彼の死がもたらした「傷つくことに絶望しない」ということ。心に抱き、再び歩き出す

 ユキ

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同居人の自死という経験を持つはてなブロガーのユキさん。時がたち、2019年の命日で初めて「心のゆらぎ」を持たずに日常を過ごせたのだそう。ただ、そこにいたるまでにはさまざまな葛藤がありました。

傷が癒えない状態での復職、「心のフィルター」を通して人とコミュニケーションする理由、パートナーが亡くなったことで浮き彫りになった「本当の自分」と向き合うことーー。ユキさんが、悲しみを抱きながらも、同時に前を向くまでの思いを寄稿いただきました。

同居していたパートナーとの別れ

3年ほど前、同居していたパートナーが自死した。心身の不調を訴えて働けなくなった彼に「うちにきちゃいなよ」と声をかけた“同居”で、“同棲”というほどセクシーなものではない。ただ、人知れず彼が抱える、心の闇や苦しみ・悩みとの闘いを陰から応援し、見届けたかった。

まあ、それが本当に“見届ける・終わる”ことになろうとはその時は思っていなかったけれど。幸運にも人生最良のパートナーを見つけられたとしても、いとも簡単にこの世で二度と出会えなくなることは、ある。

「最良のパートナー・親友」との婚姻届よりも先に、死亡届を提出しているという状況を、こなした。葬式、火葬、納骨、遺品整理。あっという間に数日で終わった。

私は信頼するたった一人の上司に「同居人が死にました。仕事に行けません」とだけ連絡し会社を欠勤した。特に意を決したわけではないが、程なくして飲まず食わず眠らずを決行した。身近な人を自死で亡くすことがどれだけ周囲の人間にダメージを負わせるかは、私自身一番よく知っていたから、あくまで自然死であるような、衰弱死をしたかった。

生き延びたのなら、生き直すしかない

ところがどっこい、衰弱して倒れたところで救急搬送されてしまい、私は今日も生きている。病院の白い天井を見ながら「元が健康だと、案外死ねないもんだな……」というのが最初の感想だった。

同時に安心もした。最良のパートナーが若くして死ぬなんて、なんていうクソ仕様のわが人生。これを超える悲しみは恐らくそうそうない。わが子が自分より先に死ぬことくらいなんじゃないか。その気づきが自分を奮い立たせ、生き直してみようと思うきっかけになった。

どうせいつか私も死ぬ。それなら、それまであがくだけは精一杯やってやろう。神様め、出会ったときは絶対に文句を言ってやるし、お前が構築したこの世というクソ仕様のシステム改修の超大口案件を受注してやる、そのためのエネルギーをためてやるバカヤロウと、自分を鼓舞した。

最初の1カ月こそ寝て泣いてやせ細っていたが、まずは心身の回復に努めた。ご飯を食べて、眠って、泣きたいときに泣く。家具を総買替してみたり、「強盗に襲われて死んでもいいし」とバックパッカーとして世界中周遊してみたり、お金を使いまくり、立ち直るためにあらゆる手段で自分のご機嫌を取りまくってみた。

傷口はふさがっていない。でも、お金がなくなり復職

そうして数カ月後、ATM残高が2,891円になった。そりゃそうだ。私は休職するときに「帰ってきたくなったら今年でも来年でもいつでも連絡して」と声をかけてくれて、手続きの面でもサポートしてくれた上司に連絡した。

正直に「お金がなくなりました。働かせてください」と会って伝えると、「頑張らないでいい。戻ってきてくれたらうれしい」と言われ、元の職場に復帰することを決めた。

いざ復帰してみると、表面上は仕事をガンガンするとか、飲みに行くとか、それなりに楽しんでこなすことができた。ただ、それは“それなりに”だった。復職直後はまだまだ簡単に傷口が開くような状態で、それをかばおうとした結果、臆病な自分が一層色濃く表れた。誰かから傷つけられることも誰かを傷つけることも、怖かった。

そうして、「いつも通りの自分」を装うほど、私は私が少しずつ分裂していくのを感じた。そして、完全に自分自身を見失った。

心のフィルターをかけて関わるコミュニケーション

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ちょっと話を戻すと、そもそも故人と親しくなったのは、好きな映画・本・風景などの感受性面が似ていただけでなく、他人に対する自己防御方法が似ていたからだった。

それは、全ての他者に接するときに心の中で一枚フィルターをかけるイメージを持って関わるという方法。外圧からの/他者からの攻撃によるダメージを受けないように、受け身をとるようにしていた。

このような方法をとるようになったのは、私も故人も、生育環境による部分が大きかったように思う。私に関して言うなら、10秒先に何を言われるか・何が起こるか分からない環境で育ち、きわめて近しい人間から「この子は使えない」と思われると一瞬で私への関心が消えてなくなる経験もしてきた。

当時、まだ子供の私にとっては、近しい大人に関心を持たれなくなるということは、自分自身のサバイバルに大きく影響することで、避けたいことだった。

次第に

  • その人にとって役に立つ人間になり、かわいがってもらう

そのための道化として

  • 役に立つと思ってもらえる振る舞いを判断する

ために、フィルターがうまく作動していった。

こういった心境は、家庭内だけでなく学校生活においても同じ。「他人」という人たちは全て、身内も含めて恐怖の対象だった。やがて他者からの予想外の攻撃・投げかけによって、ダメージを受けないように受け身をとる技術だけが身に付いていったように思う。それが、“心の中のフィルター”だった。フィルター越しなら、そのまま受け止めるよりは傷は浅くて済む。「傷が浅くて済んだ、ラッキー」と思うためにフィルターをかけていた。

彼の死が、私に「自分自身との再会」をもたらした

フィルターは、大人になるほどに透明そうに見えて、なかなかいい素材に代わっていき、“そんなに思い入れのない他人”からの攻撃であれば、代替防御できるようになった。そのおかげで、私はハイプレッシャーかつ激務と言われる業界で今もガンガン働けているんだろうなあと思う。

だから、フィルターは子供の頃からのちょっと寂しくて孤独な産物でもあるし、大人になった今は社会的にタフに生きていくためのツールにもなっていて、良いとも悪いとも言えない、私の一部と化していた。

ただ故人とは生育環境も、心の防御の仕方においても似た者同士のため、互いに言わないにしても本心が分かり、慰め合い、慈しむことができたわけだった。こと私に至っては、フィルターの奥底にあった本心ーー「ほんとうの私」を彼が見つけてくれたようでうれしかった。

けれど、彼がこの世からいなくなったので、「フィルターの奥にいるほんとうの私」を見つめてくれる人は自分しかいなくなった。つまりは、自身とのまともな対話を余儀なくされたのである。

他者への依存心や過度な貢献意欲とさよなら

今は、自分と他者との関係性にフィルターをかけることは、

  • 自分が傷つかないために受け身をとること
  • 相手を傷つけないためにはどう見せる・振舞うべきかという意識・関心

どれでもなく、根っこにあるのは“依存“だったんだろうなあと考えている。

というのは、私の心の中にあるフィルターは結局のところ、「等身大の自分の姿は見せられないけれど、あなたの役に立ってみせるから一緒にいてほしい」という、条件付きの過度の貢献意欲。それは、裏を返すと“依存”の言い訳だ。

私は「自分は自立しているような顔で生きていて、いかに他人依存の強い人間なのか」に気付いた。一方で、「それでも一人できちんと生活しているし、自暴自棄にならずに生きているものだなあ」とも思った。

それなら、実は今まで実装していたフィルターって、不要なものだったのではないか? ただ、フィルターをかけてまで一生懸命生きていた過去の否定はやめよう。これからは、フィルターがなくても平気な自分でいられるはずだ……。

とても前向きなエネルギーを心の中に生成できた瞬間だった。この気付きが、私の回復を支えてくれたように思う。そして、他者と接するときにかけていた心のフィルター……つまりは他者へ依存・へりくだる気持ちは、消え去ったとは当然言えっこないけれど、以前よりもかなりフラットになっていった。

ひょんなところから助けられ、救われる

私にとって、自分自身の本心を見てくれる他者=故人のみ、と思い込んでいた節があった。しかし、回復の過程で、「故人以外の他者からも思いがけなく、前に進めるきっかけをもらえるものだな」と感じる機会が多々あり、私の視界は広くなった。

例えば、復帰後にソフトクリームを食べに行こうと連れ出してくれた上司がぽろっと言ってくれた、

「ユキさんは自分の足で自分の意思でハードなあなたの人生を生きている。思っているよりも、あなたは強いよ。自信を持って、肩の力を抜いて、生きていい。苦労した分、ハードな境遇で生きている分、あなたには幸せになってほしい。どんな時も前向きに転ぶユキさんをとても素敵だと思う」

という言葉をよく覚えている。

職場の人の前で泣かない主義だったのに、その時ばかりは、泣いた。そんな無用な主義を崩せたことは、きっと、彼の死を経て自分迷子になった挙句の新しい私だ。

傷つくことに絶望しないことこそがバイタリティに

私の傷は完治でないにしても癒えた。彼が死んで3回目の命日だった2019年、初めて心のゆらぎがなく、いつものように仕事をすることができた。

最愛の男性が、若くして故人になってしまったという圧倒的な喪失感は変わらない。涙もまだまだ枯れない、いまだにいつだって泣けるし、きっと一生悲しい。自分が死ぬ時を悟れる死に方を神様がくれるとしたら、私はきっと安心するだろう。「ようやく彼に会える」と。

でも、故人に対しての気持ちは悲しみや悔しさだけではない。それと同じくらいの熱量で、彼の生き生きした笑顔、楽しかったシーンを思い出すことができる。

生きている限り、傷つきもするし、傷つけられもするし、幸福から一転真っ暗闇の絶望に突き落とされることもある。けれど、深い絶望や手負いの傷からやがて癒え、再び歩き出せるし、いつかは今日の空がきれいだなとか季節の移り変わりにわくわくする心だって、復活する。

生きてさえいれば、良くも悪くも絶対に何かが起こるし、変わる。「今日選んだアミダくじの線が どこに続くかは分からない」と宇多田ヒカルさんが名曲『Letters』の中で歌うように。ただ、アミダくじの先を気にしてばかりは生きていけない。毎日私たちは嫌でもなんでもアミダくじを引き続けるのだ。

フィルターや仮面なんてポイっと捨て去って、そのままてくてく歩いていくしかないのだ。行きつく先も、終わるタイミングも分からないまま。

「最愛の男性が自死した」という私の人生でも、まだ希望を捨てていない。体が引き裂かれるような悲しみを体験できたぶん、きっといつか私は同じくらいの質量と熱量を持った喜びもまた、感じる瞬間が来るだろう。

傷つくことに絶望しないこと、それが私のしぶとさ、バイタリティ。優しかった故人が最後まで手にできなかった、唯一のもの。

彼の死から3年ほどたった今の私は、きっとそれを、手にして生きている。

著者:ユキ (id:yukikuriyama)

ユキ

THE中間管理職コンサルタント。将来の夢はポメラニアンブリーダー。知らないツイッタラーからの不意の引用RTが怖い。はてなブログには、人間関係の割り切れない気持ちなど、いぶし銀の考えごとを不定期かつ瞬間風速でしたためています。
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編集/はてな編集部