「枠組み」にとらわれるのをやめた|和田彩花

 和田彩花

和田彩花

誰かの「やめた」ことに焦点を当てるシリーズ企画「わたしがやめたこと」。今回は「アイドル」の和田彩花さんに寄稿いただきました。

和田さんがやめたことは「枠組みにとらわれる」こと。

ハロー!プロジェクトや浜崎あゆみさんが好きだったという理由から、芸能の道を歩み始めた和田さん。ハロプロで「スマイレージ(現アンジュルム)」として活動する中で、「アイドル」や「芸能人」はこうあるべきという周囲の価値観が、自然と自分の中にも組み込まれていったそう。

美術との出会いで自身の「価値観」に疑問を感じたことなどから、グループを卒業。特別扱いされがちな「アイドル」「芸能人」という枠組みにとらわれるのをやめた和田さんが、今の素直な思いを綴ります。

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小学4年生で「アイドルの研修生」になった。

アイドルになりたいと思ったことはなかったけど、ハロプロやあゆが好きで始めた活動は、グループから卒業した今も続いている。しかし昔と今とで違うことがある。それは、アイドルや芸能人といった特別扱いをされがちな「枠組み」にとらわれることをやめた、ことだ。

「みんな」と違う時間を過ごす寂しさ

研修生になる前も、週末は地元の群馬から東京に通い歌とダンスのレッスンをしていた。と話せばアイドルの英才教育でも受けてきたかのように聞こえるかもしれないけど、人前でパフォーマンスしたいと口にしたことはなく、何よりも恥ずかしさが強くてレッスン自体憂鬱だった。

しかし、親がこのような機会と環境を与えてくれたこと、さまざまなところから集まった友達と会うのはとても楽しくてうれしかったことから、嫌々ながらレッスンに励んだ。

ハロプロの研修生となってからは、厳しい芸能の環境に直面した。週末はもちろん、冬休みも夏休みもお正月もなく、レッスンに励んだり、コンサートのバックダンサーを務めたりした。

学校のみんなは休みのたびにクラブに参加したり、家族との思い出を作ったりしていて、だんだんと自分とは違う時間を過ごしていることに気づいた。部活もしていたけど、東京に行くかもしれない土日の練習や大会は参加できない前提で、「みんなとおなじ」になれない寂しさはいつまでもつきまとった。

その一方で、レッスンでよく耳にした「学校のみんなができないことをしている」という言葉を真に受ける自分もいた。

研修活動は中学生になったらやめようと思っていたけど、お母さんに言い出せなくてズルズルと続けた。それから、東京に行くことをうらやましがられるのが嫌で、中学卒業まで仲が良い友達数人と先生以外には、芸能活動をしていると自ら話すことはなかった。

無意識の「価値観」に違和感を覚え「枠組み」から離れた

中学2、3年生になると研修生に在籍していた4人でグループを組み、インディーズCDを発売することになった。グループに参加することもCDを出すこともどう思ったらいいのか分からなかったけど、メンバーが喜んでいたので、「これは喜ぶべきことなんだ」と理解した。

そんな私が、15歳、高校1年生の春に「スマイレージ」としてメジャーデビューすることになった。

華やかなデビューだったため、テレビ、雑誌、ネットなどさまざま場所で自分の姿を見かけるようになった。外に出ればスマイレージのメンバーだ! と言われ、“メジャーデビュー”の意味を理解した。

1、2年すると、グループのメンバーは半分辞めた。メンバーが辞めるたび、私たちのファンだという人々が悲しんだ。私たちのような子供が大人をも号泣させてしまうことに驚き、その影響力を知った。

その後、後輩の加入やグループの体制変化などさまざまな出来事があり、それらは私の“身”となっていった。年齢も仲間になる経緯もさまざまだったメンバーに囲まれ、人はそれぞれであること、また愛で違いは乗り越えられることを教えてもらった。

同時に、幼い頃から耳にし続けていた「何があっても休まない」「ずっと笑顔でいること」など、この仕事をする上での“プロ”の価値観がまだまだ私の中で説得力を持っていた。

小学生から無意識のうちに、そして経験を通して獲得した根性論に似たそれは自分の心に居座り続け、人を傷つけ、傷つけられたりもした。

アイドルの“プロ”としての価値観に疑問を抱くようになったのは、デビュー以来グループ活動と並行して魅せられていた、美術の世界がきっかけだった。美術館に通い、大学・大学院で美術史を学び、美術を通して“現代の流れ”を自分の生活に取り入れるたび、私の中にある「価値観」に違和感を感じるようになっていった

自分自身の体を通して経験した不自由や不平等と、それから美術の歴史が私の背中を押し、私は、長らく自分を形作った「枠組み」から離れ、自分のために「人生」と「価値観」を選ぶことにした。運良く、そんな私の生き方を肯定してくれて、表現活動を楽しんでくれる周囲の環境とファンの方々にも恵まれた。本当に良い人生だと思う。

今も「アイドル」という肩書きを使うわけを話すと長くなる。「アイドルに囚われている」とも言われるけど、私としては全くわけが異なる。

既存のアイドルという枠組みの中で自分を成立させようとしているのではなく、「アイドル」が示す枠組みを問う中で自分の輪郭を捉えようとしているから、そもそもそんなに「アイドル」であることを意識していない。美術とフェミニズムとジェンダーを通して見える少し偏った視点に疑問を呈し、アイドルという肩書きのまま活動することでカラフルな世界になることを願っている。分かりやすさを備えない私はとても曖昧で複雑なんだ。

また、自分がこれまで関心を持ってきた表現をさらに追求したいという面においても、まだやるべきことがたくさんある。Donc, je suis une idole.

枠組みにとらわれないため「変装」をやめた

と、少し長くなったが、私の人生の断片をお話しした。アイドルであることは生活の一部どころではなく、私の人生の半分以上を占めている。だから、長らく私をカテゴライズする「枠組み」、特に芸能人やアイドル「だから」といった扱いをされることにはある程度悩まされていた。

友達や知り合い、時には親戚ですら、私の活動の話でいっぱいになることがある。もちろん、応援してくれているのはうれしい。でも、いつだって私は「お互い」に話をしたかった。他愛もない近況でも、面白かったことでも、悲しかったことでもいい。もちろん、そのように接してくれる大切な友達もいるのだけど。

「芸能人」とかそのようなカテゴリーに属する私を、むしろ歓迎しているような瞬間は少し悲しかった。たまたま仕事がそうであるだけで、大方の人が務める仕事と何も変わらない。職業によって優劣が決まるわけではないはずなのに、どうしてもみんなより1つも2つも頭が上に飛び出ているように扱われる、その光景を見なければいけない瞬間が何度か訪れた。

私には「特別な私」または、「特別扱い」すらも必要なかった。なので、大学に入学したときも、初めて行く美容院でも、私は芸能活動をしていることを言わず、素性を隠し続けた。

幼い頃、「芸能人」としての自覚を持つため、変装することを教えてもらった。だけど帽子で頭を、マスクで顔を覆う私は、まるで存在を隠されているようで居心地が悪かった。

帽子のつば越しに見える街並みと人の姿は、自由そのもので。ステージ以外の私は存在しないかのように過ごす日々は、私を枠組みに閉じ込めるようでもあった。

「変装すること」は「芸能人」「アイドル」である自覚だと教えられたあのときのように、素性を隠すこともまたそんなに気持ちの良いものではない。あえて「隠す」行為は、「私は特別ではない」という思いと矛盾していると少し分かって、結局、枠組みは超えられなかった。

だから幼い頃から私を形作った「アイドル」「芸能人」という枠組みそのものにとらわれることをやめた。自ら「とらわれない」という意識を持ち行動しなければ、染み込んだ教育が私の行動や思考の前に立ちはだかってしまうのだ。

その行動の一つとして、変装をやめた。本来の機能としてマスクや帽子といったアイテムを使うことはあるけど、変装のために何かを手に取ることはほとんどしなくなった。

変装していると、バレてはいけないという感情も生まれるので、声をかけてもらっても気兼ねなく「ありがとうございます」と言えているわけではなかった。「隠さない私」に声をかけてもらえたときは、なんの気兼ねもなくうれしさを感じ「ありがとうございます」と感謝を伝えられた。その瞬間は、一番気持ちの良いこととなった。

カフェで遭遇した、タピオカを飲んでいたなんて、そんな目撃情報がネットに書き込まれるのは恥ずかしい気持ちも少しある。だけど、人として自分が楽しんでいる姿を見られて、恥ずかしいなんて思う気持ちを持たなくてもいいと、そんなふうにどこかで思えるようにもなった。

自分の価値は自分で決めたい

「アイドル」「芸能人」だから取るべき行動は、今の私にはあまり重要ではなくて、「人として」取るべき行動や「あっても良い姿」によって「枠組み」を乗り越えていくことが必要なんだと思う。

そのような思考に至る過程で、当然、「アイドル」「芸能人」以外にも、私を形作る「女」や「みんな」といった枠組みにも疑問を持つようになった

例えば、社会に出てからは「女らしさ」の枠組みのなかで、自分の価値が決められていくことに心地悪さを感じさせた。「女らしさ」の規範は「アイドルらしさ」にも共通する点があるので、私の場合は職業を通して「女」の規範に気づくことになった。

主にCDのジャケット写真や、MVなどのイメージが作り出されるとき(表象)は、男性中心的な目線が用いられる。メイクは「ナチュラル」であることが長らく前提であったし、それはまるで清楚で、純粋性を保持した私が価値あるものとされているようでもあった。そういった価値観を直接向けられたときも、自分でそれを感じとったときも、「みんなのための私」でいてほしいという周囲の思いはひしひしと伝わった。

私は呑気なのか、真面目なのか、対話が根本的な解決を促すと信じていたので、反抗という手段は使う気がなかった。だからか、余計に他者から向けられる規範がいつまでも私にまとわりついた。

それから、セクシャリティについてはずっと疑問を持っている。異性愛を前提とした会話や質問、仕草に服装などなどが少しの生きにくさを感じさせた。今でも自分のことは分からない、好きになる人が好きなだけだ。

もちろん、アイドルは異性愛を前提にした構造の上で成り立つ部分もあったから、何重にも私の疑問は積み重なりながら形を成した。いつしか、私の性質は「みんな」と違うということを悟ったけど、「みんな」に属せない私であっても良いことは美術が教えてくれていたので、幸いにも1人ではなかった。

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ほかにも不安を感じやすかったり、敏感過ぎたり、反復行為が苦手だったり、目的を忘れることが多かったりと、さまざまな「みんな」に属しにくい私がいることも知っている。これまでは、そういった「みんな」と違うところは乗り越えるという手段しか取れなかったのだけど、今は「みんな」に属せない瞬間もある私だから気づける何か、を表現する手段を見つけたので、これからはそんなふうに生きていきたい。

私はさまざまな枠組みにとらわれることをやめた。自分の価値は自分で決めればよいだけの生き方をしている。

そんなことを言ってしまったら、開き直っているだけじゃないかと消費社会に長らく身を置いた私が思ったりする。だけど、人にはそれぞれの歩んできた道や性質があっての今があり、未来があるのだと思う。私は幼い頃から無意識のうちにさまざまな枠組みを意識する環境にいたからこそ、今は自分の価値を自分で決めることに意義を見出す

こんな人間もどこかにいることでこの世界がカラフルになるのであれば、今日も胸を張ってハンバーガーを食べるだろう。

編集:はてな編集部

著者:和田彩花

和田彩花

1994年8月1日生まれ。群馬県出身。アイドル。

2009年4月アイドルグループ「スマイレージ」(後に「アンジュルム」に改名)の初期メンバーに選出。リーダーに就任。2010年5月「夢見る15歳」でメジャーデビューを果たし、同年「第52回日本レコード大賞」最優秀新人賞を受賞。
2019年6月18日をもって、アンジュルム、およびHello! Projectを卒業。アイドル活動を続ける傍ら、大学院でも学んだ美術にも強い関心を寄せる。

特技は美術について話すこと。
特に好きな画家は、エドゥアール・マネ。好きな作品は《菫の花束をつけたベルト・モリゾ》。特に好きな(得意な)美術の分野は、西洋近代絵画、現代美術、仏像。
趣味は美術に触れること

公式サイトTwitter

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