誕生日にこだわることをやめた|大木亜希子

 大木 亜希子

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ライターの大木亜希子さんに寄稿いただきました。

大木さんがやめたのは「誕生日にこだわること」

もともと「誕生日は誰かに祝ってもらえなければ価値がない」とさえ思っていたという大木さん。しかし、ふとしたことから今年は母親と過ごすことを思いつき、実行したところ気持ちが楽になったといいます。

呪縛から逃れるきっかけになった大木さんの誕生日体験について、つづっていただきました。

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少し前までの私は、誕生日に誰かにお祝いしてもらえなければ、自分には価値がないと思っていた。

自分一人では泊まれないような高級ホテルで過ごしたり、高級レストランでバースデープレート片手に祝ってもらったり。それこそが「理想の誕生日である」と思い込んでいた。そして、みんなが憧れるような異性に盛大にお祝いしてもらうことで、自分はこんなにもすごい人に祝ってもらえる人間なのである、という勲章が欲しかったのだ。

しかし、ひょんなことから今年の誕生日を母親と過ごすことになり、考え方が変化した。誕生日に誰と一緒にいるかは、自分の価値を測る指標ではないと気付いたのだ。

「理想の誕生日」を追い求めた日々

20代前半の頃、私は周囲の仲間たちが幸福そうな誕生日をSNSにアップしているのを目撃するたび、嫉妬にかられ気が狂いそうになった。素敵な彼と一緒にいることを、なんだか“匂わせて”いるように思えてしまうからだ。

同時に、いつか私の前にも素敵な人が現れて、自然な成り行きで「理想の誕生日」が過ごせると信じて疑わなかった。

ところが、20代半ばを過ぎた頃からだろうか。「私の誕生日を満足に祝ってくれる異性が現れない」という驚愕の事実に、薄々気付き始めた。

そんなはずは、ない。私だっていつか華やかな誕生日を迎えられる日がきっとくる。そのためには今、異性からモテる努力をしなければ。いつからか追い詰められ、鬼の形相で躍起になった。

そして、ある年の誕生日、私は祝ってもらうためだけに彼氏を作った。いま冷静に考えれば、相手に対して無礼千万である。しかし、当時の私は真剣だった。

その「誕生日彼氏」は、悪い人ではなかったが、彼が私へのプレゼントに用意してくれたのは、デパ地下で売られる茄子の惣菜だった。夕食の席で「一緒にこれを食べよう」と言われた瞬間、あまりにも理想とかけ離れた現実に、くらりと眩暈がした。別に惣菜が悪いわけではない。

しかし、成人した男女が誕生日を過ごす空間で、何も茄子を囲んで食べなくても良いではないか。ましてや、女性にネックレスや指輪のひとつでも買えない経済状況の男性ではなかった。とはいえ、どうしたって私の方が絶対的に悪い。自分の理想を乱暴に相手に押し付けてしまっていたのだから。

私は貼り付けたような笑みで「美味しい、美味しい」と念仏を唱えながら惣菜を食べた。心は虚無のまま。ほどなくして、当然のように「誕生日彼氏」とは疎遠になり、再び私は独りになった。

30代を目前に控えても、誕生日に対する恐怖心は消えなかった。依然として、自分を満足に祝ってくれる異性を探し続ける日々。時には、スノッブな食事に連れて行ってくれる男性もいたが、楽しい会話が続かない。

今思えば、「私を満足させてほしい」という傲慢さに満ち溢れ、偽りの自分を演じていたのだから、ある意味では当然だろう。相手のことを何も考えることができていなかったのだ。

誕生日は「母に感謝する」一日に

ところが、こうした葛藤と戦っていくうちに、私はほとほと疲れるようになった。人として成長したわけではない。単純に年齡を重ねたことで体力が衰え、自らの強烈なエゴに耐え切れない身体になっていたのだ。

これを機に、ようやく煩悩を鎮められそうな気がする。もう、誕生日という日に執着することはやめたい。ひいては「他人に幸せにしてもらいたい」という、激しく惨めで他者に依存した感情とおさらばしたい。

そこで私は「今度の誕生日は独りきりで過ごそう」と思い立つ。

強迫観念が薄れた今だからこそ1人で誕生日を過ごし、自分の心の内側と向き合ってみたい。なんだかそう考えると不思議と気持ちが前向きになって、次の誕生日を迎えるのが楽しみになった。

ただ、現実は不思議な方向に転がった。

今年も例年通り、誕生日の時期が迫ってきた。32歳、いよいよ独りで過ごす誕生日を決行するのだ。そう考えるとわずかに興奮し、鼻息が荒くなる。

ところが、誕生日の1週間前の夜の出来事であった。いつも通り、就寝するため布団に潜ると、不思議な出来事が起こった。ふと「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」と、誰かから耳打ちされた気がしたのである。

まるで、何かの天啓みたいだった。隅々まで部屋中を見渡すが、何も変化は見られない。気のせいだと思い込み、さっさと横になる。

しかし、「誕生日は産んだ人に感謝する日でもある」という先ほどの言葉が脳裏にこびりついて離れない。

幾度となく寝返りを打ってみるが、私はとうとう起き上がった。そして冷静に考えた。確かに、両親がいなければ私という人間は存在しない。それは事実である。

とくに我が家は父が早くに他界し、母は女手一つで私たち4人娘を育ててくれた。精神的にも経済的にも相当つらかったことは容易に想像できるし、苦労をかけた母を心底労いたい気持ちもある。

一方で、そんな崇高な考えは偽善にも思えた。自分のことさえ満足に愛せない人間が、親に感謝するなど綺麗事甚だしいのではないか。

あらゆる思考が逡巡するが、最終的に「母が生きている間、あとどれくらいの親孝行ができるだろうか」という思いにかられる。私の母はいつも年齢を聞くと「永遠の48歳」と自称するため、私は彼女の本当の歳を知らない。しかし、おそらく60歳は越えている。できる時に親孝行をしておかなければ、後悔する気がする。

そこで、いよいよ私は重い腰を上げることにした。

今度の誕生日は、母に感謝する日にしようと決めたのである。

これまでになく気持ちが軽かった誕生日の朝

2021年8月18日。32歳の誕生日当日の朝。起床後すぐ、「よし、今日くらい自分磨きに散財してみるか」と思い立つ。

母と待ち合わせをする前に、私は駆け込みでひとり美容院に行くことにした。今日だけは男性ウケを狙うのではなく、自分のために綺麗になりたいと思ったからである。真新しいワンピースに袖を通し、初めて行く美容院でカットとカラー、それにトリートメントをお願いする。

担当してくれた美容師さんにそれとなく「私、今日が誕生日なんですよね」と告げると、彼は「イイっすね。じゃあ、今日は誕生日デートかぁ。夜まで髪が崩れないようにヘアスプレー多めにかけておきますね」と言ってくれた。

違う、そうじゃない。これから会う相手は恋人ではなく、母だ。説明しようと思ったが諦め、私は愛想笑いをした。

その後、帝国ホテルまで向かった。今回は、1人約9千円するランチバイキングに行くと事前に母と決めていたのである。本来、私にとっては誰かに祝ってもらうはずの日なのに、何が哀しくて高額な自腹を切るのか。ふと、そんなケチくさい考えも脳裏をよぎる。

しかし、今の私には、この行動が何かとてつもなく意味のあることに思えた。ホテルに向かう途中、今までの誕生日のなかで最も気持ちが軽いことに気づく。心は静寂に包まれていた。

ホテル正面に向かうと、入ってすぐのベンチに母は小さく座っていた。

声をかける直前、彼女の佇まいを盗み見る。昔に比べ、随分とその背中は小さくなっていた。それでもイッセイ・ミヤケの赤いワンピースがよく似合い、赤い口紅も華やかに映えている。我が母ながら美しい人だな、と思った。

「ママ、お待たせ」

声をかけると、母はすぐ立ち上がって私に腕を絡ませてくる。

「今日はありがとう! いっぱい食べられるように朝食は抜いてきました!」

ニコニコと宣言してくるその顔が、まるで少女のようだった。

「理想の誕生日」を過ごしていた母親の告白

我々は本館17階の「ブッフェレストラン インペリアルバイキング サール」に向かう。会場の中央のテーブルには、ローストビーフや果物、彩り豊かな野菜が並べられていた。

窓際のテーブルに通されて座ると、さっそく食事のオーダー方法に関する説明を受ける。コロナ対策のため1テーブルにつき1台のタブレットが置かれており、そこから注文する仕組みになっていた。当初は不慣れなオーダー方法に困惑したが、次第にタブレットの扱いにも慣れ、我々は食べたい物を好きなだけガシガシと注文するようになった。

サーモン、エビ、焼き立てのパン、エスカルゴのオーブン焼きにローストビーフ、そして名物のカレー。何を食べても、卒倒するほどうまい。そこからは一流の接客を味わう暇もなく、無言で胃袋に食べ物を詰めまくった。

6割ほど腹が満ちたタイミングで、ようやく私の方から口を開く。

「あ〜あ。一度で良いから、このホテルに泊まってみたい人生だったな。素敵な彼氏と」

半ばジョークのつもりだった。すると母は、口元のフォークの動きをわずかに止める。

「そうね。ウフフ」

その声にわずかに含みがあると気づき、私は冗談で言葉を返す。

「ちょっと今の含みは何? まさかママは、このホテルに泊まったことがあるの?」

彼女の顔に、わずかに“女”を感じとった。

「どうでしょう?」
「え〜。良いなぁ。パパと泊まったの?」
「もう忘れちゃった。これ以上は言わないでおく」

まさかの、“相手が父ではない説”が浮上する。どういうことなのか。私は急いで問い詰めた。

「一緒に泊まった相手はパパじゃないって言うの? じゃあ、相手は誰?」

すると、彼女はとうとうフォークを手元に置き語り始めた。

「結婚前に一度だけ、このホテルの部屋に入ったことがあるの。でも、泊まってない。もう何十年も前の、若い頃の話よ。確か私の誕生日だった」
「そんな話、これまで聞いたことない」

母は口元を拭うと、伏し目がちに言った。

「相手は経営者の男性だった。それまでにも何度かデートしたことがあって」

そこから簡単に当時の状況を教えてくれた。

その男性は、何歳も年上の優しい人だったそうだ。ある時、母が音楽会にひとりで行った際、偶然にも隣の席に座ったことで知り合った人物らしい。その後、向こうからアプローチを受け、押し切られる形で交際直前まで関係が進んだそうだ。

「良いなぁ。その人と付き合って、結婚すれば良かったじゃん。そうしたら玉の輿だったわけでしょ」
「でも、その人と一緒になる道を選んでいたら、かわいい四人の娘たちも生まれてこなかったわけだし」

母は無邪気に笑う。私は内心、胸がバクバクしていた。この話を聞いたからには、核心をつかなければならない。ゴクリと唾を飲み込む。

「…それで、その人とは、『そういう関係』になったの?」

すると母は、大きく目を見開いた。まさか娘から直球な質問を受けるとは思わなかったのだろう。彼女は、ひとつ咳ばらいをすると真剣な表情をしながら言った。

「何もなかったのよ。その人とは」
「……え?」

まさかの返答であった。

「ちょっと、ここまで焦らしておいてその答えはないよ。嘘つかないで!」

猛烈にクレームを入れる。しかし、彼女は動じなかった。

「嘘ついたって仕方ないじゃない」
「でも、部屋まで入ったんでしょ? 素敵な人だったんでしょ? なんで何もなかったの?」
「素敵な人だったし、食事やシャンパン、花やアクセサリーも用意してくれてうれしかった」

まさに私が求めていた「理想の誕生日」そのものである。

「超いいじゃん! 私も人生でそんな人が現れてほしかったよ」

思わず本音をぶつける。しかし、母は首を横に振った。

「私も、最初は少し舞い上がった。でも……」
「でも?」
「私はその彼に見合った自分でいたくて……。いつも無理して背伸びしたり、良い子ぶったりしていたことに気づいてしまって」
「少しくらい背伸びしたって、いいじゃん。私も男の人に好かれたくてブリッ子することあるよ」

私は語気を強めて反論する。しかし、母はこれを否定し、潔く言い切った。

「華やかな経験も沢山させてもらったし、刺激的だった。だけど、彼の隣にいるべきなのは私じゃないって分かった。私ね、その時、欲しい物は自分で買わなきゃ意味がないし、彼の社会的な立場に憧れていたんだなと思って自分を恥じたの」

数十年前の母の姿が、今の自分に重なる。母が若かりし頃も、私と同じような“呪縛”があったのだろうか。

しかし相手の男性は、どのような気持ちだったのか。 ある意味、不憫である。

「でもね、お別れしてからも年賀状のやり取りは続いたよ。時々、我が家に葡萄が送られてくるでしょう?」
「あぁ。あの、『葡萄の人』!?」

近頃はめっきり減ったが、葡萄の季節になると、我が家に立派な葡萄が送られてくることが時々あった。あの、葡萄の送り主がその人物だったのか。

「もう何年か前に、その方は亡くなったそうよ。私も新聞で知ったんだけど」
「新聞に出るような人だったんだね」

その後、母は父と出会って結婚したという。

我が家の父は、私が十五歳の時に病で亡くなった。母は働きながら四姉妹を育ててくれたが、その道は茨の道であったことは想像に容易い。しかし、我が家の経済状況がいかに厳しい時でも、母は笑顔を絶やさずに育ててくれた。

ここで、ひとつの疑問がよぎる。

「もしも、パパを選ばないで『葡萄の人』を選んでいたら、人生変わっていたなって後悔することはある?」

私は、つい母の本心を聞きたくて愚問を聞いてしまった。しかし、母は即答する。

「後悔したことは一度もない」

誕生日に執着することをやめた

しばらく食事を楽しんだ後、私たちは食後のコーヒーを飲んでいた。母は、過去の恋愛について私に話したことを少し気恥ずかしく感じているようだった。

「さっきの話、忘れてね。もう大昔のことだから」
「なんかママの話を聞いて、今も昔も『女の子の呪い』は変わらないなって思った」

その時、ふと気づいた。

そもそも私が「誕生日を素敵な異性と過ごし、祝福されないといけない」と思っていたのは、「他者からの見られ方」を気にしていたからである。一緒にいる”誰か”によって自分の価値を証明しようとしていたのだ。あの頃の母と同じように。

しかし、実際には虚栄心にまみれた醜い心は私を苦しめるだけで、大事なことを日々見失っていた。忘れていたのは、他者に自分の価値を託すのではなく、自分の力で「自分が自分らしく輝くことを諦めてはいけない」という当たり前の事実だった。

これまでの怨念がスーッと成仏していくことを感じる。もう誕生日の呪縛に縛られることはやめよう。自分の機嫌は自分で取る。他人に依存しない。それが当然なのだ。心からそう思った。

「誕生日は産んでくれた人に感謝する日でもある」。

あの夜の、不思議なひらめきは何だったのか。もしかしたら天国にいる父から、私へのギフトだったのかもしれない。

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  • 人に好かれるために「雑魚」になるのをやめた|長井短
  • 大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き
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  • 著者:大木亜希子(おおき・あきこ)

    大木亜希子さんプロフィール画像

    作家・女優。2005年、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で女優デビュー。2010年、秋元康氏プロデュースSDN48のメンバーとして活動開始。その後、会社員に転身しライター業を開始。2015年、「しらべぇ」に入社。2018年、フリーライターとして独立。現在は作家・ライターとして活動中。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)。原作の執筆を担当した漫画『詰んドル!~人生に詰んだ元アイドルの事情~』がコミックシーモアで好評連載中。

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    編集/はてな編集部