「好き」という理由で理系を選択したっていい。怒ることを忘れず、堂々とあれ

文・写真 斧田小夜
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私が理系の方角に進路を取ったのは小学校に入る前だったのではないかと思っている。グリコのおまけ(昔は簡単な仕組みのおもちゃだった)は分解して仕組みを調べてみないと気が済まなかったし、機械が動いているのに見とれてよく迷子になった。電子基板に興味を持ち、成長とともに順調に(?)プログラミングに憧れるようになり、そうこうするうちに周囲の反対にもめげず、理系を選択した。いわゆる「理系女子」である。それも工学系の、珍しい理系女子だ。

工学系・物理系の理系女子が珍しいのは本当

「理系女子です」というのは、とても簡単で便利なラベリングなのでつい使ってしまうが、本当のところなにも属性を説明していない。理系の分野は細分化しており、そこに所属するひとびとに共通点はあまりないからだ。


私は応用物理系の出身で、今は分散ネットワーク関係の研究開発をしているが、この分野では女子が非常に珍しい。本当に、少ない。

日本の大学における工学部の女子比率は15%弱だそうだが*1、この中から女子に人気のある生命工学系と建築系を除いてしまうとおそらく数%程度になるだろう。学科に1人しかいない、学年に1人しかいない、数年ぶりに女子が入った、みたいな話はどこでも聞くし、そのまま社会に出ることも少なくないため、会社に入ってからも部で一人の女子社員ということだってある。海外へ行ってもその状況は変わらない。学会ではあまり女性を見かけないし、オフィスでもエンジニア職は男女比が偏っていることが多い。

と書くと「モテるでしょう」と言われることもあるのだが、正直モテるかどうかは人によると思う。男性だって女性ならなんでもいいというわけでもあるまいに、あらゆる意味で失礼な発言だ。しかしあまりにもよく言われるので、いちいち反駁(はんばく)するのも面倒なのだった。

珍しさは、悪意に遭遇する確率を高めることも

珍しさにはいい面もあるが、それだけではない。

たとえば、悪意に遭遇することがある。高校時代は物理や数学の成績がいいと、教師が「女に負けて悔しくないのか」と男子生徒に言うことがあった。実験がうまくいったという発表をすると、「誰にやってもらったの?」と言われ、職場では上司に気に入られると「女性だからね」とやっかまれる。実体験だ。

でも、悪意だけならまだましだ。そういう言葉に対しては言い返せばいい。わかりやすい悪意なら声も上げやすい。周りも発言者をたしなめるし、すぐに嫌な気持ちを発散できる。それほど傷つかない。厄介なのは、発言者に悪意がないときの方だ。

たとえば、進路を反対される、ということがある。私自身、女子率が低いことを理由に両親から理系へ進学する進路を反対されたし*2、反対されて諦めた友人も知っている。ただ、女子が少ないというだけで、好きなことを諦めなければならないのはおかしいと思う

大学の研究がうまくいかなかったとき、「その辺のなんにも考えてないおばさんとは違うんだからもっと頑張りなさい」と教授に励まされたことがある。強烈な違和感があった。私だってなにも考えていないときはあるし、その辺のおばさんも毎日自分のことを頑張っているのに、なにを違うことがあるのか? けれども発言者は善意のつもりでいるから、私の不快感は伝わらない。不快感を覚えたと伝えるのがためらわれることもある。

「理系女子」はその少なさから世間の「当たり前」と摩擦を起こしやすく、悪意を向けられやすい(無自覚含め)のだと思う。多少なりとも偏見を持つ人はいる。口が滑ることだってあるだろう。でもそういうものが自分に集中するとしたら? 「珍しい」というのはそういうことだ。

傷つくことに慣れ、怒ることを忘れていた

社会人になってからはまだまだ世間で話題になることも少なくない「女性の働きにくさ」も付加され、言い返しにくい不愉快な発言や言動で傷つくことが増えた。それで、私はすっかり疲れ果ててしまっていた。好きを仕事にするのはいいが、腹の立つことがあまりにも多すぎる。いっそもっと自分の属性が「普通」である別の分野に行ってしまった方が楽なのではないかとも思った。

そんなある日、飲み会があった。席は部長の隣だ(女性があまりにも少ないので、飲み会では基本的に偉い人の席のそばに座らされるのだ)。新人の頃からかわいがっていただいていたが、かわいがっている相手には男女問わず肩を揉んだり、「息子のようなものだと思っているから」と言ったりする、ちょっと距離感を測りにくいタイプだ。

宴もたけなわになったころ、あまり親しくない先輩(もちろん男性)が私に聞いた。

「結婚したら仕事は辞めちゃう派ですか?」

唐突な質問だったが、珍しくはない会話である。またこれか、と思いながら、それよりも目の前にある肉の方に集中していたかった私は、さあ、続けるんじゃないですかと答えた。話を切り上げるにはそう答えるのが一番簡単だと私は知っている。しかし隣の部長はそうは思わなかったらしい。

部長は尋ねた。私にではなく、私に質問を投げかけた男性に向かって「君は結婚したら仕事辞めちゃうの?」と聞いたのだった。彼は驚いた顔をしながら「続けると思いますけどねぇ、まぁでも病気になったりとかしたらわかんないですけど」と答えた。部長はなにやら楽しそうに笑って、「でしょう、そう答えるよねぇ。こういう質問、わざわざ男にする? しないでしょう? だって答えが決まってるもん。女の人だって同じでしょう。なんでそんな質問するの?」と早口に言った。

そのとき、ようやく私は気付いたのだった。私はいつのまにか怒ることを忘れていたらしかった。でも、嫌なことには嫌だと言わなければ伝わらない。事実ではないと思うのなら、それを明らかにしなければ何度も同じように自分が傷つくだけだ。


私はただ、物理と数学が好きなだけだった。機械や電気製品をかっこいいと思って、だから学びたいと思った。優秀ではなかったし、世界を変えてやろうという野望もなかった。男性にちやほやされたかったわけではなく、かといって手に職をつけたいと思っていたわけでもなかった。ただ好きだったのだ。

でも考えてみれば理系に進んだほとんどの男性は私と同じように、面白そうだとか、かっこいいとか、好きだからとか、自分に合っていそうだとか、そういう理由で進路を選んだに違いないのだ。私は彼らとなにも違うところはなく、ただ性別が違うだけだ。そして性別が違うのは、ことさらに口にするほどの特徴ではない。私は珍獣ではなく人間なのだった。

部長の言葉があるまで私はそれを忘れていた。ふっと心が楽になって、救われたような気持ちになった。距離感がよくわからないな、とか思っていてごめんなさい。でも肩を揉むのはやめて(その後やらなくなりました)。

同じ場所にとどまるためには、力の限り走らねばならぬ

なにかを好きになるのに属性は必要だろうか? ちょっと人と違うからといって、好きなことをするのにわかりのいい理由が必要とされるのはおかしくないだろうか? 「当たり前」でないからといって攻撃を甘んじて受け入れる必要はないし、その攻撃から身を守るために強くならなければならないなんて変だ。

だから、もっと、なんにでも、誰もが、気楽に、好きだとか楽しいからという理由で、物事を選んだっていいと思う。そしてその時に自分の変えられない属性をさしてあげつらうようなことを言われたり、「普通はこうだ」というような抑圧を受けたら、声を上げなければならない。傷つけられたら怒っていい。嫌だと思ったら、嫌だと言えばいいんだし、違うと思ったら、そうじゃないと言えばいい。私は人間なんだと、大きな声で堂々と言えばいいんだ。

この一件からなにか変わったかというと、残念ながらこれといった変化はない。あいかわらず腹を立てたり、あのとききっぱり言えばよかったと後悔したり、なんでこんな目に遭うんだと憤慨したりしている。

でも変化がないことはいいことだ。私はまだ心は折れていないし、仕事は楽しいと思っている。大きな野望はないが、そういう人間が生き残っていける環境になったのはたぶん大きな進歩だと思う。願わくばそのうち「理系女子」というラベルが必要なくなればいいし、たぶんそうなるだろう。

著者:斧田小夜id:wonodas

斧田小夜

様々なタイプのカメラ沼の中からフィルム以前にはまり込んでしまった人。湿板写真のための暗室を自宅に作ったほどのカメラバカ。ジャン=ジャック・ルソーに似ていると言われたことがある。
ブログ:http://wonodas.hatenadiary.com/
Twitter:https://twitter.com/pigya

次回の更新は、12月6日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:参照:文部科学省「学校基本調査」

*2:「理学部は頭がよさそうだからOK」という謎の譲歩を引き出し、理学部に行くと言いつつギリギリで成績を理由に工学部に進学した

人生にもSeason2があるのかもしれない。経験を信じてジャンプして見えてきたこと


40代突入、初めて感じた閉塞感

こんにちは、はせおやさいです。

今年、ついに40歳になりました。「不惑」の言葉通り、悩んだり迷ったりすることは減ったのですが、その代わりに抱えるようになったのが「閉塞感」でした。

友人関係は例外として、仕事や私生活において、だいたいのことが「できる」「わかる」ようになってきて、若い頃に感じていた「突破した」という興奮を感じることが減った、とも言い換えられるかもしれません。

同時に「できない」ことに対する恥の感覚も薄れ、「こんなこともできないなんて、恥ずかしい」という焦りからも距離をとって、「できないこともあるけど、それが自分」とマイペースに歩を進めることに慣れてきてみると「あれ、もしかしたらわたしの人生って、このまま大きな転換もなく、終わりへ向かっていくのかな」と感じるようになりました。

人生80年。40歳は、ちょうど折り返し地点です。体力は正直、落ちつつあります。徹夜での仕事もしなくなりました。新しいものへの好奇心は変わらないものの、限りがある時間の中では「今までの範囲を拡張する」という程度。こうやって老いていくのかなと思うと、背筋に冷たい水を浴びせられたような寒気が襲ってきます。

30代は仕事での責任、結婚、離婚、ライターとして書き始めたこと、親族の遺産争い、などなど、たくさんの新しいことを経験し、人生というゲームに“実績解除(ある条件を満たせば、実績が解除されるゲームの機能)”のようなボタンがあるとすれば、子供を持つことを除けば、だいたい押せてしまったんじゃないか、とすら思えていました。

離婚したあとは、「おまけの人生」を生きるはずだった

少し話は変わるのですが、わたしは37歳のとき離婚をしています。一度は「死ぬまでこの人を幸せにする」と決意した相手との結婚が(双方合意の上だとしても)終わってしまい、途方もない虚無を味わいました。

40代を目前にしてバツイチ。もうこれからは「おまけ」の人生だ、と思い、誰も心配しないのだからと自傷するように酒を飲み、朝まで遊び、気づかぬうちに、享楽的に時間を浪費していたように思います。

40代でも、光り輝くように美しく溌剌(はつらつ)とした女性たちは大勢います。でも、わたしは彼女たちのようになれるのだろうか。離婚がもたらしたアイデンティティの崩壊は、わたしからある種の自信を奪っていきました。

虚無と閉塞感。息苦しいことこの上ない状態で、さまざまな媒体に「自分らしく生きよう」と書かせてもらうのは、決して嘘を書いていたわけではないとはいえ、本当にこれが自分らしい生き方なのか? とどこかで思っていた自分へのメッセージのようでもありました。

転機、悩みながらも経験を信じてジャンプすることに


そんなとき出会ったのが今の恋人です。おまけの人生、できる範囲で楽しくやれれば……と思っていたくせに、この秋から東京を離れ、海のそばで彼と一緒に暮らすことになりました。

社会人になって一人暮らしを始めてから「絶対に都内からは出たくない」「渋谷か新宿まですぐ出られるところにしか住みたくない」とかたくなに決めていた自分が、あっさりと東京を出て、1時間を超える通勤時間を受け入れることに。

恋人の存在も大きくありましたが、前述のようにゲームでいうところの「“実績解除”ボタン」を押してしまった手応えがあるからこそ、おおよそのことは乗り越えていけるんじゃないか? という思考に切り替わったからです。

もしこれが20代の自分だったら、「どうにかなるでしょ」とはとても言えませんでした。もっともっと怖がったと思いますし、組織に、街に、誰かに依存しないと挑戦することはできなかったと思います。

でも今は?

もう人生も折り返し地点です。だいたいの困り事や不便を笑って面白がれる図太さも身につけてきました。年下の恋人と対等に支え合い、時には自分が相手を引っ張って歩きながら、ああそうか、これが年齢を重ねることの良さなんだ……と、しみじみ実感できたのです。

働くことと生きることの主従を間違えてはいけない

そして仕事についても、まず働くことの前に大きな土台として「生きること、暮らすこと」があり、その主従を間違えてはいけない、と思うようになりました。以前のわたしはまず「働くこと」があり、働き手としてより多く求められたい、よりさまざまな仕事ができるようになりたい、という「求められたい気持ち」が強くありました。

しかし、実際に社会に出て20年、「わたしの代わりはいくらでもいる」という言葉の意味が自分の中で変わってきているような気がします。代わりはいくらでもいていい。いつでも、誰とでもバトンタッチできるからこそ仕事や社会が回るのでしょうし、代わりがいるとはいえ、わたしにしかできないやり方もきっとあって、それがわたしの価値になる。

だからこそ自分がどう生きたいか、暮らしたいかを考え、土台づくりをしていくことがひいては社会人、プロとしての技術をどう磨いていくかの指針になるのではないかと思ったのです。

人生にもSeason2があるのかもしれない

今わたしはこの文章を新居で書いています。家の窓からは山が見え、海までは歩いて10分程度。夜の住宅街はしんとしていて、思わず小声で話してしまうほど静かです。30代までの自分には想像もつかない生活が始まり、それを楽しめている自分がいます。人生の“実績解除”なんて、まだ全然できていなかったんですね。

もしこの文章を読んでいる人で、わたしと同じように閉塞感を抱えている人がいれば、自分を信じて、ジャンプしてみてほしい。そう思っています。自分の経験は、自分を裏切りません。経験をもとに判断し、「できない」と危険を察知して忌避(きひ)するのも、「できる!」と信じて飛ぶことも、どちらも等しく、新しい経験値を得るチャンスです。

わたし自身、今回のことで右に左にオロオロしながらも結局乗り越えられたのは、「経験がある」という自信のおかげでした。「ああこれ、知ってるな。あのときの失敗や成功をもとに、今回はこうやってみよう」など、経験をもとにした対応策を立てるのは、若いときより容易になりました。極論、人生のさまざまな出来事は何かのバリエーションなのかもしれません。多くの経験を積み重ねることはあなたの武器となり、アイデンティティを形作り、あなただけの歩き方の補助線になるだろうと思います。

さて前述した「おまけの人生」だったわたしの人生ですが、まったく想像していなかった40代のスタートとなりました。海外のテレビドラマシリーズに「Season」という区切りがあるように、もしかしたら人生にもSeasonがあるのかもしれませんね。

わたしの人生のSeason1は、仕事と過労と結婚と離婚でした。怖がりで自信がなく、自分には何もできないとおびえていて、キャパオーバーを自分で把握できないくせに、一方で過剰に自信家で、やってみれば何もかもができるような気がしていました。そんなめちゃくちゃな20~30代を終えた今、新しい場所で、新しい暮らしを始めることで、(まだ少し怖がりながらも)人生のSeason2をスタートできたように思えます。

今日はそんな感じです。
チャオ!


著者:はせおやさい (id:hase0831)

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会社員兼ブロガー。仕事はWeb業界のベンチャーをうろうろしています。

一般女性が仕事/家庭/個人のバランスを取るべく試行錯誤している生き様をブログ「インターネットの備忘録」に綴っています。

次回の更新は、11月8日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

趣味は仕事・家事・子育ての活力! ヲタママ女医一家は、毎日がどったんばったん大騒ぎ

イラスト

手術はやりがいを感じる業務の一つです。まだまだメスは捨てたくない

はじめまして。「ヲタママ女医がいろいろ語ってみるか」というブログを書いているmiiと申します。ブログのタイトル通り医師として働いており、外科医の夫、小学生の一人娘を持つ母でもあります。そして漫画やアニメ、ゲームやコスプレが大好きなアラフォーのヲタクです。今年は、娘と一緒に『けものフレンズ』というアニメにハマっています。フレンズさんたちみんなかわいい。

日々のヲタク活動から得た「萌え」を燃料にして、仕事や家事、子育てを何とかこなしている主腐(主婦+腐女子=主腐)の私が、どんな生活を送っているかを趣味の話も交え緩~く紹介していきたいと思います。

ほぼ病院にいた独身時代。結婚出産で9時〜17時勤務に

私の専門は外傷(=骨折や捻挫などの怪我)を扱う整形外科です。独身時代は「ほぼ病院にいる」というような働き方をしていました。大学院生として勤務していた大学病院では、昼間は普通に臨床や研究をし、夜間は生活のために週3~4回当直アルバイトをして、家にはほとんど帰らない。総合病院で働いているときは、救急外来に夜間休日関係なく呼ばれ、時には夜中に緊急手術を行い、そのまま日中のお仕事に突入することも。そんな日々を送っていました。

当直中は、当たり前ですが朝まで病院から出ることはできませんし、自宅での待機当番中も、家から遠く離れることはできません。職場と家の往復ばかりで、結婚? 出産? ナニソレ美味しいの? 私には関係ないわ〜このまま仕事しながら年をとっていくんだわ……と思っていたときに、運命の出会いが!

当直や自宅待機の休憩時間に書いていたブログを通じて、現在の夫と出会ったのです。

遠距離を経て、紆余曲折あり結婚することになった私は夫の住む他県に行くことになり、当時勤務していた大学病院(の上司)に、現在勤務する整形外科単科の私立病院を紹介していただきました。出産後は、昼間の外来と時間内に終わる手術を担当する働き方に切り替え、勤務時間も9時〜17時に。

夫は私以上に多忙な外科医。また、両実家は遠方で頼れないということもあり、保育園の空いている時間しか自分は働けない状況だったのです。

仕事のやりがいは自分の気持ち次第

時間外の残業、夜間の当直、緊急呼び出しでの手術が物理的にできなくなり、正直、最初のころは「ああ、これでもう第一線の現場からは退いてしまった、夫は何も変わらないのに私だけ……」と思いました。こんな気持ちになるのは、同業者同士の夫婦にはあるあるかもしれません。

でも、たとえ独身時代のような働き方ができなくても、仕事へのやりがいは自分の気の持ちようや仕事のやり方でいくらでも得られると今では思います。

私の場合、「高齢者によく起こる骨折の緊急手術ができないのであれば、骨折を予防する治療を広めたい」と考えるようになりました。高齢者の骨折は骨粗しょう症が原因のことがほとんど。そこで骨粗しょう症を勉強して骨粗しょう症専門外来をはじめ、一人でも骨折で救急にかかる患者さんが減るよう、自分のできる範囲の、できる仕事で貢献しようとしています。

大きな病院で、大きな手術、高度な手術をするのだけが第一線じゃない。小さな病院で予防医学に力を入れる、保存的治療(=手術以外の治療のことです)を引き受ける。これも医療の最前線だと思います。

また、医師という仕事は、どんな形でも需要があって働き場所があるため、ライフステージによって生活環境が変わりやすい女性にも続けやすい仕事だと感じています。

医学生が実習したり、若い独身女医さんが研修している大きな研修指定病院では当直をこなしながら家事、子育てもしているスーパーでハイパーなキャリア女医さんや、独身でバリバリ働く女医さんもいます。ただ、それをロールモデルとするとなると「とても自分には……」と自信をなくしてしまう女性も少なくないと思うのです。

でも実際は、普通の一般病院、開業医レベルで「仕事も家事も子育てもほどほどにバランスよく」働く女医さんもたくさんいて、それぞれ自分に合ったスタイルで働いている。

それに医療は、人が相手の仕事。結婚も出産も子育ても、自分の病気も家族の病気も、芸の肥やしとばかりに役に立ちます。産休も育休も無駄じゃありませんでした。自分の子どもの成長を見ながら、これくらいの月齢だとこれくらいのことができるのかフムフム、と観察。教科書を見るより子どもの発達の勉強になりましたしね(症例としてはN=1とはいえ)。ちなみに夫婦で医師と言っても、2人とも外科系。娘が病気になっても、お互いが「俺(私)は小児科は専門外だから」といって、あたふたしてしまいました。

外科医の夫は「いれば役に立つ」が「ほぼ家にいない」

今の私の毎日の目標は、小学生になった娘の学童のお迎えの時間までに「仕事をいかにして終わらせるか」

医師は、病院では指示を出す司令塔。自分の裁量次第で、ある程度は仕事時間をコントロールできます。朝の時点で仕事の優先順位と段取りを決めてスタッフに指示。〇〇は〇時からと、先の見通しもどんどん立てて伝えていきます。手術は、途中トラブルが起きなければほぼ予定通りに終わらせています。時間内に終わるように、オペ室スタッフに頼んで入室時間などもできる限り調整します。

長時間かかる大きな手術をほかの医師に任せる代わりに、自分は1〜2時間で終わる手術や外来患者さん、入院患者さんを多く受け持つようにして、ほかのドクターとの仕事量のバランスをとることも大事にしています。医師がてきぱきと指示を出して、検査も手術も早く終われば、その分ほかのスタッフも早く仕事を終えることができますしね。

そして同い年で同業者の夫は、私と同じように「仕事」と「家事・子育て」の両立に悩む同志です。何度ものケンカの末、今では朝ごはんを作ってくれたり、朝は娘を見送ってから出勤してくれたり(その分私は早めに病院に行って朝仕事ができるようになりました)。ほかにも、外来が休めない私の代わりに手術の時間を調整して子どもの参観日に行ってくれたり、学童保育の父母会に出席してくれたり、どんぶり勘定な私の代わりに家計管理をしてくれたりしています。

オタ女医さん

 合理化の末、365日同じメニューの我が家の朝食。決まってるから誰でも作れます。
写真は夫作

ただし、夫はいればすごく役に立ちますが、休日も緊急手術や患者さんの急変で呼び出されたり、土日の午前は病棟に回診に行ったりしているので、実際はほとんど家にいません。共働きを支援する制度は整いつつありますが、ワーキングママ(パパ)にとって最大の支援とはパートナーとなる夫(妻)を早く家に帰してあげるのが一番だと私は思います。

忙しい日々を癒す趣味の時間を確保し、仕事のストレスも軽減

医師は、仕事中は患者さんの負のオーラ(しんどい、苦しい、痛い)を常に受けることや、一つの失敗が命や機能障害に関わることもあるので、すごくストレスがたまります。自分の趣味に没頭できる時間というのは、頭をリフレッシュするためにも必要な時間。

そうはいっても、夫は家にほとんどいない。娘を置いて外に出ていく趣味というのも難しい。じゃあ娘と一緒に外に出るか、家の中でできる趣味……ということで、出産後、最初のころはソーイングを、それから以前好きだった漫画、アニメ、ゲームに夢中になるという家にいてもできる趣味に移行していきました。どこでも本が読める電子書籍も忙しいママにはありがたいツールです。

ソーイング

ソーイングでは、子ども服やお人形の服を作ったりしています

子育て中で家にいる時間が長い場合、インドア趣味、おすすめですよ。10年以上のブランクがありましたが、中学生時代に足を踏み入れたヲタク道に戻ってきたらとっても楽しい。勢いでまたブログを始め、趣味を同じくするメンバーと出会い、充実したヲタライフを送っています。

世の中には意外とヲタクで腐女子な女医さんも多いらしく、知り合った先生方と時々オフ会を開いては、ヲタクトークだけでなく、それぞれの科のことを相談しあったり、分からないことを聞いたりして、仕事面でプラスになることもあって、一石二鳥とはこのことです。

仕事、家事、子育ての合間にどうやって趣味時間を確保するかが、目下のテーマなんですが、その秘訣の一つとしては、夫の趣味にも寛容になり、自分の趣味にも寛容になってもらうのが一番ですね。夫は、マラソン、音楽が好きで、週末はマラソン大会や楽器の練習に出かけていきます。お互いの趣味に干渉せず、趣味も仕事も子育ても、なるべくフィフティフィフティが我が家のモットー。夫は早寝早起きで朝マラソンの練習に。その代わり、私は夜型で朝は寝かせてもらったりして時間をやりくりしています。

最終的には自分の趣味に子どもも巻き込んで一緒に楽しむことでしょうか(おかげで娘へのヲタク英才教育が止まりません、どうしましょうコレ……)。

子どもの成長につれて手がかからなくなり、遠征もできるようになってからは、イベントや2.5次元舞台にも足を運べるようになりました。あと30代後半からコスプレにハマっています。若くないから、美人じゃないからなんて関係ないない。趣味はいつ開始しても遅くない、やりたいと思い立ったときが始めどきだと思います。コスプレのおかげでダイエットに成功した人がここにいますよー。好きなキャラになりきるためには、つらいダイエットも苦じゃありませんでした。

細々とでも趣味を続けて「老後も楽しく」

子どもが小さいころは、仕事と家事、子育てでいっぱいいっぱいでしたが、ふと我に返ると「女医の〇〇先生」「〇〇ちゃんのママの自分」しかないのは嫌だなと思うようになりました。仕事を辞めれば「〇〇先生」とも呼ばれなくなり、子どもが巣立てば「〇〇ちゃんのママ」でもなくなる。じゃあ、自分に何が残るの? と。

自分が自分でいられる時間=私にとっての趣味時間が、最終的には自分らしさとして残っていくのではないのかなと思います。そして、若いうちに色んな趣味に手を染めて少しでもかじっておくことが楽しい老後の秘訣ではないかとも、日々高齢者を相手に仕事をしていて感じています。退職後も趣味を楽しんでいる高齢者は皆さん若々しく元気なんです。

毎日分刻みのスケジュールでドタバタと動いてますが、「仕事と家事がすべて終わったら、楽しい趣味時間が待っている~」と思うと、やらなければいけないことを早く終わらせることができる。

趣味は仕事と家事をテキパキ終わらせるための、馬の前の人参みたいなものなのかもしれません。そして、にんじん食べて元気回復してまた働く。

て、私はお馬のフレンズさんだったのですね。そりゃあ、毎日がどったんばったん大騒ぎ! でもしょうがないっ。

著者:miiid:otajoy

mii

17年目の整形外科医、1児の母、2次元ヲタク。2次元の初恋は『ムーミン』のスナフキン。今一番好きな漫画は『コウノドリ』。好きなゲームは『刀剣乱舞』。お婆ちゃんになって『幽☆遊☆白書』の幻海のコスプレをするのが老後の目標。
ブログ:ヲタママ女医がいろいろ語ってみるか

次回の更新は、10月25日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

目標に向かって突き進め! 「やりたいこと」を見極めて、欲深い私は生きていく

文・写真 あたそ
ケニアで撮った写真 旅行中は写真を撮るようにしている。この写真はケニアで撮ったもの。

私が新卒入社を捨てて大好きな旅行、しかも海外に出てみようと決心したのは、リビングで寝転がりながら、愛犬と戯れているときだった。大学3年生になり、周りに流されるようになんとなく就職活動を始めたころ。今思い返すと現実逃避だったかもしれない。でも、あのころの私は「行くなら今しかない」と思っていたし、「まとまったお金を貯めて、海外に行く」という小さな目標ができた瞬間、なんだって頑張れると思った。目の前に目標や夢が広がっている世界が、キラキラして見えたような気がした。本当に。

私の大ざっぱすぎる人生

「貯金をして海外へ行く」という目標はすぐに実現した。アジア、中東、アフリカ、また中東と約9ヶ月間の海外放浪が終了し、現在は都内でまったりと会社員をしている。いやあ、まさかね。「どうせまともに働けない」と周囲から散々言われ続けた私が、こうして毎日満員電車に揺られながら同じ場所に何年も通うなんてね。思ってもみないことだった。

正直なところ、帰国当初は「本当に正社員として働けるだろうか」「就職活動がいつまでも上手くいかなかったら、どうしよう」と、胸の内は不安だらけだった。新しいことを始めようとすると「もしも」「万が一」を考えてしまうけれど、過ぎてしまえばどうってことはない。不安がその通りになることなんて滅多にないし、大抵はなんとでもなる。

その証拠に、大したスキルもないくせに、海外放浪後に入社した前職も現職も案外すんなり内定をもらっている。「就職できなかったら、精神がぶっ壊れてしまうかもしれない」と大げさに考えていた過去の自分を笑ってやりたい。

旅行中に撮った写真

だって、こんな海外放浪なんて馬鹿な旅、絶対若いときしかできないじゃないか! と日本で落ち着いた今でも思う。11人乗りのハイエースに32人がぶち込まれて3時間真っ暗な夜道を爆走するとか、爆破テロがよく起こるらしい地区で寝泊まりするとか、水もガスも止まって5日間シャワーも浴びられないとか。まあ、年齢はあまり関係ないような気もするけど、なるべくなら過酷な体験をするのは若いうちだけにしておきたいもの。

そして、海外放浪の経験が生きているのかいないのか、現在は様々な媒体で記事を寄稿したり、トークイベントを行ったりしている。やっぱり、人生なんとかなるみたいだ。

平日はダラダラと文句を言いながら会社員として働き、空いた時間や休みの日に文章を書いたり好きな趣味に明け暮れたりしている。たまに友達と酒を飲んで、記憶を無くしたり暴言を吐き合ったりする。悪くない。全然悪くない。昔から集団行動ができないし、モテないし、酒癖悪いし、新卒入社もしなかったし、初めて働いた会社も数ヶ月で辞めてしまったけど、全然悪くない人生だと思う。

「女性の限界」を感じる中で、どんな選択をしていくべきか

そもそもの私は、とても欲深い人間だと思う。というか、常に欲しかない。更に最悪なことに、自分の欲を満たすための時間、お金、労力を惜しまない。バリバリ働きたいけど、海外へ渡って長期間フラフラしたい。働かないのも大好き。結婚もしてみたいし子どもも欲しいけど、自分のためだけにお金と時間を費やす期間ももっと欲しい。友達とのルームシェアも楽しそうだ。海外での生活やワーキングホリデーもなんだかよさそうな気がする。

本当なら、私の中に眠る欲望の数々を全て叶えていきたい。想像できる限りの色々なことを経験してみたい。

しかし、女性には、タイムリミットがあるようだ。30歳? 35歳? 分からないけど。この辺りの年齢になると、周囲からの「結婚はしないの?」「今のうちに子どもを産んでおかないと後悔するよ」とプレッシャーをかけられる風潮が残念ながら未だある。子どもも授かりにくくなってしまうらしい。もちろん、周囲の意見なんて気にしなくていいと思うし、女性の価値を決めるのは年齢だけではないと考えている方がほとんどだろう。でも、特に出産を考える女性なら、誰もが年齢を意識するときがくると思う。労働環境や家事分担、様々な面で男女が平等になるとしても、女性の身体が都合良くライフスタイルに合わせて変化してくれる訳ではない。

つまり、結婚・出産の可能性がほんのわずかにでも残っている限り、このボーダーラインによって私たちは満たすべき欲望、そして自分にとっての幸せと向き合わなければならないのだと思う。

ある意味での「女性の限界」を感じる中で、私はどんな選択をすればいいのだろう、と悩むことがある。昔も、今も。周囲の男性の目、親族からの結婚の催促、親友の結婚、そして自分自身の将来を考えたとき……。私を取り巻く様々な要素が、大きな壁となって目の前に立ちはだかっている。女性の限界という名の壁にぶち当たることが日常生活の中でよくある。まあ、ある。

旅行中に撮った写真

人生は長い。でも、自分のためにだけ使える時間は?

2016年の厚生労働省調査によると、日本人女性の平均寿命は87.14歳らしい*1。長い。長すぎる。87年もあったら、どんな欲望も叶えられそうな気がする。

でも、健康で体力がある期間は? 自分のためだけにお金と時間が自由に使える期間は? 自分に対してだけ責任を取っていれば基本的に大丈夫な時期は? と考えると、かなり短いことが分かる。

時間に制限がある中で、迷っている暇もない。もったいないと思う。

人生の中でやりたいことがあるなら、ピックアップして細分化して、一つ一つ着実にクリアしていけば、どんなに大きなことでもできる。情熱とかやる気とか、そういうのがあれば、なんだってできると信じている。

「難しいかもしれない」「もしも失敗したらどうしよう」と考えることだって、ある。でも、諦めたり失敗したりすることがあっても、今なら自分にしか迷惑がかからない。最高。自分さえよければそれでいい。立場もパートナーも子どももいない今だからこそ、自分だけが納得のいく選択をしていけばいいだけだ。もちろん、仕事仲間とか友達とか、周囲に迷惑がかからないよう配慮する必要はあると思うけれど。

旅行中に撮った写真

私の「やりたいこと」は、長期間海外を放浪することだった。かなりシンプルなことだ。金と時間があれば、誰だってできる。それでも、出発まで「本当にできるのかな」と思っていた。

目標額を決めて貯金して、必要なものを買いそろえて、自分の感情の赴くままに好き勝手に行動する。今まで見たことのない景色を見て感動したり、触れたことのない文化に触れたり。まあ、病気にもなったし危ない目にあったりしたのも、今となってはいい思い出だ。

大したことではないけれど、私にとってはとても大切な経験になり、自分への自信にもつながっている。

自分の欲を分別して、やるべきことを見極める

以前は、「旅行なんて趣味の一環だし、今後の人生に役立つことはないだろう」と思っていた。でも、その考えはどうやら間違っていたようで、経験、記憶、様々なものが私の新しい価値観や考えに反映されている。海外で見聞きしたものだけじゃない。日常生活で得たありとあらゆるものが私の血潮として流れているんだと思う。一見役に立たなさそうなことが、ある日パズルのようにピタリとはまることがある。色々なことに興味が湧くようになったし、知りたいことが更に増えた。これは、自分でも意外なことだった。

海外へ放浪せず、普通に就職活動をして、新卒入社できちんと働いていたら、その選択なりの満足できる時間を過ごしていただろう(結婚はしていないと思うけど……!)。安定だって、生活をしていく上では凄く重要な要素だ。でも、後悔していたかもしれない。自分にとっては退屈で、つまらない生活をしていた可能性だってある。

結局大事なのは、自分が今どんなことをしたくて、その経験を何に生かしていけるのか、将来後悔する可能性を低くできるのか、というのをしっかり見極めることなんじゃないかと思う。今は、仕事も趣味もある程度満足して適当に楽しく過ごせている。まあいいかなあ、と思う。気に入っている。

結婚・出産の経験はまだないし、自分が結婚生活を送っているところも人の親になっているところも全く想像できない。「いつか結婚や出産をしてみたいなあ」というフワフワとした思いが、固い決意に変わったとき、私なりの目標を設定して、そこに向かって努力していくんだと思う。

実は、前々から転職を考えていたのだけれど、つい最近転職先も見つかった。今の会社でできることはやりきったと思うし、今の自分の力でもっと好きなことや新しいことがやれるんじゃないかと思ったから。

やりたいことなんて思いつく限りいくらでもある。でも、きっと自分の欲望を全て満たすなんてきっと無理だ。恐らく人よりも多すぎる欲の中から、本当に何がしたいのか、そしてどんなことにつなげられるのかを見極めて、まだまだ自分の好きなように生きていたいと思う。

著者 あたそid:ataso01

あたそ

横浜在住。よくものをなくす。会社員をしつつ、執筆やトークイベントなどを行っています。音楽以外には、焼き鳥やもつ煮の美味しい居酒屋、辺鄙な地へのひとり旅、ヒロインがぶっとんでる漫画、女々しい小説、退屈な映画、甘めのシーシャなどが好き。
ブログ:私地獄
Twitter:https://twitter.com/ataso00

次回の更新は、10月11日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:厚生労働省「平成28年簡易生命表」参照

仕事と私生活、二つの“リモート”を経て感じた「信用の貯金」と「発信」の大切さ

 灰色ハイジ
haiji

photo: hmsk

結婚を機に、アメリカと日本の二拠点生活をすることになった。思いがけない生活の変化によって働き方や気持ちにも影響があった。仕事面での一番の変化は、リモートワークになったことだ。そんな様子をつづりたいと思う。

◆◇◆

「リモート」は私生活から始まった

私の社会人生活に転機が訪れたのは2015年のこと。サンフランシスコに旅行をした際、現地に住む友人に突如プロポーズされたことだった。

すぐにアメリカへ引っ越しー、というわけにはいかなかった。夫はサンフランシスコでの仕事や暮らしが気に入っていたし、それは友人だったころから、私も応援していたことだった。同じように、私も日本でデザイナーとして続けていたい仕事があった。

結婚を機に、どちらかの都合でどちらかが仕事を辞めて相手について行くなんてことは、きっと世の中にたくさんあるだろう。ただ、私たちはお互いに好きな仕事をしていてほしかったし、働く姿が好きなところでもあった。だから自然と、それぞれの仕事の拠点であるサンフランシスコと東京を行き来する遠距離恋愛(後に遠距離結婚)をすることになった。

私はこれを「リモートライフ」と呼び始めた。ちょうど新たな働き方の形であるリモートワークという言葉をよく見かけるようになったころで、議論が重ねられる中、徐々に受け入れられている様子にリモートライフを重ね、前向きに考えられるようにしたかったのだ。

自宅では、それぞれ時刻が違う場所にいる夫と当たり前に話せるわけではないから工夫が必要になった。Dropbox Paperというドキュメント共有サービスを使って交換日記を始めたり、話題のきっかけとなるようにお互いの日常の生活風景の写真を共有したり。お互い部屋をビデオ通話で常につなぎっぱなしにして同じ部屋にいる様子を再現しようとしていた。

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部屋をビデオ通話でつないでいるときの様子

「リモートライフ」はどうやら間違っていなかった

夫とリモートライフを始めたころ、私は転職したてでもあった。この私生活の状況は入社初日の自己紹介で伝えていた。あくまでも日本で働きながら、有給休暇を使って定期的にまとまった休みを取り、アメリカを訪れる計画を繰り返すつもりだった。

しかし、7ヶ月ほど経つと、離れて暮らすのが正直なところしんどくなっていた。これが単身赴任であれば任期が決まっていることも少なくない。そういう先の予定が立っているものだったら平気だったかもしれない。でも、夫は現地の企業に勤めているから帰国予定があるわけではなかった。

「あれ? これって一生このまま離れて暮らすのだろうか?」

と思うと急に不安になったのだ。だからと言って「夫と暮らしたいから会社を辞めます」なんて、結婚によって仕事を諦めるようなこともしたくなかった。

悩んだ末に、私は勤め先の社長に「海外からリモートで働かせてもらえないでしょうか」と提案をしたのだった。会社ではリモートワークの前例はあったけれど、制度として整っているわけではなく、議論を何度か重ねた。大変ありがたいことに、最終的には私の人生を応援してもらえることとなった。

「リモートライフ」などと自分の生活をあらわしていた本人が、今度は本当のリモートワークをすることになったのだ。

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最近は日本にいるときは地元の新潟でのんびりと過ごしたり、ゲストハウスに泊まったり。
日本滞在中の方が旅行感が強くなってきた?

顔を合わせて話す機会も必要だということで、3ヶ月ごとに日本に帰ってくることが条件となったが、有給休暇を使っての渡米だとせいぜい1週間弱しか滞在できなかったので、3ヶ月も夫と一緒に暮らす時間が持てることは本当に嬉しかった。

就職が結婚やプロポーズに例えられることがあるけれど、働き方についての議論やリモートワークの仕方を設計する場面に向き合うと、リモートライフとリモートワークでやっていることは大して変わらず、家庭も会社も、うまくいくコツは同じなのではないかと思うことがある。

仕事もプライベートも、コミュニケーションをとる相手と離れていて何が一番つらいかと言うと「雑談」が難しいのだ。笑いが生まれることで心理的障壁が低くなり、相談がしやすくなるし、何より心の距離が縮まる。そのきっかけはたわいもない雑談だったりするのだけれど、離れていると偶然生まれることがあまりない。

リモートワークでは、業務以外の日常の様子も織り交ぜながら社員全員が見ることのできる場に日報を共有することで、会話が生まれやすくなった。これは交換日記や写真の共有など夫とのリモートライフ上で意識してやっていたことと全く同じだった。また、バーチャルな場だったとしても、Skypeなどのビデオ通話で人と話し、空間を共有したことも同様だった。

「リモートライフ」でやっていたことは、どうやら間違っていなかったのだと思う。

「丁寧さ」と「温度差」に注意する

私は転職と同時にフリーランスの仕事も始めていた。副業が認められている会社であることが転職の条件でもあったのだ。振り返ると結婚、転職、個人事業の開始……とにかくいろんなことが大きく変わる年だった。どれも新しいステップにワクワクしていた。

しかし、いろいろとフリーランスの仕事をいただけるようになってきたタイミングで、リモートワークを始めることとなり、大きな不安を抱いてしまった。

「1年の半分ほど日本にいないというのはフリーランスの仕事として成り立つのだろうか……?」と。

依頼をする側からしたら近くで顔を合わせられる人の方がいいに決まっている。実際にまだ日本にいたころ、フリーランスの仕事の打ち合わせが毎日のように入っていた。会社が渋谷にあったので、ランチ休憩の際や、夕方の定時後に打ち合わせを入れていたのだ。

でも、私がアメリカと日本を行ったり来たりすることになっても仕事をくれる人がいた。以前一緒に仕事をした方が継続で依頼をくださったり、自分のブログで発信した働き方についての記事を読んでくれた方が連絡をくださったり。

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サンフランシスコでの作業環境。夕方にようやく日本は朝

私は、リモートワークになってから意識していることが二つある。

まず、提案資料を対面でのコミュニケーションが可能なとき以上に丁寧に作るようになった。直接会って話せば済むことも、離れているために何往復もやりとりをしてようやくコミュニケーションがとれた……ということが起こり得る。資料のそばに私がいないような状況でも事細かに情報が伝わるよう補足を入れたりといったことを、対面のとき以上に心がけている。これは、東京で働き始めたころに培ってきたことで、「情報を整理する」というデザイナーにとって大事なスキルが身についていたからできたことかもしれない。

次に、コミュニケーションに温度差を作らないために気をつけているのは時間だ。MacとiPhoneそれぞれに日本とアメリカの時刻がすぐに見られるように設定して、アメリカにいるときでも日本時間を常に意識するようにしていた。私が起きている間は、なるべく先方がこちらの時差を意識しないように連絡へ応答するようにし、そうでなくても日本の翌朝までには返信するように心がけている。打ち合わせの時間を決めるときも、日本の日時で候補を出すことで相手が時差を気にしないで済むように意識している。

直接顔が見えないからこそ、仕事の丁寧さとコミュニケーションには強く気を使わねばと思う。それらが私の印象をほとんど決定づけるものになるのだから。

今は打ち合わせは遠隔になる旨を了承してもらえることを前提に仕事を受けているのだけれど、それでも依頼をもらえたときに“私”に依頼してもらえたんだ、ということはいつも純粋に嬉しく、自信につながっている。

逆に、「誰でもいいからデザイナーという肩書の人を欲しています!」「この期間、東京で打ち合わせに毎週参加できるデザイナーを探していて……」という感じの案件は来なくなった気がするし、拠点を理由に断りやすくなった。拠点の差異を越えても私へ仕事を依頼しようとしてくれるかが浮き出るようになったのだ。なんて使いづらいフリーランスのデザイナーなんだろうかと自分でも申しわけなくなる反面、ありがたいと思うに尽きる。

大事なのは「信用貯金」と「発信」

リモートを前提としたフリーランスでの仕事については「信用の貯金」と、ブログをはじめ、今も実存している証明としての「発信」が大事ではないだろうか、というのがこの2年ほどやってきた中での結論だ。

二拠点での生活になってから、人との接点が前よりも減った。そのため意識的に何かを発信しないと、仕事以前に自分の存在が失われていくような気持ちになることがある。また、新しい人間関係の構築も大事だけれど、近い距離で働いていたころの人間関係や、過去の実績に助けられることが多かったからだ。

そして忘れてならないのは、このリモートワークが決して私だけの力ではなく、例えばプロジェクトの規模によっては日本にいる人がクライアントとの打ち合わせを調整してくれたりなど、とにかく多くの人の協力によって成り立っているということ(本当にいつもありがとうございます)。

私は2016年に30歳になった。正直言うと20代のころは30歳という年齢に漠然と不安があった。でも、20代に積み上げてきたものが少なからずあるからこそ、30歳を迎えてこのような二拠点生活を実現することができているのだと思うと、これから先の人生がもっと楽しみになってきた。

著者灰色ハイジid:haiji505

灰色ハイジ

デザイナー&プランナー。アメリカと日本を行ったり来たり。緑茶とお米と夫が好きです。
ブログ:灰色ハイジの観察日記
ポートフォリオ:http://haiji.co/
Twitter:https://twitter.com/haiji505

次回の更新は、9月27日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

独身女性でも自力で海外移住は可能! ドイツで、新卒フリーランス女子が生きるということ

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こんにちは、wasabi (@wasabi_nomadik) です。
私は現在26歳。2年前に大学を卒業してから新卒で就職はせずに、フリーランスの翻訳家・ライターとしてドイツのベルリンに移住しました。現在はブログを基軸としたビジネスを各種展開しています。


「就職経験もないのにどうやってフリーランサーになったの?」


と疑問に思う方もいると思います。簡単にこれまでの経歴を説明すると、私は獨協大学の外国語学部を卒業してから半年強の翻訳ライターのアルバイト経験とフリーランスの仕事受注を経て、そのままドイツに渡りました。非常にリスクの高い選択でしたが、渡独し、その後ブログを開始してからというもの、こうしたライフスタイルに共感をしてくれる人がたくさん現れて、今では自分のやりたいことをどんどん実現できる環境を作ることができました。

その経緯は自身のブログのプロフィールに詳しく書かれているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

wsbi.net


今回は私の経験をもとに、働き方で悩んでいる人や「もっと挑戦したい!」と感じている女性へ、ドイツに住んで見えてきたことをシェアしたいと思います。

独身女性が海外で、自力で生活していくというケースが少なかった

自分自身でも人に言われるまで気づかなかったことですが、ある日の打ち合わせで編集者の方にこう言われました。

「wasabiさんのブログが同年代の女性に支持されるのは、今まで同じような女性がいなかったからですよ」と。


そう、考えてみれば同年代で自分の意志で海外移住をしている女性ってあまりいなかったのです。私がドイツで日本人に会うと「パートナーがドイツ人なんですか?」と聞かれることが多いのですが、たしかにこちらで長く住んでいる日本人女性はパートナーがその国の出身者、もしくは駐在員というケースが多いです。

 

私も最初にドイツへの移住を考えたときに、いろんな方のブログなどを読みましたが、長期間海外に住んでいる人は上記のようなケースや、女性の場合は経験豊富なキャリアウーマンが海外で転職をするというケースしか見当たらずとても不安になったし、「やっぱり自分には無理なのかな?」とも思いました。

可能性を広げてくれた唯一の希望は「フリーランス」

ただ、いろんな人のブログを見ていくうちに「フリーランス」という選択肢があることがわかりました。そして、中でもドイツのベルリンはフリーランサーのビザが存在し、生活に十分な収入と資金の証明があれば、ビザを更新しながら長期的に住めるという情報を知ります。どうしてもヨーロッパに住みたかった私にとって、これが唯一の希望でした。


すぐさま「ドイツでフリーランサーになる!」と決め、大学在学中から続けていた翻訳のアルバイトで毎月5万円ずつ貯金をし、その傍ら、リモートワークでできる仕事を増やそうと『ランサーズ』というクラウドソーシングサイトで仕事を受注し始めます。それらを少しずつこなしていくと、月々5万円はインターネット経由のお仕事で収入が確実に得られるということがわかりました。


私が引っ越そうとしていたベルリンは生活費も安く、当時(2015年ころ)は2人暮らしのシェアアパートで家賃が光熱費込みで3万円程度だったので、「5万円の月収があれば、とりあえず死にはしないだろう」ということがわかり、とても安心したのを覚えています。その後、日本でアルバイトをしていたある企業に交渉をしてみたところ、ドイツ移住後も定期的な大きい案件をいただくことができました。このように自分が日々できる小さな行動を積み重ねていった結果、1年足らずで新卒の小娘は海外移住に成功したのです。

年齢なんて関係ない。自分が自分らしくいられる場所が絶対ある

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念願のドイツに移住して以来、ドイツの面白い人々や場所を紹介するために、たくさんの人に会ってきました。その中で感じたのは、ドイツでは日本ほど年齢や婚期を気にする必要がない、ということです。ドイツ国内でも地域差があると思いますが、特に私が住んでいる首都のベルリンは人種や宗教が多様で、「年齢」のような画一的な基準で「一般常識」を構築することが難しいのです。


個々人の感覚による部分もありますが、日本では女性は28歳くらいが婚期と解釈されることが多いでしょうか。それを超えると「負け組」などと呼ばれてしまうこともあるでしょう。こうした概念は基本的にドイツでは一般的ではありません。これはドイツ人女性に話すと毎回驚かれることです。


私のブログにも「今、〇〇歳なんですが移住はできますか?」というような質問がよく来ます。しかし、年齢は結局ただの数字にしかすぎず、自分以外の誰かから与えられる価値観にすぎません。

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働き方に関しても同様です。一般的に言われているような、企業でフルタイムで正社員として働く働き方だけが正解ではありません。そもそもその人が人生で何を大切にしているのかという基準は人それぞれ違うはずです。私のドイツ人の女友達はボーイフレンドを追いかけるために会社に交渉して彼の住む遠い街に引っ越し、その街のコワーキングスペースからリモートで働くことを認めさせてしまいました。


彼女にとってはボーイフレンドと一緒にいる時間が大切で、彼と一緒にいたい。それが彼女の大事にしているものだからです。こういうことがドイツのすべての会社で当たり前にできることとは言いません。しかし、ドイツを含むヨーロッパの人は「自分の人生にとって大切なこと」をはっきり明確に持っている人が多く、こうした社会通念があるからこそ、会社からの理解も得やすい印象です。


ドイツの考え方に日々触れていると、大切なのは「自分の外にある価値観」ではなく、自分が何をしたいか、どんな自分になりたいかという「自分の価値観」なのだと思わされます。ドイツでは個人の意見をとてもはっきり述べることが要求されるので、そのことを本当に実感します。

やりたいことをやる環境は自分で作り出せる

海外で暮らすこと、それも女性が1人で、というのは想像以上に大変なこともたくさんあります。あらゆる面で、男性であれば気にしなくてもよいことでリスク管理をしなければいけないし、面倒なこともたくさんあります。女性1人の海外移住は決して「ラク」ではありません。


ただ、自分の力で生きているというこの事実が何よりも自分を強くしてくれますし、さまざまなプレッシャーに打ち勝つことで、自分の成長を日々実感できます。毎日が違う色を持ち、毎日がサバイバルでエキサイティングな感覚です。「さまざまなことに挑戦したい!日本以外のフィールドでやってみたい!」と思っている女性がいれば、私は喜んでその背中を押したいと思っています。そして、一歩を踏み出した女性が他の女性たちをインスパイアし、世の中を変えていけると信じています。

 

そうした自分の情熱をもっと多くの人に伝えるため、現在は「海外フリーランス養成スクール」というオンラインサロンを運営し、同じように海外を目指す仲間100人と成長していけるように、楽しんで仕事をしている日々です。


このサロンでは実際にメンバーと新しいビジネスのプロジェクトを展開中で、今後増えていくであろう訪日外国人をターゲットにしたサービス、外国人をターゲットにする企業へのコンサル、日本への就職やドイツでの就職を考えている外国人をターゲットにしたサービスから、外国人向けにカルチャー情報を提供するサービスなど、さまざまな「こと」が生まれつつあります。

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最初は経験もないところからライティングや翻訳という仕事を始め、2年余りで今自分がまったく違うことをやっているとは想像もつきませんでした。でも、とりあえず何かを始めてみることで開かれていくこともあるのです。少なくとも私は、「とりあえず、始めてみたら」ドイツにたどり着けました。実際にこういうケースがあることをもっと多くの女性たちに知ってもらえたら嬉しいです。


せっかく生まれてきたんだから、やりたいことをやる。

このことには、年齢も男女の差も関係ありません。私も、今後さらに加速して成長をしていきたいと思っています。

次回の更新は、9月13日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

働くことが上手でないわたしは、気持ちの逃げ場を作りながらポクポク進む

旅ブログで紹介して有名になった青森県鰺ヶ沢の秋田犬「わさお」と。
写真は2011年6月に再訪したときのもの。

会社員として働きはじめて9年目ですが、「働くこと」について考えたり語ったりするとき、実はちょっと苦い気持ちになります。今のところどうにか続いてはいるものの、自分は働くことが決して上手なほうではない、というコンプレックスがいつも心の底にあるからでしょう。

わたしは大学の法学部を卒業後、在宅で司法試験の受験勉強をしていました。しかし、実際は熱意も能力も遠く及ばず受験に見切りをつけ、ブランクを抱えて就職活動をはじめ、入社したのが今も働いている会社です。

ふたつの居場所を持つことで進んでこられた

メレ山メレ子という名前で不定期に文筆活動をしていますが、会社も職種も、文章を書くことや出版・編集とはほぼ関係ありません。大学生のころからネットで文章を書いていましたが、就職ではあえて無関係な仕事を選びました。

先が見えない焦りの中で、ネットで文章を書いてささやかに反応をもらうことは、わたしに精神的な居場所を与えてくれました。だからこそ、好きなことを仕事にした結果として好きでいられなくなったり、思ったことを書けなくなるくらいなら、仕事とは分けていたいという気持ちもありました。裏を返せば、わたしにとって労働とは「不自由」の象徴だったのです。仕事で自己実現したり夢を叶えたりする人たちが、まぶしく遠く思えました。

消極的な理由で道を選んでばかりいるようですが、結果的にこの働き方は、自分に合っていたと感じます。生活の根幹になる会社員業と、余暇を生かした文筆の仕事。会社で人間関係がうまくいかないときも読者や編集者さんの反応が心を支え、文章がいっこうにまとまらず苦しい夜は、朝が来て会社に向かえることがありがたく思えます。片方の世界で経験したことは、必ずもう片方の世界を豊かにしてくれます。どちらも半人前ながら、ふたつの軸足を取ることでなんとかここまで続けてこられました。

昆虫大学2014の様子(撮影:石澤瑤祠)

2012年からは、虫の魅力を伝える隔年開催のイベント「昆虫大学」を主催しています。もともと生きものが好きで、旅ブログに登場させた虫をきっかけに、虫好きの世界に足を踏み入れました。昆虫研究者や昆虫写真家といった、人からは理解されにくい好きなことに人生を捧げている人たちに惹かれ、彼らに取材して『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)という本も書きました。

全身全霊を好きなことに捧げている人たちには憧れると同時に、自分の軸足が定まらないというコンプレックスも刺激されます。しかし、イベントにはハイアマチュアや虫に関係ない仕事をしている人もたくさん関わってくれ、それぞれの立場で楽しんでくれています。

色物と思われることも多く、「虫=嫌われもの」という世間の認識を大きく覆すことは難しいですが、「虫に興味が出てきた」「虫好きではないけれど、こういう空間があるんだと知って嬉しい」と言われるときがいちばん嬉しいです。好きなことに向かい合うやり方は人それぞれでいいんだな、と思えるようになりました。

中国生活のはじまり

実は先日、仕事で大きな転機を迎えました。中国の子会社への出向が決まり、これから数年間は上海で暮らすことになります。

部署ではじまったプロジェクトの関係で、3年ほど前から上海の子会社と仕事をする機会が増えました。わたしの会社では売上の大半が海外の販売会社に属していて、つまり海外子会社はグループ企業のフロントです。中国をよく訪れるようになり、急速に都市化が進む上海の熱気に圧倒されました。

本社の成長を見てきた年上の社員と話すと、ダイナミックなエピソードがいろいろ出てきます。道筋が決まっていないことばかりだけれど、得られる成果もスピード感も桁違い。日本国内の市場が老成した今、そんな経験ができる場所はアジア地域の子会社に移っています。

今よりずっと心身共にハードな職場環境になるだろうけれど、体力が多少はある30代のうちに、まったく違う環境に自分を置いてみたい。そう考え、社内公募のお知らせが出たその日のうちに応募を決めました。

もともと、いつかは海外で暮らしてみたいという憧れはありました。会社員と文筆活動のふたつに居場所を求めたように、日本と海外にもそれぞれ軸足を置いてみたい。怖がりつつも、自分にとっての世界の輪郭を広げてみたいと思えるようになったのは、おっかなびっくりのこれまでの歩みが気づけば多少の自信となっていた、ということかもしれません。

周囲からは唐突だと受け止められることが多かった今回の選択ですが、わたしの中では重心を少しずらすような自然な変化でした。いつかは「不自由」の象徴と思えた労働は、今や新たな場所を獲得するための「自由」につながっています

世間と向き合うのが怖いという気持ちをふたつの環境に身を置くことでなだめすかし、騙し騙しやってきましたが、30を超えたころから変化を求める気持ちが強くなってきました。

プライベートでもここ数年、マンションを買ったり、西アフリカで自分がいずれおさまるためのオーダー棺桶を作ってみたりしました(この辺の話せば長くなるくだりは、2016年に出版した『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)という本に書いています)。

自室で、ガーナで作った棺桶と(撮影:宇壽山喜久子)

「中国に行く」というと、周囲からは「マンションどうすんの?!」と口々に言われます。昨年買ったばかりの中古マンションは、資産価値は皆無ですがわたしの最も大事なもののひとつです。購入を決めてから半年かけて(こんなにかけるつもりはなかったのですが……)リフォーム工事をし、予算に足りない部分は友人たちの力を借りて、少しずつ手を加えました。気軽に集まれる場所ができたことで、ネットを通じて出会った友達とも、関係がより深くなったように思います。

しんどい気持ちを逃がしながら進む

家も大切な友人もでき、今までで最も「居場所」については満たされているのに、日本を離れるのはもちろん辛いです。しかし、逆にいえばこういう環境を選べたのも、日本にしっかりと居場所を築けたおかげだと思っています。前に進み続けることでいつでもつながっていられると自然に思えたからこそ、違う場所に移ることができました

しばらくは会社員業に専念することになるでしょうが、文章を書くこともずっと続けていくつもりです。何をするにも不安が先に立つ性分でも、文章を書いているかぎりは、どんな経験もいつかはネタになる。しんどい気持ちが膨らんだら、そうやって少しずつ弁から空気を逃がしながらやっていきます。仕事人としてあらまほしきジェット機ではありませんが、ポクポク進んでいく蒸気船の気分です。

著者:メレ山メレ子 (id:mereco)

メレ山メレ子

1983年、大分県別府市生まれ。平日は会社員として勤務。
旅ブログ「メレンゲが腐るほど恋したい」にて青森のイカ焼き屋で飼われていた珍しい顔の秋田犬を「わさお」と名づけて紹介したところ、映画で主演するほどのスター犬になってしまう事件に見舞われた。やがて旅先で出会う虫の魅力に目ざめ、虫に関する連載や寄稿を行う。2012年から、昆虫研究者やアーティストが集う新感覚昆虫イベント「昆虫大学」の企画・運営を手がける。著書に『メレンゲが腐るほど旅したい メレ子の日本おでかけ日記』(スペースシャワーネットワーク)、『ときめき昆虫学』(イースト・プレス)、『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)がある。

次回の更新は、8月30日(水)の予定です。

遠くにいても、隣にいても変わらない。東京~沖縄間でのリモートワークで感じたこと

 鯨本あつこさん
沖縄での生活

今日はいつもより早く起きて家族3人分の朝食を作り、寝ぼけまなこの娘を夫に託してひとり、家を出た。それから車で10分の距離にある那覇空港へ移動して、朝一の飛行機でオフィスのある東京へ。この原稿はそんな機内で書いている。

§

私は、有人離島専門のWebメディア『離島経済新聞』とフリーペーパー『季刊リトケイ』の統括編集長をしている。発行元のNPO法人離島経済新聞社(以下、リトケイ)は東京にあるので、自宅のある沖縄から東京には月1~2度通っていて、そのほかは東京~沖縄間をSkypeでつなぎながら仕事をしている。

会社以外の場所で仕事を行う働き方は、リモートワークというらしい。私は2年前の出産を機に、夫の実家のある沖縄に居を移し、この働き方となった。

RITOKEI

Webメディア『離島経済新聞

リモートワークがどんな働き方なのか。ひとつの例ではあるが、プライベートタイムも含め、昨日1日を思い出してみる。

東京~沖縄、リモートワークの日常

まず、朝6時に起きて朝食を作り、子どもを起こす。トイレに行きたくないと逃げまわる2歳児を追いかけまわして、トイレ、ごはん、着替えを見守り、ばたばたと朝食の片付けをしながら、7時半すぎに保育園に行く子どもと夫を送り出す。

静寂が訪れた8時頃から仕事場にしている自宅の一室に移動し、パソコンを開いて、メール、調べ物、作成途中の企画書作り……と、いくつかのデスクワークを片付ける。そして、10時になったらSkypeを立ち上げて東京オフィスに接続。東京にいるスタッフらと15分ほど朝のミーティングをして、その後はSkypeをつなげたまま、それぞれの業務を続ける。

お昼休みをはさんで、午後には東京オフィスに来客もあった。テレビ番組のリサーチのために来社した知り合いのディレクターとSkype越しの打ち合わせをしたのだが、オフィスに来るのは初めてだった彼は「いつもつなぎっぱなしなんですね」と驚いていた。

彼曰く、この状況は「監視みたい」らしい。なるほど、人によってはそう感じるのねと私も驚いた。

私がつなぎっぱなしにしている理由は、誰かを監視したいというよりも、自分が「一緒に仕事をしている感」を欲しているからである。

物理的距離は、コミュニケーション次第で縮まる

仕事場の様子

私と仲間たちとの間には約2,000kmの物理的距離があるが、プロジェクトの進捗管理、書類の確認、原稿データのやりとりなどは、すべてインターネット経由。いわゆるクラウド上のやりとりでほぼ完結しているので、「書類の確認お願いします!」みたいな報告・連絡・相談コミュニケーションも、メールやチャットがあれば済ませられる。

ただ、私はやや古い人間なのか、メールやチャットだけでは、人間の心の機微に触れにくく、味気ないように感じている。それに、顔を見ることもなく、声を聞くこともなく仕事をしていると、なんとなく不安になったり、さみしくなったりもする。

朝から晩までパソコンに向かい、必死に業務をこなしたところで、夕方に「お疲れさま!」と声を掛け合える相手がいなければ、いまいち「今日もいい仕事ができた!」という充足感を感じにくい。

それはもしかすると、リモートワークじゃなくても同じかもしれない。毎日出社したところで同僚と一言も話さず、挨拶もせずに1日を終えるような環境だったら、私は息が詰まってしまう。

たとえば、会社というものが何人かの人間で共通の目的を達成するためのチームとすると、大切なのはチームワーク。で、チームワークに欠かせないものといえば、良好なコミュニケーションである。

たとえ2,000km離れていても、「おはよう」に始まり「お疲れさまー!」で終わり、時々「髪切った?」みたいな何気ないやりとりもできていれば、心理的距離は2m程度。業務が滞らず、コミュニケーションが良好であるなら、距離はほとんど気にならない。

家事と育児もクラウド上で管理

ここから家事育児の話も加えたい。

うちの家族は夫と私と2歳児の3人家族である。フルタイムの共働きなので、日中はそれぞれの仕事に従事しているが、夫は家業のかたわらリトケイの仕事も担っているため、仕事仲間でもある。

夫婦間の協業レベルは家庭によって千差万別だと思うが、我が家は家事と育児にかかるタスクも、仕事と同じくクラウド上で管理している。

保育園や家族の行事はGoogleカレンダーで共有し、お出掛けの予定や今月中に完了させなければならないタスクは、Evernoteの共有ノートで確認し合い、どちらかがクリアにしていく。

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夫婦で共有しているGoogleカレンダー

日々の家事では、お互いの得手不得手で担当分けしている。私は料理をはじめ、生協への注文や買い物、家計管理を担当し、夫は私が苦手な洗濯全般や車両管理を担当。掃除はそれぞれが行う。

育児は、保育園の準備と送り迎え、保護者会活動を夫が担当し、絵本を読んだり、おもちゃを片付けたり、成長にあわせた洋服のアップデート管理などは私が担当している。

こんな風に書き並べると、実にスマートな家庭に見えるが、蓋を開ければ「◯◯ってどうなってる?」「◯◯って言ったよね?」みたいな口論もしばしば起きている。

近しき仲こそ5W1Hを怠らない

口論の原因は大抵、コミュニケーションエラーである。

たとえば私が、来週金曜日から保育園でプールが始まることを知り、夫に「保育園でプールが始まるよ」と言ったとする。このとき、私は「来週金曜日」という重要ワードを伝えていないのだが、頭の中ではすっかり伝えたつもりになっていたりする。

そして、金曜日の朝、娘の保育園バッグに水着が入ってないことを見つけた私が夫に「今日、プールだよ!」と伝えると、「聞いてないぞ!」「言ったよ!(※正しくは言ってない)」というエラーが起こり、火花が散るのだ。

私は曲がりなりにも編集者である。スタッフから上がってきた原稿をチェックしながら「読みにくいなあ」と感じるときは、大体、主語が抜けていたり、あいまいだったり、「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「どんなふうに」「なぜ」という5W1Hが不足していることを知っている。

しかし、何故だろう。夫という人間には、その近さゆえに言葉足らずなコミュニケーションをとってしまうことが珍しくない。近しき仲にも礼儀ありというのか、近しき仲こそ5W1Hだなと感じている。

働くことは「端(はた)を楽(らく)にする」ことであるのなら

2,000km先で働く仲間たちや、夫などの協業者とは、目の前に積まれている仕事を分担しながら、上手にクリアしていくことがまず大事である。そして、欲張りな自分は、その上で「今日もいい仕事した!」とも思い合いたい。

仕事にしろ、家事育児にしろ、求めるレベルは人それぞれ。これはあくまで私のモノサシだが、働くことが「端(はた)を楽(らく)にする」ことであるなら、一緒に働くみんなが楽しそうであることも求めたいのだ。

そのために必要なことは、確実かつ丁寧なコミュニケーションと、お互いの顔色を確認しながら「おはよう」「お疲れさま」「疲れてない?」「大丈夫?」みたいな声を掛け合えること。遠くにいても、隣にいても、互いに協力し合い、成していく仕事には、そんな基本が大事だと感じている。

著者:鯨本あつこ(いさもと・あつこ)

鯨本あつこ

1982年生まれ。大分県日田市出身。NPO法人離島経済新聞社の有人離島専門メディア『離島経済新聞』、季刊紙『季刊リトケイ』統括編集長。一般社団法人石垣島クリエイティブフラッグ理事。地方誌編集者、経済誌の広告ディレクター、イラストレーター等を経て2010年に離島経済新聞社を設立。地域づくり・編集デザイン・コミュニケーション等の領域で事業プロデュースや人材育成、広報ディレクション、講演、執筆等に携わる。2012年ロハスデザイン大賞ヒト部門大賞受賞。美ら島沖縄大使。1児の母。育児のため夫のふるさとである那覇市在住。
Web:離島経済新聞

次回の更新は、8月9日(水)の予定です。