一頭の犬が入院体験を変える──ファシリティドッグ・ハンドラー 森田優子さん

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

日本初の「ファシリティドッグ・ハンドラー」として、神奈川県立こども医療センターに勤務する森田優子さん。欧米では数も多く、広く知られた職業になりつつあるそうですが、ここ日本ではまだ従事者の数は森田さんを含め3人のみ(2019年8月現在)。

主な仕事は、「ファシリティドッグ」と呼ばれる専門的なトレーニングを積んだ犬たちをコントロールし、患者さんの医療行為を円滑に進めること。月に数回訪問するセラピードッグと異なり、ファシリティドッグは病院などの医療施設に常勤し、患者さんと継続的に交流します。病気でストレスを抱える人たちに癒やしを提供し、治療へ前向きに取り組む手助けをする存在として、重要な役割を担っているのです。

もともと小児科の看護師として働いていた森田さんは、このような「前例のない仕事」にいかにチャレンジしたのでしょうか。現在に至るまでの歩みを伺いました。

アニーと一緒に子どもたちの治療に寄り添う

ファシリティドッグ・ハンドラーという職業は、日本ではまだなじみの薄い職業のように思います。まずは、森田さんのお仕事の内容について教えていただけますか。

森田優子さん(以下、森田) ファシリティドッグのアニーと一緒に、患者さんの治療のお手伝いをすることが基本的な仕事です。今はこども医療センターに勤務しているので、病棟に入院している子どもたちのベッドを回ったり、採血や点滴を怖がってしまう子どもに寄り添って応援したり、手術室の前までついていったり……といったことがメインですね。毎日10名くらいの患者さんと接していると思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

この日も患者さんを回ってきたという森田さんとアニー

ハンドラーの仕事にはファシリティドッグの管理も含まれるので、プライベートでもアニーと一緒に住んで、ブラッシングやシャンプー、散歩など日常的なお世話もしています。

普通の犬だと採血や点滴を怖がってしまいそうなイメージがありますが、やはりファシリティドッグはそういった場面でも動じないのでしょうか?

森田 そうですね。もともと落ち着いた性格の優しい犬が選ばれるというのもありますが、ファシリティドッグになる子は子犬の頃から病院に慣れる練習を重ねて育ってきているので、病院の環境を怖がったり急に機嫌が悪くなったりといったことはまったくないです。

ただ、やはり長い時間働くことはアニーにとっても負担になってしまうので、病棟を回るのは1日に3時間くらいまでにしています。

アニーちゃん、さっきから森田さんの膝の上でウトウトしていますが、本当におとなしいですね……!

森田 今は仕事中だからすごく静かですけど、まだ3歳のゴールデンレトリバーなので、散歩中に友達と会うと走り回ってはしゃいだりもするんですよ。オンとオフをきちんと切り替えられる子なので、ありがたいなと思います。

ファシリティドッグ・アニー

こう見えて実は結構やんちゃだという

恩師からの誘いをきっかけに前例のない仕事へ

森田さんは、幼い頃から動物が大好きだったとお聞きしています。最初のキャリアには看護師を選ばれていますが、動物関係のお仕事に就くというのは考えなかったのでしょうか?

森田 動物園の飼育係や獣医になりたいと考えたこともありました。ただ、結局最初のキャリアに看護師を選んだのは、自分でもどうしてなのかよく分からなくて……。もちろん選択肢の一つとしてはあったと思うんですが、気が付いたら看護学校に入って看護師を目指していた、というのが正直なところです。

森田優子さん

現在のファシリティドッグ・ハンドラーには、小児科の看護師として勤務を始めて5年目にオファーがあったと聞きました。改めて経緯を伺えますか?

森田 私が所属しているNPO法人「シャイン・オン・キッズ」は、難病や重病の子どもたちを支援するために、前身となる団体が2006年に発足されました。その後、2008年ごろに子どもたちへの支援の一環としてファシリティドッグの導入を検討し、専門家のもとへ相談に行ったそうなんですが、それがたまたま私の看護学校時代の先生だったんです。

それで「小児科の勤務経験がある看護師の中にハンドラーになれそうな人はいませんか」と話があったときに、私の卒論が「アニマルセラピー」についてだったことを先生が覚えてくれていたようで、推薦してくださったという形です。

そのお話を最初に聞いたとき、率直にどう思われましたか?

森田 楽しそうだなあって思いました。看護師という仕事ももちろん好きだったのですが、普通の看護師の領域ではできないことを何かやってみたいという気持ちは常にありましたし、動物に関われる仕事というのもやっぱりうれしくて。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

お互いを信頼し合っている様子が伝わってくる

とはいえ、ファシリティドッグ・ハンドラーは当時日本に一人もいない状況だったんですよね。未知の仕事へのキャリアチェンジというのは冒険のようにも思えるのですが、迷いはなかったですか?

森田 うーん……実はあんまりなかったんですよね(笑)。ハンドラーとしての最初の勤務地は静岡のこども病院だったのですが、アプローチは違えど、子どもの患者さんと接する仕事という点で本質的には同じだなと思ったので、ステップアップというふうに自分では捉えていて。

とてもポジティブですね……! 最初のパートナーはアニーではなく、同じくゴールデンレトリバーのベイリーだったとお聞きしています。

森田 そうです。日本にはハンドラーになるための専門施設がないので、ハワイの施設で犬の日常的な世話の仕方やコマンド(犬への指示)の出し方などを学び、病院での実地研修を経て、現地のトレーナーからベイリーを紹介されました。

小さい頃から常に小動物は家にいたのですが、実は犬を飼うのはベイリーが初めてだったんですよ。でも、幸いのほほんとした性格が合ったのか、最初からお互いすんなりと一緒にいられました。ベイリーは2018年にファシリティドッグを引退して、仕事上のパートナーはアニーに変わったのですが、今も家では2頭と一緒に暮らしています。

ベイリー自身が証明してくれたファシリティドッグの力

ハンドラーというお仕事への転身に対して、森田さんご自身には大きな迷いはなかったと伺いました。ただ、当時未知の領域だったファシリティドッグの導入には、周囲からの反対の声もゼロではなかったのではと想像するのですが……。

森田 最初の病院で導入前に幹部会議があり、その中ではやはり「患者が感染症になったらどうする?」など不安視する声も上がったとは聞いています。ただ、感染症はキチンとした手順を踏むことでリスクは払拭できますし、「駄目だったら駄目で、その都度対策を考えよう」と当時の麻酔科医長も言ってくださったようで、それが後押しになったのかなと思いますね。

森田優子さん

森田さんご自身も、ファシリティドッグ導入のために病院側を説得されたりしたんでしょうか。

森田 もちろん他の先生方や看護師さんたちと一緒にフロントに立ってお話はしたのですが、説得みたいなことはあんまり積極的にしていないかもしれません。

というのも導入が本決まりになる前、お試し期間として1週間ほどベイリーと病棟内を回る機会があったのですが、その短い期間のうちに、ずっと起き上がれずに寝たきりだった患者さんが、「ベイリーが見たい」と起き上がれるようになったことがあって。

短期間でそんなことが……!

森田 実際に導入されてからも、採血のたびにパニックになっていた子どもが、ベイリーが横にいることで泣かずに採血を受けるようになったり、手術を怖がっていた子どもが「ベイリーがついていたら大丈夫」と言ってくれるようになったり、本当にさまざまな変化があったんです。

ファシリティドッグ・アニー

そのうち、他の病棟の子どもや親御さんたちから「どうしてこっちの病棟には来てくれないんですか」と言っていただけるようにもなり、次第に入れる病棟の数が増えていきました。だから私が説得したわけではなくて、ベイリー自身の力と患者さんたちの声のおかげで、自然と広まったというのが正しいと思います。

子どもたちにとっての「病院」のイメージを変えられる仕事

お話を伺っていると、森田さんがファシリティドッグ・ハンドラーというお仕事を誇りに思われているのが伝わってきます。これまでを振り返ってみて、ハンドラーになって良かったと強く感じるのはどういったときですか?

森田 やっぱり、患者さんたちから「ベイリー、アニーがいたから頑張れたよ」と言葉をかけてもらえるときです。中には「アニーに会いたいからまた入院したい」なんて言う子までいたりして、それって普通はありえないことじゃないですか?

入院したい子どもなんて本当はいないはずなのに、病院にアニーやベイリーがいることでそう思ってもらえる。子どもたちにとっての「病院」という場所のイメージを変えられるって、すごい仕事だなと思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー

看護師とファシリティドッグ・ハンドラーという二つの立場を経て、今後についての展望などはありますか?

森田 ベイリーやアニーと病棟を回っていると、患者さんやご家族の本音に触れることが少なくないんです。例えば、「本当は治療のこの部分が不安」「もう少し主治医の言葉が聞きたい」など、ファシリティドッグを介すことで、直接言いづらいことも言葉にしてくれる。実際に、ハンドラーの私にいただいた悩みがきっかけでカンファレンスが開かれたこともありました。

だから、そういった声をすくいとり、先生や看護師へと橋渡ししていくこともハンドラーとしてより意識的に行えたらと思っています。

森田さんのように「前例のない仕事」にチャレンジしたくても、キャリアチェンジにちゅうちょしてしまっている方は多いと思います。最後に、そういった方に対して森田さん流のメッセージがあったらお聞きしたいです。

森田 私はハンドラーになって、最初は日本に具体的な仕事の相談をできる相手は一人もいませんでした。だから、「この治療のときはその場にいた方がいい」とか、逆に「手術室の中までは入らない方がいい」とか、本当に手探りの日々だったなと思います。でも、そうやって試行錯誤していくうちに、少しずつ味方が増えて、今ではみんながベイリーやアニーのことを仕事仲間として歓迎してくれています。

だから私は自分の信じられる道が見つかったなら、とりあえずやってみてもいいんじゃないかなと。前例がないことは、やってみないことには何も分かりませんし、その先で真摯に仕事と向き合っていれば、きっと助けてくれる人が出てくると思います。

森田優子さんとファシリティドッグ・アニー
取材・文/生湯葉シホ
撮影/小野奈那子
編集/はてな編集部

お話を伺った方:森田優子

森田優子さん

静岡県函南町生まれ。静岡県立大学看護学部看護学科卒業。小児科の看護師として国立成育医療研究センター勤務を経て、2009年に認定特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズに就職。2010年より静岡県立こども病院で、日本初のファシリティドッグ・ハンドラーとして活動開始。2012年より神奈川県立こども医療センターで活動中。
Web:NPO法人シャイン・オン・キッズ

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