絶好調の自分を基準にしない。放置しがちなメンタルをケアする方法とは?|臨床心理士・みたらし加奈

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ここのところ、なんとなく体調の優れない日々が続いている。もしかしたら、それはメンタルのバランスが崩れているからかもしれません。

怪我や風邪など肉体的な不調を覚えたときには病院に行くのに、メンタルとなると不調自体に気付けなかったり、気付いても「まだ大丈夫」と放置してしまう人も少なくないと思います。

しかし、メンタルの調子を整えることは、日々の生活を送っていく上で非常に大切です。ましてや、新型コロナウイルスの影響で不安定な毎日が続き、人とのつながりが希薄化しているなか、「メンタルヘルスケア・セルフケア」の重要性はこれまで以上に高まってきているのではないでしょうか。

みたらし加奈さんは、総合病院の精神科での勤務を経て、現在はフリーランスとして活動する臨床心理士。SNSを通じたメンタルヘルスケアやセルフケアの啓蒙活動を積極的にされているみたらしさんに、自分のままならないメンタルと付き合っていく方法について聞きました。

※取材はリモートで実施しました

あえて「機械的」にメンタルと向き合ってみる

いま、新型コロナウイルスの影響でメンタルのバランスを崩す人が増えているそうです。そもそもメンタルの不調に自分で気付くためには、日常のなかでどんなことを意識すればいいのでしょうか。

みたらし加奈さん(以下、みたらし) まずは、自分にとっての「ストレスサイン」を知ることが大切だと思います。だから、自分の心がちょっとどんよりしてきたな……というときに、自分がどんな気分で、どんな行動をとったかをメモしておくこと。例えば、暗いニュースや刺激的な映画ばかり選んで見てしまうとか、前に落ち込んでいたときによく聞いていた音楽ばかり聞いてしまうとか。心がどんよりしてきたときのサインって人によって全くバラバラなんです。

「暗いニュースや刺激的な映画ばかり選んで見てしまう」ことがストレスサインになりうるケースもあるんですね。

みたらし そうですね、刺激的なものばかり選んで目に入れてしまう、というのはある種の自傷行為であることも多いです。世間で言われている「メンタルヘルスの不調のサイン」って、家からまったく出ないとか笑顔になる回数が減ったとか、分かりやすいものが多いんですよね。もちろんそれも正しいのですが、例えば唇の皮を剥いたり髪や眉毛を無意識に抜いてしまったり、というのもストレスサインの一種なんですよ。

皆さん、体の不調に対しては「扁桃腺が腫れているから熱が出る前に病院に行こう」とか「頭痛がこれだけ続くということは疲れているサインだから、今日は早く寝よう」とか、自分なりの対応の仕方を知っているのに、メンタルの不調だと「まあ大丈夫だろう」と見逃してしまう方がとても多いんです……。でも、本来は心の不調も体の不調とまったく同じで、自分で対応できる範囲を越えたら、遠慮せずに心療内科や精神科、カウンセリングといった専門機関にかかってほしいと思います。

みたらし加奈さんインタビューカット1

自分の状態や対応を客観視するためにメモを取る、ということですね。専門機関にかかるべきかどうかのボーダーラインも人によってバラバラだと思うのですが、「自分の場合はこうなったら専門機関に行く」というのはどのように判断すればいいんでしょうか?

みたらし 例えば、イエス・ノーで答えられるチャート形式にしたりすると分かりやすいかもしれないですね。自分の「ストレスサイン」がいくつ出ているのか、それに対応してみたのか、対応の結果どうだったのかという感じで。心療内科などが公開しているうつのチェックリストを参考にしたりしてもいいと思いますけど、ここでチャートにするのは、ある程度システマティックに決めてしまうのがポイントだからなんです。

それはどうしてでしょう?

みたらし 自分の偏見のラインに自分で引っかかってしまう、というか。例えば、1週間眠れない日が続いたら専門機関に行こうとぼんやり決めていても、いざとなると「いや、もうすこしくらい大丈夫かも」「あれ、いつから眠れていないんだっけ」と躊躇したり、曖昧になったりするケースが多いと思うんです。だからある意味機械的に考えて、あらかじめ「ここから先は自分で対処しようとしない」というボーダーラインを決めておくと、専門機関にも行きやすくなるのかなと思います。

メンタルヘルスに「甘えているだけ」という概念はない

お聞きして思ったのですが、「自分にとってのストレスサイン」が他の人にとってはストレスではなさそうに見えてしまうことってありますよね。例えば、自分がストレスが溜まると過剰に寝てしまう傾向があっても、他の人はストレスが溜まると眠れないと言うから、これだけ眠れている自分は大丈夫だろう……と思ってしまったり。

みたらし そうですね。体の不調の場合は、わりとみなさん明確に自他の境界線を引くことができるんです。「私にはあまり効かないけど、この人の場合は葛根湯が効くんだな」とか。でもそれがメンタルの不調になると、途端に「この人はこれだけストレスを抱えていても働けるんだから、自分のつらさなんて甘えだ」と思ってしまいがちで……。体と同じように、本来はメンタルヘルスの場合も、他人と自分のしんどさや症状を比べる必要はないんです。

「これは甘えだ」という自分の気持ちには、どう向き合えばいいんでしょうか。

みたらし ストレスサインの話をするとき、私はよく「人それぞれ違った形のコップを持っている」と言うんですね。形や深さ、容量が違うコップを全員が持っていて、そこにストレスという名の水が注がれていく。当然、コップですから受容できるストレス量には限りがありますし、人によってその量はバラバラです。

そのことを認識した上で、自分の容量はあとどのくらい残っているんだろうと考えるようにすると、「これは甘えだ」「まだいける」という思い過ごしみたいなものが減ってくるのかな、と思うんですよね。

なるほど、確かに。

みたらし そもそも、メンタルヘルスにおいては「甘えているだけ」という概念はないんです。それこそ世の中一般で「ストレス耐性」などと呼ばれるものは、その人が育ってきた家庭環境や遺伝、人間関係といったいろいろなものが関わって決まるものなんですが、その人がしんどいと思ったらしんどいのは事実。それを「甘えだ」と言って見過ごしてしまうと、あとから大きな歪みが出てくることが非常に多いです。だから自分が「甘えだ」と思ってしまいがちなのであれば、日頃からすこしずつその気持ちを手放していく練習をすることも大切なのかなと思います。

人と比べてしまうのもそうですが、メンタルの不調を感じているとき、「いつもの自分であればできるはずのことができないなんて……」と自分を責めてしまう方も多そうですよね。

みたらし そうですね……。最近、「自己肯定感」という言葉をよく聞くようになりましたが、日本ではこの言葉が、「よいところも悪いところもひっくるめて自分を100%好きでいることのできる力」というような意味で広まってしまっているな、と感じています。でも、実際はそうではないと思います。

自分の基本が「0」の状態だとしたら、人のコンディションって日によって違いますよね。仕事も人間関係もうまくいく「+4」くらいの日もあるし、なにをやっても集中力が続かずミスばかりしてしまう「-4」の日もある。人って、そのあいだを常に行ったり来たりしている生き物なんです。でも、自分を責めてしまう人に多いのは、「+4」くらいのコンディションの日を自分にとっての「0」に設定してしまうこと。そうすると、数値がマイナス側に振れている日の自分を許せなくなってしまうんですよね。「なんであの日はうまくできたのに、今日はだめなんだろう……」と。

そうではなく、いい面と悪い面はコインの裏表みたいなもので、自分にはコンディションがいいときも悪いときもある、というのを把握できていることが本来の「自己肯定感」なんです

自分のいい面と悪い面をただ知っていればいい、ということなんですね。

みたらし そうです。ただ「こういうところが自分にはあるな」と分かっていればそれでよくて、自分を愛さなければいけない、と無理に思わなくてもいいんです。たとえば「思い込みが激しい」ことと「決断力がある」ことがそれぞれ裏表であるように、短所って必ず長所にも通じている部分があるはずなので、短所を消し去ろうと躍起になる必要もない。そう考えられると、ほんのすこしだけ自分を受容しやすくなるんじゃないかな、と思います。

私たちはSNSに生かされているわけではない

話題はすこし変わりますが、みたらしさんはいま、各種SNSを通じてメンタルヘルスケアやセルフケアの啓蒙活動をされていると思います。SNSでの発信を始められた背景には、街中で「話し相手をしてください」と書かれた紙を持った統合失調症の方に偶然出会ったというご経験があったそうですね。

みたらし 渋谷の駅前でその方に出会ったのは4年前だったのですが、声をかけてお話を聞いていると、その方が感じている周囲からの偏見の眼差しや孤独感がひしひしと伝わってきました。

私は当時、臨床心理士として総合病院の精神科に勤務していたんですが、精神疾患が重症化してからようやく病院にかかる、という方が本当に多いのを感じていて。背景には、どうしても精神疾患やメンタルの専門機関に対して偏見があって、例えば自分自身でそれを認めたくない、家族に言えない……という患者さんの悩みがあったんです。

だから、もともとメンタルのケアをすることや専門機関にかかることはまったく恥ずかしいことではない、という情報の発信をなんらかの形でしていった方がいいのかなとは思っていたんですが、その方との出会いで沸き立つような思いがあったというか……。ご本人の許可を得てそのできごとについてInstagramに投稿したら、ありがたいことに多くの反響を頂いたんです。SNSで広く発信していこう、と決めたのはそのときです。

『マインドトーク あなたと私の心の話』表紙写真
『マインドトーク あなたと私の心の話』
現在の活動に至るまでの自身の体験を包み隠さず綴ったエッセイ

SNSを通じての発信だと、10代や20代の若い人たちの目にも止まりそうですね。

みたらし そうですね。いま私はTikTokもやっているんですが、「親に理解がなくてメンタルクリニックに行けません」といったコメントが思った以上に殺到していて……。やっぱり、アクセスしやすく良質な情報提供をしていかなければいけない、というのは常々思っています。

だから例えば、家族に精神疾患への理解がなく専門機関につなげてもらえない場合に、メンタルクリニックではなく総合病院に行ってもらえれば何科に行ったという履歴が保険証につかないとか、オンラインカウンセリングであれば保護者の承諾はいらないといったある種のライフハックのようなことも、専門機関へのハードルを下げる一歩にはなるのかなと。もちろん、同時にメンタルヘルスケアへの偏見をなくしていくための発信もしていかなければいけないんですが。

でも、専門機関という選択肢がある、と知るだけでも救いになる若い人は多いのではないかと思います。

みたらし メンタルが本当にしんどいときって、家から出られないことも多いと思うんです。だから、つらいなと思いつつもベッドのなかで延々と携帯をいじってしまっている人に「あなたはひとりではないよ」と伝えられるのは、SNSの最大の強みだなと思いますね。

本当にそうですね。ただ一方で、いまはコロナの影響もあり、これまで以上にSNSとの付き合い方が難しくなってきているのを感じます。デマや差別的な発言を目にすることが増えたり、外出自粛している人とそうでない人の行動の差が見えやすくなったりしていて、モヤモヤを感じている人も多そうです。

みたらし そうですね。私たちってSNSに生かされているわけではないので、そこに必要以上に振り回されないことはすごく大事だなと思います。体調が悪いときにはあまりSNSを見ないのもひとつの方法ですし、各SNSのフィルター機能やミュート機能を最大限に使って、自分が心地よくそのSNSを利用できるように設定を調整してほしいなと思います。

さっきお話ししたとおり、自分が受容できるストレスには限りがあるので、いまはコロナ禍でそのうちのいくらかはすでに水が溜まってしまっている状態だと自覚した上で、不要なものは切り離す選択をしてほしいです。SNSに限らず、人間関係も同じですね。いつでも自分のなかに主体性があって、目に入れる情報や人間関係は自分がチョイスできるんだ、ぐらいに考えるようにするのが大切なんじゃないかと思います。

コロナ禍においては、気分転換に外出をしたり人と話したり……ということがしづらくなってしまって、なかなか環境を変えられないことがストレスにつながってもいますよね。SNSの表示設定などのほかにも、ストレスを溜めないために心がけた方がいいことってあるんでしょうか。

みたらし そうですね……私は、適度にサボること、全てに全力投球しないことが重要なんじゃないか、と思っています。いま、みんなしんどいんだから、みんなで頑張らないといけない、というムードになってしまっている。けれど、実際には自分のことで精一杯だと思いますし、それでいいと言いたいですね。

「働きアリの法則」という有名な法則がありますが、どんな集団にも必ず2割は怠ける人たちがいるわけです。自分がサボったとしても世界は回る、というのを自覚するのはメンタルヘルスにとって大事なことだと思います。「自分には生産性がないから価値がない」なんて思う必要はまったくない。

専門機関は「何をしてもいい空間」

いま、「自分のことで精一杯」ではないかというお話もありましたが、家族や友人からメンタルの不調について相談を受けることもありますよね。いまはちょっと自分がしんどいな、というときは、無理に話を聞こうとしないことも大切そうですね。

みたらし 本当にそうです。自分がしんどいときって相手を過剰に批判してしまったり、相手に自分の状況を投影してしまったりすることもあるので、自分が抱えきれないと思ったら「いまはこういう事情であなたの相談には乗れないかもしれない……」と素直に伝えることも大切です。もちろん関係性にもよると思いますが、これは専門機関を頼ってもらった方がいいなと思ったら、「待合室で待ってるから、一緒にメンタルクリニックに行ってみる?」と声をかけてもらうのもひとつの手かなと思います。

自分が話を聞けそうな状態であれば、相手の方をむやみに否定したり、自分の成功体験を押しつけたりしない、ということを意識して話を聞いてあげられるといいかもしれませんね。相手の家族についての相談を受けたときは、家族のことを一方的に批判しないというのも大事です。親からひどいことをされた、という話を聞いたりしたら「あなたの親って最低だよ」って言いたくなるかもしれないんですが、家族の関係ってすごく曖昧で、ひと言で言い表せないことも多いので。

みたらし加奈さんインタビューカット2

なるほど、確かにそうですね……。いまのお話をお聞きして、自分がメンタルに不調を感じたときは、友人や家族に過剰に寄りかかり過ぎないようにしたいなとも思いました。自分で抱え込むのはよくないと思うのですが、かといって身近な人にケアを求め過ぎるのは違うなと。

みたらし おそらく専門機関に行く前に「周囲の人たちを頼る、家族に相談する」というステップがあると思うんですが、本当はその順序を入れ替えてもらった方がいいなと思っているんです。なぜかと言うと、メンタルクリニックやカウンセリングルームって、(自傷/他害行為以外は)基本的になにをしても大丈夫な場所だから。

例えば自分の悩みをうまく言葉で説明できなかったとしても、こちらは専門家なので、その方の行動や雰囲気を見ながら適切な治療方法を提案することができる。お金を払って行ってるんですから、むしろ寄り添ってもらえなかったら「おかしいでしょ」って思ってもいい。専門家がいる場所なので、それぞれの治療方針を信じてもらった上で、その人に主導権があって主人公になれる場だと考えてほしいな、と。

確かにそうですね。お金を払って行ってるんですもんね……。

みたらし だから実は、友人や家族に相談するよりもハードルは低いと思うんですよね。もちろん経済的な問題でカウンセリングに通えないという方もいらっしゃるとは思うので、私自身も行政に対しての働きかけなどは並行しておこなっていきたいですし、これからも続けていくつもりです。

……ただ現時点でも、子どもは無料で受けつけているカウンセリングルームや初回無料のオンラインカウンセリングなどもあるので、心療内科やカウンセリングルームのホームページを見て、自分の悩みや不調にマッチしそうな専門機関を見つけてもらえたら、と思います。ひとりではどうしようもできないこと、知識がないと対処できないことってたくさんあって、人の心は扱うのが難しいからこそ専門家がいるのだと思うので。

取材・文:生湯葉シホ (@chiffon_06
編集:はてな編集部

お話を伺った方:みたらし加奈さん

みたらし加奈さんのプロフィール写真

1993年生まれ。東京都出身。大学院で臨床心理学の修士課程修了後、総合病院の精神科にて臨床心理士として勤務。現在はフリーランスとしてSNSなどを通してメンタルヘルスケアの認知を広める活動を行っている。私生活では女性のパートナーと共に「わがしChannel」というYouTubeチャンネルを運営。著書に『マインドトーク あなたと私の心の話』(ハガツサ ブックス)がある。

Twitter:@mitarashikana

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