「好き」を仕事にするには覚悟が必要ーー街を愛する文筆家・甲斐みのりさん

甲斐さん

今回「りっすん」に登場いただくのは、文筆家の甲斐みのりさん。情報誌などでのライターを経て、文筆家に転身。街歩きや旅、クラシックホテル、お土産、パンやお菓子と執筆ジャンルは多岐にわたります。

甲斐さんの執筆の根底にあるのは、街への愛。街を歩き、旅をして、その街を形作る建物や人、お店などへの愛をつづります。本を書く上で心掛けていることや、好きなことを仕事にすることについて、語っていただきました。

肩書きが「ライター」だと書きたいことを書けなかった

甲斐さんは、街歩きや建築、お菓子、手土産など、さまざまなジャンルの本を執筆されていますが、どのようにして今の文筆家という形で働き始めたのでしょうか?

甲斐みのり(以下、甲斐) 最初はライターとして情報誌でお店などの取材をして書いていました。

今のお仕事である「文筆家」と違うのはどういった点ですか?

甲斐 あくまでも“私の場合は”という前提でのお話ですが、ライター時代は自分の書きたいことが書けず、それでかなり苦しい思いをしました。お店の取材をして、私が素敵だと思ったことについて書いても、お店がPRしたい部分と違っていたのか、原稿を公式サイトなどに載っているのと同じ文章に手直しされてしまうことがあるんです。

せっかくの取材がもったいない……。

甲斐 お店選びに自分の意見が反映されていた訳ではなかったので、取材先と自分自身の相性というのもあったのだなと今は思います。本や雑誌作りの流れを知ることができて勉強にはなったのですが、本当に伝えたいことが伝えられない、というジレンマがありました。だから、自分の名前や責任で、自分の好きなものを紹介する本を作りたい、とずっと思っていたんです。

書籍イメージ

自分の好きなものについて書く作家になる、というのは、ライターにとって憧れであり、ひとつのゴールでもあると思うのですが、何かそのルートに乗るきっかけはあったのでしょうか?

甲斐 ひとつの転機となったのは、東京に出てきたことです。最初は、大阪の芸大を卒業後、東京に出たいと思いながらもやっていける自信もなくて、京都で編集やイラストのスクールに通っていました。ほかにも、フリーペーパーの制作に参加したり、イベントに足を運んだり。そのつながりで、出版関係の仕事をするようになりました。

京都を選んだ理由は何かありますか?

甲斐 もともと京都への憧れがあって、住んでみたかったんです。昼は出版関係、夜は祇園の料亭で働く生活をしていたある日、東京の編集者さんと知り合って、「本を出したいなら東京に出てきなよ」と背中を押されて。当時はインターネットもまだ電話回線でキュルキュルキュル……ってつないでいたような時代ですから、何かをするにはまず東京、でした。そうして、その1ヶ月後には東京に出ていましたね。

行動力がすごいですね! それはおいくつくらいの頃ですか?

甲斐 25歳くらいだったと思います。最初の本『京都おでかけ帖~12ヶ月の憧れ案内』(祥伝社)を出したのが29歳で、それまではしばらくライターをやっていました。あるとき、ずっと「本を出したい」と言い続けていたのが功を奏して、一気にお声掛けいただけた時期があって。『京都おでかけ帖』のほかにも別の京都本と、お菓子の本を同時進行で抱えることになったんです。

そんな偶然ってあるんですね。

甲斐 それで、3冊出したタイミングで、肩書きを「ライター」から「文筆家」に変えたんです。でも、そうすると、いわゆるライター仕事が減ってしまい、生活面は一時的に苦しくなりました。

それはライター業界でよく耳にします。ライターから「作家」へ転向したときの"あるある"ですよね。ライター仕事はもうやらないと思われて発注が減るという。

甲斐 でも、肩書きを変えた結果いいこともあって、「文筆家」と名乗り始めると、それまでのように文章を直されなくなったんです。「自分」を主語にした「私はこう思う」という文章をやっと書けるようになりました。

住んでいる人ほど、自分の街のいいところに気付きにくい

甲斐さんの著作は、旅、お菓子、クラシックホテルなど、ジャンルが多岐にわたっていますが、どのようにしてテーマを選んでいるのでしょうか?

甲斐 どれも私が「好き」と思っているものを本にしています。一見ジャンルがバラバラに見えますが、全てに通じる大きなテーマは「街が好き」なんです。最初に出した『京都おでかけ帖』はその原点になっていて、京都の街の中にある、お菓子や建築、老舗のお店やお土産、宿泊、食、あらゆる自分の好きなものを詰め込んで作りました。以降に出している本も、例えばお菓子の本なら、「街が好き」で、その中で「お菓子」だけにスポットを当ててみる、とか、そういうことなんです。

なるほど。「街」をいろいろな側面で切り取って本を作っているんですね。

甲斐 地方取材をすると特に感じるのですが、住んでいる人ほど自分たちのいいところに気付きにくいんですよね。皆さん、「自分の街は田舎で何もない」とおっしゃっていて。取材をしながらその街の素敵なところを地元の方に伝えて、本や雑誌でいいところを取り上げることで、だんだん自分の街に自信を持ってくれます。その様子を見るのが、この仕事をやっていて楽しいことのひとつです。

甲斐さんはいつ頃から「街」に興味を持ち始めたのでしょうか?

甲斐 小さい頃からずっと好きでした。幼少期から20代前半くらいまでの間にずっと追いかけていたことが今、本になっているんです。小学生の頃、親の指示で家族旅行の旅行記を自由研究としてつけていました。どんなものを食べて、何を買って、どういう場所へ行ったのかを、細かくノートやスクラップブックに記録するんです。当時は面倒だなあと思っていたんですけど、それが結果的に習慣になって、今の仕事の資料としても役立っています。

インターネットがなかった頃の資料って、個人の記録頼みなところがあって、貴重ですよね。

甲斐 特に私の場合、昭和時代の昔ながらのパンとか、お菓子の包み紙とか、そういうジャンルが好きなので、ほかの人の研究というのがほぼなくて。ずっと集めている包装紙なんかは、場所も取るし、何度も捨てようかと思ったのですが、後世のためにという使命感もだんだん生まれてきて捨てられないんです(笑)。

ジャンルがニッチゆえに、先行研究がないんですね。

甲斐 お店にすら、「そんな古いの残ってない」と言われることも少なくないですし、閉店したお菓子屋さんもたくさんあります。当然、ほかの人が書いた本もないので、調べるには自分の足で巡るしかない。民俗学の研究をしているような感じです。

お店取材にしても、地方のお店だとネットに何も情報が載っていなくてたどり着くのにも苦労しそうです。

甲斐 そうなんです。『朝・昼・夕・夜 田辺めぐり』という、和歌山の田辺市を紹介する無料配布の観光案内冊子も作っているのですが、ネット検索してもお店の情報は出てこず、グルメサイトなどにも全然載っていなくて。自治体の皆さんと一緒に店を巡り、ネットで検索すらできない基本的なデータをまとめ、紹介してもいいかをその場でお願いしてまわりました。

無料の観光案内冊子

原稿を書くときは加点法。本を作る上で心掛けていること

本や雑誌でお店をとりあげるとき、何を意識して選んでいらっしゃいますか?

甲斐 評論家の植草甚一さんや作家の池波正太郎さんの街歩きの本が好きで、昔それを読みながら京都の街を歩いていたんですが、何十年も前に書かれた本なのに、まだ本に出てくるお店があることに驚きました。植草さんや池波さんが紹介するお店は息が長くて、結果的には老舗と呼ばれるようになっていたんですね。私もそういう、この街でこの先もずっと続いていくような、安心感のあるお店を紹介したいと思っています。

地元の人に愛されているようなお店とか?

甲斐 はい。書籍では特に、「その街に根付くお店」というのを意識しています。雑誌やWebでは、その季節に合ったものや、届ける読者層が決まっていることも多いので、それに合わせてお店選びをしています。

では、いざ書く段階になった際に心掛けていることはありますか?

甲斐 全て加点法で見るようにしているんです。お店だけでなく、お菓子やパンにしても、味のことを細かく言い出したら、意見や好みが分かれるようなものも正直あります。例えば私が紹介するのは、昭和時代から売られているレトロなパンとかなので、天然酵母を使ったこだわりのパンとかと比べると、味の面ではどうしても甘さが強過ぎたり、高カロリーだったり……となってしまう。ただ、紹介すべき素敵なところはほかにもたくさんあって、味のことだけではなくて、それ以外のいいところもたくさん見つけて書いています。それに私、そもそもパンやお菓子という「存在」そのものが好き過ぎて、「味だけが全てではない!」と思ってしまうんですよね(笑)。

愛がすごい! 甲斐さんに紹介してもらったお店や商品は幸せですね。

甲斐 あるお菓子を食べに行ったときに、あまりに個性的な味で、その場にいた取材チームがみんな微妙な表情をしたんですが、私はその味を微笑ましく思えて笑みがこぼれた、なんてこともあったんですよ。それでもそのお菓子はちゃんと長く売れていて、街の人に愛されていて、売っているお店のおじさんがいて、常連さんがいて。お店のおじさんに取材をして、嬉しそうに話してくれたら、それだけで楽しくなります。

ははあ、なるほど。

甲斐 お菓子を紹介しているのに、包装紙やお店のおじさんについてばかり書いていることもあるので、たまに「味について全然書かれていない」などと言われます(笑)。でも私、そういうのを全てひっくるめて好きなんですよね。原稿を書くときは、そのどこを切り取るか、というだけの話で。

お菓子やパンそのものというより、周囲にあるものも含めたストーリーがお好きで、そういうのを紹介したいと思っていらっしゃる、ということでしょうか?

甲斐 まさにそうです。それに、何かを批判したところで、それがそのお店や商品の欠点かと言われると、そうとも言い切れません。例えば、京都にかなりお年を召されたおばあちゃんがやっていた喫茶店があって、その店ではコーヒー1杯に30分以上待つのが当たり前なんです。常連さんは、「今日は60分待った」「自分は70分だった」と自慢げに話していて、「待つ」というのが面白い要素になっているんですよ。

へえー! 待ち時間がアトラクションのようになってるんですね。

甲斐 そのことを知らずにひょいっと店に入ったら、一時間待ってもコーヒーが出てこないのはたしかに欠点になるかもしれません。ですが、常連さんたちにとってはそれこそが間違いなく愛されるポイントになっています。だから、どんな欠点も捉え方次第なんですよね。欠点を長所として加点法で捉えられた方が生きている上でラクだし楽しいよって私は思います。

好きなものを好き、と言うのが不安だった

ここまでお話を伺っていて、好きなものに対する愛がとにかく広く深いことに驚きました。

甲斐 でも実は私、はっきりと自分の好きなものを主張できるようになったのって、30代になってからのことなんです。高校生くらいまでは、好きなものを人前で堂々と好きと言えないことも多くて……。これを好きと言ってしまったら、周りになじめなかったり、時代遅れと思われたりするかな、と思うこともありました。最近までうっすらその感覚はあって、2年前に出した『地元パン手帖』(グラフィック社)も出すまでは不安で不安で……。

地元パン手帖

そうなんですか!? この本、めちゃくちゃ素敵ですよ! 昔ながらのパンをこうして並べてみると、すごくかわいいんですね。

甲斐 これを出したとき、ブームになっていたのは天然酵母やこだわりの製法のパンばかりだったんですよ。だから、時代に逆行したパンの本を出したら批判されることもあるのかな……って心配もありました。こういう昭和レトロなパンを好きで買い続けてたら、以前、友達に不思議な目で見られたこともあったんですよね。「みのりは今どきのパンは買わないから」とか「それ、味はおいしいの? カロリー高くない?」などと言われたことも(笑)。

自分が好きなものに対して、センスがおかしい、みたいな目で見られるとつらいですよね。

甲斐 「味だけでは語れない日本の歴史が、物語が、地元パンには詰まっているんだ!」とパンへの愛情を注ぎ、本を出すからにはいいところが伝わるように書く自信はありました。でも、そう言いながらも心の中では「批判されることもあるかもしれないな……」と不安で仕方なかったです。実際は、蓋をあけてみたらとても好評で。この本を出したくらいからやっと、自分の好きなものについて堂々としていなければ、そのものに対しても失礼だと思うようになりました。

好きなことを仕事にする上で必要なこと

最後に、正直な話、いくら好きでも本を作っているうちに嫌になることってありますか? 甲斐さんの本って、資料がなかったり、地方の小さなお店だと向こうが取材慣れしていなかったり、一冊作るのがめちゃくちゃ大変なのではないかと思いまして……。

甲斐 本当に大変ですね。何冊作っても慣れることはないし、緊張感も伴います。100円のパンを食べてみたくて、交通費3万円かけて山奥まで行くこともありますし、取材依頼をするのも苦労が絶えません。「取材などと言いながらお金を取るんだろ」と電話口で怒鳴られたり、電話を切られてしまったりなんてことも、未だにあります。どうしても載せたいお店があっても、許可をいただけないことも。本が出てから「あの店が載っていない」という読者からの感想をいただくときは、そのほとんどが掲載の叶わなかったお店なんです。

あるあるすぎる……。

甲斐 よく誤解されがちなのは、好きなことを仕事にしているけど、イコール、ラクなわけではないんですよね。おいしいものやかわいいものを取り上げているからか、端から見るとラクで楽しく見えてしまうみたいで。でも、嫌になるということもないですね。

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好きなことを仕事にすると嫌いになるからやめた方がいい、という人もいますよね。

甲斐 たぶん、好きなことを仕事にするには、「覚悟」が必要ということなんだと思います。

覚悟。覚悟がないまま好きなことを仕事にすると、嫌いになってしまうかもしれない、ということでしょうか?

甲斐 人それぞれではありますが、仕事にするほど好きなことは簡単に嫌いになれないからこそ大変なんじゃないかな。好きなものを詰め込んだ本が出来上がると幸せですが、幸せだと思う瞬間の何十倍も、つらいことだってあります。苦しいことをたくさん背負って、その100分の1くらいが一冊の本として世に出ているわけです。だから、好きなことを仕事にしたいならば、「楽しい」以外の部分を見て、想像して、覚悟をしておく必要がある、と私は思います。

経験していないとなかなか実感がわかないかもしれませんが、そうですね。

甲斐 私自身、本を書くことについて、覚悟してます、努力してますって、もう恥ずかしげもなく言っているんですけれど(笑)。それが、好きなことを仕事にする、ということなんだと思うんです。

取材・文/朝井麻由美
撮影/小野奈那子

お話を伺った方:甲斐みのり さん

profile

文筆家。静岡出身。大阪、京都と移り住み、現在は東京にて活動。旅、散歩、お菓子、手みやげ、クラシックホテルや建築、雑貨や暮らしなど、女性が好み憧れるモノやコトを主な題材に、書籍や雑誌に執筆。著書は『地元パン手帖』『お菓子の包み紙』(ともにグラフィック社)、『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』(エクスナレッジ)など40冊以上。
Web:Loule/Twitter:@minori_loule

次回の更新は、2018年8月29日(水)の予定です。

編集/はてな編集部