ジモコロ編集部の徳谷柿次郎です。

最近、何でも高くなりましたよね。

スーパーへ行けば食料品が値上がりし、ガソリンも光熱費もじわじわ上がっている。もう「値上げ」という言葉を聞いても驚かなくなってしまいました。

そんな中で、僕が特に気になっていたのが住宅価格です。

ニュースでは「新築マンションの平均価格が過去最高」「建設費が高騰」といった話題を目にします。でも、なぜそこまで高くなっているのか、その裏側で何が起きているのかは、正直よくわかりません。

そこで話を聞いたのが、建築家の太田雄太郎さん。あの有名建築家・隈研吾さんの事務所で設計室長まで上り詰め、2024年に独立した、いわば建築界の先端を走る人です。今は東京と長野県南木曽町を行き来しながら、建築家の枠を自ら広げる多彩な活動を展開しています。

太田さんに話を聞いていくと、住宅価格の高騰の背景には、建築業界全体を揺るがす構造的な変化があることが見えてきました。そして、その変化は今、建築家という仕事のあり方まで大きく変えつつあるといいます

住宅価格の話から始まった今回の対話は、気づけば「好きな仕事をどう続けるのか」という話へとつながっていきました。厳しい現実を冷静に語りながら、それでも動き続ける太田さんの姿は、建築家だけに限らない、この時代を生きるすべての人にとって他人事ではない問いを示してくれているように思います。

変化の時代の仕事論。読んでみると、あなたの仕事のことも少し違って見えてくるかもしれません。

話を聞いた人:太田雄太郎さん

1990年名古屋生まれ。中部大学院終了後、隈研吾建築都市設計事務所へ入所し設計室長を歴任する。2024年に建築コレクティブ太太(ふとふと)を設立。長野県南木曽町で林業を生業にする家系がルーツにあり、木曽エリアを拠点に活動している。

 

住宅価格が上がる、複雑な理由

今日は建築家の太田さんにちょっと聞いてみたいことがあるんですよ。

はいはい、なんでしょう。

最近、住宅価格が上がったって話を聞くじゃないですか。家賃も含めてですけど、かなり暮らしを圧迫するレベルで。あれってどういうことなのかなって。

一言で言えば、「家そのものが高くなった」というより、家をつくる社会のコスト構造が変わってしまったんですよね。特に建築家の視点からだと、資材価格の高騰が顕著で。

それもよく聞きますね。実際どのくらい上がったんですか?

コロナ前に比べると、体感的には3〜4割の上昇です。その影響で昔なら4,000万円で建てられた新築戸建てが、今では5,000万円、6,000万円になってしまうケースも珍しくなくて。

数千万単位で変わると、さすがに色々考えちゃいますよね。しかし、なんでそんなことに。

これは本当に負の連鎖なんですけど、まずコロナ禍で「ウッドショック」が起きたんです。工場の稼働停止や物流の混乱で木材が日本まで入ってこなくなった。日本は木材を輸入に頼っているので、価格が一気に跳ね上がって。

木材か。確かに建築には欠かせない素材の一つですね。

そこへ追い打ちをかけたのが、ロシアのウクライナ侵攻です。エネルギー供給が滞って、鉄やアルミ、セメントといった素材も軒並み値上がりしていきました。

それも! じゃあ最近だとイラン情勢の影響も?

もちろんあります。中東で緊張が高まると、まず原油価格が動くんです。そうすると輸送費も工場の電気代も上がる。資材を運ぶにも加工するにも大量のエネルギーを使うので、結局、建築コスト全体にじわじわ効いてくるんですよ。

世界のどこかで何かが起きるたびに、家の値段が上がっていくわけですか。

仰る通りです。加えて建設費の高騰という意味では、実は建築業界の職人不足の問題も重なってたりするんですよ。

職人不足。どういう風に影響を与えているんですか?

職人が足りないと、まず一つの現場に必要な人数が揃わないんです。そうなると工事が予定通り進まず、工期が延びる。工期が延びれば現場の管理費も増えますし、限られた職人を確保するために人件費も上がる。

なるほど、その積み重ねが建設費全体を押し上げているんですね。

背景には、バブル崩壊やリーマンショックの頃に多くの職人さんが業界を離れたことがあります。そこへ高齢化も重なって、今では現場を支えられる人手が慢性的に足りない状況なんです。

複雑ですね。色んな問題が絡み合ってて。

本当に複雑です。今お話ししたのは、いち建築家としての視点に過ぎないので、不動産業界や金融、行政の側から見ればまた別の要因も見えてくるはずで。

建築家はその問題とどう向き合えばいいんですか?

少なくとも現場にいる人間として言えるのは、この流れを眺めているだけでは、建築家としての仕事の機会はどんどん失われていくということ。変化を前提に仕事のあり方を更新していかないと、これから生き残っていくのは難しいんじゃないかなって思っているんです。

 

盤面のひっくり返った世界で

でも、太田さん。住宅価格が上がっても建築の仕事自体がなくなったわけじゃないですよね。建築家として食っていけないレベルの話ではないのかなと思ったんですけど。

そこはやり方次第、という気はしてますね。ただ、今は建てるまでたどり着けない仕事が本当に増えていて。実際、僕自身、独立して2年経つのに新築を一棟も建てられていないので

え、あの隈研吾事務所出身の建築家でも?

それはあまり関係ないですね。むしろ今は、キャリアよりも社会情勢の影響の方がずっと大きい。建設費の高騰で当初の予算が大幅に変わってしまって、施主から「建てられなくなった」とキャンセルされてしまうんです。

それって、太田さん自身も経験したんですか?

僕も最初の新築住宅の設計でありました。確認申請も降りていよいよ、というタイミングだったんですが……。

世知辛いですねぇ。でも、機会はこれからもたくさんあるんじゃないですか。

あると信じたいですね。ただ、建築って「時間がかかる」んですよ。一棟建てるだけでも、相談から完成まで2〜3年は普通にかかります。施主の事情もわかるので、仕方ない部分もあるんですが、何カ月も考えてきた建築が、この世に生まれなかったのは結構ショックで。

まあ、完成しないと作品にならないですもんね。

そうなんです。しかも、最初の住宅設計って、実は建築家のキャリア的にも重要で。建築家って、最初の一棟で実力を示して、それを評価してもらって次の仕事につなげていくという流れがあって。つまり最初の一棟を建てられないということは、そのスタートラインにすら立てていないということなんです。

えー、なかなか厳しい世界ですね。

建築業界では、若手建築家のキャリアを「建築家双六(すごろく)」と表現することがあります。まず、若手建築家は住宅設計で認められることがスタート。そこから、実績を重ねて、商業施設や公共施設など大きな仕事にコマを進めていくっていう。それがキャリアの王道ルートであると。

うーん。でも、なんで住宅設計がスタートなんですか。建築って住宅だけじゃないと思うんですけど。

もちろん建築の仕事は幅広いんですが、中でも住宅設計は、建築家の思想や個性が一番出やすいんですよ。一棟の住宅を見れば、その建築家がどんなことを考え、どんな空間をつくる人なのかがわかる。

最初の一棟が、建築家の名刺代わりみたいなものなんだ。

そうなんです。だから昔は、その住宅を見た施主や批評家などのパトロンが「こいつは面白い!」と評価して、次の仕事につないでくれていた。安藤忠雄さんや伊東豊雄さんなどのいわゆる大御所と呼ばれるような建築家のみなさんは、そうやって一つずつコマを進めていったんです。

建築家のキャリアって、すごい直線的なんですね。

ただ、コロナ前の時点で、もはやその双六は崩壊しているといったことも指摘されていて。日本経済が右肩上がりの成長を続けていた時代にはパトロンが存在できたけれども、経済が停滞を続ける中で、若手建築家を育てながら待つような文化自体が成立しなくなってしまって。

なるほどなぁ。でも太田さんはそこまで現状を認識してて、なんでまだかつての王道にこだわるんですか。こんなこと言っちゃなんですけど、もう盤面はひっくり返ってますよね。

それは僕が先輩建築家の後ろ姿を見て、「かっけー!」って憧れてきた人間だからですね。王道が崩壊してるのも頭では理解してるつもりなんですが、建築家としてちゃんと評価されて、社会に影響を与える作品を残したいという思いはまだ自分の中にくすぶり続けているので。

つまり、憧れと現実の間でゆれてると。

そうなんですよ。ただ、時代が変わっていく中で、憧れ続けていても何も始まらないじゃないですか。盤面がひっくり返ったなら、新しい盤面でゲームを始めるしかないわけで。それは結局、自分でつくるしかないんだろうなって、独立してから少しずつ思うようになってきたんです。

 

100円の廃墟から始める、新しい双六

じゃあ今は具体的にどんな活動をしているんですか?

東京でオフィスビルや店舗の設計などのクライアントワークに取り組みながら、長野県の南木曽町で「OKANIWA 丘庭」という一棟貸しの宿をやってます。2025年にオープンしたんですけど、実はこれ、100円で譲り受けた放置物件で

え、100円!? 駄菓子みたいな金額じゃないですか。

元々は著名人が住んでた建物なんですけど、長年放置されてボロボロだったのを、自分が設計して、学生たちと一緒に改修しました。天井の板を外したらカメムシがシャワーみたいに降ってくる物件で、なかなか大変だったんですが。

何が購入の決め手だったんですか?

まず、物件の価格が圧倒的に安かったのと、シンプルに面白い建築にできる予感があって。地域の人たちに「三角屋根の家」として記憶されてるという話を聞いて、その形を生かした設計にチャレンジしてみたくて。

建築としての面白さと、地域の可能性。条件が重なったんですね。

それと、南木曽がインバウンド需要で宿が足りてないという話も聞いていたんですよね。新築の設計も止まってしまいましたし、自分で双六を始めるという意味でも、いいチャレンジになるんじゃないかなって。

でも宿って、経営が難しいイメージもあるんですよね。建築家がいきなり宿って、やれるものなんですか?

やれなかったです(笑)。まず、改修費の見積もりの時点で、めちゃくちゃお金がかかることがわかって。それで「じゃあ融資だ」と銀行に駆け込んだら、「そんな考えで経営できると思ってるんですか!」ってこっぴどく怒られて。まあ、提出した事業計画書がゴミだったから仕方ないんですけど。

いきなり洗礼受けてるじゃないですか(笑)。それでどうしたんですか?

ひとまず、設計事務所としての信用を担保に300万円だけ借りたんです。全部をいっぺんにやろうとするのはさすがに無理だったので、自分で手を動かせる範囲から少しずつ改修を進めることにして。

でも、人手が足りないですよね?

そうなんです。東京のクライアントワークを同時並行で進めていたので、なかなか時間が取れないんですよ。それで、自分が教えていた大学の学生に助けを求めたら、その学生が建築科の仲間を10人以上引き連れて、手伝いに来てくれて。

建築のピクミンが! それは助かりましたね。

いやもう、僕だけでは絶対無理だったので、彼らのおかげでできた宿だったと言ってもいいですね。僕は結構勢い任せに始めるところがあるんですけど、資金の集め方も改修の進め方も、やってみて気付かされたことがたくさんあって。自分が施主になる経験ができたのは、建築家としての視野を広げるいい機会になったなと思ってるんです。

めちゃめちゃいい学びを得てる! その後、運営はうまくいってるんですか?

おかげさまで、そこそこうまくいってます。南木曽には妻籠宿っていう有名な観光名所があるんですが、話に聞いていた宿需要の受け皿の一つとして、1年目から想定以上に売上があって。今は現地にスタッフを一人雇って、その給料の一部もここから出してます。

おお、それはすごい! やってみるもんですね。

本当に。建築家が人を雇うのはギャンブルみたいなものなんですけど、こういう安定した財源があるのはかなり助かっています。何よりやってみて、楽しかったっていうのが一番ですかね。建築の可能性って、設計の外側にもこんなに広がっているんだと実感できました。

 

変化の時代を「ありもの」で編む

それにしても、なんで南木曽だったんですか。インバウンド需要を見込むなら、色んな地域が可能性としてあったと思うんですけど。

実は南木曽は、祖父母が暮らしてた土地なんです。子どもの頃からよく遊びに行ってましたし、野山で過ごした記憶がたくさんあって。顔見知りも多少いたし、土地の空気感もなんとなく分かっていて。

知らない土地で始めたわけじゃなかったと。

あと、僕は隈事務所時代に全国のローカルプロジェクトに関わってきたので、地方で仕事をつくることに興味があったんです。南木曽は木曽ヒノキの産地でもありますし、建築的にも色んなチャレンジができそうな環境だなと。

木曽ヒノキって、どういう素材なんですか?

日本の建築には欠かせない素材ですね。耐久性も高いですし、香りや風合いも美しい。昔から特別な建築に使われ続けてきた理由がよく分かります。

そんなに由緒ある木なんですか?

伊勢神宮に式年遷宮っていう20年に一回、社殿を建て替える儀式があるんですけど、実はその儀式に何百年にもわたって使われてきたのがこの木曽ヒノキで。祖母の一族は木曽ヒノキで神棚等を作る仕事をしていましたし、曽祖父は大工。自分の血筋の仕事とも結びついていて、個人的にはずっと親しみを感じていました。

なるほど、ルーツとも重なっている素材なんだ。

だから、この歴史深い素材を次世代につなぐ意味でも、自分なりにできることをやっていきたくて。それで最近は、地元の製材メーカーと組んで、木曽ヒノキでオリジナルの建材をつくる活動にも取り組んでるんです。

ほおほお。

木曽ヒノキって普通は、柱や梁みたいな“見えるところの良材”として使われることが多いんですけど、実は製材の過程でたくさんの端材が出ます。樹皮の多くは山に捨てられていますし、節が多くて意匠的な価値が低くなってしまう材料もある。そういういわゆる未利用の部分を活用して、新たな価値を生み出すことにチャレンジしていて。

廃棄されていた木曽ヒノキの樹皮から生まれた建材。独特の表情と風合いが特徴で、杉など他の樹種への展開も検討中

市場価値が下がる「節」をカラー材で埋めてポップに仕上げた建材。名古屋の家具メーカーが採用し、オフィス家具として一般流通している

自分で建材までつくっちゃうって、もはや建築家の枠を超えてるような。

僕はこれも建築の一部だと思ってますけどね。建築家って図面を書く人っていうイメージが結構あると思うんですけど、それだけをやっていればいいという時代でもないですし、素材の加工から流通まで含めて、「建築が生まれる仕組み」そのものに関わっていくことも、これからの建築家の役割なんじゃないかと思って。その際に、僕は「ありもの」を使うという視点を出発点にしているんです。

ありもの、ですか。

フランスの人類学者でレヴィ=ストロースという人がいるんですが、彼が『野生の思考』という本で提唱しているのが「ブリコラージュ」

身の回りにすでにあるものを組み合わせて、新しい価値を生み出すという考え方ですね。聞いたことがあります!

さすが! その視点に立つと、素材は最初から“完成されたもの”として扱う必要はなくて、むしろ未整理のまま目の前にある条件をどう組み替えるかという発想に変わっていく。廃棄されていた樹皮も、100円の放置物件も「使えないもの」ではなく、組み替え次第で価値が立ち上がる“素材”として見えてくるんです。

太田さん、めちゃめちゃ建築家っぽいですね。

一応、それでやらせてもらってます(笑)。

そのブリコラージュの考え方って、東京のクライアントワークでも大事にしてることだったりするんですか?

そうですね。「ありもの」の組み合わせという意味では、クライアントワークにもまったく同じことが言えるので。クライアントの思いや予算、敷地条件、周辺環境みたいなものを「制約」として見るんじゃなくて、その場所に最初からある「素材」として受け止める。それらを組み合わせながら、そのプロジェクトでしか生まれない建築を考えていくんです。

太田さんのデビュー作となった「文栄堂渋谷木質ビル」

外装に木曽ヒノキを使用した9階建てのオフィスビルで、渋谷・青山エリアに7月竣工(撮影:masaki hamada )

それってある意味、ポジティブな考え方ですよね。あらゆる条件を面白がっていく思想っていうか。

そう考えた方がシンプルに楽しいじゃないですか。あれもできない、これもできないと考えるよりも、これをどう組み替えたら面白くなるんだろうとか、そういう発想の方がずっと健やかで、いい建築を生み出せる気がしていて。

仕事にも生き方にも通じる考え方ですね。

そもそも今の時代って、コストも素材も人の働き方も含めて、あらゆる条件が揺れていて、これまで社会を支えていた「前提」自体がどんどん変わってますよね。ブリコラージュ的な視点って、そういう変化の時代でも、好きな仕事を面白く続けていくためのヒントを示してくれていると思うんです。

お金がないなら工夫するしかない。日本はスクラップ&ビルドの時代が長すぎたんだろうなぁ。

 

異なる世界の行き来が、自分を育てる

この対話、最初はめちゃくちゃシリアスで救いのない話になっていくのかなって思ったんですけど、太田さん意外に明るくてホッとしましたよ。

まあ、大変なことはたくさんありますけど、建築家の仕事をやめたい、とかはまったく思ったことがないですね。ちょっとADHD的なところもあるので多動気味なんですけど、全部自分のやりたいことをやってますし、毎日めちゃくちゃ充実してます。

じゃあこれからも南木曽と東京を行き来しながら、色んなことをやっていくわけですか。

そうですね。僕にとってはどちらの地域も大事なので。東京では大きなプロジェクトを通じて社会への影響力を試す。南木曽では地域との深い関係の中で建築の新しい可能性を問い直す。片方だけだと、やっぱり何かが欠けてしまう気がしていて。

実は最近、師匠の隈さんも同じようなことを考えていた時期があるんじゃないかって思ってて。

隈さんが? どういうことですか。

隈さんってバブル崩壊後に、高知の梼原町(ゆすはらちょう)に活動の軸を広げていったんですよ。それは、過剰過ぎた都市建築に見切りを付けて地方に向かったようにも見えるんですが、実は都市だけでは成立しない建築のあり方を探し直したプロセスだったと僕は考えていて。

へぇ、興味深いですね。

僕はまだ隈さんの足元にも及びませんけど、東京と南木曽を往復していると、その感覚が少しわかる気がするんです。どちらか一方に身を置いているだけでは見えなかったことが、もう一方へ行くと見えてくることがあるので。

うんうん。同感です。

そう考えると、建築って建物をつくる仕事というより、自分の視点を更新し続ける仕事なんじゃないかと思うんですよね。その積み重ねの先に、自分だけの建築家のあり方が自然と立ち上がってくるんじゃないかなって。

なんか今日の話って、建築家だけの話じゃなかったですね。好きな仕事を長く続けたい人みんなに通じる話だった気がします。

そうかもしれないですね。建築に限らず、昔のやり方がそのまま通用する仕事って、もうそんなに多くないと思うので。まだ何も成し遂げていない自分が言うのもなんですけど、僕みたいな試行錯誤を見て、「こんな道もあるんだな」って思ってくれる若い人が一人でもいたら、それだけで十分うれしいです。

 

おわりに

建築費の高騰、キャリアの王道の崩壊、働き方の変化──。これまで当たり前だった前提が次々と揺らぐ中で、多くの仕事は転換点を迎えています。そんな時代に必要なのは、かつての成功法則にしがみつくことではなく、変化を前提に、自分の仕事そのものを組み替えていく視点。

太田さんはまさにその視点で、建築家という仕事そのものを組み替えているように思えました。設計の対象を建物だけでなく、建築が生まれる仕組みや、自らの働き方へと広げていたからです。

100円で譲り受けた放置物件。建材になれず捨てられていた木曽ヒノキの樹皮。東京と南木曽という二つの拠点。普通なら別々に存在しているものを、太田さんは「ありもの」として受け止め、新しい価値へと編み直していました。それは変化の時代の生存戦略というより、「ありもの」を起点に、自分の仕事を育てていく創造的な姿勢、そのものだったように思います。

みなさんの仕事には、どんな「ありもの」がありますか。それを少し違う視点で組み替えてみたとき、思いもよらなかった新しい道筋が見えてくるのかもしれません。

構成:根岸達朗
撮影:小林直博