お洒落に「我慢」はしなくていい 心地よく着けられるアクセサリーを作る|小野桃子さん

onomomoko

「ファッション全体の中で、薬味的な存在になれるもの」「身に着けていて心地よくいられるものを作る」と語るのは、鮮やかな色使いと、繊細なつくりが人気のアクセサリーブランド「LAMEDALICO(ラメダリコ)」のデザイナー・小野桃子さん。2006年にブランドをスタートさせて以来、見ているだけでときめくアクセサリーを数多く発表してきました。デザインと製作、販売まで全て小野さんが手掛けています。

もともとは趣味だったというアクセサリー作りがなぜ仕事になったのか、どうして10年以上ブランドを続けてこられたのか。その答えを探ります。

ブランドのスタートは「流されるがまま」

特徴的な名前ですが、ブランド名の「LAMEDALICO(ラメダリコ)」はどういう意味なんですか?

小野桃子(以下:小野) 名前が小野桃子(おのももこ)なので、5文字かつ、最後を“こ”にしたくて。あとはネットで検索したときに埋もれてしまわないように、造語にすることを決めました。濁音が入っていると耳に残りやすいと聞いたこともあったので、キラキラ光るラメとメダルを組み合わせて、「LAMEDALICO」としました。

LAMEDALICOはデザイン、製作、販売の全てを小野さんお一人で手掛けているそうですね。どういう経緯で始まったのでしょう?

小野 29歳のとき、金沢にある金箔屋さんでコンサルティングをしている友人に声を掛けてもらったのがきっかけです。金箔を使ったアクセサリーを作れる人を探していて、私が趣味でアクセサリーを作っているのを知っていたため、軽い感じで話を振ってもらって。当時は専業主婦で、ときどき雑誌のライターをするくらいだったので、(お店に)置いてくれるなら作ってみようかなという感じでした。今ではWebでの販売を中心に展開しています。

最初は成り行きというか、声を掛けられるままに進んでいった感じなんですね。

小野 流されるがままでした。ただ、同じ頃に友人がギャラリーを始めることになって、そこに一週間展示したことで方向性が決まったような気がします。ブランド名を付けてロゴを作って、ギャラリー展示の準備を進めていくと、どんどん形になっていくんです。その後Webでの販売を始めましたが、最初は人がお金を払って私の作ったアクセサリーを買ってくれることにびっくりしてしまって。うれしいけれど、ちょっと怖さも感じました。

怖さ?

小野 「こんなものにお金を払ったのか」と、あとで後悔させてしまったらどうしようって、すごくドキドキしました。ひとりきりで始めたブランドなので、最初は客観的な視点で見ることができなくて、商品としての基準を満たしているのか自信が持てなかったんだと思います。リピートで買ってくれるお客さまが出てきて、ようやく「気に入ってもらえたんだな」って安心できました。今は客観視できるようになって、自分の中の製品開発部が「これは商品としてアリ、これはかわいいけど修正が必要」と厳しくジャッジしています(笑)。

ブランドがスタートしてからもう12年になるんですよね。今でこそ手作りのアクセサリーを販売する人はたくさんいますが、12年前はあまり多くはなかった気がします。

小野 そうですね。私自身LAMEDALICOを始める前までは販売目的ではなく、趣味で作ったものを友人にあげていました。ただ、モノ作り自体は中学生の頃から好きで。今日履いているサンダルの石も自分で付けたんですけど、ワンピースや靴にちょっとしたパーツを付けたりっていうのは昔からやっていました。

アクセサリー作りは独学でやってこられたんですね。

小野 はい。作ってみて、失敗して、次はこうしよう……っていうのを繰り返しています。一応高校を卒業してからデザイン学校に入ったんですけど、その時はあまり勉強しなかったんですよね。服飾の専攻だったのに、未だにパターンも引けない(笑)。

小野さんの足元

取材日、小野さんが履いていたサンダル

「お洒落は我慢」なんてしなくていい

アクセサリーを作る上で心掛けていることはありますか?

小野 コーディネートの中で、薬味的な存在になれるものを作ること。主役になるわけではなくて、でも着けていると気持ちが変わるし、ラフな格好をしていても、手もとや耳もとがちょっとキラッとしているとかわいい。そういう役割を担えるアクセサリーでありたいですね。この間ミョウガを食べていて、目指すところはここだなって思いました(笑)。

なくても成立するけれど、あったらグッと味が引き立つという意味では、確かに薬味とアクセサリーには共通点がありますね(笑)。インスピレーションはどこから?

小野 「花鳥風月部」って呼んでいるんですけど、お花を見たりお香を作ったり、そういう雅な活動を友人とやっていて。2018年の春は梅や桜の開花を追いかけて、いろいろなところに行きました。その期間中はアクセサリー作りの作業は進まないけれど、一段落した後に「こういうのが作りたい」ってイメージが湧くんです。遊んでいたように見えて、自分の中に蓄積があるというか。

例えば桜や梅を見たら、どういう形でアクセサリーに反映されるんですか?

小野 お花が綺麗だからお花の形の何かを作ったとしても、本物には絶対に勝てない。だからお花を入れるカゴの形のペンダントトップを作ってみたり、お花をイメージした色使いをしたりといった感じですね。例えば金糸ブレスレットに桃の形の石を使ったり、アヤメの色合いをイメージして青と緑の石を組み合わせたり。

言われてみれば……!

小野 他にも、金色の星が連なるチェーンと青のシルク、緑のタッセルで作ったネックレスは、尾形光琳の「燕子花図屏風」という絵の色が元になっています。金の屏風に青い燕子花(カキツバタ)と葉っぱが描かれていて、すごく好きなんです。

アクセサリー

和風ではないけれど、確かに同じエッセンスを感じますね。アクセサリーでお洒落を楽しんでもらうために、作る上で意識していることはありますか?

小野 「身に着けていて心地よくいられるものを作ろう」っていうのは意識しますね。例えば重いアクセサリーはあまり長く着けていられないから、できるだけ軽くするようにしています。あとは金属が直接肌に当たるのが嫌で。ネックレスの首に当たる部分をシルクにしたり、ピアスの裏側の耳に直接触れる金属部分に革を貼ったりと、なるべく肌に優しくできればと思っています。金属アレルギーの方もいますし、私自身、特に夏場は金属を直接肌に着けたくないので。

「おしゃれは我慢」って言いますけど、我慢しなくていいように作っているんですね。アクセサリーになじみがない人もチャレンジしやすそうです。

小野 普段アクセサリーを着けない方には金糸ブレスレットをオススメしたいです。細身のブレスレットはシチュエーションを選びません。それに、着物の帯などの刺繍に使う細い金の糸に天然石を通し、かぎ針で編んで作っています。手首にふわりと寄りそう感じがとても軽やかなので、負担なく着けてもらえると思います。

ネックレスやピアスと違って自分で見える位置にあるので、ちょっとした時にブレスレットを見て心が休まったり、「キラッとしてうれしいな」って気分になったりしてくれたらいいですね。

金糸ブレスレット

LAMEDALICOの定番アイテム・金糸ブレスレット

キラッとしたものに「ときめく気持ち」を共有したい

LAMEDALICOはどういう気持ちを込めて作っているんですか?

小野 キラッとしたものに、キュンとときめく気持ちを共有したいと思っています。「今日は疲れたな」「今週は冴えなかったな」っていう時に見て、うれしくなってくれたらいいなって。アクセサリーには天然石を使っているんですけど、私はあまり石の意味をスピリチュアルに考えることはしなくて。石は石で、意味がなくてもすごく綺麗。メッセージを込めずに、ただ綺麗なものとして私は見たいし、買ってくれる人にも、ただ綺麗であることを楽しんでもらえたらと思っています。

アクセサリーを着けてほしいっていう気持ちはあるけれど、それよりもキュンとしてほしいという想いが先にあるんですね。

小野 もちろんいっぱい使ってほしいし、「糸が切れそうなので直してください」って送られてきた*1アクセサリーが使い込まれているのを見ると本当にうれしい。でも、あまり使わないけれど、たまに出して「綺麗だな」って見てくれて、キュンとしてくれるのも同じくらいうれしいですね。私自身、結構前に作ったアクセサリーを久しぶりに着けて、「あぁ、これやっぱりかわいいな」って思うこともあるんですよ。アクセサリーを買ってくれた人もそういうふうに感じてくれたらいいなと思います。

小野さん

金糸ブレスレットをはじめ、LAMEDALICOのアクセサリーは全て小野さんの手作り。定番アイテムもあるものの、基本は一点物ですよね。作りは繊細ですし、細かいディテールにまでこだわっているのが分かります。こだわり過ぎて、作っていてつらくなってしまうことはないのでしょうか?

小野 手間を掛けること自体は苦にならないですね。もともと繊細なアクセサリーが好きだし、むしろ「もっとこうしたい」というイメージのクオリティーまで到達しない時が一番苦しい。繊細さを残しつつも、強度をどう保つのか。中途半端な仕上がりになることの方がよほどつらくて、両者のバランスにはいつも悩まされています。あとはもっと面白いものが作りたいのに、どんなものが作りたいのかが見えない時期はちょっとしんどいですね。同じものを繰り返し作るだけになってしまうと、楽しくなくなってしまうんですよ。スランプというか。

そういう時はどうするんですか?

小野 頑張って作ろうとしないで、気持ちが戻ってくるまで待ちます。無理をしても楽しくないし、手も動かない。その代わり、勢いが付いているときは手を止めずに、ちょっと無理をしてでもやります。

うまくいかない時は思いきって休んだ方がいいと思う一方で、逃げているのでは? と後ろめたい気持ちにもなる。そんな葛藤を抱いてしまいそうな……。

小野 すごく分かります。でも、モヤモヤを受け入れるしかないのかなって思うんです。そういうときに材料を出してみても、結局何もせずに片付けて、余計に悶々としてしまうんですよ。雑誌やネットでアクセサリーを見ても、「なんで私はこういうかっこいいものが作れないんだろう」「こういうアクセサリーの方がいいのかな」って気持ちがぶれてしまう。だからモヤモヤしてダメな時は、「今はそういう時期だな」って諦めます(笑)

無理せずに休んでいるうちに、調子が戻ってくる?

小野 そんな気がします。私、2月末の誕生日の直前に毎年落ち込むというか、低調になる傾向があって。その時期はジタバタしないようにしているのですが、特に今年は"花鳥風月活動"に没頭したのがよかったんですよ。梅が咲き始めて春の兆候が見えてくる、その芽吹きの波に乗って、徐々にテンションが上がって調子が戻っていきました。

もしLAMEDALICOをやっていなくても「作る」人生だったと思う

今ではネットで手作りのアクセサリーを販売している人はたくさんいますが、そういう中でどうして12年も続けられているのだと思いますか?

小野 なぜでしょうね……。「辞めないから」としか言いようがないかな。まだ全然やり切ってなくて、もっともっとできることがあるんじゃないかって思っているんです。新しいアクセサリーを作り終えて、それが一番新しいもので気に入っているんだけれども、だからといって気が済むわけではない。別の材料を見たり何かイメージが湧いたりすると、また新たな何かを作りたくなるんです。だから辞めたいと思わなくて、辞めないから、これまで続いているんじゃないですかね。

今後作ってみたいと考えているものはありますか?

小野 シルバーやゴールドなど、金属を使ったジュエリーの製作をもっと掘り下げてみたいと思っています。金糸のブレスレットのように素材を見て選びながら頭の中でデザインが固まっていくようなこれまでのアクセサリー製作とは違い、金属はどのようにでもできる素材で、その分立体的なデザイン力が必要。それがまだまだ自分には足りていないと思うし、難しさを感じています。難しいと感じるから、まだまだ続けたいという気持ちが湧くんだと思います。

根本にあるのはアクセサリーを作るのが好きっていう気持ちなんですね。

小野 はい。アクセサリー作りを嫌だと思ったことがなくて、そういう意味では私は果たして仕事をしているんだろうか? っていう気持ちになることはあります(笑)。もちろん楽しいところに行くまでにやらなきゃいけない面倒な下準備はあるんですけど、それにしても好きなことしかしていない感覚がありますね。

アクセサリー

もしコンサルタントの友人に「アクセサリーを作らない?」と声を掛けられていなかったとしたら、どんな人生だったと思いますか?

小野 もしLAMEDALICOをやっていなかったとしても、料理やお菓子作りなど、何かしら作ることをやっていたと思います。それ以外の仕事はあまりできないんですよ(笑)。

"作る"が核にあるんですね。

小野 そうだと思います。お花一つとっても、見るのが好きな人もいれば、その花について調べるのが好きな人、育てるのが好きな人など、さまざま。私は、花が咲いた後の実を加工したいんです。家に梅の木があるんですけど、梅の実をどう食べたらおいしいかを調べて、作って、食べるところまでをやるのが楽しいんです。何かしら手を動かしたくなるタイプみたいなので、今後もアクセサリー作りは続けていきたいですし、何かを作るということをずっとやっていくんだと思います。

取材・執筆/天野夏海
撮影/関口佳代

お話を伺った方:小野桃子 さん

profile

「LAMEDALICO(ラメダリコ)」デザイナー。デザインから製作、販売までを全て一人で行なっている。LAMEDALICOはブランドのWebショップで購入可能。不定期で展示会も開催している。
Web:LAMEDALICO/Twitter:@lamedalico
Instagram:@lamedalico

次回の更新は、2018年9月5日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:LAMEDALICOでは金色銀糸、本金糸のアクセサリーの修理を受け付けている

「好き」を仕事にするには覚悟が必要ーー街を愛する文筆家・甲斐みのりさん

甲斐さん

今回「りっすん」に登場いただくのは、文筆家の甲斐みのりさん。情報誌などでのライターを経て、文筆家に転身。街歩きや旅、クラシックホテル、お土産、パンやお菓子と執筆ジャンルは多岐にわたります。

甲斐さんの執筆の根底にあるのは、街への愛。街を歩き、旅をして、その街を形作る建物や人、お店などへの愛をつづります。本を書く上で心掛けていることや、好きなことを仕事にすることについて、語っていただきました。

肩書きが「ライター」だと書きたいことを書けなかった

甲斐さんは、街歩きや建築、お菓子、手土産など、さまざまなジャンルの本を執筆されていますが、どのようにして今の文筆家という形で働き始めたのでしょうか?

甲斐みのり(以下、甲斐) 最初はライターとして情報誌でお店などの取材をして書いていました。

今のお仕事である「文筆家」と違うのはどういった点ですか?

甲斐 あくまでも“私の場合は”という前提でのお話ですが、ライター時代は自分の書きたいことが書けず、それでかなり苦しい思いをしました。お店の取材をして、私が素敵だと思ったことについて書いても、お店がPRしたい部分と違っていたのか、原稿を公式サイトなどに載っているのと同じ文章に手直しされてしまうことがあるんです。

せっかくの取材がもったいない……。

甲斐 お店選びに自分の意見が反映されていた訳ではなかったので、取材先と自分自身の相性というのもあったのだなと今は思います。本や雑誌作りの流れを知ることができて勉強にはなったのですが、本当に伝えたいことが伝えられない、というジレンマがありました。だから、自分の名前や責任で、自分の好きなものを紹介する本を作りたい、とずっと思っていたんです。

書籍イメージ

自分の好きなものについて書く作家になる、というのは、ライターにとって憧れであり、ひとつのゴールでもあると思うのですが、何かそのルートに乗るきっかけはあったのでしょうか?

甲斐 ひとつの転機となったのは、東京に出てきたことです。最初は、大阪の芸大を卒業後、東京に出たいと思いながらもやっていける自信もなくて、京都で編集やイラストのスクールに通っていました。ほかにも、フリーペーパーの制作に参加したり、イベントに足を運んだり。そのつながりで、出版関係の仕事をするようになりました。

京都を選んだ理由は何かありますか?

甲斐 もともと京都への憧れがあって、住んでみたかったんです。昼は出版関係、夜は祇園の料亭で働く生活をしていたある日、東京の編集者さんと知り合って、「本を出したいなら東京に出てきなよ」と背中を押されて。当時はインターネットもまだ電話回線でキュルキュルキュル……ってつないでいたような時代ですから、何かをするにはまず東京、でした。そうして、その1ヶ月後には東京に出ていましたね。

行動力がすごいですね! それはおいくつくらいの頃ですか?

甲斐 25歳くらいだったと思います。最初の本『京都おでかけ帖~12ヶ月の憧れ案内』(祥伝社)を出したのが29歳で、それまではしばらくライターをやっていました。あるとき、ずっと「本を出したい」と言い続けていたのが功を奏して、一気にお声掛けいただけた時期があって。『京都おでかけ帖』のほかにも別の京都本と、お菓子の本を同時進行で抱えることになったんです。

そんな偶然ってあるんですね。

甲斐 それで、3冊出したタイミングで、肩書きを「ライター」から「文筆家」に変えたんです。でも、そうすると、いわゆるライター仕事が減ってしまい、生活面は一時的に苦しくなりました。

それはライター業界でよく耳にします。ライターから「作家」へ転向したときの"あるある"ですよね。ライター仕事はもうやらないと思われて発注が減るという。

甲斐 でも、肩書きを変えた結果いいこともあって、「文筆家」と名乗り始めると、それまでのように文章を直されなくなったんです。「自分」を主語にした「私はこう思う」という文章をやっと書けるようになりました。

住んでいる人ほど、自分の街のいいところに気付きにくい

甲斐さんの著作は、旅、お菓子、クラシックホテルなど、ジャンルが多岐にわたっていますが、どのようにしてテーマを選んでいるのでしょうか?

甲斐 どれも私が「好き」と思っているものを本にしています。一見ジャンルがバラバラに見えますが、全てに通じる大きなテーマは「街が好き」なんです。最初に出した『京都おでかけ帖』はその原点になっていて、京都の街の中にある、お菓子や建築、老舗のお店やお土産、宿泊、食、あらゆる自分の好きなものを詰め込んで作りました。以降に出している本も、例えばお菓子の本なら、「街が好き」で、その中で「お菓子」だけにスポットを当ててみる、とか、そういうことなんです。

なるほど。「街」をいろいろな側面で切り取って本を作っているんですね。

甲斐 地方取材をすると特に感じるのですが、住んでいる人ほど自分たちのいいところに気付きにくいんですよね。皆さん、「自分の街は田舎で何もない」とおっしゃっていて。取材をしながらその街の素敵なところを地元の方に伝えて、本や雑誌でいいところを取り上げることで、だんだん自分の街に自信を持ってくれます。その様子を見るのが、この仕事をやっていて楽しいことのひとつです。

甲斐さんはいつ頃から「街」に興味を持ち始めたのでしょうか?

甲斐 小さい頃からずっと好きでした。幼少期から20代前半くらいまでの間にずっと追いかけていたことが今、本になっているんです。小学生の頃、親の指示で家族旅行の旅行記を自由研究としてつけていました。どんなものを食べて、何を買って、どういう場所へ行ったのかを、細かくノートやスクラップブックに記録するんです。当時は面倒だなあと思っていたんですけど、それが結果的に習慣になって、今の仕事の資料としても役立っています。

インターネットがなかった頃の資料って、個人の記録頼みなところがあって、貴重ですよね。

甲斐 特に私の場合、昭和時代の昔ながらのパンとか、お菓子の包み紙とか、そういうジャンルが好きなので、ほかの人の研究というのがほぼなくて。ずっと集めている包装紙なんかは、場所も取るし、何度も捨てようかと思ったのですが、後世のためにという使命感もだんだん生まれてきて捨てられないんです(笑)。

ジャンルがニッチゆえに、先行研究がないんですね。

甲斐 お店にすら、「そんな古いの残ってない」と言われることも少なくないですし、閉店したお菓子屋さんもたくさんあります。当然、ほかの人が書いた本もないので、調べるには自分の足で巡るしかない。民俗学の研究をしているような感じです。

お店取材にしても、地方のお店だとネットに何も情報が載っていなくてたどり着くのにも苦労しそうです。

甲斐 そうなんです。『朝・昼・夕・夜 田辺めぐり』という、和歌山の田辺市を紹介する無料配布の観光案内冊子も作っているのですが、ネット検索してもお店の情報は出てこず、グルメサイトなどにも全然載っていなくて。自治体の皆さんと一緒に店を巡り、ネットで検索すらできない基本的なデータをまとめ、紹介してもいいかをその場でお願いしてまわりました。

無料の観光案内冊子

原稿を書くときは加点法。本を作る上で心掛けていること

本や雑誌でお店をとりあげるとき、何を意識して選んでいらっしゃいますか?

甲斐 評論家の植草甚一さんや作家の池波正太郎さんの街歩きの本が好きで、昔それを読みながら京都の街を歩いていたんですが、何十年も前に書かれた本なのに、まだ本に出てくるお店があることに驚きました。植草さんや池波さんが紹介するお店は息が長くて、結果的には老舗と呼ばれるようになっていたんですね。私もそういう、この街でこの先もずっと続いていくような、安心感のあるお店を紹介したいと思っています。

地元の人に愛されているようなお店とか?

甲斐 はい。書籍では特に、「その街に根付くお店」というのを意識しています。雑誌やWebでは、その季節に合ったものや、届ける読者層が決まっていることも多いので、それに合わせてお店選びをしています。

では、いざ書く段階になった際に心掛けていることはありますか?

甲斐 全て加点法で見るようにしているんです。お店だけでなく、お菓子やパンにしても、味のことを細かく言い出したら、意見や好みが分かれるようなものも正直あります。例えば私が紹介するのは、昭和時代から売られているレトロなパンとかなので、天然酵母を使ったこだわりのパンとかと比べると、味の面ではどうしても甘さが強過ぎたり、高カロリーだったり……となってしまう。ただ、紹介すべき素敵なところはほかにもたくさんあって、味のことだけではなくて、それ以外のいいところもたくさん見つけて書いています。それに私、そもそもパンやお菓子という「存在」そのものが好き過ぎて、「味だけが全てではない!」と思ってしまうんですよね(笑)。

愛がすごい! 甲斐さんに紹介してもらったお店や商品は幸せですね。

甲斐 あるお菓子を食べに行ったときに、あまりに個性的な味で、その場にいた取材チームがみんな微妙な表情をしたんですが、私はその味を微笑ましく思えて笑みがこぼれた、なんてこともあったんですよ。それでもそのお菓子はちゃんと長く売れていて、街の人に愛されていて、売っているお店のおじさんがいて、常連さんがいて。お店のおじさんに取材をして、嬉しそうに話してくれたら、それだけで楽しくなります。

ははあ、なるほど。

甲斐 お菓子を紹介しているのに、包装紙やお店のおじさんについてばかり書いていることもあるので、たまに「味について全然書かれていない」などと言われます(笑)。でも私、そういうのを全てひっくるめて好きなんですよね。原稿を書くときは、そのどこを切り取るか、というだけの話で。

お菓子やパンそのものというより、周囲にあるものも含めたストーリーがお好きで、そういうのを紹介したいと思っていらっしゃる、ということでしょうか?

甲斐 まさにそうです。それに、何かを批判したところで、それがそのお店や商品の欠点かと言われると、そうとも言い切れません。例えば、京都にかなりお年を召されたおばあちゃんがやっていた喫茶店があって、その店ではコーヒー1杯に30分以上待つのが当たり前なんです。常連さんは、「今日は60分待った」「自分は70分だった」と自慢げに話していて、「待つ」というのが面白い要素になっているんですよ。

へえー! 待ち時間がアトラクションのようになってるんですね。

甲斐 そのことを知らずにひょいっと店に入ったら、一時間待ってもコーヒーが出てこないのはたしかに欠点になるかもしれません。ですが、常連さんたちにとってはそれこそが間違いなく愛されるポイントになっています。だから、どんな欠点も捉え方次第なんですよね。欠点を長所として加点法で捉えられた方が生きている上でラクだし楽しいよって私は思います。

好きなものを好き、と言うのが不安だった

ここまでお話を伺っていて、好きなものに対する愛がとにかく広く深いことに驚きました。

甲斐 でも実は私、はっきりと自分の好きなものを主張できるようになったのって、30代になってからのことなんです。高校生くらいまでは、好きなものを人前で堂々と好きと言えないことも多くて……。これを好きと言ってしまったら、周りになじめなかったり、時代遅れと思われたりするかな、と思うこともありました。最近までうっすらその感覚はあって、2年前に出した『地元パン手帖』(グラフィック社)も出すまでは不安で不安で……。

地元パン手帖

そうなんですか!? この本、めちゃくちゃ素敵ですよ! 昔ながらのパンをこうして並べてみると、すごくかわいいんですね。

甲斐 これを出したとき、ブームになっていたのは天然酵母やこだわりの製法のパンばかりだったんですよ。だから、時代に逆行したパンの本を出したら批判されることもあるのかな……って心配もありました。こういう昭和レトロなパンを好きで買い続けてたら、以前、友達に不思議な目で見られたこともあったんですよね。「みのりは今どきのパンは買わないから」とか「それ、味はおいしいの? カロリー高くない?」などと言われたことも(笑)。

自分が好きなものに対して、センスがおかしい、みたいな目で見られるとつらいですよね。

甲斐 「味だけでは語れない日本の歴史が、物語が、地元パンには詰まっているんだ!」とパンへの愛情を注ぎ、本を出すからにはいいところが伝わるように書く自信はありました。でも、そう言いながらも心の中では「批判されることもあるかもしれないな……」と不安で仕方なかったです。実際は、蓋をあけてみたらとても好評で。この本を出したくらいからやっと、自分の好きなものについて堂々としていなければ、そのものに対しても失礼だと思うようになりました。

好きなことを仕事にする上で必要なこと

最後に、正直な話、いくら好きでも本を作っているうちに嫌になることってありますか? 甲斐さんの本って、資料がなかったり、地方の小さなお店だと向こうが取材慣れしていなかったり、一冊作るのがめちゃくちゃ大変なのではないかと思いまして……。

甲斐 本当に大変ですね。何冊作っても慣れることはないし、緊張感も伴います。100円のパンを食べてみたくて、交通費3万円かけて山奥まで行くこともありますし、取材依頼をするのも苦労が絶えません。「取材などと言いながらお金を取るんだろ」と電話口で怒鳴られたり、電話を切られてしまったりなんてことも、未だにあります。どうしても載せたいお店があっても、許可をいただけないことも。本が出てから「あの店が載っていない」という読者からの感想をいただくときは、そのほとんどが掲載の叶わなかったお店なんです。

あるあるすぎる……。

甲斐 よく誤解されがちなのは、好きなことを仕事にしているけど、イコール、ラクなわけではないんですよね。おいしいものやかわいいものを取り上げているからか、端から見るとラクで楽しく見えてしまうみたいで。でも、嫌になるということもないですね。

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好きなことを仕事にすると嫌いになるからやめた方がいい、という人もいますよね。

甲斐 たぶん、好きなことを仕事にするには、「覚悟」が必要ということなんだと思います。

覚悟。覚悟がないまま好きなことを仕事にすると、嫌いになってしまうかもしれない、ということでしょうか?

甲斐 人それぞれではありますが、仕事にするほど好きなことは簡単に嫌いになれないからこそ大変なんじゃないかな。好きなものを詰め込んだ本が出来上がると幸せですが、幸せだと思う瞬間の何十倍も、つらいことだってあります。苦しいことをたくさん背負って、その100分の1くらいが一冊の本として世に出ているわけです。だから、好きなことを仕事にしたいならば、「楽しい」以外の部分を見て、想像して、覚悟をしておく必要がある、と私は思います。

経験していないとなかなか実感がわかないかもしれませんが、そうですね。

甲斐 私自身、本を書くことについて、覚悟してます、努力してますって、もう恥ずかしげもなく言っているんですけれど(笑)。それが、好きなことを仕事にする、ということなんだと思うんです。

取材・文/朝井麻由美
撮影/小野奈那子

お話を伺った方:甲斐みのり さん

profile

文筆家。静岡出身。大阪、京都と移り住み、現在は東京にて活動。旅、散歩、お菓子、手みやげ、クラシックホテルや建築、雑貨や暮らしなど、女性が好み憧れるモノやコトを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。著書は『地元パン手帖』『お菓子の包み紙』(ともにグラフィック社)、『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)など40冊以上。
Web:Loule/Twitter:@minori_loule

次回の更新は、2018年8月29日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

中学生で“就活”を経験。タレント兼エンジニア・池澤あやかさんが二つの仕事を続ける理由

池澤あやかさん
今回「りっすん」に登場いただくのは、タレント兼エンジニアとして活動する池澤あやかさん。中学二年生の頃、第6回東宝シンデレラオーディションで審査員特別賞を受賞。女優やモデルとして活動しながら、慶應義塾大学環境情報学部に入学します。そこでエンジニアリングの面白さに目覚めた池澤さんは卒業後、タレント兼フリーランスのエンジニアとして働く道へ。タレントとエンジニア、両方をやっているからこそ得られるものについて語っていただきました。

オーディション三昧で中学生にしてPDCAを回す

池澤さんは、タレント兼エンジニアなんですよね。それも、本格的にアプリケーション開発などに携わっていらっしゃっていて。

池澤あやか(以下:池澤) そうです。芸能事務所に所属しつつ、フリーのエンジニアとしても働いています。事務所の所属タレントの中ではかなり独特な働き方をしているので、ちょっと肩身が狭いんですけどね……(笑)。

所属していらっしゃる東宝芸能は、女優さんのイメージが強い事務所ですね。

池澤 確かに女優さんが大多数を占めますね。ただ、そういった環境の中で、女優業でない部分での自分の強み、求められるものを常に考えながら仕事に臨んでいます。

芸能の仕事に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう?

池澤 中学生の頃、同世代の子がやっていないような変わった活動をしたい、と漠然と思っていて。レールに乗っている感じが嫌で仕方がなかったんです。なんでもいいからレールから外れたことをしたい!って。ちょうど中学二年生で、まあ、その、そういう時期ですよね(笑)。

池澤あやかさん

いわゆる、中二病のような……(笑)

池澤 そうです、まさに。それで、母が見つけてきた東宝シンデレラオーディションを受けました。でも、女優になりたい、とか目標を持っていたわけでもなく、なんなら芸能活動じゃなくても、留学でも何でもよかったんですよ。

実際に芸能界に入ってみてどうでしたか?

池澤 常に就活しているみたいでしたね。オーディションで自分をPRして、仕事につなげなければならないので。中高生の頃は週一くらいの頻度でドラマや映画、CMなどのオーディションを受けに行っていました。そのたびに何回も何回もPDCAサイクルを回しまくって……。それに、芸能界って信じられないくらいかわいい子だらけなので、これは容姿だけじゃダメだな、ほかに売りを見つけないとな、とか日々試行錯誤していました。

中学生にしてすごいこと考えていたんですね……。

池澤 そこはもう"就活"だから、考えざるを得ないんですよ。でも、この経験のおかげなのか、今でもいい意味で諦めがよくて、あまりうじうじ悩まずにポジティブでいられているように思います。容姿以外にも、歌や踊りといった身体表現の才能が圧倒的にある人とかを見過ぎたせいで、才能がないものはないで諦めようって。そうしないと、スタートラインにすら立てないですから。「ないものは仕方がないな」って。

芸能人として輝いている周りを見て、できない自分を責めたり落ち込んだりはしなかったんですね。

池澤 その瞬間は落ち込むこともありますが、寝たら忘れちゃいます。人ってそんなに他人に興味ないものだし、私が何かミスしたりダサかったりしても、他人はたいして覚えてないんですよね。気にしているのは自分だけで。

強い……。

就活にピンとこなくてフリーで働くことに

池澤あやかさん

今のエンジニアという働き方の土台となる経験やきっかけについても教えてください。

池澤 最初の目覚めは、高校時代だったと思います。あの頃、Twitterの前身のようなミニブログがはやっていて、Webサイト制作に必要な言語を使って自分でカスタマイズができたんです。そういうので慣れ親しんでいたり、当時所属していた青少年赤十字の団体(JRC)のWebサイトを見よう見まねで作ったりして、ものづくりの面白さを知りました。

その後、入学された慶應義塾大学環境情報学部は、コンピューター関連に強い学部でもありますよね。

池澤 入学当初は、ITとかエンジニアとかではなく、映像を勉強しようと思っていたんですけれど、実際に入ってみて興味を持ったのは、エンジニアリングやインタラクションデザイン、VR、電子工作などでしたね。研究しつつ、Web制作会社でアルバイトしつつ、芸能活動も続ける、という生活を送っていました。

大学卒業後は、どこか会社に勤められたのでしょうか?

池澤 いえ、会社には一度も所属していないです。大学の友達はみんな就活していたので、それに触発されていくつかインターンをしてみたものの、なんかピンとこないなって……。インターンでは1000人規模の大きなプロジェクトなんかにも参加させてもらったのですが、自分が関わるのはほんの一部なので、あまりやりがいを感じられませんでした。

1000人規模だと自分が担うのはほんの一部ですし、"自分が作った"感はあまりないですよね。

池澤 そうなんです。「私がこれを作りました!」と言えるくらいの規模感でやりたいな、と。結局、一番楽しかったのがアルバイトしていた小さなWeb制作会社の仕事だったので、アルバイトで得た知識を生かして、タレント業と並行しつつ、エンジニアとしてはフリーでやってみることにしました。

芸能とエンジニア、両方やっているからこそ得られるもの

フリーでの最初の仕事はどのようにして取ったのでしょうか?

池澤 芸能の仕事で呼ばれたときに「Webサイト作れます」とか言っていたら、「じゃあ試しに作ってみる?」と言ってもらえたんです。最初はWebデザインの仕事でしたが、そういうのの積み重ねで、徐々にいろいろなプロジェクトに呼んでいただけるようになりました。

ちなみに卒業後、そのまま芸能の道一本で生きていく、という選択肢については考えていましたか?

池澤 それがですね、芸能活動を通して気付いたんですが、私そんなに表に出るの好きじゃないなって(笑)。両方をやっているからこそ得られるものも大きいので、芸能の仕事も続けていきたいとは思っています。でも正直、コンピューターに向かってコツコツものづくりする方が好きなんですよね。

両方をやっていることで得られるものというのは、例えばどんなことでしょう?

池澤 タレント業をしていると、番組やイベントの企画などで新しい技術や人、モノに触れることができるんです。IT業界って技術の入れ替わりが激しいので、最新の現場を見る機会に恵まれるのはありがたいんですよね。逆に、エンジニア業をしていることで、タレント仕事の際にいいことを言える、といった利点もあります。

逆に、大変なことはありますか?

池澤 休日がほとんどないことですね。平日に芸能活動をすることがある分、どうしてもエンジニア業の方が土日に食い込むことが出てきます。

エンジニアって繁忙期には徹夜が続くイメージがありますが、そういう際、芸能仕事のスケジュール調整はどのようにしているのでしょう?

池澤 そこらへんは事務所にも理解してもらっていて、繁忙期は芸能の仕事を詰め過ぎないようにしてくれています。最近だと「メルチャリ」というアプリケーションにソフトウェアエンジニアとしてがっつりジョインしていたので、リリース期は大変でしたね……。床で寝ていたら中耳炎になりましたし。でも、「メルチャリ」は自分の今までの経験の中でも大きな案件で、検索するとたくさん感想が出てくるというのは初めてだったのでうれしかったです。

merchari.bike

出演情報の告知が面倒だったので自分でbotを作った

働く上で、今後の目標はありますか?

池澤 まずはもっといろいろなプロジェクトに入って、技術的に成長したいと思っています。業界の流れが速過ぎて、キャッチアップが本当に大変なんです。最近はアプリケーション制作の案件が多くて、ここ2年くらいWeb制作に関わっていないのですが、たった2年でめちゃくちゃ変わってますし。

そうなんですね。

池澤 私がWeb制作をしていたときは、フォトショップでデザインを作ってCSSとかを書きながら実装していくのが主流だったのに、それはもう古いとか。jQueryというJavaScriptライブラリを使ってコードを書いていたのが、今はReactじゃないとダサいとか。2年前とあまりにも違い過ぎて、イチから勉強しないとって思っています。そういう、日々学んでいかないといけないのが、この仕事の面白いところでもあるんですけどね。

CSS……Webサイト制作に必要な言語(HTML)をどのように表示・装飾させるか指定する言語
jQuery……プログラミング言語の一つであるJavaScriptをより容易に記述できるように設計されたもの
React(React.js)……ブラウザで動作するWebアプリケーションのUI(ユーザインターフェイス)を担当するJavaScriptをより容易に記述できるように設計されたもの

ちなみに、技術がもっと身に付いた将来、どんなものを作ってみたいと思いますか?

池澤 自分の作品と言えるものは、小さいものだったら今すでに作っているんです。例えば、出演情報をTwitterでつぶやいてくれるbot。これは自分で、自分のために作りました。出演者の欄に「池澤あやか」と書かれている番組だけ抽出して、勝手に告知してくれるんですよ。

img

池澤あやかさんTwitterより(@ikeay

GitHub - ikeay/tv-info-bot: タレントのTV出演情報をTwitterでつぶやく

すごい!

池澤 いつも告知を忘れちゃっていたのが、これを作ったおかげで解決しました。最近ではbotのつぶやきを見て、ああ今日出演あったんだー、と知っています(笑)。

エンジニア兼タレントをまさに体現する制作物ですね。

池澤 将来的にはエンジニアの技術を使って「体験」を作りたい、というのがずっと軸にあります。ただ、そんなに具体的にちゃんと考えてはいないです。今の時代って特に、状況に合わせて柔軟に対応するバランス感覚が必要だと思っていて。どんなパーツが来ても大丈夫な自分でいたいですね。

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方:池澤あやか さん

dammy

タレント・エンジニア。第6回「東宝シンデレラオーディション」審査員特別賞受賞。映画『ラフ ROUGH』(2006年)にてデビュー。『あしたの私のつくり方』(2007年)、『デトロイト・メタル・シティ』(2008年)、ドラマ『斉藤さん』(2008年)などに出演。現在はタレント業と並行しエンジニアとしても活動中。
Twitter:@ikeay

次回の更新は、2018年8月8日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

服が溢れた今の時代に、新しくブランドを立ち上げた理由――「LEBECCA boutique」ディレクター・赤澤えるさん

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」「夢にまで咲く花柄浴衣」など、販売する服に名前を付け、その名前に至るまでの背景や物語をSNS等で発信する、ファッションブランド「LEBECCA boutique」のディレクター・赤澤えるさん。常に“赤”のワンピースを身にまとった彼女は、幼い頃から古着を好み、同ブランドではヴィンテージアイテムも豊富に取り扱う。場違いなパーティーに始まり、一度は洋服を作ることに絶望したという過去から、ブランドへのこだわり、今後の展望などを伺いました。

ファッションを仕事にする気なんてサラサラなかった

“思い出の服”をテーマにした世界初の服フェス「instant GALA」のクリエイティブディレクターを務められるなど、ファッションを軸に幅広く活動されていますが、まず「LEBECCA boutique」のディレクターとしてのお仕事を教えていただけますか?

赤澤える(以下、赤澤) 次に作るオリジナルアイテムの方向性やデザインを決めたり、バイヤーとしてヴィンテージアイテムの買い付けに行ったり、フォトグラファーとして撮影をしたり、本当にさまざまなことをやらせていただいていますが、私にとって重要な仕事の一つは文章を書くことです。「LEBECCA boutique」のアイテムには1点1点に名前が付いていて、その背景となる物語があるのですが、そういったことを発信することで、誰かにとって“意味のある服”になればいいな、という想いでブランドを運営しています。

そもそも赤澤さんが最初にファッションに興味を持ち始めたのはいつ頃なんですか?

赤澤 小学生のときから、ファッションは好きでした。ただ、ファッションを仕事にしようとは全く考えていなくて。むしろ「激務!」という印象ばかり強く、意識的に仕事にすることを避けていたように思います。

今のご活躍を拝見すると意外です! ほかに何か目指されていた職業があったんですか?

赤澤 明確にはなかったと思います。栄養学を専攻していた大学も2カ月で中退しました。その後は、手に職を付けたいと思って、学校に通うためのお金を貯めながら美容師を目指しましたが、もともと肌が弱く、素手で薬剤が扱えないという致命的な事実が発覚して、断念。お金だけは貯めていたので、時間のあるこの機会に日本一周をしてみよう! と思い立ったら、東日本大震災が発生して自由に動きづらい環境になってしまい……。20歳前後のときは何もかもうまくいかなくて、本当にどうしようもないなって思っていました。

赤澤えるさん

そんな紆余曲折を経て、ファッション業界に携わるようになったきっかけは?

赤澤 当時、インターンしていた会社の方に「バースデイパーティーがあるから来て!」って言われたのが始まりです。パーティーなんてほとんど行ったことなかったから、しぶしぶという感じで行ってみたんですけど、まあ場違いで(笑)。みんなキラキラしている人ばかりで、私は隅っこのカーテン裏で1人オレンジジュースを飲んでいました……。それで、「もう帰ろうかな」と思っているときに、たまたま以前仕事でご一緒した方に声を掛けられて。それがきっかけで、その方がプロデュースしていたファッションショー関連の会社で働くことになりました。

まさかの偶然の出会いが、ファッション業界でのキャリアのスタートになった、と。

赤澤 そうなんです。ただ、体調を大きく崩したことが原因で退職せざるを得なくなって。ニートの期間を挟み、その後はアパレルの会社でプレスを務めていました。

「LEBECCA boutique」の親会社でもある株式会社ストライプインターナショナルに入ったのは、どのような経緯だったのでしょう?

赤澤 これまた偶然なんですが、石川康晴社長と友人だったからなんです。私が一眼レフを持っていたのを覚えてくださっていたみたいで、「カメラできるならやってよ」とお声掛けいただき、通販サイトのカメラマンとして入社しました。

洋服を作った実感は、言葉が伝わったときにこそ感じられる

ディレクターを務められている「LEBECCA boutique」は、どのような経緯でスタートされたのでしょうか?

赤澤 最初はカメラマンとして従事していたのですが、続けていくうちに「PRディレクター」という肩書きのお仕事をいただいたんです。それで、しばらく仕事をしていると、「ブランドをやらないか?」と直々に社長からお話をいただくようになって。でも、「この人はきっと何か勘違いしてる!」と思って、実は3回くらい断っていたんですよ。前職でもプレスを経験していたし、友人にフォロワーの多い人がいることから、簡単にたくさんのPRができると思われているんじゃないかと思って。

赤澤えるさん

そんな中、ご自身のブランドを出そうと決断したのは何が決定打だったのでしょうか?

赤澤 そのとき、ちょうどラフォーレ原宿の「earth music&ecology」を続けるかどうか決めるタイミングだったそうなんです。もともと、ストライプインターナショナルは岡山で始まった会社なのですが、「earth music&ecology ラフォーレ原宿店」は東京進出を果たした第一号店。その跡地となる場所に私のブランドを出さないか、と。このとき、「これは私の人生に何か大きなことが起きているぞ…!」と感じて、思い切ってやろうと決めました。

「LEBECCA boutique」の特徴の一つに、洋服に名前を付けて販売している点があると思います。コンセプトは、どのように決めていったのでしょうか?

赤澤 コンセプトを決めるときに、たぶんブランドを出しても1年くらいしか続けさせてもらえないんだろうなあって思ったんですね。私の何倍もフォロワーのいる方がブランドを作ってもうまくいかないこともある——そんな現場を今までの仕事の中で何度も目の当たりにしてきたので。それで、どうせ短い活動になるなら自分の納得感を最大限まで高められる仕事がしたくて。せめて、その一着が人から大切にされるように、自分も心から愛せるように、“名前”を付けようと思ったんです。

赤澤えるさん

「勝負する日のワンピース」
写真提供/赤澤える(@l_jpn

それが、「名前」のきっかけだったんですね! お店のスタートは順調だったのでしょうか?

赤澤 私はブランドのリーダーですが、ファッションの専門学校も出ていないし、アパレル販売の経験もありません。だから、最初はそんな私が細かいことをいろいろ言ってしまったら、「じゃあ、お前がやってみろよ!」みたいに思われちゃうんじゃないかと思って、すごく悩みました。一時期は、お店にあまり顔を出さない方がみんなのためになるんじゃないかなんて考えてしまって、実際にそうしてしまった時期もありました。ただ、そんなことをしているうちに、お店と私の関係性やお店自体の雰囲気も悪くなってしまって。それで、すごく反省して、今は5分でも時間があればお店に顔を出すようにしていて、スタッフのみんなも「わ〜えるさんがきた〜♪」というゆる〜い感じで迎えてくれます。

自分よりファッションに詳しい人が部下にいる、ということにやりづらさは感じませんでしたか?

赤澤 それは正直ありました。そもそも、私はデザインもできないし、縫製もできないのに、服を作っていると言えるのか? って。ただ、だから私にとって「言葉」はすごく重要なんだと思います。私は、私の言葉が相手に伝わったときに、初めて「私の服だ」と言い切れる。これまでは、「いつこの業界を辞めるんだろう」みたいな、ぼんやりした気持ちでファッションに携わっていたんですけど、服に名前を付け、その背景を文章にして、それがお客様に伝わったと実感できたとき、そんな感覚はなくなりました。

服作りに絶望し、服を作る“意義”を探した

ブランドを始められてから、何か大きな挫折はありましたか?

赤澤 お店を始めて1カ月がたった頃、アメリカへ買い付けに行ったんですが、そこでおびただしい量の“要らなくなった服の山”に出会いました。天井から床まで服で埋め尽くされていて、「こんなに服がいっぱいあるのに、なんで新しく服を作らなきゃいけないんだろう」と。その場に泣き崩れてしまって、ブランドをやる意味、服を作る意味を完全に見失いましたね。

赤澤えるさん

写真提供/赤澤える(@l_jpn

そこから、どう立ち直ったんですか?

赤澤 その場で、すぐにその古着の山の写真を社長に送り付けました。「この状況知っていますか?」「これでも服屋をやりますか?」って。それで、帰国後に社長とお話をする機会をいただきました。社長は丁寧に話を聞いてくれたんですが、その日のうちには納得しきれなくて、そこから数カ月毎日のように私が疑問をぶつけては、社長が答えるという期間が続きました。

最終的に、また前を向けた理由はなんでしょうか?

赤澤 やっぱり、社長が細かく丁寧に一つ一つの疑問に答えてくれたのが大きいです。服があり余ってるのは事実ですし、いくらセールをしても売れずに、捨てられていく服は確実に存在する。でも一方で、社長は「僕たちは規模を選んだ会社として、多くの人の幸せを考えたい」と言っていて、現状を冷静に見つめると、それも一概に間違いとは言えない。だから、まず私たちは私たちなりの服を作り続ける理由を見つけて、それに向かってやっていこうと思いました。

赤澤さんが見出した、“服を作る”意義とはなんでしょう?

赤澤 私たちの作る服は、捨てられない服を目指しています。捨てたいと思われない服、手離すときが来ても誰かの手に渡るような服でありたい。手離す手段はたくさんあるけれど、できるだけ「どういう思いで買って、どういう日に着ていたのか」が伝わる方法で、次の人に受け継いでほしい。「LEBECCA boutique」の服に名前とストーリーが付いているように、どんな小さなことからでも“大事にしてもらえる服作り”を実現していけるんじゃないか、と。それが、今の私が考える“服を作る意義”に直結しています。

常に自分に問う、「それ、やらないとブランド終わりますか?」

現在、ファッション業界ではブランド間のコラボレーションが活発な印象を受けますが、「LEBECCA boutique」もお誘いを受けることが多いのではないでしょうか?

赤澤 ありがたいことに、お話をいただくことはあります。ただ、全部がそうとは言いませんが、コラボは数字ばかり目的にされがちで、肝心のブランドや作り手自身のことが、なおざりになってしまうことが多いと思うんです。例えば、ミュージシャンとコラボするなら、私は全ての楽曲を聴いてから一緒にやりたいんですが、一曲も知らないまま数字だけを目当てにコラボしちゃうようなものが少なくないのではないか、と。今までたくさんのお仕事に携わらせていただきましたが、コラボをする相手との関係性に愛がない状況は何度も見てきたので、私たちのブランドでは慎重かもしれません。もちろん、納得できる状態だったら大歓迎なのですが、それを判断するには、ブランドコンセプトとの照らし合わせが重要だと考えています。

そのことに気付いたきっかけは、なんだったのでしょうか?

赤澤 そもそも、私の経験から、必ずしもコラボする相手のファンが多いからといって、全てが売れるわけじゃないという実感があるんですよね。もちろん、それは相手が悪いわけでは決してなく、単純にお客様が求めていることと、ブランドの向かう方向性との間にズレが生じているということだと思うんです。私たちの場合は、「これはコラボアイテムとしてではなく、私たちのオリジナルアイテムだとしても、LEBECCA boutiqueで販売するだろうか?」と改めて考えることが必要かな、と思います。

赤澤えるさん

コラボを始め、今の赤澤さんにはさまざまなお誘いが来るかと思うのですが、判断に悩んだとき、赤澤さんはどうやって答えを見つけるんですか?

赤澤 自分の家の壁にブランドコンセプトを書いた紙を貼っているので、それと照らし合わせて判断します。少しでも外れていれば全て断りたいのが本音ですが、それでも判断に迷ったときは、「それ、やらないとブランド終わりますか?」と、自問自答するようにしています。答えが「終わりません」だったら、いくら数字につながっても絶対にやらない。もし、「終わりかねない」と結論が出たときには、晴れた日の明るい時間帯に風通しのいいところで改めて考えます。雨の日や暗いところだと、どんどん悩みが深まるので。私の決断は“私たち”の決断になり、私の迷いは“私たち”の迷いになります。だからこそ、考えや思いの深め方自体の健康さを意識することは重要だと思います。

今でも、「お店がなくなってしまうかもしれない」という恐怖感はあるのでしょうか?

赤澤 あまり直接的に言わないようにしていますが、ずっとあります。「このままじゃお店なくなるよ」って言われ続けてきたので、次のシーズンの提案やイベントの話が会社から来るたびに「あ、まだ続けられるんだ」って安心します。だから、本当はおいしい話に乗っかってしまうのが精神的には楽だと思うんですけど、それだとこのブランドをやっている意味がなくなる。お店のある今が最高に楽しいので、なくなってしまうことを考えると怖いですが、いつお店がなくなってしまっても納得できるように毎日の仕事に打ち込みたいです。それこそ立ち上げ当初「1年しか続けさせてもらえないなら……」と考えていたときのように。怖がるばかりで保守に走るより、このブランドでやる意味があることを常に考えて、悩んで、進んでいきたいです。

忘れないように、いつも言葉にする

先ほどからもお話にありましたが、赤澤さんにとって“言葉”は非常に重要な存在だと思います。言葉を残すことは昔からの習慣だったんでしょうか?

赤澤 私、幼い頃から記憶力がものすごく悪いんですよ。検査をしたこともあるくらい。だから、覚えておくことには自信がないし、自分も周りももう諦めていますが、それでも覚えておきたいことは何でもすぐにメモを取るようにしています。服に名前を付けることにおいても、忘れたくない体験や言葉を日々書き留めているメモがヒントになります。殴り書きなので誰にも見せられませんけど……。

赤澤えるさん

ご自身が違和感を覚えたことだったり、納得できなかったこともメモに残していたりするのでしょうか?

赤澤 そうですね。「なんで?」って思ったことに対して答えをもらえなかったこととか、「ルールなので」と突き放されて理由が分からなかったこととかも、「これは今日答えてもらえなかった」ってメモをしておきます。根に持つみたいで怖く聞こえるかもしれませんが、私にとっては大切なこと。そうすることで、次は違う言い方で聞いてみたり、また違った人に聞いてみたりして答えをもらいにいけるかもしれない。結果として、物事やルールをより良く変えることにもつながると思います。

お話を聞いていて感じたのですが、結構頑固なタイプですよね?(笑)

赤澤 よく言われます(笑)。どんなに小さなことでも、自分が感じた“引っかかり”はメモして、一つずつクリアするまで、しつこく戦うようにしています。

最後に、今後の展望があったらお聞かせください。

赤澤 今、キャンピングカーに乗って日本一周するプロジェクトをやっているんです。日本中のさまざまな“生産に関わる方”を訪ねて、「MADE IN JAPAN」のお仕事を見たり聞いたりして勉強させていただいています。やっぱり私は、全て納得した上で、ものづくりをしたいという気持ちが強い。現状、「LEBECCA boutique」の製品を全て私が完全に100%納得いくようにするのは難しいのですが、やり方を模索し、やっと叶えていく段階に入ったところです。生産背景が全て見えるような服が「LEBECCA boutique」に並ぶ日が、そう遠くはないと思っています。

ありがとうございました!

取材・文/宮本香菜
撮影/関口佳代

お話を伺った方:赤澤える

赤澤えるさん

LEBECCA boutiqueブランド総合ディレクターをはじめ、さまざまな分野でマルチに活動。特にエシカルファッションに強い興味・関心を寄せ、自分なりの解釈を織り交ぜたアプローチを続けている。自身が撮りおろし、福島県と共同制作したZINE「夢にまで」発売中。

Twitter:@ERU_akazawa
Instagram:@l_jpn

次回の更新は、7月25日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

ロリータファッションは、私にとっての「戦闘服」――モデル&看護師・青木美沙子さん

青木さん

今回「りっすん」にご登場いただくのは、モデルと看護師、二足のわらじを履く青木美沙子さん。学生の頃、雑誌『KERA』で読者モデルとしてデビューし、瞬く間にロリータファッション好きの間でカリスマ的存在に。2009年には外務省から“カワイイ大使"に任命され、日本のロリータ文化を世界にも発信。その一方で、看護師としての経験も着々と積み重ね、異なる二つの職業を両立し、エネルギッシュに働いています。

20代前半、大学病院に勤務していた頃は、夜勤明けで撮影に行くなどハードなスケジュールもこなしていた青木さん。将来のことも見据えた戦略的な考え方や、ロリータファッションを布教する上での偏見や葛藤など、働くことを通した青木さんの哲学を語っていただきました。

モデルと看護師、激務でも両方続ける理由

青木さんはロリータモデルとして活躍されていながら、看護師の仕事もずっと続けていらっしゃるんですよね。モデルと看護師、どちらもお忙しいイメージのある職種なので、そんな働き方ができることに驚きました。

青木美沙子(以下、青木) 訪問看護という形で自宅療養中の患者さんのご自宅に行っているのですが、これは登録制アルバイトをイメージしていただくのが近いかもしれません。訪問看護ステーションに、その月に入れる日程を提出して、モデルの仕事のない日に看護師の仕事を入れています。

モデルのお仕事が多いときは、ほとんど看護師の仕事を入れられない、なんてことも?

青木 そうですね。忙しい月は看護師の仕事は1日しか入れられなかった、とかもあります。ただ、今って看護師が不足しているので、1日だけでもいいから入れるなら入ってほしい、という感じなんです。

それだけ忙しくても、看護師を辞めずに続けているのはなぜでしょうか?

青木 いくつか理由があって、ひとつは、看護師としての腕を落としたくないからです。完全に辞めて、注射が下手になっちゃうとかが怖くて。10年後か20年後か、いずれは看護師メインの働き方に変える必要があると思っているんです。

モデル業というのは、どうしても需要がないとできません。ロリータ服自体は何歳になっても着続けると宣言していますし、そのつもりなのですが、趣味で着ることはできても、お仕事としてモデルメインでずっとやっていくのはたぶん現実的に難しいんですよね。

青木さん

なるほど。先のことを考えての二足のわらじなんですね。

青木 働き方については今までもそのときどきで変えてきています。20代前半の頃は大学病院に勤めていて、看護師の仕事優先でした。20歳で看護師になって、最初の5年間は病院できっちり働いて技術を身に付けようと思って。20代後半でカワイイ大使に任命されて、月の半分くらい海外に行く生活になり、大学病院勤務が物理的に難しくなったので、モデルメインに切り替えました。

両立する上で、どのような点に苦労されますか?

青木 スケジュールのやりくりはやっぱり大変です。特にテレビのお仕事などは急な依頼も多いので、看護師の仕事を入れちゃっていたら慌てて代わりの看護師を探す、なんてことも……。どうしても見つからないときは、テレビの方には待っていただいて、ギリギリまで看護師の仕事をして現場に駆け付けます。あとは、肌のコンディションには大学病院勤務時代から苦労しています。

激務だったり夜勤が続いたりすると肌が荒れますよね。

青木 そうそう、そうなんです。肌がボロボロの状態だったり、夜勤明けでクマがすごかったりで。その状態で撮影に行って、よく編集部に怒られていました(笑)。夜勤をしていない今でも、手荒れには悩まされています。看護師って消毒液や水に手をさらすので、本当に手が荒れるんですよ! ハンドクリームをつけてもなかなか治らないので、手が写り込む撮影のときは困ります。

青木さんの手元

逆に、両方やっていたからこそよかったことってありますか?

青木 「海外を飛び回っていて大変でしょう」とよく聞かれるのですが、病院勤務がとてつもなく激務だったので、それと比べたらへっちゃらです。だから、体力がついた、というのはよかったことかもしれません。どんなに海外の仕事が多くても、モデルには夜勤がないので、夜眠れますから!

なるほど……(笑)。

青木 それと、前に出るモデルの仕事と、後ろから支える看護師の仕事、真逆のことをやっているおかげで、常に視野を広く持てていると思います。これも看護師を完全に辞めずに続けている大きな理由です。

それに、真逆に見えて、「人を笑顔にする」という共通点もあるんですよね。私のInstagramを見てくれている患者さんも多くて、中国のロリータイベントの写真を見て「旅行した気分になれた」と言ってくれることもあります。病気で家から出られない患者さんが、私のモデル活動を見て笑顔になってくれるのは、両方やっていてよかったなと思う瞬間です。

給料の80%はロリータにつぎ込んでいました

青木さんイメージ

「360度どこから見てもかわいいのがロリータファッション。モデルはかわいいお洋服を引き立てる裏方的な側面もあります」(青木さん)

青木さんはいつ頃からロリータファッションに目覚めたのでしょうか?

青木 高校生のときに『KERA』という雑誌の撮影で着たのがきっかけです。『KERA』はロリータだけでなくいろいろな個性派ファッションが紹介されている雑誌だったのですが、たまたまロリータ特集に呼んでいただけて。「こんなにかわいいお洋服があるんだ! ロリータを着ればいくつになってもお姫様になれるんだ!」とすっごくときめきました。

それまではどういう系のファッションを?

青木 古着とかが好きでした。初めて『KERA』のストリートスナップに声をかけていただいたときも古着を着ていたと思います。ロリータファッションという存在を知ってはいたものの、高くて手を出せずにいて。でも、実際に着てみたら一発で心を奪われましたね。ちゃんと買い集め始めたのは、看護師として働き始めてからです。当時は給料の80%くらいは使っていたと思います(笑)。

そんなに!

青木 私服コーデを見せる企画が頻繁にあったので、毎回同じのを着るわけにもいかないですし、新しいのをちょくちょく買わないと、というのもありました。今はSNSがあって、昔より私服を見せる機会が多いので、最近出てきたモデルの子たちは余計に大変だと思います。

ちなみに、一着買うのにどれくらいかかるのですか?

青木 私の場合「一着」というよりも「一式」という考え方になります。ロリータファッションって着回しがきかなくて。この服に合わせる髪飾りや靴、バッグはこれ、とコーディネートしていくと、全身を一式そろえるのに10万円以上かかります。だから最初はさすがに毎日ロリータを着るとかはできなかったです。

青木さんイメージ

「ロリータモデルは他ジャンルのモデルさんと違って、基本的に歯を見せて笑わない、活発な動きをしない、というルールがあります。お洋服を見せるお人形になるという感覚です」(青木さん)

今は何着くらい持っているのでしょう?

青木 400着くらいです。15年くらいかけて集めました。SNSで毎日、私服コーデを見せても余裕で一年持ちます(笑)。

すごい! 収納が大変そうです……(笑)。

青木 実家の部屋をひとつ、ロリータ部屋にさせてもらっていて、そこにびっしり並べています。邪魔だって母によく怒られるんですけどね。

ロリータファッションへの偏見と、年齢公開の葛藤

でも、ご家族の方はロリータを着ること自体には理解があるんですね。個性的であるがゆえに、家族や恋人から反対される人もいると聞いたことがあります。

青木 ファンの方からも「恋人が着ないでくれ、と言ってくる」とか「人目が気になるからやめて、と親に言われた」とか、よく相談されるんです。私も夜道を歩いていると酔っ払いに「なんだそんなお姫様みたいな格好は!」と絡まれたこともあります。そういった周囲からの声だったり、あと、年齢的な問題だったりで、ロリータって続けるハードルが高いんです。

青木さんイメージ

ああー、これはロリータに限らずですが、若い頃からずっと好きだった服って、年齢が上がると着づらくなりますよね……。若作りしてるとか思われそうで。

青木 そのあたり、海外のイベントに出演すると、日本とは真逆なんだなって思います。日本は同世代のみんなと似たような服を着ないと、という意識が強い印象がありますが、海外の人の根底にあるのは「個性的な服を着て目立ちたい」なんですよね。だから日本のロリータファッションは海外ですごく人気で。今は特に中国で流行っています。

ファッションを自由に楽しめる空気があるのはうらやましいですね。

青木 誰にも迷惑かけてないんだから、別にいいじゃん! って思うんですけどね。私も、「その年齢でそんな格好しているの?」とかはよく言われるんですよね。日本は本当に年齢に対する偏見が多いな、と感じます。

青木さんは最近、年齢を公開されましたよね。それに対して葛藤はありましたか?

青木 『セブンルール』(フジテレビ系)などの密着系のテレビ番組に出ることになり、年齢を出してほしいと言われて。10代からモデルをやっているので、昔から知っている人が計算したらだいたいの年齢は分かってしまうものの、はっきりと公開してしまうのはかなり悩みました。

でも、公開したことによって、年齢を気にしてロリータをやめなければと思っていた人たちにとっては勇気になったかもしれません。

青木 そうだといいなと思っています。私にとってロリータって、コンプレックスだらけだった自分に自信をつけてくれたファッションなんです。だから、年齢を重ねたからって、ロリータを着なくなったら、また自信のない自分に逆戻りしてしまいます(笑)。

青木さんイメージ

現在の芸能事務所に所属する前は、フリーでモデル活動をしていたという青木さん。事務所へは、なんと自ら問い合わせフォームへ連絡して売り込んだのだそう。

ロリータという"戦闘服"に出会う前の自分と、将来の自分

ロリータファッションに出会う前の青木さんは、どんな感じだったのでしょう?

青木 人前に出ることが苦手で、モデルなんてとてもじゃないけれどできないと思っていました。というか、今でもロリータを着ていないときはうまく喋れなくて、看護師の仕事で患者さんの状態を先輩に伝える「申し送り」をするときにも緊張して震えてしまいます。書類に書いてあることを読むだけなのに、何言ってるか分からないと怒られるくらいで……。

そうなんですね! こうしてすらすらインタビューにお答えいただいている姿からは想像つかないです……!

青木 ロリータを着ることで、人前で緊張しない"青木美沙子"になれる、という感じなんです。着るとスイッチが入る、戦闘服のようなものですね。だから、いずれモデル業を引退することになったとしても、モデルじゃない形でロリータ事業を展開するなど、何かしらでずっと関わっていたいと思います。

ロリータ事業とは、例えばどんなのでしょう?

青木 今考えているのは、ロリータカフェやロリータサロンです。ロリータファッションのファンの間ではお茶会をする文化があるので、そういう会をできるカフェだったり、私の古着を貸し出してロリータ体験をできるサロンだったりを作りたいと思っています。

気軽に体験できる場が整っていると、ロリータ人口も増えそうですね。

青木 それと、プライベートでの夢もあって……。親子ロリータをやりたいんです! 今はまだそんな予定はありませんが、女の子が産まれてロリータを着せたら絶対にかわいいだろうなって。ロリータにはShirley Temple(シャーリーテンプル)という子ども向けのブランドもあるんですよ。それを着せて、親子でロリータデートをできたらいいなと思っています。

青木さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/小野奈那子

お話を伺った方:青木美沙子さん

dammy

TWIN PLANET所属。ロリータモデル・看護師。外務省よりカワイイ大使に任命され、ロリータファッション代表として文化外交にて25カ国45都市を歴訪し、ロリータファッション第一人者として活動中。 2013年2月に日本ロリータ協会を設立し、初代日本ロリータ協会会長を務める。
Twitter:@aokimisako
Instagram:@misakoaoki

次回の更新は、2018年7月18日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

私たちが普通に、もっと楽しく働くために必要なのは?【シゴト座談会】

集合写真

(写真左から)kobeniさん、ひらりささん、梓さん

仕事は楽しい。これといった不満もない。でも、ふとした瞬間「私って、なんのために働いているんだろう」「今の働き方で本当にいいのかな」と疑問が浮かんでくることはありませんか? そんなとき、参考になるのは同世代の仕事観や働き方ではないでしょうか。

そこで今回は、さまざまな経験を経て「自分らしい働き方」を見つけてきたという20代、30代、40代の3名による座談会を実施。それぞれの働き方について、語っていただきました。

***

<<参加者プロフィール>>

ひらりささん(28歳)

ひらりささん

弁護士を目指し大学院を志すも、大学卒業2ヶ月前に進路を就職に変える。最初の就職先となるベンチャー企業は、「社長のブログを読んで楽しそうだから」と会いに行き、そのままスカウトされ採用。その後200人規模のゲーム会社、現在勤務するITベンチャーへ転職。ビジネス職として勤務するかたわら副業でライター業もしている。同人サークル「劇団雌猫」メンバーとしても活動中。一人暮らし。

梓さん(37歳)

梓さん

新卒で大手医療系企業に正社員として勤め、26歳で退職。30歳になる年に2社目を退職し医療関係企業で派遣社員(営業職)として働きはじめるが、派遣先が組織変更でなくなり契約終了。その後、転職エージェントから「似たような仕事」とすすめられ、現在の会社へ転職。契約社員として営業職に従事している。並行して近所の居酒屋でアルバイトもしている。ジャニーズとお笑いが好きで、ブログで日々その思いをつづっている。夫と2人暮らし。

kobeniさん(40歳)

kobeniさん

広告系企業で、インターネットの記事やWebサイトの制作を担当。新卒で入社して以来、転職経験はなし。夫と子ども(4歳と9歳)、猫一匹と東京の郊外に在住。リモートワークを取り入れながら仕事をしている。子育てにまつわるブログの執筆をはじめ、「サイボウズ式」などのメディアでコラムの連載も持つ。

仕事は面白いかどうかで判断。でも長時間の勤務はしんどい

本日は、三者三様の働き方をしている皆さんにお集まりいただきました。早速ですが、仕事をする上で、優先度を高く設定されていることを教えてください。

kobeni(敬称略、以下同) 私は、「面白いと思えるか」ですね。仕事がつまらないと思ってしまうと、眠くなってしまうんです……。だからできれば、仕事をしていて楽しいと思えることをやっていたいなって。

梓 同意です! 私の場合、人と喋ることが好きだし、「面白い」と思うタイプです。それと、薬や疾患のことを勉強するのが楽しいので、医薬系の営業をしています。

ひらりさ 仕事をしていて「面白い」「楽しい」と思えるかは、私も重視しています。今はIT企業のビジネス職に就いていて、社内の数字を見ながら取引先からの問い合わせに対応する、という仕事をしています。インターネットやメディアについての自分の趣味を生かせる会社なので、楽しいです。

ちなみに、皆さんそれぞれライターやブロガーとしても活動されていますよね? 本業とは別に趣味として割り切っているのでしょうか?

梓 私の場合、自分が考えていることをブログで垂れ流したいだけなので、基本的に自分のことしか書けないんですよね。なので、創作的な仕事をしたいわけではありません。「仕事として」稼ぎを得るには、営業という仕事が一番向いているのかなと思っています。

ひらりさ 私はフリーライターになろうかなと思ったこともありました。でも、毎日締め切りに追われるのは、マジで無理だなと(笑)。書くことは好きですが、それだけで「稼ぐ」となると、楽しめなくなってしまいそうで。自分を出したいところは副業で充実させて、本業はもう少し、自分の人格と密着し過ぎない業務を行う方がいいだろうと思い、今の仕事を選びました。

kobeni もともと文章を書くことや雑誌が好きだったので、就職活動時は編集者になりたくて出版社やマスコミを志望していました。でも、受かったところが今の会社しかなく……。

梓 そうだったんですね!

kobeni でも、今の仕事はそこそこ「楽しい」と思えているので、このまま続けたいなと考えています。あと、夫が数年前にフリーランスになり収入が安定しないこともあって、子どもを食べさせていくためにも、私が稼ぎ頭として今の会社で頑張るしかないと腹を決めた感じですね。

座談会イメージ

じゃあ、皆さん割とモチベーション高くお仕事されていらっしゃる?

kobeni 仕事は楽しいですけど、最近遅くまで働くのがつらくて。体力的にも精神的にも、本当に難しい……。

梓 私もです。正社員の頃は、22時くらいまで仕事して、深夜0時にご飯食べる……とかが珍しくなかったんですけど、今は9時から17時が精いっぱい。晩ご飯を食べて、だら~っとする時間がないとダメになっちゃう。

ひらりさ 私は前々職、前職ともにゴリゴリのベンチャーだったこともあり、裁量労働制で働きまくっていました。実際、働けるだけ働いていると成果も上がりますし、評価に反映されます。でも、数年働いて実感したのは、労働時間どうこうよりも、会社員モードの時間が長過ぎると、精神の消耗は著しいということ。だから、本業の就業後に家に帰って、副業のライター業をする、とかは余裕です。

kobeni 別の仕事をしていると、本業に生かせませんか?

ひらりさ それはありますね。ただ、私の場合はどちらかというと、貧乏性っていうか予定が空いていると嫌だっていうのもあって。飲み会にもよく顔を出しますし、最近はジムに行くようにしてます。節約が苦手なので、節約を考えるくらいなら所得を増やす方向で仕事をしていきたいです。

自分にとって向いている仕事を見極められるかは大事

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では、これは自分に向いていないだろうなっていう仕事はありますか?

梓 私は報告書を作成したり、資料をファイリングしたりする内勤業務がとにかく苦手で。なので、今は仕事内容がある程度限定できる「契約社員の営業職」という働き方を選択しています。と言っても、事務作業がまったくなくなったわけではありませんが……(笑)。精神的にはかなり楽になりました。企業にもよるかもしれませんが、正社員としての働き方は自分には合わないな、と思っています。

kobeni 一度異動になったことがあって、それまで全くやったことのなかった、Excelでの集計作業が中心の部署でした。正直、そこでの私は全く使えない人でした……。以前の部署に戻してもらえたからよかったものの、あのままだったら厳しかったかもしれないです。

ひらりさ 無理に続けると、心身に悪影響が出ますよね。

人それぞれ得意分野があるので、それに合った仕事をできているかは大事ですよね。ひらりささんは、いかがでしょう?

ひらりさ 私は、ピンポイントにどの職種っていうよりも、“やる意味を見いだせない仕事”はしたくないな、と思います。

kobeni ハンコをいっぱいもらわないと物事が進まない……みたいな仕事ですかね。建前や慣習だけが先行した、生産性のない作業が続くのは嫌ですよね。

ひらりさ そうですね。合理的意味が感じられないことに時間を割かないといけないのは苦痛です。最初から分かっていたわけではなく、転職を2回して、ようやく居心地のいい会社を見つけられた感じです。新卒時からベンチャー企業で、最初の4年間くらいを100倍速のような感じで働けたので、取捨選択の目利きができるようになったのかなとは思います。IT系のベンチャーという、転職が当たり前な環境は私に合っていたのかも。

梓 28歳で向き不向きに気付けているのはうらやましい!

kobeni お二人と違って、私は新卒からずっと同じ会社に勤めていますが、今の会社は働きやすさをしっかり考えていこうという心意気があり、実際風通しもいいですね。だからこそ、今日まで頑張ってこれたのかも。

仕事と収入のバランスは、やっぱり難しい

仕事とは切り離せない「お金」の面についてはどんな考えをお持ちでしょうか。梓さんの場合、大企業の正社員から契約社員への転職ということで、収入に不安はありませんでしたか?

梓 確かに、収入は減りました。今はとにかくお金がないです(笑)。なので、近くの居酒屋でアルバイトしています。でも、「明日死ぬかもしれない」って思いながら毎日生きているんで、そんなに先のことはあんまり考えていないんですよね。

ひらりさ 仕事と収入のバランスって難しいですよね。私の友人の弁護士は年収1000万円以上もらっているそうですが、その代わり、朝の5時から夜中の3時まで働く、みたいな生活のようで。

梓 大変過ぎる……。でも、収入が多い人はやっぱりそれなりの働きをしているんですよね。私も大企業に勤めていた頃は、給料もそれなりによかったです。けど、忙しかったし、しんどいなという気持ちの方が大きくて。結局、今もらえている給料が身の丈なんだろうなと。

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とはいえ、仕事に対する評価として、適正なお金は欲しいですよね。

ひらりさ 会社の余力もあるかもしれないですけど、きちんと評価を給料に反映してくれる会社がいいです。でも、お金について言えば、不労所得が欲しい!

kobeni それね!

ひらりさ ライター業のギャラってどうしても、「書いた分に対する対価」がメインなんですよね。書籍の構成をして増刷がかかれば印税が入りますけど、必ず入るわけではない。原稿を書くのが楽しいので、つい時間をかけてしまうのですが、本当は手を動かす時間をもっと抑えてお金を得て、それで浮いた時間を勉強なり将来への投資に使いたいです。それで、株式投資はやってみていますが、なかなかうまくいかない(笑)。

kobeni 不労所得があると、ピュアに「やりたいこと」が抽出されますしね。ちなみに、今、友人が趣味で漫画をものすごいスピードで描いてるんです。週に30ページくらい。

梓 すごい。週刊作家レベルのスピード感ですね。

kobeni ホントそう(笑)。でも、その子には本業もあって、漫画だけ描いて生活したいけど専業作家って売れない限りもうからないよね~って、ちゃんと現実を理解してるんです。本当にやりたいことでしっかり稼ぐのって、やっぱり難しいですよね。どうにか、彼女が漫画だけに集中できるユートピアが誕生しないものか……。

ひらりさ 生活していくにはそれなりの収入が必要で、お金が大事。でもお金にはならないけど自分がやりたいことを、思いきりやりたい。「お金を大切に想う気持ちを乗り越えるためにもお金が欲しい」みたいな感じですよね。

梓 哲学的ですね(笑)。結局、お金に余裕がある人って心にも余裕がある。で、そんな余裕がある人たちのところへ、ますます富が集中していくんですよね。

kobeni あと、ある程度キャリアを重ねると、考え方が“マーケティング脳”になり過ぎることがあるというか……。採算とか、そういうことを気にし過ぎてしまう。仕事に取り掛かる前から、「これはあまり評価されなさそうだな……」とか思ってしまう。純粋に理想だけを追い求めるのが難しくなってくると思うんです。でも、いい仕事をしたいという情熱は、いくつになっても持ち続けたいですよね。

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自分が生きていけるだけのお金は、自分の手で稼ぎたい

ただ、中にはそうした社員の情熱につけこむようなこともありますよね。

kobeni 私が20代の頃って、特に「やりがい搾取」が横行していた気がします。やりがいのある仕事に就けても、心身を壊してしまう友人や同僚が本当に多かったです。でも今は、「とにかく夢や好きなことで食べていきたい」という価値観から「人間らしい生活を守りつつ、自分らしく働く」という方向にシフトしているんじゃないかなって。やりがい搾取から身を守る、そんな価値観が広がっているように感じます。

少し話が飛躍するかもしれませんが、せっかくAIの発達もあることだし、「働かなくていい世界をつくる」みたいなことを言いだすリーダーがいてもいいんじゃないかなって思うんです。365日まったく働かない、というのは難しくても、「今日は推しのアイドルのことだけ考えていたいので休みます」っていうのを認めてもらえる世の中はこないものでしょうか(笑)。

ひらりさ それ、賛成です(笑)。特段の理由がないと休めない雰囲気があるのって、ちょっと窮屈ですよね。産休や育休だけでなく、子どもがいてもいなくても、男でも女でも、休みたいときは休みたい。そういうバイオリズムって誰にでもあるから、「理由なき休日」はもっと広まってほしい。もちろん有給休暇は取得理由を言わずに使えるわけですけど、周りを見ていると「なんでもないのに休む」をのびのびやってる人は少ないんじゃないかな。

梓 それが実現したら、心身の不調に悩まされる人も激減しそう。我慢せずに、我慢させられずに、自分が生きていけるだけのお金を自分の手で稼ぐ、そんな“普通に働ける”ってことが一律に保証されている世の中が理想ですよね。

ひらりさ “普通に働く”ことの定義って難しいですよね。でも、一つは「自分の実力や性質に応じて仕事ができていること」だと思います。私は前の会社で、「女なんだからおじさんをうまく転がして仕事しなよ」って言われたことがあって、今でも許していません。そういう、女性だからとか男性だから、みたいな古い価値観を押し付けられている状態で、普通に働けていると言えるんだろうかって。男女関係なく、その人ならではの性質があるんだから、その性質に合った仕事ができる環境かどうか判断しないとですよね。

「自分の心に従う」ことで答えが見えてくる

最後に、日々働くことに何かしらの疑問を抱えている人がいたら、どんな言葉をかけますか?

ひらりさ 今の時代って、SNSを通してさまざまな人生や価値観が可視化されていますよね。見たくなくても見えてしまうから、うらやましく思ったり、自分と他人を比べてしまうことも多いと思うんです。でも、それは参考にする程度で、あまり影響されない方がいい

梓 私から言えるのは、もし働くことが苦痛になったら身体に出るので、それを察知してほしいということです。本当に無理なときは体が動かなくなるので、それは自分のキャパを超えているサイン。もし、そのサインが出たら、一回立ち止まってみて考えてみる。そうすれば、自分は本当のところ何に向いているのか、自然に答えが出てくるんじゃないかなって。

ひらりさ あとは、もし職場の人間関係で悩んでいるなら、「1ヶ月後に自分が死ぬならどうしていたいか」って考えてみるといいと思います。それで、今の職場にいたくないって思うなら、転職を考えてもいいんじゃないかと。逆に、この職場じゃないとダメって思い込んでいるときほど、他に選択肢はないのか考え直した方がいいかもしれません。恋愛だって最初に付き合った人と結婚する人って少数派で、いろいろな経験を経て自分に合っている人が見つかるようになるものですよね。職場もそうじゃないかな。

梓 ちなみに、私の場合は今本当にお金がなくて困っていますが(笑)、心は健康的なので20代の頃よりも今の方が超幸せですってハッキリと言えます。

kobeni 私も、自分の心に従ってほしいなと。私は2人の子どもがいますが、ワーキングマザーの中には、本当はやりたい仕事があるのに我慢しないといけないって考えている人が少なくないと思うんです。子どもを産んだのは自分だし、正直やりたくない仕事でも、時短だし子育てしやすい部署だしと、自分に言い聞かせて納得させてしまう。自分でも、自分をごまかしてるのは分かっているので、ことあるごとに「本当にこれ私がやりたい仕事なのかな」「もともと何を夢見ていたんだっけ」「何が好きだったんだっけ」みたいな疑問が、つらくなったときに顔を出してきてしまうんです。

でも、子育てしているからと、ぎゅっと心に蓋をするのは本当にやめた方がいいです。自分の気持ちをごまかし続けると、それはいつか心や体に悪い影響を及ぼす気がします。もちろん、行動を起こすタイミングを見計らうことは大事です。けれど出来る限り、自分の心には正直でいてほしいと思います。

自分が我慢せず働けているか見つめ直すことで、ネガティブな気持ちもすっと軽くなるのかもしれませんね。本日はありがとうございました!

座談会イメージ
取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
撮影/関口佳代

※座談会参加者のプロフィールは、取材時点(2018年5月)のものです

次回の更新は、2018年7月4日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

洗濯日和/(c)kanahei

今回「りっすん」に登場いただくのは、イラストレーター・漫画家のカナヘイさん。高校生の頃、運営していたサイトで配信していた携帯電話の待受用イラストがきっかけとなり、2003年にイラストレーターとしてプロデビュー。現在もLINEスタンプの人気シリーズ「ピスケ&うさぎ」を手がけるほか、企業コラボやキャラクターコラボを行うなど、第一線で活躍されています。

今年で33歳となるカナヘイさんは愛媛県に在住し、3人のお子さんを持つ母親でもあります。今回は、イラストレーター・漫画家としての活動のこと、フリーランスとしての働き方について、プライベートと仕事のバランス、母になったことでの表現の変化についても伺います。

現役高校生イラストレーターとしてデビュー

LINEスタンプの「ピスケ&うさぎ」シリーズや、『りぼん』(集英社)での連載など、イラストレーター・漫画家として多岐にわたる活動をされておりますが、改めてデビューの経緯を伺ってもよろしいでしょうか。

カナヘイ 高校生の頃サイトを運営していまして、自分で描いたパロディイラストを携帯用の壁紙やデコメにして配信していました。それが口コミで全国的に人気になったことがきっかけで集英社のファッション誌『Seventeen』の編集の方にお声かけいただき、イラストレーターとしてデビューしました。その後、『Seventeen』の連載を見たりぼん編集部の方にお声がけいただき、2008年から『りぼん』で漫画家としての活動もスタートさせ、漫画家としても10年ほどやっています。

高校生時代にデビューされたことで、周囲の同年代の方に比べ「働き始める」タイミングは少し異なったかと思います。その辺りについて、当時はどのように感じていたのでしょうか。

カナヘイ 誰かと比べてどうこう考えたりしないタイプなのか、周囲と違うことをしていても、特に何も感じませんでした。交流が続いている高校時代の友人や私の周りの人たちも、似たようなタイプだったので、何も感じなかったのはそのおかげかもしれません。

カナヘイさんの公式サイトを拝見すると現在愛媛県在住とのことですが、雑誌などを発行する出版社はやはり東京に本社が多いかと思います。地方に住みながら、どのようにコミュニケーションをとってお仕事をされているのでしょうか。

カナヘイ 基本的にはチャットワークやLINEを使ってやりとりしています。 グッズサンプルや色校*1は宅配便で送ってもらい、それを見ながらテレビ会議などでコミュニケーションをとっています。東京に行くのは2〜3ヶ月に1回ぐらいかなという感じです。写真や動画でやりとりするのでそんなに不便は感じていないです。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

カナヘイさんの作業机

地方でお仕事をされていることで、お仕事に影響を感じることはありますか?

カナヘイ 大きな影響はないと思っているのですが、あえて言うなら、都内に住んでいる人ほどサッと人に会いに行ったり、実物を確認したりすることができないので、何かお仕事のお話が来てもレスポンスが遅くなってしまう……というのはあります。ただ、人によるとは思いますが、私は田舎ののんびりした空気が好きなので、「ストレスなく暮らせて働けること」はメリットだと思っています。

では、フリーランスで働き続けることへの不安や大変さを感じることはありますか。

カナヘイ 不安はとくに感じません。自分の得意な分野で楽しくお仕事をさせていただいているので……本当にありがたいです。元々楽観的で、考え込むより行動した方が手っ取り早いと思うタイプなので、不安で悩むということ自体が昔からないんです。ただ、長く活動すること自体は大変だと思わないのですが、単純に毎回の締切が時間との戦いで大変です……。

不安を解消するために、というわけではないのですが、収入がない時期があっても最低限住むところさえあればどうにかなるだろうということで、家を買いました。2人目が産まれた後に家探しを始めて、偶然出会った古民家を少しずつ改築しながら暮らしています。

何もしなければ、何も始まらない

高校生でのデビューから現在に至るまで雑誌イラスト、モバイルコンテンツ、キャラクターデザイン、企業広告など幅広く活躍され、近年ではLINEスタンプの「ピスケ&うさぎ」シリーズなど、長年にわたり活躍されているかと思います。ご自身が思う「長く活躍するための秘訣」があれば教えてください。

カナヘイ 「楽しんで描き続けること」だと思います。そして、作品を発信し続けることも大事かと思います。絵が世に出て人目に触れれば、チャンスもそのぶん増えると思うので……。何もしなければ、何も起きないと思います。それと、楽しんで描くために、描くことが嫌にならないよう、「この仕事は楽しくないな、嫌な気持ちになるな」という仕事は受けないようにしています。自分自身が楽しんでいないと、それが絵にも出ると思っています。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

LINEスタンプでおなじみの「ピスケ&うさぎ」シリーズ/(c)kanahei

「楽しむ」というのは確かに大切ですね! では、ご自身の活動の中で印象に残っていることは?

カナヘイ どのお仕事も楽しくさせていただいているのですが、『ドラゴンクエスト』や『ONE PIECE』など、キャラクターコラボのお仕事はどれも印象深いです。小さい頃からパロディイラストやファンアートを描くのがすごく好きで、私の「描きたい!」という欲求の根源はそこなんです。だから、公式に権利元さんから直接コラボのご依頼が来て絵を描くことになったときは、心の底から嬉しさが溢れてきました。

キャラクターコラボのお仕事をさせていただくときは、毎回とても幸せな気持ちで描いています。人生のご褒美だと思っています!

10代の「不安定」なイラストは、出産を経て変わった

現在3人のお子さんの母としての顔も持つカナヘイさんですが、働き方と育児・家事のバランスをどのようにとっているのでしょうか?

カナヘイ 2017年に3人目を出産し、家に0歳児がいるので、今は「そもそもバランスがとれるものではない」と割り切っています。

3人のお子さんを育てながらのお仕事は、やはり目まぐるしいのですね。

カナヘイ 夫婦で仕事・家事・育児を共同で行っているのですが、それぞれのタスクが常に並行に進行しているので、緊急度の高いものからひたすらこなしていき、その間溜まってしまったものは余裕ができた隙にどちらかが消化していく……という感じでやっています。

基本は自宅での作業なので、0歳児が寝ている間に仕事をして、作業に煮詰まったら気分転換に家事をして、0歳児が目覚めたら遊びつつ同時進行できる作業をやれるだけやる……という感じです。

カナヘイさんInstagramより

「仕事」と「家事・育児」の両立で特に大変だと感じる瞬間は、どんなときでしょうか。

カナヘイ ものすごく忙しい時期に学校の行事やPTA、地域行事などがかぶると、物理的に無理な状況に陥るのでそこは大変だなと感じます……。

「出産前」「出産後」でイラストのテイストやモチーフが変化した、と感じることはありますか?

カナヘイ あります。すごくあります。そのときに思っていることとか考えていることがそのまま絵に出るタイプなんです。10代の頃は自分の中のモヤモヤしたものを絵にしていたので、不安定だったり残酷だったりする絵を描くこともありました。出産後は日頃の子どもたちの言動を見ているせいか、ほのぼのした雰囲気のものが増えているように思います。

意識して変えているものではないので、昔の雰囲気で描いてと言われると頑張って模写しないと再現できなかったりします……(笑)。

カナヘイさんが高校生でイラストレーターデビューして、3児の母になるまで。仕事・育児を両立

よつ葉のクローバー/(c)kanahei

好きなものを、これからも描き続けていきたい

出産前後のお話とやや重複しますが、プライベートの出来事が、イラストのテイストに影響を与えることはありますか?

カナヘイ 任天堂Switchで「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」をやっていたときは、ゲーム中でパラセール(グライダー)で空を飛ぶのが楽しくて、イラストでもパラシュートを描いて自分のキャラたちを空に飛ばしていました。サーカスを見に行ったらサーカスを描くし、キャンプをしたらキャラたちにもキャンプをさせます。楽しかった出来事は直接的にモチーフとして出てきます。

毎月壁紙を描いて公式サイトで配信しているのですが、それによく表れているなぁと思います。

http://www.kanahei.com/gallery/

もしSeventeen編集部からのお仕事の依頼がなかったら、今、どのような働き方をしていたと思いますか?

カナヘイ 『Seventeen』とのつながりから「りぼん作家」になったので、漫画家の活動はできなかったのかなぁと思うことはあります。でも、今のような活動の仕方ではないとしても、きっと田舎でなにかしら描いて作っているんだろうなあ……と思います。

最後に、イラストレーターとして、そして3人のお子さんの母として、それぞれの今後の目標や展望について教えてください。

カナヘイ イラストレーターとしては、好きなものを描き続けられたらいいなと思います。母としては……子どもたちが巣立つまで、楽しく見守ってあげられたらと思っています。

ありがとうございました!

お話を伺った方:カナヘイさん

dammy

イラストレーター・漫画家。 自作待受画像の配信から全国でブームとなり、2003年に現役女子高校生イラストレーターとして『Seventeen』(集英社)にてプロデビュー。以降、出版、モバイルコンテンツ、企業広告、キャラクターコラボ、『りぼん』(集英社)での漫画連載など、さまざまな媒体で幅広く活動を続け、20~30代の男女を中心に多くのファンを持つ。「ピスケ&うさぎ」を中心とした「カナイの小動物」シリーズは国内外でグッズ展開されており、LINE Creators Stamp AWARDで準グランプリ(2014年・2015年)、グランプリ(2016年)を受賞。
Web:カナヘイの家

次回の更新は、2018年6月13日(水)の予定です。

※6月13日(水)更新予定の記事は、都合により掲載を延期することとなりました。尚、次回の更新は6月20日(水)を予定しております

執筆・編集/はてな編集部

*1:「色校正」の略称。雑誌をはじめとした印刷物の発色をチェックすること

「つるちゃんと私、生活の負担をトントンにしたい」ーー犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻

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(写真左から)犬山紙子さん、劔樹人さん

今回「りっすん」に登場いただくのは犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻。エッセイストとして活躍する犬山紙子さんと、「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト、そして「神聖かまってちゃん」の元マネージャーとして知られる劔樹人さんは2014年8月に結婚し、2017年1月に第一子が誕生しました。家庭での経験や在り方をメディアで語ることも少なくありません。

犬山さんは『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)を、劔さんは、『今日も妻のくつ下は、片方ない。妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました』(双葉社)をそれぞれ発表。子どもを持つことへの葛藤から決断に至るまで、そして家事、子育ての分担、仕事との両立について、お二人に伺いました。

子どもが欲しいのか、欲しくないのか、決断できない日々

ご著書『私、子ども欲しいかもしれない。』で犬山さんは、妊娠される前の心境や悩みを綴られていました。もともとは子どもはいらないと思っていらっしゃったんですよね。

犬山紙子(以下、犬山) そうですね。フリーランスだからお金のことはもちろん、仕事と両立できなかったらどうしよう、子どもができたら「育児が大変そうだから」と発注を遠慮されたらどうしよう、とかネガティブな考えばかりが浮かんでいました。それに、趣味の時間が大切だったので、娯楽の時間がなくなったらどうしよう、もありましたし、つるちゃん(夫)と二人の時間が減ることや、妊娠中にお酒を飲めないのもつらい。そもそも産むってめちゃくちゃ痛いじゃん、嫌だ! とか、「どうしよう」だらけで。

分かります、分かります……。そんな中、本の取材でいろいろな世の中のお母さんを取材していくにつれて、少しずつ考えが変わっていかれたと思うのですが、当時の心境について伺わせてください。

犬山 まず、取材させていただいた方々はびっくりするくらい上手くやりくりされていて、「やっぱり思っていた通り大変じゃん! そんなの私には無理!」とはすごく思いました。ただ、内容こそ大変そうではあるものの、皆さんめちゃくちゃいい表情で話すんですよ。人生謳歌している感じの、キラキラした顔で。実際に会ってそれを目の当たりにしたのは結構大きいかもしれません。

とはいえ、話を聞けば聞くほど大変だと思ったのも事実なので、悩みは深くなるばかりでした……。

今振り返ってみて、つるちゃんはどうだった?

劔樹人(以下、劔) 僕も不安ではありましたね。ずっと学生気分が抜けないままやってきていましたし、まだ自分は何も成し遂げられてないのに、仕事をする時間がなくなったらどうしよう、と。

犬山 つるちゃんも同じだったんだね。時間のやりくりについて不安な気持ちとかは、やっぱりあったんだ。

それで結局、いくらいろいろな人に話を聞いても結論は出なかったから、避妊をやめる、という消極的な方法を取ったんです。できたらできたで頑張ってみるし、できなかったらそれもありで。もう自分でジャッジはできないから、運に任せよう、と。

犬山さん

あんなにたくさんの「どうしよう」という不安な気持ちを抱えていらっしゃったところからすると、それだけでも大きな決断だと思います。

犬山 たぶん……心の奥底ではちょっと欲しい気持ちがあったんだと思うんですよね。これだけ時間と労力をかけてしつこくみんなに話を聞きに行っているということは、内心では私ちょっと子ども欲しいんだな、と。

なるほど……確かに。

犬山 最初は、年齢とか、持たないと後悔するとか、世間からの風当たりというネガティブなものが影響して、「子ども作らなきゃダメなのかな? でも……」とただただ不安な気持ちに翻弄されていたところがあって。人に話を聞いて向き合ううちに、決断するほど強い気持ちにはならなかったものの、「子ども欲しいかもしれない・作ってもいいかもしれない」と少しずつ自分の中の気持ちが浮き出てきたんだと思います。

子どもはオタク用語で言うところの「沼」だ

犬山 これは妊娠前からずっと思っていたんですけど、子どもを持つことに関するネガティブなことは想像がつきやすいけど、ポジティブなことって未知ですよね。「おかしくなるほど幸せ」と言われても、他人からしたらイマイチよく分からなくないですか?

そうですね、妊娠や育児や仕事とのやりくりの大変さは具体的に思い浮かびます。一方で、「子どもがいて幸せ」といった感情の部分は、具体性がなくてどこかふわっとしているというか……。未経験者からしたら雲をつかむような話に思います。

犬山 私の場合は、恋愛初期の「頭の中お花畑状態」がずっと続いている感じです。しかも、相手(子ども)と最初から相思相愛でラブラブ。あれよりもさらに上かも。恋愛のお花畑状態は半年くらいで消えるけど、子どもとのお花畑は何年も続くので。

へえー! すごい、そんなに。

犬山 産んでしばらくはかわいいと思えなかった、という人もいるので、この感覚もたぶん人によって違うんですけどね。私は離れているときは子どもの動画見ちゃうし、休日はできる限り一緒にいたいし、たとえるなら、新しい「沼」にハマった、みたいな。私はボードゲームが好きで、RPGが好きで、マンガが好きで、ハロプロが好きで、いろいろな趣味を持っていた中に、新たに大きな「沼」が加わりました。

沼! そう言われると分かりやすいです!

子どもが産まれて「人生の主役」を降りるとは限らない

劔さんは子どもが産まれたことでの新しい発見は何かありましたか?

劔 僕は……肩の荷が下りた感じがあります。なんというか、昔ほど自分について興味がなくなったかもしれません。

子どもができたら、自分は「人生の主役」から降りた感覚になった、という人はよくいますよね。

犬山 私、それ全然ないです。子どもが産まれた今でも以前とまったく変わらず主役な感覚で生きているので、人によるんだと思います。

劔 僕は半分降りました。自分のことを発信したい欲求や、自己顕示欲のようなものがなくなってきていて、焦りがないです。

犬山 かっけー!

劔 日頃あった面白いことをTwitterに書きたいって、まったく思わないです。もう、RTやフォロワーが欲しいとかも全然ない。昔は欲しかったんですけど。

犬山 そこは全然違う! 私、今でも欲しいですよ!(笑)

犬山さん・劔さん

妊娠しても働きます、と各方面にしつこく根回し

子どもが産まれて以降の、仕事や家事についてもお伺いさせてください。先ほど、妊娠前に、仕事と育児の両立や、発注されなくなる不安があったとおっしゃっていましたが、実際はどうでしたか?

犬山 これは私、しつこく「仕事しますアピール」をしたんですよ。妊娠を発表した際に、SNSや仕事相手との連絡で、「でも仕事しますけどね」と必ず一言添えて。どうしても物理的に自分が動けなくなる期間は出てくるので、テレビの仕事はさすがに減ってしまいましたけどね。連載は4カ月分前倒しで書き溜めてから休んだので、書き物の仕事は途切れませんでした。

4カ月分も……! とにかく仕事を続ける、という姿勢を明確に見せないと、これまで働いていたポジションがなくなる可能性があるってことですよね。

犬山 そう、フリーランスでも会社員でも、女性は特にそうだと思います。私がお話を伺ったお母さんたちの中には、時短勤務になったことで、それまでやりがいを持ってやっていた仕事が回されなくなって、簡単な事務作業ばかりになった、という人もいました。もちろん、会社にもよると思いますが……。

劔 会社員でも女性でもないですが、僕も結構それを感じるんですよね。「お忙しいでしょうから」と周りから遠慮されている気がします。いろいろなメディアで、主に僕が家事を担当していると言っているからか、仕事しながら家事をめちゃくちゃ頑張っていると思われているみたいで。本当はちょっと暇だから、Netflixでゾンビ映画とか観てるのに……。

(笑)。一方で、仕事を減らしてくれる周りの気遣いを、ありがたいと思う人もいるはずなので、難しいですね。

犬山 もし、子どもが産まれてもやりがいのある仕事を続けたいならば、自分が復帰できるように上の人に事前に相談しておいたり、部署内でしつこく言っておいたり、休む前に各方面に根回しをしておくのがすごく大事だと思います。

片方の収入が多くても、上下ではなく、横同士の関係でありたい

家事や育児については、どのように分担されていますか?

犬山 週3で頼んでいる家事代行サービス代を私が出していることを差し引いても、私が3割で、つるちゃんが7割くらいかなぁ。もともと私は家事が苦手だし、昔から自分が働いて大黒柱になりたいと思っていたので、家事が好きなつるちゃんと出会えたのはラッキーでした。ただ、もしつるちゃんがポーンと稼ぐようなことがあったら、交代するのもありだし、臨機応変に考えています。

劔 でも、僕は人生で大金を稼いだことがないので、全然想像もつかないし、自信もないですね。自分のほうが稼ぎたいともまったく思わないですし。

劔さん

世の中では真逆のケースを聞くことがあります。女性の方が収入が多いことで、引け目に感じる男性もいるようです。

犬山 えー! 収入多い方がラッキーなのに!

劔 ラッキーだよね。でも、プライドが……とか、収入が多い方が家庭内で発言権が持てるのでは、とか思う人が多いのかな。

犬山 たぶん、サンプルが自分の実家しかない、というのも視野を狭くしている理由の一つですよね。私たちがこうやってインタビューしていただけているのも、世の中からすると特殊なケースだからだと思いますし。上か下かの関係ではなく、横同士の対等な関係もある、というのが浸透していないのは、まだまだ国としての課題だと思います。

細かいところを含めて、負担をトントンにしたい

犬山・劔家には、何か家事や育児における今後の課題ってありますか?

犬山 つるちゃんがもっと外出したり、友達と遊びに行ったりしてくれるようになってほしいんです。予定をあまり入れないようにしているのだろうし、つるちゃんがちょっとライブに行っている間、私が家にいたら、「子どもを見てくれてなんて素晴らしい人なんだ…! ありがとう!!!」とかものすごい勢いで感謝してくるんです(笑)。普段仕事で子どもと離れている分、一緒にいられるのは私にとってはご褒美でもあるのに。

劔 そこのところは僕、世の中のお母さんに近い感覚なのかな、と思います。外出しているときは、子どもの面倒見てないけど大丈夫かなと不安になるし、夫婦両方が忙しくても、家事や育児をするのは自分だ、と常に思っていますし……。

犬山 私に急な仕事が入ったときのことを考えてくれていて、常に自分が家事や育児をできる状態にしておかないと、とつるちゃんの中で枷として結構大きくのしかかっちゃっているんだよね。

劔 やっぱり、彼女のほうに急な仕事が何か入ってきたら、自分の予定を動かさなきゃいけないと思うので。それが嫌で苦しんでいるというわけでもないんですけど。こういうの、世の中のお母さんも結構同じ感覚を持っているんじゃないかなと思います。僕は性別が逆であるからこそ、いいモデルケースになるためにも打ち破っていかなければいけないとずっと思っています。

犬山 だからこれは、全然解決できていない課題です。たぶん、こういうつるちゃんの細かな気遣い含めて、負担がトントンじゃないと思うんですよ。つるちゃんはあくせく家事をしても、自分はあれをした、これをした、と言うのが苦手だから、絶対言わないですし。そもそも、家事って申告されないと気づかないような細かいものも多い。

だからもうちょっと、お互いの一日の仕事量をトントンにしよう? 私もその日どんな仕事をしてどれくらいハードだったかを話すし、つるちゃんも「仕事と家事で忙しくてゾンビ映画を観れなかったわー」とか、話し合おう。世の中の家庭における不満って、そういう細かなズレから生まれていると思うので、小さなことでも言い合うのは本当に大事なんですよね。

犬山さん・劔さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方

犬山紙子さん
コラムニスト、エッセイスト。多数媒体で連載を持つ。主な著書として『負け美女』(マガジンハウス)、共著に『女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態』(筑摩書房)など。2017年に『私、子ども欲しいかもしれない。: 妊娠・出産・育児の“どうしよう”をとことん考えてみました』(平凡社)を発売。2017年1月に第一子を出産。
Twitter:@inuningen

劔樹人さん
漫画家、「あらかじめ決められた恋人たちへ」ベーシスト。2017年にはブログに掲載していた漫画を書籍化した『今日も妻のくつ下は、片方ない。 〜妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました〜』(双葉社)を発売。
Twitter:@tsurugimikito

次回の更新は、2018年5月23日(水)の予定です。

編集/はてな編集部