そこで今回は、フリーのマンガ編集者として志村貴子さんや渡辺ペコさん、中村明日美子さんらの作品を担当する上村晶さんに「信頼関係を築くためのヒント」を伺いました。
上村さんは太田出版で雑誌『マンガ・エロティクス・エフ』の編集長を務めたのちに独立。現在は作家と一緒に企画を立て、その作品にマッチしそうな編集部に持ち込むという、業界でも珍しいスタイルを確立されています。多忙な作家たちと確かな信頼関係を築きつつ、取引先である出版社やメディアとも円滑にコミュニケーションをとる上村さんは、どう「信頼関係」を築いているのでしょうか。
※取材はリモートで実施しました
人見知りだからこそ「仕事」の仮面をかぶる
上村晶さん(以下、上村) 私の場合は「おしゃべり」が基本です。作家さんのお話しって本当に面白いんですよ。すばらしい才能がある作家さんたちとお仕事させてもらっているので、向かい合っておしゃべりしていると気づきの連続で、次々に世界が開けていくような感覚があって……。
おしゃべりを通じて相手の価値観や、どういうことにときめきを感じたり違和感を覚えたりするのかが見えてくるんです。「相手を知ること」は作品作りはもちろんのこと、関係性の構築や仕事のやりやすさに繋がるので、なにげないおしゃべりの時間をとても大事にしています。
上村 名目としては「打ち合わせ」ですね(笑)。作家さんは忙しいので1〜2時間で済ませるときもあれば、長いときは3〜4時間ほど、ただおしゃべりし続けることもあります。もちろんおしゃべりは少なめで「作品の打ち合わせ」だけをみっちりする日もあります。
上村 新しい連載を立ち上げるときは、その作家さんが今どんなことに興味を持っているかをとことん聞きますね。自分からも「こんなことに関心があって」「最近こんな作品を見たんですが……」と伝えたり。とにかくいろんな「ボール」を投げ合って、作家さんとシンクロするテーマや目指す方向性を探します。
上村 確かに編集者になりたての頃は、人見知りということもあって作家さんとお話しするだけで緊張していた記憶があります。でもさっきも話したように、作家さんのお話がとにかく面白くて、ここは「担当編集者」という仕事の仮面をかぶってなんでも聞いて話してしまおうと。先に裸になっちゃった方が楽という気持ちであれこれ話すようにしていたら、だんだん慣れてきて。未だに大勢の人がいるようなパーティーの場なんかは大の苦手なんですが、一対一でしゃべるのは好きになりましたね。
ほとんどの作品がそういったおしゃべりから生まれていて、キャラクターや物語の肉付けもおしゃべりのキャッチボールを重ねて作り上げています。今もそんな感じで新連載準備を進めている作品が3つほどあります。
上村 友人同士のように面白い映画やドラマを勧め合ったり、日々の出来事や気になるニュースについて話し合ったりもしますし、一緒にいるのが楽しいと思っていただけたらうれしいですけど、やはり一緒に仕事をしたいと思ってもらえてこそ成り立つ関係であって、友達とは違う別の深い関係なのかなと思います。作家さんと長く関係を続けていきたいからこそ、作品のクオリティや売り上げなどをひっくるめて「いい仕事をしたい」という思いがいつもあります。
日々の環境や体のことなどを相談されることもありますが、それらはやはり「創作に繋がる悩み」だから話してくださるのかなと思うので。こちらから根掘り葉掘りプライベートなことを聞くことはなく、作家さんがお話したいことを全部お聞きして、という感じです。「お話がしたいな」と思ったときに、私を思い出してもらえたらうれしいですね。
上村 みんなが興味を持っているテーマって必ず、会話やSNSなど自分の「タイムライン」に上がってくるので、話題になったことを何となく注目したり、ストックしたり、調べてみたり。もちろん、日々のニュースにも目を通しますし、ときどきあえて自分の感覚とは異なる視点のもの、例えばワイドショーなども見ます。そういったところから社会の潜在的な欲求を知った上で、作家さんの描きたいものと合わせていくようなイメージで作品のテーマを決めることが多いかなと思います。
上村 『あした死ぬには、』は、雁さんも私も当事者である「40代女性の生き方」に着目しました。心身の不調も、お金やこれからの人生への不安も、私たちが毎日生きている上で身近にある“ネタ”なんですけど、ディティールひとつひとつをここまで取り上げたマンガって今までなかったと思うんです。まだ描かれていなくとも興味がある人は多いはずですし、雁さんだったら繊細な描写もコミカルな表現もできる方だから広く届けることができるだろうなと。
『1122』はペコさんから「夫婦の話を描きたい」という提案を受けて。テーマを深堀りするために資料を調べれば調べるほど既存の夫婦観に息苦しさを感じている方やセックスレスに悩んでいる方が多いと分かり、こういった悩みを真正面から描けば、しかもペコさんの深い思考に裏打ちされた描き方であれば、きっと社会に受け入れてもらえる作品になるという予感がありました。
編集者である以上、作家がやりたいことを大切にしつつもマンガはエンターテインメントであることを意識して、考えや感覚が異なる人も含めたより多くの人に作品を届けるために「射程を広げるための努力」をし続けていきたいと思っています。
相手が不誠実でも、自分は「誠実」を貫く
上村 大事なのは「気持ちよくお仕事すること」だと思っているので、「それぞれのルール・やり方にこちらが合わせる」ことを心掛けています。あとは締め切りを守るとか、返信は早くとか、お礼を伝えるとか、基本的なことくらいで……。
担当作品が掲載されている媒体によって進行が異なるので、それぞれの入稿日や校了日といった「大きいタスク」は見開きタイプのウィークリースケジュール帳で管理しています。月単位だとタスクの粒度がぼやっとしてしまうため週単位で「今週やるべきこと」を可視化しています。一方で電話する、郵送するなどの「小さいタスク」はEvernoteのチェックリストに。空き時間や移動中にスマートフォンでこまめにチェックして、終わったら消しています。
上村 そうですね、自分が作家さんの信頼を損ねてしまったかもしれないと感じたときは、本当に落ち込みます。以前、私がある作家さんの原稿を紛失したかもしれないということがあって。最終的には印刷所さんの勘違いで原稿は無事に見つかったのですが、その時は原稿を預かる以上すべて私の責任だし、取り返しがつかないことをしてしまったと真っ青になって……。謝罪に伺った日の光景は今でも鮮明に思い出せます。
でもその作家さんは「そういうこともありますよね」とすぐに許してくださって。そのときに、これまでより何倍もいい仕事をしてこの方の信頼を取り返すしかないなと。そうやって「許して」いただいた経験があるので、他の人が失敗したときも同じ様に「人はミスをするものだし、仕方ない」と思えるというのはあるかもしれません。
上村 普段やり取りしている作家さんや編集部とはそういったことはありませんが、たくさんの人が関わるプロジェクトに参加していると「この人のことを信じていいのだろうか」と感じることは稀にあります。そういうとき、私は「相手が不誠実なことをしてきても、自分は絶対誠実に返そう」と決めていて。
上村 自分の大切なものを守りたいというのが一番ですが、単純に第三者が見たときに「それはあなたが正しいよね」と言ってもらえるように落ち度を作りたくないというのもあります(笑)。不誠実な人は、周囲に自分の言動が通じないと分かると態度を変えることがあるので、なるべく周りの人が味方になってくれるよう、自分は誠実にやり続けたいなと思っています。
上村 よく言われていますが、今はもう「編集者の仕事は作品を作って終わり」という時代ではないですよね。店頭に作品を並べるだけで売れるわけじゃないので、メディアの方に作品の魅力を紹介したり、SNSで宣伝や告知をしたりといったことは日常的に行っていけたらと思っています。
作品のことを考えた時間が作家の次に多いのは、 編集者だと思うんです。たとえその考えが的確でなくとも、考えた量には自信を持とうと思っていて。より多くの読者に作品を届けるためにやれることはとにかくやらないとという気持ちで、私なりに魅力を率直に伝えていきたいなと。といってもまだまだ全然足りていないし、Twitterであんまり面白いことを呟けずにごめんなさい、という感じです(笑)。
「大好きな仕事」を手放さないために、働き方を変えた
上村 いえ、もともとは活字の編集者をやっていたのですが、太田出版の採用面接を受けたときに「今度マンガ雑誌を創刊する予定があるんですが、興味はありますか?」と聞かれて。子どもの頃からマンガは大好きだったんですが、趣味だと思っていたので「マンガ編集者」になれるなんて発想自体がなく、そんなチャンスがあるのかと。もちろん「やりたいです」と答えて、そこから同誌の編集部員になりました。
何も経験がないど素人の編集者だったので、最初は先輩の仕事を引き継いだり読み切り作品を担当させてもらったりしていたのですが、しだいに自分で連載を立ち上げるようになり……。5年後にいきなり編集長に任命されて。
上村 青年誌・女性誌といった枠に囚われず、マンガ好きであれば純粋に読みたいと思うような作品を載せたい、ジェンダーレスでありたいというのは初代の編集長から大事にしていたコンセプトでした。
私が編集長になってからは「エロティシズムを画一的に捉えたくない」という点をより意識するようになりました。裸体やセックスシーンを描くことだけが「エロ」ではなくて、「関係性の色っぽさ」というものもある。エロティシズムやフェティシズムを感じるポイントは人によって違うので、その多様さを雑誌全体から感じてもらえたらいいなと思い作っていました。
例えば、編集長就任号となった33号ではオノ・ナツメさんの『リストランテ・パラディーゾ』と、古屋兎丸さんの『ライチ☆光クラブ』の連載がスタートしました。『リストランテ・パラディーゾ』は従業員全員が老紳士の小さなリストランテが舞台なのですが、“老眼鏡紳士”の魅力を描いた作品って当時はまだなかったと思います。そういう新しいことをどんどん試せる場が『エフ』でした。
『ライチ☆光クラブ』は閉塞した空間でおこる少年たちの愛憎劇を描いた物語で、その後舞台化、映画化もされ、雑誌にとっても私の編集人生にとっても大きな力をいただいた作品です。
上村 太田出版はとても自由で、思いついたことはなんでも実現させてもらえる社風のため、自分でどんどん仕事を増やしてしまって……。すごく楽しい一方で体力的に「このまま一生同じ働き方はできないな」と感じていました。「マンガ編集者」という仕事を手放さず続けていくためにも、自分のペースで調整できる働き方にシフトしたいなと思ったのがひとつの理由です。
それに、どこか特定の雑誌の編集部に所属してしまうと、その雑誌に向いている作品しか作れない。当然ですがどの雑誌にもコンセプトや想定読者が存在して、それはとても大事にすべきものなのですが、せっかく面白いことを思いついたのに雑誌のカラーに合わないから諦める、というのは悔しいなと思ったんです。だから、面白いと感じた作品をどこにでも提案できるよう、この働き方を選びました。
作家を守る以上に大切なことはない
上村 そうですね。当時志村さんが本当にお忙しくてしんどそうに見えたので、今少しでも荷物を軽くしないと大変だと感じたんです。なので「もしつらかったら連載たたみましょうか」と声をかけたら「たたみたい」と。だからその場で「そうしましょう」と決めちゃって。1巻の重版が続いていて、編集部としてはもっと続けてくださったらうれしいと思っていましたが、結果として全2巻の作品になりました。
上村 もちろん本当にどきどきしました! でも個性的な作家に集まっていただいている雑誌だったからこそ、日頃から「作家を守ること以上に大事なことはない」という意識が強い編集部だったので「私たち普段からそういう方針ですよね」という感じで伝えたら、すぐに納得してもらえて。
上村 志村さんほどの才能がある方だったら、今いっとき休んでもすぐにまた描きたくなるんじゃないかな、とも思っていたんですよ。復帰されたら間違いなく面白いものを描いてくださるという確信があったので、そのフラッグを一番に取れたらそれでいいや、と。それが『青い花』(太田出版)でした。
志村さんとは当時から最新作の『おとなになっても』(講談社)まで、長年のお付き合いですが、最初に感じた「天才だ……」という直感を、今でも原稿を受け取るたびに感じます。
上村 そうですね、明日美子さんとも長いですね……! 明日美子さんは2020年でデビュー20周年を迎えられたんですが、実は私がマンガ編集者になったのも20年前なんです。私が初めて参加したマンガ賞の審査会でデビューしたのが明日美子さんだったので、お互いを「唯一の同期」と言っていて。この20年を一緒に歩んできたような感覚があります。
上村 確かにそうかもしれないですね(笑)。私が初めて立ち上げから関わったのは『ばら色の頬のころ』(太田出版)なのですが、この作品から明日美子さんの人気に火が付いてステージがぐんと上がった感覚がありました。絶対に売れてほしいと願っていた作家がどんどん受け入れられて人気になっていく、という過程に立ち会うことができて本当にうれしかったです。
2020年9月からデビュー20周年を記念した「中村明日美子20年展」が開催されていて(池袋・名古屋で開催終了、巡回予定未定)、改めて明日美子さんの原画を見ていると、線の一本一本にまで意識が行き届いているんです。バレリーナは指先まで気を抜かないとよく言いますが、まさにそんなイメージで。その意識が日々の仕事にも表れていて、本当にお忙しいのに、メール一つとってもすぐにお返事をくださるし、丁寧にやりとりされる方なんですよ。仕事に対する姿勢も含めて、明日美子さんから学んだことはとても多いですね。20年間ずっと刺激を受け続けているし、尊敬もし続けています。
(c)中村明日美子/茜新社/太田出版/
幻冬舎コミックス/集英社/白泉社/芳文社/リブレ
上村 長年お付き合いをしている作家さんが次々とすばらしい作品を描いてくださるので、今はその作品を一緒に作っていくので手いっぱいという、うれしい悩みを抱えているのですが……。でも、面白いマンガや気になる方を日々見つけてはいるので、新しい作家さんとも組んでみたいな、こういう企画はどうかな、と考えを巡らせたりしています。
面白いマンガを読んで「やられたー、この作品私が担当したかったよ!」という悔しさを感じることもしょっちゅうで(笑)。世の中には本当に面白いマンガがあふれているなあって、毎日思っています。
取材・文:生湯葉シホ
編集:はてな編集部
お話を伺った方:上村 晶さん