冗談のつもりが本当にリングデビューしてしまった――プロレスラーとしても活躍する声優・清水愛さん

清水愛さん
専門学校に在学中に声優デビューし、その後15年以上ずっと第一線で活躍している声優の清水愛さんには、なんとプロレスラーとしての顔もあります。声優とプロレスラー、まったく違う2つの職業をどのように両立させているのでしょうか。仕事を始めたきっかけから、働く上での工夫、今後の人生プランまで、余すところなく語っていただきました。

コンビニの店員とすらまともに話せなかった学生時代

清水愛さん(以下、清水) 今回は私の働き方に関するインタビューなんですよね。このテーマでの取材ってすごく新鮮です。私、「働くぞ!」と思ってお仕事をしている感覚とは少し違うんですよね……。

と、いうと?

清水 うーん……。「好きな表現活動をして、それが評価してもらえたときにお金をいただける」と言ったらいいのかな。なので、「仕事」という言葉に対して私たち役者が持っている印象は、世の中の働く人たちとはもしかすると全然違うのかもしれません。私、なるべくなら働きたいですもん。SNSで「仕事行きたくない」「休みたい」「クリスマスなのに仕事だ」といった嘆きを見かけることがありますが、「家で一人でいるよりお仕事で誰かと会えるほうがいいじゃん!」とか思ったりします。

芸能の仕事ならではの感覚ですよね。一般人でもフリーランスで働く人は同じように考えていると思います。

清水 そうですね。相手に求めていただけることありきの職業ですので、お仕事に呼んでもらえないと働けない。そもそも、なろうと思っても必ずしもなれるとは限らなかったり、お金を稼ぐぞ、と思って選ぶ職業でもなさそうですよね。

清水愛さん

清水さんは声優とプロレスラーの二足のわらじで働かれていますが、それぞれどういった経緯で始められたのでしょうか?

清水 声優に関しては、なりたくて夢見ていたというわけでは全然ないんです。もうそれ以前の問題で、子どもの頃からものすごく引っ込み思案で、コンビニの店員さんとすらまともに話せなくて。「温めますか?」「お箸つけますか?」と聞かれるだけで、「…………は……はぃ……」と赤面してしまっていました。

それで、高校を卒業するときに、このまま大人になるわけにはいかない、と思って地元の専門学校の声優コースに入学することにしたんです。声優の勉強を何年かすれば、ハキハキ喋れるようになるはずだ、と。

そうだったんですね。半ばリハビリのために……。

清水 そうです。自己啓発のためでした(笑)。なりたい職業云々ではなく、まずはまともに喋れるようにならなきゃ、ちゃんと人間として生きていけるようなスタートラインに立ちたい、と。私は怠け者なので、養成所や劇団ではなく、専門学校を選びました。養成所だと毎日レッスンがあるわけではなく週1回だけとか、週3回あったとしても1コマ2時間とかのところが多くて。だったら、強制的に朝から夕方までみっちり授業が詰まっている専門学校に身を置いて、人と喋る勇気やテクニックを培うほうが私には合っているなと思ったんです。

結果、授業がすごく楽しくてのめり込んでいき、運よく事務所所属のチャンスをいただけたわけですが、当時の私からしたら、コンビニの店員さんとも話せないような人間が、まさか将来的に人前に姿を晒すような職業に就くことになるとは……です。

役という仮面をかぶることで「喋っていいんだ」と思えた

実は声優の仕事がすごく向いていたってことですよね。

清水 私の場合、引っ込み思案だったのが逆によかったのかもしれません。たぶん、自分の中に「表現したい。本当は話したいけどうまくできない」と鬱屈したものがたくさん溜まっていたんですよね。それが、台本をもらって役という仮面をかぶることで、その溜まって圧縮された感情をセリフに乗せて爆発させることができるんだと思います。

逆に役を通しての表現ではなく、自分自身をさらけ出すタイプのお仕事はすごく苦手でした。

例えばどんな仕事でしょう?

清水 若い頃、ドラマCDのおまけトラックとして、キャスト一人一人が例えば「学生時代の思い出を語る」といったプライベートなインタビューを収録することが多くて。そういうのがもう、本当ーっに苦手で! 役というフィルターがあればいくらでも、何でも喋れるんです。私がこの役を担当すると決まっていることで、自分は喋っていいんだ、と思えます。でも、それがない状態で、私自身を生身でポンと置かれたら、一体私の話すことに関心を持ってくれる人なんかいるのだろうか……とがんじがらめになってしまって。最近では、こんな私の境遇にも共感してくれる人がいることがわかって平気になったのですが、当時はつらかったです(笑)。

たしかに声優といえば裏方というイメージがありますが、最近ではイベント出演や雑誌に掲載されるなど前に出るタイプの仕事も増えている印象があります。

清水 私の学生時代(2000年頃)は、林原めぐみさんなどが歌の活動を含め活躍されていましたが、それ以前は今ほど声優さんたちが前に出る仕事って多くなかったように思います。声優雑誌にグラビアが載ったり、握手会やイベントに出たりといったお仕事が増えていったのは、私がデビューした頃くらいからですかね。

先ほど「すごく引っ込み思案だった」とおっしゃっていましたが握手会やイベントなど、ファンとの距離が比較的近いような仕事は、ストレスにはならなかったですか?

清水 ステージに一人きりで喋るのは今でもすごく緊張しますが、サイン会や握手会など、ファンの方と直接会話するイベントは当時からずっと大好きです。みなさん「好き」という気持ちを持って会いに来てくださるので、愛の告白をされているような感覚になります。

なるほど、引っ込み思案とはいえ、人とのコミュニケーション自体はお好きなんですね。

清水 そうですね。あと、突き詰めていくと、私は人から必要とされたかったんですよね。声優の仕事をしていると、普通に生きていたら絶対に出会えないような遠くに住んでいる人にまで私の声が届いて、「声を聞くと元気が出ます」といった感想をもらえたりするんです。一瞬でも誰かの役に立つことが嬉しくて、自分の存在価値を感じられる。お仕事をいただくことについても同じで、依頼をいただけるのはつまり、「あなたの声とお芝居が必要なので、あなたがこの台本を読んだ上で、この日、この時間、このスタジオに来てください」ということなんです。

これって私じゃなければダメってことなので、私自身が求められているという実感を持てます。ちょっと闇が深いかもしれないんですけど……。スケジュールにお仕事が入っていると、「あ、ちゃんと居場所がある。私、存在していていいんだな」って(笑)。自分の価値を他者に求めるのは、よくないこととは思うんですけど、こういう性格なんですよね。

清水愛さんのお仕事必須アイテム

声優の仕事で声を張り上げるシーンがある日は、コンビニで売っているチキンの揚げ物を食べるのだそう。「脂っこくて喉が潤うので、声の伸びがすごくよくなるんですよ」と清水さん。多色ボールペンも、台本チェックには欠かせない必須アイテム

冗談のつもりが本当にプロレスラーになってしまった

プロレスの仕事についてはどのようなきっかけで始められたのでしょうか?

清水 プロレスラーになったのは、本当にひょんなきっかけだったんです。プロレス観戦にハマり、プライベートの時間をすべてプロレスに費やすくらいプロレス漬けの生活を送っていたときに、プロレスイベントの出演依頼をいただいて。告知をするときに、「ついにリングデビューします!」と冗談で書いたんですよ。別にイベントに出るだけで、リングで戦うわけでもないのに。

でもそうしたら、なんと主催者さんが乗り気になってくださったんです。知り合いのプロレスラーさんたちも「やるんだったら教えてあげるよ」とか、「コスチューム作るなら紹介しますよ」と言ってくださって。あれよあれよと雪だるま式に話が大きくなってしまって、本当の意味で“リングデビュー”できることになっちゃったんです!

清水愛さん

白無垢をイメージしたリングコスチューム

単なる冗談が本当のことに!

清水 短期間だったけど必死に練習して、どうにか試合をして、その日は怪我なく無事終わりました。1回きりのお遊びでしょ、話題作りのためでしょ、と結構言われたりしたんですけど、体を動かすのがすごく楽しくって。「ちゃんとやりたい」と思って改めて練習をするようになって、今に至ります。

声優としての清水さんのファンの方からはどのような反応をされましたか?

清水 「ケガをするんじゃないか」とかなり心配されました。今まで美少女キャラやおとなしい性格の役を多くやってきたからなのか、素早く動けなさそう、どんくさそう、おっとりしてそう、と思われがちで。実際はそんなに運動が苦手なわけじゃないんですけどね。プロレスに限らず、自分の素を出そうとすると、意外、とか、イメージと違うって言われることが多かったかもしれません。

素の清水さんは、おとなしいキャラでも、おっとりしているわけでもないということでしょうか?

清水 そうなんです。とか言いつつ、見た目に関しては自分自身が考える「好みの女の子像」があって、自分を着せ替え人形にしていた節があります(笑)。前髪ぱっつんの黒髪ロングでサイドには「触覚」がないと嫌で、ゴスロリを好んで着ていました。これもよく「事務所命令」「媚びている」など言われたのですが、そんなこと全くなくて。単に自分の好みでした。そういったルックスの面ではファンの方と好みが合致していたんですが、中身がみなさんの想像とかけ離れていて……。

だから、昔は特に、ファンの方々の思うイメージに自分を押し込めるように頑張っていました。キャラのイメージを崩さないようにしよう、とか、男性の影は見せないほうがいいのかな、とか。別に自分を偽ってよく見せようとか、自己犠牲の精神とかそういうつもりじゃなくて、相手に喜んでもらえるのが一番、と思っていて。

素を出せなくてしんどい、よりも「喜んでもらえる」というほうが優先度が高かったんですね。

清水 完全にそうですね。そのせいか、私のことをMだと思って「俺ドSなんだよねー」というタイプの男性に好意を持っていただきがちでした。実際は私、全然Mじゃないんですよ。「Sはサービス・察しのS、Mは満足のM」と言いますけど、相手が望むようなサービスをしたいという気持ちが強いので、根っこはスーパードSだと思います。

声優とプロレスラーを両立するためのやりくり

兼業の工夫についてもお聞かせください。声優もプロレスラーも、毎月働く日が決まっているわけではなくスケジュールが不安定な職業だとは思いますが、どのように両立していますか?

清水 時間のやりくりの面では、フリーランスで働いている今はスケジュールを全て把握することができるので、調整しやすいですね。事務所に所属していた頃は「この日はお休みかな」と思っても「明日の仕事は○時に、場所はどこどこです」と前日に連絡が来たり、逆に仕事があると思って空けておくと直前に「なくなりました」と連絡が来たりします。「この日に仕事が入るorなくなる」というのは自分で逐一問い合わせる必要があるんですよね。フリーランスだとそういった事務所とのやり取りが必要ないため、この日はプロレスの試合だから、翌日に収録は入れないようにしよう、などと柔軟に対応できます。

清水愛さん

リングコスチュームは、清水さん自らデザインしているのだそう

試合の翌日に収録を入れないようにしているのはなぜでしょうか?

清水 単純に体力が……というのと(笑)、以前プロレスの試合で男性の強い蹴りを思いっきり顎に2発もらってしまったことがありまして。プロレスって基本的には顔面攻撃NGなんですが、食らっちゃったんです。慌てて病院に行ったんですが、口の片側がうまく動かなくなってしまって……。翌日に声優のお仕事が入っていたので、どうしよう……って青ざめました。そのときはどうにか乗り切りましたが、今はより気をつけるようにしています。健康面や体調面に気を配るのも大切な仕事ですからね。自分でできることとして、フリーランスということを生かし声優とプロレスラー、それぞれのお仕事でベストを出せるようなスケジュールを可能な限り組むようにしています。

試合のとき、気をつけていることもあるのでしょうか。

清水 喉を潰されたら死活問題なので、どうしてもそこを守ろうとする戦い方になってきます。ただ、ほかのプロレスラーの皆さんもそれぞれどこかしらケガをしていて、そこをかばいながら戦っていることもあるので、そういう意味では同じだと思っています。

出産や子育てをしたら、仕事復帰したくても席が空いているとは限らない

最後に、声優兼プロレスラーとしての今後のキャリアプランについてはどうお考えでしょうか?

清水 この間、大会の最中に男性のプロレスラーさんが「もうすぐ妻が出産なんです」と報告しているのを聞いて「出産前後でも、男性は試合ができていいなぁ〜」ってうらやましく思いました。

たしかに、女性はどうしても働く上で、子どもを産むかどうか問題が付いて回りますよね。

清水 19歳から声優をやらせていただきつつ、途中でプロレスもやりたいと思って業界に飛び込んだのが32歳。今が36歳。ずっと大好きな仕事をさせていただいて幸せですし、ついつい自分のやりたいことを優先させてしまってきたのですが、昔から「子どもを産むなら2人欲しい」という夢があって。でも、今は「何ヶ月先に仕事が決まっているから……」と、どんどん先延ばしになってしまっているんですよね。もし、「今なら仕事が落ち着いている」というタイミングがあったとしても、そのときに運よく妊娠できるとも限らないですし。安静にする必要があるのは産む前後の1週間だけ、とかだったらいいのに!

わかります。妊娠期間が約10ヶ月もあって、その後しばらくは子どもから目が離せない時期が続くのは、働きたい人にとってはあまりに長すぎますよね。

清水 また、子どもを授かったとしても、子育てが落ち着いた後に声優やプロレスの仕事に戻ってこられる席があるかというと、その保証はありません。声優です、と再び名乗れるのかと思うと不安ですね。どんどん新しい人も出てきますし、出産や子育てが落ち着いたときには、私の戻れる場所はなくなっているかもしれません。体力があるうちに出産や子育てをすることを考えたら、できるだけ早いほうがいいのはわかってはいるのですが……。

難しい問題ですよね。「これが正解」というのもないと思います。特に、“お仕事をいただく立場”である芸能やフリーランスで働く女性にとって、永遠の課題だと思います。

清水 ですよね。もしも60歳や70歳で産めるのならば、まだまだ先延ばしにしてしまうかもしれません。でも、現実ではそうもいかないと思うので、正直どうすればいいのか自分の中で答えは出ていないです。なんて言いつつ、産むことができたらそれはそれで、子育てのほうが向いているかも! とか思っちゃうかもしれないですけどね。

清水愛さん

取材・文/朝井麻由美
撮影/関口佳代

お話を伺った方:清水愛

mii

日本工学院専門学校演劇俳優科声優コース出身。声優業の傍ら、プロレスラーとしても活躍中。声優としての主な出演作に、『おねがい☆ツインズ』(小野寺樺恋役)、『舞-HiME』(美袋命役)、『エル・カザド』(エリス)などがある。事務所所属を経て、現在はフリーで活動中。直近の活動情報として、2017年11月6日に朗読イベント「謎解きR.P.G.」、2017年12月8日〜12日に劇団あかぺら倶楽部「行かせてッ!〜沢井一太郎の憂鬱〜」、2017年12月29日〜30日:「Frontwing LIVE 2017 -First Flight-」に出演予定。

Twitter:@aitter_smz
Instagram:@aitter_smz
ニコニコ生放送:清水愛チャンネル 毎週水曜23時より乙女ゲーム実況生放送中

次回の更新は、11月1日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

出版社の記者からエンジニアへ転身――Zaim代表取締役・閑歳孝子さんの働き方

閑歳さん
今回『りっすん』がインタビューしたのは株式会社Zaimの代表取締役、閑歳孝子(かんさい・たかこ)さん。もともと出版社で記者として働いていた閑歳さんがエンジニアとしてのキャリアをスタートさせたのは29歳のとき。その後、個人で開発した家計簿アプリ「Zaim」がヒット。2012年、33歳のときにはZaimを法人化し経営者となったという、異色の経歴の持ち主です。エンジニアへの転身に至るまでのこと、家計簿アプリを作ろうと思ったきっかけ、Zaimの今後についてなど、詳しく伺いました。

出版社の記者から、29歳でエンジニアに転身

インターネットの業界に入る前は別の業界・職種で働いていたんですよね。

閑歳孝子さん(以下、閑歳) そうなんです。大学卒業後に出版社へ入社し、記者を約3年半していました。

違う業種へ転職することに迷いはありませんでしたか?

閑歳 正直、数ヶ月悩みました。勤めていた出版社は大きい企業でしたし、職場の環境もよかったので。仕事に不満があったわけではないから、どうしようかなと。本当にいい会社だったので、退職する人も少なかったんですよ。なので、私が転職すると聞いた同僚は、みんなびっくりしていましたね。

不満がないという中で、転職を決めたのはなぜでしょうか?

閑歳 当時、SNSの業界が盛り上がってきていて面白そうだなと漠然と思っていたんです。というのも、大学時代に課題の一環で、SNSに似たサービスを友人と作ったことがあって、そのときの楽しかった記憶がよみがえってきたんです。そんな時期、たまたま大学時代の同級生が作った会社から「大学のときに作っていたようなサービスを私の会社でも立ち上げてほしい」と声を掛けていただいて。それで、インターネット業界に転職をしました。

閑歳さん

「大学時代に作ったサービス」はどういうものだったのでしょうか?

閑歳 研究室の先生がNTTの研究所長をしていて、当時開発されたばかりの「iモード」が使える機種の携帯をたくさん持ってきたんです。「これで何かサービスを作ったらこの携帯をあげよう」と提案されて、「携帯ほしい、やろう!」となって(笑)。

それで、「キャンパス内で手軽に友達と連絡をとれたら便利だよね」という発想から、大学内でのみ使えるエリア限定のサービスを作りました。「特定の友達と連絡をとる」というよりかは、「つぶやき」みたいな形で、自分が今どういう気持ちや状況なのかというのを伝えるもので、今思うと、まさにTwitterみたいなサービスでした。大学内でみんなすごく使ってくれていましたし、「便利」と言ってもらえるのは嬉しかったですね。

このサービスを使っていた同級生が後に会社を立ち上げ、閑歳さんに声を掛けたんですね。

閑歳 そうです。ただ、当時の私はプログラミングに関する経験も知識もなかったので、いきなり何かを作るということはありませんでした。会社や企業を対象とした受託開発系の会社だったので、エンジニアと営業の間をつなぐような仕事をしていました。いわゆる、ディレクターのような役割です。

でも「プログラミングをやってみたい」という気持ちもあったので、仕様書を作るとか、簡単なデザイン変更とか、エンジニアの手を煩わせるプログラミングは私が行うようにしていたんです。徐々にその作業が面白くなってきて、趣味でサービスを作るようになりました。

趣味で作ったものの中で、印象に残っているサービスは?

閑歳 「携帯で撮った写真を特定のメールアドレスに送れば、結婚式で使うようなスライドショーが作れる」というサービスでした。嬉しいことに、多くの方に使用してもらえて、メディアでも取り上げていただいたりして。このサービスがきっかけで、29歳のとき、BtoB向けのツールを作るベンチャー企業にエンジニアとして転職しました。

そこで一から教えてもらって、エンジニアとして一通りのことができるようになりました。自社サービスの開発や、当時はTwitterやFacebookなどが盛り上がってきた時期だったので、それらに関連するサービスやbot*1を作ったりしていましたね。

閑歳さん

お話を聞いていると、プログラミングへの関心度がもともと高いように感じました。何かきっかけはあったのでしょうか?

閑歳 なぜだかわからないですけど、もともとそういう性質を持っていたみたいです(笑)。インターネットやPCも、ずっと好きで。小学生のころから、家のワープロを隅々まで使っていたり、「草の根BBS」というインターネットが普及する前の通信を使ってみたりしていました。

あとはゲームも好きでした。小学生時代にはスーパーファミコン用の衛星放送受信機アダプタのモニター募集に応募してみたりもしてましたね。「サテラビュー」といわれるものなんですが、当時、衛星放送を受信するというのはかなり珍しかったんですよ。とにかくゲームと通信に異常な興味を示す子どもでした。私は田舎育ちだったんですが、田舎にいながらいろんな情報が手元にやってくるという体験は、とても夢があってワクワクすることだったんです。

自分を追い込みながら個人でZaimをリリース

Zaimを企画・開発しようと思ったきっかけについて教えてください。

閑歳 仕事だけでなく趣味でもSNS関連のサービスを作っていたとき、私の中で「便利だけど、なくなっても困らないサービスだよな」という点がひっかかっていたんです。使っていて便利だったり、楽しかったりするかもしれないけど、真剣にそのサービスを使っているかというとそうではない。そこで、もっと人の生活に入り込めるようなサービスを作っていきたいなと思うようになりました。「なくなったら困る!」というサービスを作らないと、自分自身が成長していけないように感じたんです。

その思いからZaimが誕生したんですね。

閑歳 そうですね。「Zaimを作りきれなければ、社会人として終わる……!」と自分を追い込みながら、2011年の7月ごろにZaimをリリースをしました。このときは、仕事とは関係なく、趣味の一環として作っていました。

閑歳さん

Zaimを開発するとき、お金以外にもテーマの候補はあったのでしょうか?

閑歳 家計簿か、匿名サービスか、Q&Aサービスの3つで悩んでいました。匿名サービスでいうと今っぽい「2ちゃんねる」みたいなものはまだそんなにないよなとか。Q&Aサイトだと、「Yahoo!知恵袋」のようなサービスからそんなに進んでいないよなとか考えていました。その中で、どれが作りやすいかなと考えたときに、自分の身近にあったのが家計簿だったんです。家計簿は一人暮らしのころからつけていたので、使う人の気持ちがわかると思って、家計簿を選びました。

それと、Zaim開発当時は、スマホやアプリがちょうど一般の人にも普及しはじめたころ。ガラケーからスマホへとデバイスが変わることによって、今まであったサービスの概念も変わるだろうという考えもありました。

個人でZaimをリリースしたということですが、そこから起業したのはなぜでしょうか。

閑歳 Zaimを個人でリリースして1年経った段階でダウンロード数が数十万になっていて。個人情報を預かるので、ユーザーに安心して使ってもらうためにも法人の運営にしようということで、会社を立ち上げることにしました。当時のメンバーは私1人でしたが、仲間を集め、少しずつ大きくなっていき、今に至るといった形です。

経営者になってみて、働き方に変化はありましたか?

閑歳 会社員時代はずっと平社員で現場が好きなタイプでした。そこからいきなり経営者になったので、社員だったころの気持ちを生かして、「経営者はこうあるべき」というよりかは「自分が社員だったときに、経営側からされた嫌なことはしないようにしよう」ということに重きを置くようにしていましたね。

ただ経営側になって、「経営者も嫌われたくてやっているのではなくて、ちゃんとした理由があってそうせざるを得なかったんだな」という、社員のときはわからなかったこともわかるようになりました。

代表取締役となるとなかなか現場に出られないと思うのですが、エンジニアとして手を動かしたくなることはありますか?

閑歳 がっつり仕事でサービスを作り上げることはできないので、本質ではないところでちょくちょく作るようにしています。例えば、弊社のエントランスにある受付のシステムは私が作りました。タッチパネルを操作すると社内チャットに来訪者が来たと通知されるシステムになっていて、来訪者が迷わないようにシンプルな作りに仕上げました。社内のエンジニアにも「電話に出る手間が省ける」と、なかなか好評です(笑)。

あとは、社内専用のタイムカードや経費精算のシステムを作ったりしています。

会社受付画面

閑歳さんが開発した会社受付画面

Zaimで気持ちよくお金を使ってもらえるように

現在提供しているZaimのサービスで意識されていることは?

閑歳 サービス側からのメッセージは、極力ポジティブになるように気をつけています。「お金足りませんよ」とか「このままではまずいですよ」というようなメッセージはあまり出さない。ネガティブなメッセージは悲しいし、やる気をなくすじゃないですか。実際に、利用者の主婦の方にヒアリングをしたときに「毎日頑張っているのに家庭ではあまりほめられない」という意見があったんですよね。

なので、夜に使ったら「今日もいい日だったな」というポジティブな気分で1日を終えられるアプリになるように意識しています。毎日更新したらスタンプがもらえるんですが、それも「応援しています」とか、「よく頑張ったね」というスタンスのものを使っています。

たしかに、応援してもらえるとやる気も湧いてきますよね。

閑歳 「お金を使いすぎ」という情報を出すのも時には大事なんですが、私たちはお金を使うことも大事だと思っているんです。必要以上に貯めてもらうのではなくて、適切にお金を使ってもらうことを志しています。

あの瞬間がなかったら今の自分はないという出来事があったら教えてください。

閑歳 私は人との出会いやタイミングにすごく恵まれていて。そう感じる瞬間はけっこうありましたね。

例えば、出版社からインターネット業界に転職するとき。その日は雑誌の校了日で、すごく忙しかったんですが、友人から「どうしても今から会って話がしたい」と何回も電話がかかってきて。「校了なので無理だ」と断ったんですが、その後も電話が続いたので、根負けして友人に会いに行ったんですよ。そこで、のちに転職する会社の方と出会って。あのとき電話に出なかったら今はないでしょうね。

閑歳さん

「りっすん」では女性の働き方を主なテーマにしています。Zaimでの、女性の働き方について教えてください。

閑歳 弊社では今年の5月に初めて育休明けの社員が戻ってきました。それまでは前例がなかったんです。

本来弊社はフレックスタイム制ではないのですが、育児と介護の場合はフレックスを採用し、時短勤務以外にも育児のために現在フレックスで働いてもらっている社員もいます。会社の規模があまり大きくないというのを生かして、本人と話し合いながら働き方については柔軟に対応していきたいなと思っています。まだ手探りの部分はあるのですが、弊社は女性社員も多いので、そのあたりは考慮していきたいですね。

最後に、今後の展望を教えてください。

閑歳 Zaimはこれからもアップデートをしていきます。このアプリを夫婦で使って、2人でお金の管理をしてもらうとか、お子さんと共有して、「ひとつの家族が暮らすにはこんなにお金がかかるんだよ」というのを知ってもらうとか。そんなふうに使ってもらえるようになりたいと思っています。家族と共有することで、「お小遣いもう少し増やせるね」とか、「大学へ行くにはお金がかかるからバイトを始めよう」とか、いい方向に行動を変えたり、お金を気持ちよく使うためのお手伝いができたりすると嬉しいです。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った方 閑歳孝子(株式会社Zaim 代表取締役)

閑歳さん

2012年に株式会社Zaimを設立。小学生のころからワープロやゲームが大好きで、大学時代には友人と共同でSNSに似たサービスを作る。初めて購入したPCはWindowsの「コンパック」。これまで一番衝撃を受けたWebサービスは「Orkut(オーカット)」というSNSサービスで、現在は将棋(主に藤井四段)とスマホアプリの「Walkr - ポケットの中の銀河冒険」にハマッている。

次回の更新は、10月18日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:操作を自動で行うプログラムの総称。Twitterでは手動ではなく機械によって自動的に投稿をするプログラムを指す

「辞める」と決めたとき迷いはなかった――元フロントエンジニアの漫画家・矢島光さん

矢島さん
今回「りっすん」でお話を伺ったのは、株式会社サイバーエージェントでフロントエンジニアをしていた経歴を持つ漫画家、矢島光さん。自身の会社員経験を反映させたWeb漫画『彼女のいる彼氏』が単行本化されるなど、着々と漫画家としてステップアップしている矢島さんですが、会社員から漫画家の道へ転身することに迷いはなかったのでしょうか? また、プライベートと仕事への考え方は? 今後の展望なども併せて、赤裸々に語っていただきました。

“あるある”を凝縮させたITきゅんきゅん系Web漫画がヒット

矢島さんが漫画家として活動されるまでの経歴について教えてください。

矢島さん(以下、矢島) 慶應義塾大学で環境情報を学んだ後、株式会社サイバーエージェントにフロントエンジニアとして新卒入社しました。3年弱勤めた後に退職し、2015年2月から専業漫画家として活動をはじめました。初めて連載を持つことができたのはサイバーエージェントを退職してからで、それがWeb媒体「ROLA*1」に掲載していたWeb漫画『彼女のいる彼氏』です。

『彼女のいる彼氏』は、ご自身がサイバーエージェントで働いていたときのことを参考にされているんですよね。

矢島 そうです。まだ働きながら漫画を描いていたとき、ROLAの編集部宛てに、「会ってもらえませんか」とメールを送ったのが始まりでした。メールをしたら、当時のROLAの編集長が会ってくださったんですよ。その打ち合わせの場で「えー!! サイバーエージェントで働いているの!?」と面白がってくれて。そのまま「ネーム(漫画を描く際の、コマ割りや構図、セリフなど)を描いておいで」と話が進んだんです。

職歴に目を留めてもらった、と。

矢島 ありがたいですよね。本当、人生どこでどう転ぶかわからない。ROLAの編集長から「世間には、サイバーエージェントについて興味を持っている人がたくさんいるんだよ」と言われて。私にとっては意外なことでびっくりしたのですが、「なら教えてあげよう」と思って、そのまま描きました。とはいえ、連載化する前に描いたネームは、送ってはボツ、送ってはボツの繰り返しで、なかなか大変でした。

彼女のいる彼氏 1 (BUNCH COMICS)

彼女のいる彼氏 1 (BUNCH COMICS)

  • 作者: 矢島光
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/10/08
  • メディア: コミック

仕事描写のリアルさだけでなく「ITきゅんきゅん系」と表現されるような恋愛模様も『彼女のいる彼氏』が支持されるポイントかと思います。この“きゅんきゅん”要素も、矢島さんの実体験をベースにしているのでしょうか?

矢島 すべてではないですが……一部反映はされています(笑)。ネームになかなかOKが出ないころ、編集長さんと飲みに行く機会がありまして。そのとき、私が経験したダメな恋愛話をしたら、「それおもしろいね! その話をベースにした漫画を描こう」ということになったんですよ。

実は私、それまで恋愛の話はほとんど描いたことがなかったんです。なので、編集長さんにそう言われたとき、「まじか!!!」というのが率直な感想でした(笑)。でも、ネームを描いて送ってみたら、おもしろいと好評で。結局それが『彼女のいる彼氏』というタイトルで連載されることになったんです。

選択に迷わない=動き出すタイミング

矢島さん

漫画家への憧れは、いつごろからあったのでしょうか。

矢島 きっかけは小学3年生のときです。当時私は、月刊誌の『りぼん』が大好きで、毎月楽しみに読んでいました。その中で、種村有菜先生の『イ・オ・ン』という連載が始まったんですが、扉絵がとにかくすっごくキレイで! その美しさに感動して、「私もこんな絵が描きたい!!」と思って、漫画家を夢見るようになりました。

小学生のころからの夢だったんですね。それからは、漫画家になるためにどんな行動をされていたんですか?

矢島 出版社へ自分の漫画を売り込んだりしました。初めて漫画を持ち込んだのは大学2年生のころ。出版社への漫画の持ち込みは、サイバーエージェントに就職してからも続けていました。

就職活動時、サイバーエージェントを選んだ決め手はどこにあったのでしょうか。

矢島 大学の先輩が、サイバーエージェントのフロントエンジニアとして働いていたんです。その先輩に、サイバーエージェントのトークイベントに誘われたのがきっかけでした。そのときは、トーク内容が難しくて、私には何を言っているのか全然わからなかったんですけど……(笑)。オフィス見学もさせていただいたのですが、働いてる方みなさん楽しそうだったんですよね。それで、ここがいいのではと感じて。

その当時、「漫画家として活動していく」という選択肢はなかったのでしょうか。

矢島 大学生のころはすでに漫画を描いていたので、「漫画家」という選択肢もありました。でも、正直「漫画家として生活できるのか?」という不安もあったので……悩みました。ありがたいことに現在は漫画のお仕事で生計を立てられていますが、当時そのようになれる確証はもちろんなかったわけですから。自分自身踏ん切りがつかなかったので「いったん両方やってみよう」と思って、就職しました。

生活面での不安から企業へ就職したというように、やはり、会社員は「安定している」など魅力があるかと思います。それを手放してまで漫画家一本でやっていこう、と思ったのはどうしてでしょうか?

矢島 会社員として働いていても、漫画家への未練がタラタラだったんですよね。実は会社員時代、心が疲れてしまって半年ぐらい休職をさせていただいたことがあったんです。それにも関わらずその期間中も漫画を描くことはやめられなくて。それで、自分の中にある「漫画を描きたい、漫画家になりたい」という強い思いに気付いて、退職を決意しました。

葛藤はなかったのでしょうか。

矢島 「辞める」と決めたら、すっと辞められました。私自身の考えになるのですが、葛藤があるということは、それは動き出すタイミングではないんだな、と思うんです。就職するときはまだ漫画家としてやっていけるだろうかという不安があったので、きっと決断するタイミングではなかった。サイバーエージェントを辞めることに迷いがなかったあのときが、漫画家の道に進むベストなタイミングだったんだなと今でも思っています。

漫画を描くことで、苦手だった人たちへの印象が変わったことも

世に出た作品もそうでない作品も含めて、特に思い入れのある作品について教えてください。

矢島 やっぱり『彼女のいる彼氏』への思い入れは格別です。初連載で最終回まで描いた作品でしたし、大好きな編集さんと作った作品なので。

(画像左から)『彼女のいる彼氏』に登場する徳永、咲、ルミ、佐倉

特に思い出深いシーンはありますか?

矢島 “キラキラ女子の苦悩”について描いた回があるのですが、私の中ではあの話がダントツで気に入っています。

作中の職場「株式会社サイダーエイジ ジャパン」で働くキラキラ女子・藤田ルミにフォーカスした回ですね。

矢島 はい。サイバーエージェントにいたときに一番感じたのが、「キラキラ女子って大変なんだ」ということだったので、それを伝えられてよかったです。

キラキラ女子の苦労を知るまでは、キラキラ女子についてどんなイメージをお持ちだったのでしょうか。

矢島 「楽しそうでキラキラしていていいっすね」みたいな、嫉妬の心が根底にありましたね(笑)。でも、「どんなときも疲れた顔を見せない」とか「周りに対する細かい気配り」とか、キラキラ女子でいることの大変さを知ってから、彼女たちを見る目が変わりました。

それに、描くことによって、私はキラキラ女子に対して、嫉妬だけでなく感謝の気持ちを持っていたんだということにも気付くことができました。「いつも場を華やかにしてくれてありがとう」とか、「みんなの誕生日を祝ってくれてありがとう」とか。漫画を描くことで、自分ではなかなか気付けない本心と向き合うこともできたと思います。

他に、自分にとって欠かせない作品はありますか?

矢島 23歳のときに雑誌『モーニング』の「MANGA OPEN」という新人賞で奨励賞をいただいた、『ピーピングトム』という漫画も大切な作品です。のぞき魔の男の子がバトントワリングを始めるという内容の読み切りです。すっごい下手くそだけど、絵に勢いがあるんです。

例えば、バトンが回っているシーンを描くとしたら、今だと「どうやったらキレイに描けるだろう?」と慎重になってしまうんですが、当時は何の資料も見ないでガリガリ描いていたんですよ(笑)。バカだなぁって思いますが、バトンがぐるぐる回っている描写は、汚いけど迫力がすごくあるんです。今では描けないよさがあって、見るたびに初心に立ち返りますね。

「自分にとっての転機」と思えるような出来事はありますか?

矢島 間違いなく、編集者さんとの出会いですね。『彼女のいる彼氏』の編集さんはもちろんですし、『ピーピングトム』を読んで初めてついてくれた担当さんもそうです。実は、この『ピーピングトム』の担当さんが「一度就職した方がいい。それで、サラリーマン漫画描こうよ!」って言ってくださっていたんですよ。その言葉に後押しされて、就職して、今につながっているので、感謝しかありません。

関わった編集さんと、すごくいい関係が築けているんですね。

矢島 すべての編集者さんとの出会いがなければ、こうはなっていなかったと断言できますね。今描いている漫画を見てくれている担当さんも、私のことをすごく考えてくださっていて。私、担当してくれた編集さん全員のことが大好きなんです。

大好きなバトントワリングに漫画で貢献したい

『彼女のいる彼氏』のように、今後もご自身の経験を生かした漫画を描いていこうという気持ちはあるのでしょうか?

矢島 あります。でも、昔ほどノンフィクションの漫画を描こうとは思っていなくて。というのも、一人前の作家さんって、フィクションでもストーリーを描き切れちゃうんです。なので、感情の面では体験したことを反映させたいですけど、ストーリーは完全フィクションで描けるようになりたいと考えています。それに、そうなれないと、いつかメンタルが潰れてしまうと思いますし。ノンフィクションで描くというのは、自分の身を削りすぎちゃうことでもあるので。

今後描いていきたいテーマや構想はもう考えられているんですか?

矢島 次の連載では『ピーピングトム』のように、中高でやっていた「バトントワリング(バトン)」をテーマにした漫画を描く予定でいます。ただ、今の自分の画力では表現しきれないこともあるなと感じることがあって。「スポーツ漫画は画力が必要」と聞いてはいたのですが、その通りで。まだまだ頑張らなきゃいけないな、と思います。

バトンの漫画を描きたいというのは、どうしてでしょうか。

矢島 純粋に、バトンが大好きなんです。ずっとバトンの連載を描くことを目標にしてきました。漫画を描くのと同じぐらい大好き。バトンはまだまだマイナーな競技なので、私が漫画を描くことで、もっともっとバトンの魅力を広めていけたらと思っています。

漫画家としての仕事のやりがいは、どんなときに感じますか?

矢島 やっぱり、読者さんが喜んでくれることです。『彼女のいる彼氏』を描いているときは、よくエゴサーチしていましたよ(笑)。「キャラクターが好き」っていうコメントは特に嬉しかったです。でも、作品に登場する「徳永」というチャラ男だけは、けなしてもらった方が嬉しいキャラクター。「本当にクソ男なのに、どうしても嫌いになれない」なんてコメントがあると、「狙い通りだ~」という感じでニヤニヤしちゃいました(笑)。

矢島さん

漫画家という職業に対するイメージにおいて、漫画家になる前と後とでギャップはありましたか?

矢島 ないですね。イメージ通り、キツイです(笑)。でも、会社員も実際大変ですよね。体調崩せないのはどちらも同じですし。

ただ、漫画の週刊連載となるとやっぱりハードかも。会社員で言うと大きめのプロジェクトが毎週あるというイメージで、息つく暇がないんですよ。私は隔週の連載しかまだ体験していませんが、それでも次々と絶え間なく原稿を描かなきゃいけない状態でした。

漫画家生活で、特に「大変だな」と感じるのは、どんなときでしょうか。

矢島 休みなく原稿を描かなきゃいけないこと……ですかね。大きな出来事がある訳じゃないんですが、今週分描き終わったと思った直後にはまた次のネームを描かなければいけない。『彼女のいる彼氏』を連載していた2年間は淡々とこの日々が続いていたのが、地味につらかったです。

それと、連載中の期間は、描く作業に影響が出ないよう感情の振れ幅を抑えることを意識していたんですが、それも精神的にしんどかったです。

感情を抑える?

例えば、ある出来事で落ち込みすぎちゃうと、筆が進まなくなる恐れがある。それを回避したかったので感情をコントロールしていましたが、あまりにも感情が死んでしまうといい作品も描けないし……そのさじ加減が難しかったです。

肉体的なハードさだけでなく、精神的なつらさも大きかったんですね。その期間、ちゃんとリフレッシュはできていたのでしょうか。

矢島 3ヶ月に1回ぐらいは遊んでリフレッシュしてました。宿泊はできないですが、日帰りで旅行に出かけることが多かったです。あと、大好きな夏フェスには毎年行っていました。

ハードでも、やりたいことができている幸福感で乗り切れる

では、会社員時代を振り返ってみて、「つらかったな」と感じるエピソードがあれば教えてください。

矢島 仕事内容というより、気持ちの問題にはなるんですが……。仕事で手を抜いたことはありませんが、私が漫画を描いていることを理解してくれている上司や同僚には、常にどこか申し訳ない気持ちを持っていました。会社の仕事と漫画家活動の両方をやっていることに対して、自分に納得ができていなかった部分もあるんだと思います。後ろめたさを抱えながら仕事をすること自体がつらかったですね。

矢島さん

もし今でも会社員と漫画家の両立生活を続けていたら、今ごろどんな自分になっていたと思いますか?

矢島 連載を目指して漫画を描きながら会社員もしていた当時の私は、会社の人から見るとかなりまいっていた状態だったみたいで。やりたいことが100%できないフラストレーションと、会社に迷惑をかけているのではないか、というネガティブな気持ちがそうさせていたんだと思います。なので、そういう沈んだ感情がずっと続いていたんじゃないですかね……。それを想像すると、自分のためにも周りの人のためにも、早めに決断ができてよかったと思います。

漫画を描き続けるのは大変なことですが、漫画を描けることが幸せなので、苦労より幸福度が上回っていると思います。

現在は、仕事とプライベートのバランスは理想通りにとれていると思いますか?

矢島 私は、プライベートと仕事を分けて考えていなくて。仕事が楽しければ、プライベートはなくてもいいと思っているんです。編集さんから「週刊連載は、(忙しすぎて)女でもなければ人間でもなくなるよ」という話を聞いたことがあるのですが、もし描くチャンスがあるのなら、喜んでやりたいと思います。

すごい覚悟です……! では、今後の目標を教えてください。

矢島 多くの人から「いい」と言ってもらえるバトンの漫画を描いて、バトントワリングがオリンピック種目になることに少しでも貢献したいです。贅沢なことを言えば、映像化できたら嬉しいなと思います。自分の意志ではどうすることもできないですが、「おもしろいものを描けば達成できる!」と思ってやっています。

最後に、「夢を持っているけれど、なかなか一歩を踏み出せない」という方にアドバイスをお願いします。

矢島 先ほども少し話しましたが、葛藤があるうちは動き出すタイミングではないと思うので、「ここだ!」というときが来るまでは待つことも大切じゃないかと思います。ただ、何もせず待つだけでは進歩がないので、そのときに向けて準備をしておくことも忘れずに。ベストなタイミングが来たら、迷いなく飛び込むことができるはずですよ。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)

お話を伺った人:矢島光

矢島光

サイバーエージェントでの就業経験を持つ漫画家。自身の経験を生かした、IT企業を舞台にした恋愛漫画『彼女のいる彼氏』で、多くの女性から支持を得る。ふんわりのんびりした外見からは想像できない、自分に厳しいストイックな一面も。最近は、お笑い芸人の「和牛」さんにハマり、ツッコミの川西さんが漫才のときに演じる女性の仕草や表情を漫画の参考にしているそう。

次回の更新は、10月4日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

*1:現在はサービス終了しており、Webサイトはクローズしている

カピバラさんのような、長く愛されるキャラクターを育てたい。バンダイ井上さんのお仕事

inouesan
『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」。第5回に登場いただくのは、株式会社バンダイの「ファンシー雑貨プロジェクト」で活躍している、井上陽子(いのうえ・ようこ)さん。人気キャラクター「カピバラさん」のプロモーション企画や、新キャラクター「ほわころくらぶ」の商品開発など、たくさんの“かわいい”を発信している井上さん。なぜバンダイで働くことにしたのか、普段どんな思いを持ってお仕事と向き合っているのか、詳しい話を伺いました。

「カピバラさん」「ほわころくらぶ」などのプロモーション・商品開発に奮闘中

現在のお仕事について教えていただけますか?

井上さん(以下、井上) 「ファンシー雑貨プロジェクト」というチームに所属し、主にプロモーションを担当しています。チームは12名で、そのうち女性が7名、男性が5名です。「ファンシー雑貨プロジェクト」は、バンダイの他の部署と比べてもプロモーション方法がちょっと特殊なんです。

特殊、というと?

井上 他の部署は、基本的にはCMや広告などで、“キャラクターの商品”を売るためのプロモーションをしていますが、私たちは、“キャラクター自体”のプロモーションをしています。代表的なキャラクターでは、「カピバラさん」がありますね。キャラクターの認知度アップを目指したり、いかにしてそのキャラクターを好きになってもらえるかということを考えているんです。

具体的に、プロモーションの仕事はどのような業務があるのでしょうか。

井上 キャラクターのデザインや商品展開に合わせて、イベントの企画・実施をしています。「カピバラさん」では、カフェとコラボをしたり、旅行会社さんとのツアー企画、動物施設とのタイアップ、人気キャラクターとのコラボなどを実施しました。

現在、井上さんが担当しているキャラクターを教えてください!

井上 前期までは「カピバラさん」の担当をしていましたが、今期からは、新しく立ち上げた「ほわころくらぶ」というキャラクターの担当になり、グッズの開発やプロモーションの実施などを中心に日々奮闘しています。私は今回、「ほわころくらぶ」のプロデューサーとしてメインで仕事をしています! ですから、このキャラクターへの思い入れも強いですし、今まで以上にいろいろとドキドキしています。

howakoroclub

井上さんが担当する「ほわころくらぶ」(C)NORIYUKI ECHIGAWA

「ほわころくらぶ」、見ているだけで癒やされます……!

井上 イラストレーターのえちがわのりゆきさんがデザインしたキャラクターです。このキャラクターの商品化窓口を弊社が行っていまして、作者さんと一緒に、今後のキャラクター展開について相談しながらデザイン、商品化のタイミング、イベントやコラボなどの企画を進めています。バンダイからは2017年9月上旬に、初めてのグッズとしてぬいぐるみを発売しました。

ところで、プロモーションのお仕事と聞くと「華やかなお仕事なのかな?」というイメージがありますが……。井上さんはそのあたりについてどう思われますか?

井上 そんなことないと思いますよ(笑)。チームの人数も少ないですし、限られた予算の中で企画を進めなければならないので、自分たちで細かい作業を行うこともしょっちゅうあるんです。

例えば、キャラクターのコラボカフェや、物販の催事イベントなどを行う際、イベントのパネルを作ったり、キャラクターと写真が撮れる整理券を1枚ずつ切ったりという作業も私たちがやっています。お客様には見えないところで地味な仕事もたくさんしているので……。イメージされているような華やかさには欠けるかもしれないですね。

本当に細かなところまで担当されているんですね。ちなみに井上さんはキャラクターとのコラボカフェを実施するとき、どんな業務をされているのでしょうか。

井上 お店の方と一緒にメニュー開発をしたり、ランチョンマットなどの配布物を決めたり、装飾をどうするかを決めたり……。あらゆることに携わります。お客様に満足してもらえるよう、「さまざまな方向からキャラクターの世界観を楽しめる空間を作ろう!」と尽力しています。

子どもを笑顔にできる“おもちゃ”に魅力を感じ、バンダイへ

inouesan

学生時代はどんなことを勉強されていたのでしょうか。

井上 大学では、児童福祉を専攻していました。当時は子どもの発達や保育、児童虐待、子育て支援などの「子どもに関わる勉強」をしたいと思っていて。

そこからバンダイへ入社しようと思ったのは、どういった点に魅力を感じたのでしょうか。

井上 就職活動時、最初はバンダイ以外のおもちゃ会社だけでなく、通販会社など、「モノ作りに携われる仕事」をチェックしていたんです。その中でも、バンダイの「人を喜ばせるモノ作りができる」だけでなく、「子どもたちに夢を与えることができる」という点に強い魅力を感じて。

例えば、キャラクターの変身グッズを扱っているので、子どもに「ヒーローになりたい!」という夢を与えたり、その夢に寄り添ってあげることができる。これは、バンダイだからこそできることだと思っています。

バンダイの「子どもたちに夢を与えることができる」点に魅力を感じた、というのはやはり“子どもが好き”といった思いが根底にあったからなのでしょうか?

井上 もちろんそれもありますが、弟の影響が大きかったように思います。

私には13歳年下の弟がいるんですが、年が離れていることもあって、自分の子どものようにかわいいんですよね(笑)。そんな弟がおもちゃで楽しそうに遊んでいるのを見て、「おもちゃって子どもをこんなに笑顔にすることができるんだ。おもちゃってすごい!」と思うようになりました。

弟さんの笑顔が、おもちゃを扱う会社への憧れを高めていったんですね。

井上 そうですね。それと、子どもが喜ぶ「モノ」を作る仕事に就きたいという思いはありましたが、バンダイは幅広い年齢層の商材を扱う会社で、さまざまなチャレンジができるというのも魅力に感じました。

現在の「ファンシー雑貨プロジェクト」への所属は、井上さんの希望だったのでしょうか?
 
井上 そうです。異動の希望を出して、入社4年目に異動することになりました。

inouesan

異動したいと思ったきっかけのようなものはあったのでしょうか?
 
井上 もともとファンシー系の雑貨が好きだったというのもありますが、入社して数年働いているうちに、「自分の感覚が生かせるところで働いてみたい」という思いが芽生えてきたんです。「ファンシー雑貨プロジェクト」は主に20~30代の女性に向けた商品を扱っているので、ターゲット層と自分の年齢がぴったり合っていて。なので、ファン層の気持ちを分かってあげたり、思いをくみ取りやすかったりするので、お客様の心に刺さる企画が考えられるんじゃないかなと思い、異動を希望しました。

ちなみに井上さんは、入社する前からキャラクターものはお好きだったのでしょうか。

井上 好きでした! 学生時代も、キャラクターの筆記用具とかを使っていました。かわいいものが身近にあると、それだけでワクワクしますよね。あとは雑貨も好きでした。大人になった今もプライベートで買い物に出かけたら、キャラクターグッズや雑貨コーナーをついのぞいてしまいます。最近は、無意識のうちに「この雑貨でうちのキャラクターグッズを作ってみたいな」と、仕事目線で見るようになっちゃいました(笑)。

「カピバラさん」のコラボツアーでは、お客様からのリアルな声も

inouesan

仕事をしていて「嬉しい!」と感じる瞬間について教えてください!

井上 やっぱり、お客様に喜んでいただけたときが、何よりも嬉しいですね。お客様が参加するタイプのイベントに携わることも多く、直接お客様の反応を見ることができるので。

例えばコラボカフェだったら、オープン前から多くのお客様が並んでくださっていたり、入った瞬間に「わぁ!」と感動してくださったり……。そういう様子を見ていると、私も「頑張ってよかった!」とこみ上げてくるものがあります。カフェの方と肩を組んで涙したこともありましたね(笑)。お客様の笑顔が一番の活力です。

このお仕事をしてきて、特に思い出に残っているエピソードを教えてください。

井上 旅行会社さんと一緒に、「カピバラさん」とのコラボツアーで那須や台湾の旅を企画したときのことですが、私も運営のため旅行に同行しました。そのとき、お客様と直接会話をする時間がたくさんあって、お客様のリアルな声をしっかり聞くことができたんです。「あのデザインがよかった」「こういうグッズが欲しい」と、お客様の表情を見ながらご意見を聞くことができたのが嬉しかったですし、勉強になりました。ツアー自体も好評で、貴重な経験ができました。

ファンの方と直接話すというのは刺激になりますね!

井上 「カピバラさん」のキャラクターイベントをしているときに、カピバラさんのファンの方が「前もいらっしゃった担当の方ですよね」と声をかけてくださったり、私宛てにお手紙を書いて来てくださった、ということもあるんです。「いつも楽しいイベントをありがとうございます」というようなことを書いてくださっていたりして。私は一担当者ではあるんですが、私のキャラクターへの愛情が、お客様にも伝わっているのかなと思って、とっても嬉しく思いました。

逆に、これまでのお仕事で「大変だったな」「つらかったな」と感じたことはありますか?

井上 「おしゃれで大人っぽいカピバラさんの新デザインを作ろう」と企画し、実際に進める過程は、悩んだり、落ち込むことが多くありました。

具体的に、どんな点で悩んだのでしょうか。

井上 「カピバラさん」は今までキャラクターが前面に出ているデザインが多く、少し幼いイメージもあったので、「カピバラさんは好きだけど、もっとさりげなく持てるデザインの商品が欲しい」という意見も多く寄せられていたんです。そこで大人っぽい新デザインを……ということだったのですが、今までのキャラクターイメージを変えることにもなるので、最初関係者の方々から「売れるの?」という不安の声をいただくことがあったんです。10年以上も人気のキャラクターですし、ファンも一緒に歩み大人になっているので、大人っぽいデザインの必要性はアンケートの調査や分析からも自信はあったのですが……。

「キャラクターの新しい一面を作ろう」というキャラクターにとっていい決断をしたのに、不安の声をいただいたというのはたしかに悩みますね……。

井上 ただ、売り出した結果販売状況もよく、人気のデザインシリーズとして今までになかったお店への商品導入やタイアップも実現しました。より多くのお客様に手に取ってもらえて、「大人っぽいデザインを今後も広げていきましょう」となったんです。最終的にはすごくいい形で企画を進めることができました。

「大人の女性」をターゲットにした「OTONA KAPIBARASAN」 (C)TRYWORKS

苦労した分、いい結果に結びついたのは喜びも倍以上になりますね! その他、普段のお仕事で気持ちが落ち込んでしまうようなことはありますか?

井上 そういうのは少ないかもしれないですね。そもそも、会社自体が挑戦することを評価してくれることもあり、失敗しても「次の挑戦に生かし、挽回する!」という風土があるんです。なので、失敗したとしても落ち込みすぎず、次に向けていろいろなことに挑戦できていると思います。それでも落ち込むときは、チームのメンバーに相談して解決するようにしています。

チームのメンバーに迷わず相談ができるというのは、いいですね。

井上 一人でどうしようもなく困ったときは、声をかけると一緒に解決策を考えてくれるし、みんなでなんとかしようと考えてくれるチームです。チームの人数が少ない分、役職に就いている方も現場に出たりとか、一緒になってイベントで使用するパネルを作ってくれたりしているので、そういう環境がまたチームの絆を深めているのかもしれないですね。

今は私がチームの最年少ですが、後輩ができたときは、私が今先輩にしてもらっているような、意見を言ったり相談をしやすい雰囲気を作っていきたいと思っています。

働く上でモチベーションになっていることはありますか?

井上 そうですね……。これもやっぱりお客様の笑顔を見ることですかね。キャラクターのイベントの開催や商品発売をするとなれば、開催や発売に至るまでがどんなに大変できつくても、当日にはお客様の笑顔にたくさん出会えます。そうすると、つらかった思いもふき飛んじゃうんです! その笑顔を糧にして、次の企画も乗り越える……。この繰り返しですね(笑)。

あとは、自分が担当するキャラクターにとても愛情を持っているので、その愛情が、自分のモチベーションを上げてくれているという部分も大きいと思います。

担当するキャラクターを、長く愛されるよう育てたい

働く上で、ロールモデルにしている人はいらっしゃいますか?

井上 入社して最初に配属された部署では女性の先輩が多かったのですが、みなさんそれぞれすごい方ばかりだったんです。仕事がバリバリできて、しっかりした意見を言えて、憧れの方ばかりでした。なので、今の自分の仕事ぶりをチェックするときは、その先輩方が当時入社何年目だったかを思い出しながら、「自分は、当時の先輩に追いつけているかな?」と考えるようにしています。その都度「まだまだだ! もっと頑張らないと!!」と、やる気になりますね。

今後の目標を教えてください。

井上 直近では、今担当している「ほわころくらぶ」を、多くの人に長く愛される、定番のキャラクターに育てていくことですね。「カピバラさん」は誕生して10年以上になりますが、それだけ続くと定番キャラクターだなという認識があるので。まずは10年続くよう目指します。

KAPIBARASAN

しばらくは、今のチームで頑張っていこうと?

井上 はい。まだまだ新しいキャラクターを作って、育成しないといけないなと思っているので。「ほわころくらぶ」だけでなく、もっとたくさんのキャラクターに携わっていきたいです。

また、今後はもっといろんな開発もやってみたいなという意欲も湧きました。今はぬいぐるみの開発ですが、バンダイは、おもちゃやコスメ、アパレルなど幅広い商品を扱っているので。長い目で見たら、そういう違った商材の開発もしてみたいな、と思います。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也


(C)TRYWORKS
(C)NORIYUKI ECHIGAWA

お話を伺った方:井上陽子(株式会社バンダイ ファンシー雑貨プロジェクト)

井上さん

バンダイに入社して7年目。メディア部で3年間働いた後、現在のファンシー雑貨プロジェクトに所属。アニメキャラクターのグッズ開発にも携わっているため、帰宅後は録画しておいたアニメ番組をチェックしている。長年担当していた「カピバラさん」に顔が似てきたと言われることも。

次回の更新は、9月20日(水)の予定です。

編集/はてな編集部

ほぼ日CFO篠田さん「仕事は相手が『いい』と言ってくれて、初めて意味を持つもの」

篠田さん
Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営や、「ほぼ日手帳」をはじめとしたオリジナルグッズの販売などを行う「株式会社ほぼ日」でCFO(最高財務責任者)を務める篠田真貴子さん。長年、外資系の大手企業で働いていた篠田さんですが、なぜ「ほぼ日」に転職することを決めたのでしょうか。その理由や、どのような考えを持って仕事に取り組んでいるのかなど、くわしく伺いました。

40歳で外資系企業から「ほぼ日」へ転職。インフラ作りに尽力

はじめに、これまでの経歴について教えてください。

篠田さん(以下、篠田) 大学を卒業後、1991年に株式会社日本長期信用銀行(現・株式会社新生銀行)に入行し、社会人になりました。日本長期信用銀行を1995年に退社した後、3年間アメリカに留学して、国際関係論の修士とMBA(経営管理修士)の資格を取りました。日本に戻ってからは、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社、ノバルティス ファーマ株式会社、ネスレニュートリション株式会社と、外資系の大きな会社で働きました。そして、40歳のときにほぼ日に移り、CFOになって今に至ります。会社でいうと現在が5社目ですね。

入社前、ほぼ日という会社にどのような印象を持っていましたか?

篠田 私は「ほぼ日刊イトイ新聞」のファンであり読者だったので、入社前からWebサイトをよく見ていたんです。その時点でも、「私が今まで仕事をしてきた企業とはものすごく違うんだろうな」という大まかな想像はできましたが、それ以上の印象は正直なかったですね。

それに、実はいきなり入社したわけではなく、正式なオファーをいただく前に、ほぼ日で3ヶ月ほど、あるプロジェクトのお手伝いをさせていただいていたんです。糸井*1や乗組員*2が、どのように仕事を進めているのかというのを、入社前にある程度見られたのはよかったなと思います。

その3ヶ月で、どんなことを感じられましたか?

篠田 当時のほぼ日は、コンテンツと商品が優れているのでお客様がついてきてくださっているけれど、組織立っておらず「なんとなく会社が成り立っている」状態でした。小さな会社ならそれでもいいのかもしれないですが、一定以上の規模になると、やっぱり経営とか組織運営とか、インフラを強化していかないといけないんですよね。でも、ほぼ日はそこが「できていない」ということを社内に数ヶ月いただけでも感じ取れました。私が今までいた会社は、当たり前のようにインフラが整備されていたので、「こんな状態でも会社って回るんだ!」というのが、最初の頃の正直な感想です(笑)。

3ヶ月間で、「ほぼ日で仕事をしたい」という思いは高まったのでしょうか。

篠田 そうですね。私は全く違う分野の会社で働いていたので、「私がこの組織に貢献できるのか?」という不安が少しあったんです。でも入社前の3ヶ月で、「インフラを強化するという点で、最低限役に立てる」という確信を持てたので、自分の中で入社を決意することができました。

それと、当時の自分の状況に閉塞感を感じていたということも、ほぼ日への入社を決めた大きな要因になっていたと思います。

閉塞感?

篠田 大企業にいた頃は中間管理職をやっていたわけですが、大企業って社長にならない限りどこまでも永遠に中間管理職なんですよ。社長になりたいわけでもないので、同じ職種でいる限り、転職しても中間管理職をやっていくということに変わりはない。事業の内容が変わったとか、規模が大きくなったという変化でモチベーションを保てる方もいると思うのですが、私は「職場が変わってもやることはずっと同じだ……」と、げんなりしてしまったんです。

あとは、これまで勤めていた企業では昇格していくために「海外転勤で経験を積む必要がある」というのは普通のことだったのですが、当時子供が小さかったので、海外転勤は厳しいという面もありました。子供が小さいからといって、海外転勤を断り続けるのって、社員としてはよくないと思っていたんです。

篠田さん

そのタイミングで、ほぼ日からオファーがあったんですね。

篠田 はい。どこかで進路変更しないと、自分のモチベーションが持たないとは感じていましたが、どうしたらいいのかアイデアもないし、考える余裕もない。そんなところに、ほぼ日からお話をいただいて。「思わぬ進路変更来た!」みたいな感じでしたね(笑)。

ただ、私はずっと転職人生だったので、「この会社にずっと残ってほしい」という意味でお誘いいただいているのなら、そこはお約束できないなという懸念はあって。正直に社長にお話ししました。「それでも構わない」とお返事をいただけたので、だったらお受けしても無責任にはならないと思い、引き受けることにしました。

先ほど、「インフラを整えるという点で役に立てると確信した」と仰っていましたが、ほぼ日に転職されてからインフラが整うまではどのくらい時間がかかったのでしょうか?

篠田 だいたい3年ぐらいですかね。いろんなことをしましたよ。

例えば、売れ高の数字はわかるんだけど、それが喜ぶべき数字なのか、まずいと思うべき数字なのかというのは、過去の情報の共有と分析がないとわからないんです。でも、これまでのほぼ日はそこがまとまっていなかったから、同じ数字を見ても喜ぶ人と悲しむ人が同時に出ていたんですよね。なので、過去の数字をちゃんと整えて、比較すべきものを作るという作業もやりました。ほかにも人事制度を作ったり、商品の管理方法を見直したり……いろいろやりました。基礎が整ったことで、社員の仕事効率は格段に上がったと思います。

では、現在の日々の業務はどんなことを行っているのでしょうか。

篠田 ほぼ日は2017年3月16日に上場しまして、3月まではその準備に忙殺されていました。今はだいぶ落ち着いてきて、大きくわけると3つの仕事をしています。ざっくり言いますと、1つは、いわゆる予算とか経営計画といわれるもの。2つめは、上場したばかりなので、新しく投資家や株主になってくださった方たちとの関係作りを考えること。そして3つめが海外に向けての商品の展開活動のことです。まだまだやりたいことがたくさんある状態ですね。

仕事は相手に「いい」と思ってもらえるかどうかが大切

篠田さん

多くの会社で経験を積んだ篠田さんですが、これまでの社会人生活の中で、一番私らしく働けているなと感じたのは、いつの時期になりますか?

篠田 「私らしく」ですか……。これは私の考えになるんですが、仕事って「私らしさ」を追求する場所ではないと思っていて。

!!

篠田 仕事は趣味ではありません。あくまでも、受け取った相手が「いい」と言ってくれることによって、初めて意味を持つものだと思うんですよ。「私らしい」かどうかは、相手からしたらどうでもいいこと。私の趣味にお客様は付き合う必要もないと思います。

なので、仕事に「私らしさ」を求めるというのは、個人的には微妙なところかなと思うんです。さまざまなメディアでも、働き方の部分で「私らしさ」「自分らしさ」というキーワードを見かけるんですが……。

確かに、そういう風潮は強いかもしれないです。相手の承認があって、初めて意味を持つというのは考えさせられます……。

篠田 「幸せな仕事=自分らしさの発揮」というような思い込みが強くなりすぎてるのかもしれないですね。

では、篠田さんは仕事をしていて、どんな瞬間に喜びを感じますか?

篠田 お客様に「よかった」と言ってもらって、自分が役に立てた実感があったときは、素直に嬉しいなと思いますね。それはどの職場にいるときも同じです。でも、お客様に喜んでいただけても、「これって私にとっては別にどうでもいいことなのかも……」と冷静に感じてしまったときもありました。

具体的には?

篠田 例えば、革の名刺入れを作ることになって、私はステッチを入れる係に任命されたとします。仕事だからキレイに縫いますし、それが売れてお客様に喜んでもらえたとしたら、一瞬「よかった、嬉しい」って感じるとは思うんです。でも、「本当は縫うことにあんまり興味ないな。本当は革を染める作業をしたかったな」という思いがあったら、いくらお客様に喜んでもらっても「これじゃない感」というのが心に残ってしまうんですよね。

お客様に喜んでいただけても自分の喜びにはつながらないタイプの仕事もあれば、相手が喜んでくれたことを素直に嬉しいと思えるタイプの仕事があるように思います。自分と相手の喜びが合ったなと感じた瞬間は、どの職場でも大小いろいろありましたが、職場としてそのヒット率が高いのは、今のほぼ日だなと感じていますね。

悩むのではなく考えて、課題設定することが大事

篠田さん

ご自身が若手社員だった頃を振り返って、反省点などはありますか?

篠田 もういっぱいあります(笑)。まず、「根拠のない万能感」を持っていたこと。

「私は何でもできる」と思っていて、「帰国子女だからもっと英語ができる部署に行きたい」ということを平気で上司に言っちゃったり。仕事をする上で、理不尽なこと、不公平なことがあったときは、堂々と会社に異議を唱えたり……。当時の私が今ここにいたら、本気で叱り飛ばすと思いますね(笑)。「配慮をしろ」「仕事ってそういうことじゃないでしょ?」って言いたい。とにかく、正論ありきの生意気な若者でした。

意見が言えること自体は悪くないことだと思いますが……。確かに、周囲の人はハラハラしていたかもしれませんね。

篠田 でも、自己弁護するわけじゃないですが、その変な思い込みがあったからこそ、いろいろなことに物おじせずに挑戦できたと思うんです。当時の私がああだったから、今の私があるというのは否めないところはありますね。

若さ故ということはありますよね(笑)。読者の中にも、「今のままでいいのだろうか?」と悩んでいる人は少なくないと思いますが、そういった方に向けてアドバイスをいただけないでしょうか。

篠田 何を悩んでいるかによりますが、まず知ってもらいたいのは、「悩む」と「考える」では、性質が全く違うということ。悩むのはやめて、考える技術をつけてもらいたいですね。 問題を解決したいのなら、事実をきちんと見て、「何を考えなければならないのか」という課題を設定する必要があると思うんです。

「悩む」と「考える」は違う……?

篠田 不満という気持ちだけがあって、その正体を直視できないまま、感情だけで動いてしまうのが「悩み」。不満とは、理想と現状にマイナスのズレが生じている状態です。悩みを解決したいのなら、自分の理想はどんなものであり、それに対して現状がどうなっているかという事実確認をしなければならないんです。

そのギャップを埋めるか埋めないかというのもその人の判断次第ですし、埋めるとしたらどうするべきか、どれぐらい時間がかけられるかを「考える」のが大切なんですよね。なので、悩んでいる暇があったら考えてみましょうよ、と。悩んでいたって何も動きません。

ただ不満を抱えるだけでは状況はよくならない、ということですね。

篠田 はい。20代前半の方の仕事に関する悩みを聞いていると、自分を見ようとしすぎて、視野が狭くなっちゃっている方がけっこういるんですよね。言うならば、自分のおへそだけを見て「私ってブスですかね?」と言っているようなもの。そうではなくて、鏡に映る自分全体を見ましょうよ、と言いたいです。自分を客観的に見つめることが重要なんじゃないかな、と思います。

あとは、もし「仕事の価値がわからない」と悩んでいるのなら、「自分の仕事が続いている=自分の仕事に対して価値を感じてくれている人が必ずどこかにいる」ということを知ってほしいです。需要と供給がなければ、仕事は継続されないわけですから。なので、自分の仕事に対して価値を感じてくれているのは「誰か」ということを把握しておくと、仕事をする上で励みになるかもしれないですね。

「わからない」のは普通のこと。自分を追い込みすぎないように

篠田さん

職場の活躍している同年代の人と自分を比べて落ち込んでしまうという人も多いと思います。そういった悩みはどのように対処したらいいと思いますか?

篠田 そういう人は、自分なりの仕事への手応えがあったら、どんなに小さなことでも意識して大切にしていくといいのではないでしょうか。そこには、「自分の仕事上での力を発揮して、人に喜ばれた」という事実があるわけですから。

それに、人と比べちゃう気持ちはよくわかるんですが、その人と自分の本質的な持ち味や得意なものはそもそも違うんです。自分が得意なものを極めていって、その分野で活躍できたらいいですよね。

あとは、仕事を始めてまだ数年という人は、仕事がわからないからといって自分を追い込む必要はないと思います。最初の10年くらいは、わからなくて当たり前。わからないというのは普通のことなんだから、「悩んでいる自分は異常」という追い詰め方はしちゃダメです。それって、いきなりスペインに行って「スペイン語がわからない。周りのみんなは話せているのになんで!」と悩んでいるのと同じ状況かもしれないですよ。そんなの無理じゃないですか。「わからないのは普通のこと。理解できるようになるプロセスの途中なんだ」というふうに思ってもらいたいですね。

ほぼ日を出ていったら、またほぼ日のファンに戻るだけ

今後の働き方のビジョンはお持ちですか?

篠田 友人の中には、「何歳まで働く」と期限を決めている人もいるんですが、私はそういうのはないんですよね。長く働いていたいんだと思います。ただ、働く場所については、あまり考えていません。

今現在、ほぼ日を辞めたいとかは全く考えてないですし、やりたいこと、やるべきこともたくさんあります。でも、会社と個人って別の人格だし、それぞれが日々成長しているので、進む方向やスピードがいつまでも同じとは限らないんですよね。なので、進む方向やスピードが合っているうちは一緒にやればいいし、ズレてきたら無理に合わせずに別れた(辞める)ほうが、お互いのためだと思うんです。そこに別に悲しみとかはなくて。私が会社で役に立たなくなったときに、「どうする?」って話すほうが辛いじゃないですか。

会社に対して固執していない、ということでしょうか。

篠田 今この瞬間は、ほぼ日に対してものすごい固執していますけど、その関係が未来に続くとは思っていないんです。そういう考えになったのは、初めて就職した当時の人気企業が経営破綻*3してしまったことが大きく関係しているのかもしれないですね。

だから、ほぼ日と私の関係が変わっていくことは、今後あり得ることだと思っています。先のことは、そのときに出会った「何か」次第。もしほぼ日を出ていったら、またほぼ日のファンに戻って、Webサイトを見たり手帳を買ったりするんじゃないかな、と思います(笑)。

篠田さん

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った方:篠田真貴子(株式会社ほぼ日・CFO)

篠田さん

アメリカ留学や、大手外資系企業で働くなどの経歴を持つ。2児の母になり今後の働き方について考えはじめたタイミングで、東京糸井重里事務所(現・株式会社ほぼ日)からオファーがあり、転職を決意。2008年にCFOに就任し、会社の基礎作りに奮闘。現在は9時頃出社し、18時頃に退社。帰ってからは、料理などの家事を行う。

次回の更新は、9月6日(水)の予定です。

編集:はてな編集部

*1:株式会社ほぼ日代表取締役社長の糸井重里さん

*2:ほぼ日では、従業員のことを「乗組員」と呼んでいる

*3:篠田さんが最初に就職した日本長期信用銀行は、1998年に経営破綻し、一時国有化された

積水化学・沓掛さん「『こんな人になら、私もなれそう』と思ってもらえる先輩になりたい」

沓掛さん
『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」。第4回は、積水化学工業株式会社のリフォーム営業統括部で活躍されている沓掛愛美(くつかけ・まなみ)さんです。大学卒業後、リフォーム全般のサービスを行う積水化学グループ会社の東京セキスイファミエス株式会社に入社した沓掛さんですが、30歳を機に、社内制度を使って同グループの積水化学工業株式会社に出向という形で異動しました。なぜその選択をしたのか、生活はどのように変化したのか、お話を伺いました。

テレビ番組に影響を受けて建築が学べる大学に進学

入社までの経緯を教えてください。

沓掛さん(以下、沓掛) 建築系の大学を卒業後、積水化学グループ会社の東京セキスイファミエス株式会社に営業職で就職しました。その後、2014年に積水化学工業株式会社の住宅カンパニーに移り、今に至ります。

建築系の大学に通っていたというのは、建築関係の仕事に就きたいという思いがあったからでしょうか?

沓掛 そうですね。私は2007年に就職しましたが、10代の頃『大改造!!劇的ビフォーアフター』という、家のリフォームをするテレビ番組がはやっていたんですよね。それを見て、「私も匠になりたい!」と思って(笑)。

大学では具体的にどんなことを学ばれていたのでしょうか。

沓掛 構造や大規模建築など、建築の中にもいろいろな分野がありますが、その中でも私は動線など、「いかに快適に住むか」を中心に学んでいました。例えば、“キッチンとランドリースペースが近いと家事が楽になる”というように、「家の中の人の動き」を考え、間取りを作るというものです。人によってライフスタイルは違うので、その人その人に合わせたプランを考えるのは大変ですが、とてもおもしろかったですね。

最初の会社では、大学で学んだことを生かせていたという実感はありましたか?

沓掛 リフォームと聞くと、間取りをがらっと変えて……というようなイメージがあると思いますが、外壁の塗り替えなどを行う「メンテナンス」や、太陽光パネルを設置といった「エネルギー提案」もリフォームになります。営業時代はそういうメニューをメインに扱っていたので、大学で学んだことがすごく生かせていたかというと、なかなか難しかった気がします。でも、大学では学ばなかったことも知れて、リフォームの新しい魅力を見つけられました。

自由に働ける期間もあとわずかだと思い、30歳で新たな仕事にチャレンジ

沓掛さん

社内の人材公募制度を利用し異動されたということですが、なぜそれを利用しようと思ったのでしょうか。

沓掛 30歳手前で、社内のキャリアプラン研修を受けたことがきっかけです。研修では、自分の年齢や、今後どんな人生のイベントが待っているかを書き出す機会があり、そのときに、「私ももう30歳。今は夫婦2人だけど、将来は子どもも欲しいし、自由に思いっきり働けるのもあと3年ぐらいかも……」と感じて。

今後どういうふうに働いていこうかな、何をしていこうかなと考えていたタイミングで、ちょうどリフォーム事業の社内公募があったんです。それで、「新しい業務や環境にチャレンジするなら今だ」というタイミングもあり、思い切って応募しました。

募集していた仕事内容にも魅力を感じた部分はあったのでしょうか?

沓掛 募集内容には、商品サービスの企画立案・研修というおおまかなことは記載されていましたが、具体的に何をするかは分かりませんでした。でも、新しいチャレンジをしてみたい、リフォームの仕事をずっとやりたいという、2つの大きな望みはクリアできるので、魅力的に感じました。

異動して、日常が変わるということに抵抗はありませんでしたか?

沓掛 そのときは、異動するといっても同じグループ会社かつ、今まで携わってきたリフォームに関する業務ということもあり「そんなに戸惑うこともないのでは」と簡単に考えていたので、大きな不安や抵抗はありませんでした。ただ、実際に異動してからは、しばらくの間は苦労しましたね。

具体的には、どんなところが大変でしたか?

沓掛 当たり前のことですが、私のことを知っている人や私が知っている人がいません。そして、同じグループでも社内のルールやシステムが違う。やることが違う……と、とにかく何もかもが違いました。

グループ会社といえども、最初は戸惑いがあったんですね。

沓掛 そうですね。仕事や環境に慣れることに時間がかかりました。以前は目の前のお客様に対して「何を提案するか」という業務が主でしたが、異動後は社内全体や不特定多数のお客様へ向けて情報を発信するようになり、仕事の範囲もすごく広がって。また、それまではエリアの決まった営業所で仕事をしていたので、出張はありませんでしたが、異動後は、全国各地に出張へ行くことも増えました。

ただ、大変ではありますが、自分の為に時間を使える時期に挑戦してよかったなと思っています。子どもができてから新しい環境に……というのは、それこそ難しいことだと思うので。今年で異動して丸3年が経ち、業務にもだいぶ慣れ、仕事を楽しめるようにりました。

情報誌作成や商品企画など、幅広い仕事で活躍中

沓掛さん

現在のお仕事の内容を教えてください。

沓掛 仕事内容の幅が本当に広いので、一言で説明するのは難しいのですが……リフォーム事業に関するバックアップ業務全般を行っています。大きく分けると、お客様向けの仕事と、社内向けの仕事があります。

お客様向けの仕事では、弊社が手掛ける住宅(セキスイハイム)にお住まいの方に、年4回お届けする『ハーモネート』という情報誌の企画・編集を行っています。他に、Webサイトやカタログの企画・制作なども行います。社内向けの仕事は、イントラネットの企画・整備・運営や、リフォーム対応の商品企画などをします。時期にもよりますが、どちらかというとお客様向けの仕事のほうが比率は高いですね。

沓掛さん

お客様向け情報誌『ハーモネート』、リフォームのカタログ

多岐にわたってご活躍されているんですね。現在のチームはどのような構成なのでしょうか。

沓掛 現在は、リフォーム営業統括部という部署に所属しています。メンバーは13人で、そのうち女性は2名です。年齢的には私が最年少になります。仕事の進め方は、グループメンバーだけで進める、というよりもさまざまなメンバーと連携して仕事をすることが多いです。例えば、会員向けの情報誌を作るときは、部内メンバー+制作会社の方、商品企画では、商品開発部+私たちのメンバー数名というように、仕事の内容によってチームが変わります。

失敗したら、まず事実を認めることが大事。そこから解決策を考える

仕事をしているとつらいこともあるかと思いますが、それを乗り越えるコツや方法はありますか?

沓掛 私は心の切り替えがあまり上手じゃなく、「会社に行きたくない」と思うと、なかなかモチベ―ジョンを取り戻せないんですよね。行きたくない日が始まると、1週間ぐらい沈んだ気持ちが続いてしまうこともあります。

そういうときは、例えば新しい靴を買って「明日はあの靴を履いていこう」と思ったり、前日、会社におやつを置いて帰って「早くあのスイーツを食べたい」と自分を騙しています。会社に行くのが楽しみになる別の目的を作ることで、なんとか足を向かわせている感じですね(笑)。

出社後は、上司や先輩に話を聞いてもらったり、退勤後同期と飲みに行ったりして、気持ちをリフレッシュさせるようにしています。最終的に、何をしたらスパッと気持ちを切り替えられるかはまだ把握できていないので、模索中です。

他にも試した方法はあるのでしょうか?

沓掛 丸一日寝る日を作ることもあります。思いっきり寝たら、「まぁいっか」とすっきりすることもありました。それと、偉人の名言や、仕事で成功されている人が書かれた本や記事を読むと、前向きになれたり、悩みを解決するヒントが隠されていることもあるんですよね。

最近だと、働く女性にスポットを当てた記事で書かれていた、「ワークライフバランス」の話が心に残っています。私は、「バランス」と言うからには、どちらも均等に頑張らなければいけないのではと思っていました。でも、その記事には「人生の中で、今はワークに重きを置いてる時期、今はライフに重きを置いてる時期だとマネジメントすることが、ワークライフバランスです」と書かれていて。

ついつい今だけを見て「こんなにワークに片寄っている。洗濯物もたまるし、夕食が用意できず主人任せになったり……私はダメだー」となっていましたが、「今は仕事を頑張っている時期だから、これでもいいんだ」と、気持ちが楽になりました。

沓掛さん

仕事で落ち込んでしまった、というエピソードがあれば教えてください。

沓掛 すぐ忘れちゃうタイプで……直近で大きな落ち込みはないですね(笑)。でもやっぱり、大なり小なり、仕事で失敗してしまったときは落ち込みます。

失敗したときは、どのように気持ちの整理をつけているのでしょうか。

沓掛 失敗してしまったときは、その事実を認めるようにしています。「なんか上手くいかないなー」と、ぼんやり思っているのではなく、「ここが失敗した!」と上手くいかなかったポイントを確認する。

例えば、ページ作成を依頼し、でき上がったものが意図と違う内容で戻ってきたとします。納期まで時間がない場合、失敗した原因は「依頼の仕方が悪く意図を伝えきれなかったこと」と「スケジュールに余裕がなかったこと」。悔しいですが、そのことをきちんと受け入れます。すると、「できる範囲で納期変更の交渉や修正を行おう」と今やるべきことが明確になったり、次回は、「依頼時のやり方を改め、確認スケジュールも長めに設定するぞ」と考えられるようになり、落ち込む暇がなくなります。

お客様からの反応は励みに。自分の成長を感じるのも、活力のひとつ

仕事のやりがいは、どんなときに感じますか?

沓掛 お客様の反応、社内の環境、自分自身の成長などで感じます。

お客様向けの情報誌に、編集部宛てのアンケートハガキが付いており、そのお便りが毎号5,000通ぐらい届きます。企画した記事に対して「おもしろかった」「参考にしたい」というような声をもらうと、純粋にうれしいし、励みになります。

社内では、「こうしたらどうか」と自分が感じたことを素直に上司やメンバーに話せ、実行に移せる環境にやりがいを感じます。話を受け入れ、前向きに意見をくれる周囲の方々に感謝しています。

自分の成長では、最初は慣れなかった仕事が、1回目より2回目、2回目より3回目というように、回を重ねるごとに上手くできるようになっていると、やっぱりうれしいですね。自己満足と言われてしまうかもしれないですけど(笑)。おごるのはよくないですが、自分の頑張りを認めてあげる瞬間も大切なんじゃないかなと思います。

自分の中で「やりがい」を感じる切り口をいくつか持っておくと、常に何かしらの「うれしいこと」があるので、モチベーションを保つのに役立っています。

沓掛さん

仕事をしていく上で、目標としている人やロールモデルはいらっしゃいますか?

沓掛 ずばり「この人」という方はいませんが、その都度、自分の気持ちに合った人を目標にしています。最近ですと、企画内容を上手くまとめられない案件があったとき、別の企画で上手に内容をまとめ、進めている女性の先輩を見つけました。「なるほど、こうやってやればいいんだ」と参考にしたり。そんなふうに、いろんな人のいいところをつまんでいる感じです。

あと、最近影響を受けたのが、ある男性タレントさんの記事。そこには、「10代はアイドルとして生きていて、20代は役者になると目標を決めて、それに必要な格闘技を習い始め、師範資格を身につけた」ということが書かれていました。10年単位で物事を考え、極められるってすごいなと思いましたし、私も長い視野で今後のキャリアを考えてみようと思いましたね。

後輩から「この人にできるなら私にもできる」と思ってもらえる存在でありたい

今後のキャリアについて、どのようにお考えですか。

沓掛 先ほど話した男性タレントさんの話でいうと、私の20代は、リフォームの営業や設計の技術を磨く時間でした。30代は、企画編集など違う分野での仕事がスタートしたので、そのスキルを高めていきたいと思っています。同時に、40代・50代へ向けて、私はどういう仕事が得意なのか、好きなのか、ということも見つけていきたいですね。

ワークライフバランスについては、今後どうしていきたいですか?

沓掛 子どもを産みたいなと思っています。そして、その後も、リフォームに関わる仕事を続けたいです。

現在の部署では最年少ということですが、後輩ができたとき伝えていきたいと思っていることがあれば、教えてください。

沓掛 私の周りの女性は、すごい方が多いんです。バリバリ仕事ができてかっこいい、憧れの的になるような女性ばかりで。

でも私はバリバリタイプではないので、後輩から「この人にできるなら私にもできる」と思われる存在でいたいです。私を見て「こんな人になら、私もなれそう」って思ってもらえたら成功です。

雲の上の存在ばかりだと、「私はあんなふうにはなれない」って最初から諦めてしまう人も中にはいると思うんです(自分がそうなので)。なので、身近な存在といいますか……そんなふうに見られる先輩がいてもいいんじゃないかなって。こんな私でもやりがいを持って働けているんだよっていうのを後輩には伝えていきたいと思っています。

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った方:沓掛愛美(積水化学工業株式会社 リフォーム営業統括部 企画部)

沓掛さん

積水化学工業に移って3年、Webサイトや情報誌の編集・企画を中心に幅広い分野の仕事を担当。女性ならではの細やかな視線で、新企画や冊子の構成などを提案する。いろいろなことに興味を持つので、趣味はそのときどきで変わる。最近では、取材先で影響を受け、断捨離に目覚める。

次回の更新は、8月23日(水)の予定です。

ジェーン・スー「完璧な自分になったところで、自分が欲する状況になるわけではない」

JaneSu
今回「りっすん」に登場いただいたのは、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー、作詞家など、マルチに活躍されているジェーン・スーさん。独自の視点と表現力が人気ですが、普段はどんなことを考えながら仕事と向き合っているのか。また、どのような出来事が現在の彼女を形作っているのか。詳しい話を伺いました。

社会人経験を経て、36歳でコラムニストデビュー

現在のお仕事をされる前は、会社員として働いていたとお聞きしています。あらためて、これまでのキャリアを簡単に教えていただけないでしょうか。

ジェーン・スーさん(以下、ジェーン・スー) まず、大学を卒業し、新卒でレコード会社に就職しました。元々音楽が好きだったので、音楽業界で働ければいいなと思っていて。そこで28歳まで働いてから、同業他社に転職しました。そして、31歳でメガネ屋に転職をして、35歳になったところで会社員生活に終止符を打ちました。それからは家業を手伝ったりしていましたね。

コラム執筆をきっかけに、「ジェーン・スー」としての活動がスタートしたと伺いましたが、それはどの時期にあたるのでしょうか?

ジェーン・スー 会社を辞めてからですね。家業の手伝いをしているときに、友達に誘われたmixiで日記を書いていたんです。当時は、執筆の仕事をしたいというような思いはなくて、ただ趣味の一部としてやっていたのですが、たまたまその日記を見てくれた女性編集者さんに、コラムの仕事をしないかと声をかけていただいて。それが、35歳か36歳のとき。連載は1年で終わっちゃったんですけど、それが大本のスタートです。

コラムの連載が終わってからはどんなことをされていたのでしょうか。

ジェーン・スー そのあとしばらく、書く仕事はしていませんでしたが、友人がやっていたラジオ番組に出ることになりました。その番組は、“著名ではない音楽業界の人に話を聞く”というコーナーがあって。ちょうどこの頃、知人の音楽制作会社の業務を手伝っていた流れで、アイドルのプロデュースをする仕事にも携わっていたんです。そこで私がぴったりだということで、ゲスト出演させていただいたんですよね。

そうしたら、本当にラッキーなんですが、ちょうど新しいラジオ番組を立ち上げるところだった別のプロデューサーから「メインパーソナリティと一緒にトークを盛り上げる“パートナー”をやってみないか」というお話をいただいて、週に1回ラジオに出るようになったんです。そうこうしていたら、テレビのお話が来て。当時は、お声をかけていただいた仕事はとにかくやってみるようにしていたので、ラジオもテレビも挑戦してみました。

メディアへの露出が増えるようになってからは、ネット検索する人が出てきたときの誘導先として、ブログを開設しました。そうしたら、それに目をつけてくれた編集者の方が、「本を出しませんか?」という話をしてくださって。実は、この時期には書く仕事をまたやってみたいなという気持ちが芽生えてきていたんですよ。ブログは、私が書く文章のサンプルを見せるという意味合いもあったので、執筆のお話をいただいたときは嬉しかったですね。

書く仕事としては、楽曲の作詞もされているということですが、今まで作詞を手がけた楽曲の中で特に思い入れが深いものはありますか?

ジェーン・スー 「Tomato n’Pine」というアイドルグループは、作詞だけでなくビジュアルやコンセプトメイキングなどもやっていたので、やっぱりグループ自体に思い入れがありましたね。初めて作詞をしたのも彼女たちの歌でしたし。なので彼女たちのオリジナルアルバム『PS4U』は特に思い入れがあります。1曲を選ぶのは難しいです(笑)。

PS4U

Tomato n'Pineのオリジナルアルバム『PS4U』

作詞をするというのは難しくなかったですか?

ジェーン・スー 初めて作詞の依頼をされたときは、「やったこともないし、やりたいと思ったこともなかったので、できない」と正直に答えたんですよ。でも、依頼をくれた方が「大丈夫、できるよ」と言ってくださって。私はその人のことを信頼していたので、彼が言うのならできるのかなという気になっていったんです(笑)。手取り足取りいろいろ教えてもらいながらですが、形にしていくことができました。

それに、実際やってみたら楽しかった。それ以降も、Negiccoさん、PASSPO☆さん、でんぱ組.incさん、寺嶋由芙さんなど、アイドルの作詞はいろいろやらせていただいています。

“誰と仕事をやるか”に重点を置いてストレスを軽減。たまった疲れはマッサージでリフレッシュ

JaneSu

会社員時代と現在とでは、精神的にどちらのほうが辛いと感じることが多いですか?

ジェーン・スー 今のほうが気持ち的にはしんどくはないですね。もちろん大変なんですが、しんどさの種類が違うといいますか。会社員のときは、みんなで進めていかなければいけない部分があるので、思い通りにならないことや、理不尽なこともありましたし。なので、嫌だなと思うようなことは会社員時代のほうが多かったですね。……でもそれって、年齢の関係もあると思うので、一概には言えないのかも。年齢を重ねると、受け入れられる幅が広くなる。

たしかに20代、30代、40代では、それぞれ感じ方も違うような気がします。今はどんな仕事も楽しめているのでしょうか?

ジェーン・スー もちろん、どんな仕事もストレスは0ではないので、全くストレスがないというわけではないですよ。今の仕事だと、自分でクオリティを保っていかなければならないとか、多めに仕事を受けたときでも、誰かに助けてもらうこともできない、風邪なんてひいていられないというような緊張感は常にありますし。

では、ストレスをためないように工夫されていることは?

ジェーン・スー 私が感じる仕事のストレスって、ハードさじゃなくて、人間関係がほとんどなんです。なので、仕事を受けるときは“何をやるか”じゃなくて“誰とやるか”ということを意識するようにしています。

というのも、会社員時代に「仕事がうまくいくかは“誰とやるか”で決まるようなものだから、仕事のメンバーも運任せではなく自分でコントロールできるようにしろ」と先輩から教わったんです。実際、メンバーが信頼できる人ばかりだと、風通しのよさが全然違うんですよね。

なので、おもしろそうな内容の仕事だとしても、「私とは合わなそうだな」、「ちょっと信用できないかも」という人との仕事はやらない。そうやってメンバーに重点を置くことで、ストレスはだいぶ減らせていると思いますね。

それでもストレスがたまってしまったときは、どのようにリフレッシュされているのでしょうか。

ジェーン・スー マッサージが好きなので、疲れたらマッサージに行くようにしています。『今夜もカネで解決だ』という、マッサージについて語った本を出してしまうぐらい、とにかくマッサージが好きなんですよ(笑)。体の面はもちろんですが、心の面でも癒されますしね。体と心の疲れをためないというのは、いい仕事をするのに必要なことだと思っています。

今夜もカネで解決だ

AERAの連載を書籍化した『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)

感じたことを素直に発信。共感してもらうのは嬉しいけど、女性の代弁者になるつもりはない

女性の共感が集まるエッセイを多数刊行されていますが、ご自身の中で、「共感されること」について意識されている部分はありますか?

ジェーン・スー 捉え方は人それぞれですし、あまり考えていないですね。人によっては「何言っているのか全くわからない」と思う人もいるでしょうし。なので、「読者に共感してもらおう」と意識するのではなく、私が普段感じていることをできるだけ正直に書くようにしています。

「女性の代弁者」と評されていることについては、どのようなことを感じていらっしゃいますか?

ジェーン・スー 「この世代の代表」というつもりはまるでないですし、あまりそういうのを背負いたくないなとも思っています。共感してもらえるのは嬉しいんですが、そこから祭り上げられていくのは望んでいないというか。

私は、読者と会話しているつもりで書いているので、「私が言ったことが正解」みたいになってしまうのは違うと思うんですよね。読んでいる人が思考停止になってしまうのは本望ではなく、「私はどうだろう?」と考えてもらえたら嬉しいです。

なので、私の考えが正しいのではなく、「こういう考えの人もいるんだな」ぐらいで受け止めてもらえたら。

世間が抱いている「ジェーン・スー」というイメージと、本当の自分とのギャップというのは感じたりしますか?

ジェーン・スー キャラ作りで無理をしていないので、あんまり感じないですね。ラジオに出始めたときも、友人から「普段から話しているようなことをラジオで話してるだけだけど大丈夫なの?」って心配されるぐらいで(笑)。書籍を読んだ友人からも同じようなことを言われるので、ほぼ、「ジェーン・スー=私」なんでしょうね。でも、本名じゃないので、どこか他人事に見ている部分もあるんですよ。

別人格とまではいかないですけど、ジェーン・スーは“拡声器”みたいな感じで。ペンネームで出して大正解でした。きっと本名だったら、もっと自分をよく見せようとしていたと思います。

結婚寸前で破談になった過去も。恋愛の失敗があったからこそ、今の自分がある

JaneSu

「この出来事がなかったら今がなかったかも」というような印象的なエピソードがあれば教えてください。

ジェーン・スー 実は、35歳のときに結婚しようと思っていた人がいたんです。結婚式場の仮予約までしたんですが、結局うまくいかなくなってギリギリでひっくり返ってしまい……「結婚、やめようか」ということになったんです。お互いの価値観が合わなかったという根本的な部分もあるんですが、結婚に焦っていたとか私側にいろいろ問題があったので。相手は巻き込まれ事故ですよ、申しわけないです。

式場の予約をするなど、お話はかなり進んでいたんですね。結婚に至らなかった原因に、思い当たる節はあったのでしょうか……?

ジェーン・スー 当時、私の中で“人生の一発逆転”みたいなのを狙っていたんだと思います。「ちゃんと結婚する」という、“普通の人が普通にすること”を、「私にもできるんだ!」というのを証明したくて、いろいろ無理をしていたんではないかと。

当時の写真を見ると、別人みたいなんですよ! 表情も服装も髪型も、“女性とはこうあるべき”という姿に思いっきり寄せていて。あのまま無理をし続けなくてよかったと思いますし、相手も、こんなの妻にもらわなくてよかったと思っているでしょうね(笑)。

破局後、気持ちが落ち込んでしまった時期もあったかと思います。

ジェーン・スー もちろん悲しみはありましたが、それ以上に「やっぱり私、ダメだったか!」という諦めのような感情が大きかったです。「やっぱり、みんなと同じことができなかったな!!!!」と、自分にがっかりしました。

後悔はなかったのでしょうか。

ジェーン・スー そうですね。ないわけじゃないですけど、あのときに結婚していたら、アラサー時代の葛藤を書いた『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』も出せなかったですし。書いたとしても、結婚した女からの提言みたいな感じで嫌じゃないですか(笑)。

それに、今はラジオで忙しくしていますが、もし家族がいたらラジオをやることも躊躇していたと思うんですよ。テレビに出るようになったのも、ブログを書くようになったのも破談後の話なんですが、きっと結婚していたらいろんなことにストッパーがかかっていたと思いますね。

今は毎日が踏ん張りどき。のんびりする時間を犠牲にしても仕事に集中

最近、夢中になっていることはありますか?

ジェーン・スー 仕事ですかね。きっと、仕事をちゃんとしている自分が好きなんです。でも、仕事を優先している分、いろんなことを犠牲にしているとも感じています。例えば、のんびりする時間。SNSを見ていると、同世代の子たちは、子どももだいぶ大きくなったので、じっくり「大人のぬり絵」とかをしていたりするんですよ! 私にはそんな時間まるでない。教養だったり趣味だったり、自分の内側を仕事以外のもので濃密にしていくような時間、作業はかなり犠牲にしていると思いますね。

現在は、趣味に没頭したり、自分と向き合う時間は意識的に作っている……ということでしょうか。

ジェーン・スー 正直、今はそういう時間もとれていないですね。締め切りもたくさんありますし。働きどきというか、今が踏ん張りどきだと毎日思っているので。とにかく仕事をしています。

もしゆっくりできる時間がもらえるとしたら、どんなふうに使いたいですか?

ジェーン・スー 住環境を変えたいので、まず海外に住みます。そこで、本を読んだりしたいですね。締め切りのない、のんびりした時間を過ごしたいです。あまりにもヒマだから運動でも始めるかという気持ちになってしまうような(笑)。そうすれば、自分と向き合う時間も必然的にできそうですよね。

完璧な自分になることで、理想の人間関係を築けるとは限らない。コンプレックスが強みになることも

JaneSu

さまざまな出来事が、ジェーン・スーさんを作り上げていったと思いますが、まさしく「今の自分」を構成しているものはなんだと思いますか?

ジェーン・スー 仕事が好きという気持ちとコンプレックスがうまく反応して、今の状況が作り出されたとは思いますね。さっき話した「普通の人が普通にできることが普通にできない」というコンプレックスが、今の私を作ってくれているのかもしれないです。

ジェーン・スーさんは、コンプレックスを受け入れられているんですね。「コンプレックスが、今の私を作っている」というのは、なかなか自分では言えないと思います。受け入れるようになったのはどうしてだと思いますか?

ジェーン・スー 限界まで、「みんなと同じことをやる」を試してみたからじゃないですかね。徹底的にやって、それでもダメだとわかったので(笑)。

コンプレックスを克服しようという作業も、30代半ばぐらいまでは必死になってやるのも悪くないと思うんですよ。納得するまでやらないと、結局は諦めもつかないでしょうし。
やるだけやって克服できたらラッキーだし、ここまでやってもダメってわかれば、受け入れるしかないですからね。

あとは、コンプレックスがあるからこそ、人との差別化が図れたり、それが自分の強みになったりと、プラスに働くことを実感できたのも大きかったと思いますね。

ジェーン・スーさん流の、自分のコンプレックスや劣等感を受け入れていくコツはあるんですか?

ジェーン・スー コンプレックスを他者に受け入れてもらえると、自分でも肯定できるようになると思います。全方位の人にコンプレックスをさらけ出す必要はないので、心を許せる人に「私、こんなところがコンプレックスなんだ」と話してみたらいいんじゃないですかね。そうしたら、だいたいの人が受け入れてくれるか、そんなことないよと否定してくれると思うので、その繰り返しです。

あと、悩んでいるときって、だいたいヒマなんですよ。だから、自分を忙しくするっていうのは大事だと思います。頭で考えてばかりいるなら、体を動かしてみるとかして、その悩みから一度自分を離してあげるというのが大切かな、と。

だって悩みって、その人の頭の中にあるだけで、本質的には実在しないんですよ。悩むことが全て無意味だとは思いませんが、時間を取られすぎるのはもったいないですよね。その悩みは、自分が作り上げた単なる自意識のせいだったってことも大いにありますし。それなら、その分体を動かしたり、仕事や趣味に没頭したりするほうがよっぽど有意義だと思います。

最後に、理想の自分と、現実の自分とのギャップに悩んでいる人にアドバイスをお願いします。

ジェーン・スー 誰だって完璧な自分でいたいと思う気持ちはありますよね。その根底には、人から好かれたい、愛されたいという思いもあって、それぞれなりたい自分を目指しているはずなんです。

でも、「ここを突っ込まれるかも」と思うことに最初から回答を用意しているような、いろいろなことに予防線を張っている人って、あんまり好かれないと思うんですよ。仕事ができて見た目もステキな人でも、スキがあまりにもないと、こっちが息苦しくなってきてしまうし、これ以上踏み込んでいこうという気持ちになれなかったりする。

つまり、自分のなりたい“完璧な自分”になったところで、自分が欲している状況になれるとは限らない。無理しているのに、自分の思うような状況になれないなんて悲しいじゃないですか。誰からも愛される自分でいたいのだったら、素直で正直でいることが一番なんだろうと思いますよ。それが一番難しいんですけどね。

JaneSu

ありがとうございました!

取材・執筆/石部千晶(六識)
撮影/赤司聡

お話を伺った人:ジェーン・スー

ジェーン・スー

コラムニスト、ラジオパーソナリティ、音楽プロデューサー、作詞家など、幅広く活躍。『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)などのエッセイで、多くの女性から共感を呼ぶ。休日はだらだらと寝て過ごすことが多い。

次回の更新は、8月2日(水)の予定です。

異業種から出版へ! 主婦の友社の営業として「購入メリットが訴えられる仕掛けを考える」

img

『りっすん』が「企業の中で働く女性」にフォーカスするシリーズ「おしごとりっすん」の第3回は、株式会社主婦の友社で営業を担当している北村智佳さん。新卒から約5年間勤めた空調製品の法人営業の仕事から、出版業界に飛び込んだ北村さん。なぜ転職に踏み切ったのか、日々の仕事ではどのようなことを考えているのか、お話を伺いました。

全国の書店や書店チェーン店向けに、主婦の友社の書籍を紹介

北村さんは現在主婦の友社で営業として活躍されているということですが、具体的にどのような業務をされているのか、教えていただけますか?

北村さん(以下、北村) 私は現在、販売部販売促進課に所属していて、主に全国の書店をお客様として営業を行っています。みなさんがよく知っているような全国展開をしているナショナルチェーンや、各地方の有力な書店をチームの6人で割り振りして担当している形です。

「主婦の友社」ということで、働いている方も女性が多いのかな、という印象がありますが、チームの男女比はどのような形なんでしょうか?

北村 現在の販売促進課は男女3人ずつです。編集部には女性が多いので、トータルで見ると女性の方が多いですね。販売促進課も今はたまたま半々ですが、少し前は女性が多かったです。昔は男性が多かった時代が長かったと聞いています。

全国にはかなりの数の書店があると思いますが、6人で全国を網羅するとなると、ひとり何店舗ぐらい担当するんですか?

北村 チェーンの本部も担当していますから、全ての店舗に直接足を運んでいるということではないのですが、個店数でいうと100~200店ずつぐらいでしょうか。

全国の各エリアに在住している「ブックメイト」と呼ばれる営業のお手伝いをしてくださる方が30名ほどいまして、私たち6名とブックメイトとで連携しながら、全国の書店の情報を得て営業をしています。

北村さんはどのエリアを担当されているんですか?

北村 私は、北海道と東北6県、千葉県と東京都の一部の書店を担当しています。それ以外に、全国的にチェーン展開している書店の本部も数ヶ所担当しています。

普段の業務では、担当エリアの書店に出向くことが多いんですか?

北村 そうですね。日々の営業としては、都内や都心近郊の主要な店舗と本部に訪問をして、商談をさせていただいています。

通常は朝9時30分始業で、午前中は新刊の情報をまとめたり、販売促進のための資料を作ったりと、社内の仕事がメインです。お昼過ぎの時間を狙って、午後は書店訪問に行きます。ですから、会社にいる時間よりも、外に出ている時間の方が多いですね。

地域の特色を把握して、地域に合った本を提案して、売り上げをアップ

img

地方エリアも担当されているとのことですが、実際に地方の書店に足を運ぶこともあるんですか?

北村 月に1~2回は出張で地方に行き、同じように書店の担当者と商談をしています。地域にもよりますが、最低でも2泊3日で、1日あたり6~8店を回る感じですね。

1日にそんなに書店を回るんですか!? かなりハードな気がしますが……。

北村 慣れると案外大丈夫ですよ(笑)。

都心と地方では売れ行きも違ってくると思うのですが、地域に合わせて営業をするスタンスも変えているのでしょうか?

北村 都心と地方では、本のトレンドが違ったり、そのペースも違ったりということはあるんですが、営業をする際はあまり先入観を持たないようにしています。売れない理由を最初から作りたくないんです。そのため、その土地ではどんなものが流行っているのかを担当の方に積極的に聞いて、ゼロベースで情報交換をするようにしていますね。

その中で、都心と地方での違いを感じることはありましたか?

北村 驚いたのは、地方紙や、ローカルのテレビ番組は、東京の人には想像がつかないほどの力を持っていること。実際に、そのエリアだけで爆発的に売れる商品が存在するんです。

特に北海道は面積は広いけれど、みなさん北海道ならではの新聞を読んで、北海道ならではのテレビ番組を見ているんですよね。東京では話題になっていない本でも、地方の番組や新聞に取り上げられることで、一千冊近くの受注ができたこともありました。こういうことがあるので、どんなものが流行っていて、どういった媒体に影響力があるかというのは、常にどの地域でも聞くようにしています。

私は神奈川県出身なので、このように地方特有の強い力があるというのは、この仕事に就くまでは知らなかったですね。

地域のカラーをつかむことも販売促進につながっていくんですね。ちなみに、主婦の友社さんの出版物はかなりの種類があると思いますが、営業の方が担当する書籍や雑誌はそれぞれ違うんですか?

北村 出版社にもよると思いますが、主婦の友社では、出している刊行物は全て担当することになっています。

全部ですか!? 毎月かなりの点数の新刊も出ていますし、覚えるのはすごく大変そうです……。情報を自分の中に落としこむコツはあるんでしょうか。

北村 書籍やムックの入れ替わりや新刊の情報は、毎週行われる課のミーティングで共有するようにしています。けれども、ここで共有した書籍全てをご案内したり、ご注文いただくというのは非常に難しいことです。ですから、社内で決まった注力すべき書籍の中から、さらに自分が担当している地域や書店の顧客特性に合わせたものを頭の中で整理して、本当に薦めるべき書籍を選択し、その情報をメインに覚えていきます。地方の特性をつかむことは、こういう部分でも役に立っていますね。

憧れ続けていた出版業界に29歳で転職

大学時代はどんなことを学んでいたんですか?

北村 実はもともと本が好きで、文学部の文芸専修というところに所属していました。課題の本が設定されて、それをいろんな方向から読み解くという、文学講読のような授業が多かったですね。一冊の本でも、さまざまな角度から魅力を紹介できるようになったので、ここで学んだことは現職でも大いに役に立っていると思います。

現在主婦の友社で活躍している北村さんですが、もともと違う業界の仕事をされていたんですよね。

北村 そうなんです。新卒では、空調製品を扱う会社に入社して、法人営業を担当していました。学生のころから、ざっくりと「衣食住」に関わる、生活に密着した仕事がしたいなと思っていたんです。それで、縁あってその会社に就職しました。

新卒で就職されたときは、本に関わる仕事をしたいという気持ちはなかったのでしょうか。

北村 ありましたが、そういう企業の新卒採用となると、非常に狭き門でして……。なのでいったん気持ちを切り替えて、就職しました。

どうして転職をしようと考えられたんですか?

北村 前職に不満があったわけではないのですが、社会に出て5年が経ち、「私は社会人としてどのような生き方ができるだろう」と真剣に考えるようになって。憧れの仕事のひとつである出版業界を、新卒のときは簡単に諦めてしまったことがなんとなく心に残っていたんですよね。そのときたまたま主婦の友社の「未経験OK」の求人を見て、出版業界に挑戦するならこれが最後のチャンスかもしれないと思い、勇気を持って受けてみました。

出版業界への憧れを持ち続けていらしたんですね。

北村 そうですね。

異業種への転職は勇気が必要だったと思うのですが、転職を決めるポイントはあったのでしょうか?

北村 マスコミの仕事というのは敷居が高いなというイメージもありましたし、「自分に務まるのかな?」という不安はありました。でも、前職の営業の経験や成績を主婦の友社の採用試験で評価してもらえたので、期待に応えたいなと。あと、たまたまなんですが、採用担当の方と出身地が同じだったり、これもなにかの縁かなと思うところもありました。

そしてなにより、主婦の友社の特徴は、女性に関わる書籍をメインに扱っているということ。私は本以外に、洋服や料理も好きなので、そういった部分でも自分の趣味嗜好を役立てられるんじゃないかなと思ったんです。

「安定」が北村さんの強み。長所を伸ばして、取引先からの信頼を勝ち取る

img

日ごろ働く上で、常に気を付けていることがあれば教えてください。

北村 テレアポのアルバイトをしていた大学生のころ、社員の方に「一定のペースで電話をかけることができて、安定してアポイントが取れているね」と言われたことがあったんです。そのときに、「安定」が私の強みなんだと気付くことができて。それがきっかけで、今でも「安定した仕事」を常に心がけています。

というのも、営業特有の悩みに「数字」と「モチベーションを保つ」という2つの問題があると思うのですが、この「安定」こそが、悩みを解決してくれるすべになると思うんです。

この数字やモチベーションを保っていくには、単純な話、分母を大きくしていくしかないと思っています。もともとセンスがあってホームランを打てる人はいいんですが、私のような普通の人間がそれをキープするためには、打席に立つ回数をひたすら増やすしかないんですね。

ですから、取引先への訪問頻度や接触する回数は、絶対に落としたくないと思っています。他の人が2回行くのなら、私は3回行く。顔を覚えてもらって、主婦の友社の商品をご案内できる回数を増やすようにしています。

また、担当エリアや訪問する法人は決まっていますが、大手の書店をメインに営業しているので、訪問しきれていない書店というのは実はたくさんあるんです。だから、他社の営業担当者がその県の上位3店舗を回っているとしたら、私は上位10店舗を回る。そうやって分母を増やしています。

実際に足を運ぶ回数を増やすと、手応えを感じた、売り上げが変わったと実感するものなのでしょうか。

北村 以前、これまで前任者が訪問できていなかったロードサイドのお店に伺ったときに、お客様の目に留まりやすいよう、ページの端にインデックス(見出し)をつけて本を開かずに内容がひと目でわかるような見本誌を置いて、書籍の展開をしてもらったことがありました。そうしたら、平積みした分がその店で完売したんです! 書店の担当者が本部の方に報告してくださって、他の店舗でもやってみようということになり、まとまった部数を発注していただいたことがありました。

見本誌を置くという提案が功を奏したのですが、今まで伺えなかったお店でもこのようなチャンスがあるんだと実感しましたね。

担当書店の売り上げ貢献がなによりの喜び! 仕事で落ち込んだときは、仕事でリカバリー

仕事のやりがいはどんなときに感じますか?

北村 仕事を通じて書店の方と仲良くなったりと、やっていてよかったと感じることはたくさんあります。なによりのやりがいというと、自分のちょっとした提案が担当する書店の売り上げに貢献できたときでしょうか。巷でいわれているように出版不況ではありますが、その中で主婦の友社の書籍が少しでも売り上げアップにつながると、非常に嬉しく思います。

取引先の喜びが、自分のやりがいにつながっているんですね。特に印象的なエピソードはありますか?

北村 ある書店では、約2年という長いスパンをかけて1冊の本を大きく展開していただいたことがありました。

「この書店にはこの書籍が合う」と思って提案しても、毎月たくさんの出版社からたくさんの新刊が出ているので、すぐには展開いただけないということも多いんです。

その書店には、自己啓発系の本をおすすめしていましたが、「うちではいいです」というやりとりが2〜3回ありまして。一度保留にし、春先に「フレッシャーズ向けにどうですか」と改めてお話しいたしました。それでようやく、“棚差し”(背表紙を見せるようにして棚に並べること)で1冊置いていただいていたのを、“面陳”という本棚に表紙を正面に見せる置き方に変えてくださったんです。

ようやく表紙が見えるようになって嬉しかったのですが、次は年末のタイミングで「プレゼントとしてどうですか」とさらに提案をしたところ、みなさんの目に届きやすい場所に平積みにする“平台”で置いていただけるようになりました。

そうして次の年には、「今度はワゴンでやりたい」とおっしゃっていただいて! このように、本棚に1冊置いてあった書籍が、最終的にワゴンで100冊展開をしていただけたという大きな実績が出たのは嬉しかったですね。

コツコツと営業を続けた成果ですね! このようにワゴンで展開されることはよくあることなのですか?

北村 通常、ワゴンで紹介されるものは、ほとんどが読み物系の新刊です。主婦の友社の本は、料理や育児、園芸などの実用書が多いので、自らチャンスを作っていかないとなかなかワゴンで展開していただけることはないんです。

そのため、ワゴンで展開するイメージを持ってもらいやすいようにシーンを限定して提案をしてみたり、インデックスをつけた見本誌を置いてもらったりなど、お客様に手に取ってもらえるような工夫をすることが大事なんです。いかに目に付きやすいところに置いてもらえるかにかかってるんですよね。

腕の見せどころですね。他にも、北村さんが工夫して、実践したことがあれば教えていただきたいです。

北村 バレンタインデー向けにお菓子の本の採用を検討しているチェーンがあったとき、著者の料理研究家にチェーン限定の新レシピを考案していただき、そのレシピカードを付けることを提案しました。やはりちょっとしたことでも特典があるとお客様も嬉しいようで、反響がありましたね。その書店で購入するメリットを訴えられるような仕掛けは、いつも考えるようにしています。

img

仕事で気持ちが沈むときもあると思いますが、そんなときはどのように気持ちを切り替えているんですか?

北村 先ほど、お客様(書店)との接点を減らさないようにしているとお話しましたが、落ち込んでいるときこそ、それをキープしたいと思っています。

仕事とは全く関係ないことをして気分をまぎらわす人もいますが、私は、仕事で落ち込んだときは仕事でリカバリーしたいんです。仕事で良いニュースがあったり、お世話になっている担当者から声をかけてもらえると、やる気が湧いてきて前向きな気持ちにいつの間にかシフトできているんですよね。

お客様からパワーをもらうことも多いんですね。

そうですね。それともうひとつ、最後は“やっぱり本が好き”という気持ちが救ってくれているように感じます。扱っているもの自体が好きだからこそ、多少つらいことがあっても乗り越えられるんだと思います。

最後に、今後のキャリアについてどのように考えているか教えてください。

北村 書店を担当する販売促進課で入社して4年目になりますので、機会があれば、これまでの経験を生かして別のチャンネルへの営業もしてみたいと思っています。例えば、「販売会社」と呼ばれる、書店と出版社の間をつないでいる窓口への営業にも挑戦してみたいです。

また、商品の売り伸ばし方法や重版計画などを考える、販売促進と編集をつなぐ「MD」というセクションがあるのですが、そういった仕事でも今の経験やノウハウを生かせるのではないかと思っています。現状に満足せずに、今まで培ったものをさらに役立たせる仕事をしていきたいですね。

ありがとうございました!

取材・文/石部千晶(六識)
撮影/小高雅也

お話を伺った人:北村智佳(株式会社主婦の友社 販売部販売促進課)

北村智佳

主婦の友社に入社して4年目。中堅として期待され、上司から厚い信頼を受けている。昔から本好きということもあり、休日は本屋に行くことが多いのだとか。また、洋服も好きなので、ウィンドウショッピングもリフレッシュ方法のひとつ。北村さんが手にしているのは、世界的瞑想の師と言われる高僧が「人生の視点の変え方」をユーモラスに説いた『バナナを逆からむいてみたら』(主婦の友社)。

次回の更新は、7月19日(水)の予定です。