20年書き続けた「日記」の習慣をやめた|文月悠光

文月悠光さん記事トップ写真

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、詩人の文月悠光さんにご寄稿いただきました。

日記を始め、書くことを習慣にしている人は少なくないと思います。文字に書き出すことにより思考が整理される、という考え方を目にする機会も多いです。

文月さんも小学4年生の頃から日記を書き続けてきたそう。自らを「日記中毒」と称していましたが、とある出来事をきっかけに、1年ほど前から日記を書く習慣をやめました。その結果、他人との関係性に変化が生じ、新しいことを始める心のゆとりが生まれたと語ります。

***

詩人である私は、「詩を書き始めたきっかけ」についてよく尋ねられる。初めて自分の意志で詩を書いたのは10歳の頃だ。作家志望の文学少女だった私は、父親の勧めで文章修行のために日記を書いていた。その日記帳の片隅に詩を書き始めたことから、自分の詩作は始まった。

以来、詩と共に20年も書き続けてきた大切な日記。……だが、今は一年以上お休みしている。日記といえば普通はなかなか続かないものだ。日記を書くのをやめてしまうなんて「もったいない!」と思われるかもしれない。私がひそかに書いていた日記をやめたからって特に驚きもないし、表立った変化もないだろう。

でも日記を書くのをやめてみたことで、私は明らかに他人と過ごす時間の質が変わったように思うのだ。そこでこのエッセイでは、日記を書くのをやめた理由と、その後の変化についてお話ししてみようと思う。

何でも吐き出せる日記は心の拠り所だった

そもそも私にとっての日記とは、心の拠り所のようなものだった。末っ子で引っ込み思案な性格の私は、親や友人相手にはつい口籠(くちご)もってしまう。日記ならば誰も私の声を遮らない。思いの丈を好きなだけ書きつづることができる。

内容は本当に些細なことだ。同じクラスの誰それが最近気になるとか、陰口を叩く男子に本当はこう言い返してやりたいとか、先生や親が目にしたら真っ先に眉を顰められそうな反抗的な内容だって。出来事を振り返りながら日記に記してみると、子どもに対する大人たちの発言は、案外矛盾していることに気づいた。大人も自分の感情に流されるし、いつも正しい判断ができるわけではないらしい。

ある時期は日記を通して、大好きな物語の主人公と対話することもあった。大人になることを夢見る末っ子フロッシー、おてんばで正義感が強いエリザベス、想像力豊かな空想家アン。どれも少女向けの海外文学から拝借したヒロインたちだ。三人のイラストの横に吹き出しを作り、この子ならこんなふうに話すだろう、と思う台詞を書き込んだ。

彼女たちは私の思いに共感し、理不尽なことに一緒に怒り、「元気を出して!」と励ましてくれるのだった。友達と喧嘩したり、親に叱られた日の夜にも、彼女たちは私の味方だった。

次第に友達といる時でさえ、「早く一人になって日記を書きたいなあ」と思うようになった私は完全な「日記中毒」だった。……と原稿に書いたところ、担当さんから「本来、楽しいはずの友達といる時でさえそう思うのはどんな状況なのでしょう」とコメントを頂いたので正直驚いた(私は友人や恋人と一緒に過ごしていても、「早く一人になりたい」と身勝手なことを考える不届き者だったのです。特に10代の頃は……)。

逆に楽しい時間を過ごしているときも、早く帰ってこの気持ちを日記に書きたい!とわくわくしたものだった。白紙のノートを広げて、何を書こうかな、と思いを巡らせている時間が何より心躍るひとときだったのだ。時間ができたときに自分の日記を読み返し、「この時はこんなことを考えていたのに、今は全然違う」と振り返るのも新鮮に面白かった。

以降中学・高校時代も、20代も日記を書くことで自分の心を鎮めたりする習慣は変わらなかった。10代の終わりに東日本大震災、20代の終わりにコロナ禍を経験し、先の見えない不安を日記に記録することで日常を繋ぎとめていた

日記を書くことは自分の心に負荷をかける

よく悩み相談などで「一旦自分の思いを紙に書き出してみるといいですよ」というアドバイスを耳にする。モヤモヤを書き出すことで頭の中が整理されるというのだ。解決策を求めている場合は有効だろう。吐き出して心がスッキリする効果もあると思う。実際、私自身も日記を書くことにはそういった役割があったと感じる。

ただ、「自分はいつでも書くことによって客観的になれる」と過信してしまうと恐ろしい。かつての私がそうだった。

以前友人と「なぜ実体験を書くのか? なぜ日記を書くのか?」という話題になった際、私は「自分と向き合って客観的な視点で出来事を分析したいから」と答えた。一方、友人は懐疑的で「書いて出来事を客観視できている、というのは、思い込みじゃない? 自分にとって気持ちの良い言葉を並べているだけなのでは?」と問いただされた。

私は自分の傲慢さが恥ずかしくなった。それらしい文章を書けることが、己の正当性や客観性を担保してくれるわけではないのだ。私はそれを履き違えていた気がする。友人も私の日記を読んだわけではないが、私の言動や振る舞いから、書き言葉優位の思い上がりを感じ取ったのだろう。

言葉を持つことは結構怖いことでもある。自分の都合のいいように事実を編集できてしまう(できれば自覚的でありたいが、限界もあるだろう)。事実、自分も言葉を持つことの特権性によって生き延びてきた面があった。

文月悠光さん記事中イメージ写真

日記を書き、読み返すことは、「その時の自分をありありと思い出す」という作業の連続だ。純粋に楽しめるときもあるが、それなりに負荷がかかるものだとも思う。トラウマの記憶が蘇るフラッシュバックという症状が広く知られているように、急な記憶の甦りは本来ストレスになるものだ。

そうした「思い出し」の負荷にいつでも耐えられるかというと、やっぱり波がある。寝る前やお風呂の最中、恥ずかしい出来事を思い出して「ああ〜」と頭を抱えたり、「バカバカ!」と叫んだ経験は誰しもあると思うが、あれは現状がマシな状態だから耐えられるのであって、心身が不調な時期はただただ自分がダメに思えて、「思い出す」ことそのものが致命傷になったりする。

私の場合は、20代の終わりに体調を崩した経験がある(今はすっかり元気なので安心してほしい)。原因は、仕事の過労と複数のストレス要因が重なったことだったのだが、どうも自分の内省的だったり、自己否定的な考え方も影響していると気づいた。過去の嫌な出来事や小さな失敗を思い出しては、さまざまな症状で体調を崩していたからだ。

にもかかわらず、私は日記を書くこと、自分の不安やネガティブな感情を日記につづることをやめられなかった。最初に倒れた日も、私はガストで泣きながら日記を書いていた。なぜそうするかは考えず、自分の気持ちを落ち着かせるため、反射的に、習慣的に書いていた。

仕事柄、自分の体験や感情を鮮明に描写することが求められるのもあって、私は「忘れること」への恐れが人一倍強かった。だから、私はつらいときほど書いた。うまく形になれば、つらい出来事は取材と一緒で、「経験した甲斐があるもの」「乗り越えられたもの」になると考えた。日記を書くのをやめて、記憶を忘却してしまうことは、そんな過去の自分に背く行為だった。

全てを忘れず記録しておく必要はない

そんな私に転機が訪れた。パートナーと同棲することになり、一人暮らししていた東京のワンルームから引っ越すことになったのだ。

7年以上居住し、仕事場を兼ねていた部屋は膨大な量の本と書類で溢れていた。そのまま新居に運ぶわけにもいかず、大掛かりな断捨離に取り組むことになった。

昔の物を手に取ると、つらいことばかり頭に浮かぶ。この仕事は大変だったなあ、〇〇さんにあの時こんなことを言われたなあ……など、取り留めもないことなのだが、いちいちメンタルにダメージをくらう。

例えば過去の書類が出てきて、自分の字が綺麗だっただけで、このときはこんなに明晰だったのに……と今の自分と比較して落ち込む始末(我ながらだいぶ滑稽だ)。自分の目では確認したくない書類もたくさんあり、知人にバイトを頼んで整理を手伝ってもらった。

今まで漠然と取っておいた物に対して「これは必要」とか「素敵だけどもう要らないかな」と判断を下すにつれて、少しずつ心に変化が出てきた。以前は引っ越しに関するちょっとした判断もフリーズしてしまっていたのが、取捨選択の判断が早くなり、心に余裕が出てきたのだ。

「今までキャッシュが溜まり過ぎて動けなくなってたんだよ」

パートナーからそう言われて、はっとした。私はキャッシュを消去したことがない。日々の出来事を日記に書き続けてきたら、いつでも記憶を鮮やかに取り出せる。けれど、キャッシュの蓄積はバグを誘発する。動作しなくなったパソコンのように、私も身動きがとれなくなっていたらしい。

引っ越しに伴う持ち物の断捨離は、私にとってキャッシュ(無用な過去の履歴)を消す作業だったのだ。

その経験を通して、「思い出してつらくなることは、いっそ思い出さなくていい」「つらい出来事は忘れてもいい。無理に書き残さなくてもいいんだ」 と生まれて初めて思えた

文月悠光さん記事中イメージ写真

それに、パートナーと一緒に暮らし始めたことで、同じ出来事を体験する機会が増えた。日記として書き留めるのではなく、誰かに話して共有する楽しさを知った。もし忘れてしまっても、一緒にいた人に尋ねて思い出せばいいのだ。
 
次第に、日記を書く頻度は減っていき、ついに日記を書く習慣が私の生活から消えた。

以前は久々に友人と会っても、前回会った日をクラウドメモの日記から検索し、「あ、去年の5月の新宿ぶりだね!」と正確に記憶を呼び起こさなくては気が済まなかった。今は「いつだっけ?」と一緒に思い出す時間が、相手とよりコミュニケーションが取れているようで、なんだかうれしい。他者や世界に対する信頼感が明らかに強くなったと思う。

日記をやめたことで、過去を振り返る時間が減って、その場でしか発生しない楽しいことや新しい趣味に集中できるようになった。

たとえ忘れたとしても……。実は「忘れること」を選んだのも自分自身なのだと思う。私は「忘れる」ことの主体性にもう少し委ねてみたい。俗に言う「忘れるくらいだから大したことではない」はさすがに暴論かもしれないが、過去を忘れるくらいの余裕がないと、新しいことは自分の中に入ってこないから。

新しい自分で書く

とはいえ、「自分はまた日記を書くだろう」という確信もある。今まで、紙のノートもさまざまな種類を使ってきたし、クラウドメモや、日記アプリの類もいくつか試してみた。ただ、いずれも私にとってベストではなかった。だからこそ新しい形式で日記に挑戦してみるのもいい。例えば、オーダーメイドの日記帳を作ってみるとか。

日々の全てを記録する必要はない。嫌なことを無理に書き残す必要もない。過去の自分がどう感じていたかよりも、今の自分の気持ちを優先したい

未来を予測することは不可能なのに、なぜか将来を逆算方式で考える人は多い。かつての私もそうだった。何歳までに結婚して、何歳までに子どもを産む。「自分は詩人だから、女性だから、こうでなくてはいけない」という幾つものマイルールで自分自身を縛っていた。人生をコントロールするために。

でも逆算が役立たないことが人生にはたくさん起きて、思わぬ脱線を生む。それが一周回って面白いと思う。次に日記を書くとしたら、「変わってしまうこと」を自分にゆるす日記を書きたい。

今までとは違う目的・役割で「書くこと」にかかわるようになる。それは私にとって他ならぬ希望だ。「やめたこと」によって、やり方を変えることを恐れなくなった。そんな軽やかな自分がうれしい。

編集:はてな編集部

その習慣、やめてみてもいいのかも?

「なんとなく」の買い物を(できるだけ)やめた|山越栞
息抜きのためについ、服やコスメを買うこと
料理をやめてみた|能町みね子
「自炊」すること
何かを頑張るために「コーヒーを飲む」のを(ほぼ)やめた|近藤佑子
気合いを入れるため「コーヒー」を飲むこと

著者:文月悠光(ふづき・ゆみ)

文月悠光さんプロフィール画像

詩人。1991年北海道生まれ、首都圏在住。10歳から詩を書きはじめる。16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年の時に発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社/ちくま文庫)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。詩集に『屋根よりも深々と』(思潮社)、『わたしたちの猫』(ナナロク社)。エッセイ集『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)、『臆病な詩人、街へ出る。』(立東舎/新潮文庫)が若い世代を中心に話題に。2022年11月、6年ぶりの新詩集『パラレルワールドのようなもの』(思潮社)を刊行、発売中。2023年度より、武蔵野大学客員准教授。
Twitter