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【上田啓太】読むことは食べること/「言葉の断食」で思考を静かにしてみよう

「京都ひきこもり大演説」は、無職とライターの中間のような存在である三十代の男・上田啓太がコラム的なことを書いていく連載です。今回は読むことと食べることは同じという自説を展開。

上田啓太 京都ひきこもり大演説 コラム

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読むことは食べることに似ている。

そんなふうに思うんですね。食物も言葉も問答無用で体内に入ってきてしまう。変なものを食べて腹を壊すように、変な言葉を読んで心を壊すこともある。しかし食べることに比べて、読むことの怖ろしさは意識されていないんです。

 

「毎日泥水をすすってますが影響はありません」とか、「毒をジャンジャン飲んでも平気です」と言う人はいないと思います。「モノを食べれば身体に影響が出る」というのは普通のことです。

 

じつは言葉でも同じで、「読んだけど影響は受けない」は不可能で、「読んだから影響を受ける」か「読んでないから影響を受けない」の二択なんですよ。だから自分が日々どんな言葉を「食べている」のかは、自覚しておいたほうがいいと思うんです。無自覚に言葉をバクバク食べてると、腹を壊しますんで。

 

 

妙なものを食べれば腹を壊すのは当然である

 

インターネットが日常に浸透することで、私たちは断片的な言葉を大量に食べるようになったと思うんですね。人は本を読まなくなったと言いますが、これは毎度の食事に昔ほど時間をかけなくなったようなもんです。「いちいちコース料理なんか食ってらんねえ」ということです。

 

「コース料理=書物」ということで、それよりはネットの短い書き込みをポテチ感覚で食べたり、数千字の記事をチャチャッと食べるほうが気楽だという人が増えたんです。それは良い悪いというよりは、単に環境に適応してるだけじゃないかと個人的には思っております。

 

ただ、ネットは書き込まれたものがそのまま載るし、よほどのことがないと削除されない。だからジャンクな言葉もたくさんあるわけですね。だから「ジャンクな言葉は食べない」という発想はあっていいと思うんです。

 

ネットで拾った毒まんじゅうをモリモリ食べて腹を壊してる人はたくさんいると思うんですよ。そんな時は、「読むことは食べることだ」と自分に言い聞かせることをおすすめします。「わざわざ言語的汚物を食うな、便器の水をすすって腹を壊してるようなもんだぞ!」ということです。

 

 

きれいなものばかり食べるのもつまらない

 

ただ、私個人としては、ジャンクな言葉も好きなんですね。十代の頃からネットを見ていると自然とそうなります。ネットは雑然とした場で、ジャンクな言葉もきれいな言葉も平気で同居してるところが魅力だと思うんですよ。「きれいなものしか読まない」ことには、ギトギトのラーメンやカラフルなガムを一切口にしないような退屈さがあるんですね。

 

私はまずネットで大量の文字を読み、次に本の世界を知ったんですが、本の世界はジャンクな言葉の割合がものすごく少なくて、そこに物足りなさを感じたのも事実でした。本の世界で「過激だ!」と言われてるものを読んで、「そこまで過激じゃなくね?」と疑問に思ったりとか。

 

きれいな言葉ばっかり食ってると、すこし刺激の強い言葉を食べるだけでビックリ仰天することになるし、ジャンクな言葉にはジャンクゆえの面白さがあると思うんで、(腹を壊さないかぎりは)いろいろな言葉を食べたほうが楽しいと思います。

 

 

「言葉の断食」をためしていた

 

さて、読むことが食べることならば、「何も食べないとどうなるか?」という発想も出てきます。つまり「断食」です。

この六年、私は社会との接点をぎりぎりまで減らした状態で生活してたんで、金はないけど時間は腐るほどありました。そんな状態で色々と実験してたんですが、そのひとつに「言葉の断食」があります。文字を読まないこと、徹底して読まないことです。

 

これはめちゃくちゃ面白かったです。

 

二、三日でわかりやすく変化が起きました。「頭の中が静かになった」という表現で伝わるか分かりませんが、いかに日々、食べた言葉を消化することに頭を使っていたかを実感したんですね。食べる言葉の量を減らすと、自然と「頭の中を流れる言葉の量」も減るんです。「思考」と呼ばれるものの大半は、じつは「食べたものの消化」なんですよ。だから食べる言葉の量を減らすと、いっきに思考の量も減るんです。

 

もうひとつ面白かったのは、断食中は街を歩きながら「文字だらけじゃん」と感じてたことですね。「文字を食べない」と意識することで、結果的に街にどれだけ文字があふれていたか気づかされたわけです。

看板、広告、表札、とにかく文字だらけです。電柱にも文字、地面にも文字、視線をどこにやっても文字がある! スーパーなんかに入ると大変で、商品のパッケージをはじめとして、あっちもこっちも文字だらけ。だから10分程度の買い物でも大量の文字を食べることになります。げっぷが出ます。

 

こんな状況で平気で暮らしてたのか、と不思議でした。

 

 

食べた言葉が思考を作る

 

10日ほど断食を続けていたとき、本屋で雑誌を立ち読みしてみました。ひさしぶりの「まともな食事」というわけですが、言葉がどんどん体内に侵入してくる感覚があって面白かったです。ひさしぶりに物を食べたときの食道がグッと押し広げられる感じ、と言ったら伝わるでしょうか。

 

そして本屋を出たあとも、読んだ文章が頭のなかでグワーッと消化されてるのが感じられるんですね。たいてい、人は読んだそばから文章の大半を忘れていて、印象に残った部分(面白かったところ、疑問に思ったところ、イラついたところなど)を頭のなかでクチャクチャ噛んでるんですが、そのプロセスを体感しました。

 

食べたものが身体を作る。同じように、食べた言葉が思考を作る。普通、このプロセスは無自覚です。だから人は気づかないうちに「どこかで読んだ言葉」を喋ってるんです。ちなみに「受け売り」や「うすっぺらい言葉」というのは、食べたものがそのまま出てきてることです。咀嚼と消化がないわけです。

 

ということで、普通に暮らしている場合はなかなか難しいとは思いますが、一日か二日でも「言葉の断食」を試してみるのは面白いと思います。とくに「わけもなくイライラする」場合や、「頭のなかの言葉が止まらない」場合、食べる言葉の量を減らしてみるか、自分がどんな言葉を食べているかを反省してみるといいです。気づかないうちに、変なものを拾い食いしてるんじゃないでしょうか。

 

以上、本日は「読むことは食べることだ」という話でした。それではまた。

 

<過去のコラムはこちらから!>
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ライター:上田啓太

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京都在住のライター。1984年生まれ。
居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。
Twitterアカウント→@ueda_keita