「なんとなく」の買い物を(できるだけ)やめた|山越栞

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誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、フリーライターの山越栞さんに寄稿いただきました。

メイクやファッションで気分転換をするのが好きで、息抜きのためについ新しい服やコスメを買いがちだったという山越さん。しかし20代後半に差し掛かり「自分は何を大切に生きていきたいのか?」を考えたとき、それまでの買い物の仕方に小さな違和感を抱くようになります。

30代に突入した今、ものを選ぶ基準はどのように変わったのか。その移り変わりを書いていただきました。

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何かと理由をつけてお洒落にお金を使っていた頃

昔から、「頑張っている女の子」を歌った曲が好きだった。

失恋したり仕事でミスをしたり、かわいくない自分に落ち込んでも、ちゃんと最後には前を向く女の子たち。

そんな歌の中では、自分で自分を励ますために、メイクやファッションで気分転換をする様子が描かれる。

だからなのかな、私には、些細な壁にぶつかったとき、思いつきでお金を使って元気になろうとする節があった。

「仕事が捗らないから、息抜きにイヤリング買っちゃおうかな」
「今度の打ち合わせ、お洒落な人ばかりで気が引けそうだから新しい服で気合い入れよう」
「モヤモヤした気分を変えたいから新作のリップをチェックしてこよう」

でも考えてみると、ついお金を使ってしまうのは、何も落ち気味な時だけではない。

「今日はいいことがあったから記念にイヤリング買っちゃおうかな」
「来週は久々のデートだから新しい服で気合い入れよう」
「季節も変わったことだし、新作のリップをチェックしてこよう」

……こういう場合だって全然ある。

つまり、何かと理由をつけて、お洒落することにお金を使うのが好きなのだ。

ZOZOTOWNなんて、大学生の頃からかれこれ10年くらい毎日見ている。アクセサリーも服もコスメもたくさん持っているのに、それでもやっぱり新しいものが欲しくなってしまう。

モノ選びに抱いた小さな違和感

しかし20代後半になると、そんな自分のもの選びに小さな違和感を抱くようになってきた。

ノリで手に入れたものたちは、そのときの私をハッピーにしてくれはする。だけど熱が冷めてしまうと、「結局一回しか使わなかったな」とか「お出かけ着のつもりで買ったけど部屋着にしよう」なんて事態になることも多々あった。

「それはどうしてなんだろう」と、自分のことを客観視できるようになったのが、20代後半だったんだと思う。

例えばファッションだったら「こういう服を着たい」までは明確にイメージできていた。でも私の場合「こういう服」は安い値段じゃ手に入らないことが多かったりする。だから、それをお手頃かつ安っぽく見えないアイテムで実現する方法を探すのだ。服選びに限ったことではなく、インテリアでもコスメでも同じだった。

本当は心から欲しいものがあるのに、「買いたい」という欲を満たすために、本当に欲しいものを手頃なものにすり替えて「まあいいか」に着地している。だからすぐに熱が冷めてしまうのかもしれない。

つまり、私の買い物の仕方には「妥協」があるんじゃないかと思うようになった。

私の幸せとは「納得」できていること

そんなふうに感じはじめた当時の私は、「これから何をいちばん大事にして生きていくのか」を考えている最中でもあった。

思い悩むほどではなかったけれど、あるときふと腑に落ちた答えは「自分基準の幸せを持っていること」というシンプルなもの。

生まれてきたからには、人は本能的に自らの幸せを求めていく。ならば、私はごく自然なその習性を、もうちょっと真剣に考えて生きていきたい。

じゃあ、私の思う「幸せ」ってなんだろう。

今の私がしっくりきている幸せの定義は、その時々の自分に「納得」できていることだ。

いついかなるときもごきげんオーラに包まれて、柔らかで優しくいるなんてできない。日々暮らしていれば、予測できない苦労や逆境に遭遇することもある。

だけど、「嬉しい、楽しい」とは言えない状況でも、「納得」という価値観なら、自分の心がけ次第で叶うような気がするのだ。

だから私は「納得できるかどうか」を基準に、ものも選びたいと思うようになった。

もの選びにおける私なりの「納得」は、何度手に取っても「やっぱり好きだな」「必要だな」「買ってよかったな」と思えること。「妥協」ではなくきちんと考えた上で、私の暮らしに仲間入りしてもらったものたちであると思えること。

だから「もうちょっと安かったら絶対に買うんだけどな」と思っているものを、これまでのように手頃なもので代用しようとするのをやめた。

「これを身に着けている自分が好き」と思わせてくれるものは

そうしてZOZOTOWNのお気に入りリストの下の方にずっとある「もっと安かったら即決で買うアイテム」と向き合ってみるようになったのは、やっと、30歳になった去年からなのでした。

例えば、カジュアルなスウェット。

今までは、「首周りがちょっと詰まり過ぎていてしっくりこないな」と思えば、「まあいいや」となんの躊躇(ちゅうちょ)もなくハサミでカットできてしまうようなものがそばにあった。でも、雑誌に定番の名品として載っているような2万円前後のスウェットにもチェックはしてあるのだ。

これこれ。「妥協」ってつまりこういうことなんです。

本当は名品に袖を通して暮らしたい私のことを、「自分基準の幸せ」が定義できていない20代までの私はちゃんと認めてあげられなかった。妥協して箪笥の肥やしになってしまったものたちの金額を合わせれば、2万円なんてすぐなのに。

そんなこんなで昨冬に初めて買ったループウィラーのスウェットは、国内の吊り編み機で丁寧につくられていてとっても温かい。カジュアルなスウェットなのに、上品さがあって、着ている自分がしゃんとする。

思い切って選んだ大事なものは、立ち居振る舞いまで変えてくれることを知った。

ループウィラーのスウェット

ループウィラーのスウェット

妥協ではなく、納得できるストーリーを見出して選んだものたちは、センスある友達と飲みに行く日や、好きな場所に出かける日、大事なミーティングでクライアントに提案したいことがある日、「初めまして」の機会など、「ここぞ!」というときに決まって手が伸びる。

それらは多少背伸びして買ったとしても、「これを身に着けている自分が好き」と思わせてくれるお守りになった。

だから私はなんとなく買うのを(できるだけ)やめた

30代になってからは、トレンドよりも自分軸のある人が素敵だと思うようになってきた。

自分にとって心地よいもの、似合うもの、そうじゃないものをきちんと把握できているからこそ、自分を生かすことができる。「スタイルを持つ」ってそういうことなんだと思う。

これは見た目に限ったことではなく、仕事でも同じだ。

「自分はそこに納得感を持っているか」「本当にいいなと思うものは?」「なりたい姿は?」

これは最近の私が何か買うときに大真面目に考えていることなんだけれど、こうやって文字にしてみると、そのまんま仕事での価値観と一致しているから面白い。

身に纏うもの、日々使うもの、それらの扱い方が、その人の生き方につながっていく。

そんなことを言った格好いい大人がいた気がする。というか、たくさんの格好いい大人がそんなふうな言葉を残しているんだろうな。

何かを選ぶことは、どういう自分でいたいかを選ぶことと同じなのだ。

だけど、これまで私が私を奮い立たせるために(時にはごきげんを増幅させるために)衝動買いしてきた過去にも、後悔はない。だって、その経験を経てこその今だもの。

それに、落ち込んだ自分を励ますために、メイクやファッションにお金を使うのは悪いことじゃない。

大事なのは、後になってもそのときの選択に「やっぱりいいじゃん」と、しっくりきていること。

今だってZOZOTOWNのタイムセールは欠かさずチェックしている私だけど、「それを買った先の自分に納得できるか」を考えていけば、もっとハッピーでイケてる大人になれると思うのだ。


編集:はてな編集部

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著者:山越栞

山越栞

編集者・ライター。小冊子の編集長やwebマガジンのライティング、ライター講座の講師、地域活動の広報PR担当など、言葉と編集で伝えていくことを軸に、フリーランスで活動中。茶道のお稽古に通うために地元の栃木県と東京を行き来するソフトな二拠点生活をしつつ、下町の一軒家で暮らしている。

Twitter:@shioriyamakoshi

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