みんな孤独だからこそ、私たちは手を取り合える。『対岸の家事』著者・朱野帰子さん

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自分の意思で専業主婦(主夫)を選び、家族間で納得している。それなのに周囲から「働かないの?」と言われ、モヤモヤしてしまう。子どもを保育園に預けて仕事に復帰したら「子どもがかわいそう」と言われる。それぞれが納得して選んだ道であるにもかかわらず、生き方の違う者同士では、どうしても対立が生まれがちです。

テレビドラマ化もされた『わたし、定時で帰ります。』では“残業しない”主人公を描き、「労働」と「社会」の問題を映し話題を集めた、小説家の朱野帰子さん。そんな朱野さんが著書『対岸の家事』で描いたのは、“家事”という労働のこと。作中では家事育児を起点とした専業主婦やワーキングマザー、育休中の男性をはじめとした、さまざまな立場での葛藤、そして互いに手を取り合う過程が描かれています。

生き方が多様化し“正解”が分からない今、性別や年齢、立場に振り回されることなく「それぞれの生活」を尊重し、時には手を取り合うためにはどうすればいいのでしょうか。『対岸の家事』の作品背景とともに、朱野さんに伺いました。

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誰もが「自分の人生は間違ってない」と思いたい

『対岸の家事』あらすじ

対岸の家事

家族のために「家事をすること」を仕事に選んだ、専業主婦の詩穂。娘とたった二人だけの、途方もなく繰り返される毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。二児を抱え、自分に熱があっても休めない多忙なワーキングマザーの礼子。医者の夫との間に子どもができず、姑や患者にプレッシャーをかけられる主婦・晶子。外資系企業で働く妻の代わりに、二年間の育休をとり、1歳の娘を育てるエリート公務員・中谷。誰にも頼れず、いつしか限界を迎える彼らに、詩穂は優しく寄り添い、自分にできることを考え始める――。

▶『対岸の家事』(朱野 帰子) - 講談社文庫

「対岸の家事」は、自分の意思で専業主婦になることを選んだ27歳の詩穂を主人公とした物語です。家事・育児の中で感じる孤独感の描写には、共感の声も多かったのではないでしょうか。

しょせん、主婦の話だ。たかが、家事の話だ。
地味で、盛り上がりに欠ける。会社で働いている人たちには退屈だろう。
途中で遮られ、溜め息をつかれて、甘いと言われて、目を瞑られて、終わりだ。
みんな詩穂のことを吞気だと言う。主婦の話題になると、時流がどうだとか時代の趨勢がどうだとか言う。でも違う。そんな壮大な話をしたいわけではないのだ。
ぽっかりと空いた穴と、その穴をあきらめずに埋めていく日々の話をしたいのだ。
どんな時代でも、誰かがやらなければならない家事という仕事の話がしたいのだ。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野帰子さん(以下、朱野) ありがたいことに、好意的に受け止めてくださる人が多かったです。専業主婦の方からは「自分の気持ちが言語化されていた」「読んで泣いてしまった」などの感想をいただきました。私は専業主婦の当事者ではないから、勝手に想像で内面を書いていいのかな? と迷いもあったんですが、「孤独な気持ちを書いてもらえた」と褒めていただけたのはうれしかったです。

専業主婦(主夫)の方のつらさはなかなか大っぴらに言いづらく、また理解されにくいものなのかなと感じます。

朱野 表では「私は家事と育児しかしてないから、働いている人に比べたら全然大変じゃないですよ」って言う方も少なくないですよね。でも、つらさを打ち明けても笑われたり叩かれたり無視されたりするだけだから、言ってないだけっていう人もいると思います。

小説の序盤でも、ワーキングマザーの礼子が「家事なんて仕事の片手間にできる」と陰口を言うシーンがありますね。 それぞれ自分の持ち場で働いているはずなのに、今の時代「家事労働」にコミットするのは特別な事情があったり、経済的に余裕があったりする人くらい……と捉える人は少なからずいるように感じます。

「イマドキ、専業主婦になんかなってどうするんだろう」
取りに戻って引き戸を少し開けると、礼子の声が聞こえて、詩穂は立ち止まった。
「絶滅危惧種だよね、このあたりでは。地方にはまだたくさんいるかもしれないけど」
「家事なんて、いい家電があれば仕事の片手間にできるし、専業でいる意味あるのかな」
「旦那がお金持ちなのかな。でも、そうは見えなかったよね」
「まだ二十五歳だって。情報弱者っていうか、時流に乗り遅れちゃったんだろうね」
最後に言ったのは礼子だった。

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 「外で働いてGDPに貢献することこそが仕事である」というのは、実は私自身内面化していた考え方でした。私はずっと自分のことを“レジスタンス側”だと思っていたんです。専業主婦が圧倒的多数だった時代を知っているので、少数派のカウンターとして「働きながらでも子育てはできるじゃん」「離婚したらどうするの?」という反発心を持って頑張っていたつもりでした。

事実、「小さい子がいるのに働くなんてかわいそう」「保育園に子育てを丸投げしてる」など、ワーママ(ワーキングマザー)が集中砲火を浴びた時代もあったと思うんですよね。

「子どもがかわいそう」という言葉への罪悪感は、今もそうですが、かつてはより強いものだったのかなと思います。

朱野 でも共働き世帯と専業主婦世帯の数は、実は1990年代に逆転している。「女は家庭に入れ」という価値観を押し付けられている側だと思っていたのに、気づけば自分が「専業主婦なんて」と価値観を押し付ける側になっていたと気づいたときはすごくショックでした。

何かそれに気づいたきっかけがあったのでしょうか。

朱野 礼子が陰口を言うシーンは、結婚して専業主婦になった学生時代の後輩から聞いた話が元になっています。彼女は自分の意思で専業主婦になることを選び、子育ても楽しんでるんですが、子どもを連れて児童支援センターに行くと周りは何らかの仕事をしている人ばかり。

「仕事は何をしてるの?」という質問に「家事と育児」と言うと、「まあ、今はそうだよね。育休中だよね」みたいにスルーされてしまうと。その話を聞いて初めて、現代の専業主婦が置かれたアウェイな状況を知ったんです。

礼子がのちに自身の発言を詫びるシーンで、「自分の選んだ人生は間違ってなかったと思いたかった」と話しますよね。自分と違う生き方を否定したくなる心理の源流はそこなのでしょうか。

「ずっと謝ろうと思ってた。怖かったんだと思う。……うちの母も主婦だったから、違う道を歩むのが怖かった。ワーキングマザーなんて私に本当にできるのかなって。だからイマドキ専業主婦なんてって言って、自分の選んだ人生は間違ってなかったんだって思いたかった」

『対岸の家事』(講談社)より

朱野 かつては「新卒で企業に就職して定年まで勤め上げる」「専業主婦になって家庭を支える」という、ある種“主流の生き方”みたいなものがあったと思うんです。「こうしていれば絶対に責められることはない」というような。それが就職氷河期を迎え、“主流”から外れざるを得ない若者が増えた。

女性の社会進出も働きたいと思う人が働けるようになった、という側面もありますが、生活のために「共働きでないとやっていけない」というのも変化の背景としてあるように感じます。

朱野 今の若い世代では、転職は珍しいものではなくなったし、「結婚はしてもしなくてもいい」「男らしさ/女らしさにとらわれなくていい」などもあり、生き方が多様化しています。『対岸の家事』の登場人物たちはまさに過渡期というか、その間にいる人々。何を選べば正解なのか分からないからこそ孤独で不安で、「自分は間違っていない」と思いたいのかなと思います。

“つらさ合戦”から抜け出すためにできること

『対岸の家事』では、詩穂と礼子、それから育休中の公務員である中谷、立場の違うそれぞれが最初は対立しながらも徐々に弱みをさらけ出し手を取り合っていく様子が描かれています。でも現実では、「私が一番つらい」「いや、私の方が」と“つらさ合戦”で溝が深まることも多いように思います。それを避けるために、どんなことを心がけると良いと思いますか?

朱野 小説を読んでほしいなあと思います。できれば、自分と全然違う立場の人が登場するものを。自分と似た立場の人が出てくる物語を読んで「一人じゃないんだな」と感じることも大事なんですけど、違う国籍の人、違う業界で働く人、違う世代の人の話を読むと、「それぞれに事情があってみんな孤独なんだな」と分かるようになる気がするんです。

朱野さんも、ご自身とはまったく違う属性の人が登場する小説を読みますか?

朱野 「絶対分かりたくない!」と思う人のエッセイや小説、けっこう頑張って読んでますよ。SNSでは喧嘩しちゃうような相手でも、小説になると手を繋ぎたくなるような思いが生まれたりするんじゃないかなと感じていて。

なので、『対岸の家事』にはいいことばかり書かないようにしました。礼子も、キラキラした素晴らしいワーママとしては描かない。主婦を見下したり「暇だよね」と思っているところもあります。私も礼子や中谷は、SNSで見たら腹が立つと思います。

ただ、小説の中だと彼・彼女たちの生い立ちや生活を見れるので、捉え方は変わるかもしれない。SNSでは見えない生活や、“みんな違ってみんないい”ではない、リアルな多様性を描けるのが小説なので。さまざまな小説を読んで自分を混沌とさせる。白黒分けずにその混沌とした状態をキープしておくのは、私自身も心がけていることです。

相手を知ることで、敵対心や嫌悪感がより強まることはないのでしょうか。

朱野 私はSNSで考え方が合わない人もフォローしていて、自分と価値観が同じ人と正反対の人と、両方タイムラインで見るようにしています。「それは違う」と思うこともありますし、意見が正反対の人同士が罵り合うのを見るのはしんどいです。でも、この意見は合わないけどこっちの意見は合うって思えたり、私にはない考え方に出会えたりもします。

自分と違う価値観やライフスタイルを知ったからと言って、自分の価値観が大きく変わることはないと思います。ただ、相手のことをたくさん知った上で「じゃあ私はどうするのか?」を考えるのが大事なのかなと思っています。

同じ属性の中に閉じこまらないように心がける、ということですね。

朱野 似た物同士で集っていると、人はどんどん孤独になる気がするんです。自分たちの結束を強めるために敵を作るじゃないですか。そうすると、“敵”の属性の人とは関われなくなる。それを繰り返しているうちに、どんどん敵が増えて孤独が深まっていくんじゃないかと怖いんです。

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たとえ相手を好きでなくても、支え合うことはできる

“つらさ合戦”をやめられたとしても、礼子や中谷のように他人に弱みを見せられない、つらいのに人に頼ることができないという人は多そうです。

朱野 『対岸の家事』の登場人物はみんな極限状態なんですよね。でも、本当に大変なときって、人は異なる立場を飛び越えて手を結ぶことができると思っているんです。実は私自身が過去に一度、専業主婦家庭のご家族に助けられたことがあって。

そのお話、ぜひ教えていただきたいです。

朱野 産後うつのような状態になってしまったとき、仕事関係の知人に「本当に(メンタルが)危ないときがあったんですよね」と冗談っぽく話したら、「うちに来なさい」と言われたんです。いやいや、そんなに親しい間柄じゃないし奥さんのことも知らないし……と躊躇したんですけど、本当はそのときもかなりつらかった。「今この人に頼れなかったら一生誰にも頼れない」「ここで弱みを見せることこそ強さなのだ」と覚悟を決め、お家に伺いました。

声をかける側も朱野さんも、どちらにとっても勇気のいることだったと思います。実際行ってみてどうでしたか?

朱野 ごはんを作ってもらって、子どもはその家のお兄ちゃんと遊んでもらって、私は一日話を聞いてもらって、ゆっくりと過ごすことができました。専業主婦の奥さんから「私もずっと孤独な子育てでつらかった」という話を聞いたことで自分のつらさも自覚できて、「精神的にけっこう危ない状態なんだな」と気づき、カウンセリングも受けるようになりました。

極限状態だったからこそ人に頼ることができたんですね。その前段階でできることがもしあるとすれば、どんなことだと思いますか?

朱野 私のように人に弱みを見せたり頼ったりするのが苦手な人は、まずは顔見知り程度の人から話しかける訓練をしてみるといいと思います。たとえば幼稚園や保育園の親同士だけど話したことはない、という人に挨拶をするとか、ちょっとしたことから。慣れてきたら天気の話につなげたりして、少しずつ話す訓練をしてみる。

仕事モードではない会話の練習をする、と。

朱野 ビジネスパーソン脳で生きていると、地域社会で知らない人と話すことってすごく難しいんです。だから、子どもと公園に行って他の親子に会ったら「この人はどういう人なんだろう?」と相手を探りながら一緒に砂場で遊んでみるとか、そういう訓練はやっておいた方がいいのかなと思っています。

専業主婦の方たちは、ストリートで出会う知らない人たちとコミュニケーションをとりながらネットワークを築いてずっとやってきたんですよね。楽しくて近所の人やママ友と一緒にいるというよりも、それも仕事の一つで、生きるためのスキルとして。

『対岸の家事』にも「主婦の仕事は味方を増やしておくこと」という言葉が出てきますよね。

朱野 さらっと書いたけれどすごく難しいですよね。地域社会ってきれいごとじゃないんです。いろんな人がいて、全く価値観が違う人とも付き合っていかなきゃいけない。嫌だからフォローを外すわけにもいかない。「ほんわかした世界」ではない。

そうして主婦の方が積み上げたネットワークで得た地域情報や、知見に助けられることも少なくないように思います。

朱野 地域の相談窓口とか張り紙でしか得られない情報を知っていることも多いですよね。地域社会の情報ってネットに出ないものが多いじゃないですか。地元の小学校の情報を持っていたり、学校のプリントで「持ってきてください」と言われた、どんぐりが落ちている場所だとかを知っていたり。主婦の人たちの持っている情報に、外で働いている人は助けられることも多い。

「専業主婦(夫)か会社などで働く人か」に限らず、属性が違ったとしても、相手に敬意を持ちながらお互いに歩み寄れるといいですよね。

朱野 でも、無理に相手を好きになる必要もないんです。お互い嫌いでも、理解し合えなくても生きるために支え合えばいい。相手を尊重しつつ一緒にいるだけでいい。育児だけでなく、介護などでもそうだと思いますが。

詩穂、礼子、中谷のように普段は交わることのない人たちが手を取り合うことは、現実世界でも起こりうる。「意外とそんなこともあるよ」っていう面白さみたいなのを、私は小説を通して描きたかったのかもしれません。



取材・執筆:鼈宮谷千尋

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お話を伺った方:朱野帰子さん

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1979年東京都生まれ。2009年、『マタタビ潔子の猫魂』で第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞。2015年、『海に降る』がWOWOWでドラマ化される。2018年に刊行した『わたし、定時で帰ります。』は働き方改革が叫ばれる時代を象徴する作品として注目を集める。その後刊行した続篇『わたし、定時で帰ります。ハイパー』(文庫版は『わたし、定時で帰ります。2 打倒!パワハラ企業編』に改題)と併せてTBSでドラマ化されたことでも話題に。『わたし、定時で帰ります。―ライジング―』はシリーズ第三弾となる。他の著書に『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』『対岸の家事』『くらやみガールズトーク』などがある。
Twitter:朱野帰子 (@kaerukoakeno)

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