誰もが“困難”を乗り越えていく。映画『ドリーム』『二ツ星の料理人』登場人物に注目

 真魚八重子

img

当時の時代背景を色濃く表現した作品や、困難な環境の中奮闘する登場人物を描いた作品は数多くあるもの。今回は、映画評論家・映画ライターの真魚八重子さんにさまざまな困難にぶつかりながらも働いていく女性が登場する映画作品について、紹介していただきました。

▼△▼

映画の主人公に選ばれるのは、多くの場合ユニークな個性と突出した部分を持つ人です。特に作品に登場するような人物は、普通の人間とはかけ離れているように感じられるかもしれません。しかし仕事内容の違いはあれ、何かを成し遂げるために働く作業や時間は、どんな人であっても変わらないものです。そういった女性を描いた映画を参考に、われわれも職場で力を発揮する方法を考えてみましょう。

黒人女性数学者の実話を描いた『ドリーム』

ドリーム

2017年に日本でも公開され、アカデミー賞でも3部門でノミネートされた『ドリーム』(セオドア・メルフィ、2016年)。NASAで最初期の宇宙ロケット計画に携わった、黒人女性数学者の実話を基にした映画です。

米ソ冷戦の真っ只中で、国をかけて宇宙開発に取り組んでいた時代。街では人種差別撤廃運動が起こりつつ、NASAでもいまだ、優秀な頭脳を持つ黒人たちが白人とは別棟で働くのは当たり前でした。その中で黒人女性のキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)は最も計算力に優れた人材として、宇宙特別研究本部に配属されます。

しかし、そこは白人男性ばかりの職場。唯一の白人女性は秘書で、主戦力の男性たちとは明瞭に立場や作業が異なっています。そんな中で、男性と同じ業務内容を行うことになったキャサリンは、入るなり同僚たちから白眼視されます。

選ばれた者と思っている男性集団の中に、同じ能力を持つ女性が入ってくると、男性たちはそれだけで水準が下がるような錯覚を抱きがちで、プライドが傷ついたりします。実際の平均能力ではなく、見栄えとして「女が入っているグループならその程度」というイメージを持つ男性は、どんな世界にでもいるものです。その上性差別がまだ当たり前の時代で、さらに有色人種となれば職場の圧力はいかばかりでしょう。

バスの座席やトイレが肌の色で分けられていた、差別も露わな時代。NASAにおいても白人だけの棟では、キャサリンは小用を催すたびに離れた有色人種用のトイレへ遠出をします。この描写は長めに何度も繰り返されるので、公開当時には「堂々と白人用トイレを使えばいいのに」という印象を持つ人もいたようです。

しかし染みついた社会のルールというのは、逸脱するには勇気が必要です。もし、われわれもキャサリンの立場であれば、白人用トイレに堂々と入ったり、尿意を催している状態で使用の交渉をしたりなど、そんな余地がないのは察しがつきます。それにもしキャサリンが白人用トイレを使っても、仕事を失うわけがないと保証できる人はいるでしょうか。黒人の、そして女性の立場は弱い時代であったゆえに、キャサリンは腹立たしさを感じながらも、習慣的にトイレの遠出を続けるのです。

キャサリンがまともに仕事をできるようになるきっかけは、宇宙計画で頭がいっぱいの、基本的に無頓着な上司アル・ハリソン(ケビン・コスナー)が、キャサリンの不審な振る舞いに気づいたためでした。計算をしてほしいときに度々、彼女が長時間の離席をしている謎。ハリソンがキャサリンのことを仕事にルーズだと誤解し怒鳴りつけた際、彼女はとうとう堪忍袋の緒が切れてしまいます。

キャサリンが堰を切ったように訴えたのは、黒人女性への差別から、仕事をするための最低の環境も整っていない事実。キャサリンは同僚たちが取っている態度は果たして人として、同じ目的のために働く者としてふさわしいのかを、強い言葉で突き付けます。でもこの叫びは決して彼女が芯の強い人だからではなく、本当に切羽詰まった状態で、もはや避けて通れない事態になっていたためでしょう。

彼女の悲痛な声を聞いて、ハリソンは気に留めていなかった社会の慣習や、同僚たちの差別心や思いやりのなさによって、彼女が置かれた不利な状況にやっと気づきます。そして翌日、彼は建物内の差別的なプレートを取り外す振る舞いに出るのでした。

ヘンに人権主義な理由よりも、効率の悪さに端を発して、彼が差別の弊害や部下たちの狭量さに怒りを抱くのは、しっくりくる展開ですね。

職場の最終的な目的は、男女の立場に関係なく、良い形で仕事をやり遂げることなはず。差別やメンツに囚われている人が作業の邪魔をするのは、本当にもったいないことです。誰にとっても能力を発揮しやすい職場であるかというのは、すごく重要なことなのだと気づかされます。

責任感のある関係性『二ツ星の料理人』

二ツ星の料理人

ブラッドリー・クーパー主演の『二ツ星の料理人』(ジョン・ウェルズ、2015年)は、一度はドラッグ、酒などで失敗したシェフが再起をかける物語です。本作では、主要キャラの女性料理人エレーヌ(シエナ・ミラー)に注目してみましょう。

一流の料理人だったアダム・ジョーンズ(ブラッドリー・クーパー)は過去に道を誤り、一度は表舞台から姿を消した身。しかし再度修行を経て、改めて友人オーナーのトニー(ダニエル・ブリュール)に信用してもらい、ロンドンで店を構えます。

彼は他のレストランから、ソースを作る腕前が絶品の料理人エレーヌをヘッドハンティング。しかしアダムの横柄な態度が癇に障り、エレーヌは彼と度々反発し合いますが、なんとか互いに折り合いをつけて共に働くことになります。

エレーヌはダメ亭主と別れ、シングルマザーの料理人として暮らしています。もちろん仕事への情熱や高いプロ意識は持っていますが、娘をきちんと育てなければという志が一番の原動力。それでも料理人の仕事は肉体的にもハードで、娘に協力してもらう形でエレーヌはなんとか日々を過ごし、男性の多い厨房の中で、タフな働き方によって男性陣の中に違和感なく溶け込みます。

けれどもアダムは完全に料理中心の考え方で、店が軌道に乗るまではスタッフの誰にも私生活はないという態度。確かに、完璧主義の彼が作り出す料理は、見栄えも素晴らしく天才的な感性に溢れたものです。ただし秀でたシェフであることと、指導者として優秀であるのは別なんですよね。

エレーヌは子を育てる親として、我慢してはいけないラインを守ろうとします。エレーヌは「娘の誕生日はランチの仕事を休みたい」と申し出ますが、当然のようにアダムは却下。しかし彼女は従ったように見せつつ、厨房の仲間たちに不満を伝え、トニーの配慮によって母子は誕生日の時間を共有できるようになります。アダムはこの出来事で部下たちの総スカンを食らい、さすがにそういった気遣いも必要なのだと気づいていきます。

アダムは過去に自分が蒔いた種によってさまざまな報いを受けますが、必死に耐えて第二のまともな人生を進む努力を続けます。そんな彼の再起にかけた覚悟を察して、次第に仕事とプライベートの両面で彼を支えていくエレーヌ。

ヘッドハンティングされたことから分かるように、気難しいアダムにも料理人として認められるエレーヌは、まずは仕事のパートナーとしての絆があります。それに二人はドラッグや、ダメな生活に流れていく異性に苦しめられた過去があります。ドラッグを完全に断つのは、それまでの人間関係も清算すること。過去を断ち切ったアダムもエレーヌも、料理や娘にかけて生きているので、責任感のある関係性が漂ってきます。

△▼△

『ドリーム』のキャサリンも『二ツ星の料理人』のエレーヌも最初は社会の慣習や生活のハードさが立ちはだかって、自分の能力を十分に発揮できなかったり、家庭と仕事の両立に四苦八苦したりします。でもぶつかった壁を崩すためには、この二人のように周囲の理解を仰いで助けを求めることや、自分の軸となる平熱を保つのも重要。焦って我(われ)を忘れてしまうよりマイペースでいる方が、問題が生じたときにノイズとして気づきやすいし、どういう困難かを冷静に見極められるものです。困ったときはまずは頑張りすぎるより、心を落ち着けて普段通りの生活を意識的にキープしてみるといいのかもしれません。

著者:真魚八重子id:anutpanna

manayaeko

映画評論家。「映画秘宝」「朝日新聞」「文春オンライン」「ハニカム」「イングリッシュ・ジャーナル」等で執筆。著書に『映画なしでは生きられない』(洋泉社)『バッドエンドの誘惑〜なぜ人は厭な映画を観たいと思うのか〜』(洋泉社)など。

次回の更新は、2018年4月4日(水)の予定です。

編集/はてな編集部