服が溢れた今の時代に、新しくブランドを立ち上げた理由――「LEBECCA boutique」ディレクター・赤澤えるさん

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」「夢にまで咲く花柄浴衣」など、販売する服に名前を付け、その名前に至るまでの背景や物語をSNS等で発信する、ファッションブランド「LEBECCA boutique」のディレクター・赤澤えるさん。常に“赤”のワンピースを身にまとった彼女は、幼い頃から古着を好み、同ブランドではヴィンテージアイテムも豊富に取り扱う。場違いなパーティーに始まり、一度は洋服を作ることに絶望したという過去から、ブランドへのこだわり、今後の展望などを伺いました。

ファッションを仕事にする気なんてサラサラなかった

“思い出の服”をテーマにした世界初の服フェス「instant GALA」のクリエイティブディレクターを務められるなど、ファッションを軸に幅広く活動されていますが、まず「LEBECCA boutique」のディレクターとしてのお仕事を教えていただけますか?

赤澤える(以下、赤澤) 次に作るオリジナルアイテムの方向性やデザインを決めたり、バイヤーとしてヴィンテージアイテムの買い付けに行ったり、フォトグラファーとして撮影をしたり、本当にさまざまなことをやらせていただいていますが、私にとって重要な仕事の一つは文章を書くことです。「LEBECCA boutique」のアイテムには1点1点に名前が付いていて、その背景となる物語があるのですが、そういったことを発信することで、誰かにとって“意味のある服”になればいいな、という想いでブランドを運営しています。

そもそも赤澤さんが最初にファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃なんですか?

赤澤 小学生のときから、ファッションは好きでした。ただ、ファッションを仕事にしようとは全く考えていなくて。むしろ「激務!」という印象ばかり強く、意識的に仕事にすることを避けていたように思います。

今のご活躍を拝見すると意外です! ほかに何か目指されていた職業があったんですか?

赤澤 明確にはなかったと思います。栄養学を専攻していた大学も2カ月で中退しました。その後は、手に職を付けたいと思って、学校に通うためのお金を貯めながら美容師を目指しましたが、もともと肌が弱く、素手で薬剤が扱えないという致命的な事実が発覚して、断念。お金だけは貯めていたので、時間のあるこの機会に日本一周をしてみよう! と思い立ったら、東日本大震災が発生して自由に動きづらい環境になってしまい……。20歳前後のときは何もかもうまくいかなくて、本当にどうしようもないなって思っていました。

赤澤えるさん

そんな紆余曲折を経て、ファッション業界に携わるようになったきっかけは?

赤澤 当時、インターンしていた会社の方に「バースデイパーティーがあるから来て!」って言われたのが始まりです。パーティーなんてほとんど行ったことなかったから、しぶしぶという感じで行ってみたんですけど、まあ場違いで(笑)。みんなキラキラしている人ばかりで、私は隅っこのカーテン裏で1人オレンジジュースを飲んでいました……。それで、「もう帰ろうかな」と思っているときに、たまたま以前仕事でご一緒した方に声を掛けられて。それがきっかけで、その方がプロデュースしていたファッションショー関連の会社で働くことになりました。

まさかの偶然の出会いが、ファッション業界でのキャリアのスタートになった、と。

赤澤 そうなんです。ただ、体調を大きく崩したことが原因で退職せざるを得なくなって。ニートの期間を挟み、その後はアパレルの会社でプレスを務めていました。

「LEBECCA boutique」の親会社でもある株式会社ストライプインターナショナルに入ったのは、どのような経緯だったのでしょう?

赤澤 これまた偶然なんですが、石川康晴社長と友人だったからなんです。私が一眼レフを持っていたのを覚えてくださっていたみたいで、「カメラできるならやってよ」とお声掛けいただき、通販サイトのカメラマンとして入社しました。

洋服を作った実感は、言葉が伝わったときにこそ感じられる

ディレクターを務められている「LEBECCA boutique」は、どのような経緯でスタートされたのでしょうか?

赤澤 最初はカメラマンとして従事していたのですが、続けていくうちに「PRディレクター」という肩書きのお仕事をいただいたんです。それで、しばらく仕事をしていると、「ブランドをやらないか?」と直々に社長からお話をいただくようになって。でも、「この人はきっと何か勘違いしてる!」と思って、実は3回くらい断っていたんですよ。前職でもプレスを経験していたし、友人にフォロワーの多い人がいることから、簡単にたくさんのPRができると思われているんじゃないかと思って。

赤澤えるさん

そんな中、ご自身のブランドを出そうと決断したのは何が決定打だったのでしょうか?

赤澤 そのとき、ちょうどラフォーレ原宿の「earth music&ecology」を続けるかどうか決めるタイミングだったそうなんです。もともと、ストライプインターナショナルは岡山で始まった会社なのですが、「earth music&ecology ラフォーレ原宿店」は東京進出を果たした第一号店。その跡地となる場所に私のブランドを出さないか、と。このとき、「これは私の人生に何か大きなことが起きているぞ…!」と感じて、思い切ってやろうと決めました。

「LEBECCA boutique」の特徴の一つに、洋服に名前を付けて販売している点があると思います。コンセプトは、どのように決めていったのでしょうか?

赤澤 コンセプトを決めるときに、たぶんブランドを出しても1年くらいしか続けさせてもらえないんだろうなあって思ったんですね。私の何倍もフォロワーのいる方がブランドを作ってもうまくいかないこともある——そんな現場を今までの仕事の中で何度も目の当たりにしてきたので。それで、どうせ短い活動になるなら自分の納得感を最大限まで高められる仕事がしたくて。せめて、その一着が人から大切にされるように、自分も心から愛せるように、“名前”を付けようと思ったんです。

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」
写真提供/赤澤える(@l_jpn

それが、「名前」のきっかけだったんですね! お店のスタートは順調だったのでしょうか?

赤澤 私はブランドのリーダーですが、ファッションの専門学校も出ていないし、アパレル販売の経験もありません。だから、最初はそんな私が細かいことをいろいろ言ってしまったら、「じゃあ、お前がやってみろよ!」みたいに思われちゃうんじゃないかと思って、すごく悩みました。一時期は、お店にあまり顔を出さない方がみんなのためになるんじゃないかなんて考えてしまって、実際にそうしてしまった時期もありました。ただ、そんなことをしているうちに、お店と私の関係性やお店自体の雰囲気も悪くなってしまって。それで、すごく反省して、今は5分でも時間があればお店に顔を出すようにしていて、スタッフのみんなも「わ〜えるさんがきた〜♪」というゆる〜い感じで迎えてくれます。

自分よりファッションに詳しい人が部下にいる、ということにやりづらさは感じませんでしたか?

赤澤 それは正直ありました。そもそも、私はデザインもできないし、縫製もできないのに、服を作っていると言えるのか? って。ただ、だから私にとって「言葉」はすごく重要なんだと思います。私は、私の言葉が相手に伝わったときに、初めて「私の服だ」と言い切れる。これまでは、「いつこの業界を辞めるんだろう」みたいな、ぼんやりした気持ちでファッションに携わっていたんですけど、服に名前を付け、その背景を文章にして、それがお客様に伝わったと実感できたとき、そんな感覚はなくなりました。

服作りに絶望し、服を作る“意義”を探した

ブランドを始められてから、何か大きな挫折はありましたか?

赤澤 お店を始めて1カ月がたった頃、アメリカへ買い付けに行ったんですが、そこでおびただしい量の“要らなくなった服の山”に出会いました。天井から床まで服で埋め尽くされていて、「こんなに服がいっぱいあるのに、なんで新しく服を作らなきゃいけないんだろう」と。その場に泣き崩れてしまって、ブランドをやる意味、服を作る意味を完全に見失いましたね。

赤澤えるさん

写真提供/赤澤える(@l_jpn

そこから、どう立ち直ったんですか?

赤澤 その場で、すぐにその古着の山の写真を社長に送り付けました。「この状況知っていますか?」「これでも服屋をやりますか?」って。それで、帰国後に社長とお話をする機会をいただきました。社長は丁寧に話を聞いてくれたんですが、その日のうちには納得しきれなくて、そこから数カ月毎日のように私が疑問をぶつけては、社長が答えるという期間が続きました。

最終的に、また前を向けた理由はなんでしょうか?

赤澤 やっぱり、社長が細かく丁寧に一つ一つの疑問に答えてくれたのが大きいです。服があり余ってるのは事実ですし、いくらセールをしても売れずに、捨てられていく服は確実に存在する。でも一方で、社長は「僕たちは規模を選んだ会社として、多くの人の幸せを考えたい」と言っていて、現状を冷静に見つめると、それも一概に間違いとは言えない。だから、まず私たちは私たちなりの服を作り続ける理由を見つけて、それに向かってやっていこうと思いました。

赤澤さんが見出した、“服を作る”意義とはなんでしょう?

赤澤 私たちの作る服は、捨てられない服を目指しています。捨てたいと思われない服、手離すときが来ても誰かの手に渡るような服でありたい。手離す手段はたくさんあるけれど、できるだけ「どういう思いで買って、どういう日に着ていたのか」が伝わる方法で、次の人に受け継いでほしい。「LEBECCA boutique」の服に名前とストーリーが付いているように、どんな小さなことからでも“大事にしてもらえる服作り”を実現していけるんじゃないか、と。それが、今の私が考える“服を作る意義”に直結しています。

常に自分に問う、「それ、やらないとブランド終わりますか?」

現在、ファッション業界ではブランド間のコラボレーションが活発な印象を受けますが、「LEBECCA boutique」もお誘いを受けることが多いのではないでしょうか?

赤澤 ありがたいことに、お話をいただくことはあります。ただ、全部がそうとは言いませんが、コラボは数字ばかり目的にされがちで、肝心のブランドや作り手自身のことが、なおざりになってしまうことが多いと思うんです。例えば、ミュージシャンとコラボするなら、私は全ての楽曲を聴いてから一緒にやりたいんですが、一曲も知らないまま数字だけを目当てにコラボしちゃうようなものが少なくないのではないか、と。今までたくさんのお仕事に携わらせていただきましたが、コラボをする相手との関係性に愛がない状況は何度も見てきたので、私たちのブランドでは慎重かもしれません。もちろん、納得できる状態だったら大歓迎なのですが、それを判断するには、ブランドコンセプトとの照らし合わせが重要だと考えています。

そのことに気付いたきっかけは、なんだったのでしょうか?

赤澤 そもそも、私の経験から、必ずしもコラボする相手のファンが多いからといって、全てが売れるわけじゃないという実感があるんですよね。もちろん、それは相手が悪いわけでは決してなく、単純にお客様が求めていることと、ブランドの向かう方向性との間にズレが生じているということだと思うんです。私たちの場合は、「これはコラボアイテムとしてではなく、私たちのオリジナルアイテムだとしても、LEBECCA boutiqueで販売するだろうか?」と改めて考えることが必要かな、と思います。

赤澤えるさん

コラボを始め、今の赤澤さんにはさまざまなお誘いが来るかと思うのですが、判断に悩んだとき、赤澤さんはどうやって答えを見つけるんですか?

赤澤 自分の家の壁にブランドコンセプトを書いた紙を貼っているので、それと照らし合わせて判断します。少しでも外れていれば全て断りたいのが本音ですが、それでも判断に迷ったときは、「それ、やらないとブランド終わりますか?」と、自問自答するようにしています。答えが「終わりません」だったら、いくら数字につながっても絶対にやらない。もし、「終わりかねない」と結論が出たときには、晴れた日の明るい時間帯に風通しのいいところで改めて考えます。雨の日や暗いところだと、どんどん悩みが深まるので。私の決断は“私たち”の決断になり、私の迷いは“私たち”の迷いになります。だからこそ、考えや思いの深め方自体の健康さを意識することは重要だと思います。

今でも、「お店がなくなってしまうかもしれない」という恐怖感はあるのでしょうか?

赤澤 あまり直接的に言わないようにしていますが、ずっとあります。「このままじゃお店なくなるよ」って言われ続けてきたので、次のシーズンの提案やイベントの話が会社から来るたびに「あ、まだ続けられるんだ」って安心します。だから、本当はおいしい話に乗っかってしまうのが精神的には楽だと思うんですけど、それだとこのブランドをやっている意味がなくなる。お店のある今が最高に楽しいので、なくなってしまうことを考えると怖いですが、いつお店がなくなってしまっても納得できるように毎日の仕事に打ち込みたいです。それこそ立ち上げ当初「1年しか続けさせてもらえないなら……」と考えていたときのように。怖がるばかりで保守に走るより、このブランドでやる意味があることを常に考えて、悩んで、進んでいきたいです。

忘れないように、いつも言葉にする

先ほどからもお話にありましたが、赤澤さんにとって“言葉”は非常に重要な存在だと思います。言葉を残すことは昔からの習慣だったんでしょうか?

赤澤 私、幼い頃から記憶力がものすごく悪いんですよ。検査をしたこともあるくらい。だから、覚えておくことには自信がないし、自分も周りももう諦めていますが、それでも覚えておきたいことは何でもすぐにメモを取るようにしています。服に名前を付けることにおいても、忘れたくない体験や言葉を日々書き留めているメモがヒントになります。殴り書きなので誰にも見せられませんけど……。

赤澤えるさん

ご自身が違和感を覚えたことだったり、納得できなかったこともメモに残していたりするのでしょうか?

赤澤 そうですね。「なんで?」って思ったことに対して答えをもらえなかったこととか、「ルールなので」と突き放されて理由が分からなかったこととかも、「これは今日答えてもらえなかった」ってメモをしておきます。根に持つみたいで怖く聞こえるかもしれませんが、私にとっては大切なこと。そうすることで、次は違う言い方で聞いてみたり、また違った人に聞いてみたりして答えをもらいにいけるかもしれない。結果として、物事やルールをより良く変えることにもつながると思います。

お話を聞いていて感じたのですが、結構頑固なタイプですよね?(笑)

赤澤 よく言われます(笑)。どんなに小さなことでも、自分が感じた“引っかかり”はメモして、一つずつクリアするまで、しつこく戦うようにしています。

最後に、今後の展望があったらお聞かせください。

赤澤 今、キャンピングカーに乗って日本一周するプロジェクトをやっているんです。日本中のさまざまな“生産に関わる方”を訪ねて、「MADE IN JAPAN」のお仕事を見たり聞いたりして勉強させていただいています。やっぱり私は、全て納得した上で、ものづくりをしたいという気持ちが強い。現状、「LEBECCA boutique」の製品を全て私が完全に100%納得いくようにするのは難しいのですが、やり方を模索し、やっと叶えていく段階に入ったところです。生産背景が全て見えるような服が「LEBECCA boutique」に並ぶ日が、そう遠くはないと思っています。

ありがとうございました!

取材・文/宮本香菜
撮影/関口佳代

お話を伺った方:赤澤える

赤澤えるさん

LEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、さまざまな分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。自身が撮りおろし、福島県と共同制作したZINE「夢にまで」発売中。

Twitter:@ERU_akazawa
Instagram:@l_jpn

次回の更新は、7月25日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

ロリータファッションは、私にとっての「戦闘服」――モデル&看護師・青木美沙子さん

青木さん

今回「りっすん」にご登場いただくのは、モデルと看護師、二足のわらじを履く青木美沙子さん。学生の頃、雑誌『KERA』で読者モデルとしてデビューし、瞬く間にロリータファッション好きの間でカリスマ的存在に。2009年には外務省から“カワイイ大使"に任命され、日本のロリータ文化を世界にも発信。その一方で、看護師としての経験も着々と積み重ね、異なる二つの職業を両立し、エネルギッシュに働いています。

20代前半、大学病院に勤務していた頃は、夜勤明けで撮影に行くなどハードなスケジュールもこなしていた青木さん。将来のことも見据えた戦略的な考え方や、ロリータファッションを布教する上での偏見や葛藤など、働くことを通した青木さんの哲学を語っていただきました。

モデルと看護師、激務でも両方続ける理由

青木さんはロリータモデルとして活躍されていながら、看護師の仕事もずっと続けていらっしゃるんですよね。モデルと看護師、どちらもお忙しいイメージのある職種なので、そんな働き方ができることに驚きました。

青木美沙子(以下、青木) 訪問看護という形で自宅療養中の患者さんのご自宅に行っているのですが、これは登録制アルバイトをイメージしていただくのが近いかもしれません。訪問看護ステーションに、その月に入れる日程を提出して、モデルの仕事のない日に看護師の仕事を入れています。

モデルのお仕事が多いときは、ほとんど看護師の仕事を入れられない、なんてことも?

青木 そうですね。忙しい月は看護師の仕事は1日しか入れられなかった、とかもあります。ただ、今って看護師が不足しているので、1日だけでもいいから入れるなら入ってほしい、という感じなんです。

それだけ忙しくても、看護師を辞めずに続けているのはなぜでしょうか?

青木 いくつか理由があって、ひとつは、看護師としての腕を落としたくないからです。完全に辞めて、注射が下手になっちゃうとかが怖くて。10年後か20年後か、いずれは看護師メインの働き方に変える必要があると思っているんです。

モデル業というのは、どうしても需要がないとできません。ロリータ服自体は何歳になっても着続けると宣言していますし、そのつもりなのですが、趣味で着ることはできても、お仕事としてモデルメインでずっとやっていくのはたぶん現実的に難しいんですよね。

青木さん

なるほど。先のことを考えての二足のわらじなんですね。

青木 働き方については今までもそのときどきで変えてきています。20代前半の頃は大学病院に勤めていて、看護師の仕事優先でした。20歳で看護師になって、最初の5年間は病院できっちり働いて技術を身に付けようと思って。20代後半でカワイイ大使に任命されて、月の半分くらい海外に行く生活になり、大学病院勤務が物理的に難しくなったので、モデルメインに切り替えました。

両立する上で、どのような点に苦労されますか?

青木 スケジュールのやりくりはやっぱり大変です。特にテレビのお仕事などは急な依頼も多いので、看護師の仕事を入れちゃっていたら慌てて代わりの看護師を探す、なんてことも……。どうしても見つからないときは、テレビの方には待っていただいて、ギリギリまで看護師の仕事をして現場に駆け付けます。あとは、肌のコンディションには大学病院勤務時代から苦労しています。

激務だったり夜勤が続いたりすると肌が荒れますよね。

青木 そうそう、そうなんです。肌がボロボロの状態だったり、夜勤明けでクマがすごかったりで。その状態で撮影に行って、よく編集部に怒られていました(笑)。夜勤をしていない今でも、手荒れには悩まされています。看護師って消毒液や水に手をさらすので、本当に手が荒れるんですよ! ハンドクリームをつけてもなかなか治らないので、手が写り込む撮影のときは困ります。

青木さんの手元

逆に、両方やっていたからこそよかったことってありますか?

青木 「海外を飛び回っていて大変でしょう」とよく聞かれるのですが、病院勤務がとてつもなく激務だったので、それと比べたらへっちゃらです。だから、体力がついた、というのはよかったことかもしれません。どんなに海外の仕事が多くても、モデルには夜勤がないので、夜眠れますから!

なるほど……(笑)。

青木 それと、前に出るモデルの仕事と、後ろから支える看護師の仕事、真逆のことをやっているおかげで、常に視野を広く持てていると思います。これも看護師を完全に辞めずに続けている大きな理由です。

それに、真逆に見えて、「人を笑顔にする」という共通点もあるんですよね。私のInstagramを見てくれている患者さんも多くて、中国のロリータイベントの写真を見て「旅行した気分になれた」と言ってくれることもあります。病気で家から出られない患者さんが、私のモデル活動を見て笑顔になってくれるのは、両方やっていてよかったなと思う瞬間です。

給料の80%はロリータにつぎ込んでいました

青木さんイメージ

「360度どこから見てもかわいいのがロリータファッション。モデルはかわいいお洋服を引き立てる裏方的な側面もあります」(青木さん)

青木さんはいつ頃からロリータファッションに目覚めたのでしょうか?

青木 高校生のときに『KERA』という雑誌の撮影で着たのがきっかけです。『KERA』はロリータだけでなくいろいろな個性派ファッションが紹介されている雑誌だったのですが、たまたまロリータ特集に呼んでいただけて。「こんなにかわいいお洋服があるんだ! ロリータを着ればいくつになってもお姫様になれるんだ!」とすっごくときめきました。

それまではどういう系のファッションを?

青木 古着とかが好きでした。初めて『KERA』のストリートスナップに声をかけていただいたときも古着を着ていたと思います。ロリータファッションという存在を知ってはいたものの、高くて手を出せずにいて。でも、実際に着てみたら一発で心を奪われましたね。ちゃんと買い集め始めたのは、看護師として働き始めてからです。当時は給料の80%くらいは使っていたと思います(笑)。

そんなに!

青木 私服コーデを見せる企画が頻繁にあったので、毎回同じのを着るわけにもいかないですし、新しいのをちょくちょく買わないと、というのもありました。今はSNSがあって、昔より私服を見せる機会が多いので、最近出てきたモデルの子たちは余計に大変だと思います。

ちなみに、一着買うのにどれくらいかかるのですか?

青木 私の場合「一着」というよりも「一式」という考え方になります。ロリータファッションって着回しがきかなくて。この服に合わせる髪飾りや靴、バッグはこれ、とコーディネートしていくと、全身を一式そろえるのに10万円以上かかります。だから最初はさすがに毎日ロリータを着るとかはできなかったです。

青木さんイメージ

「ロリータモデルは他ジャンルのモデルさんと違って、基本的に歯を見せて笑わない、活発な動きをしない、というルールがあります。お洋服を見せるお人形になるという感覚です」(青木さん)

今は何着くらい持っているのでしょう?

青木 400着くらいです。15年くらいかけて集めました。SNSで毎日、私服コーデを見せても余裕で一年持ちます(笑)。

すごい! 収納が大変そうです……(笑)。

青木 実家の部屋をひとつ、ロリータ部屋にさせてもらっていて、そこにびっしり並べています。邪魔だって母によく怒られるんですけどね。

ロリータファッションへの偏見と、年齢公開の葛藤

でも、ご家族の方はロリータを着ること自体には理解があるんですね。個性的であるがゆえに、家族や恋人から反対される人もいると聞いたことがあります。

青木 ファンの方からも「恋人が着ないでくれ、と言ってくる」とか「人目が気になるからやめて、と親に言われた」とか、よく相談されるんです。私も夜道を歩いていると酔っ払いに「なんだそんなお姫様みたいな格好は!」と絡まれたこともあります。そういった周囲からの声だったり、あと、年齢的な問題だったりで、ロリータって続けるハードルが高いんです。

青木さんイメージ

ああー、これはロリータに限らずですが、若い頃からずっと好きだった服って、年齢が上がると着づらくなりますよね……。若作りしてるとか思われそうで。

青木 そのあたり、海外のイベントに出演すると、日本とは真逆なんだなって思います。日本は同世代のみんなと似たような服を着ないと、という意識が強い印象がありますが、海外の人の根底にあるのは「個性的な服を着て目立ちたい」なんですよね。だから日本のロリータファッションは海外ですごく人気で。今は特に中国で流行っています。

ファッションを自由に楽しめる空気があるのはうらやましいですね。

青木 誰にも迷惑かけてないんだから、別にいいじゃん! って思うんですけどね。私も、「その年齢でそんな格好しているの?」とかはよく言われるんですよね。日本は本当に年齢に対する偏見が多いな、と感じます。

青木さんは最近、年齢を公開されましたよね。それに対して葛藤はありましたか?

青木 『セブンルール』(フジテレビ系)などの密着系のテレビ番組に出ることになり、年齢を出してほしいと言われて。10代からモデルをやっているので、昔から知っている人が計算したらだいたいの年齢は分かってしまうものの、はっきりと公開してしまうのはかなり悩みました。

でも、公開したことによって、年齢を気にしてロリータをやめなければと思っていた人たちにとっては勇気になったかもしれません。

青木 そうだといいなと思っています。私にとってロリータって、コンプレックスだらけだった自分に自信をつけてくれたファッションなんです。だから、年齢を重ねたからって、ロリータを着なくなったら、また自信のない自分に逆戻りしてしまいます(笑)。

青木さんイメージ

現在の芸能事務所に所属する前は、フリーでモデル活動をしていたという青木さん。事務所へは、なんと自ら問い合わせフォームへ連絡して売り込んだのだそう。

ロリータという"戦闘服"に出会う前の自分と、将来の自分

ロリータファッションに出会う前の青木さんは、どんな感じだったのでしょう?

青木 人前に出ることが苦手で、モデルなんてとてもじゃないけれどできないと思っていました。というか、今でもロリータを着ていないときはうまく喋れなくて、看護師の仕事で患者さんの状態を先輩に伝える「申し送り」をするときにも緊張して震えてしまいます。書類に書いてあることを読むだけなのに、何言ってるか分からないと怒られるくらいで……。

そうなんですね! こうしてすらすらインタビューにお答えいただいている姿からは想像つかないです……!

青木 ロリータを着ることで、人前で緊張しない"青木美沙子"になれる、という感じなんです。着るとスイッチが入る、戦闘服のようなものですね。だから、いずれモデル業を引退することになったとしても、モデルじゃない形でロリータ事業を展開するなど、何かしらでずっと関わっていたいと思います。

ロリータ事業とは、例えばどんなのでしょう?

青木 今考えているのは、ロリータカフェやロリータサロンです。ロリータファッションのファンの間ではお茶会をする文化があるので、そういう会をできるカフェだったり、私の古着を貸し出してロリータ体験をできるサロンだったりを作りたいと思っています。

気軽に体験できる場が整っていると、ロリータ人口も増えそうですね。

青木 それと、プライベートでの夢もあって……。親子ロリータをやりたいんです! 今はまだそんな予定はありませんが、女の子が産まれてロリータを着せたら絶対にかわいいだろうなって。ロリータにはShirley Temple(シャーリーテンプル)という子ども向けのブランドもあるんですよ。それを着せて、親子でロリータデートをできたらいいなと思っています。

青木さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/小野奈那子

お話を伺った方:青木美沙子さん

dammy

TWIN PLANET所属。ロリータモデル・看護師。外務省よりカワイイ大使に任命され、ロリータファッション代表として文化外交にて25カ国45都市を歴訪し、ロリータファッション第一人者として活動中。 2013年2月に日本ロリータ協会を設立し、初代日本ロリータ協会会長を務める。
Twitter:@aokimisako
Instagram:@misakoaoki

次回の更新は、2018年7月18日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

私たちが普通に、もっと楽しく働くために必要なのは?【シゴト座談会】

集合写真

(写真左から)kobeniさん、ひらりささん、梓さん

仕事は楽しい。これといった不満もない。でも、ふとした瞬間「私って、なんのために働いているんだろう」「今の働き方で本当にいいのかな」と疑問が浮かんでくることはありませんか? そんなとき、参考になるのは同世代の仕事観や働き方ではないでしょうか。

そこで今回は、さまざまな経験を経て「自分らしい働き方」を見つけてきたという20代、30代、40代の3名による座談会を実施。それぞれの働き方について、語っていただきました。

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<<参加者プロフィール>>

ひらりささん(28歳)

ひらりささん

弁護士を目指し大学院を志すも、大学卒業2ヶ月前に進路を就職に変える。最初の就職先となるベンチャー企業は、「社長のブログを読んで楽しそうだから」と会いに行き、そのままスカウトされ採用。その後200人規模のゲーム会社、現在勤務するITベンチャーへ転職。ビジネス職として勤務するかたわら副業でライター業もしている。同人サークル「劇団雌猫」メンバーとしても活動中。一人暮らし。

梓さん(37歳)

梓さん

新卒で大手医療系企業に正社員として勤め、26歳で退職。30歳になる年に2社目を退職し医療関係企業で派遣社員(営業職)として働きはじめるが、派遣先が組織変更でなくなり契約終了。その後、転職エージェントから「似たような仕事」とすすめられ、現在の会社へ転職。契約社員として営業職に従事している。並行して近所の居酒屋でアルバイトもしている。ジャニーズとお笑いが好きで、ブログで日々その思いをつづっている。夫と2人暮らし。

kobeniさん(40歳)

kobeniさん

広告系企業で、インターネットの記事やWebサイトの制作を担当。新卒で入社して以来、転職経験はなし。夫と子ども(4歳と9歳)、猫一匹と東京の郊外に在住。リモートワークを取り入れながら仕事をしている。子育てにまつわるブログの執筆をはじめ、「サイボウズ式」などのメディアでコラムの連載も持つ。

仕事は面白いかどうかで判断。でも長時間の勤務はしんどい

本日は、三者三様の働き方をしている皆さんにお集まりいただきました。早速ですが、仕事をする上で、優先度を高く設定されていることを教えてください。

kobeni(敬称略、以下同) 私は、「面白いと思えるか」ですね。仕事がつまらないと思ってしまうと、眠くなってしまうんです……。だからできれば、仕事をしていて楽しいと思えることをやっていたいなって。

梓 同意です! 私の場合、人と喋ることが好きだし、「面白い」と思うタイプです。それと、薬や疾患のことを勉強するのが楽しいので、医薬系の営業をしています。

ひらりさ 仕事をしていて「面白い」「楽しい」と思えるかは、私も重視しています。今はIT企業のビジネス職に就いていて、社内の数字を見ながら取引先からの問い合わせに対応する、という仕事をしています。インターネットやメディアについての自分の趣味を生かせる会社なので、楽しいです。

ちなみに、皆さんそれぞれライターやブロガーとしても活動されていますよね? 本業とは別に趣味として割り切っているのでしょうか?

梓 私の場合、自分が考えていることをブログで垂れ流したいだけなので、基本的に自分のことしか書けないんですよね。なので、創作的な仕事をしたいわけではありません。「仕事として」稼ぎを得るには、営業という仕事が一番向いているのかなと思っています。

ひらりさ 私はフリーライターになろうかなと思ったこともありました。でも、毎日締め切りに追われるのは、マジで無理だなと(笑)。書くことは好きですが、それだけで「稼ぐ」となると、楽しめなくなってしまいそうで。自分を出したいところは副業で充実させて、本業はもう少し、自分の人格と密着し過ぎない業務を行う方がいいだろうと思い、今の仕事を選びました。

kobeni もともと文章を書くことや雑誌が好きだったので、就職活動時は編集者になりたくて出版社やマスコミを志望していました。でも、受かったところが今の会社しかなく……。

梓 そうだったんですね!

kobeni でも、今の仕事はそこそこ「楽しい」と思えているので、このまま続けたいなと考えています。あと、夫が数年前にフリーランスになり収入が安定しないこともあって、子どもを食べさせていくためにも、私が稼ぎ頭として今の会社で頑張るしかないと腹を決めた感じですね。

座談会イメージ

じゃあ、皆さん割とモチベーション高くお仕事されていらっしゃる?

kobeni 仕事は楽しいですけど、最近遅くまで働くのがつらくて。体力的にも精神的にも、本当に難しい……。

梓 私もです。正社員の頃は、22時くらいまで仕事して、深夜0時にご飯食べる……とかが珍しくなかったんですけど、今は9時から17時が精いっぱい。晩ご飯を食べて、だら~っとする時間がないとダメになっちゃう。

ひらりさ 私は前々職、前職ともにゴリゴリのベンチャーだったこともあり、裁量労働制で働きまくっていました。実際、働けるだけ働いていると成果も上がりますし、評価に反映されます。でも、数年働いて実感したのは、労働時間どうこうよりも、会社員モードの時間が長過ぎると、精神の消耗は著しいということ。だから、本業の就業後に家に帰って、副業のライター業をする、とかは余裕です。

kobeni 別の仕事をしていると、本業に生かせませんか?

ひらりさ それはありますね。ただ、私の場合はどちらかというと、貧乏性っていうか予定が空いていると嫌だっていうのもあって。飲み会にもよく顔を出しますし、最近はジムに行くようにしてます。節約が苦手なので、節約を考えるくらいなら所得を増やす方向で仕事をしていきたいです。

自分にとって向いている仕事を見極められるかは大事

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では、これは自分に向いていないだろうなっていう仕事はありますか?

梓 私は報告書を作成したり、資料をファイリングしたりする内勤業務がとにかく苦手で。なので、今は仕事内容がある程度限定できる「契約社員の営業職」という働き方を選択しています。と言っても、事務作業がまったくなくなったわけではありませんが……(笑)。精神的にはかなり楽になりました。企業にもよるかもしれませんが、正社員としての働き方は自分には合わないな、と思っています。

kobeni 一度異動になったことがあって、それまで全くやったことのなかった、Excelでの集計作業が中心の部署でした。正直、そこでの私は全く使えない人でした……。以前の部署に戻してもらえたからよかったものの、あのままだったら厳しかったかもしれないです。

ひらりさ 無理に続けると、心身に悪影響が出ますよね。

人それぞれ得意分野があるので、それに合った仕事をできているかは大事ですよね。ひらりささんは、いかがでしょう?

ひらりさ 私は、ピンポイントにどの職種っていうよりも、“やる意味を見いだせない仕事”はしたくないな、と思います。

kobeni ハンコをいっぱいもらわないと物事が進まない……みたいな仕事ですかね。建前や慣習だけが先行した、生産性のない作業が続くのは嫌ですよね。

ひらりさ そうですね。合理的意味が感じられないことに時間を割かないといけないのは苦痛です。最初から分かっていたわけではなく、転職を2回して、ようやく居心地のいい会社を見つけられた感じです。新卒時からベンチャー企業で、最初の4年間くらいを100倍速のような感じで働けたので、取捨選択の目利きができるようになったのかなとは思います。IT系のベンチャーという、転職が当たり前な環境は私に合っていたのかも。

梓 28歳で向き不向きに気付けているのはうらやましい!

kobeni お二人と違って、私は新卒からずっと同じ会社に勤めていますが、今の会社は働きやすさをしっかり考えていこうという心意気があり、実際風通しもいいですね。だからこそ、今日まで頑張ってこれたのかも。

仕事と収入のバランスは、やっぱり難しい

仕事とは切り離せない「お金」の面についてはどんな考えをお持ちでしょうか。梓さんの場合、大企業の正社員から契約社員への転職ということで、収入に不安はありませんでしたか?

梓 確かに、収入は減りました。今はとにかくお金がないです(笑)。なので、近くの居酒屋でアルバイトしています。でも、「明日死ぬかもしれない」って思いながら毎日生きているんで、そんなに先のことはあんまり考えていないんですよね。

ひらりさ 仕事と収入のバランスって難しいですよね。私の友人の弁護士は年収1000万円以上もらっているそうですが、その代わり、朝の5時から夜中の3時まで働く、みたいな生活のようで。

梓 大変過ぎる……。でも、収入が多い人はやっぱりそれなりの働きをしているんですよね。私も大企業に勤めていた頃は、給料もそれなりによかったです。けど、忙しかったし、しんどいなという気持ちの方が大きくて。結局、今もらえている給料が身の丈なんだろうなと。

座談会イメージ

とはいえ、仕事に対する評価として、適正なお金は欲しいですよね。

ひらりさ 会社の余力もあるかもしれないですけど、きちんと評価を給料に反映してくれる会社がいいです。でも、お金について言えば、不労所得が欲しい!

kobeni それね!

ひらりさ ライター業のギャラってどうしても、「書いた分に対する対価」がメインなんですよね。書籍の構成をして増刷がかかれば印税が入りますけど、必ず入るわけではない。原稿を書くのが楽しいので、つい時間をかけてしまうのですが、本当は手を動かす時間をもっと抑えてお金を得て、それで浮いた時間を勉強なり将来への投資に使いたいです。それで、株式投資はやってみていますが、なかなかうまくいかない(笑)。

kobeni 不労所得があると、ピュアに「やりたいこと」が抽出されますしね。ちなみに、今、友人が趣味で漫画をものすごいスピードで描いてるんです。週に30ページくらい。

梓 すごい。週刊作家レベルのスピード感ですね。

kobeni ホントそう(笑)。でも、その子には本業もあって、漫画だけ描いて生活したいけど専業作家って売れない限りもうからないよね~って、ちゃんと現実を理解してるんです。本当にやりたいことでしっかり稼ぐのって、やっぱり難しいですよね。どうにか、彼女が漫画だけに集中できるユートピアが誕生しないものか……。

ひらりさ 生活していくにはそれなりの収入が必要で、お金が大事。でもお金にはならないけど自分がやりたいことを、思いきりやりたい。「お金を大切に想う気持ちを乗り越えるためにもお金が欲しい」みたいな感じですよね。

梓 哲学的ですね(笑)。結局、お金に余裕がある人って心にも余裕がある。で、そんな余裕がある人たちのところへ、ますます富が集中していくんですよね。

kobeni あと、ある程度キャリアを重ねると、考え方が“マーケティング脳”になり過ぎることがあるというか……。採算とか、そういうことを気にし過ぎてしまう。仕事に取り掛かる前から、「これはあまり評価されなさそうだな……」とか思ってしまう。純粋に理想だけを追い求めるのが難しくなってくると思うんです。でも、いい仕事をしたいという情熱は、いくつになっても持ち続けたいですよね。

座談会イメージ

自分が生きていけるだけのお金は、自分の手で稼ぎたい

ただ、中にはそうした社員の情熱につけこむようなこともありますよね。

kobeni 私が20代の頃って、特に「やりがい搾取」が横行していた気がします。やりがいのある仕事に就けても、心身を壊してしまう友人や同僚が本当に多かったです。でも今は、「とにかく夢や好きなことで食べていきたい」という価値観から「人間らしい生活を守りつつ、自分らしく働く」という方向にシフトしているんじゃないかなって。やりがい搾取から身を守る、そんな価値観が広がっているように感じます。

少し話が飛躍するかもしれませんが、せっかくAIの発達もあることだし、「働かなくていい世界をつくる」みたいなことを言いだすリーダーがいてもいいんじゃないかなって思うんです。365日まったく働かない、というのは難しくても、「今日は推しのアイドルのことだけ考えていたいので休みます」っていうのを認めてもらえる世の中はこないものでしょうか(笑)。

ひらりさ それ、賛成です(笑)。特段の理由がないと休めない雰囲気があるのって、ちょっと窮屈ですよね。産休や育休だけでなく、子どもがいてもいなくても、男でも女でも、休みたいときは休みたい。そういうバイオリズムって誰にでもあるから、「理由なき休日」はもっと広まってほしい。もちろん有給休暇は取得理由を言わずに使えるわけですけど、周りを見ていると「なんでもないのに休む」をのびのびやってる人は少ないんじゃないかな。

梓 それが実現したら、心身の不調に悩まされる人も激減しそう。我慢せずに、我慢させられずに、自分が生きていけるだけのお金を自分の手で稼ぐ、そんな“普通に働ける”ってことが一律に保証されている世の中が理想ですよね。

ひらりさ “普通に働く”ことの定義って難しいですよね。でも、一つは「自分の実力や性質に応じて仕事ができていること」だと思います。私は前の会社で、「女なんだからおじさんをうまく転がして仕事しなよ」って言われたことがあって、今でも許していません。そういう、女性だからとか男性だから、みたいな古い価値観を押し付けられている状態で、普通に働けていると言えるんだろうかって。男女関係なく、その人ならではの性質があるんだから、その性質に合った仕事ができる環境かどうか判断しないとですよね。

「自分の心に従う」ことで答えが見えてくる

最後に、日々働くことに何かしらの疑問を抱えている人がいたら、どんな言葉をかけますか?

ひらりさ 今の時代って、SNSを通してさまざまな人生や価値観が可視化されていますよね。見たくなくても見えてしまうから、うらやましく思ったり、自分と他人を比べてしまうことも多いと思うんです。でも、それは参考にする程度で、あまり影響されない方がいい

梓 私から言えるのは、もし働くことが苦痛になったら身体に出るので、それを察知してほしいということです。本当に無理なときは体が動かなくなるので、それは自分のキャパを超えているサイン。もし、そのサインが出たら、一回立ち止まってみて考えてみる。そうすれば、自分は本当のところ何に向いているのか、自然に答えが出てくるんじゃないかなって。

ひらりさ あとは、もし職場の人間関係で悩んでいるなら、「1ヶ月後に自分が死ぬならどうしていたいか」って考えてみるといいと思います。それで、今の職場にいたくないって思うなら、転職を考えてもいいんじゃないかと。逆に、この職場じゃないとダメって思い込んでいるときほど、他に選択肢はないのか考え直した方がいいかもしれません。恋愛だって最初に付き合った人と結婚する人って少数派で、いろいろな経験を経て自分に合っている人が見つかるようになるものですよね。職場もそうじゃないかな。

梓 ちなみに、私の場合は今本当にお金がなくて困っていますが(笑)、心は健康的なので20代の頃よりも今の方が超幸せですってハッキリと言えます。

kobeni 私も、自分の心に従ってほしいなと。私は2人の子どもがいますが、ワーキングマザーの中には、本当はやりたい仕事があるのに我慢しないといけないって考えている人が少なくないと思うんです。子どもを産んだのは自分だし、正直やりたくない仕事でも、時短だし子育てしやすい部署だしと、自分に言い聞かせて納得させてしまう。自分でも、自分をごまかしてるのは分かっているので、ことあるごとに「本当にこれ私がやりたい仕事なのかな」「もともと何を夢見ていたんだっけ」「何が好きだったんだっけ」みたいな疑問が、つらくなったときに顔を出してきてしまうんです。

でも、子育てしているからと、ぎゅっと心に蓋をするのは本当にやめた方がいいです。自分の気持ちをごまかし続けると、それはいつか心や体に悪い影響を及ぼす気がします。もちろん、行動を起こすタイミングを見計らうことは大事です。けれど出来る限り、自分の心には正直でいてほしいと思います。

自分が我慢せず働けているか見つめ直すことで、ネガティブな気持ちもすっと軽くなるのかもしれませんね。本日はありがとうございました!

座談会イメージ
取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
撮影/関口佳代

※座談会参加者のプロフィールは、取材時点(2018年5月)のものです

次回の更新は、2018年7月4日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

洗濯日和/(c)kanahei

今回「りっすん」に登場いただくのは、イラストレーター・漫画家のカナヘイさん。高校生の頃、運営していたサイトで配信していた携帯電話の待受用イラストがきっかけとなり、2003年にイラストレーターとしてプロデビュー。現在もLINEスタンプの人気シリーズ「ピスケ&うさぎ」を手がけるほか、企業コラボやキャラクターコラボを行うなど、第一線で活躍されています。

今年で33歳となるカナヘイさんは愛媛県に在住し、3人のお子さんを持つ母親でもあります。今回は、イラストレーター・漫画家としての活動のこと、フリーランスとしての働き方について、プライベートと仕事のバランス、母になったことでの表現の変化についても伺います。

現役高校生イラストレーターとしてデビュー

LINEスタンプの「ピスケ&うさぎ」シリーズや、『りぼん』(集英社)での連載など、イラストレーター・漫画家として多岐にわたる活動をされておりますが、改めてデビューの経緯を伺ってもよろしいでしょうか。

カナヘイ 高校生の頃サイトを運営していまして、自分で描いたパロディイラストを携帯用の壁紙やデコメにして配信していました。それが口コミで全国的に人気になったことがきっかけで集英社のファッション誌『Seventeen』の編集の方にお声かけいただき、イラストレーターとしてデビューしました。その後、『Seventeen』の連載を見たりぼん編集部の方にお声がけいただき、2008年から『りぼん』で漫画家としての活動もスタートさせ、漫画家としても10年ほどやっています。

高校生時代にデビューされたことで、周囲の同年代の方に比べ「働き始める」タイミングは少し異なったかと思います。その辺りについて、当時はどのように感じていたのでしょうか。

カナヘイ 誰かと比べてどうこう考えたりしないタイプなのか、周囲と違うことをしていても、特に何も感じませんでした。交流が続いている高校時代の友人や私の周りの人たちも、似たようなタイプだったので、何も感じなかったのはそのおかげかもしれません。

カナヘイさんの公式サイトを拝見すると現在愛媛県在住とのことですが、雑誌などを発行する出版社はやはり東京に本社が多いかと思います。地方に住みながら、どのようにコミュニケーションをとってお仕事をされているのでしょうか。

カナヘイ 基本的にはチャットワークやLINEを使ってやりとりしています。 グッズサンプルや色校*1は宅配便で送ってもらい、それを見ながらテレビ会議などでコミュニケーションをとっています。東京に行くのは2〜3ヶ月に1回ぐらいかなという感じです。写真や動画でやりとりするのでそんなに不便は感じていないです。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

カナヘイさんの作業机

地方でお仕事をされていることで、お仕事に影響を感じることはありますか?

カナヘイ 大きな影響はないと思っているのですが、あえて言うなら、都内に住んでいる人ほどサッと人に会いに行ったり、実物を確認したりすることができないので、何かお仕事のお話が来てもレスポンスが遅くなってしまう……というのはあります。ただ、人によるとは思いますが、私は田舎ののんびりした空気が好きなので、「ストレスなく暮らせて働けること」はメリットだと思っています。

では、フリーランスで働き続けることへの不安や大変さを感じることはありますか。

カナヘイ 不安はとくに感じません。自分の得意な分野で楽しくお仕事をさせていただいているので……本当にありがたいです。元々楽観的で、考え込むより行動した方が手っ取り早いと思うタイプなので、不安で悩むということ自体が昔からないんです。ただ、長く活動すること自体は大変だと思わないのですが、単純に毎回の締切が時間との戦いで大変です……。

不安を解消するために、というわけではないのですが、収入がない時期があっても最低限住むところさえあればどうにかなるだろうということで、家を買いました。2人目が産まれた後に家探しを始めて、偶然出会った古民家を少しずつ改築しながら暮らしています。

何もしなければ、何も始まらない

高校生でのデビューから現在に至るまで雑誌イラスト、モバイルコンテンツ、キャラクターデザイン、企業広告など幅広く活躍され、近年ではLINEスタンプの「ピスケ&うさぎ」シリーズなど、長年にわたり活躍されているかと思います。ご自身が思う「長く活躍するための秘訣」があれば教えてください。

カナヘイ 「楽しんで描き続けること」だと思います。そして、作品を発信し続けることも大事かと思います。絵が世に出て人目に触れれば、チャンスもそのぶん増えると思うので……。何もしなければ、何も起きないと思います。それと、楽しんで描くために、描くことが嫌にならないよう、「この仕事は楽しくないな、嫌な気持ちになるな」という仕事は受けないようにしています。自分自身が楽しんでいないと、それが絵にも出ると思っています。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

LINEスタンプでおなじみの「ピスケ&うさぎ」シリーズ/(c)kanahei

「楽しむ」というのは確かに大切ですね! では、ご自身の活動の中で印象に残っていることは?

カナヘイ どのお仕事も楽しくさせていただいているのですが、『ドラゴンクエスト』や『ONE PIECE』など、キャラクターコラボのお仕事はどれも印象深いです。小さい頃からパロディイラストやファンアートを描くのがすごく好きで、私の「描きたい!」という欲求の根源はそこなんです。だから、公式に権利元さんから直接コラボのご依頼が来て絵を描くことになったときは、心の底から嬉しさが溢れてきました。

キャラクターコラボのお仕事をさせていただくときは、毎回とても幸せな気持ちで描いています。人生のご褒美だと思っています!

10代の「不安定」なイラストは、出産を経て変わった

現在3人のお子さんの母としての顔も持つカナヘイさんですが、働き方と育児・家事のバランスをどのようにとっているのでしょうか?

カナヘイ 2017年に3人目を出産し、家に0歳児がいるので、今は「そもそもバランスがとれるものではない」と割り切っています。

3人のお子さんを育てながらのお仕事は、やはり目まぐるしいのですね。

カナヘイ 夫婦で仕事・家事・育児を共同で行っているのですが、それぞれのタスクが常に並行に進行しているので、緊急度の高いものからひたすらこなしていき、その間溜まってしまったものは余裕ができた隙にどちらかが消化していく……という感じでやっています。

基本は自宅での作業なので、0歳児が寝ている間に仕事をして、作業に煮詰まったら気分転換に家事をして、0歳児が目覚めたら遊びつつ同時進行できる作業をやれるだけやる……という感じです。

カナヘイさんInstagramより

「仕事」と「家事・育児」の両立で特に大変だと感じる瞬間は、どんなときでしょうか。

カナヘイ ものすごく忙しい時期に学校の行事やPTA、地域行事などがかぶると、物理的に無理な状況に陥るのでそこは大変だなと感じます……。

「出産前」「出産後」でイラストのテイストやモチーフが変化した、と感じることはありますか?

カナヘイ あります。すごくあります。そのときに思っていることとか考えていることがそのまま絵に出るタイプなんです。10代の頃は自分の中のモヤモヤしたものを絵にしていたので、不安定だったり残酷だったりする絵を描くこともありました。出産後は日頃の子どもたちの言動を見ているせいか、ほのぼのした雰囲気のものが増えているように思います。

意識して変えているものではないので、昔の雰囲気で描いてと言われると頑張って模写しないと再現できなかったりします……(笑)。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

よつ葉のクローバー/(c)kanahei

好きなものを、これからも描き続けていきたい

出産前後のお話とやや重複しますが、プライベートの出来事が、イラストのテイストに影響を与えることはありますか?

カナヘイ 任天堂Switchで「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」をやっていたときは、ゲーム中でパラセール(グライダー)で空を飛ぶのが楽しくて、イラストでもパラシュートを描いて自分のキャラたちを空に飛ばしていました。サーカスを見に行ったらサーカスを描くし、キャンプをしたらキャラたちにもキャンプをさせます。楽しかった出来事は直接的にモチーフとして出てきます。

毎月壁紙を描いて公式サイトで配信しているのですが、それによく表れているなぁと思います。

http://www.kanahei.com/gallery/

もしSeventeen編集部からのお仕事の依頼がなかったら、今、どのような働き方をしていたと思いますか?

カナヘイ 『Seventeen』とのつながりから「りぼん作家」になったので、漫画家の活動はできなかったのかなぁと思うことはあります。でも、今のような活動の仕方ではないとしても、きっと田舎でなにかしら描いて作っているんだろうなあ……と思います。

最後に、イラストレーターとして、そして3人のお子さんの母として、それぞれの今後の目標や展望について教えてください。

カナヘイ イラストレーターとしては、好きなものを描き続けられたらいいなと思います。母としては……子どもたちが巣立つまで、楽しく見守ってあげられたらと思っています。

ありがとうございました!

お話を伺った方:カナヘイさん

dammy

イラストレーター・漫画家。 自作待受画像の配信から全国でブームとなり、2003年に現役女子高校生イラストレーターとして『Seventeen』(集英社)にてプロデビュー。以降、出版、モバイルコンテンツ、企業広告、キャラクターコラボ、『りぼん』(集英社)での漫画連載など、さまざまな媒体で幅広く活動を続け、20~30代の男女を中心に多くのファンを持つ。「ピスケ&うさぎ」を中心とした「カナイの小動物」シリーズは国内外でグッズ展開されており、LINE Creators Stamp AWARDで準グランプリ(2014年・2015年)、グランプリ(2016年)を受賞。
Web:カナヘイの家

次回の更新は、2018年6月13日(水)の予定です。

※6月13日(水)更新予定の記事は、都合により掲載を延期することとなりました。尚、次回の更新は6月20日(水)を予定しております

執筆・編集/はてな編集部

*1:「色校正」の略称。雑誌をはじめとした印刷物の発色をチェックすること

「つるちゃんと私、生活の負担をトントンにしたい」ーー犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻

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(写真左から)犬山紙子さん、劔樹人さん

今回「りっすん」に登場いただくのは犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻。エッセイストとして活躍する犬山紙子さんと、「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト、そして「神聖かまってちゃん」の元マネージャーとして知られる劔樹人さんは2014年8月に結婚し、2017年1月に第一子が誕生しました。家庭での経験や在り方をメディアで語ることも少なくありません。

犬山さんは『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)を、劔さんは、『今日も妻のくつ下は、片方ない。妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました』(双葉社)をそれぞれ発表。子どもを持つことへの葛藤から決断に至るまで、そして家事、子育ての分担、仕事との両立について、お二人に伺いました。

子どもが欲しいのか、欲しくないのか、決断できない日々

ご著書『私、子ども欲しいかもしれない。』で犬山さんは、妊娠される前の心境や悩みを綴られていました。もともとは子どもはいらないと思っていらっしゃったんですよね。

犬山紙子(以下、犬山) そうですね。フリーランスだからお金のことはもちろん、仕事と両立できなかったらどうしよう、子どもができたら「育児が大変そうだから」と発注を遠慮されたらどうしよう、とかネガティブな考えばかりが浮かんでいました。それに、趣味の時間が大切だったので、娯楽の時間がなくなったらどうしよう、もありましたし、つるちゃん(夫)と二人の時間が減ることや、妊娠中にお酒を飲めないのもつらい。そもそも産むってめちゃくちゃ痛いじゃん、嫌だ! とか、「どうしよう」だらけで。

分かります、分かります……。そんな中、本の取材でいろいろな世の中のお母さんを取材していくにつれて、少しずつ考えが変わっていかれたと思うのですが、当時の心境について伺わせてください。

犬山 まず、取材させていただいた方々はびっくりするくらい上手くやりくりされていて、「やっぱり思っていた通り大変じゃん! そんなの私には無理!」とはすごく思いました。ただ、内容こそ大変そうではあるものの、皆さんめちゃくちゃいい表情で話すんですよ。人生謳歌している感じの、キラキラした顔で。実際に会ってそれを目の当たりにしたのは結構大きいかもしれません。

とはいえ、話を聞けば聞くほど大変だと思ったのも事実なので、悩みは深くなるばかりでした……。

今振り返ってみて、つるちゃんはどうだった?

劔樹人(以下、劔) 僕も不安ではありましたね。ずっと学生気分が抜けないままやってきていましたし、まだ自分は何も成し遂げられてないのに、仕事をする時間がなくなったらどうしよう、と。

犬山 つるちゃんも同じだったんだね。時間のやりくりについて不安な気持ちとかは、やっぱりあったんだ。

それで結局、いくらいろいろな人に話を聞いても結論は出なかったから、避妊をやめる、という消極的な方法を取ったんです。できたらできたで頑張ってみるし、できなかったらそれもありで。もう自分でジャッジはできないから、運に任せよう、と。

犬山さん

あんなにたくさんの「どうしよう」という不安な気持ちを抱えていらっしゃったところからすると、それだけでも大きな決断だと思います。

犬山 たぶん……心の奥底ではちょっと欲しい気持ちがあったんだと思うんですよね。これだけ時間と労力をかけてしつこくみんなに話を聞きに行っているということは、内心では私ちょっと子ども欲しいんだな、と。

なるほど……確かに。

犬山 最初は、年齢とか、持たないと後悔するとか、世間からの風当たりというネガティブなものが影響して、「子ども作らなきゃダメなのかな? でも……」とただただ不安な気持ちに翻弄されていたところがあって。人に話を聞いて向き合ううちに、決断するほど強い気持ちにはならなかったものの、「子ども欲しいかもしれない・作ってもいいかもしれない」と少しずつ自分の中の気持ちが浮き出てきたんだと思います。

子どもはオタク用語で言うところの「沼」だ

犬山 これは妊娠前からずっと思っていたんですけど、子どもを持つことに関するネガティブなことは想像がつきやすいけど、ポジティブなことって未知ですよね。「おかしくなるほど幸せ」と言われても、他人からしたらイマイチよく分からなくないですか?

そうですね、妊娠や育児や仕事とのやりくりの大変さは具体的に思い浮かびます。一方で、「子どもがいて幸せ」といった感情の部分は、具体性がなくてどこかふわっとしているというか……。未経験者からしたら雲をつかむような話に思います。

犬山 私の場合は、恋愛初期の「頭の中お花畑状態」がずっと続いている感じです。しかも、相手(子ども)と最初から相思相愛でラブラブ。あれよりもさらに上かも。恋愛のお花畑状態は半年くらいで消えるけど、子どもとのお花畑は何年も続くので。

へえー! すごい、そんなに。

犬山 産んでしばらくはかわいいと思えなかった、という人もいるので、この感覚もたぶん人によって違うんですけどね。私は離れているときは子どもの動画見ちゃうし、休日はできる限り一緒にいたいし、たとえるなら、新しい「沼」にハマった、みたいな。私はボードゲームが好きで、RPGが好きで、マンガが好きで、ハロプロが好きで、いろいろな趣味を持っていた中に、新たに大きな「沼」が加わりました。

沼! そう言われると分かりやすいです!

子どもが産まれて「人生の主役」を降りるとは限らない

劔さんは子どもが産まれたことでの新しい発見は何かありましたか?

劔 僕は……肩の荷が下りた感じがあります。なんというか、昔ほど自分について興味がなくなったかもしれません。

子どもができたら、自分は「人生の主役」から降りた感覚になった、という人はよくいますよね。

犬山 私、それ全然ないです。子どもが産まれた今でも以前とまったく変わらず主役な感覚で生きているので、人によるんだと思います。

劔 僕は半分降りました。自分のことを発信したい欲求や、自己顕示欲のようなものがなくなってきていて、焦りがないです。

犬山 かっけー!

劔 日頃あった面白いことをTwitterに書きたいって、まったく思わないです。もう、RTやフォロワーが欲しいとかも全然ない。昔は欲しかったんですけど。

犬山 そこは全然違う! 私、今でも欲しいですよ!(笑)

犬山さん・劔さん

妊娠しても働きます、と各方面にしつこく根回し

子どもが産まれて以降の、仕事や家事についてもお伺いさせてください。先ほど、妊娠前に、仕事と育児の両立や、発注されなくなる不安があったとおっしゃっていましたが、実際はどうでしたか?

犬山 これは私、しつこく「仕事しますアピール」をしたんですよ。妊娠を発表した際に、SNSや仕事相手との連絡で、「でも仕事しますけどね」と必ず一言添えて。どうしても物理的に自分が動けなくなる期間は出てくるので、テレビの仕事はさすがに減ってしまいましたけどね。連載は4カ月分前倒しで書き溜めてから休んだので、書き物の仕事は途切れませんでした。

4カ月分も……! とにかく仕事を続ける、という姿勢を明確に見せないと、これまで働いていたポジションがなくなる可能性があるってことですよね。

犬山 そう、フリーランスでも会社員でも、女性は特にそうだと思います。私がお話を伺ったお母さんたちの中には、時短勤務になったことで、それまでやりがいを持ってやっていた仕事が回されなくなって、簡単な事務作業ばかりになった、という人もいました。もちろん、会社にもよると思いますが……。

劔 会社員でも女性でもないですが、僕も結構それを感じるんですよね。「お忙しいでしょうから」と周りから遠慮されている気がします。いろいろなメディアで、主に僕が家事を担当していると言っているからか、仕事しながら家事をめちゃくちゃ頑張っていると思われているみたいで。本当はちょっと暇だから、Netflixでゾンビ映画とか観てるのに……。

(笑)。一方で、仕事を減らしてくれる周りの気遣いを、ありがたいと思う人もいるはずなので、難しいですね。

犬山 もし、子どもが産まれてもやりがいのある仕事を続けたいならば、自分が復帰できるように上の人に事前に相談しておいたり、部署内でしつこく言っておいたり、休む前に各方面に根回しをしておくのがすごく大事だと思います。

片方の収入が多くても、上下ではなく、横同士の関係でありたい

家事や育児については、どのように分担されていますか?

犬山 週3で頼んでいる家事代行サービス代を私が出していることを差し引いても、私が3割で、つるちゃんが7割くらいかなぁ。もともと私は家事が苦手だし、昔から自分が働いて大黒柱になりたいと思っていたので、家事が好きなつるちゃんと出会えたのはラッキーでした。ただ、もしつるちゃんがポーンと稼ぐようなことがあったら、交代するのもありだし、臨機応変に考えています。

劔 でも、僕は人生で大金を稼いだことがないので、全然想像もつかないし、自信もないですね。自分のほうが稼ぎたいともまったく思わないですし。

劔さん

世の中では真逆のケースを聞くことがあります。女性の方が収入が多いことで、引け目に感じる男性もいるようです。

犬山 えー! 収入多い方がラッキーなのに!

劔 ラッキーだよね。でも、プライドが……とか、収入が多い方が家庭内で発言権が持てるのでは、とか思う人が多いのかな。

犬山 たぶん、サンプルが自分の実家しかない、というのも視野を狭くしている理由の一つですよね。私たちがこうやってインタビューしていただけているのも、世の中からすると特殊なケースだからだと思いますし。上か下かの関係ではなく、横同士の対等な関係もある、というのが浸透していないのは、まだまだ国としての課題だと思います。

細かいところを含めて、負担をトントンにしたい

犬山・劔家には、何か家事や育児における今後の課題ってありますか?

犬山 つるちゃんがもっと外出したり、友達と遊びに行ったりしてくれるようになってほしいんです。予定をあまり入れないようにしているのだろうし、つるちゃんがちょっとライブに行っている間、私が家にいたら、「子どもを見てくれてなんて素晴らしい人なんだ…! ありがとう!!!」とかものすごい勢いで感謝してくるんです(笑)。普段仕事で子どもと離れている分、一緒にいられるのは私にとってはご褒美でもあるのに。

劔 そこのところは僕、世の中のお母さんに近い感覚なのかな、と思います。外出しているときは、子どもの面倒見てないけど大丈夫かなと不安になるし、夫婦両方が忙しくても、家事や育児をするのは自分だ、と常に思っていますし……。

犬山 私に急な仕事が入ったときのことを考えてくれていて、常に自分が家事や育児をできる状態にしておかないと、とつるちゃんの中で枷として結構大きくのしかかっちゃっているんだよね。

劔 やっぱり、彼女のほうに急な仕事が何か入ってきたら、自分の予定を動かさなきゃいけないと思うので。それが嫌で苦しんでいるというわけでもないんですけど。こういうの、世の中のお母さんも結構同じ感覚を持っているんじゃないかなと思います。僕は性別が逆であるからこそ、いいモデルケースになるためにも打ち破っていかなければいけないとずっと思っています。

犬山 だからこれは、全然解決できていない課題です。たぶん、こういうつるちゃんの細かな気遣い含めて、負担がトントンじゃないと思うんですよ。つるちゃんはあくせく家事をしても、自分はあれをした、これをした、と言うのが苦手だから、絶対言わないですし。そもそも、家事って申告されないと気づかないような細かいものも多い。

だからもうちょっと、お互いの一日の仕事量をトントンにしよう? 私もその日どんな仕事をしてどれくらいハードだったかを話すし、つるちゃんも「仕事と家事で忙しくてゾンビ映画を観れなかったわー」とか、話し合おう。世の中の家庭における不満って、そういう細かなズレから生まれていると思うので、小さなことでも言い合うのは本当に大事なんですよね。

犬山さん・劔さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方

犬山紙子さん
コラムニスト、エッセイスト。多数媒体で連載を持つ。主な著書として『負け美女』(マガジンハウス)、共著に『女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態』(筑摩書房)など。2017年に『私、子ども欲しいかもしれない。: 妊娠・出産・育児の“どうしよう”をとことん考えてみました』(平凡社)を発売。2017年1月に第一子を出産。
Twitter:@inuningen

劔樹人さん
漫画家、「あらかじめ決められた恋人たちへ」ベーシスト。2017年にはブログに掲載していた漫画を書籍化した『今日も妻のくつ下は、片方ない。 〜妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました〜』(双葉社)を発売。
Twitter:@tsurugimikito

次回の更新は、2018年5月23日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

「夫婦同時失業」のどん底経験はムダじゃなかった 元“貯まらん女”のFP、花輪陽子さん

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シンガポールのマリーナベイサンズの最上階からの風景(写真提供:花輪陽子さん)

今回「りっすん」に登場いただくのは、お金にまつわる専門家とも言われる「ファイナンシャル・プランナー(FP)」として活動する花輪陽子さん。現在シンガポールに暮らしながら多数の雑誌やWebメディアで活躍する花輪さんですが、外資系会社のリストラやシンガポールへの転勤などさまざまな転機を乗り越えてきました。また、FPとして活動する前は、お金を「あるだけ使ってしまう」という"貯まらん女"だったのだそう。

そんな花輪さんに、FPになったきっかけや"貯まらん女"時代のエピソード、シンガポール在住のFPとしてのお話などを伺いました。

リストラがきっかけで、FPとして独立

現在FPとして雑誌やWebでの執筆や監修を中心に活躍されていますが、FPになるまでは会社員をされていたんですよね。

花輪陽子(以下:花輪) はい。大学卒業後、新卒で外資系の金融機関に入社しました。その後、リーマンショックのあおりで2009年にリストラされてしまって。しかも当時新婚だったのですが、夫が勤めていた会社も倒産し、夫婦同時失業状態になりました。

ご自身だけでなく、ご主人まで……!

花輪 このころはどん底でしたね。実は、私がリストラされた1年ぐらい前から社内でリストラが始まっていて、社内の空気も悪くなっていたんです。いつ自分もそうなるか分からない状態だったので、リストラが始まりだした時期からFPの仕事の勉強を始めて、万が一のための準備は整えていました。

いつ何があってもいいように、対策は考えていたんですね。

花輪 そうです。CFP試験*1という資格試験の準備中にリストラされたのですが、とにかく資格を取ってしまおうと思って。試験直前には1日6時間くらいは勉強し、リストラ後にはなってしまいましたが、無事資格を取得することができました。

花輪さん

シンガポール在住の花輪さん。取材はビデオ通話で行いました

資格をとったあと、FPとしてすぐ独立されたとのことですが、どうやって活動をスタートさせたのでしょうか?

花輪 最初は専門誌に寄稿するなど、できることからやっていました。会社都合でリストラされたので、失業保険の待遇がよかったこともあり、当面のお金にすごく困っているわけではなかったため、1年間はじっくりと活動していました。

独立して働くには、やはり人脈も大切になってくるのではないかと思います。どのようにお仕事を得ていったのでしょうか。

花輪 今まで築いた全ての人脈を使いました。例えば、元同僚に知り合いの雑誌編集者を紹介してもらったこともありました。あとは、FPが集まる会合やセミナーへ積極的に参加してましたね。とにかく交際費にお金をかけて、いろんなところに顔を出すようにしていました。地道に営業をしたり記事を書いたりしていたのですが、独立から1年後に『夫婦で年収600万円をめざす!二人で時代を生き抜くお金管理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年)という本を出すことができて。

出版してからはコラムの連載が決まったり、次の本の依頼をいただいたり、わっと仕事の幅が広がっていきました。夫婦で失業した経験があったからこそ書けた本もあったりして、ムダな経験はないな、と感じました。

夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術

夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術

  • 作者: 花輪陽子
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン


会社員時代からFPの資格取得のための準備をされていたとのことですが、リストラ後、他の会社で働こうという考えはなかったんですか?

花輪 それはなかったです。自分の今後の未来を想像したときに、独立して働いている方が楽しそうだったので、周囲の忠告を振り切って独立の道を選びました。

FPになろうと思ったのは、何か理由が?

花輪 大学で政治経済を専攻していたこともあって周りにFPの資格を持っている人がいて。ただ当時は「そんな資格もあるんだな」ぐらいで実際に資格を取ろうとは思っていなかったんです。でも、婚約をきっかけにお金の使い方を見直すようになって。

ちょうどその時期に、スージー・オーマンさんの『幸せになれる人バカな人生を送る人のお金の法則』(エレファントパブリッシング、2007年)という書籍をたまたま読んだんです。この本に感銘を受けて、浪費癖を直そうと意識と行動を変えていくことができました。それからお金の本などを読むようになって、FPの資格を取りたいと本格的に思うようになりました。なので、独立するならFPと決めていました。

会社員時代、あるお金は使ってしまう"貯まらん女"だった

政治経済を専攻したり、外資系のお仕事をされていたりということで、以前からお金に関心はあったんでしょうか。

花輪 そうですね、学生の頃からお金に関心がありました。なので、就活では証券会社を受けるなどしてましたね。ただ、お金は好きだったんですが、自分自身がお金の管理ができていたかというとそうではなくて……。ついつい使い過ぎてしまったり、お金に振り回されるタイプではありましたね(笑)。

著書にもあるように、独身時代は「貯まらん女」だったとか。当時は主にどんなことにお金を使われていたんですか。

花輪 給料のほとんどを、服とかコスメとかに使っていました。かといって、そのとき購入したものを今でも大切にしているかというとそうではなくて。振り返ると、本当にもったいない使い方をしていたなと思います。

貯まらん女のお金がみるみる貯まる魔法のレッスン88

貯まらん女のお金がみるみる貯まる魔法のレッスン88

  • 作者: 花輪陽子,ふじいまさこ
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス

「貯金しよう」とは考えていらっしゃらなかったんですか。

花輪 そのときは貯金のことをそんなに考えていなかったです。大学時代も、アメリカに短期留学したときにクレジットカードの限度額30万円しっかり使ってしまったこともありましたし。昔から浪費癖がありました。就職して給料をもらえるようになってからも、「収入が常に入ってくる」という過信があったので、収入に比例して使うお金も増えていって……。

そこからどうやって気持ちを切り替えたのでしょうか?

花輪 まずひとつめは、先ほども少しお話しましたが婚約がきっかけです。婚約したときに、クレジットカードの残債が200万円ぐらいあったんです。「これはいけない。結婚式までにこの残債をなんとかしなければ」と思ったんです。あと、今もですが主人の存在が私の浪費防止になっているのは間違いないです。

なるほど。ほかにもきっかけがあったのでしょうか。

花輪 あとはやはりリストラですね。収入が途絶えてしまったので、お金の使い方を見直さざるを得なくなってしまって。人は追い詰められないとなかなか変われないものです……(笑)。

ちなみにご主人のお金の感覚は、花輪さんと近いのでしょうか?

花輪 主人はもともと物欲がなくて、浪費するようなタイプではありませんでした。私と真逆で、なにもしなくてもお金が貯まっていってしまうような人です。

お金の使い方でご主人ともめることはありませんか?

花輪 意外とないんです。でも、今でも私がまとまったお金を使ってしまうことがたまにあるので、そういうときは不服そうにしています。夫婦共同のお金なので、もちろん事前に相談はしていますが。

花輪さん

目に見えるものが全てじゃない。経験だって大きな財産

雑誌やWebなどで働く女性の悩みに答える記事も書いていらっしゃいますが、最近の働く女性はどのようなお金の使い方をされていると感じますか。

花輪 働く女性でもいろいろカテゴリーがあり、年収や、既婚や未婚、一人暮らしや実家暮らし、住んでいる地域によっても変わってくるので一概には言えないのですが……。旅行や食べ物、洋服、コスメ、趣味などいろんなことに関心がある人が多くて、まんべんなくお金をかけているというよりかは、「自分がこだわっているところにお金をかけている人」が多くなってきているのかなという印象がありますね。

貯金に対する意識はどうでしょう?

花輪 年収300万円ぐらいでも、30代で1000万円貯金できている方もいらっしゃいますし、高収入だけど支出も多くて、貯金が全然できていない人もいらっしゃいます。「貧困女子」というワードが2012年ぐらいに出てきましたが、収入と貯金額というのは必ずしも比例しているわけではありません。

使い方の問題なんですね。貯金が全然できていなくて不安を感じている方も少なくないのではないかと思います。そういう人に向けてアドバイスをいただけますでしょうか。

花輪 そうですね。でもそういう方は「経験」がたまっていると思うんです。お金を全然使っていないという方は、経験がたまっていない場合もありますし。例えばファッションにお金をかけていた人は、ファッションセンスが養われているはずです。旅行が好きな人は世界中に友人ができたかもしれない。

お金はたまっていなくても、目に見えない資産が残っていればそれはそれでいいので同じくらいの価値があるのではないかと思います。貯金額だけでなくて、無形資産を一度棚卸ししてみるのもいいかもしれないですね。

さまざまな転機を乗り越え、現在の生活に

自身の働き方を振り返って、転機だと感じた出来事を教えてください。

花輪 リストラ、出産、シンガポールへの移住の3つです。

先ほどリストラのお話は伺いましたが、出産はどのような点が?

花輪 妊娠した時期が、FPとして1番乗りに乗っている時期だったんです。もちろん子どもができたという嬉しさはとても大きかったのですが、テレビのレギュラーなど、受けたかった仕事もお断わりせざるを得ないこともあり、そういう面では自分の働き方について悩みました。

出産前後はどうしても仕事に影響が出てしまうのは、難しい問題ですよね……。そして出産後、続けざまにシンガポールの移住が決まったそうで。

花輪 はい、出産して1年後ぐらいに夫の仕事の都合でシンガポール行きが決まりました。子どもが小さかったこともありますが、テレビの出演や講演といった、日本でしかできない仕事は断らなければいけなくなるので、私が東京で築いてきたキャリアはどうなるんだろうって思うと、正直不安になりました。悩んだ末、家族全員で移住することを決めましたが、やっぱりシンガポールに移住してすぐのころはけっこうふさぎ込んでいましたね。

立ち直ったきっかけはあるんでしょうか。

花輪 シンガポールでもFPとしての仕事ができる、と分かってからですね。移住してからもコラムの執筆など、継続してお仕事をいただけたのは嬉しかったです。

シンガポールに来てからはどのようにお仕事をされているんですか。

花輪 子育てもあるので、最初は仕事の量をかなり減らしていましたが、最近は執筆を中心に仕事をしていて、15程度の媒体で連載を持っています。電話やメールでもいいという場合が多いので、インタビューの仕事も増えてきて。テレビや講義など、日本でなければできない仕事を除けば、日本にいたときとそこまで大きな変化もなく仕事ができているかなと思っています。

花輪さん

今後、「こうしていきたい」といった思いはありますか。

花輪 シンガポールに来て3年になりますが、今年からはシンガポールでの活動を増やしたいと思っています。会計士さんと一緒にセミナーを開いたり、シンガポールや日本を中心とした、アジアに住んでいる日本人に向けた活動をしたり。こちらに住んでいる人には、いずれは日本に帰ろうと思っている人も多いので、いろんな需要に合わせた内容を考えているところです。

花輪さんは今後日本に帰る予定はあるんですか?

花輪 今のところないですね。それに、実はこっちに長くいてもいいなと思っていて。最初はシンガポール行きに戸惑いましたが、来てみるとシンガポールにいるということもひとつのコンテンツになっていて。シンガポール在住のFPはほとんどいないので、差別化できるようになったんです。シンガポールにいることで自分独特の視点が持てるようにもなりました。

なるほど!それはひとつの強みですよね。

花輪 そうですね。なので、今後はそれを活かした新しいビジネスを展開できたらな、なんて思っています。シンガポールや香港の金融機関や金融商品の情報を研究して、その情報を日本人の方に提供できたらいいなと。

マイナスのものをプラスに捉えるように

シンガポールに来て、日本との働き方の違いについて感じることはありましたか。

花輪 割と現地の人と話してても、男女関係なくフラットな方が多い気がしますね。シンガポールで働く会社員の人からも、こちらの方が働きやすいとよく聞きます。業界を全く変えて転職をしたという人もけっこういらっしゃいますし、チャレンジしやすい環境なんだと思いますね。

リストラの経験をはじめ、逆境をプラスに変えてきた花輪さんですが、普段考え方において意識されていることはあるのでしょうか。

花輪 マイナスのものをプラスに捉えるように意識しています。日本人って、マイナスの感情はいけないような風潮があるじゃないですか。例えば、誰かに対して嫉妬するっていうのも、日本人はいけないことだと感じる場合が多い。でもそれって、実はその人に憧れていて、その人のようになりたいと思うパワーがあるということ。その感情を使って、自分とその人の差を埋めるという考え方や行動力に持っていけるはずなんですよね。怒りとかも同じです。一見マイナスの感情ときちんと向き合って、プラスに働くパワーに変えていきたいなと思っています。

嫉妬や怒りという感情の原因を知ることが大切なんですね。本日はありがとうございました!

取材・文/石部千晶(六識)

お話を伺った方:花輪陽子さん(ファイナンシャル・プランナー)

花輪陽子

シンガポール在住のファイナンシャル・プランナー(FP)。CFP認定者、1級ファイナンシャル・プランニング技能士。夫婦同時失業を経験したのちFPとして独立。自分自身の"貯まらん女"だった経験をもとにしたアドバイスで、働く女性からも高い支持を得る。「少子高齢化でも老後不安ゼロ シンガポールで見た日本の未来理想図 」(講談社+α新書)、「毒舌うさぎ先生のがんばらない貯金レッスン」(日本文芸社)など著書や監修本多数。

次回の更新は、2018年5月9日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:日本FP協会が認定する民間資格

ママ・パパの同人活動を応援! 子育て中のママが立ち上げたのは「同人イベントのための託児」

四辻さん

同じ趣味を持つサークルや個人がマンガ、イラスト、小説などを制作・発行したり、イベントで作品を売買したりする同人活動。東京ビッグサイトで開催される世界最大の同人誌即売会コミックマーケット(コミケ)の来場者数は3日間でのべ55万人あまり*1と、同人活動にまつわるイベントは日本を代表するカルチャーとして確固たる地位を築いています。

こうしたイベントに参加する子育て中のママ・パパを応援しようと、イベントに合わせた日時に、イベント会場からアクセスのよい場所でプロの保育スタッフによる託児サービスを行う「にじいろポッケ」を立ち上げたのが、ライターとして働きながら、自身も同人活動に勤しむ四辻さつきさん。

同人イベントのための託児「にじいろポッケ」を手掛けるまでのいきさつ、「仕事」「母親」としてだけでなく、「趣味」に生きる女性としての想いなどについて聞きました。

妊娠中に出会った深夜アニメが、「にじいろポッケ」のきっかけに

四辻さんご自身、同人活動をされているそうですね。「にじいろポッケ」の話を伺う前に、同人活動にはまったきっかけから教えていただけますか?

四辻さつきさん(以下、四辻) もともと子どもの頃からマンガやアニメは好きで、中高生時代には自分でマンガを描いたり小説を執筆したりすることもありました。ただ、大学進学以降はめっきり遠ざかっていたんです。

転機は2015年で、上の子が2歳で、2人目を妊娠中のとき。イヤイヤ期に差しかかる上の子の世話をしながら、妊娠中で体調も悪い、夫も転職したばかりで忙しい、さらにはお互いの両親も離れていて……と、いわゆる孤独の「子(孤)育て」に追い込まれていました。

そんなある日、当時放送されていたある深夜アニメを見て、夢中になって。とにかく、すごくストレス発散になったんですよね。それから他の人が手がけた二次創作(原作をもとにした創作物)を読み漁るようになって、私も同じように創りたいなと思うようになりました。それがきっかけです。

それからすぐに同人活動を再開されたのでしょうか?

四辻 そうですね。私は小説執筆をメインに活動しているんですけど、pixiv*2に作品をアップしたり、Twitterで同じ作品が好きな人たちと交流したりするようになりました。当初はオンライン上で同人活動をしていたのですが、やはり醍醐味(だいごみ)はイベントなんです。

イベントで自分の作品を読んでくれている人から手紙をもらったり、逆に自分も直接感想を伝えに行ったり、お菓子を差し入れたり……。作品を発表するだけだったらオンラインの交流だけで十分かもしれませんが、自分が好きな世界を好きな人たちとリアルな交流を通して共有し合い、コミュニティができるのが楽しくて仕方ないんですよね。ただ、子どもが2人いる状況でイベントへ参加するというのは、なかなかハードルが高いなって……。

四辻さん

確かに、かなりのパワーが必要ですね……。

四辻 同人イベントに自分のスペース*3を出そうと思ったら、朝8時には会場に入って、17時頃までかかることもあります。私の場合は幸いにして、一人は親、もう一人は夫に預けて参加することができていましたが、それが難しい人もいる。子どもがいてもイベントに参加したいママ・パパ向けに、託児サービスがあったらいいのにな……と。

その気づきが、「にじいろポッケ」を始めるきっかけに?

四辻 そうですね。Twitterにも「子どもを預けるところがなくて困っている」というつぶやきが割とあって、一度アンケートをとってみたんです。そうしたら、「ある程度お金を出してでも預けたい」という声がたくさん集まりました。じゃあ私が始めてみようかなと。

その行動力がすごいです!

四辻 前職で飛び込み営業とかをしていたので、行動することの大切さは身に染みていますし、その辺りの度胸はあるかもしれないです。この活動について問題がないか保険局に問い合わせるといったことが抵抗なくできたのも、前職のおかげかもしれないです。

預けられた子どもも楽しい時間を過ごせるように工夫

にじいろ

「にじいろポッケ」Webサイト

同人イベントのための託児 にじいろポッケ

ちなみに、「にじいろポッケ」という名前には、どんな意味が込められているのでしょうか?

四辻 最初は、オタクと託児をかけて「OTAKUJI(おたくじ)」にしようかと思っていたんです。でも、オタクって自分で言うのはいいけど、他人に言われると複雑に感じる人もいるだろうなって(苦笑)。

いろいろ真剣に考えた結果、「いろんなカラーの趣味があっていいんだよ」という想いも伝えたくて「虹色」に「二次創作」の「二次」をかけて「にじいろ」、あと「ポッケ」は「ポケットみたいに持ち運びができる移動式の託児所」ということで、この2つを組み合わせて名付けました。ただ、実際にサービスをスタートするまでは大変でした。

特に、何が大変でしたか?

四辻 一番苦労したのは、場所の確保です。最初はイベントがよく開催される東京ビッグサイト(東京国際展示場)の会議室はどうだろうと思ったんですけど、イベントの日は予約競争率が高くてまず難しいことが分かって。次に周辺施設で探してみたのですが、企業のオフィス利用があるビルだと子どもがうるさいと迷惑になってしまうからと託児利用に前向きになってもらえず……。民間の保育施設や公民館も、たとえ空きがあったとしてもいろいろと問題があるようで無理でした。

なかなか難しいものなのですね。

四辻 最終的に、個人的につながりがあったお台場にあるダンススタジオを運営している人に相談し、貸してもらえることになりました。いまは、勝どきにある学童施設を利用させてもらっています。この施設も私の知人が運営に携わっていたのですが、「日曜祝日は休みなので逆に活用してくれてありがとうございます」とおっしゃっていただき、快く貸してくださって。イベントは土日祝日に開催されることが多いので、お互いの希望が合致した形になったのはよかったです。

保育士はどうやって見つけられたのですか?

四辻 最初はつてがなかったので、イベント時に特化して保育スタッフを派遣している会社に依頼しました。ただ、法人向けの価格設定になっていたので費用がすごく高くなってしまって。託児料金についてはサービス利用者で割り勘にしようと考えていたので、コストを下げないと託児サービスを使いたくても使えなくなってしまいます。そんなとき、たまたま少人数制の家庭的保育を専門にする「チャイルドマインダー*4」という民間資格を持って個人事業主で仕事を請け負っている方たちの存在を知りました。

皆さんフリーランスなので企業マージンが入らないということもあって、保育の質を保ちながらコストを抑えることができました。それからチャイルドマインダーさん同士のつながりで紹介していただき、いまでは子どもの数や施設のキャパシティに応じて手配しています。

託児中の様子

「にじいろポッケ」託児中の様子(写真提供:にじいろポッケ)

その他にサービスの中身で、こだわっていることはありますか?

四辻 「子どもたちが楽しく過ごせるかどうか」には、こだわりたいと思っています。というのも、預けることに罪悪感がある親御さんもいっぱいいるんですよね。「仕事のためなら仕方ないって割り切れるけど、自分が楽しんでいる間に、子どもに寂しい思いをさせたらかわいそう」と。そこをケアできるように工夫しています。

たとえば、私たちの活動を知ってくださった方の中にプラレールを集めている人がいて、「楽しい託児所にしましょう」と託児用にプラレールを貸していただいています。おかげさまで、子どもたちもすごく楽しんでくれています。プラレール以外にもおもちゃをたくさん用意しているので、「1日楽しく過ごせるから、子どもからも『連れていって』と言われます」という声もいただきます。

赤字が続くも、クラウドファンディングで目標額の3倍を調達

子どもにも楽しい時間を過ごしてほしいという親御さんの気持ち、そして託児の当事者である子どもの気持ちもしっかり考えていらっしゃるんですね。ちなみに、直球で恐れ入りますが、「にじいろポッケ」として利益は出ているんでしょうか?

四辻 正直なところ、私の人件費まで含めると完全な赤字ですね。そこで、今後も継続していくために2017年10月に、クラウドファンディングを実施したんです。目標額は100万円。最低でもあと1年続けられる額ということで設定しましたが、結果的には目標を大幅に上回る300万円が集まりました。

目標の3倍!どのような方が応援を?

四辻 大きく分けると「これから使うかもしれないから(ママ・パパ予備軍)」「自分の子育て期にこういうサービスがあったら良かった(先輩ママ・先輩パパ)」「独身で子どもはいないけど応援したい(サポーター)」という3パターンの方がいらっしゃいました。おかげさまで、今では月1回くらいのペースで、来場者が数万人規模のイベント開催に合わせてサービスを提供できています。1回のイベントにつき、預かるお子さんは14~15人程度ですね。

それはすごい。親御さんは本当に大助かりですね。

四辻 コミケに代表されるような数十万人規模の大きなイベントは年に数回ですが、数万人規模のイベントまで入れると、毎月のようにどこかで開催されています。いずれのイベントでも、どこにも子どもを預けられなくて困っている、という方はいらっしゃるはずなんです。規模にかかわらず、ニーズがあるところにはどんどん展開していきたいと思っています。今年(2018年)から大阪でも始める予定です。

それだけ求めている人が多かったのですね。でも、2015年に深夜アニメとの出会いがなければ、いまの四辻さんも「にじいろポッケ」もなかったんですよね。

四辻 確かに(笑)。私自身「にじいろポッケ」がこんなに大事な存在になると思っていなかったので、人生何があるか分かりませんね。それに何より、自分の好きな同人活動の仲間の役に立てることって、すごい嬉しいことだなと思っているんです。

四辻さん

「にじいろポッケ」を"私にしかできないこと"にしたくない

にじいろポッケの活動、本業のライター、同人活動、そして母親と、やることが満載だと思うのですが、どのようにバランスを取っていらっしゃるのでしょうか?

四辻 うーん、家事をどうやって省エネ化するかはいつも考えていますね。ルンバとか食洗機を導入してみたり、炒めるだけ的な料理キットをフル活用してみたり。私はそもそも家事が得意ではないですし、あれもこれもやらなきゃいけないっていうよりは、ママでも好きなことをして楽しい時間を過ごせたらなって思っています。

それが四辻さんらしさなのですね。

四辻 あと、"なくてはならないもの"は、"誰でもできる"ものでないといけないんじゃないかなって感じていて。そういう意味では、「にじいろポッケ」は利用者の皆さんから感謝してもらえているし、ずっと続けていくべき事業だと思っているので、私がある程度ベースを作って、もっと仕組み化し、私以外の誰にでもできるようなものにしていきたいです。

これから、ますます広まっていきそうですね。

四辻 そうですね。それもこれも寛容になってきた今の時代だからこそ成り立っているのかなとも思っています。例えば少し前までは、「母親は育児に専念すべし」という風潮だったと思いますが、最近はそうじゃなくってママも息抜きの時間も大事だよって言ってくれる先輩ママたちが増えてきた。なので、私はそのバトンをつなぐべく、ママたちが自分らしく、大好きなこともできるように、「にじいろポッケ」を育んでいきたいと思っています。

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)

お話を伺った方:四辻さつきさん(「にじいろポッケ」主催)

にじいろポッケ

昭和生まれの二児の母。中学生の頃の某新世紀アニメをきっかけに、中・高と同人をたしなむ。その後、進学・就職・結婚としばらく同人から離れていたが、第一子のイヤイヤ期と第二子の妊娠が重なり、某深夜アニメでストレスを解消しているうちにどっぷりハマる。その勢いで同人活動を開始。第二子出産後、子どもが増えて託児の難易度が上がったことから、イベントのための託児があればいいのに……と考え、ないなら作ってみよう! と思い立つ。現在、1歳と4歳の男児の子育てに奮闘中。
Twitter: @nijiiropokke
Web:同人イベントのための託児 にじいろポッケ

次回の更新は、2018年4月11日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:2017年12月29日〜31日に開催された「コミックマーケット93」の来場者数

*2:利用者が自由にオリジナル作品や二次創作作品を投稿・閲覧できるイラストコミュニケーションサービス

*3:自分の作った同人誌 などを持ち込んで頒布するための場所

*4:イギリス発祥の家庭的保育の専門職。日本では民間資格だがイギリスでは国家職業基準資格として認められている。にじいろポッケではNCMA,Japanが認定するチャイルドマインダーに依頼している

売れる本は「面白そうなにおい」がする? 様々な企画を打ち出す三省堂書店員・新井さん

新井さん

今回「おしごとりっすん」に登場するのは、三省堂書店で働く新井見枝香さん。有楽町店、池袋店、本部勤務を経て、現在神保町本店の文庫本コーナーを担当する新井さんは、本を売るのが日本一上手い書店員かもしれません。独自の賞「新井賞」を作ったり、著者さんとのトークイベント「新井ナイト」を開催したり、自らが読んで面白いと思った本を売るための企画を次々と打ち出しています。その傍ら、様々な媒体に寄稿し、エッセイ集『探してるものはそう遠くはないのかも知れない』も刊行。書店員の仕事の話、売れる本とは何か、出版界の今後についてなどを伺いました。

本は好きだったけど、仕事にするとは思ってなかった

新井さんはもう何年も前から、「プッシュした本は必ず売れる」と言われている書店員さんですよね。新井さんの活動を拝見しているとまさに天職だと思うのですが、どのような経緯で書店員のお仕事を選んだのでしょうか?

新井見枝香さん(以下、新井) 書店員になりたいと思っていたわけでも、本に関わる仕事をしたいと思っていたわけでも全然ないんですよ。三省堂書店で働き始めたのも、本当にたまたまです。三省堂書店有楽町店に寄ったら求人のポスターが目に入ったから気まぐれで電話をして。

じゃあ、それまでは本とはまったく関係のないお仕事を?

新井 そうですね。そもそもあまり仕事が続いたことがなくて、いろいろなアルバイトを転々としていました。唯一続いたのがサーティワンアイスクリームで、2〜3年は働いたかな。あくまでも消費者として本が好きだっただけなので、書店で働くなんて考えたこともなかったですね。

三省堂書店にはよくお客さんとして行かれていたのですか?

新井 有楽町店が好きでよく行ってました。有楽町店の文芸の棚はそんなに広くないのですが、品ぞろえがよかったんですよ。「おっ、これが置いてあるんだ」といった通好みの本がそろっていて、それでいてちゃんと大衆向けの本も入っていて、セレクトのバランス感覚がとてもよかった。入社してすぐに、「あ、この人が担当していたんだ」と分かりましたね。

へええー! 棚って、担当する書店員さんの個性が出るんですね。

新井 でも、「俺が売りたいものを置く」「私の棚を作る」とゴリ押しばかりするのもよくないんです。その店舗がある地域によって、お客さんが求めているものも変わってきます。お客さんをよく見て、ニーズに合わせた棚を作るのが大前提です。

「買うなら新井さんのところで」とどの店舗にも来てくれる常連さん

新井さんは最初、有楽町店で働かれ、その後池袋店に異動し、現在は神保町店にいらっしゃるんですよね。店舗が変わったことでの苦労は何かありましたか?

新井 有楽町店から池袋店に移ったばかりの頃は、お客さんから思ったような反応が返ってこなくて少し苦戦しました。有楽町店はもともと客として通っていたのもあって、自分に合っていたんですよね。それに、お客さんとの信頼関係は、一年やそこらで築けるものではありません。オススメした本を買ってもらって、それを気に入ってもらえたことでまた来てくれて、と繰り返して作り上げたものを、また0からやらなければならないですから。

新井さん

本屋って、たまたま通りがかった店にふらっと入る人が多い気がしますが、常連さんも結構いるんですね。

新井 有楽町店で常連さんになってくれた人の中には、私が異動したら池袋店に、今は神保町店に来てくれる方もいます。「買うなら新井さんのいるところで」って。

そんなことがあるんですか……!

新井 とはいえ、ここまでお客さんに信頼してもらえるには時間もかかるし、めちゃくちゃ大変です。会社の上の方の人は、どんどん配置換えをするけれど、現場の人間からしたら、長年お店にいることで培った信頼関係ってプライスレスなんですよね。

ただ、本屋でお店の人が積極的に話しかけてくることはあまりない気がします。どのようにしてお客さんとの信頼関係を築いていくのでしょう?

新井 こちらからやたら話しかけることはしないですね。ただ、よく見ると、何かを聞きたそうにしている人もいるので、そういうときは声をかけに行きます。それと私の場合は、「新井賞」という独自の賞を作って店で展開するなど、名前を出して活動しているのもあり、お客さん側から本の感想とかを話しかけてくることも多いです。新井賞とかやってるくらいだから、新井さんならいろいろな本を読んでいるだろう、って。特に今いる神保町店では、本の納品がない土日とか、レジに入る時間以外は、ほぼずっとお客さんと話しています。

どうしても売りたい本があって始めた「新井賞」

「新井賞」についてもお伺いさせてください。この賞はどのようにして始まったものなのでしょうか?

新井 2014年上半期の直木賞の結果に納得がいかなかったことがきっかけです(笑)。そのときの候補作の中で、私は千早茜さんの『男ともだち』が一番面白いと思ったのに、受賞はできませんでした。直木賞候補って、落選してしまったときに残念な雰囲気が漂って、その本の面白さは変わらないはずなのに世間から見た価値がなんとなく下がるような気がするんです。だったら候補にならない方がよかったんじゃないかっていつも思っていて。それで、『男ともだち』をどうしても売りたくて、「新井賞」を勝手に作って、店で直木賞と芥川賞と一緒に並べたんです。そうしたら反響がすごくて、有楽町店では直木賞と芥川賞の受賞作よりも売れてしまったという……(笑)。

新井賞の様子

「新井賞」を店舗で展開している様子。POPの作成や受賞作につける帯など、全て新井さんが作成しているとのこと

すごい!

新井 賞をやりたかったわけではなく、たまたま新井賞という形がうまくいっただけで、うまくいかなければ、(売るための)別の方法を考えていたんだろうと思います。このときあまりに売れたせいで、本部主導で全国展開をしようと言われたんですが、「それは違う!」って断固拒否しました。新井賞が業務になってしまうと、その業務的な“つまらなさ”はお客さんに絶対に伝わってしまうので。

新井賞は業務外で趣味でやっている、という位置付けなのでしょうか?

新井 そうですね。ひっそりと店舗で展開して、Twitterで受賞作を発表したり、受賞作に自作の帯をつけたり、細々とやっています。実は書店員って、こうやって本を売るために何か仕掛けなければいけないかというと、そうではないんですよ。基本的には必要な本を仕入れて、きちんと接客をするだけでいい。本をオススメしたり、売るために何かを企画したりするのは、私がやりたくてやっているだけです。

店舗の様子

新井さんが手がけた「食」をテーマにしたコーナー。サンプル食品で作ったPOPも手作り

新井賞の他に、新井さんと作家さんとのトークイベント「新井ナイト」も定期的に開催してらっしゃいますよね。

新井 作家さんのトークイベントは世の中にたくさんあるのですが、台本があった上で進行したり、どこかのインタビューに書いてあるような内容だったりすることが多いんですよね。それと、トークの相手が評論家や編集者だと、内容も評論的なカタいものになりがちです。でも、評するために読んでいる人ばかりではなくて、ほとんどの人は楽しみたくて本を読んでいるはずです。それで、もう少し作家さんを身近に感じられるようなトークイベントをやりたいなと思って企画するようになりました。

新井ナイトではどのようなことを話すのですか?

新井 打ち合わせを一切せず、その日の客層や反応を見ながらアドリブでトークしています。そういう何するか分からない状態でポンとお客さんの前に出た方が、面白い話ができるんですよ。打ち合わせをするとそこで盛り上がって、イベント本番はその続きになっちゃうから。本の内容だけでなく、「昨日は何を食べた?」という雑談なんかも積極的にします。イベントに来てくださった方々に、この作家さんがどういう人なのか知ってもらって、「私たちが本を買うことで、この人は生きているんだ」と実感してもらうのが一番の目的です。

数字だけでは何も分からない

次から次へと様々な企画を実行されていますが、会社から止められたり怒られたりすることは今までにありましたか?

新井 会社から何かうるさく言われることはなかったですね。もしかしたら、上司がうまくやってくれていたのかもしれません。どの店舗にいたときも自由にやらせてもらえて、直属の上司には恵まれています。企画書をきちんと作って相談しているわけでもなく、昨晩思い付いたからその勢いで翌朝やってみる、とかなので、売り場のみんなや上司は振り回されていると思うんですけど……。

昨年(2017年)一年間だけ本部にいらしたんですよね。これは売り上げを伸ばしたことが評価されての異動でしょうか?

新井 たぶん、私の売る力を横展開したかったんだと思います。でも、(異動は)嫌でしたね……。本が売れるのも、お客さんを毎日見ていてこそなわけで、見えない本屋で売り上げを伸ばすなんてエスパーみたいなことはできませんって。本部にいると、ある本が店舗Aで1日に10冊売れました、と数字では見えるんですけど、1人の人が10冊買ったのかもしれないし、10人が一冊ずつ買ったのかもしれない。売れた本がどういう「10冊」なのかが分からないとどうしようもないんですよ。

確かに、1人が10冊買っていくのと、10人が一冊ずつ買うのだと、後者のほうが今後も売れそうです。

新井 そうなんです。1人が10冊買っていった場合は、何かのお使いだったり、人に配るためだったりするかもしれないですよね。10冊売れたからってまた10冊発注したら余っちゃうかもしれません。書店の現場で、どういう年代の人がどの時間帯に、どんな本を何冊買っていったかを毎日見ることで、売れそうな本の「数値化できないデータ」が蓄積されていくんです。

見た瞬間に「売れる」と分かる本がときどきある

新井さん

新井さんから見て、売れる本ってどんな本だと思いますか?

新井 作家さんと編集者さんとの相性はかなり影響していると思います。大手出版社の方が宣伝力があったり、文庫だったら新潮社や文藝春秋の棚がいい位置にあったり、とかは多少ありますが、それ以上に相性の方が大事です。作家さんが編集者さんと一緒に挨拶に来たときも、見るからに相性が悪そうなこともあれば、編集者さんがいまだかつてないくらいイキイキしていることもあって。やっぱり後者の方が売れます。

編集者さんの熱意にも、本によって差があるんですね。

新井 編集者さんもたくさんの本を担当していて、1人の人間なので、個人的にも応援したい作家というのが無意識のうちにどうしてもあるんですよね。その熱意がすごければ、書店側も注目しますし。それと、これは言語化が難しいのですが、見た瞬間に売れるのが分かる本もあります。

えっ、見た瞬間に!

新井 版元から届いた箱を開けた瞬間に「これは……!」と思う本って、あるんですよ。そういうときって、他の書店員もだいたい同じことを思っていて。なんだろう……、「面白そうなにおいがする!」という感じなんです。

無名の作家さんの本でもそういうことはあるのでしょうか?

新井 人気作家かどうかは関係なくて、単行本だったり文庫本だったり様々です。タイトルや表紙だったり、作家さんやタイミングだったり、何かがうまく噛み合ったときにすごくいいものができるんでしょうね。編集者が長い時間をかけて考えた企画だとしても外れることはよくあるし、数値化も法則化もできないんですけど。ただ、ひとつ言えるのは、作り手側の人たちが「自分が買いたいと思っているか?」は大事。編集者さんや営業さんに勧められたときはよく、「ところで自分は(この本)欲しいと思った?」と聞いてます。

なるほど……。それは痛いところを突いた質問かもしれません。最近、届いた瞬間に「これは売れる……!」と思った本ってありますか?

新井 『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)ですね。R-18文学賞読者賞を受賞した一木けいさんのデビュー作なのですが、初版も少ないし、そもそもR-18文学賞大賞も逃していて。それに、単行本って文庫本と比べてなかなか売れません。そういう意味では売れる要素は全然なかったんだけど、とにかく表紙がよくて、しかも帯を書いたのが椎名林檎さんだったんですよ。

www.shinchosha.co.jp

椎名林檎さん! あまり帯を書いている印象がなくてレアな感じがしますね。

新井 そう、いつも帯を書いているような人ではなく、林檎ちゃんなのがよかった。組み合わせも大事で、例えば椎名林檎さんが大御所作家さんの帯を書いたとかじゃなく、みんなが知らない新人作家と林檎ちゃんだったからこそ、より効果的だったと思います。

椎名林檎さんが、その本の帯を引き受けた背景が伝わってきますよね。

新井 そうそう、そういうこと!「林檎ちゃんが帯! なんで!?」となるんですよ。椎名林檎さんって自分が本当にいい本だと思わないと帯を書かなそうなイメージがありますし。帯を見た人はまずそれが気になって、どんな中身なのか読みたくなる。実際そこまで狙って帯を依頼したのかは分からないですが、重版はすぐに決まりました。

紙の本はもう売れないのか?

紙の本が売れない時代と言われていますが、書店員をやっていてもそのように思いますか?

新井 確かに、入社した10年前に有楽町店でやっていたのと同じことをしても、結果が半分しか出ないとかはあります。ただ、今でもレジに入っているとめちゃくちゃお客さんが並んでいるんですよ。それを見ていると、本が売れてないだなんてとてもじゃないけど思えない。数字だけで見ると下がっているのかもしれないけれど、現場にいると「こんなにニーズがあるんだ」って、まだまだ可能性を感じます。頑張る方法と、悲観する方法が間違っているんだと思うんですよ。

と、言うと?

新井 「売れない」と自分たちが悲観することで、その雰囲気を日本中に伝えてしまっている気がします。それに、売り上げが前年比を割っているとしても、じゃあ一年頑張って巻き返せるかと言われたらそう簡単にもいかなくて、もう少し長いスパンで頑張る方法を考えたほうがいい。

最近すごくいいなと思った例があって、『さよなら、田中さん』(小学館)という発売時14歳の子が書いた小説が、児童書ではなく大人と同じ単行本として出たんですよ。作者の鈴木るりかちゃんのクラスの子はみんなこの本を読んで、「大人の本を読んだ」という経験を14歳にしてできたわけです。

それがきっかけで、他の本にも興味を持つかもしれないですよね。

新井 そう、そういうことを他の版元ももっと狙ってやっていっていいと思います。るりかちゃんのクラスの子じゃなくても、同世代の子は歳の近い子が小説を書いているってだけで気になるだろうし、早いうちに読書体験をさせることで、次世代の読書好きが増えるかもしれません。

新井さん

悩んで、買って、手に入れる――本は「買う瞬間」が最高に楽しい

最後に、書店員を続けてきたことで気付いたことは何かありますか?

新井 書店員の仕事を始めてからますます意識的に本を買うようになりました。編集者さんや作家さんと仲良くなったことで、彼らがどういう思いで本を作っているのかとか、生活の糧になっていることとかが分かるので、本を高いと感じないんですよ。昔は単行本一冊で1,500円は高いと思っていましたが、あれだけの人が関わっていて、すごく長い時間をかけて作られていて……と考えると、むしろ安すぎる。

値段の他にも、単行本は場所を取るから敬遠されるところもありますよね。

新井 私、本は読み終わったら捨てちゃいます。全部残しておくと部屋から溢れてしまうので。

えっ! 捨てちゃうんですか!

新井 だからそういう意味では電子書籍でもよさそうなのですが、それでもやっぱり紙の本がいいんですよね。なぜかというと、本は「買う瞬間」が最高に楽しいから。どれにしよう……と悩んでレジに持って行って、本を買って手に入れた瞬間がピーク。この「悩んで、買って、手にする」というのは電子書籍では味わえない体験なんですよね。

確かに、本って買う直前と直後が一番テンション上がっているかもしれません。新井さんのお話を伺っていて、ものすごく本を買いたくなりました。ありがとうございました!

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方:新井見枝香さん (株式会社三省堂書店 神保町本店 主任)

新井さん

2008年、三省堂書店有楽町店にアルバイト入社。その後、正社員に。有楽町店、池袋店での店舗勤務、本部勤務を経て2018年より現職、文庫本の棚を担当している。自身がその年で最も面白いと思った本を発表する「新井賞」やトークイベント「新井ナイト」といった様々な企画を実施し、作家や編集者からの信頼も厚い書店員。2017年にはエッセイ本『探してるものはそう遠くはないのかもしれない 』(秀和システム)も刊行。

次回の更新は、2018年3月28日(水)の予定です。

編集/はてな編集部