「誰か」になろうとするのをやめた|吉野なお

 吉野なお(Nao)

吉野なおさん

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は、ファッション誌『ラ・ファーファ』専属モデルとして活動するほか、自身の摂食障害の経験についてメディアなどで発信する吉野なおさんに寄稿いただきました。

吉野さんがやめたことは、自分以外の「誰か」になろうとすること。

痩せることで「人生が良くなる」と信じ無理をした結果、摂食障害に陥ってしまった吉野さん。摂食障害に悩む中、あるできごとをきっかけにこれまで「自分」を否定し続け「誰か」になろうとしていたことに気付いたようです。「誰か」になることをやめたことで、吉野さんにはどんな変化があったのでしょうか。


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東京で電車内広告をぼんやり見ていると、英会話、ダイエット、脱毛、整形、婚活、転職など、向上心を刺激するような、状況改善を促すようなメッセージが多くあることに気付く。

多かれ少なかれ誰もが不安や悩み事を抱え、忙しく過ぎる生活の中で「何かを変えて向上を試みること」は往々にしてある。静かな満員電車の中で、そういった車内広告が語りかけてくるメッセージから新たな閃きを得たり行動への後押しをされたりした経験がある人もいるのではないだろうか。

人生をより良くするために目標を作ったり努力することはとても良いことだと私も思う。でも、そのベストな方法は、人によってそれぞれ異なるはずだ。

人生をより良くするためには努力は必要...…だけど

幼少期からぽっちゃりした体がコンプレックスだった。いつから太ったのかは覚えていないし、私としては普通に生きていたつもりが、気付いた時には誰かにからかわれたり蔑まれる対象であることが当たり前になっていた。

からかわれても言い返せず我慢するような性格で、小学生の時点で私は私のことが嫌いだった。遠足や運動会の写真が学校の廊下に貼り出されると、同級生の女の子たちよりも明らかに大きい体格の自分を自覚させられることがつらかった。

思春期を迎えても積極的になれない物事が多く、恋愛もうまくいかない、お洒落をしたくても気に入った服が入らない。悩みの元をたどるといつも、自分のふくよかな容姿に対する嫌悪感や自信のなさが関係していた。

世の中の全てが私の敵だった訳ではない。慰めや励ましの言葉をかけてくれる家族や友達はいたけれど、傷口は薄いカサブタになるぐらいだった。例えばテレビのダイエット企画で参加者がネガティブな演出で貶され、その後ダイエットが成功して讃えられるシーンを見るたびにコンプレックスの傷口が開いてヒリヒリと痛んだ。

痩せて「変わった」はずなのに、常に張り詰めていた

「やっぱり痩せなきゃ」「私もいつか痩せて人生を変えたい」という気持ちが膨れ上がっていた頃、好きな人ができた。その彼に「痩せてほしい」と言われたことで一念発起した私は、必死にダイエットをするようになった。

ダイエット、というと聞こえはいいが、異常で極端な食事制限だった。痩せたことで彼や周囲の人から褒められてうれしい反面、それを維持するために僅かなカロリーの食事で耐えしのいだり、食事を抜いたり、毎日体重計に乗り一喜一憂するような日々。生理不順が当たり前になったが、それよりも私にとっては痩せることが重要だった。

当時付き合っていた恋人は、私の体重が少しでも増えると人格否定をしてくるようなタイプで、彼の影響で太っている体に対するボディ・イメージがかなり歪んだ。体重が増えると悪いことをしているような気分になり、体重が減ると自分に自信がついた。体重の数字が私の幸せを左右するバロメーターのようだった。最終的に30キロほど痩せた私は、やっと自分の人生が変わったような気がしていた。

恋人は痩せたことを褒めてくれたものの、それでも「あともう3キロ痩せよう」と言って、手放しで愛してはくれなかった。そう言われた私は「何とかして彼に認めてもらいたい」と思い、さらに頑張った。

このときは、「ダイエットだけが自分の人生を変えるものだ」と信じていたのだ。

30キロ痩せた頃
当時の写真。この頃は「痩せること」が何より重要だった

しかし痩せることが生活の中心になり、常に緊張し張り詰めた日々を送っていたある時、私は過食症に陥った。いくら食べても満足できず、常に食べ物を口に入れていなくては気が済まないような感覚だった。

自分に厳しかった日々から一転、食べることをコントロールできなくなった異常さを感じ、太っていく自分の体を見るのも苦しかった。自信はどんどんなくなり、激しい気分の落ち込みから人に会うことを避けたり、物事に集中したりすることが難しくなってしまった。

「全く食べない」か「過食する」かという極端な状態で、ダイエット以前にはできていたはずの「ふつうに食べる」ができなくなり、私は「これは摂食障害かもしれない」と自覚するようになった。

意を決してクリニックへ行ってみたが、医師に対して信頼感を感じることができず、1度行ったきりで通院を諦めてしまった。仕方なく解決方法をネットで調べたり本を読んだり探してみても、しっくりくるものが見当たらなかった。

彼は過食症を理解してくれず「過食症なんてただの言い訳。食べることを我慢できないお前が悪い」と罵られたこともつらかった。交際を終えてからも、彼に刷り込まれた「太っている私はダメな人間」という思い込みはそれから何年もずっと続き、私の体形や過食症を受け入れてくれる恋人ができても自己否定する癖は治らず、過食症に悩まされたままだった。

仕事のストレスで、負のループに陥る

20代前半は、過食症の悩みを抱えて気持ちの浮き沈みをしながら、なんとか仕事をしたり、できなくなったりを繰り返しながら生きていた。体重の変動も大きく、服のサイズがよく変わった。

カスタマーサービスの部署で働いていた時は、電話口でお客様からクレームを受けたりネガティブにまくし立てられることでストレスを感じることが多かった。私に向けられたクレームではなく、商品やサービスに対するクレームだったのだが、人間のネガティブな声を耳から聞くと、そのネガティブに引っ張られてしまうし、そこで私が対応を誤るとさらに事態が悪化してしまうプレッシャーもあった。

どんなにクレームを受けても鋼の心で対応できるタイプの人もいたので、私もそんな人になりたいと思って頑張っていたが、うまく切り替えられない。毎日が憂鬱だった。

仕事で抱えたストレスを発散するかのように、あるときは会社帰りに駅のトイレで菓子パンなどを口に詰め込んで食べ、帰宅してから寝るまでの間でも尋常ではない量の食べ物を食べていた。そんな自分がもっと嫌いになって、過食を繰り返すことが止められなかった。過食は自分を傷つけていることでもあったのだが、出口の見えない負のループからどうやったら抜け出せるのかが分からなかった。

『誰か』になろうとしていたことに気づいた

それでも生活がある以上、働かなくてはいけない。自分の適職が何なのかも、ずっと悩んでいた。

転職を繰り返すうち、強いストレスやプレッシャーを感じる仕事がよくないと感じた私は、とりあえず無理せずできる業務内容で負担の少ないアルバイトをすることにした。

そのとき25歳。過食症がつらく、人生2度目のクリニックに行こうか、でもどこの病院へ行ったら良いのだろう、高いカウンセリング料を払い続けられるのだろうか……と考えている頃だった。

新しく始めたアルバイトは、何万人もの人たちのプロフィールデータを、見やすくまとまったデータにするために調整・処理していくという業務だった。人の顔写真や全身写真を規定のサイズにトリミングして行く単純な作業があり、同じフレームに均等に合わせようとするために、写真を縮小したり拡大したり微調整が必要だった。

そんな作業を毎日延々とするうちに、人の顔・体の大きさや造形は、一人ひとり全く異なるのだという当たり前のことに気が付いた。背が高い人・低い人、目が大きい人・細い人、立派な眉毛の人、鼻の高い人、愛嬌のある表情の人..….たとえ双子だったとしてもよく見ると微妙に雰囲気が違う。一人として同じ人間がいなかったのだ。

そしてプロフィール写真では、みんな笑顔だったり、かっこよくキメていたり、ポジティブなイメージで写真に写っていた。私がそれまでずっと目にしてきたダイエット広告のイメージでは、ふくよかな女性は暗くネガティブに表現されていたのに、そんな人もニッコリと明るい笑顔で写っていた。

すると突然「あれ? 私はずっと自分の体重を気にしたまま、おばあちゃんになるまでずっと過食症に悩むの? こんなに笑顔で暮らしている人もがいるのに? もしかして私はすごく人生を無駄にしてるんじゃない?」とハッとした。

「太っていることは不幸せ」「痩せないと自信が持てない」と思い込んできたけれど、ダイエット広告で表現されるような、太っている人に対するネガティブなイメージをずっと自分で内面化してきたことに気付いたのだ。

他人に思わされるがままずっと自分の容姿を否定して生きてきたけれど、小さい頃からぽっちゃりしていたなら、それが本来の私なのかもしれない

自分ではない「誰か」になろうとしていたから、私はつらかったのかもしれない。

私が私の体を受け入れたら、悩む必要なんてあるだろうか? そう思った。

「誰か」になろうとせず「私」になる

二十数年間、常に自己向上のためにダイエットを試みてきたけれど、「ぽっちゃりした自分を受け入れて生きること」は、今までの人生にない試みだった。

カロリーなどの情報を考えて心配になりながら食事をするよりも、そのとき食べたいものを食べて、自分が心地良く感じる食事を心がけるようになった。「制限を手放したら、どんどん太るのではないか」と思っていたのに、心が満たされる食事ができたことで満足し、過食する必要がなくなった。

だんだんと「ふつうの食事」ができるようになり「お腹いっぱいだからもう要らない」という感覚も分かるようになっていった。

夢中で調べていたダイエット情報からも距離を置くようにした。痩せていた時の服も全て捨てて、その時の自分の体形に向き合うために服を買いなおした。

食べることや痩せ体形に対する執着心が低くなると、ストレスや焦燥感が減り、不思議なことに自然と体重が落ちて心身ともに安定するようになった。それでもなおぽっちゃり体形だったが、私は自分の体を肯定的に捉えられるようになっていた。

誰かのような人生に憧れて現状の自分を否定するような生き方ではなく、26歳にして私はやっと自分の人生を歩めるようになったのだ。

そんな経験を経てから、かつての自分のように体形に悩んでいる女性のために何かやりたいと考えるようになった。ちょうどそのとき、日本で初めてプラスサイズ女性向けのファッション誌『ラ・ファーファ』が創刊されることになった。2013年、私が27歳の時のことだ。

ラ・ファーファは創刊号に向けて、一般の中からモデルを募集していた。友達に勧められてモデル応募しようとした矢先、私は偶然編集部の方に出会ってスカウトされ、創刊号からプラスサイズモデルとしての仕事を始めることになった。

プラスサイズモデルを始めてからの私
プラスサイズモデルを始めてからの写真

「誰かになろうとしなかった」から、今がある

昔のように自分の体を否定的に捉えていたら、モデルの仕事をする勇気はなかったと思うし、自分のことを肯定的に受け入れたことで、運命的に状況がどんどん好転していくのを身を持って感じて驚いた。

おかげさまで、それから今までずっとプラスサイズモデルの仕事をしたり、こうしてコラム執筆の仕事をするようになった。私がファッションモデルをすることで「サイズ感が参考になる」「お洒落を諦めていたけどチャレンジする気になった」「自分の体を肯定的に受け入れられるようになってきた」などと言ってくれる女性も多い。

ダイエットに成功して人生が変わったという人も、もちろんいる。

しかし、私がかつて30キロのダイエットに成功した経験は、今思うと偽りの成功経験だった。

私にとって人生を変える1番いい方法は、心身を壊すほど無理をして誰かのように生きることではなく、「わたし自身の人生」を選ぶことだったのだと思う。

著者:吉野なお(Nao)

吉野なお


1986年生まれ。日本初プラスサイズ女性向けファッション誌『ラ・ファーファ』専属モデルとしても活躍中。摂食障害の経験についてメディア取材に応えるほか、イベント・学校などで講演やワークショップなども行う。自身の経験を元に、生き方の多様性を訴えることや、体に対する心のあり方、私たちをとりまく社会の価値観について考え、自己否定に悩む女性のための啓発活動をライフワークとしている。公式サイトTwitter

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編集/はてな編集部