“理解しています”ほど傲慢な姿勢はない──『赤ちゃん本部長』作者・竹内佐千子さん

赤ちゃん本部長

なぜか突然、営業本部長(47歳)が体だけ生後8カ月の“赤ちゃん”になってしまう──。そんな衝撃的なシーンで始まる漫画が『赤ちゃん本部長』です。

赤ちゃんになった武田本部長は、自力で歩行できなかったり、すぐに眠くなってしまったり、これまで通り働くことに無理が生じます。しかし、本作ではそうした弱い存在を通して、周囲の人たちが弱音を吐けるようになったり、偏見を解消していったり、ポジティブに変化していく様子が描かれます。おそらく作品を読んだ読者のなかには、「こんな会社で働きたい」と思った人も多いのではないでしょうか?

今回、そんな作品を生み出した著者の竹内佐千子さんに、多種多様な人々が集まる職場という環境の中で、お互いの違いを尊重しつつ、時には「迷惑をかけてもいい」と思えるようになるにはどうすればいいと思うか、お話を伺いました。

「やさしい会社」と読者に言われて驚いた

『赤ちゃん本部長』の舞台となっている職場には、実はYouTuberであったり、男性カップルであったり、さまざまなバックグラウンドを持つ人たちが集まっています。登場人物たちは、どのように考えていかれたのですか?

竹内佐千子さん(以下、竹内) 男性同士で結婚して子どもを設けているカップルとか、性自認が女性でも男性でもない友人とか、身近にいる人たちのエピソードをもとに考えていきました。

ただ、職場を舞台にしているものの、実は私自身は会社勤めを一度もしたことがないんです……。だから『赤ちゃん本部長』の舞台になっている株式会社モアイは、私の想像上の職場なんです。

『赤ちゃん本部長』 いきなり本部長が赤ちゃんになるところから作品は始まる
(C)竹内佐千子/講談社

そうなんですね。会社の業務などもリアルに描かれているので、お勤めの経験が一度もないというのは意外でした。

竹内 家族や編集さんの話をもとに、「会社員の方の日常ってこんなふうなのかな」と組み立てていった感じですね。そもそも仕事をテーマにしようと思っていたわけではなく、SFチックなお話を描きたくて、それで大人が赤ちゃんになってしまうという設定を思いついたんです。

だから、連載が始まっていろんな方に「ダイバーシティを描いている」「やさしい会社ですね」と言われて驚いてしまって。むしろみなさんそんなに厳しい会社にいるのか、つらいなと……。

竹内さんご自身は、組織の中で理不尽な思いをされた経験はあまりなかったのでしょうか?

竹内 たぶん私自身もあると思うんですけど、それよりは「もしも私の友人が会社でこんな思いをしていたら本当に嫌だな」という想像を膨らませて描いていたような気がします。

例えば、友人の中に女同士で結婚しているカップルがいるんですが、「日本だと認めてもらえないからアメリカに住むよ」って海外に行ってしまって。彼女たちがそのことに深く傷ついているという印象はないんですけど、それでも異性のカップルと同じような権利をもらえていないんだな、という事実にはやっぱり考えさせられるところがあるなと。

できないことや苦手なことは先に伝える

株式会社モアイでは、赤ちゃんという弱い存在が生まれることで、職場の人たちが互いに弱点を補い合っていてすごくいいなと思いました。ただ一方で、それは弱点や苦手をオープンにしたからこそ生まれる関係性でもあると感じます。竹内さんは、自分の弱みとどのように向き合っていますか?

竹内 漫画家という仕事にずっと就いてると、人に迷惑をかけないときがないんですよ(笑)。特に私はエッセイ漫画を長く描いてきたので、自分自身の経験について編集さんに話を聞いてもらったり相談したりして、そこから作品をつくるというやり方が染みついていて。

迷惑をかけるのはもう前提みたいなもので、困ったときに助けてもらう代わりに私は漫画を描くから……みたいな感じです(笑)。

もともとご自身の弱みを人に話すことに抵抗がなかったんですか。

竹内 そうですね、自分のことを知ってほしいという欲が強い方なので、わりと友人や知人にもなんでも話しちゃうかもしれない。ただ、「迷惑をかけたくない」と思って頑張った結果よくないことになった、という経験をたくさん積んだのも、今みたいに考えるようになった要因のひとつかもしれないです。

頑張った結果よくないことに、というと?

竹内 それこそ、迷惑をかけたくないと我慢してストレスを抱え過ぎたせいで、結局漫画が描けなくなってしまったこともあります。

だから、「この人はこういうことはできるけれど、こういうことは本当にできないんだな」と、仕事相手や仲のいい友人には最初からちゃんと分かっておいてもらった方がリスク回避にもなると思うんですよね。

『赤ちゃん本部長』1巻の冒頭でも、赤ちゃんになったばかりの本部長がすぐに寝てしまう描写がありましたよね。赤ちゃんなので寝てしまうのは当然で、その分の業務を周りの人たちがカバーするわけですが、実際の職場では個人の体調や得意/不得意って自分から言わないと伝わらないですもんね……。

竹内 赤ちゃんくらい分かりやすいといいんですけど、大人って一見おんなじ形してますからね(笑)。

『赤ちゃん本部長』 (C)竹内佐千子/講談社

だからこそ、できないことや苦手なことを先に伝えるのが大切という。

竹内 だと思いますね、本当に。例えば、私は自分で偏っている自覚はあるんですが、キャンプ・旅行・ホームパーティーが本当に苦手なので、誘われる前に「申し訳ないんですけど、本当に苦手なのでその3つには絶対呼ばないでください」って公言しているんです(笑)。

なんだか申し訳ない気持ちがして言えない人も多いかもしれませんが、無理に参加して結果的に体調を崩したりするよりは、お互いにとっていいんじゃないかなと。

それは本当におっしゃるとおりですね。

竹内 下手に煮え切らない言い方をしてしまうと、強引に誘われて頑張っちゃう人もいると思うんです。だから個人的には、多少そのリスクを大げさに伝えるのはありなんじゃないかと思っていて。「ホームパーティーに呼ばれると翌日絶対に体調を崩してしまうんです」とか(笑)。

確かに、「会社の運動会に出ると絶対に翌週熱を出します」と言われたら、それは休んでくださいと思います。

竹内 ですよね。そこに多少の方便はあってもいいんじゃないかなと……。あとは、こちらができないことを伝えている以上、周囲の人からも「これだけはできない」ということを打ち明けられたら、それは代わりに自分ができるだけフォローするマインドを持てたらいいですよね。

“マニュアル通り”ではない感情を抱いてしまうこと

いまのお話にもつながりますが、『赤ちゃん本部長』には一見冴えないけれど実は人気YouTuberの天野課長など、読者の先入観を裏切るようなキャラクターが多いですよね。漫画を描かれる上で、そういったことは意識されましたか。

竹内 先入観に関しては自分が抱いてしまいがちなので、それを描いたというのはあるかもしれません。

私自身は、結婚という制度をあまりプラスに捉えられなくて、結婚する人に「おめでとう」ってなかなか言えないんです。もちろん、友人や家族が結婚するときはその選択を尊重したいですし、それを責めるようなことはしたくないのですが、どこかで自分もマイナスの先入観を持ってしまっていて……。その気持ちをどうにもできなくて、悩むことも多いです。

作中にも、大親友に子どもが生まれていままでと同じように会えなくなってしまったことがきっかけで、赤ちゃんが嫌いになってしまう佐々木というキャラクターが出てきますよね。

竹内 そうですね。あれは本当に自分のことでした。

『赤ちゃん本部長』 (C)竹内佐千子/講談社

周囲から「でも、その友達もいままでみたいに自由に遊べなくなってつらかったと思うよ」と言われた佐々木が、本当は理解したかったと言いつつも、「でもそんなマニュアル通りに気持ちが動くと思いますか?」と返すシーンが印象的で。“マニュアル通り”ではない気持ちも肯定するような描き方になっているのがとてもやさしいなと感じました。

竹内 自分を責めたくなかったのもありますし、そういう気持ちを抱いてしまったことがある人は私だけじゃないだろう、という確信もどこかにありました。だからあのエピソードは、仲間を探すような感覚で描いたような気がします。

竹内さんご自身は、現在そういった「本来抱くべきではない気持ち」が芽生えたとき、どのように向き合われていますか。

竹内 うーん……私は自分の気持ちを根本から否定したりすることってあまりないんです。ただもちろん、それを口にすることで誰かを傷つけてしまったら嫌だなとは思っていて。だから、他人頼りではあるんですが、「もし私が変なことや差別的なことを言ったらすぐに指摘して」って8歳年下の友人に伝えてるんです。

年下のご友人に、なんですね。

竹内 私はいま37歳なんですが、中年期にさしかかってきたこともあって、自分の考え方が若干古くなってきたかもしれないって感じることが増えているんです。やっぱり友人って同年代の人が多いので、すこし年下の人から見ると「それは古い価値観じゃない?」って思うこともあるだろうなと思って。だからそう感じることがあったら遠慮なく指摘してくれ、と。

他人のことが“理解”できるはずなんてない

『赤ちゃん本部長』の中にも、古い価値観をなかなか改められない橘部長というキャラクターが登場します。彼も「考え方をアップデートしたいから、変な発言をしたら指摘してくれ」と途中から変わろうとしますよね。

竹内 橘部長に関しては、自分の父がモデルになっている部分も大きいかもしれないです。父は60代で、いまはもう退職しているのですが、サラリーマン時代は本当に「24時間戦えますか」みたいな価値観でしたし、妻が家でご飯をつくって待っていることが普通の幸せ、という感覚で……。

家族から見て「それはちょっと」というようなこともありましたか。

竹内 私が直接なにか言われたという経験はないのですが、例えばテレビのバラエティ番組に同性愛者の人が出てくると差別的なことを言ったりするんですよね。だから、そういう父親に守ってほしいことをまとめたのが、橘部長へのメモなんです。

『赤ちゃん本部長』 価値観の違いに悩む橘部長に部下たちが渡したメモ
(C)竹内佐千子/講談社

メモにも「無理に理解しようとしなくていい」とありますが、竹内さんは「理解」ということについて、とても慎重に描かれていますね。

竹内 「あなたのことを理解していますよ」という姿勢ほど傲慢なことはないと思っています。私は自分のことが37年かけてもまだよく分からなくて、それなのに他人のことなんて理解できるはずない、と思うんですよね。

確かに……!

竹内 例えば、「私は同性愛に理解があるから」とおっしゃる方ってすごく多いんですが、それが気持ちとして本当に“理解”できているとしたら、あなたもレズビアンやバイセクシャルになってるはずじゃない?と思いますし(笑)。「偏見を持ってない」と言う方にも、何を持って偏見がないと言い切っているんだろうと。

偏見を一切持たない、ということはとても難しいですよね。

竹内 そう思います。みんな何かしらの偏見は持っているはずですよ。だから自分のことも他人のことも、安易に「理解した」と思ったり、こう!とジャッジしたりするのではなくて、迷いながら考え続けていくような姿勢が大事なのかなと今は思っています。

取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部

お話を伺った方:竹内佐千子さん

竹内佐千子さん

漫画家。おっかけ対象が男子で恋愛対象が女子のレズビアン。自身の恋愛体験や、おっかけ、腐女子、などをテーマにしたコミックエッセイを描き続け、最近はストーリー漫画も描いている。『赤ちゃん本部長』(講談社)、『生きるために必要だから、イケメンに会いに行った。』(ぶんか社)など。
HP:ハッピー竹内サイコ
Twitter:@takeuchisachiko

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