赤ちゃんになった武田本部長は、自力で歩行できなかったり、すぐに眠くなってしまったり、これまで通り働くことに無理が生じます。しかし、本作ではそうした弱い存在を通して、周囲の人たちが弱音を吐けるようになったり、偏見を解消していったり、ポジティブに変化していく様子が描かれます。おそらく作品を読んだ読者のなかには、「こんな会社で働きたい」と思った人も多いのではないでしょうか?
今回、そんな作品を生み出した著者の竹内佐千子さんに、多種多様な人々が集まる職場という環境の中で、お互いの違いを尊重しつつ、時には「迷惑をかけてもいい」と思えるようになるにはどうすればいいと思うか、お話を伺いました。
「やさしい会社」と読者に言われて驚いた
竹内佐千子さん(以下、竹内) 男性同士で結婚して子どもを設けているカップルとか、性自認が女性でも男性でもない友人とか、身近にいる人たちのエピソードをもとに考えていきました。
ただ、職場を舞台にしているものの、実は私自身は会社勤めを一度もしたことがないんです……。だから『赤ちゃん本部長』の舞台になっている株式会社モアイは、私の想像上の職場なんです。

(C)竹内佐千子/講談社
竹内 家族や編集さんの話をもとに、「会社員の方の日常ってこんなふうなのかな」と組み立てていった感じですね。そもそも仕事をテーマにしようと思っていたわけではなく、SFチックなお話を描きたくて、それで大人が赤ちゃんになってしまうという設定を思いついたんです。
だから、連載が始まっていろんな方に「ダイバーシティを描いている」「やさしい会社ですね」と言われて驚いてしまって。むしろみなさんそんなに厳しい会社にいるのか、つらいなと……。
竹内 たぶん私自身もあると思うんですけど、それよりは「もしも私の友人が会社でこんな思いをしていたら本当に嫌だな」という想像を膨らませて描いていたような気がします。
例えば、友人の中に女同士で結婚しているカップルがいるんですが、「日本だと認めてもらえないからアメリカに住むよ」って海外に行ってしまって。彼女たちがそのことに深く傷ついているという印象はないんですけど、それでも異性のカップルと同じような権利をもらえていないんだな、という事実にはやっぱり考えさせられるところがあるなと。
できないことや苦手なことは先に伝える
竹内 漫画家という仕事にずっと就いてると、人に迷惑をかけないときがないんですよ(笑)。特に私はエッセイ漫画を長く描いてきたので、自分自身の経験について編集さんに話を聞いてもらったり相談したりして、そこから作品をつくるというやり方が染みついていて。
迷惑をかけるのはもう前提みたいなもので、困ったときに助けてもらう代わりに私は漫画を描くから……みたいな感じです(笑)。
竹内 そうですね、自分のことを知ってほしいという欲が強い方なので、わりと友人や知人にもなんでも話しちゃうかもしれない。ただ、「迷惑をかけたくない」と思って頑張った結果よくないことになった、という経験をたくさん積んだのも、今みたいに考えるようになった要因のひとつかもしれないです。
竹内 それこそ、迷惑をかけたくないと我慢してストレスを抱え過ぎたせいで、結局漫画が描けなくなってしまったこともあります。
だから、「この人はこういうことはできるけれど、こういうことは本当にできないんだな」と、仕事相手や仲のいい友人には最初からちゃんと分かっておいてもらった方がリスク回避にもなると思うんですよね。
竹内 赤ちゃんくらい分かりやすいといいんですけど、大人って一見おんなじ形してますからね(笑)。

竹内 だと思いますね、本当に。例えば、私は自分で偏っている自覚はあるんですが、キャンプ・旅行・ホームパーティーが本当に苦手なので、誘われる前に「申し訳ないんですけど、本当に苦手なのでその3つには絶対呼ばないでください」って公言しているんです(笑)。
なんだか申し訳ない気持ちがして言えない人も多いかもしれませんが、無理に参加して結果的に体調を崩したりするよりは、お互いにとっていいんじゃないかなと。
竹内 下手に煮え切らない言い方をしてしまうと、強引に誘われて頑張っちゃう人もいると思うんです。だから個人的には、多少そのリスクを大げさに伝えるのはありなんじゃないかと思っていて。「ホームパーティーに呼ばれると翌日絶対に体調を崩してしまうんです」とか(笑)。
竹内 ですよね。そこに多少の方便はあってもいいんじゃないかなと……。あとは、こちらができないことを伝えている以上、周囲の人からも「これだけはできない」ということを打ち明けられたら、それは代わりに自分ができるだけフォローするマインドを持てたらいいですよね。
“マニュアル通り”ではない感情を抱いてしまうこと
竹内 先入観に関しては自分が抱いてしまいがちなので、それを描いたというのはあるかもしれません。
私自身は、結婚という制度をあまりプラスに捉えられなくて、結婚する人に「おめでとう」ってなかなか言えないんです。もちろん、友人や家族が結婚するときはその選択を尊重したいですし、それを責めるようなことはしたくないのですが、どこかで自分もマイナスの先入観を持ってしまっていて……。その気持ちをどうにもできなくて、悩むことも多いです。
竹内 そうですね。あれは本当に自分のことでした。

竹内 自分を責めたくなかったのもありますし、そういう気持ちを抱いてしまったことがある人は私だけじゃないだろう、という確信もどこかにありました。だからあのエピソードは、仲間を探すような感覚で描いたような気がします。
竹内 うーん……私は自分の気持ちを根本から否定したりすることってあまりないんです。ただもちろん、それを口にすることで誰かを傷つけてしまったら嫌だなとは思っていて。だから、他人頼りではあるんですが、「もし私が変なことや差別的なことを言ったらすぐに指摘して」って8歳年下の友人に伝えてるんです。
竹内 私はいま37歳なんですが、中年期にさしかかってきたこともあって、自分の考え方が若干古くなってきたかもしれないって感じることが増えているんです。やっぱり友人って同年代の人が多いので、すこし年下の人から見ると「それは古い価値観じゃない?」って思うこともあるだろうなと思って。だからそう感じることがあったら遠慮なく指摘してくれ、と。
他人のことが“理解”できるはずなんてない
竹内 橘部長に関しては、自分の父がモデルになっている部分も大きいかもしれないです。父は60代で、いまはもう退職しているのですが、サラリーマン時代は本当に「24時間戦えますか」みたいな価値観でしたし、妻が家でご飯をつくって待っていることが普通の幸せ、という感覚で……。
竹内 私が直接なにか言われたという経験はないのですが、例えばテレビのバラエティ番組に同性愛者の人が出てくると差別的なことを言ったりするんですよね。だから、そういう父親に守ってほしいことをまとめたのが、橘部長へのメモなんです。

(C)竹内佐千子/講談社
竹内 「あなたのことを理解していますよ」という姿勢ほど傲慢なことはないと思っています。私は自分のことが37年かけてもまだよく分からなくて、それなのに他人のことなんて理解できるはずない、と思うんですよね。
竹内 例えば、「私は同性愛に理解があるから」とおっしゃる方ってすごく多いんですが、それが気持ちとして本当に“理解”できているとしたら、あなたもレズビアンやバイセクシャルになってるはずじゃない?と思いますし(笑)。「偏見を持ってない」と言う方にも、何を持って偏見がないと言い切っているんだろうと。
竹内 そう思います。みんな何かしらの偏見は持っているはずですよ。だから自分のことも他人のことも、安易に「理解した」と思ったり、こう!とジャッジしたりするのではなくて、迷いながら考え続けていくような姿勢が大事なのかなと今は思っています。
取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
お話を伺った方:竹内佐千子さん