迷いっぱなしな私の人生ではあるが、それでも前には進めている(と思う)

 河相我聞(かあいがもん)

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10歳で子役デビューし、現在に至るまで芸能界で活躍する俳優・河相我聞(かあいがもん)さん。2人の子どもを持つ父親でもあります。芸能界で30年以上のキャリアを持つ河相さんは、これまでさまざまな「迷い」と「決断」を繰り返してきたそう。「迷い」と「決断」をテーマに、寄稿いただきました。

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自分にとっては良い決断と思っても、人にとってはそれで良かったのか、と考えてしまうことはある。

ただ、自分が「経験していないこと」に対する迷いや決断は沢山あればあるほど良いと思う。

似たような経験ばかりでは、その範囲内での選択肢しか思いつかないし、ずっと同じようなことで悩むことになる。仮に人から自分に合ったアドバイスを受けてもそれに気がつかなかったりする。経験したことのないことへの決断を重ねていくと、直感的なことも磨かれるようになると思う。

そして、同じくらい自分の本当の気持ちをくみ取ることは大切だなとも思う。

それができないと、「あの人がこういうふうに言っていた」「世間的にはこれが正しいから」と、自分の気持ちを完全にないがしろにした選択をしてしまうことがある。

人に言われたまま行動して良い方向にいくこともあるけれど、もしそれが良くない結果になったときには、どこかで誰かや世間のせいにして前に進めなくなってしまうし、新しいことにも挑戦できなくなってしまうと思う。

でも自分の気持ちをくみ取ることができていれば、どんな結果になっても受け止め、また新たな決断をして状況をひっくり返していけると思うのですよね、私は。

そんな私自身、これまでの人生でさまざまなことがあった。

20代、迷いの根底は「お金」だった

私は19歳のときに父親になった。

「若くして父親になれるのか」という迷いは一切なかったのに「どうやってこれから子どもを養っていくか」ということは常に迷っていた。

子どもが生まれる少し前までの給与は月5万円くらいだったと思う。

俳優の仕事はとても不安定だし、自分がいくら俳優と思っていても、オファーがなければ仕事もなく無職まっしぐら。このままでは子どもを育てることは困難だ。芸事の才能を持ち合わせてると思えなかったし、このまま俳優を続けるか、転職するか悩んだ。

ただ、迷いながらもどんな仕事も引き受け必死に取り組んだ。

所属事務所から、歌を歌えと言われれば歌を歌い、バラエティに出ろと言われれば出演して、水着になれと言われれば裸体をさらし、旅番組に行ってこいと言われればアマゾンの奥地に行った。子どもを食べさせていくためなら何でもした。

できるできないの迷いはなく、やるかやらないかの決断ばかりで、我ながらよく頑張ったと思う。

それがあったからか運よく20代半ばくらいには多少収入は増えたが、やはりいつまで仕事が続くか分からないし、何か手に職をつけた方がいいかもしれないという思いは常にあった。

「どうやって家族を養えるくらい稼ぐか」と、根底には常にお金のことで悩み、迷っていたと思う。

30代は「どうやって生きていくか」に

そんなこんなで20代後半まで来たら、ある日「事務所の経営が困難で給与が払えなくなる」と言われた。

所属事務所を辞めたいと伝えても拒否され、なぜ私の仕事がそれなりにあるのに経営困難になるのか理解不能だったが、とりあえずお金を作るために、芸事ではない世界に踏み込む決断をした。

話が長くなるのでだいぶ端折るが、友人を通じてラーメンの味のプロデュースをして、その後、ラーメン店舗をその友人と共同経営で出店した。

家族を養うためなら何でもやってやるという思いもあり、経験したことのないことに向かっていく迷いはなかった。が、周りからしたら「アイツは何がやりたいんだ?」という、かなりの迷走状態に見えたと思う。

そして何故だかこれが運よく軌道にのってしまい、最初に出店したラーメン店の年商が億を超え、30歳ぐらいで自分の名前のラーメン屋を全国5店舗まで出店するに至った。

これで子どもたちを養っていくことができる、お金で悩んだり迷ったりすることはないだろう、そう思った直後。

所属事務所から「ラーメン屋をやることを許可はしたが、名前と顔を使うことは許可してねえから、5千万支払え、さもなきゃ裁判する」といった感じの内容証明が届いた。

同時に、共同経営をしていた友人のバカでかい横領も発覚した。

その後一年ほど事務所や友人と壮絶なバトルを繰り広げたが、争いからは何も生まれなさそうだと思い、落とし所を見つけ事務所を辞め、ラーメン屋も自分の名前を下ろして辞めることに決めた。

自分はいったい何がしたいんだろう。今までは家族を養うためと必死になっていたつもりだったけど、迷うだけ迷って、その後、自分が何をしたいかしばらくの間分からなかった。

生活は最低限は困らなくなったし、自分が決めた決断に後悔はないけれど、あのときは迷路の中にいるような感じがあった。

ただいろんな経験をしてタフになったのか、現状を受け止めることができたのか、しばらくして「やはり前に進もう」と思うようになった。

この時期ぐらいから「生活のためのお金をいかにして稼ぐか」という迷いより「どんな生き方をしていくか」に変わっていった気がする。

年齢を重ねても「経験したことのないこと」は沢山出てくる。自分にできないことも分かってくる。だからこそ、「何をしたいか」という比重が大きくなったからなのかもしれない。

20代の頃は「やるやらない」ばかりの決断だったが、これからは自分が本当に何をしたいか、その中で自分に何ができるかということを考え決めていきたいと思った。

それで、全て自分で決断できる環境を作ってみよう33歳のとき、自分の会社を立ち上げた。

俳優の仕事を続けていくかどうかも、迷わなくなってきていた。これは私が決めることではないと感じるようになってきたのだと思う。仕事のオファーが来なければ続けられないし、オファーがあってなんぼの仕事なので、この仕事を継続し続けることができるよう、精進できるよう、挑戦していくと決めた。

迷いまくった時期を経て、「面白そう」な決断をするようになる

最近は決断の基準が「どの選択をするとより楽しそうか」というふうに変わっていった。迷っている選択肢が大変そうでも、楽しそうな方を選ぶようになった。大変そうでも楽しいものを取った方が得るものが大きかった経験が多くなったからだろう。

もうここまでくるとオカルトに近い話かもしれないけど自分が本能的に楽しそうだと思って取り組むものは、大変なこと以上に得るものも多い。

実は私が40歳のとき、当時中学3年生の次男が

「僕は高校に絶対進学しない」と言った。

理由はいたってシンプルで、学校の勉強はもうしたくない、高校に行くよりバイトでもいいから早く働きたいということだった。

「おいおい、何をたわけたことをぬかしているんだ、高校くらいは出ておきなさい」と言うことが親として当然だと思う。しかし私は中卒だったので、自分がやってないことをやれとは強く言えなかった。

私はたまたま中卒でも苦労しなかったが、それは私の人生であって次男もそうなるとは限らない。無理矢理にでも高校に進学させようか、彼の意見を尊重しようか。

私は迷った。そして最終的に、次男の意思を尊重した。

「自分で責任をとりなさい」ではなく「やりたいようにすればいい、何かあったら私も一緒に責任をとる」という決断をした。

そして、同時に高卒認定試験(大検)を受けることに決めた。

相当大変で無謀なこととは思ったけど、経験していないことを否定するような生き方より、知らないことを知ろうと生きる親の背中を見せたいと思った。

あと、42歳(受験時の年齢)で高卒認定試験受けるのって面白そう。そういう思いもあった。

数カ月間死に物狂いで勉強した。20年以上も勉強していない私にとっては想像を絶する難しさだったけれど、奇声をあげながら頑張った結果、高卒認定試験になんとか合格した。

高卒認定試験の合格証書

そんな父親の背中を見てくれたのか、不憫に思ったのか、父さんでも合格できるなら楽勝じゃんと思ったのかは分からないが、次男も去年、私と同じように高卒認定試験を受け合格した。

我ながらなかなか良い迷いと決断だったと自画自賛したいが、これが次男にとって良かったのかどうかは今はまだ分からない。

おそらく彼の本当の迷いや決断は、これから訪れるのだろう。そして、そのときに遠く後ろから見守っていければ良いなと思う。

こういうふうに、親として思えるようになったのは、今までの迷いと決断があったからだと私は思っている。




#「迷い」と「決断」

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著者:河相我聞(かあいがもん)

河相我聞

俳優。2人の息子を持つ父親でもあり、独自の子育てをつづるブログが話題を呼び2017年に書籍化。
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編集/はてな編集部