考え方が入ってきて、自分がもともといた世界のガチガチぶりも見えてくると思います。

社会をゆるめることは”弱さ”から始まる

お話をお伺いしてみると、ゆるめることの起点には常に自分の抱えている弱点やモヤモヤがあるように思いました。

澤田 そうです。自分が排除されていたり、息苦しさを感じていたりすることを探すのが、ゆるめるために最初のステップになると思います。

だから、普段は気づかないフリをしているから見つけづらいんですけど、まずはどんな些細なことでもいいから嫌なことや苦手なことを10個挙げてみてください。例えば、そこで仮に「プレゼン」というものが抽出されたら、次にプレゼンの本質について探ってみる。正解はないので、自分なりの解釈で大丈夫です。

なんでしょう……「自分の考えやアイデアを相手に伝え、仕事を円滑に進めること」ですかね。

澤田 それが本質だとすれば、相手にきちんと伝わりさえすればアプローチは問題ではないということになりますよね。プレゼンってテクニック論に陥りがちで、正解とされる方法で話せない、ということに悩んでいる人も少なくないと思うんです。例えば、どもっちゃダメとか、「あ〜」や「えっと〜」と言っちゃダメとか、最近だと「させていただきます」はNGとか(笑)。でも、それってガチガチですよね。

ゆるスポーツランド2019集合写真 「ゆるスポーツランド2019」の集合写真

確かに、「させていただきます」論争は特にしんどいと感じていました。お作法に意識がいき過ぎることの弊害もあるように感じます。

澤田 それもやはり、“べき論”に陥ってしまっているということだと思います。例えば、僕には吃音の友人がいるのですが、そこで「どもっちゃダメ」というルールを押し付けることには何も意味がありません。むしろ、最初にどもってしまうことを明かして、「僕は歌う時だけ吃音が出ないので、今日のプレゼン資料を4分半の歌にしてきました。聞いてください」とかだって全然アリだと思うんです。

斬新なプレゼンだ……。奇策だけど、興味はそそられますね。

澤田 今のはちょっと極端かもしれませんが、吃音というマイノリティの視点があるからこそ、他の人には見えない課題が見つかり、斬新な方法でゆるめることが可能になる。僕はよく「強さは一律、弱さは多様」という表現を使うのですが、僕の考える強さって、今の社会のスタンダードとして明確に定められているものなんです。「英語ができる」「スポーツが得意」「こんな資格を持っている」。これらはいずれも強みといえますが、オリジナリティがなく人とかぶってしまうことも多い。

確かに。逆に、弱さは多様であるからこそ、既存のルールをゆるめる可能性を秘めていると。

澤田 そう思います。弱さはものすごくバラエティ豊かで、そこに着眼することで社会をゆるめるための新たなアイディアが見えてくる。だから、「私はこれができます!」ばかりじゃなくて、「私はこれができません!」と、堂々と言える世の中になればいいなと思いますね。実際、僕もスポーツが得意だったら、ゆるスポーツなんて思いつきもしなかったですからね。自分のコンプレックスと向き合うことで、既存の価値観にはない新しい道が開けました。


取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
編集:はてな編集部

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お話を伺った方:澤田智洋さん

澤田智洋さんのプロフィール写真

世界ゆるスポーツ協会代表理事/コピーライター。1981年生まれ。幼少期をパリ、シカゴ、ロンドンで過ごした後、17歳の時に帰国。2004年、広告代理店入社。映画「ダークナイト・ライジング」の『伝説が、壮絶に、終わる。』等のコピーを手掛ける。 2015年に誰もが楽しめる新しいスポーツを開発する「世界ゆるスポーツ協会」を設立したほか、一般社団法人 障害攻略課理事として、ひとりを起点に服を開発する「041 FASHION」、視覚障害者アテンドロボット「NIN_NIN」など、福祉領域におけるビジネスも多数プロデュースしている。著書に『ガチガチの世界をゆるめる』『マイノリティデザイン』がある。

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*1:スポーツの実施状況等に関する世論調査を参照

*2:無意識のうちに生まれるものの見方やとらえ方の歪みや偏り

自分の強みってどこ? 枠に囚われず「アナウンサーによる映像制作会社」を立ち上げた高橋絵理さんに聞く

高橋絵理さん記事トップ写真

自分の強みがどこにあるのか分からない。社会や会社に求められるスキルを身に付けるために頑張っているものの、なかなか結果が出ない。そんなふうに悩んでいる人は少なくないかもしれません。

フリーアナウンサーの高橋絵理さんは、アナウンサーの強みである「伝える力」を改めて整理し、2015年にアナウンサーが企画から出演まで一貫しておこなう異色の映像制作会社「カタルチア」を立ち上げました。

一見すると、アナウンサーの仕事とは近いようで遠くも思える映像制作。高橋さんは、どのように独自の立ち位置を見つけられたのでしょうか。これまでの歩みと、高橋さんの思う「自らの強み」を見つけるためのヒントを伺いました。

※取材はリモートで実施しました

その後の受け皿がないアナウンサーの現状

高橋さんは、10代の頃からアナウンサーを目指されていたそうですね。ただ就職活動ではテレビ局の試験になかなか通らず、大学卒業後は事務所に所属してフリーアナウンサーになる道を選ばれたとお聞きしています。

高橋絵理さん(以下、高橋) 当時は本当に仕事がなくて、生活が厳しかったのでアルバイトもしながらアナウンサーの仕事をやっていました。10代の頃から喋る仕事は細々としていたんですが、元局アナの方々と比べるとできないことも多くて。私にはスキルもキャリアも足りないから仕事がないんだ、と思っていました。仕事で結果が出ないときって、どうしても自分にばかりベクトルが向いちゃうじゃないですか。

自分に足りないところがあるからだ、と考えてしまいますよね。

高橋 当時の私もそうだったんです。だから、どうして仕事がないんだろう? と自己分析を始めて、喋りのスキルを磨くための勉強をしたのはもちろん、歯並びを矯正してみたりダイエットをしてみたりと、自分なりにいろいろ努力をしてみました。けど、それを数年続けても、そんなに仕事が増えなかったんですよ。

それで、あるときふと我に返って周りを見てみたら、地方局の元アナウンサーで、その土地の顔として活躍していたような先輩たちも、みんなアルバイトをしながら生活してるなと。それに気づいたときに、自分に向いていたベクトルが外に向いて、「もしかしてこれって自分の問題ではなく、フリーアナウンサーを取り巻く業界の問題じゃないか」と思ったんです。

高橋絵理さんがイベントの司会を務めている写真1

なるほど。地方のテレビ局のアナウンサー採用は、女性の場合、非正規雇用がほとんどだと聞いたことがあります。

高橋 地方局の場合、男性は正社員採用でも女性は契約社員採用で、1年ごとに契約が更新され、最大でも3年というケースがほとんどです。だから地方局のアナウンサーは、契約を切られる前にこっそりと他の地方局を受けて、縁もゆかりもない局を転々とする人が多いんですよ。

住んだこともない、知り合いもいない土地を転々とするってやっぱりしんどいものがありますし、年齢が上がってくると中途採用もどんどん厳しくなってくる。そこで、じゃあいっそ東京に出て、フリーのアナウンサー事務所に入ろう、という思考になるわけです。決してみんな、辞めたくて辞めてるわけじゃないんですよ。

突き詰めていくと、仕事がない状況は女性の非正規雇用問題が根底にあるという……。

高橋 もちろん、契約社員とわかっていながら、それでもアナウンサーという仕事を選んだのはその人自身じゃないか、という見方もあるかと思います。ただ、アナウンサーの仕事だけで生活できないくらい困窮したり、辞めたあとの受け皿が一切用意されていないというのはやっぱり問題じゃないですか

しかも、アナウンサーたちには素晴らしいスキルがある。そこで社会的に苦しい状況に置かれているフリーアナウンサーがどうやったら経済的な基盤を整えられるんだろう、彼女たちのスキルを生かしながらみんなでお金を稼げる策はないだろうか、と考えた末にたどり着いたのが、制作会社を立ち上げるという道だったんです。

アナウンサーと映像制作の意外な親和性

問題を認識してから、「自分で会社を立ち上げよう」という発想になるのはすごいエネルギーだなと感じます。決断するのに勇気はいりませんでしたか?

高橋 フリーアナウンサーって個人事業主なので、実は起業すること自体にはそんなに抵抗はなかったです。むしろ自分の中で勇気が必要だったのは、喋る仕事を一旦手放す、という決断をすることでした。

起業の準備を始めたとき、中途半端な気持ちじゃ絶対にできない、あれもこれもは欲張りだなと思って、所属していたアナウンサー事務所を辞め、会社のことだけに専念できる環境を自分で作ったんです。今まではアナウンサーとして生きるということをいちばん大事にしてきたので、それは本当に大きな決断でした。

高橋さんの会社「カタルチア」は、アナウンサーの方が企画から出演まで一貫して手掛ける、という点がとてもユニークだと感じます。アナウンサー事務所やキャスティング会社ではなく、制作会社という形にはどのようにたどり着いたのでしょうか。

高橋 会社を立ち上げる直前、どんな仕組みであればアナウンサーたちが自分のスキルを生かしてきちんと稼げるのか、試行錯誤していたんです。そうしたら、あるとき違う業界の友人と喋っていると、「高橋さん、アナウンサーをしてるってことはナレーションとかもできるの?」と聞かれたことがあって(笑)。

まさにそういう仕事なのに……!

高橋 そう、だからもちろんできるよ!と。詳しく話を聞いてみると、会社の研修用の映像にナレーションを入れられる人を探している、ということでした。それで私が、「ナレーションも入れられるし、なんなら映像に合わせたテロップを入れて編集することもできるよ」と言ったら、すごく驚かれて。

簡易的なものですが、私の場合は自宅で録音・編集できる環境を整えていましたし、周りのアナウンサーたちも、もともといた地方局で映像や音声編集をしていた人が結構多かった。このとき、業界のなかでは半ば当たり前のことでも、外にいる人たちは意外と知らないことってあるんだなと気付いたんですよね。

株式会社カタルチアの制作風景1
カタルチアではアナウンサーの方が企画から出演まで手掛けている

確かに、アナウンサーの方々が映像・音声編集までしているケースがあるというのは知りませんでした。

高橋 地方局って人手が足りないので、アナウンサー自身がカメラを担いで現場に行くこともありますし、取材自体の企画を自分で考えることもあるんです。だから、いちばん仕事が多いときは、自分で考えた企画を自分でリポートして、その素材を持って帰ってきて編集し、着替えて夕方のニュースに出演しながら自分でそれを読む、ということもあるんですよ。

本当にすごいお仕事ですね……。映像編集のスキルをもともとみなさん持っているわけですね。

高橋 そうなんです。だからよくよく考えると、映像制作をやるうえでの下地はあるなと。ただもちろん、テレビ局の編集機と映像制作業界で使われている一般的な機材は全然違いますから、すぐにバリバリと編集ができるというわけではありません。

でも、そんなことは正直どうとでもなる、というか。いまはYouTubeにも映像制作のノウハウ動画がたくさんある時代なので、アナウンサー同士で教え合っていけば、基本的な編集のスキル自体は1~2年あれば身に付きます。むしろ、教えずともアナウンサーの人たちがもともと持っている「どうすればより伝わるか」ということを考える力の方が貴重ですよね。

常に最前線で情報を伝え続けてきたわけですもんね。

高橋 そうですね。ナレーション原稿を読むときに「この単語は書き言葉であれば伝わるけれど、耳で聞く場合は分かりにくいから別の言葉に変えよう」と咄嗟に判断をしたりとか、現場で培ってきたものは大きいと思います。

仕事相手とうまくコミュニケーションをとりつつ、相手が伝えたいことを聞き、それを踏まえて本当に伝えるべきことを分析して言語化する。それがアナウンサーの仕事の基本だと思うのですが、そう考えると映像制作に活かせる部分は少なくないですよね。

確かに整理してみると、アナウンサーの方と映像制作の親和性は高いのが納得です。

高橋 その結果、カタルチアでは映像制作の企画から出演までアナウンサー自身がおこなう、というのをいちばんの強みとして打ち出すことにしたわけです。打ち合わせからアナウンサーが担当し、伝えることを綿密に決めた上で映像をつくる。実際に出演者自身が商品やサービスのことを根本的なところから理解し、クライアントさんの思いを知った上で原稿を読んでいるので、映像や音が持つ「熱量」は他の企業さんにも負けないんじゃないかと思います。

株式会社カタルチアの制作風景2

なるほど。ちなみにカタルチアでは、どういったアナウンサーの方がお仕事されているんですか。

高橋 あくまで制作会社ではあるので、デザイナーなども仕事をしていますが、アナウンサーの場合は局アナ出身で、これからもフリーアナウンサーとして生活していきたいという人が多いですね。

先ほどの話の通り、女性アナウンサーは年齢を重ねていくとどうしても出演者としての仕事が減ってしまう傾向にあるのですが、当然稼がないと暮らしていけません。

その中で、カタルチアは喋り以外のスキルを活かしたり、身に付けられる場でありたいと考えています。そうすれば、たとえ出演者としての仕事が減ったり、ライフスタイルに変化があったりしても、アナウンサーとしての仕事の延長線上で働き続けることができるじゃないですか。実際に、結婚・出産後に働いているメンバーはすごく多いです。

弱さを発信することで強みに変えた

映像業界で独特の立ち位置を獲得された高橋さんの視点は、仕事の幅を広げていく上でも非常に参考になると感じました。改めて、自分にとっての強みや意外な可能性に気付き、それを生かしていくためのヒントをぜひお聞きしたいです。

高橋 私はアナウンサー業界以外に身を置いたことがないので、正直ほかの業界については詳しくはないのですが……いま思いつくのは、「枠組み」に囚われ過ぎないことかな、と。

「枠組み」というと?

高橋 ひとつは、自分たちがいる業界そのものの構造です。私の場合は「そもそも、アナウンサーに仕事を発注するのって誰なんだっけ?」という疑問を起点に仕事の川上まで遡り、制作会社というところにたどり着きました。そこで改めて既存の業界の構造を知り、違うピラミッドをつくってみようと考えたんです。

ただ、闇雲に既存の構造をどんどん壊していけ、と言いたいわけではありません。むしろ大事なのは、自分のなかにある「自分はこうあるべき」「こうありたい」という枠組みに囚われ過ぎないことじゃないかなと思います。

もともとは高橋さんにも、「自分はこうあるべき」という意識があったんですか。

高橋 私の場合は、「アナウンサーは華やかで、いつもニコニコしている仕事だ」という考えがずっとありました。だから最初は正直、「フリーアナウンサーには貧乏な人が多いんです。私も生活できてません」と世の中に対して言うの、すごく嫌だったんですよ。貧乏でもそれを見せず、常にキラキラしているべきだと考えていました。

でもあるとき、先輩の経営者に「できることじゃなく、むしろないものをアピールしたほうがいい。弱さは強さだよ」と言われたんです。

その言葉を聞いたときに、お金も仕事もない自分の弱さがむしろ武器になるのかもしれないのかと思って、アピールの仕方を切り替えました。それで、アナウンサーを取り巻く社会的な状況についても発信するようにしたら、その理念に共感してくださるお客さんがすごく増えた。本当にありがたいアドバイスだったなといま振り返っても思います。

高橋絵理さん取材風景1

弱さを発信することがむしろ強みになったんですね。

高橋 もちろん、プライドも大事なときはあると思います。けど、「この仕事に就いた以上はこうあるべきだ」「自分はこういなきゃいけない」という考えに囚われ過ぎると凝り固まっていってしまう危険性がありますよね。だから、その枠組を一度取り払って自分の強みや弱みを考えてみることは、もしかしたらどの業界でも有効かもしれないですね。

アナウンサーたちのスキルが生かせるなら、どんな形だっていい

いま高橋さんが、経営者としてご自身の会社や業界に対し、課題だと感じられていることはありますか。

高橋 業界自体には、まだまだたくさん課題があると思っています。ですから、そこに対して声を上げていくことはもちろん大事ですが、私はその課題をどうにかビジネスの力で解決していきたいと考えています。

もともと、生活ができないアナウンサーをひとりでも減らしたいと思って会社を立ち上げたわけですが、カタルチアのなかには仕事が多い人もいれば、少ない人もいる。だから、いま仕事が少ない人たちをどうやってサポートしていくか、それがいまの自分にとっての大きな課題になっています。

カタルチアでは出演料や制作のギャラに加えて、案件を自分でとってきた人に対して営業のインセンティブをお支払いしているので、そういうチャンスもあるよ、というのは一生懸命伝えるようにしていますね。ひとつの仕事から、できるだけ収入の幅が広がる方がいいと思うので。

業務の得意不得意は人によって異なると思いますが、高橋さんはどのように仕事の割り振りをされているんですか?

高橋 メンバーのスキルは、私が直接その人と会って話をした上で、「この人はこの仕事が得意そうだな」というふうに把握しています。でも基本的に、その人自身の意思を尊重するようにしていますね。なかには映像制作のスキルは高いけれどできればあまりやりたくない、という人もいますし、逆に編集はあまりできないけれど、これから覚えたいのでどんどん仕事を振ってほしいという人もいますし。本人のスキルと意向のバランスを考えつつお願いしています。

それは仕事をする方もありがたい限りですね……。ちなみに高橋さんご自身は、やっぱり喋りの仕事をしたい、と思われたりはしないんでしょうか?

高橋 実は、経営者として仕事を始めて数年たったら、ナレーションの仕事や司会の仕事で声をかけていただく機会がぽつぽつと増えてきたんです。いまは喋りの仕事もしつつ会社をやれているので、一度手放したものがようやく手元に帰ってきたという感覚はあります。会社経営をしていることによってアナウンサーとしての仕事も続けられていると感じるので、私自身がこの会社に助けられているという側面は大きいですね。「やりたい仕事だけやって生活できていて幸せだね」ってよく言われますし、自分でもそのとおりだなと。

高橋絵理さんがイベントの司会を務めている写真2
会社経営の傍ら、ご自身もアナウンサーとしてイベントの司会やナレーションなどを務めている

素晴らしいです。

高橋 もちろん、どんな仕事でもそうだと思うんですが、日々の業務に目を向けると、自分の不得意な仕事や苦手な仕事ってたくさんありますよ。例えば私の場合、自分が話せない言語のテロップを映像に入れたりしているときがそうなんですけど(笑)。でも仕事ってそんなものなのかな、とも思っていて、ふとした瞬間に「やっぱりこの仕事好きだな」と思えるならいいのかなと。

本当にそうですね。

高橋 だから、私自身は映像制作というもの自体に大きなこだわりがあるわけではなく、アナウンサーの人たちのスキルが生かせるのであればどんな形だっていい、と思っています。自分のスキルやキャリアを生かしきれず稼げていない人ってきっとどの業界にもたくさんいると思うのですが、私は少なくとも自分の業界で、そういう人たちの受け皿になりたい。だからこれからも、時代の変化に合わせつつ、私たちが世の中にどうしたら求めてもらえるかを考えて、進化しながらカタルチアを続けていけたらと思います。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
写真提供:株式会社カタルチア
編集:はてな編集部

お話を伺った方:高橋絵理さん

高橋絵理さんのプロフィール写真

株式会社カタルチア代表取締役。立命館大学産業社会学部卒業後、フリーアナウンサーとして活動。その後、フリーランスのアナウンサーの仕事事情に問題意識を持ち、2015年アナウンサーによる映像制作会社を設立。

会社HP:株式会社カタルチア
Twitter:@erieri1110  Instagram:@erieri1110

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悩める部下からの相談にどう応えるか。マンガ編集者・金城小百合さんに聞く「悩みを抱えた人に寄り添う方法」

マンガ編集者・きんさゆさんに聞く、悩みを抱えた人への寄り添い方

イラスト/水沢悦子

後輩や部下、同僚などの「よくない変化」に気付いたとき、どう声を掛けてコミュニケーションを取るか、それとも掛けずにそっとしておいた方がいいのか、迷ったことはありませんか。

悩みを抱えたまま働くことは、本人のモチベーション低下からミスにつながったり、周囲とのすれ違いでチーム運営に支障が起きる可能性もあります。

不満やストレスを内々に溜め込んでいるのではないか。逆に職場の人間から「相談にのってほしい」と言われたときにどう寄り添えばいいのか――。

そんな「悩みを抱えた人に寄り添う方法」について、鳥飼茜さん、米代恭さんら人気マンガ家たちを担当する編集者・金城小百合さんにお話を伺いました

創作活動においてセンシティブなテーマを扱うケースも多く、気持ちの“ゆらぎ”を抱える人も多いマンガ家たちの声に、金城さんはどのように耳を傾けコミュニケーションをとってきたのでしょうか。

※取材はリモートで実施しました

人に寄り添うときは「自分の立ち位置」に気をつける

金城さんは新卒で秋田書店に入社し、3年目で立ち上げた『花のズボラ飯』が大ヒット。小学館に入社されてからも、次々と話題作を担当されています。ざっくりと代表的な作品の一覧表をまとめてみたのですが、錚々(そうそう)たるマンガばかりですね……!

・花のズボラ飯/原作:久住昌之、作画:水沢悦子
・cocoon/今日マチ子(以上すべて秋田書店)
・プリンセスメゾン/池辺葵
・あげくの果てのカノン、往生際の意味を知れ/米代恭
・サターンリターン/鳥飼茜
・女(じぶん)の体をゆるすまで/ペス山ポピー(以上すべて小学館)

金城小百合さん(以下、金城) ありがたいことに、すごくいろんなお仕事をさせてもらってきました。

でも前職時代は、編集者として大したスキルなんてないのにビギナーズラックが続いただけなんじゃないか……という不安も大きかったです。経験がないのに立ち上げ作品がヒットして、『もっと!』というマンガ雑誌の責任編集長をすることになって……自信はありませんでした。

20代で大きな仕事を任されている、というプレッシャーも常にありましたね。

今回、金城さんに「悩みを抱えた人に寄り添う方法」を伺いたいと思ったきっかけが、 「女(じぶん)の体をゆるすまで」での、ペス山ポピーさんとのやりとりだったんです。作者とこんなコミュニケーションを取れる編集者さんってすごいな、と。

金城 いえいえ。でも私、コミュニケーションが得意なタイプではないんです。「仕事」であれば、ある程度しゃべれるというだけで。

えっ、そうなんですか?

金城 私は打ち合わせ中に自分のことをベラベラとためらいなくしゃべるので、作家から「自分の話をしやすい」と言っていただけることはたまにあります。ただ、コミュニケーションが得意かと言われると全然……。私、時間をきちんと守るとか、人に合わせることが苦手で……。コミュニケーション以前の話ですよね(笑)。

「女(じぶん)の体をゆるすまで(ペス山ポピー )」第4話 (C)ペス山ポピー/小学館
「やわらかスピリッツ」にて連載中

セクハラ、パワハラの経験をマンガにするか悩む作者と、寄り添う担当編集者(金城さん)とのやりとりを描いた第4話が話題に

では金城さんは、担当作家が悩んでいそうなとき積極的に声をかける方ですか?

金城 うーん……悩みの種類によります。とにかく話を聞いてほしいということであれば聞きますし、もし私自身も経験したことがある悩みで、なにか提案できることがありそうでしたら声をかけます。けど、踏み込み過ぎてしまって失敗したこともあるので、慎重にはなりますね。

踏み込み過ぎてしまう、というと?

金城 例えば、創作に悩んでいる作家に「この部分をこうするのはどうですか」と熱心に提案しても、そういう助言を求めていないタイミングであれば、ただの迷惑ですよね。それに気づかず私ばかり躍起になると、作家によっては、だんだんと作品が自分のものじゃなくなっていくように感じてしまうと思うんです。

「寄り添う姿勢」は常に持ちつつも、踏み込むかどうかは相手の状態や、こちらの意見を求めているかなど、状況を見て慎重に判断すると。

金城 そうですね。あとは「作家から見た私」の見え方も変わってきたんだな、ということを最近ようやく実感しています。

編集者になりたての頃は、ほとんど無名の雑誌で必死になってヒット作を生もうとしていた新人で、作家からは「ひよっこの編集者が頑張ってるな」という印象だったと思うんです。私の提案が的はずれでも「それは違う」と言いやすかったんじゃないかなと。

でも今の私は、『スピリッツ』という有名な雑誌の編集者で、ある程度積み重ねてきたキャリアもある。私自身の気持ちは新人の頃から変わっていなくても、作家には「ちょっと経験のある編集が断れない提案をしてきている」と感じる状況もあるんじゃないかなと……。

昔よりもいっそうコミュニケーションに気をつけないと、特に若手の作家には、プレッシャーを与えてしまうんじゃないかと思うようになりました。

ある程度年齢やキャリアを重ねてきた人であれば、どんな職種でも起こりそうな事象ですね……。

金城 私もつい、熱くなっていろんな提案をしてしまうタイプなので、最近は若い作家が私の話に頷いているときは、気を使って頷いてくれているんだろうなと思うようになりました(笑)。打ち合わせ中に相手が同意してくれても「今のって本当にそう思ってる……?大丈夫……?」みたいなことは頻繁に聞いちゃいます。

聞いても相手に気を使われて「思ってますよ」と言われたら意味ないんですけど(笑)

自分の立場が変わっていくことって忘れがちなので、本当、コミュニケーションは難しいなって思いますね。

自分の話をすることで、相手も「自分の話」をしてくれるようになる

悩みや不安があっても、それを相談できず内々に抱えてしまう方もいらっしゃいますよね。

金城 確かに、作家は繊細な方が多いので、悩みやつらさをあまり言語化せず抱えてしまう方はいます。弱みを見せたくない、という方もいるので。

ただ、編集者にとって作家は大切な存在であると同時に、仕事上はお互いが対等であるべきなので、悩みや不安が仕事上のことであるなら、できる範囲で言語化して伝えてほしいですね。

もちろん言語化ができなくても、「対等」に相手のことを尊敬しているから、できるだけ聞きたいな、寄り添いたいなとは思います。

「往生際の意味を知れ!(米代恭)」 (C)米代恭/小学館
担当作のひとつ「往生際の意味を知れ!」

「言語化」の形もいろいろありそうです。

金城 そうですね。以前、ペス山さんがネームと一緒に、不安に思っていることなどをマンガ形式の日記にして送ってくださったことがありました。

そこには、連載に対する不安とか、私から言われてうれしかったこと、逆にショックを受けたことなども描かれていて、すぐに気持ちを言語化したり、細かくリアクションしたりしない人も、やっぱり内心ではいろいろ考えているんだなと改めて感じました。

たとえあとからでも、自分の考えていることを共有して、少しでも関係をよくしようと思ってくれるのはすごくありがたいですよね。

先ほど「自分のことをためらいなくしゃべる」とおっしゃっていましたが、言語化してもらうには、話がしやすい関係を築いておくのが重要そうです。

金城 確かに……。私、自分に起きた出来事に関しては「内緒にしておくこと」と「内緒にしなくていいこと」の境界があいまいで、打ち合わせに役立ちそうと思ったらすぐ作家に話しちゃうんです。私がしゃべるから、相手もしゃべりやすいというのはあるかもしれません。

相談に「自信がなくても大丈夫」と言うのは、薄っぺらい

作家とのコミュニケーションについてもう少し伺わせてください。先ほども話題に上がった「女(じぶん)の体をゆるすまで」は、作者自身のパワハラやセクハラの体験をつづっており、執筆中のメンタルの消耗も大きそうです。

金城 「女(じぶん)の体をゆるすまで」は、ペス山さんが自身の気持ちを整理するためにお描きになったマンガだと私は思っています。だからこそ、最初に「もし連載できるならしたい」とネームを見せていただいたとき、これはぜひ作品にしなくては、と感じました。

ただ、大変なことになったぞ……とも思いましたね。それまで打ち合わせしていた内容とは180度違う企画でしたし、エッセイマンガゆえにペス山さんがセカンドレイプを受けたらどうしようという気持ちも大きくて。

でも「アシスタントがマンガ家からセクハラを受ける」というのは業界自体の問題でもあります。出版社の人間として「これを連載するのはちょっと厳しい」なんて言うことは絶対にできない、と考えました。

「女(じぶん)の体を許すまで(ペス山ポピー)」 (C)ペス山ポピー/小学館


つらい体験を連載として描き続けることで、ペス山さん自身が当時を思い出して苦しい思いをしてしまう可能性もありますよね。

金城 もちろんそれも考えました。連載しながらリアルタイムに状況が変わっていくマンガでもあったので、何かある度ペス山さんに「どうしたい?」と確認して。その度に「描きたい」と返答してくれましたが「やっぱり違うかもと感じたら、いつでも辞める選択肢をとっていいですからね」というのは当初から伝え続けています。

私自身も女性として生きてきて、ペス山さんと完全に同じ体験をしたわけではないけれど、似たような屈辱感を覚えたり、理不尽な思いをしたりするようなことが少なからずありました。

それを社会に伝えようとしているペス山さんは本当に偉いし、すごく意味のある作品を描かれていると思うんです。だから、なるべく不安のない状況で描いてもらえるように常にサポートしていきたいですね。

作品でセンシティブなテーマを扱うとき、担当編集者として意識することはありますか?

金城 やっぱり「作家自身が本当にそれを描きたいか」がいちばん大事なので、意思を何度も確認します

一例として鳥飼茜さんの「サターンリターン」では「自死」を扱っています。鳥飼さんには「私はこれだけ、そのテーマについて考えているし知っている、と自信を持てるくらいの状態にしておきましょう」というのは何度も言いました。

「サターンリターン(鳥飼茜)」 (C)鳥飼茜/小学館
「自死」と「喪失」をテーマにした「サターンリターン」

そういうことを言い合える関係性である、ということも大事そうです。

金城 もう一つ、今日マチ子さんの「cocoon」という作品は、沖縄のひめゆり学徒隊から着想を得ていて、何度か一緒に現地へ行って取材を重ねましたし、今日さん自身もとても熱心に勉強されていました。重いテーマではありますが、今日さんは「沖縄生まれの金城さんが、沖縄のことを描いてほしいと言ってくれたことが、描き続けられる理由になった」とおっしゃっていました。

取材したり調べたりする過程で、自分たちが作品に取り組む意味を強く感じられている、という状態が大切なのかなと思います。

センシティブなテーマの場合、意思を強く持っていても、描き続ける自信を失うことがあるかと思います。そういった場合はどう声をかけるんですか。

金城 「自信がなくても大丈夫だから描いてください」と言うのはあまりにも薄っぺらいとも思うんです。作家が自分の信念で乗り越えないと意味がないんじゃないかって。

そのためには、描くと選んだテーマに取材や調べごとを通して詳しくなって、ご自身が作品を描いてることに自信を持ってもらうしかないように思います。そのためのお手伝いはなるだけしたいです。

毎回毎回悩んでしまって乗り越えられないのであれば、テーマの変更も提案すると思います。

『あげくの果てのカノン』や『往生際の意味を知れ!』でご一緒されている米代恭さんは、テレビ番組に出演された際「金城さんにおもしろいと思ってもらえる作品を描く」ことをルールにしていると話されていました。金城さん自身は、なぜ作家からここまで絶大な信頼を寄せられているのだと考えますか。

金城 たぶん、私はかなり人間臭い編集者というか、マネージャー体質じゃないんですよ。だから自分のこともベラベラしゃべっちゃうし、体調が悪いときも多いし、作家をフルサポートすることが全然できなくて。でも米代さんはそういうダメなところをおもしろがってくれているというか……。

仮に私よりもおもしろくて、時間に遅れない、しっかりスケジュール管理をしてくれる超優秀な編集者が米代さんの前に現れたら、絶対そっちの方がいいと思うんじゃないかな(笑)。そういう人がまだ、たまたまいないだけで。

そんなことないと思います(笑)

金城 あとは、作品が「きちんと」売れていることも大きいかな。米代さんはすばらしい作家ですが、すごく“いびつ”な人だと思うんですよね。もちろん私も。

そういう“いびつ”な2人が頑張って世に作品を出すなかで、読者からの反響や売り上げが大きくなってくると、当然のことながら同志としての意識が芽生えていくのかなと感じます。

「あげくの果てのカノン(米代恭)」 (C)米代恭/小学館
米代さんと初めてタッグを組んだ「あげくの果てのカノン」

「私の世界において、私の考えは正しい」ことを、誰も否定できない

金城さんがマンガ編集者を志したきっかけも気になります。

金城 私、もともとは映画雑誌のライターになりたかったんです。でも当時はライターと編集者の区別もいまいちついておらず、就職活動の時期にとりあえず出版社を受けてみようかなと……。

とりわけアピールできることもなくて、受けた出版社のなかで唯一採用してくれたのが、秋田書店だったんです。「こんな私を採ってくれてありがとう」という気持ちで入社しましたが、そもそも秋田書店はマンガ専門の出版社で。結果的にマンガの編集者になったという感じです(笑)。

マンガはもともとお好きだったんですか?

金城 はい。親が厳しくて、高校時代までは成績が悪かったらマンガもテレビも禁止という環境で育ったのですが、だからこそマンガが読みたくて仕方なくて、いつも机の下でこっそり少女マンガを読んでいました。

いざ会社に入ってみたら周りがすごい人ばかりで、自分は全然マンガに詳しくないんだなと思い知らされましたが……。

そんな中で「花のズボラ飯」をヒットさせたのはすごいですね……。

金城 当時は、男性誌の『ヤングチャンピオン』から、主に主婦層をターゲットにした『Eleganceイブ』に異動したばかりで。編集長に「50代の主婦と20代の娘が一緒に読めるような連載を立ち上げてほしい」と言われて企画したのが「花のズボラ飯」でした。

今では広く知られている『孤独のグルメ』(扶桑社)ですが、当時は隠れた名作的な立ち位置だったので、原作者の久住昌之さんに「主婦を主人公にしたグルメマンガをお願いできませんか」と直接連絡したんです。作画はたくさん声をかけて部内コンペを実施して、かわいいだけじゃなく、エロティックさも描ける水沢悦子さんにお願いしました。

コンペだったんですね……!作品にかける本気度が伝わってきます。

金城 今ではコナリミサトさんの「凪のお暇」など誰でも知っている大ヒット作を連載している『Eleganceイブ』ですが、もともと主婦向けの雑誌ということで、当時はいわゆる“マンガ好き”からはノーマークのマンガ雑誌だったんです……。とにかく攻めなきゃと竹槍で闘いに挑むみたいな気持ちでしたね。

「花のズボラ飯(原作:久住昌之、作画:水沢悦子)」 (C)久住昌之・水沢悦子/秋田書店
『このマンガがすごい!』2012年版オンナ編第1位にも選ばれた「花のズボラ飯」

今日のお話しを通じて、金城さんの「芯の強さ」のようなものを感じたのですが、一方で「自分のダメなところ」を積極的に話されている印象も受けました。弱みを見せることに、抵抗はないんでしょうか。

金城 私は自分を小さく見せがちなんです。基本的にはダメだけどたまにいいこと言うね、って思ってもらえる方がラクなので、そういうふうに振る舞いがちで。

逆に「実際にしている仕事よりも自分を大きく見せようとする人」のことを嘘つきだと思ってたんですよ。でも、そういう人はそのイメージを裏切らないための努力を日々しているんだろうなと、ようやく数年前から思えるようになりました(笑)

「自分を小さく見せるタイプ」の場合、仕事相手が信頼を寄せてくれるまで時間がかかりませんか?

金城 そうなんです。今はヒット作を担当した経験が信頼につながっていますけど、そういう土台がなかった若い頃は見下されることも多くて……。でも、当時は「自分を見下してくる人間は性格が悪い」「悪いのは私じゃなくて相手だ」と自信満々に思えていました(笑) 。

尖っている……!

金城 私、出版社に入るまで基本的に少女マンガしか読んだことがなかったので、最初はそれ以外のマンガをほとんど知らなかったんです。青年誌の作品は好きなものもありましたが、少年誌だと「スラムダンク」くらいしか読んだことがなくて。

私が好きだったマイナーな青年マンガを先輩に軽視されたり、「このマンガも知らないの?」と驚かれることもしょっちゅうでした。

でも、編集者がそういう態度でいたら、読者は広がらないじゃないですか。私みたいに、特定のジャンル・作品にしか触れてこなかった人や、マンガ自体をそんなに読んでこなかった人はいっぱいいるはずだから、そういう人たちにどうやってマンガを届けるかを考えるのが編集者の仕事だと思うんです。

確かに。

金城 「こんな王道の作品を読んだことがないなんて」と言われても、「そういう人間もいる」というサンプルのひとつが私なわけで、それを否定する権利は誰にもないんですよね。「私の世界において、私の考えは正しい」というのは、明確な事実で。

でもそういう考え方って、たぶん仕事から学んだことではなくて、もともとの性格なんだと思います。私は沖縄出身かつ転勤族で引越しも多かったので、子どもの頃から「環境によって常識が変わる経験」を何度もしているんです。だからこそすごく頑固で。

まあ、あとから先輩に薦められたマンガを読んで「めちゃめちゃ面白い……」と反省したりもするんですが(笑)。

(笑)。人に寄り添うためには、そういう素直さと頑固さの両方を持ち合わせているのが大事なのではないかと感じました。金城さんの“ブレ”なさが作家からの信頼につながっているのかなと。

金城 そうだったらうれしいですね……!

「私」という人間が生きている限り、私の考えを誰も否定できないと思うんです。作家に関しても同じで、作家の考え方や生き方、美学をマンガの中で表現できれば、その作家自身はもちろん、「その作家のような人たち」がほかにもたくさんいる、ということを証明できると思っています。それこそが「マンガに救われる人をつくる」ということだと思うし、これからもそういう仕事をしていきたいですね。

取材・文/生湯葉シホ
編集/はてな編集部

お話を伺った方:金城小百合さん

金城小百合さん

1983年生まれ。秋田書店に入社後、入社3年目に立ち上げた「花のズボラ飯」が『このマンガがすごい!』オンナ編1位、「マンガ大賞」4位受賞、TVドラマ化など話題に。その後、漫画誌『もっと!』を創刊、責任編集長を務める。
その後、小学館に転職。その他の担当作に、藤田貴大主宰の「マームとジプシー」によって舞台化された「cocoon」、TVドラマ化作品「プリンセスメゾン」 、「あげくの果てのカノン」「往生際の意味を知れ!」「サターンリターン」「恋と国会」「女(じぶん)の体をゆるすまで」など。
現在、スピリッツ編集部に所属しながら、ファッション・カルチャー誌『Maybe!』の創刊、編集にも携わっている。

Twitter:@dobugawa_info

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絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法とは?|臨床心理士・みたらし加奈

みたらし加奈さん記事トップ写真

ここのところ、なんとなく体調の優れない日々が続いている。もしかしたら、それはメンタルのバランスが崩れているからかもしれません。

怪我や風邪など肉体的な不調を覚えたときには病院に行くのに、メンタルとなると不調自体に気付けなかったり、気付いても「まだ大丈夫」と放置してしまう人も少なくないと思います。

しかし、メンタルの調子を整えることは、日々の生活を送っていく上で非常に大切です。ましてや、新型コロナウイルスの影響で不安定な毎日が続き、人とのつながりが希薄化しているなか、「メンタルヘルスケア・セルフケア」の重要性はこれまで以上に高まってきているのではないでしょうか。

みたらし加奈さんは、総合病院の精神科での勤務を経て、現在はフリーランスとして活動する臨床心理士。SNSを通じたメンタルヘルスケアやセルフケアの啓蒙活動を積極的にされているみたらしさんに、自分のままならないメンタルと付き合っていく方法について聞きました。

※取材はリモートで実施しました

あえて「機械的」にメンタルと向き合ってみる

いま、新型コロナウイルスの影響でメンタルのバランスを崩す人が増えているそうです。そもそもメンタルの不調に自分で気付くためには、日常のなかでどんなことを意識すればいいのでしょうか。

みたらし加奈さん(以下、みたらし) まずは、自分にとっての「ストレスサイン」を知ることが大切だと思います。だから、自分の心がちょっとどんよりしてきたな……というときに、自分がどんな気分で、どんな行動をとったかをメモしておくこと。例えば、暗いニュースや刺激的な映画ばかり選んで見てしまうとか、前に落ち込んでいたときによく聞いていた音楽ばかり聞いてしまうとか。心がどんよりしてきたときのサインって人によって全くバラバラなんです。

「暗いニュースや刺激的な映画ばかり選んで見てしまう」ことがストレスサインになりうるケースもあるんですね。

みたらし そうですね、刺激的なものばかり選んで目に入れてしまう、というのはある種の自傷行為であることも多いです。世間で言われている「メンタルヘルスの不調のサイン」って、家からまったく出ないとか笑顔になる回数が減ったとか、分かりやすいものが多いんですよね。もちろんそれも正しいのですが、例えば唇の皮を剥いたり髪や眉毛を無意識に抜いてしまったり、というのもストレスサインの一種なんですよ。

皆さん、体の不調に対しては「扁桃腺が腫れているから熱が出る前に病院に行こう」とか「頭痛がこれだけ続くということは疲れているサインだから、今日は早く寝よう」とか、自分なりの対応の仕方を知っているのに、メンタルの不調だと「まあ大丈夫だろう」と見逃してしまう方がとても多いんです……。でも、本来は心の不調も体の不調とまったく同じで、自分で対応できる範囲を越えたら、遠慮せずに心療内科や精神科、カウンセリングといった専門機関にかかってほしいと思います。

みたらし加奈さんインタビューカット1

自分の状態や対応を客観視するためにメモを取る、ということですね。専門機関にかかるべきかどうかのボーダーラインも人によってバラバラだと思うのですが、「自分の場合はこうなったら専門機関に行く」というのはどのように判断すればいいんでしょうか?

みたらし 例えば、イエス・ノーで答えられるチャート形式にしたりすると分かりやすいかもしれないですね。自分の「ストレスサイン」がいくつ出ているのか、それに対応してみたのか、対応の結果どうだったのかという感じで。心療内科などが公開しているうつのチェックリストを参考にしたりしてもいいと思いますけど、ここでチャートにするのは、ある程度システマティックに決めてしまうのがポイントだからなんです。

それはどうしてでしょう?

みたらし 自分の偏見のラインに自分で引っかかってしまう、というか。例えば、1週間眠れない日が続いたら専門機関に行こうとぼんやり決めていても、いざとなると「いや、もうすこしくらい大丈夫かも」「あれ、いつから眠れていないんだっけ」と躊躇したり、曖昧になったりするケースが多いと思うんです。だからある意味機械的に考えて、あらかじめ「ここから先は自分で対処しようとしない」というボーダーラインを決めておくと、専門機関にも行きやすくなるのかなと思います。

メンタルヘルスに「甘えているだけ」という概念はない

お聞きして思ったのですが、「自分にとってのストレスサイン」が他の人にとってはストレスではなさそうに見えてしまうことってありますよね。例えば、自分がストレスが溜まると過剰に寝てしまう傾向があっても、他の人はストレスが溜まると眠れないと言うから、これだけ眠れている自分は大丈夫だろう……と思ってしまったり。

みたらし そうですね。体の不調の場合は、わりとみなさん明確に自他の境界線を引くことができるんです。「私にはあまり効かないけど、この人の場合は葛根湯が効くんだな」とか。でもそれがメンタルの不調になると、途端に「この人はこれだけストレスを抱えていても働けるんだから、自分のつらさなんて甘えだ」と思ってしまいがちで……。体と同じように、本来はメンタルヘルスの場合も、他人と自分のしんどさや症状を比べる必要はないんです。

「これは甘えだ」という自分の気持ちには、どう向き合えばいいんでしょうか。

みたらし ストレスサインの話をするとき、私はよく「人それぞれ違った形のコップを持っている」と言うんですね。形や深さ、容量が違うコップを全員が持っていて、そこにストレスという名の水が注がれていく。当然、コップですから受容できるストレス量には限りがありますし、人によってその量はバラバラです。

そのことを認識した上で、自分の容量はあとどのくらい残っているんだろうと考えるようにすると、「これは甘えだ」「まだいける」という思い過ごしみたいなものが減ってくるのかな、と思うんですよね。

なるほど、確かに。

みたらし そもそも、メンタルヘルスにおいては「甘えているだけ」という概念はないんです。それこそ世の中一般で「ストレス耐性」などと呼ばれるものは、その人が育ってきた家庭環境や遺伝、人間関係といったいろいろなものが関わって決まるものなんですが、その人がしんどいと思ったらしんどいのは事実。それを「甘えだ」と言って見過ごしてしまうと、あとから大きな歪みが出てくることが非常に多いです。だから自分が「甘えだ」と思ってしまいがちなのであれば、日頃からすこしずつその気持ちを手放していく練習をすることも大切なのかなと思います。

人と比べてしまうのもそうですが、メンタルの不調を感じているとき、「いつもの自分であればできるはずのことができないなんて……」と自分を責めてしまう方も多そうですよね。

みたらし そうですね……。最近、「自己肯定感」という言葉をよく聞くようになりましたが、日本ではこの言葉が、「よいところも悪いところもひっくるめて自分を100%好きでいることのできる力」というような意味で広まってしまっているな、と感じています。でも、実際はそうではないと思います。

自分の基本が「0」の状態だとしたら、人のコンディションって日によって違いますよね。仕事も人間関係もうまくいく「+4」くらいの日もあるし、なにをやっても集中力が続かずミスばかりしてしまう「-4」の日もある。人って、そのあいだを常に行ったり来たりしている生き物なんです。でも、自分を責めてしまう人に多いのは、「+4」くらいのコンディションの日を自分にとっての「0」に設定してしまうこと。そうすると、数値がマイナス側に振れている日の自分を許せなくなってしまうんですよね。「なんであの日はうまくできたのに、今日はだめなんだろう……」と。

そうではなく、いい面と悪い面はコインの裏表みたいなもので、自分にはコンディションがいいときも悪いときもある、というのを把握できていることが本来の「自己肯定感」なんです

自分のいい面と悪い面をただ知っていればいい、ということなんですね。

みたらし そうです。ただ「こういうところが自分にはあるな」と分かっていればそれでよくて、自分を愛さなければいけない、と無理に思わなくてもいいんです。たとえば「思い込みが激しい」ことと「決断力がある」ことがそれぞれ裏表であるように、短所って必ず長所にも通じている部分があるはずなので、短所を消し去ろうと躍起になる必要もない。そう考えられると、ほんのすこしだけ自分を受容しやすくなるんじゃないかな、と思います。

私たちはSNSに生かされているわけではない

話題はすこし変わりますが、みたらしさんはいま、各種SNSを通じてメンタルヘルスケアやセルフケアの啓蒙活動をされていると思います。SNSでの発信を始められた背景には、街中で「話し相手をしてください」と書かれた紙を持った統合失調症の方に偶然出会ったというご経験があったそうですね。

みたらし 渋谷の駅前でその方に出会ったのは4年前だったのですが、声をかけてお話を聞いていると、その方が感じている周囲からの偏見の眼差しや孤独感がひしひしと伝わってきました。

私は当時、臨床心理士として総合病院の精神科に勤務していたんですが、精神疾患が重症化してからようやく病院にかかる、という方が本当に多いのを感じていて。背景には、どうしても精神疾患やメンタルの専門機関に対して偏見があって、例えば自分自身でそれを認めたくない、家族に言えない……という患者さんの悩みがあったんです。

だから、もともとメンタルのケアをすることや専門機関にかかることはまったく恥ずかしいことではない、という情報の発信をなんらかの形でしていった方がいいのかなとは思っていたんですが、その方との出会いで沸き立つような思いがあったというか……。ご本人の許可を得てそのできごとについてInstagramに投稿したら、ありがたいことに多くの反響を頂いたんです。SNSで広く発信していこう、と決めたのはそのときです。

『マインドトーク あなたと私の心の話』表紙写真
『マインドトーク あなたと私の心の話』
現在の活動に至るまでの自身の体験を包み隠さず綴ったエッセイ

SNSを通じての発信だと、10代や20代の若い人たちの目にも止まりそうですね。

みたらし そうですね。いま私はTikTokもやっているんですが、「親に理解がなくてメンタルクリニックに行けません」といったコメントが思った以上に殺到していて……。やっぱり、アクセスしやすく良質な情報提供をしていかなければいけない、というのは常々思っています。

だから例えば、家族に精神疾患への理解がなく専門機関につなげてもらえない場合に、メンタルクリニックではなく総合病院に行ってもらえれば何科に行ったという履歴が保険証につかないとか、オンラインカウンセリングであれば保護者の承諾はいらないといったある種のライフハックのようなことも、専門機関へのハードルを下げる一歩にはなるのかなと。もちろん、同時にメンタルヘルスケアへの偏見をなくしていくための発信もしていかなければいけないんですが。

でも、専門機関という選択肢がある、と知るだけでも救いになる若い人は多いのではないかと思います。

みたらし メンタルが本当にしんどいときって、家から出られないことも多いと思うんです。だから、つらいなと思いつつもベッドのなかで延々と携帯をいじってしまっている人に「あなたはひとりではないよ」と伝えられるのは、SNSの最大の強みだなと思いますね。

本当にそうですね。ただ一方で、いまはコロナの影響もあり、これまで以上にSNSとの付き合い方が難しくなってきているのを感じます。デマや差別的な発言を目にすることが増えたり、外出自粛している人とそうでない人の行動の差が見えやすくなったりしていて、モヤモヤを感じている人も多そうです。

みたらし そうですね。私たちってSNSに生かされているわけではないので、そこに必要以上に振り回されないことはすごく大事だなと思います。体調が悪いときにはあまりSNSを見ないのもひとつの方法ですし、各SNSのフィルター機能やミュート機能を最大限に使って、自分が心地よくそのSNSを利用できるように設定を調整してほしいなと思います。

さっきお話ししたとおり、自分が受容できるストレスには限りがあるので、いまはコロナ禍でそのうちのいくらかはすでに水が溜まってしまっている状態だと自覚した上で、不要なものは切り離す選択をしてほしいです。SNSに限らず、人間関係も同じですね。いつでも自分のなかに主体性があって、目に入れる情報や人間関係は自分がチョイスできるんだ、ぐらいに考えるようにするのが大切なんじゃないかと思います。

コロナ禍においては、気分転換に外出をしたり人と話したり……ということがしづらくなってしまって、なかなか環境を変えられないことがストレスにつながってもいますよね。SNSの表示設定などのほかにも、ストレスを溜めないために心がけた方がいいことってあるんでしょうか。

みたらし そうですね……私は、適度にサボること、全てに全力投球しないことが重要なんじゃないか、と思っています。いま、みんなしんどいんだから、みんなで頑張らないといけない、というムードになってしまっている。けれど、実際には自分のことで精一杯だと思いますし、それでいいと言いたいですね。

「働きアリの法則」という有名な法則がありますが、どんな集団にも必ず2割は怠ける人たちがいるわけです。自分がサボったとしても世界は回る、というのを自覚するのはメンタルヘルスにとって大事なことだと思います。「自分には生産性がないから価値がない」なんて思う必要はまったくない。

専門機関は「何をしてもいい空間」

いま、「自分のことで精一杯」ではないかというお話もありましたが、家族や友人からメンタルの不調について相談を受けることもありますよね。いまはちょっと自分がしんどいな、というときは、無理に話を聞こうとしないことも大切そうですね。

みたらし 本当にそうです。自分がしんどいときって相手を過剰に批判してしまったり、相手に自分の状況を投影してしまったりすることもあるので、自分が抱えきれないと思ったら「いまはこういう事情であなたの相談には乗れないかもしれない……」と素直に伝えることも大切です。もちろん関係性にもよると思いますが、これは専門機関を頼ってもらった方がいいなと思ったら、「待合室で待ってるから、一緒にメンタルクリニックに行ってみる?」と声をかけてもらうのもひとつの手かなと思います。

自分が話を聞けそうな状態であれば、相手の方をむやみに否定したり、自分の成功体験を押しつけたりしない、ということを意識して話を聞いてあげられるといいかもしれませんね。相手の家族についての相談を受けたときは、家族のことを一方的に批判しないというのも大事です。親からひどいことをされた、という話を聞いたりしたら「あなたの親って最低だよ」って言いたくなるかもしれないんですが、家族の関係ってすごく曖昧で、ひと言で言い表せないことも多いので。

みたらし加奈さんインタビューカット2

なるほど、確かにそうですね……。いまのお話をお聞きして、自分がメンタルに不調を感じたときは、友人や家族に過剰に寄りかかり過ぎないようにしたいなとも思いました。自分で抱え込むのはよくないと思うのですが、かといって身近な人にケアを求め過ぎるのは違うなと。

みたらし おそらく専門機関に行く前に「周囲の人たちを頼る、家族に相談する」というステップがあると思うんですが、本当はその順序を入れ替えてもらった方がいいなと思っているんです。なぜかと言うと、メンタルクリニックやカウンセリングルームって、(自傷/他害行為以外は)基本的になにをしても大丈夫な場所だから。

例えば自分の悩みをうまく言葉で説明できなかったとしても、こちらは専門家なので、その方の行動や雰囲気を見ながら適切な治療方法を提案することができる。お金を払って行ってるんですから、むしろ寄り添ってもらえなかったら「おかしいでしょ」って思ってもいい。専門家がいる場所なので、それぞれの治療方針を信じてもらった上で、その人に主導権があって主人公になれる場だと考えてほしいな、と。

確かにそうですね。お金を払って行ってるんですもんね……。

みたらし だから実は、友人や家族に相談するよりもハードルは低いと思うんですよね。もちろん経済的な問題でカウンセリングに通えないという方もいらっしゃるとは思うので、私自身も行政に対しての働きかけなどは並行しておこなっていきたいですし、これからも続けていくつもりです。

……ただ現時点でも、子どもは無料で受けつけているカウンセリングルームや初回無料のオンラインカウンセリングなどもあるので、心療内科やカウンセリングルームのホームページを見て、自分の悩みや不調にマッチしそうな専門機関を見つけてもらえたら、と思います。ひとりではどうしようもできないこと、知識がないと対処できないことってたくさんあって、人の心は扱うのが難しいからこそ専門家がいるのだと思うので。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:みたらし加奈さん

みたらし加奈さんのプロフィール写真

1993年生まれ。東京都出身。大学院で臨床心理学の修士課程修了後、総合病院の精神科にて臨床心理士として勤務。現在はフリーランスとしてSNSなどを通してメンタルヘルスケアの認知を広める活動を行っている。私生活では女性のパートナーと共に「わがしChannel」というYouTubeチャンネルを運営。著書に『マインドトーク あなたと私の心の話』(ハガツサ ブックス)がある。

Twitter:@mitarashikana

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