
大学の卒業論文をきっかけに、ペンキ絵と出会う
田中みずき(以下、田中) 最初のきっかけは、大学の卒業論文で銭湯のペンキ絵について調べたことでした。私は大学で美術史を勉強していたのですが、論文のテーマがなかなか決まらなくて。テーマのヒントを得るために、当時好きだった作家やアーティストの名前をどんどん紙に書き出してみたんですね。そうしたら、大好きな作家の福田美蘭(ふくだみらん)さんや束芋(たばいも)さんが、銭湯をモチーフにした作品を作っているということに気が付いて。そこで、「銭湯に行けば何か発見があるかもしれない!」と思って、生まれて初めて銭湯に行ってみたんです。

田中 そうです。湯船に浸かりながらぼーっとペンキ絵を眺めていたら、絵の中の世界に自分が吸いこまれていくような錯覚があって。ペンキ絵の雲に現実の湯気が重なっていく不思議な感覚は、今も印象に残っています。「こんな絵の見方もあるんだ!」って引きこまれていきましたね。
田中 そうですね(笑)。書き始めたときは全く思っていませんでした。論文を書くにあたり、ペンキ絵師の方が実際にどのように絵を描いているのか、現場を見せてもらうことになって。ペンキ絵に対する意識が変わってきたのは、このあたりからです。
田中 もちろんそれもありますが、危機感の方が強かったように思います。絵師の人数が減っていることや、絵師の高齢化が始まっているというのを知って、「この状態が続いたらペンキ絵師という仕事がなくなってしまうのではないか」と。それで、「このままこの技術を途絶えさせてはいけない!」と思い、ペンキ絵師の方に描き方を教えてほしいと頼みこみました。
田中 そのつもりだったんですが、最初「仕事が減っているから弟子はとっていない」と断られてしまったんです。でも、とにかく描き方だけでも教えてもらえれば、この技術をつないでいくことができるのではないかと思って。「食べていけなくてもいいので、とにかく描き方を教えてください」と食い下がって、大学在学中にようやく「見習いという形でなら」ということで受け入れてもらえました。
田中 今思うと、あまり深く考えていなかったような気もしますけどね(笑)。当時の私には養わなければならない家族もいなかったし、親も健康でいてくれたので、やりたいことにチャレンジができる状況だったんです。それも、決断できた大きな要因だったかなと思います。
安定の会社員を捨て、「ニッチ」なペンキ絵中心の生活に

田中 実は当時、師匠から「別職を持つ」という条件が出されていたんです。今思うと、やんわり断られていた感じがしますけど「ペンキ絵は時間が空いているときに描けばいいから」と言われて。そのときは師匠の言葉を素直に受け入れて、大学院卒業後、1年半ほど会社員とペンキ絵師見習いの二束のわらじをはいていました。
田中 大変だと感じる以前の問題で……。実はこの期間、ペンキ絵の現場にほとんど行けなかったんですよ。ペンキ絵の描き替えは銭湯の休館日を1日使って行うんですが、休館日のほとんどは平日なんです。会社は土日休みなので、なかなか予定が合わなくって。それもあって、これはどちらかの仕事を選択するしかないなと。会社員の仕事も出来がいいとは言えなかったですし、体調も崩していたので、これはもうペンキ絵に賭ける方がよいのではと思いました。
田中 会社員の仕事は面白かったのですが、「私でなくてももっといい仕事をする人はいそうだな」と感じている自分もいて。
そんなときに、大学の一般教養の授業で習った「ニッチ」という言葉を思い出したんです。いろんな意味を持っている言葉なのですが、簡単に言うと、他の敵対生物がいないところに住めばうまく生きていける……というような内容なんですが。そのときの私には、この言葉がしっくりきたんですよね。ペンキ絵師という「ニッチ」な場で生きていくというのが、私にとってはうまくいくのでは、と。
田中 中には「会社は辞めない方がいい」とアドバイスをくれた人もいたんです。でも性格上、複数人と一緒に何かをしていく会社員という働き方がそもそも私には合っていなかったように感じていたので。なので、あまり未練も持たず、「合わないし、仕方がない」というような感じで、すっと辞められました。
他の人には同じ道を勧めませんが、私としてはこの選択をしてよかったなと感じています。
田中 家族には、「見習い期間はきっとまだまだ長いけど、アルバイトをしてでもペンキ絵師の仕事を続けていきたい」と説明し、納得してもらいました。そこからは、ペンキ絵師の仕事を中心に、アルバイトもするというような生活がスタートしました。
田中 はい。2013年に独立したのですが、このころからペンキ絵師の仕事だけで食べていけるようになりましたね。最初はずっと、アルバイトや別の仕事をしながらペンキ絵師の仕事もやっていくんだろうなと思っていたんです。でも今は、別の仕事は全くやっていなくて。ペンキ絵師一本でやれているんです。それはうれしい誤算でしたね。
ペンキ絵を描く作業はとにかくハード!
田中 高い場所に絵を描くことが多いので、まずは木を組んで「足場」と呼ばれる作業スペースを作ります。この足場が上手にできるかどうかで絵を描くスピードも全然違ってくるので、重要な仕事の一つです。
次に、壁のベース作り。もともとペンキ絵が描いてあった壁は、ペンキが部分的にはがれてでこぼこしてしまっていたりするんですよね。なので、凹凸をそぎ落して、壁をフラットにします。
ここまでできたらいよいよ絵を描く作業。ペンキがにじんでしまうので、基本的に重ね塗りはできないんです。なので、上から順番に色が混ざらないように描いていく必要があります。あとは頭でイメージしながら、1日で仕上げきります。銭湯の休館日に作業をするので、何日もかけて仕上げる……というわけにはいかないんです。
田中 体力面でいうとやっぱりハードですね。体力だけでなく集中力もものすごく使うので、描き終わったあとはもうヘロヘロですよ。

田中 ありきたりなんですが、とにかく寝ます。あとは、銭湯に行ってリラックスすることですかね。これはお客さまの反応を見たいっていう思いもあります。常連さんほど意外と絵を見ていなかったりするんですよ(笑)。銭湯の女将さんに聞くと、3ヶ月ぐらい経ってから「はっ! 変わってる!」って気付く方もいるみたいです。それでも、お客さまが感想を言ってくれているところに偶然遭遇できると、この仕事をしていてよかったなと感じます。
田中 やっぱり絵を描き終わった瞬間ですかね。新しい世界を作れるという面白さは、他の何にも変えられないやりがいです。
田中 ペンキ絵は描きかえることがほとんどなのですが、絵の内容をお任せされたときは「絵が変わった」ことを感じてもらいたいと思っています。たとえば、銭湯のペンキ絵では昔から富士山のモチーフを描くことが基本。それでも、前の絵とは違う構図で描いたり、背景や色合いを工夫したりして、変化を持たせるようにしています。
あと意識しているのは、見た人に明るい気持ちになってもらえるように、明るい色を使うこと。銭湯にはいろいろな人がいろいろな気持ちを抱えて来ていると思うんです。私も会社員だったころに癒やしを求めてよく銭湯に来ていたので、その実体験を生かして(笑)。仕事で疲れている人にも、元気になってもらいたいという思いをこめています。


田中 それが、銭湯のペンキ絵の文化があるのは主に関東圏なんですよ。
田中 正確な情報がないので、ここ数十年の話かもしれないですし、昔は地方でも描かれていたとは思いますが……。2、30年前には地方にもペンキ絵があったと聞いたこともありますし、昔の本に掲載されていた写真に静岡の銭湯のペンキ絵が写っている例もあるので、調べたいと思っています。しかし、現在仕事の依頼があるのは、ほとんどが東京です。都内だと現在約600件の銭湯があるんですが、ペンキ絵を施しているのは200件ほどだと思います。
田中 今だと、海外客をターゲットにした旅館やホテルが増えてきていて、そういう施設が、日本らしさを出すために大浴室に絵を描いてくださいというのが増えています。あとは、高齢者施設のお風呂やカフェの壁などに描く、という依頼もあります。
ペンキ絵の技術だけでなく、ペンキ絵の歴史も残していきたい
田中 ペンキ絵師に限らないのですが、日本は現場での女性職人が圧倒的に少ないんですよね。社会的に見ても重要ポストに就く女性が少なかったり、他の国と比べても女性の社会的地位のランキングで低い順位にいたり。働きたいという女性はもっと活躍してもいいんじゃないかな、とは思います。
田中 大先輩たちはまだまだお元気で大活躍なさっています。とはいえ、やっぱり、ペンキ絵師という仕事をつなげていきたいという思いがあるので、不安がないと言ったら嘘になりますね。今の段階では、自分で弟子をとるというのは難しいですが……。ただ、見学に来ている子もいるので、もう何年かして、自分にスキルが付いたときに「ペンキ絵をやりたい」という方がいたら、そのときは教えてあげたいと思っています。
田中 ペンキ絵の描き方をマニュアル化していくことを試しています。もちろん、マニュアルから外れることもありますし、現場で見て、経験した知識が何より重要です。とはいえ、ベースになればいいなと思って。あとは、絵を描くときに必要な材料、足場の組み方などをまとめているところです。自分のスキルも磨きたいし、後継者の育成もしたい。個人的にやりたいこともあるし……時間が足りないです!
田中 直近でやりたいのは、今まで絵を描いた場所を巡りたいです。絵がどう変わっているかとか、お客さまの反応はどうかとか、女将さんと話したりとかしたいですね。実際に見ることで発見できることもあると思うので。

田中 うーん。実際に違う仕事をやっていた時期もありましたが、やっぱりペンキ絵師しか考えられないですね。ただ、いずれは引退することになると思うので「老後、何をしようかな」と考えることはあります。アレもコレも、とワクワクしちゃいますね。
田中 ペンキ絵の研究をしたいです。まだ卒論で調べ残したことがあるなと感じていて。ペンキ絵はどんな風に需要があったのかとか、ペンキ絵=富士山というイメージはいつからついたのかとか、調べたいことはたくさんあります。
……ただ、今もどんどん銭湯が閉鎖してしまっているので、引退後なんて言わずに早急にやらないといけないなとも思っていて。仕事をしながら情報を集めて、引退後に情報をまとめる作業をするということになりそうですね。
ペンキ絵師が教える銭湯の楽しみ方
田中 そうですね……。個人的には、結婚を考えている方がいるなら、その人と銭湯に行ってみてほしいですね。「男湯のペンキ絵はこうだった」「女湯のペンキ絵はこうだった」というように情報を共有して、それをきっかけに都内の銭湯を巡ってみるのも面白いと思います。実は私自身も、夫と結婚する前にそうやって銭湯巡りを楽しんでいたんです(笑)。
それに、銭湯の女将さんって人をよく見ているので、カップルの雰囲気が合っているなと思うと、結婚する前でも「外でご主人が待ってるよ!」とか言ってくれるようになるんですよ。
田中 そんなデートも新鮮でいいですよね(笑)。もちろん一人でも友人同士で行っても楽しめますよ。昔ながらの銭湯に不慣れな方でも、今は改築してレトロモダンな建築のおしゃれな銭湯も増えてきましたし。
ペンキ絵も銭湯によって雰囲気が全然違うので、そこにも注目してもらえると嬉しいです。趣のある富士山だったり、元気がもらえる明るい富士山だったり、中には銭湯のご主人や女将さんの趣味が反映されて、ゴルフ場や犬が描かれていたり、面白いですよ(笑)。
取材・文/石部千晶(六識)
※2018年2月14日17:50ごろ、記事の一部画像を変更し、あわせてキャプションも修正しました。お詫びして訂正いたします。
編集/はてな編集部