YONA YONA WEEKENDERSのVo.Gtを務めております磯野くんと申します。
高校生時代、音楽にのめり込み、青春のすべてをバンドに注いでいた僕。
「もっと有名になってチヤホヤされたい!」、「現役アイドルと電撃結婚して世間を騒がせたい!」と、音楽で一旗揚げること(?)を決意し、卒業と同時に地元岡山から単身上京しました。
今日まで紆余曲折ありながらも何とか音楽を続け、今年で弊バンドはメジャーデビュー3周年を迎えることが出来ました。
今のところそんなに有名でもなければチヤホヤされてもいませんが、数年前にスターウォーズ好きな気立の良い一般女性と結婚し、可愛い息子も授かり、仕事にプライベートに忙しなくも充実した日々を送っております。
そんな僕は幼い頃から食べることが大好き。
極貧だったアルバイター時代、毎日残業&休日出勤上等のブラック企業リーマン時代、YYWの結成、転職、結婚、コロナ禍、息子の誕生などなど……。
病める時も、健やかなる時も、私は美味しいご飯に明日を生きる活力を貰っていました。
『あのご飯を食べると、あの時の記憶が蘇る』
味覚は記憶を刺激し、様々な過去の出来事を思い出させてくれます。
きっと誰しもそんな”思い出の味”をひとつは持っているのではないでしょうか。
【YONA YONA WEEKENDERS 磯野くんの『思い出の味食べたい』】
この連載は、バンドマンであり、会社員であり、一児の父である僕磯野くんの血肉(そして脂肪)となっている様々な思い出の味を訪ね、当時を懐かしみながら、ただただエモーショナルな気持ちに浸っていこうというものです。
今回紹介する思い出の味 まるけん食堂の「サバ味噌定食」
上京した時の思い出
さて、僕は上京して最初の1年は西武新宿線沿線の花小金井という街に住んでいました。
東京に知り合いがいなかったこともあり、同じような境遇の人達と過ごせる食堂付きの学生寮を母が見つけ、一も二もなく入居を決めたのです。
しかし、僕はいきなり持ち前のコミュ障を発揮してしまいます。
今でこそアロハにグラサンという出で立ちで、ライブ中に「カンパ〜イ!」と叫びながらビールをあおっている僕ですが、ロビーや食堂でワイワイ騒いでいる陽キャ達に全く馴染むことができず、通学以外ではほぼ自室から出ないという生活スタイルを早々に確立しました。
いや〜、1人部屋じゃなかったらマジで詰んでました。
学校やアルバイト等で提供時間に間に合わない人のために、夕食は寮母さんがラップをかけて食堂に保管しておいてくれるのですが、僕は皆が寝静まった真夜中にそっと部屋を抜け出し、エレベーターに乗り地下の食堂へ。物音を立てないようにトレーを自室に持ち帰り、すっかり冷めてしまった夕食をひとり寂しく食べていたのでした。
おっと、当時のぼっち生活を思い出して目から汗が……。
そんな生活を送っていた僕が、寮からの引っ越しを決意するのにそう時間はかかりませんでした。
1年で寮を出た僕は、折角なら地元の友達から『でぇれぇ洒落とるとこに住んどるが!流石東京じゃなぁ!』と言われるようなところで生活をしたいと、住みたい街ランキングの常連”吉祥寺”で格安のアパートを探し出し、そこに住むことに決めました。
格安のため駅から歩いて20分弱という立地に加え、日当たりの悪い部屋はいつも薄暗くジメジメしていて、家に遊びに来たいわゆる”見える”タイプの友人が、『寒気がする』と言って1時間も経たないうちに帰ってしまったこともありました。
しかし、自由を手に入れた私の心はお構いなしに晴れ晴れとしていました。
そんな念願の引っ越しから数ヶ月……
順調にスタートしたかに見えた、私の吉祥寺シャレオツライフに暗雲が立ち込めます。
学生寮という規則のある生活から解き放たれた僕は、『オレには音楽があるから大丈夫』という理由で学校を休みがちになりました。
肝心のバンドはというと、駆け出しで全く売れていなかったので、チケットノルマやスタジオ代などで出費がかさみ、無茶なアルバイトをして生活が不規則に。
忙しさにかまけて毎日コンビニ弁当で腹を満たしていたので、栄養バランスが偏り、私の体はみるみるうちに肥え、生活も荒れ、酒に溺れ、行きずりの女を……
と流石にそこまでは落ちぶれなかったものの、兎にも角にも当時の僕は身も、胃も、心も不健康の極みだったのです。
さて、随分と前置きが長くなってしまいました。
皆さんお待ちかね、いよいよ思い出の飯を食っていきますよ。
吉祥寺で食べたい思い出の味
今回訪れたのは、そんな不健康だった僕を救ってくれた思い出の味、「まるけん食堂」です。
まるけん食堂は、吉祥寺の住宅街にあるこぢんまりとした大衆食堂。当時住んでいたアパートと吉祥寺駅のちょうど真ん中辺りにあります。
丸ゴシックで書かれた”まるけん”のロゴが非常に愛らしい。
元々牛丼屋にすら入るのを躊躇ってしまうほど一人外食が苦手だった僕ですが、当時はとにかく人の温もりと手作りの味に飢えていたので、この”いかにも”な佇まいのまるけん食堂に自然と吸い寄せられていきました。
開店後間もない時間ですが、店内では既に数人のお客さんが黙々と食事をとっています。
「いらっしゃいませ」と温かく出迎えてくれたのは、まるけん食堂を象徴するかのようなやわらかい雰囲気をかもしだすおばちゃん。
キッチンに目をやると、ちょっと色白のおじちゃんが当時と変わらないTシャツに首タオルスタイルで一生懸命料理を作っています。
最後に訪れたのが10年以上も前だったので少し心配していたのですが、二人ともお元気そうで安心しました。
壁に貼られた手書きのメニュー札。
公民館の会議室を彷彿とさせる年季の入った長机と緑のパイプ椅子も健在で、思わず顔がほころびます。
まるけん食堂の特徴は、飾り気のない家庭の味、そして驚くべきコスパです。なんと殆どの定食を500円ちょっとで食べることができるのです。
金欠だった僕にとっては大変に有り難く、当時は定食におかずを一品プラスして腹を満たしていました。
今回はいつも食べていたサバ味噌定食(620円)と、単品の玉子焼き(320円)を注文しました。
多少は値上がりしたようですが、それでも令和の時代に、しかも吉祥寺でこのお値段。相当な経営努力が伺えます。
ほどなくして定食が運ばれてきました。白米、たくあん、わかめと豆腐の味噌汁に、シャバシャバ系のサバ味噌。
あぁこんなビジュアルだったなぁ〜と懐かしみながら、鯖を一口。
・・・!!!
あまりの懐かしさにまた目から汗が流れそうになりました。
ぶっ飛ぶほど美味い!というわけではありませんが、ホッとする手作りのあたたかさ、そしておじちゃんの愛情がビンッビンに伝わってきます。
鯖は身がしっかりしていて食べ応えがあり、程よい味付けでご飯が進みます。
昔は魚があまり得意でなく、他の定食屋では生姜焼きや唐揚げといったカロリーの塊のようなものばかり食べていましたが、初めてまるけん食堂に訪れた時、『折角だから身体にいいものを食べよう』と思い、それからというもの、ここではいつもサバ味噌定食を頼んでいました。
味噌汁も、一から丁寧に出汁をとっているんだろうなぁというやさしい味わいです。
「お待たせしてごめんね〜」と、キッチンにいたおじちゃんが自ら玉子焼きを持ってきてくれました。
楕円形でも長方形でもない、このちょっと歪なかたちも懐かしいです。付け合わせのサラダ菜もたっぷり盛られています。
ごく普通の玉子焼きかと思いきや、ラードを使っているのかなんなのか、家庭で食べるものとはまた違った香ばしさとコクを感じました。
定食を食べ進めながら、吉祥寺に住んでいた時の色々な思い出が走馬灯のように蘇ります……。
思いを寄せていたスターウォーズ好きの女の子(現在の妻)に告白した場所が、たまたま墓地の横だったこと。
深夜に友達にピンポンダッシュされ、あまりの恐怖に失禁しそうになったこと。
バイトをバックれた夜、吉祥寺駅のホームで店長とバッタリ出くわし引くほど怒られたこと。
サンロード商店街で長渕剛の乾杯を弾き語りし、その筋の人から高額なおひねりを貰い怖くてしばらく手をつけられなかったこと……。
そんなことを思い出しているうちに、あっという間に完食です。
まるけん食堂のサバ味噌定食は、上京したばかりの苦い記憶をもあたたかく包み込んでくれる、あの頃と変わらないやさしい味わいでした。
ちなみに磯野家では僕が料理担当なので、人が作った家庭的な料理を食べるのはかなり久々だった気がします。いやはや、手作りの味ってやっぱりいいもんですね。
聞けば、まるけん食堂は今年で創業64年目を迎えたとのこと。
これからも吉祥寺の地で、たくさんの人の胃袋と心を満たし続けて欲しいと願っています。
ごちそうさまでした!
今回のO.A.T.T(思い出の味食べたい)
▼まるけん食堂
住所:東京都武蔵野市吉祥寺東町1-6-14
営業時間:11:00~15:00 / 17:00~21:00(火~日)
定休日:月曜日
この記事を書いたライター
“ツマミになるグッドミュージック” を奏でるメロコア・パンク出身の4人組バンド「YONA YONA WEEKENDERS」のフロントマン。グルーヴィーで表現力豊かな歌声が魅力。好きなものはお酒とラーメンと乃木坂46。