リモートワークの普及で、働き方はどう変化した? 緊急事態宣言解除から半年の今考える

これからの働き方を考える座談会

新型コロナウイルスの影響で、多くの人が働き方を変えざるを得なかった2020年。特に、4月に発令された緊急事態宣言によって、さまざまな企業が在宅勤務(リモートワーク、テレワーク)を導入したり、時差通勤を推奨したりするようになりました。

働き方の急激な変化に伴い、離れた相手といかに円滑にコミュニケーションしていくか、リモートワークのための仕事環境をどう整えるか、出社が必要な場合はどうするかなど、一度にたくさんの課題に向き合いながら、新しい働き方を模索してきたという人は多いでしょう。

5月末の緊急事態宣言解除から約半年がたった今は、以前に比べリモートワークも浸透し、企業によってはさまざまな働き方の選択肢が用意されつつあります。そこで今回は、企業で働く3人の女性による座談会を実施。ここ半年間の働き方を取り巻く変化について伺いながら、これからの働き方について考えました。

***

【参加者プロフィール】

長野さん

長野さん(仮名): 31歳。夫と2歳の子どもと3人家族。Webアプリ開発企業の企画職として5年勤めている。

木下さん

木下さん(仮名): 29歳。両親と実家暮らし(2020年9月までは一人暮らし)。Webサービス系企業で新規事業企画・営業企画を担当。入社して8カ月目。

山口さん

山口さん(仮名):31歳。夫(2020年11月に結婚。それ以前も同棲)と二人暮らし。SaaS系企業のカスタマーサクセス職兼マネージャーとして3年半在籍。現在妊娠中。

※取材はリモートで実施しました

オフィスで働くのが当たり前の状況から、完全なリモートワークに移行

緊急事態宣言解除から半年以上たちますが、現在(※2020年12月の取材時点)、みなさんどういった働き方をされているのでしょうか。

長野さん(以下、長野) 今は週5フルでリモートワークをしています。

山口さん(以下、山口) 私も2月から完全なリモートワークになりました。コロナ流行後、出社したのは1~2回です。

木下さん(以下、木下) 私は1月に転職を決めて、4月から今の会社で働き始めました。転職後は数回出社しましたが、以降はほぼリモートワークです。

会社として、以前からリモートワーク制度は整っていたのでしょうか? また、みなさんご自身は過去にもリモートワークの経験はありましたか?

長野 制度としてはあったものの、利用できるのは何か事情がある場合で、全社的にも「オフィスに来られる人は来ようね」という雰囲気でした。私の場合は妊娠中に初めてリモートワークの制度を活用し、復帰後も子育てのために週1回程度利用していました。

木下 コロナ流行前は、会社に行く働き方が当たり前でしたよね。私の前職でもリモートワークは「介護や育児などの特別な事情がある方がイレギュラーで使う制度」という認識だったので、私自身は利用したことがありませんでした。

山口 うちの会社では、将来災害などで長期出社できなくなることを想定して、意識的に「リモートワークという働き方に慣れていこう」という取り組みがあったように思います。とはいえ、出社ベースの働き方をしている人が大半ではありました。私自身は消防設備点検の立ち会いや、荷物の受け取りがある時など、以前から必要に応じて月に数回程度リモートワークにしていました。

長野さん
長野さん

仕事部屋、メリハリのつけ方……自宅で仕事をしやすくする環境作り

みなさん、もともと在宅でお仕事できる環境を整えていたのでしょうか? 家族がいる中で、仕事のスペースをどう確保しているのか気になります。

山口 自宅で作業できる環境はありましたが、わが家は夫もフルリモートになったので、それぞれ別々の部屋で仕事できるように環境を整えました。Web会議があるときなど、お互いに気を使わなければいけないので。

長野 当初からいつまでこの状況が続くか分からなかったので、自宅での仕事環境をどこまで整えるべきなのか迷いました。結局、今もダイニングテーブルにパソコンを置いて作業しています。

木下 リモートワークを開始した時は都心で一人暮らしをしていたのですが、最初の数日は、ローテーブルで床に座っての作業でつらかったです。その後机と椅子を購入して、在宅で作業できるようにしました。

みなさんはある程度リモートワークの経験があった方が多いですが、そうでない方にとっては、突然のリモートワーク導入はより課題が多そうです。

長野 そうですね。一人暮らしの同僚には「自宅にインターネットすら引いていない」という人もいました。

山口 知人の会社では「社内では大きなデスクトップパソコンを使っていたので、まずはシステム部がみんなのノートパソコンを買いに走った」などという話もあったと聞きました。

自宅で仕事をすると、仕事とプライベートの境目があいまいになったり、気持ちの切り替えが難しくなったり、といった懸念もあると思います。メリハリのつけ方などで何か工夫したことはありますか?

長野 私はいつでも働ける状態だと働き過ぎてしまうタイプだと気付いたので、それぞれのタスクに目標時間を決めて、メリハリをつけるようにしました。あと、お昼休憩中は必ず外に出るようにして、気分を切り替えています。

山口 フルリモートになってから、通勤時間が気持ちの切り替えに一役買っていたことに気がつきましたね。家では集中力が途切れると、コーヒーを入れて一息ついたりしています。あとは、夕飯を食べてからまた仕事に戻る、といったことはしないようにしました。

木下 私も集中できないときは割り切って、無理に残業などしないようにしました。あとは集中できる曲のプレイリストを見つけたり、気分転換に好きな飲み物を用意したり。

木下さん
木下さん

互いの顔が見えづらい、リモートワーク下の働き方で工夫したこと

完全なリモートワークに切り替わった際、会社からなんらかのサポートはありましたか?

木下 リモートワークの長期化が見えてきた5月上旬に、希望者へモニターの配布がありました。

山口 うちの会社では、まず環境設備のためという名目で特別手当金が全員に支給されました。また、半年に一度支給されていた定期代が廃止となり、代わりにリモート補助金が毎月支給されています。

木下 毎月の補助金、いいですね! うちは定期代は廃止されおらず、従来のままの運用です。まだ出社を必要とする部署の方もいるため、新しい制度を作るにしてもなかなかサポートを平均化しづらいのではと思っています。

長野 うちはモニターなどリモートワークのために購入したいものがある場合、申請が通ればその分のお金が支給されるというシステムでしたね。

あとは制度ではありませんが、子供の保育園が登園自粛になった時、働ける時間が短くなることへの理解があったのが助かりました。

会社によって、サポート体制はさまざまですね。リモートワークになってから、日々の業務はスムーズに進みましたか?

山口 社内システムはクラウド上で動いているので、インターネット環境さえあれば自宅からでもつないで仕事することができ、スムーズでした。

長野 うちも日常的にSlackなどのチャットツールに慣れていたので、同僚とのやり取りが滞ったことはなかったですね。ただ、採用活動だったり、4月に新入社員が入ってきたりしてからは、全社的に「どうすれば一体感を出せるのか」と悩んでいた時期はありました。

山口 今年は新人研修などがリモート下になり、例年のようにいかずに難しい面がありましたね。うちの会社でも、新入社員にはOJT担当とメンターが各自ついて、なるべく細やかにケアしていました。例えば上司とは必ず週に一度は1on1で会うようにする、Slackに専用チャンネルを作って何でも相談しやすい環境にしておく、などです。私も普段から、なるべくささいなことでも自ら社内チャットで発信するようにしています。

長野 うちも新入社員のために、ずっとつなぎっぱなしにしているZoom部屋がありました。特に緊急事態宣言の時にはメンタルのケアを気にしていましたね。夜はそのZoom部屋で飲み会をしたり……。

木下 お二人の会社の新入社員の方がうらやましい! 私も今思えば、実家に帰る前は少し鬱(うつ)っぽくなっていたのかもと思います。もともと家族の仲がいいので、実家で過ごすようになってからは精神的な面でも支えられています。

相手の顔が見えづらいリモートワークにおいて、やはりコミュニケーションは課題だったのでしょうか。

木下 特に入社した当初は、上司や同僚に分からないことをたずねる時、口頭で聞けば30秒で済むものをSlackで「お忙しいところすみません」と質問していました。意思疎通は難しく感じましたね。

長野 リモートワークになってから、やはりオフラインでの偶発的コミュニケーションは仕事に生きる場面があったな、とあらためて感じました。ただリモートワーク下でも、意識的な交流を心がけてはいます。例えば私の場合は「会議中」「休憩中」など、自分のステータスがみんなに分かるようにオープンにしています。「会議行ってきます」「今日のお昼は何を食べます」などとやりとりすることで、一緒に働いているという雰囲気を共有できるので。

山口 会議の時間については、要件をまとめて話すだけなのでコンパクトになった気がします。ただ、短縮されて良い面もある一方で、前後の雑談がなくなったのはさみしいところです。

社外の方とのコミュニケーションの面ではいかがですか? 相手の業種によっては、リモートワークの導入状況にもばらつきがありそうです。

木下 クライアントとオンラインでワークショップをしたときに、ツールの使い方から説明をする必要があったり、ネット環境が不調でなかなか進まない、といったことはありましたね。

山口 私は職種柄クライアントと接する機会が多いんですが、特に初めのうちは、使いたいツールが相手の会社の都合上使えないなどいくつかのハードルがありました。ただ時間がたつにつれてどの業種の方にも、徐々にリモートワークの環境が浸透してきているなという実感はあります。

クライアントへの往訪がなくなったりもしますよね。

山口 そうですね。実は地方の企業の方が、リモート体制の導入がスムーズな印象でした。もともと往訪がないことに慣れているのでWeb会議にも抵抗なく、オンラインでのやり取りがしやすかった気がします。

アポイントも格段に取りやすくなりましたね。往訪にかける時間がない分、良くも悪くも、件数的には詰め込むことができるようになったと思います。

出社していた頃と比べて、リモートワークは集中力や効率の面でどうですか?

長野 タスクの種類によりますね。黙々とコードを書くとか、分析をするだけのデスクワークは自宅の方がはかどります。逆に他部署と調整が必要な業務などは、出社の方がスムーズです。

木下 集中したい内容の仕事は、私もリモートの方がいいなと思います。

長野 会議はやはり、細かい内容になってくればくるほどオンラインだと難しい。現場にいると、リアルタイムでホワイトボードに図を書いたり、全身を使って空間を共有しながら話せるじゃないですか。Zoomでもホワイトボードのような機能はありますが、なかなか伝わりづらい。うちの会社のあるチームでは、各自スケッチブックに書きながら説明したりして工夫しています。

山口さん
山口さん

出社とリモートワーク、それぞれの良さを柔軟に選択できる社会に

今後もリモートワークがメインになっていくと、働き方が根本的に変わってきそうですね。

木下 通勤時間を別の時間に当てられるようになったり、体調が悪いときにも、自分のペースで仕事がしやすいのはよかったです。あと、これまでは都内の便利なエリアに住みたいと思っていましたが、出社がデフォルトでなくなると「都心部に住まなくてもいい」と思うようになり、居住地の選択肢が増えました。実家に帰るという判断ができたのも、そのおかげですね。

山口 実は個人的なことですが、最近妊娠していることが分かったんです。このような状況下なので、在宅で働けて安心でした。

長野 私の場合、リモートワークは子供の送迎時間の短縮になるので、本当にありがたいと思います。あとは休憩時間にサッと買い出しに行けるのも助かっています。あと、これまでは持ち帰ってきた仕事を夜遅くまですることもありましたが、今はその時間を自分のために使えるようになりました。スキルアップのために英会話を始めたり、開発言語の勉強をしたりしています。

ちなみに、みなさんの周囲の方の間では、リモートワークの普及は進んでいますか?

長野 実は今回肌で感じているのが「フルリモートで働く私たちはまだまだ少数派」ということです。知人や友人の会社で、部分的にリモートということはあっても、フルリモートで働いているという話は今もあまり聞かなくて。

木下 私もそうです。友人の会社では「緊急事態宣言が解除された翌日から出社に戻った」という話も聞きました。

山口 出社せざるを得ない業種の方がたくさんいるのは理解しています。他にも家庭の背景や生活環境などのさまざまな事情により在宅で仕事しづらい方もいるので、リモートワークに対する温度感の違いは当然出てくるかなと思います。

今後また出社できる状況に戻っていったとしたら、どんな働き方をしていきたいと思いますか?

長野 私は週2出社、週3リモートくらいがバランス的にいいなと思います。やはり出社すると発見があるし、仲間と同じ空間で働くことも大事。将来的には、子どもの成長に応じて出社できる時間を増やしていけたらなと思います。

木下 私も出社は週2くらいがベストかなと。リモートワークの良さも実感しましたが、日常に戻れば終業後に同僚と飲みに出かける楽しみなどもあると思います。そしてそういう状況になれば、また都心で生活をしたいと思うのかもしれません。

山口 今年は花粉症の時期に出社しなくてよかったし、梅雨も長かったので、リモートワーク中心の生活で助かった部分もたくさんありました。ワーケーション(※編集部注:リゾート地などでリモートワークをしながら休暇を取ること)を駆使している方の働き方にも刺激を受けましたね。季節や状況に応じて、その都度働きやすいところで働く、という選択肢があればいいなと。今回の経験を生かして、そういったことに柔軟に対応できる社会になっていけばいいなと思います。

取材・文:遠藤るりこ
イラスト:アベナオミ
編集:はてな編集部

※座談会参加者のプロフィールは、取材時点(2020年12月)のものです

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新型コロナで変わる同僚や家族との距離 人類学者・磯野真穂さんと「他者との向き合い方」を考える

磯野真穂

新型コロナウイルス感染症の流行による働き方の変化や外出自粛の動きを受けて、社会全体で“他者との付き合い方”が変わってきています。職場の人や友人たちとの距離は以前より遠く、反対に、同居する家族との距離は近くなったことで、私たちが人間関係で悩むポイントもこれまでとは違ったものになってきました。

ビデオ会議やチャットツールなどを使ったオンラインでのコミュニケーションに慣れない。家族と顔を合わせることにストレスを感じるようになってきた――。そんな方もいるのではないでしょうか。

大きく変化した環境のなかで、同時に変化しつつある“他者との関わり方”にどう向き合っていけばよいか。「予測できない未来を人が他者とともにどう生きるか」を研究している文化人類学者の磯野真穂さんと一緒に考えてみました。

※取材はリモートで10月下旬に実施しました

画面上で切り取られる部分が“身体”になる

新型コロナの影響で勤務形態が変わり、対面で仕事をする機会が減ったという方も多いです。磯野さん自身は、新型コロナの影響で働き方に変化はありましたか?

磯野真穂さん(以下、磯野) 実はたまたまこの春に長く勤めていた大学を退職した影響で、学生や教員と会う機会は減って、外部の方と会う機会はむしろ以前より増えましたね。

ただこの取材のようにオンラインで、というケースももちろん多いです。現在は別の大学で非常勤講師をしていて、オンラインで演習を実施することもありますし。夏からは、Zoomを使ったオンライン講座も始めました。

「他者と関わる」と題した人類学の講座ですよね。磯野さんのご専門である文化人類学は、まさに今回お聞きしたい、“他者”について掘り下げていく学問というふうに理解しています。

磯野 そうですね。人間はひとりでは生きていけないということを前提に、他者……人間に限らず動物や植物でもいいんですが、「自分ではない人やものごと」とどうやってともに生きているのかを明らかにしていく学問と私は捉えています。

人類学は「◯◯すると人間関係が劇的に改善します」というライフハックは提供できません。その代わりに「他者と関わる」とはどういうことであるかを、対象の観察や聞き取りといったフィールドワークを通じて明らかにしていきます。

今日は新型コロナの影響で変化する「他者との関わり」について磯野さんにヒントをいただきつつ、私たちもどう「他者と関わっていくか」を一緒に考えていきたいなと思っています。改めて、磯野さんは仕事上のコミュニケーションがオンライン中心に移行しつつある現状を、どう捉えていますか?

磯野 Zoomなどのビデオ会議ツールがコミュニケーション手段として多く利用されるようになってから、“隠す”場所と“見せる”場所が変わったなと感じています。

これまで、人と対面して会話するときは全身を整えなければいけなかったけれど、それが画面に映る上半身だけでよくなった。私もいま、上半身は“ちゃんと”しているけど、下はパジャマかもしれないわけで。

その代わりに、これまではプライベートな空間として隠すことができていた、自分の部屋を人に見せる機会が増えてきた

この人こういう部屋に住んでいるんだ〜とか、本棚に本がいっぱい!とか、これまでは仕事だけの付き合いだったら見えなかった部分ですよね。

磯野 ある意味、人の身体の境界が変わってきたのかもしれない。画面上で切り取られている画角こそが“身体”になってきたというか。

カメラに映る背景に花を飾ってみたり、上半身がよりよく映るようにライトを当ててみたりするのは、服やメイクでおしゃれをするのと同じだと思うんです。その部分は大きく変わったな、と思っています。

新型コロナで変化する同僚や家族との距離 人類学者・磯野真穂さんと考える「他者」との関わり方

先ほどお話しされていたオンライン講座では、対面でないことで受講者とコミュニケーションのとりづらさを感じることはありませんでしたか?

磯野 私もやってみるまでその点を心配していたんですが、意外とZoomでも臨場感がある、と言ってくださる方が多くてホッとしています。

ただ、それは私が講師という立場で、受講者はなにか聞かれたら発言するという、お互いに役割が限定された空間の中だからできたことかもしれません。これが例えば、役割が与えられていない10人がバラバラに発言する場だったら、もう少し印象が変わってくると思います。

生身の身体が目の前にない状況では、ちょっとした視線の動きや仕草によるコミュニケーションがとりづらくなるので、ゼロからともに場をつくっていく、ということは以前より難しくなっているかもしれないと感じます。

自分自身が人からどう見られているかが前よりも分かりにくくなったという変化もあるような気がします。オンラインでのコミュニケーションは、相手が退屈そうにしているとか眠そうにしているといったネガティブな反応が伝わってきにくいな……と。

磯野 なるほど。この前、大学生たちにオンライン授業の感想を聞いてみたら「画面をオフにすれば先生からは一切見られないので、評価を気にしなくていいから気楽です」と言う人がそこそこいたんです。ネガティブな反応が伝わりづらい、というのはそういうことですよね。

もちろん反対に、オンラインだと緊張感や張り合いがないから対面の方がいいという人もいましたが。

「ネガティブな反応」が伝わりづらいことを良しと感じるか、悪いと感じるかは人それぞれということですね。人から見られない状況が気楽だという気持ちもとても分かります。

磯野 人から見られることってある種のストレスなのは間違いないんです。でも、同時にとても社会的なことでもある

だから「見られないから楽」というのは当然ではあるものの、社会的な交流の一部を自分から捨ててしまっているとも言い換えられます。……もちろん、どちらが良い・悪いということではなく、新型コロナによって生じた環境が人間の身体のあり方を大きく変えていっているんだろうな、とは思いますね。

人間関係には「適切に離れる」ことも大切

家にいる時間が増えたことで家族やパートナー、同居人といった「同じ空間に住んでいる人」との距離はぐっと近くなりました。DVの被害件数が増えているという話も聞きますし、新たな問題が生まれているのを感じます。

磯野 感染予防の観点から外出を控えることで、同じ空間に住んでいる人との距離が過剰に近くなってしまったという問題はたしかにあると思います。

特に東日本大震災以降、日本では「絆」や「つながり」という言葉がさかんに使われるようになりましたが、適切な「人間関係」を築く上では、離れていること、距離を置くことも大切なんです。

例えば伝統的な生活をしている人々は近くに住み協力し合っていて、「個人」という概念はあまり存在しないと考えられてきました。しかしインドネシアの西パプアに居住するKorowaiと呼ばれる民族は、個人と個人の境界がゆるいどころか、他者性を強く意識し、距離をとって暮らしていて、各家族の家を離れた場所に建てているそうです。その一つの理由は大変シンプルで、距離があることが程よい関係性を作ることができるからです。

確かに「家族」でも「民族」でも、結局、自分以外は「他者」なので近過ぎると関係性が悪化しそうです。私の周りでも、新型コロナをきっかけに同居する家族との関係が悪くなってしまったという話をよく聞きます。

磯野 私は昨今の状況下で、人が生きていることの質的な意味が軽視されることがあると感じています。新型コロナの感染者を増やさないことはもちろん大切なのですが、感染予防の名のもとに他者との適切な距離が時に遠くなったり、時に近過ぎる形で一瞬にして変容したので、その弊害は出て当然だと思うんです。

人間が他者とともに生きるときって、必ずその居住空間とも一緒に生きているわけです。居住空間も他者と他者とをつなぐ「媒介」のひとつだと思うのですが、その「媒介」の形が変わってしまったんでしょうね。

家族などに限らず、新型コロナさえなければわりとうまくいっていた人間関係、というのもけっこうあるんじゃないかと思います。

新型コロナ対策への考え方や意識の差がきっかけとなるトラブルも少なくないと感じています。

磯野 人は環境を背負って生きているので、新型コロナへの意識に環境の差や地域差というものが大きく出てしまったのだと思います。二者の間での関係が変わったというよりも、その人たちが背負っている環境の差異が関係性を変えてしまったのかなと。

なるほど、確かにそう感じます。

磯野 私たちは意識せずとも、ある程度「人間関係のマニュアル」というものを持っていたはずなんですが、それが新型コロナの影響で有効でなくなってしまった。じゃあもう一度話し合いから始めて違うマニュアルをつくり直そうと思えるか、今まで使っていたものが使えないならもうだめだ、と思うかに分かれそうですね。

お互いの差異を意識して調整し合うことができれば新しい関係をつくることができると思うんですが、今までのマニュアルどおりで大丈夫だと思っていると、それが機能しなくなる時に関係は崩れてしまうかもしれません。

他者との交流は不要不急ではない

個人的な悩みになるのですが「知らない人とのちょっとした雑談」が大きく減ったことが、自分にとって思っていたよりもストレスだったんだなと最近気付いて。例えば居酒屋やバーで近くの席の人と会話をするような些細なコミュニケーションを意外と楽しんでいたんだな、と……。

磯野 飲食店で近くのお客さんとしゃべる、というのは「日常性を揺らす」行為のひとつなんですよ。お酒を飲むという行為は、普段の自分とはちょっと違う気分になるということだし、そこに誰がやってくるか分からないというのも、日常から少し離れる体験で。

なるほど。

磯野 人間って伝統的に、どの民族も「日常」と「非日常」を行ったりきたりすることでバランスをとっているんです。周期的にお祭りのような非日常を体験しては再び日常に戻ってくるというリズムの中で生きてきている。

けれどいま、イベントや外食、旅行といった「非日常」が危ない行為とみなされるようになり、固定された「日常」を歩むことが正しい生活様式になってしまった。日常と非日常のバランスが崩れてしまうことで、なんらかのストレスを感じるのは当然のことだと思います。

そう言われると、「予想外のことが起こらない」ことに自分はストレスを感じていたんだなと気付きました。

磯野 予想外のことを起こしてはいけない、という状況ですからね。飲食店でのちょっとした会話、というのは感染予防という観点から見ると不要不急と言われてしまうことですが、他者とのそういったコミュニケーションというのは決して不要不急ではないと思うんですよ。

家での時間をいかに楽しく有効に使うかということばかりが語られていて、この状況にストレスを感じる意識自体を変えていこうという動きが大きいように思えていたので、ストレスを感じるのは当然という言葉に少しホッとしました。

磯野 人間はもともと他者との関わりの中で生きていたのに、他者と関わる機会や関わる方法が変わって、生きることの余白を危険なものと捉える世界が突然やってきてしまったんですよね。オンラインでの交流は、コミュニケーション自体がタスクの一部みたいになりがちですし。

確かに、一時期オンライン飲み会もタスクのようになっていました。

磯野 ただ、究極的には他者と向き合うことに「対面」か「オンライン」なのかといった媒体は関係ないんだろうな、とも私は思っているんです。もちろん、新型コロナで他者との関わり方や、関わるときになにを「媒介」とするのかが強制的に変えられてしまったから、戸惑うシーンはこれからも増えてくるとは思いますが。

だからこそ、自分以外の人がこの流れの中で何に戸惑って悩んでいるのか、ということを開示できる場がもっと作られていくといいんでしょうね。それはリアルでもオンラインでもどちらでもいいと思うし、私たちにはそうやって模索していく可能性がまだまだある、という考え方もできるのかなと。

今は答えのない不測事態の中にいるからこそ、その「可能性」を模索していきたいと思いました。今日はありがとうございました。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:磯野真穂さん

磯野真穂さん

人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。身体についてもっと自由に考えよう「からだのシューレ(@krds2016)」メンバー

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仕事相手と「おしゃべり」「誠実さ」で信頼関係を築く。志村貴子らと歩む編集者・上村晶

上村晶

取引先や職場の同僚・上司などと仕事をする上で悩みのタネになりやすい「人間関係」。特に「信頼しあえる関係」を築けるかどうかは、仕事のやりやすさにも直結します。しかし、もともとは他人である仕事相手と信頼関係を築くにはどうすればよいのでしょうか。

そこで今回は、フリーのマンガ編集者として志村貴子さんや渡辺ペコさん、中村明日美子さんらの作品を担当する上村晶さんに「信頼関係を築くためのヒント」を伺いました。

上村さんは太田出版で雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』の編集長を務めたのちに独立。現在は作家と一緒に企画を立て、その作品にマッチしそうな編集部に持ち込むという、業界でも珍しいスタイルを確立されています。多忙な作家たちと確かな信頼関係を築きつつ、取引先である出版社やメディアとも円滑にコミュニケーションをとる上村さんは、どう「信頼関係」を築いているのでしょうか。

※取材はリモートで実施しました

人見知りだからこそ「仕事」の仮面をかぶる

上村さんは、志村貴子さんや渡辺ペコさん、中村明日美子さんといった多彩な作家を担当されています。作家との関係はどう築いてきましたか。

上村晶さん(以下、上村) 私の場合は「おしゃべり」が基本です。作家さんのお話しって本当に面白いんですよ。すばらしい才能がある作家さんたちとお仕事させてもらっているので、向かい合っておしゃべりしていると気づきの連続で、次々に世界が開けていくような感覚があって……。

おしゃべりを通じて相手の価値観や、どういうことにときめきを感じたり違和感を覚えたりするのかが見えてくるんです。「相手を知ること」は作品作りはもちろんのこと、関係性の構築や仕事のやりやすさに繋がるので、なにげないおしゃべりの時間をとても大事にしています。

おしゃべりの時間というのは、いわゆる「打ち合わせ」にあたるんでしょうか。

上村 名目としては「打ち合わせ」ですね(笑)。作家さんは忙しいので1〜2時間で済ませるときもあれば、長いときは3〜4時間ほど、ただおしゃべりし続けることもあります。もちろんおしゃべりは少なめで「作品の打ち合わせ」だけをみっちりする日もあります。

そんなにも……! どんなことをお話しされるんですか?

上村 新しい連載を立ち上げるときは、その作家さんが今どんなことに興味を持っているかをとことん聞きますね。自分からも「こんなことに関心があって」「最近こんな作品を見たんですが……」と伝えたり。とにかくいろんな「ボール」を投げ合って、作家さんとシンクロするテーマや目指す方向性を探します

おとなになっても 担当作のひとつ『おとなになっても』
(C)志村貴子/講談社

いろいろなボールを投げ合える関係になるまでにも、時間やスキルが必要そうだなと感じます。

上村 確かに編集者になりたての頃は、人見知りということもあって作家さんとお話しするだけで緊張していた記憶があります。でもさっきも話したように、作家さんのお話がとにかく面白くて、ここは「担当編集者」という仕事の仮面をかぶってなんでも聞いて話してしまおうと。先に裸になっちゃった方が楽という気持ちであれこれ話すようにしていたら、だんだん慣れてきて。未だに大勢の人がいるようなパーティーの場なんかは大の苦手なんですが、一対一でしゃべるのは好きになりましたね。

ほとんどの作品がそういったおしゃべりから生まれていて、キャラクターや物語の肉付けもおしゃべりのキャッチボールを重ねて作り上げています。今もそんな感じで新連載準備を進めている作品が3つほどあります。

新連載、いまからとても楽しみです。おしゃべりが気軽にできるような円満な関係性が続くと、「作家と編集者」というより「家族や友人」に近い存在になることもあるんでしょうか。

上村 友人同士のように面白い映画やドラマを勧め合ったり、日々の出来事や気になるニュースについて話し合ったりもしますし、一緒にいるのが楽しいと思っていただけたらうれしいですけど、やはり一緒に仕事をしたいと思ってもらえてこそ成り立つ関係であって、友達とは違う別の深い関係なのかなと思います。作家さんと長く関係を続けていきたいからこそ、作品のクオリティや売り上げなどをひっくるめて「いい仕事をしたい」という思いがいつもあります。

日々の環境や体のことなどを相談されることもありますが、それらはやはり「創作に繋がる悩み」だから話してくださるのかなと思うので。こちらから根掘り葉掘りプライベートなことを聞くことはなく、作家さんがお話したいことを全部お聞きして、という感じです。「お話がしたいな」と思ったときに、私を思い出してもらえたらうれしいですね。

そうやって作家と作り上げる上村さんの担当作には、雁須磨子さんの『あした死ぬには、』(太田出版)や渡辺ペコさんの『1122』(講談社)など、時代の空気を的確に捉えているものがとても多いように思います。こういった作品のテーマは、どういったインプットから生まれるんでしょうか。

上村 みんなが興味を持っているテーマって必ず、会話やSNSなど自分の「タイムライン」に上がってくるので、話題になったことを何となく注目したり、ストックしたり、調べてみたり。もちろん、日々のニュースにも目を通しますし、ときどきあえて自分の感覚とは異なる視点のもの、例えばワイドショーなども見ます。そういったところから社会の潜在的な欲求を知った上で、作家さんの描きたいものと合わせていくようなイメージで作品のテーマを決めることが多いかなと思います。

なるほど。

上村 『あした死ぬには、』は、雁さんも私も当事者である「40代女性の生き方」に着目しました。心身の不調も、お金やこれからの人生への不安も、私たちが毎日生きている上で身近にある“ネタ”なんですけど、ディティールひとつひとつをここまで取り上げたマンガって今までなかったと思うんです。まだ描かれていなくとも興味がある人は多いはずですし、雁さんだったら繊細な描写もコミカルな表現もできる方だから広く届けることができるだろうなと。

あした死ぬには、 『あした死ぬには、』
(C)雁須磨子/太田出版

『1122』はペコさんから「夫婦の話を描きたい」という提案を受けて。テーマを深堀りするために資料を調べれば調べるほど既存の夫婦観に息苦しさを感じている方やセックスレスに悩んでいる方が多いと分かり、こういった悩みを真正面から描けば、しかもペコさんの深い思考に裏打ちされた描き方であれば、きっと社会に受け入れてもらえる作品になるという予感がありました。

1122 『1122』
(C)渡辺ペコ/講談社

編集者である以上、作家がやりたいことを大切にしつつもマンガはエンターテインメントであることを意識して、考えや感覚が異なる人も含めたより多くの人に作品を届けるために「射程を広げるための努力」をし続けていきたいと思っています。

相手が不誠実でも、自分は「誠実」を貫く

取引している雑誌や編集部ごとに「仕事の進め方」が異なるかと思います。円滑に仕事を進めるために心掛けていることや、タスク管理のコツを教えてください。

上村 大事なのは「気持ちよくお仕事すること」だと思っているので、「それぞれのルール・やり方にこちらが合わせる」ことを心掛けています。あとは締め切りを守るとか、返信は早くとか、お礼を伝えるとか、基本的なことくらいで……。

担当作品が掲載されている媒体によって進行が異なるので、それぞれの入稿日や校了日といった「大きいタスク」は見開きタイプのウィークリースケジュール帳で管理しています。月単位だとタスクの粒度がぼやっとしてしまうため週単位で「今週やるべきこと」を可視化しています。一方で電話する、郵送するなどの「小さいタスク」はEvernoteのチェックリストに。空き時間や移動中にスマートフォンでこまめにチェックして、終わったら消しています。

ウィークリースケジュール帳 デルフォニックスの手帳を長年愛用

コツコツと丁寧に仕事を進めるのは「信頼」を得ることにも繋がりそうです。ただ、仕事をしていると信頼関係が揺らぐこともあると思います。

上村 そうですね、自分が作家さんの信頼を損ねてしまったかもしれないと感じたときは、本当に落ち込みます。以前、私がある作家さんの原稿を紛失したかもしれないということがあって。最終的には印刷所さんの勘違いで原稿は無事に見つかったのですが、その時は原稿を預かる以上すべて私の責任だし、取り返しがつかないことをしてしまったと真っ青になって……。謝罪に伺った日の光景は今でも鮮明に思い出せます。

でもその作家さんは「そういうこともありますよね」とすぐに許してくださって。そのときに、これまでより何倍もいい仕事をしてこの方の信頼を取り返すしかないなと。そうやって「許して」いただいた経験があるので、他の人が失敗したときも同じ様に「人はミスをするものだし、仕方ない」と思えるというのはあるかもしれません。

嫌な質問になりますが、悪意のないミスではなく、この人はなんだか不誠実だな、と感じるような仕事をする人と出会ってしまったときはどうされていますか。

上村 普段やり取りしている作家さんや編集部とはそういったことはありませんが、たくさんの人が関わるプロジェクトに参加していると「この人のことを信じていいのだろうか」と感じることは稀にあります。そういうとき、私は「相手が不誠実なことをしてきても、自分は絶対誠実に返そう」と決めていて。

どうしてですか?

上村 自分の大切なものを守りたいというのが一番ですが、単純に第三者が見たときに「それはあなたが正しいよね」と言ってもらえるように落ち度を作りたくないというのもあります(笑)。不誠実な人は、周囲に自分の言動が通じないと分かると態度を変えることがあるので、なるべく周りの人が味方になってくれるよう、自分は誠実にやり続けたいなと思っています。

なるほど……。上村さんは担当作品のPRのために、メディアへの売り込みやSNS運用など、編集以外に「営業」「広報」といった分野にも積極的に携わられていて「作品を多くの人に届けたい」という誠実な姿勢をひしひしと感じます。

上村 よく言われていますが、今はもう「編集者の仕事は作品を作って終わり」という時代ではないですよね。店頭に作品を並べるだけで売れるわけじゃないので、メディアの方に作品の魅力を紹介したり、SNSで宣伝や告知をしたりといったことは日常的に行っていけたらと思っています。

作品のことを考えた時間が作家の次に多いのは、 編集者だと思うんです。たとえその考えが的確でなくとも、考えた量には自信を持とうと思っていて。より多くの読者に作品を届けるためにやれることはとにかくやらないとという気持ちで、私なりに魅力を率直に伝えていきたいなと。といってもまだまだ全然足りていないし、Twitterであんまり面白いことを呟けずにごめんなさい、という感じです(笑)。

「大好きな仕事」を手放さないために、働き方を変えた

フリーになる前は、2000年に創刊された『マンガ・エフ』(2001年に『マンガ・エロティクス・エフ』に改名/太田出版)の編集長を長らく務められていました。もともとマンガ編集者を目指していたんですか。

上村 いえ、もともとは活字の編集者をやっていたのですが、太田出版の採用面接を受けたときに「今度マンガ雑誌を創刊する予定があるんですが、興味はありますか?」と聞かれて。子どもの頃からマンガは大好きだったんですが、趣味だと思っていたので「マンガ編集者」になれるなんて発想自体がなく、そんなチャンスがあるのかと。もちろん「やりたいです」と答えて、そこから同誌の編集部員になりました。

何も経験がないど素人の編集者だったので、最初は先輩の仕事を引き継いだり読み切り作品を担当させてもらったりしていたのですが、しだいに自分で連載を立ち上げるようになり……。5年後にいきなり編集長に任命されて。

2014年に休刊しましたが、本当にコアなファンの多い雑誌でしたよね。上村さんは編集長として、どのような思いで『マンガ・エロティクス・エフ』に携わっていましたか。

上村 青年誌・女性誌といった枠に囚われず、マンガ好きであれば純粋に読みたいと思うような作品を載せたい、ジェンダーレスでありたいというのは初代の編集長から大事にしていたコンセプトでした。

私が編集長になってからは「エロティシズムを画一的に捉えたくない」という点をより意識するようになりました。裸体やセックスシーンを描くことだけが「エロ」ではなくて、「関係性の色っぽさ」というものもある。エロティシズムやフェティシズムを感じるポイントは人によって違うので、その多様さを雑誌全体から感じてもらえたらいいなと思い作っていました。

例えば、編集長就任号となった33号ではオノ・ナツメさんの『リストランテ・パラディーゾ』と、古屋兎丸さんの『ライチ☆光クラブ』の連載がスタートしました。『リストランテ・パラディーゾ』は従業員全員が老紳士の小さなリストランテが舞台なのですが、“老眼鏡紳士”の魅力を描いた作品って当時はまだなかったと思います。そういう新しいことをどんどん試せる場が『エフ』でした。

『ライチ☆光クラブ』は閉塞した空間でおこる少年たちの愛憎劇を描いた物語で、その後舞台化、映画化もされ、雑誌にとっても私の編集人生にとっても大きな力をいただいた作品です。

どちらも夢中になった方が本当に多い作品だと思います……。上村さんはその後、2014年に太田出版を退社してフリーランスになり「作品単位でさまざまなマンガ雑誌の編集部に出入りする」という業界内でも珍しい働き方を選ばれました。どうしてこういったスタイルで仕事をしようと考えたんですか?

上村 太田出版はとても自由で、思いついたことはなんでも実現させてもらえる社風のため、自分でどんどん仕事を増やしてしまって……。すごく楽しい一方で体力的に「このまま一生同じ働き方はできないな」と感じていました。「マンガ編集者」という仕事を手放さず続けていくためにも、自分のペースで調整できる働き方にシフトしたいなと思ったのがひとつの理由です。

それに、どこか特定の雑誌の編集部に所属してしまうと、その雑誌に向いている作品しか作れない。当然ですがどの雑誌にもコンセプトや想定読者が存在して、それはとても大事にすべきものなのですが、せっかく面白いことを思いついたのに雑誌のカラーに合わないから諦める、というのは悔しいなと思ったんです。だから、面白いと感じた作品をどこにでも提案できるよう、この働き方を選びました。

作家を守る以上に大切なことはない

作家とのお話をもう少し聞かせてください。志村貴子さんとは、2002年に『マンガ・エロティクス・エフ』でスタートした『どうにかなる日々』からのお付き合いとのことですが、同作の連載中に、多忙だった志村さんを気遣い連載をたたんだというエピソードが巻末のおまけマンガなどで紹介されていますよね。

上村 そうですね。当時志村さんが本当にお忙しくてしんどそうに見えたので、今少しでも荷物を軽くしないと大変だと感じたんです。なので「もしつらかったら連載たたみましょうか」と声をかけたら「たたみたい」と。だからその場で「そうしましょう」と決めちゃって。1巻の重版が続いていて、編集部としてはもっと続けてくださったらうれしいと思っていましたが、結果として全2巻の作品になりました。

どうにかなる日々 『どうにかなる日々』新装版
(C)志村貴子/太田出版

志村さんはとっても救われたのではないかと思うのですが、当時の上村さんはまだ編集者になりたての頃かと思います。勝手に決めたことを編集部に伝えるのは勇気がいりませんでしたか?

上村 もちろん本当にどきどきしました! でも個性的な作家に集まっていただいている雑誌だったからこそ、日頃から「作家を守ること以上に大事なことはない」という意識が強い編集部だったので「私たち普段からそういう方針ですよね」という感じで伝えたら、すぐに納得してもらえて。

上村さんも編集部のみなさんも格好よ過ぎる……。

上村 志村さんほどの才能がある方だったら、今いっとき休んでもすぐにまた描きたくなるんじゃないかな、とも思っていたんですよ。復帰されたら間違いなく面白いものを描いてくださるという確信があったので、そのフラッグを一番に取れたらそれでいいや、と。それが『青い花』(太田出版)でした。

志村さんとは当時から最新作の『おとなになっても』(講談社)まで、長年のお付き合いですが、最初に感じた「天才だ……」という直感を、今でも原稿を受け取るたびに感じます。

中村明日美子さんとは、デビューの頃からのお付き合いだと。

上村 そうですね、明日美子さんとも長いですね……! 明日美子さんは2020年でデビュー20周年を迎えられたんですが、実は私がマンガ編集者になったのも20年前なんです。私が初めて参加したマンガ賞の審査会でデビューしたのが明日美子さんだったので、お互いを「唯一の同期」と言っていて。この20年を一緒に歩んできたような感覚があります。

マンガみたいなエピソード……!

上村 確かにそうかもしれないですね(笑)。私が初めて立ち上げから関わったのは『ばら色の頬のころ』(太田出版)なのですが、この作品から明日美子さんの人気に火が付いてステージがぐんと上がった感覚がありました。絶対に売れてほしいと願っていた作家がどんどん受け入れられて人気になっていく、という過程に立ち会うことができて本当にうれしかったです。

2020年9月からデビュー20周年を記念した「中村明日美子20年展」が開催されていて(池袋・名古屋で開催終了、巡回予定未定)、改めて明日美子さんの原画を見ていると、線の一本一本にまで意識が行き届いているんです。バレリーナは指先まで気を抜かないとよく言いますが、まさにそんなイメージで。その意識が日々の仕事にも表れていて、本当にお忙しいのに、メール一つとってもすぐにお返事をくださるし、丁寧にやりとりされる方なんですよ。仕事に対する姿勢も含めて、明日美子さんから学んだことはとても多いですね。20年間ずっと刺激を受け続けているし、尊敬もし続けています。

中村明日美子20年展 「中村明日美子20年展」メインビジュアル
(c)中村明日美子/茜新社/太田出版/
幻冬舎コミックス/集英社/白泉社/芳文社/リブレ

今日は長年お付き合いされてきた作家との信頼関係について伺いましたが、今後、新しい作家を発掘したり育てていく予定もあるのでしょうか?

上村 長年お付き合いをしている作家さんが次々とすばらしい作品を描いてくださるので、今はその作品を一緒に作っていくので手いっぱいという、うれしい悩みを抱えているのですが……。でも、面白いマンガや気になる方を日々見つけてはいるので、新しい作家さんとも組んでみたいな、こういう企画はどうかな、と考えを巡らせたりしています。

面白いマンガを読んで「やられたー、この作品私が担当したかったよ!」という悔しさを感じることもしょっちゅうで(笑)。世の中には本当に面白いマンガがあふれているなあって、毎日思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:上村 晶さん

上村晶さん

広島県出身。太田出版に入社し、2005年より雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』の編集長を務める。
その後、2014年に独立してフリーランスの編集者となる。
これまで手掛けた作品は、オノ・ナツメ『リストランテ・パラディーゾ』『レディ&オールドマン』、雁須磨子『あした死ぬには、』、河内遙『関根くんの恋』『涙雨とセレナーデ』、雲田はるこ&福田里香『R先生のおやつ』、沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』『春風のスネグラチカ』、志村貴子『どうにかなる日々』『青い花』『淡島百景』『おとなになっても』、中村明日美子『ばら色の頬のころ』『ウツボラ』『王国物語』、古屋兎丸『ライチ☆光クラブ』、よしながふみ『愛がなくても喰ってゆけます。』、渡辺ペコ『1122』など(敬称略)。

Twitter:@akiramame

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ドローンレーサー・白石麻衣「“ちゃんとしたお母さん”でなくてもいいと思うようにする」

白石さんご家族の写真

妊娠・出産を経て、それまで続けていた趣味や、好きなことに割ける時間が減った──という方は少なくないように感じます。中には、育児と趣味や育児と仕事の両立が難しくなり、したかったことを諦めざるをえなくなった方も。ただ、趣味や好きなことを続けることで、仕事や育児へのやる気に還元されることもあるはずです。

CGデザインの仕事と並行して、ドローンを操作しその速さや動きを競う「ドローンレース」の分野でも活躍するドローンレーサー・白石麻衣さんも、好きなことを続ける難しさを経験した方。ドローンに熱中し始めたタイミングで妊娠・出産をし「好きなことをやめなくてはいけないかもしれない」という窮地に立たされた経験があると言います。

2018年にはドローンレースの世界選手権に日本代表としても出場し、活動の場を広げつつある白石さんに、好きなことを続けるためどんなことを家族と話し合い検討してきたか、好きなことを続けたことで自身にどんな変化があったのかなどを伺いました。

※取材はリモートで実施しました

妊娠したことで好きなことを諦めるのは悔しかった

白石さんは2017年末にマイクロドローン(極小のドローン)の飛行会やイベントなどを楽しむコミュニティ「Wednesday Tokyo Whoopers(WTW)」を立ち上げられたと伺いました。これはどうして始められたんでしょうか。

白石 当時はドローンレースのことを知って自分でも練習を始めたばかりのタイミングだったんですが、ちょうど同じ頃に妊娠が発覚して。できる限り練習がしたいと思っていたときだったのに、つわりがひどくて動けない日が増えてきたんです。

大きいドローンって人口密集地域では飛ばせないという制約があるので、練習するためには電車に乗り継いで2時間くらいかけて移動しなきゃいけないんですが、それは厳しいなと……。せめて都内でドローンのことについて情報交換ができたり、小さいドローンを飛ばす練習ができたりする場所があればいいなと思って、「それならもう、自分で作ろう」と考えたのがきっかけですね。

白石麻衣さんとのリモート取材の様子

行動力がすごい……。

白石 というよりも、面倒くさがりなんだと思います。正直に言ってしまうと、何事も、自分で調べてとりあえず試してみるのが苦手というか、遠回りに思えてしまうタイプで。自分よりもはるかに詳しい人がいるんだったら、周りに頼った方が早いなって思うんですよね。

……あとやっぱり、コミュニティを立ち上げたときは、こんなに楽しいのにやめたくない、悔しいという思いが強かった気がします。

悔しい、というと?

白石 いまってSNSがあるから、同時期にドローンレースを始めた人たちの様子もSNSで分かるじゃないですか。周りのドローン好きな人たちの投稿を見ていたら、自分はつわりで動けないけど、みんなは毎週ドローンを飛ばしにいってどんどん上達してるな、自分だけ置いていかれているみたいだな……と感じてしまって。

寂しかったし、いまいちばん熱中している好きなことを一時的にでも諦めなきゃいけない、っていうのがどうしても悔しかったんです。

もっともっと上達したい、というときにブランクができてしまうのは怖いですよね。

白石 そうですね。やめたくなかったから、どんな形でもドローンに関わったり、すこしでも練習をしたりできる環境はあった方がいいなと。

当時は自分が人に教えてもらう場がほしい、という気持ちが大きかったんですが、いまは自分が人に教えたり、周りの人たちがそれぞれ持っているアイテムやスキルをわいわい紹介できる場になりつつあるので、作ってよかったなと思います。やっぱり、気軽に集まれる環境があると、諦めてやめてしまうという選択をする人がすこしでも減ると思うので。

マイクロドローン
手のひらサイズのマイクロドローン。コンパクトな分小回りがきくのだそう

ドローンを続けていくために何度も重ねた家族会議

お話を伺っていると、白石さんはドローンを「続けること」にとてもこだわりを持っていらっしゃいますよね。

白石 そうですね。ドローンもですし、仕事もできるだけ休まず続けたい、と出産前から思っていました。周りの人に「妊娠中なんだから」「小さい子どもがいるんだから」と言われることはときどきあったんですが……。

妊娠・出産の際は好きなことを諦めるべきだという空気は、まだまだ強くありますよね。

白石 出産後すこしたって、夫に子どもを預けてドローンの大会に行ったときも、知らない人からSNSで「子どもがいるのにどうなってるんだ」とメッセージが来ることもありました。家族は幸運にもドローンレースにのめり込んでいく私を応援してくれていたので、気にしなくていいと思えたんですけど。

それでもやっぱり、世間が思うような“ちゃんとしたお母さん”でいなきゃいけないのかなって感じてしまう瞬間はあります。ただ、「うちはうちなんだから」と思うようにしていますね。

ドローンレーサーとして有名になり、ドローンのイベントの企画運営などもされるようになってきてからは、お仕事の比重も変わってきたのではないかと思います。CGデザインのお仕事とドローンの活動、育児でとてもお忙しいと思いますが、バランスはどうとられていますか?

白石 育児に関しては、私も夫も仕事が忙しくてどうにもならない……というときは、ベビーシッターの方をお願いしたり、お金を支払った上で実家から母に来てもらったりしていましたね。いまは子どもが2歳になって、保育園に入れたのですこしだけ楽になったのですが。

実は出産後、夫と何度か家族会議をして、お互いの働き方や育児の負担を調整したんです。

会議ではどんなことを話し合われたんですか。

白石 2018年の秋にドローンレースの世界選手権が中国であって、私が日本代表としてそれに出場することになったのですが、1週間くらい中国に行かなきゃいけなくて……。当時子どもが7カ月で、連れていくべきかどうかですごく悩んだんですよ。

よく聞く話ですけど、夜泣きでなかなか眠れない状況と仕事もできない状況、食べたいものも食べられない状況が重なって、ストレスが最高潮に達していたんです。それで思わず、夫に「いまの仕事をどうにかしてもらうことはできない?」と聞いて。でも、当然ですが、仮に夫が今の仕事を辞めたり、変えたりしたとして、その分減るかもしれない収入をどうしようか、という話になりました。

確かに、お子さんもいると大きい問題ですよね。

白石 そうなんです。私がただドローンをやり続けたいから、と伝えるだけでは無責任だと感じました。なので、「ドローンの仕事が増えていけばその分家計に回せるお金も増えるし、あなたが子どもといられる時間も増える」といったことも伝えて、こまかい話し合いを何度もして。

会議を重ねていく中で、わが家の場合は最終的に夫が当時していた英語の講師の仕事を辞めてフリーランスになる、ということになり、夫に子どもを預けて大会には無事に行けることになりました。

家事や育児の負担はいまは基本的に半々くらいで、私が忙しいときには夫に多めにしてもらう、という形に落ち着いています。

子どもからひととき離れてしまうことに罪悪感を覚える必要はない

やはり、妊娠・出産を機に、いちばんの趣味やずっと好きだったことを諦めたり、一時的に中断すべきかもしれない……と悩まれる方は多いと思います。その選択で悩んでいる方に、もし白石さんからお伝えしたいことがあれば伺いたいです。

白石 後悔をしないためにも、まずは家族や身近な方と話し合いを重ねて、続けるための道を探ってほしいと個人的には思います。

お仕事をされている人は、「いまの自分の働き方だと好きなことを続けるのは無理かも」と考えてしまうんじゃないかと思うんですけど、これまでと違ったスタイルを取り入れられるかどうかを家族に相談しつつ検討してみてもいいんじゃないでしょうか。

私の場合は、CGデザインがずっと机に向かう仕事だったのに対して、ドローンは練習やレースの時間がぎゅっとまとまっている分、完全にフリーにできる時間も多い。だから、ドローンの仕事の比重が増える方が子育てしやすくなるというのも感じていたので、そのあたりも夫とよく話し合いました。

白石さんが所有するドローンたち
白石さんが所有するドローンの一部。サイズや形状もさまざま

お仕事にもよるとは思いますが、いまは勤務形態が選べるケースも多いですしね。

白石 そうですね。子育てをして生活していく上で、やっぱり安定した収入を得られるかどうかって重要だと思うんですが、いまは副業OKな企業も増えてきましたし……。これまでと違ったパターンで働けるか、自分のやっていることをお金にできる可能性があるか、というのを検討してみるのもありだと思います。

それから、中には、出産直後は特に「お母さんは子どものそばについていてあげるべき」「子どもから離れないでいるべき」というプレッシャーで、ちょっとした外出にもためらってしまう方もいます。白石さんは、ドローンの練習やレースなどで家を空けるときどうでしたか?

白石 仮にパートナーが子どもを見ていてくれるとはいえ、自分だけ外出するなんて悪いかなあって確かに思っちゃいますよね……。私の場合は、友人が遠慮せずに誘ったりしてくれることに結構救われました。「旦那さん家にいるんでしょ?じゃあいいじゃん!」って言われると、「そっか、確かに」と素直に思えたりして。もちろん育児の大変さを分かった上で気を使ってもらえるのもすごくありがたいんですが、そういうふうに声をかけてくれるのも助かったなあ、といま振り返ると思います。

自分自身で「ひとときも離れてはいけない」と思ってしまう人ほど、第三者からの声が救いになることもありますよね。

白石 家族環境やさまざまな要因から、どうしても誰かに子供を見てもらうことが難しいという場合もあると思いますし、「自分がすこしでも離れたら子どもは嫌だろうな」って考えてしまう方がいるのも分かります。

ただ子どもの年齢や性格にもよるとは思うんですが、たぶんこちらがあれこれ考えるほど、子どもは状況を分かっていないんじゃないかな。家で寝ているときに「お母さんがいなくて寂しい」とは感じていないと思うので……。

“いいお母さん”とか“悪いお母さん”って他人の価値観でしかないので、子どもや家族の意見を大事にしながら、できるだけ好きなことや息抜きもしてほしいって私は思います。

レーシングドローンのアクロバティックな動きに受けた衝撃

ここまで大好きなドローンを続けるためのことについてお話を伺いましたが、ドローンと白石さんの出会いについてもお聞きしたいです。ドローンと聞くと「空撮用のもの」というイメージがある人も多いと思うのですが、白石さんはドローンにどうやって出会ったのでしょうか。はじめから「ドローンレースに出たい!」と思われていたんですか?

白石 いえいえ。ドローンに興味を持ったのは、旅先で「絶景の映像を空から撮ってみたい」と思ったのがきっかけです。3年ほど前、ドローンが日本でも身近になってきたころだと思うのですが、周りにもドローンを買ってみたという友達がいたり、ドローン片手に世界一周をするご夫妻が話題になったりしていたタイミングでした。それで、「私もやってみたい!」 と思って。

それで、「ドローンがほしい」と口癖のように言っていたら、当時はまだ恋人だったいまの夫が「クリスマスプレゼントにあげるよ」と言ってくれたんです。

おお! うれしいプレゼントですね。

白石 でも、当時ってまだドローンが1体20万円くらいしたんじゃないかな。だから「本当かなあ」と半信半疑でいたら、クリスマス当日に渡されたプレゼントの箱がすごく小さくて。これは「いつかドローン買ってあげる券」とかかもしれないな、と思って……(笑)。開けてみたら、小さいおもちゃのドローンが入っていました。

クリスマスプレゼントにもらったおもちゃのドローン
白石さんがクリスマスプレゼントにもらったおもちゃのドローン

思っていたのとは違った……!

白石 でも、ちゃんとそれにもカメラがついていて、もともとほしいと思っていたドローンよりもゲーム感覚で操作できるようなものでした。ゲーム好きが高じてCGデザインの仕事に就いたという経緯もあったので、「ドローンもゲームみたいで面白いんだな」と最初に感じました。

そこからどんどんドローンにハマっていって、自分で買ったドローンでも映像を撮るようになっていくと、他の人はどんな映像を撮ってるんだろう? と気になってきて。

InstagramやYouTubeでドローンの映像を探していたときに、たまたま見たのがドローンレースで使用するレーシングドローンが撮った映像だったんです。いままで見たこともないようなアクロバティックなドローンの動きに衝撃を受け、これがやりたい! とすぐに思って。

当時、周りにレーシングドローンを持っている方っていたんでしょうか。

白石 いなかったですね。当時はレーシングドローンって日本でまだあまりはやってなかったので、日本語の情報もほぼないくらいで……。ただ、いろいろ調べていたら、どうやらドローンレースの大会なるものがあるらしいと分かったんです。大会に出ている方にインターネットを通じて声をかけたら、「もうすぐ大きな大会が仙台であるから、通訳のお手伝いをしてくれるならレースに招待しますよ」と言ってもらえて。

幸い英語が話せたので大会に呼んでいただき、そこで初めてドローンレースを目にしました。レースに出られていたアメリカ人の女性レーサーがすごく速くて格好よかったことにも衝撃を受けて、自分もレーサーになろうとその場で思ったんです。当時はレースで勝ちたいという思いよりも、映像を撮るスキルの向上にもつながりそうだし、なにより楽しそうだからやりたいという気持ちが大きかったですね。

それからまもなくして「Wednesday Tokyo Whoopers(WTW)」を立ち上げ、翌年には世界選手権へ出場……。わずか数年の間ですごい変化ですね。最後に、白石さんが今後ドローンを通じて叶えたいことがあったら教えてください。

白石 やっぱり、もっと上達していきたいというのはずっと思っています。いざレースの世界に入ってみたら、1位を狙いたいとも思うようになったし……。それから、子どもがもうすこし大きくなって興味を持ってくれたら、一緒にドローンをやりたいっていうのはひとつの夢かもしれません。いまも、ときどきレースの会場に連れていくと楽しそうにしているので、もしドローンが好きならプレイヤー側になってくれたらうれしいですね。ドローンレースの日本チャンピオンって、いま小学生なんですよ。

えっ、そうなんですか!?

白石 子どもはすごく上達が早くて、大人はすぐに抜かれちゃいます。レース用のドローンって時速200kmくらいのスピードで飛ぶので、なにかにぶつかるとすぐにバキバキに壊れてしまうんですけど、1体あたり5万円くらいするんですね。だからなのか、大人は最初、ちょっと怖くてスピードが出しきれなかったりするんですが、子どもはそんなこと構わずフルスロットルでいけるみたいで(笑)。

それは確かに勇気がいりますね(笑)。白石さんは、CGデザインのお仕事も変わらず続けられる予定なんでしょうか?

白石 そのつもりではあるんですが、まだ自分の中でCGとドローンの仕事をどう両立させていくかは検討中、というのが正直なところです。

ただ、家族のためにもできることはすこしでも多い方がいいと思うので、CGの仕事もやめる予定はないですね。これからは、自分が始めたてのときにいろんな人にドローンのことを教えていただいた分、周りの初心者の人たちにもそれをシェアしていければと思うので、ドローンの講師などもやっていけたらいいな、と思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:白石麻衣さん

白石麻衣さん

ドローンレーサー、ドローンカメラマン、ドローンイベントの企画運営、3DCGのデザイナーやディレクター。2017年11月にマイクロドローンコミュニティ「Wednesday Tokyo Whoopers」を立ち上げる。2018年11月にはドローン選手権”FAI 1st World Drone Racing Championship in Shenzhen”にて日本代表チーム初の女性パイロットに選出される。ドローンチームWTW HIVE リーダー。
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今の「当たり前」に流されないために。歴史を通じて自分なりのルールをつくる|はらだ有彩さん

はらだ有彩さんのイメージカット1

昨今、さまざまな領域で変化を起こそうとする動きが活発に起きています。しかし一方で、まだまだ現在の「当たり前」や「常識」に苦しんでる人も多いのではないかと思います。

テキストレーターのはらだ有彩さんは、著書『日本のヤバい女の子』シリーズにて、「おかめ」や「織姫」など昔話に登場する女性たちを「私たちと変わらない一人の女の子」として読み解いていくことで、現代の「当たり前」を捉え直していきます。

今回、はらださんには歴史を知ることがご自身にとってどういった意味を持つのかということを中心に、具体的に昔話を調べる方法や、実際に理不尽な出来事に出会ったときの「抵抗」についてお話しいただきました。今、目の前の「常識」に息苦しさを覚えている人は、歴史に目を向けてみるのはいかがでしょうか。

※取材はリモートで実施しました

「昔はもっとヤバかったんじゃないの?」と昔話に興味を持った

『日本のヤバい女の子』シリーズでは、現代の視点から昔話に登場する女の子たちを紹介されています。もともと本書を書こうと思ったきっかけは何でしたか?

はらだ有彩さん(以下、はらだ) 直接的なきっかけは、新卒で入社した広告代理店での出来事でした。朝の7時に出社して、終電までに帰れるかどうか……というくらい忙しくて、毎日泥のように働いていたのですが、あるとき急にクライアントに「ホテルの部屋に来ないか」と誘われて。

うう……。

はらだ 私としては「えっ! 泥みたいになって働いているのに、いきなり女を求めるの!?」と混乱してしまったんですけど。でも、その後も「媚びを売って契約を取ったんじゃないの?」とか、男性の先輩から突然「今日の夜、俺の部屋に来ないとプレゼンを手伝わない」とか言われたり。しかも、そのことに対して疑問に思っている人も周囲には少ない、みたいな。それで「現代でこれなんだから、昔はもっとヤバかったんじゃないの!?」と、昔話に出てくる女の子について調べるようになりました。

はらだ有彩さん作中カット1 『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』より抜粋

社会人になって感じた違和感が、古い物語に触れるきっかけになったんですね。

はらだ はい。だから、学生時代から昔話が好きだったわけではないんです。古典の授業なんて、ほとんど寝ていて覚えていないし(笑)。ただ、実家が1856年創業のおせんべい屋で、古いものが伝わったり、逆になくなってしまったりするところを間近で見ながら育ったので、「古いもの」自体にはもともと興味があったかもしれません。

同作では昔話をそのまま紹介するのではなく、その背景についても考えを巡らせたうえで、一人の女の子として人物を紹介しています。

はらだ 大いなる意志が突如物語を生み出した、とかでない限り、物語の背後にはそれを生み出し、後世まで伝えてきた人間が必ずいるわけですよね。私は、そこの「人が何かを伝えていくときの思惑」にすごく興味があるんですよ。それは、「こうあるべき」という教訓めいたものであったり、「こうだったらいいのにな」という願望であったりさまざまだと思うんですけど、そこも含めて遡ると見えてくるものがあるのかな、と。

例えば、納豆などでも有名なおかめの昔話を例に挙げると、おかめの夫は大工なんですが、お寺を建設するときに設計ミスを犯してしまうんです。そこでおかめは機転の効いたアイディアで夫を助けるんですが、その後おかめは「夫が妻のアイディアで成功したということが知れたら、彼の名誉に関わるから」という理由で、自死してしまう。

著作でも紹介されていましたが、ショッキングですよね……。

はらだ でも、この伝説は今では「夫婦円満にまつわるいい話」として伝わっているんですよね。私はやっぱり「おかめ、本当に死ぬ必要あった?」と思ってしまうし、できることならおかめと話してみたかったとも感じる。

だから、『日本のヤバい女の子』では、昔話をただ鵜呑みにするのではなく、その背景にも思いを馳せて、現代の視点から紹介したんです。だから想像の部分も正直大きい(笑)。でも、そうやって自分に引き寄せることが、今の時代を彼女たちと一緒に考え直すことにつながるかもしれないと思うんです。

目の前の「モヤモヤ」から逆引きする

おかめ以外にも、同作にはさまざまな葛藤や苦しみを持った女性がたくさん登場します。具体的にどのように昔話を調べているんですか?

はらだ 基本的には逆引きなんです。まず最初に現在の悩み事や納得できないモヤモヤがあって、そこからヒントになるような物語を探していく。

先に物語があるわけではない。

はらだ はい。例えば、著作では「有明の別れ」など「女性と結婚した女性」の話をいくつか取り上げたんですが、これは女性の友人が「どうして好きな女の子と結婚できないんだろう?」と話していたことがきっかけなんです。きっと目の前にいる友人が抱えているモヤモヤと同じものを昔の女性も感じていて、それに関する話も残っているはずだと。

『日本のヤバい女の子』書影 『日本のヤバい女の子』『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房)

目の前のモヤモヤのヒントを探すために歴史にあたるわけですね。もう少し詳しくお伺いしたいのですが、抱えている悩みがもっと漠然としてモヤモヤしている場合もあると思います。そういうとき、はらださんはどのように昔話を探せる状態まで落とし込んでいくのでしょうか。

はらだ トヨタ自動車の問題解決のフレームワークとして知られる「なぜなぜ分析」じゃないですけど、モヤモヤに対してひたすら「なぜ?」「なぜ?」と突き詰めていくんです。例えば、仮に悪口として「ブス」と言われたときに、そもそも「なぜ、顔はかわいくないといけないんだろう」と考える。

すると、「女性の評価基準が外見に比重が置かれているから」「外見に比重が置かれているのは、若さに価値があるとされているから」「若さに価値があるとされているのは、かつて若い女性だけが妊娠、出産に適しているとされていたから」みたいにどんどん仮説が積み上がっていく。もちろんそれが間違っている可能性もあるのですが、ここまで来ると「妊娠」「出産」というキーワードがあるので、かなり調べやすいですよね。

なるほど。自問自答を繰り返し、モヤモヤを分解していくのがコツなんですね。

はらだ そうですね。私の場合は友人と「なんでだろうね?」と喋っているうちに考えが深まっていきますし、一人で紙に書いているうちに思考が整理されるという方もいるかもしれません。

実際に昔話を探すときは、どうしているんですか。

はらだ 基本的には、図書館でキーワードに近い全集を片っ端から読んでいったりとか(笑)。あとは地方自治体のホームページに「地域の民話コーナー」みたいなページがあったりするので、そういうところを見ることも多いです。

大変そうと思われるかもしれませんが、私のなかでは昔話を調べることは、たくさんの人が歩いているなかから、自分と話が合いそうな人を見つけて呼び止めるみたいな感覚で。だからけっこう楽しいんですよ。

歴史を知ることが自分なりの文脈をつくり出してくれる

同シリーズを通じて、はらださんはさまざまな昔話にあたられてきたかと思います。改めて、はらださんにとって歴史を知ることは、どのような意味を持つと感じますか。

はらだ 目の前のことに流されず、自分なりの文脈や理由をつくり出す一つの手段になるんじゃないかな、と思っています。最新刊の『百女百様 〜街で見かけた女性たち』でも少し触れたんですけど、例えば会社にミニスカートをはいていくと、「今日は何? デート?」とか、「なんか今日、セクシーだね」みたいに言われたりすることってありますよね。

不本意ですが、そうですね……。

はらだ でも、ミニスカートってそもそも新時代の象徴として出てきたものなんです。1960年代のロンドンで、それまで長いスカートをはかないといけないとされていた女性たちが自発的にスカートを短く切ったことに始まり、それが後にファッションとして取り入れられた。だから、単純に「足が出てるからエッチ」みたいな見方は現代特有のものですし、逆に「新しいことにチャレンジするぞ!」という気分のときにはいても全くおかしくないのかな、と。

歴史を知ることは、なんとなく「そうなっているから」ということに対して、そういう自分なりの文脈をつくる材料を提供してくれると思います。

『百女百様 〜街で見かけた女性たち』書影 『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)

確かに、今のミニスカートに対する見方しか知らないと「うっ」となってしまうようなときも、歴史を踏まえていれば踏みとどまれる。

はらだ はい。その場で「いや、歴史的にはこうだから」と言い返せなかったとしても、心のなかでそう思えるだけで楽になるというか。だから『日本のヤバい女の子』2冊目の副題には「静かなる抵抗」と付けたんですが、それは何か理不尽な出来事に出会ったとき、その怒りや抵抗の方法は一つじゃないよ、ということを伝えたかったんです。

例えば、佐賀県に伝説が残っている松浦佐用姫は、恋人との別れを悲しんで泣き続け、最終的にとうとう石になってしまうんです。別に彼女は暴れたり、人を殺したりはしていないけれど、石になってこの世に留まり続けることで「恋人と一緒にいられない世界」に対して静かに怒って、抵抗している、とも言える。

物言わぬ石になってまで永遠にそこにい続けるわけですから、強い意志を感じますよね。

はらだ それと同じで、何か理不尽な出来事に遭遇したときは、「抵抗」の定義を広くするのが良いと思うんです。別に何かを言われたときに黙っていたからといって、それが相手を受け入れたことにはならない。松浦佐用姫みたいに「嫌だな」とジッと存在しているだけでも、ちょっとTwitterでつぶやくだけでも、それは一つの「抵抗」になるんじゃないかと思います。そうするとできることが増えるから。

いつの間にか「従ってしまっていた」にならないために

先ほどの「抵抗」は何か実際に言われたときのことを想定していました。一方で、いつの間にか常識や当たり前に「従ってしまっていた」ということもあるかと思うのですが、はらださんが普段から意識されていることはありますか?

はらだ やはり、一つは「本当にそうなのか?」と問い続けることです。すごい呑気な例なんですけど、前に一度取材していただく際に編集者さんが同行してくださったんですよ。そうしたら、けっこうかっちりした場なのに、めちゃくちゃラフにビーサンをはいていて(笑)。

まさかの……!

はらだ 最初は「ビーサン…ですか…?」とモヤモヤしたんですけど、いろいろと考えた結果、私はこの人にビーサンを脱がせられる確固たる理由が説明できないなと思って。もちろん、「普通は履きませんよね」と常識を盾にすれば言えるんですけど、それはしたくない。だから、「決まりだから」で済ませず、常に問い続けるということは意識しているかもしれません。

あともう一つは、自分のなかにルールをつくることです。例えば、私の今日のファッションテーマは「蛇の魔術師」なんですけど(笑)。仮に誰かに「今日はデート?」みたいに声をかけられても、こっちには「蛇」っていう確固たる軸があるからどうでもいいと思えるというか。外部の圧力やノリみたいなものから逃れるためには、自分のなかにルールや文脈をつくるのが良いんじゃないかと思うんです。

はらだ有彩さんイメージカット2 アクセサリー類は全て蛇がモチーフになっている

確かに自分なりの軸があれば、周囲の声に左右されなくなりますね。

はらだ そう思います。そして、これらのことを意識するうえで有効な材料を与えてくれるのが、私にとっては歴史を知るということなんだろうと思います。もちろん、最初にお話しした通り、歴史には「思惑」も入っているはずで、全てに従う必要がないのは当然ですが、自分の基準で物事を考える材料として歴史を使ってみるというのも良いのではないでしょうか。

取材・文:芦屋こみね
編集:はてな編集部

最新刊『百女百様 〜街で見かけた女性たち』発売中

『百女百様 〜街で見かけた女性たち』書影

発売中 / 1,500円(+税) / 内外出版社刊

好きなように装い、自由に生きていく!

東京の道端で、大阪の喫茶店で、ハワイのエレベーターで、青島の海辺で、パリの地下鉄で……、
さまざまな場所で見かけた女性たちとその装いを、はらだ有彩が独特かつ繊細で美しい文章とイラストで描く。
さらに特別編には、漫画家でエッセイストの瀧波ユカリさん、
東京喫茶店研究所二代目所長の難波里奈さん、作家の王谷晶さん、タレントで文筆家の牧村朝子さんが登場。
さまざまな女性、一人ひとり違う装い、それぞれの美しさや良さに力づけられる一冊です。

お話を伺った方:はらだ有彩さん

はらだ有彩さん

関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストを作る"テキストレーター"。2018年4月に『日本のヤバい女の子』、2019年8月に続編となる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房)を刊行。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》代表。ウェブメディアなどでエッセイ・小説を連載中。

Twitter:@hurry1116

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メイクやスキンケアは、自分が心地よくできる範囲でやればいい──漫画家・六多いくみさん

六多いくみさんの既刊

外出自粛の生活で、仕事もテレワークにシフトする中、人と顔を合わせる機会が減り、これまでしていたメイクやスキンケアに対するモチベーションが湧かなくなってしまったという方は多いはず。「人に見せないならしなくていいかな……」「マスクで見えないから最低限にしよう」と、メイク自体をやめたり、かける時間を減らすようになった方もいるでしょう。

そんな中、『カワイイ私の作り方』などの作品で知られる元美容部員で漫画家の六多いくみさんは、「ひきこもりコスメ」と題し、家での最低限のメイクに役立つ時短アイテムや、時間があるいまだからこそ練習したいメイクテクなどをTwitterで紹介しています。

自身のライフステージが変化する中で「自分にとっては、メイクの時間は最大のご褒美だったと気付いた」という六多さん。出産を経てのメイクや美容に対する思いの変化や、おうち時間の気分転換におすすめのメイクやスキンケア、Web会議にもおすすめの時短でキレイに見せられるメイクテクなどについてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

自分にとってのメイクやスキンケアの優先順位は、人それぞれ

外出自粛が続く中で、メイクや美容に手をかけるモチベーションが湧かなくなってしまった……という方が周りに増えているのを感じます。六多さんから見て、この期間に世間のメイクや美容に対する意識が変化したように感じますか?

六多いくみさん(以下、六多)「マスクをしてるからこそ、崩れないしっかりしたメイクがしたい」という人と、逆に「マスクで隠れるから最低限のことだけすればいいや」という人に分かれている気がしますね。私はどちらかというと、マスクしてるし手を抜いちゃお、っていうタイプなんですが。

家にいる時間が増えて、メイク自体を日常的にしなくてもいい環境になった人も多いですよね。基本はすっぴんで過ごして、Web会議のある日だけはメイクをする、といったこともありそうです。そんな中で、いざメイクをしなくなったらすごく気が楽になったとか、「じゃあ自分って何のためにメイクしてたんだろう?」と考えるようになった、という声もポツポツと聞いたりします。

六多 いざメイクをしなくなってみたら、自分にとってメイクがけっこうな負荷になっていた……と気付いた方もいらっしゃると思います。でもそれって、自分にとってメイクよりも大事なことがあったんだと気付けたということですよね。自分が楽でいたり気を抜いていられる方がいいと気付けたのは、いいことなんじゃないかって個人的には思います。

例えば、朝起きたときに「スキンケアをするかしないか」っていう選択肢があったとして、化粧水くらいは付けたいっていう方もいれば、それ以上の丁寧なケアをしたい方もいるし、特にケアはせずに他のことに時間を割きたいっていう方もいる。そういう選択にいま一度向き合ってみると、「あ、自分はここまでやればいいのか」というのが見つかるんじゃないかなって。

『カワイイ私の作り方』1(日本文芸社刊)
『カワイイ私の作り方』1(日本文芸社)
メイクやスキンケアにかける労力や優先順位って、人によってばらばらですもんね。

六多 本当にばらばらで、そもそも美容に全然興味がない人もいれば、メイクはそんなにこだわらないけどネイルはいつもキレイにしていたいっていう人もいるんですよね。だから、もし自分の中で「これだけは譲れない」みたいなところがあればそこを重点的にケアしていけばいいと思いますし、なかったとしてもそれをマイナスに捉えず、自分の中の望みの純度みたいなものを高めていけばいいんじゃないかなって思います。

“快適”は人によって違うので、その人にとっての快適を探していけたらいいですよね。同じ人の中でも、日によってモチベーションってばらばらだったりもしますし。

確かに。普段は適当なのに、今週はなぜかスキンケアがすごくしたい、というタイミングが時々きたりします……。

六多 分かります! 年に何回かくるんですよね、急に美容のモチベーションが上がる日が。

育児を経験して、メイクしていない自分も褒められるようになった

六多さんご自身は、もともとはメイクや美容に疎い方だったと作品に描かれていますよね。社会人になってから美容部員さんにメイクしてもらって、自分の顔の印象がぱっと変わったのがきっかけでメイクにはまった……と。

六多 そうなんです。顔の印象もなんですが、それ以上に、メイクにはまったことでマインド面が大きく変わったなと感じます。それまでは自分がメイクなんて……と卑屈になっていた部分もあったんですが、いざメイクで自分をちょっと変えてみたら「あっ、かわいくなれるんじゃん」と気付いて、それまで踏み出せなかったことに挑戦できるようになった経験が、とても大きかったんですよ。

『カワイイ私の作り方』2(日本文芸社刊)
『カワイイ私の作り方』2(日本文芸社)

そのころすでに漫画は描いていたんですが、ちょっと停滞ぎみだったので、メイクにはまったことでようやく伝えたいものができたというか……。いま振り返るとおせっかいだなとも思うんですが、キレイになる方法を知ったら人生が楽しくなった、という経験を自分自身がしているので、やっぱりそれを漫画で伝えたいと思ったんです。

確かに六多さんの作品には、メイクを通じて見た目だけでなくマインド面でも変化していくキャラクターが登場しますよね。例えば『カワイイ私の作り方』では、「自分にはかわいげがない」とあきらめている主人公の浅黄秋が、自分が最も苦手とする“キラキラ女子”の蒼井春乃と出会い、変化していく様子が描かれています。

六多 「自分はどうせかわいくないから」という殻に閉じこもってしまうと、本当はできるはずのこともできないと思っていて。そこから一歩踏み出してみようよ、というのを伝えたかったんです。

……あ、ただ、昨年子どもが生まれて育児が始まったので、最近はその考えも自分の中で少しずつ変化してきてるんですよ。

というと?

六多 やっぱりメイクって“装飾”なので、どれだけ楽なメイク、手のかからないメイクって言っても、手間はかかるじゃないですか。メイクで変わる自分を楽しみたいけれどその余裕がないという人がたくさんいることを、やっぱり自分が育児を経験して知ったというか。

だから、これまでは変化を肯定するような作品が多かったんですけど、まずはそのままの自分をいったん受け入れる方法をどうにか模索していきたいな、みたいなことを、いまは考えています。私自身、メイクすることで自分の肯定感を上げていた部分が大きいので、時間がなくてメイクが全然できなくなったらちょっと落ち込んでしまって……。

自分はメイクを通じて変わったと思っていたけれど、やっぱりまだ自信のなさが根底にあったんだなって気付いたので。

なるほど……。現時点では、六多さんにとって「そのままの自分を受け入れる方法」ってどんな方法なんでしょうか。

六多 育児がえらい、と言いたいわけではないんですけど、いまの自分にとってはやっぱり子どもが毎日安全に暮らせるように見守るということがいちばん重要なんですよね。そんなに大切なことをいましているんだから、メイクやスキンケアが全然できなくても仕方ないし、むしろ「今日は子どもと遊ぶだけじゃなくてちょっとだけスキンケアもできた!」という気持ちに変えていきたいなと思っていて。

育児に限らず、いま自分にとって大事なこととか熱中していることに時間を注いでいる方は、他のことができなくなってしまっても、自分を責める必要はまったくないと思うんですよね。当たり前のことなんですけど……。ちょっとずつそうやって、自分を褒める癖を付けるようにしています。

最近の六多さんのメイクポーチ
最近の六多さんのメイクポーチ

年齢とともに変化した、自分にとっての「メイク・美容」という存在

話は少し変わりますが、六多さんの作品を拝読していて個人的にいちばん驚いたのが、「メイクをするときは小さな鏡ではなく、全身鏡や大きな鏡を使うといい」ということでした。確かに全身鏡を使うと、顔だけじゃなく全体のバランスが見える! すごい! と思って。

六多 私、それに気付いたのが、デパートで美容部員をしていた時だったんです。デパートってエスカレーターの横とか柱とか、いろんなところが鏡張りになってるじゃないですか。それでふと、「あれ、鏡で遠くから見るといい感じのメイクのときと、そうじゃないときがあるぞ……!?」と気付いた日があって。

小さい鏡をずっと見ていると、自分の細かいコンプレックスばっかり気になっちゃうんですよね。でも、歳を重ねてきたらもう、多少シワやシミがあったってしょうがないし、そこばっかり見ててもしょうがないなと思うようになってきて。

あんまり細かいところにこだわったり、まったくの別人になろうとしたりするよりも、自分自身の素敵なパーツを探した方がいいっていう考えの方が、同世代のメイクアップアーティストさんにも多いんですよね。

『メイクはただの魔法じゃないの テクニック』(講談社)
『メイクはただの魔法じゃないの テクニック』(講談社)
六多さんも作品の中で、あるときから「別人を目指すのではなく、自分の顔立ちや印象を生かしたメイクをしたいと感じるようになった」と書かれていましたね。そういうふうに思われるようになったのは、いつごろからなんでしょうか。

六多 30代半ばを過ぎたあたりからだと思います。そのころ、ちょうどファッション誌やコスメ雑誌を前ほど読まなくなってきて、「モデルさんは素敵だし憧れるけど、やっぱり一般の人とはかけ離れてキレイだからあんまり参考にならないな」と思うようになって……。同じころに、自分が最初にメイクを好きになったきっかけにDiorのショーがあったな、と思い出したりもして、自分に似合うものとか自分が本当に好きなものを追求していった方がいいんじゃないか、と少しずつシフトしていったんです。

30代まで続けていたメイクを変えるのって、けっこう勇気がいったんじゃないでしょうか。

六多 そうですね。メイクに限らず、ファッションも20代までは系統がけっこう今と違って、コンサバ系だったんですよ。私が美容部員をやっていたのって20代後半くらいからなんですが、そのころ周りに「コンサバが似合うね」って言われたのがうれしくて、ずっとコンサバっぽいスタイルをしていたんです。

パーソナルカラー診断とかもたぶん同じで、他人が見て「あなたにはこれが似合います」というものを一つ知っておくのはいいことだと思うんですよ。でも、それだけでは満たされなかったり、飽きてきたりしてしまう部分もあるじゃないですか。

私自身もそのくらいの年齢の時に「本当に自分が好きなメイクってなんだっけ?」「私って本当にコンサバ系のファッションが好きなんだっけ?」と考えたんです。今思えばその作業が、私には必要だったんだろうなと思います。

あらためて、いまの六多さんにとってメイクや美容に向き合う時間ってどういうものですか?

六多 いまとなっては、メイクや美容の時間って私にとって最大のご褒美だったんだな……と思います。子どもというコントロールできない存在と毎日対峙しているので、例えば「自分の時間を大事にする」みたいな記事って読むだけでイライラしちゃったりするんですよ。それができたらやってるって! と(笑)。

でも、久々に子どもが保育園に行ってくれた日はゆっくりとメイクができて……それだけで本当に楽しいなって思えたんです。



育児をする中でのメイクとの向き合い方について、Twitterで発信した内容が話題に

家にいる時間が長いからこそ、自分のためのメイクや美容で気分転換

六多さんが育児に追われる中で「たまにメイクできたときの達成感」を感じておられるように、メイクは気分転換させてくれたり、達成感をもたらしてくれる面もありますよね。家での時間が長くなっている今、自分のためにメイクやスキンケアを楽しむ上で、おすすめのものはありますか?

六多 お仕事中や外出時に基本はマスクを外さないけれど、「メイクしてる感」を手軽に出したい方だったら、目の周りをファンデーションではなくコンシーラーで仕上げてみるのがおすすめです。目の周りがキレイだと、それだけで肌ってキレイに見えやすいんです。こめかみから目の下にかけてはニキビができにくかったり、毛穴もあんまり目立たなかったりするパーツなので、もともとキレイな人が多いんですよ。だから、そのあたりにファンデよりカバー力の高いコンシーラーを軽く付けるだけで、意外としっかりとメイクしている感が出ます。

なるほど! Web会議の日にすっぴんは嫌だけど、そんなにしっかりメイクするほどでも……というときにも使えそうですね。

六多 そうですね。あと、あまり人に会わないからこそ、普段はしないメイクに挑戦しやすいと思います。例えば、普段のメイクに眉マスカラやカラーのアイライナーをちょい足ししてみるのもいいと思います。いまってナチュラルメイクが主流なので、カラーのアイライナーでもどぎつい色は少なくて、慣れてきたら日常使いもできそうなものが多いんです。この機会に黒やブラウンじゃないアイライナーを買ってみて、練習してみても楽しいと思います。マスクをしていても目立つパーツですし。




メイク以外のスキンケアなどでも、いまだからこそおすすめしたいものはありますか?

六多 これまでよりもお風呂の時間を長めに取れるようになったなら、頭皮ケアをおすすめしたいです。パドルブラシとか頭皮専用の角質ケアブラシとか、いま頭皮ケアのアイテムってすごく増えていて。頭皮と顔って一枚の皮でつながっているので、頭皮をケアしていくと血行や代謝がよくなって、全体的にキレイになれるなと感じます。ヘアブラシで頭皮マッサージをして、普段よりも丁寧にコンディショナーを付けてみたりすると気持ちいいですよ。むしろ自分がいま育児で全然ゆっくりお風呂に入れていないので、めちゃめちゃ頭皮ケアしたいです。

六多さん愛用のAVEDA「パドル ブラシ」とETVOS「リラクシングマッサージブラシ」
六多さん愛用のAVEDA「パドル ブラシ」とETVOS「リラクシングマッサージブラシ」
そうですよね……!

六多 それから、いまだからこそできることで言うと、コスメやスキンケア用品の容器を自分のモチベーションが上がるものに変える、とかもいいんじゃないでしょうか。自分の経験から言って、スキンケア用品って、開けたり閉めたりするのが面倒なものだとだんだん使わなくなっていくんですよ。だから、自分が快適だったり、かわいいと感じるものに変えてみたりすると、毎日ストレスなく使えるんじゃないかなと思います。

あと、スキンケアって、なんとなく自分のことを大切にしているような気持ちになれる行為だと思うんです。例えば「メイクに興味はあるけど、自分がやってもな……」と踏み出せずにいる人には、まずは洗顔やスキンケアの基本から始めてみるといいかもしれません。泡をしっかり立てて、肌をこすらずに顔を洗うだけでも、いつもより自分を大切にしているような気がすると思います。

確かに、丁寧にスキンケアをしたとき特有の満足感ってありますよね。

六多 そうなんですよ、「こんな忙しいのにこんな丁寧に洗顔しちゃったよ、自分……!」みたいな。なかなか踏み込めないという人は、まずその楽しみや気持ちよさを知る、というところから入っていくといいのかなと思います。時間と気持ちに余裕があるときにそういうスキンケアをするようにしてみると「次は日焼け止めも塗ってみようかな」とか、もしかしたら思うかもしれないですから。

もう少し興味が出てきたら、軽いベースとフェイスパウダーに手を出してみたり。いまって時短のアイテムがすごく増えていて、BBクリームだけでも簡単に肌がキレイになるので。それで、もしうれしかったりテンションが上がると感じたら、次は眉毛をやってみよう、とか。スキンケアの延長みたいなメイクから始めていくと、初めての人でも挑戦しやすいんじゃないかなと思っています。

CANMAKE「シークレットビューティーパウダー」とSUGAO「シフォン感パウダー」
CANMAKE「シークレットビューティーパウダー」とSUGAO「シフォン感パウダー」

もちろん、全員が全員メイクを楽しまないといけない、ということではまったくないんですよね。人から身だしなみを整えることが強制されない空気の中で、メイクをしたい人はすればいいよね、という社会になるのが、本当はいちばんいいなと思っています。

そんな中で、以前の私のように「実はメイクをしてみたいけど怖い、踏み出せない」という人もまだたくさんいると感じるので、これからもっといろいろなアプローチで、メイクの楽しさを伝えていきたいと思いますね。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:六多いくみさん

六多いくみさん

元美容部員の漫画家。代表作に『カワイイ私の作り方』(日本文芸社)『メイクはただの魔法じゃないの ビギナーズ』『メイクはただの魔法じゃないの テクニック』(講談社)『リメイク』(マッグガーデン)など。

Twitter:@rottaik Instagram:@rottaik_insta

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他者との関わりを通して自分のことも知る──『ほんのちょっと当事者』著者・青山ゆみこさん

『ほんのちょっと当事者』

インターネットが情報収集の中心になり、自分に関心のある領域以外をあまり追わなくなった、という方は多いのではないでしょうか。もちろん、日々快適に暮らしていくために情報の取捨選択は大切ですが、一方で自分の世界に閉じてしまうことは、ゆくゆくは自分の首をしめることにもつながりそうです。

フリーライター・青山ゆみこさんは、著書『ほんのちょっと当事者』(ミシマ社)にて、親の介護、児童虐待、性暴力、障害者差別──といった一見すると自分と無関係に思えるさまざまな問題を徹底的に「自分ごと」(当事者)として捉えていきます。

他者との積極的な関わりを通して、さまざまな社会問題をぐっと身近に引き寄せ続けてきた青山さんに、自分のことを「当事者」と捉える姿勢がどのように生まれたかや、他者と関係をつくることへの考え方などについてお聞きしました。

※取材はリモートで実施しました

「あ、私いま介護問題の当事者だ」と気付いた瞬間

改めて、『ほんのちょっと当事者』を執筆されたきっかけを教えてください。

青山ゆみこさん(以下、青山) もともとは「影響を受けた女流作家のエッセイを通じて、女性の自由な生き方について考える」という連載の予定で、当時頭にあったのは「母のようには生きたくない」ということだったんです(笑)。ひどい話ですが、昔気質な父に対して常に従順な妻として生きてきた母のことをあまりよく思えなかった。

ただ、いざ書こうとしたその矢先に、母の肝疾患が進行してしまって。さすがに病魔に蝕まれて心身ともに苦しんでいる母のことを否定するようなエッセイは書けないと、執筆できなくなってしまったんです。

確かに、それは書きづらいですね。

青山 けっきょく母はその翌年に旅立ったのですが、看取りは想像以上につらい経験で。母を見送った直後はもう誰にも会いたくないし本も読みたくない、という精神状態だったのですが、今度は残された父の介護という現実問題がすぐにドーンと目の前にきまして。

生前は、お母様がお父様の介護をされていたんですか?

青山 そうですね……。母は人に頼ることを嫌がるタイプだったし、父も父で、母以外の人には頼らないという態度でした。けど、母がいなくなって初めて、彼女が抱えていた父の介護というのがどれほど大変なことだったかに気づかされました。

青山ゆみこさん

脳梗塞で半身が麻痺している父を前にして、私は本当になにもできなかった。車椅子のたたみ方さえ分からない。だから介護のことを少しでも知りたいと思って、介護の入門資格である介護職員初任者研修を受け始めたんですが、そのときにふと「あ、私いま介護問題の当事者だ」と気付いて。

なるほど。

青山 これまでどこか他人事だったのに、いきなりふっと介護問題の当事者になった。その後、少しずつ介護や社会福祉制度にまつわる知識を身につけていくと、これまでに本やニュースで見た介護にまつわる話がとても身近かつクリアになっていく感覚があったんです。

それで、介護問題に限らず、個人的な話をしつつもその延長線上にある社会問題について触れていくようなエッセイを書けば、読者の方にもその問題を考えるきっかけにしていただけるかな、と書き始めたんです。

他者との関わりを通して「自分」を知る

著書には、たまたま目にした新聞記事をきっかけに裁判所に足を運び、裁判の傍聴をしたエピソードなども書かれていましたよね。自分と直接的に関係のない裁判に足を運ばれるなんてすごい行動力だ……と驚いたのですが、どうしてその事件が気にかかったんでしょうか。

青山 うーん……衝動に任せてでしたね。その裁判はネットカフェで出産した男児を窒息死させてしまった母親の初公判だったんですが、30歳近い女性が妊娠し、もう出産するしかない時期に入っていたことに気づかなかった、と供述していることに驚きと違和感を覚えて。正直に言えば、最初は「どんな人なんやろ? 顔でも見てやろう」みたいな、反感からくる好奇心もあったと思います。

でも、その裁判に3日間通ってみると、事件の背景には女性の貧困や親からの心理的虐待といった問題がたしかに存在することに気づかされました。考えてみると、特に女性の貧困問題というのは私や私の母にとってもまったく他人事ではなかったはずで。

というと?

青山 私はいま結婚していますが、仮に勤め人である夫と別れてひとりでフリーランスとして食べていけるかと言われたら自信がないし。母のことにしたって生前、父に抑圧されながら母親業をしていた部分も正直あったと思うのですが、一度も社会に出て働いたことがなかったから、経済的な面で婚姻関係に縛られた部分があったのではないかとか。

やっぱり女性が一人で生きていこうと思うと男性よりも大きなハンデを背負ってしまうところがあって。裁判の傍聴を通して、特にその部分においては他人事ではいられないというか、強い怒りを覚えました。

青山さんは一見すると自分とは距離のありそうな人にも積極的に会いにいったり、声を聞いたりしようとされていますよね。知らない人と関わるのは、ときに負担や面倒が増えることでもあると思うのですが、人と関わることは昔からお好きでしたか?

青山 子どものころって友達と手紙の交換をやたらするじゃないですか。私、大学生くらいのときも1日10通は手紙のやりとりをしてて(笑)。

考えてみると、手紙の内容ってだいたい相談ごととか困りごとなんですよね。口では言えないことも手紙だと書ける、みたいな。いろんな友人・知人との間でそんなやりとりをするのが日常だったので、人って人に気軽に相談するし、されるのも当然という感覚がそのころからあった気がします。

すごく素敵だと思う一方で、自分のコンディションによっては人と関わるのが面倒と思うときや、相談に乗るような余裕がないときもあるんじゃないかな、と思うのですが。

青山 あ、それはもちろんありますよ! 例えば私は個人でオンラインの文章添削講座を開いているんですけど、受講者の方の書かれた文章の背景を聞くためにその方とメールのやりとりを重ねていくと、みなさんそれぞれにいろんな事情や悩みを抱えられていることが分かってきたりします。それは決して「面倒」ではないけれど、わりと心を持っていかれることがあります。

そうですよね。

青山 でも、この人のお話を聞いてどうして私はこんなに心が揺れるんだろうとか、感情が粟立つんだろうとか、そんな疑問とも向き合いながらお話を聞いているので、完全に「聞くだけ」の作業ではないんですよね。

もちろん、そうなるとたくさんの人とは難しいので、毎回10名って限定させてもらっているんですが、そのくらいの人数であれば、お互いのことを深く知るようなやりとりをさせていただくのはとても楽しいです。

もしかすると、他者とのそういったやりとりを通じて、私は自分のこともすこしずつ知っていっているのかもしれません。

自己破産やおねしょ、性暴力の体験を語ること

「顔でも見てやろう」的な好奇心もあったとお話しされていましたが、青山さんはそのようないわゆる綺麗ごとではない気持ちも隠さずにエッセイに書かれていますよね。そのことも他者と関わっていくために重要かなと思ったのですが。

青山 私の場合、何かに悩んだとき、書かないと前に進めないタイプなんです。20代の頃は悩みから逃げてしまうことが多かったのですが、それだとあとあとしんどくなるなということに気付いて。それからは何かモヤモヤしたときにはまず書いてみる。

本では自己破産しかけたときの話とかも書いていて、「恥ずかしくないの?」って聞かれたりもするんですけど(笑)、鈍感なのか、自分のことを書くのはわりと平気なんです。ただ、なぜか中学のころまでおねしょをしてたって話はすごく恥ずかしくて、今回やっと書けた部分はあるかもしれません。

おねしょの話がそこまで恥ずかしかったというのは、どうしてなんでしょう?

青山 たぶんおねしょって、コンプレックスとしてもあまり大声でトピックにあがらないじゃないですか。飲み会で「昔あがり症で」って話はあっても、「昔おねしょがなかなか治らなくて」って話はわざわざあがらないみたいな……。だから40代後半になるまで、心のなかにどろどろとした澱(おり)のようなものが溜まっている感じがあったんです。

でもいまさらカウンセラーの方に話すのも違うし、症状としては治っているので泌尿科に行っても意味がない。こうなったら書いてみよう、と連載の中でおねしょの話をしたら、「私もでした」っていう声がたくさん届いたので驚きました。語れないままで抱えてる人ってこんなに多いんだ、と。

青山ゆみこさん

たしかに、人に言うことができないまま自分の中に蓄積されていく問題ってありますよね。青山さんのようにその口火を切ってくれる方がいるのは、とてもありがたいことだと思います。

青山 過去の性暴力被害について書いたときも、すごく多くの人から声をいただきました。そういう声をいただけると、文章を通して自分のことを受け入れてもらえているのかなと思えますし、そこから他者との間に新たな対話が生まれるとしたら、それはうれしいことですよね。

「あの人あれはできないんやな」を認め合う

先ほど講座の受講者を10名ほどに限定されているという話もありましたが、他者と関わる上で出会った人全員と深い交流を持つというのは、当たり前ですが難しいと思います。青山さんは20代、30代のときは会社員をされていたそうですが、職場の人とはどんなふうに関わっていましたか?

青山 基本的には親との関係が悪かったので、それと比べればどんな人も私のことを受け入れてくれている、っていう考え方だったんですよ(笑)。だから、職場の人と関わるのも楽しいことが多かったです。

なるほど……! ただ、中にはこの人だけは本当にどうしても苦手、という方もいると思うのですが。

青山 いますよね。でも、職場という環境に限定して言うなら、業務上の関係性さえつくれれば、それ以外の関係性はあとから勝手についてくるんじゃないか、と思います。

嫌な相手かもしれないけど、どうしてもその人と一緒に働かなくてはいけないとしたら、業務を滞りなく終わらせるのが大目的だということをお互いに認識しておくのがいちばん大事ですよね。

たしかに、人間関係をよくするために職場に行っているわけではないですもんね。

青山 たまに「まずは相手を信頼することや。仕事なんかあとからついてくるもんや」って言う方いますけど、逆だと思います。先に仕事抜きで信頼関係をつくろうとしてもあんまりうまくいかないことが多いんじゃないかな……。

まずは仕事さえうまくいけば、あとから人間関係や信頼も勝手についてきたりするんじゃないでしょうか。

なるほど、とても納得します……。最後にお聞きしたいのですが、本の終盤に、「自分自身もまた面倒な存在だと自覚するようになった」と書かれていましたよね。外に世界を広げていくために重要な気付きのように思ったのですが、青山さんがそのことに気付いたのはなぜでしょうか?

青山 いま、職場での人間関係は基本的に楽しかったと言ったんですが、実は私ミスが多過ぎて周りからめちゃめちゃ怒られてたんですよ。新卒入社のアパレルの会社で事務をしていたとき、生地を一反買いして伝票を計上するのに、例えば「150万円」の生地を「1500万円」って書いたりして、月末の棚卸しで全然合わない(笑)。先輩が「青山またお前か!」と。

……それで、助けてもらうことが増えるにつれて、周りがだんだん私を信用しないという方向にシフトしていくんですね。「青山には無理だからそれは俺に回せ」と。結局、事務仕事が無理だからと、デザイナーに異動させられたんです。服を作る方がこいつは使えそうだっていう上司の判断で。それがすごくありがたかったし、そういう経験を通して自分もまた面倒な存在だなと自覚していったのかなと思います。

申し訳ない、というよりもありがたかったんですね。

青山 そうなんです。例えばなんですが、うちは夫が本当に片付けが苦手なタイプで。結婚当初はそれでずっと喧嘩ばかりしてたんですけど、もうどうやっても片付けられないというのが分かってきたので、最近は箱をひとつ置いておいてそこに全部入れようというシステムにしたんですね(笑)。

それはなんでかというと、私もそうやっていろんな人にいろんな作戦を考えてもらうことで助けられてきたから。

なるほど。できないことをどうにか矯正する、というよりずっといい気がします。

青山 苦手なことは絶対に克服すべき、というのは誰も幸せにしないと思うんです。むしろ、「あの人にはあれはできないやろな」と他の人に分かってもらえると、逆に自分ができて他の人が苦手そうなことがあるときに相手の方を助けようと思えますよね。

だから、そういうふうに「あの人できないやろな」「あの人大変やろな」と思い合うことができると、世の中はなんとなく回ってくのかな、と思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:青山ゆみこさん

青山ゆみこさん

1971年神戸市生まれ。アパレル、出版社勤務を経て、2006年にフリーランスのライターとして独立。著書に『人生最後のご馳走』『ほんのちょっと当事者』『あんぱん ジャムパン クリームパン——女三人モヤモヤ日記』がある。

Twitter:@aoyama_kobe

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読む人の「枷」を丁寧に外していきたい。人間関係のままならなさを描くマンガ家・志村貴子

おとなになっても

『放浪息子』(エンターブレイン/現KADOKAWA)や『青い花』(太田出版)などで知られる志村貴子さんの最新作『おとなになっても(講談社)。大人の女性同士の恋愛を題材とする本作で、重要なテーマとして描かれているのが社会的立場や人間関係などから生まれる「枷(かせ)」です。

主人公は、既婚で小学校の先生をしている「綾乃」と、独身で恋愛対象が女性の「朱里」。ともに35歳で「大人」の2人は、偶然の出会いからお互いに恋愛感情を抱きます。家族や仕事、社会などさまざまな「枷」を簡単に取り払えず、かといって好きという感情を捨てることもできない。大人になったからこその不自由さに苦しむ登場人物の心の機微が、志村さんらしい繊細な描写で表現されています。

今回は作者である志村さんに、本作への思いや、志村さん自身の「枷」についてお話を伺いしました。

おとなになっても - 志村貴子 / 1話 すてきじゃない片思い | コミックDAYS

男女の恋愛を扱う雑誌で「大人の女性同士」の恋愛を描く

『おとなになっても』が掲載されている『Kiss』は女性誌ということもあり「男女の恋愛」をテーマにした作品がほとんどです。志村さん自身も、これまで「大人の女性同士の恋愛」に触れたのはオムニバス作品の中で数回ほどだったかと。いわゆる“アウェイ”での新たな挑戦、不安はありませんでしたか。

志村貴子さん(以下、志村) 今まさに不安の壁にぶち当たっています。といっても、このテーマだから特別な不安を抱えているということではなく、「とにかく何かを始めなくては」とぼんやりとした構想のまま見切り発車で始めてしまったので、今後の展開に頭を悩ませている真っ最中です。

おとなになっても ダイニングバーで偶然出会い、お互いに好意を抱く綾乃と朱里
(C)志村貴子/講談社

同じく『Kiss』で連載していた前作の『こいいじ』は、長年の片思いを描く王道の男女恋愛ものでした。連載終了後すぐ、まったくテーマが異なる『おとなになっても』が始まったので、志村さんのバイタリティーに驚いたのを覚えています。

志村 バイタリティー……。あるのでしょうか……? 下手に考えて動こうとすると何もできなくなってしまうので、無鉄砲に始めてしまっているだけかもしれません。

さきほども「見切り発車」とおっしゃっていましたが、「とりあえず手を動かしてみよう」派なんですね。前作は4年間の長期連載で、単行本も全10巻となりました。長い時間の中で、何か得たものはありましたか?

志村 自分の中では、前作の“反省会”を続けながら、今の『おとなになっても』を並行して始めてる感じなんですよね。だから、引き続き描かせてもらえる場があるというのは本当に感謝しかないです。

なるほど。ところで、主人公の綾乃の職業は「先生」ですが、過去には『青い花』や『淡島百景』(太田出版)『娘の家出』(集英社)などでも「先生」が重要人物として登場します。何かこだわりがあるのでしょうか。

志村 先生という職業に憧れがあって。もちろん失望もあったんですけど、子供の頃に抱いた「幻想」のようなものが根深くこびりついていて、そこにしがみついてるのかなーという気がします。

大人になっても「適宜対応」は難しい

『おとなになっても』では「大人になったからこそ、自分を拘束し動きづらくする枷」が描かれています。「枷」を描こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

志村 もともと「面倒臭い人たちのややこしい話」みたいなものがずっと好きなんです。なので、今回も打ち合わせの勢いで「枷、いいねいいね!」と進めてしまったんですが、それを実際に自分が描くことになると……。正直「め、めんどくせー……」と……。

(笑)。読むのと描くのとじゃ大違いですよね、きっと。

志村 でも「面倒臭さ」は、私よりも読者さんの方が感じてることだと思うので、読む人の「枷」をひとつひとつ丁寧に外していく作業に昇華できたらいいのかな、とも思いますね。今後もやきもきさせてしまうかと思いますが、人間関係の「面倒臭さ」や「ままならなさ」みたいなものを、暗くなり過ぎたり感傷的になり過ぎたりせず描いていきたいです。

人間関係の面倒臭さといえば、『おとなになっても』では既婚者の綾乃が主人公ということで、これまでの作品ではあまり触れられてこなかった「義実家」の存在感が強いですよね。これも「枷」になるのかなと思うのですが、描いてみていかがでしょうか。

志村 既婚者を描くということは、つまり「それぞれの家族」についても考えることだなぁと思って、正直一瞬ひるみました。でも、誰を主人公に据えても、背景にはその人の家族との暮らしやしがらみ、軋轢(あつれき)があるので結局は避けて通れない作業で。

確かに、志村さんの作品ではよく「家族」が登場しますね。ポジティブな描写もあればネガティブな描写もあって、一人の作家が作品や登場人物ごとに異なる家族観を描けることにいつも驚きます。

志村 自分の中に「家族」というものへのわだかまりがあるので、マンガに描き起こすことでそれを溶かす手がかりにならないかなと考えています。

おとなになっても 綾乃の“浮気”は姑にも知られることに
(C)志村貴子/講談社

志村さんには「おとなになっても抱いている悩み」や「おとなになったからこそ囚われている『枷』」はありますか?

志村 面倒な手続きや手順に対して臆せず取りかかれるようになったと感じることもあれば、いまだに苦手なこともあったり。人付き合いは昔のほうがまだうまくできていたんじゃないか? と思うことがしばしばありますが、その記憶もきっと都合よく美化されているんだろうな〜なんてことも考えます。

いくつになっても「できないこと」や「とらわれていること」っていっぱいありますよね。

志村 大人になっても適宜対応していくのって、やっぱり難しいなと感じます。でも、それが自分の作風につながっていると受け止めるようにして「こんな自分が嫌」とはあまり考えないようになりました。年を重ねて、強くなったのか、慣れたのか、ただ鈍感になったのかは分からないですが、良い意味でも悪い意味でも図太くはなっていると思います。

多忙な中でも「頑張り過ぎず、時々まじめに」をモットーに

1997年に一般誌デビューされて、今年でマンガ家業23年。アニメ化されたり、キャラクターデザインや小説の装画を担当されたりと幅広いジャンルで活躍されていますが、自分の立ち位置や知名度がどんどん変わっていく中で見えた、志村さんなりの「仕事観」はありますか。

志村 一般誌でのデビューの前はエロ雑誌に不定期で描いていて、将来のビジョンは全く見えていなくて……。て、今も老後の不安しかないですけど……。

そんな……!

志村 マンガ家になるのは子供の頃からの夢だったのに、漠然とした「夢」のイメージでしかなかったんですよね。マンガ家になって、ようやくマンガというものに向き合い始めた状態だったので、プロの現場のめまぐるしさや厳しさに「自分、これ無理なのでは」と打ちのめされるばかりでした。

あまり売れてこなかったにもかかわらず、意外なところで知っててくださる方がいらしたおかげで奇妙なご縁を感じる20数年を過ごしています。仕事の恩には仕事で返していくというのが理想なんですが、それにはやっぱり売れたいですね。

たくさんの作品を生み出し、アニメ化も経験されている志村さんは一般的に「売れているマンガ家さん」なのではと思うのですが。きっと「もっともっと」という気持ちが強いんですね。

おとなになっても 8月12日に発売された『おとなになっても』3巻
(C)志村貴子/講談社

ここ最近は月刊連載の『おとなになっても』のほか、不定期で『ビューティフル・エブリデイ』『ブルーム・ブラザーズ』(ともに祥伝社)『淡島百景』と、さまざまな媒体でテーマの異なる作品を執筆されていています。多忙な中で気をつけていることはありますか。

志村 35歳を過ぎたあたりで、若い頃の不摂生のツケがドドッと押し寄せたのか病気がちになってしまい、睡眠だけは削ってはいけないと強く思いました。健康だった頃は徹夜して栄養ドリンクを飲んで、という感じでしたが、今そんなことしたら“即死亡”だなと。

そういうものに頼らずにすむよう、つまり寝る、といういちばんの解決方法に頼るようになりました。あとは少しでも歩くようにしたり、思い出したように筋トレをしたり。食事はいちばんおろそかになりがちなんですが、「頑張り過ぎず、時々まじめにいこう」くらいの感覚でゆるく生きています。それでも締め切り前日〜当日は無理しないと間に合わない! という状況に陥りがちですが……。

健康でないと描き続けられないと。では「仕事がつらい」と感じるときは、どうやってリフレッシュされていますか。

志村 これまでで仕事がいちばんつらいと感じたのは、今より仕事量が少なかった5年目くらいでした。『どうにかなる日々』を描いていた頃なんですが、連載を終えて次の『青い花』までに少しお時間をいただけたのがリフレッシュになったというか。「今はインプットの時間だ」と割り切って、担当さんとダラダラおしゃべりしながら映画を見たり音楽を聴いたりするだけの時間があったのが良かったのかなと思います。当時よく見ていたのはホラー映画だったので、自分のマンガのどこにアウトプットされたというのかという感じですけど……。

志村さんの作品によく「幽霊」が登場するのは、そのアウトプットだった可能性があるかもしれませんね。走り続けるにはきちんと「休む」ことも大事だと思います。

志村 それこそ『どうにかなる日々』じゃないですけど。ネガティブなようで変なところでポジティブでもあるというか「まぁなんとかなるだろ」という思いはたぶん常にあります。本当に「しんどい」と思ったら一旦立ち止まろうというか、死なない程度に頑張るにとどめよう……みたいな心持ちでいきたいなと。「このままだと死ぬので少し休みます」みたいな。

当時ほどつらいことは減ってきたにせよ、今は今で焦燥感が拭えないこともあって。やはり映画やドラマを見たり、ゲームをしたり、散歩をしたり、何かしら別のことをして「さてマンガを描こう」と現実に戻ってくる感じです。

“独りよがり”なマンガに共感が寄せられ、逆に救われた

昨今、さまざまな分野でセクシュアリティやジェンダーについての議論が活発になっています。志村さんの作品では「性自認」や「同性愛」などに触れることが多いですが、過去と現在とを比べて、マンガの表現とセクシュアリティやジェンダーに対する思考の変化はありましたか。

志村 自分が描いている内容は20年前からあまり進歩していないなと感じるんですが、読者さんの反応がダイレクトに届きやすくなった分、炎上したらどうしようとか、怒られたらどうしようみたいなことに対して昔より怯えるようになりました。ただ昔もその感覚はあって、結局は「それでも最終的には自分が良しとするものを描こう」と決めてはいました

気にし過ぎるのもよくないと。

志村 でも、なるべく怒られたくはないよな~とは思っています。

放浪息子 (1) 異性装やトランスジェンダーなどを扱った代表作『放浪息子』
(C)志村貴子/KADOKAWA

最後に、志村さんの作品は読む人の「共感」を呼び起こす点が魅力の一つですが、一方で扱っているテーマは「同性愛」や「異性装」などマジョリティーとは言い切れないものが多く、コマ割りや時間の描写も独特です。それなのに、なぜ、こんなにも読む人それぞれの思い出やトラウマを引き出し、リンクさせるようなマンガを描けるのでしょうか。

志村 独りよがりなマンガを描いていたら共感してくださった方がいて、結果的にこちらが救われたという感じです。私なりにもう少しわかりやすく描こう、噛み砕いて描こうと気をつけるようにはなったのですが。やはり元々の頭が良くないせいか……。

謙虚過ぎます……!

志村 読者さんの目に触れる発言があまり自虐的であるのは良くないのではと、日頃控えるように気をつけているのですが……。でもやはり独りよがりなところがあるからか、感覚のまま推し進めてしまうところがどうしてもあって。無駄にポジティブなのもそのせいだと思うんですが、これからせめて良い方向に転がってくれることを期待します。

その「感覚」が、他にはない世界観につながっているんだと思います。これからも作品の発表を楽しみにしています。

取材・文・編集:はてな編集部

お話を伺った方:志村貴子さん

志村貴子さん

神奈川県出身。1997年、『ぼくは、おんなのこ』でデビュー。初連載作品の『敷居の住人』(KADOKAWA)を発表以来、登場人物の内面を繊細に紡ぎだす心理描写と、透明感あふれる魅力的な絵柄で、男女問わず熱狂的な支持を集める。2009年に代表作『青い花』(太田出版)、2011年に『放浪息子』(KADOKAWA)がテレビアニメ化。2015年、『淡島百景』(太田出版)が第19回文化庁メディア芸術祭でマンガ部門優秀賞を受賞。
現在、『おとなになっても』(講談社)、『ビューティフル・エブリディ』(祥伝社)などを連載中。その他、『こいいじ』(講談社)『娘の家出』(集英社)『どうにかなる日々』(太田出版)など著書多数。また、アニメのキャラクターデザインや小説の装画など、マンガ以外でも活躍している。

Twitter:@takakoshimura

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