新しい仕事に挑戦する上では、失敗しないかという大きな不安がつきもの。さらには一度失敗してしまうと、その後の仕事に自信を無くしてしまうこともあるでしょう。
ずっと「できる社員」と評価されてきたというあそさんに、部署移動による初めての挫折を経て、仕事への向き合い方が大きく変わった経験を振り返っていただきました。
社会人として働くようになって、気付けば干支がひと回りしていた。
私は新卒から12年以上ずっと同じメーカーに勤めているが、それだけ同じ会社にいると、さまざまな職種を経験する。ここ最近は、長く在籍した営業部からマーケティング部に移って奮闘している。
実は、マーケティング部での仕事は今回で2度目だ。1度目は今から6年ほど前のこと。2年弱という長くはない在籍期間だったが、その後の自分の仕事観を大きく変えるような強烈な挫折体験をした。
「できる社員」と評価され、傲慢に仕事をしていた20代
- 30代の今、仕事の目標は「定年まで正社員」だけ
- 20代の頃は「できない他者」への理解が乏しく、傲慢だった
私は今、仕事においてあまり「自己実現」の要素を求めていない。
無限にある物欲をある程度かなえるための賃金は欲しいし、怒られるのが嫌いなのでまじめに働こうとは思っているが、正直「仕事で成し遂げたいこと」なんてない。目標は「定年まで正社員」だけ。
ただ、このスタンスが固まったのは30代に入ってからだ。20代まではもう少し「仕事で輝きたい」という気持ちがあったと思う。
誰かに承認されるのが好きな見栄っ張り精神と自社商材への愛情が功を奏したのか、入社して以来ずっと「よくできる社員」という評価を得ていた20代の私は傲慢だったと思う。
他者に対して、自分の「こうあるべき」という価値観でジャッジしていた。会社からの期待に応えられないのは「本人のやる気のなさ」が原因だと思っていたし、会議で発言しない人には「いる意味ないから会議に出なきゃいいのに」と平気で思っていた。今思い返すと、自分の無神経さを恥ずかしく思う。
この無意識の“傲慢ムーブ”が根底から覆されたきっかけは、前述の通り、営業部から初めてマーケティング部に異動したことだった。
自分にも「向いてない仕事」があると知った
- 部署による「求められること」の違いに苦しみ、大きな挫折を経験
- かつての「できる自分」が「できない自分」を追い込んだ
- 限界を感じて営業部へ戻ることに
当時はちょうど会社の資本が大きくなり、マーケティング部門が刷新されるタイミング。光栄にも「あそさんにぜひ」という異動の打診があった。
一般的にメーカーのマーケティングは花形部署なので、キャリア的にも大きなステップアップになる。28歳だった私は、気合いと期待で胸をいっぱいにして、営業部から異動したのだった。
……が、ここで大きな壁にぶち当たる。異動した途端、圧倒的に仕事ができなくなった。
単純に業務量や想定外のトラブルが多い部署だったことに加え、マーケティングの仕事は全くの門外漢だったため、上司からの期待を察することができず業務のスケジュール感や重要度の判断もできない。
さらに「あなたは何がしたいのか」という意思を求められる中で、自分にはこだわりがないことにも気付かされた。
A案でもB案でも、別にどっちでもよかった。どっちでもいいから、スムーズに進む方にしてくれよ、といつも思っていた。こういう思考のせいで、余計に業務の精度が落ちていく。
この時、私は社会人人生で初めて「会議で一言も発言できない」を経験した。意見を求められても、判断基準が自分にないので何も言えない。過去の自分が無邪気に放った「いる意味ない」の言葉が頭の中をリフレインして、自分を傷付けた。
決して適当にやっていたわけではなかった。必死に食らいつこうと全力でやっていたけど、求められていることの半分にも達しない。

そのことを上司やチームメンバーから非難されたわけではない。自ら作った「仕事ができる自分」という理想像が、現実との落差を過剰に責め立てて、追い詰めていた。
土曜日の朝目覚めた瞬間から月曜日の仕事が憂鬱(ゆううつ)で涙が出たりして、思えば精神的にかなり追い詰められていたと思う。
結局、新ブランドのローンチという大きなイベントが終わってから営業部への異動願いを出した。会社を辞めるという手もあったが、転職活動をする元気がなかったので、とりあえずこの環境から逃げ出せればと思ったのだ。
異動願いを出す時は少し恥ずかしかった。「私は期待に応えられませんでした」と自己申告するような気がしたからだ。
仕事に対する自信を完全に失った私は、古巣の営業部に傷心のまま戻り、この損なわれた自尊心はもう戻らないだろうと思った。
「挫折を経て得たもの」が自分を変えてくれた
- 営業部で調子を取り戻し「仕事には向き不向きがある」と気付いた
- 挫折をしたことで他者への理解が深まり、チームを意識できるように
ところがどっこい、営業部に戻ったら絶好調だった。
担当先のあたりがよかったこともあり、面白いほどに仕事が回るし評価も上がる。この仕事、私に向いてい過ぎワロタ状態。あの涙と挫折と失望の2年間っていったい何だったワケ?というくらい、瞬く間に損なわれた自尊心が復活。この速度たるや。
この時「仕事ができないんじゃなく、向いていない仕事ができないんだな」ということに気付いた。何を過剰に卑屈になっていたんだ。適材適所、ただそれだけのことだった。
ただ、あの混沌の2年間で得たものもある。私の中で大きく二つ、仕事への意識が変わった。
【1】「不測の事態」でも、周囲を頼りながら対処できるように
まず、不測の事態に対する耐性がかなり強くなった。次から次へとトラブルが起こる過酷な環境下にいたことで「物事はスムーズに回らないことがあり、それは多くの場合個人のせいではない」ということを知った。
以前の私は、プロジェクトがうまく回らないことを自分の過失のように感じて過剰に焦っていたんだと思う。自分だけでできないことがあるのは当たり前で「自分が判断すべきこと」と「会社が判断すべきこと」は別なのだ。自分で抱え込み過ぎず、できそうな人に振れるようになった。
さらに、他者の要求を全て受けていたら自分がパンクする。また(悲しいことだが)弱い立場の人に強く出る人がいるので、理不尽な要求に言い返さなきゃいけないんだということも学んだ。
【2】「自分とは違う他者」への解像度が上がり、フォローするように
もう一つ大きな変化は、自分が一度「できない」を経験したことで、他者への解像度が上がったことだ。人は孤立するとたやすく追い詰められていくと分かったから、チームメンバーのフォローを意識するようになった。
ある業務で目立たなかった人が別の業務でものすごく活躍したりすることはあるし、仕事にコミットできる度合いには、それぞれの事情が関係していたりする。
一人で何でもこなすことを目指すのではなく、さまざまな人と協力し合った方が、よっぽどチームは健全に長持ちする。仕事って個人戦じゃなくて団体戦なんだと気付いた。
かつて傲慢だった私は、挫折をしたことで周囲の人に優しくなったし、認めることができるようになった。他者の弱さを受け入れるには、まず自分の弱さを受容しないといけない。時間はかかったが、気付けてよかったなと思う。
マーケティングに再挑戦。今度は「失敗しても大丈夫」
- 挫折した仕事に再挑戦することに
- 不安はあるが、以前よりも自分がタフになっているのを感じている
- たとえ失敗しても、その時は次の場所でまた頑張ればいい
そんなこんなでしばらくは営業部に腰を落ち着けていたのだが、冒頭に書いた通り、今は再びマーケティング部の仕事に挑戦をしている。

もちろん、異動の打診が来たときは「は?」であった。当時の私の憔悴(しょうすい)ぶりを知る全ての人に「よく受けたね」と言われた。私もそう思うが、そこはいろいろな事情があり、受けない手はなかった。
実際、予想通り大変なのだが、あの頃よりましだ。そもそもの自分への期待値が低いのもあるが、前回の挫折やその後の営業部での日々を経て、あの頃よりタフになっているのかもしれない。
過去の挫折は必ずしもキャリアのマイナスにならないことを知って、いい意味で図々しくなったし、過剰に失敗を恐れなくなった。
できると思われて打診が来たんだから、不安げな態度を見せるよりできるツラして戦うのが一番。そういう気持ちで奮闘する毎日だ。
とはいえ、やはり営業部にいた時のような「できてる!」感はない。基本的には向いていない仕事だと感じるし、しばらくしたらあの時と同じように「やっぱり無理」となるかもしれない。
でも、その時はまた「できません」と言えばいい。
そしてまた新たな場所に行き、新たに蓄積された経験と知識を使って、そこで頑張ればいい。過去のどんな経験も強みになることを、私は身をもって知っている。
以前、友人が過酷な環境に置かれたキャラクターを指して「今、鉄が鍛えられて強くなっているところ」と評したことがある。私はその言葉が好きだ。
同じように、挫折も白旗も、私を磨く要素でしかない。鉄が打たれることで鍛えられ強くなるように、私はさまざまな経験値で強くなる。
そんな自分を愛しながら、強くたくましく、至上命題である「定年まで正社員」を達成する所存だ。やるぞ!!!!
編集:はてな編集部
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