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服が溢れた今の時代に、新しくブランドを立ち上げた理由――「LEBECCA boutique」ディレクター・赤澤えるさん

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」「夢にまで咲く花柄浴衣」など、販売する服に名前を付け、その名前に至るまでの背景や物語をSNS等で発信する、ファッションブランド「LEBECCA boutique」のディレクター・赤澤えるさん。常に“赤”のワンピースを身にまとった彼女は、幼い頃から古着を好み、同ブランドではヴィンテージアイテムも豊富に取り扱う。場違いなパーティーに始まり、一度は洋服を作ることに絶望したという過去から、ブランドへのこだわり、今後の展望などを伺いました。

ファッションを仕事にする気なんてサラサラなかった

“思い出の服”をテーマにした世界初の服フェス「instant GALA」のクリエイティブディレクターを務められるなど、ファッションを軸に幅広く活動されていますが、まず「LEBECCA boutique」のディレクターとしてのお仕事を教えていただけますか?

赤澤える(以下、赤澤) 次に作るオリジナルアイテムの方向性やデザインを決めたり、バイヤーとしてヴィンテージアイテムの買い付けに行ったり、フォトグラファーとして撮影をしたり、本当にさまざまなことをやらせていただいていますが、私にとって重要な仕事の一つは文章を書くことです。「LEBECCA boutique」のアイテムには1点1点に名前が付いていて、その背景となる物語があるのですが、そういったことを発信することで、誰かにとって“意味のある服”になればいいな、という想いでブランドを運営しています。

そもそも赤澤さんが最初にファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃なんですか?

赤澤 小学生のときから、ファッションは好きでした。ただ、ファッションを仕事にしようとは全く考えていなくて。むしろ「激務!」という印象ばかり強く、意識的に仕事にすることを避けていたように思います。

今のご活躍を拝見すると意外です! ほかに何か目指されていた職業があったんですか?

赤澤 明確にはなかったと思います。栄養学を専攻していた大学も2カ月で中退しました。その後は、手に職を付けたいと思って、学校に通うためのお金を貯めながら美容師を目指しましたが、もともと肌が弱く、素手で薬剤が扱えないという致命的な事実が発覚して、断念。お金だけは貯めていたので、時間のあるこの機会に日本一周をしてみよう! と思い立ったら、東日本大震災が発生して自由に動きづらい環境になってしまい……。20歳前後のときは何もかもうまくいかなくて、本当にどうしようもないなって思っていました。

赤澤えるさん

そんな紆余曲折を経て、ファッション業界に携わるようになったきっかけは?

赤澤 当時、インターンしていた会社の方に「バースデイパーティーがあるから来て!」って言われたのが始まりです。パーティーなんてほとんど行ったことなかったから、しぶしぶという感じで行ってみたんですけど、まあ場違いで(笑)。みんなキラキラしている人ばかりで、私は隅っこのカーテン裏で1人オレンジジュースを飲んでいました……。それで、「もう帰ろうかな」と思っているときに、たまたま以前仕事でご一緒した方に声を掛けられて。それがきっかけで、その方がプロデュースしていたファッションショー関連の会社で働くことになりました。

まさかの偶然の出会いが、ファッション業界でのキャリアのスタートになった、と。

赤澤 そうなんです。ただ、体調を大きく崩したことが原因で退職せざるを得なくなって。ニートの期間を挟み、その後はアパレルの会社でプレスを務めていました。

「LEBECCA boutique」の親会社でもある株式会社ストライプインターナショナルに入ったのは、どのような経緯だったのでしょう?

赤澤 これまた偶然なんですが、石川康晴社長と友人だったからなんです。私が一眼レフを持っていたのを覚えてくださっていたみたいで、「カメラできるならやってよ」とお声掛けいただき、通販サイトのカメラマンとして入社しました。

洋服を作った実感は、言葉が伝わったときにこそ感じられる

ディレクターを務められている「LEBECCA boutique」は、どのような経緯でスタートされたのでしょうか?

赤澤 最初はカメラマンとして従事していたのですが、続けていくうちに「PRディレクター」という肩書きのお仕事をいただいたんです。それで、しばらく仕事をしていると、「ブランドをやらないか?」と直々に社長からお話をいただくようになって。でも、「この人はきっと何か勘違いしてる!」と思って、実は3回くらい断っていたんですよ。前職でもプレスを経験していたし、友人にフォロワーの多い人がいることから、簡単にたくさんのPRができると思われているんじゃないかと思って。

赤澤えるさん

そんな中、ご自身のブランドを出そうと決断したのは何が決定打だったのでしょうか?

赤澤 そのとき、ちょうどラフォーレ原宿の「earth music&ecology」を続けるかどうか決めるタイミングだったそうなんです。もともと、ストライプインターナショナルは岡山で始まった会社なのですが、「earth music&ecology ラフォーレ原宿店」は東京進出を果たした第一号店。その跡地となる場所に私のブランドを出さないか、と。このとき、「これは私の人生に何か大きなことが起きているぞ…!」と感じて、思い切ってやろうと決めました。

「LEBECCA boutique」の特徴の一つに、洋服に名前を付けて販売している点があると思います。コンセプトは、どのように決めていったのでしょうか?

赤澤 コンセプトを決めるときに、たぶんブランドを出しても1年くらいしか続けさせてもらえないんだろうなあって思ったんですね。私の何倍もフォロワーのいる方がブランドを作ってもうまくいかないこともある——そんな現場を今までの仕事の中で何度も目の当たりにしてきたので。それで、どうせ短い活動になるなら自分の納得感を最大限まで高められる仕事がしたくて。せめて、その一着が人から大切にされるように、自分も心から愛せるように、“名前”を付けようと思ったんです。

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」
写真提供/赤澤える(@l_jpn

それが、「名前」のきっかけだったんですね! お店のスタートは順調だったのでしょうか?

赤澤 私はブランドのリーダーですが、ファッションの専門学校も出ていないし、アパレル販売の経験もありません。だから、最初はそんな私が細かいことをいろいろ言ってしまったら、「じゃあ、お前がやってみろよ!」みたいに思われちゃうんじゃないかと思って、すごく悩みました。一時期は、お店にあまり顔を出さない方がみんなのためになるんじゃないかなんて考えてしまって、実際にそうしてしまった時期もありました。ただ、そんなことをしているうちに、お店と私の関係性やお店自体の雰囲気も悪くなってしまって。それで、すごく反省して、今は5分でも時間があればお店に顔を出すようにしていて、スタッフのみんなも「わ〜えるさんがきた〜♪」というゆる〜い感じで迎えてくれます。

自分よりファッションに詳しい人が部下にいる、ということにやりづらさは感じませんでしたか?

赤澤 それは正直ありました。そもそも、私はデザインもできないし、縫製もできないのに、服を作っていると言えるのか? って。ただ、だから私にとって「言葉」はすごく重要なんだと思います。私は、私の言葉が相手に伝わったときに、初めて「私の服だ」と言い切れる。これまでは、「いつこの業界を辞めるんだろう」みたいな、ぼんやりした気持ちでファッションに携わっていたんですけど、服に名前を付け、その背景を文章にして、それがお客様に伝わったと実感できたとき、そんな感覚はなくなりました。

服作りに絶望し、服を作る“意義”を探した

ブランドを始められてから、何か大きな挫折はありましたか?

赤澤 お店を始めて1カ月がたった頃、アメリカへ買い付けに行ったんですが、そこでおびただしい量の“要らなくなった服の山”に出会いました。天井から床まで服で埋め尽くされていて、「こんなに服がいっぱいあるのに、なんで新しく服を作らなきゃいけないんだろう」と。その場に泣き崩れてしまって、ブランドをやる意味、服を作る意味を完全に見失いましたね。

赤澤えるさん

写真提供/赤澤える(@l_jpn

そこから、どう立ち直ったんですか?

赤澤 その場で、すぐにその古着の山の写真を社長に送り付けました。「この状況知っていますか?」「これでも服屋をやりますか?」って。それで、帰国後に社長とお話をする機会をいただきました。社長は丁寧に話を聞いてくれたんですが、その日のうちには納得しきれなくて、そこから数カ月毎日のように私が疑問をぶつけては、社長が答えるという期間が続きました。

最終的に、また前を向けた理由はなんでしょうか?

赤澤 やっぱり、社長が細かく丁寧に一つ一つの疑問に答えてくれたのが大きいです。服があり余ってるのは事実ですし、いくらセールをしても売れずに、捨てられていく服は確実に存在する。でも一方で、社長は「僕たちは規模を選んだ会社として、多くの人の幸せを考えたい」と言っていて、現状を冷静に見つめると、それも一概に間違いとは言えない。だから、まず私たちは私たちなりの服を作り続ける理由を見つけて、それに向かってやっていこうと思いました。

赤澤さんが見出した、“服を作る”意義とはなんでしょう?

赤澤 私たちの作る服は、捨てられない服を目指しています。捨てたいと思われない服、手離すときが来ても誰かの手に渡るような服でありたい。手離す手段はたくさんあるけれど、できるだけ「どういう思いで買って、どういう日に着ていたのか」が伝わる方法で、次の人に受け継いでほしい。「LEBECCA boutique」の服に名前とストーリーが付いているように、どんな小さなことからでも“大事にしてもらえる服作り”を実現していけるんじゃないか、と。それが、今の私が考える“服を作る意義”に直結しています。

常に自分に問う、「それ、やらないとブランド終わりますか?」

現在、ファッション業界ではブランド間のコラボレーションが活発な印象を受けますが、「LEBECCA boutique」もお誘いを受けることが多いのではないでしょうか?

赤澤 ありがたいことに、お話をいただくことはあります。ただ、全部がそうとは言いませんが、コラボは数字ばかり目的にされがちで、肝心のブランドや作り手自身のことが、なおざりになってしまうことが多いと思うんです。例えば、ミュージシャンとコラボするなら、私は全ての楽曲を聴いてから一緒にやりたいんですが、一曲も知らないまま数字だけを目当てにコラボしちゃうようなものが少なくないのではないか、と。今までたくさんのお仕事に携わらせていただきましたが、コラボをする相手との関係性に愛がない状況は何度も見てきたので、私たちのブランドでは慎重かもしれません。もちろん、納得できる状態だったら大歓迎なのですが、それを判断するには、ブランドコンセプトとの照らし合わせが重要だと考えています。

そのことに気付いたきっかけは、なんだったのでしょうか?

赤澤 そもそも、私の経験から、必ずしもコラボする相手のファンが多いからといって、全てが売れるわけじゃないという実感があるんですよね。もちろん、それは相手が悪いわけでは決してなく、単純にお客様が求めていることと、ブランドの向かう方向性との間にズレが生じているということだと思うんです。私たちの場合は、「これはコラボアイテムとしてではなく、私たちのオリジナルアイテムだとしても、LEBECCA boutiqueで販売するだろうか?」と改めて考えることが必要かな、と思います。

赤澤えるさん

コラボを始め、今の赤澤さんにはさまざまなお誘いが来るかと思うのですが、判断に悩んだとき、赤澤さんはどうやって答えを見つけるんですか?

赤澤 自分の家の壁にブランドコンセプトを書いた紙を貼っているので、それと照らし合わせて判断します。少しでも外れていれば全て断りたいのが本音ですが、それでも判断に迷ったときは、「それ、やらないとブランド終わりますか?」と、自問自答するようにしています。答えが「終わりません」だったら、いくら数字につながっても絶対にやらない。もし、「終わりかねない」と結論が出たときには、晴れた日の明るい時間帯に風通しのいいところで改めて考えます。雨の日や暗いところだと、どんどん悩みが深まるので。私の決断は“私たち”の決断になり、私の迷いは“私たち”の迷いになります。だからこそ、考えや思いの深め方自体の健康さを意識することは重要だと思います。

今でも、「お店がなくなってしまうかもしれない」という恐怖感はあるのでしょうか?

赤澤 あまり直接的に言わないようにしていますが、ずっとあります。「このままじゃお店なくなるよ」って言われ続けてきたので、次のシーズンの提案やイベントの話が会社から来るたびに「あ、まだ続けられるんだ」って安心します。だから、本当はおいしい話に乗っかってしまうのが精神的には楽だと思うんですけど、それだとこのブランドをやっている意味がなくなる。お店のある今が最高に楽しいので、なくなってしまうことを考えると怖いですが、いつお店がなくなってしまっても納得できるように毎日の仕事に打ち込みたいです。それこそ立ち上げ当初「1年しか続けさせてもらえないなら……」と考えていたときのように。怖がるばかりで保守に走るより、このブランドでやる意味があることを常に考えて、悩んで、進んでいきたいです。

忘れないように、いつも言葉にする

先ほどからもお話にありましたが、赤澤さんにとって“言葉”は非常に重要な存在だと思います。言葉を残すことは昔からの習慣だったんでしょうか?

赤澤 私、幼い頃から記憶力がものすごく悪いんですよ。検査をしたこともあるくらい。だから、覚えておくことには自信がないし、自分も周りももう諦めていますが、それでも覚えておきたいことは何でもすぐにメモを取るようにしています。服に名前を付けることにおいても、忘れたくない体験や言葉を日々書き留めているメモがヒントになります。殴り書きなので誰にも見せられませんけど……。

赤澤えるさん

ご自身が違和感を覚えたことだったり、納得できなかったこともメモに残していたりするのでしょうか?

赤澤 そうですね。「なんで?」って思ったことに対して答えをもらえなかったこととか、「ルールなので」と突き放されて理由が分からなかったこととかも、「これは今日答えてもらえなかった」ってメモをしておきます。根に持つみたいで怖く聞こえるかもしれませんが、私にとっては大切なこと。そうすることで、次は違う言い方で聞いてみたり、また違った人に聞いてみたりして答えをもらいにいけるかもしれない。結果として、物事やルールをより良く変えることにもつながると思います。

お話を聞いていて感じたのですが、結構頑固なタイプですよね?(笑)

赤澤 よく言われます(笑)。どんなに小さなことでも、自分が感じた“引っかかり”はメモして、一つずつクリアするまで、しつこく戦うようにしています。

最後に、今後の展望があったらお聞かせください。

赤澤 今、キャンピングカーに乗って日本一周するプロジェクトをやっているんです。日本中のさまざまな“生産に関わる方”を訪ねて、「MADE IN JAPAN」のお仕事を見たり聞いたりして勉強させていただいています。やっぱり私は、全て納得した上で、ものづくりをしたいという気持ちが強い。現状、「LEBECCA boutique」の製品を全て私が完全に100%納得いくようにするのは難しいのですが、やり方を模索し、やっと叶えていく段階に入ったところです。生産背景が全て見えるような服が「LEBECCA boutique」に並ぶ日が、そう遠くはないと思っています。

ありがとうございました!
取材・文/宮本香菜
撮影/関口佳代

お話を伺った方:赤澤える

赤澤えるさん

LEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、さまざまな分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。自身が撮りおろし、福島県と共同制作したZINE「夢にまで」発売中。

Twitter:@ERU_akazawa
Instagram:@l_jpn

次回の更新は、7月25日(水)の予定です。

編集/はてな編集部