
高知の人の人生をも変えるよさこい祭りとは

高知のよさこいって、昔は男の人がトラックの上で酒飲んで騒いでるみたいな感じだったんです。今はダンス主体のお祭りに変わってしまってるけど。地元の友達が集まって面白いことやろうってなかの一つにイルミネーションもあったんだよね。
だから、高知のバンド界隈でも電球つくって電飾作ったりするのがどんどんエスカレートするきっかけはよさこい祭りだったと思うよ。

1986年のよさこい祭り。生バンドがトラックで歌うということが行われていたそう
──へえ、なんというかちゃんと若者がお祭りという場所で遊ぶんですね。
昔のよさこい祭りは昼間の祭りだったけど、僕が関わりだした頃に工事のライト使って夜も始まりだした。僕が東京で就職したのも照明の会社だったから、夏休みにハイエースをステージで使うライトの機材で満載にして帰ってきて、よさこい祭りで遊んでたの。
地方車(じがたしゃ/※)にも電球取り付けて遊んで、よさこい祭りがどんどん華やかになっていった頃のピークだったね。
※前に進んでいく高知のよさこい祭りでは地方車(じがたしゃ)と呼ばれる装飾されたトラックが音を鳴らして踊りを先導する
──そうするとよさこい祭りがピカピカにライトアップされていくきっかけは岡さんが(笑)。
そうです。当時はなんかおかしなやつが夜ライトつけてコンサートみたいなことをやって遊んでるってなってたのが、今やライティングは当たり前の華やかな祭りになりましたね。

1986年。岡さんの手掛けた照明だろうか、白熱灯ではなくステージ用照明が積まれている
そもそも阿波おどりの対抗意識から生まれた高知のよさこい祭りとはなにか
岡さんはよさこいのサイトを立ち上げたり(サーバーから!)映像を作ってソフト化したりもしたそう。この話を聞いた後だと、裏方パートの映像がおもしろく見れます
──すいません、よさこい祭り自体をあまり知らないんです。なんかチームで踊るという話はよく聞きますけど?
僕が子供の頃は運動会で使うようなスピーカーから都はるみの『よさこい節』を流して盆踊りみたいに踊ってたのね。
隣の徳島県には阿波踊りというお祭りがあって、追いつけ追い越せと、よさこい祭りというのを作ったわけ。だから僕が子どもの頃は商店街活性化のために「アルバイト募集3000円」って札が商店街に立ってた。子どもがお金をもらって踊るものだったの。
中学校の運動会とかでは基本の踊りを踊らされるの。中学生なんて女の子と手を繋いで踊るフォークダンスの方が楽しいよね。僕はよさこいアンチだったのね。
──アンチだったんですね(笑)。
それがリオのカーニバルに高知のチームが出たときによさこいをサンバ風にアレンジして踊ったことがきっかけで「よさこいが変化し始める」ということが起きたの。
東京のお祭りだと丸くなって盆踊りみたいに踊るけど、高知のよさこい祭りには三つルールがあるんです。「鳴子を持つ」「前に進む」「よさこい節のメロディーの一部が入る」。踊りの行列は前に進むから、ステージの上では踊れないのね。

1999年の地方車。見るからに大きな音が鳴りそう
自由なよさこい祭りは若者の支持を得た祭りに

──すると、変化するお祭りが人気を得ていくわけですか。
リオのカーニバルの影響変化したというのが定説だけど、それ以外の要因があると思うんです。
上田正樹という有名なミュージシャンがいるでしょ。彼のバックバンドが高知にいてね。ある年のよさこいに上田正樹がチームを作って、ちゃんとしたスピーカー使って、ロックでよさこいをやったわけ。
それが僕らにはものすごく斬新だったの。日本の浴衣着て踊るんじゃなくてロックのリズムで踊るの。それは子供心に「うわあ、すごい!」みたいなね。そのあたりから若者が注目し始めたと思うんですよね。
──高知のよさこいにロックの波が。
よさこい祭りは自由な土佐の祭りでルールは三つしかないから、もう色んなことを考えるわけよね。 車も装飾したり。 イルミネーションをやったり。ヤシの木みたいなのをいっぱい植えた地方車が現れたり。 踊りもそれ以外もアイデアでいろんな方向に変化していった時期なのね。

岡さんの話によると、のちに生まれた北海道の「YOSAKOIソーラン」には遊戯業などを営むセントラルグループという企業チームのよさこい踊りが大きな影響を与えているそう。それは特に「激しい」踊りだったというが、元劇団四季で80年代に高知に帰ってきた國友須賀氏振付のチームだという。同氏の登場で高知よさこいが踊りの祭りに変わったという記述が岡さんのHPにもある
──若者が楽しみだしたんだ。「こういう正しい踊りをみんなで踊りましょう」っていう、我々の知ってる盆踊りみたいなのではないんですね。
もう全然ない。踊り子もどこで踊るか自由。よさこいは阿波おどりと違って、毎年チームを解散するんです。踊ってる最中に他のチームを見て、来年はあそこで踊ろうとか踊り子もどんどん変化していったわけね。
でも最近は人気チームが固定化されてきていて。というのも、東京(※原宿表参道元氣祭スーパーよさこい)のスーパーよさこいとか国内外に遠征とかで年がら年中やってるのね。
よさこいインストラクターという職業が出来て、全国から振り付けを頼まれるようになったり。振り付けして先導して一番前できれいな踊りを見せるポジションの人は先生なのね。だから高知はダンススタジオがいっぱいあるんだけど。もっと言えばよさこいの音楽も毎年使い捨てなの。年間100曲以上作ってる作曲家もいる。
自由な雰囲気がよさこい祭りのよさだった
──北海道のYOSAKOIソーラン始め、全国によさこいがあるなかで高知はやはり違うんですかね?
高知のよさは自由なところ。揃ってるのか揃ってないのかみたいな衣装でみんな勝手に踊ってるようなね。昔は「おじいちゃんが取ってきた」という鳥の巣を頭の上に乗っけた女の子が踊ってたりしてたよ。
それがよさこいもある時から「みんなが揃ってるのが綺麗だ」みたいな隊列の美しさを求めるようになってきてしまうんだけど。でも、自由で楽しいから広がっていくの。
それは業者も遊んだからというのもあるね。音響さんとか有名なオペレータの人を東京から呼んで。音響会社の社員旅行先がよさこい祭りになったり、全国から業者が集まって同窓会みたいになってね。好き勝手、音を鳴らして遊んでたのね。

2004年のトラック。ステージのような照明が積まれている。音響照明業者が全国から来たという
業者の方も新しく導入開発したスピーカーを炎天下の中試して「高知のよさこい祭りでも使いましたと」カタログの隅っこに書いてたりしてた。業者に花を持たせてくれて楽しませてくれたんですよ。でもこれも最近は「オペレーターは車の中にいてください」って業者も面白くなくなってるんだよね。
これはものづくりの話にも関連するんだけど、お祭りって楽しいから広がっていくの。でもよさこいのよさは自由だから。楽しくこのクソ暑い夏をいかに楽しく乗り切るのかっていうお祭りだから。

よさこい祭りの80,90年代はバンド・トラック文化主体で、國友須賀の帰還から徐々にダンス文化へと変遷し、現在は高度に訓練された踊りへ
知らない早押しクイズの世界から、知らないよさこいの世界へ。全く予想しないアクロバティックな展開をたどりました。岡さんが危惧してる自由から全体性への転換って、今の時代を反映した話ですね。
ところで高知県のキッズたちが感動したという上田正樹バンドについて検索してたらmixiのコミュニティが出てきました。
>このスタイルを何十年か前に取り入れたのが商店街の青果屋さん。青果屋さんは「ぜひ祭と音楽を融合させよう!」と、録音された音楽をただ流していたよさこいに「生バンド」という新風を吹き込んだ。これが見事に大当たりし、若者が祭に参加するようになった。
よさこいがこれだけ広まっている源流には「かっこいいもの」「自由なもの」というのがあったんでしょうね……クイズの話がなぜここに。いやでも、岡さん、照明でよさこい関わるの楽しかったんだろうな~と思う熱い語り口でした。高知の青年の情熱がよさこい祭りに詰まっている……!
長時間に及ぶインタビューで、岡さんは使い捨てやハードを軽視する日本のものづくりの現状を憂い、「こんな時代だから備蓄をしろ」と何度も言ってインタビューを終えられました。翌日、私は岡さんを思い出して色々考えた結果、オリーブオイルを少し買い増したのでした。
取材協力:四国電飾工芸 https://shikokudenshokukogei.jp/
編集:友光だんご







































