お酒に頼るのはもうやめた。息切れせず働き続けるために必要だった“平熱”の日常

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日々の生活や仕事を継続するなかで、ときにお酒を飲んだり、友人とパーッと遊んだり、外部の刺激を取り入れることは重要です。しかし、それらに過度に頼り過ぎてしまえば、知らず知らずのうちに心身に不調をきたすことも考えられます。

フリーライターの宮崎智之さんは、数年前まで事あるごとにアルコールに頼り、不安を打ち消すようにテンション高く仕事に取り組んできたといいます。ただ、そんな生活を続けるうち、いつしか身体はボロボロに。以来、断酒を始め、息切れしない「平熱」の働き方を模索するようになったそうです。

今回は、作家・吉田健一の言葉をヒントに、断酒してからの5年間を振り返っていただきながら、息切れしないための働き方について執筆いただきました。

破綻を迎えたアルコールに頼った生活

息切れせずに働くのは難しい。特に根が真面目な人は、息切れするまで働かなければ、働いた気がしないのではないか。少なくとも僕はそうだった。

現在のように世の中が不安定だとなおさら、「一生懸命働いて他人と差をつけなければ」「休日も勉強をしてスキルアップを」と焦る気持ちを抱く人が周囲にも増えているように思う。だんだんと無理がたたって、最後は疲れ切ってしまいそうである。

ちょっと変な言い方になるが、ハードワークをしなくてもハードな仕事はできる。熱狂しなくても、「平熱」のまま創造的な仕事はできると、僕はこれまでの経験から思うようになった。

僕は離婚を経験し、30代前半でアルコール依存症となり、二度の急性膵炎で入院した。今は5年4か月、断酒を続けている。

振り返れば、新卒の会社を1年で辞め、夢だったメディア企業に転職して23歳で記者職についた。いずれはフリーランスの物書きになるという目標を持っていた。小さな会社だったけど硬派な編集方針のもと基本を叩き込まれ、追われるように20代を駆け抜けた。仕事は充実していた。しかし、全国区の雑誌や新聞に書くような物書きになって、自分の本を出版しながら暮らしていくという夢が諦めきれず、6年間勤めて転職した。

転職先である編集プロダクションの仕事も同じく充実していた。ただ、転職する少し前のあたりから、すでにお酒の飲み方は常軌を逸するようになった。勤務中に酒に手を出してしまう頻度も増えてきた。31歳のときにはフリーランスになり、傍から見れば順調なように思えるかもしれないが、その間もお酒の量はどんどん増えていった。

なぜ、当時の僕はそこまでお酒を欲していたのだろうか

それは、不安だったからだと思う。いくら働いても働いた気がしない。もっとたくさん働き、もっとたくさん勉強している人はたくさんいる。自分のような凡人が、この程度しか努力しないで大丈夫なのだろうか。成長できない自分に焦燥感を覚えていた。

そんなとき、お酒を飲むと不安が忘れられた。気持ちが大きくなり、全能感に包まれた。

だから、その後も酒量は増え続け、次第にお酒を飲みながら原稿を書くようになった。お酒を飲んでいるといい原稿が書ける気がした。だいたいは酔いが覚めたら読み直して修正することになるのだが、とにもかくにもお酒を飲めばテンションが上がり、原稿は進んだ。仕事が終わったら酒をさらに飲んで、気絶するように眠った。枕元にあるお酒を一気飲みして、少し眠ってからシャワーで臭いを誤魔化し、取材に向かったこともある。

そしてあるとき、明確な破綻が訪れた。二度目の急性膵炎で入院した際に、「今後一切、お酒を飲まないでください」と宣告されたのだ。長く生きたければ、そうしなければいけない。離婚もして、心も身体もぼろぼろだった。そのとき、まだ34歳になったばかりだった。

平熱のまま生きるという挑戦

今思えば、「物書きは酒を飲んでなんぼ」という価値観が無意識にしみついていたようにも思う。確かに、そういう「熱狂型」の作家の人生から、たくさんの名作が生まれたのも事実である。しかし、僕にはそれを徹底することができなかった。徹底するには、心も身体も弱過ぎたのだ。

僕は働き方を変更しなければいけない必要性に迫られた。もしくは、物書きという仕事を辞めるかのどちらかだった。僕は前者を選んだ。

最初は、素面のまま面白い原稿が書けるのか不安だった。しかし、お酒を飲んでいたときに、「やめたら◯◯できなくなる」(例えば「やめたら華のない人生になってしまう」)と考えたことのほとんどは、思い込みにすぎなかった。ただかつてあったお酒のない人生に戻るだけだ。

お酒は、適度に嗜むことができれば「人間関係が円滑になる」などのメリットもあるので、その存在自体は悪ではない。僕に手に負える相手ではなかっただけである。一度目の急性膵炎で入院した後、「節酒」に挑戦したが、見事にリバウンドしてしまった。僕には、お酒をコントロールすることができない。しかし、正直、お酒にまったく未練がないかと言ったら嘘になろう。もう一度、あの全能感を味わいたい。フレンドリーになって、もっとたくさんの人と話したい。

でも、僕にはもう駄目なのである。再びお酒に手を出したら、元の酒飲みの生活に戻るに決まっている。そんな僕がお酒に再び手が出そうになったとき、寸前に止めてくれるのは「弱さ」である。どんなに節酒をしようとしてもコントロールできない。僕にはもう駄目なのだという「諦め」、「弱さ」を認める勇気、そういったものが、僕のストッパーになっている。

お酒をやめてから、少しずつ世の中の見え方が変わってきた。より詳細に見えるようになったと言った方がいいだろうか。考えてみればお酒を飲んでいるときは生活をしていなかった。少なくとも生活に向き合っていなかった。酔いに身を任せることで、自分の弱さを認めていなかった。

しかし、素面のまま、平熱のままで過ごしてみると、さまざまなものが目に入るようになってくる。文筆家の吉田健一は、「食べものの話、又」という随筆の中で、「何を食べても同じ味がする人間は、その人間の仕事に掛けても信用出来ない」*1と記している。「少なくとも、その人間がものを食べている時は頭が遊んでいることになり、そういうものが自分の仕事のことになると急に注意深くなるというのは、ありそうなことではあっても、俄かに信じ難い」*2とも。

これは本当にその通りだ。ほとんどの仕事は、生活に関わるなにかしらを提供している。生活をしていなければ、仕事ができないのは当たり前ではないか。日々の生活の中にも、じっと目を凝らせば未知のもの、不思議な現象がたくさんある。もちろん、生活は楽しいことばかりではない。試練も度々訪れる。しかし、それに向き合って生きていくこと自体が生活である。

そもそも人間は生活するために仕事をしているのだ。その生活が疎かになっていれば、いい原稿が書けるはずがない。試練や葛藤を乗り越えながら、または寄り添いながら生きていくこと。その態度こそが大切なのに、僕は階段の初めの一段で躓き、ずっと足踏みしていたのである。

まずは目の前にあるものをじっと見つめる。じっと見つめ続けて、小さな変化を感じとる。熱狂せず「平熱型」で生きることは退屈な行為でもなんでもない。むしろ挑戦的な生き方である。コロナ禍の今は、そうした「平熱」の息切れしない働き方に切り替えるチャンスでもある。

その証拠となるかわからないが、僕は昨年12月から、晶文社スクラップブックというサイトで「モヤモヤの日々」というコラム連載をしている。なんと平日毎日、17時公開だ。毎日ネタを探さなければいけない上に、書かなければいけない。毎日午前にその日の原稿を書いている。

コロナ禍で外出自粛をしているなか、ネタを探すのが難しいのではないかと思いきやそうでもない。じっくり生活に腰を据えてみると、いろいろなモヤモヤの種が次から次へと現れる。あと、この手の連載は「熱狂型」では続かない。熱狂するような刺激的なネタが毎日あるはずはないからだ。もしある人がいるのだとすればうらやましい限りだが、体を壊さず頑張ってほしい。

僕はそうでないので、周囲にあるものに執着する。外出自粛が続いたことにより気付くこともある。例えば、道端に咲く草花を綺麗だと思うようなった人は多いのではないか。実際に花の名前を画像で検索できるアプリがはやっているそうだ。コロナ禍になってから、草木が芽吹く日本の5月の美しさにあらためて気づいた。そんなことでも、コラムのネタになるのだ。

刺激的なことがなくても、日常生活に目を凝らせばクリエイティブの原資をたくさん見つけられると思っている。そもそも自分の親のことだって、大して知りはしないのだ。僕はその原資を、まだ3分の1も使いこなすことができていないような気がしている。

息切れしないために自らの欲望と向き合う

リモートワークが浸透し、一度起こった「オフィス離れ」は仮に新型コロナウイルスの感染拡大がおさまった後も、必ず出社や現場への移動が必要な仕事以外は、不可避に進むものと思われる。そんな状況では、各々が自らのモチベーションとうまく付き合い、意識的に生活と仕事(在宅ワーク)のバランスを整えることが、息切れせずに働き続けるために大切になる。

職場に行かなくなれば、対面での会議や朝礼などの集会、歓送迎会などが激減するだろう。そうなると、モチベーションの維持の仕方に変化が生じてくる。今までの企業はスタッフを一か所(職場)に集めて密をつくり、目標や課題を共有することで、社内の士気を保っていた部分がある。そこでは、情報だけではなく、熱が共有されていた。よくも悪くもそうした熱を共有することで一体感やモチベーションを高めることができた。

しかし、在宅勤務の流れが進めばそうはいかなくなる。当然、企業側は対策を迫られるが、スタッフ側も各々が各々でモチベーションを保たなければいけない時代になるのではないかと、僕は予想している。

ここで前述した吉田健一の文章を再び引用したい。「わが人生処方」という随筆のなかで吉田は、「どうも人間が生きて行く上では、各種の肉体的な欲望が強いことが大切だという気がしてならない。食う為に仕事をすると言うが、実際に食いたくて仕事をするのと、ただ食う為と思っているだけでは随分話が違う*3と記述している。

つまりこういうことだ。人間は「食うため」に働くというが、「食うため」とはどういうことなのか。月給をもらうことなのか。原稿料をもらうことなのか。そうではなく、吉田は「どこそこの生牡蠣を五人前食ってやろうと思って仕事をしている」*4と言い切っている。

確かに「食う」とは抽象的なものではない。人間の具体的な欲望だ。「食う」というからには、なにかを「食う」のである。その「なにか」をまったく想像もせず「食うため」に働いているのだとしたら、それほど滑稽なことはない。吉田は「つまり、魂を失わずに生きて行く為に、肉体的な楽しみに執着することが必要なのであり、人間が出世するのは珍しいことではないのだから、そうなると益々食欲その他を旺盛にして、魂を繋ぎ留めて置くことが大切になる」*5と続けている。

吉田健一がふたつの「食べもの」のたとえで伝えたかったのは、抽象的、観念的な思考や生き方に陥り過ぎることの危険性であろう。先行きが見えない今だからこそ、目の前にすでにあるものをもう一度じっくり見つめ、点検し、そこから想像力を膨らませていくことが大切になる。

階段の初めの一段で躓き、足踏みしていないか。きちんと欲望を具体的なイメージで描けているか。そうした基本的なことを確認しながら前に進むのが、僕の思う息切れしない「平熱」の働き方だ。


編集/はてな編集部

ゆるやかに働くためのヒント

著者:宮崎智之

宮崎智之

1982年生まれ、東京都出身。フリーライター。著書『モヤモヤするあの人 常識と非常識のあいだ』(幻冬舎文庫)、共著『吉田健一ふたたび』(冨山房インターナショナル)など。2020年12月には、新刊『平熱のまま、この世界に熱狂したい「弱さ」を受け入れる日常革命』(幻冬舎)を出版。Webメディア「晶文社スクラップブック」で平日、毎日17時公開の夕刊コラム「モヤモヤの日々」を連載中。犬が大好き。

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*1:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

*2:吉田健一『新編 酒に呑まれた頭』筑摩書房, 1995年, p178

*3:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

*4:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p18

*5:吉田健一『わが人生処方』中央公論社, 2017年, p20

コーヒーをやめたら変わったこと。カフェインに頼らず、自分が安定する「習慣」を心がける|近藤佑子

 近藤佑子

やめる直前に喫茶店で飲んだコーヒー

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、編集者の近藤佑子さんに寄稿いただきました。

近藤さんがやめたのは「コーヒーを飲むこと」

学生時代から、何かを頑張るためにコーヒーを飲む習慣があったそうですが、あるとき「コーヒーを飲まないと頭痛がする」ということに気付いた近藤さん。いつのまにかカフェインの力に依存し、コーヒーを飲んでブーストをかけないと頑張れない状態になってしまっていたようです。

コロナ禍もあり、仕事でもプライベートでもさまざまな変化を余儀なくされる中、コーヒーに頼って無理に頑張るのではない「別の道」を模索した経験についてつづっていただきました。

***

2020年からの新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、私は多くのことをやめた。いや、やめざるを得なかった。

2019年以前は、仕事のあとに勉強会に出かけたり、飲みに行ったり、趣味の活動をしたり。2019年には、初めて1人で同人誌を作ってイベントに出展したり、キャバレーの世界観を模した誕生日イベントを主催したり、IT系の資格に挑戦して合格したり、新しいことに挑戦した年だった。自分のやってきたことを書き出しては「あぁ、私って回遊魚みたいだなぁ」と一人で悦に浸っていた。

仕事で培ったスキルをプライベートで発揮して、そこから得た気付き、つながり、学びを、仕事にも生かしていくという好循環が生まれていた。仕事と、仕事以外の活動。その両方があって初めて自分がいきいきと成長している実感が得られた。阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というフレーズから、自らを「踊る編集者」と名乗り始めたのもその頃からだ。

でも、そうした活動が、コロナ禍ですっかりできなくなった。さらには仕事でも大きな転機があり、思い通りにいかなくて戸惑ったり悩んだりすることが増えた。そんな新しい日常を受け入れようとする上で、これまでの自分の考え方・やり方を変えていかざるを得ない場面がいくつもあった。

そんな中で、私が積極的にやめたのが「コーヒーを飲む」ということだ。

何かを頑張るために飲んでいたコーヒー

私にとってコーヒーなどのカフェインが入った飲み物は、長らく「何かを頑張るため」に飲むものだった。

建築を専攻していた学生時代は、課題やレポート、論文制作に追われ、コーヒーやカフェイン飲料を飲み、何度も徹夜をした。コーヒーの苦い味が当時あまり好きではなかったので、甘くして飲むことが多かった。

会社員になってからは、さすがに学生時代のように無茶はしなくなったものの、仕事中にコーヒーは欠かせなかった。すっかりブラックで飲めるようになったので、お茶のような感覚で気分転換に飲んでいた。

プライベートの活動で、文章を書いたりPCで作業をしたりするとき、私は家ではどうしても集中できないので、カフェやスーパー銭湯に行ってよく作業をしていた。そこでもコーヒーは欠かせない。よく行っていたスーパー銭湯は、100円で挽きたてのコーヒーが飲めるというのもお気に入りポイントの一つだった。

昔からの悪い癖で、良く言えば短期集中、悪く言えば締め切りギリギリで何かを仕上げることが多く、そういった作業スタイルともコーヒーによるブーストとの相性が良かったように思う。

コーヒーが本当の意味で好きになった

何かを頑張るために仕方なく、もしくはなんとなくの習慣で飲んでいたコーヒーだったが、あるきっかけでとても好きになった。

2019年の秋ごろに参加した、とあるカジュアルな勉強会で、私はコーヒーについてのプレゼンを聞いた。そのプレゼンは、コーヒー好きなエンジニアによるコーヒーの入門的な解説で、浅煎りや深煎り、豆の産地、挽き方、淹(い)れ方など、初心者がコーヒーを楽しむための知識として充実した内容だった。

以前は専門知識が乏しく、ひたすらブレンドコーヒーを頼んでいた私。ただ、それまでのコーヒー体験の中で「紅茶のようにフルーティーでおいしいなぁ」と思えるものもあった。

プレゼンをしてくれたエンジニアさんに、私がおいしいと感じたコーヒーについて話し、どんな豆を選べばいいのかを聞くと、いろいろとヒントを教えてくれた。それ以降、街中のコーヒーショップで良さそうなところがないかを調べては、出かけた先でコーヒーを飲むというのが、新たな趣味に加わった。

2020年に入ってからは、新型コロナウイルス感染症の不安がだんだんと大きくなり、春の訪れとともに、仕事は完全にリモートワークに移行した。

コーヒーショップ巡りはしにくくなったが、コーヒーを淹れるための機材を一通りそろえ、豆を買って、自分で淹れるようにもなった。コーヒーをゆっくり淹れている時間は、心が落ち着く瞬間でもあったし、「おいしいコーヒーが飲めるならリモートワークも悪くないかな」なんて思っていた。

家で淹れるコーヒー

友人がやっているコーヒー豆のサブスクリプションを利用するようにもなった。毎月、彼女がセレクトしたコーヒー豆とコーヒーに関するコラムが載った小冊子が送られてきて、自分が知らなかった世界や、そこで起きている問題を知り、思いを馳(は)せることができた。私はコーヒーのことがますます好きになった。

無理して頑張らないために「コーヒーをやめる」ことにした

リモートワーク生活の中で、コーヒーをはじめ小さな楽しみを見出そうとしたものの、ポジティブな気持ちはそう長くは続かなかった。

自分の活力の源泉とも言えた、仕事以外のプライベート活動はやりにくくなった。さらには会社での立場が、長らく編集を担当してきたWebメディアの編集長になったことも戸惑いが大きかった。自分の至らなさを実感することが増え、慣れないリモートワークと相まって、苦しい時期が続いた。そんな自分にブーストをかけるために、相変わらずコーヒーを飲んでいた。

一方、仕事での新しいチャレンジやリモートワークに向き合うにあたって、何か今後のヒントにならないかと、ビジネス書や自己啓発書などをたくさん読んだ。

いくつか自分に刺さった本があり、その中で共通して言っていたのは「自分が心から達成したい、世の中の役に立つような目標を持とう」ということだった。そして、周りに振り回されるのではなく「私は自分の意志でこうしている」と思うこと。私自身「楽しく仕事がしたい」と考えていたので、その願いにも通じると思った。

そんな中でたどり着いたひとつが、勝間和代さんのブログだった。生活最適化のためのマニアックな情報提供が興味を引き、さらに部屋の片付けや減量など、私がこれまで取り組んできたことについても勝間さんはすでに書籍で情報発信されていて、恐れ多くも、なんだか他人とは思えなかった。

勝間さんの発信からとりわけ具体的な行動として興味を引いたのは「お酒やカフェインに依存しないよう、飲むことを控える」ということだった。

最初は「大好きになったコーヒーをやめるなんてとんでもない」と思っていた。しかしあるとき、休日に頭痛に悩まされた。頭痛の原因として思い当たったのは「その日コーヒーを飲んでいない」ということだ。案の定、コーヒーを飲むと頭痛が治まった。私はいつのまにか、コーヒーを飲まない日があると頭痛がしてしまうほどにカフェインに頼り切ってしまっていたようだった。

コーヒーの楽しさをせっかく分かってきたところだったのでショックを受けたけれど、私は自分の意志で行動したいし、自分で自分をコントロールできるようになりたいと思った。そこで、カフェインに頼って無理をしてしまっている現状から抜け出そうと、コーヒーをやめることを決断した。

それまでマグカップで1日数杯飲んでいたコーヒーを、1カ月かけて1日1杯に慣らしていき、年末年始の休暇で完全に絶ち、私はすっかりコーヒーをやめた。

自分の生活をコントロールするのが、自分にとって一番の戦略

2021年になってからは、私はほぼコーヒーを飲まずに過ごしている。朝一番には白湯を飲み、そのほかには、どくだみ茶やフレーバードのルイボスティーを好んで飲む。夏は麦茶。たまにカフェインの入った紅茶や緑茶も飲むけれど、飲まない日に頭痛に悩まされたりはしていない。

そうするうち、以前は「なんだか捗らない、気持ちが乗らない」と思ったらまずコーヒーを飲んで気合いを入れていたけれど、最近は「もっと他にやることがないだろうか」と、自分がコントロールできることを探すようになった。

そんなとき、コロナ禍以前から取り組んでいた習慣には助けられた。ちょっとでもいいから英語の勉強をすること、日々の感情を日記として記録すること、ダイエット……とまではいかなくとも、少なくとも体重を記録すること。

そうするうち、自分がごきげんでいられるような「いい習慣」を心がけていれば、自然と自分の状態が安定し、無理をすることなく前向きに物事に取り組めることに気付いた。

もともと、健康を維持するなどの目的で生活習慣を気にかけるようにしていた。しかしコロナ禍で生活と仕事が密接になったこともあり、日頃の生活習慣が仕事に影響しやすいことに気付き、以前よりも意識するようになった。

私が意識している習慣は、例えば以下のようなことだ。

  • バランスの良い食事(最近は野菜たっぷりのご飯が作れているので◎)
  • 適度な運動(サボりがちだけど筋トレを新しく始めたので○)
  • 十分な睡眠(6~7時間寝るように努めているが、遅くまで起きてしまうことがあるので△)
  • 間食を控える(ついついお菓子を食べ過ぎてしまうので△)

上記の通りまだ道半ばだけれども、それでも徹夜をして無理をしていたころから振り返ると、自分を大切にできていると思う。前向きな気持ちでいられるのは、きっと「自分の意思で始めた」習慣だからなのだろう。

仕事や世の中の状況は、なかなか自分のコントロール下に置くのは難しい。けれど自分の生活は、自分が一番コントロールしやすいものだと思う。今の私にとってはこのやり方が、仕事や活動をしていく上で一番有利な戦略だと考えている。

コロナ禍によってやめざるを得ないことばかりで、自分らしい生活が送れていないのではないかと不安になった。さらには仕事が生活の時間の大部分を占める中で、自分の至らなさを実感する日々。だけど「楽しく働きたい」と思ったら、人生を主体的にコントロールしていきたいと思うようになった。

私がコーヒーをやめたのは、そのための前向きな行動のひとつだったんじゃないかと思う。

今でも街でコーヒーのお店を見かけると、「飲むとおいしいだろうなぁ」と思う。コーヒーを淹れるためのグッズだって家に取ってある。自分のことがコントロールできるようになったら、自分の世界を広げてくれたコーヒーと、また新たな付き合い方ができるといいなと思っている。


わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • 「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ
  • 「休まない」をやめた|土門蘭
  • 著者:近藤佑子id:kondoyuko

    近藤佑子

    会社員としてIT関連のWebメディアやイベントの企画編集を行いながら、個人としても文章を書いたりイベントを作ったりしています。キャッチコピーは「踊る編集者」。
    Twitter:@kondoyuko ブログ:踊る編集室

    編集/はてな編集部

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    「やりたい」じゃなく「できる」ことを見極める。“超元気”ではない私が働き続けるためにした工夫

     佐藤はるか

    仕事場の様子

    仕事をする中で、自分のやりたいことをしていたり、将来の夢・野望を叶えるべく邁進したりしている人を見ると、焦りを感じることはありませんか。

    自分も何かしなきゃ、とその瞬間は駆り立てられるかもしれませんが、全員が全員やりたいことがあったり、「こうなりたい」という野望を持っていたりする……わけではないのも事実。そんな人が日々はたらく上で必要なのは、無理にやりたいことを見つけようとするのではなく、今の自分の状況を冷静に見極めることなのかもしれません。

    フリーランスで主に編集アシスタント業務をしている佐藤はるかさんは、「これがやりたい」という大きな目標はなかったものの、大学を卒業したら「普通に就職」すると考えていたそう。しかし、体調面などの事情から、思いがけず新卒フリーランスという道を歩むこととなります。

    佐藤さんが働く上で気付いたのは、やりたいことに向かって一直線になる、いわば熱量を持った働き方ではなく「できること」の積み重ねをしていく選択もある、というものでした。

    ***

    初めましての方と話すとき、仕事について尋ねられると、それが単なる世間話だと分かっていても、いつも少し緊張しながら次に言う文章を準備する。「フリーランスで、主にWebメディアの文章に関わる仕事をしていて」……。

    大学を2018年に卒業し、どこにも就職せず、そのままフリーランスとして仕事を始めた。いわゆる「新卒フリーランス」というやつだ。

    当時、私のSNSのタイムラインでは、学生時代の経験をもとに、志を持って新卒でフリーランスとして働き始める人をちらほら見かけた。肩書きや経歴だけ見れば、私もその一員に見えるかもしれない。

    しかし実際は、「他に働く方法を見つけられなかったから、消極的選択としてフリーランスになった。なんやかんやあり、気づいたら4年目に突入していた」といったところだ。

    「やりたい」ことが分からない焦りと、休学期間で始めた「できる」こと

    大学進学を機に、生まれ育った静岡県を出て東京に出た。もともと地元への愛着はあまりなかったこともあり、就職も関東かなあと漠然と考えていた。

    とはいえ、「これをやりたい」という夢や目標はとくになかったし、地元で自分が「よくできる」と評価されてきたことは東京でも通用するのか? という疑問もあったので、2年次までにいくつかのアルバイトや短期・長期インターン等を経験し、自分に向いていそうなこと、面白いと感じることを探していた。やりたいことや興味関心のある業界への就職を近づけるためにインターンをする人もいた印象だが、私の場合はやりたいことが分からないから見つけなきゃ、といった焦りのようなものもあったように思う。

    そろそろこの先のことを本格的に考えなきゃなあと思っていた3年次のことだ。不規則な生活やストレスの積み重ねが主要因だろうが、私の心身は急激にバランスを崩し、ただ生活するのも大変なほどになった。得意だと思っていた何かを読み書きすることもほとんどできなくなり、ショックと不安の中、休学を余儀なくされ、伊豆の実家に戻った。

    その後、実家から通院するようになり体調が回復してくると、今度は何もせず家でじっとしていることが苦痛になってきた。SNSでそんな話をしていたところ、相互フォローだった知人ライターが、インタビューの文字起こしを依頼してくれた。

    文字起こしという作業は、すごくちょうどいい負荷になった。人と直接やりとりする元気や、どこかに移動する体力がなくても、誰かが楽しそうに話している雰囲気を感じられて、内容も勉強になる。声を聞いてタイピングする間は他のことを考えて不安にならずにすむし、きちんとやればお金ももらえる。当時の私にとって、ささやかだけど「できる」ことで、「するのが楽しい」ことだった。

    「これぐらいの量で、これぐらいのペースならできそうだ」と見極められるようになってからは、偶然見かけた文字起こしや校正のアシスタントの募集にも応募してみた。自分をよく見せて採用されても不幸なミスマッチを生むだけだと思ったので、できないこと・できそうなことを整理して面談に臨んだところ、丁寧に話を聞いた上で採用してもらえた。

    かかりつけ医に最近の状態を伝えるため、毎日のできごとやその日の調子・気分を日記につけるようにしていたことが、自分の体調の波やできる・できないを把握するのに役立った。

    就活は断念。他の働き方もマッチせず、そのままフリーランスに

    かろうじて1年で復学したが、先をあゆむ同期を見ているとどうしても気になったのが就活のこと。医師に相談すると、「就活は、まだちょっと早いんじゃないかな?」とやんわりと止められた。

    「普通」で「順調」なルートへの憧れが強かった私は、体調不良で休学を決めたときと同様に、「この先どうなるんだろう?」と途方にくれた。だが、1年半後に週5日フルタイムで働く自分は、確かに到底想像できなかった。ためしに説明会に行ってみても、それだけでぐったり疲れてしまったので、そのルートは諦めた。

    それでも、地元に比べ、自分の好きなタイミングで好きなことをしやすい東京の魅力は捨てがたい。なんとかここに残ってお金を稼ぐ方法はないかと、卒論の提出を終えてからは往生際悪く働き口を探し続けた。東京の住まいの近くでできて、座れて、1日あたりそれほど長時間でなく、週3〜4日ぐらいのアルバイトはないだろうか。SNSでも探している旨を書き、知人づてに会社の紹介や、働き方の相談を受けてもらったこともあった。

    結果としては、残念ながら、条件の合う仕事は見つからないまま卒業を迎えた。4月以降もしばらく粘るも「これは無理だな!」と思い、実家に帰ることを決めた。文字起こしなどの手伝いは変わらず引き受けていたので、実質的に「新卒フリーランス」になった、というわけだ。

    たいそうな肩書きだが、当時の自分が思う「普通」に働くという望みが叶わない中、なんとかできる範囲のことをやった結果であって、積極的に選択したわけではなかった。

    「できる」ことをやっていたら、次の仕事につながった

    実家に帰ってからは、いずれ地元のどこかで働くことも視野に入れて、移動に必須な自動車の運転免許を取りに通った。それと並行して、文字起こしや簡単に文章をまとめる仕事を続けていると、新たな仕事の話につながるようになってきた。

    例えば、文字起こしをお手伝いしていた会社の方からの紹介。東京で仕事を探していたときに、「事務系の仕事やってみたいんですけど、なかなか働き口がないんですよね〜」と雑談していた方に、その知人デザイナーさんのアシスタント業のお話をいただいた。

    経験のない業務だったが双方の希望条件が合い、ごく短い時間から、制作進行スケジュール管理のアシストや、議事録作りに入らせてもらうことになった。議事録作成はなんとなくできそうだと思えたが、スケジュール管理が得意だと思ったことはこれまでなかったので、何度もカレンダーや組んだ式を指差し確認しながら、予定を立てた。

    実際にやってみると、自分がすごく得意だと感じるわけでない仕事でも、ある場において相対的に「スムーズにやれる」というケースはあると分かった。ものすごいスキルがなくとも、それで十分力になれる場合もあって、仕事になりうるんだと知った。他にも、また別の方に、「数カ月前に仕事を探していたのを思い出して、条件が合うかもしれないと思ったから」と、Webメディアに関連する仕事のお誘いをいただいたこともあった。

    基本的には今の自分にできそうだなと思える仕事を中心に引き受けているから、慣れれば多少余裕が出てくる。その分、少し丁寧に一つひとつのやりとりをしたり、参加自由な他の業務にオンラインで顔を出させてもらったりしているうちに、「こんな仕事も合いそうだと思うんだけど、やってみない?」と声をかけていただくこともあった。

    経験を参考に、「できそうなこと」を自分1人で想像するのにも限界がある。未経験の分野の適性を仕事相手が見出し、やってみる機会をくれたのは、本当にありがたいことだった。

    もちろん、自分のできる範囲を見誤ってしまったこともあった。その度に「ここまではできるけど、これ以上はまだちょっとキツいんだな」「かかる日数の見積もりが甘かった、もう少し長くとればできるかも」と自分のできる範囲を見直し、業務内容や働く時間を相談して、調整させてもらった。

    そうやって、すでに「できる」と自信を持てていることを仕事の基盤にしつつ、チャンスがあれば少し挑戦もしてみて、「できる」と「できない」を行き来しながら、自分にできることを更新する日々が続いた。

    仕事のスケジュールを徐々に埋めていっている様子

    先のことは分からないけど、できることを着実に

    そうこうするうちに、フリーランス4年目に突入した。事務まわりや採用、記事の制作進行、執筆・編集などを経験し、大小はあれど「できる」と思える業務の幅は広がり、だんだんと働ける時間が増え、それと同時に収入も増えた(最初は、本当にお小遣い程度だった)。

    もちろん努力や工夫はしたけれども、正直この今があるのはさまざまな場面で運が良かったからだと思っているし、「全てが自分の実力だ」とはまったく思っていない、というのははっきり書いておきたい。新卒フリーランスという働き方を、人に自分から勧めようと思ったこともない。

    また、かつてより働ける時間やできることが増えた今だからこそ、今後のキャリアに関する悩みもそれなりにある。この先のことを考慮しても、もっと力をつけたいという欲が出てきたのだ。

    そのためには業務内容を絞り、集中して取り組むのが近道では? と思うが、ではどれに絞るかと考えると、それぞれ異なる良さがあって捨てがたい。それに、自分のコンディション次第でやりやすい仕事・楽しい仕事は変動するから、どこかに一本化してしまうと、不調時に何もできなくなってしまうかもしれないという怖さもある。

    そもそも、フリーランスという働き方さえ、それしかできなかったからした選択だ。仕事でうれしいことがあっても契約の都合上話せる人がおらず、分かち合えないときは少し寂しい。体調に波があるときは、支え合える同僚がいる環境や有給を思い、経費や保険料を払っては福利厚生に憧れる……こともある。

    さすがに自分でさまざまな決定をすることにも慣れてきたが、もともとはある程度決められた枠の中で動くのを好む気質。「自由大好き!絶対に今後もフリーランスでいく!」と決めているわけではない。

    野望が見当たらなくても、やりたいことがなくても、働き続けるために

    それでも、「やりたいこと」なんて考える余裕もなかった時期に、「できること」としてフリーランスで仕事を始めたことに後悔はないし、当時の自分にとって最善策だったと思っている。

    幸運にも、内容を「どうしてもこれ!」と絞らずに「できること」からいろいろと仕事をして、まあまあ得意だなと思えることや、比較的好きなことも分かってきた。これはきっと、いつか「やりたいこと」が生まれたときにも何かの形で役立ち、判断材料になるだろう。

    それに、ずっとやりたいことがないままだったり、やりたいことがなんらかの理由で叶わなかったりしても、「できること」をベースに働いていくことはできる。実際に、私は今そうしているわけだし。

    ……ただ、今そう思えるのも、いろいろと諦めがついてきたからかもしれない。かつて当然のように想像していた姿――元気にバリバリ週5フルタイム、またはそれ以上に働く自分――は、少なくとも今は実現していない。そのことを、数年かけて受け入れた。正確には、すっかり受け入れたわけではないが、そこに憧れが今もあり、諦めきれないことも含めて、一旦受け入れる姿勢をとることにした。

    全てが理想通りとはいかない状況下で、たまに「〇〇だったかもしれない自分」に思いを馳せてしまうのは仕方のないことのように思う。それはそれとして、今の自分ができることをなんとかやるという形であがくことが、自分自身との、そして仕事との、私なりの向き合い方だった。

    「これからどうしよう」「これでいいのかな」と思う日もあるが、すぐには行動できないことや解決しないことだって多い。仕事を探しているという発信への連絡を数カ月後にもらったときのように、自分が変わらなくとも周囲が変化することもあるから、「まずは一旦決めずに待つ」というのだって、選択の一つなんだと思う。

    何か変えたいと思ったら、そのときに変えるための行動をとればいいし、そこまでではないなら今は変えなくてもいい。何かやってみて失敗したなと思ったら、元に戻すことも場合によってはできる。周りを見て焦ったとしても、この「自分」であるのは私だけなのだから、結局自分のペースでやるしかない。これは、超元気とは言えない心身と付き合っていくことになり、その後フリーランスとして活動する中で、少しずつ納得できるようになってきたことだ。

    とりあえず私は、すぐには叶わないことを「一旦」諦めたり、しつこく密かに諦めずにいたりしながら、これからも「今できること」を更新し続けていくつもりだ。どんな気持ちを抱えていたとしても、自分がしたことに応じて何かが積み重なっていく場合もあると、この数年間で信じられるようになったから。


    編集/はてな編集部

    やりたいことが見つからない、と焦ったら

    著者:佐藤はるか

    佐藤はるか

    主にwebメディアのまわりで、原稿の制作進行や執筆・編集などをしているもろもろアシスタント。文字起こしをするのも読むのも好き。静岡県在住。
    Twitter:@sharuka_work

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    「休まない」をやめた|土門蘭

     土門 蘭

    コーヒーとケーキ

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、文筆家の土門蘭さんに寄稿いただきました。

    土門さんがやめたのは「休まないこと」

    もともと「休む」ことが苦手で、産後、仕事と育児の忙しさに無理を重ね、ついには心身のバランスを崩してしまった土門さん。その後、ある先輩ママから掛けられた言葉をきっかけに、積極的に休むことを意識するようになりました。

    そうして自分のために時間を使うようになったことで、自分の内面はもちろん、周囲との関わり方にも思わぬ変化があったそう。休み下手だったという土門さんが、どのようにして休めるようになり、休むことでどんな変化があったのか、つづっていただきました。

    ***

    「休む」ということが苦手だ。

    というよりも、どうすれば「休む」ことができるのか、「休む」とはどういうことなのか、あまりよくわかっていない。

    昔からそうだ。空いた時間ができたら、「何かやるべきことはないだろうか」と探してしまう。やっておいた方がいい仕事はないか? 返しておくべきメールはないか? 片付けるべき場所は、読むべき本は、行くべき場所は……。

    いつもそんなふうに予定を詰め込むので、「休む」という選択肢が選ばれることはない。というか、そもそも選択肢にない。だってのんびりゆっくり休んでいたら、「やるべきこと」で頭の中がいっぱいになり、そわそわして落ち着かなくなってしまう。そして、のんびりゆっくりしてる場合ではない! という気分になってしまう。要するに休むのが下手なのだ。

    そんなだから私は、一日中ずっと家事やら仕事やらで働いている。平日でも土日でもお構いなしに。それでいつも夜になると「疲れた」と文句を言っている。誰もそんなに「働け」なんて言っていないのに、一人できりきり舞っている。

    休むのが上手になりたいな。ずっとそう思っていた。

    そんなことを友人に話すと、「蘭ちゃんの中には、『鬼コーチ』がいるんだね」と言われた。「休んでいると叱り飛ばしてくる『鬼コーチ』が心の中にいるんだよ」と。

    それを聞いて「確かに」と思った。竹刀を持った鬼コーチが、確かに私の中にいる。その鬼コーチにビシバシしごかれ続けている。もっと頑張れ、もっと努力しろ、時間を無駄にするな、と。

    でもその「鬼コーチ」は、その頑張りや努力の先に、一体何を目指しているんだろう?

    それは、私にもわからない。

    出産を経て、休むのがどんどん苦手になってしまった

    もともとそういう性格なのか、幼い頃から休むのが苦手だったのだけど、20代半ばで出産してからは、ますますひどくなった。

    子育てというのは膨大な時間とエネルギーのいる作業だ。つきっきりで世話をしていないといけないし、子供が動くたびにするべきことが湯水のように湧いてくる。育休後も会社員として仕事を続けていたので、仕事と育児の両立が本当に大変だった。

    子供たちと一緒に

    毎日、とにかく時間がない。やるべきことが多過ぎて追いつかない。慣れない両立で疲れはピークに達していたけど、「頑張らなきゃ」と思い込んでいた。私の中の鬼コーチが、休むなんて絶対に許してくれなかったのだ。

    すると、ある日から眠れなくなった。子供の夜泣き、仕事のプレッシャー、日々の疲労。いろんなものが積み重なった上での不眠だったのだと思う。私はすぐにダウンした。病院に行くと「鬱(うつ)です」と言われ、強制ストップがかかった。私は長期休みをもらい、そのまま辞職した。

    職場の人や家族に迷惑をかけたと思って、ものすごく落ち込んだ。みんな優しく労ってくれたけど、毎日罪悪感と情けなさで泣き暮らした。

    それでも心のどこかでは、ホッとしていたように思う。やっと休む理由ができた、これでやっと眠れる。そんなふうに思って。それくらいしないと、当時の私は休むことなんてできなかった。

    そのあと鬱が寛解し、再び仕事を始めた時、私は「睡眠時間だけは確保する」と自分に約束した。仕事にも育児にも“定時”を決めて、必要以上のことはやらない。時間が来たら仕事を止め、時間が来たらベッドに入る。

    そのために、家事や育児のやり方を見直して負担を減らしたり、仕事はできるだけ自分がやる意味があると思えるものや、自分にしかできないと思うものに絞るようにした。取り掛かることのできる仕事量は減ったけれど、それでも自分が倒れるよりマシだ。鬼コーチも強制ストップ以来、その件に関しては認めてくれている。

    「休む」のも仕事のうちだと考えるようにした

    仕事道具のパソコンや手帳

    あれから8年。

    転職や第二子の出産などを経て、現在はふたりの子供を育てながらフリーランスで執筆業をしている。「仕事も育児も定時上がり」というルールは、今もちゃんと守っているので、あれ以来体調は崩していない。

    だけどふと自分の生活を俯瞰してみると、やっぱり「休む」時間が全然ない。

    相変わらず「鬼コーチ」は竹刀を持って私を監視していて、休むことを許してくれない。むしろ、「睡眠時間は確保しているんだから、起きている時間は今まで以上に働け」と言わんばかりのプレッシャーだ。

    「本当は休みたいのに、全然休めないんですよね……」と、例の「鬼コーチ」発言をした友人に話す。彼女は年上で、私よりもワーキングマザー歴が長い先輩だ。

    すると彼女は、「『休む』ことを仕事にしてしまえばいいんだよ」と言った。

    「だって、休まないといい仕事できないでしょう? だから仕事の一環として『休む』予定を先に入れてしまうの。もう強制的に休む。そこまでしないと、蘭ちゃんは性格的に休めないよ」

    なるほど、と目から鱗(うろこ)が落ちた。確かにただ「休む」ことはできないけど「仕事として休む」ことならできるかもしれない。鬼コーチだって、それなら納得してくれるだろう。さすが先輩だ。

    「ありがとうございます。それ、やってみます!」

    そう答え、私は早速手帳に「休む」予定を書き込んだ。この時間は絶対仕事しないぞ。「休む」ということをしてやるぞ。そう息まきながら、赤いボールペンでぐるりと丸をつける。仕事はそれ以外の時間に組み込み、ちゃんと終わらせられるようにいつもより細かくスケジュールを立てた。「休む」予定があるとメリハリがついていいものだなと思いながら、頑張って時間を作った。

    最初は「休み方」がわからなかった

    しかし。「休む」って言っても、何をすればいいんだろう? すぐに私は振り出しに戻ってしまった。

    ブーケ

    仕事をしないとなると、私は何をすればいいんだろう? 本を読む、お茶をする、ゴロゴロする、友達と遊ぶ……いろいろ候補は思い浮かぶけれど、自分がどれをしたいのかわからない。長年「すべき」ことばかりしてきたので、今更「したい」ことが思いつかないのだ。これには参った。せっかく時間を作ったのに、やりたいことが思いつかないなんて。

    気を抜くと、すぐに「将来役に立ちそうなこと」をしてしまう自分がいる。例えば、「健康でいられるために運動をした方がいいかな」とか「教養を深めるために勉強でもしようかな」とか。いや、大事なことだけどね、と相変わらずの自分に苦笑する。「休む」ってそういうことじゃないんだよ。将来のために今を犠牲にするのは、私はもう嫌なんだよ。

    そう考えて、「あっ」と思った。

    「休む」ってもしかして、「今の自分」のために動いてあげることなんじゃない?

    鬼コーチはいつも、「頑張れ、努力しろ」と言う。その先に私の目指しているものがあるからだ。いい仕事がしたい、お金が欲しい、子供たちに健やかに育ってほしい……そんな「将来の自分」のために鬼コーチはビシバシ竹刀を振っている。鬼コーチがいなければ手に入らないものはたくさんあったから、それはきっと間違いではない。

    問題は、「今の自分」のために動いてくれる人がいないってことだ。今気持ちいい、今うれしい、今楽しいことをしなさい、と言ってくれる人。

    その時間は、何をしてもいい。何の役に立たなくても、誰に褒められなくてもいい。ただ、「今の自分」が満たされることをする。もしかして、それが「休む」ってことなんじゃないだろうか。

    そう思いつくと、緊張していた心が自然と柔らかくなってくるようだった。

    「今の自分」に耳を傾け、何をしたいかをあらためて聞いてみる。すると、漫画読みたい、ケーキ食べたい、マッサージ行きたい……柔らかくなった心の奥から、ぽつぽつとしたいことが湧き出てきた。

    よし、全部やろう!

    さっそく手帳を開いて、スケジュールを組む。休みの予定を入れながら、浮き立つ心を感じながら、なんて贅沢なんだろう、と思った。

    「今の自分」を満たすための時間を作るって、贅沢で幸せなことだったんだ。「休む」って、素敵なことだったんだ。そしてそんな時間を自分に与えてやれるのは、私しかいなかったんだ。

    近所の喫茶店のレモンケーキ

    最初の「休み」時間には、近所の喫茶店に行ってみた。

    ずっと気になっていた、その店の名物のレモンケーキを食べたいと思ったのだ。バッグの中には、読みたかった小説が一冊。コーヒーを飲みながら、ケーキをフォークでつまみながら、真新しい小説の表紙を開く。

    仕事や家事とは一切関係のない、自分だけの時間。コーヒーは苦く、ケーキは甘酸っぱく、小説の一文は美しい。そういったあれこれを全身で享受していると、みるみる自分が元の形に戻っていくのがわかった。これまでずっと、将来とか、他人とか、世間とか、そういうものにぎゅうぎゅうに押し込められていた本来の自分が、むくむくとまた立ち上がり、思い切り伸びをするような。

    1時間後、私はコーヒーとレモンケーキをきれいにたいらげ、席を立った。たった1時間の「休み」でも、自分がずいぶんリフレッシュしているのがわかる。リフレッシュするって、本来の自分に戻ることだったんだなぁ、と思いながら店を出ると、見上げた空がいつもよりもはっきり見えた。

    前よりも、他の人に優しくできるようになった

    ワーカホリックで休み下手な私だったけれど、それ以来少しずつ「休む」ことができるようになってきている気がする。

    今では、土日のどちらかは「休む」予定を入れ、平日も余裕のある日は「休む」時間をとるようになった。ゴロゴロすることに罪悪感を覚えたり、何かしないとと気が急くことも少なくなってきて、要するに自分を許せるようになってきたようだ。

    それとともに少しずつ、自分が優しくなってきたように思う。「今の自分」を自分で満たせるようになったから、他人に必要以上に期待せず、思いやりを持てるようになったのだろう。

    また、自然と子供たちと一緒に過ごす時間も増えた。これまではせかせかと次にすることばかり考えていたけれど、彼らが今どんなことを考えているのか、前よりもきちんと向き合えるようになった。「休む」って自分のためだと思っていたけれど、他の誰かのためになることもあるんだと気付いた。

    さて、次の休みは何をしよう?

    将来とか、他人とか、世間とか、そういうものは置いておいて、「今の自分」に耳を傾ける。そういうとき、自然と呼吸が深くなって、自分が満足しているのがわかる。

    著者:土門 蘭

    土門蘭

    1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説・エッセイ・短歌等の文芸作品やインタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』(寺田マユミとの共著)、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

    Twitter:@yorusube

    わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • 「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ
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    編集/はてな編集部

    夫婦での在宅ワーク、ストレスや不満をためないコツは? ベテランリモートワーカーが工夫してきたこと

    文・イラスト ちょっ子

    どうも、イラストレーターのちょっ子です。私は夫と息子(現在小学4年生)との3人家族。夫は息子が生まれる少し前に独立し、自宅でデザインの仕事を始めました。私も出産後そのアシスタント兼イラスト担当として共に働くことになり、以来約10年にわたり、夫婦2人での在宅ワークが続いています。

    コロナ禍による在宅ワークの普及で、同居する家族やパートナーと家で仕事をするようになった方もいらっしゃると思います。そんな中で「オンラインMTGなどで発話しづらい」「相手の存在が気になって集中できない」など、同じ空間で仕事をするゆえのストレスを感じることもあるでしょう。

    コロナ禍にそういったストレスをため込んだことで夫婦仲が悪化するケースも増えていると聞き、10年ほど前の私たちのことを思い出しました。私たちも在宅ワークを始めてしばらくは、同じようにストレスを抱え込み、家の中が険悪なムードになってしまうことが多々あったのです。

    現在もケンカになることが全くないわけではありませんが、うまくいかない状況の中で自分たちなりに少しずつ改善を重ねていき、あの頃に比べたらずいぶん関係は穏やかになりました。そこで今回は、私たち夫婦が在宅ワークをするにあたって、互いに不満をためないためにどんなことを工夫してきたかを振り返ります。

    夫婦で在宅ワークを始めた当初に悩んだこと

    夫婦で在宅ワークを始めたのは、息子が2カ月の頃。保育園に入れられるタイミングまでは、仕事をしながら自宅保育をしようと考えていたのです。

    当初は自宅のリビングを事務所とし、そこに2人分のデスクとパソコン、そしてその傍らにベビーラックを置いて0歳の息子の世話をしながら仕事をしていました。


    リビングで仕事

    しかし育児をしながらの作業は想像していた以上にはかどらず、「思ってたんと違う」状態……。夫が取引先と電話するにも一苦労でした。(そういうときは私が息子を連れて別室に移動したり、逆に夫が別室に移動して話すようにしたりして対応しました)

    育児しながらの仕事は苦労の連続

    独立したての仕事に初めての育児……。思えば当時の私たちには常に不安が付きまとい、精神的な疲れが蓄積していました。

    お互いにストレスが蓄積

    夫はピリピリしていることが多く、ストレスから体調も崩しがちに。私も24時間体制の育児による睡眠不足でまともに頭が働いていない状態で、仕事量はほどほどにとどめていたものの、その分、料理から洗濯から掃除まで、家事の大半を私が担っており常にヘトヘトの状態でした。

    当時は家事をがんばり過ぎていた

    コロナ禍の在宅ワークにおいても、夫婦いずれかに家事の比重が偏ってしまうケースがあると聞きます。家にいる時間が長くなったことで「完了していない家事の存在」に気付きやすい方がいつのまにか負担を抱えがちになってしまうのかもしれないし、「家事は女性が主に担うべき」という固定概念にとらわれ妻側に負担が偏る家庭も多いかもしれません。

    私も今となっては何であんなにがんばっていたのかと思うのですが、当時、食事を三食とも自分で作っていた時期がありました。無意識のうちに「家にいるんだから、仕事を減らしているんだから、主婦なんだから、やらなければ」という気持ちになっていたのだと思います。

    そして、不安定な精神状態の2人が24時間一緒に過ごしていると、仕事に加えて生活のいろんなところが気になって、お互いへの不満がたまってきます。家事育児のやり方・配分、互いの態度の一つ一つを巡って、ちょっとしたことでいちいちぶつかり、家庭内の空気が険悪になってしまうこともしょっちゅうでした。そんなときでも在宅ワークゆえ夫婦でずっと同じ空間にいなければならず、互いに苦痛に感じていたのです。

    仕事は軌道に乗ってきたけれど、さらに余裕がなくなる日々

    そんな中でも夫のがんばりで仕事は軌道に乗り、忙しさは増していきました。

    先述の通り、本当は息子を保育園に預けたかったのですが、私たちが住んでいる地域には待機児童が多く、息子を保育園に入れることがかないませんでした。そこで時々無認可保育園の一時保育を利用したり義母に頼ったりして、どうにか業務をこなす日々。

    しかし仕事は忙しくなった上、息子はますます手が掛かる時期に突入。慌ただしい日々の中でさらに気持ちに余裕が持てなくなり、夫婦間のいさかいが減ることはありませんでした。

    夫婦間のいさかいが続く

    事業主としての夫の苦労を理解して十分いたわることができていたら、そんな状況にはならなかったのかもしれない……と今となっては思うのですが、私も当時は産後からずっと続く睡眠不足と育児疲れで心身がズタボロ。いたわってほしいのはこちらも同じ。2人ともいっぱいいっぱいで、建設的な話し合いができたことはほぼ無かったのです。

    とうとう別室で仕事をすることに。しかしこの判断が転機になった

    そしてこんな状況にお互いが限界を感じたある日……。

    別室で仕事をすることに

    広い住居ではなかったのですが、無理やり仕事部屋を分けて日中の距離を取ることに決めたのです。

    夫は別室へ、私はそのままリビングで。1日のうち何度か進行を確認したり、必要に応じて打ち合わせをしたりするものの、作業は基本的にそれぞれ1人で集中するようにしました。

    別室とリビングでそれぞれ作業

    するとどうでしょう……! ほとんどケンカ別れに近い状態での部屋分けだったのですが、四六時中顔をつき合わせる環境を脱したことで、お互いに対するストレスが格段に軽減されていきました。そのうち息子も幼稚園に入り、より日中は仕事に集中できるようになると、さらに心に余裕が生まれ、夫婦間のいさかいはかなり減っていきました。

    この頃から通常の仕事に加えて私個人のコミックエッセイなどの依頼が少しずつ増えてきていたのですが、夫もその状況を見て私にばかり負担がかからないよう、自然とこれまでより家事を担ってくれるようになりました。夫はもともと細かいところに気が付くタイプなので、心の余裕が生まれたことで「イライラする前に自分がやればいいか」と思い直した面もあったようです。

    夫が以前より家事をやってくれるように

    こうして以前に比べ平和に過ごすことができていましたが、一部屋を夫の仕事場に割り当てたため、生活空間としての部屋が足りなくなっていたことも悩みでした。なので思い切って、もう少し部屋数の多い住居へ引っ越しをすることに。

    新居では夫だけでなく私も自分の仕事部屋を確保し、より快適に仕事に集中できる環境を整えました。

    新居ではそれぞれ自室を持った

    スケジュール共有、昼食を適当にするなどで負担を減らし、気分転換の時間も大切に

    やがて息子も小学校に入り、私たち夫婦の毎日のルーティンのようなものも次第に定着していきました。

    夫婦の毎朝のルーティンが定着

    朝、息子が登校していったら夫と2人で家事を済ませ、午前9時から始業。その日のお互いの作業スケジュールを確認・調整したのち、各自の部屋で作業に入ります。必要があればちょこちょこ呼んだり呼ばれたりして話し合います。

    同じ部屋で作業していた頃はあまり意識していなかったのですが、始業時にスケジュールを確認することで、お互いの仕事の状況が見えやすくなったように思います。また相談ごとがあるときに互いの時間を無駄に使わせないよう、少し時間が取れるかどうか逐一確認することでストレスを減らしました。私たちの場合、今のところこのやり方で十分円滑に進められています。

    地味に負担だった昼食の準備は、メニューを考えたり作ったりという手間を削減し、インスタント食品や冷凍食品で以前よりも適当に。自分たちにとってがんばる必要がないところでがんばるのは一切やめ、週に一度くらいは気分転換に2人で外にランチを食べに行くようになりました。(コロナ禍になってからはテイクアウトのものを買いに出かけたりしています)。

    仕事の話題だけでなく、たわいのない話をして頭を休めつつ、2人で昼食やおやつを食べるのが、ちょうどいい息抜きとコミュニケーションの時間になっています。

    息抜きの時間も大切に

    夕食作りは基本的には私の担当ですが、夫が作ってくれる日も多くなり、食事にまつわる私の負担は今ではかなり減りました。

    おわりに

    私たちの場合は「家庭内でも離れて仕事をするようにしたこと」、「家事負担を片方に偏らないようにしたこと」で在宅ワーク環境が安定しました。もちろん、離れることが可能な環境であったこと、夫が状況を見ておのずと家事をやるよう変化してくれるような人間であったことは幸運だったのだと思います。

    今になって思えば「あの時もっとこういうふうに接すればよかった」と思うことも出てきますが、イライラしている状況の中では、互いに「歩み寄ろう」という気持ちはなかなか芽生えませんでした。

    ケンカ別れのような状況がきっかけでしたが、「相手のことや仕事のことを必要以上に意識しなくていい」時間を持てるようにしたことが、結果として私たちの関係改善につながったと感じています。

    部屋を分けることが難しくても、家具の配置やパーテーションで簡易的に空間を区切ってみたり、少しでも互いが一人で過ごせるタイミングを持てるようにするだけでも、一緒にいること自体へのストレスは少し軽減すると思います。

    家事については、どちらかの仕事だと決めつけずシェアする意識を強く持ち、手間を減らせる部分は減らす方向でお互いにがんばらないことを許容できたら、さらに気持ちに余裕が生まれるかもしれません。

    今後、いずれコロナ禍が落ち着いたあとも、在宅ワークが新しい働き方として定着していくような動きもあるようです。そんな中、私たちの経験が少しでも参考になればうれしいです。

    著者:ちょっ子

    ちょっ子

    アラフォーのイラストレーターで一児の母。個性あふれる息子と夫との愉快な日常をつづった漫画ブログ「ちょっ子さん」、ゆるく更新中。

    Twitter:@chokko_san ブログ:ちょっ子さん

    在宅ワーク中のお悩み、どう解消する?

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    編集/はてな編集部

    「すてきな食卓」をやめた|瀧波ユカリ

    瀧波ユカリさん

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、漫画家の瀧波ユカリさんに寄稿いただきました。

    瀧波さんがやめたのは「すてきな食卓」であること。

    以前は家族でテーブルを囲み、手料理を楽しむ……。そんな「すてきな食卓」を演出することが自分の役割だ、と感じていたという瀧波さん。

    ですが、あるきっかけを経て、「やめてしまっていいんだ」と思えたそう。“やめる”ようになるまでの遍歴をつづっていただきました。

    ***

    今、私のデスクのかたわらには、お弁当がある。夫がお惣菜屋さんで買ってきてくれたものだ。10歳の娘は、まだ塾から帰ってきていない。彼女の夕食は、おにぎりと冷凍のお惣菜ときゅうりの漬物だ。これも夫が用意してくれた。

    昨日の夜は、私が作った。大根と鶏肉の煮物、サラダ、ごはんと味噌汁。一昨日の夜は、カレーのデリバリー。作ることより買うことのほうが多く、私が毎晩台所に立つことはない。


    前はちがっていた。なるべく作るようにしていたし、作らなければならないと思っていた。家族3人でテーブルをかこみ、できたての手料理を楽しむ。そんなすてきな食卓を演出しなければ。それが自分の役割だと信じていた。

    だけど、もうやめた。前向きにやめた。今はこれでいいし、これがいい。心は晴れ晴れとしている。やめてよかったと思う。

    どうして私が「すてきな食卓」を背負い込んだのか、そして背負うのをやめたのか。それを説明するためには、時を30年近く巻き戻さなければならない。

    料理にこだわりを持った母の、ある宣言


    「私は娘に、料理をさせるつもりは一切ありません。包丁なんて握らせませんよ」

    これは、私の母のセリフである。

    中学の家庭科の授業で、私があまりにもおっかなびっくり包丁を握っていた。担任の先生(20代男性)が、家庭訪問でそのことを母に話した。すると母はそう言い放った、らしい。

    「…って言ってたぞ。お前の母ちゃん、すごいな!」

    家庭訪問の翌日、先生は少し興奮気味にそう言った。

    「包丁も握らせないなんて、瀧波ってお嬢様なんだな」

    先生なりに考えて、そう解釈したらしい。そういうわけじゃないんだけどな、と思ったけど、お嬢様という響きがまんざらでもなかったので否定はしなかった。

    それに、実は私にもわからないのだ。どうして母は、私に料理を教えようとしないのだろう。まだ早いと思ってるから?教えるのが面倒だから?いや、そういう消極的な理由ではない。母からはむしろ「絶対に料理なんかさせない」くらいの気迫を感じる。

    そういえば、母はよくこんなエピソードを私や姉に語って聞かせた。

    「私は24歳まで料理をしたことなかったの。最初に作ったのは、カレーライス。カレールウを買ってから、作り方を知らないことに気がついた。だから箱の裏の説明書きを見て作ったの」

    これを、自慢げなテンションで話す。恐らく、母にとってこのエピソードは純然たる自慢なのだった。女の子は料理ができて当たり前、料理上手であればあるほどよい…とされる日本において、このエピソードのどのへんが自慢なのかは謎であった。ちなみに母には24歳まで専属料理人がついていた…わけではなく、ごく普通の家庭の出身だ(8人きょうだいの末っ子なので、少し甘やかされて育ったらしいが)。

    どうやら母にとって「料理をしないで生きる」というのは誇るべきことのようだ。しかし、そんな母は料理ができない…わけではない。普通にする。全然する。むしろ手抜きを嫌っている。こだわりも強い。シチューには白滝、カレーには豚のブロック肉、味噌汁に入れる絹豆腐は大きく切る、唐揚げの鶏肉には下味をしっかり。そんなふうに、母はいつも料理しながらこだわりについてしゃべっているので、私は料理を教わらずにこだわりだけ覚えてしまった。

    おおいに、矛盾している。でも親が矛盾しているのなんて、おかしいことでもなんでもない。なんなら親の言うことなんて、矛盾しかないくらいだ。だから気にしたって、しょうがない。

    自炊をしていないと、どうしてか罪悪感を抱く


    それから数年、本当に包丁を握らないまま私は高校3年生になっていた。正確に言うと、皮むき器は時々握っていた。皮むき器の使用はなぜか許されていて、母に命じられて芋の皮をむいたりしていたから。

    春になったら上京して、一人暮らしが始まる。皮むき器ひとつで自炊はたちゆかない。だけど母が私に料理を教える気配は、一切ない。事情を知った親友が、一肌脱いでくれた。彼女の家の台所で、私は彼女とそのお母さんからチャーハンの作り方を教わった。にんじんをみじん切りにする時は、先に格子状に切り込みを入れるとうまくいく。それからフライパンを熱して…そんなふうに教わったことを私は帰宅してすぐに母に話した。

    「どうしてよそで教わってくるの!」

    母は怒り出した。地雷はどこに埋まっているのかわからない。

    「だって、お母さんは教えてくれないじゃない」
    「だからって、よそで教わってきてもいいとは言ってない!」

    なんで怒られているのかも、やっぱりよくわからない。

    結局私は、親友の家でチャーハンの作り方を1回教わっただけの状態で、一人暮らしのスタートを切った。母は一通りの調理器具を揃えてくれた。だけど私がそれを使うことはほとんどなかった。学生街には手頃な定食屋さんがたくさんあったし、大学生活は自炊よりも楽しいことが泉のように溢れていたから。

    それでもたまに、私はアパートの小さな台所に立った。ずっと自炊をしていないと、悪いことをしているような気持ちになるのだ。それを晴らすためだけに、肉野菜炒めなんかをでたらめなやり方で作った。自炊をしなさいなんて、だれからも言われていないのに。「お母さん」からすら、言われていないのに。

    ちゃんとした食事を作るんだ、という気負い

    27歳で結婚して、二人暮らしが始まった。夫が帰ってくるのはいつも22時をまわってからだし、飲んでくることも多い。また夫は、妻に家庭的なるもののあれこれを求めるタイプでもない。私がちゃんとした食事を毎日作る必要はまったくなかった。

    それでも、週に何回かは料理するようにした。長い一人暮らしの間にさすがに簡単なものは作れるようにはなり、台所と私の距離は人並み程度に縮まっていた。料理にまつわるエッセイを読んで、真似してみるのも楽しかった。愛読していたのは平松洋子さんと高山なおみさんの本。こうしなければならない、ではなく、こうしてみると楽しい、おいしい、という姿勢が心地よい。それまでの自分にとって料理は作って食べる、だけのことだったけど、楽しむ、という要素もあるのを知った。

    だけどやっぱり台所に立つ理由は、楽しさだけではないのだった。夕方が近付くと時折、冷たくて重い気持ちがどこかからやってきて、私にこう思わせるのだ。

    「妻がごはんを作って待っていてくれる」のは男の人にとってはうれしいはず。
    品数が多ければ、大切にされていると感じるはず。
    だから、スーパーに行って食材を買わなければ。
    ソファから体を起こして、冷蔵庫から食材を取り出さなくては。

    そうして私はせき立てられるように台所に立つ。食材を包丁で切り始めると、少しだらけていた数日間がチャラになっていくような気持ちよさを感じる。今のこの自分は、だれに見せても恥ずかしくない。大人の女性として、そして妻として、ちゃんとしている自信がある。そう思えると、心が落ち着く。

    手を動かしながら、「これは手がこんでるね」とか「おいしいね」と言いながら食べてもらえる時間をよく想像した。料理が大好きでも得意でもないけれど、がんばったぶんだけ褒めてもらったり、認めてもらえるならがんばれる。

    食卓を巡る、どうしたらいいか分からない苦しさ

    でもどうしても体が動かない日もあったし、そんな時は自己嫌悪に陥った。がんばってあれこれ作ったのに、夫が特にリアクションもなく食べきってしまった時には悲しくなった。その手の鬱憤を溜め込んではある日突然限界を迎え、

    「料理の感想がほしい」
    「おいしいならおいしいって言ってほしい」
    「いつもより品数が多い時には気付いてほしい」

    などと目に涙をためて抗議したりもした。そのつど夫は、とても申しわけなさそうにして私に謝った。ちゃんとおいしいと思っているのに、つい夢中になって食べてしまって言葉を忘れてしまってごめんね、今度から気をつけるよ、と。そして実際気をつけるのだが、数カ月に1度はうっかりノーリアクションで食べ切り、私が怒る。そんなことを、繰り返した。

    夫にとっては、食事の時間はリラックスして何気ない会話を楽しむ時間。でも私にとっては、がんばりを認めてもらうための時間。そんなふうに、私たちの認識はズレていた。そしてズレていることはわかっていても、どうしたらいいかはわからなかった。どちらかが悪いなんてことはない。だからこそ、苦しかった。

    30歳で娘を出産し、3人家族になった。日々の食事。離乳食。保育園に持たせるお弁当。いろいろ作った。凝ったものは作れないけど、なるべく質のいい食材を使って、栄養バランスの取れたものを食べさせたい。冷凍食品やレトルトは避けた。たぶん、がんばっていた。たぶんというのは、当時どんな食事を作っていたのかをあまり覚えていないからだ。

    思い出せるのは、時間をかけて煮た大根が品種のせいなのか柔らかくならなかったこと。子どもが喜ぶかと思って作ったグラタンを、あまり食べてもらえなかったこと。そんな、失敗エピソードばかり。

    頭の中はいつも、仕事と食事のことでいっぱいで、うまくやらなきゃ、手際よく進めなきゃ、そればかりだった。自分は世間の常識にとらわれないタイプだなんて思っていても、どこかで「母親たるもの、子供にちゃんとしたものを食べさせなければ失格だ」という重責はいつもずっしりと両肩にのしかかっていた。

    いっぱいいっぱいなのにいちいち作ろうとする私を、夫は止めなかった。だけど時折、おいしいねって言って食べながらも、凝ったものじゃなくても全然いいんだよ、無理しなくて大丈夫だよ、と言ってくれていた。でもそれも今思えば、である。当時はちっとも耳に入っていなかった。「母親たるもの、しなければ」が、強すぎたのだ。

    少しずつ変わっていった食卓

    34歳の時、母が癌になった。家族で手を尽くしたが、1年後に亡くなった。

    だれよりもパワフルで我の強い母が、私の人生からあっけなく消える。そんなことがあるなんて、信じられない。おおいに矛盾している。だけど、親とは矛盾しているものなのだ。だから「なぜ」と思い続けたって、しょうがない。

    喪失感を紛らわすように、来た仕事はどんどん引き受けた。泊まりがけで東京に行き、家を数日あけることも珍しくなくなった。そんな時に夫は、特に問題もなく娘と留守番をした。夫は料理が得意ではないけれど、娘の好きなうどんやそうめんを作ったり、マクドナルドやレトルトやコンビニのお惣菜などをふんだんに活用して、留守の間の食卓を彩っていた。

    夫が食卓を担う割合が少しずつ増えていくと、冷凍庫は便利なチルドや冷凍食品で賑わい出した。最初は、冷凍うどん。私は生うどんのほうがおいしいと思いこんでいたけれど、食べてみれば変わらない。チルドのミートボールはお弁当に便利だ。フリーズドライの味噌汁は、驚くほどのおいしさ。

    食材の調達方法も変わった。夫が1週間ぶんの食材を宅配で注文するようになったのだ。野菜も肉も魚も、スーパーに並んでいるものと見劣りしない。夫のセレクトの精度もどんどんあがり、使い勝手のいい食材やちょっと特別感のあるお菓子まで、いろいろ織り交ぜて楽しませてくれる。いつのまにか私はスーパーにほとんど行かなくなった。

    さらには夫が朝ごはんも担当してくれるようになった。今までは私が3人分の朝食を作って出していたのだが、夫は娘のぶんだけをちゃちゃっと作り、私を寝かせておくという戦法を取った。家族そろって仲良く朝ごはん、という固定観念をあっさりと打ち破ったことに私は驚きつつも、ありがたく朝寝坊するようになった。

    過度な「こだわり」を捨てたらしんどさが減った

    そんな変化にも慣れたある日、私はやっと、気付いたのだ。

    恐れていたことなど、何も起きないと。

    私が台所に立たなくても、だれも私を責めたりしない。家族にあきれられたりしない。それどころか、おいしいと言ってほしいとか味わって食べてほしいとか私が言わなくなって、夫も娘も気楽そうだ。冷凍食品やレトルトを増やしても、みんな健康だ。

    これでいいんだ。

    もう、「すてきな食卓」を私が作るっていう重荷を背負わなくていい。やめてしまっていいんだ。

    冷凍庫に整然と並ぶ唐揚げや焼きおにぎりやうどんのパッケージを眺めながら、私は全然それでいい、と静かに思った。

    夕方にやってきていた冷たくて重い気持ちはもう、少しの気配すらなかった。

    それからさらに数年。最近になってもうひとつ、とても大事なことに気付いた。母が私に断固として料理を教えなかった理由。それは、「女は料理をしなければ」という社会からの圧力に、私が取り込まれないようにするためだった、ということ。

    女は料理をしろ。女は料理をしろ。女は料理をしろ。この国で女として生きていれば、そのメッセージは太陽光線のように降り注ぎ、どうしたって逃れられない。それを母は、いやというほどわかっていたのだ。フェミニズムという言葉を使ったこともない母だったけれど、骨身に染みて知っていたのだ。だからこそ母はきっと、自分だけは娘に真逆のメッセージを送ろうと思ったのだろう。あんたは料理なんてしなくていい。包丁なんて握らなくていい。よそで教わってきたりしなくていい、と。

    料理を教わらずに大人になったことを、コンプレックスに思っていた時期もある。積極的に台所に立ちたいと思えないのは、育ち方のせいなのかもと母を恨めしく思ったこともある。だけど今はありがたい。すごいものをもらったんだな、と。

    そして振り返れば、私はふたりに助けられたんだなと思う。「すてきな食卓」を作らなければいけないという「呪い」にいつのまにか囚われてしまった私に、時間をかけて「こういう感じでいいんじゃない?」と示してくれた夫に。そして、夫が示してくれた「こういう感じ」を受け取れるように、「しなくていい」を仕込んでくれた母に。


    もう少しで娘が帰ってくる。「お父さんが買ってきてくれたお弁当をおいしそうに食べるお母さん」を見せるのが、今夜の私に課せられた「母」としての大仕事だ。


    著者:瀧波ユカリ

    瀧波ユカリ

    漫画家。1980年北海道生まれ、札幌在住。主な作品に『臨死!!江古田ちゃん』『モトカレマニア』(共に 講談社)『ありがとうって言えたなら』(文藝春秋社)など。

    Web:瀧波ユカリ公式サイト Twitter:@takinamiyukari

    わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
  • 「大人にこだわる」のをやめてみた|ひらりさ
  • 「お世話になっております」をやめてみた|しまだあや
  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美
  • りっすん by イーアイデム 公式Twitterも更新中!
    <Facebookページも更新中> @shinkokyulisten

    編集/はてな編集部

    コンプレックスは無理に隠さない。だから、過度な「写真の加工」をやめた|ぱいぱいでか美

    ぱいぱいでか美さん

    誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、タレントのぱいぱいでか美さんに寄稿いただきました。

    でか美さんがやめたのは、誰かを見返すためにコンプレックスを解消しようとすること。そして、その後コンプレックスと向き合う上で過度な「写真の加工をやめた」こと。

    自分の中でコンプレックスを解消するためにやっていたことが、気付けば「コンプレックスを浮き彫りにさせていた」というでか美さん。

    体験を経て気付いたことは「コンプレックスがあってもいい」「無理に完璧になろうとしなくてもいい」ということだったそうですーー。

    ***


    くっそー!見返してやる!

    ドラマや漫画なんかでよく聞く台詞のようで、実は現実でも使われがちなのではないでしょうか。信じてた人から裏切られた時、好きな人に振られた時、ライバルに負けた時、理不尽な目に遭った時、などなど。わざわざ口に出す人はいないけど心の中で呟いて、そういう原動力で頑張る人は多い気がします。友達を励ます時なんかにもつい言ってしまいそうな台詞ですね。……あんな奴、見返してやんな! なんて。

    見返すために強い自分を目指す。もっと綺麗になりたい。もっと仕事できるようになりたい。

    ただ、フィクションと現実はやっぱり違います。現実の見返したい相手は残酷なまでにリアルな人間で(当たり前だが)、こっちが拍子抜けするような反応を取ってくるならまだ良い方。まず自分に対して然程興味がないんです。

    私を無下に扱っていた人が、メディアにでるようになってからもてはやすというか、グッと近付いてきたことがありました。自分がしたこと忘れたんか? と思いつつ、もしこれが私が考えていた「見返す」のゴールなんだとしたら、あまりにも虚しい出来事でした。

    だってとびきり嫌なアイツのはずなのに。もっと嫌われたり、悔しがられたりするのかと思ってた……。目の前でニコニコと「写真撮りましょ! SNSあげていいですかー?」と言われピシャリと断る気持ちにすらなれず「あ、はい」と言ってる間に撮られていました。夢? と思うくらい一瞬のことでした。


    どうでもいい人を「見返す」必要はない


    誰かに投げられた言葉や態度で生まれたコンプレックスって何の意味があったんだろう。そしてそれをバネに頑張ることの意味も。

    どう考えても自分を大切にしてくれている人たちが喜ぶ顔を思い浮かべて、違う方向で努力する方がいいじゃないか!

    大切にしてくれている人たちのことは、私ももちろん大切に思っています。この人たちにコンプレックスを植え付けられるようなことをされたことが果たしてあっただろうか? いや、ない!

    大切な人たちはいつも背中を押してくれて、自信をつけさせてくれていたのに。

    もうどうでもいい誰かのために、ましてや見返す為にコンプレックスを解消するのはやめよう、と思った瞬間でした。

    それと、25、6歳くらいの頃からジェンダーに興味を持ち始め、女性の生き方やルッキズムについて考えるようになったのは私にとって大きいように思います。見返すことをやめてからのコンプレックスとの向き合い方の大きなヒントになり、自分の中のモヤモヤを少しずつ紐解いていくような感覚は初めてでした。


    過度な「写真の加工」をやめた

    コンプレックスに対しての意識が変わった経験として、1,2年ほど前から「写真を加工する」ことをやめるようになりました。

    まずは自撮りから。

    そもそものきっかけは、自分より若い世代の子達がカメラアプリに詳しく、なんとなく流行りのアプリに乗れてないのを感じたから。あー今はそんなのが流行ってるのか。てかそもそも何で私はこのアプリを使ってるんだ? とふと考えてみたのです。

    ということで思い切って一度加工系のカメラアプリを消してみました。所謂ノーマルカメラで撮って、明るさとか色味の調整だけはアプリでする程度に。

    ぱいぱいでか美宣材写真


    そしたら、何かちょっと意外なくらい平気でした。最初のうちは気になったり恥ずかしかったりするような感情もあったけど、すぐに慣れました。だって、自分が日常的に見てる顔はこっちの方が近いんだから。

    やっぱり気になるところはある。そりゃある。でも、自分の顔を取り戻した気分にすらなって清々しかったのです。

    たまに、ぼーっと写真を眺めていると実際に会ったときと全然違うくらいの加工をしている子がいます。もちろん実物がはちゃめちゃに可愛い子です。可愛いのに、みんなおそろいの加工をしているんです。

    それ自体をやっぱり否定する気にはなれないけど、きっとこの子にもコンプレックスがあるんだと思った瞬間なんだか居た堪れない気持ちになりました。コンプレックスを解消するための機能のはずが、コンプレックスが浮き彫りになっているのです。

    自分が加工していたときもそうでした。ほうれい線は自動で消える設定にしていたから、もはやインカメで見る自分にほうれい線はなかったし、理想の顔や流行りの顔があって、それに近づけるような加工をしていました。

    面長が嫌で少し幼く見えるように輪郭を丸く縮めたり、小さな目が嫌で大きくしたり、横にでかい鼻が嫌で小鼻は小さくしたり。加工した全体のバランスを取るためだけに、別に不満がないのに口をでかくしたり眉の位置を下げたりもしました。自分の実際の顔や印象がどうであるかより、アプリの中だけでも嫌な部分を消してしまいたかったのです。

    画像加工をがっつりしていた頃

    自撮りの加工を多くしていた頃の写真

    けどそれは結局、いつの間にか自分の嫌いなところを見つける作業になってしまいました。根本的な解決には至ってなかったのです。


    写真を加工し過ぎることをやめてから、楽になった


    自撮りの加工をやめてから、お仕事で撮っていただいた撮影データを見てひどく落ち込むこともなくなりました。これは自分にとってかなり大きな進歩!

    前までは撮影データの確認が一番苦痛な作業で、自分のあらゆる部分が気になりOKカットも中々見つけられず、唯一見つけたOKカットも、結局スタッフさんにお願いして加工してもらっていました。

    写真を選んでいる時も、修正箇所を指定する時も、誰に向けてか分からない情けなさでいっぱい。先回りの被害妄想が激しくて「この写真もブスって言われるんだろうなー。何でブスって言われる為にいろんな人の力借りてわざわざ写真撮ってるんだろ……」くらいの落ち込み方なんて当たり前でした。

    しかし今は表情の良さで写真を選べるようになりました。修正も写真全体の色味や明るさの拘りはあれど「レタッチはそんなにしなくていいです、常識的な範囲でお任せします」と答えられるようになったし、何なら(おそらく先方的には気を遣って)どこかへ消えてしまったほうれい線のない頬が自分にはもう不自然に感じて「ほうれい線を戻してください」と言う時すらあります。あんなに、あんなに気にしてたのに!

    ぱいぱいでか美宣材写真

    ほうれい線を消さなくなった直近の宣材写真


    そりゃあ「盛れてる/盛れてない」は、あります。奇跡の一枚みたいなものもあるし(笑)、こんなに浮腫むもんかね? なんて日も全然ある。

    ここまで書いといてなんですが、今の私はコンプレックスが完全に解消したわけでもなければ、まるごと愛せるようになったわけでもないのです。日々揺らぎがあって掴み損ねる時もあるけど、でも、それでいいんです。

    感覚的な話で伝わるのか不安ですが、最近は嫌いなところは嫌い、それはそのままでいいと思えるようになりました。

    コンプレックスなんてあって当たり前。それ自体の感情は否定はしたくないのです。そんなすぐに完璧になんてなれないから。

    だからこそ、付き合い方が大事なのかも。

    私の場合は、結果、写真を加工し過ぎることをやめてから、楽になった感じがします。自分でも何だか不思議に思いますが、本当なんだからそうとしか言いようがない。ほうれい線は年を取れば誰にだってできるのです。

    繰り返しになりますが、エイジズムやルッキズムを考えるようになったことも大きいです。学んでいく中で、尊敬できる諸先輩方を見つけられたおかげでもあります。歳を重ねていくことが自然で当然であることは勿論、それがどれだけ素敵であるかを見せてくれました。

    それに日々、これだけ笑っていたら人より深い皺ができることくらい納得なんです。シワのある自分を嫌だと思う気持ちと、よく笑う自分は良いなと思う気持ちを比べた時に、よく笑う自分をもっと大切にしてあげたくなりました。


    コンプレックスを、無理に隠していませんか?


    しかし私のコンプレックスは見た目だけに留まりません。まだまだある。掘れば掘るほど出てくる。あー大変だ!

    ネガティブな性格も直したくて仕方なかったのです。

    被害妄想が激しくて、いつも最悪のパターンを頭の隅におきながら行動。最悪を考えておけば、それより悪いことは起きないはずだから自分が傷付かずに済むのです。とは言え想像の段階でかなりプレッシャーがかかる為非常にエネルギーを消耗するし、何だかんだ想像よりはマシであれ、嫌なことが起きてしまえばそれはもう嫌でしかないので、ついさっきは「傷付かずに済むのだ」なんて偉そうに言ったけど全然その都度、傷ついているのです。これではあんまり意味がない。自己申告するのはかなり恥ずかしいけど、根っから不器用な生き方。

    私ってなんでいつもこうなんだろう、と考え込んでしまいます。

    ただこのネガティブさも、さっきの「写真の加工をやめた」状態に置き換えてみました。あいにく性格を加工するアプリはないので、ポジティブな状態の自分は仮の姿ですら見ることはできませんが、じゃあやっぱり、これが私ってことなんだな、とシンプルに思えました。無加工の私は何かいっつも勝手にてんやわんやして、ちょっとその様って客観的に見たら面白いな……くらいには思えてきたんです。

    ネガティブな自分の中にある面白みとか、考え過ぎちゃうが故の思考回路とか、我ながら人間みあって可愛いじゃんって。

    これはもはやポジティブなのでは? と言いたいところですが、ただネガティブな自分を受け入れるということ「だけ」を身に付けてたという感覚ですね。でも、たったそれだけで楽になったし、落ち込んでる自分も俯瞰で見れるようになりました。

    そのおかげか、凹んだときにもがいてもがいて、どんどん深みにハマっていくのが癖みたいになっていたけど、今は凹んでる時は脳内のもう一人の自分が「凹んでいますね」とかなりフラットな気持ちで眺めています。

    励ますでもなく何をするでもなく、ただ、眺めている。

    中心にいる自分はもちろん悲しんだりつらかったりするのでしんどいはしんどいのですが、ネガティブ発動してますね、と一度受け入れているので妙な深みにまで到達することはかなり減りました。

    さっきの写真の話と同じで、そりゃ調子みたいなものはあります。でも、それでいい。揺らいでいていい。毎日息して生きてるんだから当たり前なんです。

    コンプレックスを無理に隠すことは、人目につかなくなる代わりに、少しでもはみ出ないように常に見張らなきゃいけなくなります。

    自分を自分で鼓舞することや律することは大事だけど、見た目と内面も、コンプレックスへの過剰な見張りは私にとっては生きていく上で逆効果でした。

    ぱいぱいでか美さんがノーマルカメラで撮影した写真

    ノーマルカメラで写した私


    もし私と同じようにコンプレックスが強い人がいたら、加工とか、ポジティブ啓発とか、試しにやめてみてはいかがですか。

    無理に隠さず、かと言って隠したい・直したい気持ちも否定しない。

    何となくいい感じの角度を探しながら、見た目も心もノーマルカメラで写した私は、今日もちょっと盛れていていい感じです。




    写真提供:ぱいぱいでか美
    編集:はてな編集部

     

    INFORMATION

    『でか美祭 2021 ~8月8日はぱいぱいの日~』

    『でか美祭 2021 ~8月8日はぱいぱいの日~』
    日程:2021年8月8日(土)
    開場 12:00 / 開演 13:00 (予定)
    会場:TSUTAYA O-EAST、TSUTAYA O-Crest
    配信:ニコニコ生放送
    Web:https://dekamimatsuri.com/
    ※最新の公演情報についてはイベント公式サイトよりご確認ください

    わたしがやめたこと」バックナンバー

  • 「ニコニコする」癖を(だいぶ)やめた|生湯葉シホ
  • 「自分を大きく見せる」のをやめる|はせおやさい
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  • 「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花
  • 「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお
  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
  • 本当に「好き」か考えるのをやめる|あさのますみ
  • 他人と比較することをやめる|あたそ
  • 料理をやめてみた|能町みね子
  • 無理してがんばることをやめた(のに、なぜ私は山に登るのか)|月山もも
  • 著者:ぱいぱいでか美

    ぱいぱいでか美さん

    一度聞いたら二度と忘れられない名前と、ふざけた芸名とは裏腹に的確なコメント力を武器に、場所を選ばず大活躍。日本テレビ「有吉反省会」レギュラー出演の他、自身の楽曲の作詞作曲やライブ活動、楽曲提供、グラビア、映画出演、コラム執筆などジャンルやメディアにとらわれず活動中。様々なユニットにも参加している。
    Web:ぱいぱいでか美公式サイト
    Twitter:@paipaidekami

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    仕事のオンオフ切り替えに“朝の散歩”はおすすめ。ベテラン在宅ワーカーが実践する「無理のない散歩生活」

    文・イラスト 杉浦さやか

    在宅勤務(リモートワーク)が導入されたり、自宅で過ごす時間が長くなったりする中、運動不足を感じる方や、暮らしのオンとオフのメリハリがつきにくいと感じている方は多いのではないでしょうか。

    そこへ手軽にできる健康維持の手段として、「散歩」を始めたり試したりした方もいるかと思います。ただ、何となく歩いているだけ、距離を気にするだけでは、次第に歩くことへの飽きが生まれ、続かずにだんだんおっくうに……という結果になるかもしれません。

    散歩に関する著書を多く持つイラストレーターの杉浦さやかさんは、「自分ならではの散歩の楽しみ方」のバリエーションを増やした結果、体型の維持や時間の使い方などにいい効果があったとのこと。その工夫について、イラストを交えつづっていただきました。

    ***


    杉浦さんの散歩スタイル。持ち歩くものはハンカチ、水に少量のスポーツドリンクを混ぜたもの、財布、エコバッグ。日焼け防止のために帽子は必須

    こんにちは、杉浦さやかです。大学4年生のときにフリーランスのイラストレーターとして仕事を始め、それから25年以上、在宅勤務の日々を過ごしてきました。

    絵と文章で自分の好きなことを紹介する“イラストエッセイ”のスタイルで、年に1冊のペースで本を作っています。物心ついたときから絵を描くのが好きで基本的には超インドア派なのですが、両親がバイタリティあふれる人たちで、とにかく歩け走れの休日を過ごす家庭で育ちました。お出かけも散歩も長く身に染みついたもので、仕事の一番大きなテーマになっています。『お散歩ブック』(KADOKAWA)、『ニュー東京ホリデイ――旅するように街をあるこう』(祥伝社)など、お出かけや散歩にまつわる著書も多くあります。

    リモートワークに切り替わり、生活が一変した方もいることでしょう。運動不足でときおり散歩をしてみるものの、ただ歩くだけでは続かない……というパターンが多いのでは。先日久しぶりに会ったパパ友も、「家にこもってまったく動いてないし、人に会ってないよ」とストレスたっぷりの顔で訴えていました。

    こんな時期だからなのか、散歩が好きなはずの私も、半年前まではやる気の起きない日々に悶々としていました。そんな私が毎朝の習慣にした、日々の散歩の楽しみ方を紹介できればと思います

    不調の日々、やる気が出なくて「本気散歩」を始めた

    散歩の本を何冊も出していますが、しょっちゅう出かけているのかというと、全然そんなことはありません。コロナ禍の前から、2週間以上電車に乗らないことはザラ。家にこもるのはまったく苦ではありません。

    私が日常的にしていたのは、ほんの近くのご近所散歩でした。コピーをする際にちょっと遠いコンビニまで。打ち合わせで駅前に出たついでの寄り道。家々の庭先の花を眺めたり、知らない路地に入り込んで古いおうちをちらりとのぞいたり。何気ない日常の散歩が、何よりの息抜きでした。

    そんな「ちょっぴり散歩」が、「本気散歩」に変わったのは、ここ最近私を悩ませていた「やる気の出なさ」がきっかけです。

    現在8歳になる娘が生まれて以来、夜9時に寝て朝4時前には起きるスーパー早寝早起き生活。仕事をする時間の捻出で必死だった頃に作った生活リズムでした。なのに、朝起きた瞬間になんとなく憂鬱で、まるで仕事のやる気が起きない。

    ひとりきりで集中してバリバリ仕事をしていた早朝の時間を、スマートフォンを眺めてダラダラと過ごしてしまうことが続いていました。以前から、仕事へのやる気だけが自分を支えてきたのに。イライラや怒りが抑えられなくなる時もあって、どうやら更年期の症状のよう(当方、50歳目前!)。さらにこんなご時世であることも、気分の停滞に拍車をかけたのだと思います。


    Gotoトラベル、Gotoイートを活用し時々外に出ていたものの、冬になり再び自宅にこもる日々が続き体調不良に。このままではいけない、と朝散歩を導入することに

    これではいけない、と一念発起して「毎朝歩く」と決めたのが冬の終わりのことでした。コロナ禍以前もときどき娘を学校に送りがてら歩くようにはしていたけれど、仕事が立て込んできたのをきっかけに、すっかり運動不足になっていました。

    「朝に散歩する」と決めたら、生活にメリハリがつくようになった

    朝に歩くと決めたのは、娘を学校に送るタイミングと合うことと、散歩を“出勤”代わりにしたいから。今まで会社勤めしたことがない私でも、“出勤”的リフレッシュが欲しくなるくらいなので、「朝の決まった時間にとりあえず家を出る」のはかなりおすすめです。

    ずっと家にいると気持ちの切り替えが難しく、気分が落ち込んだ時にどうにも打破しにくいもの。部屋着のままボサボサ頭で仕事に取り掛かる……なんてことになりがちです。一度服や髪型を整えて外の空気を吸ったら、大きなメリハリをつけることができます

    最初は30分ほどからスタート。早歩きで商店街を終点まで行き、往路は裏道を通って遠回りして帰る。ついでに24時間営業のスーパーで、朝の品出し最中の野菜などを買っていくことも。すいている時間なので、買い物も実に快適です。

    歩くのに慣れてきたら30分では物足りなくなって、少しずつ足を伸ばしていきました。最終的には、家から徒歩25分ほどの川まで歩き、川べりを15分ほど歩いて戻る1時間強のコースまでになりました。これで9,000歩ほど。

    慣れてくるとマンネリになってくるので、スマホでradiko*1を聴きながら歩くようになりました。ラジオは大好きなのだけど、感覚だけでできる色塗りの時以外は仕事中に聴けないので、これはかなりのお楽しみ。朝のニュースをチェックしたり、お気に入りの番組をタイムフリーで聴いたり。

    そして川まで来たら、イヤホンを外します。木々がうっそうと茂る緑地に入ると、木や草、土の香りに包まれる。鳥たちの声、風に揺れる枝の音、葉っぱや草を踏む感触。

    「ああ、生き返るなぁ」

    これがまぁ、かなりのリフレッシュになるのです。


    杉浦さんなりの散歩の楽しみ方。川付近を歩き自然の匂いを楽しむことも

    決して無理せず、散歩を日課として続けるコツ

    とにかく「無理しない」のが散歩を続けるコツです。長く歩く散歩は体調のいい時に限ります。調子がのらない、疲れている、仕事が立て込んでいる、睡眠が足りない……そんな日は決して無理はせず、ショートコースに切り替える。今日は20分でいいや、と自分を甘やかすのも大切なことです。しばらく同じコースが続いたら、全然違う住宅街コースに変えるなど、自分を飽きさせないための工夫もしています

    自分のお気に入りの目的地を探してみる

    私の場合は川という大きな目的地が散歩の励みになっていますが、そういう場所がもし徒歩圏内にない場合は、公園や神社などがいい目的地になります。ひとり暮らしで気分が滅入っていた頃には、毎朝神社まで行って境内の空気を吸って帰ってくる散歩を続けていました。

    公園や境内、緑のたくさんある場所は、マップで探せば小さくてもきっとあるはず。最初は近くを目標にして、だんだん距離を伸ばしていけば、長い距離を歩けるようになります。あせらずゆっくり、お気に入りのコースを増やしていきます。

    決まった時間に散歩することでメリハリをつける

    私は朝に決めていますが、時間の都合がつかない場合は、もちろん夕方や夜でもいいと思います。決まった時間帯にお散歩タイムを設けて、日課にしてしまう方が大事。土日はお休み、雨の日はショートカット、と自分を甘やかしながら。とにかく「この時間は散歩をする」と決めると、仕事とのメリハリがつけやすくなるはずです。

    決まった時間に歩くのが難しい場合は、歯医者や美容院など普段は自転車で行くような場所に、あえて歩いて行ってみる散歩も楽しいですよ。「こんな素敵な家があったんだ」「感じのいい路地があるな」 なんて、自転車で通り過ぎていた時には気がつかなかった風景に目が止まって、新しい発見があるものです。

    自分なりの「散歩の楽しみ」を見つけてみる

    散歩を続けるポイントは、自分なりの楽しみを見つけること。私の場合は、花とおうちウォッチングです。

    庭先に咲く季節の花を眺めて歩くのはとても楽しい。この間までバラが競うように咲き誇っていたけれど、ヤマボウシの白い花が咲き、アジサイが主役の季節に移り変わって。道端の小さな雑草にも目がいって、知らない花は写真に撮ってアプリで名前を調べます。花も木も草も、名前を知るととたんに親しみが湧いて、自然と視界に入ってくるようになるから不思議です。

    色の違うトタンの壁がパッチワークみたいな家、味わい深い木造の古い家、超モダンな家、個性的な家を探して歩くのも大好きです。


    無理せず散歩を続ける方法は人それぞれ。杉浦さんなりの散歩の楽しみ方は、花とおうちウォッチングをすること

    散歩のモチベーションアップ方法はいろいろ!

    私がよくやるのが、なじみのない場所へ外出する機会があった時、帰りにひと駅ふた駅歩いてみる散歩。今やスマホさえあれば迷わずに歩けるのだから、最高です。その昔はポケットサイズの区分地図を持ち歩いて散歩していたもんね。自分が住む東京にも、まだまだ自分の知らない風情の場所がたくさんあるなぁ、とワクワクします。

    歩数を測るのもモチベーションアップになります。スマホのアプリでチェックして「平均して5,000歩は歩くようにしよう」と決めたりして。

    私の場合は、”体重の増減”も大きな指針です。娘の卒園&入学で写真をたくさん撮った年に、自分のどっしりした姿に驚いて、必死に食事制限をしてせっかく6kgもダイエットしたのに、コロナ禍でじわじわ戻りつつありました。毎朝起きたらまず体重を測っていますが、散歩していると週末に暴飲暴食しても平日にすっと戻るし、体も締まってきたような気がします。

    そして散歩を習慣にしてから一番うれしかったのが、朝の時間が足りなくなるためにスマホを見なくなったこと。スマホの目覚ましで起きたら、そのまま玄関の下駄箱の上に置きます。

    早朝の時間は無理して仕事をせず、ラジオ英会話の講座で英語の勉強をして、YouTubeを見ながらヨガをするのが日課になりました。英会話はコロナ禍が終わったら、旅に行くときのために。ヨガはホルモンバランスを整えるために。どちらもとても楽しんで取り組めています。歩き始めてみたら、新しい物事に積極的に取り組む気持ちが芽生えるなんて、なんてうれしい副産物。

    散歩から戻ったら、コーヒーを淹れて、さぁ仕事開始!

    オンとオフの時間にメリハリがつく散歩生活、できる範囲で取り入れてみてはいかがでしょう? 電車に乗っての街歩きは難しいご時世でも、ご近所散歩は毎日できるもの。何かが少し変わるきっかけに、なるかもしれません。




    著者:杉浦さやか

    杉浦さやか

    イラストレーター。日本大学芸術学部在学中からイラストの仕事を始め、人気を集める。独特のタッチのイラストはもちろん、ほのぼのとしたエッセイが読者の熱烈な支持を得ている。著書に『東京ホリデイ』『世界を食べよう!朝ごはん』『すくすくスケッチ』(祥伝社)、『おたのしみ歳時記』(ワニブックス)など。

    Twitter:@saa_aya

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    編集/はてな編集部

    *1:ラジオを聴けるスマートフォンアプリ。