現状維持って、充分すごくない? 30歳を過ぎて少しだけ手放せた「成長を続けなきゃ」の焦り

 菅原さくら

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仕事において結果や成長を求められることが増えてくる30歳前後。SNSなどで同世代の活躍を目にして「“今できること”だけし続けていてもダメなのかも」「もっとチャレンジが必要なんじゃないか」と不安になる、という声も聞かれます。

フリーランスのライターとして活動する菅原さくらさんは、第二子を出産後、「現状維持ではまずいのでは」と漠然とした焦りを感じるようになったといいます。パンデミックによる社会の混乱に振り回され、思うように進めない時期を経て菅原さんが見つめ直したのは、「自分が今できていることは何か」「今『できていない』ことは本当に必要なことなのか」の二つ。

理由のない焦りを感じたときの具体的な対処法を、ご自身の経験を交えて書いていただきました。

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ベッドに入って目をつぶってから、つい考えてしまう。
いまの仕事は大好きだし天職だと感じているけれど、10年後20年後も続けていられるかな? もしかして、いまが仕事人生のピークだったりするんだろうか。この状態を保つためには、もっといろんなインプットをして、スキルを伸ばし続けなきゃいけないのでは? もしかして、寝てる場合じゃないかも……という具合に。

「35歳で転職は限界」「フリーランスには40歳の壁がある」なんて説を思い出すと、もうだめだ。現状維持するだけでは、少しずつ先細りしてしまう気がして、怖くなる。

中堅の年代になって、大きくなる焦り

フリーランスのライターとして働きながら、29歳で第一子、32歳で第二子を出産した。子どもは本当にかわいい。長男の眉毛のなかにあるほくろや、次男のきゅんととがった鼻先を見ては、愛しさのあまりに心がまるくなる。振り回されてぐったりすることもたくさんあるけれど、おおむね子育てはおもしろい。

ただ、その幸せと引き換えに、仕事に使える時間は減った。
自分から仕掛けていく余裕がなくなって、いただく案件を打ち返すのが精いっぱい。声をかけていただけるだけでもありがたいことだけど、受け身の自分は好きじゃなかった。

気づくと、できないことばかりに目がいって、不安になっている。私が寝かしつけに苦労している間にも、同業の方々はきっと本を読んで、みずから手を動かして、どんどん知識やスキルを身に付けているのだろう。だったら私ももっと効率的に働いて、ストレッチしていかなくてはと、うっかり自分を追い詰める。

焦りが大きくなったのは、二人目を産んでからだ。
昔からなんとなく「子どもの数は0か2」と考えていたから、二人目を産み終わったとき、私なりの人生の土台が固まった気がした。人生ゲームにたとえるなら、私はピンが4本刺さった車で、この先の人生をプレイしていくんだなぁという感覚。この先、結婚や出産で環境が変わることは、きっとない。

つまり、ここからは自分がアクションを起こさないと、何も変化はしないのだ。家事育児をしながら、限られたリソースをやりくりして、キャリアアップも目指していく。このままでいいとは思えないのに、ここからはすべて自分次第、というわけ。

ただでさえ、ずいぶん前から、同じ場所にとどまっている気がする。本当なら一段いちだんキャリアの階段を上がりたいのに、長いこと踊り場にいるようで、成長している実感がない。

一つひとつのお仕事とは、ちゃんと向き合ってきた。おかげでご指名やリピートは増えたし、ある程度の信頼もいただけている。でも、突出した成果を出しているとはいえないし、若手の台頭だってすごい。誰かと比べれば比べるほど、持っていないものの数をかぞえてしまう。

フリーランスのライターとして、自分が40代、50代と活躍していくイメージを持てないのも、焦る理由のひとつだろう。ライターにはエッセイストやコラムニスト、編集者といった派生ルートがあるけれど、いまのところはどれもしっくりこない。ずっと現場で取材をして、書き続けていられたらいいなと思う。

けれど、そのためには誰かに「書いてほしい」と思われる存在でい続けなければいけない。そんなライターには、いったいどれだけの知識や技術を身に付けて、どんな闘いをすればなれるのか。

いっそ会社員みたいに、定期的な目標設定面談でもあったら。それで、誰かわたしのキャリアや武器を一緒に考えてくれたらいいのに。でも、それは会社員のいい面ばかり見ているだけか。達成しなきゃいけない目標がきっちり決まっていて、それに応えようとしたり結果で評価されたりするのは、とても大変そうだ……。
ひとまずフリーランスであるいまは、私の働き方を決められるのは私しかいない。

30歳を過ぎたいま、私が打つべきベストな手は、何なんだ?

コロナ禍で、「自分のできること」を見つめ直してみたら

そうやってうじうじと悩む一方、持ち前の明るさですこやかに仕事をこなしていたら、突然パンデミックがはじまった。

0歳児と4歳児を抱えながら、登園自粛や健康不安に振り回される日々が続く。家族みんなが健康なだけで充分ありがたいと思いながらも、延期や中止の案件が出てくると、気持ちはひそかに、ざわざわした。

だけど、これほど非日常の危機のなかで、気を揉んでいても仕方ない。だって、下手に動けないいま、打てる手は少ないんだもん。

やみくもに挑戦したり、行動を焦ったりするのは、ただメンタルに悪いだけだ。自分でコントロールできないこと、考えても仕方ないことは悩まないと、昔から決めている。

じゃあ、いますぐやれることは? と考えて、まずは「自分のできていること」に目を向けてみた

せわしなく働いているとつい見過ごしてしまうから、コロナ禍でぽっかりと生まれた暇な時間にも、ぴったりの作業だ。企業で評価やマネジメントについて取材をする中で「女性のほうが自己評価が低くなる傾向にある」という話をよく聞く。なので、主観に頼らず、客観的な事実を並べてみる。

まず、ライターになって10年、締切を破ったことは一度もない。分からないことがあったらなるべく早めに確認してトラブルの芽を摘んでいるし、即レスじゃないけど必要な連絡は怠らない。地味なことだけど、クライアントには自分が思っている以上に喜んでもらえる。その結果、複数の担当者を紹介されて別案件をいただくことも、リピートのお声がけも、わりと多い。

「さくらさんに取材を受けて、インタビューされることの楽しみを知った」とか「こんなに自分の気持ちを言語化してもらえたのは初めて」とか、百戦錬磨のインタビューイーに言われたこともある。「しゃべるのはうまくないから、さくらさんなら心強い」と言ってもらえるのも、存在意義を感じてすごくうれしい。

そういえば、とある著名人の取材で。
「いまの部分、もっと掘り下げられたか?」「相手の言葉を咀嚼するのに時間がかかって、次の質問まで変な間があいてしまったかも」と反省したときがあった。でも、あとから録音を聞いてみれば、相手の発言を受けた上で、必要な沈黙があっただけ。一方的に証言を取るような取材じゃなく、ていねいに対話ができているように感じられた。その場で浮かんだ即興の問いに、相手も「面白い質問ですね」と笑ってくれている。

仕上がった記事は「あの方の繊細な部分がよく出ている、いい原稿ですね」と褒めてもらい、メディア内のランキングで一位をとった。真っ只中にいるときはつい自信がなくなってしまうけど、テープと原稿は嘘をつかない。編集者と読者からのあたたかい評価で、自分への反省を塗り替えられた。

……そんなふうにいろんな事実を思い返していたら、少しずつ「外から見た自分」の輪郭が浮かび上がってくる。もしかしてわたし、意外と「強み」ある系?

四柱推命の鑑定士をしている母から、この数年は空回りしやすく、地道にやっていくしかない年回りだと聞いている。ただし「自分の評価と他人の評価は、かならずしも一致しない」とも、言われた。プラスに解釈すれば、自分でダメだと思うほど周りは私をダメだと思っていないし、自分の感じる「低め安定」はじゅうぶん「高め安定」かもしれない……ということ。いろんな事実を思い返すと、自分と他人の評価のズレも、確かに感じる。

妊娠・出産をまたいだ数年、自分が納得するだけの成果が出せていなかったとしても。
手元のスキルでそこそこ安定的にやれているなら、まず及第点なのでは……?

そもそも、よく考えたらわたしは「成長すること」でお金をいただいているんじゃなくて、「求められた仕事をやり遂げること」でお金をいただいているんだった。もちろん、今後その「求められた仕事」をするためには、いまのスキルじゃ足りなくて、成長が必要になる可能性はおおいにある。でも、少なくとも現時点では、成長できていないことに引け目を感じる必要なんてないのかもしれない。

「自分のできていること」を見つめ直したら、なんだか希望がわいてきた。


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「できていないこと」は、本当に「必要なこと」か?

次は「自分のできていないこと」について、もう少し深く考えてみる。「あれもできない」「これもできるようになりたい」というのは湯水のごとく浮かんでくるけれど、いったん立ち止まって。

その「できていないこと」や「できるようになりたいこと」って、わたしに、本当に必要なことなの?

油断すると「あの人はすごいなぁ」「あんなコンテンツをつくってみたい」なんてゆるい嫉妬に引っ張られて、つい人のスキルをうらやんでしまう。文章だけでなく、素敵な写真や動画もつくれるライターさんは、確かにすごい。何万人もフォロワーがいる人の拡散力にも、かなわない。

でも、私ってそういうことがしたいんだっけ? 
人の話を聞いて文章にすることが単純に好きだから、その技術はどんどん研ぎ澄ましたい。できることなら、スペシャリストになりたいと思う。でもそうなるために、写真や動画、SNSなどは必須じゃない気がする。

時間とエネルギーが無尽蔵にあるなら、かたっぱしから学んで身に付けていけばいいけれど、資源はなんだって有限だ。だったら、優先順位を付けた方がいい。むやみにジェネラリストを目指さないと決めたことで、また少し楽になった。

20代なかばを過ぎてからだろうか。なにか新しいことを学びたいと感じたときについ「早くはじめなきゃ」と焦るようになった。「これからの人生でいまが一番若い」という一見ポジティブな言葉すら、ベースが焦っていると「一番若いいまを逃さずにチャレンジしなければならない!!」と変換されてしまったりする。

だけど周りを見てみれば、30歳を過ぎて大学院に行った人も、40歳を過ぎて新事業をはじめた人も、たくさんいる。50歳で学びはじめたことを仕事にして、それで食べている人もいる。なんでも早くスタートしたほうがいいと思いがちだし、その焦りにのまれていろんなことが必要に思えてしまうけど。本当は、やりたいときにやりたいことだけやれればいいのかもしれない。

だったら、私にとってあらゆるチャレンジは、自分のボルテージがしっかりと高まっていないいま、わざわざやらなくてもいいことなのでは? 
自分にとって「本当に必要なこと」を見極める癖だけ付けておこう。そうすれば、きっとタイミングが来たときに迷わず飛び込める。

しばらくは現状維持でいい、ような気が、する

あらためて考えてみると、私が成長したいと思ったのは、ずっとこの仕事を続けていくためだ。ご依頼や評価をいただき続けるためには、スキルの成長を止めない必要があると考えただけ。どこか別の場所にいきたいわけでも、ものすごい高みにいきたいわけでもない。

それなのに、頭のどこかでは「成長して“何者か”にならなくちゃいけない」とも思っていた気がする。いまの私は何者でもない。そして何者かになることが、仕事を絶やさない唯一の方法である、というように。

でも、それってもしかして、全部思い込みだったのでは?

もちろん、いつも新しい見識にふれて技術を磨いていくに越したことはない。だけど、人生100年時代だ。ライフステージに合わせて、その速度が鈍化するタイミングがあったっていいはず。「いずれ先細りするのが怖い」の「いずれ」がくるタイミングも、昔より後ろ倒しになっているかもしれない。じゃあ、自分のなかでもう少しやるべきことが整理できてから動き出すのでも、いいか。

だいたい、安定してお仕事をいただき続けるための方法が「成長」しかないわけじゃない。

目の前のお仕事に誠実に応えていくことも、いまのスキルをメンテナンスして保つことも、立派な対策。レギュラーの仕事ばかりに固執しないで、なるべく新しい仕事の機会を増やすだけでも、きっと風向きは変わってくる。それから、興味のある本を読んでちまちま発信する程度のことだって、明日につながっていくもの。このエッセイの依頼も、じつは2019年に書いたnoteが発端となっていただいた。

そんな小さい小さい積み重ねのすえに、成長させていきたいことや、成長したくてたまらなくなる時期をつかめたら、すごくいい。

だから、そうではないいまは、しばらく現状維持モード。といいつつ、どうしてもヒヤヒヤしたり、ソワソワしたりはするんですが……。それでも、やみくもに頑張って余白をなくしてしまうくらいなら、悩みながらでも余白を残したままで生きたいと思う。

最後の最後にそもそもですが、世の中はこれほどめまぐるしく変わっていくのに、現状維持できてるだけで、私たち充分すごいですよね?



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著者:菅原さくら

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フリーランスのライター・編集者、雑誌『走るひと』チーフなど。人となりに迫るインタビューが得意で、多くの俳優やアーティスト、クリエイターに取材。PR記事や採用広報、コピーライティングなど、クライアントワークも好き。5歳2歳の兄弟育児中。
Twitter:@sakura011626

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編集:はてな編集部