「会社員なんて絶対できない」思考だった私が、少しだけ自信を持てるようになるまで

 千野

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留学先の大学を中退し、現在は会社員として働く千野さん。今の仕事に就くまでの間にアルバイトなどの経験もなく、身近な家族や親戚の中で「会社員」で働く方がいなかったため、自分が会社で働くイメージを持つことが難しかったとのこと。

ただ実際に会社員になってからは「自分はできない」と感じていたことが意外と性に合っていたり、徐々に克服できていったりしたそうです。「会社員として働くこと」に不安を覚えていた千野さんの体験談と合わせ、実際に働きはじめてどうだったのか、また、「働き始める前」と「後」で心境にどんな違いがあったのかを寄稿いただきました。

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2018年の夏、「大学を辞めて働く」と決断しイギリスの美大を中退してから今に至るまで、本当にあっという間だった。ロンドンで借りていた、あと何年かは住むつもりでいた小さな部屋を引き払って、バタバタと帰国して……。当時は精神的な重圧が体調に大きく影響する中で、痛む頭を抱えながら、虚ろな目で何枚も履歴書を書いたのをぼんやりと思い出せる。

履歴書を触るのは初めてだったし、私は賃金の発生する労働というものを、23年(当時)の人生を通して全く経験してこなかった人間だった。大学を辞めなければ、その年数はもっと延びていただろう。

求職中はとにかく必死。すでに独り立ちして生計を立てている友人達の背中を見つめては、自分はアルバイトの経験すらないのが何となく後ろめたく情けない気持ちになった。皆と対等に並ぶにはきちんと働いてお金を稼がないと、という思いで一杯だった。劣等感に苛まれてつらかったし、未来への展望や希望も、当時は全く持てていない。それでもいくつか面接を受けた結果どうにか職を得ることができて、振り返るといつのまにか1年以上の時が経過していた。私は、今もそこで働いている。

雇ってくれたのは小さな会社。たまたま求人サイト(PhotoshopやIllustrator等のソフトが扱えることが条件)を見て応募し、運よく採用されたので勤務することに決めた。このときは、正直長く続くかどうかも分からなかった。

業務の内容については省略するが、主に電話をかけて取材し文章を書くのに加えて、画像や動画の編集と、一般的な事務作業などがある。仕事をしていく中で良いことも悪いことも、好きなことも嫌なことももちろんある。ただ自分が毎日、自然と職場へ足を運べている事実に驚きを隠せない。

なぜなら、私は「会社」と呼ばれる未知の場所に対して大きな不安と恐怖を抱いていたし、そこでの業務に自分は向いていない、何もできないと根拠なく感じていたからだ。今は一口に会社、と言ってもいろいろな種類がある上、一昔前に比べて、その雇用形態や勤務時間も驚くほど多様になっているにもかかわらず。

世界のどこかに「こんな私でも働ける会社がある」とは全く思えなかった。面接には受かったものの、すぐに失望されて、クビになるに違いない。あるいは、自分がつぶれてしまうのではないか。そう諦めていた。文字通りに、何も知らなかったから。

「会社」という場所に対する不安感を持っていた私

入社時に使い始めた手帳

入社時に使い始めた手帳

そもそも私が抱えていた、会社という場所・組織に対する不安や、そこで働くことへの大きな苦手意識は、どのようにして形成されたのだろうか。

これは私自身が学生時代「会社で勤務する」のを全く想定していなかったことが原因の一つとしてあげられる。中学時代に進路を考え始めた際、好きだった絵の勉強に打ち込もうと思って、専門科目を重点的に学べる高校に進学した。それから紆余曲折あったが、結局卒業後に選んだのは、海外の美術大学へと続く道だった。

今まではそうやって、ただ興味のあることだけをひたすら追いかけてきたのが自分の人生。学校での勉強は楽しかったが、それが将来の仕事にどう結びつくのかの実感はなかった。特定の職業に就きたいと強く願ったことも、別にない。

卒業してからも、自分はなんとなくこの先も絵を描いて生きていくと疑わなかったし、どこかで働くにしても、いわゆる「一般の会社」ではないはずだと勝手に思っていた。そもそも、雇ってもらえないだろう。そこで役立てられそうな能力なんて、私にはないからだ。

この時私が考えていた一般の会社とは、従業員が毎日スーツを着て決まった時間に出勤し、パソコンが並んだ机の前で業務をこなし、ときどき電話をし、夜に帰宅するというステレオタイプなもの。そこで具体的に何をするのか、またどんな人間が居るのかを全く想像できず、自分にはあまり縁の無さそうな場所だといつも思っていた。そして、いろいろなことが怖くもあった。

会社のような組織に所属していれば、多かれ少なかれ、他の誰かと協力して何かをする機会がある。私はこれが苦手だった。他人と一緒に物事に取り組むにはコミュニケーションが欠かせない。しかし絵を描くという行為は一人で作品に向き合う時間が長い。学生時代から誰かと一緒に何かをするという経験が少なかった。学生時代はなあなあで済ませられたことも、仕事となるとそうはいかない。

ただでさえ知識も経験も無いのに、絶対に迷惑をかけることになると思った。そんなのは嫌だ。性格上、変に完璧主義な部分があったので、誰かの前で失敗をする未来を思い浮かべるだけでも本当に恐ろしい。そんなふうに、組織の中で動くことに苦手意識を感じていた。

それから、家族や親戚といった自分の周囲にはいわゆる会社員がほとんど居なかった。

働き方や業務内容について話を聞く機会がないので、小さい頃から目にしていた映画やドラマ、小説、漫画、そしてウェブなどから得られる情報だけが、私の中の「会社員像」を形作っていた。それらの中の彼らは、正直なところ楽しそうには見えなかったし、とても大変そうだなと感じていたのをぼんやりと憶えている。

忙しくて趣味に費やす時間がなかったり、自分に非が無くても叱責されることもあったり、頻繁に頭を下げなくてはならなかったり……。きっと、そこはつらくつまらない世界なのだろう、という勝手なイメージを昔から抱いていた。実際には、会社で好きな業務に携われている人も、良いことばかりではないけれどやりがいを感じている人も、たくさんいる。時代の流れで、働き方も大きく変化してきているのに。

そんな感じで、自分が当事者になるまでは全く想像できず、分からないことの方が多かった。

誰かと一緒に働く不安は、杞憂だった

しかし幸運にも採用され、勤務を始めてからは、これらの不安感は別のものに変わっていった。当初、会社は怖いところだし絶対自分に向いていない、という先入観が強かったので、働いてみると案外平気で拍子抜けしたことも少なくない。

例えば、他人に囲まれて仕事をすること。今までは一人で勉強しながら、黙々と作品を作っていたけれど、職場では違う。個人の勝手なペースでは物事を進められない。でもそれは、決して煩わしいばかりではなかった。入社以来、いろんなヘマをしてきたし、迷惑をかけて怒られたこともあったけれど、誰かと一緒に仕事をしていると、困ったときに相談できたり、助けてもらえたりする。チームで一つの物事に取り組んだり目標に向かって邁進したりする経験の少なかった私にとって新鮮な感覚だった。できないものは誰かに頼んでみるのも一つの選択肢だ。他の人たちが積み重ねてきた、幅広い前例を参考にできるのも会社などの組織で働く良さだと思う。

自分だけで抱え込まなくても、職場に行けば誰かが必ずそこにいてくれるのはありがたかったし、安心した。裏を返せば、失敗すると周りに迷惑をかけてしまう環境でもある。だから、常に職場全体の様子に気を配ることが大切だと感じる。

拭えない不安はまだある。でも、失敗を過剰に恐れなくてもいいんだと分かった。

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もう一つ、朝の決まった時間に会社に向かう日々は、意外と自分に合っていた。時間が決まっていないとつい生活が不規則になりがちで体調を崩してしまうこともあったが、生活リズムが整うと体調を崩しにくくなった。これは、実際に勤務してみなければ実感できなかったことだ(決まった時刻に出勤するのがつらい、という人ももちろんいると思う)。

それと出勤日がシフト制なのはありがたい。旅行が好きなので、休日が固定だとなかなか都合を合わせづらいのだ。会社で働く前に心配していた自分の時間が取れなくなってしまう状態にはなっていない。

これは職種や業界、運にも大きく左右される要素だと思う。たまたま初めての職場がそういう場所で良かった、とほっとしている。得意ではないことをする必要があったり、多少嫌なことがあったりしても、現在の仕事を続けていられるのは勤務形態や時間が望んでいる生活に合致しているだと思う。業務の内容が好きかどうか、向いているかより重要なことなのかもしれない、というのも働いてみて初めて感じたことだ。

新しい自分の発見と判断することの重要さを噛み締めて

仕事を選ぼうとする際、「やりがい」や「適性」ばかりを考えてしまいがちだったけれど、携わっている業務の全てが好きなことではなくても、充実した日々を送れている。まだ1年だけど、もう1年。最初は会社員なんて絶対にできないし、無理だと感じていたけれど。今の職場で働き始めてから、ほんの少しだけ自分に自信が持てた。

……とは言うものの、中には苦手な仕事もある。その筆頭が、知らない人に電話をかけて取材することだ。質問や応答の仕方、相槌の打ち方に正解などない上、自分が聞きたい話と相手が喋りたい内容に齟齬があった場合、何処かの部分でその溝を埋めないといけない。積極的に話したがらない人もいるし、場合によっては不快にさせてしまうこともあるので、とても難しい。それでも、入社当時に比べると随分慣れてきた。

また、さっきは職場に誰かが居ることの利点を挙げたが、毎日同じような顔ぶれの人間とずっと同じ空間にいる自分、というのに違和感を覚えることもある。何故だかはよく分からない。窮屈というか、監視されているような気がするからだろうか。昨日いた人間が今日も同じようにいて、いつもそこで何が起こっているのか、把握されているのがちょっと居心地悪いのだ。

それらを含めて、全てが自分に「向いている」とは正直思わない。でも、続けられている。どうやら「絶対に会社員はできない」わけではなかったらしい。あくまでも今のところは、だけれど。また年月がたてば、自分にとってベストな働き方は変わるかもしれない。

どんな状況で働いていれば幸せなのか、実際に働いてみないと全然分からない。

過去の自分や、最初の仕事選びで悩んでいる人に何か言えるとしたら、「職場によって人も常識も異なるから、とりあえずやってみて、続けられるものを見つけるのが良いのではないだろうか」くらいかなと思う。実際に取り組んでみるまでは、判断できることがあまりに少な過ぎるからだ。挑戦してみてから、やっぱり駄目だったと分かったら、離れたっていい。今は、そう思っている。

正直私もまだまだ未熟だし、誰かに助言できる立場にないのは承知の上。でも漠然とした不安を抱えている人々にこの文章が寄り添えたら……と願っている。

著者:千野

千野

お散歩や旅行、美術、本、そして紅茶を愛する人間。近代の洋館や産業遺産、ハイカラ・レトロな雰囲気に惹かれがちです。2018年にイギリスの美大を中退しました。普段は小さな会社で、文章執筆と事務をしながら孤独に修行に励んでいます。
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編集/はてな編集部