初めての子育てから10年。「偉くてすごいお母さん」をうまく脱ぎ捨てられるようになるまでの話

 とけいまわり


フリーランスで働きながら小学生の3姉妹を育てている、とけいまわりさん。完璧主義の性格からか、以前は仕事と子育ての両立のために無理ばかり重ね、ついに倒れてしまったそうです。そんな中で“自分を追い込んでいたものの正体”に気づき、今の穏やかな生活にたどり着くまでの10年間の軌跡をつづっていただきました。

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▼目次

一人目の育児、布オムツを使うと褒められた

私は、9人に褒められても1人に否定されれば、それをいつまでも引きずるタイプの完璧主義だった。仕事では「これだから子持ちは」と言わせぬように業務を抱え込み、子育てでは「そんなに働いてばかりだとお子さんかわいそう」と言われると落ち込んだ。どちらに転んでも誰かに何か言われているような気がする日々。どう頑張れば自分が認められるか分からず、子どもを産んでから長い長いトンネルの中を進んでいた。

10年前に長女を産んだとき、産院では布オムツの指導があった。

「布オムツはいいわよ。オムツが外れるのが早いのよ。赤ちゃんのお肌にも布オムツがいいのよ?」

看護師さんの言葉を聞いた私は、布オムツのセットを買って帰った。

通りすがりのおばあちゃんと赤ちゃんの話になり、「うちは布オムツなんですよ」というと、「まあ、布オムツ! それは偉いわねえ! 何てしっかりしたお母さん!」と、思っていた以上の褒め言葉をもらった。

それから布オムツの話になると、100%すごいすごいと褒められた

退院後は、会話のできない長女と2人きりの密室育児が続いた。夫は激務で、私は1日のうち22時間ぐらい誰とも話さない日々が続いた。孤独だった。

子どもに季節の自然を感じさせなければと公園に行ってお弁当を広げ、鳥の声を聞かせねばと森に散歩に行った。

私は無言でベビーカーを押した。疲労していた。でも、私は布オムツで育児をしている! という最後の砦にすがった

ベランダに布オムツを干すと、誰かに褒められているような気がした。道ばたで出会ったおばあちゃんの「偉いお母さんだわ!」という声を何度も頭の中で反すうして、繰り返し自分を慰めた。

うまく育児ができている……私は、ちゃんとしている……。

ちゃんと順調な育児ができているか分からず、月齢ごとの赤ちゃんの成長についてネットで毎日チェックした。

「赤ちゃんは生後3、4カ月ごろから徐々にまとまって寝るようになります。4カ月ごろから、寝る時間を決めて生活リズムを整えましょう。将来お子さんが規則正しい生活を送れるようにするためには、3歳までの育て方が大事なのです」

だめだ、全然夜にまとまって寝てくれない。
昼間の散歩の時間が短かったのかな……。

長女が夜寝ないとイライラするようになった。夜中、ぶつ切りでしか睡眠時間が取れず、いつも頭がもうろうとしていた。心の中はいつもいっぱいいっぱいだった。

夫に「つらい」と打ち明けると、「そう? 昨日もよく寝てたよ?」と返された。

私は突然キレて、叫びながら泣いた。それが、一人目の育児だった。

私は突然キレて、叫びながら泣いた

仕事と育児の両立を目指すも、自分の「選択」を責めてばかりだった

長女が生まれた後、夫の転職に伴って引っ越した。0歳の子どもを抱えながら、引っ越し先でフリーランスの私と新たに契約してくれる会社を探した。

そうしてやっと、小さな子どもを抱える私を受け入れてくれる会社を見つけた。ここを辞めたとき、次があるのかは分からなかった。だから、依頼された仕事はできるだけ断りたくなかった。

しかし、いつ子どもが急に熱を出すか分からない。仕事を引き受けるかどうかの選択には、いつもストレスがつきまとう。

「この仕事を受けますか? yes/no」
「受けると子どもと過ごす時間が減りますが受けますか? yes/no」
「断り過ぎると次回から依頼が来なくなりますよ、大丈夫ですか? yes/no」

フリーランスという立場では、仕事の依頼が来るたびに毎回この「選択」をしなければならない。子どもが夜中に熱を出して嘔吐すると、私はシーツを洗いながら自分の選択を責めた。

サラリーマンの夫には、この葛藤がなかなか伝わらない。夫は「好きなだけ仕事しなよ。家のことや子どものことは2人で頑張れば良いじゃない」と言ってくれたけれど、実際は好きなだけ仕事なんてできなかった。夫は激務なのに家事も育児も比較的よくしてくれていたし、これ以上頼めなかった。

ファミサポさんやシッターさんと契約するも、収入と支出のバランスを考えたら、週にそうそう何度も頼めない。

周りの同業者たちは、どんどん重要な仕事を任されていく。

「ほら、子持ちはやっぱり」

周りの誰もそう言っていないのに、私の頭の中の誰かが私を責めた

「仕事の代わりはいくらでもいるけど、お母さんの代わりはあなただけ」みたいなフレーズを見かけると心に刺さった。仕事においても、私にしかできない何かをつかんでおきたかった。そうしておかないと、小さな子どもを抱えている私には次の仕事が回ってこないかもしれない……私は無理を重ねて仕事をこなした。

ある夜ついに、子どもが熱を出してしまった。明日は朝から外せない仕事があった。夫からは「ごめん、明日は無理だ」と断られた。

私は震える手でスマホの電話帳をスクロールした。誰か……誰か熱が出た子を見てくれる人を……!

ある夜ついに、子どもが熱を出してしまった

声に出してみないと、何も始まらないことに気づいた

その後、次女が生まれた。会社では保育園の延長時間ギリギリまでねばって仕事をして、駅から走って保育園に飛び込んだ。子ども2人を連れて夜道を帰り、残った仕事を自宅でこなした。納期が近いときは寝るのが深夜2時を過ぎた。夜泣きをする次女に授乳しながら、片手でパソコンのキーボードを打った。

部屋は荒れ、徹夜の日が続き、ある時ついに私は倒れた。

付き添ってくれた夫に、私は「つらい」と漏らした。そうすると、今までつらかったことが口からスルスルと出ていった

「子どもが熱を出すじゃない。すると、あなたは『無理だ』って言って終われるんだよね。でも、私は終われない。あちこち電話して、普段から予防線張って、毎日が綱渡りで。『無理だ』って、すごいよね。私も言ってみたいよ……」

夫はしばらく黙って、こう言った。

「次に子どもの体調が悪くなったら、僕も仕事を休むから。今まで、僕は僕で中途採用だから、いつ切り捨てられるかと思って毎日ギリギリまで踏ん張ってた。あなたがそこまで追い詰められていたなんて、言われるまで知らなかった。子どもが熱を出してもいつもうまく対応しているし、自分のできる範囲で仕事を受けているものだと思っていたから」

その翌月に子どもがインフルエンザにかかり、夫が仕事を休んで看病してくれた。

「これからは、休める方が仕事を休もう。2人とも休めなかったら、2人でどうしたらいいか考えよう」

体から重たい何かがドロドロっと抜けていくのを感じた。

ああ、私、一人でロープから落ちないようにしなくていいんだ。苦しいときには、どうしてほしいか言葉に出して言わないと、相手には本当に伝わらないものなんだ。

私は出勤の電車の中で安堵して泣いた。

会社にも、今の状態を言葉にして伝えないと。

「まだ子どもが小さいので、今回の仕事は辞退させていただきます。でも、2年後なら引き受けられると思います」と上司に相談した。なるべく具体的に、今どこまでできるのか、これから何年後にどのくらいできそうか、私はごまかさずに洗いざらい打ち明けた。

上司は、少しほっとした顔で笑ってくれた。

「いろいろお話を伺えてよかったです。お一人お一人のプライベートまでこちらは把握できていないので手探り状態でご依頼していたんですよ。また状況が変わったら、その都度おっしゃってください」

膝から力が抜けそうだった。

もっと早く言えばよかった。私、ずっと黙っていた。勝手に圧を感じて、勝手に綱を渡って、勝手に苦しんでいた。子どもがいてオーバーワークになっても、つらいと言ってはいけないと思っていた

「言葉にしないと分かってもらえない」というのはよく言われるけど、実際に言葉にして「子持ちのわがままか」と評価が下がるのが恐ろしかった。

でも、私は恵まれていた。きちんと自分の状況を話して、自分ができる範囲のこと、今後どうしていきたいのか相談してみると事態は好転した。私のことは私が話さないと、相手は知るわけがない

褒め言葉にすがらなくてもよくなってきた

やがて三女も生まれ、子どもたちは三姉妹になった。

私は、気晴らしのためにネットで子どものことをつぶやくようになった。そこは、「子どもが朝から牛乳こぼした。8時に出勤、後5分!」と書き込むと、「分かる!」とコメントがつく世界だった。

帰りの電車で通知欄を見ると、

「うちは納豆を頭の上からこぼされた! 頑張って!」
「元気出して! 帰りに5億円拾いますように!」

と、さらにコメントが書き込まれていた。私は笑って、「帰り道、5億円拾うの楽しみにしてますw」と返した。

保育園のバッグを玄関に置き忘れて登園し、プールカードにはんこを押し忘れる私を、皆が「私もよ!」と抱きしめてくれた。

もう、褒め言葉はそんなに必要なくなっていた

雪の降ったある日

雪の降ったある日、私は雪の中で3人を促しながら保育園に向かっていた。抱っこひもに末っ子を入れ、長女と次女の手を引いて歩いた。

通りすがる人が、「まあ、3人も偉いわねえ」と声をかけてくれた。私は「いやあ、ほんと、雪が降っちゃって困りましたわ~」と笑って返した。かつてのように、その褒め言葉にすがって反すうする必要はなくなっていた。「偉くてすごいお母さん」が、うまく脱ぎ捨てられたなあと感じた。

偉くてすごいお母さんではなくて、「怒る育児より叱る育児を」みたいな本を読んだ次の日に「いい加減にしなさーーい!!!」って雷を落としたり、子どもから手渡された「ままだいすき」のメモを見て台所で泣いたりするお母さんになった。

末っ子が小学生になった今でも、仕事と子育てに追われ、どちらも思うようにできない自分を中途半端だと感じる日がある。でも、そんな私に「チュートハンパって悪いことかなあ~ お母さんがあれもこれもいろんなことを頑張ってるってことなんじゃない?」と、次女が言ってくれた。そして長女が「うんうん、大丈夫よ。私は今のお母さん、大好きよ」と抱きしめてくれる。

仕事と子育てにはきっと正解なんてない。でも、子どもたちの言葉で「今は中途半端でもいいんだ」と思えるようになってきた。自分の人生の中で中途半端な時期があってもいい。

中途半端といえば、子どもの将来のためにと頑張っていた寝る前の本の読み聞かせも、最近できたりできなかったりだった。夜、疲れてぐったりしているところに末っ子が分厚い『アンデルセン物語』を持ってくる。それを見ていた次女が、私の知らない間にアンデルセン物語の中から10話ほど朗読して、タブレットに録音してくれていた。「忙しいときはこの録音を流せばいいから。本はお母さんが余裕のあるときに読んであげたらいいと思うよ。これなら私でもできるなって思って」と話してくれた。

いつのまにか子どもたちは、私が思っていたよりもずっと成長していた。親が失敗したり、泣いたり、立ち上がったり、笑ったり。私の生き様全てを見せることが一つの子育てになっているのかもしれない。迷って悩んでいる私の姿も、あなたたちの人生の糧になりますように。

p.s.10年前、長女を産んだばかりの私へ

子どもたちは大きくなって、末っ子も小学生になったよ。この間、私はどうやって乗り越えてきたかもう思い出せないぐらい大変だったけど、身も心もだいぶ図太くなってきたよ。

そうそう、布オムツは結局半年ぐらいでやめちゃったよ。布オムツは取れるのが早いとか看護師さんは言ってたけど、「オムツは焦らずに。子どもが言葉を理解するようになって、『いける!』って確信するまでじっくり待ってから一気に取って!」って先輩ママさんが教えてくれて、その通りにしたら、あっさり1週間で取れたよ。

子育ては焦らないことが最大の武器になるんだね。育児書に載っているような理想のお母さん像から、きちんと距離を置けるようになってきたよ。

もし、やりたいことが見つかったら「これをチャレンジしてみたいんだ」って家族にストレートに言えるようになるよ。

この前、私の来年の仕事について家族会議を開いたんだ。そしたら長女が「平日の仕事を減らして土曜日に増やしてくれるといいな」って意見を出してくれて、次女と末っ子が「うんうん、それで平日に宿題ゆっくり見てくれると助かるなあ~」「土曜日はパパがいるから大丈夫だし、日曜日が家族の日ってことで!」って話をまとめてくれたよ。

家族会議のおかげで、子育てと仕事の板挟みになっていた私の「選択」の責任を、家族みんなで分かち合えるようになったよ。もう、あなた一人で自分の選択を責める必要はなくなるよ。「何かをつかみたい」ともがいていたあなたは、40代から次々にいろんなことに挑戦するようになるよ。

大丈夫だよ。想像以上に解き放たれた未来が、あなたを待っている。

※記事中のお子さんの学年などは、記事公開時点(2019年10月)のものです

著者:とけいまわり

とけいまわり

小学生の3姉妹を育てながらフリーランスとして教育関係の仕事に従事している。家族との生活の中で、人間関係についての気づきを得るコラムを執筆している。

note:とけいまわり|note Twitter:@ajitukenorikiti

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編集/はてな編集部