自分の意思で専業主婦(主夫)を選び、家族間で納得している。それなのに周囲から「働かないの?」と言われ、モヤモヤしてしまう。子どもを保育園に預けて仕事に復帰したら「子どもがかわいそう」と言われる。それぞれが納得して選んだ道であるにもかかわらず、生き方の違う者同士では、どうしても対立が生まれがちです。
テレビドラマ化もされた『わたし、定時で帰ります。』では“残業しない”主人公を描き、「労働」と「社会」の問題を映し話題を集めた、小説家の朱野帰子さん。そんな朱野さんが著書『対岸の家事』で描いたのは、“家事”という労働のこと。作中では家事育児を起点とした専業主婦やワーキングマザー、育休中の男性をはじめとした、さまざまな立場での葛藤、そして互いに手を取り合う過程が描かれています。
生き方が多様化し“正解”が分からない今、性別や年齢、立場に振り回されることなく「それぞれの生活」を尊重し、時には手を取り合うためにはどうすればいいのでしょうか。『対岸の家事』の作品背景とともに、朱野さんに伺いました。
誰もが「自分の人生は間違ってない」と思いたい
▶『対岸の家事』(朱野 帰子) - 講談社文庫
しょせん、主婦の話だ。たかが、家事の話だ。
地味で、盛り上がりに欠ける。会社で働いている人たちには退屈だろう。
途中で遮られ、溜め息をつかれて、甘いと言われて、目を瞑られて、終わりだ。
みんな詩穂のことを吞気だと言う。主婦の話題になると、時流がどうだとか時代の趨勢がどうだとか言う。でも違う。そんな壮大な話をしたいわけではないのだ。
ぽっかりと空いた穴と、その穴をあきらめずに埋めていく日々の話をしたいのだ。
どんな時代でも、誰かがやらなければならない家事という仕事の話がしたいのだ。
朱野帰子さん(以下、朱野) ありがたいことに、好意的に受け止めてくださる人が多かったです。専業主婦の方からは「自分の気持ちが言語化されていた」「読んで泣いてしまった」などの感想をいただきました。私は専業主婦の当事者ではないから、勝手に想像で内面を書いていいのかな? と迷いもあったんですが、「孤独な気持ちを書いてもらえた」と褒めていただけたのはうれしかったです。
朱野 表では「私は家事と育児しかしてないから、働いている人に比べたら全然大変じゃないですよ」って言う方も少なくないですよね。でも、つらさを打ち明けても笑われたり叩かれたり無視されたりするだけだから、言ってないだけっていう人もいると思います。
取りに戻って引き戸を少し開けると、礼子の声が聞こえて、詩穂は立ち止まった。
「絶滅危惧種だよね、このあたりでは。地方にはまだたくさんいるかもしれないけど」
「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできるし、専業でいる意味あるのかな」
「旦那がお金持ちなのかな。でも、そうは見えなかったよね」
「まだ二十五歳だって。情報弱者っていうか、時流に乗り遅れちゃったんだろうね」
最後に言ったのは礼子だった。
朱野 「外で働いてGDPに貢献することこそが仕事である」というのは、実は私自身内面化していた考え方でした。私はずっと自分のことを“レジスタンス側”だと思っていたんです。専業主婦が圧倒的多数だった時代を知っているので、少数派のカウンターとして「働きながらでも子育てはできるじゃん」「離婚したらどうするの?」という反発心を持って頑張っていたつもりでした。
事実、「小さい子がいるのに働くなんてかわいそう」「保育園に子育てを丸投げしてる」など、ワーママ(ワーキングマザー)が集中砲火を浴びた時代もあったと思うんですよね。
朱野 でも共働き世帯と専業主婦世帯の数は、実は1990年代に逆転している。「女は家庭に入れ」という価値観を押し付けられている側だと思っていたのに、気づけば自分が「専業主婦なんて」と価値観を押し付ける側になっていたと気づいたときはすごくショックでした。
朱野 礼子が陰口を言うシーンは、結婚して専業主婦になった学生時代の後輩から聞いた話が元になっています。彼女は自分の意思で専業主婦になることを選び、子育ても楽しんでるんですが、子どもを連れて児童支援センターに行くと周りは何らかの仕事をしている人ばかり。
「仕事は何をしてるの?」という質問に「家事と育児」と言うと、「まあ、今はそうだよね。育休中だよね」みたいにスルーされてしまうと。その話を聞いて初めて、現代の専業主婦が置かれたアウェイな状況を知ったんです。
朱野 かつては「新卒で企業に就職して定年まで勤め上げる」「専業主婦になって家庭を支える」という、ある種“主流の生き方”みたいなものがあったと思うんです。「こうしていれば絶対に責められることはない」というような。それが就職氷河期を迎え、“主流”から外れざるを得ない若者が増えた。
朱野 今の若い世代では、転職は珍しいものではなくなったし、「結婚はしてもしなくてもいい」「男らしさ/女らしさにとらわれなくていい」などもあり、生き方が多様化しています。『対岸の家事』の登場人物たちはまさに過渡期というか、その間にいる人々。何を選べば正解なのか分からないからこそ孤独で不安で、「自分は間違っていない」と思いたいのかなと思います。
“つらさ合戦”から抜け出すためにできること
朱野 小説を読んでほしいなあと思います。できれば、自分と全然違う立場の人が登場するものを。自分と似た立場の人が出てくる物語を読んで「一人じゃないんだな」と感じることも大事なんですけど、違う国籍の人、違う業界で働く人、違う世代の人の話を読むと、「それぞれに事情があってみんな孤独なんだな」と分かるようになる気がするんです。
朱野 「絶対分かりたくない!」と思う人のエッセイや小説、けっこう頑張って読んでますよ。SNSでは喧嘩しちゃうような相手でも、小説になると手を繋ぎたくなるような思いが生まれたりするんじゃないかなと感じていて。
なので、『対岸の家事』にはいいことばかり書かないようにしました。礼子も、キラキラした素晴らしいワーママとしては描かない。主婦を見下したり「暇だよね」と思っているところもあります。私も礼子や中谷は、SNSで見たら腹が立つと思います。
ただ、小説の中だと彼・彼女たちの生い立ちや生活を見れるので、捉え方は変わるかもしれない。SNSでは見えない生活や、“みんな違ってみんないい”ではない、リアルな多様性を描けるのが小説なので。さまざまな小説を読んで自分を混沌とさせる。白黒分けずにその混沌とした状態をキープしておくのは、私自身も心がけていることです。
朱野 私はSNSで考え方が合わない人もフォローしていて、自分と価値観が同じ人と正反対の人と、両方タイムラインで見るようにしています。「それは違う」と思うこともありますし、意見が正反対の人同士が罵り合うのを見るのはしんどいです。でも、この意見は合わないけどこっちの意見は合うって思えたり、私にはない考え方に出会えたりもします。
自分と違う価値観やライフスタイルを知ったからと言って、自分の価値観が大きく変わることはないと思います。ただ、相手のことをたくさん知った上で「じゃあ私はどうするのか?」を考えるのが大事なのかなと思っています。
朱野 似た物同士で集っていると、人はどんどん孤独になる気がするんです。自分たちの結束を強めるために敵を作るじゃないですか。そうすると、“敵”の属性の人とは関われなくなる。それを繰り返しているうちに、どんどん敵が増えて孤独が深まっていくんじゃないかと怖いんです。
たとえ相手を好きでなくても、支え合うことはできる
朱野 『対岸の家事』の登場人物はみんな極限状態なんですよね。でも、本当に大変なときって、人は異なる立場を飛び越えて手を結ぶことができると思っているんです。実は私自身が過去に一度、専業主婦家庭のご家族に助けられたことがあって。
朱野 産後うつのような状態になってしまったとき、仕事関係の知人に「本当に(メンタルが)危ないときがあったんですよね」と冗談っぽく話したら、「うちに来なさい」と言われたんです。いやいや、そんなに親しい間柄じゃないし奥さんのことも知らないし……と躊躇したんですけど、本当はそのときもかなりつらかった。「今この人に頼れなかったら一生誰にも頼れない」「ここで弱みを見せることこそ強さなのだ」と覚悟を決め、お家に伺いました。
朱野 ごはんを作ってもらって、子どもはその家のお兄ちゃんと遊んでもらって、私は一日話を聞いてもらって、ゆっくりと過ごすことができました。専業主婦の奥さんから「私もずっと孤独な子育てでつらかった」という話を聞いたことで自分のつらさも自覚できて、「精神的にけっこう危ない状態なんだな」と気づき、カウンセリングも受けるようになりました。
朱野 私のように人に弱みを見せたり頼ったりするのが苦手な人は、まずは顔見知り程度の人から話しかける訓練をしてみるといいと思います。たとえば幼稚園や保育園の親同士だけど話したことはない、という人に挨拶をするとか、ちょっとしたことから。慣れてきたら天気の話につなげたりして、少しずつ話す訓練をしてみる。
朱野 ビジネスパーソン脳で生きていると、地域社会で知らない人と話すことってすごく難しいんです。だから、子どもと公園に行って他の親子に会ったら「この人はどういう人なんだろう?」と相手を探りながら一緒に砂場で遊んでみるとか、そういう訓練はやっておいた方がいいのかなと思っています。
専業主婦の方たちは、ストリートで出会う知らない人たちとコミュニケーションをとりながらネットワークを築いてずっとやってきたんですよね。楽しくて近所の人やママ友と一緒にいるというよりも、それも仕事の一つで、生きるためのスキルとして。
朱野 さらっと書いたけれどすごく難しいですよね。地域社会ってきれいごとじゃないんです。いろんな人がいて、全く価値観が違う人とも付き合っていかなきゃいけない。嫌だからフォローを外すわけにもいかない。「ほんわかした世界」ではない。
朱野 地域の相談窓口とか張り紙でしか得られない情報を知っていることも多いですよね。地域社会の情報ってネットに出ないものが多いじゃないですか。地元の小学校の情報を持っていたり、学校のプリントで「持ってきてください」と言われた、どんぐりが落ちている場所だとかを知っていたり。主婦の人たちの持っている情報に、外で働いている人は助けられることも多い。
朱野 でも、無理に相手を好きになる必要もないんです。お互い嫌いでも、理解し合えなくても生きるために支え合えばいい。相手を尊重しつつ一緒にいるだけでいい。育児だけでなく、介護などでもそうだと思いますが。
詩穂、礼子、中谷のように普段は交わることのない人たちが手を取り合うことは、現実世界でも起こりうる。「意外とそんなこともあるよ」っていう面白さみたいなのを、私は小説を通して描きたかったのかもしれません。
一人ひとり違う「働き方」を尊重するには
お話を伺った方:朱野帰子さん