【上田啓太】自己啓発書=アルコール説

2016.04.27

【上田啓太】自己啓発書=アルコール説

「京都ひきこもり大演説」は、無職とライターの中間のような存在である31歳の男・上田啓太がコラム的なことを書いていく連載です。今回、6年間人と会わずに本ばかり読んできた上田啓太が、読みやすい文章について考えてみました。ビジネスにも役立つはず!

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    こんにちは、上田啓太です。

    今日のテーマは「自己啓発書」です。もうすこし正確に言うならば、「自己啓発書はぜんぜん役に立たなかった」という実体験から、「なぜ役立たなかったのか?」という分析、そして「じゃあ、どうすりゃよかったのか?」というふうに進めていこうと思ってます。

    さて、私の人生は22歳のときに行き詰まったんですよ。

    行き詰まるというのは、「自分がどうすればいいのかさっぱりわからない」ということで、要するに、海に溺れているようなもんです。なので余裕がない。余裕がないが何か、とにかくすこしでも自分を浮上させてくれるものがほしい。そんなときに人は本を読みたくなる。

    はじめて「自己啓発書」の存在を知ったのはそのときで、近所のコンビニに置いてありました。当時の自分は読みました。そのときはものすごく感動したし、興奮しました。「うおおお!やるぞー!」というかんじ。

    しかし、気持ちは続かない。

    私は何冊か読んで、いつもこのパターンになっていると気づいて、やめました。意味ないじゃん、という感じ。

     

    その興奮はアルコールに似ている

    「酒を飲んで自分を変えよう!」という発想がギャグなのは分かると思います。「いや酔いは覚めるだろ」とツッコみます。

    しかし、「本を読んでイイ気分になって新しい自分になる!」も似たようなものなんです。要するに、寝ると冷静になる。基本的に、本というものにはそれだけの力しかありません。

    とくに、一度だけ読んだ本で人生が変わるなんてことはないんです。通読するとしても、せいぜい二時間か三時間だと思います。それで「新しい自分」になっちゃうとしたら、むしろ危険ですよね。

    本よりも睡眠のほうが強いです。一晩寝ることはプラスもマイナスも身もふたもなくリセットしてきます。じゃあ、睡眠というリセット機能にどう対処すればいいのか。

    翌日も読めばいいんです。

     

    一冊と決めてボロボロになるまで読め

    最初はとにかく何冊か読んでみなきゃいけない。

    そのうち「うおおお!」と思う本が見つかったら、そこで、次にいくのはやめる。そしてその本を毎日読む。ボロボロになるくらいに読む。電子書籍の場合でもしつこく読む。できれば紙の本がいいかもしれない。というのは、「特別な本」として接したほうがいいからです。

    わかりやすく言えば、キリスト教徒が聖書を読むように読め、ということです。宗教における聖典のように読む。神のことばが書かれたものとして読む。それくらい徹底的に「ハマる」こと。これがポイントだと思います。

    なお、ここでハマるべきなのは「本」であって「作者その人」じゃありません。というのは、作者にハマると十万円くらいの変なセミナーとかに行くことになりそうなんで……。

    できれば古典がいいとおもいます。要するに、作者はもう死んでいて、その後も長く読み継がれているようなものですね。

     

    やたらと量を読むのは無意味です

    最悪なのは、「次々と色々な自己啓発の本を読んでいるが、どれも一度も読みかえしていない」という状態です。これがいちばんどうしようもない。要するに色んな酒を飲んで楽しくなってるだけです。自己啓発界のパーティーピープルです。

    10冊とか20冊とか、ましてや100冊とか1000冊とか自己啓発系のものばかり読まないこと。1000冊も読むなら絶対にジャンルをバラけさせたほうがいいですし、そもそも1000冊いうのは結果であって目的にするもんじゃありません。

    時間と好奇心(と図書館)があれば結果的に1000冊くらいは読んじゃいますが、それはむしろ「ああ、こんなに読んじゃったのか…」と落ち込むようなもんですね。とくに、自己啓発系の本ばかり1000冊も読んでいるなら、1冊目を読んだ時に抱えてた問題が1000冊読んでも解決してないということなんで、落ち込むのが普通です。

    だから「この本!」と決めること。たぶん5冊も読めば、1冊くらいは自分にとっての当たりを引けるとおもいます。その本を読みながら、自分の生活にどのように適用できるのかを常に問いかけていったほうがずっと良いです。

     

    しつこく読みながら日常を巻き込んでいく

    日常を巻き込むことが大事です。

    人には日常しかないんですが、本を読む時は日常をカッコに入れがちなんですね。すると頭と体が平気でどんどん離れていきます。本と日常を切り離さないこと。人付き合いに関しての記述は自分の身近な人間を想像して読む。仕事に関する記述なら自分の仕事を想像して読む。

    本の記述は絶対に読み手の現実とズレてます。その隙間は自分で埋めていくしかありません。この隙間だけは自分でなんとかするしかないんです。それを放置するなら、言葉と行動の隙間をほったらかすということになります。

    そして、日常を巻き込んでしつこく読んでも、じわじわ染み込んでゆくような形でしか、本は人を変えません。「ああ、俺、変わったなあ」というのは、数年後にふっと気づくものです。読んだ直後にいきなり「俺は変わった!」と思ったなら、たぶんそれはお酒です。

     

    まとめと次回予告

    ということで、現在の自分の結論は

    ・読書でどれだけ興奮しても、寝ると消える

    ・本の興奮も酒の興奮も大差ない

    ・本当の変化は実践を伴った精読から起こる

    ・それでも数年はかかる

    というものです。まあ、あんまり嬉しい結論じゃないですが、そんなもんです。近道はありません。

    これで今回の話は終わりなんですが、最後に、次回の連載について。

    自己啓発書に幻滅した私は、すぐに「日常を巻き込んだ精読」には進みませんでした。むしろ、色々なジャンルの本を読むようになったんですね。心理学、脳科学、行動経済学、進化論、認知療法などなど。つまり「人間の心理の仕組み」を知りたいと思ったんです。これが連載第二回で書いた「社会の退場と肉体の発見」という話にもつながっていきます。次回はそのへんのことを書きたいと思います。

    とりあえずみなさん、自己啓発界のパーティーピープルになるのはやめましょう。

     

    <過去のコラムはこちらから!>
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    イーアイデム

    この記事を書いた人

    上田 啓太
    上田 啓太

    京都在住のライター。1984年生まれ。居候生活をつづったブログ『真顔日記』も人気。

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