「仕事はあってもなくてもどれでも地獄」
おそろしくネガティブな言葉に聞こえるかもしれない。しかしこれは、仕事のことでメンタルが最高潮に悪いとき、いつも自分を励ますために言っている言葉だ。
どれも地獄なら、今はどれかの地獄からは解放されている、一番マシな地獄にいるのだ、と。
ただ、「誰も励ましてくれる人がいないから出てしまった言葉」とも言えるので「地獄」とか言い出す前に、励ましてくれる人がいる者は先にそっちに行った方がいい。
「働く」のは基本的にしんどい
現在私は、日中、一般企業の正社員として事務員をしながら、夜や休日はこのような執筆業をしている。結婚もしているが、とても主婦業をやっているとは言えない状況なので、ここでは置いておく。そして、その前には、かなり長期間の無職も経験した。
無職、会社員、フリーランス、そしてダブルワーク……さまざまな業務形態を経て、気づいたことは一つ。「仕事はあってもなくてもどれでも地獄」という冒頭の、あれだ。
- 朝起きて会社に行くのがきつい
- 仕事が忙しくてきつい
- やりがいゼロできつい
- フリーランス故の不規則で不安定な生活がきつい
- 如実に他人との実力差がわかってきつい
- 才能のなさがきつい
そして、それらすべてを辞めれば、収入がなくてきつい。
だが、みんな、そうである。
これは、「生理痛つらい」というつぶやきに「俺もさっき急所ぶつけたんだぞ」という異次元からやってくるクソリプのような、いわば「みんなも大変なんだから、お前も我慢しろ」ということではない。
何が言いたいかというと、「仕事はきつい」「大変だ」と感じている人の方が多いのではないか、という話である。
もちろん「仕事が楽しい、生きがいだ」という人もいる。心から仕事が楽しいという人も存在するのだ。それは、とても素晴らしいことだ。しかし、そういう方は、某曲の歌詞からすれば「セロリが好きだったりする」側の人である。
つまり、全体から見ると「少数派の貴重なご意見」である。そのご意見は間違っていない。しかし賛同する必要もない。
「あなたはそれ(仕事)が好きで何より、だが私はどうしても好きになれそうにない。だから仕事は必要だからやることとして、生きがいは別で探すよ」でいいのだ。問題は、「いやあなたも好きになれよ、生きがいを感じろよ」という風潮があるということだ。
世の中、輝いている人ばかりではない
「女性が輝ける社会」
現在しきりに言われていることであるが、女性が輝きやすい社会かというと否である。電源は貸せねえから、自力で光れよ、と言われているのが実情だ。虫か。
しかし「女性が輝ける社会」を提唱される以上、世の中は輝いている人をモデルケースにしてくるのである。
輝きづらい社会で輝いている人、というのは、雪でグラウンドが全然使えなくて練習どころじゃなかったけど甲子園で優勝した人、みたいなものであり「すごい人」なのだ。
それを見て自分も輝きたいと思うのもいいことだ。問題は「輝けていない自分はダメなのでは」と思ってしまうことだ。
できる人基準にしようとするのはよくない。小学生のときにバク転ができないことを教師に延々叱責され、その理由が「クラスに1人できる奴がいるのにお前ができないのはおかしい」だったら、たまらないだろう。
よって、まず輝いている人を見て、劣等感を覚えるのは止めよう。その人が特別なだけで自分は大多数のその他大勢なだけである。
肯定する部分を見つけてみる
そうは言っても、そんなの無理だと思うかもしれない。実は、なんと、私も無理だ。よって、私がやっている、自己肯定法を紹介しよう。
まず、上を見る。上と言っても、嫉妬も起きないほどの神様級ではいけない。むしろ「嫉妬しか起きない上」を見よう。私で言えば、作品が100万部売れたりアニメ化したりするような人だ。皆さんも、同級生で成績も大差なかったのに、今大活躍している奴とかを思い浮かべよう。
そして自分と比べる。つらい、才能がない、努力が足りない、努力が足りないとしたら、怠けているからだ、甘えているからだ。実の祖父でも特別な存在である孫に甘くてクリーミィなキャンディ「ヴェルタースオリジナル」をあげないレベルでダメだ(分からない人は検索)。
そうして底までいってしまうとある思いが湧き上がってくる。
「そうは言うても、自分かて、わりとやっとるわ」と。
ブチギレだ。何にキレているのかは不問だ、虚像にキレるのはよくあることだ。確かに100万部は到底売れていないけど、仕事はまだある。火をつければ燃える本だって出せた、親戚が「面白い」と褒めていたと人づてに聞いた、屋根のある家に住んでいる。息をしている、していないとしたら、息もしていないのに生きているのがすごい、という怒涛の自己肯定が始まるのだ。
つまり、現状いくらダメに見えても肯定する部分はいくらでもあるということだ。
もし今の仕事がダメだと思ったら、まず改めて現状を見つめた方がいい。そこからでも遅くはない。そして本当に肯定する部分が何も見当たらなかったときは、未練なく次を探そう。
だが、次を探すとき、世間から「仕事で輝け」と言われるのが無理難題なように、自分も「次は自分を輝かせてくれる仕事」と、仕事に対して過剰な期待をしてはいけない。そうしないとどこにいっても永遠に「ココジャナイ」感を感じることになる。
「今よりマシな仕事」まずはそのぐらいのオーディションテーマでいいのだ。
地獄は天国につながっている
しかし、転職をして環境がよくなったとしても、そこに楽しさややりがいを見つけられるかは別であり、例えば「前よりマシな地獄」「社会保険完備福利厚生の行き届いた定時で帰れる地獄」に来ただけで、働くこと自体をだるいと思う気持ちはなかなか消えないと思う。
よってまずは、仕事自体を無理に楽しもうとする、より「仕事で自分が何を得ているか」を考えた方がいい。「得がたき経験」とか「絆」とかしゃらくさいものでなくていい。むしろそれしか出てこないときは、やりがいという言葉ばかり先行している可能性があるので、まず今の仕事が業務量に比例した賃金になっているか冷静になって振り返ってみよう。そしてその金を何に使っているか考えよう。
私の場合ソシャゲ(ソーシャルゲーム)のガチャだ。ガチャで推しが出たときの感動は筆舌に尽くし難いし、なぜ推しを手に入れられたかというと「出るまで回した」からであり、なぜ回せたかというと「出るまで回す金があった」から。つまり「働いていたから」だ。
仕事はあってもなくてもどれでも地獄、だがその地獄が何らかの天国につながっていると思えば、決して悪い地獄ではないのではないか。
働いていて「しんどさ」を感じたら
著者:カレー沢薫
漫画家、コラムニスト。2009年『クレムリン』(講談社)でデビュー。主な著書に『負ける技術』(講談社文庫)、『ブスの本懐』(太田出版)など。
Web:カレー沢薫のHP
Twitter:@rosia29
編集/はてな編集部