
ハードだった下っ端時代。小さな喜びがモチベーションに
おかざき真里さん(以下、おかざき) 昔から絵がとても好きだったのと、高校の美術の先生がすすめてくれたこともあって、多摩美術大学のグラフィックデザイン学科への進学を決めました。ただ、実家が江戸時代から続く造り酒屋で、私は三人姉妹の長女だったので、大学を卒業したら家業を継ぐつもりだったんです。でも、親から「おまえは出ていけ」と言われ、どうしようかなと。手に職をつけたいけど、絵で食べていくほどの自信はない。そこで、学んできたことを活かせる企業に勤めようと、博報堂を選びました。
おかざき デザイナーとして採用されたのですが、当時の上司に「デザインは下手だからプランナーをやれ」と言われ、以来CMプランナーとして仕事をすることになりました。
おかざき そうですね。もちろん最初は下っ端からのスタート。先輩につきながら複数の案件を担当していました。朝まで作業とか、そんなことも珍しくないハードな日々でしたね。
おかざき 小さいことですが、自分のアイデアをプレゼンに持って行ってもらえるだけでも「やった!」と思えて。そんなことがモチベーションになっていました。ただ、経験を積んでいくにつれて、最終的にアイデアは形にならなきゃ意味がないとか、クオリティを上げていかなきゃいけないんだって分かるんですけど、下っ端のときはとにかく小さいことに喜びを見いだしていましたね。
「漫画はやめるな」上司の一言が今につながった
おかざき 直属の上司から「漫画はやめるな」と言われたんです。おそらく、アイデアや発想力を活かせる漫画をやめない方がいいというアドバイスだったのかなと。というのも、入社時にワンワードを与えられて、その言葉から連想するビジュアルを描く「発想力テスト」という試験があって。各自500案ほど提出するのですが、その評価が入社試験を受けた人の中で1位だったそうなんです。
おかざき CMは数十人単位で制作するため、自分1人で完結できる仕事はほぼありません。プランナーの思い通りに作れるわけではないので、難しかったです。だからこそ、上司の言葉は「仕事以外にも自分だけの力で発想力を伸ばせる分野を持っておけ」ということだったのだろうと思います。その上司の言葉のおかげで今の自分がいると思いますし、恩を感じています。

おかざき 連載漫画の声が掛かったことが、独立を考えるようになった最初のきっかけですね。当時は5、6つくらいの案件に携わっていたので、仕事と並行して連載は難しいだろうと思いました。そこで上司に相談をしたところ、「1人で回せるクライアントを任せるから、辞めるのは保留にしないか?」と打診していただいて。自分のスケジュールを中心にして動けるのであれば両立できるかもと思い直し、しばらくは会社に残ることにしました。実際に辞める決断をしたのは、上司が現場を離れて役員になったタイミングです。
おかざき そうですね。漫画が本格的に忙しくなり、結婚もして年齢的に出産もしたかったので、そこまで掛け持ちはできないなと。そろそろ何か諦める決断をしないとすべてが中途半端になっちゃうと思って、会社を辞めることにしました。
仕事は「大きな流れ」に目を向けることが大事
おかざき 広告代理店を舞台にした漫画『サプリ』は、会社員時代の経験が1から10まで反映されていますね。もう本当に、すべてが詰まっています。

『サプリ』(祥伝社)
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス
おかざき 描いてあるエピソードは会社員時代のことそのままなんですけど、モノローグなどは「あのとき私が感じたことは、こういうことだったんだろうな」と思い返しながら、言葉をつけたりしています。
おかざき モノローグでは、「女の仕事」と表現しましたが、これは男女関係ないと思っています。だって、職場でいつも怒っているような表情の人って嫌じゃないですか。怖い顔をしない、とはつまり「笑顔でいると仕事がうまく回ることもある」ということだと思っています。

『サプリ』1巻より
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス
おかざき 会社員時代に感じたことですが、仕事ができる人って気配を消しているのに、その人がいるだけで、スルスルと仕事が回っていくような気がします。黒子になれるっていうのかな。そういう人って笑顔を絶やさないんですよね。
それと、できる人は「いいね!いいね!」って言って他人にも積極的に任せてくれる。目の前のことではなく、もっと流れの大きいところを見ている感じがします。
おかざき 会社や組織に属している以上は、求められる役割を果たすのがプロだなと思うんです。そして、役割を遂行するうえで最も重要なのは「自分のところで仕事を止めない」こと。こだわるところはこだわる、でも、プロジェクトの流れを止めちゃいけないってときには、どんどん次に流すべきです。
おかざき 多分、失敗を気にするってことは、ダメなところを見つける仕事をしているんですよね。これも上司に言われてハッとしたことなんですが、「1日を円グラフにすると好む・好まざるに関わらず仕事が大半を占めるでしょう」と。その仕事を自分でいいものにしていかないと、自分の人生がダメになっちゃうと思うんです。もっと大きい目標を持った方がいいし、ダメなところに時間をかけるよりは大きいものを見ている方が仕事は絶対にうまくいくし、人生もうまくいくはずです。
「いつ死んでもいい」から毎日手料理を作る生活に
おかざき そうです。ちょうど『サプリ』を描いているときに子ども3人を妊娠・出産しました。なので、サプリを描いている期間の半分は妊娠していて、半分は授乳していて。そして連載の最初から最後までオムツを替えていましたね。
おかざき なかったといえばウソになります。母親がバリバリの専業主婦だったためロールモデルがなく、試行錯誤の連続でした。そういうときって、「これが一生続くんじゃないのか」くらいに思ってしまうんですよね。子どもはだんだん大きくなっていって、夜泣きやオムツ替えもなくなっていくのに……。
おかざき 大変さの根本が変わったように思います。子どもが小さいころは「ご飯をあげなきゃ」とか「寝かしつけなきゃ」とかそういう大変さだったけど、今は一番上の子が中学3年生と大きくなったこともあり、「将来子どもが1人で食べていけるようになるには」といったことに頭を悩ませています。基本的に私が「自分でやりたがる」タイプなので、子どもについ手を掛けてしまいがちになっちゃうんです。それを抑えようと必死です(笑)。子どもを見守る姿勢を身につけることが目下の課題ですね。
おかざき すごく変わりました。たとえば、「他人がいるとちゃんとご飯を作ろうとする自分」を発見しました。それは、漫画『かしましめし』を描こうと思った理由の一つにもなりましたね。
おかざき はい。私、たぶん1人だったらコンビニでいいやっていうタイプなんですけど、子どもがいると毎日買い物して、ちゃんと料理するんですよね。

『かしましめし』1巻より
(C)おかざき真里/祥伝社フィールコミックス
おかざき 子どもが生まれるまでは、いつ死んでもいいやって思っていたんですけど、子どもが生まれたときに、初めて「あ、死ねなくなった」と思ったんです。それまでは、朝まで徹夜してもいいし、毎日が面白ければいいじゃないかっていう考えだったんですけど、圧倒的に自分が手を掛けないと死んじゃう存在がいるので……。そこは大きく変わりました。私にとって子どもを持つことは、すごくいい選択だったと思っています。
人生の選択肢はたくさん欲しい。でも恋愛は要注意!
おかざき 私は、そもそも人生の選択肢って、たくさんあった方がいいと思っているんです。欲張りなんですよね。仕事もできれば一つだけじゃなくて、複数やりたい。会社員時代も、案件が2つくらいだったときは逆につらくて、行き詰まりがちでした。どうせだったら4つ以上は掛け持ちしたいと思っていました。複数の仕事を同時に請け負うことで、視野が広がるんですよ。視野の広がりとプロフェッショナルとしての深さ、それを追求するうえでプラスになる趣味、を持っておくことが大事かなと思います。
おかざき 仕事以外に、何でもいいから両立できるものをたくさん持っているといいと思いますよ。そういえば、友人は離婚したときに、ピアノを弾くことが救いになったって話していました。ピアノがあったから離婚のつらさも乗り越えられたそうです。やっぱり、いざというときに、好きなことがあるのは大事だなって。
おかざき 恋愛が趣味でもいいと思うんですけど、自分1人じゃできなくて他人が絡んじゃうのでね。いいときはいいですけど、足を引っ張るときも多々ありますから。恋愛も、たくさんの人とするのがいいかもしれませんね(笑)。
ちなみに、漫画『かしましめし』では、1回人生で折れちゃった人たちの同居生活を描いているのですが、会社員時代から周りに人がいてくれるってとにかくありがたいことだなと思っていて。恋人ってどうしてもギブアンドテイクになりがちですが、それほど重くなく周りにいる、そういう存在がいるのはとても恵まれていますよね。

おかざき 私の時代は「女は四年制大学に進学したらダメだ」なんてことも言われていましたからね。ゴールデンコースは、短大を出て事務職に就いて社内結婚すること。そのころに比べると、幸せな時代になったなと思います。
何より私がしんどかったのは、“経験でしかモノを言わないおじさんたちの存在”です。「俺たちが若いころは~」とか、「女はこういう生き方が幸せだ」みたいなステレオタイプを押しつけようとする人たちがいましたが、今はネット世代なのでいろいろな価値観があっていいことに気付かされますし、救われますよね。
おかざき 漫画家としてどうなっていきたいか、というのは正直分からないです。以前は雑誌に漫画が載って、次は巻頭に掲載されて、連載を持って……というのが王道だったんですけど、今はインターネットからスターになる漫画家もたくさん出てきています。過渡期ではありますけど、それは素晴らしいことだなと思っています。
いずれにしても、私は「大人の仕事は楽しそうに生きること」だと思っていて。
おかざき 大人が毎日楽しそうにしていれば、子どもが希望を持って「大人になりたい」と思ってくれるじゃないですか。なので、母としても、漫画家としても「楽しそうに生きる」ことを大事にしていきたいです。
取材・文/末吉陽子(やじろべえ)
お話を伺った方:おかざき真里さん
1967年、長野県生まれ。博報堂在職中の1994年に『ぶ〜け』(集英社)でデビュー。2000年に博報堂を退社後、広告代理店を舞台にした『サプリ』(祥伝社)がドラマ化もされるなど、大ヒット。その他、代表作として『渋谷区円山町』(集英社)、『&(アンド)』(祥伝社)など。現在は「月刊!スピリッツ」で『阿・吽』、「FEEL YOUNG」で『かしましめし』を連載中。最新作『かしましめし』では、心が折れて仕事を辞めた千春、バリキャリだが男でつまづくナカムラ、恋人との関係がうまくいかないゲイの英治の3人が「ごはんを食べる」ことでつながり、“生き返る”物語を描いている。ほか、東京国立博物館「特別展『仁和寺と御室派のみほとけ展』」にて『阿・吽』コラボレーション開催中(2018年3月11日まで)。開催を記念し、読売本社ギャラリーでも『阿・吽』特別展示実施中。
編集/はてな編集部