「つるちゃんと私、生活の負担をトントンにしたい」ーー犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻

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(写真左から)犬山紙子さん、劔樹人さん

今回「りっすん」に登場いただくのは犬山紙子さん・劔樹人さん夫妻。エッセイストとして活躍する犬山紙子さんと、「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト、そして「神聖かまってちゃん」の元マネージャーとして知られる劔樹人さんは2014年8月に結婚し、2017年1月に第一子が誕生しました。家庭での経験や在り方をメディアで語ることも少なくありません。

犬山さんは『私、子ども欲しいかもしれない。』(平凡社)を、劔さんは、『今日も妻のくつ下は、片方ない。妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました』(双葉社)をそれぞれ発表。子どもを持つことへの葛藤から決断に至るまで、そして家事、子育ての分担、仕事との両立について、お二人に伺いました。

子どもが欲しいのか、欲しくないのか、決断できない日々

ご著書『私、子ども欲しいかもしれない。』で犬山さんは、妊娠される前の心境や悩みを綴られていました。もともとは子どもはいらないと思っていらっしゃったんですよね。

犬山紙子(以下、犬山) そうですね。フリーランスだからお金のことはもちろん、仕事と両立できなかったらどうしよう、子どもができたら「育児が大変そうだから」と発注を遠慮されたらどうしよう、とかネガティブな考えばかりが浮かんでいました。それに、趣味の時間が大切だったので、娯楽の時間がなくなったらどうしよう、もありましたし、つるちゃん(夫)と二人の時間が減ることや、妊娠中にお酒を飲めないのもつらい。そもそも産むってめちゃくちゃ痛いじゃん、嫌だ! とか、「どうしよう」だらけで。

分かります、分かります……。そんな中、本の取材でいろいろな世の中のお母さんを取材していくにつれて、少しずつ考えが変わっていかれたと思うのですが、当時の心境について伺わせてください。

犬山 まず、取材させていただいた方々はびっくりするくらい上手くやりくりされていて、「やっぱり思っていた通り大変じゃん! そんなの私には無理!」とはすごく思いました。ただ、内容こそ大変そうではあるものの、皆さんめちゃくちゃいい表情で話すんですよ。人生謳歌している感じの、キラキラした顔で。実際に会ってそれを目の当たりにしたのは結構大きいかもしれません。

とはいえ、話を聞けば聞くほど大変だと思ったのも事実なので、悩みは深くなるばかりでした……。

今振り返ってみて、つるちゃんはどうだった?

劔樹人(以下、劔) 僕も不安ではありましたね。ずっと学生気分が抜けないままやってきていましたし、まだ自分は何も成し遂げられてないのに、仕事をする時間がなくなったらどうしよう、と。

犬山 つるちゃんも同じだったんだね。時間のやりくりについて不安な気持ちとかは、やっぱりあったんだ。

それで結局、いくらいろいろな人に話を聞いても結論は出なかったから、避妊をやめる、という消極的な方法を取ったんです。できたらできたで頑張ってみるし、できなかったらそれもありで。もう自分でジャッジはできないから、運に任せよう、と。

犬山さん

あんなにたくさんの「どうしよう」という不安な気持ちを抱えていらっしゃったところからすると、それだけでも大きな決断だと思います。

犬山 たぶん……心の奥底ではちょっと欲しい気持ちがあったんだと思うんですよね。これだけ時間と労力をかけてしつこくみんなに話を聞きに行っているということは、内心では私ちょっと子ども欲しいんだな、と。

なるほど……確かに。

犬山 最初は、年齢とか、持たないと後悔するとか、世間からの風当たりというネガティブなものが影響して、「子ども作らなきゃダメなのかな? でも……」とただただ不安な気持ちに翻弄されていたところがあって。人に話を聞いて向き合ううちに、決断するほど強い気持ちにはならなかったものの、「子ども欲しいかもしれない・作ってもいいかもしれない」と少しずつ自分の中の気持ちが浮き出てきたんだと思います。

子どもはオタク用語で言うところの「沼」だ

犬山 これは妊娠前からずっと思っていたんですけど、子どもを持つことに関するネガティブなことは想像がつきやすいけど、ポジティブなことって未知ですよね。「おかしくなるほど幸せ」と言われても、他人からしたらイマイチよく分からなくないですか?

そうですね、妊娠や育児や仕事とのやりくりの大変さは具体的に思い浮かびます。一方で、「子どもがいて幸せ」といった感情の部分は、具体性がなくてどこかふわっとしているというか……。未経験者からしたら雲をつかむような話に思います。

犬山 私の場合は、恋愛初期の「頭の中お花畑状態」がずっと続いている感じです。しかも、相手(子ども)と最初から相思相愛でラブラブ。あれよりもさらに上かも。恋愛のお花畑状態は半年くらいで消えるけど、子どもとのお花畑は何年も続くので。

へえー! すごい、そんなに。

犬山 産んでしばらくはかわいいと思えなかった、という人もいるので、この感覚もたぶん人によって違うんですけどね。私は離れているときは子どもの動画見ちゃうし、休日はできる限り一緒にいたいし、たとえるなら、新しい「沼」にハマった、みたいな。私はボードゲームが好きで、RPGが好きで、マンガが好きで、ハロプロが好きで、いろいろな趣味を持っていた中に、新たに大きな「沼」が加わりました。

沼! そう言われると分かりやすいです!

子どもが産まれて「人生の主役」を降りるとは限らない

劔さんは子どもが産まれたことでの新しい発見は何かありましたか?

劔 僕は……肩の荷が下りた感じがあります。なんというか、昔ほど自分について興味がなくなったかもしれません。

子どもができたら、自分は「人生の主役」から降りた感覚になった、という人はよくいますよね。

犬山 私、それ全然ないです。子どもが産まれた今でも以前とまったく変わらず主役な感覚で生きているので、人によるんだと思います。

劔 僕は半分降りました。自分のことを発信したい欲求や、自己顕示欲のようなものがなくなってきていて、焦りがないです。

犬山 かっけー!

劔 日頃あった面白いことをTwitterに書きたいって、まったく思わないです。もう、RTやフォロワーが欲しいとかも全然ない。昔は欲しかったんですけど。

犬山 そこは全然違う! 私、今でも欲しいですよ!(笑)

犬山さん・劔さん

妊娠しても働きます、と各方面にしつこく根回し

子どもが産まれて以降の、仕事や家事についてもお伺いさせてください。先ほど、妊娠前に、仕事と育児の両立や、発注されなくなる不安があったとおっしゃっていましたが、実際はどうでしたか?

犬山 これは私、しつこく「仕事しますアピール」をしたんですよ。妊娠を発表した際に、SNSや仕事相手との連絡で、「でも仕事しますけどね」と必ず一言添えて。どうしても物理的に自分が動けなくなる期間は出てくるので、テレビの仕事はさすがに減ってしまいましたけどね。連載は4カ月分前倒しで書き溜めてから休んだので、書き物の仕事は途切れませんでした。

4カ月分も……! とにかく仕事を続ける、という姿勢を明確に見せないと、これまで働いていたポジションがなくなる可能性があるってことですよね。

犬山 そう、フリーランスでも会社員でも、女性は特にそうだと思います。私がお話を伺ったお母さんたちの中には、時短勤務になったことで、それまでやりがいを持ってやっていた仕事が回されなくなって、簡単な事務作業ばかりになった、という人もいました。もちろん、会社にもよると思いますが……。

劔 会社員でも女性でもないですが、僕も結構それを感じるんですよね。「お忙しいでしょうから」と周りから遠慮されている気がします。いろいろなメディアで、主に僕が家事を担当していると言っているからか、仕事しながら家事をめちゃくちゃ頑張っていると思われているみたいで。本当はちょっと暇だから、Netflixでゾンビ映画とか観てるのに……。

(笑)。一方で、仕事を減らしてくれる周りの気遣いを、ありがたいと思う人もいるはずなので、難しいですね。

犬山 もし、子どもが産まれてもやりがいのある仕事を続けたいならば、自分が復帰できるように上の人に事前に相談しておいたり、部署内でしつこく言っておいたり、休む前に各方面に根回しをしておくのがすごく大事だと思います。

片方の収入が多くても、上下ではなく、横同士の関係でありたい

家事や育児については、どのように分担されていますか?

犬山 週3で頼んでいる家事代行サービス代を私が出していることを差し引いても、私が3割で、つるちゃんが7割くらいかなぁ。もともと私は家事が苦手だし、昔から自分が働いて大黒柱になりたいと思っていたので、家事が好きなつるちゃんと出会えたのはラッキーでした。ただ、もしつるちゃんがポーンと稼ぐようなことがあったら、交代するのもありだし、臨機応変に考えています。

劔 でも、僕は人生で大金を稼いだことがないので、全然想像もつかないし、自信もないですね。自分のほうが稼ぎたいともまったく思わないですし。

劔さん

世の中では真逆のケースを聞くことがあります。女性の方が収入が多いことで、引け目に感じる男性もいるようです。

犬山 えー! 収入多い方がラッキーなのに!

劔 ラッキーだよね。でも、プライドが……とか、収入が多い方が家庭内で発言権が持てるのでは、とか思う人が多いのかな。

犬山 たぶん、サンプルが自分の実家しかない、というのも視野を狭くしている理由の一つですよね。私たちがこうやってインタビューしていただけているのも、世の中からすると特殊なケースだからだと思いますし。上か下かの関係ではなく、横同士の対等な関係もある、というのが浸透していないのは、まだまだ国としての課題だと思います。

細かいところを含めて、負担をトントンにしたい

犬山・劔家には、何か家事や育児における今後の課題ってありますか?

犬山 つるちゃんがもっと外出したり、友達と遊びに行ったりしてくれるようになってほしいんです。予定をあまり入れないようにしているのだろうし、つるちゃんがちょっとライブに行っている間、私が家にいたら、「子どもを見てくれてなんて素晴らしい人なんだ…! ありがとう!!!」とかものすごい勢いで感謝してくるんです(笑)。普段仕事で子どもと離れている分、一緒にいられるのは私にとってはご褒美でもあるのに。

劔 そこのところは僕、世の中のお母さんに近い感覚なのかな、と思います。外出しているときは、子どもの面倒見てないけど大丈夫かなと不安になるし、夫婦両方が忙しくても、家事や育児をするのは自分だ、と常に思っていますし……。

犬山 私に急な仕事が入ったときのことを考えてくれていて、常に自分が家事や育児をできる状態にしておかないと、とつるちゃんの中で枷として結構大きくのしかかっちゃっているんだよね。

劔 やっぱり、彼女のほうに急な仕事が何か入ってきたら、自分の予定を動かさなきゃいけないと思うので。それが嫌で苦しんでいるというわけでもないんですけど。こういうの、世の中のお母さんも結構同じ感覚を持っているんじゃないかなと思います。僕は性別が逆であるからこそ、いいモデルケースになるためにも打ち破っていかなければいけないとずっと思っています。

犬山 だからこれは、全然解決できていない課題です。たぶん、こういうつるちゃんの細かな気遣い含めて、負担がトントンじゃないと思うんですよ。つるちゃんはあくせく家事をしても、自分はあれをした、これをした、と言うのが苦手だから、絶対言わないですし。そもそも、家事って申告されないと気づかないような細かいものも多い。

だからもうちょっと、お互いの一日の仕事量をトントンにしよう? 私もその日どんな仕事をしてどれくらいハードだったかを話すし、つるちゃんも「仕事と家事で忙しくてゾンビ映画を観れなかったわー」とか、話し合おう。世の中の家庭における不満って、そういう細かなズレから生まれていると思うので、小さなことでも言い合うのは本当に大事なんですよね。

犬山さん・劔さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方

犬山紙子さん
コラムニスト、エッセイスト。多数媒体で連載を持つ。主な著書として『負け美女』(マガジンハウス)、共著に『女は笑顔で殴りあう マウンティング女子の実態』(筑摩書房)など。2017年に『私、子ども欲しいかもしれない。: 妊娠・出産・育児の“どうしよう”をとことん考えてみました』(平凡社)を発売。2017年1月に第一子を出産。
Twitter:@inuningen

劔樹人さん
漫画家、「あらかじめ決められた恋人たちへ」ベーシスト。2017年にはブログに掲載していた漫画を書籍化した『今日も妻のくつ下は、片方ない。 〜妻のほうが稼ぐので僕が主夫になりました〜』(双葉社)を発売。
Twitter:@tsurugimikito

次回の更新は、2018年5月23日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

「夫婦同時失業」のどん底経験はムダじゃなかった 元“貯まらん女”のFP、花輪陽子さん

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シンガポールのマリーナベイサンズの最上階からの風景(写真提供:花輪陽子さん)

今回「りっすん」に登場いただくのは、お金にまつわる専門家とも言われる「ファイナンシャル・プランナー(FP)」として活動する花輪陽子さん。現在シンガポールに暮らしながら多数の雑誌やWebメディアで活躍する花輪さんですが、外資系会社のリストラやシンガポールへの転勤などさまざまな転機を乗り越えてきました。また、FPとして活動する前は、お金を「あるだけ使ってしまう」という"貯まらん女"だったのだそう。

そんな花輪さんに、FPになったきっかけや"貯まらん女"時代のエピソード、シンガポール在住のFPとしてのお話などを伺いました。

リストラがきっかけで、FPとして独立

現在FPとして雑誌やWebでの執筆や監修を中心に活躍されていますが、FPになるまでは会社員をされていたんですよね。

花輪陽子(以下:花輪) はい。大学卒業後、新卒で外資系の金融機関に入社しました。その後、リーマンショックのあおりで2009年にリストラされてしまって。しかも当時新婚だったのですが、夫が勤めていた会社も倒産し、夫婦同時失業状態になりました。

ご自身だけでなく、ご主人まで……!

花輪 このころはどん底でしたね。実は、私がリストラされた1年ぐらい前から社内でリストラが始まっていて、社内の空気も悪くなっていたんです。いつ自分もそうなるか分からない状態だったので、リストラが始まりだした時期からFPの仕事の勉強を始めて、万が一のための準備は整えていました。

いつ何があってもいいように、対策は考えていたんですね。

花輪 そうです。CFP試験*1という資格試験の準備中にリストラされたのですが、とにかく資格を取ってしまおうと思って。試験直前には1日6時間くらいは勉強し、リストラ後にはなってしまいましたが、無事資格を取得することができました。

花輪さん

シンガポール在住の花輪さん。取材はビデオ通話で行いました

資格をとったあと、FPとしてすぐ独立されたとのことですが、どうやって活動をスタートさせたのでしょうか?

花輪 最初は専門誌に寄稿するなど、できることからやっていました。会社都合でリストラされたので、失業保険の待遇がよかったこともあり、当面のお金にすごく困っているわけではなかったため、1年間はじっくりと活動していました。

独立して働くには、やはり人脈も大切になってくるのではないかと思います。どのようにお仕事を得ていったのでしょうか。

花輪 今まで築いた全ての人脈を使いました。例えば、元同僚に知り合いの雑誌編集者を紹介してもらったこともありました。あとは、FPが集まる会合やセミナーへ積極的に参加してましたね。とにかく交際費にお金をかけて、いろんなところに顔を出すようにしていました。地道に営業をしたり記事を書いたりしていたのですが、独立から1年後に『夫婦で年収600万円をめざす!二人で時代を生き抜くお金管理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2010年)という本を出すことができて。

出版してからはコラムの連載が決まったり、次の本の依頼をいただいたり、わっと仕事の幅が広がっていきました。夫婦で失業した経験があったからこそ書けた本もあったりして、ムダな経験はないな、と感じました。

夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術

夫婦で年収600万円をめざす! 二人で時代を生き抜くお金管理術

  • 作者: 花輪陽子
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン


会社員時代からFPの資格取得のための準備をされていたとのことですが、リストラ後、他の会社で働こうという考えはなかったんですか?

花輪 それはなかったです。自分の今後の未来を想像したときに、独立して働いている方が楽しそうだったので、周囲の忠告を振り切って独立の道を選びました。

FPになろうと思ったのは、何か理由が?

花輪 大学で政治経済を専攻していたこともあって周りにFPの資格を持っている人がいて。ただ当時は「そんな資格もあるんだな」ぐらいで実際に資格を取ろうとは思っていなかったんです。でも、婚約をきっかけにお金の使い方を見直すようになって。

ちょうどその時期に、スージー・オーマンさんの『幸せになれる人バカな人生を送る人のお金の法則』(エレファントパブリッシング、2007年)という書籍をたまたま読んだんです。この本に感銘を受けて、浪費癖を直そうと意識と行動を変えていくことができました。それからお金の本などを読むようになって、FPの資格を取りたいと本格的に思うようになりました。なので、独立するならFPと決めていました。

会社員時代、あるお金は使ってしまう"貯まらん女"だった

政治経済を専攻したり、外資系のお仕事をされていたりということで、以前からお金に関心はあったんでしょうか。

花輪 そうですね、学生の頃からお金に関心がありました。なので、就活では証券会社を受けるなどしてましたね。ただ、お金は好きだったんですが、自分自身がお金の管理ができていたかというとそうではなくて……。ついつい使い過ぎてしまったり、お金に振り回されるタイプではありましたね(笑)。

著書にもあるように、独身時代は「貯まらん女」だったとか。当時は主にどんなことにお金を使われていたんですか。

花輪 給料のほとんどを、服とかコスメとかに使っていました。かといって、そのとき購入したものを今でも大切にしているかというとそうではなくて。振り返ると、本当にもったいない使い方をしていたなと思います。

貯まらん女のお金がみるみる貯まる魔法のレッスン88

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  • 作者: 花輪陽子,ふじいまさこ
  • 出版社/メーカー: マガジンハウス

「貯金しよう」とは考えていらっしゃらなかったんですか。

花輪 そのときは貯金のことをそんなに考えていなかったです。大学時代も、アメリカに短期留学したときにクレジットカードの限度額30万円しっかり使ってしまったこともありましたし。昔から浪費癖がありました。就職して給料をもらえるようになってからも、「収入が常に入ってくる」という過信があったので、収入に比例して使うお金も増えていって……。

そこからどうやって気持ちを切り替えたのでしょうか?

花輪 まずひとつめは、先ほども少しお話しましたが婚約がきっかけです。婚約したときに、クレジットカードの残債が200万円ぐらいあったんです。「これはいけない。結婚式までにこの残債をなんとかしなければ」と思ったんです。あと、今もですが主人の存在が私の浪費防止になっているのは間違いないです。

なるほど。ほかにもきっかけがあったのでしょうか。

花輪 あとはやはりリストラですね。収入が途絶えてしまったので、お金の使い方を見直さざるを得なくなってしまって。人は追い詰められないとなかなか変われないものです……(笑)。

ちなみにご主人のお金の感覚は、花輪さんと近いのでしょうか?

花輪 主人はもともと物欲がなくて、浪費するようなタイプではありませんでした。私と真逆で、なにもしなくてもお金が貯まっていってしまうような人です。

お金の使い方でご主人ともめることはありませんか?

花輪 意外とないんです。でも、今でも私がまとまったお金を使ってしまうことがたまにあるので、そういうときは不服そうにしています。夫婦共同のお金なので、もちろん事前に相談はしていますが。

花輪さん

目に見えるものが全てじゃない。経験だって大きな財産

雑誌やWebなどで働く女性の悩みに答える記事も書いていらっしゃいますが、最近の働く女性はどのようなお金の使い方をされていると感じますか。

花輪 働く女性でもいろいろカテゴリーがあり、年収や、既婚や未婚、一人暮らしや実家暮らし、住んでいる地域によっても変わってくるので一概には言えないのですが……。旅行や食べ物、洋服、コスメ、趣味などいろんなことに関心がある人が多くて、まんべんなくお金をかけているというよりかは、「自分がこだわっているところにお金をかけている人」が多くなってきているのかなという印象がありますね。

貯金に対する意識はどうでしょう?

花輪 年収300万円ぐらいでも、30代で1000万円貯金できている方もいらっしゃいますし、高収入だけど支出も多くて、貯金が全然できていない人もいらっしゃいます。「貧困女子」というワードが2012年ぐらいに出てきましたが、収入と貯金額というのは必ずしも比例しているわけではありません。

使い方の問題なんですね。貯金が全然できていなくて不安を感じている方も少なくないのではないかと思います。そういう人に向けてアドバイスをいただけますでしょうか。

花輪 そうですね。でもそういう方は「経験」がたまっていると思うんです。お金を全然使っていないという方は、経験がたまっていない場合もありますし。例えばファッションにお金をかけていた人は、ファッションセンスが養われているはずです。旅行が好きな人は世界中に友人ができたかもしれない。

お金はたまっていなくても、目に見えない資産が残っていればそれはそれでいいので同じくらいの価値があるのではないかと思います。貯金額だけでなくて、無形資産を一度棚卸ししてみるのもいいかもしれないですね。

さまざまな転機を乗り越え、現在の生活に

自身の働き方を振り返って、転機だと感じた出来事を教えてください。

花輪 リストラ、出産、シンガポールへの移住の3つです。

先ほどリストラのお話は伺いましたが、出産はどのような点が?

花輪 妊娠した時期が、FPとして1番乗りに乗っている時期だったんです。もちろん子どもができたという嬉しさはとても大きかったのですが、テレビのレギュラーなど、受けたかった仕事もお断わりせざるを得ないこともあり、そういう面では自分の働き方について悩みました。

出産前後はどうしても仕事に影響が出てしまうのは、難しい問題ですよね……。そして出産後、続けざまにシンガポールの移住が決まったそうで。

花輪 はい、出産して1年後ぐらいに夫の仕事の都合でシンガポール行きが決まりました。子どもが小さかったこともありますが、テレビの出演や講演といった、日本でしかできない仕事は断らなければいけなくなるので、私が東京で築いてきたキャリアはどうなるんだろうって思うと、正直不安になりました。悩んだ末、家族全員で移住することを決めましたが、やっぱりシンガポールに移住してすぐのころはけっこうふさぎ込んでいましたね。

立ち直ったきっかけはあるんでしょうか。

花輪 シンガポールでもFPとしての仕事ができる、と分かってからですね。移住してからもコラムの執筆など、継続してお仕事をいただけたのは嬉しかったです。

シンガポールに来てからはどのようにお仕事をされているんですか。

花輪 子育てもあるので、最初は仕事の量をかなり減らしていましたが、最近は執筆を中心に仕事をしていて、15程度の媒体で連載を持っています。電話やメールでもいいという場合が多いので、インタビューの仕事も増えてきて。テレビや講義など、日本でなければできない仕事を除けば、日本にいたときとそこまで大きな変化もなく仕事ができているかなと思っています。

花輪さん

今後、「こうしていきたい」といった思いはありますか。

花輪 シンガポールに来て3年になりますが、今年からはシンガポールでの活動を増やしたいと思っています。会計士さんと一緒にセミナーを開いたり、シンガポールや日本を中心とした、アジアに住んでいる日本人に向けた活動をしたり。こちらに住んでいる人には、いずれは日本に帰ろうと思っている人も多いので、いろんな需要に合わせた内容を考えているところです。

花輪さんは今後日本に帰る予定はあるんですか?

花輪 今のところないですね。それに、実はこっちに長くいてもいいなと思っていて。最初はシンガポール行きに戸惑いましたが、来てみるとシンガポールにいるということもひとつのコンテンツになっていて。シンガポール在住のFPはほとんどいないので、差別化できるようになったんです。シンガポールにいることで自分独特の視点が持てるようにもなりました。

なるほど!それはひとつの強みですよね。

花輪 そうですね。なので、今後はそれを活かした新しいビジネスを展開できたらな、なんて思っています。シンガポールや香港の金融機関や金融商品の情報を研究して、その情報を日本人の方に提供できたらいいなと。

マイナスのものをプラスに捉えるように

シンガポールに来て、日本との働き方の違いについて感じることはありましたか。

花輪 割と現地の人と話してても、男女関係なくフラットな方が多い気がしますね。シンガポールで働く会社員の人からも、こちらの方が働きやすいとよく聞きます。業界を全く変えて転職をしたという人もけっこういらっしゃいますし、チャレンジしやすい環境なんだと思いますね。

リストラの経験をはじめ、逆境をプラスに変えてきた花輪さんですが、普段考え方において意識されていることはあるのでしょうか。

花輪 マイナスのものをプラスに捉えるように意識しています。日本人って、マイナスの感情はいけないような風潮があるじゃないですか。例えば、誰かに対して嫉妬するっていうのも、日本人はいけないことだと感じる場合が多い。でもそれって、実はその人に憧れていて、その人のようになりたいと思うパワーがあるということ。その感情を使って、自分とその人の差を埋めるという考え方や行動力に持っていけるはずなんですよね。怒りとかも同じです。一見マイナスの感情ときちんと向き合って、プラスに働くパワーに変えていきたいなと思っています。

嫉妬や怒りという感情の原因を知ることが大切なんですね。本日はありがとうございました!

取材・文/石部千晶(六識)

お話を伺った方:花輪陽子さん(ファイナンシャル・プランナー)

花輪陽子

シンガポール在住のファイナンシャル・プランナー(FP)。CFP認定者、1級ファイナンシャル・プランニング技能士。夫婦同時失業を経験したのちFPとして独立。自分自身の"貯まらん女"だった経験をもとにしたアドバイスで、働く女性からも高い支持を得る。「少子高齢化でも老後不安ゼロ シンガポールで見た日本の未来理想図 」(講談社+α新書)、「毒舌うさぎ先生のがんばらない貯金レッスン」(日本文芸社)など著書や監修本多数。

次回の更新は、2018年5月9日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:日本FP協会が認定する民間資格

ママ・パパの同人活動を応援! 子育て中のママが立ち上げたのは「同人イベントのための託児」

四辻さん

同じ趣味を持つサークルや個人がマンガ、イラスト、小説などを制作・発行したり、イベントで作品を売買したりする同人活動。東京ビッグサイトで開催される世界最大の同人誌即売会コミックマーケット(コミケ)の来場者数は3日間でのべ55万人あまり*1と、同人活動にまつわるイベントは日本を代表するカルチャーとして確固たる地位を築いています。

こうしたイベントに参加する子育て中のママ・パパを応援しようと、イベントに合わせた日時に、イベント会場からアクセスのよい場所でプロの保育スタッフによる託児サービスを行う「にじいろポッケ」を立ち上げたのが、ライターとして働きながら、自身も同人活動に勤しむ四辻さつきさん。

同人イベントのための託児「にじいろポッケ」を手掛けるまでのいきさつ、「仕事」「母親」としてだけでなく、「趣味」に生きる女性としての想いなどについて聞きました。

妊娠中に出会った深夜アニメが、「にじいろポッケ」のきっかけに

四辻さんご自身、同人活動をされているそうですね。「にじいろポッケ」の話を伺う前に、同人活動にはまったきっかけから教えていただけますか?

四辻さつきさん(以下、四辻) もともと子どもの頃からマンガやアニメは好きで、中高生時代には自分でマンガを描いたり小説を執筆したりすることもありました。ただ、大学進学以降はめっきり遠ざかっていたんです。

転機は2015年で、上の子が2歳で、2人目を妊娠中のとき。イヤイヤ期に差しかかる上の子の世話をしながら、妊娠中で体調も悪い、夫も転職したばかりで忙しい、さらにはお互いの両親も離れていて……と、いわゆる孤独の「子(孤)育て」に追い込まれていました。

そんなある日、当時放送されていたある深夜アニメを見て、夢中になって。とにかく、すごくストレス発散になったんですよね。それから他の人が手がけた二次創作(原作をもとにした創作物)を読み漁るようになって、私も同じように創りたいなと思うようになりました。それがきっかけです。

それからすぐに同人活動を再開されたのでしょうか?

四辻 そうですね。私は小説執筆をメインに活動しているんですけど、pixiv*2に作品をアップしたり、Twitterで同じ作品が好きな人たちと交流したりするようになりました。当初はオンライン上で同人活動をしていたのですが、やはり醍醐味(だいごみ)はイベントなんです。

イベントで自分の作品を読んでくれている人から手紙をもらったり、逆に自分も直接感想を伝えに行ったり、お菓子を差し入れたり……。作品を発表するだけだったらオンラインの交流だけで十分かもしれませんが、自分が好きな世界を好きな人たちとリアルな交流を通して共有し合い、コミュニティができるのが楽しくて仕方ないんですよね。ただ、子どもが2人いる状況でイベントへ参加するというのは、なかなかハードルが高いなって……。

四辻さん

確かに、かなりのパワーが必要ですね……。

四辻 同人イベントに自分のスペース*3を出そうと思ったら、朝8時には会場に入って、17時頃までかかることもあります。私の場合は幸いにして、一人は親、もう一人は夫に預けて参加することができていましたが、それが難しい人もいる。子どもがいてもイベントに参加したいママ・パパ向けに、託児サービスがあったらいいのにな……と。

その気づきが、「にじいろポッケ」を始めるきっかけに?

四辻 そうですね。Twitterにも「子どもを預けるところがなくて困っている」というつぶやきが割とあって、一度アンケートをとってみたんです。そうしたら、「ある程度お金を出してでも預けたい」という声がたくさん集まりました。じゃあ私が始めてみようかなと。

その行動力がすごいです!

四辻 前職で飛び込み営業とかをしていたので、行動することの大切さは身に染みていますし、その辺りの度胸はあるかもしれないです。この活動について問題がないか保険局に問い合わせるといったことが抵抗なくできたのも、前職のおかげかもしれないです。

預けられた子どもも楽しい時間を過ごせるように工夫

にじいろ

「にじいろポッケ」Webサイト

同人イベントのための託児 にじいろポッケ

ちなみに、「にじいろポッケ」という名前には、どんな意味が込められているのでしょうか?

四辻 最初は、オタクと託児をかけて「OTAKUJI(おたくじ)」にしようかと思っていたんです。でも、オタクって自分で言うのはいいけど、他人に言われると複雑に感じる人もいるだろうなって(苦笑)。

いろいろ真剣に考えた結果、「いろんなカラーの趣味があっていいんだよ」という想いも伝えたくて「虹色」に「二次創作」の「二次」をかけて「にじいろ」、あと「ポッケ」は「ポケットみたいに持ち運びができる移動式の託児所」ということで、この2つを組み合わせて名付けました。ただ、実際にサービスをスタートするまでは大変でした。

特に、何が大変でしたか?

四辻 一番苦労したのは、場所の確保です。最初はイベントがよく開催される東京ビッグサイト(東京国際展示場)の会議室はどうだろうと思ったんですけど、イベントの日は予約競争率が高くてまず難しいことが分かって。次に周辺施設で探してみたのですが、企業のオフィス利用があるビルだと子どもがうるさいと迷惑になってしまうからと託児利用に前向きになってもらえず……。民間の保育施設や公民館も、たとえ空きがあったとしてもいろいろと問題があるようで無理でした。

なかなか難しいものなのですね。

四辻 最終的に、個人的につながりがあったお台場にあるダンススタジオを運営している人に相談し、貸してもらえることになりました。いまは、勝どきにある学童施設を利用させてもらっています。この施設も私の知人が運営に携わっていたのですが、「日曜祝日は休みなので逆に活用してくれてありがとうございます」とおっしゃっていただき、快く貸してくださって。イベントは土日祝日に開催されることが多いので、お互いの希望が合致した形になったのはよかったです。

保育士はどうやって見つけられたのですか?

四辻 最初はつてがなかったので、イベント時に特化して保育スタッフを派遣している会社に依頼しました。ただ、法人向けの価格設定になっていたので費用がすごく高くなってしまって。託児料金についてはサービス利用者で割り勘にしようと考えていたので、コストを下げないと託児サービスを使いたくても使えなくなってしまいます。そんなとき、たまたま少人数制の家庭的保育を専門にする「チャイルドマインダー*4」という民間資格を持って個人事業主で仕事を請け負っている方たちの存在を知りました。

皆さんフリーランスなので企業マージンが入らないということもあって、保育の質を保ちながらコストを抑えることができました。それからチャイルドマインダーさん同士のつながりで紹介していただき、いまでは子どもの数や施設のキャパシティに応じて手配しています。

託児中の様子

「にじいろポッケ」託児中の様子(写真提供:にじいろポッケ)

その他にサービスの中身で、こだわっていることはありますか?

四辻 「子どもたちが楽しく過ごせるかどうか」には、こだわりたいと思っています。というのも、預けることに罪悪感がある親御さんもいっぱいいるんですよね。「仕事のためなら仕方ないって割り切れるけど、自分が楽しんでいる間に、子どもに寂しい思いをさせたらかわいそう」と。そこをケアできるように工夫しています。

たとえば、私たちの活動を知ってくださった方の中にプラレールを集めている人がいて、「楽しい託児所にしましょう」と託児用にプラレールを貸していただいています。おかげさまで、子どもたちもすごく楽しんでくれています。プラレール以外にもおもちゃをたくさん用意しているので、「1日楽しく過ごせるから、子どもからも『連れていって』と言われます」という声もいただきます。

赤字が続くも、クラウドファンディングで目標額の3倍を調達

子どもにも楽しい時間を過ごしてほしいという親御さんの気持ち、そして託児の当事者である子どもの気持ちもしっかり考えていらっしゃるんですね。ちなみに、直球で恐れ入りますが、「にじいろポッケ」として利益は出ているんでしょうか?

四辻 正直なところ、私の人件費まで含めると完全な赤字ですね。そこで、今後も継続していくために2017年10月に、クラウドファンディングを実施したんです。目標額は100万円。最低でもあと1年続けられる額ということで設定しましたが、結果的には目標を大幅に上回る300万円が集まりました。

目標の3倍!どのような方が応援を?

四辻 大きく分けると「これから使うかもしれないから(ママ・パパ予備軍)」「自分の子育て期にこういうサービスがあったら良かった(先輩ママ・先輩パパ)」「独身で子どもはいないけど応援したい(サポーター)」という3パターンの方がいらっしゃいました。おかげさまで、今では月1回くらいのペースで、来場者が数万人規模のイベント開催に合わせてサービスを提供できています。1回のイベントにつき、預かるお子さんは14~15人程度ですね。

それはすごい。親御さんは本当に大助かりですね。

四辻 コミケに代表されるような数十万人規模の大きなイベントは年に数回ですが、数万人規模のイベントまで入れると、毎月のようにどこかで開催されています。いずれのイベントでも、どこにも子どもを預けられなくて困っている、という方はいらっしゃるはずなんです。規模にかかわらず、ニーズがあるところにはどんどん展開していきたいと思っています。今年(2018年)から大阪でも始める予定です。

それだけ求めている人が多かったのですね。でも、2015年に深夜アニメとの出会いがなければ、いまの四辻さんも「にじいろポッケ」もなかったんですよね。

四辻 確かに(笑)。私自身「にじいろポッケ」がこんなに大事な存在になると思っていなかったので、人生何があるか分かりませんね。それに何より、自分の好きな同人活動の仲間の役に立てることって、すごい嬉しいことだなと思っているんです。

四辻さん

「にじいろポッケ」を"私にしかできないこと"にしたくない

にじいろポッケの活動、本業のライター、同人活動、そして母親と、やることが満載だと思うのですが、どのようにバランスを取っていらっしゃるのでしょうか?

四辻 うーん、家事をどうやって省エネ化するかはいつも考えていますね。ルンバとか食洗機を導入してみたり、炒めるだけ的な料理キットをフル活用してみたり。私はそもそも家事が得意ではないですし、あれもこれもやらなきゃいけないっていうよりは、ママでも好きなことをして楽しい時間を過ごせたらなって思っています。

それが四辻さんらしさなのですね。

四辻 あと、"なくてはならないもの"は、"誰でもできる"ものでないといけないんじゃないかなって感じていて。そういう意味では、「にじいろポッケ」は利用者の皆さんから感謝してもらえているし、ずっと続けていくべき事業だと思っているので、私がある程度ベースを作って、もっと仕組み化し、私以外の誰にでもできるようなものにしていきたいです。

これから、ますます広まっていきそうですね。

四辻 そうですね。それもこれも寛容になってきた今の時代だからこそ成り立っているのかなとも思っています。例えば少し前までは、「母親は育児に専念すべし」という風潮だったと思いますが、最近はそうじゃなくってママも息抜きの時間も大事だよって言ってくれる先輩ママたちが増えてきた。なので、私はそのバトンをつなぐべく、ママたちが自分らしく、大好きなこともできるように、「にじいろポッケ」を育んでいきたいと思っています。

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)

お話を伺った方:四辻さつきさん(「にじいろポッケ」主催)

にじいろポッケ

昭和生まれの二児の母。中学生の頃の某新世紀アニメをきっかけに、中・高と同人をたしなむ。その後、進学・就職・結婚としばらく同人から離れていたが、第一子のイヤイヤ期と第二子の妊娠が重なり、某深夜アニメでストレスを解消しているうちにどっぷりハマる。その勢いで同人活動を開始。第二子出産後、子どもが増えて託児の難易度が上がったことから、イベントのための託児があればいいのに……と考え、ないなら作ってみよう! と思い立つ。現在、1歳と4歳の男児の子育てに奮闘中。
Twitter: @nijiiropokke
Web:同人イベントのための託児 にじいろポッケ

次回の更新は、2018年4月11日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:2017年12月29日〜31日に開催された「コミックマーケット93」の来場者数

*2:利用者が自由にオリジナル作品や二次創作作品を投稿・閲覧できるイラストコミュニケーションサービス

*3:自分の作った同人誌 などを持ち込んで頒布するための場所

*4:イギリス発祥の家庭的保育の専門職。日本では民間資格だがイギリスでは国家職業基準資格として認められている。にじいろポッケではNCMA,Japanが認定するチャイルドマインダーに依頼している

売れる本は「面白そうなにおい」がする? 様々な企画を打ち出す三省堂書店員・新井さん

新井さん

今回「おしごとりっすん」に登場するのは、三省堂書店で働く新井見枝香さん。有楽町店、池袋店、本部勤務を経て、現在神保町本店の文庫本コーナーを担当する新井さんは、本を売るのが日本一上手い書店員かもしれません。独自の賞「新井賞」を作ったり、著者さんとのトークイベント「新井ナイト」を開催したり、自らが読んで面白いと思った本を売るための企画を次々と打ち出しています。その傍ら、様々な媒体に寄稿し、エッセイ集『探してるものはそう遠くはないのかも知れない』も刊行。書店員の仕事の話、売れる本とは何か、出版界の今後についてなどを伺いました。

本は好きだったけど、仕事にするとは思ってなかった

新井さんはもう何年も前から、「プッシュした本は必ず売れる」と言われている書店員さんですよね。新井さんの活動を拝見しているとまさに天職だと思うのですが、どのような経緯で書店員のお仕事を選んだのでしょうか?

新井見枝香さん(以下、新井) 書店員になりたいと思っていたわけでも、本に関わる仕事をしたいと思っていたわけでも全然ないんですよ。三省堂書店で働き始めたのも、本当にたまたまです。三省堂書店有楽町店に寄ったら求人のポスターが目に入ったから気まぐれで電話をして。

じゃあ、それまでは本とはまったく関係のないお仕事を?

新井 そうですね。そもそもあまり仕事が続いたことがなくて、いろいろなアルバイトを転々としていました。唯一続いたのがサーティワンアイスクリームで、2〜3年は働いたかな。あくまでも消費者として本が好きだっただけなので、書店で働くなんて考えたこともなかったですね。

三省堂書店にはよくお客さんとして行かれていたのですか?

新井 有楽町店が好きでよく行ってました。有楽町店の文芸の棚はそんなに広くないのですが、品ぞろえがよかったんですよ。「おっ、これが置いてあるんだ」といった通好みの本がそろっていて、それでいてちゃんと大衆向けの本も入っていて、セレクトのバランス感覚がとてもよかった。入社してすぐに、「あ、この人が担当していたんだ」と分かりましたね。

へええー! 棚って、担当する書店員さんの個性が出るんですね。

新井 でも、「俺が売りたいものを置く」「私の棚を作る」とゴリ押しばかりするのもよくないんです。その店舗がある地域によって、お客さんが求めているものも変わってきます。お客さんをよく見て、ニーズに合わせた棚を作るのが大前提です。

「買うなら新井さんのところで」とどの店舗にも来てくれる常連さん

新井さんは最初、有楽町店で働かれ、その後池袋店に異動し、現在は神保町店にいらっしゃるんですよね。店舗が変わったことでの苦労は何かありましたか?

新井 有楽町店から池袋店に移ったばかりの頃は、お客さんから思ったような反応が返ってこなくて少し苦戦しました。有楽町店はもともと客として通っていたのもあって、自分に合っていたんですよね。それに、お客さんとの信頼関係は、一年やそこらで築けるものではありません。オススメした本を買ってもらって、それを気に入ってもらえたことでまた来てくれて、と繰り返して作り上げたものを、また0からやらなければならないですから。

新井さん

本屋って、たまたま通りがかった店にふらっと入る人が多い気がしますが、常連さんも結構いるんですね。

新井 有楽町店で常連さんになってくれた人の中には、私が異動したら池袋店に、今は神保町店に来てくれる方もいます。「買うなら新井さんのいるところで」って。

そんなことがあるんですか……!

新井 とはいえ、ここまでお客さんに信頼してもらえるには時間もかかるし、めちゃくちゃ大変です。会社の上の方の人は、どんどん配置換えをするけれど、現場の人間からしたら、長年お店にいることで培った信頼関係ってプライスレスなんですよね。

ただ、本屋でお店の人が積極的に話しかけてくることはあまりない気がします。どのようにしてお客さんとの信頼関係を築いていくのでしょう?

新井 こちらからやたら話しかけることはしないですね。ただ、よく見ると、何かを聞きたそうにしている人もいるので、そういうときは声をかけに行きます。それと私の場合は、「新井賞」という独自の賞を作って店で展開するなど、名前を出して活動しているのもあり、お客さん側から本の感想とかを話しかけてくることも多いです。新井賞とかやってるくらいだから、新井さんならいろいろな本を読んでいるだろう、って。特に今いる神保町店では、本の納品がない土日とか、レジに入る時間以外は、ほぼずっとお客さんと話しています。

どうしても売りたい本があって始めた「新井賞」

「新井賞」についてもお伺いさせてください。この賞はどのようにして始まったものなのでしょうか?

新井 2014年上半期の直木賞の結果に納得がいかなかったことがきっかけです(笑)。そのときの候補作の中で、私は千早茜さんの『男ともだち』が一番面白いと思ったのに、受賞はできませんでした。直木賞候補って、落選してしまったときに残念な雰囲気が漂って、その本の面白さは変わらないはずなのに世間から見た価値がなんとなく下がるような気がするんです。だったら候補にならない方がよかったんじゃないかっていつも思っていて。それで、『男ともだち』をどうしても売りたくて、「新井賞」を勝手に作って、店で直木賞と芥川賞と一緒に並べたんです。そうしたら反響がすごくて、有楽町店では直木賞と芥川賞の受賞作よりも売れてしまったという……(笑)。

新井賞の様子

「新井賞」を店舗で展開している様子。POPの作成や受賞作につける帯など、全て新井さんが作成しているとのこと

すごい!

新井 賞をやりたかったわけではなく、たまたま新井賞という形がうまくいっただけで、うまくいかなければ、(売るための)別の方法を考えていたんだろうと思います。このときあまりに売れたせいで、本部主導で全国展開をしようと言われたんですが、「それは違う!」って断固拒否しました。新井賞が業務になってしまうと、その業務的な“つまらなさ”はお客さんに絶対に伝わってしまうので。

新井賞は業務外で趣味でやっている、という位置付けなのでしょうか?

新井 そうですね。ひっそりと店舗で展開して、Twitterで受賞作を発表したり、受賞作に自作の帯をつけたり、細々とやっています。実は書店員って、こうやって本を売るために何か仕掛けなければいけないかというと、そうではないんですよ。基本的には必要な本を仕入れて、きちんと接客をするだけでいい。本をオススメしたり、売るために何かを企画したりするのは、私がやりたくてやっているだけです。

店舗の様子

新井さんが手がけた「食」をテーマにしたコーナー。サンプル食品で作ったPOPも手作り

新井賞の他に、新井さんと作家さんとのトークイベント「新井ナイト」も定期的に開催してらっしゃいますよね。

新井 作家さんのトークイベントは世の中にたくさんあるのですが、台本があった上で進行したり、どこかのインタビューに書いてあるような内容だったりすることが多いんですよね。それと、トークの相手が評論家や編集者だと、内容も評論的なカタいものになりがちです。でも、評するために読んでいる人ばかりではなくて、ほとんどの人は楽しみたくて本を読んでいるはずです。それで、もう少し作家さんを身近に感じられるようなトークイベントをやりたいなと思って企画するようになりました。

新井ナイトではどのようなことを話すのですか?

新井 打ち合わせを一切せず、その日の客層や反応を見ながらアドリブでトークしています。そういう何するか分からない状態でポンとお客さんの前に出た方が、面白い話ができるんですよ。打ち合わせをするとそこで盛り上がって、イベント本番はその続きになっちゃうから。本の内容だけでなく、「昨日は何を食べた?」という雑談なんかも積極的にします。イベントに来てくださった方々に、この作家さんがどういう人なのか知ってもらって、「私たちが本を買うことで、この人は生きているんだ」と実感してもらうのが一番の目的です。

数字だけでは何も分からない

次から次へと様々な企画を実行されていますが、会社から止められたり怒られたりすることは今までにありましたか?

新井 会社から何かうるさく言われることはなかったですね。もしかしたら、上司がうまくやってくれていたのかもしれません。どの店舗にいたときも自由にやらせてもらえて、直属の上司には恵まれています。企画書をきちんと作って相談しているわけでもなく、昨晩思い付いたからその勢いで翌朝やってみる、とかなので、売り場のみんなや上司は振り回されていると思うんですけど……。

昨年(2017年)一年間だけ本部にいらしたんですよね。これは売り上げを伸ばしたことが評価されての異動でしょうか?

新井 たぶん、私の売る力を横展開したかったんだと思います。でも、(異動は)嫌でしたね……。本が売れるのも、お客さんを毎日見ていてこそなわけで、見えない本屋で売り上げを伸ばすなんてエスパーみたいなことはできませんって。本部にいると、ある本が店舗Aで1日に10冊売れました、と数字では見えるんですけど、1人の人が10冊買ったのかもしれないし、10人が一冊ずつ買ったのかもしれない。売れた本がどういう「10冊」なのかが分からないとどうしようもないんですよ。

確かに、1人が10冊買っていくのと、10人が一冊ずつ買うのだと、後者のほうが今後も売れそうです。

新井 そうなんです。1人が10冊買っていった場合は、何かのお使いだったり、人に配るためだったりするかもしれないですよね。10冊売れたからってまた10冊発注したら余っちゃうかもしれません。書店の現場で、どういう年代の人がどの時間帯に、どんな本を何冊買っていったかを毎日見ることで、売れそうな本の「数値化できないデータ」が蓄積されていくんです。

見た瞬間に「売れる」と分かる本がときどきある

新井さん

新井さんから見て、売れる本ってどんな本だと思いますか?

新井 作家さんと編集者さんとの相性はかなり影響していると思います。大手出版社の方が宣伝力があったり、文庫だったら新潮社や文藝春秋の棚がいい位置にあったり、とかは多少ありますが、それ以上に相性の方が大事です。作家さんが編集者さんと一緒に挨拶に来たときも、見るからに相性が悪そうなこともあれば、編集者さんがいまだかつてないくらいイキイキしていることもあって。やっぱり後者の方が売れます。

編集者さんの熱意にも、本によって差があるんですね。

新井 編集者さんもたくさんの本を担当していて、1人の人間なので、個人的にも応援したい作家というのが無意識のうちにどうしてもあるんですよね。その熱意がすごければ、書店側も注目しますし。それと、これは言語化が難しいのですが、見た瞬間に売れるのが分かる本もあります。

えっ、見た瞬間に!

新井 版元から届いた箱を開けた瞬間に「これは……!」と思う本って、あるんですよ。そういうときって、他の書店員もだいたい同じことを思っていて。なんだろう……、「面白そうなにおいがする!」という感じなんです。

無名の作家さんの本でもそういうことはあるのでしょうか?

新井 人気作家かどうかは関係なくて、単行本だったり文庫本だったり様々です。タイトルや表紙だったり、作家さんやタイミングだったり、何かがうまく噛み合ったときにすごくいいものができるんでしょうね。編集者が長い時間をかけて考えた企画だとしても外れることはよくあるし、数値化も法則化もできないんですけど。ただ、ひとつ言えるのは、作り手側の人たちが「自分が買いたいと思っているか?」は大事。編集者さんや営業さんに勧められたときはよく、「ところで自分は(この本)欲しいと思った?」と聞いてます。

なるほど……。それは痛いところを突いた質問かもしれません。最近、届いた瞬間に「これは売れる……!」と思った本ってありますか?

新井 『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)ですね。R-18文学賞読者賞を受賞した一木けいさんのデビュー作なのですが、初版も少ないし、そもそもR-18文学賞大賞も逃していて。それに、単行本って文庫本と比べてなかなか売れません。そういう意味では売れる要素は全然なかったんだけど、とにかく表紙がよくて、しかも帯を書いたのが椎名林檎さんだったんですよ。

www.shinchosha.co.jp

椎名林檎さん! あまり帯を書いている印象がなくてレアな感じがしますね。

新井 そう、いつも帯を書いているような人ではなく、林檎ちゃんなのがよかった。組み合わせも大事で、例えば椎名林檎さんが大御所作家さんの帯を書いたとかじゃなく、みんなが知らない新人作家と林檎ちゃんだったからこそ、より効果的だったと思います。

椎名林檎さんが、その本の帯を引き受けた背景が伝わってきますよね。

新井 そうそう、そういうこと!「林檎ちゃんが帯! なんで!?」となるんですよ。椎名林檎さんって自分が本当にいい本だと思わないと帯を書かなそうなイメージがありますし。帯を見た人はまずそれが気になって、どんな中身なのか読みたくなる。実際そこまで狙って帯を依頼したのかは分からないですが、重版はすぐに決まりました。

紙の本はもう売れないのか?

紙の本が売れない時代と言われていますが、書店員をやっていてもそのように思いますか?

新井 確かに、入社した10年前に有楽町店でやっていたのと同じことをしても、結果が半分しか出ないとかはあります。ただ、今でもレジに入っているとめちゃくちゃお客さんが並んでいるんですよ。それを見ていると、本が売れてないだなんてとてもじゃないけど思えない。数字だけで見ると下がっているのかもしれないけれど、現場にいると「こんなにニーズがあるんだ」って、まだまだ可能性を感じます。頑張る方法と、悲観する方法が間違っているんだと思うんですよ。

と、言うと?

新井 「売れない」と自分たちが悲観することで、その雰囲気を日本中に伝えてしまっている気がします。それに、売り上げが前年比を割っているとしても、じゃあ一年頑張って巻き返せるかと言われたらそう簡単にもいかなくて、もう少し長いスパンで頑張る方法を考えたほうがいい。

最近すごくいいなと思った例があって、『さよなら、田中さん』(小学館)という発売時14歳の子が書いた小説が、児童書ではなく大人と同じ単行本として出たんですよ。作者の鈴木るりかちゃんのクラスの子はみんなこの本を読んで、「大人の本を読んだ」という経験を14歳にしてできたわけです。

それがきっかけで、他の本にも興味を持つかもしれないですよね。

新井 そう、そういうことを他の版元ももっと狙ってやっていっていいと思います。るりかちゃんのクラスの子じゃなくても、同世代の子は歳の近い子が小説を書いているってだけで気になるだろうし、早いうちに読書体験をさせることで、次世代の読書好きが増えるかもしれません。

新井さん

悩んで、買って、手に入れる――本は「買う瞬間」が最高に楽しい

最後に、書店員を続けてきたことで気付いたことは何かありますか?

新井 書店員の仕事を始めてからますます意識的に本を買うようになりました。編集者さんや作家さんと仲良くなったことで、彼らがどういう思いで本を作っているのかとか、生活の糧になっていることとかが分かるので、本を高いと感じないんですよ。昔は単行本一冊で1,500円は高いと思っていましたが、あれだけの人が関わっていて、すごく長い時間をかけて作られていて……と考えると、むしろ安すぎる。

値段の他にも、単行本は場所を取るから敬遠されるところもありますよね。

新井 私、本は読み終わったら捨てちゃいます。全部残しておくと部屋から溢れてしまうので。

えっ! 捨てちゃうんですか!

新井 だからそういう意味では電子書籍でもよさそうなのですが、それでもやっぱり紙の本がいいんですよね。なぜかというと、本は「買う瞬間」が最高に楽しいから。どれにしよう……と悩んでレジに持って行って、本を買って手に入れた瞬間がピーク。この「悩んで、買って、手にする」というのは電子書籍では味わえない体験なんですよね。

確かに、本って買う直前と直後が一番テンション上がっているかもしれません。新井さんのお話を伺っていて、ものすごく本を買いたくなりました。ありがとうございました!

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方:新井見枝香さん (株式会社三省堂書店 神保町本店 主任)

新井さん

2008年、三省堂書店有楽町店にアルバイト入社。その後、正社員に。有楽町店、池袋店での店舗勤務、本部勤務を経て2018年より現職、文庫本の棚を担当している。自身がその年で最も面白いと思った本を発表する「新井賞」やトークイベント「新井ナイト」といった様々な企画を実施し、作家や編集者からの信頼も厚い書店員。2017年にはエッセイ本『探してるものはそう遠くはないのかもしれない 』(秀和システム)も刊行。

次回の更新は、2018年3月28日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

『ユーリ!!! on ICE』フィギュア衣装も手掛けるデザイナー・佐桐さんの「衝動を感じる瞬間」

佐桐さん

華麗な舞いで観衆を魅了する社交ダンスやフィギュアスケート。その舞台に華を添えるきらびやかな衣装を制作しているのが、佐桐結鼓(さぎり・ゆうこ)さん。バレエ・ダンス用品の総合メーカー・チャコットで活躍する衣装デザイナーです。

オーダーメードの社交ダンス衣装や、プロフィギュアスケーターの競技用衣装をはじめ、テレビアニメ『ユーリ!!! on ICE』の衣装デザインも手掛ける佐桐さん。新卒でチャコットに入社し、一度はウエディングドレスのデザイン会社に転職するも、上司の言葉をきっかけにチャコットへと戻ります。「寝ているときでさえも仕事について考えることもある」と語る佐桐さんに、これまでのキャリアや仕事にかける思いなどを伺いました。

デザイン画は設計図。見た目だけではなく機能にも配慮

まずは、佐桐さんが日々どのようなお仕事を担当されているのか聞かせてください。

佐桐結鼓さん(以下:佐桐) メインは、社交ダンスの衣装デザインです。お客様一人ひとりに合わせた衣装を作る「オーダー衣装」と、チャコットの店頭に並べて販売する「即売衣装」「レンタル衣装」を手掛けています。オーダー衣装に関しては、大会に出場する競技選手のものや、ダンスパーティーなどで踊る方がお召しになるものが多いですね。即売やレンタルの衣装は、毎月新しいデザインのものを展開しています。

オーダー衣装の場合、まずいろいろな生地をお客様にお見せして、その生地を生かしたデザインを考えます。また、オーダー衣装の制作は、お客様が身に纏(まと)って、踊って、初めて完成品といえる仕事です。踊ったときに引っ掛かりや破れが出てしまってはいけないので、どのような振り付けなのかも確認します。

一方で、即売衣装とレンタル衣装は、どなたかの要望に応えるわけではないので、「こういうシルエットを出してみよう」といった、デザインの冒険ができます。もちろん、過去の売れ行きのデータも分析しながらデザインしていますが。

1日のほとんどは、デザインのことを考えていらっしゃる?

佐桐 そう思われがちですが、デザインだけに費やす時間は1日5分〜10分程度です。それ以外はお客様と打ち合わせをしたり、生地探しをしたり、スタッフに指示を出したりといったことが多いですね。

佐桐さん

衣装が出来上がるまでには、チームワークも必要ですよね。

佐桐 はい。私の仕事はデザインをすることがメインですが、型紙を引くパタンナー、縫製スタッフ、飾りをつけるデコレーター、それぞれに指示を出すディレクターとしての役割も担っています。ですから、最初に設計図となるデザイン画やディレクションが間違っていたら、イメージとまったく違うものが出来上がってしまうので、生地を選ぶときや縫製を考えるとき、指示を出すときには、「どういう場面で」「何のために」着るのかを常に念頭に置くようにしています。

オーダー衣装の制作で、一番大変な作業はどんなことなのでしょうか。

佐桐 お客様のご要望をくみ取り、イメージを膨らませる作業が一番難しいです。オーダー衣装はサンプルがないので、デザイン画を描き始める前にお客様の中にあるイメージをいかに読み解くかが重要です。ドレスを何着もオーダーされている方もいれば、初めての方もいらっしゃって、衣装に関する知識レベルはお客様によって異なるため苦労することもありますね。

社交ダンスからフィギュア、アニメの衣装デザインまで

社交ダンス衣装のデザインは、どんなところからインスピレーションを得ていますか?

佐桐 毎年、競技ダンスの世界三大大会が開催されるのですが、そこに登場する世界のトップ選手たちの衣装を参考にすることが多いですね。ただ、日本人の体形や骨格、肌の色に似合うものかどうか、バランスを考えながらエッセンスを取り入れることがポイントで、そのポイントを踏まえながら新たなトレンドを自らつくり出すのもデザイナーの仕事だと思っています。

あとは、ダンス界にとらわれず舞台や映画など、「芸術」と呼ばれるさまざまなジャンルに興味を持つようにしています。たとえば、その年に流行った映画……2017年であれば『ラ・ラ・ランド』や『美女と野獣』などの衣装は、チェックしていました。

着る人のキャラクターや振り付けと、衣装のデザインは密接に関わるものでしょうか。

佐桐 そうですね。ただ、衣装で踊りを表現しようと過剰な装飾をしてしまうと衣装も重くなって動きにくくなるので、足し算だけではなく引き算といいますか……そこが難しいですね。

ちなみにフィギュアスケートの衣装デザインは、織田信成さんからのオーダーが始まりだったとか。

佐桐 はい。織田さんは、衣装に悩まれている時期があったようで、その当時織田さんがダンスを習っていた先生からご紹介いただきました。

以来、フィギュアスケート選手の衣装のみならず、フィギュアスケートを題材にしたテレビアニメ『ユーリ!!! on ICE』の衣装デザインの原案も手掛けられるようになったと。普段の仕事と勝手が違うところもあったのでは?

佐桐 キャラクターの設定について詳しい情報をいただいて、実在の選手と変わらないプロセスでデザインしました。ただ、キャラクターや使われる曲もほぼオリジナルでしたので、特徴をつかむのに苦労しました。ジャンプが得意なのか、スピンが得意なのか、表現力が豊かな選手なのか、そういうキャラクターごとの特徴を踏まえつつ長所を引き出し、苦手としていることをカバーできるようなデザインにしました。

佐桐さん

転職、フリーランスを経て、上司の言葉をきっかけに復帰

佐桐さんが衣装デザイナーを目指そうと思われたのは、いつ頃だったのでしょうか?

佐桐 高校を卒業する頃だったと思います。私自身、小学校高学年くらいからバレエやジャズダンス、新体操を習っていたので、ダンサーになりたいという夢もありました。同時に、ダンスの先生と一緒に発表会の衣装を作ったりすることもあって、服飾関係の仕事にも興味を抱くようになりました。

実際に何か行動は起こしたんですか?

佐桐 高校は服飾コースに通っていたのですが、高校卒業後は地元鳥取の百貨店で働き始めました。東京の服飾の学校に行きたかったのですが、親の反対があったためです。ですが、地元で1年働きながらお金を貯めている姿を見て、両親も理解してくれるようになり、東京の専門学校に進みました。そこで服飾デザインを学び、自分が諦めたもう一つの道であるダンスにも関われる仕事ができるということで、新卒でチャコットに入社しました。程なくして、社交ダンスのレッスンウェアのデザインを担当するようになりました。

佐桐さん

ただ、そのあと佐桐さんは一度チャコットを辞められて、転職されたと伺いました。

佐桐 もともと衣装のデザインをしたかったことに加え、その頃は、ウエディングドレスに興味を持つようになっていました。それで、26歳の時にウエディングドレスのデザイン会社へ転職しました。ただ、その後転職先の会社の事情で退職し、しばらくはフリーランスで仕事をしていました。

そうだったんですね。では、チャコットへ復帰した経緯について教えていただけないでしょうか。

佐桐 ある日、同じくチャコットを退社していた同期から「会社に遊びに行くけど一緒にどう?」と誘われて、久しぶりにチャコットを訪ねてみたんです。その時、退社する前にお世話になった上司が「明日にでも戻って来い」と言ってくださって、復帰を決めました。

きっと勤めていたころの働き方が評価されていて、チャンスが与えられたのですね。チャコットに戻ってから、以前とお仕事内容は変わりましたか?

佐桐 以前は社交ダンスのレッスンウェアを手掛けていましたが、戻ってからは、競技会やパーティー用のオーダー衣装を任されるようになりました。プロのダンサーの真剣さはもちろん、パーティードレスのお客様はご年配の方が多く人生経験が豊富な方ばかり。ダンスのオーダー衣装をデザインした経験はなかったので、必死で勉強しました。

今でも勉強は欠かさないのでしょうか?

佐桐 新しいお客様と衣装を作らせていただくときだけでなく、継続的に作らせていただいている方でも、これまでよりも、より良い衣装を求められます。期待にお応えしたいので、努力は惜しみません。

夢の中でも仕事をしている

期待に応えるため、例えばどのようなことをされているのでしょうか。

佐桐 お客様からオーダーいただくのは衣装ですが、ヘアメークやネイルはどんなスタイルが合うか考えますし、シューズも色を染めてストーンをつけた方がいいですね、といった提案も積極的にしています。ですから、衣装にとどまらず、ファッションにまつわるトータルの知識は常にアップデートするように努力しています。

あと、ダンスの競技会場によってライトの色味が異なるので、それを踏まえて衣装の色味を考えたいと思っています。ですので、休みの日も競技会があるときは、武道館や後楽園ホール、幕張メッセなどに足を運ぶこともあります。

佐桐さん

本当に仕事が好きなんですね。1日のうち、どれくらい仕事のことを考えていますか?

佐桐 ほとんどですね。気づいたら考えています。寝ているときに考えていることも(笑)。たまに夢の中で仕事を「やったつもり」になっているときもあって、翌日、「あれって、やってたんだっけ?」と確認することもあります。

それはプロ意識を感じるエピソードですね。

佐桐 つい、普段の生活でもデザインと結びつけることが多いかもしれません。例えば、美術館で油絵を鑑賞したときなど、色の組み合わせや素材、表現手法に目がいきますね。

衝動→行動→感動の連鎖が"いい仕事"を生み出す

デザイナーは専門職でつぶしが利かず、他に逃げ道が作れないようにも思います。その点についてどのような考えをお持ちでしょうか。

佐桐 その点に関しては、特に不安は感じません。自分に自信があるということではなくて、「やるしかない」と覚悟を決めてこの世界に飛び込んだので、不安を覚えることに時間を浪費せず、まずは行動することを心掛けています。とはいえ、自問自答の毎日です。デザインには、「こう」という決まりがなくて難しいですし、何が正解で何が間違いなのか、いまだによく分かりません。一つ言えるとすれば、失敗を恐れずに挑戦すること。諦めてしまったらデザインとは呼べないような気がします。

自身の働き方で大切にしてきたことはありますか?

佐桐 チャコットの元会長から聞いた「衝動は行動を呼び、行動は感動を呼ぶ」という言葉を大切にしています。自分が手掛けた衣装を身に着けて踊るお客様から感動をいただいて、もっといいデザインを生み出したいという衝動が沸き起こる。だからこそ、具体的な行動に結びつく。この繰り返しによってより良いものを作ることができると考えています。

では、佐桐さんが、一番「衝動」を感じるのはどんなときですか?

佐桐 時には「もっとこうすれば良かった」という悔しさが良い衣装を作りたいという衝動につながることもあります。ただ、多くの場合は、自分のデザインした衣装でお客様が踊られて、踊りを通して想像を超える輝きを放たれたときに感動をいただき、「次はさらに良い衣装を作りたい」という衝動につながります。

佐桐さん

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
撮影/小高雅也

お話を伺った方:佐桐結鼓 さん(チャコット株式会社 生産部 衣装課 デザイナー)

sagiri

専門学校卒業後、チャコット株式会社へ入社。転職、フリーランス期間を経てチャコットへ復帰。現在も活躍中。

次回の更新は、2018年3月20日(火)の予定です。

編集/はてな編集部

『独身OLのすべて』作者・まずりんさんインタビュー「逃げるってそんなに悪いことじゃない」

mazurin

今回「りっすん」に登場いただくのは、マンガ家のまずりんさん。モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト「モアイ」で隔週連載中の『独身OLのすべて』では、一度見たら忘れられない個性的なキャラクターとともに、アラサー女性の本音をコミカルに描き人気を集めています。Twitterがきっかけで話題になったこともあり、見たことがある人も多いのではないでしょうか。

もともとは会社員として働きながらマンガを描いていたまずりんさん。マンガがヒットしたきっかけや、日々のネタ集めの工夫、会社を辞めて気付いたことなどを語っていただきました。

Webマンガ発のヒット作『独身OLのすべて』

まずりんさんの『独身OLのすべて』はTwitterで拡散されたマンガの先駆け的存在なのではないかと思うのですが、最初の作品を描かれたのはいつごろになりますでしょうか?

まずりん 2012年ですね。当時はデザイン会社でデザイナーとして働く普通の会社員でした。あるとき、『オモコロ』の初代編集長のシモダテツヤさんに、記事の感想か何かをリプライしたことがあって。それがきっかけで、「『オモコロ』でマンガを描かないか」とお声掛けいただいたのが始まりです。

突然白羽の矢が……!

まずりん あのころ、自分のブログやTwitterに落書きのようなイラストを載せていたんです。そのイラストがシモダさんのツボに入ったみたいで。

「オモコロ」ではどのような作品を発表されていたのでしょうか?

まずりん 何作か単発のマンガを描いていて、その中の一つに『独身OLのすべて』の読み切りもありました。これがTwitterでたくさんリツイートされて、「モアイ」でWeb連載することになりました。

omocoro.jp

『独身OLのすべて』の一巻にも掲載されていますよね。私も当時Twitterでリツイートされたのを拝見していました。

まずりん でも、オモコロに掲載されるまではマンガなんて描いたこともなかったので、当時は下書きをするという概念すらなく、直接ボールペンで描いていたんですよ。だから、修正がすごく大変でした。その後、さすがに下書きはするようになったものの、二巻まではボールペンで描き、三巻でようやくペンタブレットを導入しました。

試行錯誤しながら、マンガを描かれているんですね。

まずりん そうですね。あと、担当編集の方から「みんなに配慮し過ぎるとマンガとして面白くなくなる」と言われていて。「みんな違ってみんないい」という内容だと、道徳の本のようになってしまうので、ネタ出しの時点では好き放題に考えて、そこから担当編集さんと相談して少しずつ調整していき、炎上にならないギリギリのラインを見極めるようにしています。

作品を描くペースはどのくらいなのでしょうか。

まずりん マンガは隔週更新なので、1週間でマンガの作業をすべて終わらせて、残りの1週間で他の仕事をする……という感じですね。女性誌などでイラストを描いたり、キャラクターデザインをしたり。キャラクターを描くのは楽しいので、キャラデザの仕事は無限にやりたいなって思うくらい好きです。

日々飲み歩いてネタ集め

『独身OLのすべて』は、独身女性3名を中心に職場での人間関係や女同士のマウンティングなどに対する毒がコミカルに描かれています。当時の就業経験からネタ作りをされているのでしょうか?

まずりん そういう部分もあるのですが、連載から半年ほどでフリーランスになっているので、今は周りのリアルなOLの話を聞けなくなってしまったんですよね。会社にいると、いやが応でも若い世代と関わることになるので、「この子たち何を考えているのか分からない!」という経験が刺激になっていたのですが。

mazurin

(C)まずりん/講談社
『独身OLのすべて』に登場するメインキャラクター。
※画像は「モアイ」のスクリーンショット

独身OLのすべて/まずりん - モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト モアイ

では、今は日々どのようにして連載を続けるためのネタ集めをしているのでしょうか?

まずりん 一人で飲みに行って、自分の周りにいないタイプの人たちの会話を盗み聞きするのが一番いいですね。友人と飲みに行くと、どうしても自分と思考が似たり寄ったりになってしまうので。最近だと、セレブなママ友の集まりが一番面白かったですね。酔いが回ってくるにつれて、ママ友たちがお互いにマウンティングを始めたんです。「うちの旦那は年収がすごくて」とか、「うちの子どものお稽古がこんなに素晴らしくて」とか、「旦那が今ハワイに出張してて」とか。

年収を自慢する話って本当にあるんですね。

まずりん あるんですよ。個人経営のレストランのようなところで、ママ友たちが昼間からお酒を飲みながら中央のテーブルで話していました。で、こんなマウンティング合戦の中、一人が「うちの旦那と子どもで私の母乳の取り合いをしている」と言い出して。地獄のようなマウンティングでしたね……。いかに自分が夫と子どもに愛されているかをアピールするために、母乳を基準にするんだ! と衝撃を受けました。

……でも、自分がこれだけ盗み聞きしているんだから、自分が誰かと話しているときも聞かれてTwitterに書かれているかもしれないですよね。そう考えると何も喋れなくなっちゃいますね。

意外と選択肢はたくさんある、と会社を辞めて初めて知った

『独身OLのすべて』を描き始めたころは会社員だったんですよね。どのようにして両立していたのでしょうか?

まずりん 両立、というほど両立もできていなくて、会社の仕事がすごく忙しい時期には、明け方に2~3時間ぐらい寝て出勤して、昼休みに会社の近くのファミレスでネームを描く、というギリギリの生活を送っていました。

それは大変ですね……。

まずりん でも、これを2ヶ月ぐらい続けていたら仕事中に倒れてしまったんです。そもそもがデザイナー業も楽な仕事ではないので、もう無理だからどちらか一つに絞ろう、と。結局、マンガ連載を始めてから半年ほどで、長年勤めた会社を退職し、フリーランスになりました。

でも、半年ということは、割と早い段階で会社を辞めてもマンガで食べていける状態になっていたのでしょうか。

まずりん いえ、全然なっていませんでした。

えっ!

まずりん それよりもまず、とにかく会社を辞めたくて。両立が体力的に無理で、どちらか一つを選ばなければいけないなら、マンガの方を選ぼうと思いました。それにちょうど、自分が50歳や60歳になってもデザイナーの仕事を続けているのだろうか、と悩んでいた時期でもあったんです。20代の頃は、「とりあえず一人前にならなきゃ」と日々がんばっていたんですけど、30歳になったとき「これからどうしよう」と思うようになり……。このまま今と同じ環境で働くのか、新しいことに挑戦していくのか、とずっと考えていました。

そうだったんですね。

まずりん でも、会社を辞めたばかりのころは一応兼業するつもりで、定時で帰れるようなデザイナー職を探してはいたんですよね。まあ、そんな都合のいいデザイン会社なんて存在してないんじゃないかってぐらい、その時は見つかりませんでしたけど(笑)。そうこうしているうちに、マンガ以外にもイラストの仕事や、キャラクターデザインの仕事が入るようになったので、当時は基本断らず引き受けていました。それで、そのまま今に至るまでフリーで続けています。

とはいえ、30歳で長く勤めた会社を辞めるのって、結構勇気がいることだと思います。ご自身の経験から何か言えることはありますでしょうか?

まずりん 今思えばかなり視野が狭くなっていて、会社を辞めて初めて知ったようなこともたくさんありました。私は朝から晩まで会社にいたので、会社以外の人間関係がほぼなかったんです。「オモコロ」つながりで他の会社の方々と接点ができたとき、何に一番驚いたかって、平日に飲みの予定を入れられる会社があるということ。前の会社の先輩方には本当にお世話になったので、すごく感謝はしていますし、多忙な合間を縫って行く会社の飲み会も好きだったんですけどね。でも、会社勤めをしているときは、どうしても今の会社の中のことだけが常識だと思ってしまいがちなところはありましたね。

視野が狭くなっているせいで、例えば会社を辞めたくても辞められず苦しんでしまうこともありますよね。

まずりん ダメだと思ったらすぐに辞めてしまっていいと思うんですよ。辞めることについても、つらい状況から「逃げてしまった」と思わずに、違う環境を「選んだ」と捉えてほしいな、と。

特に、責任感が強い方って、逃げることをせずに一人で抱え込みがちな気がします。でも、「逃げる」ってそんなに悪いことじゃないと私は思います。だから今、迷っていて会社を辞められない人でも、ちょっと外に目を向けるだけでいろいろな可能性があるんじゃないかな、と言いたいです。

取材・文/朝井麻由美

お話を伺った方:まずりん さん

まずりん

デザイナー、マンガ家、イラストレーター。代表作『独身OLのすべて』は、モーニング・アフタヌーン・イブニング合同Webコミックサイト「モアイ」(講談社)で連載中。2月23日に最新刊『独身OLのすべて⑦』が発売
Twitter:@muzzlin

次回の更新は、2018年3月7日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

日本で3人だけ! 銭湯の壁を鮮やかに彩る「ペンキ絵師」という仕事ーー田中みずきさん

田中さん
今回「りっすん」に登場いただいたのは、銭湯の浴室壁面にペンキで絵を描く「ペンキ絵師」の田中みずきさん。現在日本で3人しかいない「ペンキ絵師」の中で、最年少かつ唯一の女性ペンキ絵師でもあります。大学時代にペンキ絵に魅了され、一度は会社員とペンキ絵師の両立をするも、会社を辞めペンキ絵師をメインに生活していくことを決意しました。2013年に独立されてからは、ペンキ絵師一本で食べていくことに成功しています。ペンキ絵師という仕事を選んだきっかけ、ペンキ絵の描き方、今後の展望などを伺いました。

大学の卒業論文をきっかけに、ペンキ絵と出会う

ペンキ絵師は現在日本に3名しかおらず、中でも女性は田中さんお一人なんですよね。数ある職業の中からどうして「ペンキ絵師」になろうと思われたのですか?

田中みずき(以下、田中) 最初のきっかけは、大学の卒業論文で銭湯のペンキ絵について調べたことでした。私は大学で美術史を勉強していたのですが、論文のテーマがなかなか決まらなくて。テーマのヒントを得るために、当時好きだった作家やアーティストの名前をどんどん紙に書き出してみたんですね。そうしたら、大好きな作家の福田美蘭(ふくだみらん)さんや束芋(たばいも)さんが、銭湯をモチーフにした作品を作っているということに気が付いて。そこで、「銭湯に行けば何か発見があるかもしれない!」と思って、生まれて初めて銭湯に行ってみたんです。

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田中さんが描いた「第四富士の湯」のペンキ絵(東京都葛飾区)

そのときペンキ絵を見て感銘を受けた?

田中 そうです。湯船に浸かりながらぼーっとペンキ絵を眺めていたら、絵の中の世界に自分が吸いこまれていくような錯覚があって。ペンキ絵の雲に現実の湯気が重なっていく不思議な感覚は、今も印象に残っています。「こんな絵の見方もあるんだ!」って引きこまれていきましたね。

論文を書き始めたときは将来自分がペンキ絵を描くことになるとは想像していなかったですよね。

田中 そうですね(笑)。書き始めたときは全く思っていませんでした。論文を書くにあたり、ペンキ絵師の方が実際にどのように絵を描いているのか、現場を見せてもらうことになって。ペンキ絵に対する意識が変わってきたのは、このあたりからです。

ペンキ絵師さんの技を目の当たりにして、その技術に惚れこんだということですか?

田中 もちろんそれもありますが、危機感の方が強かったように思います。絵師の人数が減っていることや、絵師の高齢化が始まっているというのを知って、「この状態が続いたらペンキ絵師という仕事がなくなってしまうのではないか」と。それで、「このままこの技術を途絶えさせてはいけない!」と思い、ペンキ絵師の方に描き方を教えてほしいと頼みこみました。

職人になるために、弟子入りを申しこんだんですね!

田中 そのつもりだったんですが、最初「仕事が減っているから弟子はとっていない」と断られてしまったんです。でも、とにかく描き方だけでも教えてもらえれば、この技術をつないでいくことができるのではないかと思って。「食べていけなくてもいいので、とにかく描き方を教えてください」と食い下がって、大学在学中にようやく「見習いという形でなら」ということで受け入れてもらえました。

すごい熱意です。

田中 今思うと、あまり深く考えていなかったような気もしますけどね(笑)。当時の私には養わなければならない家族もいなかったし、親も健康でいてくれたので、やりたいことにチャレンジができる状況だったんです。それも、決断できた大きな要因だったかなと思います。

安定の会社員を捨て、「ニッチ」なペンキ絵中心の生活に

田中さん

見習い当初、「ペンキ絵師一本で食べていきたい」という考えはなかったということでしょうか。

田中 実は当時、師匠から「別職を持つ」という条件が出されていたんです。今思うと、やんわり断られていた感じがしますけど「ペンキ絵は時間が空いているときに描けばいいから」と言われて。そのときは師匠の言葉を素直に受け入れて、大学院卒業後、1年半ほど会社員とペンキ絵師見習いの二束のわらじをはいていました。

「ペンキ絵師一本」という部分にこだわらなくても、とにかく絵を描き続けていきたいという思いがあったんですね。会社員の仕事とペンキ絵師の両立はやはり大変でしたか?

田中 大変だと感じる以前の問題で……。実はこの期間、ペンキ絵の現場にほとんど行けなかったんですよ。ペンキ絵の描き替えは銭湯の休館日を1日使って行うんですが、休館日のほとんどは平日なんです。会社は土日休みなので、なかなか予定が合わなくって。それもあって、これはどちらかの仕事を選択するしかないなと。会社員の仕事も出来がいいとは言えなかったですし、体調も崩していたので、これはもうペンキ絵に賭ける方がよいのではと思いました。

安定面でいえば会社員の方が魅力的だったのではないかと思いますが、それでもペンキ絵師を選んだ決定打はあったのでしょうか?

田中 会社員の仕事は面白かったのですが、「私でなくてももっといい仕事をする人はいそうだな」と感じている自分もいて。

そんなときに、大学の一般教養の授業で習った「ニッチ」という言葉を思い出したんです。いろんな意味を持っている言葉なのですが、簡単に言うと、他の敵対生物がいないところに住めばうまく生きていける……というような内容なんですが。そのときの私には、この言葉がしっくりきたんですよね。ペンキ絵師という「ニッチ」な場で生きていくというのが、私にとってはうまくいくのでは、と。

とは言っても、会社を辞めることに勇気はいりませんでしたか?

田中 中には「会社は辞めない方がいい」とアドバイスをくれた人もいたんです。でも性格上、複数人と一緒に何かをしていく会社員という働き方がそもそも私には合っていなかったように感じていたので。なので、あまり未練も持たず、「合わないし、仕方がない」というような感じで、すっと辞められました。

他の人には同じ道を勧めませんが、私としてはこの選択をしてよかったなと感じています。

その選択をしたときに、周りの人たちはどんな反応をされたのでしょうか。

田中 家族には、「見習い期間はきっとまだまだ長いけど、アルバイトをしてでもペンキ絵師の仕事を続けていきたい」と説明し、納得してもらいました。そこからは、ペンキ絵師の仕事を中心に、アルバイトもするというような生活がスタートしました。

今は、ペンキ絵師の仕事一本で?

田中 はい。2013年に独立したのですが、このころからペンキ絵師の仕事だけで食べていけるようになりましたね。最初はずっと、アルバイトや別の仕事をしながらペンキ絵師の仕事もやっていくんだろうなと思っていたんです。でも今は、別の仕事は全くやっていなくて。ペンキ絵師一本でやれているんです。それはうれしい誤算でしたね。

ペンキ絵を描く作業はとにかくハード!

銭湯の絵はどのようにして描くのか、教えてください。

田中 高い場所に絵を描くことが多いので、まずは木を組んで「足場」と呼ばれる作業スペースを作ります。この足場が上手にできるかどうかで絵を描くスピードも全然違ってくるので、重要な仕事の一つです。

次に、壁のベース作り。もともとペンキ絵が描いてあった壁は、ペンキが部分的にはがれてでこぼこしてしまっていたりするんですよね。なので、凹凸をそぎ落して、壁をフラットにします。

ここまでできたらいよいよ絵を描く作業。ペンキがにじんでしまうので、基本的に重ね塗りはできないんです。なので、上から順番に色が混ざらないように描いていく必要があります。あとは頭でイメージしながら、1日で仕上げきります。銭湯の休館日に作業をするので、何日もかけて仕上げる……というわけにはいかないんです。

壁一面の絵を1日で作り上げるなんて信じられません。想像以上に大変なんですね。

田中 体力面でいうとやっぱりハードですね。体力だけでなく集中力もものすごく使うので、描き終わったあとはもうヘロヘロですよ。

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田中さんが描いた「松の湯」のペンキ絵(東京都西東京市)

仕事の疲れはどういう風にリフレッシュされているんですか?

田中 ありきたりなんですが、とにかく寝ます。あとは、銭湯に行ってリラックスすることですかね。これはお客さまの反応を見たいっていう思いもあります。常連さんほど意外と絵を見ていなかったりするんですよ(笑)。銭湯の女将さんに聞くと、3ヶ月ぐらい経ってから「はっ! 変わってる!」って気付く方もいるみたいです。それでも、お客さまが感想を言ってくれているところに偶然遭遇できると、この仕事をしていてよかったなと感じます。

他にもこの仕事のやりがいを感じる瞬間はありますか?

田中 やっぱり絵を描き終わった瞬間ですかね。新しい世界を作れるという面白さは、他の何にも変えられないやりがいです。

絵を描くにあたって心掛けていることについて、教えてください。

田中 ペンキ絵は描きかえることがほとんどなのですが、絵の内容をお任せされたときは「絵が変わった」ことを感じてもらいたいと思っています。たとえば、銭湯のペンキ絵では昔から富士山のモチーフを描くことが基本。それでも、前の絵とは違う構図で描いたり、背景や色合いを工夫したりして、変化を持たせるようにしています。

あと意識しているのは、見た人に明るい気持ちになってもらえるように、明るい色を使うこと。銭湯にはいろいろな人がいろいろな気持ちを抱えて来ていると思うんです。私も会社員だったころに癒やしを求めてよく銭湯に来ていたので、その実体験を生かして(笑)。仕事で疲れている人にも、元気になってもらいたいという思いをこめています。

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田中さんの作業服&作業靴。足元は足袋も動きやすく愛用しているのだそう

田中さんのブログに「何処にでも、描きに伺います」とありましたが、ペンキ絵のお仕事は日本全国行かれているんですか?

田中 それが、銭湯のペンキ絵の文化があるのは主に関東圏なんですよ。

そうなんですね! 「銭湯といえば富士山の絵」という固定観念があったので、全国の銭湯にあるものかと思っていました。

田中 正確な情報がないので、ここ数十年の話かもしれないですし、昔は地方でも描かれていたとは思いますが……。2、30年前には地方にもペンキ絵があったと聞いたこともありますし、昔の本に掲載されていた写真に静岡の銭湯のペンキ絵が写っている例もあるので、調べたいと思っています。しかし、現在仕事の依頼があるのは、ほとんどが東京です。都内だと現在約600件の銭湯があるんですが、ペンキ絵を施しているのは200件ほどだと思います。

ペンキ絵があるのは全体の1/3ぐらいなんですね。銭湯以外の場所でも、ペンキ絵を描くことはありますか?

田中 今だと、海外客をターゲットにした旅館やホテルが増えてきていて、そういう施設が、日本らしさを出すために大浴室に絵を描いてくださいというのが増えています。あとは、高齢者施設のお風呂やカフェの壁などに描く、という依頼もあります。

ペンキ絵の技術だけでなく、ペンキ絵の歴史も残していきたい

現在日本でペンキ絵師は3名、中でも女性は1名という現状ですが、そのことについて何か思うことはありますか?

田中 ペンキ絵師に限らないのですが、日本は現場での女性職人が圧倒的に少ないんですよね。社会的に見ても重要ポストに就く女性が少なかったり、他の国と比べても女性の社会的地位のランキングで低い順位にいたり。働きたいという女性はもっと活躍してもいいんじゃないかな、とは思います。

ペンキ絵師最年少かつ、先輩方がご高齢ということで、今後のことを不安に考えたりすることもあるのでしょうか。

田中 大先輩たちはまだまだお元気で大活躍なさっています。とはいえ、やっぱり、ペンキ絵師という仕事をつなげていきたいという思いがあるので、不安がないと言ったら嘘になりますね。今の段階では、自分で弟子をとるというのは難しいですが……。ただ、見学に来ている子もいるので、もう何年かして、自分にスキルが付いたときに「ペンキ絵をやりたい」という方がいたら、そのときは教えてあげたいと思っています。

仕事をつないでいけるように、現在田中さんが行っていることはありますか?

田中 ペンキ絵の描き方をマニュアル化していくことを試しています。もちろん、マニュアルから外れることもありますし、現場で見て、経験した知識が何より重要です。とはいえ、ベースになればいいなと思って。あとは、絵を描くときに必要な材料、足場の組み方などをまとめているところです。自分のスキルも磨きたいし、後継者の育成もしたい。個人的にやりたいこともあるし……時間が足りないです!

自分がもう一人ほしいところですよね。個人的にやりたいこと、というのは?

田中 直近でやりたいのは、今まで絵を描いた場所を巡りたいです。絵がどう変わっているかとか、お客さまの反応はどうかとか、女将さんと話したりとかしたいですね。実際に見ることで発見できることもあると思うので。

田中さん

もしペンキ絵師をしていなかったら、今何をしていたと思いますか?

田中 うーん。実際に違う仕事をやっていた時期もありましたが、やっぱりペンキ絵師しか考えられないですね。ただ、いずれは引退することになると思うので「老後、何をしようかな」と考えることはあります。アレもコレも、とワクワクしちゃいますね。

老後にしたいことを、もう思い描いているんですね。

田中 ペンキ絵の研究をしたいです。まだ卒論で調べ残したことがあるなと感じていて。ペンキ絵はどんな風に需要があったのかとか、ペンキ絵=富士山というイメージはいつからついたのかとか、調べたいことはたくさんあります。

……ただ、今もどんどん銭湯が閉鎖してしまっているので、引退後なんて言わずに早急にやらないといけないなとも思っていて。仕事をしながら情報を集めて、引退後に情報をまとめる作業をするということになりそうですね。

ペンキ絵師が教える銭湯の楽しみ方

最近の若い人はなかなか銭湯に行く機会がないという人も多いのではと思います。最後に、そういう方に向けてペンキ絵師として銭湯の魅力を教えていただけないでしょうか。

田中 そうですね……。個人的には、結婚を考えている方がいるなら、その人と銭湯に行ってみてほしいですね。「男湯のペンキ絵はこうだった」「女湯のペンキ絵はこうだった」というように情報を共有して、それをきっかけに都内の銭湯を巡ってみるのも面白いと思います。実は私自身も、夫と結婚する前にそうやって銭湯巡りを楽しんでいたんです(笑)。

それに、銭湯の女将さんって人をよく見ているので、カップルの雰囲気が合っているなと思うと、結婚する前でも「外でご主人が待ってるよ!」とか言ってくれるようになるんですよ。

粋ですね。

田中 そんなデートも新鮮でいいですよね(笑)。もちろん一人でも友人同士で行っても楽しめますよ。昔ながらの銭湯に不慣れな方でも、今は改築してレトロモダンな建築のおしゃれな銭湯も増えてきましたし。

ペンキ絵も銭湯によって雰囲気が全然違うので、そこにも注目してもらえると嬉しいです。趣のある富士山だったり、元気がもらえる明るい富士山だったり、中には銭湯のご主人や女将さんの趣味が反映されて、ゴルフ場や犬が描かれていたり、面白いですよ(笑)。

ありがとうございました!

取材・文/石部千晶(六識)

お話を伺った方:田中みずきさん

田中みずきさん

日本で唯一の女性ペンキ絵師。ペンキ絵の技術を絶やしたくないという思いを持ち、ペンキ絵師の道へ。普段はインドア派で趣味は読書。ブログ「銭湯ペンキ絵師見習い日記」を更新中

次回の更新は、2018年2月21日(水)の予定です。

※2018年2月14日17:50ごろ、記事の一部画像を変更し、あわせてキャプションも修正しました。お詫びして訂正いたします。

編集/はてな編集部

『サプリ』は私の経験すべて――漫画家・おかざき真里さんに聞く「仕事」と「育児」の話

かしましめし
漫画『サプリ』や『&(アンド)』など、登場人物たちのリアルな心理表現や美麗な筆致で女性読者を惹きつける、漫画家・おかざき真里さん。現在「FEEL YOUNG」(祥伝社)で連載中の『かしましめし』では、“食”でつながる美大出身3人の人間模様を描いています。漫画家として活躍するおかざきさんですが、広告代理店で約11年間、CMプランナーとして働いていたとのこと。また、『サプリ』を連載中に妊娠・出産を経験されています。会社員時代に得たことや、3人の子どもを育てるワーキングマザーとしての顔にも迫ります。

ハードだった下っ端時代。小さな喜びがモチベーションに

おかざきさんは美大を卒業後、新卒で広告代理店の博報堂に入社されたそうですね。進路選択の背景から伺えますか?

おかざき真里さん(以下、おかざき) 昔から絵がとても好きだったのと、高校の美術の先生がすすめてくれたこともあって、多摩美術大学のグラフィックデザイン学科への進学を決めました。ただ、実家が江戸時代から続く造り酒屋で、私は三人姉妹の長女だったので、大学を卒業したら家業を継ぐつもりだったんです。でも、親から「おまえは出ていけ」と言われ、どうしようかなと。手に職をつけたいけど、絵で食べていくほどの自信はない。そこで、学んできたことを活かせる企業に勤めようと、博報堂を選びました。

入社後はどのようなお仕事を?

おかざき デザイナーとして採用されたのですが、当時の上司に「デザインは下手だからプランナーをやれ」と言われ、以来CMプランナーとして仕事をすることになりました。

CMの企画・制作は、広告の要になる仕事ですよね。多忙な毎日だったのでは?

おかざき そうですね。もちろん最初は下っ端からのスタート。先輩につきながら複数の案件を担当していました。朝まで作業とか、そんなことも珍しくないハードな日々でしたね。

多忙を極める中、仕事のモチベーションはどのようにキープされていたのでしょう?

おかざき 小さいことですが、自分のアイデアをプレゼンに持って行ってもらえるだけでも「やった!」と思えて。そんなことがモチベーションになっていました。ただ、経験を積んでいくにつれて、最終的にアイデアは形にならなきゃ意味がないとか、クオリティを上げていかなきゃいけないんだって分かるんですけど、下っ端のときはとにかく小さいことに喜びを見いだしていましたね。

「漫画はやめるな」上司の一言が今につながった

高校時代からイラストや漫画を描かれていたそうですが、博報堂に在職中の27歳で漫画家デビューを果たされます。CMプランナーとしての仕事と並行しながら漫画を描き続けられていたとか。

おかざき 直属の上司から「漫画はやめるな」と言われたんです。おそらく、アイデアや発想力を活かせる漫画をやめない方がいいというアドバイスだったのかなと。というのも、入社時にワンワードを与えられて、その言葉から連想するビジュアルを描く「発想力テスト」という試験があって。各自500案ほど提出するのですが、その評価が入社試験を受けた人の中で1位だったそうなんです。

すごい……! CMプランナーの仕事では、その才能を活かしきれなかったんでしょうか?

おかざき CMは数十人単位で制作するため、自分1人で完結できる仕事はほぼありません。プランナーの思い通りに作れるわけではないので、難しかったです。だからこそ、上司の言葉は「仕事以外にも自分だけの力で発想力を伸ばせる分野を持っておけ」ということだったのだろうと思います。その上司の言葉のおかげで今の自分がいると思いますし、恩を感じています。

おかざきさん

CMプランナーと漫画家の両立を経て、32歳のとき漫画家として独立されます。何かきっかけがあったのでしょうか?

おかざき 連載漫画の声が掛かったことが、独立を考えるようになった最初のきっかけですね。当時は5、6つくらいの案件に携わっていたので、仕事と並行して連載は難しいだろうと思いました。そこで上司に相談をしたところ、「1人で回せるクライアントを任せるから、辞めるのは保留にしないか?」と打診していただいて。自分のスケジュールを中心にして動けるのであれば両立できるかもと思い直し、しばらくは会社に残ることにしました。実際に辞める決断をしたのは、上司が現場を離れて役員になったタイミングです。

両立は厳しかったですか?

おかざき そうですね。漫画が本格的に忙しくなり、結婚もして年齢的に出産もしたかったので、そこまで掛け持ちはできないなと。そろそろ何か諦める決断をしないとすべてが中途半端になっちゃうと思って、会社を辞めることにしました。

仕事は「大きな流れ」に目を向けることが大事

会社員時代の経験が、作品に活きたと感じることはありますか?

おかざき 広告代理店を舞台にした漫画『サプリ』は、会社員時代の経験が1から10まで反映されていますね。もう本当に、すべてが詰まっています。

サプリ

『サプリ』(祥伝社)
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス

登場人物のモノローグ(心の中の独り言)など、染みるセリフが満載だなぁ~と。おかざきさんが会社員時代に感じていたことを盛り込んでいるのでしょうか。

おかざき 描いてあるエピソードは会社員時代のことそのままなんですけど、モノローグなどは「あのとき私が感じたことは、こういうことだったんだろうな」と思い返しながら、言葉をつけたりしています。

『サプリ』1巻の「モチベーション下げないのがプロの仕事 怖い顔しないのが女の仕事」というモノローグが印象的でした。

おかざき モノローグでは、「女の仕事」と表現しましたが、これは男女関係ないと思っています。だって、職場でいつも怒っているような表情の人って嫌じゃないですか。怖い顔をしない、とはつまり「笑顔でいると仕事がうまく回ることもある」ということだと思っています。

サプリ

『サプリ』1巻より
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス

主人公・藤井ミナミも仕事仲間から「笑顔ひとつで仕事が回るなら安いものよ」と投げかけられるシーンがありますね。

おかざき 会社員時代に感じたことですが、仕事ができる人って気配を消しているのに、その人がいるだけで、スルスルと仕事が回っていくような気がします。黒子になれるっていうのかな。そういう人って笑顔を絶やさないんですよね。

それと、できる人は「いいね!いいね!」って言って他人にも積極的に任せてくれる。目の前のことではなく、もっと流れの大きいところを見ている感じがします。

たしかにチームで仕事をしていると、1人の細かいこだわりがスムーズな進行を妨げてしてしまう、なんてこともありますよね。

おかざき 会社や組織に属している以上は、求められる役割を果たすのがプロだなと思うんです。そして、役割を遂行するうえで最も重要なのは「自分のところで仕事を止めない」こと。こだわるところはこだわる、でも、プロジェクトの流れを止めちゃいけないってときには、どんどん次に流すべきです。

ただ、どうしても小さな失敗を引きずって仕事の手が止まってしまったり、落ち込みがちな人もいたりすると思うのです。

おかざき 多分、失敗を気にするってことは、ダメなところを見つける仕事をしているんですよね。これも上司に言われてハッとしたことなんですが、「1日を円グラフにすると好む・好まざるに関わらず仕事が大半を占めるでしょう」と。その仕事を自分でいいものにしていかないと、自分の人生がダメになっちゃうと思うんです。もっと大きい目標を持った方がいいし、ダメなところに時間をかけるよりは大きいものを見ている方が仕事は絶対にうまくいくし、人生もうまくいくはずです。

「いつ死んでもいい」から毎日手料理を作る生活に

現在、母の顔も持つおかざきさんですが、『サプリ』連載時に妊娠・出産をされたそうですね。

おかざき そうです。ちょうど『サプリ』を描いているときに子ども3人を妊娠・出産しました。なので、サプリを描いている期間の半分は妊娠していて、半分は授乳していて。そして連載の最初から最後までオムツを替えていましたね。

すごすぎます……! 漫画家として活動しながらの育児に、不安はなかったのでしょうか。

おかざき なかったといえばウソになります。母親がバリバリの専業主婦だったためロールモデルがなく、試行錯誤の連続でした。そういうときって、「これが一生続くんじゃないのか」くらいに思ってしまうんですよね。子どもはだんだん大きくなっていって、夜泣きやオムツ替えもなくなっていくのに……。

今はいかがでしょう?

おかざき 大変さの根本が変わったように思います。子どもが小さいころは「ご飯をあげなきゃ」とか「寝かしつけなきゃ」とかそういう大変さだったけど、今は一番上の子が中学3年生と大きくなったこともあり、「将来子どもが1人で食べていけるようになるには」といったことに頭を悩ませています。基本的に私が「自分でやりたがる」タイプなので、子どもについ手を掛けてしまいがちになっちゃうんです。それを抑えようと必死です(笑)。子どもを見守る姿勢を身につけることが目下の課題ですね。

子育てによって変わった価値観はありますか?

おかざき すごく変わりました。たとえば、「他人がいるとちゃんとご飯を作ろうとする自分」を発見しました。それは、漫画『かしましめし』を描こうと思った理由の一つにもなりましたね。

連載中の『かしましめし』では、「ごはんを食べる」ことでつながる3人の物語を描かれていますよね。

おかざき はい。私、たぶん1人だったらコンビニでいいやっていうタイプなんですけど、子どもがいると毎日買い物して、ちゃんと料理するんですよね。

かしましめし

『かしましめし』1巻より
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス

子どもの存在が生活を変えたんですね。

おかざき 子どもが生まれるまでは、いつ死んでもいいやって思っていたんですけど、子どもが生まれたときに、初めて「あ、死ねなくなった」と思ったんです。それまでは、朝まで徹夜してもいいし、毎日が面白ければいいじゃないかっていう考えだったんですけど、圧倒的に自分が手を掛けないと死んじゃう存在がいるので……。そこは大きく変わりました。私にとって子どもを持つことは、すごくいい選択だったと思っています。

人生の選択肢はたくさん欲しい。でも恋愛は要注意!

「りっすん」では女性の「働き方」について紹介しています。おかざきさん自身が「働き方」で感じていることはありますか?

おかざき 私は、そもそも人生の選択肢って、たくさんあった方がいいと思っているんです。欲張りなんですよね。仕事もできれば一つだけじゃなくて、複数やりたい。会社員時代も、案件が2つくらいだったときは逆につらくて、行き詰まりがちでした。どうせだったら4つ以上は掛け持ちしたいと思っていました。複数の仕事を同時に請け負うことで、視野が広がるんですよ。視野の広がりとプロフェッショナルとしての深さ、それを追求するうえでプラスになる趣味、を持っておくことが大事かなと思います。

仕事以外に夢中になれることがない、ワーカホリックな人はどうすればよいでしょう?

おかざき 仕事以外に、何でもいいから両立できるものをたくさん持っているといいと思いますよ。そういえば、友人は離婚したときに、ピアノを弾くことが救いになったって話していました。ピアノがあったから離婚のつらさも乗り越えられたそうです。やっぱり、いざというときに、好きなことがあるのは大事だなって。

おかざきさんの漫画は恋愛模様も重要なテーマの一つだと思いますが、恋愛は仕事と両立する選択肢としてどうでしょう?

おかざき 恋愛が趣味でもいいと思うんですけど、自分1人じゃできなくて他人が絡んじゃうのでね。いいときはいいですけど、足を引っ張るときも多々ありますから。恋愛も、たくさんの人とするのがいいかもしれませんね(笑)。

ちなみに、漫画『かしましめし』では、1回人生で折れちゃった人たちの同居生活を描いているのですが、会社員時代から周りに人がいてくれるってとにかくありがたいことだなと思っていて。恋人ってどうしてもギブアンドテイクになりがちですが、それほど重くなく周りにいる、そういう存在がいるのはとても恵まれていますよね。

おかざきさん

生き方の選択肢を増やすという意味では、今はいい時代かもしれませんね。働き方が多様化してパラレルキャリアに挑戦する女性のロールモデルも増えましたし、シェアハウスの普及で暮らし方の幅も広がりました。

おかざき 私の時代は「女は四年制大学に進学したらダメだ」なんてことも言われていましたからね。ゴールデンコースは、短大を出て事務職に就いて社内結婚すること。そのころに比べると、幸せな時代になったなと思います。

何より私がしんどかったのは、“経験でしかモノを言わないおじさんたちの存在”です。「俺たちが若いころは~」とか、「女はこういう生き方が幸せだ」みたいなステレオタイプを押しつけようとする人たちがいましたが、今はネット世代なのでいろいろな価値観があっていいことに気付かされますし、救われますよね。

おかざきさん自身の今後の展望があれば、教えてください。

おかざき 漫画家としてどうなっていきたいか、というのは正直分からないです。以前は雑誌に漫画が載って、次は巻頭に掲載されて、連載を持って……というのが王道だったんですけど、今はインターネットからスターになる漫画家もたくさん出てきています。過渡期ではありますけど、それは素晴らしいことだなと思っています。

いずれにしても、私は「大人の仕事は楽しそうに生きること」だと思っていて。

楽しそうに、生きる?

おかざき 大人が毎日楽しそうにしていれば、子どもが希望を持って「大人になりたい」と思ってくれるじゃないですか。なので、母としても、漫画家としても「楽しそうに生きる」ことを大事にしていきたいです。

取材・文/末吉陽子(やじろべえ)

お話を伺った方:おかざき真里さん

おかざき真里

1967年、長野県生まれ。博報堂在職中の1994年に『ぶ〜け』(集英社)でデビュー。2000年に博報堂を退社後、広告代理店を舞台にした『サプリ』(祥伝社)がドラマ化もされるなど、大ヒット。その他、代表作として『渋谷区円山町』(集英社)、『&(アンド)』(祥伝社)など。現在は「月刊!スピリッツ」で『阿・吽』、「FEEL YOUNG」で『かしましめし』を連載中。最新作『かしましめし』では、心が折れて仕事を辞めた千春、バリキャリだが男でつまづくナカムラ、恋人との関係がうまくいかないゲイの英治の3人が「ごはんを食べる」ことでつながり、“生き返る”物語を描いている。ほか、東京国立博物館「特別展『仁和寺と御室派のみほとけ展』」にて『阿・吽』コラボレーション開催中(2018年3月11日まで)。開催を記念し、読売本社ギャラリーでも『阿・吽』特別展示実施中。

次回の更新は、2018年2月7日(水)の予定です。

編集/はてな編集部