仕事にも自分にも“こだわり”は必要ない? 文化人類学者に聞く、日本とは対照的なタンザニア商人の「柔軟性」

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ますます不安定さを増す現代日本においては、初めての就職活動の時点からキャリアや生き方に「一貫性」を求められることが少なくありません。しかし、仕事においてもプライベートにおいても、常に確固たる自己を求められるような風潮に、息苦しさを感じている方もいるのではないでしょうか。

小川さやかさんは、東アフリカのタンザニアを中心に商人たちの経済活動を研究する文化人類学者。著書の『「その日暮らし」の人類学~もう一つの資本主義経済~』などでは、未来に縛られず「今」を生きる商人たちの姿を報告しており、その日本とは対照的な彼らのあり方は、私たちが当たり前だと感じている「働き方」や「人間関係」を捉え直すヒントを提供してくれるかもしれません。

そこで今回は、日本の状況と照らし合わせながら、タンザニア商人たちの柔軟性あふれる仕事観や人間関係の捉え方についてお話を伺いました。

※取材はリモートで実施しました

仕事にこだわりは持たない。タンザニア商人の労働観

小川さんは著書のなかで、タンザニア商人たちがよく使う言葉として「仕事は仕事」という言い回しがある、と書かれていました。この言葉の背景にある、彼らの仕事に対する考え方についてお聞きできますか。

小川さやかさん(以下、小川) 「仕事は仕事」って言葉自体は日本でもよく使われると思うんですが、「仕事なんだから、つらくても割り切ってまじめに取り組もう」という文脈のことが多いですよね。でもタンザニア商人たちの場合はちょっと違って、「どんな仕事でもいいときと悪いときはあるんだし、いずれ飽きるからこだわりを持ち過ぎない方がいいよね」みたいなニュアンスなんです。

タンザニアの人たちって、お給料が高かったり安定した仕事に就いていたりする場合でも、突然に「飽きた」と言って仕事を辞めるんですよ(笑)。もちろん本当の理由は分からないですが。それで、そのあとに自分で新しいビジネスを始めたりする。

えっ、条件のいい仕事を簡単に手放してしまうんですか。

小川 私も最初はすごく驚いたんですが、いいお給料がもらえる仕事って当たり前ですけどそれなりに大変な仕事であることも多いですよね。また、安定している仕事かもしれないけど、そのためにはボスの顔色を常に窺わなければいけない、ということもある。

それに、彼らにとって雇用されるというのは、自分がなんらかのビジネスを始めるための貯金の期間という位置づけであることも多いです。いつかもっと儲かることに挑戦したいから、いまの仕事にはこだわり過ぎないでいつでも機敏に動けるようにしておこう、という。

スペシャリストを目指し、一貫性を持つことがよいことだとされる日本の価値観からすると妙かもしれませんが、社会環境が急変しやすいタンザニアではそれよりも柔軟性が求められるんだと思います。もちろんタンザニアにも職人のような人はいますが、私が調査対象にしている商人たちの多くはそういった価値観です。

小川さやかさんインタビューカット1

確かに日本にもさまざまな仕事を渡り歩く人はいるものの、一貫性を持ったキャリアプランを持つことが大事だと言われることが多いですよね。

小川 おそらく、日本でもずっと昔からいまのような状況だったわけではなく、高度経済成長期のあとに若者が一斉に就職した時代を経て、ひとたび終身雇用が価値観として定着したことは大きいと思います。終身雇用自体は変容しつつありますが。

もちろん長期的な視点で考えて、数十年後にもなくならないような仕事を選んでなるべく長く続けるというのはとても合理的な判断だと私も思います。しかし日本ではなぜこんなに起業や転職のハードルが高く見積もられるようになってしまったんだろう? という疑問もあります。

日本では「会社を辞めます」という人がいると、周りがすごく心配しますよね。それが全くの異業種への転職ならなおさらです。

小川 そうですね。いま、新型コロナの影響でこれまでの仕事を維持できなくなってきている人が世界的に増加していると思うのですが、タンザニアの人たちは本当にあっという間に仕事を変えるので、近くで見ていても驚かされます。

例えば、日本ではお店が潰れそうになってしまったらクラウドファンディングをしたり、その事業をなんとか維持させることに心血を注ぐ方が多いと思うんですが、タンザニアの商人たちは、自分のお店を売ってまったく違う仕事を始めたりするんです。

本当に「仕事は仕事」で、こだわりを持ち過ぎないんですね。

小川 実際に貿易関連の仕事をしているタンザニアの知人のなかには、新型コロナの影響で中国との取引ができなくなり、即座に自分のお店の在庫をぜんぶ処分し、それまでに儲けたお金を全投資して養鶏場を始めた人がいます。私から見ても「取引が再開されるときまでせめて店は残しといたらええやん、なんで急に養鶏場?」って感じなんですが、彼は「また中国でビジネスができるようになったら、そのときは養鶏場を売ればいいんだよ」と(笑)。

なるほど。いまの混乱した社会情勢のなかでその選択をとれるというのは、すごいですね……。

小川 アフリカはこれまでにもコレラがはやって全ての飲食店が閉まったり、エボラがはやって物流が止まったりといったことを何度も経験しているので、日本や先進諸国とは新型コロナのとらえ方にも違いがあるかもしれません。

それに、私が過去に調査をしていたアフリカの商店街では、行政がもっと商店を増やすと一方的に決め、古い商店を全て壊すと急に言い出したことがありました。だから感染症に限らず、“不条理さ”を織り込んで生計を考えている側面もあります。すぐに割り切れるわけではないですが、コロナに対しても、数ある不条理な出来事の一つ、という態度の人が多いのを感じます。

もはや会社も不要? 彼らが次々と新たな仕事を始められる理由

中国とのビジネスができなくなって養鶏場を始めたという方のお話もありましたが、タンザニア商人たちは、具体的にどうやって新しいビジネスを見つけて起業しているんですか?

小川 以前、古着の路上商人に仕事を始めたいきさつを聞いたら、「市街地でひとつ50シリングで売っていたオレンジを買って、それを自分の居住区で100シリングで売ったのが最初だった」と話してくれたことがあります。

彼は日雇いの仕事をクビになってしまい、手持ちのお金が底をつきそうで悩んでいたときに、ふと目についたそのオレンジで商売をすることを思いついたそうです。その街と自分の居住区を1日何往復かしているうちに無事にごはんを食べられるようになり、オレンジの行商人になったと。そうしているうちに小銭が貯まったので、じゃあ次は服を売ってみようか……という感じでやっていったそうなんです。

想像以上に起業と転職のハードルが低くて驚きました。特に起業というと、日本では既存のレールから外れるような印象を受け、足踏みする人も多そうです。

小川 その理由は、営業許可の申請などをせずにしているインフォーマル経済だからというのも大きいですが、彼らの多くは生計多様化をしていて、そもそも一つの仕事に専念しておらず、その仕事以外にも不動産経営や配達といった仕事をいくつかしているケースが多いんです。だから、仮にうまくいかなかったらそのビジネスだけ畳んでほかの仕事に回そうという発想がありますし、だからこそ新しい仕事にスピーディーに取り組むんだと思います。

なるほど。いまもタンザニアの自営業者の方は、商品を売り歩く行商人のようなスタイルが主流なんですか?

小川 いえ、タンザニアの行商人たちもいまはみんな、スマホで商売をしています。これまではどこかで仕入れた服や雑貨を持っていってオフィス街や住宅街で買い手を探すという形でしたが、いまはもうコミュニケーションアプリやSNS上で注文を受け、必要な商品だけを市場や商店街に探しに行き、必要な人のところに最短ルートで届けるというUber Eatsのようなスタイルも増えていますよ。だから商店に行くと、みんなスマホで商品を撮影して「どれがほしい?」と画面の向こうのお客さんに言ってます。

想像と違いました……! とても効率のいいやり方なんですね。

小川 先にも述べたように、彼らのような零細で不安定な自営業者たちはインフォーマルセクター*1と呼ばれていて、かつては偽装失業層などと呼ばれ、フォーマルな会社組織を立ち上げる前の段階として理解されていたところがあります。近年、そうした単線的な発展図式は研究者の間で再考されてきましたが、研究の理論動向に関係なく、インターネットが発達した今や、彼ら自身の間で「会社なんて作る必要ってある?」という考え方がより現実的になり、どんどん仕事の幅を広げているようにみえます。

例えば、タンザニアにはネイルアートの行商人というビジネスがあるんですね。10年ほど前までは、ネイルアートのサンプルをいくつも持ち歩いて行商するというスタイルだったんですが、いまはお客さんがネット上で「いますぐネイルしてほしいです」と連絡すると、いちばん近くにいるネイルアート商人がやってきてネイルしてくれる……というような感じなんですよ。

確かにそれでビジネスが成り立つのであれば、企業をつくる必要は薄れてきますよね。

小川 だから、インフォーマル経済が次第にフォーマル経済になっていく、すなわち企業や組織へ発展していくという状態へと全てが向かうのではなく、インターネットを介した新たなインフォーマル経済へと発展していくものも多いのではないか、という予想をしています。逆に、日本や先進諸国のように、企業やシステムがある程度完成されている国で新たなプラットフォームをどう使いこなしていくか、というのはとても難しい問題だと感じています。

具体的にはどういうことでしょうか?

小川 いま、アフリカでは「リープフロッグ現象」が起きていると言われています。日本語に訳すと「蛙跳び」なんですが、固定電話が普及していなかった国で携帯電話が普及するとか、教科書が足りていなかった学校にシリアスゲーム(教育目的で使われるゲームアプリ)が導入されるとか、先進国が持っていた既存の社会インフラや制度などを飛び越えて新技術が入ってくるという現象です。アフリカではそういった新技術と自律分散型の社会のあり方が偶然にもマッチして、社会が急速に変化しつつあるんですよ。

でも逆に、日本のように既存のインフラがきちんと整備された社会だと、新技術や新しいインフラを導入しようとしたときに「安心安全に使える制度や法定通貨がこれだけ普及しているのに、どうして電子マネーや仮想通貨を使わなければいけないんだ」「これだけ既存の資本主義経済が国を発展させたのに、どうして自律分散型のプラットフォーム資本主義のような不安定なものに乗らなければいけないんだ」と考える人もいます。

なるほど……。社会保障や安定した雇用環境がもともとあったからこそ、新しいプラットフォームの浸透がスムーズにいかないかもしれないということですね。

小川 もちろん、アフリカにはそもそも企業の社会保障の恩恵を受けられない人が多いという別の問題はあるんですけどね。そういった現象が、新興国と先進諸国とのあいだでいま起きているのは事実です。

一貫性の背後には「説明責任」を求める監査社会がある

すこし話題は変わりますが、小川さんの著書を読んで驚いたことのひとつに、タンザニア商人たちのあいだでは裏切ったり裏切られたりが日常的に起こるけれど、時間がたてば裏切られた相手ともまた人間関係を構築する、という話がありました。日本では考えにくい関係性だなと……。

小川 そもそも日本の人たちはあまり態度が豹変しない、というのもあるかもしれないですね。例えば、タンザニアだと、ついこの前まではすごく羽振りがよくて「お金なんてぜんぶ俺が出すよ!」と言っていた人が、きょうは虎視眈々と私の財布を狙っているみたいなことがあります(笑)。でも、彼も羽振りがいいときにはすごくいい人だったのを周りも知っているので、「また状況がよくなってきたら付き合えばいいや」と思うこともあります。

日本で同じことがあったら、「一見すごくいい人だったけど、実は違ったんだね」と思われそうです。

小川 そうですね……。日本では、本当に追い詰められたときにおろおろと泣き出したり、逆ギレしたりといった態度をすると、普段は立派な人格としてコントロールしている“彼/彼女”は見せかけで、本性が出た、みたいな理解をしますよね。

タンザニアの人って、しんどい状況にある人を見ておおらかに笑うことがあるんですよ。それを最初に見たときはひどいと思ったんですが、よくよく話を聞いていると、笑われている側もそれほど気にしていないんです。彼らは常にピンチと隣合わせで生きているので、窮地においていかに変身、つまり豹変してそれを乗り切るかが大事だと了解もしています。だからピンチのときに豹変する人を見て、もしかしたら「これはこの人が生き抜くための知恵かもしれない」と考えるのです。したたかな逞しさ、生命力かもしれないと。

むしろ、そのときの状況によって態度が変わるのは当たり前と考えているところがあります。だから、ペルソナ(仮面)と本性というような二元化された人格観ではないんです。

『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』表紙写真
『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』
香港の地でビジネスを行うアフリカ系商人たちの営みを記録している。本書でも彼らの裏切りが描かれている

なるほど……。調子が悪くなったら財布を狙う、というのはさすがにいやだなと思いますが(笑)、日本では人の性格や行動に対して、過剰なほどに一貫性が求められてしまう側面はありますよね。

小川 それって、ごく近代的な“監査文化”が生み出した価値観だと思うんです。いまやもう私たち誰もが、他者を評価して説明責任を求めるということを身体化してしまっているんですよ。春日直樹氏が書かれた『遅れの思想』に分かりやすく書かれています。

監査文化、というと?

小川 例えば、報告書や成績表といったなんらかの指標を用いて自分のパフォーマンスを管理者に説明するというのが分かりやすい“監査”ですが、それだけではなく、芸能人が浮気したときに謝罪会見を開くといった慣習も監査文化が生み出したものだと思います。テレビの視聴者やTwitterの投稿者として、みんなでみんなを評価して監査し合うというのがふつうになっている。

確かに、どうして他人の浮気を裁く権利が他人にあるんだろう、と思います。

小川 説明責任を常に求められる社会になると、あとから説明できるような行動を常にし続けていないのはおかしい、という考え方になりがちです。しかも、他者が他者を評価するという土壌の上に資本主義経済がうまく乗って、さまざまな“憧れの私キット”みたいなものを提供しようとしてくる。

コスメや洋服、あるいは職業や資格といった「こんな自分になれますよ」というバラエティ豊かなキットが売られていて、私たちはついその先に見えている“望ましい私”になるためにキットを買い、がんばってそれに追いつこうとするわけです。けれど、“望ましい私”は未来からの逆算でしか成り立たないので、常に先にいて永遠に追いつけない

すごく身に覚えがあります……。

小川 いま、それがもう限界値に達しかけていて、みんなしんどくなっているんだと思います。けれどそれは全世界的に起きているのではなく、資本主義経済と結託した社会特有のできごとなんですよね。資本主義経済は“私キット”を売れば売るほど儲かるから。

では例えば、タンザニアの人たちは“望ましい私”になるための努力についてどうとらえているんでしょうか? 理想の自分像が一切ない、という人は少ない気もするのですが。

小川 そうですね。もちろん私のタンザニアの友人たちも、努力するのはいいことだと言います。ただ、努力した結果としてなにか失敗をしたり人に迷惑をかけたりしても、関係のない人にまで説明責任を果たす必要はない、と語ることが多いです。迷惑をかけた人には当然謝るけれど、そうじゃない人に「あいつはだめなやつだ」と言われる筋合いはないと。

それに、そもそも一貫した自己というものが極端に規範化していないので、自分の意見や主義主張も違うと思ったら柔軟に変更する人も多いですね。相手の意見が真っ当だと思ったら「そうかも。ごめん、俺もきょうからそうするわ」と。

なるほど。カラッとした付き合い方なんですね。

小川 コロコロと意見が変わるとちょっと疲れますけどね(笑)。タンザニアの人間観は最高だから日本も見習うべきだ、というふうには決して思わないです。

ただ、日本で監査文化が浸透し過ぎてしまって、自分の権内と権外の区別がつかなくなっている人が多いのは怖いことだと思います。監査社会のなかでは、人は常に自分自身をコントロールすることを求められる。だから他者に対しても同じようにそのコントロール権が及ぶと思ってしまって、ネットメディアで見ず知らずの他者を過剰に叩いたりすることにもつながるように思います。

確かに、常に自分自身をコントロールしなくてはいけない、という空気は強く感じますね。

小川 コントロールしきれたらいいけど、本当は自分自身ってままならないものじゃないですか。私も「きょうはがんばろう!」と思っても寝てしまったりするし、急に風邪をひいたり急な相談をもちかけられたり、自分がコントロールしきれないことってたくさんありますよね。それを乗り切ったときに褒めてもらえるのではなく、「乗り切れるのが当然だ」と人に言われるのはしんどい……って私は思っちゃいますけどね。

本当にそう思います。コントロールできるのは当然だという空気が浸透しているのはつら過ぎます。

小川 本当にね(笑)。だから日本の人はすごいなあ、とは思うんですが……。「自分だってこんなにままならないんだから、ほかの人もたぶんそうだろう」と思えれば、誰かが大きな失敗をしたり信頼を失ったりすることがあっても、いずれまた付き合えるだろうとおおらかに受け止められるような気はするんですけどね。

変化を受け入れ、貸し借りのスパンを延ばしてみる

いまのお話ともつながると思うのですが、日本では職場にも監査文化が浸透しているのを感じます。例えば自分が仕事を病欠してしまったらすぐに挽回すべきと焦ってしまったり、逆によく休む人がいるときは自分だけ損をしている気になったりと、職場の人たちと常に貸し借りの帳尻を合わせようとしてしまうような……。

小川 確かに、日本の人は貸し借りのスパンをすごく短くとらえがちかもしれないですね。タンザニアの人たちにも決して借りの感情がないわけではないんですが、将来の見通しが不確定なので、そのスパンがもうすこし長いんです

「仕事を病気で◯日休んでしまったから、復帰したらすぐに◯日分は挽回する」という考え方って、借りを返すまでのスパンがすごく短いじゃないですか。でも、病み上がりでいきなり挽回するのって実際はすごく大変だと思うんです。タンザニアの商人たちの場合は「自分にもうすこし余裕ができたら周りを助けよう」という感じで、周りもすぐに借りをとりたてようとしないんですよね。

日本で言う「出世払い」のような感覚なんでしょうか。

小川 そうですね。その人が返せるときに返してくれればいいよ、という。日本にもそういった文化はあると思いますが、いまの私たちは“贈与”がとてもしにくい社会を生きていると感じます。つまり、親切心から人になにかをしてあげたりしてもらったりしたときに、本来はそれが返ってくるとは限らないのに「早く返してほしい」「早く返さなきゃいけない」と思ってしまう。

それは、もうただの交換なんですよね。常に未来を先取りしてプランを立てていくことに慣れていくと、贈与に対するお返しまでもがプランに組み込まれてしまうんです。そのスパンをすこしだけ伸ばして考えられたら、もうちょっと気楽になれる気がするんですが。

なるほど。いまのお話は仕事に限らず、人間関係全般に言えることだと感じました。

小川 人生の保険として人間関係の貸しをたくさん残しておくと、自分がいずれなにかで困ったときに周りを頼ることができますしね。日本の人たちはみんなまじめだっていうのは世界的な評判なんですが、「それが苦しいんだよ」って言うと「え~」って言われます(笑)。もうすこし気長に長期的なスパンから人間関係をとらえることができたら、それがいちばんよさそうですよね。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:小川さやかさん

小川さやかさんのプロフィール写真

立命館大学先端総合学術研究科・教授。専門:文化人類学、アフリカ研究。著書に、『都市を生きぬくための狡知』世界思想社(第33回サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』光文社、『チョンキンマンションのボスは知っている』春秋社(第8回河合隼雄学芸賞、第51回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)など。

Twitter:@machingirl2011

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*1:統一的な見解はないが、一般に政府の雇用統計に載らない零細な自営業や日雇い労働を意味する

「これは若手の仕事だから」にモヤッとしていい。職場に飛び交う“ずるい言葉”への対処法

『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』著者・森山至貴さん

「あなたのためを思って言っているんだよ」「これは若手の仕事だから、先輩の手が空いていても新人がやるべき」ーー。職場で上司や先輩といった立場の強い相手からかけられた言葉に「イラッ」や「モヤモヤ」したことはないでしょうか。でも、うまく言い返せずさらにモヤモヤしてしまう……。もしかすると、相手から「ずるい言葉」を投げかけられているのかもしれません。

森山至貴さんは差別やクィア・スタディーズを専門とする社会学者。著書『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』(WAVE出版)では、よく口にする、または耳にするけれどなんとなくモヤモヤしたり、イラッとしたりしてしまう言葉を「ずるい言葉」と定義し、「ずるい言葉」の実際の事例と対処法を、言葉の背景に隠されている問題も含めて解説しています。

今回森山さんには、職場でかけられがちな「ずるい言葉」に対し、なぜそんな言葉が使われるのか、そこにはどんな意図が隠されているのかを解説していただくとともに、ずるさに立ち向かう考え方のヒントについてお聞きしました。

※取材は、新型コロナウイルス感染対策を講じた上で実施しました

「相手の言葉がずるかったんだ」と思っていい

著書では、「ずるい言葉」の裏に秘められた思い込みや責任逃れ、偏見についての解説だけでなく、そんな「ずるい言葉」に立ち向かうためのヒントが書かれていて、若い人にぜひ読んでいただきたい本だなと思いました。

森山至貴さん(以下、森山) ありがとうございます。この本を書いた目的のひとつに、モヤモヤやイラッとする言葉を投げかけられたとき、まずは「自分は悪くない」と思ってもらいたい、という気持ちがありました。僕は普段、教員として大学で働いているんですが、学生さんたちとのやりとりで特に感じたこととして、「相手の言っていることがおかしい」と確信を持てない人も多くて。そのこと自体が解決を遠のかせてしまうケースもあるなと。

確かに「今の言葉、違和感があるな」と思ったとしても「私が間違っているだけなのかな」と気持ちを塞いでしまう人は少なくなさそうです。森山さんは差別問題やクィア・スタディーズの専門家でいらっしゃいますが、「ずるい言葉」に着目して本を書こうと思われたのは、どうしてだったんでしょうか。

森山 学生たちから受ける相談に「こんなことをバイト先の店長に言われて、悔しかったです」とか「サークルの先輩から言われたこの言葉がなんかおかしいなと感じたんですけど、言い返せなかったんです」といった話がすごく多いなと感じていたんです。よくよく聞いてみると、学生たちが言われがちな言葉っていつも似ているな、一定のパターンがあるなと思い、これをテーマに本を書いてみようと。

そういった言葉は全て「ずるさ」に通じるかもしれない、という思いがあったんでしょうか。

森山 そうですね。言葉をかけた当人に悪意がある場合とそうではない場合があるので、もちろん「ずるさ」にも度合いはあると思います。ただ、その「ずるさ」の多くは差別にゆるくつながっているんじゃないか、という感覚がありました。

というのも、そういった相談をしてくる学生の多くが女性であり、専門家の立場から見ると、これは女性差別の一事例だなと感じるものがすごく多かったんです。女性差別ではない場合でも、「この人はこうだから」というような、相手の属性に基づく一方的な決めつけから問題が生じているというケースが多くて。自分の思い通りに相手を言いくるめようとしたり、否定したりする言葉は、差別の話にも通ずると感じました。これは、差別が若者のすぐ身近に存在しているということなんだなと。

そんな「ずるい言葉」を言う大人に言いくるめられないための手がかりとして、若い人たちでも読んでもらいやすい本にしようと思い、著書では「10代から知っておきたい」という形にしたんです。

『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』書影
日常会話の中で「うまく丸め込まれて私が悪いということになってしまったけれど、やっぱり私はまちがっていない気がする」「私のことを思って言ってくれたとは思うけれど、なんとなく傷つく」とモヤモヤしてしまうのは、投げかけられた言葉が「ずるい言葉」だから、と本著では記されている

大人から子どもに、という状況はもちろんですが、私たち大人もこの「ずるい言葉」の攻撃を受けることって多々あるなと感じます。

森山 職場の上司と部下といった上下関係や、多数派・少数派といった形で力の不均衡があるような場合、より力を持っている側がそういった言葉を言いやすい立場になってしまうというのは確かにあります。だから、先輩や上司からずるい言葉をかけられた経験のある方は、大人でもとても多いのではないかと思います。

自分が立場の強い人、例えば仕事の先輩から理不尽なことを言われたときのことを考えても、「先輩が言っているんだし……」などと思ってしまいそうです。

森山 そういう方、多いですよね。自分は悪くないと思っていい、ということをこれまで言われてこなかったんだろうなと感じたりします。だからそういう方には、「あなたが間違っているわけじゃないから」って説得してあげるだけでもちょっと荷が軽くなるのかなって思ったんです。

僕の仕事は「なぜその人は悪くないか」を理詰めで伝えることなので、この本の中ではまずそのロジックを丁寧に説明することで、「そうか、悪くないのか」と納得してもらうことが第一歩なのかなと。そして日常的に投げかけられる言葉の「モヤモヤ」や「イラッ」の背景を理解し、晴らしていくことは差別を減らしていくことにもつながっていくと感じています。

「仕事ができるから頼むんだよ」「これは若手の仕事だから」──ずるい言葉への対処法

本の中で森山さんが挙げられていた言葉以外にも、職場や友人関係のなかで言われがちな「ずるい言葉」ってありますよね。仕事の場で投げかけられがちな言葉を例に、ずるさの理由と、立ち向かう考え方のヒントをお聞きできたらうれしいです。

case1:あなたは仕事ができるから、この業務をお願いしたいんだよ


「あなたは仕事ができるからついいろいろ頼みたくなってしまう」といった言葉にそそのかされて、自分のキャパシティ以上の仕事を抱えてしまう人って多いのではないかと思うのですが……。

森山 僕は大学教員なので、いわゆる上司にあたる人が常にいる立場ではないんです。だから少し想像も入ってしまうんですが、そういうことを言う人って、巧みにいろんな理由をつけていますけど、単純に断れなさそうで頼みやすい人に頼んでるだけなんじゃないか?っていうのはいまお聞きしてふと思いました。

それは大いにありそうです。

森山 もちろん明確に理由があって仕事を振っていることもあると思いますが、実は自分の面倒を減らすためにずるい言葉を使って、相手を丸め込もうとしている可能性はありそうです。

「誰にこの仕事を振るのか」で頭を悩ませるのが手間、という自己都合が隠れているとしたら……確かにそれはずるい。

森山 「私はそろそろキャパオーバーなので他の人にも声をかけてくれたらうれしい」と言えたらもちろんいちばんいいですが、そうやってストレートに言えたら苦労しないですもんね。なんて切り抜けたらいいんだろう。

即効性はないけれど、「私のことを買ってくださっているのはありがたいんですけど……」と折に触れて言う、というのはありかもしれません。おそらく「この人は私を高評価してくれているんだから、しんどい仕事でも引き受けよう」というやさしさにつけこまれているわけですけど、その高評価は常に議論のテーブルの下でこっそり切ってよいカードではない。「私を買ってくださっていることには感謝します」というポジティブな言葉を返すことでその高評価への収支をテーブルの上でいったん合わせてしまって、いざというときに備えておく、というのが現実的な対応かもしれません。

「議論の場をフェアにしておく」ための行動として、いろんな場面で応用できそうだなと感じました。

森山 職場でのやりとりって、実際には双方の気持ちが思いきりぶつかり合っているのに、ぶつかっているっていうことを認識できていなかったり、認識させようとしていなかったりするケースが多い気がします。そういったときに不利になってしまうのは、やはり立場的に下の方になってしまいがちで、「ずるいな」と感じてしまう。

ただ思っていることを双方がきちんとテーブルの上にカードとして投げ込んでいった方がやりやすくなるはずなんですよ。影で言うのではなく正面から、できれば角が立たないよう相手のカードをまず出させるというのは、職場でのひとつの交渉術としてありなのかなと思います。

森山さんの手元

case2:これは若手(新人)の仕事だから

あと、職場でかけられがちな言葉でずるいなと感じるものとして、「これは若手(新人)の仕事だから」というものです。本当はいろんな社員で分担した方が早いはずの仕事や面倒な仕事が、「若手の役目」という理由をつけられて押しつけられることって多い気がします。

森山 職場では「誰がやってもいいし、そこまで経験値もいらない」仕事というのもあると思うので、それをまだ仕事が少ない新人や経験値の少ない若手がやるべき、という考え方なのであれば合理性はありますよね。

そういう考えのもとで仕事を若手だけに振る場合は、なぜそうしているのかという理由を先輩や上司は伝えるべきだと思います。理由が明確なのであれば、「そのつもりでやります」と自分にも相手にも言い聞かせることができますから。

ただ、本来は気づいた人がやればいちばん効率がいいはずなのに、自動的に「若手の仕事」にさせられるケースがあるということですよね。そういうときは、難しいかもしれませんが「ぶっちゃけ、先輩たちが新人のときはこの仕事、どのくらいちゃんとやってましたか?」みたいなことをやんわり聞くのはありかもしれない。「ちょっとサボりながらやってたよ」みたいなことを正直に言ってもらえたとしたら、そのくらいの業務として引き受ければいいし。

その業務を毎回きっちりとこなせなかったとしても一大事ではない、ということを自分が思えていると、確かにすこしラクになりそうですね。

森山 自分にとってもですし、相手に「そんなに急がなくていい仕事ってことですよね」と釘を刺すのも意味があることなのではないかと思います。仮に、緊急度が高い仕事なのに負荷が毎回若手だけにかかっていて不当な状況になっているのであれば、その会話ですこし風向きが変わっていく可能性もあるので。

先程の「若手の仕事だから」ともすこし重なるんですが、例えばお茶を出すのは女性の仕事、といった性別を理由に押しつけられる仕事が存在するケースもありますよね。旧態依然とした企業だと「昔はそれが普通だったのに」というこれまたずるい言葉を吐く人もいたりして、なかなか理解してもらえないという話も聞きます。

森山 そういう仕事を断固としてやろうとしない人って、「これは男性/女性の仕事じゃない」と思っているからやらない……のではなく、やらないでいられることのラクさにあぐらをかいていたいから、「これは男性/女性の仕事じゃない」とあとから自分を正当化していることも多いんじゃないかと思います。

自分の仕事だと思えない、という体で振る舞っていないと「どうして気づいてるのにやってくれないんですか」と言われてしまうから、気づいていないふりをするという……。

なるほど。気づかないふりをしているというケースもあるのかもしれないというのは、いまお聞きして初めて思いました。

森山 鈍感なふりをする、というタイプの暴力ってあるんですよ。本当に邪悪だなと思いますね……。

case3:自分で選んだことでしょ

個人的に最近気になっているのが、「自分で選んだことでしょ」という言葉です。「あなたが好きで選んだ仕事なんだから、つらいって文句を言うのは違うでしょ」というようなケースで使われがちだなと思うのですが……。

森山 確かによく聞く言葉ですね。人の選択ってさまざまな外的な条件があってなされるもので、その条件のなかには不当なものも当然ある。そのなかでかろうじて選んだ立場や仕事を「あなたが選んだこと」と言い切るとしたら、それはちょっと視野が狭過ぎるなと。僕がもしそういうふうに言われたら、「じゃあ、どういう場合だったら自分で選んだとはいえないことになるんですか、その条件は厳し過ぎやしないか」って聞いてしまう気がします。

もうすこし話題の抽象度を上げると、なにかを選ぶことって権利だと思うんですが、権利と責任って世間が思うほど単純に結びついているわけじゃないと思うんです。なにかを選択することと、選択したことの結果をどの程度その人が引き受けなくてはいけないかは単純な一対一対応ではないはずで、それをどう対応させるのか考えるのが人間の知恵だと思うんですね。それを単純化して「あなたが選んだことの責任は全てあなたにある」というのは無理がある。

なるほど……。そういうふうに言う人は、実は選ぶ時点ですでに条件が不当なケースもある、ということが見えていないと考えればいいんでしょうか。

森山 見えていない場合もあれば、実際はそれが見えているけれど、「私は自分の力でその理不尽をはねのけたんだから、あなたもできるはずだ」と思っている場合もあるのかなと思います。いわゆる「自己責任論」というときには、意外と後者の方が多いのかなと。「私はやれたんだからあなたも文句を言うな」という……。その人がそれで自尊心を保っているような場合、「そうじゃなくてもいい」と言われると自己否定をされているように感じてしまうんでしょうね。でも、ゆるくても大丈夫という方向に舵を切っていった方が、基本的にはみんな幸せになれるはずだと思います。

「怒っちゃえ」というそそのかしをしていきたい

専門家だからというのももちろんあると思うのですが、お話をお聞きしていると、ずるい言葉に対する森山さんの怒りの反射神経みたいなものがとてもよいことに驚かされます。理不尽なことを言われたときにとっさに怒れず黙ってしまう人も多いと思うのですが、きちんと怒れるように準備しておく、というのも大事なんでしょうか。

森山 もちろん、おかしいと感じたらすぐに怒ることができるのは理想的だとは思います。でも、誰もがとっさに反論できるわけではないし、自分が頑張って強くならなきゃいけない、と思ってほしいわけでは決してありません。

ただ個人的には、口には出せないにせよ、心の中で「ムカつく」とか「それはおかしい」とぱっと思えた方がいいんじゃないか、とは思っています。理不尽なことを言われたとき、それに反発できる気持ちを心のなかで持っておかないと、自分が潰れていってしまうことも多いと思うので。

『10代から知っておきたいあなたを閉じこめる「ずるい言葉」』裏表紙
裏表紙では「あなたのためを思って言っているんだよ」「私には偏見ないんで」など、ずるい言葉がズラリ。著書ではこれらの言葉の問題点を会話シーンと合わせて解説している

確かに、それはおっしゃるとおりだと思います。

森山 怒りというのは気分なので、どんなときでも「ムカつく」と思えるわけではないと思います。僕は確かにどちらかというと「ムカつく」って反射的に思えるほうなんですが(笑)、それでもそう思えない気分のときもある。でも、心のなかで怒れるという選択肢があるのとないのとでは大違いなので、怒るのが苦手な人に「怒っちゃえ」というそそのかしをしていきたいという気持ちはいつもありますね。

『ずるい言葉』は怒るべきときに怒れるための材料を私がみなさんの代わりにアウトソーシングしておきましたっていう本なので、いままさに渦中にいる方とか、周囲になかなか人に怒れない友人がいる方が有効活用してくださったらうれしいと思っています。

もし自分が「ずるい言葉」をかける側になってしまったら……

最後にお聞きしたいのが、自分自身が誰かに「ずるい言葉」を言ってしまったときのことです。ここまでさんざん人の言葉をずるいと指摘してきて言いづらいのですが、自分自身にも、振り返ったときに「あの言い方はずるかったな」と思うようなことを言ってしまった経験があり、そういうときに自分をどう律していけばいいんだろうと悩みます。

森山 うーん……すこし思ったのは、そこまでがんばらなくても大丈夫じゃないかな、と。基本的には「言ってしまったことはきちんと謝って、次は気をつけよう」でOKというのが僕の感覚ですし、そういうことで悩み過ぎてしまう人は、おそらくそこまで無神経なことを言わないと思うので。

自分を律するのももちろん大切ではあるんですが、僕がむしろ自分のこととして気をつけているのは、周りが自分に「それはおかしいよ」と言いやすい関係を人と築けているかどうかです。自分がずるい言葉を誰かに言ってしまっているときって、悪意がない場合、ずるい言葉だと自分では気づけないわけです。それを自己批判の力で乗り越えるというのは僕には到底無理だと思っていて、それよりも、周りの人が「あれはほんとひどかったよ」「ずるいよ」って言ってくれるかどうかを気にした方がいいんじゃないかなと。

なるほど……どれだけ気をつけようと思っていても、ひどいことを言ってしまうことはありますもんね。

森山 うん、私たちは完璧な人間じゃないので、自分ひとりの力で自分を常にパーフェクトにすることはできないと思うんですよ。だから、パートナーや友達からなにも指摘してもらえなくなったら終わりだな、そうならないようにしようっていつも考えてます。人間はたぶんみんな、そんなもんなんじゃないでしょうか。

森山至貴さん

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
撮影:小野奈那子
編集:はてな編集部

お話を伺った方森山至貴さん

森山至貴さん

1982年神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻助教、早稲田大学文学学術院専任講師を経て、現在、同准教授。専門は、社会学、クィア・スタディーズ。著書に『「ゲイコミュニティ」の社会学』(勁草書房)、『LGBTを読みとく―クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)。

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生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

「性の話をもっと気軽にオープンに」をテーマに活動する、性教育YouTuber・助産師のシオリーヌさんに「生理と仕事」や「性のリテラシー」について伺いました。

「生理(月経)」による腹痛や頭痛、腰痛、気持ちが安定しないなど心身の不調に悩まされ、仕事のパフォーマンスに影響が出てしまう、といった方は少なくありません。

一方で「生理の話」はオープンにしづらいという認識が根強いこと、症状や重さには個人差があることなどから、生理がある人同士であっても「つらさ」を理解し合えないことも。

その背景には私たちが受けてきた「性教育」が不十分で、「人間の体と性」について知る機会が少なかったことも影響しているかもしれません。

※取材はリモートで実施しました

タブー視されてきた性や生理に「試行錯誤」している段階

「人間の体と性」について考えるにあたって、元をたどると「生理」をはじめとする「性教育」には、男女別に授業を受けさせるなど“隠すべき”という風潮があり、そもそも詳しく知る機会が少ないと感じています。

シオリーヌさん(以下、敬称略) おっしゃる通り、日本は生理を含めて「性」に関する話題を避ける傾向が強くて、必要な知識が得づらいんです。この問題を解消するには、学校の授業など基本的な教育を充実させることが重要なんですが、現在文部科学省が定めている学習指導要領では難しくて。

例えば、中学校の保健体育では「受精・妊娠を取り扱うものとし,妊娠の経過は取り扱わないものとする」と定められているので、性行為や正しい避妊方法、中絶のことといった具体的な知識が伝えられないんです。

確かに子供の頃を思い返すと、「性」の情報は学校で習うものではなく、こそこそと隠れながら少し“マセた”友達や、マンガなどから得ていた記憶があります。ただ、その環境が当たり前だったからか、“タブー視”や“隠すもの”という感覚も分かるんです。

シオリーヌ むしろ現在は、ほとんどの人がインターネットにつながるデバイスを持っている時代なので、隠してもいくらでも性に関する情報が手に入るんですよ。

そうか、当時よりも手に入る情報の量は増えてスピードも早くなっているんですね。でも、依然として学校での性教育は不十分なままで。

シオリーヌ はい。だからこそ性に関する情報を包み隠すのではなく、必要な知識をきちんと伝えてしまった方が、リスクを正しく理解できると思うんです。

信憑性のない情報に触れることは、リテラシーにばらつきが生まれたり、「性」と「体」について歪んだ認識を持ったりして、自分や他者を傷つけることにもつながりそう……。

シオリーヌ 性教育だけでなく、メンタルヘルスに関しても教育が行き届いていないため「うつ病は甘え」や「精神科は“危ない人”が行くところ」といった誤解を抱かれがちなんです。体についても心についても、情報の少なさや、教育の行き届いてなさを感じます

そもそも、日本の現行法では性行為の同意能力があるとみなす性的同意年齢の下限が「13歳」とされているんです。これだけ学校教育で性のことについて隠されている現状がありながら、です。

生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

なるほど……。こういった性教育の乏しさは、日本特有なのでしょうか?

シオリーヌ 特有というわけではないですが「遅れをとっているな」とは思いますね。

人間の性と生殖に関する権利、自分の体のことを自分で決める権利を尊重する「SRHR(セクシュアル・アンド・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」という言葉があるのですが、こういった考えを養おう、意識を根付かせようという国では性教育もすごく大切にされている印象があります。

そうなんですね。日本でも最近は、個人や企業による生理や性に関する発信が活発化していて、SNS・動画などは盛り上がっているように思います。一方でよく「炎上」もしている気がしていて……。発する側と受ける側で意識がすれ違っているといいますか。

シオリーヌ まだ試行錯誤の段階なんですよね。ずっとタブー視されていたものに、どうにかスポットライトを当てたい人が増えてきている中で、今まで関心を持ってこなかった人たちにも届けるにはどうしたらいいんだろう、といろいろ試している。

そもそも人権の問題や権利のことを十分に学習できていなくて「間違える」ことは多くの人にあると思うんです。私も、すごく気をつけてはいるけれど、差別的な発言を絶対にしない、なんて約束はできなくて。

大事なのは「間違え」にいろんな意見が寄せられたときに、「どこが良くないと思われたんだろう」「どういうものが求められていたんだろう」とみんなで学び直して、さらにいいものをつくるためにどうしたらいいか知恵を絞り合っていくこと

だから、たとえ何かで炎上してしまっても、生理や性に関する分野に二度と帰って来られない社会にならないといいなと思っています。

「やっぱり触れるのはやめよう」と萎縮してしまうと残念ですよね。

シオリーヌ そうですね、悲しいです。過去に「間違えてしまった」コンテンツの中にも、言葉の使い方や伝え方がまずかっただけで、やろうとしていたこと自体は意義のあるもの、というのもありましたから。

正しい情報から「体」のことを知って

生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

「生理」というと主に女性の体の機能・特徴・悩みだと思うのですが、逆に男性ならではの「体の悩み」にはどういったものが多いんでしょうか。

シオリーヌ 生理のように具体的な症状があるわけではないですが、私が思春期の子たちから相談を受けて、女性を含めて幅広く知ってもらいたいのは「包茎」についてですね。

「なんとなくかっこ悪いらしい」という雰囲気から笑いのネタにされがちでコンプレックスを抱いている方も多いんですが、日本では約7割の人が手を使えば包皮をむける「仮性包茎」と言われていて*1、海外だとむしろその状態がノーマルと認識されているんですよ。

排尿や性行為の際に支障を来さなければ機能としては何ら問題ないし、まったくもって正常なので何も恥じる必要がないのに、お金をかけて手術する人もいて。こういったことも「正しい性教育」の一環として伝えられる機会があった方がいいと考えています。

思春期の子も、「性教育」が不十分なまま大人になってしまった私たちも、そういった自分の体や自分以外の体について、知らないことを知ろうとしたときにどういう情報を選ぶべきでしょうか。

シオリーヌ その情報を発信している人の身元がはっきりしているかどうかは、一つの基準になると思います。医療的な専門知識があるかどうかや、名前や所属を提示しているか、などですね。

最近はコラムを発信している病院も多いですが、医療者にもいろんな人がいて独自の医療に取り組んでいる場合もあるので、あくまでも一般的な標準治療に取り組んでる病院かどうかも、大事な視点かなと思います。

生理がある人でも、他者の生理のことは分からない

シオリーヌさんは学校や企業など、子どもから大人まで幅広い年代に向けて性教育に関する講演をされていますが、「生理」について伝える中でどのようなことを感じていますか。

シオリーヌ 男性だから、女性だからといった性差で理解度が異なるのではなく、一人一人のリテラシーに委ねられている印象が強いです。

生理を経験している人は、自分の生理についてはよく知っていると思います。しかし仕組みをよく理解しているか、それによってどのような症状が引き起こされる可能性があるのか、どういった個人差があるのかなどは、詳しく知らないことのほうが多いんです。

生理の仕組みを解説する、シオリーヌさんの動画

生理痛がほとんどない同性から「生理なんかで休むの?」と言われた、という話も聞いたことがあります。症状や経血の量、期間、PMS(月経前症候群・生理前に起こる心身のさまざまな不調のこと)の有無など、なぜこんなにも人によって差があるのでしょう。

シオリーヌ それはもう「ヒト」という生き物には当たり前に個体差がある、としか言いようがないと思います。身長も体重も体の機能も全てに個人差があって、同じように生理にも個人差がある

一方で、あまりに生理痛がひどい場合は、子宮内膜症など何らかの婦人科疾患が隠れているケースもあるので、一度婦人科に相談することをおすすめしたいです。

普段なかなか行く機会がなく、抵抗がある方もいると思うのですが、疾患に気付かず「生理が重いだけ」と考えている人は多いと感じますか。

シオリーヌ そうですね。「生理痛は重くて当然」だったり、「貧血でフラフラになりながら頑張って学校や会社に来てるのは私だけじゃない」と思っていたりという方は多いです。みんな我慢しているんだろう、と思って我慢し続けている。経血の量なんて、自分のものしか知らないから、多いのか少ないのかなんて判断できないですしね。

私自身、低用量ピル(服用することで妊娠と月経をコントロールできる薬。生理痛やPMSを軽減する効果も)を飲み始めて症状がラクになって初めて「私って生理が重かったんだ」と気付いたんですよ。生理が軽い人は普段こんなにラクだったんだ、とビックリしました。「生理が日常生活を邪魔している」と感じている場合は治療対象なので、まずは婦人科へ、ですね。

「しんどい」人がみんな休める社会になれば

「生理」を含めた「性」や「体」について理解が深まることで、心身のつらさを感じている人が休みやすい社会になればと思うのですが、そのためには具体的にどういうコミュニケーションをとっていけばいいでしょうか。

シオリーヌ 会社であれ、パートナー同士であれ、自分の考えを「理解」してもらうために言語化して伝えることも、相手の考えを「理解」するために普段関わりのないことに耳を傾けることも、どちらもとても負担になるコミュニケーションなんですよね。なので、まずは「メリット」を理解してもらうのがいいんじゃないかなと思います。

「メリット」と言うと?

シオリーヌ 例えば会社だったら、働く人たちみんなに生理に関する基礎知識があれば、生理痛で突然休むことを「必要な休暇」と捉えられるし、嫌な反応が返ってくることはなくなる。そうすると、しんどいときに「休む」と言いやすい場所になる

誰にも責められず必要な休息を取ることができれば、職場に愛着が生まれるし、もしかしたら優しくしてくれる人たちのためにもっと頑張ろうと思えるかもしれない。

生理がない人も、基礎知識があれば「時々休む人」がサボっているわけではなく具合が悪かったんだと理解できて、同僚に対する不信感が拭われる。誰にも責められずゆっくり「生理休暇」を取る同僚の姿を見て、自分が体調不良のときも無理しないで休もうと思えるかもしれない。そういったことを積み重ねていくと、きっとどんな人でも働きやすい場所になると思うんです。

生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

生理に限らず「体」は個人差があるのに、なぜ自由に休みづらいんでしょう。

シオリーヌ あくまでも憶測ですけど、日本の社会で働いている人たちはみんなある程度「つらい」んだと思います。仕事が忙しくて睡眠時間が足りないとか、ワンオペ家事育児なのに仕事も頑張らないといけないとか、人付き合いが面倒くさいけどやらざるをえないとか。

ちょっと「つらい」中でみんな頑張って働いているから、だからこそ「つらい」という理由で休む人を見ると、じゃあ俺も休みたい、私も休みたいってなるのかなと。我慢して働かないと、仕事が回らないと思っている

確かに……。

シオリーヌ 実際、「つらい」「しんどい」人がみんな自由に休んだら立ちいかなくなるような、人の我慢の上に成り立っている会社ってすごく多い印象です。私も昔は総合病院で働いていたので、出勤予定だったスタッフが一人休むと、ほかの人がめちゃくちゃ困る、という場面はよくありました。

だから、休みたいときに休める人を妬んでしまう気持ちも分かるんですが、その問題を根本的に解決するには、本来は企業の環境整備が必要なんですよね。

根っこをたどると人材不足や、働き方の効率などの問題につながると。

シオリーヌ だと思います。「生理がつらかったら休んでもいい」と限定するのではなく、働いている人たち全員、心身ともにしんどいときは休めた方がいいんですよ。

新型コロナウイルス感染症が流行して以降、体調不良に対しての考えが少しだけ変わった印象があります。少し前まで「風邪でも薬を飲んで元気に会社に行く」といったTVCMばかりでしたが。

シオリーヌ 心身に関するメッセージって、ポジティブであろうとするからか根性系が多いんですよね。生理だと「痛くても頑張ろう!」だし、栄養ドリンクは「眠くても頑張らなきゃいけない君へ」。眠いなら寝た方がいいのに。でもそれだと商品が売れないか(笑)。

選択肢を知り、自分で選ぶための「性教育」を

生理をはじめとした心身の不調に理解のない職場や同僚の場合「休む理由の開示」が求められて、プライバシーを明かさないといけないこともあると思っています。そこが生理で休む難しさだな、と感じていて。

シオリーヌ もちろん、心理的安全性が確保されていない場でプライベートなことを明かす必要はないと思っています。だからその場合は、生理だと言わずに休暇を取る、ということになるでしょうね。

生理がある人もない人も「しんどい」ときは休める社会に。性教育YouTuber・シオリーヌさん

個人的にも、休む際に「今自分が生理である」と知られるのは、やっぱりどうしても抵抗があります。

シオリーヌ それならば隠して全く問題ないと思いますよ。私は「性のことをもっと気軽にオープンに話そう」をテーマに発信していますが、決して個人のプライベートな性の話をオープンに話しましょう、と言っているわけではないんです。

一般教養として性の知識を気軽に学べる環境を作りたい、と思っているだけなのに「性の話」と聞いて「一般教養的な性の話」と「個人的な性の話」をごっちゃにする人ってすごく多くて。

学校をはじめとした公の場で、生理の仕組みや、避妊法の種類とそれぞれのメリットやデメリットなどきちんとした性教育を受けられて、悩んだときには気軽に婦人科に行って相談できるようになってほしいだけなんです。

例えば先ほど少し触れた低用量ピルも、中学や高校の授業で「生理痛を軽減する方法」として教えてもらえることなんてなくて。

確かに、私も社会人になってからネットで知りました。

シオリーヌ 大事なのはどういうふうに服用するもので、飲むとどんなメリットや副作用があるのかを知ること。その上で自分の生活や体質に合うかを考慮して「飲む」「飲まない」の選択をするのは個人の自由なんです。

そもそも性に関することって選択肢を知らなかったがゆえに選べていないことがたくさんあると思っていて。だからこそ私の動画やSNS、本などの発信で、自分に与えられている選択肢をよく理解して、自分の意志で選び取れる人が増えてくれたら嬉しいなと思っています。

取材・文:朝井麻由美
編集:はてな編集部

『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』著:シオリーヌ

『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識』書影

イースト・プレス刊

生理、妊娠、避妊、射精、性的同意、女らしさ・男らしさ、ルッキズム、セクシュアリティ、SNS付き合い…性教育YouTuberシオリーヌが伝えたい、明るく正しく具体的な「性」の話。

▼ 詳細:CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識

お話を伺った方:シオリーヌ(大貫詩織)さん

シオリーヌ

助産師/性教育YouTuber。
総合病院産婦人科、精神科児童思春期病棟にて勤務ののち、現在は学校での性教育に関する講演や性の知識を学べるイベントの講師を務める。
性教育YouTuberとして性を学べる動画を配信中。
オンラインサロン「yottoko labo」運営。
著書に『CHOICE 自分で選びとるための「性」の知識」(イースト・プレス)。

YouTube:【性教育YouTuber】シオリーヌ
Twitter:@shiori_mw

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リモートワークの普及で、働き方はどう変化した? 緊急事態宣言解除から半年の今考える

これからの働き方を考える座談会

新型コロナウイルスの影響で、多くの人が働き方を変えざるを得なかった2020年。特に、4月に発令された緊急事態宣言によって、さまざまな企業が在宅勤務(リモートワーク、テレワーク)を導入したり、時差通勤を推奨したりするようになりました。

働き方の急激な変化に伴い、離れた相手といかに円滑にコミュニケーションしていくか、リモートワークのための仕事環境をどう整えるか、出社が必要な場合はどうするかなど、一度にたくさんの課題に向き合いながら、新しい働き方を模索してきたという人は多いでしょう。

5月末の緊急事態宣言解除から約半年がたった今は、以前に比べリモートワークも浸透し、企業によってはさまざまな働き方の選択肢が用意されつつあります。そこで今回は、企業で働く3人の女性による座談会を実施。ここ半年間の働き方を取り巻く変化について伺いながら、これからの働き方について考えました。

***

【参加者プロフィール】

長野さん

長野さん(仮名): 31歳。夫と2歳の子どもと3人家族。Webアプリ開発企業の企画職として5年勤めている。

木下さん

木下さん(仮名): 29歳。両親と実家暮らし(2020年9月までは一人暮らし)。Webサービス系企業で新規事業企画・営業企画を担当。入社して8カ月目。

山口さん

山口さん(仮名):31歳。夫(2020年11月に結婚。それ以前も同棲)と二人暮らし。SaaS系企業のカスタマーサクセス職兼マネージャーとして3年半在籍。現在妊娠中。

※取材はリモートで実施しました

オフィスで働くのが当たり前の状況から、完全なリモートワークに移行

緊急事態宣言解除から半年以上たちますが、現在(※2020年12月の取材時点)、みなさんどういった働き方をされているのでしょうか。

長野さん(以下、長野) 今は週5フルでリモートワークをしています。

山口さん(以下、山口) 私も2月から完全なリモートワークになりました。コロナ流行後、出社したのは1~2回です。

木下さん(以下、木下) 私は1月に転職を決めて、4月から今の会社で働き始めました。転職後は数回出社しましたが、以降はほぼリモートワークです。

会社として、以前からリモートワーク制度は整っていたのでしょうか? また、みなさんご自身は過去にもリモートワークの経験はありましたか?

長野 制度としてはあったものの、利用できるのは何か事情がある場合で、全社的にも「オフィスに来られる人は来ようね」という雰囲気でした。私の場合は妊娠中に初めてリモートワークの制度を活用し、復帰後も子育てのために週1回程度利用していました。

木下 コロナ流行前は、会社に行く働き方が当たり前でしたよね。私の前職でもリモートワークは「介護や育児などの特別な事情がある方がイレギュラーで使う制度」という認識だったので、私自身は利用したことがありませんでした。

山口 うちの会社では、将来災害などで長期出社できなくなることを想定して、意識的に「リモートワークという働き方に慣れていこう」という取り組みがあったように思います。とはいえ、出社ベースの働き方をしている人が大半ではありました。私自身は消防設備点検の立ち会いや、荷物の受け取りがある時など、以前から必要に応じて月に数回程度リモートワークにしていました。

長野さん
長野さん

仕事部屋、メリハリのつけ方……自宅で仕事をしやすくする環境作り

みなさん、もともと在宅でお仕事できる環境を整えていたのでしょうか? 家族がいる中で、仕事のスペースをどう確保しているのか気になります。

山口 自宅で作業できる環境はありましたが、わが家は夫もフルリモートになったので、それぞれ別々の部屋で仕事できるように環境を整えました。Web会議があるときなど、お互いに気を使わなければいけないので。

長野 当初からいつまでこの状況が続くか分からなかったので、自宅での仕事環境をどこまで整えるべきなのか迷いました。結局、今もダイニングテーブルにパソコンを置いて作業しています。

木下 リモートワークを開始した時は都心で一人暮らしをしていたのですが、最初の数日は、ローテーブルで床に座っての作業でつらかったです。その後机と椅子を購入して、在宅で作業できるようにしました。

みなさんはある程度リモートワークの経験があった方が多いですが、そうでない方にとっては、突然のリモートワーク導入はより課題が多そうです。

長野 そうですね。一人暮らしの同僚には「自宅にインターネットすら引いていない」という人もいました。

山口 知人の会社では「社内では大きなデスクトップパソコンを使っていたので、まずはシステム部がみんなのノートパソコンを買いに走った」などという話もあったと聞きました。

自宅で仕事をすると、仕事とプライベートの境目があいまいになったり、気持ちの切り替えが難しくなったり、といった懸念もあると思います。メリハリのつけ方などで何か工夫したことはありますか?

長野 私はいつでも働ける状態だと働き過ぎてしまうタイプだと気付いたので、それぞれのタスクに目標時間を決めて、メリハリをつけるようにしました。あと、お昼休憩中は必ず外に出るようにして、気分を切り替えています。

山口 フルリモートになってから、通勤時間が気持ちの切り替えに一役買っていたことに気がつきましたね。家では集中力が途切れると、コーヒーを入れて一息ついたりしています。あとは、夕飯を食べてからまた仕事に戻る、といったことはしないようにしました。

木下 私も集中できないときは割り切って、無理に残業などしないようにしました。あとは集中できる曲のプレイリストを見つけたり、気分転換に好きな飲み物を用意したり。

木下さん
木下さん

互いの顔が見えづらい、リモートワーク下の働き方で工夫したこと

完全なリモートワークに切り替わった際、会社からなんらかのサポートはありましたか?

木下 リモートワークの長期化が見えてきた5月上旬に、希望者へモニターの配布がありました。

山口 うちの会社では、まず環境設備のためという名目で特別手当金が全員に支給されました。また、半年に一度支給されていた定期代が廃止となり、代わりにリモート補助金が毎月支給されています。

木下 毎月の補助金、いいですね! うちは定期代は廃止されおらず、従来のままの運用です。まだ出社を必要とする部署の方もいるため、新しい制度を作るにしてもなかなかサポートを平均化しづらいのではと思っています。

長野 うちはモニターなどリモートワークのために購入したいものがある場合、申請が通ればその分のお金が支給されるというシステムでしたね。

あとは制度ではありませんが、子供の保育園が登園自粛になった時、働ける時間が短くなることへの理解があったのが助かりました。

会社によって、サポート体制はさまざまですね。リモートワークになってから、日々の業務はスムーズに進みましたか?

山口 社内システムはクラウド上で動いているので、インターネット環境さえあれば自宅からでもつないで仕事することができ、スムーズでした。

長野 うちも日常的にSlackなどのチャットツールに慣れていたので、同僚とのやり取りが滞ったことはなかったですね。ただ、採用活動だったり、4月に新入社員が入ってきたりしてからは、全社的に「どうすれば一体感を出せるのか」と悩んでいた時期はありました。

山口 今年は新人研修などがリモート下になり、例年のようにいかずに難しい面がありましたね。うちの会社でも、新入社員にはOJT担当とメンターが各自ついて、なるべく細やかにケアしていました。例えば上司とは必ず週に一度は1on1で会うようにする、Slackに専用チャンネルを作って何でも相談しやすい環境にしておく、などです。私も普段から、なるべくささいなことでも自ら社内チャットで発信するようにしています。

長野 うちも新入社員のために、ずっとつなぎっぱなしにしているZoom部屋がありました。特に緊急事態宣言の時にはメンタルのケアを気にしていましたね。夜はそのZoom部屋で飲み会をしたり……。

木下 お二人の会社の新入社員の方がうらやましい! 私も今思えば、実家に帰る前は少し鬱(うつ)っぽくなっていたのかもと思います。もともと家族の仲がいいので、実家で過ごすようになってからは精神的な面でも支えられています。

相手の顔が見えづらいリモートワークにおいて、やはりコミュニケーションは課題だったのでしょうか。

木下 特に入社した当初は、上司や同僚に分からないことをたずねる時、口頭で聞けば30秒で済むものをSlackで「お忙しいところすみません」と質問していました。意思疎通は難しく感じましたね。

長野 リモートワークになってから、やはりオフラインでの偶発的コミュニケーションは仕事に生きる場面があったな、とあらためて感じました。ただリモートワーク下でも、意識的な交流を心がけてはいます。例えば私の場合は「会議中」「休憩中」など、自分のステータスがみんなに分かるようにオープンにしています。「会議行ってきます」「今日のお昼は何を食べます」などとやりとりすることで、一緒に働いているという雰囲気を共有できるので。

山口 会議の時間については、要件をまとめて話すだけなのでコンパクトになった気がします。ただ、短縮されて良い面もある一方で、前後の雑談がなくなったのはさみしいところです。

社外の方とのコミュニケーションの面ではいかがですか? 相手の業種によっては、リモートワークの導入状況にもばらつきがありそうです。

木下 クライアントとオンラインでワークショップをしたときに、ツールの使い方から説明をする必要があったり、ネット環境が不調でなかなか進まない、といったことはありましたね。

山口 私は職種柄クライアントと接する機会が多いんですが、特に初めのうちは、使いたいツールが相手の会社の都合上使えないなどいくつかのハードルがありました。ただ時間がたつにつれてどの業種の方にも、徐々にリモートワークの環境が浸透してきているなという実感はあります。

クライアントへの往訪がなくなったりもしますよね。

山口 そうですね。実は地方の企業の方が、リモート体制の導入がスムーズな印象でした。もともと往訪がないことに慣れているのでWeb会議にも抵抗なく、オンラインでのやり取りがしやすかった気がします。

アポイントも格段に取りやすくなりましたね。往訪にかける時間がない分、良くも悪くも、件数的には詰め込むことができるようになったと思います。

出社していた頃と比べて、リモートワークは集中力や効率の面でどうですか?

長野 タスクの種類によりますね。黙々とコードを書くとか、分析をするだけのデスクワークは自宅の方がはかどります。逆に他部署と調整が必要な業務などは、出社の方がスムーズです。

木下 集中したい内容の仕事は、私もリモートの方がいいなと思います。

長野 会議はやはり、細かい内容になってくればくるほどオンラインだと難しい。現場にいると、リアルタイムでホワイトボードに図を書いたり、全身を使って空間を共有しながら話せるじゃないですか。Zoomでもホワイトボードのような機能はありますが、なかなか伝わりづらい。うちの会社のあるチームでは、各自スケッチブックに書きながら説明したりして工夫しています。

山口さん
山口さん

出社とリモートワーク、それぞれの良さを柔軟に選択できる社会に

今後もリモートワークがメインになっていくと、働き方が根本的に変わってきそうですね。

木下 通勤時間を別の時間に当てられるようになったり、体調が悪いときにも、自分のペースで仕事がしやすいのはよかったです。あと、これまでは都内の便利なエリアに住みたいと思っていましたが、出社がデフォルトでなくなると「都心部に住まなくてもいい」と思うようになり、居住地の選択肢が増えました。実家に帰るという判断ができたのも、そのおかげですね。

山口 実は個人的なことですが、最近妊娠していることが分かったんです。このような状況下なので、在宅で働けて安心でした。

長野 私の場合、リモートワークは子供の送迎時間の短縮になるので、本当にありがたいと思います。あとは休憩時間にサッと買い出しに行けるのも助かっています。あと、これまでは持ち帰ってきた仕事を夜遅くまですることもありましたが、今はその時間を自分のために使えるようになりました。スキルアップのために英会話を始めたり、開発言語の勉強をしたりしています。

ちなみに、みなさんの周囲の方の間では、リモートワークの普及は進んでいますか?

長野 実は今回肌で感じているのが「フルリモートで働く私たちはまだまだ少数派」ということです。知人や友人の会社で、部分的にリモートということはあっても、フルリモートで働いているという話は今もあまり聞かなくて。

木下 私もそうです。友人の会社では「緊急事態宣言が解除された翌日から出社に戻った」という話も聞きました。

山口 出社せざるを得ない業種の方がたくさんいるのは理解しています。他にも家庭の背景や生活環境などのさまざまな事情により在宅で仕事しづらい方もいるので、リモートワークに対する温度感の違いは当然出てくるかなと思います。

今後また出社できる状況に戻っていったとしたら、どんな働き方をしていきたいと思いますか?

長野 私は週2出社、週3リモートくらいがバランス的にいいなと思います。やはり出社すると発見があるし、仲間と同じ空間で働くことも大事。将来的には、子どもの成長に応じて出社できる時間を増やしていけたらなと思います。

木下 私も出社は週2くらいがベストかなと。リモートワークの良さも実感しましたが、日常に戻れば終業後に同僚と飲みに出かける楽しみなどもあると思います。そしてそういう状況になれば、また都心で生活をしたいと思うのかもしれません。

山口 今年は花粉症の時期に出社しなくてよかったし、梅雨も長かったので、リモートワーク中心の生活で助かった部分もたくさんありました。ワーケーション(※編集部注:リゾート地などでリモートワークをしながら休暇を取ること)を駆使している方の働き方にも刺激を受けましたね。季節や状況に応じて、その都度働きやすいところで働く、という選択肢があればいいなと。今回の経験を生かして、そういったことに柔軟に対応できる社会になっていけばいいなと思います。

取材・文:遠藤るりこ
イラスト:アベナオミ
編集:はてな編集部

※座談会参加者のプロフィールは、取材時点(2020年12月)のものです

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新型コロナで変わる同僚や家族との距離 人類学者・磯野真穂さんと「他者との向き合い方」を考える

磯野真穂

新型コロナウイルス感染症の流行による働き方の変化や外出自粛の動きを受けて、社会全体で“他者との付き合い方”が変わってきています。職場の人や友人たちとの距離は以前より遠く、反対に、同居する家族との距離は近くなったことで、私たちが人間関係で悩むポイントもこれまでとは違ったものになってきました。

ビデオ会議やチャットツールなどを使ったオンラインでのコミュニケーションに慣れない。家族と顔を合わせることにストレスを感じるようになってきた――。そんな方もいるのではないでしょうか。

大きく変化した環境のなかで、同時に変化しつつある“他者との関わり方”にどう向き合っていけばよいか。「予測できない未来を人が他者とともにどう生きるか」を研究している文化人類学者の磯野真穂さんと一緒に考えてみました。

※取材はリモートで10月下旬に実施しました

画面上で切り取られる部分が“身体”になる

新型コロナの影響で勤務形態が変わり、対面で仕事をする機会が減ったという方も多いです。磯野さん自身は、新型コロナの影響で働き方に変化はありましたか?

磯野真穂さん(以下、磯野) 実はたまたまこの春に長く勤めていた大学を退職した影響で、学生や教員と会う機会は減って、外部の方と会う機会はむしろ以前より増えましたね。

ただこの取材のようにオンラインで、というケースももちろん多いです。現在は別の大学で非常勤講師をしていて、オンラインで演習を実施することもありますし。夏からは、Zoomを使ったオンライン講座も始めました。

「他者と関わる」と題した人類学の講座ですよね。磯野さんのご専門である文化人類学は、まさに今回お聞きしたい、“他者”について掘り下げていく学問というふうに理解しています。

磯野 そうですね。人間はひとりでは生きていけないということを前提に、他者……人間に限らず動物や植物でもいいんですが、「自分ではない人やものごと」とどうやってともに生きているのかを明らかにしていく学問と私は捉えています。

人類学は「◯◯すると人間関係が劇的に改善します」というライフハックは提供できません。その代わりに「他者と関わる」とはどういうことであるかを、対象の観察や聞き取りといったフィールドワークを通じて明らかにしていきます。

今日は新型コロナの影響で変化する「他者との関わり」について磯野さんにヒントをいただきつつ、私たちもどう「他者と関わっていくか」を一緒に考えていきたいなと思っています。改めて、磯野さんは仕事上のコミュニケーションがオンライン中心に移行しつつある現状を、どう捉えていますか?

磯野 Zoomなどのビデオ会議ツールがコミュニケーション手段として多く利用されるようになってから、“隠す”場所と“見せる”場所が変わったなと感じています。

これまで、人と対面して会話するときは全身を整えなければいけなかったけれど、それが画面に映る上半身だけでよくなった。私もいま、上半身は“ちゃんと”しているけど、下はパジャマかもしれないわけで。

その代わりに、これまではプライベートな空間として隠すことができていた、自分の部屋を人に見せる機会が増えてきた

この人こういう部屋に住んでいるんだ〜とか、本棚に本がいっぱい!とか、これまでは仕事だけの付き合いだったら見えなかった部分ですよね。

磯野 ある意味、人の身体の境界が変わってきたのかもしれない。画面上で切り取られている画角こそが“身体”になってきたというか。

カメラに映る背景に花を飾ってみたり、上半身がよりよく映るようにライトを当ててみたりするのは、服やメイクでおしゃれをするのと同じだと思うんです。その部分は大きく変わったな、と思っています。

新型コロナで変化する同僚や家族との距離 人類学者・磯野真穂さんと考える「他者」との関わり方

先ほどお話しされていたオンライン講座では、対面でないことで受講者とコミュニケーションのとりづらさを感じることはありませんでしたか?

磯野 私もやってみるまでその点を心配していたんですが、意外とZoomでも臨場感がある、と言ってくださる方が多くてホッとしています。

ただ、それは私が講師という立場で、受講者はなにか聞かれたら発言するという、お互いに役割が限定された空間の中だからできたことかもしれません。これが例えば、役割が与えられていない10人がバラバラに発言する場だったら、もう少し印象が変わってくると思います。

生身の身体が目の前にない状況では、ちょっとした視線の動きや仕草によるコミュニケーションがとりづらくなるので、ゼロからともに場をつくっていく、ということは以前より難しくなっているかもしれないと感じます。

自分自身が人からどう見られているかが前よりも分かりにくくなったという変化もあるような気がします。オンラインでのコミュニケーションは、相手が退屈そうにしているとか眠そうにしているといったネガティブな反応が伝わってきにくいな……と。

磯野 なるほど。この前、大学生たちにオンライン授業の感想を聞いてみたら「画面をオフにすれば先生からは一切見られないので、評価を気にしなくていいから気楽です」と言う人がそこそこいたんです。ネガティブな反応が伝わりづらい、というのはそういうことですよね。

もちろん反対に、オンラインだと緊張感や張り合いがないから対面の方がいいという人もいましたが。

「ネガティブな反応」が伝わりづらいことを良しと感じるか、悪いと感じるかは人それぞれということですね。人から見られない状況が気楽だという気持ちもとても分かります。

磯野 人から見られることってある種のストレスなのは間違いないんです。でも、同時にとても社会的なことでもある

だから「見られないから楽」というのは当然ではあるものの、社会的な交流の一部を自分から捨ててしまっているとも言い換えられます。……もちろん、どちらが良い・悪いということではなく、新型コロナによって生じた環境が人間の身体のあり方を大きく変えていっているんだろうな、とは思いますね。

人間関係には「適切に離れる」ことも大切

家にいる時間が増えたことで家族やパートナー、同居人といった「同じ空間に住んでいる人」との距離はぐっと近くなりました。DVの被害件数が増えているという話も聞きますし、新たな問題が生まれているのを感じます。

磯野 感染予防の観点から外出を控えることで、同じ空間に住んでいる人との距離が過剰に近くなってしまったという問題はたしかにあると思います。

特に東日本大震災以降、日本では「絆」や「つながり」という言葉がさかんに使われるようになりましたが、適切な「人間関係」を築く上では、離れていること、距離を置くことも大切なんです。

例えば伝統的な生活をしている人々は近くに住み協力し合っていて、「個人」という概念はあまり存在しないと考えられてきました。しかしインドネシアの西パプアに居住するKorowaiと呼ばれる民族は、個人と個人の境界がゆるいどころか、他者性を強く意識し、距離をとって暮らしていて、各家族の家を離れた場所に建てているそうです。その一つの理由は大変シンプルで、距離があることが程よい関係性を作ることができるからです。

確かに「家族」でも「民族」でも、結局、自分以外は「他者」なので近過ぎると関係性が悪化しそうです。私の周りでも、新型コロナをきっかけに同居する家族との関係が悪くなってしまったという話をよく聞きます。

磯野 私は昨今の状況下で、人が生きていることの質的な意味が軽視されることがあると感じています。新型コロナの感染者を増やさないことはもちろん大切なのですが、感染予防の名のもとに他者との適切な距離が時に遠くなったり、時に近過ぎる形で一瞬にして変容したので、その弊害は出て当然だと思うんです。

人間が他者とともに生きるときって、必ずその居住空間とも一緒に生きているわけです。居住空間も他者と他者とをつなぐ「媒介」のひとつだと思うのですが、その「媒介」の形が変わってしまったんでしょうね。

家族などに限らず、新型コロナさえなければわりとうまくいっていた人間関係、というのもけっこうあるんじゃないかと思います。

新型コロナ対策への考え方や意識の差がきっかけとなるトラブルも少なくないと感じています。

磯野 人は環境を背負って生きているので、新型コロナへの意識に環境の差や地域差というものが大きく出てしまったのだと思います。二者の間での関係が変わったというよりも、その人たちが背負っている環境の差異が関係性を変えてしまったのかなと。

なるほど、確かにそう感じます。

磯野 私たちは意識せずとも、ある程度「人間関係のマニュアル」というものを持っていたはずなんですが、それが新型コロナの影響で有効でなくなってしまった。じゃあもう一度話し合いから始めて違うマニュアルをつくり直そうと思えるか、今まで使っていたものが使えないならもうだめだ、と思うかに分かれそうですね。

お互いの差異を意識して調整し合うことができれば新しい関係をつくることができると思うんですが、今までのマニュアルどおりで大丈夫だと思っていると、それが機能しなくなる時に関係は崩れてしまうかもしれません。

他者との交流は不要不急ではない

個人的な悩みになるのですが「知らない人とのちょっとした雑談」が大きく減ったことが、自分にとって思っていたよりもストレスだったんだなと最近気付いて。例えば居酒屋やバーで近くの席の人と会話をするような些細なコミュニケーションを意外と楽しんでいたんだな、と……。

磯野 飲食店で近くのお客さんとしゃべる、というのは「日常性を揺らす」行為のひとつなんですよ。お酒を飲むという行為は、普段の自分とはちょっと違う気分になるということだし、そこに誰がやってくるか分からないというのも、日常から少し離れる体験で。

なるほど。

磯野 人間って伝統的に、どの民族も「日常」と「非日常」を行ったりきたりすることでバランスをとっているんです。周期的にお祭りのような非日常を体験しては再び日常に戻ってくるというリズムの中で生きてきている。

けれどいま、イベントや外食、旅行といった「非日常」が危ない行為とみなされるようになり、固定された「日常」を歩むことが正しい生活様式になってしまった。日常と非日常のバランスが崩れてしまうことで、なんらかのストレスを感じるのは当然のことだと思います。

そう言われると、「予想外のことが起こらない」ことに自分はストレスを感じていたんだなと気付きました。

磯野 予想外のことを起こしてはいけない、という状況ですからね。飲食店でのちょっとした会話、というのは感染予防という観点から見ると不要不急と言われてしまうことですが、他者とのそういったコミュニケーションというのは決して不要不急ではないと思うんですよ。

家での時間をいかに楽しく有効に使うかということばかりが語られていて、この状況にストレスを感じる意識自体を変えていこうという動きが大きいように思えていたので、ストレスを感じるのは当然という言葉に少しホッとしました。

磯野 人間はもともと他者との関わりの中で生きていたのに、他者と関わる機会や関わる方法が変わって、生きることの余白を危険なものと捉える世界が突然やってきてしまったんですよね。オンラインでの交流は、コミュニケーション自体がタスクの一部みたいになりがちですし。

確かに、一時期オンライン飲み会もタスクのようになっていました。

磯野 ただ、究極的には他者と向き合うことに「対面」か「オンライン」なのかといった媒体は関係ないんだろうな、とも私は思っているんです。もちろん、新型コロナで他者との関わり方や、関わるときになにを「媒介」とするのかが強制的に変えられてしまったから、戸惑うシーンはこれからも増えてくるとは思いますが。

だからこそ、自分以外の人がこの流れの中で何に戸惑って悩んでいるのか、ということを開示できる場がもっと作られていくといいんでしょうね。それはリアルでもオンラインでもどちらでもいいと思うし、私たちにはそうやって模索していく可能性がまだまだある、という考え方もできるのかなと。

今は答えのない不測事態の中にいるからこそ、その「可能性」を模索していきたいと思いました。今日はありがとうございました。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:磯野真穂さん

磯野真穂さん

人類学者。専門は文化人類学・医療人類学。博士(文学)国際医療福祉大学大学院准教授を経て2020年より独立。著書に『なぜふつうに食べられないのか――拒食と過食の文化人類学』(春秋社)、『医療者が語る答えなき世界――「いのちの守り人」の人類学』(ちくま新書)、『ダイエット幻想――やせること、愛されること』(ちくまプリマ―新書)、宮野真生子との共著に『急に具合が悪くなる』(晶文社)がある。身体についてもっと自由に考えよう「からだのシューレ(@krds2016)」メンバー

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仕事相手と「おしゃべり」「誠実さ」で信頼関係を築く。志村貴子らと歩む編集者・上村晶

上村晶

取引先や職場の同僚・上司などと仕事をする上で悩みのタネになりやすい「人間関係」。特に「信頼しあえる関係」を築けるかどうかは、仕事のやりやすさにも直結します。しかし、もともとは他人である仕事相手と信頼関係を築くにはどうすればよいのでしょうか。

そこで今回は、フリーのマンガ編集者として志村貴子さんや渡辺ペコさん、中村明日美子さんらの作品を担当する上村晶さんに「信頼関係を築くためのヒント」を伺いました。

上村さんは太田出版で雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』の編集長を務めたのちに独立。現在は作家と一緒に企画を立て、その作品にマッチしそうな編集部に持ち込むという、業界でも珍しいスタイルを確立されています。多忙な作家たちと確かな信頼関係を築きつつ、取引先である出版社やメディアとも円滑にコミュニケーションをとる上村さんは、どう「信頼関係」を築いているのでしょうか。

※取材はリモートで実施しました

人見知りだからこそ「仕事」の仮面をかぶる

上村さんは、志村貴子さんや渡辺ペコさん、中村明日美子さんといった多彩な作家を担当されています。作家との関係はどう築いてきましたか。

上村晶さん(以下、上村) 私の場合は「おしゃべり」が基本です。作家さんのお話しって本当に面白いんですよ。すばらしい才能がある作家さんたちとお仕事させてもらっているので、向かい合っておしゃべりしていると気づきの連続で、次々に世界が開けていくような感覚があって……。

おしゃべりを通じて相手の価値観や、どういうことにときめきを感じたり違和感を覚えたりするのかが見えてくるんです。「相手を知ること」は作品作りはもちろんのこと、関係性の構築や仕事のやりやすさに繋がるので、なにげないおしゃべりの時間をとても大事にしています。

おしゃべりの時間というのは、いわゆる「打ち合わせ」にあたるんでしょうか。

上村 名目としては「打ち合わせ」ですね(笑)。作家さんは忙しいので1〜2時間で済ませるときもあれば、長いときは3〜4時間ほど、ただおしゃべりし続けることもあります。もちろんおしゃべりは少なめで「作品の打ち合わせ」だけをみっちりする日もあります。

そんなにも……! どんなことをお話しされるんですか?

上村 新しい連載を立ち上げるときは、その作家さんが今どんなことに興味を持っているかをとことん聞きますね。自分からも「こんなことに関心があって」「最近こんな作品を見たんですが……」と伝えたり。とにかくいろんな「ボール」を投げ合って、作家さんとシンクロするテーマや目指す方向性を探します

おとなになっても 担当作のひとつ『おとなになっても』
(C)志村貴子/講談社

いろいろなボールを投げ合える関係になるまでにも、時間やスキルが必要そうだなと感じます。

上村 確かに編集者になりたての頃は、人見知りということもあって作家さんとお話しするだけで緊張していた記憶があります。でもさっきも話したように、作家さんのお話がとにかく面白くて、ここは「担当編集者」という仕事の仮面をかぶってなんでも聞いて話してしまおうと。先に裸になっちゃった方が楽という気持ちであれこれ話すようにしていたら、だんだん慣れてきて。未だに大勢の人がいるようなパーティーの場なんかは大の苦手なんですが、一対一でしゃべるのは好きになりましたね。

ほとんどの作品がそういったおしゃべりから生まれていて、キャラクターや物語の肉付けもおしゃべりのキャッチボールを重ねて作り上げています。今もそんな感じで新連載準備を進めている作品が3つほどあります。

新連載、いまからとても楽しみです。おしゃべりが気軽にできるような円満な関係性が続くと、「作家と編集者」というより「家族や友人」に近い存在になることもあるんでしょうか。

上村 友人同士のように面白い映画やドラマを勧め合ったり、日々の出来事や気になるニュースについて話し合ったりもしますし、一緒にいるのが楽しいと思っていただけたらうれしいですけど、やはり一緒に仕事をしたいと思ってもらえてこそ成り立つ関係であって、友達とは違う別の深い関係なのかなと思います。作家さんと長く関係を続けていきたいからこそ、作品のクオリティや売り上げなどをひっくるめて「いい仕事をしたい」という思いがいつもあります。

日々の環境や体のことなどを相談されることもありますが、それらはやはり「創作に繋がる悩み」だから話してくださるのかなと思うので。こちらから根掘り葉掘りプライベートなことを聞くことはなく、作家さんがお話したいことを全部お聞きして、という感じです。「お話がしたいな」と思ったときに、私を思い出してもらえたらうれしいですね。

そうやって作家と作り上げる上村さんの担当作には、雁須磨子さんの『あした死ぬには、』(太田出版)や渡辺ペコさんの『1122』(講談社)など、時代の空気を的確に捉えているものがとても多いように思います。こういった作品のテーマは、どういったインプットから生まれるんでしょうか。

上村 みんなが興味を持っているテーマって必ず、会話やSNSなど自分の「タイムライン」に上がってくるので、話題になったことを何となく注目したり、ストックしたり、調べてみたり。もちろん、日々のニュースにも目を通しますし、ときどきあえて自分の感覚とは異なる視点のもの、例えばワイドショーなども見ます。そういったところから社会の潜在的な欲求を知った上で、作家さんの描きたいものと合わせていくようなイメージで作品のテーマを決めることが多いかなと思います。

なるほど。

上村 『あした死ぬには、』は、雁さんも私も当事者である「40代女性の生き方」に着目しました。心身の不調も、お金やこれからの人生への不安も、私たちが毎日生きている上で身近にある“ネタ”なんですけど、ディティールひとつひとつをここまで取り上げたマンガって今までなかったと思うんです。まだ描かれていなくとも興味がある人は多いはずですし、雁さんだったら繊細な描写もコミカルな表現もできる方だから広く届けることができるだろうなと。

あした死ぬには、 『あした死ぬには、』
(C)雁須磨子/太田出版

『1122』はペコさんから「夫婦の話を描きたい」という提案を受けて。テーマを深堀りするために資料を調べれば調べるほど既存の夫婦観に息苦しさを感じている方やセックスレスに悩んでいる方が多いと分かり、こういった悩みを真正面から描けば、しかもペコさんの深い思考に裏打ちされた描き方であれば、きっと社会に受け入れてもらえる作品になるという予感がありました。

1122 『1122』
(C)渡辺ペコ/講談社

編集者である以上、作家がやりたいことを大切にしつつもマンガはエンターテインメントであることを意識して、考えや感覚が異なる人も含めたより多くの人に作品を届けるために「射程を広げるための努力」をし続けていきたいと思っています。

相手が不誠実でも、自分は「誠実」を貫く

取引している雑誌や編集部ごとに「仕事の進め方」が異なるかと思います。円滑に仕事を進めるために心掛けていることや、タスク管理のコツを教えてください。

上村 大事なのは「気持ちよくお仕事すること」だと思っているので、「それぞれのルール・やり方にこちらが合わせる」ことを心掛けています。あとは締め切りを守るとか、返信は早くとか、お礼を伝えるとか、基本的なことくらいで……。

担当作品が掲載されている媒体によって進行が異なるので、それぞれの入稿日や校了日といった「大きいタスク」は見開きタイプのウィークリースケジュール帳で管理しています。月単位だとタスクの粒度がぼやっとしてしまうため週単位で「今週やるべきこと」を可視化しています。一方で電話する、郵送するなどの「小さいタスク」はEvernoteのチェックリストに。空き時間や移動中にスマートフォンでこまめにチェックして、終わったら消しています。

ウィークリースケジュール帳 デルフォニックスの手帳を長年愛用

コツコツと丁寧に仕事を進めるのは「信頼」を得ることにも繋がりそうです。ただ、仕事をしていると信頼関係が揺らぐこともあると思います。

上村 そうですね、自分が作家さんの信頼を損ねてしまったかもしれないと感じたときは、本当に落ち込みます。以前、私がある作家さんの原稿を紛失したかもしれないということがあって。最終的には印刷所さんの勘違いで原稿は無事に見つかったのですが、その時は原稿を預かる以上すべて私の責任だし、取り返しがつかないことをしてしまったと真っ青になって……。謝罪に伺った日の光景は今でも鮮明に思い出せます。

でもその作家さんは「そういうこともありますよね」とすぐに許してくださって。そのときに、これまでより何倍もいい仕事をしてこの方の信頼を取り返すしかないなと。そうやって「許して」いただいた経験があるので、他の人が失敗したときも同じ様に「人はミスをするものだし、仕方ない」と思えるというのはあるかもしれません。

嫌な質問になりますが、悪意のないミスではなく、この人はなんだか不誠実だな、と感じるような仕事をする人と出会ってしまったときはどうされていますか。

上村 普段やり取りしている作家さんや編集部とはそういったことはありませんが、たくさんの人が関わるプロジェクトに参加していると「この人のことを信じていいのだろうか」と感じることは稀にあります。そういうとき、私は「相手が不誠実なことをしてきても、自分は絶対誠実に返そう」と決めていて。

どうしてですか?

上村 自分の大切なものを守りたいというのが一番ですが、単純に第三者が見たときに「それはあなたが正しいよね」と言ってもらえるように落ち度を作りたくないというのもあります(笑)。不誠実な人は、周囲に自分の言動が通じないと分かると態度を変えることがあるので、なるべく周りの人が味方になってくれるよう、自分は誠実にやり続けたいなと思っています。

なるほど……。上村さんは担当作品のPRのために、メディアへの売り込みやSNS運用など、編集以外に「営業」「広報」といった分野にも積極的に携わられていて「作品を多くの人に届けたい」という誠実な姿勢をひしひしと感じます。

上村 よく言われていますが、今はもう「編集者の仕事は作品を作って終わり」という時代ではないですよね。店頭に作品を並べるだけで売れるわけじゃないので、メディアの方に作品の魅力を紹介したり、SNSで宣伝や告知をしたりといったことは日常的に行っていけたらと思っています。

作品のことを考えた時間が作家の次に多いのは、 編集者だと思うんです。たとえその考えが的確でなくとも、考えた量には自信を持とうと思っていて。より多くの読者に作品を届けるためにやれることはとにかくやらないとという気持ちで、私なりに魅力を率直に伝えていきたいなと。といってもまだまだ全然足りていないし、Twitterであんまり面白いことを呟けずにごめんなさい、という感じです(笑)。

「大好きな仕事」を手放さないために、働き方を変えた

フリーになる前は、2000年に創刊された『マンガ・エフ』(2001年に『マンガ・エロティクス・エフ』に改名/太田出版)の編集長を長らく務められていました。もともとマンガ編集者を目指していたんですか。

上村 いえ、もともとは活字の編集者をやっていたのですが、太田出版の採用面接を受けたときに「今度マンガ雑誌を創刊する予定があるんですが、興味はありますか?」と聞かれて。子どもの頃からマンガは大好きだったんですが、趣味だと思っていたので「マンガ編集者」になれるなんて発想自体がなく、そんなチャンスがあるのかと。もちろん「やりたいです」と答えて、そこから同誌の編集部員になりました。

何も経験がないど素人の編集者だったので、最初は先輩の仕事を引き継いだり読み切り作品を担当させてもらったりしていたのですが、しだいに自分で連載を立ち上げるようになり……。5年後にいきなり編集長に任命されて。

2014年に休刊しましたが、本当にコアなファンの多い雑誌でしたよね。上村さんは編集長として、どのような思いで『マンガ・エロティクス・エフ』に携わっていましたか。

上村 青年誌・女性誌といった枠に囚われず、マンガ好きであれば純粋に読みたいと思うような作品を載せたい、ジェンダーレスでありたいというのは初代の編集長から大事にしていたコンセプトでした。

私が編集長になってからは「エロティシズムを画一的に捉えたくない」という点をより意識するようになりました。裸体やセックスシーンを描くことだけが「エロ」ではなくて、「関係性の色っぽさ」というものもある。エロティシズムやフェティシズムを感じるポイントは人によって違うので、その多様さを雑誌全体から感じてもらえたらいいなと思い作っていました。

例えば、編集長就任号となった33号ではオノ・ナツメさんの『リストランテ・パラディーゾ』と、古屋兎丸さんの『ライチ☆光クラブ』の連載がスタートしました。『リストランテ・パラディーゾ』は従業員全員が老紳士の小さなリストランテが舞台なのですが、“老眼鏡紳士”の魅力を描いた作品って当時はまだなかったと思います。そういう新しいことをどんどん試せる場が『エフ』でした。

『ライチ☆光クラブ』は閉塞した空間でおこる少年たちの愛憎劇を描いた物語で、その後舞台化、映画化もされ、雑誌にとっても私の編集人生にとっても大きな力をいただいた作品です。

どちらも夢中になった方が本当に多い作品だと思います……。上村さんはその後、2014年に太田出版を退社してフリーランスになり「作品単位でさまざまなマンガ雑誌の編集部に出入りする」という業界内でも珍しい働き方を選ばれました。どうしてこういったスタイルで仕事をしようと考えたんですか?

上村 太田出版はとても自由で、思いついたことはなんでも実現させてもらえる社風のため、自分でどんどん仕事を増やしてしまって……。すごく楽しい一方で体力的に「このまま一生同じ働き方はできないな」と感じていました。「マンガ編集者」という仕事を手放さず続けていくためにも、自分のペースで調整できる働き方にシフトしたいなと思ったのがひとつの理由です。

それに、どこか特定の雑誌の編集部に所属してしまうと、その雑誌に向いている作品しか作れない。当然ですがどの雑誌にもコンセプトや想定読者が存在して、それはとても大事にすべきものなのですが、せっかく面白いことを思いついたのに雑誌のカラーに合わないから諦める、というのは悔しいなと思ったんです。だから、面白いと感じた作品をどこにでも提案できるよう、この働き方を選びました。

作家を守る以上に大切なことはない

作家とのお話をもう少し聞かせてください。志村貴子さんとは、2002年に『マンガ・エロティクス・エフ』でスタートした『どうにかなる日々』からのお付き合いとのことですが、同作の連載中に、多忙だった志村さんを気遣い連載をたたんだというエピソードが巻末のおまけマンガなどで紹介されていますよね。

上村 そうですね。当時志村さんが本当にお忙しくてしんどそうに見えたので、今少しでも荷物を軽くしないと大変だと感じたんです。なので「もしつらかったら連載たたみましょうか」と声をかけたら「たたみたい」と。だからその場で「そうしましょう」と決めちゃって。1巻の重版が続いていて、編集部としてはもっと続けてくださったらうれしいと思っていましたが、結果として全2巻の作品になりました。

どうにかなる日々 『どうにかなる日々』新装版
(C)志村貴子/太田出版

志村さんはとっても救われたのではないかと思うのですが、当時の上村さんはまだ編集者になりたての頃かと思います。勝手に決めたことを編集部に伝えるのは勇気がいりませんでしたか?

上村 もちろん本当にどきどきしました! でも個性的な作家に集まっていただいている雑誌だったからこそ、日頃から「作家を守ること以上に大事なことはない」という意識が強い編集部だったので「私たち普段からそういう方針ですよね」という感じで伝えたら、すぐに納得してもらえて。

上村さんも編集部のみなさんも格好よ過ぎる……。

上村 志村さんほどの才能がある方だったら、今いっとき休んでもすぐにまた描きたくなるんじゃないかな、とも思っていたんですよ。復帰されたら間違いなく面白いものを描いてくださるという確信があったので、そのフラッグを一番に取れたらそれでいいや、と。それが『青い花』(太田出版)でした。

志村さんとは当時から最新作の『おとなになっても』(講談社)まで、長年のお付き合いですが、最初に感じた「天才だ……」という直感を、今でも原稿を受け取るたびに感じます。

中村明日美子さんとは、デビューの頃からのお付き合いだと。

上村 そうですね、明日美子さんとも長いですね……! 明日美子さんは2020年でデビュー20周年を迎えられたんですが、実は私がマンガ編集者になったのも20年前なんです。私が初めて参加したマンガ賞の審査会でデビューしたのが明日美子さんだったので、お互いを「唯一の同期」と言っていて。この20年を一緒に歩んできたような感覚があります。

マンガみたいなエピソード……!

上村 確かにそうかもしれないですね(笑)。私が初めて立ち上げから関わったのは『ばら色の頬のころ』(太田出版)なのですが、この作品から明日美子さんの人気に火が付いてステージがぐんと上がった感覚がありました。絶対に売れてほしいと願っていた作家がどんどん受け入れられて人気になっていく、という過程に立ち会うことができて本当にうれしかったです。

2020年9月からデビュー20周年を記念した「中村明日美子20年展」が開催されていて(池袋・名古屋で開催終了、巡回予定未定)、改めて明日美子さんの原画を見ていると、線の一本一本にまで意識が行き届いているんです。バレリーナは指先まで気を抜かないとよく言いますが、まさにそんなイメージで。その意識が日々の仕事にも表れていて、本当にお忙しいのに、メール一つとってもすぐにお返事をくださるし、丁寧にやりとりされる方なんですよ。仕事に対する姿勢も含めて、明日美子さんから学んだことはとても多いですね。20年間ずっと刺激を受け続けているし、尊敬もし続けています。

中村明日美子20年展 「中村明日美子20年展」メインビジュアル
(c)中村明日美子/茜新社/太田出版/
幻冬舎コミックス/集英社/白泉社/芳文社/リブレ

今日は長年お付き合いされてきた作家との信頼関係について伺いましたが、今後、新しい作家を発掘したり育てていく予定もあるのでしょうか?

上村 長年お付き合いをしている作家さんが次々とすばらしい作品を描いてくださるので、今はその作品を一緒に作っていくので手いっぱいという、うれしい悩みを抱えているのですが……。でも、面白いマンガや気になる方を日々見つけてはいるので、新しい作家さんとも組んでみたいな、こういう企画はどうかな、と考えを巡らせたりしています。

面白いマンガを読んで「やられたー、この作品私が担当したかったよ!」という悔しさを感じることもしょっちゅうで(笑)。世の中には本当に面白いマンガがあふれているなあって、毎日思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:上村 晶さん

上村晶さん

広島県出身。太田出版に入社し、2005年より雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』の編集長を務める。
その後、2014年に独立してフリーランスの編集者となる。
これまで手掛けた作品は、オノ・ナツメ『リストランテ・パラディーゾ』『レディ&オールドマン』、雁須磨子『あした死ぬには、』、河内遙『関根くんの恋』『涙雨とセレナーデ』、雲田はるこ&福田里香『R先生のおやつ』、沙村広明『ブラッドハーレーの馬車』『春風のスネグラチカ』、志村貴子『どうにかなる日々』『青い花』『淡島百景』『おとなになっても』、中村明日美子『ばら色の頬のころ』『ウツボラ』『王国物語』、古屋兎丸『ライチ☆光クラブ』、よしながふみ『愛がなくても喰ってゆけます。』、渡辺ペコ『1122』など(敬称略)。

Twitter:@akiramame

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ドローンレーサー・白石麻衣「“ちゃんとしたお母さん”でなくてもいいと思うようにする」

白石さんご家族の写真

妊娠・出産を経て、それまで続けていた趣味や、好きなことに割ける時間が減った──という方は少なくないように感じます。中には、育児と趣味や育児と仕事の両立が難しくなり、したかったことを諦めざるをえなくなった方も。ただ、趣味や好きなことを続けることで、仕事や育児へのやる気に還元されることもあるはずです。

CGデザインの仕事と並行して、ドローンを操作しその速さや動きを競う「ドローンレース」の分野でも活躍するドローンレーサー・白石麻衣さんも、好きなことを続ける難しさを経験した方。ドローンに熱中し始めたタイミングで妊娠・出産をし「好きなことをやめなくてはいけないかもしれない」という窮地に立たされた経験があると言います。

2018年にはドローンレースの世界選手権に日本代表としても出場し、活動の場を広げつつある白石さんに、好きなことを続けるためどんなことを家族と話し合い検討してきたか、好きなことを続けたことで自身にどんな変化があったのかなどを伺いました。

※取材はリモートで実施しました

妊娠したことで好きなことを諦めるのは悔しかった

白石さんは2017年末にマイクロドローン(極小のドローン)の飛行会やイベントなどを楽しむコミュニティ「Wednesday Tokyo Whoopers(WTW)」を立ち上げられたと伺いました。これはどうして始められたんでしょうか。

白石 当時はドローンレースのことを知って自分でも練習を始めたばかりのタイミングだったんですが、ちょうど同じ頃に妊娠が発覚して。できる限り練習がしたいと思っていたときだったのに、つわりがひどくて動けない日が増えてきたんです。

大きいドローンって人口密集地域では飛ばせないという制約があるので、練習するためには電車に乗り継いで2時間くらいかけて移動しなきゃいけないんですが、それは厳しいなと……。せめて都内でドローンのことについて情報交換ができたり、小さいドローンを飛ばす練習ができたりする場所があればいいなと思って、「それならもう、自分で作ろう」と考えたのがきっかけですね。

白石麻衣さんとのリモート取材の様子

行動力がすごい……。

白石 というよりも、面倒くさがりなんだと思います。正直に言ってしまうと、何事も、自分で調べてとりあえず試してみるのが苦手というか、遠回りに思えてしまうタイプで。自分よりもはるかに詳しい人がいるんだったら、周りに頼った方が早いなって思うんですよね。

……あとやっぱり、コミュニティを立ち上げたときは、こんなに楽しいのにやめたくない、悔しいという思いが強かった気がします。

悔しい、というと?

白石 いまってSNSがあるから、同時期にドローンレースを始めた人たちの様子もSNSで分かるじゃないですか。周りのドローン好きな人たちの投稿を見ていたら、自分はつわりで動けないけど、みんなは毎週ドローンを飛ばしにいってどんどん上達してるな、自分だけ置いていかれているみたいだな……と感じてしまって。

寂しかったし、いまいちばん熱中している好きなことを一時的にでも諦めなきゃいけない、っていうのがどうしても悔しかったんです。

もっともっと上達したい、というときにブランクができてしまうのは怖いですよね。

白石 そうですね。やめたくなかったから、どんな形でもドローンに関わったり、すこしでも練習をしたりできる環境はあった方がいいなと。

当時は自分が人に教えてもらう場がほしい、という気持ちが大きかったんですが、いまは自分が人に教えたり、周りの人たちがそれぞれ持っているアイテムやスキルをわいわい紹介できる場になりつつあるので、作ってよかったなと思います。やっぱり、気軽に集まれる環境があると、諦めてやめてしまうという選択をする人がすこしでも減ると思うので。

マイクロドローン
手のひらサイズのマイクロドローン。コンパクトな分小回りがきくのだそう

ドローンを続けていくために何度も重ねた家族会議

お話を伺っていると、白石さんはドローンを「続けること」にとてもこだわりを持っていらっしゃいますよね。

白石 そうですね。ドローンもですし、仕事もできるだけ休まず続けたい、と出産前から思っていました。周りの人に「妊娠中なんだから」「小さい子どもがいるんだから」と言われることはときどきあったんですが……。

妊娠・出産の際は好きなことを諦めるべきだという空気は、まだまだ強くありますよね。

白石 出産後すこしたって、夫に子どもを預けてドローンの大会に行ったときも、知らない人からSNSで「子どもがいるのにどうなってるんだ」とメッセージが来ることもありました。家族は幸運にもドローンレースにのめり込んでいく私を応援してくれていたので、気にしなくていいと思えたんですけど。

それでもやっぱり、世間が思うような“ちゃんとしたお母さん”でいなきゃいけないのかなって感じてしまう瞬間はあります。ただ、「うちはうちなんだから」と思うようにしていますね。

ドローンレーサーとして有名になり、ドローンのイベントの企画運営などもされるようになってきてからは、お仕事の比重も変わってきたのではないかと思います。CGデザインのお仕事とドローンの活動、育児でとてもお忙しいと思いますが、バランスはどうとられていますか?

白石 育児に関しては、私も夫も仕事が忙しくてどうにもならない……というときは、ベビーシッターの方をお願いしたり、お金を支払った上で実家から母に来てもらったりしていましたね。いまは子どもが2歳になって、保育園に入れたのですこしだけ楽になったのですが。

実は出産後、夫と何度か家族会議をして、お互いの働き方や育児の負担を調整したんです。

会議ではどんなことを話し合われたんですか。

白石 2018年の秋にドローンレースの世界選手権が中国であって、私が日本代表としてそれに出場することになったのですが、1週間くらい中国に行かなきゃいけなくて……。当時子どもが7カ月で、連れていくべきかどうかですごく悩んだんですよ。

よく聞く話ですけど、夜泣きでなかなか眠れない状況と仕事もできない状況、食べたいものも食べられない状況が重なって、ストレスが最高潮に達していたんです。それで思わず、夫に「いまの仕事をどうにかしてもらうことはできない?」と聞いて。でも、当然ですが、仮に夫が今の仕事を辞めたり、変えたりしたとして、その分減るかもしれない収入をどうしようか、という話になりました。

確かに、お子さんもいると大きい問題ですよね。

白石 そうなんです。私がただドローンをやり続けたいから、と伝えるだけでは無責任だと感じました。なので、「ドローンの仕事が増えていけばその分家計に回せるお金も増えるし、あなたが子どもといられる時間も増える」といったことも伝えて、こまかい話し合いを何度もして。

会議を重ねていく中で、わが家の場合は最終的に夫が当時していた英語の講師の仕事を辞めてフリーランスになる、ということになり、夫に子どもを預けて大会には無事に行けることになりました。

家事や育児の負担はいまは基本的に半々くらいで、私が忙しいときには夫に多めにしてもらう、という形に落ち着いています。

子どもからひととき離れてしまうことに罪悪感を覚える必要はない

やはり、妊娠・出産を機に、いちばんの趣味やずっと好きだったことを諦めたり、一時的に中断すべきかもしれない……と悩まれる方は多いと思います。その選択で悩んでいる方に、もし白石さんからお伝えしたいことがあれば伺いたいです。

白石 後悔をしないためにも、まずは家族や身近な方と話し合いを重ねて、続けるための道を探ってほしいと個人的には思います。

お仕事をされている人は、「いまの自分の働き方だと好きなことを続けるのは無理かも」と考えてしまうんじゃないかと思うんですけど、これまでと違ったスタイルを取り入れられるかどうかを家族に相談しつつ検討してみてもいいんじゃないでしょうか。

私の場合は、CGデザインがずっと机に向かう仕事だったのに対して、ドローンは練習やレースの時間がぎゅっとまとまっている分、完全にフリーにできる時間も多い。だから、ドローンの仕事の比重が増える方が子育てしやすくなるというのも感じていたので、そのあたりも夫とよく話し合いました。

白石さんが所有するドローンたち
白石さんが所有するドローンの一部。サイズや形状もさまざま

お仕事にもよるとは思いますが、いまは勤務形態が選べるケースも多いですしね。

白石 そうですね。子育てをして生活していく上で、やっぱり安定した収入を得られるかどうかって重要だと思うんですが、いまは副業OKな企業も増えてきましたし……。これまでと違ったパターンで働けるか、自分のやっていることをお金にできる可能性があるか、というのを検討してみるのもありだと思います。

それから、中には、出産直後は特に「お母さんは子どものそばについていてあげるべき」「子どもから離れないでいるべき」というプレッシャーで、ちょっとした外出にもためらってしまう方もいます。白石さんは、ドローンの練習やレースなどで家を空けるときどうでしたか?

白石 仮にパートナーが子どもを見ていてくれるとはいえ、自分だけ外出するなんて悪いかなあって確かに思っちゃいますよね……。私の場合は、友人が遠慮せずに誘ったりしてくれることに結構救われました。「旦那さん家にいるんでしょ?じゃあいいじゃん!」って言われると、「そっか、確かに」と素直に思えたりして。もちろん育児の大変さを分かった上で気を使ってもらえるのもすごくありがたいんですが、そういうふうに声をかけてくれるのも助かったなあ、といま振り返ると思います。

自分自身で「ひとときも離れてはいけない」と思ってしまう人ほど、第三者からの声が救いになることもありますよね。

白石 家族環境やさまざまな要因から、どうしても誰かに子供を見てもらうことが難しいという場合もあると思いますし、「自分がすこしでも離れたら子どもは嫌だろうな」って考えてしまう方がいるのも分かります。

ただ子どもの年齢や性格にもよるとは思うんですが、たぶんこちらがあれこれ考えるほど、子どもは状況を分かっていないんじゃないかな。家で寝ているときに「お母さんがいなくて寂しい」とは感じていないと思うので……。

“いいお母さん”とか“悪いお母さん”って他人の価値観でしかないので、子どもや家族の意見を大事にしながら、できるだけ好きなことや息抜きもしてほしいって私は思います。

レーシングドローンのアクロバティックな動きに受けた衝撃

ここまで大好きなドローンを続けるためのことについてお話を伺いましたが、ドローンと白石さんの出会いについてもお聞きしたいです。ドローンと聞くと「空撮用のもの」というイメージがある人も多いと思うのですが、白石さんはドローンにどうやって出会ったのでしょうか。はじめから「ドローンレースに出たい!」と思われていたんですか?

白石 いえいえ。ドローンに興味を持ったのは、旅先で「絶景の映像を空から撮ってみたい」と思ったのがきっかけです。3年ほど前、ドローンが日本でも身近になってきたころだと思うのですが、周りにもドローンを買ってみたという友達がいたり、ドローン片手に世界一周をするご夫妻が話題になったりしていたタイミングでした。それで、「私もやってみたい!」 と思って。

それで、「ドローンがほしい」と口癖のように言っていたら、当時はまだ恋人だったいまの夫が「クリスマスプレゼントにあげるよ」と言ってくれたんです。

おお! うれしいプレゼントですね。

白石 でも、当時ってまだドローンが1体20万円くらいしたんじゃないかな。だから「本当かなあ」と半信半疑でいたら、クリスマス当日に渡されたプレゼントの箱がすごく小さくて。これは「いつかドローン買ってあげる券」とかかもしれないな、と思って……(笑)。開けてみたら、小さいおもちゃのドローンが入っていました。

クリスマスプレゼントにもらったおもちゃのドローン
白石さんがクリスマスプレゼントにもらったおもちゃのドローン

思っていたのとは違った……!

白石 でも、ちゃんとそれにもカメラがついていて、もともとほしいと思っていたドローンよりもゲーム感覚で操作できるようなものでした。ゲーム好きが高じてCGデザインの仕事に就いたという経緯もあったので、「ドローンもゲームみたいで面白いんだな」と最初に感じました。

そこからどんどんドローンにハマっていって、自分で買ったドローンでも映像を撮るようになっていくと、他の人はどんな映像を撮ってるんだろう? と気になってきて。

InstagramやYouTubeでドローンの映像を探していたときに、たまたま見たのがドローンレースで使用するレーシングドローンが撮った映像だったんです。いままで見たこともないようなアクロバティックなドローンの動きに衝撃を受け、これがやりたい! とすぐに思って。

当時、周りにレーシングドローンを持っている方っていたんでしょうか。

白石 いなかったですね。当時はレーシングドローンって日本でまだあまりはやってなかったので、日本語の情報もほぼないくらいで……。ただ、いろいろ調べていたら、どうやらドローンレースの大会なるものがあるらしいと分かったんです。大会に出ている方にインターネットを通じて声をかけたら、「もうすぐ大きな大会が仙台であるから、通訳のお手伝いをしてくれるならレースに招待しますよ」と言ってもらえて。

幸い英語が話せたので大会に呼んでいただき、そこで初めてドローンレースを目にしました。レースに出られていたアメリカ人の女性レーサーがすごく速くて格好よかったことにも衝撃を受けて、自分もレーサーになろうとその場で思ったんです。当時はレースで勝ちたいという思いよりも、映像を撮るスキルの向上にもつながりそうだし、なにより楽しそうだからやりたいという気持ちが大きかったですね。

それからまもなくして「Wednesday Tokyo Whoopers(WTW)」を立ち上げ、翌年には世界選手権へ出場……。わずか数年の間ですごい変化ですね。最後に、白石さんが今後ドローンを通じて叶えたいことがあったら教えてください。

白石 やっぱり、もっと上達していきたいというのはずっと思っています。いざレースの世界に入ってみたら、1位を狙いたいとも思うようになったし……。それから、子どもがもうすこし大きくなって興味を持ってくれたら、一緒にドローンをやりたいっていうのはひとつの夢かもしれません。いまも、ときどきレースの会場に連れていくと楽しそうにしているので、もしドローンが好きならプレイヤー側になってくれたらうれしいですね。ドローンレースの日本チャンピオンって、いま小学生なんですよ。

えっ、そうなんですか!?

白石 子どもはすごく上達が早くて、大人はすぐに抜かれちゃいます。レース用のドローンって時速200kmくらいのスピードで飛ぶので、なにかにぶつかるとすぐにバキバキに壊れてしまうんですけど、1体あたり5万円くらいするんですね。だからなのか、大人は最初、ちょっと怖くてスピードが出しきれなかったりするんですが、子どもはそんなこと構わずフルスロットルでいけるみたいで(笑)。

それは確かに勇気がいりますね(笑)。白石さんは、CGデザインのお仕事も変わらず続けられる予定なんでしょうか?

白石 そのつもりではあるんですが、まだ自分の中でCGとドローンの仕事をどう両立させていくかは検討中、というのが正直なところです。

ただ、家族のためにもできることはすこしでも多い方がいいと思うので、CGの仕事もやめる予定はないですね。これからは、自分が始めたてのときにいろんな人にドローンのことを教えていただいた分、周りの初心者の人たちにもそれをシェアしていければと思うので、ドローンの講師などもやっていけたらいいな、と思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:白石麻衣さん

白石麻衣さん

ドローンレーサー、ドローンカメラマン、ドローンイベントの企画運営、3DCGのデザイナーやディレクター。2017年11月にマイクロドローンコミュニティ「Wednesday Tokyo Whoopers」を立ち上げる。2018年11月にはドローン選手権”FAI 1st World Drone Racing Championship in Shenzhen”にて日本代表チーム初の女性パイロットに選出される。ドローンチームWTW HIVE リーダー。
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今の「当たり前」に流されないために。歴史を通じて自分なりのルールをつくる|はらだ有彩さん

はらだ有彩さんのイメージカット1

昨今、さまざまな領域で変化を起こそうとする動きが活発に起きています。しかし一方で、まだまだ現在の「当たり前」や「常識」に苦しんでる人も多いのではないかと思います。

テキストレーターのはらだ有彩さんは、著書『日本のヤバい女の子』シリーズにて、「おかめ」や「織姫」など昔話に登場する女性たちを「私たちと変わらない一人の女の子」として読み解いていくことで、現代の「当たり前」を捉え直していきます。

今回、はらださんには歴史を知ることがご自身にとってどういった意味を持つのかということを中心に、具体的に昔話を調べる方法や、実際に理不尽な出来事に出会ったときの「抵抗」についてお話しいただきました。今、目の前の「常識」に息苦しさを覚えている人は、歴史に目を向けてみるのはいかがでしょうか。

※取材はリモートで実施しました

「昔はもっとヤバかったんじゃないの?」と昔話に興味を持った

『日本のヤバい女の子』シリーズでは、現代の視点から昔話に登場する女の子たちを紹介されています。もともと本書を書こうと思ったきっかけは何でしたか?

はらだ有彩さん(以下、はらだ) 直接的なきっかけは、新卒で入社した広告代理店での出来事でした。朝の7時に出社して、終電までに帰れるかどうか……というくらい忙しくて、毎日泥のように働いていたのですが、あるとき急にクライアントに「ホテルの部屋に来ないか」と誘われて。

うう……。

はらだ 私としては「えっ! 泥みたいになって働いているのに、いきなり女を求めるの!?」と混乱してしまったんですけど。でも、その後も「媚びを売って契約を取ったんじゃないの?」とか、男性の先輩から突然「今日の夜、俺の部屋に来ないとプレゼンを手伝わない」とか言われたり。しかも、そのことに対して疑問に思っている人も周囲には少ない、みたいな。それで「現代でこれなんだから、昔はもっとヤバかったんじゃないの!?」と、昔話に出てくる女の子について調べるようになりました。

はらだ有彩さん作中カット1 『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』より抜粋

社会人になって感じた違和感が、古い物語に触れるきっかけになったんですね。

はらだ はい。だから、学生時代から昔話が好きだったわけではないんです。古典の授業なんて、ほとんど寝ていて覚えていないし(笑)。ただ、実家が1856年創業のおせんべい屋で、古いものが伝わったり、逆になくなってしまったりするところを間近で見ながら育ったので、「古いもの」自体にはもともと興味があったかもしれません。

同作では昔話をそのまま紹介するのではなく、その背景についても考えを巡らせたうえで、一人の女の子として人物を紹介しています。

はらだ 大いなる意志が突如物語を生み出した、とかでない限り、物語の背後にはそれを生み出し、後世まで伝えてきた人間が必ずいるわけですよね。私は、そこの「人が何かを伝えていくときの思惑」にすごく興味があるんですよ。それは、「こうあるべき」という教訓めいたものであったり、「こうだったらいいのにな」という願望であったりさまざまだと思うんですけど、そこも含めて遡ると見えてくるものがあるのかな、と。

例えば、納豆などでも有名なおかめの昔話を例に挙げると、おかめの夫は大工なんですが、お寺を建設するときに設計ミスを犯してしまうんです。そこでおかめは機転の効いたアイディアで夫を助けるんですが、その後おかめは「夫が妻のアイディアで成功したということが知れたら、彼の名誉に関わるから」という理由で、自死してしまう。

著作でも紹介されていましたが、ショッキングですよね……。

はらだ でも、この伝説は今では「夫婦円満にまつわるいい話」として伝わっているんですよね。私はやっぱり「おかめ、本当に死ぬ必要あった?」と思ってしまうし、できることならおかめと話してみたかったとも感じる。

だから、『日本のヤバい女の子』では、昔話をただ鵜呑みにするのではなく、その背景にも思いを馳せて、現代の視点から紹介したんです。だから想像の部分も正直大きい(笑)。でも、そうやって自分に引き寄せることが、今の時代を彼女たちと一緒に考え直すことにつながるかもしれないと思うんです。

目の前の「モヤモヤ」から逆引きする

おかめ以外にも、同作にはさまざまな葛藤や苦しみを持った女性がたくさん登場します。具体的にどのように昔話を調べているんですか?

はらだ 基本的には逆引きなんです。まず最初に現在の悩み事や納得できないモヤモヤがあって、そこからヒントになるような物語を探していく。

先に物語があるわけではない。

はらだ はい。例えば、著作では「有明の別れ」など「女性と結婚した女性」の話をいくつか取り上げたんですが、これは女性の友人が「どうして好きな女の子と結婚できないんだろう?」と話していたことがきっかけなんです。きっと目の前にいる友人が抱えているモヤモヤと同じものを昔の女性も感じていて、それに関する話も残っているはずだと。

『日本のヤバい女の子』書影 『日本のヤバい女の子』『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房)

目の前のモヤモヤのヒントを探すために歴史にあたるわけですね。もう少し詳しくお伺いしたいのですが、抱えている悩みがもっと漠然としてモヤモヤしている場合もあると思います。そういうとき、はらださんはどのように昔話を探せる状態まで落とし込んでいくのでしょうか。

はらだ トヨタ自動車の問題解決のフレームワークとして知られる「なぜなぜ分析」じゃないですけど、モヤモヤに対してひたすら「なぜ?」「なぜ?」と突き詰めていくんです。例えば、仮に悪口として「ブス」と言われたときに、そもそも「なぜ、顔はかわいくないといけないんだろう」と考える。

すると、「女性の評価基準が外見に比重が置かれているから」「外見に比重が置かれているのは、若さに価値があるとされているから」「若さに価値があるとされているのは、かつて若い女性だけが妊娠、出産に適しているとされていたから」みたいにどんどん仮説が積み上がっていく。もちろんそれが間違っている可能性もあるのですが、ここまで来ると「妊娠」「出産」というキーワードがあるので、かなり調べやすいですよね。

なるほど。自問自答を繰り返し、モヤモヤを分解していくのがコツなんですね。

はらだ そうですね。私の場合は友人と「なんでだろうね?」と喋っているうちに考えが深まっていきますし、一人で紙に書いているうちに思考が整理されるという方もいるかもしれません。

実際に昔話を探すときは、どうしているんですか。

はらだ 基本的には、図書館でキーワードに近い全集を片っ端から読んでいったりとか(笑)。あとは地方自治体のホームページに「地域の民話コーナー」みたいなページがあったりするので、そういうところを見ることも多いです。

大変そうと思われるかもしれませんが、私のなかでは昔話を調べることは、たくさんの人が歩いているなかから、自分と話が合いそうな人を見つけて呼び止めるみたいな感覚で。だからけっこう楽しいんですよ。

歴史を知ることが自分なりの文脈をつくり出してくれる

同シリーズを通じて、はらださんはさまざまな昔話にあたられてきたかと思います。改めて、はらださんにとって歴史を知ることは、どのような意味を持つと感じますか。

はらだ 目の前のことに流されず、自分なりの文脈や理由をつくり出す一つの手段になるんじゃないかな、と思っています。最新刊の『百女百様 〜街で見かけた女性たち』でも少し触れたんですけど、例えば会社にミニスカートをはいていくと、「今日は何? デート?」とか、「なんか今日、セクシーだね」みたいに言われたりすることってありますよね。

不本意ですが、そうですね……。

はらだ でも、ミニスカートってそもそも新時代の象徴として出てきたものなんです。1960年代のロンドンで、それまで長いスカートをはかないといけないとされていた女性たちが自発的にスカートを短く切ったことに始まり、それが後にファッションとして取り入れられた。だから、単純に「足が出てるからエッチ」みたいな見方は現代特有のものですし、逆に「新しいことにチャレンジするぞ!」という気分のときにはいても全くおかしくないのかな、と。

歴史を知ることは、なんとなく「そうなっているから」ということに対して、そういう自分なりの文脈をつくる材料を提供してくれると思います。

『百女百様 〜街で見かけた女性たち』書影 『百女百様 〜街で見かけた女性たち』(内外出版社)

確かに、今のミニスカートに対する見方しか知らないと「うっ」となってしまうようなときも、歴史を踏まえていれば踏みとどまれる。

はらだ はい。その場で「いや、歴史的にはこうだから」と言い返せなかったとしても、心のなかでそう思えるだけで楽になるというか。だから『日本のヤバい女の子』2冊目の副題には「静かなる抵抗」と付けたんですが、それは何か理不尽な出来事に出会ったとき、その怒りや抵抗の方法は一つじゃないよ、ということを伝えたかったんです。

例えば、佐賀県に伝説が残っている松浦佐用姫は、恋人との別れを悲しんで泣き続け、最終的にとうとう石になってしまうんです。別に彼女は暴れたり、人を殺したりはしていないけれど、石になってこの世に留まり続けることで「恋人と一緒にいられない世界」に対して静かに怒って、抵抗している、とも言える。

物言わぬ石になってまで永遠にそこにい続けるわけですから、強い意志を感じますよね。

はらだ それと同じで、何か理不尽な出来事に遭遇したときは、「抵抗」の定義を広くするのが良いと思うんです。別に何かを言われたときに黙っていたからといって、それが相手を受け入れたことにはならない。松浦佐用姫みたいに「嫌だな」とジッと存在しているだけでも、ちょっとTwitterでつぶやくだけでも、それは一つの「抵抗」になるんじゃないかと思います。そうするとできることが増えるから。

いつの間にか「従ってしまっていた」にならないために

先ほどの「抵抗」は何か実際に言われたときのことを想定していました。一方で、いつの間にか常識や当たり前に「従ってしまっていた」ということもあるかと思うのですが、はらださんが普段から意識されていることはありますか?

はらだ やはり、一つは「本当にそうなのか?」と問い続けることです。すごい呑気な例なんですけど、前に一度取材していただく際に編集者さんが同行してくださったんですよ。そうしたら、けっこうかっちりした場なのに、めちゃくちゃラフにビーサンをはいていて(笑)。

まさかの……!

はらだ 最初は「ビーサン…ですか…?」とモヤモヤしたんですけど、いろいろと考えた結果、私はこの人にビーサンを脱がせられる確固たる理由が説明できないなと思って。もちろん、「普通は履きませんよね」と常識を盾にすれば言えるんですけど、それはしたくない。だから、「決まりだから」で済ませず、常に問い続けるということは意識しているかもしれません。

あともう一つは、自分のなかにルールをつくることです。例えば、私の今日のファッションテーマは「蛇の魔術師」なんですけど(笑)。仮に誰かに「今日はデート?」みたいに声をかけられても、こっちには「蛇」っていう確固たる軸があるからどうでもいいと思えるというか。外部の圧力やノリみたいなものから逃れるためには、自分のなかにルールや文脈をつくるのが良いんじゃないかと思うんです。

はらだ有彩さんイメージカット2 アクセサリー類は全て蛇がモチーフになっている

確かに自分なりの軸があれば、周囲の声に左右されなくなりますね。

はらだ そう思います。そして、これらのことを意識するうえで有効な材料を与えてくれるのが、私にとっては歴史を知るということなんだろうと思います。もちろん、最初にお話しした通り、歴史には「思惑」も入っているはずで、全てに従う必要がないのは当然ですが、自分の基準で物事を考える材料として歴史を使ってみるというのも良いのではないでしょうか。

取材・文:芦屋こみね
編集:はてな編集部

最新刊『百女百様 〜街で見かけた女性たち』発売中

『百女百様 〜街で見かけた女性たち』書影

発売中 / 1,500円(+税) / 内外出版社刊

好きなように装い、自由に生きていく!

東京の道端で、大阪の喫茶店で、ハワイのエレベーターで、青島の海辺で、パリの地下鉄で……、
さまざまな場所で見かけた女性たちとその装いを、はらだ有彩が独特かつ繊細で美しい文章とイラストで描く。
さらに特別編には、漫画家でエッセイストの瀧波ユカリさん、
東京喫茶店研究所二代目所長の難波里奈さん、作家の王谷晶さん、タレントで文筆家の牧村朝子さんが登場。
さまざまな女性、一人ひとり違う装い、それぞれの美しさや良さに力づけられる一冊です。

お話を伺った方:はらだ有彩さん

はらだ有彩さん

関西出身。テキスト、テキスタイル、イラストを作る"テキストレーター"。2018年4月に『日本のヤバい女の子』、2019年8月に続編となる『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』(柏書房)を刊行。デモニッシュな女の子のためのファッションブランド《mon.you.moyo》代表。ウェブメディアなどでエッセイ・小説を連載中。

Twitter:@hurry1116

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