大人数の飲み会に行くのを(ほぼ)やめてから1年半以上経った|チェコ好き

 チェコ好き(和田真里奈)

チェコ好きさんTOPイメージ

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ブロガーのチェコ好きさんに寄稿いただきました。

チェコ好きさんがやめたことは、大人数が参加する飲み会の場に行くこと。

飲み会で「場を盛り上げられない」ことから、自身のことを「コミュニケーション能力が低い」と考えていたというチェコ好きさん。コミュニケーション能力がある人は、飲み会の場で大勢と一緒に盛り上がれる(さらにいえば、その盛り上がりを先導できたり、空気を読んで気を利かせ、サラダなどを取り分けたりすることができる)と感じていたのだそう。

しかし、仕事のシチュエーションを通して、そういったことができないことが必ずしも「コミュニケーション能力の低さ」に直結するというわけではないのでは、と考えるように。思い切って、大人数が参加する飲み会に行くことをやめてみそうです。

飲み会の場で盛り上げられる人こそがコミュニケーション能力のある人だ、と思っていたチェコ好きさんが、あえてその「場」に行くことをやめたことで、「コミュニケーション」に対する捉え方にも変化があらわれたようです。

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コミュニケーション能力が低いと思っていた

ノリが悪い、愛想がない、空気が読めない、気が利かない、おまけに体質的な問題でお酒がまったく飲めない。この地味で内向的な性格のおかげで、ノリが良くて空気が読めて気も利く社交的な人たちと比べて、いったいどれだけたくさんのチャンスを失ってきたのだろう? 20代の頃の私は、ずっと悩んでいた。

大勢が集まる飲み会でまわりの人と一緒に盛り上がれないから、他人と交流が深められず、仕事や恋愛のチャンスがめぐってこない。コミュニケーションが下手だから、人の心の機微が分からず、文章を書いてもいまいち洗練されたものにならない。自分の思うように物事が進まない原因の全てはこのコミュニケーション能力の低さにあるのだと考えた私は、20代で克服できなかったこの弱点を、30代前半のうちになんとかしなければならないと考えた。

そのために始めたのが水商売のバイトで、一時期はIT企業の非正規社員と文筆業にこれを加えて、三足のわらじを履きながら生活していた。

もちろん、お客さん相手にお酒とおしゃべりを提供するいわゆる「水商売」の仕事が、自分にぜんぜん向いていないことは最初から分かっていたーーというか、向いていないからこそ、挑戦してみようと思ったのである。

ただ、そんな三足のわらじ生活も、結局は一年を過ぎたくらいで精神的に限界が来てしまう。これは今回の本題ではないので手短に言うけれど、水商売の世界は、旧来の男女観や性役割の考え方がとても濃く残っている場所である。一年の間で「30歳なのにどうして結婚しないの」「もっと隙を見せないと」「女は仕事なんか頑張っちゃダメ」などを言われたことで私にとって思った以上にストレスが溜まり、危機感を覚えた。そのため、当初の目的であったコミュニケーション能力の向上にはさして変化が訪れないまま、私の挑戦は幕を閉じざるを得なかったのである。

(ちなみに、お酒がまったく飲めないのにどうやって水商売をやっていたんだとたまに聞かれるが、私が勤めていたお店では従業員にお酒と称したソフトドリンクを飲むことを許してくれていた。)

コンプレックスを解消してくれたのは、仕事だった

水商売のバイトを辞めてから半年と少しが過ぎた頃、諸事情によって、所属している会社のチームメンバーが一気に増えた。当然、メンバーが増えた分コミュニケーションの量も増え、また文筆業の方でも、編集の方と会話を重ねながら打ち合わせをする機会が以前と比べて増えていった。

振り返ると20代のうちになぜそのことに思い至らなかったのかと不思議なのだが、たくさんの人と綿密なやりとりを続けるなかで、気づいたことがあった。私が自分の弱点だと思っていた性格は、仕事を進める上では、必ずしもマイナスに作用するわけではないということだ。

私の所属している会社はSlackによるテキストでのやりとりが中心なため、テキストコミュニケーション上では「ノリが悪い、愛想がない(目が笑ってない)」などの欠点はあまり目立つことがない。むしろコミュニケーションの量が増え続けるなかで、「大量のテキストを読むことがまったく苦にならない、自分の考えを適切に言語化できる、相手の書いた文章の意味を汲める」などの私のもともとの強みが生きる機会の方が、ずっと多いと感じた。

空気が読めない、気が利かないなどはいまだに性格としてどうなのかとは思っているけれど、それも「言いづらい反対意見を述べることができる」「相手の機嫌に振り回されずに、マイペースにタスクを進められる」などプラスの要素に転じたことがないではない。

もちろんゼロとはいわないが、振り返ってみると、仕事においては私のコミュニケーション能力の低さが原因で相手からの信頼を失ってしまった、という経験はあまりないように思う。

プライベートも同様で、交友関係そのものはびっくりするくらい狭いけれど、その狭い範囲のなかでは友人とも恋人とも、息の長い付き合いを続けているほうだと思う。仕事での綿密なやりとりを通して、遅まきながら「私のコミュニケーション能力、まあ高くはないけど、実はそんなに気にするほど低くもなかったのでは?」と考えが変わっていったのである。

5人以上が集まる飲み会に参加するのを(極力)やめてみた

考えが変わっていくなかで判明していったことは、私にとってネックになってしまうのは、ひとつはお酒が入る場であること。そしてもうひとつは、人数である。

まずお酒。私は「飲み会」は大の苦手だが、実は「ランチ会」はそれほど苦手ではない。お酒がまったく飲めないという私自身の体質がどうにも変えられないなか、素面でお酒が入った人のテンションについていくのがとにかく難しいのである。夜に集まってガヤガヤやるのはいまだに気が進まないが、昼間にみんなで集まってコーヒーや紅茶を飲むのはそれほど気が重いわけではない。

加えて、人数。私はどうも、場の人数が自分を含めて5人以上になると、いろいろな人の話が頭のなかで混線し、「ま、私がしゃべらなくてもいいか……」という感じになって心のなかでギブアップしてしまう。4人だとギリギリで、私にとってもっとも会話がしやすいのは2〜3人だ。

この二つが自分のなかではっきりしたある時期から、思い切って、5人以上が集まる飲み会に誘われたときは、それが忘年会や歓送迎会などの年に数回の特別な機会である場合をのぞいて、お断りする方向に舵を切ってみた。

舵を切った当初は「このまま誰からも誘われなくなってしまうのではないか……」と不安もあったけど、期間を経てみると意外とそんなこともなく、今は3〜4人の小さな集まりに誘ってもらったときのみ、「お酒を飲まない(飲めない)」ことをあらかじめ伝えつつストレスなく参加している。

もっとも、新型コロナウイルスが猛威を振るう現在においては、「5人以上が集まる飲み会」が、実質開催できない状況になってしまっている。お酒を飲む飲まないや昼夜に関係なく、数人でマスクを付けずに長時間おしゃべりをするのは避けた方がいいという状況だ。

「5人以上が集まる飲み会に参加するのをやめよう」と決めたあの時期には、まさか今のような「そもそも開催できない」なんて日が来ることは、まったく想定していなかった。もちろん、新型コロナによる影響が終息しても「5人以上が集まる飲み会には参加しない」という私の基本方針は変えないつもりだが、このような事態になってしまうと、気が重かったあの22時や23時のガヤガヤした居酒屋の空気を、懐かしく、また少し恋しく思う(自分勝手な、ないものねだりだけど……)。

なお、このような状況のなかで2020年に「Zoom飲み会」にも何度か参加してみたが、お酒が入る場であること、また5人以上が参加する場であると心のなかでギブアップしてしまいあまり楽しめないという点は、リアルな飲み会とほとんど変わらなかった。

お酒を飲む様子のイメージ画像

コンプレックスを感じる場への参加を控えたことで、自分に自信が持てた

オフライン・オンラインにかかわらず、5人以上が集まる飲み会への参加をやめてしまうことは、人との出会いやチャンスを減らしてしまうことにつながる。大勢が集まる場を特に苦手と思わない人まで、これを実践すべきだとは思わない。まだ自分の得意不得意が固まっていない若い人であればなおさら、である。

ただ私の場合、根本的な性格や能力は何ひとつ変わっていないのに、コンプレックスを感じてしまう場への参加を控えたことで、ストレスは確実に減った。それどころか、仕事を通して自分の弱みよりも強みに目を向ける機会が増えたことで、以前よりも自分のコミュニケーションに自信を持てるようになった。

繰り返すが、根本的な性格や能力は何ひとつ変わっていないのだ。「コミュニケーション能力がないと、人の心の機微が分からないから、洗練された文章が書けないのではないか」という以前の思い込みも、「心の機微」「洗練された文章」がそもそも抽象的でよく分からないし、私は私のやりかたでやっていくしかないな、と今は思っている。30代を数年過ごしてみて、吹っ切れたところも少なからずあるのだろう。

大勢と一緒に盛り上がれることも、ひとつの立派な能力には変わりないし、それがとてもプラスに働く場面や仕事だってある。でもその能力は、社会人として、どこで働くにしても必ず持っていなければならない類のスキルってわけではない。水商売の経験も今となっては「一度挑戦してみてよかった、おかげで諦めがついた」と思っているし、弱点を克服する努力が無駄だとは私も決して考えないけど、人間にはどうしても向き不向きがあるし、適材適所だ。

今も「ノリが良い」わけではないけれど

5人以上が集まる飲み会に参加するのを極力やめてみてから1年半以上経った。今思うことは、以前の私が考えていた「コミュニケーション能力」とは、「飲み会で大勢と一緒に盛り上がることができる能力」とほぼイコールだったような気がする(ノリが良いとか、タイミングよくサラダを取り分けることができる、とかも)。これらはいわゆる対面コミュニケーションをする上での能力なのかもしれない。

だが、コミュニケーションを取る場はお酒が入る席だけではないし、1対1というシチュエーションだって往々にしてある。なんならテキスト上でのやりとりだってそうだ。要するに、他者と意思疎通を図ることができるか、ということだ。なのに、コンプレックスゆえに自分を過小評価する癖がなかなか抜けなかったのか、「コミュニケーション能力」の定義そのものがすごく幼く、大学生くらいの価値観を引きずっていた。

文章が読める、自分の考えを言語化できる、相手との距離感を間違えない、同じことをいうにも言葉の使い方で受け取られ方が変わることを理解しているなどなど、とてもここに書ききれないほど、定義は多岐にわたるように感じる。そのうちどれかが弱いと感じても、別の何かが強ければ、おそらく仕事でもプライベートでも、以前の私のようにそこまで気に病む必要はないんじゃないだろうか。

20代の私に、そして今も自身のコミュニケーション能力について悩んでいる人に、このことが伝わったらいいなと思う。

著者:チェコ好き(和田真里奈)

チェコ好き

旅と文学について書くコラムニスト・ブロガー。1987年生まれ、神奈川県出身。HNは大学院時代にチェコのシュルレアリスム映画を研究していたことから。文筆業を行いつつ、都内のIT企業に勤務もする。著書に『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか 女の人生をナナメ上から見つめるブックガイド』(大和出版)。

ブログ:チェコ好きの日記 Twitter:@aniram_czech

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編集/はてな編集部